はてなキーワード: ラーゼフォンとは
大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。
この作品が好きだったのは、クラークやイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星の風景描写があったことだ。僕が映像作品を評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星とイオのあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインからの携帯メールにも確かクラークへの言及があった。
また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。
敵方の宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨にエヴァの影響を受けているし、詩的な文章も村上春樹のフォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督の作品をもっと見てみたいと感じた。
「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分が好意を寄せている女性視点の失恋の話だった気がする。
僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空の歴史、知的に早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道のメガストラクチャーという、自分の想像力をはるかに超えた世界を見ることができた。
もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系の典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど、主人公のやっていることはテロリズムの肯定だ。
テロ組織の名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン・樺太の先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロインの祖父の名前ツキノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族の悲劇は、ごくわずかしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。
にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京の景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界の彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。
そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれる北海道の美しさで息をのんだ。
自分の青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲の映画に呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。
退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常の風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星の風景は、僕が創作していたSF小説の舞台として何度も用いた。
そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。
振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちにちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期だから初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。
後に、貴樹をはじめとした新海アニメの主人公たちはどうやって童貞を卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。
統一感のない固有名詞(※僕はファンタジーで名前を付ける際には一貫性が必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数の言語圏から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写、主人公・明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカと揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠が思い入れを持っているように感じてしまったところだ。
愛するものの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワードも村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか?
冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。
しかし、作者の意図や性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的に作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。
言いたいことはたくさんある。
けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞で説明してしまうこと」だ。
最後のタカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽と映像がうるさいなので、台詞なんていらない。
新海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明は小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画の受け手を見くびるな」とも感じた。
そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。
ただ、この頃から日本の古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやかな愛国心が満たされる。
僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。
観ていない。
「言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠が自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。
「君の名は」の予告の「スカート注意、男子の目線!」といったセリフにも、新海誠の性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。
これは男子高出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督が女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二の映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明が俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。
ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。
「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。
被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災の記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性が自分自身だったってのも良かった。周囲の支援が必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。
ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。
今まで肯定的だった(あるいはマスコットでしかなかった)猫が、ダイジンという善悪の不明な存在になったのも面白い。
今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。
恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督は大人になったんだな」と感じた。
それでも無念な個所はある。人口が希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代だから出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。
あとは、震災の描写がリアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画で大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石で地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。
ところで、この作品は村上春樹「かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車でドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松をドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。
そのくせ、村上春樹はオマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。
疑問点。すずめの三本足の椅子、過去の自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか?
どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。
当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。
あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。
でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けのクリエイターから、国民的監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。
こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?
これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情でラブコメ苦手だし。
各シリーズを作った本数順にまとめていく(他は順不同、敬称略)
富野監督がレジェンドであり、それ以降のロボットアニメの名監督・後継者ははっきりと出ていない状況
庵野監督はネームバリューはあるが手掛けたロボットアニメのシリーズ数はそんなに多くない
ロボットアニメの世界では創聖のアクエリオンやマクロスFなど手掛けた河森正治監督が庵野監督への対抗馬筆頭候補となっており、統合的には富野監督の後継者たる次のロボットアニメのレジェンドの登場が待たれている
そうなんですよね
現実世界だと主にスポーツとかでサイヤ人だけが優遇されてしまってズルいみたいになる
でも、漫画だとみんな楽しんでる…
そういうところが個人的に引っ掛かるわけだけど、逆に等身大過ぎる主人公というのも魅力に欠けるのは事実で…
ラーゼフォンもイケメン無双過ぎて、無残に負けるチャラいロン毛の方がちょっと可哀想にも思えてきたり…
ただ、ロジックで考えても能力がなければ主人公はオチまで到達できないわけで、
恵まれた出自だとしても、どう逆境を設定して、どう知恵と努力で乗り越えるか、
みたいなのを用意しないと完全に読者が感情移入できなくなってしまうわけで、そのバランスの問題なんだろうけど、
ふと思いとどまって考えてしまうと、
あの漫画の主人公ってチート過ぎるよなあ、と思ってしまうという
…
あ、自分はスポーツ観戦とか野球とかサッカーの観戦にあまり興味がなくて、
あと、今住んでる部屋の隣人がテレビでのスポーツ観戦が五月蝿くて、ちょっと迷惑してるのだけど、
観ないことはないけど、流し見しかしないんだよなあ、スポーツ観戦は
理由として、自分より優れている人たちが頑張ってるのに、クソだの何だのヤジ飛ばすようなのがまず嫌だし、
自分より優れている人たちは、自分より優れた人にしかできないレイヤーで活躍しててくれればいいのであって、
逆にそんなに超能力合戦を観たいのなら、毎日病院の集中治療室がそうかもしれないし、
言いたかないが、プログラミングだって場所によっては超能力バトルみたいなもんなわけで、
で、スポーツ観戦で五月蝿い人たちが、外科治療とかプログラミングとか受験を観て盛り上がるのか?
盛り上がらないと思うんだよなあ
つまり、結局は能力差別がどーのこーの言ってる人たちが超能力合戦、異能力バトルを楽しんでいるわけで、
それは自分たちがその楽しさを理解できると思ってるから成立してるだけの話で、
単に、面白さが理解できない能力バトル=差別、みたいになってるのかもしれないし、
自分は、自分より優れた人たちはその人たちで勝手にやってくれ、としか思えない人間なので、
やっぱりスポーツ観戦とかが楽しめないんだと思う
監督視点で考えると面白くなるのかも知れないけど、監督だってゲームみたいに誰でもなれるわけではない、
時間 | 記事数 | 文字数 | 文字数平均 | 文字数中央値 |
---|---|---|---|---|
00 | 126 | 16608 | 131.8 | 48.5 |
01 | 52 | 6210 | 119.4 | 72 |
02 | 32 | 7389 | 230.9 | 46 |
03 | 23 | 6028 | 262.1 | 138 |
04 | 20 | 2714 | 135.7 | 104.5 |
05 | 13 | 2299 | 176.8 | 51 |
06 | 14 | 698 | 49.9 | 41.5 |
07 | 39 | 5259 | 134.8 | 42 |
08 | 85 | 7211 | 84.8 | 34 |
09 | 144 | 12057 | 83.7 | 36 |
10 | 188 | 22115 | 117.6 | 48 |
11 | 241 | 26378 | 109.5 | 53 |
12 | 313 | 29649 | 94.7 | 41 |
13 | 184 | 17874 | 97.1 | 49 |
14 | 164 | 17842 | 108.8 | 44 |
15 | 122 | 9878 | 81.0 | 37 |
16 | 211 | 18740 | 88.8 | 50 |
17 | 189 | 13766 | 72.8 | 35 |
18 | 185 | 16483 | 89.1 | 41 |
19 | 160 | 14681 | 91.8 | 42 |
20 | 124 | 19156 | 154.5 | 48 |
21 | 139 | 17232 | 124.0 | 52 |
22 | 163 | 20149 | 123.6 | 46 |
23 | 218 | 24872 | 114.1 | 47.5 |
1日 | 3149 | 335288 | 106.5 | 45 |
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ラーゼフォン、エウレカ、まどかマギカ、その他セカイ系、平成仮面ライダー?(逆輸入?)、ケイゾク(SPEC)、FF、DoD、NieR
正直アニメだけじゃないと思う。
時期的に、というかエヴァの影響は受けているだろうけど
そういえば、ラーゼフォンは「首都消失」「さよならジュピター」「ブルークリスマス」ネタだったよなあ
調律された世界には東京ジュピターもエヴァの使徒に当たるドーレムも当然ムーリアンも存在しない
東京ジュピターが出現して離れ離れになって、自分の彼女だった遥は主人公の代わりに?双子の弟、樹と交際するも別れてしまう
調律された後の世界では主人公と弟が合体したような人物になっている
物語は完全になかったことになっていて、主人公は大学の研究職で出世、(紫東)遙とは普通に結婚、
出産した娘の名前は主人公と世界を再構築する権利を争ったもう一体の神である(如月)久遠になっている
ラーゼフォンはイケメン無双なところが観ててツライけど、フィクションとしては好き
ただ、裏側を調べててちょっと胡散臭い新興宗教っぽく思えたのは気になるけど
作り手側がどういう思想や宗教観なのかは引っ掛かるけど、フィクションとしては面白いし好きなんだよなあ
メカとかそういう設定も好きだった
東京ジュピターによって離れ離れになり、東京ジュピターの中では時間の流れが遅くなるため、
離れ離れになった同い年の二人は年齢差が開いてしまう
少年は東京ジュピターの中で少年のまま、少女はオバサンになってしまう
それでも互いに恋愛関係になり、最終的には再調律によって問題自体がなくなってしまう
シンエヴァは脇道から現れた巨乳眼鏡と結ばれてしまうという点でリアルといえばリアルなんだろう
お下劣アニメの「パンティ&ストッキングwithガーターベルト」をひさしぶりに視聴したくなり、某アニメ配信サイトを契約した。
そしたら昔見たロボットアニメがいろいろあって、なつかしくなってラーゼフォンを観たあとにゼーガペインを見つけたので十何年ぶりに全部通して観た。
当時から自分はカミナギリョーコまわりのストーリー展開がとにかく気持ち悪いと感じていて、当時は自分でもなぜこんなに嫌悪感を感じるのかわからなかったのだが、最近のフェミニズム関係の感覚と照らし合わせるとなんか腑に落ちたので吐き出しておく。
ネタバレありです。なしで語るのは結構むずかしいアニメだと思うので。
誤解がないようにまず言っておくが、カミナギリョーコ(守凪了子)はものすごく可愛い。
ショートヘアで快活、物腰柔らかく、映像研究部に所属している映像作家、少し不思議ちゃんで、なにより「幼なじみ」である。
花澤香菜さんの「良い棒」と言われる初々しい演技もアクセントになっており、人気投票でもトップであったようである。
そして”だからこそ”、中盤からのストーリー展開に嫌悪感を抱かざるを得なかったのだ。
ゼーガペインの世界は「コンピュータの中に人間の意識が閉じ込められている」という、今となってはよくあるSF設定だ。
そしてなぜかストーリー中盤(具体的には13話のラスト)以降、カミナギリョーコを痛めつけるためにマトリックス設定をフル活用し始める。
とにかく手を変え品を変え、1話ごとに少しずつ状況を変化させて継続的にイジメる。
この舞台設定で起こりうる障害をうまく使ってストーリーを回していると言えなくもない。
だが、だとしたらなぜカミナギリョーコ1人だけがその責を負わなければならないのだろうか。
蓄積したウェットダメージにより消滅したアークというキャラもいるが、彼女は物語開始時からそういう設定であり、カミナギとは少し状況が違う。
主人公ですらただ「思い出して」いるだけであり、舞浜サーバーのリセットに直面しての絶望は予定調和感すらある。生徒会長の寿命も同様。
ストーリーが進展することによる状況の変化が悪い方向に積み重なっていくのが、物語全体を見通してもカミナギだけなのである。
(アンチゼーガの出現による被害を受けたのも、ほぼほぼカミナギだけではないだろうか)
セレブラントとして覚醒する12話以降、しばらくは完全にカミナギを中心に話がまわっていく。
いや正確には、カミナギが脳裏にチラついて、他のキャラの話が頭に入ってこなくなる。
その主な原因をメタ的に探ると、単体でもヒロイン属性として成立しうる設定を一話ごとに切り替えていることが大きいのではないだろうか。
冒頭で上げたヒロイン特性は言うに及ばず、ゼーガの中でしか会えないというのは完全に「織姫と彦星」だし、感情欠落は綾波レイ。
「さあ、カミナギかわいいだろう? かわいそうだろう? 萌えろ!! オナペットにしろ!!」
と強要されているような胸焼けを感じる。
マトリックス系SF設定から浮かぶヒロイン属性としては理解できるし、中華娘や副館長にそれを盛ってしまうと話がとっちらかってしまうので、ある程度仕方ないところがあるとはいえ、限度があるだろう。
一番理解できないのは随所に挿入される軽度な性的描写...はっきり言うとエロである。
スーツ着用時の執拗な下半身まわりのカメラワークが特にそうだ。
主人公が「なんかエロいな」とかセクハラ言っちゃうし、それに対してまんざらでもなさそうなのがまた違和感。
特に感じたのが、敵にボディブロー打ち込んだときに頬紅潮させて「もっと深くっ!」とか、あのシーンおかしいですよね?
そういうのじゃねえだろうがよーーー!!! カミナギわーーー!!!
それはつまるところ視聴者のためだ。
つまり視聴者が楽しむためにカミナギは消失し、織姫になり、綾波になった。
自分が達した結論は、「これはカミナギを性的消費するためのポルノなのではないだろうか?」だった。
キャラクターを徹底的にイジメることで感情移入させ、時には明確にエロをもって楽しませるポルノだ。
物語最後にカミナギが妊娠するのは本来なら人類の未来を感じさせる感動的な描写だが、別な意味にも見えてしまう。
初回視聴時の自分は、無意識のうちにそれを感じて嫌悪感を持ったのだろう。
さんざんこき下ろしているように感じるかもしれませんが、ゼーガペイン自体はすごくおもしろいSFロボットアクションアニメだと思っています。
昨日書いたことは間違ってた。
まあ、思いつきを書いてるだけなので。
いずれにしても「恐れるな我が半神よ」の半神は阪神ではないし、
Googleするとやたらに神と人の間の子みたいなのが表示されるけど、
それが合体すると完全な神になる、
本来、人は腕が四本、足が四本、頭が二つの生物だったが、それが分離してしまった。
その分離した同士が元の完全な状態になるために惹かれ合う、求め合うのが恋だの愛だのだ、
という宗教があるという話と似ているようにも思ったわけだが、
まったく影響受けてない作品なんてあの時期あったかというぐらいインパクトはあったわけだし、
あの余韻から影響受けてないものまで影響受けてるように見えてくる時点で
やっぱりエヴァは凄かったんだろうなあ、と思いはするけど、
ラーゼフォンは色々芸が細かすぎるというか、
ムーじゃなくてムウMuが正しいのか、
観ているうちにそんな話になるわけがなく、
というか、色々考えていると、オカルト臭さとか、