はてなキーワード: 言うなればとは
毎年数百冊の単行本を買う程度の漫画好きだけど、一番好きな漫画を上げろと言われたら「ARIA」を上げるくらいに好き。
何が好きかというと、まずメインキャラ3人がまず才能ありまくりの天才だということ。
シミュレーションだけで最初から上手く漕げる(逆漕ぎだったけど)灯里と、会社の跡取り娘の藍華、そして最年少にして最高の実力を持つアリスという3人で、言うなれば少年漫画の主人公にありがちな「持たざる者」の正反対。
その才能を持った者たちが何をするのかと言えば、とにかく「練習」「練習」「練習」だ。
見習いの彼女たちは誰一人として驕ることなく、暇さえあれば練習し、たまにある休みにも船を漕いで出かけてその腕を磨き続ける。
普通の漫画であれば「才能がありかつ己の限界に挑む存在」は悪役か孤高の天才、よくて主人公の友人だ。
しかもそういうやつらは性格に難があるか、トラウマがあるか、何かしらの弱点を持っている。
しかしARIAの彼女らはそうではなく、とても明るく、慈悲深い。
才能故に陰口を叩かれることはあれど、それすらも受け入れる。
一人きりで挑むのではなくチームワークを大切にする。
才能に恵まれた人が、努力し、結果を手にする、しかも周りを幸せにしながら、という、私にとっての理想の人物像が描かれている。
誰かがインチキを言って、それに対して科学的な反論をすると、どこからともなくやってきて元凶のインチキを放置して、反論の方にのみ延々と厳密さや知的誠実さを求めてくる人たち。
確かに言ってることはすべてがでたらめというわけでもないし、より厳しい検証を行おうとする姿勢は素晴らしく見える側面もある。
但し、それらの姿勢がなぜかインチキを言った側にまったくと言っていいほど向けられないのが不自然で、残念なところ。
言うなればテストで60点を取った生徒と10点を取った生徒がいて、
前者に「40点も失点をするとは何事だ」と叱ったその口で
【シン・ウルトラマンのネタバレあり というかネタバレ気にせず話す】
現在公開中の『シン・ウルトラマン』を2回見てきた。あまりにも良かった。感想をどっかで書きたい。
ところで、その感想や叫びを漁る中で見かけた勘違いが「リピアくんが『野生の思考』って本を読んでる!」→「リピアくん地球人類のこと野生動物か何かと思ってる?」というもの。
別に誰がどんな感想を持とうが、或いはその人やそれに近しい観点を持ってしまった人が何をどう勘違いしていようが、それ自体は全然どうでもいいのだけれども、リピアくんとこの本の著者(レヴィ=ストロースの名前は聞いたことある人多いだろう)の名誉のためにもツッコミの言葉をネット上に残しておきたい。ついでに、この映画にこの本が登場した意味の考察をちょっぴり披露させてほしい。
1950年代までのフランスをはじめとした西欧に多かった(今でもかなり多い)哲学や思想が「西欧の文明における思考と、アジア・アフリカ・中南米の未開文明の思考とでは根本的に違う」という考え方で、主に科学技術や文化の面での進歩史観や優越感、啓蒙思想や資本主義と結びついて植民地主義や覇権主義の土台の一つになっていた。それに異を唱えたのがフランス出身の人類学者レヴィ=ストロースの『野生の思考』という書。特に文化人類学者やリベラル系の人に言わせれば「戦後の思想における最大の転換点」となっており、いわゆる人文系に広げてみても、構造主義を生み出し、更にその後のポスト構造主義などの思想にもつながる端緒となったという点ですごく重要な一冊になっている。
内容をものすっごく要約すると「『事象の切り取り方』『概念の置き方』ひいては社会秩序の維持や幸福追求に対する考え方はどの文化においても根本的な構造は変わらず、表出の仕方、あるいは社会が持つ興味の向かう先と取捨が違うに過ぎない。あらゆる文明が進歩史観的考え方を持つわけではなく、発展を望む文化もあれば安定を望む文化もあるというだけ。栽培思考(=科学によって裏付けられ、概念を用いて行われる文明的思考)と野生の思考(=記号によって行われる思考。「野蛮な思考」ではない)との間に優劣があるわけではないし、一つの文化の中で両方の思考は両立しうるし、実際個人の中ですら両立している」といったもので、その歴史的意義は「20世紀半ばの西欧にはびこっていた進歩主義、特に西欧の文化を中心とする思考、科学技術を背景に自分達を上位に置こうとする考え方への批判を行ったこと」「しかし、だからといっていわゆる”未開文明”や自然主義を礼賛するわけではないこと」「文化を『仕組み(構造)』に置き換えて分析するツールとして学問の場に登場したこと」あたり。
「文化を構造的に捉え、それぞれの要素が社会の中でどう表出しているかを研究する」という所から後に『構造主義』と呼ばれる思想を生み出したことで有名。更に言えば西欧の奢りや発展途上国(昔は「後進国」と言われてたよね)への見下しを批判する流れを生み出したという点でも評価を受けている。
ザラブにしろメフィラスにしろ、コミュニケーションの初手は「自分の科学力、技術力を地球人類に見せつける」事から始まる。その科学技術力の差を背景に、劣等感と焦りを刺激して地球人同士を争わせようとするのがザラブであり、劣等感と無力感……謂わば絶望によって人類を心理的に支配し最終的に兵器として利用しようとするのがメフィラス。それらに抗うのがウルトラマンたるリピアくん、というのが中盤の流れだった。
物語の序盤で、わざわざ観客に見せつけるようにリピアくんがこの書を読んでいた(演出しての)理由はここにある……気がしなくもない。16世紀から20世紀……あるいは紀元前から現代に至るまで、我々地球人類が奴隷、植民地、後進国、押し並べて言うなれば『未開人(文明人/強者たる自分達とは構造的に違う考え方をする者)』である他者に対する接し方は、ザラブやメフィラスをそこまで強く批判できるような立派なものではなかった。
宇宙人ゾーフィもそう。彼が裁定を行使できる者・絶対者としての力を行使したのは「『未開人』である地球人類が、未開人のまま我々『文明人』並みの危険性を持つ可能性が出てきた」からじゃん。
使用を思いとどまったのも、リピアくんもといウルトラマンの意思や感情を汲んであげたのもあるけど、基本的には、地球人類がβシステムを自力で解析・利用し、グリッチじみた手法ではあるがゼットンを無力化せしめたことで「『未開人』から『文明人』に格上げされた」だけに過ぎない。
そんなゾーフィにもリピアくんは抗う、というのが終盤のストーリー。もちろん滅ぼされる我々としてはたまったものではないけれど、じゃあ地球人類の歴史において、他人、他国人、あるいは他の生命に対してゾーフィと似たようなことをしてこなかったか、を考えると……やはり「滅ぼされるのは困るからやめてくれ」くらいしか言えない。
逆に言えば、あの外星人や地球人の中でリピアくんだけが”変”なのよ。我々が他者と相対する時、普通はザラブとはいかんまでも、マイルドなメフィラスかゾーフィくらいの扱いになるし、そうでなくとも暴力や政治で言う事を聞かせてその力を利用しようとする各国政府みたいな事をする。地球人類とリピアくんとの科学技術の差や大きさの比で考えれば、虫か何かを前にした人間、の方が理解として近いかもしれない。
しかし、リピアくんは(各国政府ひいては人類の歴史の悪辣さを知りながらも)、あのネロンガ戦のたった一度、リピアくんの足下でただ一人リピアくんだけに見えた星のような輝き、小さな他者のために命をかけられる個、そういう価値観を共有できる群体のために命を張った。そういうことをできる生命体のことを知りたくて、知り続けるために守りたくて、学んで、感じて、支えて、何度か支えられて、それでも分からなくて、その果てに見つけた『他者のために命を賭けられる自分』。虫のような他者のために、ネロンガの電撃や、ガボラの激ヤバ光線や、メフィラスのグリップビームや、1兆度の火球の前に身体を晒せる者。ザラブにもメフィラスにもゾーフィにも、あるいは普通の地球人類の日常の中にもない”変”な価値観を持つ、だからこそ『ヒーロー』、ウルトラマン。
自分が今回の『シン・ウルトラマン』に感動したのはまさにここで、「ウルトラマンとはこういうヒーローなのだ」「我々がウルトラマンをヒーローだと感じてしまうのはこういう理由なのだ」を2時間かけてぶつけられたのがあまりにも気持ちよかったからなのだ。
結論から言うと「わからない」。それはリピアくんに対してという意味でも、『シン・ウルトラマン』という作品に対してという意味でも。
というのも、リピアくん、地球人類のことをめちゃめちゃ頑張ってお勉強してて(かわいいね)、ものすごい量の本を超速で読んでるわけで、『野生の思考』だけがリピアくんの人格形成や思想信念の確立に寄与しているかと言われれば、まあもちろんそんなことはないだろうという演出はなされてる。レヴィ=ストロースの思想だってその後にやって来たグローバリズム等の思想史において批判を受けてきたわけだし。
そもそもリピアくんがザラブやメフィラス、あるいはゾーフィから地球人類を守ろうとしたのは「我々と彼らの文明は構造的に違わない」という計算、あるいは知識を基にした思想や信念からではない。「彼らの事を知りたい」という知的欲求から来る寄り添い、ゾーフィが言うところの「好き」、米津玄師が言うところの「あこがれ」という感情こそが、リピアくんの力の根本なわけで。
文化人類学の中でも大きな意味を持つ書でもあるし、作中においても先の展開を示唆しかねないアイテムでもあるけど、知らずに見ていた人なら分かる通り、別にこの書が作品全体に超大きな影響を与えているかは正直微妙かもしれない。でも、知っておくと↑のような考察も楽しめるという点では面白いよ。
・本の内容は『シン・ウルトラマン』という作品に意味を落としているかもしれないし落としてないかもしれないよ
・それはそれとして読んでおいて損はない本だよ
以上
アレって「フェミは二次元じゃなく現実の女性を救済しろ」ってのを正しく実行してるんだよな。
無論、同法が成立し、新作AVの商品価値が下がるなり撮影が著しく困難になるなりしてAV業界が壊滅した暁には、アングラな性風俗より比較的安全で、且つ緊急避難的な、大事な雇用の口がひとつ減ることになって女性の救済から遠ざかるという意見も一定の妥当性を持っているが、AVの本番行為禁止は女性救済の短期目標としては間違ってはいない。言うなれば、AV出演強要被害防止法案と同じ。フェミニストからすれば反対するべき問題を孕んでいるが、しかし女性のAV出演強要被害の防止には役に立つ。
しかし、既存の法律でちゃんと取り締まればそれは達成できると思うんだが、政策立案者はそれでは達成できないといっているので、それがどういう理路なのかは知りたい。
どうも、使用料を求めないものの商標は撤回しない方針という事にしたようだが、どうも対応の速さから「ここまで想定内」という印象を受ける。
そうでなくともYahooニュースなどに取り上げられる事を喜ぶ姿勢などを見せている為、ここまでが炎上商法で売名の為に行なっている可能性が否定できない。
要は、元から
「予想より大事にならなさそうなら使用料は実際に請求するが、そうなることは期待しない」
「まず大事になる(ならないと困る)ので、弱火になりそうな所で逆に煽る」
「炎上で界隈外の人間にまで名前が売れれば勝ち」(悪名でも広がれば価値を持つので)
下記のように法の抜け目を出し抜こうとする魂胆の持ち主である為、流石に逮捕されるのは避けようとしてる印象がある。
ひとまず言えるのは大体このくらいまでか。
【追加ここまで】
現状……
【商標登録した人Yの主張】
・「ゆっくり茶番劇」というタイトルをネット上の記事や動画タイトル・書籍などに対して使う事に対する商標であり、「ゆっくり茶番劇」≠「ZUN氏の東方Projectの二次創作」である。
= 動画内に「ゆっくり霊夢」などのキャラを出さなくても「ゆっくり茶番劇」というタイトルを商用使用したコンテンツであれば「ゆっくり茶番劇」として成立するので、二次創作としての「ゆっくり」関係動画を制限している訳ではない。
また先使用権が成立するため、商標登録より先に「ゆっくり茶番劇」というタイトルでコンテンツを作成している個人等に対し、商標使用について使用料等を取る事は出来ない。
また、これらの権利は明らかに類似した商標・コンテンツには適用できるものの、「ゆっくり実況」とか「ゆっくり解説」などには適用されない。
"法律の隙間"を縫った、かなり巧妙かつ悪質ではあるものの(一応ギリギリ)「正当な商標登録」としか言えない。
これが所謂Softalkとかを使用した「ゆっくり実況」とか「ゆっくり解説」なら"一般的に流布された言葉であり商標として使えない"という感じになるし、また「ゆっくり霊夢」とかの"東方Projectの創作キャラを餅饅頭化した二次創作キャラ"であれば「ギコ猫」の商標登録よろしく権利者が出張れるのだが、"ゆっくり"という言葉だけでは連想できるだけであり極論「ゆっくりとした音声で茶番劇を行うコンテンツ」として解釈できる……みたいな論理が適用できてしまう。
無論、元々の投稿者が半ば炎上アンチ商法を使うとはいえ「ゆっくり霊夢」等のキャラを用いている関係上、どう考えても"そっちの意味で使ってるだろ!!!"としか言えないのだが、敢えて「ゆっくり実況・解説とかは知ってるけど、ゆっくり茶番劇は今回初めて聞いた」みたいな認知度のものを敢えて狙ったというのが悪質すぎる。
無論、このような商標を展開すれば、これから「ゆっくり系の寸劇とかを作りたい」と考えている人の行動は阻害されるし、仮に商標を回避して作品制作したとしても"商標登録者から類似作品だと認定されれば"と考えたら及び腰になるのは当然である。
しかし、あくまで「ゆっくりキャラ」はあくまで二次創作であり、「ゆっくりボイス」も基本的には通称でしかない事から、これらの論理を覆せない限り……キャラやボイスの大元の権利者としては、恐らく「ゆっくりキャラ(東方Project二次創作キャラ)」を使用しないよう監視するとか、規約の範囲内で使用料を払っていればボイス利用を認めざるを得ないとか、そういう後手の対応しか出来ないであろうという感じがある。
強いて言うなら先使用権を持つ人なら多少は何か出来るのではみたいな感じも無くはないが、それだけでは難しい気もする。
しかし、このような手が罷り通るようでは、新しく流行りそうなコンテンツや、一部が細々と楽しんでる二次創作ないし新語を含むコンテンツを狩るような手法が流行りかねず、社会的な文化の進歩を阻害しかねない。
悪質というのは、まさにこの事である。言うなればZUN氏の理想の真逆を突き進む行為としか言えない。そうでなくても市場を焼畑農業で食い潰すことになりかねない。
だが「ゆっくり」というコンテンツ名称だけで上記を指す社会通念として成立する、みたいな主張を通さないと商標取消まではいかないような気もする。かなり難しい案件だ。
ライトなコンピュータユーザを一切合切無視してギークがギークのため情報共有するためのエントリ。
感想ははてブへ、質問はトラバに投げれば誰かが答えるんじゃないか?(他力本願)
セキュリティの懸念があるけれど通常モードはセキュアを維持するため機能制限があるので制限開放のため開発者は初手でデベロッパーモードにするしかない。
利用途中でデベロッパーモードにするとストレージがファクトリーリセットされるので注意。
Webでエンタメを楽しんだりWebツールを中心に利用するのであれば、5万円未満の低性能機で必要十分。
この用途では実質的にタブレットPCのような運用へなりやすいのでフリップする2 in 1機やタブレット機がオススメ。
ただし、Webベースのゲームは楽しめるがAndroid Appレイヤーを用いたゲームは非常に厳しいので諦めたほうが良く、そこそこの負荷の掛かるAndroid Appツールも鈍足でストレスになるのでWeb版があるならそっちを使ったほうが良い。
Core i7クラスのCPUや16GB以上のワーキングメモリ、SSDストレージなど高性能機でChromeOSを使うとその分だけ快適になる。
Android Appレイヤーを用いたゲームも快適に動き、ウマ娘クラスの3DCGなAndroid Appゲームも高速に動く。
しかし、高性能機は空冷ファンを搭載していることが多く、高負荷を掛ければファンは唸るしウルサイ。
Google Play StoreにてAABパッケージがほぼ強制になったとは言え、開発段階でx86_64を意識しないと処理が非効率になりがちのようなので、Android Appレイヤーを中心に運用したいと思っているのであれば素直にARM機を探してきたほうが良い。
1つのIDEで開発をしクロスプラットフォーム対応することが流行っている昨今、自動でガベコレに頼っていてリソース管理経験に乏しい開発者はマジで底辺にしか漂流できないので覚えたほうが良いぞ。
それがWeb系のフロントエンドでもバックエンドでもそうだから底辺から脱したいのであれば覚えろ。
しっかりリソース管理できているChromebook向けビルドはアーキテクチャによらずサクサクなのでクロスプラットフォームなビルドはマジで開発チームの腕が如実に反映される。
ちなみにSnapdragon 8 Gen1なChromebookの公式発表は今のとこ無いのでAndroid Appレイヤーをブンブン回すのは難しい。
メーカーはもうちょっと頑張れ。
Chromebookの大半はタッチスクリーンディスプレイを搭載しているし、Android StudioでAndroidManifest.xmlを何も考えずに生成すると勝手にChromeOSをサポートするので結果的にChromeOSで動くAndroid App数が多くなるという現象が起きている。
Android Studioが雑なのかXcodeが厳密なのかは意見が分かれると思うけど、タッチパッドでiOS App操作というセンスがクソなのは万人が納得するところだと思う。
ARM系のSoCであればワンチャンいける可能性はあるものの、市場に出ているChromebookの大半はx86_64でGPSモジュールを積んでいないのでGPSを使おうと思うとBluetoothあたりでGPSレシーバを接続するしか無い。
当然A-GPSは使えないので精度がそこまでではないから期待し過ぎに注意。
Android AppレイヤーではUSB over MIDIが使えるのでDTMあたりに活用することは可能なものの、iOSと比較してレイテンシがそこそこ大きくDTMに活用しようと思うユーザは不満を持ってしまうかも知れない(ハードにもよるけど0.5msecくらいズレる)。
そもそも既存のAndroid AppなDAWはVSTやLV2などの外部プラグインに対応していないのでAUプラグインが使えるiOSのほうがDTMへ向くんじゃないだろうか?
ただし、DAW単体でDTMを完結するとレイテンシはほとんど気にならなくなるので絶対にAndroid AppでDTMが不可能というわけでもない。
Linuxレイヤー側でDTMをするのはレイテンシが大きすぎるしJackも上手く動作しないのでオススメできない。
ChromeOS向けマルチタスクへ対応していないとAndroid Appはフロントエンド(プライマリ)からフォーカスが外れてバックエンドへ行くとスリープする。
Android Appがスリープされることを考慮しておらず例外処理がされていないとAndroid Appはそのまま落ちる。
まぁAndroid Appがスリープされることを考慮しておらず例外処理がされていないとAndroid Appはそのまま落ちるっていう部分はAndroidスマホで実行しても同じなので正直に言ってスリープされることを考慮しないデバックってAndroid App開発者は何やってんの?とは思う。
ICT教育で日本中の学生がChromeOSを使うようになっているので、ゲームであれツールであれ何であれChromeOS向けのマルチタスクは考慮しておくとスリープしたり落ちたりするAndroid Appよりも支持されるのは間違いないのではないか。
LXC/LXDなのでDockerに慣れ親しんでる人にはわかりやすいかも?
デフォルトのイメージはChromeOS向けにカスタムされたDebian。
別のLinuxディストリビューションへ置き換えることも出来るが一部機能が制限される可能性がある。
ChromeOSで動作するGoogle日本語入力とは別にLinuxレイヤー側で日本語入力を用意する必要がある。
選択できるIMは幅広いのでMozcだろうがSKKだろうが漢直だろうが何でもイケる。
ただ特殊なものを選ぶとChromeOS側と齟齬が発生するのでfcitx-mozcあたりが無難っちゃ無難。
ChromeOSへマウントされたUSB機器、というかシリアル接続された機器はLinuxレイヤー上から認識しない。
見掛け上で接続されているハードのすべてはソフトで仮想接続されているだけなので、一部経路から上手く認識しなかったりする。
つまりLinuxレイヤーではUSB Pass Throughが使えないが、Android AppレイヤーではUSB Pass Throughが使えるということ。
Linuxレイヤーでゲームやろうと思ってもUSBゲームパッド動かないのでマウスとキーボードで完結できるFPSみたいなゲームしか上手くプレイできないぞ。
言うなればAndroid Appレイヤーでスクリーンキャプチャ系のアプリによってLinuxレイヤーで動くGUIアプリをキャプチャしようと思ってもキャプチャできず撮像は暗転している。
ChromeOSがホストでLinuxレイヤーとAndroid Appレイヤーはゲストなのでそりゃそうなんだけど気付かないとハマる。
LXC/LXD on LXC/LXDになるので面倒くさくなること請け合いだ。
どうしても仮想環境がChromebookに欲しいのであればKVMとかのほうが安定している。
ただしゲストOS上へ仮想環境を構築しているという前提は認識しておくべき。
つまりゲストOSの制限はKVMも引き継ぐ。
ただしこれはDockerが導入できないという意味ではない。
自分で解決する気概があるのならばDockerは便利に使える。
CLIツール系は普通に動くのでWeb開発であれば何も意識しないで普通にできる。
ただ、PSD形式みたいなもんは扱いにくいのでWebデザイナーは悲しい思いをするかも知れない。
GIMPやInkscapeなども動くけれどデザイナーはAdobe使いたいんじゃなかろうか?
Android App向けIDEのAndroid StudioはChromeOS向けが存在するのでAndorid App開発が可能。
しかしデベロッパーモードでなければエミュレータや実機デバックに制限が発生するので注意。
UnityやUEを使いたいところだけれど、Linux版のUnityやUEは不安定なのでゲーム向けIDEが欲しいのであればGodotがオススメだ。
ライセンスはMITなので商用利用だってイケる。
3Dのほか2Dゲームもいける上に、最近のIDEよろしくマウスでポチポチとUIを作れるし、軽量動作、物理演算、日本語ドキュメントまで揃っているので中高生もガンガン使える素晴らしいIDEだ。
浅い部分を触っているうちはYoutubeを観たり、プリインストールされているGoogle Play StoreからAndoird Appをインストールして使うみたいな気軽な運用ができる。
言ってしまえばライトユーザの視点ではノートパソコンの形をしたAndorid機がChromebookだと言える。
しかし一度Linuxレイヤーへ手を出すとUbuntuという何でもできるようになったLinuxディストリビューションが存在する中で、昔懐かしい複雑怪奇なLinuxディストリビューションを体験することとなってしまう。
ただ、Chromebookで何でもやろうとするからそうなるだけで、APTからIDEをインストールしてちょっとした開発をするなんて使い方であるならば業務利用でも意外となんとかなる・・・というか何も意識しないで使える。
そもそもHTTP使えるなら今どきの開発は何とかなるので、Chromebookへ対してギークがゴチャゴチャ言うのはほぼ間違いなく不満を言いつつDIYを楽しんでる。
Ubuhtuならばアレができるコレができると言うならば最初からUbuntu使えよって話。
ギークとは不便を見つけてゴチャゴチャ言う、そういう鳴き声の動物なのだ。
少なくともGoogle系エコシステムとしてのChromeOSは非常に完成度が高くなりつつある。
Googleアシスタントは元よりAndoridスマホとの連携もよく、ハードウェアへもそこそこの投資ができるのであれば多くのChromebookではUSIペンが使えるし、USBポートはUSB-Cだ。
そこそこのChromebookは多くの場合HiDPIなIPS液晶でありグレアなのは気に食わないが美しい。
デベロッパーモードにするとセキュアさは下がるが普通に使えばローリングリリースのアップデートを無償で得られ、Gentoo LinuxベースなChromeOSは潜在的なマルウェアの絶対数がそもそもWindowsやMacよりも少ないという利点がある。
Bluetoothイヤホン・ヘッドフォン・ヘッドセットも使えるし、NestスピーカーやNest Hub、Nest Camを持っているのであればGoogleアシスタントからのコントロールが容易なのは想像が付くだろう。Android AppレイヤーはGoogleのホームマネジメントアプリであるGoogle Homeも動く。
大胆にも憎きCapsLockキーをデフォルトで殺し、Everything Buttonキーとして独自キーバインドを与えたのも面白い。
もちろんこれは選択するハードによるものの指紋認証でロックを解除することまでできる。
Googleエコシステムへ浸かっていてGoogleへ個人情報を捧げられるのであればChromebookはアリな選択肢だと断言できる。
敢えて欠点を挙げるのならば、たった一言で欠点を表現することが可能だ。
「Chromebookじゃなくても別に良くね?」
そう、ギークがLinuxを使いたいのであれば別にChromebookじゃなくても良い。
というかギークは別にLinuxじゃなくともHaikuであろうが超漢字Ⅴだろうが喜ぶ生き物だ。OSは別になんだって良い。
このエントリは単にChromebookという新しい沼へギークの皆さんをご案内しているに過ぎないのだ。
ツイフェミはマジで自己中なクズ女だと思うわ
何ていうか私と観てる世界が違う、育った環境が違う、価値観がまるで違う
言うなれば自分自身の人生という名の物語で主人公になれなかった人たちって感じ
自分自身の人生という名の物語でモブ、モブだからこそ少女漫画に出てくるようなライバル女の取り巻きみたいな言動をしてる
冷静になって自分自身の言動を考えてみなよ?どこぞの昼ドラの性悪女みたいな言動してない?
それでアナタたち自分自身の人生で主人公を張ってるって言えるのかな?
まぁ私も性格が良いとは言えないけど堂々と私の人生で私は主人公だって言える
バカみたいに見えるかな?見えるでしょうね。
でもね?自分自身の人生で自分自身が主人公だと言い切れないアナタたちよりも私は自由に生きてる
自由に私は自分自身の人生で自分自身が主人公だって言える
アナタたちが求める自由はオタク叩きをする自由なの?
アナタたちがキモいと思うものを街中から排除する自由なの?
違うよね?アナタたちは自分自身の人生を自由に行き、自由に活き、自由に生きることが望みでしょ?
バカみたいな考えだと思う?そのバカみたいな考えをやってきてるのが私だよ、自分自身の人生で自分自身が主人公だと言い切る私だよ
アナタが憧れる主人公象はオタク叩きすることなの?
アナタが憧れる主人公象はキモいと思うものを街中から排除する自由なの?
そんなわけないよね?
アナタが憧れる主人公象はもっとキラキラして優しくて、それこそみんなが憧れるような素敵な人でしょ
アナタのようになりたいと思ってもらえるような綺麗な人でしょ
まぁここまで読めたのであればアナタは私と同じかな?
たぶんきっと自覚ある女はここまで読めないだろうからね
腹立てながらもここまで読めたのであればアナタは主人公であることを諦めてないと思うよ?
アナタのなりたい自分になることを諦めてないんでしょ?
貧乏なころは、なるべく草履やサンダルなどを裸足で履いて、そもそも臭いが出づらくしていたし、
各社のデオドラントスプレー(フットスプレー)や「ピロエース石鹸」などのグッズ類を試したり。
もちろん靴のローテーションを工夫したり、出社したらサンダルに履き替えたりしていたし、
グランズレメディなどの「白い粉」や銅製の効果を靴に入れたり酸性の液体に足をつけたり、いろいろやったなぁ。
消臭グッズの類はだいたいの場合それなりに効果があって、たしかに臭いは減る。
とはいえ、所詮は生き物の一部。ちょっと油断をすると臭いはすぐに復活する。
フットスプレーを吹き、靴には粉を振り撒き、靴をローテさせたり日に当てたり買い替えたりし、、、、
そこまでやっても人前で靴を脱ぐときにはちょっと緊張してしまう(今思えばメンタル的なものもあったのかもしれない)。
反面、万が一人前で足が臭かったら死にますね、という気持ちは高まった。
身体の臭いにも慣性の法則みたいなものはあって、1回念入りに洗っても臭いは取れない。
試したことはないけれども、たとえば1ヶ月足クサ対策を怠った場合、
その後リカバリしようとしても、1週間くらいは臭いんだと思う。
なので、出かける機会は減ったのに消臭は油断ができない。
フットスプレーや薬用石鹸。お金的にも手間的にもランニングコストが高くて、少しアホらしくなってしまった。
そんなとき、日本皮膚科学会のページを見ていたときに、下記のページをみつけた。
Q25足白癬にならないようにするためにはどうしたらよいですか?
https://www.dermatol.or.jp/qa/qa10/q25.html
引用させていただくと「一番確実なのは、水虫の塗り薬を指の間から足の裏全体に1日1回つけていれば、足白癬になることはありません」とある。
えっ、アリなの?
となって、水虫の薬をネット通販で手に入れ、足に塗り始めてみた。
足クサの原因はなんらかの細菌的なものなので、これが歴然と効いた。
水虫に悩むおじさんたちの足は臭くなかったんだな。変なところで感心した。
というところだが、それは水虫薬のタイプによって大きく異なることもわかった。
・軟膏は硬くて塗りづらい(おそらく薬効は強いのだろう)。
・スプレーは手を洗う手間もなく楽だが割高(コントロールしづらく、付けすぎてしまう)。
という感想をもった。
現在は、足クサ対策には液状の水虫薬が一番良さそうと落ち着いている。
ジュクジュクの白癬菌を退治したいわけでもないので、安い薬で十分なようだ。
言うなれば最新型の自動小銃ではなくリボルバー型の拳銃で治安は守れるよね、という気持ち。
ひと昔前にはカウンタ越しにしか受け取れなかったような、製薬会社のエース級な水虫薬である必要はない。
在庫処分と思しき枯れた製品をポチるようにしているのだが、おそらくフットスプレーを買い続けるよりも安価である。
そして液体であれば足の指の間にチュチュっと垂らすだけなので手間もかからない。
製薬メーカーがもし、薬効薄め(副作用少なめ)、値段控えめ、使いやすさマシマシの水虫・足クサ予防製品を出したら、売れるんじゃないかな。
もし足クサにお悩みであれば、水虫薬をお試しいただけるとよいのではと思う。
アメリカテキサス州で、実質、人工中絶が不可能になる州法が成立したらしい。
まず、これに関するリアクションのうち、それは間違っているよ、と言う諸々を指摘する。まず、この州法が違憲、あるいは脱法的であると言う見解について。
そもそも合衆国憲法で、中絶権の規定は無い。今日の妊娠中絶合法化は連邦議会レヴェルでの立法措置も経ておらず、1972年のロー判決を根拠としている。レンクイストとホワイトは、ロー判決に関しては、「司法による立法措置」であることを理由として、ロー判決に反対している。
つまりそこにあるのは、司法解釈であって、法律や明確な憲法規定ではないわけだ。だからそもそも「違憲」になりようがないし、脱法的にもなりようがない。そして司法解釈に過ぎないから、司法解釈で変更され得る。現在の最高裁に今回のテキサス州法の案件が回れば、ほぼ確実にロー判決の司法解釈は棄却される。
「違憲だ」「違法だ」と言うけど、保守派は法廷闘争を待ち望んでいるのだ。法廷闘争になれば、負けるのはリベラル派であり、そうなれば「違憲だ」「違法だ」と指をさされるようになるのはリベラル派の人たちであり、人工中絶した女性はめでたく犯罪者だ。
ここ40年、おおむね最高裁は保守派優位で推移してきたけども、ロー判決を廃棄できる機会が何度かありながら、それが出来なかったのは、レーガンに指名されたオコナー、ケネディ、スーターの3判事が、最高裁陪席判事になってから、スタンスを保守派からリベラル派に変えてしまったせいだ。そもそも合衆国憲法自体がリベラルなので、ごりごりの保守派とみなされていたスカリアでさえ、憲法原理主義的な解釈をする人なので、判決としてはリベラルになることもあった。
それの前例も踏まえて、今の保守派判事たちは、かなり強固な保守派が選ばれているので、最高裁長官の職務にあるロバーツが職責上、敢えて中立的なスタンスをとることもあるのを除けば、リベラル寄りの判決を出すことはまずあり得ない。今は最高裁は6対3で保守派が優勢なのだ。
保守派にしてみれば、法廷闘争ばっちこい、と言う感じである。とはいえ、その6対3の保守派優勢の最高裁が、トランプが要求したオバマケア違法化にはNOを突き付けたように、100%党派的な思考をとるわけではないが、中絶は、命の問題だから、そうそう簡単に妥協する余地も無いのだ。
中絶に関する議論で、男女平等と言う観点から、もっと言えば「男も逮捕しろよ!」的な意見から立論する人もいるが、根本的にその人たちの論理が間違っているのは、これが公共の福祉の調整案件だと言うことを認識していない点にある。胎児の人権と女性の間での公共福祉の調整案件が発生しているのであって、そこには男性の権利と調整しなければならない必然性は全く無いのである。
これは言うなれば、過去の徴兵制における男女不平等が、「機能的な軍隊を必要とする政府の必要」と「徴兵されることによって著しい負荷がかかる男性の諸権利」との間に発生したものであって、それは男女不平等ではなく、「女性は関係がない」案件であったのと同じことである。ロジカルにはそうでもあるし、歴史的に言えば、徴兵制のように女性には他人の命を犠牲にして、法益を享受してきたと言う「実績」もある。
言ってみれば中絶禁止は、「女にとっての徴兵制」であって、徴兵制の名のもとに、徴兵された男性たちの「戦死」を見守って来た女性たちには、「女にとっての徴兵制」自体を批判するロジカルな資格は無いのである。
そして、中絶に関して言えば、どこからがヒトとみなすかと言う難しい問題はあるにしても、1月1日13:00に新生児が誕生するとして、13:01に新生児を殺せば殺人で、12:59に”胎児”を殺せば器物破損に過ぎないと言うのは、機能的にも倫理的にもかなり無理がある。自然着床した受精卵にヒトと同等の、あるいはそれに準じる人権を想定するのは、最も無理が無い解釈だろう。放っておけばいずれヒトに至るのだから。
そして胎児や受精卵はDNAが違うので、女性の一部ではないし、女性の付属物でもない。他人の命を女性に無条件に与えていいのかと言う問題でもある。
胎児の人権(生存権)と女性の身体自由権を比較した場合、どちらが重篤な損害を被るのかと言えばそれはもう生存権であるのは間違いないので、人権を重視すれば重視するほど、中絶は違法化する以外には考えられない。この袋小路を女性が逃れ得るとすれば、「胎児はヒトではない」とするか、より根源的な人権思想ではなく、単なる女権思想を至上としてその上に立脚して「女性に損害をもたらすから中絶禁止こそが違法である」とするしかないのである。
どちらもナチス的なファシズムに陥っている。つまり機能的には既に自立しているような胎児に対しても、ヒトではないと規定し得ると言うことは、障碍者、LGBTQ、ユダヤ人などをヒトではない、少なくとも生存が許され得るヒトではないと規定出来る権能を、政府社会に与えると言うことである。人権思想の上に女権思想を置くことは、ナチズムそのものである。
宗教保守から中絶禁止の動きが一方的に起きているわけではなく、リベラルの内部においても、人権思想の観点から中絶には批判がなされていることには留意すべきである。
とはいえ、強姦の結果としての妊娠出産まで強制するのはプロライフ派の大多数にとっても本意ではない。それは、性的被害の記憶と結果が多大な負担と共に長期化し、心身ともに女性を生存レベルで危険に追い込むことに他ならないからである。この場合は「緊急避難」が想定されるだろう。誰も他人の命を救うために、死や死に等しい損失を甘受する義務はないのだ(徴兵制はこの意味でも、最も過酷で最も非人間的な強制であった。そして女性はそれを放置していた)。しかし現実の中絶案件のほとんど、かなり緩く見積もっても95%以上は、強姦案件ではない。性行為をしなければ防げるものであるし、避妊器具を用いれば防げるものであるし、ピルを飲んでいれば防げるものであるし、アフターピルを用いれば防げるものである。数多くのルート回避の方法があるにも関わらず、それらの回避をしなかった結果の妊娠中絶である。当然、胎児の生存権を上回る法益性がそこにあるとは考えにくい。
私は、強姦案件での中絶は合法、それ以外は違法、とするのが妥当だと思うが、その妥当な落としどころが「女性の身体権の絶対性」主張派とは築くことが出来なかったがために、より人権原理的な立法措置が、アメリカやヨーロッパでも徐々に取られつつあるのが現状である、と言う認識である。
今日はなんか突然トラックボールのマウスが欲しくなって一日中トラックボールについて調べてた。
そしたらトラックボールについて語ってるVtuberを見つけた。トラックボールのマウスには長い歴史があっていろいろな形へと派生していったという。
トラックボールについて3時間くらい語れるVtuberというのはなかなかに趣味が広いなぁとか思いつつ、普段どんな配信をしているのか気になってチャンネルページに飛んでみた。
そしたらどの配信の内容もトラックボールについて語るものばかり。たまにゲーム実況やVRコンテンツを挟むくらいで、言うなれば「トラックボール系Vtuber」だ。トラックボール一本て。そんなニッチすぎるのある???
そう思って本人のtwitterを見に行ったら同じようなトラックボール好きと細々と交流してる。
ただ、自作キーボードはケース、キースイッチ、キーキャップの無限の組み合わせを楽しむ文化だと思っているけど、トラックボールのマウスにはその余地が無い感じがする。
既製品しか無いものをどう楽しむのだろうかと思ったら、トラックボールの潤滑性の向上や、マウスのクリックボタンのスイッチの交換とかをしている。
トラックボール界隈は自作キーボード界隈よりも市場が小さいようで、全ての新商品が追えそうな感じもよさそうだ。
ポンポン新作が出るわけもないので、どこかのメーカーからトラックボールマウスが発売するとなれば、それが界隈の共通の話題となる。
海外の有志が開発したトラックボールの操作性がめちゃめちゃ良いとかで大盛り上がりしていて、いや海外にもトラックボール好き居んのかよとか思ったり。
自作キーボードでもそうだけど、愛好家はいるけど規模が小さい界隈の製品って半分個人みたいなメーカーが作ってる。
ドラゴンコミックスエイジは少年漫画レーベルのため「宇崎ちゃんは遊びたい!」は間違いなく少年漫画カテゴリで展開・販売されているのだけれど、ストーリーを読み込めば読み込むほど少女漫画的なストーリーであったりする。
言うなれば少年漫画誌の中で連載されている少女漫画なのだ。
宇崎ちゃんとセンパイの出会いからして宇崎ちゃんはセンパイへ悪印象を持っており、その後に部活動の中でセンパイの良さに気付いていくという過去談がある。少女漫画のド定番シナリオだ。
そのセンパイのキャラクター像だが、不器用で鈍感で人付き合いが苦手で、限られた人とだけコミュニケーションを取るような性格だが、宇崎ちゃんには心を開き、更には作中で宇崎ちゃんを裏切ることはないと明言されていたりもする。
しかも目つきは悪いが高身長の細マッチョ、武術を修得しており、勉強もそこそこできる様子、バイトに明け暮れる忙しさの中で、押しかけ女房のように突撃する宇崎ちゃんへ文句を言いつつも相手をするという優しさがある。
これが少年漫画の王道的な無気力系主人公であれば、次々と異性を虜にしてハーレムを築くところだがセンパイが真に受け入れるのは宇崎ちゃんのみなのである。
宇崎ちゃんは男へ尽くす都合のいい女と表面上は見て取れるが、実際のところはハイスペックなセンパイが突撃してくる宇崎ちゃんに尽くすというストーリー構成だったりする。
もちろん少年漫画レーベルの都合上、宇崎ちゃんへ水着を着用させたり胸を強調するような表現が散見されるものの、それと同等レベルでセンパイの細マッチョさも強調されている。
何なら酒に酔わせて自由にしてしまうという18禁では定番のシチュエーションで自由にされる対象はセンパイのほうである(自由にすると言っても全年齢なので本音を言わせるに留めているが)。
印象を誘導したいわけては決してない。
「宇崎ちゃんは遊びたい!」を読めば読むほど「センパイではなく宇崎ちゃんに都合のいいストーリー仕立て」であることに気が付くだろう。
無料公開している部分だけでも良いので読んでみよう。ストーリーが進めば進むほどに少年漫画としてのメッキが剥がれ落ちていくことがわかるはずだ。
ストーリーがまったく同じで絵のタッチが少女漫画だったら誰も気付かないのではないか。
しかし決して少年漫画誌の中に少女漫画があることへ非難を寄せたいわけではないと理解しておいて欲しい。
そんな前例いくらでもあるし、逆パターンだっていくつも読んできたのだから。
「月曜日のたわわ」が話題になってるときなので改めて「宇崎ちゃんは遊びたい!」がどんな内容なのか確認してみると良いかも知れない。
ここで述べられてるのは輪郭とか形であって大きさや長さじゃないんだよな
「どういうふうにやれ」があっても「どこまでやれ」がない
「俺がいいというまで」と言われた感じ
俺も個人的に「たわわ」みたいな作品はメチャクチャ嫌いで、怒ってる人らの気持ちも少しは程度わかるんだけど、それにしても、人間って性欲を見せることをメチャクチャ嫌ってて面白いな
セミとかすげえじゃん
夏っつったら環境音として第一第二くらいにセミの声がくると思うんだけど、あれって要はセックスしたいでーす!って叫びなわけじゃん
メチャクチャ出してんじゃん性欲
これから花粉の季節だけど、花粉なんかももう、なんつうか、言うなれば精子じゃん
空中にセックスの因子が漂ってんじゃん
鳥の鳴き声とかもさあ、知らんけど、けっこうほんな感じなんじゃないですか 何割かは性欲での鳴き声なんじゃねえのか
カブトムシのツノも、クジャクの羽も、ライオンのたてがみも、性欲じゃん
一方で人間ってすげーよ
そもそも、たわわみたいなやつって、たしかに性欲がらみではあるんだけど、セミが鳴いてるのとは方向性が違うんだよな
ミンミン鳴いたらセックスできる可能性があるが、たわわ漫画読んでシコってもセックスできる可能性って全然ないし、むしろ遠ざかる感じすらある キモいし……
自己紹介で「好きな漫画は月曜日のたわわです」つったらもう"終わり"じゃん
という感じで、当たり前なんだけど、アレって求愛じゃなくて、バーチャル求愛っつうか、なんか、人間しかやらん感じのある、謎の行為なんだよな
そういう謎の行為すらすげー嫌がられて、めちゃ叩かれてる これが面白い
実際、今、出会い系とか意外で交際を始められる感じがしないもんな
かつ、出会い系やるのは性欲猿みたいでキモい的な価値観もうっすらある
知り合いは性欲の対象にしてはいけないし、他人との出会いを貪欲に漁るのはキモい
もう終わりだよこの生物、って感じはわりとあり、俺はそれってすげーいいことだと思う
俺は少子化が進んでいて本当に嬉しい
しかも、日本がダメな国で福祉がなってないから、とかではなく、先進国全部で少子化してるっぽいのがすごくいい
賢くなったら繁殖本能を抑えられるようになって、結果滅びに向かっていくっていうのは、マジでかっこいい
一番カッコいい終わり方だと思う
長生きはしたくないけど、少子化の行く末はできるだけ見届けたいって気持ちがある
とにかく、誰もが正しい性教育を受けて、うっかり性欲を発露させないようになった結果、全然誰も結婚せず、誰も子供作らない そういう社会になってほしすぎる
絶対にそうなってほしい
https://anond.hatelabo.jp/20220330001416
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/anond.hatelabo.jp/20220330001416
これについたブコメで労働をポジティブなものと捉える人が多くて驚いた。
日本の労働環境が劣悪なのは半ば常識で、労働が原因で自殺する人も居るし、自殺まで行かなくとも精神を病んで再起不能となってしまう人もいる。
また、パワハラ・セクハラ等の人格を否定する行為はそこら中で行われていて、あくまで氷山の一角であろうが、ニュースとして報道されることも多々ある。
仮にあなた自身が恵まれた環境で働けていたとしても、それは“たまたま”であり、言うなれば“特権”であると思う。
そんな幸運に恵まれた人が労働に対しポジティブな意見を述べることで、
企業による人権侵害やその被害者が覆い隠され、改善していこうという動きを阻害することになってしまう。
なんかさ、メタスコアばっか気にしてる人いるんだよ。
参考にするのは良いとして、なぜそれが絶対に正しいと思いこんでしまうんだろうって。
メタスコアって結局の所、公平的な考えの出来る人が出したスコアじゃないんだよ。
あれはそういう意見もあるのかって程度にしておくものなのに、「あのレビューで駄目だって言っていた!!!」という感じで盲信する人を見るとなんだかなって。
偏ったレビューもあるからさ、一概に信じちゃ駄目だって言っても「いや、あのレビューサイトは正しいことしか載せない」なんて感じで、どうしようもない感じ。
本当の良レビューっていうのは、長所短所を的確に摘出して且つ、全体を見て述べられるレビューを良レビューっていうんだよ。
二次元関係のコンテンツで幾度となく繰り返されてきた炎上ネタに、トレパクは確実に含まれるだろう。
ここでいうトレパクというのはpixivの解説の中にあるような、
を指している。
このトレパクだが、少なくとも日本のネット界隈では非常に忌み嫌われている。
その悪印象たるや、一度でも発覚すれば、恐らく一生言われ続ける汚名になりかねない。
というか発覚後に、絵を描く系のクリエイターとして食っていくことはほぼ不可能。
多分、世間一般や芸能界での不祥事に置き換えたら、不倫に近いレベルだと思う。
しかし残念ながら、トレパクは今に至るまで根絶していないどころか、定期的に散見される。
過去に何度も炎上事件が起きている時点で、知らないはずはないのだが、一体どういうことなんだと首を傾げてしまう。
何しろこれだけデジタル技術が発達した昨今なら、こんなのすぐバレるわけで。
それこそ「フリーハンドで模写したくらいじゃ、絶対にあり得ない一致」とか、たちまち露見してしまう。
しかも有名になればなるほどトレスを検証される可能性は上がるのだから、長期的に見れば自分で自分の首を絞めているのに。
でも無くならないのは、やっぱ自己顕示欲ドリブンの行き着く結果?
実際、悪質性が高いケースになればなるほど、当事者がまともに謝罪しているのを見たことがないので、プライド高すぎて謝ったら死ぬ病に罹るくらいには自己顕示欲旺盛と感じてしまうし。
そして絵描きさんの名誉のためにも、こんなことを疑問に持ちたくはないのだが、もしかして現状トレパクって、相当カジュアルに横行していたりする?
もちろん
「そんなわけねーじゃん」
という答えを期待したいが。
ロシアがなぜウクライナに侵攻したのか、全く見当違いの言説をよく見かけるが、本当の理由は経済制裁をされるためである。
経済制裁をされれば困窮し生活が立ち行かなくなる。そう考えているのであれば、あなたは西側諸国の思想に洗脳されている。
ディズニーの映画が見れなくなってざまぁ、と本気で思っているなら考え直した方がいい。ディズニー映画で喜んでるのは子供だけだ。
実際には外国との取引は、少なければ少ないほど国内の産業が活発になるため有利に働く。
そのため、ほとんどの国では関税を掛け国内の産業を保護しているしTPPも結局は破談した。
これは言うなれば囚人のジレンマであり、個々の利益を考えれば交易はしないほうが得であるが全体の利益を考えたら交易した方が得になる。一番良いのは自分だけ交易せずに他の国は交易しているという状態である。
しかし現実にはWTOにより自由な取引には制限がかけられている。
中国と日本が尖閣諸島で揉めたとき、中国側がレアアースを日本に売らないという決定をしたが、WTOが認めなかった。
ロシアは外国との取引を辞めたくてもWTOがそれを許さないのである。
なぜ圧倒的な戦力を持つロシアがキエフ制圧にこれほど時間がかかっているのか、いや時間が掛かっているのではない、時間を掛けているのだ。
時間を掛ければ掛けるほど経済制裁が強くなる。正にそれこそが経済制裁される事を目的としている証拠である。(でなければさっさと制圧しているし、チンタラやっている合理的な理由が全くない)
本音を言えば誰も外国との取引なんてやりたくない、それは各国が分かれていることからも明らかだ。
全く交易せずにやっていく事はできないし、鎖国中でもオランダとは交易していたように、極一部の国に限っては交易してもいいとは思っている。
俺もその春になると湧くおかしいやつだった。4年前まで。
【更に追記→『背景はそれぞれだろうが、こういうケースもあるんだな』という話だ。
『花粉症がここまで問題になる前から〜』に星入れる前に、『木の芽時知らんのか』とかコメする前に、ちゃんと読もう。
なにぶんただの日記がホッテントリになるとは思ってなかったので、見落としやすい書き方にはなっていたのだろうが、春におかしいやつが湧く理由は様々あろう中で、こういうケースがあった、そして解決できたんだという主旨の日記だ。】
毎年春にはなんかしら発狂していた。そして、夏になる頃に後悔する。けど次の春にはまた何かやらかすというループだった。
さすがにいくらなんでもおかしいと思っていたんだが、精神科とかにかかるのは怖いというか世間体やらで気が引けて、「次こそは気をしっかり持つぞ!」と意気込んで、結局毎年何かやらかしていた。
だが、4年前の春に警察の厄介になることを起こしてしまった。家族に対してだったので、事件化はさせずに夏まで一時的に公営住宅に隔離するという措置になった。期限付きの接近禁止みたいな感じだと思う。
んで、その時にカウンセラー(?)のおじさんがついてくれて仕事終わりに電話相談とかをしてもらっていた。
相談の中でおじさんはなんか思い当たる節があったらしく、家に行くからお薬手帳を見せろと言ってきた。
俺は別に大病を患ったこともないんで大した記載はないんだが、とりあえず見せた。
この薬、俺には滅法効いて花粉症をほぼ抑え込めたんだが、錯乱の副作用があるそうな。
それがわかって以来、花粉症の薬は別のものに変えてもらって、春が来ても発狂しなくなった。春に湧くおかしいやつの背景はそれぞれだろうが、そういうケースもあるらしい。
よく効く薬をやめたのでまぁ花粉症の苦しみは多少出るのでそれはつらいが、発狂して周囲に迷惑かけてた時よりはだいぶマシになった。
さてそんなわけでそろそろ花粉の季節だぞ!
【追記】
一部出ている疑問等に答える。
花粉症にセレスタミンを処方する病院とか大丈夫か? → 知識もなかったし特に気にしてなかったが、聞くに結構ヤバそうだな。他の治療で済むなら他にしろって書いてあるとかさすがに大草原を禁じえない。
けどド田舎地方なので選択肢はあんまりないんだ。ちなみにその病院は一応総合病院なんだが、大病を患った時には行くべきでないと地元では有名だ。何か大病があったら少し遠いが医大にかかれと。
カウンセラーのおじさん有能すぎない? → うん、有能すぎる。税金で運営されてる半公的なサービスの支援員だそうなので、その辺のカウンセラーとは訳が違うのかもしれない。
ただ俺が話を省略したせいで誤解したブクマカがいるので訂正しておくと、別におじさんがお薬手帳一目見て独力で突き止めたわけではない。あくまでいくつか規則的に使ってる薬があるという事実を確認して、その時の顛末を医師に報告した。
そのおかげで、薬を変えてみるってことに繋がり、おじさんによる経過観察兼ねた相談の機会もあってどうやら原因はセレスタミンだったとわかったという成り行きだ。
セレスタミンの副作用聞かなかったの? → 眠くなってないかとは何度も確認されていた。気がふれるとかは聞いたことなかった。
警察周りの話と隔離の話 → 家族からの通報受けてウチに来て、一旦仲裁して「あとは必要に応じて第三者も交えてご家族でよく話し合ってください」的なことを言われた。例のカウンセラーの方へは言うなればアフターサービスは業務外なので紹介したという感じ。俺の見ていないところでの話はわからないが、現場判断で事件化しなかっただけで手続きとかはないんじゃないのかなと感じる。
隔離という表現は的確ではなかった。あくまで当事者同士を同じ家に住まわせておくのは危険(事件化しないといけなくなる)と判断されたので、距離を取ったくらいのもの。ただの外出は出来る。接近禁止ってのも実態としてはそんな感じだったというだけで、別に正規に法的拘束力が発揮されていたものではないはずだ。俺は法律家じゃないから間違ってるかもしれないが。
発狂ってなんだったの? → いいものも悪いものもいろいろあるが、とにかく普段と極端に違う考え、行動を取っていた。
悪いものだと、普通イラッとはするけどそれで暴言吐いたりしないよねって事でもキレたり、日頃から溜まっていた鬱憤が普段なら我慢できたであろうことをきっかけに爆発して暴力振るったり、物壊したり。4年前の件ではこの鬱憤が爆発したタイプだった。
良いものだと3県隣の震災復興ボランティアに志願したり、SNSで見かけた困ってる人を助けに車出したり。
良いも悪いもないものでは突然ナンパしてみたり、人に奢る機会をやたら設けたり。
共通して言えることは、先のことを考えれば普段はやめておくであろう事を思いつきだけで実践しているってこと。
世の中全てを損得で考えるのはよくないが、冷静に見ればリスクやコストが大きい事に躊躇なくなるってのは好ましいとは言えないし、俺はこれを発狂と言って差し支えないと思っている。
なんで自分で気づかないの? → 結構若い頃からずっとセレスタミン出てたもんだから、まさかこれが原因とは思わなかった。そもそも自分はよく耳にする「春に出てくるおかしいやつ」の一員なんだって無意識的に思っていた事も、原因追求を妨げた一因だと思う。
オタクってのは、普段の顔と違う趣味の顔と捉えるか?その趣味のコミュニティ毎で使い分ける顔なのか?
その違いがあるのかと思う
お酒が好きで色んな居酒屋を飲み歩くのと、特定の店のみ常連になるのと、いろんな店に行くがその空気毎に切り替えるのと全然違うようにね
言うなれば、オモテウラの顔を持つ考え方と、百面相の考え方を持つ違いなのかと思う
自分もあるオタクだけど、そのジャンル全体が好きでも、ある対象(作品でも人物でも)の集まりで、同業他者の話をするのがタブーみたいな空気が生まれるところがあって、そのジャンル全体が好きでも、それさえ許されないみたいな淀みに出くわしたことは何度もある
そう言う環境下でもいろんな趣味を持てるように、八方美人とは異なる百面相って人は居ると考えたほうが良いかも知れないそれを踏まえると、その結婚した相手を責めることはできないし、日記主の言うことも否定は出来ない
コルモゴロフーッス
ハインリッヒの法則について語ってほしい、と先日お題を出されたので調べた限りを適当に語っていこうと思うのですが
アメリカの保険会社の副部長だったハインリッヒさんという人がご自身の著書で発表されたものです。
その内容とは、
『同じ人間の起こした330件の災害のうち、300件は無傷で、29件は軽い傷害を伴い、1件は重い傷害をともなっている。
傷害を伴うにせよ伴わないにせよ、全ての災害の下には、おそらく数千に達するだけの不安全行動と不安全状態がある』
というものでした。
また『人間の不安全行動や機械的物理的不安全状態による災害の98%は予防可能』や『人間の不安全行動(88%)は機械的物理的不安全状態(10%)の約九倍の頻度で出現している』というのもハインリッヒさんの提唱した法則の中にあります。
以上のことから、
・不安全行動と不安全状態をなくす事で災害も傷害も無くなりますよね
と発表されていろんな労働環境に採用されてきたのがハインリッヒの法則って奴だったかと思われます。
現在では300:29:1の比率を疑問に思った人が何万件もの資料を見て600:30:10:1の比率を導き出したり400:80:50:3:1みたいな比率を出したりしてきて混迷を極めるというか、
まぁ、時代によって労働環境の改善されたり、それでも避けきれない事故というものをしっかりと記録できていたり、と色々な思惑があります。
そして、現代の日本の労働環境で『ヒヤリ・ハット』と呼ばれているものは『不安全行動・不安全状態』のことを指しているかと思われます。
だから、『○○さんがボーッとしててぶつかりそうだった』は立派なヒヤリハットです。
『○○さんが前も見ずにお話をしながら荷物を運んで居ました、とても危険だと思います。』はKY(危険予知)じゃないかと思われます。
ハインリッヒさんの話から逸れてしまいましたが、労働してる時の危険予知を語る上で「KYとかヒヤリハットってなんなん?」という疑問の声はあると思いますので書いてしまいました。
言うなれば『KY』とか、『ヒヤリ・ハット』ってのは日本独自の呼び方だと思われますです。
とはいえ、ここまで長々と書きましたがちょっとだけ労働環境に居たような素人が粗雑に語れるのはこの程度なので
各自、必要があればインターネットで軽く調べたり本格的に書籍を買う、文献を読むなどして真偽を確かめてみても良いんじゃないかなぁと思われます。
長々と失礼しました。
ということで本日は【些細な変化の察知よいか】でいきたいと思います。
言うなれば漫☆画太郎の作品に「これ作者は脳の病気なの?」ってケチつけるようなもんでしょ。
ニセコイも僕勉も倫理観と論理的思考が完全にガバった登場人物と世界観の中でちょっとエッチでドロドロの恋愛模様が展開されるが、登場人物全員脳みそがぶっ壊れているので地獄のような世界の中ではハッピーエンドで終わるというラブコメの王道作品だ。
そもそもラブコメっていうのは元々頭がおかしいジャンルなんだ。
性別が逆転する温泉の存在やら範馬勇次郎や拉麺男と戦えそうな格闘技の存在なんぞより、登場人物のぶっ壊れた価値観(特に倫理観!)の方にヤバさを感じるはずだ。
狂ってなければラブコメではなく、頭がおかしくなければ成立し得ない。
考えてみれば当たり前だ。
ラブコメとは無数の多角形が織りなす複雑怪奇な地獄の恋愛模様を、青春という免罪符の一言で笑えるなにかとして昇華しようという奇妙奇天烈な文化なのだから。
リアリティショーやバチェラーのようにその下世話差に対して自覚を持ってなどおらず、コメディであり漫画であり愛の力が全てを解決するのだから綺麗なのだと言い張るバーリトゥード。
生き残ったものだけが正しく、死んでいったものには慈悲の欠片も与えられない。
そもそもコメディとは冗談で誰かを傷つけ世界を破壊するのが日常のジャンルである。
ラブコメとは蓮阿というセンシティブ人間関係においてコメディを持ち込むというジャンルなのだから、そこには人間の持ち合わせるありとあらゆる倫理など一欠片も残っていないのだ。
断言しよう。
ラブコメを描けるのは、人でなし・狂人・サイコパス、この3種類のどれかだけだ。
ラブコメに真っ当な倫理を求めること自体がそもそも間違っているのだ。
ラブコメは倫理観を捨て去ることを作品の根底においたジャンルなのだ。
コロコロコミックでうんこちんこが出てくるのを衛生観念の欠落だと本気で怒っても仕方がないだろう?
同じことだ。
描いている人間は人間らしい感情を漫画に持ち込もうなんて気持ちはとっくの昔に捨てている。
常識に乗っ取り、読んだ人間が立派な人格の持ち主になれるようになんて1ミリも考えていない。
ラブコメ漫画家とAV監督だったらまだ後者のほうが「たとえ創作物の中でも人間からうばっちゃいけない最後の尊厳ってあるよな」って気持ちを持ち合わせている人間の率は高いだろう。
分かったら「NOT FOR ME」の旗印のもとに巣に帰るがいい。