はてなキーワード: ハンサムとは
前者は男性の性欲を抑制することで社会から性的なハラスメントを撲滅するべきであるという文脈で使われる。
後者は少子高齢化に対する対策として女性の性欲を向上させることで計画外の妊娠を促すという意味合いで使われる。
男性の性欲を抑制する効果がある薬はどうやら存在するようである。
だから、後者に関しては完全にSF・ファンタジーの世界、仮定の話になる。
もちろん、前者も完全に仮定の話になるのだが。
どちらの場合でも、その性欲をコントロールする機関なるものの存在が必要になるのでは?
全国民の性欲をコントロールするべく、コロナワクチン摂取イベントのようなものを定期的に実施するべきであるという主張とも言える。
後者の場合は、少子高齢化対策として機能して人口が増加するようであれば国力の上昇につながるならば経済的にもとは取れるかもしれない。
そのような話の前に、そもそも国家が国民に対して、公衆衛生的な目的と乖離した目的で定期的に薬剤を投与するようなことが許されるのか?という話をしなければいけない。
おおよそ、そのようなことが許されるわけはないのは言うまでもない。
だから、性欲をコントロールする主体が国家を想定しているのであれば、かなり頭の悪い人の言動ということになる。
あるいは、なんらかの自主規制として社会がそのような暗黙の了解を形成するべきという理論なのだろうか?
個人が自主的に性欲を抑制したり、上昇させたりすることを期待しているのであろうか?
例えば、喫煙という行為は社会的プレッシャーにより大幅に抑制されている。
そのようなものを社会的合意を形成するべきであるという主張なのだろうか?
前者の場合、セクハラやあるいは性的な暴力を抑制する目的のための手段として主張されている。
もしも男性がその性欲を抑えることをした場合に与える社会的な変革のうちの瑣末事でしかない。
まず子どもの出生が減るのは間違いない。
これにより国力は現在より更に低下する。
そして上記にも書いたように国家が何らかの形でそれに関与するならば、そのような国家は意図的に国民をコントロールする術を手に入れることになる。
そのような権力を行使する国家とは極めて自由のない国家となりえる。
おそらくは合意の取れたパートナーがいる場合に限り、性欲の開放は許可されることになるのであろう。
そのようなパートナーがいない場合には、その性欲は有害であると判断されてその性欲は否定される。
このことは性産業、さらには性風俗産業にたいしても壊滅的なダメージを与える。
これは結果論としてだ。
男性に性欲がなくなれば、女性に対して性的な魅力を感じなくなることになる。
このことは女性に対して有利に働くケースもあるが、不利に働くケースもある。
一方で性的な魅力を失った場合にも、女性が社会的な地位を現在同様に維持できるのかは予測がつかない。
おそらくは女性にとっては不利に働く。
ものすごくハンサムな男性が何らかの事故などによって顔面に激しい損傷を受けた場合にも今までと同様に生きていけるか?という問題を想像すればわかりやすいかも知れない。
女性は性的な魅力を失うことで、そのゲタはなくなることになる。
そのときにより厳しい局面を迎えるのは、能力のある女性ではなく、能力の低い女性である。
結婚や風俗産業が経済的にその女性を救うことが難しい社会が形成される。
そのための社会福祉が必要なるが、そのような予算が捻出できなければ、国家はその女性たちを男性にあてがうことになる。
全体として国家が男性の性欲を抑制した場合、あまりハッピーな方向へと向かわないはずだ。
おそらくは、その国は滅びる。
そもそもがすべてファンタジーの世界の話であり、真面目に考えるような話でもない。
また
裏返しであり
前者を主張する人間は
そのことを自覚せずに前者を主張するような人は馬鹿とはいわないが少し考えが浅いと判断できる。
けっこう前に見に行った舞台に出ていたへっぼこ役者の愚痴が今さらふつふつと再沸騰したので吐き出し。
推しが「ハンサム落語」というシリーズ企画の舞台に出たので見に行った。事前発表のビジュアル写真も衣装も素敵で、落語を俳優二人組の掛け合いで演じるというコンセプトも気になった。
舞台当日は推しのいろいろな側面や、様々な役を演じ分ける演技力の高さや、好みのビシュをバッチリ堪能した。その舞台ならではの企画もあり、舞台そのものはとても楽しめたし行って良かった。演出と音楽と美術もすべてが最高だった。
ただ、共演者に何人かへっぼこ役者がいたことだけがずっともやもやしている。悪ふざけが過ぎる連中だった。その場のノリで悪ふざけをして姑息に場を引っ掻き回せば「ウケる」と思っている連中だった。
彼らの演目は酷かった。舞台のコンセプトとして落語を演じる以上は、その元ネタに敬意を払って欲しかった。
古典芸能には「守破離」があり、習熟度に応じて型を守る、型を破る、型から離れる、という段階がある。その舞台シリーズに何度も出演経験があるらしいへっぼこたちは、「今さら真面目に演じてもサムいだけ」とでも考えていたのだろうか。それとも生来の悪ふざけ好きなのだろうか。
とにかく落語の登場人物を茶化し、その型を破ることに腐心していた。
そしてその悪ふざけはあまりにもサムかった。古典芸能は、洗練されているがゆえに古典となっている。長い年月を経ても消えなかった落語たちを、小手先で姑息にイジって面白くなるわけがない。そのイジり方で面白くなるのであれば、先人たちがすでにそうしている。それでは面白くないからこそ、今の型で伝承されてきているのだ。
古典という根のしっかり生えた樹齢数百年の大木を相手に、枝葉を追って笑いを誘うような真似はあまりにも無様であり、気分が悪かった。
リハーサルと異なる演技をしたり、女性役をオッサン風に演じてみたり、悪ふざけのすべてが「出オチ」でしかなく、出オチで一瞬の笑いを取った後はひたすらに寒かった。
私の推しは初心者らしくしっかりと型を守って演技をしていて、生真面目なその役者としての在り方を見てまずす好きになった。
そしてさすがは落語、見よう見まねでも初心者でも、きちんとやればそれなりに面白くなる。役者さんが演じるから演技はうまい。しかも企画が素晴らしく、掛け合いを二人組で演じるところがミソで、初心者の役者でもちゃんと落語として見られる仕上がりになる。
真面目に演じればそれだけできちんと面白いものになる舞台だ。しかも落語にはさまざまな登場人物が出る。推しが一舞台でいくつもの役を演じ分ける様を見られたのは大満足だった。
へっぼこたちはそんな推しを巻き込んでくだらない悪ふざけをした。そしてへっぼこたちの演目は余りにもつまらなかった。
だから推しの活躍には満足しつつ、ずっとがっかり感を抱えている。推しが良かったんだからいいじゃないか、と思う一方で、古典落語を粗末に扱うへっぼこ役者を目の当たりにしたのが残念だった。
舞台のコンセプト、企画、演出、脚本、美術、音楽、衣装もグッズもなにもかも素晴らしかった。和洋折衷の色っぽい衣装も、演目を切り替えるときの演出も、お洒落な照明も、客入れの案内からグッズ販売のスタッフまで感じが良かった。
だからこそ、悲しい。
へっぼこ役者たちはこの舞台の常連らしい。つまりあれだけの舞台を作り上げられる企画グループが、あのへっぼこ役者たちの悪ふざけを良しとして、繰り返しオファーしているのだ。
私は「あのへっぼこ役者さえいなければ素晴らしかったのに」と思っているが、へっぼこ役者たちの悪ふざけが企画者の本意ならば、この舞台に関しては私の方こそ「お門違い」なのだ。
あの素敵な舞台から「お前はうちの客じゃない」と言われた気がした。好きになったから、悲しかった。
どんな漫画もドラマも小説も舞台も、自分が楽しめなければ悪いのは自分だと思っている。ただ、Not for meなだけだ。作品に「私好みじゃなかったんですけど!」と言っても意味はない。ただ去るのみだ。
多分もう見に行かないと思う。すくなくともあのへっぼこ役者が出ている回は。
今日たまたま配信で見た舞台作品に、一番へっぼこに悪ふざけが過ぎた役者が出ていた。やっぱり悪ふざけしていて、そのくせ声量がなくてダサくてやっぱり寒かった。第一印象が悪すぎてもうよく見えることはなさそうだ。
・前から観たかったし「無名」の公開前にアジアン裏社会男男間感情映画の予行受講しとくか〜と思って観た
・「夫婦でお揃でいい時計つけや…」という兄貴のあったけえ思い伝わってきた(兄弟でお揃はあざとすぎるし違うよね…?最後に主人公がつけてる時計若干細身の気がするけとそれは俳優さんの体格がいいから相対的に見えるだけで…兄弟おそろだったとしたらあざとすぎて逆に萎える)
・デカ赤字「良品」のロゴが兄貴のダサさと朴なところが的確に伝わってきてすごくいい…
・兄貴に絆されて闇堕ちというかそれもかなり大いにあるけど課長が主人公くんのこと奥さんの流れた事も含め使い勝手良すぎて使い倒そうとした事がトリガーというな
・課長も決して悪ではない 膿を出し切ろうと頑張っとるしかし悲しい感じに ひとのこころ…
・兄弟の絆ターンがもっとあるかと思ったけど思ったより少なかった「みればわかるよね!」感で通してきて映像の大半はおじさんたちの血生臭く入れ替わり し されの抗争メインだった
つまり思ったほどやおい映画ではなかったということ…確かに「ある」が男男間の薄暗い湿度の感情という感じでは少しちがかった
しかし性別関係なくあんなにハンサムでナイススタイル有能マンの主人公くんに「兄貴」と慕われたらアニキしたくなるわ…
・「 ぬにはちょうどいい日だ」というボカロ曲に出てきそうなセリフがいきなり出でビビった
・今回の映画の「そのポーズは俳優さんの足の長さでないとできません」は兄貴の病院のベッドに腰掛ける高さ
・これはあれやだな
主人公くんが何十年後韓国裏世界の重役であり続けた世界での「過去を振り返って」形式でみて「ドン、潜入捜査官から闇堕ちして成り上がったん!??」って思う旨味で味わいたいドン
・エンディング後?前?のありし日々ターン何?
増田は彼がとある地方大で学長をやっていた時にそこの学生で、なんどか直接会ったり話したりしたことがある。
政治家あるあるだと思うが、増田はけっこう好印象を抱いていた。
というのも、背が高く、ハンサムで清潔感があり、スーツはいつもオーダーメイドでビシっとサイズが合っている綺麗なものを着ている。気さくで、どの学生とも挨拶をかわし、こちらの話を興味持って話を聞いてくれる。
話し方はとっても穏やかで優しく、紳士的だがジョークも言うし、お堅い印象もない。
どの学生も川勝さん、川勝さんといって慕っていたように思う。
(今思えば、うちの大学は増田を除いてなぜか容姿がきれいな女子学生が多く、地元開催のミスコンはうちの大学の人ばかりだったし、女優やミス日本も輩出しているため、ただ単に無料キャバクラとしてヘラヘラしていた可能性も無きにしも非ず)(あとで「あの大学の子は綺麗で賢くない子が多い」と失言していてがっかりしたが)
政治家になってから失言も多いしリニアの件でのトンチキな暴れぶりはがっかりで、すっかり増田はアンチだが、政治家として在任し続けているのは、なんとなくわかるような気もする。
近くで見て話すと、華があるのだ。あと、とてつもなく話がうまくて人たらし。
耄碌してきているので失言も多いが、街頭演説でちょっと握手と立ち話なんかしたら、すっかりメロメロになってしまうだろう。そういう人。
増田が政治家となるべく接触しないでマニュフェストだけ見て選挙に行くのは、川勝さんで懲りてるところが大きい。もう静岡県民じゃないから静岡の選挙には関係ないけど。
悪魔のメムメムちゃん(2016)
名探偵コナン 犯人の犯沢さん(2017)
ぼっち・ざ・ろっく!(2017)
極主夫道(2018)
無能の鷹(2019)
僕とロボコ(2020)
ベイビーブルーパー(2022)
ヤニねこ(2023)
サウナウォーズ(2023)
きゃたぴランド(2023)
サチ録~サチの黙示録~(2023)
超巡!超条先輩(2024)
猫といえば「かわいい」だろ、と思う。
自宅で飼っている猫でも、他人が飼っている猫でも、私の場合、分け隔てなくとにかく「かわいい」と感じる。
だが、猫や犬、ペットの「かわいい」を無闇に、無理やり他人に押し付ける行為はなんとなく苦手だ。SNSでも、そんな目で見られないようになるべく心がけている。
しかし特定の誰かに読ませる目的のないスペースで、宛てもなく猫の話をするのはセーフだろう、と個人的に思っている。
特に私は猫好きなので、ネットに転がっている猫についての文章は大抵ありがたく享受している。
そういう人は多いはずだ。
自分一人が考えていることは、世間で百人以上が同じことを考えていると思う。
ので、増田では好きなだけ猫の話をしたいと思う。
で、飼い猫は昔ちょっとブスでした。
あんまり飼い猫についてこういう話をする人を見かけないので、どこかに同じ体験をした人はいないだろうか、という考えもあってこの話を書き始めている。
いや、猫はかわいいんですよ。
猫はずっとかわいい。フワフワしていて、よく眠るし、たまにニャンと鳴いて、夜に見つめ合うと目がギラギラ光っている。ずっとかわいい。
しかし、写真に撮ってもなんだかやけにかわいく見えない時期があった。
「なんだかムスッとしている」「不機嫌そう」「ブスに見える」
と、等しく不評だった時期があるのだ。
「昔」ブスだった、とわざわざ言うのにはもちろん理由がある。
「目がきゅるきゅるしている」「人懐こそう」「ハンサムだね」
と、昔と比べると随分な褒められ方をしている。
それはなぜか。思い当たる節はある。
この増田で記述している猫は、もう十歳を超えるじじいキャットだ。
じじいキャットは元々実家で飼っていた猫で、いろいろな事情があって二年前に我が家へやってきたばかりだ。
そのため、じじいキャットの性格は、帰省したときに見せてくれる一面しか知らなかった。
実家へ帰省した際にひと撫でさせてもらえるかな、と近寄ると、ササーッと遠くへ逃げていく。
撫でさせてもらえなくとも近くで観察させてほしい、と近寄っても、尻尾をブンブン振って無言の抵抗をする。
布団に潜りこんできたり、人間の後ろを着いて歩いたりするなどもっての外だ。
威嚇をするほどではなくても、人間には近寄らない、媚びない。そういう性格の猫だと思っていた。
だが二年前、じじいキャットは十年以上暮らした実家を離れ、我が家で暮らし始めた。
それ以降、じじいキャットの行動が全て逆転したのだ。
名前を呼ぶと耳と尻尾をピンと立て、撫でられるために近寄ってくる。
寝姿を近くで見つめていると、「そうか」と言うように薄目を開け、喉を鳴らす。
人間が眠ろうと寝室へ行こうとすると、なんと先回りして布団の上に座って待っている。すごく賢い。
しばらく相手してやると飽きてポテポテとどこかへ歩いていくが、起きていると十分置きくらいに布団へ遊びにやってくる。
だが、じじいキャットは基本的に十年前に実家で飼い始めてから今まで、彼の美学を貫いて生きているのかもしれないと、最近思う。
別に実家で粗末に扱われていたわけではない。むしろとても大切に飼われていた猫なのだが、実家はちゃんとした人間が暮らす家だったので、ちゃんとした猫の飼い方をしていた。
ごはんも、おやつも決まった時間に与える。夜間は寝室を締め切り、猫と人間の夜の時間は完全に区別していた。
この「人間と生活を別にする時間」が、じじいキャットにとって少し寂しかったのではないか、と私は推測している。
我が家にじじいキャットが来てからは、ごはんもおやつも、お腹が空いたであろうとき、食べたいと思ったであろうときにあげている。寝室も開放し、夜間も昼間も部屋を自由に行き来できるようにしている。
人間と似ている。お腹が空いたとき、食べたいときに食事を摂り、家の好きなスペースを自由に行き来できる。わざわざ意識しているわけではないが、我が家では人間と猫の行動に隔たりがそんなにないように思える。
我が家のじじいキャットは、ずっと人間と同じ暮らし方をしたかったのかもしれない、と思う。
目がきゅるきゅると輝き、人懐こさが表情から滲み、生き生きとしている。
なんだかムスッとしていないし、不機嫌そうに見えない。
ブスに見える要素が二年前から、すっかり全部取り払われたのだ。
こんなにブスじゃなくなったのは、二年前からの生活の変化が大きいと、不満が少なくなったからだと、私は飼い主として認識している。
もちろん、ペットと人間の時間を区別する育て方も、ペットの心身の健康のためには重要なこともある。ペットと人間の時間をきっちり区別する方が丁寧だと感じるし、ちゃんとした飼い主だからこそできる飼い方だと感じる。
我が家のじじいキャットの場合、暮らし方が変わったことで本当にブスではなくなったのだ。
この事実を子細に記しておきたくて、個人的に忘れたくないと思ったので、私はこの増田を書いた。
ずっとかわいい猫が、暮らしぶりが変わったことで、もっとかわいくなった。
新しい一面を、十歳を超えて尚見せてくれた。
猫ってすごい。生き物ってすごい。成長ってすごい。
日ハムファンですが今回の件で喜んでるのはライオンズとライオンズファンだけだと思います。
西武も提示した年俸見てわかるように本気で山川選手を引き留めてなかったように思われます。
山川選手と言えば素行が悪いので有名ですし西武球団としましても山川選手が残留するような事があれがイメージダウンもしてしまいます。
問題児の選手を放出出来て人間性も素晴らしい和田毅投手を取れた訳ですから西武は凄い喜んでると思います。
和田毅投手と言えばホークスの象徴でホークスのレジェンドです。
参考になるかわからんが自分の周りの結婚事例について考えてみた
1、俺の親
ど田舎出身の俺の親(もう60後半〜70過ぎ)はお見合い結婚で、お見合いしたとき母には別に気になる人がいたらしい
気になる人は超ハンサムでやさしくて穏やかな人
かたや俺の父はハンサムというよりはなんだ、あのマリオで降ってくる岩の敵キャラみたいな顔
だけど、父親が地方の中でも都会で働いていたため、結婚すれば田舎を出れると父を選んだらしい
あとは「無人島に行っても一人で生きていけそうなところがよかった」とか
ちなみに俺の父は趣味人でマイペースで、母は無趣味で子育てに心血注ぐ毒親タイプ
性格や考え方はあってない
結婚してから子育てしたり、親戚のどろどろに巻き込まれたりなんやかんやあった
一時期は離婚する直前まで行ったが、年をとり、何より二人共通の趣味「孫」ができてからは今も仲良くやってる
2、俺(30後半)
高校で妻と別れたあと気になった女子は二人くらいいたが、陰キャなので恋愛に発展せず
俺の妻は変わり者でぎょっとすることもあるけど、それも楽しいし気に入ってる
好きな容姿も年をとって劣化すると感じるかと思ってたけど、むしろ前より好きになった
でも性格は合わないから喧嘩はやばいくらいした 結婚して1〜3年は生活方式の違いで小競り合いしまくった
年数が経つにつれ喧嘩は減って、考え方も合わないんだけどお互い理解して気が合ってるから一緒にいても苦じゃない
念願叶ってなった公務員を辞めることになるとわかっていた妻も、迷わなかったと言ってた
結婚するにはこの人しかいないというより、この人と結婚しなかったらもう結婚しなそうだ、と感じたらしい
今回の事例でいくと、俺の親は妥協タイプ、俺は妥協なしタイプだと思う
でも、それぞれなんとか続いてるってことは、基準がどうかより「納得いってるか」が一番大事ぽい
喧嘩が少ない、安定した穏やかな暮らしを求めるなら今の彼女はバッチリそう
刺激が欲しい、常にドキドキした暮らしがしたいなら目移りした別の人に行ってもいいが、
・30歳で初めての彼女なら、今の彼女と別れても新しい彼女ができる可能性は低い