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2019-01-20

トリアージ批判する人の気持ちもわからないでもない

一言で切って捨ててしまえばそれは国家とか社会とか行政に何でも100%叶えてくれるお母さんだとか、神様だとかであってほしいっていう甘えなんだけどさ。

世の中がフェアであってほしい、理不尽なことはなくなってほしいって。

それは甘えだよ、って切って捨てられる人間なんてのは大概がタフ(精神的にだったり経済的にだったり)な人間から言えることだよ。

トリアージ的な考え方で「仕方がない」で犠牲にされる人間ってのは、他人からすれば何百分の一、何万分の一、何億分の一の、言うなればコラテラルダメージってもんだろうけど、

当事者からすれば一つっきりの命なわけよ、言うまでもないんだけども。

そんなのは当たり前じゃん、それが人生だ、それが世の中だ、ってみんながみんな言えるほどタフじゃねぇんだよな。

そんなのは中学生高校生卒業しとけよって言うけど、実のところ卒業した気になって麻痺したり鈍感になってるだけなんじゃねぇの。

から21世紀にもなって三大宗教は残り続けて、カルトもぽこぽこ出てくるんだろう。

からって自分にもできないことを他人無茶振りしてトリアージ的なもの批判なんて馬鹿馬鹿しいけどな。

2019-01-18

案山子凄さをみんな知らない

友達案山子から、飲みに行こうとしぶりに連絡があった。

私は案山子とはもう10年来の付き合いになる。

私が案山子と飲むようになったきっかけは、大学の授業で絶対に落とさない授業というのを2人して落ちてしまたからで、次に落とすと留年決定ということで、自然と2人して一緒に勉強しはじめたことによる。

それ気以来、私たち半年に一度くらいのペースでいっしょに飲んでいた。

内容は他愛のないものである

卒業してから、私は地方公務員就職したので主に人間関係給料の低さに愚痴っている。

一方、案山子の方は、地元の畑で案山子案山子と思わないカラスについて愚痴っていた。らカラスは頭がいいので、よっぽど上手くやらないとただの案山子だと舐められて畑を荒らされるそうである

私たちカラスについて1時間ほど喋っていた。あいつらは、1度は案山子に驚いても、2度目にはもう案山子を舐めきって田畑を荒らすそうである。そこで、案山子がどういう対策を取るかというと、カラスにこう話しかけるそうである

「.あなたたちカラスは、畑を荒らすことか仕事だと思い込んでいらようだが、それは違う。あなたたたちは本来は気高くて気位の高い種族なのだ。鷹と争い、鳶を追い、日本中の畑を自分たち領地とし、さらには案山子監視者として尊重し、そして支配者として認めてもらったのだ?害虫の捕食者として、畑の保護者として上手くやってきたのだ。それが、どうだ、今のていたらくは。今のあなた達は鷹と闘ったことがあるか?他の鳥を寄せ付けない強さを持っているか?闘いなさい。」.

的なことを言って、カラスを困らせるのだ。

しか不思議もので、カラスには鷹と闘った歴史などないのに、実際に自分たちなわばりから鷹を追い出すそうである

それを聞いて、私は案山子という職業をとても面白いと思った。

言うなれば、畑に立っているだけで、鳥やその他の動物支配するようなものではないか

公務員なんかよりよっぽど立派なのではないかと思う。

私は、案山子に頼んで私も案山子の一員になることを申し出た。

答えは「いいよ。」という簡単ものであった。

ということで私は今案山子になっているのだが、私が私だったころよりは、いまのかかしのほうが気持ちが良い、というのが正直な感想である

皆さんも案山子になってみたらどうであろうか。

2019-01-12

なんで三色パンの中身は

カスタードチョコあんこなんだ?

言うなれば三色ふりかけごま塩が含まれるのと同じくらい謎だ。


もちろん、あんこ歴史ある伝統甘味で、根強いファンも多い。

でも、さすがにチョコカスタードと並べるとハズレ感が半端ない

あるいは、チョコカスタードがお子様でも大丈夫的な安心感があるのに対し、あんこだけ大人の味みたいな立ち位置になっている。

たか10代に30代が混ざっている的な?

それとも、兄弟姉妹の子供2人がチョコカスタードを食べて、お母さんがあんこ食べろってこと?

そうだとしても、食べるまで中身がわからないガチャ仕様なんだよなあ…だから多分違う。


てか、子供心にあんこ掴まされたときのガッカリ感は、食い物の恨みに含んでいいと思う。

これ、汁粉とかもそうなんだけど、粉甘いものなんてお子様の舌に合わないって何度言えば(ry

ちなみに粉甘いで済むのはこしあんだけであり、これがつぶあんになると更に食感が大人向けになってしまう。

お前らだって、今でこそ美味しい美味しい言って食べているたい焼きどら焼きも、子供の頃はそんな好きじゃなかったろ?


というわけで、文句を言いっぱなしで終わるのも微妙なんで、対案があるとすればいちごジャム

もう絶対にこれしかない。これなら大人子供安心だ。

でなければ、チョコカスタードずんだウグイスか栗あんのどれかにして、完全に大人仕様で行け。

これまた潔くて次点としておく。

2019-01-05

怪物育児

私は怪物である

身体が大きく力も強く体力だってある。

まれる前から強くあることが約束されつつも、生まれ落ちた後もより強く大きくなることが求められている。

そんな能力に優れた怪物は弱き者を虐げ、器物を破壊し、他者を殺す可能性が高いことは統計からも見て取れる。

そんな怪物である私にも子供ができた。

まれたばかりの赤ん坊はなんと小さなことか。

軽く握ればすり潰すことも容易いと一目でわかる。

世間は言う。我々怪物身体が大きく力も強く体力だってあると。

怪物である私がこの子を抱き上げると私はこの子を殺してしまうのではないか

の子の手を握ったとき力加減を間違えて潰してしまうのではないか

怪物子供と遊ぶ際にアクロバティックになりやす揺さぶられっ子症候群なる障害子供に負わせることが頻繁にあるそうだ。

怪物である私は我が子が生まれる前に、自治体による言うなれば出産育児講習のようなものに出席した。

そこで揺さぶられっ子症候群を知り、更には様々な情報が伝えられた。

我々怪物身体が大きく力も強く体力だってあると。

女子供に対して怪我させる。それは身体的にだけでなく精神的にも傷付けることがよくあるそうだ。

しかしながら育児家事には怪物の協力が不可欠らしい。

誰かを傷付けるかも知れない、何かを壊すかも知れない。

我々怪物身体が大きく力も強く体力だってあるので可能性は常にあるのだと世間は言う。

怪物はいだって怪物である

ただ、怪物自身自分がどれだけの怪物なのかがわからない。

教えて欲しい。私はどれだけの怪物なのか。

2018-12-28

褒められるんじゃなくて愛されたい

表題から察せられる通り、私は人から褒められた経験こそあるものの、他人から愛された経験というのが激烈に乏しい。

友人も少ない、恋人ができたことなんて一度も無い。

正直に言って、これがかなり大きなコンプレックスになっている。

こういうことを言うと、親はあなたのこと愛して…などと言う人がいる。

かに現在、両親との関係は悪くは無いが、ただこれまでに全く問題が無かったかといえばそれは違う。

どこのご家庭でも大なり小なり多少の問題はあると思うが、うちの場合はまず、母親がかなり不安定な人だった。基本的には大人しい性格の人なのだが、ヒステリーを起こしやすい一面があった。母といえど他人なので彼女の正確な心の動きが分かる訳ではないのだが、ストレスが溜まりカッとなる、という感じだろうか。そうなると家の中にある物、大体は家具に当たっていた。明確に覚えている範囲では、子ども用の小さい椅子リビングの壁に投げつけていたことだろうか。これは今でも壁に傷が残っているので、子ども記憶違いではないはずだ。

あと、これは記憶がおぼろげだが、家の中で母が私を足蹴にしたこともあった。実を言うとこの辺は直接その時の記憶がある訳ではなく、よそのお母さんは子供を蹴らないという事実を知り、子どもながらに引け目を感じたとき記憶があるため、多分そうなのだろうという感じだ。

他にも色々、あるにはあるが、とりあえず子供時代の私は母を非常に恐れていた、ということだ。

これはあくまで昔の話であり、今の母は年の功なのか、かなり穏やかな人になっている。その為、現在私と母はそれなりに良好にやれている。

次に父親だが、一言でいえばかなり自己愛の強い人だ。

子どもの頃は、面白い良い父だと思っていたのだが、成長するにつれ彼の精神的な幼さが目に付くようになってしまった。詳細は省くが、言うなれば自分の子相手マウントを取りたがる親なのである

しかすると、この程度のことはごく普通ことなのかもしれない。経済的には、豊かとはいえないまでも不自由しなかったので、その点に関してはありがたいことだと思っている。傍から見れば、大人しい母に明るい父、中流階級程度の暮らし。恵まれている方なのかもしれない。

ただ当人の実感としては、あまり愛情を感じることが無かった。産み育てて貰っておいて言っていいことなのか分からないが。

二人とも子供に対する愛情が全く無いわけではないのだろう。ただ昔の母にはその余裕が無かったし、父は子供への愛情より自己愛が大きかったというだけの話だ。

メンタルヘルス系の書籍を読むと、精神的に満たされない事由の原因は親との関係に起因することが多いらしい。だからといってすべてを親のせいにして良い訳は無いが、まあ納得してしまう部分はある。

恋人ができたことがない、と冒頭で述べた。それ以上でもそれ以下でもないただの事実なのだが、そもそも私は恋愛に縁遠かった。

最近小学生でも彼氏彼女を作ったりするらしいが、私の世代だと、恋愛ごとに興味が出てくるのは大体中学生くらいだった気がする。そして私の中学時代は少しばかり悲惨だった。

私はまあ、生まれ持った顔立ちが可愛くない。ブスなのである。そこに人の言葉額面通り受け取ってしまう真面目さというか馬鹿さが加わってしまった。

中学では制服校則といったものに初めて触れたが、厳しめに作ってある校則部分的には破ることが前提で、先生方もそれを黙認しているようなものであった。

しかし真面目というか、もはや空気が読めない私はそれらをきっちりかっちり守ってしまっていた。髪の毛はおさげ一本結びで一房も出ることの無いよう、前髪は目にかからないよう七三、顔の横にも当然毛は垂らさない。ただでさえブスな顔をフルオープンにしていた。ついでに眉毛も整えたりなんてしなかったため、ボサボサの眉毛晒していた。

そして人から、主に男子からブス、キモいという誹りを受けるようになるのに時間はかからなかった。暴言は常に、一応女なので暴力こそほぼ無かったが、消しゴムをちぎったのを背中に投げられる、くらいはされたものだ。個人的には、私や私が触ったものを汚いもの扱いされるのが心に刺さった。(これに関しては小学生の時にも似たようなことをされた。「○○(苗字)菌」といって人をばい菌扱いして擦り付けあったりするやつ)

中学三年間男からはそんな扱いを受けていたため、結果として男子というのは得てしてそんなものなのかという認識根付いた。

私を馬鹿にしていたのは、何も男子だけではない。

一年生のうちから男子には中傷されるようになったわけだが、そんな中でどうしてか私に親しげに話しかけてくれる女の子がいた。一応、友達グループのようなものがあって、私もその中の一つに所属していたため女の子友達はいた。

だがその子は私のいるグループより遥か上のグループに居る、所謂クラスボスポジションの子だったのである。どうして私なんかに声をかけてくれるのか不思議ではあったが、当時は単純にそれを嬉しく感じていたのである。当たり前だが、それには裏というか、そう呼称するにすらふさわしくないアレがあったのだが。

中学入学当初、私は成績が恐ろしく振るわなかった。そのため親の方針により二年生前から塾通いを始め、成績を向上させることに成功した。だがここで、勉強を始めたことにより脳がよく働くようになったのか、あの女の子が考えていたことにも気付いてしまった。

要するに彼女は、話しかけられた私の反応を見て面白がり、それを同じグループの子と一緒になって嘲笑っていたのである

その後、私がその子と会話することは二度と無かったが、一度そうした悪意に気付いてしまうと、芋づるのように過去記憶が掘り起こされ、疑心暗鬼になるものだ。

失礼を承知で言うと、同じグループにいた友達のことを疑うことは無かった。私と同じグループとは、つまり「地味」なグループのことであり、仲間内で結託しなければ教室内での最低限の権利的なものが危うかったかである

私の中学時代は大半の男子と一部の女子に蔑まれていた生活だった。

それでも友達になってくれた当時の友人には心の底から感謝している。私が中学校に通えたのは彼女たちのおかげである中学卒業と同時にほとんど連絡を取らなくなってしまったが。

中学がそんな環境だったため、私が初めて恋愛ごとに触れたのは高校でのことになる。

中学時代ろくに部活動に励まなかった私は、高校とある文化部に入った。

そして、そこにいた同級生男の子を好きになった。

彼が特別に頭が良かったとかかっこよかったとか、そんなことは無かったように思える。ただ、男子は皆私をキモいもの扱いするのだと思っていた私にとって、何を蔑むこともなく接してくれる彼は特別に見えたのだ。わりと人生最大級に浮かれていた気がする。

だが、彼も所詮男子高校生だった。いや男子高生全てがそうな訳ではないのだろうが、かいつまんで言えば彼は、可愛い女の子コミュニケーションを取れることをステータスだと思っているタイプの男だったのである

この表現で伝わるかどうか分からないが、自分を正しくブスだと認識している私は当然ショックを受けた。彼が可愛い女の子に対してする態度と、私にする態度が同じでは無かったことにも気づいてしまった。

それから程なくして彼は、同じ部活の後輩(可愛い)と仲良くなる。この時点で部活を辞めてしまうなりすれば良かったのかもしれないが、駄目な方に真面目な私は三年間きっちり同じ部室に通い、好きな人と後輩のイチャイチャを見ていた。

勝手に舞い上がった私が完全に悪いのだが、このとき受けた傷はちょっと今でも治っていない。

同じくらいのタイミングで、高校生にもなるともう勉強を頑張るだけでは認められないことも悟ってしまった。

基本的に真面目な生徒だった私は、試験前に先生のところに質問に行ったりしていた。そうした勤勉さを先生は褒めてくれる。それは私にとって少なからず嬉しいことだった。だが、先生別にわたしのことを特別好きではないんだとも思うようになっていた。先生方が好きなのは、成績こそ上位ではないが、愛想がよくて人懐っこい生徒だ。用事が無ければ話しかけられない私と違って、何は無くとも寄ってきてくれるような子が好きなのだ

学校先生だって人間なのだから好きな人とそうでない人とがいて当然だ。

高校で気付くなんて遅すぎたくらいだ。

学校先生だけじゃない、むしろ世の中の人間の大半が私みたいなのじゃなく、懐っこい子が好きなんだろう。

そういう子は、だいたい彼氏がいて、友人も多くて、幸せそうにしてる子が多かった。

ここで私は、ようやく自分の求めているもの理解した。

勉強して、それで褒められたり、評価を得ることは出来る。

でも、それで人から好きだと思われることは無い。

から向けられる愛情は、お勉強いくら頑張っても手に入らないのだ。

そういうのは、(いかんせん愛された経験に乏しいので憶測だが、)可愛い容姿とか愛想とか機転とか、あるいは自分への自信とか、大体私が持ち得ないもので得られるものらしい。

色々ある中で、気遣い笑顔を忘れないでいられるというのは素晴らしいことなのだろう。

だがどうしても意地悪く考えてしまうのである

愛されている彼女たちは、はたして容姿を貶されたり善意だと思っていたものが実は真反対のものだったり、そんな経験をしてきたんだろうか。

精神的に安定した大人が築く家庭で育ったんじゃないだろうか。

少なくとも彼女たちの顔は、私より可愛く見えた。

自分が触ったものを人が触るときに、いちいち怯えたりするんだろうか。

高校で気付いたこ事実は、高校卒業してからもだいたい事実だった。

ついに真面目の殻を破れなかった私は、愛されないまま今日に至ってしまっている。

そして今日も私の周りには、愛されている可愛い女の子がいるのである

の子たちだってそれぞれに苦労したり、努力したりしてるなんてことは分かってる。

でも、私だって少なくとも人並みには辛い思いをしてきた。

勉強も、高校を出てから仕事も、頑張ってきた。

なのになんであの子たちは愛されてて、私は誰からも愛されないんだろう。

この先頑張っても、私が欲している愛情を得るのはああいう子たちなんだろう。

欲しいものが手に入らないのに、頑張る意味ってなんなんだろう。

私が悪いのかな。私の出来が悪いから。真面目なばかりで空気が読めないからなのかな。

少しずつ、お洒落も化粧も覚えてきた。少なくとも中学の時よりはましだ。それでも私が誰かに愛されることは未だ無い。

ひたむきに頑張っていればいつかは手に入るのかな。

いつかっていつだろうな。

愛されないのに何で生きてるんだろう。

2018-12-20

二次元三次元も好きなオタクだが、特定の誰かに対して「この人好きだな」ってフワッとした気持ちは抱くことはよくあるが

「好きで好きでたまらない!」「何十年もこの○○が好き!」「○○が推し!」って気持ちになるほど、言うなれば、愛が燃えるほど誰かを好きになったことが一度も無い。

必要以上に好きにならないという言い方がもしかしたら正しいのかもしれない。

ただやっぱり、二次元しろ三次元しろ、愛や情熱を燃やせるほど誰かを好きになれるのって羨ましいなって思う。

思い当たる原因は一つある。

それは、「私は『人間の肉体』が好きなんであって、特定の誰かを『人として(一人の人間として)』好きなわけじゃないんだな。」という事にある日気が付いた。

前々から薄々思っていたが、肉体美として人を見ている事を自覚した。

「個」としての人に興味もっているわけじゃないんだから、そこまでのめり込むほど好きにならないのは当たり前なんだろうね。

好きな芸能人アーティストも、その特定ジャンルにおける本業としての活動に興味が惹かれるんであって、普段何しているのかとはプレイベートは全く興味ないし。

ここまで自覚した上でもやっぱり、誰かを本能的に好きになれる人は羨ましく思うし

多分、自分はそういう経験を出来ないまま生涯を終えるんだろうなって、心のどこかで感じている。

2018-12-18

anond:20181218091353

テレビ漫画の影響は些少はあれど、年代関係なく発生する「遊び」で、人種個性関係なくどの人間にも発生する「はしか」のようなものだと思って問題ない。

増田にもそういうのを面白いと思っていた時期があったはず。増田記憶から封印されているけれどな。

問題は、ネットはそこそこ「残る」メディアから、目立ってそういう幼稚なコンテンツを好む…言うなれば発達に障害の残る方が出っ張ってなおかつ消え辛いという側面がある。

その結実がエルサゲートのような動画生産するに至るのだから、これはもうなんとか避けるように努力するしかない。

運悪く受けたとしても、それはそれで問題は無い。

「こういう動画ばっか見てるとダメ人間になるぞ」を理解させればいいだけなんだから。…それを増田に出来るか、子供理解できる器があるかどうかはまた別の問題

2018-12-09

社畜ニートの二択

この間、外で

今日時間ゲームやってたんだけどさ~」と話してたら、

後ろの方から

「うっわあいつらぜってー働いてねーよ!」

とか大声で言っているのが聞こえた。

というかこっちを見ながら言っていたので正直師ねとしか思わなかったが、面倒くさいので無視した。

そういう奴の頭の中は、

・働いている→遊ぶ時間が無い

・遊ぶ時間がある→働いてない

という論理なんだろうが、働いてる時間の分しか手元に金が入らないような、ハッキリ言って単純労働に近いような収入体系の仕事しか出来ない奴なんだろうなと思う。

そういう特別能力の無い、言うなればAIがもう少し発展すれば駆逐される程度の仕事しか出来ないような奴は、飲み屋愚痴るくらいしかストレスのはけ口が無いんだろうか。

自分リソースを単純にy=xの正比例でしか金に変えられないのは分かるが、だからって他人馬鹿にするような口ぶりは辞めて欲しい。

少なくとも悪口は聞こえないように言え。

今回は状況的に仕方なくこの店に行ったが、安い店に行くのはこういう奴が居るから嫌だ。

2018-10-27

anond:20181027105050

発売日前から予約してる人間ってのはいち早く手に入れて「この機能すげえ!」とか「こんな風にカスタマイズしてみたよ!」やりたいんだよ。それを全部フラゲ人間に持ってかれてる。最悪の気分だ。しかもどいつもこいつもコンテンツとして消費し尽くした挙句「まあ俺はiPhone使うけどw」的なことを言っている。タダで貰ってることなんざどうでもいい、本当に欲しいと思って買ってる人間が1カ月待ちなのにこんな雑にポイ捨てする集団フラゲしてることに腹が立つ。

言うなればポケモンの新作が発売の半月前に大手実況者にだけ配られて、新しいポケモンとかストーリーとか全部バラされた挙句生主感想が「今作イマイチだわw」みたいな。でもって予約注文してる自分は1カ月待ちみたいな。そんな感じ。やっぱ予約キャンセルしよっかな・・・って気持ちにもなるでしょ。実際今かなり萎えてるよ。せめて配るのなら発売日にするか在庫不足解消するかどっちかにして欲しい。最悪のプロモーションだと思う

2018-10-13

クソほどつまんないちょろいブックマーカーで悪いか

クソほどつまんない釣りに釣られるゴミクズブックマーカー達のチョロさを読んだ

うるせーな、いちいち大きなお世話なんだよ

そんなこと指摘されなくてもわかってるわ

書いた奴も自分人生考えてみろや

匿名でバズって少しは影響力ある人間にでもなったつもりか?

俺はお前らみたいな叩くだけの能無しとは違うとでも言いたいのか?

所詮同じ穴のムジナじゃねーかよ

俺は自分人生先が見えてきて、そこに名前があがってる借金玉や、えらいてんちょうやらプロ奢られやーやら田端やらにはなれねーんだよ

奴らみたいに自分意見を言って賛同されて、自分の村をでかくしていけたらと思うけど、そんなんは俺には無理なことなんだよ

だってゾゾタウンの前澤みたいに、宇宙旅行だ、女優と付き合うだのやりてぇよ

そんなんは大抵の人間には夢のまた夢で自分とは関係のない世界出来事なのに、ネットだのテレビで聞きたくもなくても嫌でも耳に目に入ってきちまうんだよ

言うなればこっちは聞きたくもない自慢話をされてるわけだ、少しくらい嫌味を言ったり叩く権利だってあるだろ?そっちから聞きたくもない話をしてきてこっちには話させないつもりか?何様なんだよ

それに、現実世界じゃなんの影響力もない俺でも影響力がある奴を叩けばそれなりに反応が帰ってくるからな、社会の隅っこにいる俺がひとかどの人間にになれる手段が叩く事なんだよ

叩きやすポイントをわざわざ作ってる?それで結構毛だらけ猫灰だらけだわ

娯楽としちゃ安上がりで楽しめるし、他の人間からも反応があればそれで十分だ

せめてネットの中でくらい自分のことを価値ある人間だと思ったっていいじゃねぇか

どうしようもないクズみたいな人間だけどよ、そんなクズPVを集めてその多さでいきがってるのがお前らじゃねーか

ちょっとPVが増えたらすぐ喜んでよ、フォロワーが何万人なっただの、何万回再生されただの、俺らクズにいいようにのせられてフォロワー増やしにせいをだして、しょうもない動画あげたり私生活の報告してくれてご苦労さん

あとな、俺のためにもっと叩きやすポイント供給を頼むわ

俺との約束からなきちんと守ってくれよ

2018-09-12

腰の角度

聲の形みたいなタイトルにしてみたウフフあのよくえっちなびでおみるんだけどあっびでおっていいかたもう古いわねいまのこはビデオなんか見たこと無いわねえっちなどうが!これでいいわねそれでねよく思うのが腰の角度って大切だなってことなのどういうことかっていうとねこはいいあーグーグル日本語入力一発で変換できないムッツリスケねこ野郎あっごめんあそばせまあつまりバックねバックになるときにそのまま四つん這いみたいになってるとほんとなえるのよ背中からお尻まで一直線になってる感じのそれが外から演技指導されたかなんなのかしらないけれどもきゅっとお尻を突き出すようにするとあら不思議一気に魅力とエロさが10000000000倍アップするのよあれを見るにモデルグラビアポージングっていうのがいか大事かがよくわかるわいわゆるソフマップ立ちというやつがあるわよねあれと実際のジャケ写をくらべたらなんでそうなるのってパターンほとんどじゃないまさにあれよねいくら裸でも棒立ちならエロくもなんともないポーズカメラアングルによってエロいという価値が付加されるのわかるかしらつまりエロさってのはそれ自体最初から存在するんじゃなくて後から付加されるものなのよソコのところを勘違いしていないかしら甘んじて股間や胸を見せればいいと投げやりになるだけではそこには何もないの奴隷市場で裸の女が並んでてもエロくもなんともないの昔きれいはつくれるだかかわいいはつくれるだかいコピーがあったけどまさにそれよねそれと同じよねエロもつくれるのよというかエロは作るものなのよだからほらごらんなさいmetartやらできれいスタイルいい外人ヌードみてもなんとも思わないでしょうつまりそういうことなのよつまりそこの境界線がどこにあるのかを日々追求し続けているのがエロ業界ということで真実の探求者なのよね言うなれば難問に挑み続ける数学者たちと同じメンタリティなのよしかさらにすごいのがおっさんたちのサイクルでそれが回されることも多々あるということなのよね二次元業界なんておっさんがつくってオッサンが消費してそこのどこにも傷つく女性はいないというユートピアなのよわざわざ喫煙ルームにまで入ってきて文句つける嫌煙者みたいな女もたまにいるけどほんと勘弁してほしいわオッサンオッサンによるオッサンのためのエロ文化である二次元こそがすべてのエロ探求者が目指すべき理想郷なのよ三次元も悪くはないけれどやはり完全理想郷には一段劣るわよねまあそれでも三次元がなければ二次元もないのもわかってはいからそこは感謝しているわどうでもいいけど腰と豚って似てるわね腰の角度って単語豚の角煮に見えてきたからそろそろ終わりにするわまたいらっしゃいねお待ちしているわ

2018-09-06

anond:20180906233458

まずさ、素人のお前はともかく、専門家の連中が

「大雨のリスクはわかるが、それは同時に台風リスクを考えることにも繋がる。今回台風で地上設備に多くの被害が出た。地中ならその被害が大幅に軽減できるし、一概に「できない」ではなくメリットデメリットを考えてみては」

ということについて、考えてないと決めつけてる時点でハナクソほじってるんですわ。

で、更に言うなれば俺の増田で書いた

「AからBに乗り換えるだけでリスク一定減じるとしても、それができるかどうかについては別の問題が多く絡む」

ということについては、それを実行する経営者やら行政やらがとっくに考えてるわ。お前が俺の増田引用して、さも同じことを言っているように思っているんだろうが、全く違う。

まずお前は、知識を持つ者に詫びろ。社会に役立つ研究を考える者、会社の将来を考えなければならない経営者、国の将来を真摯に考える国家公務員から政治家まで。


俺には一切詫びなくていい。俺はお前に何か施しをくれてやるつもりもないからな。てめえで反省してこれから思想を変えろ。それだけだ。

2018-08-31

LGBTに対して率直に言わせて貰う

最近やたらとツイッター等でLGBT理解しようというキャンペーンの如くLGBT当人LGBT賛同派が理解を求めようとしているのを見る。

自分は正直LGBTは、理解し難く嫌悪感があります

理由しましては3つあります

一つ目は、自分を含め一般人価値観だとLGBT言うなれば異常性癖者であり、ロリコンSMプレイ好きな人間と同じ扱いとして見ており、また嫌煙されるのはなんら不思議ではないと思うからです。

二つ目は、キャンペーン当事者達に対する嫌悪です。キャンペーンしている当事者達は反対意見差別主義者かの如く叩きます。例えば一つ目の理由で上げたような異常性癖者と何が違うのか?を聞いている人が叩かれているのを見ました。また、法律違反するかしないかを言う人間もいましたが、これまた筋違いだと思います。つまるところ押し付けがましい啓蒙への嫌悪です。

三つ目は種としての自然の理にそぐわないからです。以前生産性がないと言う発言炎上しましたがLGBTだけの世界になったら生産性はないでしょう。(ここでの生産性の意は種の繁栄です)これまた他の動物性別なくても繁栄しているという意見も耳にしますが人間は現段階において不可能であり、自然の理に反しており理解に苦しみます

上記3つのような理由から疑念嫌悪感があります。簡潔にまとめると

1.異常性癖者との違い

2.押し付けがましい啓蒙

3.自然の理に反する

賛否両論ある内容だと思うので意見を聞きたいです

2018-08-28

ルンバ死角

日常生活効率化に今や欠かせない文明の利器、全自動掃除機ルンバ

ルンバが動きやすいように段差を無くしたり家具を少なくしたりするハックが流行っているが、どうしても限界はある。利用者の工夫程度では補えない弱点が実はある。見逃されていた欠点言うなればルンバ死角」が。

それはルンバ上面だ。ルンバが通過した床面のホコリゴミなどはすべからく皆、そこが廊下だろうが畳だろうが関係なくすべて吸い込まれしまうのだが、しかルンバがどれだけ動き回ろうとも、彼女の体自体は動きのすべてについてまわり、ゆえにそこにある汚れには決して手が届かない。輝きに満ちた主人の部屋の中で、それを達成すべく献身した彼女けが唯一、汚れにまみれている。これほど悲しいことはない。

ルンバをもう一台設置する。無論ルンバの上に置く。ルンバ掃除する専用の小型ルンバというわけだ。

しか安易解決策にありがちなことではあるが、この改善案には明らかな問題がある。小型ルンバにもまた同じ問題が、その上面が汚いという課題が残るのだ。ならばさらに積み上げてはどうだろう。小型ルンバの上にさらルンバを重ねて… としていくとどうなるか。ルンバの総数nを無限大に近づけていくと、どのようなことが起こる? 上面の面積はゼロに近づいていくはずだ。その向こうに、哀れな従僕に仕える従僕、彼女に仕える従僕その無限の連なりの先に、全員が救われる希望はあるか。

無い。面積は確かにゼロに近づく。だが決して消滅はしない。アインシュタインはかつてこう言った。数学法則現実に当てはめるならば、それは不確かなものになる。数学法則が確かであるならば、それは現実には当てはまらない。ベロリルンバサイズを少しでも削るために努力を惜しまないエンジニアいくら夜を徹し死力の限りを尽くしても、人類の叡智をどれだけ積み重ねても、プランクスケールルンバなど作りようもないからだ。無限には決して届かない。理想化された数学では救えない現実がある。方程式に"宇宙項"を加えるしかないのか。ルンバの汚れから目を背けるために。

諦めるのはまだ早い。問題をよく観察せよ。実際の部屋には天井がある。天井に着くまでルンバを積み重ねればよい。天井自体にもホコリが付くことがあるって? よろしい。ならばルンバを逆さにして運用せよ。新たに開発された両面ルンバは、部屋の中央部上下からうねって伸びてくる鍾乳石を繋ぐ。ルンバルンバ掃除する。系としてのルンバが床面と天井掃除する。システムとしての自立。もはや誰の手も借りる必要はない。これが追い求めた答えだ。

いや忘れてはいけない。書斎にはまだ主人がいる。成長したルンバ達にとって、いか人間の助力が不要ものだろうと、こちらにはまだ彼女らの力が必要である。人の髪に、体に、あらゆる表面に不純物が付着している。だから部屋いっぱいのルンバ。部屋=人間+ルンバ。このルンバに満たされた空間の中で、私が体の向きを変えるたび、小さなルンバ達は逆の方向に回り込む。

2018-08-25

学歴フィルターは何も悪くない

悪いのは「学歴フィルターをかけていると認めては駄目だ」という風潮。

言うなれば建前社会が皆を苦しめている。

堂々と「うちの会社採用効率的に行うために学歴フィルターをかけています。ただし、資格経験についても考慮いたしますので簡潔に添えて頂けると助かります。」とハッキリ言える会社を目指すべきだ。

その会社は間違いなく風通しがいい

2018-08-14

タイトル結論を述べろ

タイトル結論を述べてほしいという気持ちを歌にしました。聴いてください

読みたくなるほうの記事タイトル

オレはコラムコラムもどきを読むとき

10年間付き合った彼女10分でフラれたたった一つの出来事」みたいなタイトルよりも

電車うんこを漏らしたら彼女にフラれた」みたいなタイトルのほうが好きだ!

同じ理由でもしも自己啓発本を読むなら

「デキる男の女性には言えないたった一つ特徴」よりも

「デキる男はうんこデカイ!」のほうがオレは読みたい!!!

デキる男シリーズは総じて胡散臭いが、「nつの◯◯」みたいなやつは飛び抜けて胡散臭え!


気になるのは結末ではなく詳細(主観)

結末が分かった上で、出来事のもの面白そうだから詳細が知りたくなる!面白い!

「たった一つの◯◯・・・その正体は?」

気になる◯◯はCMの後で!続きはwebで!会員登録で全文を読む!

結論を勿体ぶった挙げ句に結局納得いける結論を出さないまま終わる記事が多すぎる!

実際のところ当人結論は出しているのかもしれないが(あるいは意図的結論が出せないテーマを選んでいる)

最後まで読んだのにイマイチ納得できないとかだと徒労だ!落胆市場だ!

「~~な可能性も高いと思われますいかがでしたか?」じゃねえ!!!!思われるなら取材しろ!!!!!!!!!思われるだけの日記情報を名乗るな!!!!!!!!!

クソ記事書くならフィクション描け

テレビ書籍インターネットのクソサイト

1つ1つの勿体ぶりは僅かでも、見るたび積もり積もってゆくストレスにオレは疲れた!頼む!結論くらい先に言ってくれ!

勿体ぶりたいならフィクションが向いてるからそっちでやってくれ!!!!!!!!!

70巻目で主人公死神クインシーハーフだと判明してもワクワクしながら読むぞ!!!!!!!!!

結論を勿体ぶる人は物語主人公になりたい!?政治家TVに出たがる本当の理由

「正体」が分かってしまうと不都合な人が、結論を薄めて薄めて勿体ぶって

途中で本題とは関連性があるようで実はない色んな内容を読まる・・言うなれば

書き手自身物語主人公にしてスター性向上を重視してる人の執筆スタイルなんやろなあ

・・・スタイル可能性も高いと思われます!!

最後

いかがでしたか

皆さんも是非この機会にインターネットを楽しんでみてください♪

2018-08-13

異世界モノってメタフィクションだよね

だって神がいてそいつからチート貰ってるわけじゃん

その世界の神が出てくるって、言うなればアトム手塚治虫が出てきて「ジェットの出力強化してやるか」といってくるようなもんじゃ

メタフィクションじゃん

2018-08-12

オクトパストラベラー観測範囲女子がぜんぜんやってない

個人的にはオルベリク編でグレイグとホメロスの幻影に悩まされまくったからド11クラスタかにはやって欲しいんだが

しかしわたしには拡散力がない、どうしたもの

ゲーム全体の感触としてはフィールド操作感はスターオーシャン戦闘ジョブなんかはブレイブリーデフォルトって感じ

ただし自由度はそれぞれ上の2作に遠く及ばない

どこか懐かしさを覚える昔のRPGの要素が組み合わさって、全体として受ける印象はなんとなくアライアンスアライブって感じだ

アラアラも懐古を目指したゲームだったので、当然っちゃ当然か

ちなみにアラアラは途中で投げた、だいぶ後半になってやる元気がなくなった(そういうことはよくある、FF13もオーファンズ・クレイドルまで行ってクリアしなかった)

シナリオはそれぞれ主人公ごとにある感じで、8人はパーティーにはなるものの直接の利害関係になく、物語は「彼らひとりひとり」に焦点が当たっている

言うなれば彼らの旅はアンソロジーであって、昔ながらのJRPGのように仲間が出会いひとつの状況に巻き込まれひとつストーリーを織り上げていく、というスタイルではない

おのおの目的のために世界を回り、その時々で光が当たっていない別のパーティーメンバーは(特に利害関係はないが)それに付き合っている、という感じになる

それぞれのシナリオ台詞回しに違和感が少なく、入り込んで楽しむのを妨害しない

街の人々にもそれぞれ裏設定があり、フィールドコマンド対応してそれらのテキストを楽しむことができる

そのテキストもなかなか読み応えがあり、ライターの力量を感じさせる

こんな感じで、「それぞれ」を見るとタコ旅はなかなか面白い

ただしそれらを貫き作品をまとめる一つの軸が見えてこない、なんとなく世界個人散逸した面白い物語収集してひとつゲームに納めた、という感じだ

そういう意味アンソロジーと言った(とはいアンソロジーには大抵テーマがあるのだが)

素材はいいので、そこから想像を広げていくのが楽しいかどうかは個人趣味嗜好によりけり、となるかな

そういう意味では余白が多い作品を好む大友ジャンルオタクが向いていると思う

うーむ、女性に向けてPRするにはどうしたらいいんだろうな

こんな文章女子がやってくれるとも思わないし

2018-08-03

anond:20180803203929

言うなれば、「とりあえずセレクトショップで」「とりあえず定番ブランドから」という姿勢が、今の時代とのズレの根幹なんだろうな。

自身個性の追求として、どうしてもセレクトショップブランド品でなきゃいけないなら話は別だろうけど、実際のところはマーケティングありきでブランドを消費して「ダサくない」を買っているようなモンだからな。

今の物差しだったら


「なんでもっと素直にならないの?」


とツッコまれそうだ。

SNSの発展の他に、皆カネがないという世知辛さも出発点にあるんだろうけど、ワンランク上とかブランドとかのマウンティングを介さず、「その人なりのこだわり」を、昔よりずっとストレートに追求できるようになったのは、良い変化だと思う。

ブランドに頼らず、自分センスだけを頼りに似合うものを選ばないといけない厳しさはあれど、そのための情報ネットにあふれているし、他人の顔色伺うよりは全然前向きだし。

2018-07-24

人間って出来ることしかやりたくないんだと思う。

自分メモ】ふと思った。人間って自分に出来ることしかやりたくないんじゃないかなあ。

私は学校宿題先延ばしにして、ダメだと思いつつもゲームしてしまタイプだ。ゲーム自分簡単に出来る。でも、宿題簡単にできない、というか簡単に出来るイメージがないんだと思う。例えば私が高3で、宿題小学生漢字ドリルが出されたらそんなに苦痛じゃないんだと思う。

面倒だし、先に片付けるかあってなるかもしれない。

今、私には夢があってその為には勉強しないといけないことがたくさんある。でもやりたくなくて、ついゲームをしたり動画をみてしまう。夢を叶えたい気持ち絶対にある。でも、ついゲームをしてしまう。それがなんでなのかって考えた時に、夢のための勉強がすごく私にとって難しいんだと思った。

自分に合っている勉強法も分からない。自分に向いている参考書もわからない。あってるか分からないことを延々と続けるよりも、自分に出来るゲームをしていた方が楽しい

考えを整理したいから、私がもしサッカー選手になりたかったらって考えてみる。サッカー選手になれる人って他の人よりも練習してると思う。それができる人がなれるんだと思う。それって言うなれば続ける才能があるってことだよね。根性があると言い換えてもいいかも。(本当はいろんな適正とかあるかもしらないけどここではスルー)続ける才能が私には無い気がする。正直、この人の言うこと聞いていれば絶対プロ選手になれるよ、って言われて365日見張られて、毎日できる範囲のことを指示されないと無理だと思う。

でも、そんなことやってくれる人は絶対にいない。

以上を踏まえて、ここからはそんな面倒くさいけどやらないといけないことをやる方法を考えてみた。

なんて言うか、成功している人は、自分に出来ることをコツコツ積み重ねた人なんじゃないかなって思った。だから例えば自分勉強とかだったら、できるレベルまで落とすのがいいんじゃないかな。私は勉強とかゲームとかでもいきなり難しいことをやりたくなる、だって難しいことがいきなり出来たらかっこいいし、楽だし、時間節約出来る。それでやろうとしてできなくて、やろうやろうと思ってついほかのことをしてしまうんだと思う。

私は夢のための勉強計画を早速、自分ができるレベルまで落とそうと思う。1日20ページにしていたものは、できるレベルまで落とす。多分、どのくらいで終わるのかとか、どのくらいの難易度かって想像できるのが自分似合った、自分ができるレベルだと思う。

自分は小6の勉強ができるようになりたいってことだったら小1の算数は苦にならない、小3の算数は苦になる、っていう風に自分がどこのレベルにいるのか、どこの時点から後回しにしたくなってくるのか簡単なところから考えて把握するのがいいかもしれない。

サッカーの話の続きだけど、365日付いていてくれるコーチがいないんだったら、自分にできるレベルのことを毎日自分自身に提示し続けるしかない。それが出来たら、夢への近道になる、というか私が夢を叶えるためにはその方法しかないんだと思った。

2018-07-13

anond:20180713215613

東日本女子駅伝を中止に追い込みたいとかふざけたことほざいてたよな

放射能が今も危険なのに復興したことにするためのただのパフォーマンスとか言ってた

あと有名なのはベクレてるんだろうな」発言

言うなれば日本で最も成功した放射脳の持ち主」

anond:20180713173510

 いや待て、そもそも俺はトラバトラバ元のトラバ元のトラバを書いていないし書いた覚えがない。俺はトラバ元の文章を読んで不意に、きまぐれに「もし自分の頭がおかしいのだとしたら、おれは自分の頭がおかしいことをどのように認知すればいいのか」と思って、あのトラバあてにトラバを書いただけだ。つまり、俺が書いたトラバトラバ元のトラバ元を見返し、「このトラバ元のトラバ元を書いたやつは頭がおかしい」と考えたとしても、それはトラバ元のトラバ元になりすましトラバを書いた俺が頭がおかしいことの証明には成りえんのだ。

しかし、俺がトラバトラバ元のトラバ元のトラバを書いていない、すなわちトラバトラバ元のトラバ元のトラバ書き手が別人であるということは、はてな匿名ダイアリーにおけるビッグブラザーたるはてな以外には知りえないし証明し得ないから、俺のトラバトラバ元のトラバ元のトラバトラバトラバを書いた俺がトラバトラバ元のトラバ元のトラバを書いた人間と同一人物であるしか見なしようがない状態にあるわけだ。

するとだ。もし俺の頭がおかしくないのだとすれば、俺が説明材料としようとしていたこと……俺の頭がおかし可能性についてみずから言及し、少なくとも俺は俺の頭がおかし可能性について考察出来る程度の一定論理性をその身に有していることになるし、俺は「俺は頭がおかし可能性を有しているが、頭がおかし可能性を有しているという事実を自ら導き出し、俺自身意思によってそれを承認出来る程度には、頭がおかしくなっていない」と言えるかもしれない、という状況が、根本的に変質してきてしまうんだ。

 俺は俺が書いたトラバトラバ元のトラバ元および俺が書いたトラバトラバ元の会話上に、言うなれば「“トラバ元のトラバ元”と“トラバ元”という2つの人格しか通常認め得ない領域」に入ってしまったがために、意図せず俺は俺の人格としての固有性の一切が認識されない空間の内部へと、割り込んでしまった――俺が俺としての人格承認されない空間に割り込んでしまったのだ。さらに言えば、それがために、俺は自ら“俺固有の理性”というもの放棄してしまったのだ。そして、俺が“俺固有の理性”を放棄してしまったがために、俺が考える「俺の頭がおかしくないことの説明」は一切の意味を持たなくなってしまった。それは仮に「俺は頭がおかしくなっていない」という絶対的事実を俺が有していたとしても、“俺固有の理性”が承認されない空間では、「自分のことを自分ではないと言っている頭のおかしいやつ」にしかならないし、“トラバ元のトラバ元”と“トラバ元のトラバ元のトラバトラバを書いた俺”とがそれぞれ別個の人格を持った人間であるという認識他者に強いたところでそれは証明し得ない事象に対する「自分はこのように感じられるからそういうことにする」という相対主義理屈……「私はあれがシカクに見えるが、お前があれはマルであるというのならマルであるということにしてもいいし、そういう解釈をすることもできる」という話にしかならない、ということだ。だから、“俺固有の理性”のゆらぎが収束することはなく、どちらにしても「俺が頭がおかしくないことの説明」は何の意味もなさないわけだ。

しかしながら、ここまで考えたところでなんだか俺はよくわからなくなってきた。俺がトラバ元のトラバ元とトラバ元の二人格しか承認し得ない空間に割り込んで俺固有の理性を放棄してしまったところまではいい。しかし、俺が俺が書いたと認識している今俺がトラバを書いているトラバトラバ元にお前がトラバを返したということは、つまり俺は“俺固有の理性”をお前に知覚されたこと、承認されたことにほかならないのではないか

だとするならば、今俺がトラバを書いているトラバを書いたお前に「お前は頭がおかしい」という返信を俺が送られたのならばだ。お前が俺のトラバに対して送ったその文言が持つ意味に反して、「“俺固有の理性”の復活」を意味するのではないのか? ――だって、“俺固有の理性”を喪失させた今俺が書いているトラバ元のトラバ元のトラバ元のトラバ元の人間は、このトラバを受け取っていないわけなんだからトラバ元のトラバ元のトラバ元のトラバ元の人物と、このトラバとこのトラバトラバ元のトラバ元を書いた俺という人格は、俺の現状の認知上でははっきりと区別できる状態になっている。俺が有している「俺自身認知への疑義とその疑義承認」が意味を持つことになるのではないか

まったく、頭がこんがらがってきた。そもそも今俺が書いているトラバトラバ元のお前は誰だ? そもそもお前こそ、お前が確かな認知の上に事物を適格に知覚し遠隔的に今俺が書いているトラバトラバ元のトラバ元のトラバ元のトラバ元のやつとトラバ元のトラバ元のトラバ元のやつそしてトラバ元のトラバ元たる俺という複数人格が並びたつトラバに参画し発覚している事実をもとに正確に論駁しているのだといった顔をした不明確な人間――あるいは新たな“自分固有の理性”の喪失者ではないのか? お前は自らの手で喪失していた俺固有の理性を復活させたしまたそのことでこれまで前提となっていた諸条件をほとんどまったく打ち壊してしまったのだ。お前がトラバを送ったことでお前が踏まえていた諸トラバの均衡がまったく崩れてしまったのだ。そしてそうなった現在の時点におけるお前のトラバは全く意味を成さないし承認に値しない。俺はお前が俺に付けたトラバを退けるぞ。俺がお前の意見承認するのは、お前がお前が崩した諸トラバの諸条件をお前の理でもって再び正してからだ。さあ、お前の番だ


こ の ま す だ は ね た で す ほ ん き に し な い で く だ さ い

2018-07-03

チャットモンチーの「完結」に寄せて その1

昨今の邦楽事情はてんでわからない。ロックの何たるかを語るだけの知識素養も持ち合わせていない。だがしかし、一つの時代がまもなく終わる、と言っても過言ではなかろう。

来月をもって、チャットモンチーというロックバンドが「解散」する。本人たちは解散を「完結」と称している。当初はこの表現にうすら寒さを覚えた。なにカッコつけてるんだよ、脂がのってきたのになんで辞めちゃうんだよ、という憤りが先走り、サムいと思った。

それでも、彼女らの系譜をたどり直し、彼女らの音楽を改めて聴いてみた。すると、今回の件はまったく「完結」としか言い表せないこと、さらには「チャットモンチーは既に終わっている」としか解釈できないことがわかってきた。

チャットモンチーへの弔辞と、メンバーへのはなむけの言葉として、思うところをつらつら書いてみる。

といっても俺がチャットを聴き始めたのは最近のことだ。

昨年1月松居大悟監督映画「アズミハルコは行方不明」を観た。地方都市の倦怠に呑まれながらも強かに戦う女子たち。その生き様暴力的な鮮やかさで映してみせた傑作だった。大都会トーキョーで漂泊していた俺には特に身に刺さるところが多く、新宿武蔵野館で悶絶したことを覚えている。

この映画主題歌が、チャットモンチーの「消えない星」だった。https://www.youtube.com/watch?v=EUin6rB1Yxw

不安言葉にかえて 言葉をくちづけにかえて 夜の永さ 見ないように 待つことにした”

チャットモンチーというのが、かように豊饒言葉を紡ぐバンドだとは知らなかった。松居監督オファーを受けて書き下ろしただけあって、女の子の儚さと逞しさを描いた映画を締め括るのにふさわしい曲であった。シビれた。

それからYouTubeチャットの曲をザッピングし、程なく「シャングリラ」をヘビロテするようになった。

それまでの俺の中でのチャットイメージは、「数多くの流行りのバンドの一つ」であり、言うなれば「あっち側」の存在として勝手に押し込めていた。おそらく、「風吹けば恋」の(表面的には)爽やかな印象が無意識のうちに刷り込まれていたのだろう。2008年から俺が中3のときだ、この曲が制汗剤のCMに使われて流行っていた。

”走り出した足が止まらない 行け! 行け! あの人のところまで”

俺にはほぼ縁がなかったピュアピュア恋愛に胸を焦がす、爽やかな汗が夏空に飛び散る、隣のクラス運動会応援歌に使う、スクールカースト上位層の女子たちがカラオケで歌ってやがる……

ここまで読んでピンときた方もいるだろう。中学の時分といえば、流行もの必死に抵抗するイキった奴がクラスに一人はいものだ。ちっぽけなアイデンティティーを保つため、そして劣等感を秘匿するために。そいつが俺だった。

ましてや小学5年以来の筋金入りの中島みゆき信者ときたら、もう手の施しようがない。ステージ4の中二病末期患者である。かくして俺はチャットモンチーなぞに目もくれず、ポータブルMDプレーヤーで「旅人のうた」を再生して感傷に浸るのであった。

それから10年を経て、チャットモンチーへの偏見が解けることとなる。件の「風吹けば恋」を聴いてみよう。のっけから衝撃的な歌詞である

“はっきり言って努力は嫌いさ はっきり言って人は人だね”

スポ根とか精神論は俺が最も嫌うところだ。かつ、そんな奴らへの醒めた目線。メラメラやキラキラ放擲すれば、ひとまず自我は保たれるし、自我肥大化に慢心もできる。しか歌詞はこう続く。

“だけどなぜ窓ガラスに 映る姿気にしてるんだ? だけどなぜ意地になって 移る流行気にしてるんだ?”

そう、そうなのだ。「これでいいんだ文句あっか」と居直るには、まだあまりに青すぎた。情熱栄光を諦めるには、まだあまりに若すぎた。後半の歌詞は、「多少無理してでも流行へのアタッチを試みる」とも、「意地張ってるけどやっぱり流行ものは気になる」ともとれる。いずれにせよ、羨望と嫌悪がないまぜになることはしばしばある。冒頭十数秒でこれほど揺さぶりをかけてくる音楽があるだろうか。

この葛藤をくぐり抜けた先に、前掲のサビが拓かれるのだ。故に、サビだけ切り取って堀北真希を先輩のところに走らせるあのCMは罪深い。「でもやっぱり」を捨象して、さも純情な青春ソングであるかのように仕立て上げている。

さて、資生堂への怒りとともに考えた。お前はどうなんだ。「走り出した足が止まらな」くなることはなかったのか?いやあっただろ!恋に恋していただけだったとしても、どうしようもなくどうしようもないことをしていた。肥大する自我に執着しつつも、何か圧倒的な他者の介入によって自我が瓦解することを待ち望んでいたのではなかったか

ある種の歴史認識が転換された。勝手に頭の中で理屈をこねくり回してあの不可解な時期を言語化してるきらいは否めない。それを差し置いても、俺のパラダイムシフト惹起するだけのパワーを与えてくれたのが、チャットモンチーだった。(自己認識の転換を迫るという点では、「majority blues」も凄まじい。こちらは橋本江莉作詞。“みんなと同じものが欲しい だけど みんなと違うものも欲しい” https://www.youtube.com/watch?v=xVi0jwNXe3A

中学ン時、誰か無理やりにでもこの曲を通しで聞かせてくれる奴がいればよかった。チャットモンチーのものはもちろんのこと、「風吹けば恋」を作詞した高橋久美子との邂逅がえらく遅れてしまった。

後に俺は、10年間のすれ違いをひどく悔やむことになるのだった。

まだまだ書き足りませんが今日はこのくらいで。続きはまた書きます

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