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はてなキーワード: 輪郭とは

2021-05-13

鍋物スープはともかく寝かせろ

という伝説を信じてるひと、あなたは間違ってる。

煮物原則味がしみると同時にスープが濁る。

そしてスープが濁ると味の輪郭が失われてぼんやりしてしまう。

このぼんやり感は追いスープを付け足してもそうそう変わらない。

基本的にはっきりとしたクリアな味わいは煮立って30分以内。

それ以降は煮込みモードで、玉ねぎなど甘みを重視する料理に向いてる。

例えばラーメンスープ自作してるときなどは顕著。

煮込むと麺の味が死んでしまう。

なので一回目に作ったスープは別の具材を入れてでも完食。

麺を入れる場合はまたべつにスープを作るのが正解。

2021-05-09

anond:20210509120608

仲良くなる方法ね。

挨拶する

挨拶言葉をかけつつ、物理的な距離を縮める。

休憩スペースで茶を飲むとか、飯を食うとかするタイミングだとより簡単だ。

「お隣、よろしいですか」

相手に対して正面よりは横か斜め前の位置に陣取るのも地味ながらコツだ。

アイスブレーキングする

木戸に立ちかけし衣食住などの雑談ネタで。

例えば季節。

今日は急に暑くなってきましたね~」「そうですね~。もう春というより初夏ですかね~」

例えば飲み物

ウィルキンソンまれるんですね。炭酸系お好きですか?」

「そうですねー。甘いのは駄目なんですが、無糖のこういうのはすっきりして好きです。」

「○さんはアイスコーヒーがお好きなんですか?」以下略

軽い共感が発生して少し打ち解ける。

相手共通の関心事を見つける

アイスブレーキングネタからシームレスにつなげる。

共通話題に出来そうなことな最初は本当に何でもいい。

相手言葉と見た目と行動をよく観察して質問ネタを絞り出す。

相手が昼飯にチキンソテーを食っている体格のいい男だったら、

「肉お好きなんですか?」

もしかして何かトレーニングorスポーツとかされてるんですか?」

相手が興味を持っている内容なら相手の反応は饒舌になりやすい。

つの話題で反応が薄ければすぐ別の話題に移る。

いくつか質問を振って話を聞いていき、自分の関心事ともマッチするネタにたどり着く。

汎用的な質問は、

最近ハマったものってありますか」

「ついお金をかけちゃうものって何ですか」

休日は何をしてることが多いですか」

など。

要するに、時間と金という人生重要リソースを何に注ぎ込んでいるのかがそれとなく分かる質問だ。

初っ端にこの質問では重いが、季節や飯のネタなど当たり障りのないネタアイスブレイキングした後ならタイミングを見計らって繰り出せる。

相手の人となりの輪郭が徐々に掴めてくる。相手にもこちらの人となりが徐々に伝わっていく。

相手共通の関心事を一緒に追求する

一緒に追求できそうなカジュアルな関心事が見つかったら、それを一緒にやろうと誘う。

「どこそこに美味い○○があるので今度一緒に食べに行きませんか」

「◆◆で困ってるんですけど、教えていただけませんか」or「◇◇で困ってるなら、今度かんたんに教えようか」

「今度一緒に<カラオケ/美術館/BBQ/課題/フットサル/ツーリング/etc><しませんか/行きませんか>」

事前に共通の関心事はつかめているので提案は大はずれしない。

一緒にやってみてフィーリングが合えば関係は深まる。

おたがいに困りごとの相談や共有まで出来ると関係はかなり深まっている。

2021-05-07

anond:20210506140734

ファミレスコンビニほとんどの冷凍食品冷凍野菜などの食材除く)を「まずい」と感じる人間だけど、

まず

>たとえば0〜100の数値で美味しさを評価するとして

>「不味い」っていうのは、まあ30以下とかじゃん。

(略)

>そういうイメージだよな。

この時点で「あまりにも感覚が違う」としか言いようがなくて絶句してる。(念のため言っておくけど、優劣はつけていないぞ。)

 

美味しいってそういう階段状に一直線ではない、一つしかない感覚ではまったくない。

ファミレスコンビニの味は、自分にとっては

「うまさを偽装して美味いと感じさせる作りになっていると知覚するので不快である

 しかもその偽装したうまさも単調で自分の好みに合うほどの幅がなく、

 さらにその偽装の具合にディストピア飯感を感じる惨めさもあいまって嫌気がさす」に近い。

 

美味しいの尺度に話を戻そう。

無理やり「数値で美味しさを評価する」に合わせると、レーダーチャートもっとも適切ではないか

そしてその輪郭が真円に近いほど美味しいと感じるような感覚だろうか。

そしてレーダーチャートの項目は料理によって違い、同じ項目でも料理によって適切な数字・幅が違い、

同じ要素でも項目が複数あるような感じ。

(たとえばワイン、渋みが適切だと美味しいと感じるはずだ。しかし、違うワインになれば違う渋みの量が適切になる。

 そして渋みが最初に来るか後から来るか、徐々に盛り上がるかすとんと切れるか、残り方、など、でどのように他の要素と干渉するかが変わり、感じ方は変わる。)

 

さらにいえば人間はというより動物は美味しいはずのもの、美味しいと感じているものでも心が「美味しくない」と受け入れないこともある。

慣れていない味・組み合わせは美味しいと感じる要素をすべて満たしていても美味しいとは感じない。

生物としての本能だ。性別だと雄・男のほうが、また成人のほうが子どもよりも警戒心が強く、味覚が保守的だ。

(だから人間でも食の新規ブームほとんど常に若い女から広まる。男から始まる場合、警戒心を上回る強い刺激が特徴のものになる。激辛とか。そしてマイノリティであり続ける。)

 

子どものころ、ダイアナ妃も好物だったというキュウリ生クリームスープを食べてそれを実感したことがある。

生クリームキュウリも好物だったが、自分は冷製スープに慣れておらず、キュウリ生クリームの組み合わせも初めてだった。

美味で有名な高級フレンチレストランだったのもあり、そのスープは実に美味かった。

それはわかった。が、自分はどうしても舌が伝えてくる「これは美味い」を受け入れられなかった。美味いと感じつつ不味いと感じたわけだ。

 

さらに、不味いものを美味いと感じる経験も多々ある。

たとえば、野生のニホンザル普段食べているそのへんの木とか草だ。品種改良されている野菜ですら生では美味いとは感じないのに、そのへんの草が美味いわけがない。埼玉県民にはなれない。

数字で測るのなら、ほぼどれも0.これを食べなければ明日飢え死にするのでなければ口にするのはごめんだ~1.飢饉ときには食べられることを思い出すかもしれない、優先順位は下のほうだが~2.千年ぐらい品種改良をした後ちゃん調理すれば食べる気が起きる、の間にある。まれに3.これは普段から食べたいかも…のものもある。

が、この不味さは不快な不味さではなかった。

渋み苦味が強すぎる、うま味がない、など美味いからは確かに程遠いのだが、ごまかしや偽装がない部分は旨くもありすらするしかもそのまずさ95%の中にほんのり甘みを感じたりする。

ぜんざいにほんのり入れる塩が甘さを引き立たせるように、まずさ要素が主体の中に漂うあえかな滋養はよりクローズアップされるのかもしれないとなんとか思ったが自分サルじゃなくてよかった。

 

味覚は0~100の一つの尺度だけで測れるような単純なものではない。

 

ほとんどすべてのファミレスコンビニ食べ物を不味いと感じる理由は、不気味の谷に似ているとも思う。

味付けの組み合わせは非常に上手い。塩分うまみ調味料バランスを真円に近づけて出せるのは大手企業ならではのさすがの部分だ。

が、実際に口にしてみると「まがいもの」と感じる不気味の谷に落ちている。

素材の質があまりよくないのを無理やり何か、普段自分が口にしないもので補って人間に見えるように皮をかぶせましたというような感覚に陥る。

それを一言で不味いと言っている。

 

2021-05-06

念仏宗無量寿寺 京都での儀式

京都での儀式入信した事は例え親家族であろうと口外禁止

無量壽寺の名バラしたら無間地獄へ落ちると脅される。

1. 白装束に着替え、儀式での作法を覚えさせられる。「南無阿弥陀仏」と10回唱え、独自の拝み方を

覚える。信貴山朝護孫子寺張り子の虎のように、首を振って頭を打ち付け眉間(白毫)の第三の目を開

儀式練習

2. 儀式は仏間で行われる。手を消毒薬で洗い、口を塩水でゆすぎ 再び手に塩をつけて流す。一人ずつ

順番に並び、仏間に入る。目をつむり、胸元で死人の様に両手を組み、襟をつかむ。合図で前にある打敷

きに頭を打ち付ける。  

 「よし」と言われ、信心決定となる。お礼で、五体投地と「南無阿弥陀仏」を唱える。

3. 仏間は暗い布で囲われ、祭壇と阿弥陀如来の掛け軸がかかっている。 日光菩薩月光菩薩と一体に

なる儀式。善知識と対面して座り、片手を合わせる。善知識の「南無阿弥陀仏」を復唱した後、強く息を

吹きかけられる。口をつけた盃の水も飲まなければならない。日光菩薩10回、月光菩薩は5回行う。

4. このことは絶対に他言してはいけないと宣誓させれれる。順番に、鈴を鳴らし、「絶対に他言致しま

せん」と誓約

5. 次の日は、朝早くから白装束で仏間に入る。その後、菩薩となった証を見せ

るとのことで、黒法衣で外に出る。太陽直視することができるようになったとのことで、太陽輪郭

はっきりと見える。太陽を見た後でも足元の暗いところがはっきり明るく見える(日想観という)。

6. 儀式を受けたので、死して六道輪廻に入らず、阿弥陀のもとに行ける身となったと説明。そして、

これから誓約を守らないと六道輪廻に逆戻りになる。

7. もうひとつの証は、化仏化菩薩を見ることができる。また外に出て、黄法衣の方に見方を教えて

もらう。方法は、青空を見上げ、眉間の20cm程前に焦点を合わせていくと、空中に白い小さな光が飛

び回るのが見える。眼鏡をかけても見える。背景を白い壁に移しても見られる。

 【参考:ブルーフィールド内視現象】 http://nenbutsushu.blog.163.com/blog/static/192499239201171183815163/

8. このほかに月を見ること(水想観)もある。日想観・水想観・化仏化菩薩、この三つが重要であ

る。最後に「南無阿弥陀仏」と写経した紙を仏間に供え、線香をあげて経を唱える。そして、写経した

南無阿弥陀仏」の紙は、家に帰り、夜中12時前にへその上に貼って眠った後、早朝、近くの川に流し

に行く(御六字)。

anond:20210505185456

ただそれやると本来の敵である強者男性」の輪郭がぼやけるのよね。

男に弱者の冠は絶対に与えたくないという気持ちには共感するけど、今後の為にも妥協すべき点だと思う。

2021-05-02

関西四国の顔は…

四国関西って目小さくね?

関西特に化け物多い気がする

九州外国人顔と目が小さくても輪郭は整った奴多い

東京辺りだとごちゃごちゃだけど関西よりは整ってる印象

関西九州の知り合いが行ったら外国人の気分だったって言ってたけど、みんなはどう思う?

2021-04-18

エヴァンゲリオンを乗り越えて、あるいはその手前で

 お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。という言葉が、自分身体を上から下に駆け抜け、僕はそれで、頭から血が抜けていったように感じた。その言葉は、ある意味では間違っていなかった。けれど、間違っているといえば、全面的に間違っていた。

 目を凝らしても見えてくるのはパソコンの画面と荒れ果てた部屋しかない。右手の小指と薬指がその付け根にかけて少し痺れている。特にキーを叩いていたわけではない。パソコンの画面をつけて、何をしようかと思っていただけだ。すると、僕に言葉がやってきた。それは僕が望んだ言葉ではなかった。この暗い部屋は、僕が望んで生まれものだった。この荒れ果てた部屋は、僕がどうしてか生み出したものだった。あの言葉は、ただ、とても嫌いな言葉だった。

 望む、望まないなんてことを考えたことはほとんどなかった。あるといえば、望まないことばかりだ。いろんなことが嫌だ。特に、望むことは何よりも嫌だ。自分が何かを望んでいると思うだけで気分が悪くなってくる。自分が何かを望まなければ生きていけないのだとしたら、死にたくなる。何も望みたくない。何も望まれたくない。そうして僕はこの場所を作った。僕が今望んでいること? それには答えられない。ただ一本の煙草が吸えたらいいと思っているだけだ。それが望みなんて大きなものに含まれるのだとしたら、今すぐにでも僕は首を吊ってやる。セブンスターソフトは残りわずかだ。一本取り出して、口に咥えた。火を付けずにパソコンの画面を見た。

 さっきまではTwitterホームが映っていたが、僕はもう少し孤独になりたくて、ウインドウを閉じた。デスクトップ画面には、雑多なファイルが、まるでこの部屋みたいな雑駁さで並んでいる。それの後ろには描かれた美少女アニメ美少女なのかどうかはわからない。インターネットで見つけた、絵の美少女だ)が憂鬱げに体育座りをしている。彼女右手には安全剃刀が持たされている。左腕にリストカットの痕はない。安全剃刀は文字通り安全なのだ少女の足元には薬瓶が転がっていて、その転がる移動を堰き止めるように、本が置いてある。フェルナンド・ペソアの本らしい。表紙の白い部分には血痕のようなものが伸びている。

 灰を落としてみると、煙草の1/3はなくなっていた。僕は考えごとをする前に、なにかと準備運動必要みたいだ。考えるべきことというのは、僕の身体を駆け抜けて行った言葉についてだ。

 僕は「望む」なんていう大掛かりなものが嫌いだ。望むとも、望まざるとも、嫌いなものは嫌いだ。だが、そこにばかり注目していては次の文がわからない。次に進む。すると、それがあらわれているという。

 それがあらわれている。それはお前が望んだものだ。

 というのであれば、僕はわかるような気がする。まずはじめに「あらわれ」があって、その説明、あるいは定義けがされる。これは、わかる。あると思う。いや、あるべきなのだ自分がいまどうして存在しているか? こうして暗い部屋で、食事に使って洗わないままで転がっている食器や、ゴミの類いが転がっている、この雨戸が閉められた部屋で、僕の身体は、パソコンは、煙草は、まず、「ある」。そして僕がその「あらわれ」を何らかの形で受け取る。受け取ったものには、それ相応の制限がある。それが説明であり、定義でもある。こうして抽象化すれば、わかる話だ。話がわからなくなっているのは、そこに「望む」という言葉が出てきているからだ。煙草を灰皿にすりつぶした。

「こうしていても埒があかない」

 そう呟いた。こう言ったところで、あの言葉が離れていくわけでもなく、これから行動をとったところで、あの言葉が離れていくわけではないだろう。精々気晴らしにはなるだろうが、自分の中にある嫌悪感がぢくぢくと膨れていくか、いつの間にか消滅しているか、そのどちらかだ。経験的に、後者の方がよくあることだ。いつの間にか消滅するには、原理的に時間必要から

 家を出ると小雨が降っていた。庇の外に左手をかざすと、ほんとうに細やかに、少ない量の水が手のひらに当たった。深い青空全国的に深夜であることを告げていた。振り返って家に鍵をかけてから、僕は肺にあるどんよりした空気を深い青の空気と入れ替えた。まるで僕の肺が一つの世界になっているみたいに青い深夜だった。その世界は二つあった。そのうちのどちらかに、隣部屋のお風呂匂いが流れ込んできた。歩き出した。傘はいらないだろう。煙草お菓子を買ってくるだけだ。

 思った通り、雨ざらし階段はそれほど濡れていなかった。足を滑らせる心配はなさそうだし、きっと降りはじめてすぐなんだろう。階段を降っていくと、

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」

 という、声がした。言葉ではなく、声がしたのだ。階段を降りている感覚が薄れて、ゲシュタルト崩壊してしまった。階段構成する線と線の繋がり、それがなす直角と、段差、線の全てが空白もしくは混沌世界に放り込まれた。ポケットに入れていた鍵は、僕の拳から飛び出すことなく、音を立てることもなかった。目を閉じた。「うわあ」と思った、その頃にはもうすでに階段の一番下まで辿り着いていた。でも服は汚れてしまった。階段から転げ落ちたのだ。頭の裏、腕の曲がらないところ、脚の曲がるところ、何より腰が傷んだ。それから遅れて左手に妙な感覚があった。座り込んだまま、左手を開いてみると、家の鍵を強く握りすぎたからか血が出ていた。鍵に何かキーホルダーをつけていたわけではないから、純粋に鍵で傷ついたのだ。親指の付け根に小さな切り傷が付いていた。思ったより血が出てくる。なんとなく、右の人差し指中指でそれを拭い、右の頬に付けてみた。この、なんとなくの一連の動きは、シネマスコープの中に映し出されているといいな、と思った。身体中が痛かったけど、おもしろかったから、よかった。僕は立ち上がることにした。雨は本当に少しだけ降っている。

 ここからコンビニに行こうとしている。それなりに汚れてしまったが、仕方がない。自転車を見た。自転車に乗って行こうか、いや、この程度の濡れ具合で滑って転んだのだ(たとえ変な声が聞こえてしまたからといえど。またあの変な声が聞こえないとも限らない)、大事をとって、あと気晴らしのために歩いていくことにしよう。自転車を金網越しに見た。僕は歩いてコンビニに向かう。決めたからだ。ぶらぶらさせていた右手を鼻の前にかざして、匂いを嗅いだ。鉄くさく、砂っぽかった。これでコンビニに向かおうとしているのだから、笑えてくる。いや、これは気晴らしにすぎない。コンビニ店員も、適当事情を察してくれるだろう。コンビニ店員は本当に飲み込みが早いから、わかってくれるはずだ。

 そんなことを考えていると、下には列車が通る小さな橋に辿り着いた。水色の塗装ははげかけているが、子供が手すりで遊んでいて怪我をするほどではない。おしゃれみたいに朽ちている。その下では電車が通る。橋の真ん中に辿り着いて、ここから落ちたら死んじゃうだろうと思った。いや、生きちゃう? 電圧注意と書いてあるから、落下して骨が折れたり、死んじゃう前にびりびりっと身体破壊されてしまうかもしれない。それにいま僕は濡れている。電気はよく通ることだろう。でも、痛そうだ。さっきの落下でさえ痛く、血を流してしまったのだ。僕というのは風船みたいに壊れてしまときには、弾けるように壊れてしまう。そして、壊れてしまうと、びっくりするし、うるさい。毎度この橋を通るとこんなことを考える。死ぬことはないだろうとは思うが、死んでいいかもしれないと思う。そして、橋の真ん中で線路を眺めるのをやめ、先に進もうと体勢を変えると、昼間子供達がよく遊んでいる公園が見えてくる。深夜の公園だ。いやらしいことを考えないわけではない。でも、重要なのは、いやらしいことを考えたその時には、もうすでに水色の手すりから離れて、コンビニに向かって歩きはじめていることだ。

 公園に面した道路を進むとコンビニがある。だからコンビニに向かうまで、橋の上、橋の下り、道路、と少なくとも三つの視点から公園を眺めることになる。意図して見ないときもあるが、この場所から見た公園をその時に考えてしまっているから、大体いつもみているようなものだ。道路に面している側には遊具はない。公衆トイレがあって、それを二本程度の灯りが照らしている。公衆トイレほとんど立方体の形になっていて、二つの光源から伸びるそれの姿は、三つの視点、どこからみても美しい。道路から見たとき前景に公衆トイレがあると、その後景にブランコがあって、その間くらいに滑り台がある。ジャングルジム砂場公衆トイレに隠れてしまう。

 今日こうして家を出てきて、コンビニに向かっているのだけれど、いつもは見かけない、変な影が三つの視点全てにあらわれているのを見た。人影というには小さく、あまり動いていない。でも横に長いわけではないから、犬や猫の類いではないと思われる。霊でも無さそうだ。霊に影があったら、僕はその霊と仲良くできるだろう。

 よくわからないその影は少し揺れているだけで、歩いたりしている様子ではない。ブランコ周辺でただ揺れている。こういうのはあまりない。不審な影を見かけることはよくあるが、それはその人物不審から影も不審に見えるのであって、影が独立して変な雰囲気を纏っているのはなかなかない。それに、徹底して影の主が見えてこないというのも、変な話だ。影しか見えない。特に怖がることはなかったが、

「変だなあ」とは思っていた。そのまま、コンビニへ向かった。

 その前に、円柱状の灰皿に吸い寄せられていった。右ポケットには忘れずにセブンスターソフトと、ジェットライターが入っている。ジェットライターは素晴らしい。片手で着火できるというだけで、なんだかカッコいい感じがする。喫煙にかっこよさを求めたことはないけれど。客観的にそう思う。絵になるというか。

 セブンスターを咥えて、右ポケットからジェットライターを取り出して、先端に火を付ける。ゆっくり吸う。強く吸うと美味しくない。けれど今は若干の湿気があるから、どちらにしろ美味しいのかもしれない。

 煙草を吸っていると、気分がいい。家から出てすぐ深夜の空気を吸ったように、身体の中の空気を違う空気で入れ替えているように感じる。手軽に自由を手に入れてるような気がする。これが自分の望んだものなのだと言われたら、認めてしまうかもしれない。この一本の煙草が僕の自由に繋がっているなんて、ちょっと詩的だ。けれど……

 お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ。

 これはどういうことだったんだろう。

 こと?

 あれははじめ、「言葉」として僕の身体に降りかかってきた。「言葉」が身体を貫くような感覚は、実はよくあることでもある。だからそれはいい。問題はその「言葉」が「声」になって聞こえてしまったということだ。「声」になって聞こえたということは、誰かがそれを喋ったのだ。あのとき、僕の近くには誰もいなかったから、僕の「言葉」が「声」に聞こえてしまった(?)ということなのかもしれない。つまり幻聴のようなものだ。幻聴ということは、幻? 幻には思えなかった。なぜなら、まずはじめに「言葉」が降りかかってきたからだ。幻にふさわしいのは、何の予兆もなく、何の脈絡もない「声」が聞こえてくるということではないのだろうか。あるいは、僕を貫いた「言葉」は「幻の声」を予知していた、とか。ファンタジーじみてきた。同時に自分精神的におかしいと思われる(思われてしまう)ことを毛嫌いしていることに気づいた。言葉に則して物事判断している。まるで、そうしないと生きていけないように。セブンスターは半分になっている。そうしないと生きていけないということは、僕は「言葉に則して物事判断することを望んでいる」のかもしれない。それのあらわれとして、部屋があんなことになっているのかもしれない。数日間シャワーの浴びていない自分がいるのかもしれない。言葉に則して物事判断することを望むというのは、ここまで代償が必要なんだな、とひとりごちて、笑った。口から煙草の煙が飛び出た。

 コンビニでは煙草お菓子を買った。煙草はいものセブンスターお菓子適当チョコ、なんだか寝付きが良くなるらしいチョコがあったからそれと、イカのゲソを買った。ゲソを買うとビールに手を伸ばしそうになる。でも僕はビールはあまり好きではないから、好きなのはゲソとビールという組み合わせだけだから、やめることにする。結構そこで戸惑う。けど、ビール自分には必要のないものだ。煙草チョコイカのゲソは、自分必要ものだ。

 帰り道、公園が見えてきた。あの影はまだ居るだろうか? 僕としてはいないほうがいい。帰りは行きと違って、目に入ってくる視点が二つなくなっているからだ。橋の下りと、橋の上では、振り返らない限り公園の姿を捉えることができない。公園の姿を素で確認できるのは、今、この公園に面した道路でだけなのだ。だからこそ、ここでしっかりと、あの影がまだ居るかどうかを確かめ必要がある。そうしないと、公園を背にしてからが怖い。

 立方体公衆トイレが二つの光源に照らされて伸びる影の先には、ジャングルジムがあり、わずかながらジャングルジムの影も砂場に広がっている。幾何学的な影は、砂場の凹凸に習って、あまりユークリッド幾何的ではない形になっている。ブランコにはあの小さな影はなく、滑り台にも影はない。灌木を含め、公園全体を見渡してもあの小さく、揺れていた影は見当たらなかった。僕は一安心して、煙草を口に咥えた。少しだけ、雨が強くなってきた。火をつける。

 とりあえずは安心てところだろう。もともと霊とかは考えていなかったから、特に恐れることはなかったのだけれど、一応だ、一応の確認必要だと思ってだ。それから公園から目を離して歩いてみた。なぜかまた右手の小指と薬指が痺れてきた。コンビニで買ったもの左手で持っている。右手煙草を吸うために放っている。それにしてもあの影はなんだったんだろう。影があるのだから、影の主はいるのだろうが、僕はそれを見ることができなかった。するとやはり、影は独立したまま存在し続けるのかもしれない。僕の中でも。世界の中でも。

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ」

 という声があらわしていたものは、僕の考えていたように、ものごとの素朴な存在を認めろ、ということなのかもしれない。だからこそ、影にはその元があるとは考えなくて良いし、「声」のものも、「言葉」のように独立したツールとして、その元を探る必要はないのかもしれない。だが。

 そうしたことを伝えるのであれば、やはり「言葉」に留めておくべきではなかったのだろうか? 「声」でこのことを伝えるというのは、そのもの矛盾しているからだ。通常のものの考え方ではたどり着くことができない。「声」には人を必要とするという考えは、どれだけ複雑な回路図だったとしても、確かなものからだ。僕はそう思う。「声」独立して、僕に警鐘を鳴らしていたというのは、考えられない上に、警鐘ですらない。現状の説明を、何か「声」を使って説明する必要はどこにあったのだろう。必要? では「言葉」で表す必要はどこにあるのだろう。普遍的で、使いやすいのがキーなのだろうか。それが必然に関わっているのか。でも、こうしてみると「声」も「言葉」も大差ないように思える。すると、なぜはじめに「言葉」があり「声」が生まれたのか、が問題なのかもしれない。僕はあの言葉から逃れられていない。いまだに考え続けている。もうすぐ橋を渡り終えるというのに、家に帰ってもずっと考えてしまうのだろうか。橋の下階段に足を付けると、

「お前が望んでいたものが、いまあらわれているんだよ!」

 明らかに声がした。それもあのときに感じた「声」ではなく、方角があり、ちゃんとした輪郭を持った声だった。だが、どこか浮世離れしている。それでも僕はびっくりした。何しろ深夜なのだ。僕は振り返った拍子に咥えていた煙草を落としてしまった。湿っていた地面に落ち、火が鎮む音がした。そこから煙が立ちのぼった。雨が止んでいた。

「お前がどう考えても何も変わらないが、お前はなぜか望むことができる。お前はそれを否定しているだろうが、それは、お前が望むことができてしまうことに勘づいていたからだ」

 橋を上ってくる音が聞こえる。人にしては軽い音だ。

「お前が何かを望んでいたとしても、それが叶うことはまれだ。まれということは、叶うこともある。お前はそういう能力を持っているのだ」

 橋の上に立って僕を心持ち見下してきたのは、高校一年生くらいの少女だった。それにしては身長が小さいし、逆光だからか影しかみえない。

 僕は思ったことを言った。

「でもそれって、僕以外の人にも言えることじゃないですか?」

 なぜか敬語が出た。

「そうなの?」

「たぶん」

 影の少女はため息をついた。マジで……と呟いていた。僕は聞き逃さなかった。

「お前が考えていることは、実は大切なことだ。これ以上ないくら大切なことだ。あまりそういうことを考える人はいない」

「そうなんですか。ちょっと煙草吸ってもいいですか」

わたしにもくれ」

 それにしてもこいつはなんなのだろうか。深夜に高校一年生くらいの少女と一緒にいて、通報とかされないのだろうか。僕は影の少女煙草を渡すために近づいたが、影の少女は、「少女」になることはなく、影の少女を保っていた。なんなのだろう?

ありがとう今日煙草が美味しい日だ。君が思ったことだよ」

「そうだったかもしれませんね」

「だが、お前には足りないものがある」

「なんでしょうか?」

 そこで少女は本当に長く時間をあけて、煙草を吸った。とても長い時間だったが、次に出てくる言葉がわからなかったから、僕は待っているという気分ではなかった。僕も僕で煙草を吸っていたのだ。

「お前は実は求められて、存在している」

「え?」

「お前はそれを拒絶している」

「そうかもしれませんが……」

「お前は求められているから、存在しているのだ。お前が求められなくなったら、存在しなくなる。死ぬとはまた違ったものなのだがな」

わたしはお前に求められて存在した。類を見ないほどひねくれたやり口だったがな」

 そういって影の少女は僕の手を取った。左手の血は止まっていて、傷になっていた。影の少女が、その手をぎゅっと握ると、傷はなくなった。影の少女は、影の少女にふさわしく、とても冷たい手をしていた。

「お前の考えていることは基本的に正しい。が、まずい考えでもある。それを警告しに来た。お前には知ってもらうことがひとつだけある。そのために来た」

 そう言うと、影の少女は地平線の向こう側に指を差した。何も見えない、と言うと、耳を澄ませ、と言われた。それに従って耳を澄ませていると、軽く、高いが地鳴りのような音が聞こえてきた。信じられないだろうが、線路中に列車が猛スピードで走ってきている。どの列車も見たことがない。ここは新幹線は通ってないだろうが、新幹線と同じくらいのスピードで走っている。だからか、電車にも見えない。謎の列車が猛スピードこちらに走ってきている。深夜なのに。どういうことなのだろうか。

「お前に足りないものは」

 影の少女は、橋の手すりに立った。そこで、影の少女少女になった。制服を着ていた。白いパンツが見えた。胸は小さく、確かにあった。ショートヘアだった。見覚えのある子だった。だが、会ったことはない。会ったことはないが、見覚えのある子だった。可愛い少女煙草を咥えたままだった。

 夜が静まりかえっていた。少女が決然と橋の手すりに立って僕を見下しながらも、夜空にはたくさんの星がきらめいていた。青い深夜は地平線見渡す限りに広がっていた。少女は僕を哀れむように見ていた。空間が張り詰めていた。それを揺らす列車の轟音。少女がふらっと動いた。

「圧倒的な喪失だ」

 制服少女は橋を飛び降りた。少女が地面にたどり着くころに、列車は飛び込んできた。衝突する。血が流される。さっきまで話していたあの謎の影は少女で、彼女飛び降り自殺をした。僕が手を伸ばした時点で、少女は見えなくなっていた。なにもかもわけがからない。僕は止められたかもしれなかったのに、影の少女から少女になったところで驚いて、何もできなかった。もしかしたら、なにもするべきではなかったのかもしれない。彼女は僕が求めたか存在したのだ。だが、彼女は自ら消滅することになった。ということは僕は彼女自殺を願ったのだろうか。彼女 Permalink | 記事への反応(0) | 11:49

2021-04-15

原因不明眼精疲労に悩んでいる人に届いてほしいよおおおおおお!!

眼の疲れがひどいので新しい眼鏡を作りにいったら、ひょんなことから斜視が発覚した。

思えば昔から“見る”ことが苦手だった。

・屋外で正面を見るのが苦手。

・車の運転至難の技

・なんとなく不快感を感じて、何かをじっと見ていられない。

・浮き出る絵が浮き出て見えたことがない。

・友人に通りすがっても、声をかけられるまで気づかない。

・なんとなく左眼がおかしい気がするが、何がおかしいのかわからない

コンタクト処方箋のため定期的に眼科にかかっていたが、特に指摘を受けたこともない)。

これらは

複視目線のずれで景色が二重に見えること)によるチラつき

②①を眼の筋肉補正していることによる疲れ

が原因らしい。言われてみればなるほど!

早速プリズムレンズ眼鏡を作ったんだけど、

みんなこんなに3D世界で生きてるの!?やばっ!!!

みなさんの輪郭、浮きでて見えるんですけど!?

イラスト講座とかにある消失点ってほんとにあったのか・・・

今は外を歩くのがはちゃめちゃに楽しい

プリズム眼鏡、一生愛すよ・・・

親切な眼鏡屋の店員さん、あなたのお陰でとっても生きやすくなりました。

気づいてくれて本当にありがとうございました

私の左眼、昔からあなたのことが大嫌いだったけど、

今はあなたのことをちゃんと知ろうとしなかったことを反省しています。ごめん。

それから原因不明眼精疲労で悩んでいる方、上記の症状に心当たりがあったら

しかしたら斜視が原因かもしれないので、ぜひ眼科さんに相談してみてください。

本当に世界が変わるので!3Dなので!!

このエントリが、いつか誰かの参考になれば幸いです。

2021-04-13

アイドルオタクアイデンティティ


アイドルが好きだ。


自分の身を削り、そこからまれきらめきで人びとを、世界をあかるく照らしてくれる。

そんなアイドルのことが、わたしは大好きだ。


気づいたら人生ほとんどを、アイドルオタクとして生きている。

番長推していた担当アイドル独立し、今はアーティストとして活動しているけれど、相変わらず顔も声も歌も仕草も何もかもが大好きでかわいくて大切でもう15年以上彼を推しているし、ここ数年で推しアイドルグループも増えた。

みんなキラキラしていて、最高にかっこよくて、かわいい



ところで去年、わたし転職を機に環境を変えた。地元、親元を離れて一人暮らしをはじめ、20代のはじめに就いていた業界へ復業したのだ。

業界内ではわりと有名な会社で、規模も大きい。学生時代から憧れもあったし、コロナ禍で人生設計のプランが崩れたこともあって就職を決めた。


ある程度覚悟はしていたが、予想以上の多忙さだった。

1日12時間労働が基本、週休1日だが繁忙期は10連勤以上続くのもざら。

先月まで続いた繁忙期の中で、一日に16時間以上働いた日も多かった。ちなみに残業代は出ない。

そして、わたし部署は社内唯一の一人部署のため、他の社員と親密に話すということがほとんどない。業務に関する会話ばかりだ。


当然、推しに割ける時間も減った。

HDDの容量は半年で2TBのほぼ全てを埋めた。読みきれない雑誌の山、再生できていない動画の数々、未開封のままのグッズや円盤

そして推したちのグループは今、世間から推しに推されている(ありがとう世界もっと彼らの魅力に気づいてくれ)。

そんな状況だから、ほぼ毎日のように公式アカウントから何かしらの供給が流れてくる。雑誌の裏話、新番組PR動画公式YouTubeチャンネルの新着動画……。

Twitterを開くと、フォロワーたちが自分の知らない話題で盛り上がっている。なにそれ知らない見てない。やばい、追いきれてない。

自分の目で最初に確かめいから、ネタバレは見たくない。当然、フォロワーの会話に参加できない。

余談だが、学生時代わたしは一日100post以上ツイートするツイ廃だった。今でもTwitterわたしコミュニティ形成する重要ツールだ。そこに加われないのは強い疎外感があった。


仕事でいっぱいいっぱいの精神推しの全てを把握できていない現状、誰ともプライベートな会話をできない環境

心が、自分がなくなりそうだった。

何度自分選択を悔やんだかわからない。

でもその度に「迷ったときは苦しい方の道を選ぶ」と言った推しのひとりの言葉を思い出し、仕事に立ち向かった。これが正解だ、と言い聞かせた。好きな仕事から、心底辞めたいと思わなかったし弱音も吐きたくなかった。


あるごとに、わたし推したちの言葉を思い出す。

仕事で失敗したときは「悔やむんじゃなくてなにがダメだったのか考える」、心の調子が悪いときは「毎日笑顔で過ごしてほしい。一日一回は笑って」、がんばれない日は「みんながどこかで頑張ってるって思うと俺も頑張れる」。

そうやって、心の中に推し推し言葉を宿していると、心が、身体が軽くなる。がんばろう、大丈夫、まだやれる、という気持ちになってくる。それはまさに偶像崇拝のもの


推しは偉大だ。

推しと、「推しが好き」という感情だけで立っていられると気づいた。

たとえ二日に一回しか食事をする気力がなくても大丈夫だって来月には現場がある。



それからは、隙間の時間を見つけてはコンテンツを消化するようになった。

休みの日は録画を消化し、雑誌を読み漁る。

短い休憩時間の合間にTwitterを開き、公式アカウントのpostをふぁぼってリツイートし、動画を見る。それに関する自分感情を何回かに分けてツイートし、フォロワーのpostにリプを送る。

心が満たされていく。


ああ、わたしだ、と思った。


推しのことを思考しているとき推しに触れているときわたしわたしでいられる。

からびてカラカラになった細胞が、推しに触れると体のすみずみまで満ちていく感覚になる。肉体の輪郭がはっきりしてくる。


仕事ときも膨大な量の思考はしている。しかしそれは会社歯車の一つとしての思考であって、「わたし」としての思考ではない。

大好きな推したちについて考え、その推したちに惹かれて集まってきたコミュニティの中にいるとき、ようやくわたし自分を取り戻すことができるのだ。



宇佐見りん著「推し、燃ゆ」の中で、アイドルオタクの主人公あかり推し存在を「背骨」と表現している。推しこそが自分生命の根幹なのだ、と彼女は語った。


彼女にとって推し背骨なら、わたしにとって推しを推すことはアイデンティティのものだ、と思う。

アイドルオタクとしてのわたし。それこそがわたしであり、もはやそれ以外はわたしでないとさえ思う。


推しの出ているテレビ番組配信リアタイするためなら、死ぬ気で仕事を片付けて早く帰れる。

推しが買ったものを食べ、推しと同じリップを塗り、推しが好きだという香水を買い、推しのためにかわいく、きれいであろうとする。

わたしあかりと同じだ。

推しを推すことがあたしの生活の中心で絶対」だし、「その存在をたしかに感じることで、あたしはあたし自身存在を感じようとし」ている。


から今日も、わたし燃え尽きた炭のようにスカスカ身体をベッドに投げ、推し動画を開くのだ。

わたしわたしであるために。



2021-04-12

anond:20210412223956

JKがめちゃめちゃ子供に見えるようになった

まだ小学生みたいな輪郭じゃないか

2021-04-11

親の事を何も知らない

父親学歴仕事内容、年収、幼少時代若い時・現在エピソード、両親の馴れ初め、考え方や価値観etc

を何も知らない。

仕事内容は詳しく知らないけど会社部署は知っているので大体お察し。なぜかというと名刺をコッソリ見たから。さすがに年収子供に教えなくてもおかしくはないとは思っている。厳密に言うと学歴はこれまたコッソリ卒業証書を見たので出身大学は知っている。

お察しの通り「機能不全家族」ってやつだ。

小さい時は仲が良く可愛がってくれたけど、いつからか会話をする事もほぼなくなった。

聞けば答えてくれるのかも知れないが、聞いたことはない。

母親に聞けば?と思われるだろうが、これまた微妙関係なのだ

パーソナリティを何も知らないので家族としての無条件の愛とか情みたいなものがない。でも暴力暴言みたいな虐待をされた訳でもないので嫌いでもない。

逆に彼は私がピンチの時に命を投げ売ってでも助けようとしてくれたりするんだろうか?

である

小さい時にキャラクターの絵をリクエストしたら何も見ずに描いてくれて、それが大層上手かったので驚いた。

キティちゃんとかパーマンとか。

驚いたというよりそれは「萌え」に近い感覚だった。

絵上手いんだ、小さい時から描くの好きだったのかな、みたいな。

陰キャっぽいのに学生時代の友人(男女)と楽しそうにしてる写真を見たり、運動神経良さそうだったりが垣間見えるとなんかギャップ萌えしたりもした。

人生においてのアドバイスとか役立つ話もしてもらった記憶がない。

いや、唯一してもらったのは

塗り絵はまず輪郭をなぞってから中を塗るといいんや」

という話だけである

私は一生このアドバイスを守り続けるだろう。

いや、塗り絵する機会なんてもう無いけど。

たまたま仲良し家族で育った人のブログを見て羨ましくなったのと、他の人ってどうなんだろうと思った次第。

親の事、どのくらい知ってますか?

2021-04-10

anond:20210410232820

子どもになるだけで輪郭のガタガタが緩和されるから

オトコの美容

https://anond.hatelabo.jp/20201227175704

 

苦手なことを克服するのが少し趣味みたいになってるんだけど

苦手なことって克服してもやっぱり偏差値55止まりなんだよね

素質がある人には敵わない

美容に関して言えば、偏差値55にすらまだ届いていない気がする

 

美容関係は、ざっくり分けると「整形」「プチ整形」「ケア」に分かれると思う

例えば髪だってそうで、「カツラ」「AGA」「髪に良いものを食べる」みたいな感じに分かれる

大多数の人は「ケア」をやってみて、あまりにも効果がなくて絶望すると思う

「整形」はあまりにもハードルが高いから諦めちゃうんだけど、ここ1020年はプチ整形がいい感じに成長してきていると思う

それでもまあ偏差値55行かないなという難しさがある

たぶん整形まで手を出して偏差値55なんだろう

 

それでもコスパがいいものもある

脱毛なんかは最近メンズでもブームだけど、あれは世間コスパの良さに気づいたからだと思う

個人的には歯科矯正最近新しくなってコスパが良くなったと思う、ローン効くしね

徐々に良くなってきているのが脂肪

まだまだ難しいのが皮膚系、たるみ系、あと目元

絶望的なのが鼻、輪郭(顎)

インポッシブルなのが身長

 

たるみ系のレーザーは注意してほしい、高いくせにガチで効かない(くせに需要があるから症例ばっかり多い)

個人差があって効く人は効くみたいだけど、症例みても効いてない人のほうが多いと思う

やっぱ糸リフトですかね・・・

 

ところで、たぶんブサメンイケメンに改造するのに500万円から1000万円だと思うんだけど

てことはイケメンって生まれながらにして1000万円のアドバンテージってことだよね

羨ましいわ

イケメン税導入しよう

2021-04-07

anond:20210407113225

弱者男性がなんなのかはこの数日の議論輪郭が見えてくると思う

今は定義について検討されている状態だと認識してる

2021-04-06

プリキュアラブライブって顔の個性なくね?

美人は平均顔っていうしね

顔の輪郭が丸いのとか四角いのとかつぶれ大福とか目がくっついてるとか離れてるとか鼻がクレオパトラとか歯がガチャガチャとか絶対にないよね

弱者男性」とはそもそもなんなのか

どうもこの言葉自体が大変に厄介な構造問題を抱えている気がする。

この言葉の語感から想定される意味は2つある。

まず1つは「弱者男性」。身体経済状況など、何らかのハンデを背負った男性である

DV性的被害など、弱者カテゴリに入りながらも男性であることを理由支援体制が受けられないケースは様々にあり、

そういった議論をすすめるにあたって、様々な理由により弱い立場男性包括的に表す言葉として使用される……この意味であればまだ言葉輪郭線がはっきりしておりわかりやすい。

厄介なのはもう一つの方だ。それは「男性として弱者」な存在を指す用法である一般にはこちらの意味で使われる方が多いだろう。

これは世間漠然と「男性としての魅力」と言われるような容姿経済力、社会的立場コミュ力などを持たない男性を指す用法だ。

かといって彼らは女性的なのでもない。あくまで「無」に近いのだ。

この時点でやや掴みづらい概念である。とにかく様々なパラメータにおける男性同士のヒエラルキーイメージする必要がある。

さらに厄介なのは弱者男性同士が必ずしも同じようなパラメータ構成では無いことだ。

収入は十分だが容姿コミュ力に欠ける男性弱者男性だし、コミュ力容姿がそこそこでも底辺職の男性なら弱者男性だ。

あくま総合的な強さにおいて強者である弱者であるかは決まるのだ。

よって彼らの抱えている不満は個々に全く異なる問題であり、共通する救いというもの存在しない。

弱者男性であってもパートナーがいたり、弱者男性であっても年収1000万というケースもありえないわけではないのだ。

フェミニズム用語を借りるなら弱者男性の中にもインターセクショナリティがあり、

それでいてフェミニズムにおける「女性であること」というような最低限の絶対的定義すら存在し得ないのだ。

このように、弱者男性という言葉抽象的、有機的なワードであり、その輪郭を掴むのは難しい。

これは「強者ではない男性」という消極的概念であるからとも言えるが、

同時に今の所自意識の発露としてしかこ言葉が使われないからという部分もある。

たとえ社会的成功を収め、人間関係に恵まれていても、その自意識自分弱者であるという意識があれば弱者男性になれてしまうのだ。

将来的には弱者男性の抱える不幸はそれぞれのトピックに紐解かれて議論されるべきであり、

やがてそれは男性という性が特に持ちうる弱者性として、フェミニズムと同じように議論が進むべきだろう。

このような曖昧言葉が使われるのはあくまで過渡期であるからであって、ゆくゆくは具体的な議論を伴ってそれぞれの問題解決することを願いたい。

2021-04-04

定期的に人間関係リセットしたくなる

定期的に人間関係リセットしたくなる。

高校卒業後、大学進学で上京すると同時に、地元の友人達の連絡先を携帯から消した。大学卒業して、就職したときも似たようなことをした。

環境が変わって、話が合わなくなったというようなことではない。なぜか、関係が数年続くと、だんだん煩わしく感じてしまうのだ。

今年、新卒入社した会社で6年目を迎えた。どんなに煩わしく感じても、転職でもしない限り、学生時代のようにリセットすることはできない。

向き合わざるを得ない状況の中で、本当にリセットしたいと思っているのかと最近考える。

人間関係が数年続くと、当初曖昧だったお互いの輪郭が、仕事上の振る舞いや、日常の会話などによって徐々にはっきりとしたものになってくる。

私は、その形成された自分輪郭が許せないのだと思う。理想とする自分と、他人認識している自分のズレに耐えきれず、関係を絶ってしまう。

リセットしたいのは、他人との関係ではなく、理想自分の遠くにいる本当の自分なのかもしれない。

私ってサバサバしてるからっていう漫画に出てくるデブ

絵が下手なやつが描いたデブは単に輪郭丸くしただけなのが多いけど

サバサバデブは絵がうまいからなんかエロい

作画の人絵がうまい 絵がうまいから応援したい

腕太いし腹も出てるけど乳もでかいし性欲強くてチョロいエロデブ同人誌出ないか

2021-03-30

自分の顔が嫌いだったなぁ

一重で細い目

いかにもガリ勉っぽい細く長い輪郭

高さは無いのに横にはでかい

ぼてっとしたタラコ

 

大学生の時は醜形恐怖だった。

となりのコンビニ行くのも恐怖だった。人の視線が怖かった。

自分の顔が嫌いだったのに鏡ばっかり見てたなぁ。

鏡見ててなんだか知らんけど「あ、大人の顔だ…」って感じたことがあった。

こんな情けない大人が出来上がったことが悲しくて泣いた。

大学中退した。

 

途中は省略するけど、今は人を睨み付けることも厭わない大人になれました。

なんだかんだ言って僕はしあわせです。

anond:20210330172147

言葉説明するのが難しいけど、鏡で自分真正面の顔を見るとして、

大抵の人間は顔の輪郭、顎と耳の角のラインからそれほど離れずに首筋のラインが下に伸びている

しかし、いわゆるアニメ顔は首が細いので離れてしま

これで何が問題なのかというと、下からアングルを描いたときに頭に対して首が細すぎてかなり違和感があるのである

違和感を感じないためには絵柄を変えるしかなく、例えばイデオンダンバインの湖川氏のような絵では破綻しない

しかし、湖川氏のような絵ではいわゆるアニメ顔が描けない

アニメ顔の原点は少女漫画にもあると思うのだが、最近でなくても松本零士のような絵でも女性の首は特に細すぎるのである

自由アングルから描けないということは表現制限されることに他ならない

最近話題エヴァであれ何であれ、そのへんをどう記号で誤魔化すかというのも腕の見せ所であろう

エロ漫画でも女性絶頂したとき記号として、顎しか見えないようなアングルを描き、

お茶吹いたwみたいな記号を描きたしたりしているが、

逆にいえば、中途半端に顎を上げたアングルを描くのは困難になってしまい、

鼻の穴側の面や、眼球も球体として強調しないとおかしくなる、

そして最初に述べたように首が細すぎるため顎と耳の角のラインとの間のスペースが目立ちすぎて、違和感を隠せない

それはバービーリカちゃんのような人形でもMMDでも同じで、

首を細くすると正面顔は少女漫画的にも記号として成立し可愛く感じられるのだが、

MMDなどでカメラアングルが下からになると、人体としては奇怪に感じられ違和感があるようになってしま

といっても、人体をリアルに描けば可愛気がなくなり、これはこれで日本では売れない絵になってしま

どこまでウソを混ぜるか、その混合の比率みたいなのが問題のように思う

例えば、記号としてありがちなのとして、キャラクターの横顔のときは口が横に移動しているというのがある

こういったウソをどう3DCGで描くかは難しく、結局は人間が口の穴を横に空けることなどで対処していたりする

しかし、こういった記号のためにありえないパースのために人体を捻じ曲げたり、すべてのカットでやるのは面倒である

パースは例えば初代ウルトラマンの変身シーンもそうらしく、パースのキツい人形最初から作って対処している

この場合カメラレンズ問題であるが、アニメもっと表現自由である

どんな現実にはありえないパースだって面白ければありなのである

しかし、こういったアニメ表現は著しく効率を落とすものであるとも言えるわけで、

そうなると視聴者には少しつまらなく思われるかもしれないが、手描きやCGにおける立体で破綻しないでありながら、

かつ、どれだけウソを混ぜるか、例えば目の大きさを現実よりどれだけ大きくするべきか、みたいなバランス感覚で、

できるだけ手を加えずモーションからレンダリング一発で問題ないようにできれば、

記号面白みはなくなるが効率は上がるはずである

筋トレなんてしなければよかった

世の中に「筋トレ万能論」とも言うべき説が流れはじめて久しい。

やれ筋トレすればメンタルが上向く、健康になる、モテる出世する、云々かんぬん、もはや宗教だ。

これが本当なら素晴らしいことだが、おれ自身は3年間筋トレに取り組んだ結果、鬱になり、無職になった。

筋トレに興味があって始めてみようかと思っている人、また無責任筋トレ万能論を振りかざす人に特に読んでほしくてこの文章を書く。

身バレすると面倒なので適当フェイクを混ぜるが許してほしい。

筋トレを始めたきっか

子供のころからガリガリだった。身長は180cmあるのに、体重はたった55kg。アンガールズ山根とほぼ同じ体型だと思ってくれればいい。

胸板など欠片もなくぺったんこ、力こぶを作ることもできない。

それでも大きな病気をすることもなく生きてこれたが、30歳を過ぎていきなり体の不調を感じることが増えた。

人混みで買い物をするだけで風邪を引く、数時間パソコン仕事をするだけで腰や背中が痛みだす。

これではいけないと感じ、パーソナルトレーナーのいるジムに通い始めた。

しばらくは筋トレが楽しかった

トレーナー指導を受けて、毎週2日、1回45分の運動を始めた。目標体重+15kgの70kgとした。とにかく一般成人並の体になりたかったのだ。

最初はウェイトなしのスクワットすらきつかったが、次第にダンベルやバーベルを使ったトレーニングもできるようになった。

食事も低カロリー野菜中心だったものを、卵や鶏肉ナッツヨーグルトなどタンパク質の多いものに変えて、朝晩2回のプロテインを飲むようにした。

すると体重は緩やかながらも順調に増え、1ヶ月に1kgのペースで体が大きくなり、8ヶ月後には63kgに到達した。

ぺったんこだった胸に大胸筋の膨らみが生まれ、顔の輪郭もふっくらとして健康的になってきた。

なるほど、これは筋トレにハマる人が多いのもわかる。自分の体を鏡で見るのがだんだん楽しくなっていた。

完全な停滞期

ところがここで転機が訪れる。いままでお世話になっていたトレーナー退職してしまったのだ。

新しいトレーナーに引き継いでもらっても良かったのだが、以前から高額な費用が気になっていたこともあり(1回3,000円だから一ヶ月で約24,000円になる)、ここは自分で鍛える方向でやってみようと考えた。

しかしこれがひとつ目の間違いだった。自己流に切り替えた途端、体重の増加がピタッと止まってしまった。

今にして思えば、それまで第三者いたことでできていた「自分を追い込む」という行為が、ひとりになって全くできなくなったのだろう。

それから半年、やってもやっても効果が出ず、自分はなぜ筋トレを続けているのかもわからなくなってきた。

そんな悩みを各方面に話していたら、知り合いが「手伝いますよ」と声をかけてくれたのだ。

新しいトレーナー

彼は東京パーソナルトレーナーをしている男で、ビジネス関連の交流会で何度か顔を合わせたことがあった。

おれが住んでいるのは大阪のため、毎月メニューを考えて送るので、月1回、Skypeでのコンサルタントで成果を確認しましょうという話だった。

しかも知り合い価格で、かなりの格安で引き受けてくれるという。

メニューを考えてくれるのはありがたいし、知り合いに頼めるなら安心だと思った。彼から送られてきたのは以下のような方針だった。


なるほどなるほど、これならすぐに停滞期を抜け出して70kgにも到達するだろう……そう考えていた。

相性の合わないトレーニング

しかしこれが自分には合わなかった。彼の指導を受けはじめてから1年経って、増えた体重はたったの2kg。

とりあえず65kgにはなったものの、このペースでは70kgになるまであと2年以上かかってしまう。

この状況を見かねたのか、彼からヨーグルトプロテイン冷凍フルーツを混ぜたものおやつに食べましょう」とのお達しが来た。

おれはさっそく特製ヨーグルトを毎朝作り、職場で食べる生活を始めたが、これもまた大きな効果があったとは言いがたかった。

ビタミン類はサプリメント摂取し、野菜フルーツよりもカロリーの高い卵や肉類を食べていればもっと効果が出たような気もするのだが、今となってはわからない。

結局、それから2年かかってようやく体重が69kgまで増えた。目標まであと1kgである

ところがこのとき自分にはまた別の問題が降りかかってきていた。

筋トレに疲れて仕事が手につかない

週2日から4日にトレーニング頻度を増やしたこと、また食事にかかる労力が増えたことで、仕事に支障をきたすようになったのだ。

自分はもともと食べるのが遅いので、朝食を食べるだけで30分かかる。

量を食べているから消化にもエネルギーを使い、頭がぼーっとして集中できなくなる。仕事中に休憩を取る回数が明らかに増えた。

またおれは技術職のため、仕事が終わっても自主的に本を読んだりオンラインコースを受けたりと勉強を続ける必要がある。

ところが筋トレをするとその後は何もできないほど疲れてしまうので、勉強の習慣もすっかりなくなった。

気がつけば生活ほとんどを筋トレ食事に取られ、本業がどんどんおろそかになっていた。

やってもやっても成果の出ないことにいらだち、体重計に乗るたびに自分を責めた。

筋トレ人生変わった」「筋トレポジティブになれる」という発言を読んでは、ちっとも人生変わらずポジティブにもなれない己が情けなくなった。

それでもなぜ筋トレをやめなかったのかといえば、「目標を達成できなかったら、指導してくれている知り合いに申し訳ない」という気持ちがあったからだ。

彼の顔に泥を塗るわけにはいかない。せめて目標の70kgを達成して、そこで区切りにしようと考えていた。

しかし、最大のトラブルがやってきてしまう。

コロナで全部水の泡

2020年初頭の新型コロナウィルス騒ぎである目標体重まであと1kgと迫った直後、全国に伝染病の恐怖が蔓延し、ジム営業停止仕事リモートワークに切り替わった。

ジムに通えなくなったおれのために、知り合いは自宅でもできるメニューを考えてくれたが、もはや後の祭り

食糧の買い出しすら自由にできなくなった生活の中、おれの食事量はみるみるうちに減り、体重も1ヶ月で6kg減った。63kg、つまり最初の停滞期の頃にまで戻ってしまったのだ。

「2年間の努力が全部無駄になった」という事実が、おれの精神を完全に崩壊させた。

筋トレに多大な時間と金額と体力のリソースを取られ、本業でのスキルアップもできなかった。これで筋肉さえ残ればまだ良かったものの、すべて消えてしまった。

いったい自分はなんのためにトレーニングなんかしてきたんだろう……

気づけば、勤続年数の割にぜんぜん出世もできていないし、それどころか、あとから入社してきたエンジニア自分上司になっている。

焦って勉強しようにも、本を開いても眠たくなるばかりで、何も内容が頭に入ってこない。

自分のことがひたすら無能で、無価値に感じられ、街を走っている車の列に飛び込めば楽になれるのか、と考えることが増えた。なんてことだ。

自らの置かれた立場を見つめ、絶望し、大きな後悔を抱えながら、おれは辞表を提出した。

今は貯金を切り崩しながら、実家で療養生活を送っている。社会復帰できる目処はまだ立たない。

教訓

筋トレは最強のソリューション」ではない

Twitter流れる無責任筋トレ万能論は嘘八百である

そもそも筋トレで鬱が治るなら、スポーツ選手鬱病患者はいないはずだ。あのイニエスタですら鬱だったというのに。

筋トレしているのに気分が上向かないことだってある。それを自分が悪いのだと考えるのはやめよう。

筋トレ生活のすべてにしてはいけない

ガリガリからムキムキになれたら人生きっと好転するだろうと夢を見すぎていたところがあった。

から本業をおろそかにしてまでリソース筋トレにつぎ込みすぎ、大した成果も出ず、結果として多くを失ってしまった。

どうせなら無理のない範囲で、細く長く続けていけばいい。

知り合いに指導を頼んではいけない

トレーナー指導法との相性は必ずある。合わないと思ったらすぐ変えることも必要だ。

優しい性格の人ほど、知り合いを「切る」ことができないので、十分注意してほしい。

「やらない後悔よりやる後悔」という言葉がある。おれに言わせれば、どちらも同じ後悔だ。

悔いのないくらい精一杯やれよという人がいるだろう。だが精一杯やったのに成就しなかったという事実は、より深い絶望をもたらすこともある。

筋トレなんてしなければよかった。それが今の率直な胸の内だ。

2020/3/31追記

さすが匿名だけあって皆さんコメント言及が厳しい。ここは言葉が人を殺す可能性なんて微塵も考えない人ばかりだ。

ひとつ付け忘れた教訓がある。

ガリガリの男を馬鹿にしてはいけない

(今思えば)無理な筋トレをやめなかった理由ひとつに、複数女性から体力の無さを揶揄されたことが挙げられる。

8kgの増量後、異なる女性とそれぞれ一緒に旅行に行く機会があった(二人きりではない)。その際、長距離の移動でおれが疲れを見せたり、息があがったりしている様子を見たとき彼女らは一様に軽蔑まなざしを向け、あからさまに冷たい態度を取ってきた。

自分としては8kg増量もそれなりによくやったと思っていたのだが、この経験から「まったく足りないのだ」「もっと鍛えなければ一生女性から馬鹿にされ続けるのだ」という認識を得たのだ。つまり強迫観念である

世の中、男性の体力など特に気にしない女性だって多いのかもしれない。しかし、実際にそういう態度を向けられた者からすると、その侮蔑普遍的ものにすら感じられる。

太った体型を嘲ってはいけないという常識は広まりつつある。ガリガリもまたしかりだ。何気ないその態度が、他人に強い呪いをかけることもある。みなさんは痩せ型で体力のない女性馬鹿にするだろうか。そうでないなら、男性のことも馬鹿にしないでほしい。

そしてこの文章を読んでいる痩せ型の男性のみなさんも、決して呪いにかからないよう気をつけてほしい。体力や筋肉がなくても、あなたあなたであるだけで、十分に美しい。

2021-03-15

私が人の気持ちをわからないのは空間認識力か弱いからではないか

周りの人に対して良くありたい、不快なことはしたくないと言う気持ちは強いのに、人の気持ちがわかっていないようなことばかりしてしまう。後になってからとか、または相手第三者から指摘されるとたしかに無神経なことをしたと大抵理解できる。しか不思議なくらいリアムタイムでは気付けない。5分後に失言自覚できるような発言リアルタイムでは何故かそうとわからない。何故その時にはわからないのか自分でもわからいから、どう対策すればいいかからない。

最近これは空間認識力の弱さから来ているのだと考えるようになった。状況や自分言動3D認識できない。自分視点から二次元スクリーン画面でしか脳内でも出来事の像が結ばれない。見えない部分が立体的に補完されることがない。補完して立体的に認識できないので、当然実際見えた以外の角度から出来事を把握できない。当然浮かび上がる意味趣旨が見えない。

まり俯瞰相手から見た場合出来事構成直感的に想像できないのだ。

一度出来事として起こったことなら比較的把握しやすいので後から、または補助線のような指摘をもらうとなんとか理解できるのだろう。インプット前で頭の中だけにある段階だと情報処理能力が足りず輪郭がぐにゃぐにゃしており、問題点に気付けないのではないか

2021-03-10

anond:20210310193008

根本的に自分の心に嘘ついてるんだろうな。

バリキャリの私」を肯定する価値観も実は嘘が入ってて、本当の自分の心に向き合うよりもこれまでやってきたことや獲得したものを捨てるのが怖いという方を優先していそう。

まあ本当の自分の心は「全てを手に入れたい」だ、と思うかもしれないけど、それは「5000兆円欲しい」みたいなもんで、そりゃ真の望みも当然含むだろうけどそれを正確に切り出すのが怖いから薄目でぼんやり超大雑把な輪郭だけを見てそれなんだって思い込んでるだけなんじゃね。しらんけど。

本当の自分の心にはちゃんと向き合った方がいいぞ。

2021-03-09

 リニューアル以降、はてなもういっかなーと思ってしばらく利用してなくて、でもネット上での話題を横断的に眺められるサービスとして、やっぱはてなブックマークって便利じゃないですか。そんでなんだかんだ利用してたら、富士通親指シフトキーボード製造を前倒しでやめるって記事があって、ブコメ見たらなんか呼ばれてたんで浮上しようかなと。そんでいざ書いてみたら、やっぱ、ここんとこネット上では体臭おしっこ特化のエロ小説を某所で連載している(ものすごい楽しい)以外これといったテキスト公表してないんで、近況報告でもしてみようかなと思ったらものすごい長文になってしまい、増田にあげたはいいけど2回くらい消してってのを繰り返してるうちに、エヴァ劇場版関連のエントリをちらほら見かけた。

 で、どうせ見に行くつもりもないし、なんとなく遠い知り合いくらいのつもりでいる人たちがいろいろ書いてるし読んでみるか、と思って読んでみたら、なんかアレだな、アレだなあというはるかな気分になったのでなんか書いてみます。ちなみに特にエヴァ関係なくて思いついたことだらだら書くだけのいつものやつです。いつもっていつだよ。10年前だよ。あ、書いてる人50歳です。この手の文章、年齢はっきりさせておかないと立ち位置よくわかんないと思うので。シロクマせんせが俺より10歳下っていまだに感覚的によくわかんねえんだよな。ブロガーとしてもオタクとしてもほぼ同期生に近いし。

 ちなみに2021年に生き残ってる親指シフター、たぶん大半はエミュレータふつう日本語キーボードの組み合わせだと思うので、まだまだ生きていける。むしろOSが代替わりしたときエミュレータ作ってくれる人が出てこなかったときいちばん怖い。

 エヴァなんですけど、俺はテレビ版がリアルタイム、そんでレーザーディスクレーザーディスク)で買ってそこそこ繰り返し見て、んで、最初劇場版でしたっけ、あれを一度見に行って、ああもうエヴァいいやってなっていっさいの興味を失った派です。

 まあ、呪いって感覚はわからないでもないんですよね。

 あー……なんだろな、この気分をどうやって表現したらいいんだろうな。

 生きていくうえで人間ってステージが変わったりすることあるじゃないですか。卒業とか就職とか結婚とか子供ができるとか。そのたびごとに世界の見えかたって大小はともかく変化したりするもので、そして俺が今日読んだ記事の人たちは、その変化をずっとネット上で書き続けてきたような人たちで、そして俺はその目撃者です。

 ところが俺は、特にステージを変えてこなかったし、たぶん今後も死ぬまで変えるつもりがない。俺には卒業解脱も解呪もクソもねえんですよ。

 ただ、フィクションのほうから明確に「終わり」を突きつけられた経験なら、二度ばかりありますひとつは上に挙げたエヴァ最初劇場版。もうひとつは「AIR」ってゲームです。特にAIR」による打撃はかなり深刻で、フィクション本質的には俺を救わないんだなと思うと同時に「俺はフィクションを救えないんだな」と思わされたのがかなりでかい。そのゲームを終えてからちょっとして、ある日、とつぜん空が異様に青く美しく見えたときがあるんです。別に山頂だったり空気きれいな田舎だったりということではなく、だから主観的な話だと思うんですが、とにかくそれは俺にとって決定的な原体験で、あの空の青さを解体しなければならない、それをしなければ俺はどこにも行けない。たぶんそういうのが「呪い」だと思うんです。そしてその呪いは、いまこのテキストを書いているこの瞬間まで続いています

 まあ俺のこの「呪い」が、今日記事を読んだ人たちにとっての呪いと同じものかどうかはわからないです。ただ解けるものなのかな、とは思うんです。そういう経験って、魂みたいなものに決定的な変質を強要する。それでも人は歩くしかない、そうやっていくうちに新しい歩きかたを学習するんだって話なのかもしれないですが、俺にはいまだにそうしなければならない理由というのがよくわからないのです。ひょっとしたら「しなければならない」なんてことはないのかもしれない。個人にとってよりよい、幸福で快適な状態のために頑丈な補助具をつけるものなのかもしれない。

 ただ俺は、いまだに、この年になってすら「大人になる」「あるべきところに収まる」ということに対する根強い抵抗感があります幸福道筋を用意してくれるものはいったいなんなのか。本能なのか、あるいは社会なのか。おそらくは人はみな、その人なりの葛藤や納得を経てある程度の妥協点を見つけるものなのでしょう。それは妥協点ですらなく、不可避的に押し込められた場所なのかもしれないけど。

 俺には恨みがあります。俺はかなりお育ちの悪い、まあいってしまえば底辺で育った人間なんですが、その環境さらに、今日だったら発達障害まちがいなしの太鼓判を押されるような子供でした。なので、俺をいらないといった親や世間社会というものに対する根深い不信感がある。そんなものはいい年こいたおっさんっていうかあと10年で還暦迎えるような年齢になる前にてめえでどうにかしろよ的なアレなんでしょうが、さりとて、この社会なかに自分があるべきかたちで存在できるような場所があるとも思えない。それじたいが幻想だってのはさておき、なまじ、自分のかたちのほうをさほど変えなくても金を稼ぐ才覚だけはあったために、よけいにその構造いびつなままに保存されてきた。俺は金を稼がなければならなかった。なぜなら金こそは、自分なかに他人を入れないための最大の武器からです。

 だから卒業したとか終わったとか、呪いが解けたとか、人がそう言うときに、いったいその人のなかでなにがどう変わったのかな、という思いがあります。疑問というほど強くはないです。「あー、そうなんだ……?」くらいの感じ。どっちにしろ人間にはその数だけの物語があって、その物語当人しかわからんので、横から解釈できるようなものでもありません。

 結局、あれかなあ。年食ったってことなのかなあ……。時間流れるんだなあみたいな。今回、エヴァ関連の記事を見て俺がある種の感慨を覚えたのって、その人たちの文章を昔から知ってるってのがあるのはまちがいないんですよね。「この人がこういうことを言う」っていう「この人」の部分を、テキストを通じてですけど、ある程度は把握してるから

 ただそう、俺はその時間の流れの当事者じゃないんです。傍観者。俺は現在でも、自分のなかのなんかの欠落を埋めるべく、いろんなコンテンツ摂取してる。霞を食ってるようなものなので、満腹になる日はたぶん永久に来ない。それでもなぜかそうせざるを得ない。もはや妄執といってもいい。ただ主観的には30年前と同じことやってるだけで、勝手時間けが過ぎていく。もちろん肉体は衰えていく。老眼は進む。しかしまあ、それは当然のことです。だからどうした。俺はウマ娘をやるぞ。休みだしお風呂おしっこシャワー浴びたシーンの続きを書くぞ。そんな感じです。

 というわけで、ここまでの文章量を費やしても、やっぱり、俺がいま感じた「アレなんだなあ……」という感慨に対して、適切な言葉を与えられません。しいていうのなら、俺がテキストを通じてある程度は知っていると思い込んでいる人たちが、俺の知らない場所で、俺には見えないものを見て今日も生きているということへの、ごくあたりまえの感慨なのかもしれません。一般的には、こういう輪郭曖昧な感慨のなかでぼんやりしていること自体が加齢現象ひとつといえるんでしょうか。

 俺は、インターネット以前のほうが長い人間なので、いまだにインターネット以後の現在に対して、軽い違和感や感動のようなものが残っています。会ったこともない人たちが、今日ネット文章を書き、SNSで日々なにごとかをつぶやいている。そして俺はそれを見ている。あいや、SNSのほうは特にフォローとかしてないですけど、リアルではまず知り合う可能性がなかったその人たちの活動を見るたびに、不思議だなあと、微量の感動がいりまじったような気分でいるのです。

2021-03-07

心霊写真を見せてもらった

昨日、妹夫婦がうち来たとき心霊写真を見せてもらった。

むかし二人でバリに行ったときに撮った写真らしい。

妹は気に入った内装を見ると写真を撮りまくるのが好きで、バリで泊まったホテルスイートルーム写真は200枚近くあった。

その写真ほとんどに顔が写っていた。おそらくすべて同じ顔だ。

目と眉と鼻と口だけが写っていた。輪郭や髪は無い。

おそらく女の顔。大きさは背景から推測するとだいたいタバコの箱位の大きさ。

まり撮影場所や構図に関わらず一定の大きさだった。

表情は虚ろで視線カメラとはあさっての方向を向いていた。

その顔は部屋の内装に張り付いているように見えた。

壁がある場所では平面なんだけど柱があるとその面に沿って歪んでいる。シールみたいに張り付いている。

そんなふうに200枚近い写真の一枚につき一つ女の顔が写っていた。

最初は疑ってどうやって作ったんだ?と思ったけど200枚近くの写真に顔を描くなんてわざわざするか?

顔はかなり写実的落書きのようには見えなかった。

夫婦のことはよく知ってるけどいたずらでこんな事をするほど暇ではない。

次に気になったのが、何年も前の旅行写真の異常になんで今気がついたの?ということだ。

それは顔が写真にとても馴染んでいたからという。確かに 顔が写ってるよ と言われて注意して見ないととわからなかった。

最後申し訳ないがこの写真データ処分してくれないだろうかと頼まれた。

ゴミとして捨ててもいいんだけど何かありそうで怖い。

俺は心霊とか怪談が好きなのでなにかい方法を知っているのでは?と思ったらしい。

まあ別に良いけどと引き取った。

除霊とかは分からないのでTwitter怪談好きな人アカウントにいりませんか?とメッセージを送っておいた。

まだ反応はない。

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