はてなキーワード: 教条的とは
日本人が生きづらい理由の一つが、その教条的な価値観なんだと思うよ。
「〇〇しなくてよかった」という意見は、「人は皆、〇〇すべきではない」と言っている訳じゃない。
ネトゲに課金しない生き方も、課金する生き方も、どちらを選ぶのも、本来自由であるべきだよ。
課金プレイヤーが普段感じる愉悦は、低レベルの無課金プレイヤーが居てこそのものだし、
あるゲームでは課金して運営を支え、別のゲームでは無課金で遊ぶ人だっている。
「子供を産まなくてよかった」だって、そりゃ、人類の歴史を考えたら、
数万人ものご先祖様が、代々、子供を産み続けてくれたおかげで、今の自分達がいるのだから、
コンサバは「こうしなさいああしなさい、これがあなたの為よ、これがお国のためよ、これが正しいのよ」と伝統的な価値観を子に刷り込んでいこうという思想
現代の創作はそういう流れに抗い、若者が自分たちで価値観を形成していく、若者が主役になる冒険活劇になる
これがリベラル的ってこと
コンサバな創作はどういうものかっていうと、中国共産党がゲーム規制でやろうとした内容が分かりやすい
ゲームは精神的アヘンだとしたり、男の娘やBLはダメ、男は男らしく、女は女らしく節度をもった格好で、未成年は時間制限、エログロホラーや政治的なものもダメ、欧米の文字や表現より漢字使え、そういう表現規制や消費スタイルを指定していく考え方に与するのがコンサバって思想
換言すると傲慢な統治者の思想だな、民は愚かだからキツく縛ってやるのが愛なのだというパターナリズムに極めて近くなる構造をコンサバは持っている
現代の創作でコンサバ寄りの「○○ならこうあるべき」を描いてるのはほんと古臭いか胡散臭い人が書いてる(例えばゴーマニズムとかそれ系の)主張が強い系しかなく、むしろ現代の漫画アニメゲームは「○○でもいいんじゃないか」「こういう在り方もあるのか」と思わせるリベラルな作品ばかりだ
もちろん現代でも家族愛、女性を守る、地元を愛するみたいなコンサバ寄りの発想を美しく描いて作品テーマに織り込んでるのは多いけど、教条的にしてなければ保守臭さはでずに全体としては新旧の価値観の調和をめざすって意味でリベラルな作品になる
・発達障害やアスペルガーは人間の新しい形式であるということを周知する。
・近年の「発達障害」という概念の広まりは発達障害者を救うものではなく、社会における差別やレッテル張りを加速させるものにしかなっていなかった。
・診断がつくようになり本人の困りに説明が付く、のではなく、社会による忌避の手段に「あいつは発達障害だから、アスペだから」というレッテル張りが追加された。
・発達障害と言う用語を、特に「障害」を、別の意味に取り換えることを議論する。(現状、この記事では以後も発達障害としておく)
・定型発達と言う用語については、「定型」妄想障害とすること。自分達の生活やコミュニケーションの方法が常に正常であるという広範な傲慢さは妄想の上にしか成り立っていないので。(以後、定型妄想障害とする。これは我々を取り巻く社会とほぼ≒であろう。)
・運動の先例として、CP者による「青い芝の会」による運動は大いに参考になる。無論、全てを教条的に引き継いだり無批判で参考にするものでは無いが、障害当事者の抵抗活動として大いに研究に値する物である。
・手足の自由が利かないCP者にとって、バス闘争は体一つで示せる、かつ命がけの抵抗活動だった。発達障害者は社会に浸透し定型妄想障害者の一方的なコミュニケーションバイアス、矯正、同一化に歯向かっていくことが同様の手段となるだろう。
・実力の抵抗も究極的に排除しない。発達障害手帳の効力が低く、交渉も拒まれるなら、役所のロビーを占拠しマスコミを呼び込みプロテストするなど。
・発達障害者、アスペルガー、境界知能者らは、定型妄想障害者の社会に盛んに乗り込むこと。何か特別な意気込みは不要。即ち、学校・職場・恋愛関係などあらゆる場所で発達障害者として社会に同化しないコミュニケーションを行う。
・発達障害者は、定型妄想障害者の支配する職場や学校などにおいて「挨拶や謝罪の形式といった社会的マナーや文化が備わってない」などと攻撃されてきた。では、定型妄想障害者の「正しい社会的マナーや文化」はどこから来たのか?
・今まで現れてきた色々な文化もマナーも、「新しく」「発達し」作られた瞬間が存在する。にも関わらず、現代の発達障害者らのコミュニケーションのみが問題視され、矯正対象とされるのは差別である。(そもそも、近代以前の社会では社会の一部領域を発達障害者が担っていた)
・一方で我々は科学などを否定することはない。我々はポルポトやルイセンコではないので、科学的手法を排除する必要はない。あくまで「科学」を自身の妄想に利用してきた社会を攻撃する。黒人が、白人の作った武器で植民地政府に抵抗するのと変わらない。
・医療機関などにおける発達障害の認定を、より明確な基準に置き換える。また、グレーゾーンや、引きこもり等潜在的な人々に対する救済策を講じさせる。
・投薬治療に疑問を持つ。社会に順応させられる手段としての投薬を拒否する。治療されるべきは定型妄想障害の社会であるという前提を持つ。
・障害者のみがコンサータやストラテラなどを飲まされるのではなく、水道や給食などに混ぜ込んで定型妄想障害にも平等に投与し、その異様な効力を自覚させる、などの手法も考えられる。
・社会への同化を目的とした「自助グループ」を拒否する。発達障害と見なされる児童への「療育」を拒否する。定型妄想障害社会への、「教育」による同化を拒否する。
・これらは現代の「インディアン寄宿舎」である。発達障害による文化(その創造)を一方的に奪う方策である。これを指摘する研究や書物は、ほとんどない。
・就職活動などにおいて受けさせられる「性格診断キット」「性格テスト」などに関し、近年では明確に発達障害者らを選別・排除する意向を隠さないものも存在する。これらを廃止させる。
・男女を問わず「カサンドラ症候群」などという定型妄想障害者の詐病を徹底的に糾弾すること。発達障害者とのコミュニケーションにのみ「症候群」を発生させるのは傲慢な差別であるということを周知させる。
・フェミニズムやあるいはマッチョイズムといった物は、当運動では関係しない。また運動に取り込むべきではない。これらは発達障害者を敵と見なしてきたものである。
・前述の「青い芝の会」で例えるならば、フェミニズム運動は優性運動に加担し障害者をまさに先天的に排除しようとしていた。現代ではフェミニズムは定型妄想障害に加担している。
・このマニフェストが究極的に目指すところは、定型妄想障害者の社会を発達障害者が完全に塗り替えることである(前述したが、発達障害という言葉はその時には別の言葉に変わっているだろう)。
・硬直化した社会は消滅し、発達障害者によるイノベーションが日々行われる。コミュニケーションの形式は軛から放たれ、自然な発達と自身の自由な表現、他者との健全な切磋琢磨が初めて実現する。
・政党政治は消滅する。早期にインターネット回線による直接民主制政治に切り替えられる。
・海外にも発達障害の抵抗を伝播させる。(定型妄想障害に捉われている確率が低い、各国の障害者団体や先住民社会との連帯などが考えられる。)
ただし以下の理由で反発を食らうことが多い。
・カルト構造と同じで、一般社会的には極端な思想であるから目立ちやすい。
・ヴィーガン思想はインテリがなりやすく、教条的で、教師のような口調になることが多い。
・肉を食わずに豊かな食生活が送れる、というのが理解されず、不気味に映る。
・動物を殺すべきではないという真理を、上から目線で言われると腹が立つ。
ツイッターなどSNSでは少数派の意見が目立ちやすいというのも理由だと思う。
そもそも動物を解放したいという思想は民主主義・リベラルに通じる。
人権・生きる権利を最重視するわけで、他人を暴力や権力で制約することに興味がない人がほとんどである。
その思想を動物と地球に拡げたのがヴィーガニズムだと個人的に思っている。
また、肉を食わないと精神が安定し、激高したり無駄なアグレッシブさを回避できる。(これはメリットデメリット両方)
信じられない人は、3日間完全菜食をして、自分で人体実験をしてみるといい。
驚くほどメンタルが変わると思う。
一連の発言を見て思うのは、降伏した先にジェノサイドがあろうとなかろうとどうでもいいというか
国家を守るために戦うこと自体を教条的に禁忌としすぎたせいでそれを守るために必死になってるように見える。
"アメリカに占領されてあまり被害が出なかったから運がよくて日本人は気づいていない"とか言ってる人いるけどそういう感じではなさそう。
どうもジェノサイドがあったとか飢饉がどうだとかそういう知識があってもウクライナに降伏を進めている感じがある。
かといってロシアが正しいとも思っていない。
なんかとりあえず国を守る思想自体がとりあえずいやでいやで仕方ないように見える。
とりあえず国を守るために戦う人を見るとほぼ条件反射で"いやだ!"って思考に支配されてる。
こりゃ重症だなぁ。
ごく0.xxパーセントのヴィーガン(主に欧米)のデモ活動の過激なニュースを見た時だけなわけだから、
そりゃそういうイメージになるよねという話。
あとは肉を食うことは命を奪うこと、っていう自明な行為なのでそこに良心の呵責は誰でもあるわけだが、
それをあえて言われることでイラッとして「戦争だ!」ってなるのはわかる。
「わかってんだよ!」っていう気持ち。
耳が痛いだけ。誰も押し付けてない。
掃除しないといけないのわかってんのに「掃除しないとうんたらかんたら」って言われたら耳が痛いのと同じ。
小笠原秀一 @nile_empire
声のデカいヴィーガンは他人に強要したり、挙句肉屋焼き討ちしたりするか嫌われるんだよ!
普通に「俺たちヴィーガンだけど、こんな美味い物喰ってます!」アピールはドンドンしてほしいと思う。
それを「美味そうね、それどこで食える?」って楽しく交流するのが「多様性を認める」事でしょ? twitter.com/Count_Down_000…
2022-01-24 13:04:43
吉村英崇@ Go to 図書館 _(:3 」∠ )_ @Count_Down_000
理念を妙におしつけず、ライト層をふやしていけば、ヘビー層も増えていくと思うんですよねえ。
このコロナ禍のオリンピックということだけで、MIKIKOが担当したとしても猛烈に叩かれることが確実と思えないのはどうかしてるよ。
例えばAKIRAを使うことなんて、海外からは好評価を得るのは間違いないけど、日本の反オリンピック勢からは格好の的になると思うよ。
中身を丁寧に評価するなんて常識的な行いを、教条的な反権力にしか興味のない連中がするはずがないよね。
むしろ日本円が高すぎて、海外に工場が移動していったのじゃないか。
教条的な政府支出が良くないだの、リスクを取れ、起業だイノベーションだ、ただし、それの遂行者には魑魅魍魎ばかり寄ってくるかサポートはないがな!と夢想的なことばかりほざいて、本格的に衰退しそうなら貧乏国になって工場を持てば良いなのだから新自由主義はだめなんだよ。
残念ながら日本円がアメリカの国債を大量に担保しているせいで、日本はアメリカのやり方の土俵に乗るしかないよ。それに、かつてのような我が国の銀行主体の直接投資による手法は WTO に加盟している以上は無理だよ。それに他国が大きな市場を持っている場合に、日本の雇用のために相手国の雇用を奪うのはギルティ扱いされますよ。例えば日産のお家騒動は、日産の九州工場が韓国のルノーサムスンの経営効率改善のために犠牲になるように仕向けられたのも発端の一部だよ。もう僕たちは先進国に生まれちゃった以上は、一部が金持ちになるけと、パテントで生きていく必要あるのよ。
外貨を簡単に稼げない状態だから、財政破綻おきそうでヒーヒー言ってるぞ。
教条的な政府支出が良くないだの、リスクを取れ、起業だイノベーションだ、ただし、それの遂行者には魑魅魍魎ばかり寄ってくるかサポートはないがな!と夢想的なことばかりほざいて、本格的に衰退しそうなら貧乏国になって工場を持てば良いなのだから新自由主義はだめなんだよ。
俺の主張が精神論に聴こえるのは、経済学がアダム・スミスのような哲学者たちを始祖にしているから仕方がないよ。
新自由主義だと一度不景気になったら二度と復活しないし、不景気故に設備研究投資をしなくなるし、儲かる前の基礎科学を破壊するから。そこでイノベーションがおきれば良いとウロウロするが全然だめ。
新自由主義は「大きな政府による」だぞ。アメリカの場合は、公務員ですら失職するのに、解雇規制をそのままやって新自由主義なんてやってみろよ。またまた公務員さまという権利団体の復権が起こるぞ。それに、「一度不景気になったら二度と復活しない」ってまさかスノーボール理論か?
細かい要素がどうのこうのなぞ興味がない。「政府の投資が良くない」に教条的にこだわって他のことを夢想的にふわふわ語って、それに騙されるかわいそうな人間いないかとうごめいているクソみたいな存在がお前みたいな連中だ。万死に値する。
むしろ利息がゴミのように増えていく無意味な投資をするぐらいなら、無理に公共投資なんてするぐらいだったら、まだデフレのがマシ。
団塊様たちが死んでくれるまでは、デフレが「選挙で民主的に選ばれた」人たちにとってメリットがあり、しかも国内への投資が非効率な今は、たとえ国際競争力が下がっても良いからデフレの方が「若者の未来を奪ってでも」得なんだよ。むしろ、生産性の高い若者は不要で、介護のような「安くで使える」若者の方が需要あるのかの。
ケインズ主義はうまく言ってたが、欠点があった。その代わりに君みたいな精神論やら細々としたものを直せばよい、イノベーションやらを起こせばよいという新自由主義が生まれたが、致命的にだめだった。
新自由主義だと一度不景気になったら二度と復活しないし、不景気故に設備研究投資をしなくなるし、儲かる前の基礎科学を破壊するから。そこでイノベーションがおきれば良いとウロウロするが全然だめ。
その前に死ぬか食い物にされるか、よそがネタパクるわ、阿呆が。詐欺師に親しい存在になれば食っていけるかもしれないし、一部がイノベーションとやらになるかもね。ほぼ不可能に近いが。
俺が言ったイノベーション周りのネタなんざヤクザでなくてもあるあるだぞ。そしてそれを求めてるんだろ?「市場経済で評価されるために」。何もなしに売れるもんなんか作れないわ。アホかお前。だからエンジェル投資なんてものが成り立たない。
細かい要素がどうのこうのなぞ興味がない。「政府の投資が良くない」に教条的にこだわって他のことを夢想的にふわふわ語って、それに騙されるかわいそうな人間いないかとうごめいているクソみたいな存在がお前みたいな連中だ。万死に値する。
本当に政府が何もしないという意味で純粋な自由主義を消極的自由主義とも言う。
だけども、消極的自由主義だと金持ちや政府外で権力を持った人間(例えば企業の社長)から弱い人間が守られない。
そこで適切な法を持って政府が干渉する。そして各々の自由が守られるようにする。それは積極的自由主義であり、逆を言えば政府の干渉によって多数者の自由を守っている。
社会主義、共産主義を悪なるもので良くないと教条的になっているように見えるし、社会主義と共産主義の関係をどうみているのか、それこそイコールで悪の枢軸にみているような気もする。
だけども、もと元はと言えば19世紀末から20世紀初頭にかけて自由放任主義で経済が成長した。しかし1930年の世界恐慌で大不況になった。それこそ身売りが多発して、日本でも若手将校によるクーデター未遂事件が発生した。(226事件)
そこで、政府が金融、財政、税制で経済を調整しよというケインズ主義と、政府が計画経済してそもそも経済変動が生まれないようにしたマルクス主義が主導権を握り、世界は二分された。その時代の名残だよ。
自由主義陣営といえどもケインズ主義で積極的自由主義であり、消極的自由主義は世界中から放逐された。マルクス主義は共産主義であり間違いがない。
そして政府が財政を持って国民の役に立つことをするようになり、社会保障が生まれた。さて、社会主義はどこまでの領域を指すのかと。
ただし、1970年代のオイルショックや、アメリカイギリスの経常赤字、そしてアメリカの金流出が起きた。そこでケインズ主義が限界がある。理由は政府の肥大だと言うことで新自由主義に転換した。
もっとも、一度大規模経済危機を迎えたら日本では1990年バブル崩壊、欧米でも2008年リーマンショック後の長期不況が続いている。そしてのコロナショックで、間違いなくこれは大規模経済危機だ。
さらに、すぐ確実に儲かるものしかしてはならないということで、政府は緊縮して科学が衰退し次の産業の種が生まれなくなる。企業も不確実な投資を嫌い産業が生まれなくなる。その結果長期衰退を招いて日本で貿易赤字が出るようにまでなっている。
経常黒字もいつまで持つか。
そのうえで、やはり新自由主義の「政府が何もしない」というのは誤りで「では政府は何をするべきなのか」は議論の俎上に上がる。
とくに新自由主義とケインズ主義では「税をどうするか」「財政出動をするか」が大きく分かれる。立憲民主党は内部が割れてるよ。
という前提があった上で「社会主義」が何かを考えずに「負の側面」と言っても何を言ってるの?とは思うね。内部割れていることにも気づかず、教条的な社会主義、共産主義の担い手であり、反省しろって一体何をみているのかとは思うね。