はてなキーワード: 力不足とは
仕様書を作ってないシステムの概要を資料にまとめて欲しいと言う依頼
その程度であればと思い受けて、数時間でできる程度の資料を作って送る
結局、
あれも教えて欲しい、これも追記して欲しいと工数以上の事を要求される
「何でこんなお粗末な資料を寄越すの?」って言われても、DB設計書も指示書もまとまってないんだから多めに見てくれよ、この程度の工数でやる気なんて出ねえよ
「何でそのままDBのカラム名をプログラムで使わないの?」って言われても、パスカルケースとキャメルケースとスネークケースが混ざっているし、日本語ローマ字だらけのカラム名をそのまま使えるわけねえだろ
と部屋で一人愚痴りながら書き上げて送る
叩き台作らされた上に、修正で手を動かす側にさせられるのは損だなと思いつつ
とかいってる人がXにいっぱいいて本当に浅はかすぎて国民のモラル低下がやばい
一人親をもつ子を手厚く保護できてるという証拠じゃん、いいことじゃん
両親揃ってれば大変だけど育てることが出来るじゃん、できてるじゃん
”大変”すら選択できない状態の子を保護するための保護費を羨ましがるな恥を知れ
それを「片親は保護費もらえていいね~うちは世帯所得1000万あるから保護して貰えなくてすごく大変!!」とかバカかよくそんな思考で所得1000万貰える仕事できてんな?どう考えても力不足で会社が面倒みてやってる状態だよそれ感謝しろ
生活保護にしたって「ラクできていいね~病院代タダだし~」とか言ってる短慮な人らも本当にまとめて無人島にでも引っ越して欲しい
お前らみたいな「出来るだけラクしたーい」とかぬかす怠け者には一円たりとも使わせたくない
自分の稼いだ金で楽しろよ稼げる状況にいられるくせに何言ってんだ
こんな奴らに育てられるお子さんの将来が心配だよ
1 チャリンコに乗れるかどうかを予想する
競輪選手は自転車に乗るのが仕事ということになってますが、自転車に乗れるか怪しい人が普通にいます。
2 やる気があるか予想する
競輪選手は建前上勝利を目指すということになってますが、やる気なくだらだらと走るだけの人が普通にいます。
ただそういう人でも他がキチガイ無気力論外級の雑魚だと勝ちます
競輪選手はかなりの頻度で勝つ気あるのかお前?とかルール知ってんのかお前?とか何考えてるんだおまえ?という走りをします。
酷い選手になると身内になる解説者すら「何考えてるんでしょうね」と匙を投げます
ただそういう人でも他がキチガイ無気力論外級の雑魚だと勝ちます
ただし単純に実力不足ということが多いので八百長とは限りません
ただそういう人でも他が論外級のキチガイ無気力雑魚だと勝ちます
5多少ななりとも知能があるか予想する
脳みそまで筋肉に侵されてて「おまえそんなこととしたら負けるに決まってるだろ」と素人である客が考えてる走りをするならまし、それのななめ下方向の走りをする馬鹿がたくさんいます
6展開予想とか無理
キチガイ無気力八百長雑魚のおじさんたちがやってる運動会で誰がどう走るとか予想するのは無理です
オレオレFCはアウェイでFC東京と2ー2のドロー。リーグ戦4試合未勝利となった。試合後、野河田彰信監督は「(引き分けは)最低限。欲を言えば勝ちたかった。鈴木潤がああいう形で交代して、水曜日がダメダメな試合やったんで、それに比べたら、選手達はようやったと思いますよ」と振り返った。
FC東京対策として、全員がDF登録となる奇策で臨んだ。守備時はトーマス・ノレジーも中盤に下がって4ー5ー1の守備ブロックを形成。それがハマった前半は16分、連動したパスで相手を崩し、MF村松のゴールで先制した。だが同25分に同点に追いつかれると、34分にMF鈴木潤が相手DFとの競り合いで頭を打ち、脳震盪で交代するアクシデント。指揮官も「痛かった」と話したように、MF前田に交代し、ハマっていたシステムを変えざるを得なくなった。
後半は一転して東京ペースで、同16分に勝ち越し点を献上。選手交代をするも得点が生まれず、このまま試合終了と思われたロスタイム。FW森永がMFジュシエのクロスにボレーで合わせて、実に7試合ぶりの今季11得点目で追いつき、土壇場のチームを救った。森永は「練習でやってきた形が最後に出た」と胸を張った。
エースが負傷交代するアクシデントに遭いながら、勝ち点1を獲得した事には「ずっと“鈴木潤選手頼み”と言われてきて、実際、頼ってる部分もあったので、悔しい思いも正直ありました」と明かしつつ「勝てなかったのは力不足。次からホームでやれるので、勝ち点3が取れるように頑張ります」と前を向いた。
2週間の中断後、天皇杯・甲府戦(8月2日)を挟み、次節から本拠地で3連戦。チームは再開初戦となる8月6日の北海道コンサドーレ札幌戦で5試合ぶりの白星を目指す。
○…この試合から出場可能となった植村、藤崎、ヤゴ・リカルドはベンチ入りしなかった。野河田監督は試合後、負傷などではなく「戦術とかな。まだまだ出来てへんところもあるから」と説明。戦術面などで、まだ出場出来るレベルに達してないとの判断で見送った。
今後チームは26日から29日まで静岡県内でキャンプを張る予定。植村と藤崎は天皇杯に出場しているため、甲府戦は出られないが、8月6日の再開初戦については「途中からになりますけど、出そうとは思いますよ」と本拠地でのデビューを示唆した。
数年前に経営していた会社でクーデターが起こり私は会社を辞めざる得ない状態になった。
私が会社を追い出された理由は、税理士の指示に従って仕事場兼自宅であった物件を会社の経費で5割ほど支払っていたことと株主配当を受け取っていたということだった。
取引先との会食やタクシー利用などで必要だった経費が一般社員からすると贅沢に映ったこともあっただろう。
当時の私は資本金を100%出資しており、それ相応のリスクを背負って会社を成長させて社員を雇用していたつもりだったが、社員として雇用していた人たちにとっては役員である私の家賃の一部が会社から支払われていることや配当を受け取っていることが不平等に感じたようだ。会社としての歴史もまだ浅かったので会社のキャッシュを増やし経営を安定化させるために節税対策として行っていたのだが、それが使途不明金の横領扱いとして取り上げられ全社員の前で弾劾裁判をされるような状態になってしまった。
当然私のそれらの経費が横領などにあたるはずもなく合法かつ常識的な範囲であることや、出資者や役員と正社員雇用されている人達とは立場や条件が違うということも説明したのだが、私以外に役員や出資者はおらず、株式会社の仕組みや税についての知識をほとんど持ち合わせていない人達が徒党を組んでクーデターを起こしたこともあって、取り付く島もないまま会社は運営不可能な状態となってしまった。
給与は世間の同規模の会社と同じか少し上くらい、休みは年間120日くらいだろうか。その上で会社の売上規模や雇用数、社歴のバランスを見て設計していたつもりだが、それでも不満が噴出し、現在の給与に対しても自分たちはもっと貰うべきだという主張や、平均以上貰っている人間から「まだ実績と社歴が浅い人間も期待値を込めて実力以上に上げるべきだ」と一部上場企業の給料水準のグラフを見せられながら語られることもあった。高い給料を払うことが大事だということも社員の幸福度を上げることの重要さも重々に知っているが、私の運営していた会社は小さな町の零細企業だ。可能な限りの背伸びはできても理想論だけで無責任に数年後にリスクを孕む経営を計画することはできない。
その後、弁護士や会計士に間に入ってもらいながら会社法や株式の仕組み、業績と比較して社員から搾取を行っているわけではないということを数字と共に説明したが、社員たちが持つ感情的な「会社を私物化した裏切り者の社長」という印象は固定化されており状況が改善することはなかった。そんな状態が長引き始めた頃、クーデターを起こした本人が会社の売上を支えてくれている営業のキーマン数名を連れて退社して独立し競合会社を作るという話になった。その時になって初めて私は社員全体の給与改善のための動きではなくその人が会社を乗っ取ろうとしていたことに気づいた。
零細企業の経営者の情けない話になってしまうが、営業のキーマンが抜ければ会社としての売上の安定性は失われ、バックオフィス業務などを担当してくれていた社員たちだけでは売上はあげれず露頭に迷ってしまうことになる。なんとかしなければと思ったが残念ながらそのバックオフィスの人達も問題が勃発したときの感情論に飲まれたまま私を大悪人のような目で見てくる者ばかりだった。
このような人間トラブルに対して上手く捌けなかったのは私の経営者としての実力不足であることは否めない。
だが、理論的な考えに対して数が集まった感情論というのは何の対抗手段にもならないことを知った。正義というのは法ではなく人が作り出す空気だ。会社を経営するための知識と一般社員が感じる感情というものには大きな差があった。知識を共有してどういったルールで世の中が回っているのかを伝えることの大切さ。誤解が起こらないように丁寧に説明する大切さ。皆が自分と同じ常識を持っていると勘違いし大事になる前に行動に移せなかった自分。そのあたりを読みきれなかったのも敗因だったと思う。
しかし私も人間だ。それ以来完全に心が壊れてしまって今まで一緒に働いていた仲間の目を見れなくなってしまった。皆が私のことを自分たちの信用を裏切った者だと思っている。
毎日死ぬことばかり考えた。自分には会社も仲間も何もかもなくなったと思った。地方なのですぐに噂がまわったのか私のまわりから離れていく人間が増えた。
死ぬ前に何を精算するかを考えた。
彼らの生活を守るには私だけが会社を去り、他の人間はそのまま会社に残って新しい社長を立てて今まで通り継続して仕事を続けていってもらうことが残された選択肢だと思った。
多くの社員に嫌われていたとしても雇用主としての責任は果たす、といえば格好をつけているように聞こえるかもしれないが、せめて今まで付き合ってくれた人達の生活を守るために自分ができることはそれくらいしかなかった。
キーマン以外の残った社員達を捨てようとしたのはクーデター発起人なのに、その人は私を追い出した後にヒーローになるだろう。
自分がなぜそこまで背負わなければいけないのかという気持ちも正直あった。この偽善のような行動をとったところで私がいない世界で私は新しい政権を運営するために悪人として語り継がれているのだろう。
恨みを募らせクーデターの発起人に本気で復讐を考えたこともあった。ただその人にも家族はいる。それで不幸に巻き込まれ涙を流すのは無関係なパートナーやその子供だ。そんなことをすれば私は本当の悪人に堕ちてしまう。
その後私は会社の譲渡手続きをし、持っていた全ての株を最低限の値段まで下げて新しい経営陣に譲った。その際に何故タダで株や権利を置いていかないのかという言葉を社員から吐きかけられた。もう何も言い返す気力は残っていなかった。何かを理論的に説明したとしても感情論と数には勝てないことを私は知ってしまった。社内にわずかにいた私の理解者たちも新体制となる中で長いものに巻かれることを選びすぐに疎遠となった。心が張り裂けそうだったが私のような敗者に寄り添ったとてその人達の未来を保証してあげることはできない。これが現実だ。その人達にも人生はあるし誰も責めることはできない。
そして私は今もこの世界のどこかで自分のことを恨み嫌っている人がいると思いながら日々無理やり生きている。
なぜ生きているのかはわからないが、いつか自分がとった最後の行動が誰か一人にでも理解され報われる日が来るのをどこかで期待してるのかもしれない。気を抜くと希死念慮に飲まれるので毎日必死だ。頑張る。
語り手が逆になれば物語も大きく違った印象を持つだろうことはわかっている。
都合の良い解釈をして悲劇のヒロインを演じている馬鹿だと思われるかもしれないことも重々に承知している。
交際半年でセックスレスに陥り、現在4年の付き合いになるのでセックスレス歴3年半になる。
とはいえ仲が悪い訳ではなく、毎朝キスをし、外出時には手を繋ぎ、毎晩抱き合って眠る程度には仲が良く、はたから見たらセックスフルな夫婦に見えているのかもしれない。
きっかけは、夫の加齢による勃起力不足だったと記憶している。ある日いつものように致していたら突如として中折れした。
その後、途中で終わることや始まることも無く終わることが増え徐々に回数は減少していった。
当時まだ20代前半だった私は、一回り年上の男と付き合うことの現実を知り、もがき苦しんだ。
ネットで情報を漁り、新しい下着を購入したり雰囲気を作ってみたり責めないように心がけたりした。
しかし、その一方で私の焦りが夫にも伝わっていたのだろう。夫は自分が勃起しない原因を私のせいだと言い始めた。
元カノよりセックスが下手だ、太っている、鼻が低い、薬を飲んで体に負担をかけてまでしたくない、など私のHPをゴリゴリと削っていった。
ここで私の名誉のために言っておくが、私は胸はあるがBMI19と至って標準であり、十人並の容姿ではあるが、それなりに恋愛経験もあり、見れない顔では無いという自負がある。
今思えば、この時点で別れておけば私はセックスに関してここまでこじらせることは無かったのだと思う。
しかし私は、夫の人間性が好きだった。恋愛感情がなくなってもこの人と家族になりたいと思っていた。それは夫も同じだったのだろう。
私の就職を機に同棲を開始し、1年ほどたったところですんなりと入籍が決まった。
入籍後ももちろんセックスはほとんどなし。誕生日も記念日も旅行先でもすることはなかった。
そんなある日、夫の裏切り行為が判明した。決定的な不貞行為ではなかったものの、私の心にダメージを与えるには充分な行動だった。
発覚してからは、夫は心を入れ替えたように今までよりも優しくなり、数回夫からの誘いでセックスもした。
しかし、ある時から今度は私の方が夫を受け入れることが出来なくなった。
このひとはわたしを裏切ったくせに、あれだけ言っても抱かなかったくせに、何を考えているのだろう。そう思った瞬間全身にぶわりと嫌な汗をかいた。
このときから、私は夫にセックスを求めなくなった、というより夫とセックスをするという行為自体に嫌悪感を抱くようになってしまった。
とはいえ、わたしもまだまだ20代前半の若い女だ。性欲自体は持て余すほどある。しかし夫とセックスはしたくないし不倫する勇気もない。こうやってこじらせたまま年老いていくのだと思う。
実力不足が何を偉そうに。
チュートリアルをやりながら放っていたら国庫が満タンになり、「金が消滅するぞ!」みたいなメッセージが出た。これを見て、建設しないと金が消滅する? そして建設力を上げないと金が使えないから、まずは建設局の強化に全力か? と気付く。
建設を進めながら建物情報を眺めていると、第二次産業っぽい建物は上限がないが、一方で資源が取れる建物は上限があることに気付く。そのため、建設による成長は限界が資源に左右されると気付き、資源を増やす手段を探す。それで見つけたのは植民地の作成で、なんとか植民地搾取の法律を制定して植民地作成に乗り出す。手に入ったのがコンゴ近辺でなんか史実っぼいのは偶然かな…
植民地を増やしながら建設していたが、人手がだんだん足らなくなっていく。移民流入を促進すればいいらしいとのことで多文化主義の法律制定を目指し、議題に上がった時に制定。さらに後に国家無神論の法律も制定、流入を目指す。その結果、首都フランドル、そして後に併合する植民地のニジェール・デルタは、今後常に労働力(と失業者)が溢れるようになる。
技術を進めていくと燃油を使って省力化する製法が有効になるのだが、燃油はアフリカの一部とオセアニアの鯨油を少しだけしか抑えられず、貿易で集めても不足してしまった。仕方がないので燃油を使うのは鉱業系の施設と他一部の自動車生産(燃油を食うし、需要も限られたので本当に一部だけ)などに最後まで限定した。
資源の数を見て、一番儲けを維持しつつ増やせそうな建設物が芸術局だったので、芸術局を増やし続ける。
資源不足だが戦争は面倒かつ戦力不足(組閣の都合で職業軍人の法律を制定出来なくなってしまった。そのせいで常備軍の上限が兵舎の数 5*20=100 しかなくなった。他国は多いと数百ある。)となってしまった。行政力を行政府増設で確保して無節操に貿易ルートを組んで資源を輸入するが、輸送船が足らなくなってしまった。
仕方ないので儲からない貿易ルートを切ったり、陸路の貿易に切り替えたりしている最中、関税同盟を組んだ先の国の隣とは陸路で貿易出来ることに気付く。そこで、関税同盟を組みまくって輸送船負荷を減らせないかと画策。融資を始めて恩義を得たり、こちらから恩義を出したり、借金肩代わり画面を監視して金を積んで買収して恩義を得たりして関税同盟に組み込んでいく。
ルクセンブルクを皮切りに、アフリカやインドネシアの小国、ハワイ、最終盤ではメキシコ・アメリカの片方・カナダ・ブラジル・オスマン帝国・日本まで含めた巨大市場を作れた。一方で輸送船不足は収まらず、80%位に留まってしまった。この理由は、関税同盟の交易網の維持自体に各国のインフラ値に比例した輸送船が必要だったから。他国は輸送船を持ち数の半分しか提供してくれず、港を増やす気もなさそうなので増やせない。自国の港は土地を増やしてないので増やせない。そんなわけでアメリカ大陸を組み込んだあたりで輸送船不足になってしまったのだが、まあそれでも他国に取られるよりは…と拡張を続けたのだった。
最初は保護貿易を採用して資源を守っていたが、巨大市場になってからは自由貿易の貿易強度ボーナスをあてにしていた。資源をかき集めつつ工業製品を他国に売りつけ、また市場の価格差を換金する裁定取引にも手を出す。終盤は貿易ルートを300以上、終了時は400弱抱えていた。(そのせいかゲームが重くて仕方なかった。)
終盤は結構いつも戦争が起きていたのだが、ほとんどは社会不安による内戦だった。試しに他国を見てみると、定期的に内戦している国はどこも中程度の社会不安が蔓延していた。今回のプレイでは列強だったイギリス、フランス、プロイセンも一度は内戦を起こしており、その間にランキングが下がっていた。最終盤まで国家ランキングで抜けなかったのはオーストリアだったが、そこも最後の数年で内戦状態になり、ちょうど終了年にも内戦中で、今回のベルギーでのプレイは列強1位で終わった。
この原因を考えてみたが、他国の社会不安の要因が生活の困窮によるものだったところを見ると、資源と産業を自国のみで抱えて他国に売りつける構造を作った結果、他国の職場を(資源産出以外)奪ってしまったのが原因なのだろうか。そんな一方で他国の生活水準の要求は技術と時代の進捗により上がっていくので、社会不安を起こして停滞が常態化してしまうのだろう。
あと、終盤に他国をいくつか覗いてみたら結構な割合で社会主義的な法律を制定していた。それによる福祉の負担や社会主義的法律の請願も関係あったのかな? 自国では最後まで大統領制を維持し、労働者の保護系の法律もあまり通さず、福祉Lv1で押し通した。
ルヴァンカップグループステージ最終戦が28日に行われ、勝てば逆転突破のオレオレFCはアウェイで浦和レッズとの直接対決を1ー4で大敗し、湘南に勝利した川崎に抜かれ、B組4位で終了。20年以来、3年ぶりのグループステージ敗退が決まった。0-1の後半8分、DF奈良田のクロスにFW鈴木亮が頭で合わせて同点に追いつくも、そこから後半16分に痛恨の失点。その後も2失点して突き放された。
【写真】グループステージ敗退が決まり、ガックリ肩を落とすオレオレFCイレブン
試合終了のホイッスルが鳴った瞬間、歓喜に湧く浦和とは対象的に、ロイブルイレブンはガックリ肩を落としたまま、うなだれた。逆転突破がかかった首位・浦和との直接対決で今季ワーストとなる4失点での大敗を喫し、3年連続のグループステージ突破は叶わなかった。主将のMF鈴木潤は試合後「今日はベンチに入れなかった選手や応援に駆けつけてくれたサポーターのためにも勝ちたかった。(敗退に)力不足を感じますし、申し訳ないです」と、力なく話した。
2位突破の可能性は既になく、勝ち点9のオレオレFCは勝つしか逆転での首位突破はなかった浦和との大一番。しかし前半20分に右サイドを突破されて先制点を許し、劣勢に絶たされた。だが後半8分、左サイドを突破したDF奈良田のクロスに反応したFW鈴木亮がヘディングをゴール右隅に決め、同点に追いつき、逆転突破への機運は高まったかに思えた。
だが、後半16分、同20分に連続失点。それでもイレブンは諦めずに仕掛け、選手交代などで反撃に出るも、浦和の固い守備をこじ開けられず。逆に後半アディショナルタイムにも失点を許し、力尽きた。野河田彰信監督は「2失点目と3失点目の時間帯がな。追いついて、選手らも一騎加勢になってただけにもったいなかったよな。あれで前がかりになるしかなかったからな」と、敗因を挙げた。
奮起する理由があった。24日のリーグ湘南戦でDF大村が脳震盪、チーム最多10得点のFW森永が足に痙攣を起こし、この試合は欠場。更に「みんなが頑張って、(逆転突破の)可能性を残してくれた」(鈴木潤)。苦しみながらも、勝ち点を積み上げ、最終戦まで逆転突破の可能性を残してくれた控え選手、森永や大村のためにも勝ちたかった。
ルヴァンカップは道半ばで終わった。しかし、野河田監督は試合後、選手達を集めて「ここで気落ちしたらアカン。ここをどう次に繋げるかや」と奮起を促した。サポーターもチャントでイレブンを激励した。鈴木潤も「(浦和とは)まだ国立で試合がありますし、リーグ戦も天皇杯もある。ここで気落ちせず、チームとして成長していきたい」と前を向いた。次は7月1日、リーグ戦でのサガン鳥栖戦(駅スタ)。悔しさを糧にロイブル軍団が再び立ち上がる。
オレオレFCは20日、21日のルヴァン川崎戦(等々力)に向けて、オレフィールドで調整した。
24日のリーグ湘南ベルマーレ戦(ロイスタ)を見据え、野河田彰信監督はターンオーバーを敷く意向。負ければ敗退の可能性が出てくる一戦に、スタメンが有力なFW山口は「勝つしかないので、頑張ります」と短い言葉で川崎戦への意気込みを示した。
前回ホームでの一戦は後半終了間際に失点して敗れた。その時もスタメンだった山口はシュート6本と奮闘したが「得点にならないと意味が無い。力不足を感じました」。アウェイでの一戦に「これから連戦になるので、僕達がやらないといけない」と汚名返上を誓った。
○ルヴァンはJ2清水、磐田、昇格プレーオフ・ファイナリストの熊本、山形、昨年天皇杯優勝の甲府を含めたAからE組25チームで戦う。この中から各組1位と2位の勝ち点の上位3チームがプライムステージに進出する。
現在、勝ち点8でB組3位のオレオレFCは残り2試合で勝ち点12で首位の浦和、同9の2位清水を追いかける。21日は浦和は試合がなく、清水は28日の最終戦は試合がなく、本日の湘南戦が最終戦となる。
既に川崎、湘南、清水の自力突破は消滅。オレオレFCは川崎に敗れれば、清水が湘南に勝利すると1位突破は消滅。更にA組2位の札幌(勝ち点11)、D組2位の福岡(勝ち点11)、E組2位のFC東京、3位の京都(共に勝ち点10)の結果次第では、28日浦和との最終戦を待たずに敗退が決まる(湘南、川崎、清水も敗退決定)。
D組:熊本、柏
死んだように寝た。
渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
第81期名人戦七番勝負第5局。18時53分、藤井聡太竜王が決め手となる一手を放つと、名人・渡辺明はすぐさま頭を下げ、駒を投じた。この瞬間、名人戦七番勝負が決着。藤井は名人位を奪取し、史上最年少名人、そして七冠を達成した。一方の渡辺は、唯一のタイトルだった名人を失冠。2004年以来、約18年半ぶりに無冠へと転落した。
重苦しい沈黙が対局室を支配した後、対局者へのインタビューが行われた。まずは勝者の藤井。いつもどおり、慎重に、丁寧に言葉が紡がれていく。一方、座して待つのは渡辺。藤井へのインタビューがひとしきり終わった後、ようやくマイクは向けられた。この将棋のこと、名人失冠のこと、そして無冠のこと。待ち続けた後に投げかけられる問いは、どこまでも厳しく、容赦がない。それでも渡辺は、こちらもいつもどおり、きっぱりと、はっきりと言葉を発していた。
対局後の儀式を、半ば虚空を見つめるように眺めていた私だが、しばらくしてニュースに現れた「渡辺九段」の文字に心は決壊した。体と心の全部がそれを拒絶した。到底受け入れられないと思った。あらゆる思考を強制的に断ち切りたいと思った。布団をかぶって、枕に顔をうずめた。そのまま、死んだように寝た。渡辺明が敗れて、私は死んだように寝た。
翌朝になって、渡辺のツイッターを見た。なんと渡辺は、終局直後にツイートをしていた。しかもそれは、私を含む将棋ファンへの言葉だった。「長い間、タイトル保持者として充実した時間を過ごすことができたのは、将棋ファンのみなさまのおかげです。ありがとうございました」。
どうして、終局直後に当人がこれだけの発信をできるのだろうか。無冠になった夜に。ただの一ファンがショックで不貞寝していた夜に。その胆力に打ち震え、「あなたのファンでよかった」と思うとともに、無冠への転落もまた現実であることを同時に突き付けられるのだった。
2004年に、弱冠20歳で初タイトルとなる竜王を獲得した渡辺。以降現在まで、一度も無冠となることなくタイトルを守り続けてきた。渡辺の同世代に、渡辺ほど突出した棋士はいない。若き頃は、最強と呼ばれる羽生世代相手にまさしく孤軍奮闘、その剣を振るった。2015年になって、ようやく年下の棋士とタイトル戦を戦うようになるが、ここも譲らない。奪取や防衛を重ね、後輩の棋士を寄せ付けなかった。渡辺は、「たった一人」を除いて、年下の棋士にタイトル戦で敗れたことがない。竜王9連覇、棋王10連覇。圧倒的な戦績で、2つの永世称号資格を獲得。通算タイトル獲得数は31で、歴代4位を誇る。
これだけの戦績を残す渡辺だが、早い段階から、自らの立ち位置を冷静に見つめていた。「羽生と藤井の間」。つまり、時代を築く絶対王者の系譜に自らはいないということを公言して憚らなかった。時代のいわば谷間で、孤独に闘い続けた。残酷な言い方をすれば、「次の時代の到来を待っていた」そういうことになるのかもしれない。
渡辺の言葉を裏付けるように、その「たった一人」がタイトル戦の舞台に現れたのは2020年の夏だった。それから今日まで、思い返せば一瞬のように過ぎた。「すごい人が出てきた」の棋聖戦。自身初のストレート負けで散った翌年のリターンマッチ。2日制七番勝負、王将戦で並んだ4つの黒星。「冬将軍」と呼ばれ、10連覇の強さを誇った棋王の失冠。そして名人戦。この間、ただ座して死を待っていた渡辺ではない。研究を深め、自らの将棋をアップデートさせてきた。悲願の名人位を獲得し、3連覇を達成。「第二の全盛期」とも呼べるような充実ぶりだったが、たった一人、藤井がそれをあっという間に塗り替えていった。
藤井20勝、渡辺4勝。気付けば、圧倒的な星の差が付いていた。藤井と渡辺の対戦には、星の差が信じられないような名局が多い。中盤から終盤にかけての、白熱の競り合いと斬り合い。しかしそれらは、渡辺の敗局となっていった。星の差は、勝負の運で生まれたものでないこと。紙一重の差は、とてつもなく大きなものであること。不思議の勝ちはあっても、不思議の負けはないこと。そのことは、渡辺自身が一番よく分かっているはずで、だから渡辺は言い訳をしなかった。「実力不足」そうきっぱりと言い残して、名人戦の舞台を去った。
今回の名人戦、渡辺が唯一勝利した第3局が忘れられない。終盤、渡辺が勝ちの局面になり、決め手となる一手が生まれた。その手自体は一瞬で見えていた渡辺だが、なかなか盤上に手が伸びない。勝利の一手を決断するまで、実に93分を要した。これは渡辺の勝局だが、ファンにとってはまるで負けを味わわされているような、非常に重たく、苦しい時間だった。藤井という圧倒的な存在。目の前にいる「時代」。そこに一矢でも報いるのはこれ程までに過酷なことなのかと、勝利したことで逆に思い知らされる一局となった。
壮絶な戦いを終え、無冠となってしまった渡辺に、今どんな言葉がかけられるというのだろう。自分では、なかなか言葉を見つけることができなかった。しかし、しっくりくる言葉があった。今回、藤井に最年少名人の記録を破られた谷川浩司十七世名人の言葉だ。
将棋とは、対局者二人で創り上げるものである。そして、藤井に真の力を引き出させることができるのは、渡辺を含むほんの一部のトップ棋士しかいない。トップ棋士が諦めたとき、藤井は盤上で孤独になる。七冠達成とは、類まれなる偉業であり、それと同時に、プロの将棋にとって存亡の機でもあるのではないだろうか。
しっくりくる言葉とは言ったが、よく考えてみれば、こんなに残酷な言葉はなかったかもしれない。なぜなら、これまで孤独に闘い続けてきた渡辺に、これからは「藤井さんを孤独にさせてはいけない」と言っているのだから。どれだけ過酷なものを背負わせようとしているのだろうか。残酷な響きに後ろめたさを覚えつつ、それでもなお、私はこの言葉を選ぶ。「無冠になったことで将棋への向き合い方が変わるわけではない」。失冠の日、こう言い残した渡辺にすがる。
何が好きかと問われれば、その将棋の質、それに人柄と振る舞いだ。理路整然とした勝ちへの道筋。細い攻めをつなげ、厚い攻めをさらに分厚くしていく技術。「将棋は仕事」とドライに割り切りながらも、その仕事できっちりと結果を出す仕事人ぶり。本質を包み隠すことのないきっぱりとした物言い。画面の向こうにいる将棋ファンのために行われる明朗快活な感想戦やツイート。そこにある第一人者としての責任感。弱さも含めて自分をさらけ出す強さ。それらの全てだ。
将来、将棋の歴史がどう定義付けられようと構わない。渡辺明は、私にとっての「時代」だ。過去形にはしない。今はただ、渡辺の次の一手が見たい。