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2019-03-23

子育てネタで盛り上がっているので自分からも一つ

子ども責めるような言い方を完全に学習してしまっていて、どうしたらいいのか悩んでる。

何かをしてほしいときは「〇〇してくれないし!」である

例えば、「靴はかせてくれないし!」とか「食べさせてくれないし!」など。

言うなれば子供が望む状況を忖度して先回りするのが当たり前で、子どもが当然だと思う状況になっていないことを責めるような言い方をしてくる。

こちらもたまにカチンときて「だから何?」と答える。

しばらく問答すると「お願いしたのに聞いてくれないし!」とまたブチ切れる。

「お願いしてなかったよね!」と追及しても、「お願いしていた」と言い張る。

多分、「〇〇してくれないし!」がお願いすることだと思っているようなんだけれど、どうやって理解のずれを修正したらいいのか全く分からない。

すでに何度か指摘しているけれど、いっこうに言い方を変えない。

物事には言い方ってものがあって、ちょっとした言い回しによって相手がやる気になったり相手の反感を買ったりすると思う。

英語圏絵本に"Please and Thank you"というのを見たことがあるけれど、日本でも「お願いします」とか「ありがとう」とか言ったほうが頼まれたほうも喜んでやりやすいと思うのだけれどなあ。

書きながら思い出したけれど、幼稚園に行くと親がびっくりするような悪い言葉遣いを覚えるというけれど、この言い方を覚えたのも幼稚園に入ってからだったな。

2019-03-19

仕事がない

と言っても就職はしている。

一応正社員

仕事がない。

強いて言うなれば次に入りそうな仕事の事前準備と勉強みたいなことをしてる。

それもちんたらちんたらやって1日1時間もあれば終わるほどの。

なのであとはたらたらネット見たり。

こんな状態がもう1ヶ月半。

それでも給料でるのだけど。

会社的にはガンガン稼いでる部署

今日も忙しくしてるので潰れる心配はない。

上層部も主力が忙しくて、仕事なくて暇にしてる人を気にかける暇がないもよう。

まあ来月から仕事あるようなので期待してる。

世の中やれブラックだとめっちゃ働いてる人もいると思うけど

自分みたいに仕事なくて会社でダラダラしてら人結構いるよな?

わざわざ名前だして言わないだけで。

よかったら今日どんだけ暇だったか教えてよ。

2019-03-16

作品に罪はないと言う言説がまた沸いてるけど

んなことねーだろ。

言うなればドラッグ二次服用みたいなモンだろ。

ドラッグ漬けの人間が作ったもんにドラッグの影響がないわけがない

こんなこと考えなくてもわかんだろ

ドラッグ前後で曲調が変わった人間だっている

それなのに作品には罪がないとかよくいえたもんだ

二次的服用でうっすいドラッグ中毒を生み出してるものに罪がないわけがないだろ

2019-03-10

怒る時とかに感情的になられるのが嫌って

嫌になって反省出来ないとか逆に同じレベル以上に感情的じゃん

聞く度???ってなるんだけど

しか中高生とかならまだしも普通に仕事してる同じ年齢くらいの人が若い世代代表みたいにしてそういうの言ってて本当に凄い嫌なんだけど

もし自分に原因があって相手が怒ってる状態理性的でいるより感情的になる事が問題解決の妨げであるとか問題解決を優先すべきだって言うのなら、原因である自分こそ理性的であるべきで相手感情的になってようと関係ないし、というか相手の怒りはむしろ進んで思考材料とすべきだし、原因から筋道辿って自分に何かしら不備があったのなら自戒として改めたりそれを口にするなり何なりすればいいだけの話じゃん

そこでうるさく言われて嫌な気分になったら反省とか出来ないでしょ、ってなるのは自分こそ超感情優先で動いてるじゃんって思う

だって怒られてる内容/論理じゃなくてその声の大きさや怒られてるって事実自体が嫌なわけでしょ

理性では少なくとも何か自分が悪いって事は分かってんのに感情面でそれを否としてるって事なんだから感情的じゃん理性とは真逆じゃん

声荒げないのが理性的勘違いしてんのかなって思う

自分がやった事への責任やその代償、自分が変わらない事での自分や周囲への影響より感情面優先させて意思決定すんのは普通に感情的人間だよ

しか反省出来ない、って表現ってそういう自分の行動が原因になってこれから起き得る、今起こったのと同じような問題の影響の責任までその相手にあるってそういう言い方なんだよね

あんたがそうやってこっちの気分悪くさせて反省出来なくしたからまた同じ事起きるかもねってそういうの

相手感情相手が周囲へ配慮する、影響考えるその気持ち人質に取った一種の脅しだよね

そういうのをそこまで自己分析言語化も何もしないまま自覚ないまま口にしてる

ていうかそもそも問題解決のための理性的論理問題によって影響が及んだ側の感情対象人間であるなら引き離すべきものじゃないし、引き離したって大方何の解決にもならないって散々言われてる事だし

実際相手感情的な面を新たに問題の原因だと定義して自身への影響面で同じ事を繰り返さないようにだとか反省するために一定状態以上の気分の維持が必要なのにって主張してるわけでしょ

感情面の尊重を求めてる時点で問題解決過程感情的であるべきでない、って主張は矛盾するよね

その定義の仕方自体、元を辿れば自分が原因であるって部分を無視してて相手感情的になるのは自身が原因だとしても嫌だけど自分相手感情的になるのは別にいいっていう超自己中心的自分勝手な話だけど

たぶんそれが問題解決における近道だと思ってるから正答だと思ってて、だから矛盾自分勝手さも関係無いって思ってるんだと思うけど

結局その近道って問題の発生から解決における道筋においての近道で、間にある自身が原因になった事での影響とそれを訴える側から意見への受容って部分を勝手にすっ飛ばしてて、影響あった側が飛ばすのは分かるけど原因作った側がそれいらないよねホラ近道じゃんって言う傲慢さのやばさたるやって感じだよね

問題起こした人間が怒ってる相手に対して感情の出し方もその範囲問題解決方法もこっちで決める、こっちが機嫌損ねるような事言ったら反省なんてしないってそう言ってんだもんやっばいよ

原因に向けた怒りや悲しみの発露って言うなれば相手への訴え、手段としてのその責任への代償を求めるに至った事への倫理的説得性の補強行為なわけで、それがあったら反省できないとか言うの逆に笑っちゃう

感情的になる事が逆に説得力を欠く事になるって意見は分かるし、実際解決方法として用いる分の手段のはずの感情をぶつけるそれ自体目的なっちゃってる人もいて、そこの部分に辟易するのも理解できるんだけどでもそれはあくま論理に対する説得性に関しての部分で、その原因が引き起こし感情に関して自体とそこへの責任否定するものではないんだよね

正論だどうこう言ってる人はそこを同じ感情って部分で混同してると思う

ていうか何で混同できるんだろう違和感無いのかな

教育の場だと感情に対する責任教師相手のものからは問われない事が多いからその意識をそのまま社会出てまで当て嵌めちゃってるとかなのかな

学校なら授業料払って学ぶ権利を得ていて法的にもまだ人として未熟だとされてる以上、学校側もあるところでそれを職務としてそこで問題解決する場合に原因となった人間への対応として説得性の部分や当人理解反省が優先される方法を取って行くべきって主張はある意味正解ではあるとは思うけど

それが特異な環境である事を理解しないままそういう関係感を社会に出てまで引き摺ってるのだとしたら勘違いも甚だしいなって思う

学校でも生徒間の問題感情面の責任についてむしろ言及される傾向にあると思うけど基本的にそこで怒られる状況があるなら第三者である教師にって場合ほとんどだからそこを分けて別のもの認識してて自分問題を起こして影響を及ぼした相手当事者意識を持って感情面の責任も含ませ自分を責めるって状況自体理解できてないのかもしれない

実際どうかは知らないけど

普通に考えれば解ると思うんだよね

問題があってその原因が自分にあるならそこにはその責任と代償が伴うっていうのは当たり前だし

その原因に対する責任においての再発防止策のひとつ安易だけど自省するって事でしょ

自分がやった事で相手が怒っててその相関性常識的ならそこで引き起こされた相手感情面の問題にも少なから責任は発生するっていうのも普通の事だし

その責任の代償として露にした感情を受ける事を相手側がこちらに求める権利は当然あるし責任に対して受け入れる義務もあるって主張も理解できるじゃん

その原因作ってそういう状況にしたのは自分で、そのせいで相手に発生した権利を認めないって意味わかんないし

別にその権利行使された結果そこでうるせえわって思うのも大袈裟なんだよって思うのも自由だけど少なくとも感情を出す事を相手が代償としたんならその選択の自由を原因作った側が制限する、制限出来る権利があるって思ってるのはほんと頭おかしいなって思う

説得力を欠くって問題がもしあったとして、それは問題を追求する過程でのやり方の話で問題の影響に対する責任への代償とは別の話なわけだし

そもそも問題の原因とされる事が不服でありその説得性という面で納得が出来ないので責任も無く代償も必要ないって言うなら解るけど、反省すべき事だと自覚がある上で問題解決方法が気にいらないか責任は取らない、それは責任に対して代償を求められたからって意味わかんないんだよね

その状況で相手感情的になってる理由理解せずそれ自体非難するのって責任放棄、もしくは責任を認めない、理解してないって表明だし、それじゃ反省する気なんて起きないっていうのは同じく責任を認めない、理解してない、その上それ自体責任まで相手押し付けものって話なわけでしょ

自分が何言ってるかも解ってないのかなって思う

感情的になる事自体否定的だ自分感情なんだから原因が別にあっても自分コントロールすべきってスタンスならそれはそれで理解も出来るけど、でもそれならやっぱり相手が怒ってる事で自分が気分悪くなった責任自分で追わなきゃ矛盾するじゃん

ていうか問題解決の折に感情的な面を材料として捉えないのは逆に理性的にと言いつつ感情的主観的に忌む対象排除しているというだけで全然理性的でも何でもないんだからそういうのは中学高校生ぐらいまでにしといて欲しいって思う

そういう事言う人ってたぶん凄い主観的共感性低めだから分かんない部分があるのかもしれないけど立場変えて一度どういうもんか想像してみればいいのになって思う

クッソ嫌いな奴のやった事のせいで自分や大好きな人や大好きなキャラが怒ったり泣いたりしててその原因作った本人が何でそんな感情的になんの?声でかいし気分悪いし反省する気もなくなるわって言ってる姿思い浮かべてもその通りだなって思うのかな

映画とかでそんな場面あったら普通にヘイト集めるためのシーンだなって感じだけど

その人が言う通り反省して貰うために気分を損ねちゃいけないから怒るとか泣いて責めるなんてそういう自分達の気持ち二の次にして気を使ってあげないとって思うの?

反省できずに同じ事が起こったらそれは自分達が悪いなって?

泣いてる子に対してこの人の気分を害したお前のせいになるよって?

だったらそれは逆にもういっそ凄いねって思う

自分やらかし場合相手感情的になる選択権利勝手にどうこうする根拠には全くならないけど

結局自分が原因にも関わらず相手感情的な訴えより自分の気分を優先するっていうのはただ自分相手の事なんて、相手自分の行動でどうショックを受けたか、傷付いたかなんてどうでもいいってだけで、諭してくれないと、なんてそもそも何かやらかしたのは分かるけど何が問題理解してない、どう思ったかは言っていいけど感情的表現するのはやめてくれ、でも自分は嫌だと思って気分悪くしたら態度に表れるし反省できないよ、なぜなら感情的表現するからってそういう話でしかないと思う

やっぱりただ自己中なだけだよ

自己なのは自由だし自分人生だし自分人間関係からどうでもいいと思うならそれでいいけど

怒る声苦手だしそういう性格から悪いの分かってても怒られると良い方には行かないんだよって言うならそういう人もいるからって思うし否定しないけど(それでも責任に対する代償は負えよって思うけど)、その良い方に行かない原因が自分性格じゃなく相手人間性にあるって思うのはやばいしその歳でそこを理解できてないのもやばいなって思う

自分が言ってる事もやってる事も普通な事でむしろおかしいのは相手だって思ってる感じが

20年近く生きてて自分の事何にも解ってないじゃんって思う

解ってないのは仕方ないけど解ってない事ぐらい自覚しなよって思う

自分自分が何でそう思うか解ってないのに相手問題あるって根拠なく疑いないのってすごい人としてやばいじゃん

相手によって、立場によって変わるような自分の偏った極々感情的問題正論理性的だみたいに思い込むのはやめた方がいいと思う

ていうかそれをその年代常識みたいな顔して言うのをやめて欲しい

全然理性とは真逆の反応だし超主観的自分勝手傲慢正論でもないし矛盾しまくってて馬鹿みたいだから

ほんとに

2019-03-07

anond:20190307110201

政治家になったらいかんのか?

これは俺の言い方が悪かったな。言うなればローマ人政治家になって「ローマ人しか政治家になれない法」を作ってはダメということだ。

ルールの内容やプロセスに好悪が反映してはならない。

ヘイトスピーチは?

まさしく境界例というやつだ。

昔は差別じゃなかったけど、いまの嫌韓の1万倍汚い言葉使うやつがアメリカにいたから、問題に上がった。

 

ちなみに下のツリー全部俺じゃねーからな。あんま吹き上がるなよ。

2019-02-24

もっと有意義時間の過ごし方

それは、何もしないことだ。

最近やっと分かってきたんだ。

社会的生物としてはそれは×印をもらう行動のように思えるが、

それ以前に人間という生物として自分のことを捉えなきゃいけなかったんだ。

何もせず過ごす時間は何よりも大切で、有意義で、生物の基礎として譲ってはならない時間だったんだ。

他の哺乳類霊長類を見てみろ。彼らは圧倒的に、何もしていない時間が長い。そこに気づきを得るべきだ。

動物人間は違う、などという考え方はただの驕り高ぶりにすぎない。

何もしない時間のことを休息と呼ぶなら、睡眠も似たような文脈で語られることがあるが、それとは別だ。

十分な睡眠も当然、何よりも死守すべき時間のうちの一つではある。

脳のデフラグタイムである睡眠大事だが、それをハードウェアデバッグとするならば、

覚醒時における何もしない時間は、ソフトウェアデバッグだ。

別に瞑想というほど作法にこだわる必要はない。

何もしないでいられるほど、日常タスクやら何やらに追われずに済む時間

それがあって始めて、人間精神は強固な安定を得られる。

精神の安定は、何もしない時間きっかけに始まる自省によってもたらされると考えられる。

自省を「する」という感覚ではなく、ぼーっとすることが自省に「なる」のだ。

自省というと説教臭い印象が出てしまうが、言うなれば自分輪郭を正しく認識するための時間だ。

世界自分境界線キャリブレーションする、ということだ。

そういう機会を失ったまま毎日をすごし、それを何年かつづけると、人間は壊れる。

たいてい肉体よりも先に精神が壊れ、最終的には自殺へ向かうように脳が動き出す。

思うに、鬱になった時点でやっと何もしない時間を得られても、ほとんど手遅れなのだ

不適切コードの上に不適切コードを何重にも重ねたスパゲッティコードが、

致命的なエラーを吐きはじめた時にやっと手直しを始めようと思っても、ほぼ諦めざるを得ないレベルに困難なのと同じなのだ

これは、休日にしっかり休息をとる、という話ではない。

おそらく、睡眠と同じように毎日必要時間なのだ野生動物のように。

1日に何分、あるいは何時間、どれくらい必要かは分からないが、長ければ長いほどいいだろう。

これ以上何もせずにいられない、と自発的に動き出す気になるまでは、ぼーっとするべきだ。

これは個人的体感なのだが、睡眠場合、前日にたくさんの経験をした密度の濃い日ほど、多くの睡眠時間必要になる。

それと同じで、たくさんの情動を抱える人、精神が揺さぶられた日ほど、多くの何もしない時間必要になるのではないか

その点でいうと、このサイトに書き込んだり閲覧したりという行為は、人によるがいたずらに情動を激しくする行為と言っても過言ではない。

増田を利用するのなら、同時にぼーっとする時間も摂らねばならないと考えられる。

2019-02-08

anond:20190208035333

こういうのも守破離なんだろうなぁ

子どものころは自分で何でもできるように、他人迷惑をかけないようにを教えられる。実際、成人してしばらくしたらそれは完成する。

そこからは、逆に自分の不得意なこと・できないことについて、人に頼ることを覚えないといけない。

端的に言えば、助けを求める能力自分の弱みを見せる能力を身に着けるということだろうか。

これは、自己完結するという自分の殻を破るということでもある。

自分の弱みを見せることを覚えたら、他人の弱みを受け入れることを覚える。

言うなれば他人の不得意なことやできないことを引き受けて、共生することを覚える。

そうして、自己完結世界から離れていく。

親でもいいし、職場でもいいから、助けを求めてみな。そうすることは恥ずかしいことではなく、大人としての能力を身に着けるってことなんだよ。

2019-02-07

Vtuberゲームプロジェクト」がすごい

最近またVtuber話題なので、私が好きなVtuberゲームプロジェクト」の魅力についてひたすら語ろうと思う。

ゲームプロジェクトとは

ゲームプロジェクトとはVtuber4人組のユニットである都内高校ゲーム部に所属する生徒4人が、部活動の一環としてVtuberをしている、という設定。ゲーム部は4人のVtuberで一つのYouTubeアカウント運営している。実際には株式会社バーチャルユーチューバーという企業運営しているIPである

ゲーム部の特徴

ゲーム部の動画ではキャラ設定台本比較的かっちりと決まっている。アドリブ生放送では中の人感が透けて見えるが基本的キャラのロールプレイは守られている。日常動画に至っては恐らくコンテが切られていて、ほぼCGアニメと同じと言える。

動画構成する脚本、声の演技、編集ゲームプレイングなど個々の要素のクオリティが高いため、恐らく各種のプロ合作であることが推測できる。

ゲームの戦績

特筆すべきは、このVtuberたち、ゲームがめちゃめちゃ上手いという事であるポケモン初心者の私でもゲーム部長の夢咲楓さんがポケモン超上手いことは理解できる。(他メンバーも凄いようだが私には評価できない。でもみんな好き)

ポケモンというゲームは三ヶ月に一度、世界中の全プレイヤーの戦績が発表される。夢咲楓さんは、その中でほぼ毎回コンスタント10位以内を取り続ける実力者である

アニメキャラ現実に食い込んでいる

美少女JKだけど実はチート級のゲームスキルを持っている」というキャラクターはアニメラノベなどでありがちな設定だ。これまではアニメラノベからこそこんな設定のキャラクターを作ることができた。フィクション世界でそういうキャラを創り出すのは簡単で、ラノベにそういう設定を一行書き足せばいい。しか現実プレイヤーランキングに食い込んでくるとなると話が違う。ゲーム部の画期的なところは、そんな最強アニメキャラクターを現実世界に半実在させたということである夢咲楓は永遠美少女JKでありながら、PGLの中に確かに実在する。そしてポケモン人生捧げてるような世界中の並み居るガチプレイヤー達を打ち負かしてランキング上位に躍り出ている。

会いに行ける

去年のTGSゲーム部に会えるイベントが開催された。参加者VRHMDを被り、仮想空間の中でゲーム部のキャラと一対一で交流することができる。参加者には目の前にゲーム部の面々がいるように見えている。さながら握手会である。このイベントが今後も行われるかは不明だが、他のVtuberでも同様のことができる可能性は大いにある。

要するに言いたいこと

複数プロクリエイターが協力し合いCGキャラクターを動かすことで、従来のニコ生アニメとは違った価値を生み出すことができる。個人的には監督がいて脚本があってコンテが切られていればそれはもうアニメだと思っているが、ゲームプロジェクトアニメ性質を持ちながらもプレイヤーランキングの中に実在しているし、生放送視聴者相互作用することもできる。言うなればインタラクティブな「生きたアニメ」「会いに行けるアニメ」という全く新しいコンテンツ可能性を示したのだと思う。

※(余談)ポケモンというゲームについて

これは本筋から少し外れる話だが、ポケモンというゲーム性質について言及しておきたい。

数年前、googleAlphaGOという囲碁AIプロ棋士を打ち負かして話題となった。囲碁における石の置き方は10^360通りあり、どんな打ち方が最強なのか未だに確定していない。(ちなみに観測可能宇宙存在する電子の数が10^87以下とされている。)囲碁には二千年の歴史があり、競技人口もそれなりに多い。つまり人類2000年かけて探索してきた歴史ある定石とされるものが、コンピュータシミュレーションによってあっさり覆されたということだ。それどころか人間がこれまで思いもよらなかったような強い定石がAIによってどんどん産み出されているので、世間に衝撃を与えAIブームの発端となった。

何が言いたいのかというと、ポケモンも(ちょっと大袈裟だが)これに似た性質を持つゲームだということ。約800種類のポケモン(レートで使われるのはせいぜい100種類だが)それぞれにタイプ個体値種族値努力値性格特性、わざ構成、持ち物など無数の隠しパラメータがあり、育て方に無限パターンがある。それらを6体組み合わせて戦術を作る。戦闘では相手PT戦術予測し3体を選出、各ターンで何をするか臨機応変判断必要となる。相手の裏をかくといった読み合いもする。PT構築の時点でメタゲームが始まっており、何のポケモンが最強なのかは誰にも分からない。酷い時は一週間単位で強いとされるポケモンが変わったりする。戦闘中はダメージ計算必要だし(わざの威力の表れ方は毎回乱数で変わる)、上位勢の間では毎試合スクショを取って記録、環境分析する者も普通にいる。

ポケモンガチろうとすると考察計算だけでなく、時間的リソースもかなり消費する。育成や厳選にも相当の時間コストがかかる上、ポケモンを入れるボール色違いに拘る者も珍しくない。(ちなみに色違い意図的に作るためにはサブロムを買って外国語設定で二周目をプレイするなどの手間をかける必要がある。)そのためポケモンガチプレイヤーはしばしばポケ廃と呼ばれたりする。

そして、、夢咲楓さんのプレイングは可愛い顔や天然な性格優等生な立ち振る舞いからは想像できないほど、エグい。ニコニコしながら躊躇いなく厨ポケを使うし、批判されるようなプレイングをしてでも泥臭く徹底的に勝ちにこだわる。ほぼ負けが確定した試合でも、諦めず、限りなく細い勝ち筋を必死にたぐり寄せていく姿は圧巻だ。

彼女は、そんな厳しい、そして世界中の老若男女から愛されるポケモンというゲームで、最高レート4位の偉業を成し遂げている。今現在も1位を目指して努力を重ねていることだろう。

2019-01-29

美女と野獣へのルッキズム批判だとか

映画チラ見して当時の物申すみたいな勢いの美醜周りへの批判とか思い出して色々考えたから覚書き

その当時の批判の主流は心の美醜が見た目に繋がるような表現違和感があるみたいなのでそこに繋がる感じで野獣が王子に戻ったラストに心云々言っといて結局それかよ、美男美女かよだとか野獣の方がかっこいいしとか野獣のままでハッピーエンドでいいじゃん的なのが付いて回っててその時はあんまよくわかねえというか最初の以外はそれ批判以前のただの感想やんけ!(感想自由)ってなってて(最初違和感にも違和感があったけどそのままにやってた)それで今改めて考えたのはそもそも美醜で人間判断してた王子ベルという美しくはあるけどそれに囚われない知性ある女性と心で惹かれ合い醜い心の象徴とするその野獣の姿で愛を成就しなんてざっくり内容からし物語としての教訓は見た目で判断する事の愚かさ真の愛はそこに囚われない(ロマンチック)って事だろうしベルの美しさはディズニーにおいてのプリンセスヒロインに課せられるメタ的なルッキズム価値観によるものでも当然あるけれどそれは美女と野獣という作品への批判としては的が外れているように思うしむしろこの作品においては美醜を扱う上でベルが美しいとされ知性や冒険心と並び持つとする事でこそその中からベル自身が何を選び大切にするかの選択意味を持ち生きてくるように思うから王子の美しさと共に決して物語必然性のない美貌ではなく魔女のそれにしてもまさにルッキズム的な王子に対する皮肉としてで解ければそこを否定する事になる呪いを与えてるとこからもむしろルッキズムを悪としているようにしか見えなくて批判で言われてた違和感への違和感の正体はそこへの漠然とした何でこの話でそんな事思うんや…というやつだったんだと思う

それはガストンに顕著で元々アニメヒーロー的な外見でハンサムという設定ではあったけど見ようにはそうでもないキャラクターデザインだったガストンに実写でルークエヴァンスがあてられた事で美しい見た目に美しい心が宿るというようなルッキズム否定するキャラクターとして野獣との対比もよりはっきりとなってそのハンサムさはベルや野獣の心を引き立てる装置としてやっぱり皮肉的に使われたわけだから作品としてルッキズムに則るのならそれこそシンデレラ最初アニメ作品うごとにそうでなくなっている)のようにガストンルッキズム的美醜観において醜いか善い人間であるべきで敢えてそうしていないのはそれがメッセージの一旦であるという証拠でもあると思う(すごいぞガストン

じゃあ何でそんな批判を思うのかとも考えて単純に物語としてじゃなく表現の部分部分に気を取られちゃう形になっちゃったのかなっていうのと後はそういう発想それ自体が単なる美醜じゃなく絶対的客観的な美がカーストのように存在するというようなルッキズム的前提でもって無意識にでも恣意的になされているのじゃないかって事で冒頭で野獣のかっこよさを示す事を批判以前の感想としたのは王子という美しい存在に対する醜いとされる野獣という構図の上で野獣の見目を讃えて"美"であるとする事だけではただの作中における美醜の定義への抗議またはむしろ逆に作品ルッキズムであるという批判内容を否定する(野獣を客観的に美しいとするのは作中の醜いという定義は外見を指すものではないもしくはキャラクター主観を越えるものではないとする事で作品として見た目に心を比例させているという批判は当て嵌まらなくなるように思う)もので美を是とするルッキズムであるという前提に立った批判として体を為してないのではないのかと思ったからだけどもでもそれが野獣をかっこいいとする価値観ルッキズム的な本来の(あるとしている)美醜観に沿うものではないのでそこ自体への反発の提示批判の一旦になるのだという発想の元されたと考えれば批判としてはそこの意味に限るなら理解できるしまた野獣の姿を醜いと定義するそれこそをルッキズム的だという意味でのまずそこから違和感であるならとも思うけど批判とやってそこに客観性を持ち出すのであれば野獣をルッキズム的美醜観による被害者であるとするのはその見た目を作品内での単なる主観文化的役割としてでなくルッキズム的な定義によって作品を越えたとこで醜いとやっているわけで本来ルッキズム的美醜と美醜はイコールではなく真理として絶対的な美を定義するものでもないのに作品内での美醜についての価値観を語るのにわざわざそれを作品へ持ち込み批判材料としたのはその当人がそこにルッキズム基準における美醜を見たからに違いなく美女と野獣はルッキズム価値観において野獣を醜いものとしている、という批判はそういう事ではないのかという話で

それらは全部今回自分で当時を思っての単なる仮定であるんだけどそんな批判を挙げたのと同じ層からその後シェイプオブウォーター美女と野獣のアンチテーゼだとする意見が出て(監督否定してた)明らかにそれが"彼"をルッキズム弱者とする前提の上で敢えて美しさと定義しているとやって監督がただ美しいと思うものを美しいと描いているというようなルッキズムとはまさに反対にある主観的美醜観という視点が丸々端から欠如した美しいものをそう描く作品とそうでないものを美しいとする価値観で描く対比の構図と捉えたものだった事を思うとあながち間違いでもないように見えるし(客観的な美しさを定義するとしているルッキズムに美しさは一概には定義できず個人的宗教的文化的ものであるという主観的美醜観で対するのならアンチテーゼとし得るけどそういう論理での批判自分は見かけなかった)美女と野獣のラストを美醜に重点を置き"結局それかよ"と受け取るのも"見目の美しさは心の美しさに比例する"と判断するその過程でその醜さを作品における主観的な域のものでないとするまたそれを見出すのに野獣という存在が含む要素やその世界での立ち位置でなく外見のみに焦点を絞るその視点も(実際フランス版では王子の外見的な美醜より傲慢さが醜さの象徴としてフィーチャーされている)見た目が重要だとするルッキズム価値観に左右されてのものにも思えるし王子の姿にしても野獣の姿から解放作品で醜い心を象徴すると定義されている以上心の変化を客観的証明するためのもの言うなれば愛の象徴であって(野獣の姿はベルに真の愛が満たされていない事を示す)外見なんて関係ないのならそれこそ望まれものであるはずなのにそこを否定するのは"王子の美しさ"という見た目に囚われその他の要素より重要視している事に他ならないのだしそれはまさにルッキズム価値観に則ってまずわざわざ美醜を選り分けてそこからそれらを"美しいもの""醜いもの"という絶対的な前提において肯定否定する事がルッキズム批判になるというような無意識ルッキズムというかそれは言うなら

美しいかいかなんて誰が決めたの?ルッキズムなんて!見た目で判断とか最悪!

というのに次いでの

○○ちゃんだって素敵なのにね!

という言い様で○○ちゃんと○○ちゃん普通にかわいいと思う人間美的感覚ルッキズム基準でそうでないぞと正面から否定カースト内の位置を告げるみたいなものでシェイプオブウォーターにおけるそれは

××くん○○ちゃんのこと好きなの?見た目じゃなく中身で見るんだね!いい事だよ!

もしくは

××くん"には"○○ちゃんかわいいんだね!素晴らしいことだよ!

というようなやつでその上で自分は美醜で人を判断しない公平な人間だと主張するような話でそれは批判として果たしてというかルッキズムへの批判のためにはルッキズム価値観においての美醜を踏襲しなきゃいけないというパラドックスを思ってなのか(そんな必要には特にない)それこそ考えれば考えるほど違和感でいっぱいになるという話で

要はルッキズムとか言ってないでふたりとも愛を見つけてその証に野獣は呪いがとけてハッピーエンド万々歳やんけ!でいいと思ったという話

2019-01-27

anond:20190127042317

ウェブアーカイブにのこってた

 

今年入ってもう3度目の深夜ファミレス

今日今季最強の寒波も相まって身も心も凍えきっている。

───

俺、32歳 都内WEBエンジニア年収400万弱。妻とは知り合って1年ほどの交際を経て去年2月結婚して間もなく1年が経とうとしている。

妻は2こ上で年収は俺の1.5倍くらい。5歳の娘を連れて再婚。今は2人目を身籠って7ヶ月だ。

頭の回転が早く、なんにでも計画的かつやるべきことを完璧にこなしていくスタンスの妻に尊敬と憧れの感情があるものの、目的のためなら手段を選ばないような性格に対して畏怖の念を感じてもいる。去年10月に家を買ったが、住宅ローンは妻と自分連帯債務で半分ずつの借入。俺は貯金が一切無く妻が頭金や手付金周りの手配をした。妻に対して借金があるような状態。当然、俺の立場はかなり弱い。

共働き子供もいるので、家事は分担してお互い不公平にならないようにしている。家事の中で掃除食器類の準備、洗濯食器洗い、犬の世話は俺の持ち分で、毎日行っている。週末にはシーツ洗濯や犬のシャンプー&ブロー、掃除機がけ、風呂掃除なども加わる。

料理は妻だ。

俺は、それら家事生活タイムラインの中で優先順位付けて進めることができないし、抜け・漏れも多い。何度注意されても同じ失敗をする。気が狂いそうになるほど怒られメモにそのことを書いても、また繰り返す。そしてそれができない最たる理由が妻曰く「思いやりがないから」

そうなんだろうな、と思う。

───

例えば、食事をする前にテーブルを拭き忘れることがよくある。

食事をしてる時に娘がテーブルにこぼしたごはんを口にし、テーブルに付着した埃や細菌身体に入り体調を崩したら可哀想。そういう責任を親は持つべきで、責任感持って過ごしていたら自然と「テーブルを拭こう」という発想になるはずである。確かにそのとおりだし、自分ではそういう意識責任感を持っていると思っていたが、妻から日々怒られるなかで、そもそもそういう意識がないんだということに気付かされた。

自分が持ってると思ってた意識言うなれば日曜大工」であった。気が向いた時に娘の健康状態などに注意を向け「今はインフルエンザ流行ってるからちゃんテーブルを拭くなど、徹底した予防をしよう」なんて思って行動するが、ぽっと出の気まぐれに過ぎない。責任感を持つということは「プロ大工になること」なんだ。1日2日やったからおーけーというものではない。生活は一生続いていくことで家事育児をぽっと出の気まぐれでやるその意識は許されない。

遅刻癖もあり、約束時間に待ち合うことのほうが珍しい。13:00 の電車に間に合わせるには 12:40 には家をでないと行けない、そのためには12:30 までに身支度まで完了してる必要がある、そのためには... と、はじめは逆算して行動のスケジュールを組んでみるものの、実際行う時に要領の悪さと集中がそれるなどで時間が過ぎ、結局間に合わないのである。そうすると当然待たせる相手迷惑をかけるし、家を出るのに準備を急いでもらった娘の努力蔑ろにしてしまう。「思いやりがない」から約束に遅れることを自分に許してしまうのだ。

───

まりダメさに病院に行くよう言われ去年の7月あたりに心療内科で診てもらったときの診断は「ADHDの疑いが強い」であった。その時は軽度の抑うつも併発しており、うつ症状がある場合はそちらを優先的に解消することがセオリーとなっているようだ。SNRI系のお薬(サインバルタ)を処方され、2週間ほど飲んだ。気持ちは少し楽になったようだったが、根本的な解決には至らなかった。通うのもすぐに辞めてしまった。

からうつアプローチ検討違いで、根本的な解決をしてもらうようにこちから希望を伝えないといけない、ということを言われ先週また別の診療所精神科に罹り始めた。薬の処方はまだだがまずは本当にADHDなのか検査するために幼少期のエピソードを書いてくることになった。来週再診だ。薬でなんとかなるならなんとかしたい。ブログなどをみていると薬で見える様になった景色をみて、それでなんとかするのはあくま自分努力しないとだめなんだと書いてあった。

───

数々の失態により妻から俺への信頼は地に堕ちた。

怒られ、反省してこいと追い出され、ファミレスへ。今4:13。

努力しようと思う。これは、ぽっと出の気まぐれだろうか。

2019-01-20

トリアージ批判する人の気持ちもわからないでもない

一言で切って捨ててしまえばそれは国家とか社会とか行政に何でも100%叶えてくれるお母さんだとか、神様だとかであってほしいっていう甘えなんだけどさ。

世の中がフェアであってほしい、理不尽なことはなくなってほしいって。

それは甘えだよ、って切って捨てられる人間なんてのは大概がタフ(精神的にだったり経済的にだったり)な人間から言えることだよ。

トリアージ的な考え方で「仕方がない」で犠牲にされる人間ってのは、他人からすれば何百分の一、何万分の一、何億分の一の、言うなればコラテラルダメージってもんだろうけど、

当事者からすれば一つっきりの命なわけよ、言うまでもないんだけども。

そんなのは当たり前じゃん、それが人生だ、それが世の中だ、ってみんながみんな言えるほどタフじゃねぇんだよな。

そんなのは中学生高校生卒業しとけよって言うけど、実のところ卒業した気になって麻痺したり鈍感になってるだけなんじゃねぇの。

から21世紀にもなって三大宗教は残り続けて、カルトもぽこぽこ出てくるんだろう。

からって自分にもできないことを他人無茶振りしてトリアージ的なもの批判なんて馬鹿馬鹿しいけどな。

2019-01-18

案山子凄さをみんな知らない

友達案山子から、飲みに行こうとしぶりに連絡があった。

私は案山子とはもう10年来の付き合いになる。

私が案山子と飲むようになったきっかけは、大学の授業で絶対に落とさない授業というのを2人して落ちてしまたからで、次に落とすと留年決定ということで、自然と2人して一緒に勉強しはじめたことによる。

それ気以来、私たち半年に一度くらいのペースでいっしょに飲んでいた。

内容は他愛のないものである

卒業してから、私は地方公務員就職したので主に人間関係給料の低さに愚痴っている。

一方、案山子の方は、地元の畑で案山子案山子と思わないカラスについて愚痴っていた。らカラスは頭がいいので、よっぽど上手くやらないとただの案山子だと舐められて畑を荒らされるそうである

私たちカラスについて1時間ほど喋っていた。あいつらは、1度は案山子に驚いても、2度目にはもう案山子を舐めきって田畑を荒らすそうである。そこで、案山子がどういう対策を取るかというと、カラスにこう話しかけるそうである

「.あなたたちカラスは、畑を荒らすことか仕事だと思い込んでいらようだが、それは違う。あなたたたちは本来は気高くて気位の高い種族なのだ。鷹と争い、鳶を追い、日本中の畑を自分たち領地とし、さらには案山子監視者として尊重し、そして支配者として認めてもらったのだ?害虫の捕食者として、畑の保護者として上手くやってきたのだ。それが、どうだ、今のていたらくは。今のあなた達は鷹と闘ったことがあるか?他の鳥を寄せ付けない強さを持っているか?闘いなさい。」.

的なことを言って、カラスを困らせるのだ。

しか不思議もので、カラスには鷹と闘った歴史などないのに、実際に自分たちなわばりから鷹を追い出すそうである

それを聞いて、私は案山子という職業をとても面白いと思った。

言うなれば、畑に立っているだけで、鳥やその他の動物支配するようなものではないか

公務員なんかよりよっぽど立派なのではないかと思う。

私は、案山子に頼んで私も案山子の一員になることを申し出た。

答えは「いいよ。」という簡単ものであった。

ということで私は今案山子になっているのだが、私が私だったころよりは、いまのかかしのほうが気持ちが良い、というのが正直な感想である

皆さんも案山子になってみたらどうであろうか。

2019-01-12

なんで三色パンの中身は

カスタードチョコあんこなんだ?

言うなれば三色ふりかけごま塩が含まれるのと同じくらい謎だ。


もちろん、あんこ歴史ある伝統甘味で、根強いファンも多い。

でも、さすがにチョコカスタードと並べるとハズレ感が半端ない

あるいは、チョコカスタードがお子様でも大丈夫的な安心感があるのに対し、あんこだけ大人の味みたいな立ち位置になっている。

たか10代に30代が混ざっている的な?

それとも、兄弟姉妹の子供2人がチョコカスタードを食べて、お母さんがあんこ食べろってこと?

そうだとしても、食べるまで中身がわからないガチャ仕様なんだよなあ…だから多分違う。


てか、子供心にあんこ掴まされたときのガッカリ感は、食い物の恨みに含んでいいと思う。

これ、汁粉とかもそうなんだけど、粉甘いものなんてお子様の舌に合わないって何度言えば(ry

ちなみに粉甘いで済むのはこしあんだけであり、これがつぶあんになると更に食感が大人向けになってしまう。

お前らだって、今でこそ美味しい美味しい言って食べているたい焼きどら焼きも、子供の頃はそんな好きじゃなかったろ?


というわけで、文句を言いっぱなしで終わるのも微妙なんで、対案があるとすればいちごジャム

もう絶対にこれしかない。これなら大人子供安心だ。

でなければ、チョコカスタードずんだウグイスか栗あんのどれかにして、完全に大人仕様で行け。

これまた潔くて次点としておく。

2019-01-05

怪物育児

私は怪物である

身体が大きく力も強く体力だってある。

まれる前から強くあることが約束されつつも、生まれ落ちた後もより強く大きくなることが求められている。

そんな能力に優れた怪物は弱き者を虐げ、器物を破壊し、他者を殺す可能性が高いことは統計からも見て取れる。

そんな怪物である私にも子供ができた。

まれたばかりの赤ん坊はなんと小さなことか。

軽く握ればすり潰すことも容易いと一目でわかる。

世間は言う。我々怪物身体が大きく力も強く体力だってあると。

怪物である私がこの子を抱き上げると私はこの子を殺してしまうのではないか

の子の手を握ったとき力加減を間違えて潰してしまうのではないか

怪物子供と遊ぶ際にアクロバティックになりやす揺さぶられっ子症候群なる障害子供に負わせることが頻繁にあるそうだ。

怪物である私は我が子が生まれる前に、自治体による言うなれば出産育児講習のようなものに出席した。

そこで揺さぶられっ子症候群を知り、更には様々な情報が伝えられた。

我々怪物身体が大きく力も強く体力だってあると。

女子供に対して怪我させる。それは身体的にだけでなく精神的にも傷付けることがよくあるそうだ。

しかしながら育児家事には怪物の協力が不可欠らしい。

誰かを傷付けるかも知れない、何かを壊すかも知れない。

我々怪物身体が大きく力も強く体力だってあるので可能性は常にあるのだと世間は言う。

怪物はいだって怪物である

ただ、怪物自身自分がどれだけの怪物なのかがわからない。

教えて欲しい。私はどれだけの怪物なのか。

2018-12-28

褒められるんじゃなくて愛されたい

表題から察せられる通り、私は人から褒められた経験こそあるものの、他人から愛された経験というのが激烈に乏しい。

友人も少ない、恋人ができたことなんて一度も無い。

正直に言って、これがかなり大きなコンプレックスになっている。

こういうことを言うと、親はあなたのこと愛して…などと言う人がいる。

かに現在、両親との関係は悪くは無いが、ただこれまでに全く問題が無かったかといえばそれは違う。

どこのご家庭でも大なり小なり多少の問題はあると思うが、うちの場合はまず、母親がかなり不安定な人だった。基本的には大人しい性格の人なのだが、ヒステリーを起こしやすい一面があった。母といえど他人なので彼女の正確な心の動きが分かる訳ではないのだが、ストレスが溜まりカッとなる、という感じだろうか。そうなると家の中にある物、大体は家具に当たっていた。明確に覚えている範囲では、子ども用の小さい椅子リビングの壁に投げつけていたことだろうか。これは今でも壁に傷が残っているので、子ども記憶違いではないはずだ。

あと、これは記憶がおぼろげだが、家の中で母が私を足蹴にしたこともあった。実を言うとこの辺は直接その時の記憶がある訳ではなく、よそのお母さんは子供を蹴らないという事実を知り、子どもながらに引け目を感じたとき記憶があるため、多分そうなのだろうという感じだ。

他にも色々、あるにはあるが、とりあえず子供時代の私は母を非常に恐れていた、ということだ。

これはあくまで昔の話であり、今の母は年の功なのか、かなり穏やかな人になっている。その為、現在私と母はそれなりに良好にやれている。

次に父親だが、一言でいえばかなり自己愛の強い人だ。

子どもの頃は、面白い良い父だと思っていたのだが、成長するにつれ彼の精神的な幼さが目に付くようになってしまった。詳細は省くが、言うなれば自分の子相手マウントを取りたがる親なのである

しかすると、この程度のことはごく普通ことなのかもしれない。経済的には、豊かとはいえないまでも不自由しなかったので、その点に関してはありがたいことだと思っている。傍から見れば、大人しい母に明るい父、中流階級程度の暮らし。恵まれている方なのかもしれない。

ただ当人の実感としては、あまり愛情を感じることが無かった。産み育てて貰っておいて言っていいことなのか分からないが。

二人とも子供に対する愛情が全く無いわけではないのだろう。ただ昔の母にはその余裕が無かったし、父は子供への愛情より自己愛が大きかったというだけの話だ。

メンタルヘルス系の書籍を読むと、精神的に満たされない事由の原因は親との関係に起因することが多いらしい。だからといってすべてを親のせいにして良い訳は無いが、まあ納得してしまう部分はある。

恋人ができたことがない、と冒頭で述べた。それ以上でもそれ以下でもないただの事実なのだが、そもそも私は恋愛に縁遠かった。

最近小学生でも彼氏彼女を作ったりするらしいが、私の世代だと、恋愛ごとに興味が出てくるのは大体中学生くらいだった気がする。そして私の中学時代は少しばかり悲惨だった。

私はまあ、生まれ持った顔立ちが可愛くない。ブスなのである。そこに人の言葉額面通り受け取ってしまう真面目さというか馬鹿さが加わってしまった。

中学では制服校則といったものに初めて触れたが、厳しめに作ってある校則部分的には破ることが前提で、先生方もそれを黙認しているようなものであった。

しかし真面目というか、もはや空気が読めない私はそれらをきっちりかっちり守ってしまっていた。髪の毛はおさげ一本結びで一房も出ることの無いよう、前髪は目にかからないよう七三、顔の横にも当然毛は垂らさない。ただでさえブスな顔をフルオープンにしていた。ついでに眉毛も整えたりなんてしなかったため、ボサボサの眉毛晒していた。

そして人から、主に男子からブス、キモいという誹りを受けるようになるのに時間はかからなかった。暴言は常に、一応女なので暴力こそほぼ無かったが、消しゴムをちぎったのを背中に投げられる、くらいはされたものだ。個人的には、私や私が触ったものを汚いもの扱いされるのが心に刺さった。(これに関しては小学生の時にも似たようなことをされた。「○○(苗字)菌」といって人をばい菌扱いして擦り付けあったりするやつ)

中学三年間男からはそんな扱いを受けていたため、結果として男子というのは得てしてそんなものなのかという認識根付いた。

私を馬鹿にしていたのは、何も男子だけではない。

一年生のうちから男子には中傷されるようになったわけだが、そんな中でどうしてか私に親しげに話しかけてくれる女の子がいた。一応、友達グループのようなものがあって、私もその中の一つに所属していたため女の子友達はいた。

だがその子は私のいるグループより遥か上のグループに居る、所謂クラスボスポジションの子だったのである。どうして私なんかに声をかけてくれるのか不思議ではあったが、当時は単純にそれを嬉しく感じていたのである。当たり前だが、それには裏というか、そう呼称するにすらふさわしくないアレがあったのだが。

中学入学当初、私は成績が恐ろしく振るわなかった。そのため親の方針により二年生前から塾通いを始め、成績を向上させることに成功した。だがここで、勉強を始めたことにより脳がよく働くようになったのか、あの女の子が考えていたことにも気付いてしまった。

要するに彼女は、話しかけられた私の反応を見て面白がり、それを同じグループの子と一緒になって嘲笑っていたのである

その後、私がその子と会話することは二度と無かったが、一度そうした悪意に気付いてしまうと、芋づるのように過去記憶が掘り起こされ、疑心暗鬼になるものだ。

失礼を承知で言うと、同じグループにいた友達のことを疑うことは無かった。私と同じグループとは、つまり「地味」なグループのことであり、仲間内で結託しなければ教室内での最低限の権利的なものが危うかったかである

私の中学時代は大半の男子と一部の女子に蔑まれていた生活だった。

それでも友達になってくれた当時の友人には心の底から感謝している。私が中学校に通えたのは彼女たちのおかげである中学卒業と同時にほとんど連絡を取らなくなってしまったが。

中学がそんな環境だったため、私が初めて恋愛ごとに触れたのは高校でのことになる。

中学時代ろくに部活動に励まなかった私は、高校とある文化部に入った。

そして、そこにいた同級生男の子を好きになった。

彼が特別に頭が良かったとかかっこよかったとか、そんなことは無かったように思える。ただ、男子は皆私をキモいもの扱いするのだと思っていた私にとって、何を蔑むこともなく接してくれる彼は特別に見えたのだ。わりと人生最大級に浮かれていた気がする。

だが、彼も所詮男子高校生だった。いや男子高生全てがそうな訳ではないのだろうが、かいつまんで言えば彼は、可愛い女の子コミュニケーションを取れることをステータスだと思っているタイプの男だったのである

この表現で伝わるかどうか分からないが、自分を正しくブスだと認識している私は当然ショックを受けた。彼が可愛い女の子に対してする態度と、私にする態度が同じでは無かったことにも気づいてしまった。

それから程なくして彼は、同じ部活の後輩(可愛い)と仲良くなる。この時点で部活を辞めてしまうなりすれば良かったのかもしれないが、駄目な方に真面目な私は三年間きっちり同じ部室に通い、好きな人と後輩のイチャイチャを見ていた。

勝手に舞い上がった私が完全に悪いのだが、このとき受けた傷はちょっと今でも治っていない。

同じくらいのタイミングで、高校生にもなるともう勉強を頑張るだけでは認められないことも悟ってしまった。

基本的に真面目な生徒だった私は、試験前に先生のところに質問に行ったりしていた。そうした勤勉さを先生は褒めてくれる。それは私にとって少なからず嬉しいことだった。だが、先生別にわたしのことを特別好きではないんだとも思うようになっていた。先生方が好きなのは、成績こそ上位ではないが、愛想がよくて人懐っこい生徒だ。用事が無ければ話しかけられない私と違って、何は無くとも寄ってきてくれるような子が好きなのだ

学校先生だって人間なのだから好きな人とそうでない人とがいて当然だ。

高校で気付くなんて遅すぎたくらいだ。

学校先生だけじゃない、むしろ世の中の人間の大半が私みたいなのじゃなく、懐っこい子が好きなんだろう。

そういう子は、だいたい彼氏がいて、友人も多くて、幸せそうにしてる子が多かった。

ここで私は、ようやく自分の求めているもの理解した。

勉強して、それで褒められたり、評価を得ることは出来る。

でも、それで人から好きだと思われることは無い。

から向けられる愛情は、お勉強いくら頑張っても手に入らないのだ。

そういうのは、(いかんせん愛された経験に乏しいので憶測だが、)可愛い容姿とか愛想とか機転とか、あるいは自分への自信とか、大体私が持ち得ないもので得られるものらしい。

色々ある中で、気遣い笑顔を忘れないでいられるというのは素晴らしいことなのだろう。

だがどうしても意地悪く考えてしまうのである

愛されている彼女たちは、はたして容姿を貶されたり善意だと思っていたものが実は真反対のものだったり、そんな経験をしてきたんだろうか。

精神的に安定した大人が築く家庭で育ったんじゃないだろうか。

少なくとも彼女たちの顔は、私より可愛く見えた。

自分が触ったものを人が触るときに、いちいち怯えたりするんだろうか。

高校で気付いたこ事実は、高校卒業してからもだいたい事実だった。

ついに真面目の殻を破れなかった私は、愛されないまま今日に至ってしまっている。

そして今日も私の周りには、愛されている可愛い女の子がいるのである

の子たちだってそれぞれに苦労したり、努力したりしてるなんてことは分かってる。

でも、私だって少なくとも人並みには辛い思いをしてきた。

勉強も、高校を出てから仕事も、頑張ってきた。

なのになんであの子たちは愛されてて、私は誰からも愛されないんだろう。

この先頑張っても、私が欲している愛情を得るのはああいう子たちなんだろう。

欲しいものが手に入らないのに、頑張る意味ってなんなんだろう。

私が悪いのかな。私の出来が悪いから。真面目なばかりで空気が読めないからなのかな。

少しずつ、お洒落も化粧も覚えてきた。少なくとも中学の時よりはましだ。それでも私が誰かに愛されることは未だ無い。

ひたむきに頑張っていればいつかは手に入るのかな。

いつかっていつだろうな。

愛されないのに何で生きてるんだろう。

2018-12-20

二次元三次元も好きなオタクだが、特定の誰かに対して「この人好きだな」ってフワッとした気持ちは抱くことはよくあるが

「好きで好きでたまらない!」「何十年もこの○○が好き!」「○○が推し!」って気持ちになるほど、言うなれば、愛が燃えるほど誰かを好きになったことが一度も無い。

必要以上に好きにならないという言い方がもしかしたら正しいのかもしれない。

ただやっぱり、二次元しろ三次元しろ、愛や情熱を燃やせるほど誰かを好きになれるのって羨ましいなって思う。

思い当たる原因は一つある。

それは、「私は『人間の肉体』が好きなんであって、特定の誰かを『人として(一人の人間として)』好きなわけじゃないんだな。」という事にある日気が付いた。

前々から薄々思っていたが、肉体美として人を見ている事を自覚した。

「個」としての人に興味もっているわけじゃないんだから、そこまでのめり込むほど好きにならないのは当たり前なんだろうね。

好きな芸能人アーティストも、その特定ジャンルにおける本業としての活動に興味が惹かれるんであって、普段何しているのかとはプレイベートは全く興味ないし。

ここまで自覚した上でもやっぱり、誰かを本能的に好きになれる人は羨ましく思うし

多分、自分はそういう経験を出来ないまま生涯を終えるんだろうなって、心のどこかで感じている。

2018-12-18

anond:20181218091353

テレビ漫画の影響は些少はあれど、年代関係なく発生する「遊び」で、人種個性関係なくどの人間にも発生する「はしか」のようなものだと思って問題ない。

増田にもそういうのを面白いと思っていた時期があったはず。増田記憶から封印されているけれどな。

問題は、ネットはそこそこ「残る」メディアから、目立ってそういう幼稚なコンテンツを好む…言うなれば発達に障害の残る方が出っ張ってなおかつ消え辛いという側面がある。

その結実がエルサゲートのような動画生産するに至るのだから、これはもうなんとか避けるように努力するしかない。

運悪く受けたとしても、それはそれで問題は無い。

「こういう動画ばっか見てるとダメ人間になるぞ」を理解させればいいだけなんだから。…それを増田に出来るか、子供理解できる器があるかどうかはまた別の問題

2018-12-09

社畜ニートの二択

この間、外で

今日時間ゲームやってたんだけどさ~」と話してたら、

後ろの方から

「うっわあいつらぜってー働いてねーよ!」

とか大声で言っているのが聞こえた。

というかこっちを見ながら言っていたので正直師ねとしか思わなかったが、面倒くさいので無視した。

そういう奴の頭の中は、

・働いている→遊ぶ時間が無い

・遊ぶ時間がある→働いてない

という論理なんだろうが、働いてる時間の分しか手元に金が入らないような、ハッキリ言って単純労働に近いような収入体系の仕事しか出来ない奴なんだろうなと思う。

そういう特別能力の無い、言うなればAIがもう少し発展すれば駆逐される程度の仕事しか出来ないような奴は、飲み屋愚痴るくらいしかストレスのはけ口が無いんだろうか。

自分リソースを単純にy=xの正比例でしか金に変えられないのは分かるが、だからって他人馬鹿にするような口ぶりは辞めて欲しい。

少なくとも悪口は聞こえないように言え。

今回は状況的に仕方なくこの店に行ったが、安い店に行くのはこういう奴が居るから嫌だ。

2018-10-27

anond:20181027105050

発売日前から予約してる人間ってのはいち早く手に入れて「この機能すげえ!」とか「こんな風にカスタマイズしてみたよ!」やりたいんだよ。それを全部フラゲ人間に持ってかれてる。最悪の気分だ。しかもどいつもこいつもコンテンツとして消費し尽くした挙句「まあ俺はiPhone使うけどw」的なことを言っている。タダで貰ってることなんざどうでもいい、本当に欲しいと思って買ってる人間が1カ月待ちなのにこんな雑にポイ捨てする集団フラゲしてることに腹が立つ。

言うなればポケモンの新作が発売の半月前に大手実況者にだけ配られて、新しいポケモンとかストーリーとか全部バラされた挙句生主感想が「今作イマイチだわw」みたいな。でもって予約注文してる自分は1カ月待ちみたいな。そんな感じ。やっぱ予約キャンセルしよっかな・・・って気持ちにもなるでしょ。実際今かなり萎えてるよ。せめて配るのなら発売日にするか在庫不足解消するかどっちかにして欲しい。最悪のプロモーションだと思う

2018-10-13

クソほどつまんないちょろいブックマーカーで悪いか

クソほどつまんない釣りに釣られるゴミクズブックマーカー達のチョロさを読んだ

うるせーな、いちいち大きなお世話なんだよ

そんなこと指摘されなくてもわかってるわ

書いた奴も自分人生考えてみろや

匿名でバズって少しは影響力ある人間にでもなったつもりか?

俺はお前らみたいな叩くだけの能無しとは違うとでも言いたいのか?

所詮同じ穴のムジナじゃねーかよ

俺は自分人生先が見えてきて、そこに名前があがってる借金玉や、えらいてんちょうやらプロ奢られやーやら田端やらにはなれねーんだよ

奴らみたいに自分意見を言って賛同されて、自分の村をでかくしていけたらと思うけど、そんなんは俺には無理なことなんだよ

だってゾゾタウンの前澤みたいに、宇宙旅行だ、女優と付き合うだのやりてぇよ

そんなんは大抵の人間には夢のまた夢で自分とは関係のない世界出来事なのに、ネットだのテレビで聞きたくもなくても嫌でも耳に目に入ってきちまうんだよ

言うなればこっちは聞きたくもない自慢話をされてるわけだ、少しくらい嫌味を言ったり叩く権利だってあるだろ?そっちから聞きたくもない話をしてきてこっちには話させないつもりか?何様なんだよ

それに、現実世界じゃなんの影響力もない俺でも影響力がある奴を叩けばそれなりに反応が帰ってくるからな、社会の隅っこにいる俺がひとかどの人間にになれる手段が叩く事なんだよ

叩きやすポイントをわざわざ作ってる?それで結構毛だらけ猫灰だらけだわ

娯楽としちゃ安上がりで楽しめるし、他の人間からも反応があればそれで十分だ

せめてネットの中でくらい自分のことを価値ある人間だと思ったっていいじゃねぇか

どうしようもないクズみたいな人間だけどよ、そんなクズPVを集めてその多さでいきがってるのがお前らじゃねーか

ちょっとPVが増えたらすぐ喜んでよ、フォロワーが何万人なっただの、何万回再生されただの、俺らクズにいいようにのせられてフォロワー増やしにせいをだして、しょうもない動画あげたり私生活の報告してくれてご苦労さん

あとな、俺のためにもっと叩きやすポイント供給を頼むわ

俺との約束からなきちんと守ってくれよ

2018-09-12

腰の角度

聲の形みたいなタイトルにしてみたウフフあのよくえっちなびでおみるんだけどあっびでおっていいかたもう古いわねいまのこはビデオなんか見たこと無いわねえっちなどうが!これでいいわねそれでねよく思うのが腰の角度って大切だなってことなのどういうことかっていうとねこはいいあーグーグル日本語入力一発で変換できないムッツリスケねこ野郎あっごめんあそばせまあつまりバックねバックになるときにそのまま四つん這いみたいになってるとほんとなえるのよ背中からお尻まで一直線になってる感じのそれが外から演技指導されたかなんなのかしらないけれどもきゅっとお尻を突き出すようにするとあら不思議一気に魅力とエロさが10000000000倍アップするのよあれを見るにモデルグラビアポージングっていうのがいか大事かがよくわかるわいわゆるソフマップ立ちというやつがあるわよねあれと実際のジャケ写をくらべたらなんでそうなるのってパターンほとんどじゃないまさにあれよねいくら裸でも棒立ちならエロくもなんともないポーズカメラアングルによってエロいという価値が付加されるのわかるかしらつまりエロさってのはそれ自体最初から存在するんじゃなくて後から付加されるものなのよソコのところを勘違いしていないかしら甘んじて股間や胸を見せればいいと投げやりになるだけではそこには何もないの奴隷市場で裸の女が並んでてもエロくもなんともないの昔きれいはつくれるだかかわいいはつくれるだかいコピーがあったけどまさにそれよねそれと同じよねエロもつくれるのよというかエロは作るものなのよだからほらごらんなさいmetartやらできれいスタイルいい外人ヌードみてもなんとも思わないでしょうつまりそういうことなのよつまりそこの境界線がどこにあるのかを日々追求し続けているのがエロ業界ということで真実の探求者なのよね言うなれば難問に挑み続ける数学者たちと同じメンタリティなのよしかさらにすごいのがおっさんたちのサイクルでそれが回されることも多々あるということなのよね二次元業界なんておっさんがつくってオッサンが消費してそこのどこにも傷つく女性はいないというユートピアなのよわざわざ喫煙ルームにまで入ってきて文句つける嫌煙者みたいな女もたまにいるけどほんと勘弁してほしいわオッサンオッサンによるオッサンのためのエロ文化である二次元こそがすべてのエロ探求者が目指すべき理想郷なのよ三次元も悪くはないけれどやはり完全理想郷には一段劣るわよねまあそれでも三次元がなければ二次元もないのもわかってはいからそこは感謝しているわどうでもいいけど腰と豚って似てるわね腰の角度って単語豚の角煮に見えてきたからそろそろ終わりにするわまたいらっしゃいねお待ちしているわ

2018-09-06

anond:20180906233458

まずさ、素人のお前はともかく、専門家の連中が

「大雨のリスクはわかるが、それは同時に台風リスクを考えることにも繋がる。今回台風で地上設備に多くの被害が出た。地中ならその被害が大幅に軽減できるし、一概に「できない」ではなくメリットデメリットを考えてみては」

ということについて、考えてないと決めつけてる時点でハナクソほじってるんですわ。

で、更に言うなれば俺の増田で書いた

「AからBに乗り換えるだけでリスク一定減じるとしても、それができるかどうかについては別の問題が多く絡む」

ということについては、それを実行する経営者やら行政やらがとっくに考えてるわ。お前が俺の増田引用して、さも同じことを言っているように思っているんだろうが、全く違う。

まずお前は、知識を持つ者に詫びろ。社会に役立つ研究を考える者、会社の将来を考えなければならない経営者、国の将来を真摯に考える国家公務員から政治家まで。


俺には一切詫びなくていい。俺はお前に何か施しをくれてやるつもりもないからな。てめえで反省してこれから思想を変えろ。それだけだ。

2018-08-31

LGBTに対して率直に言わせて貰う

最近やたらとツイッター等でLGBT理解しようというキャンペーンの如くLGBT当人LGBT賛同派が理解を求めようとしているのを見る。

自分は正直LGBTは、理解し難く嫌悪感があります

理由しましては3つあります

一つ目は、自分を含め一般人価値観だとLGBT言うなれば異常性癖者であり、ロリコンSMプレイ好きな人間と同じ扱いとして見ており、また嫌煙されるのはなんら不思議ではないと思うからです。

二つ目は、キャンペーン当事者達に対する嫌悪です。キャンペーンしている当事者達は反対意見差別主義者かの如く叩きます。例えば一つ目の理由で上げたような異常性癖者と何が違うのか?を聞いている人が叩かれているのを見ました。また、法律違反するかしないかを言う人間もいましたが、これまた筋違いだと思います。つまるところ押し付けがましい啓蒙への嫌悪です。

三つ目は種としての自然の理にそぐわないからです。以前生産性がないと言う発言炎上しましたがLGBTだけの世界になったら生産性はないでしょう。(ここでの生産性の意は種の繁栄です)これまた他の動物性別なくても繁栄しているという意見も耳にしますが人間は現段階において不可能であり、自然の理に反しており理解に苦しみます

上記3つのような理由から疑念嫌悪感があります。簡潔にまとめると

1.異常性癖者との違い

2.押し付けがましい啓蒙

3.自然の理に反する

賛否両論ある内容だと思うので意見を聞きたいです

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