はてなキーワード: 独りよがりとは
その音楽的ピークはとうとうあっちの世界に踏み込んじゃいました。
アメリカーナとは関係なく、フォークロアや地域性に根を張った手垢のようなものを感じさせない普遍的、天国的で透徹した音楽。
(などと勝手に感じてしまってるけど勿論、この国の偏った舶来文化の大勢の意識の中で生きている一個人の独りよがりですが)
全ての曲が完璧ですが、とりわけrebecca sylvesterはこのアルバムのハイライトです。
そしてGastr del Solの最高到達点…のひとつでもあると思います。
「why did the sharks watch him drown?(なぜ 鮫たちは彼が溺れるのを見守ったのか)」
という述懐と共に奏でられフェードアウトしていくコーダの、夜空へ飛び立つような心地よさに何度涙したことか。
the sea incertainの複雑な和音を多用した繊細なピアノのつぶやきは、大友良英さんのおっしゃる「恋をしている気分」そのもの。
hello spiralはポストミニマルがロックやノイズと結びついた、明るみに向けてグラデーションを伴いながら上昇していく、
構造的ではあるものの、光の回廊を進んでいくようにみずみずしい喜びにあふれた名曲。
バランスを失うとときに過剰な禁欲性を聴き手に要求しがちなミニマリズムの厭味がありません。
孤独とメランコリーの彼方を遠目に深呼吸するよう甘やかな浮き沈みを繰り返すthe relay、
our exquisite replica of “eternity”の一部分と同様のループの中で(この形態での)最後の爪弾きと独白のような歌を終えるGrubbs…。
そしてエンディングはJohn Faheyの名曲に、天かけるTony Conradの純正律バイオリンと、
わずかに3(4)回ピアノの和音が雨しずくのようにそっと寄り添う雄大なもの。
もちろん冒頭our exquisite replica of “eternity”はコラージュにおけるGastrでのO'Rourke畢生の大作。
そしてアメリカ、スイス、スウェーデンなどから参集した数々の即興・ノイズ畑の実験音楽ミュージシャンとのインタラクションは壮絶です。
これは共同的な創造プロセスの成果としても音楽史に刻まれるものではないでしょうか。
中核となる二人にしろ、誰が強固に支配的であってもこの音楽は生まれなかったのは間違いありません。
聴きすぎて一通りの音が頭に入ってしまった後は(それ俺です)自分の聴く環境・コンディションの変化の中でいつまでも楽しみましょ~!
GrubbsとO'Rourkeの敬愛するLuc Ferrariが言っていました。
「結局、私の最も興味があることは擦ることのようだ」
人にもモノにも、擦り合わせることで新しい何かが生まれる興奮があるっていう事でしょうね。
さまざまな異種の要素たちが無時間的な感覚で摩擦し、それらの反発や調和が要素の単なる総和をはるかに超え、躍動的・神秘的に関わり合っていくGastr del Solの作品群も、その音楽的大成者に違いないと思います。
https://www.youtube.com/watch?v=Uqkf9QQrLoo
2020/09
人がいないのにインタビュー?
ガシマンテと似たような行動だな。
炎上しただけで逆恨みして関西大学に押しかけてスキャンダルを探そうとするの、どう見ても頭がおかしいでしょこれ。
これ警察に訴えられなかっただけだよ。
ちなみにガシマンテも風俗嬢の実家に押しかけて説教してたよね。よく似ているね。神奈川県はこんなやつばっかりなのかな。
いや、なんでストーカーが被害者を訴えるために弁護士を雇うからカンパを募っているわけ?
すごいわ。
でも、これがフェミとか反差別とかジェンダーとかいう社会学者とか弁護士とかの思考そのものだよ。
倫理とかあっても人間関係も常識もない。独りよがりで正義面。しかも迷い箸でだよ。これ、フェミとか反差別界隈と全く同じでしょ。
あと選挙プランナーに空気入れられて県議会とか市議会にいる無能な馬鹿、これも同じ。
あと退学になっているのに大学は勉強をするところですっとか言われてもお前がいうなしかない。卒業もしていないくせに、でおわり。この辺も社会になんの貢献もしないに性犯罪者データベースを振り回すSPRINGみたいなクズと同じ。
NYNJの若い連中も完全に同じ思考なので、堀口英利が異常なのではなく、NYNJとか社会学者、マスコミの女性記者が全員使い物にならないクズで頭がおかしいからこうなっている。
この堀口英利と一切変わらないレベルで全くでたらめなことしか言わないし、言えない連中しかいないから。違うわけないでしょ。
【堀口英利・外伝】史上最悪の迷惑客「ガシマンテ」とかいう特級呪物がヤバすぎる…【#2 特級呪物編】※ガシマンテは別人
https://www.youtube.com/watch?v=K-1qhIcD0qU
堀口英利に関する考察/別人のガシマンテに似てるストーカーの話【OFUSE質問回答 #110】
https://www.youtube.com/watch?v=HUIBETKiO-w
堀口英利さん(@Hidetoshi_H_ Twitter)まとめ 時々怪人ガシマンテやタキシードパンダといった別人の話も
コメントありがとう、その観点は重要なので元増田の俺が答えよう。
「傷つけ合いながら成長するのが自由恋愛ではないのか?」
許可を取ったなら、それでいい。
恋愛で人間性を成長させる練習をさせてください、と宣言して許されたなら問題ないが、信頼関係の薄い他人同士では現実的には不可能だ。しかも、この話は学生時代に恋愛をしてこなかったコミュニケーション力の未熟な人を想定してるのを思い出してほしい。練習の申し込み時点で無理ゲーなんだ。
だから実際には相手の胸を借りるつもりで勝手に恋愛を始めるしかないが、無許可なのだから定義上、胸を借りるというのは独りよがりのウソで、正しくは『胸を盗んでいる』。
主な理由は2つあって、
後者については南米等に行けば、メスカリン入りのジュース等が普通に売られているので簡単に解決する。
問題は前者で、普段から自分の本音をごまかして生きてる人は、自分の精神構造を観察できない。
たとえば「夢とは何か?」と尋ねても、正確に答えられる人は少ない。従って、見た夢の意味も理解できない人が多い。
白昼夢は寝ているときに見る夢よりも解析が簡単で、潜在意識の構造を理解するための材料として使えるだろう。
意識の構造を理解できていない人は、言い方を換えれば「自分自身について十分に理解できていない」ということでもあり、不幸になる可能性が高いという印象がある。
https://anond.hatelabo.jp/20230829161200
・私自身が現実から離れた職業、立場、人間関係になりきるパターン(以下、なりきりパターン)
・私の考えと無関係な他人の主張が勝手に流れてくるパターン(他人パターン)
いずれのパターンも歩いている最中や電車でぼうっとしているとき、入浴中などにいつの間にか始まっている。
なりきりパターンについて。
現実と全く無関係な空想がいつの間にか始まり、没入してしまう。
空想の例。
・天文学者、兼、物理学者になっていて、宇宙の端っこを手で触るとどんな手触りになるか思考実験したり同僚に議論をふっかけたりする。
・建築デザイナーになっていて、オフィスビルについ独りよがりなデザインを実施したら、使い勝手が悪くなってしまい、施主や利用者から怒られる。
・いつの間にか種田山頭火になっていて「分け入っても分け入っても青い山」 という自由律俳句を推敲しながら山道を散歩していると、本当に一面の森の中に迷い込んでしまい、怖くなる。
私は平凡なオフィスワーカーなので上記の職業とは無縁だが、何故か、気がついたら没入してしまっている。
没入している間は、空想に入り込んでしまっていること自体に気がつかない。
空想の例。
・独立して活動可能な軍隊を持たず都心の空域制限をかけられているばかりか首都を含む全国各地に米軍基地が存在する現状は、米国の属国である。速やかに核武装して相互破壊確証を確立することにより対等な同盟を結び、対等な協力関係において中国からの侵略に備えるべきである。
・稀にだが、勝手に作曲が始まることもある。音楽ジャンルはボサノヴァが多い。
特徴として、他人パターンでは、流れてくる主張に対して無意識的に反論を開始してしまう。反論は私自身の考えになっている。
例えば、皇居の京都市移転については警備体制をどう確立するのかとか、京都は空港が遠いので公務において不便ではないかとか。
こうした空想が勝手に始まる、という話を人にしたところ、驚かれた。
その人は、現実の仕事や生活に思いを巡らすことはあっても、現実と無関係な空想が勝手に始まることはないらしい。
歩きながらや電車で立っているときにも空想が始まるので眠ってはいないと思うのだが。
私の頭がおかしくなっている可能性を考えたが、以下の根拠から、正常だと判断している。
・現実の仕事では、係長補佐のポジションで可もなく不可もない人事評価を得ており、小規模プロジェクトのリーダーや新人の教育係を任されている。この事実から、少なくとも上司からは普通の人間だと認識されている
・同僚は最低限修士号を持っていて、博士号所持者、東大卒、華麗な職歴の人間も多く、日本の平均よりは頭の切れる者が多い環境だが、私が特別下に見られている感じはしない(私自身は部の約100名中おそらく最低レベルの経歴だが…)
・既婚なので、配偶者からは、少なくとも結婚した時点では致命的な問題はないと認識されている
・以前最大で月間200時間の残業を経験しており(註:過労死認定ラインは100時間ないし80時間)、希死念慮が生じたことさえあったことは気になるが、現在はそこまでの負担は感じていない。そもそも学生時代からこうした空想は始まっていた。
・以前発達障害を疑ったときに知能検査を受けたが、問題なし。WAIS IIIで全検査IQ130、言語性IQ135、動作性IQ125。他に性格検査のようなものも受けたがそちらも問題なし。
ちょっとひけらかすような説明も入ってしまったが、以上の根拠から、私の頭がおかしいわけではない。
現実の仕事や生活のことばかり考えて息苦しくならないのだろうか?
また、毎回意識的に考えごとを始めるとしたら、そのたびに「考えごとを始めよう」という意志をもって考え始めるのだと思うが、毎日色々なことを考える中で、都度都度、意志をもって考えはじめるのは、疲れないのだろうか。
この増田を見た率直な感想は「今の日本人はユダヤ人よりも知性が低い」ということ。
なぜか?
このうち経験について、今の人間の技術では「自分と同じ経験を他人と共有する方法がない」ということが理解できていない。
自分の得た経験について、自分自身では納得できても、他人に証明する手段がない。
例えば「神に会った」という精神病患者等がいた場合、その患者は自分の経験の正当性・実在性をどうやって証明すればいいのか?どうやって、自分と同じ経験を他人に経験させることができるのか?
経験の性質、特にその証明方法について理解できていれば、増田のように「とても不思議である。」などとは決して言わない。
(正確には「自分と同じ経験を他人と共有する方法がない」ではなくて、一定の条件下においては可能なのだが、長くなるのでここでは割愛。趣旨とはズレてくるので)
昔の日本人は日常生活で大麻を利用していたが、敗戦後は禁止された。
ドラッグを使って人間の精神構造を研究する医療分野があるけど、なぜ一般人には禁止されているか?その本当の理由を知らない人が多い。
夢の意味など、精神の構造を理解できていない日本人は、日本とは違う法律の外国へ旅行したらいいかもね?(コロナの影響が残っているので安全には注意が必要)
希望というのは高いところにあってエレガントな手段を繰り返し出すことによって次第に到達していくものと解されるが、お前のようなクソが必ず出てくることになっているから、
多くの者の意欲を減退させ、やる気をなくさせ、希望には届かない状態であると解するのが相当である。被告人は戦争が希望であるという独りよがりで独自の理論を持っているが
それを実行すると反対者が続出する状態となり、希望に到達するエレガントな手段は出現しない。下坂行雄が実行していることは自己独自の希望、すなわち、地方再生と支持者対策
だけであり、それ以外にこいつから出るものはなく、目指している結論および、こいつから出てくるものはいずれも希望にはならないので、退廃的な街になっている。
・私自身が現実から離れた職業、立場、人間関係になりきるパターン(以下、なりきりパターン)
・私の考えと無関係な他人の主張が勝手に流れてくるパターン(他人パターン)
いずれのパターンも歩いている最中や電車でぼうっとしているとき、入浴中などにいつの間にか始まっている。
なりきりパターンについて。
現実と全く無関係な空想がいつの間にか始まり、没入してしまう。
空想の例。
・天文学者、兼、物理学者になっていて、宇宙の端っこを手で触るとどんな手触りになるか思考実験したり同僚に議論をふっかけたりする。
・建築デザイナーになっていて、オフィスビルについ独りよがりなデザインを実施したら、使い勝手が悪くなってしまい、施主や利用者から怒られる。
・いつの間にか種田山頭火になっていて「分け入っても分け入っても青い山」 という自由律俳句を推敲しながら山道を散歩していると、本当に一面の森の中に迷い込んでしまい、怖くなる。
私は平凡なオフィスワーカーなので上記の職業とは無縁だが、何故か、気がついたら没入してしまっている。
没入している間は、空想に入り込んでしまっていること自体に気がつかない。
空想の例。
・独立して活動可能な軍隊を持たず都心の空域制限をかけられているばかりか首都を含む全国各地に米軍基地が存在する現状は、米国の属国である。速やかに核武装して相互破壊確証を確立することにより対等な同盟を結び、対等な協力関係において中国からの侵略に備えるべきである。
・稀にだが、勝手に作曲が始まることもある。音楽ジャンルはボサノヴァが多い。
特徴として、他人パターンでは、流れてくる主張に対して無意識的に反論を開始してしまう。反論は私自身の考えになっている。
例えば、皇居の京都市移転については警備体制をどう確立するのかとか、京都は空港が遠いので公務において不便ではないかとか。
こうした空想が勝手に始まる、という話を人にしたところ、驚かれた。
その人は、現実の仕事や生活に思いを巡らすことはあっても、現実と無関係な空想が勝手に始まることはないらしい。
歩きながらや電車で立っているときにも空想が始まるので眠ってはいないと思うのだが。
私の頭がおかしくなっている可能性を考えたが、以下の根拠から、正常だと判断している。
・現実の仕事では、係長補佐のポジションで可もなく不可もない人事評価を得ており、小規模プロジェクトのリーダーや新人の教育係を任されている。この事実から、少なくとも上司からは普通の人間だと認識されている
・同僚は最低限修士号を持っていて、博士号所持者、東大卒、華麗な職歴の人間も多く、日本の平均よりは頭の切れる者が多い環境だが、私が特別下に見られている感じはしない(私自身は部の約100名中おそらく最低レベルの経歴だが…)
・既婚なので、配偶者からは、少なくとも結婚した時点では致命的な問題はないと認識されている
・以前最大で月間200時間の残業を経験しており(註:過労死認定ラインは100時間ないし80時間)、希死念慮が生じたことさえあったことは気になるが、現在はそこまでの負担は感じていない。そもそも学生時代からこうした空想は始まっていた。
・以前発達障害を疑ったときに知能検査を受けたが、問題なし。WAIS IIIで全検査IQ130、言語性IQ135、動作性IQ125。他に性格検査のようなものも受けたがそちらも問題なし。
ちょっとひけらかすような説明も入ってしまったが、以上の根拠から、私の頭がおかしいわけではない。
現実の仕事や生活のことばかり考えて息苦しくならないのだろうか?
また、毎回意識的に考えごとを始めるとしたら、そのたびに「考えごとを始めよう」という意志をもって考え始めるのだと思うが、毎日色々なことを考える中で、都度都度、意志をもって考えはじめるのは、疲れないのだろうか。
■ 追記(2023/09/07)
返信・はてブのコメントを頂いたので、主要なものを抽出のうえ、私からのリアクションを追記する。
私自身は空想癖で困ってはいないが、同じことで悩んでいる方の参考になる可能性があるので、情報共有として……。
(虐待や近親者の死といった高ストレスに晒された経験はないか? ストレスへの防衛反応として空想癖にはまっているのではないか)
一日三食食べられない時期があり、公立高校の学費すら捻出できない程度に、実家はお金がなかった。大学時代は奨学金とアルバイトで学費・生活費の全てを賄っていたが、積み重なっていく借入額を見て、返済が常に不安だった。当時、また卒業してから数年間も、学費不足で大学を除籍される悪夢をよく見ていた。貧乏は日本中にたくさんいるので客観的には大した悪条件でないが、当時の私にとっては人生上の最大の問題だった。
(自分も空想癖がある。しかし日常生活、社会生活に支障なければ問題なし)
私も同意見。私が病気ではないかと心配くださる方もいたが、生活に支障はないので、解決すべき問題だとは捉えていない。
以前小説で小金を稼いだことがある。しかし漫画も小説も競争が激しく、生き残れるのは本当に僅かな人たちだけなので、職業にするのはおすすめしない。
私の場合プロットをまとまるだけで数ヶ月かかるがそれでも編集会議を通過できるとは限らず、そのうえ1〜2年かけてようやく一冊書いても、経済的に報われる可能性は低い。
家庭や本業(会社員)がある状況で、それらを少なからず犠牲にしてまでやりたいことではないと思ったので今は書いていない。趣味で別ジャンルの創作はしているが。
(他人の主張が勝手に流れ込んでくるのは統合失調症ではないか)
私は社交性が低く、感情的に淡々としており、猜疑心が強い方なので、統合失調症的な傾向があることは否定しない。
しかし取引先とのコミュニケーションや、日々の会議のファシリテーション、特許のような論理性を要求される文書の理解ができていることから、病気ではなくあくまで個人の気質・性格の範疇と捉えている。
他人の主張が流れ込んでくる件については、その折々で議論されている時事問題に関した主張が流れ込んでくるケースが多いことから、どこかで見聞きした他人の主張を頭の中で勝手に反芻しているものと解釈している。というか、今、そう思った。現に最近はビッグモーター社や世界の景気減速といったトピックが多い
私の診断結果ではADHDの傾向は全く無かった。ASDの傾向はややあった。それでも発達障害といえるレベルでは全くなく、個人の性格の範疇とのことだったが。
逃げだすのは、人間らしくないよ。男らしくないんじゃあなく。
ほとんどすべてのケースで実際には女は男に、男らしくなんて求めてないよね。
「当然のことをしただけですよ」で終わるような人間として当たり前の振る舞いと
人間を人間として扱うのを求めてるだけ。女性として扱うんじゃなく、さ。
人間らしさを男らしさと言い換える人たちがいる。
ネットの一部の特殊な人たちは、「女は暴力的な男が好きなんだろw」「じゃあ暴力してやるよ」「暴力やめたら惚れない? 話が違うじゃないか」と独りよがりしてる。
ただそれだけの話だから気にしないで。
二十代後半に差し掛かったストレートの男性で、女友達もいて、社会性もあり、リベラルで、しかしセックスの圏外にいる。恋人がいたことはなく、もちろん童貞で、性風俗にも縁がない。
恋人が欲しいか、とか、セックスがしたいか、と言われると、子どもは欲しいと思う。とりあえず結婚して、子をこしらえて大切に育てる方が後々の人生で利になりそうだから。少なくとも制度的につがいを登録した方が良い設計になっているらしいから、という程度だ。
客観的に見ても温厚で、そこそこ善良なほうの人間だとの自負がある。フェミニズム(といっても立場は様々あり闘争の歴史もあるみたいだけど)への理解も、あらゆる差別への反感もある。常に自分の言動が差別的になっていないかという超自我的な検閲がある。その上でどういった立場のものであれ、流行りの、強い言説に自分の言葉や思考を乗っ取られてはいけないという危機意識もある。そういう意味で、かなり丁寧な生活を心がけている。
ところで、セックスは話題に事欠かない。最近も性的同意が確認できるアプリが開発中で、それに反対する声が上がるのを見たし、そのちょっと前だと『射精責任』の著者のバックグラウンドを訳書で明示する責任について議論があった。そのもう少し前には人工妊娠中絶をめぐるアメリカのどこかの州でのひどい立法が話題と運動を呼んでいた。AVを見て勉強をしている男の独りよがりなセックスへの批判なんかは何度となく見た。もう本当に過去の話題を半年も覚えてられないくらい、定期的にみんなセックスの話に夢中になる。
もう勝手にしてろよと思う。確かに、それぞれの問題には程度の違いはあれ被害者がいて(AVセックス男もゴムをつけてたら生中出し強要中絶反対男の悪行よりはマシなはずだ)、解決すべき社会課題だし、社会課題の解決には関心を集めるのは重要な要素らしいのは分かる。
でもまあ、勝手にしてよと思う。セックスさせろとか、俺に女を当てがえとか、そういうことを言いたいのではない。「お前はそういうことを本当は言いたいのだがカッコつけてたり本音を抑圧してたりしているだけだ」と言う反論が正しかったにしても、結局のところ私はそういうことを言わないのだから、意味をなさない。
勝手にしてよ、とだけ思うのだ。遠い国の小競り合いを見ている気分になる。セックスはどうあるべきとか、性交同意のあり方とか、みんな一生懸命議論しているのがバカみたいに見える。バカみたいに見える自分が愚かしくも見えるので、そこだけ最悪だ。セックスの圏外にいるストレスは、こうした議論の分からなさにある。
「勝手にしてよ」と涼しい部屋で独り言をいってもられないな、と思ったのは次の記事を読んだから。
「なぜ男は「ゴム無し無責任射精」にとらわれてしまうのか?【藤澤千春×山下素童 射精責任対談】」https://yomitai.jp/special/shirodo-fujisawa/3/
『射精責任』の邦訳版編集者の藤澤氏と、「素人童貞」だったライターの山下氏の対談。藤澤氏によると、声優の黒沢ともよさんが夫と『射精責任』を読んだというツイートに、「もう忘れたい」と嘆くものや、プロ意識のなさを糾弾するものなど、ひどい引用リツイートがかなりついたらしい。藤澤氏が紹介したエピソードについて、山下氏は引用をした人 (女性ファンの好意的な反応に対照させて、否定的な反応をつけたのは男性であることに自然になっているが、私も正直そう思う)にいったんは同情的だ。しかし、「目の前にいる女性のことを考える」ことができるようになると、男性社会で負けたこと(=黒沢さんが特定の男性と結婚したこと)、つまり自分についての言葉より、黒沢さんの微笑ましい夫婦生活への祝福の言葉が出てくるはずだという話になり、山下氏が「目の前にいる女性のことを考える」ことができるようになったきっかけとして、恋人との二年間の同棲生活があったという話になる。これが特殊な経験であることは氏も強調しているのだが、要は女性をめぐる男性社会の競争やコミュニティ内の男性的コミュニケーションみたいなものから降りて、セックスや快感のことについて自分と相手でちゃんとコミュニケーションをとろうぜという話になる。まるでセックスに圏外が存在していないかのようだ。なんかこの人たちはセックスの圏外の圏外ぶりを侮ってるんじゃないかという気分になる。黒沢ともよさんのエピソードからこの話が展開しているから余計にそう思うのだ。醜い引用リツイートの数々は、果たしてセックスの圏内から発されていたのか。セックスの圏内から、セックスの圏外を眺めることは可能なのか、これは思っていたより深刻な断絶があるのではないかと、いろいろなことを考えさせられてしまった。
まあだからどうしろという話でもないんだけど、セックスの圏内に声を届けたくなったときがきたら、こんなに大変なことはないだろうと思った。
バービーではマンスプレイニング(男が女に上から目線で、趣味などについて説明したがること)について、表面的には「男の馬鹿げた習性」として描いてるけど、
それと並行して女性達が、女がいかに虐げられてるか「説明」して回ることで蒙を啓いていくという展開について、まだ上手く咀嚼できないでいるけど、気になっている。
バービーの映画パロディネタ(いくつかは男性向け映画のネタと思われる)が、必ずしもフェミニズム一辺倒の意味ではないっぽくて、
それを男達が説明したがること、この映画によって説明を封じられることも視野に入れて仕込まれてるんだろうか?
今まで俺が書いた日記はほとんど反応なかったので、反応貰えてびっくり。
映画全体としては男女関係なく、「人間として云々」みたいな着地だと思うので、
このシーンが男女のどちらかに偏った悪意が向いてたとしても、まあいいやと個人的には思ってる。
同じ監督の「レディ・バード」でも、主人公はいささか強権的な母親に反抗しつつ、最後は母親側の事情を知ったりして和解するという展開だったし、基本スタンスはフェミニスト側なんだろうけど、それなりに正気というかバランスとか複雑さを持った監督なんだろうなと感じた。
「男が説明したがるのは鬱陶しい習性かもしれないけど、バービー達が今しているように、必ずしも独りよがりな快感のためにやっているだけではなく、バーニングマンの『ギブの精神』よろしく、頼まれもしないのに無償で知識を与え合う事で男達はブンメーをシンポさせてきたのだから、女もそうしていけば良い」
というような、男女両側にポジティブな解釈できないもんかな、なんて思った。
あるいは、
「このバービー達のように他人の説明で目が覚めるなんて事は現実にはありえない。ただのサウスパーク的なやり過ぎステレオタイプ演出なんだから、女達は男の説明に頼る事なく自分自身で学んでいかなければならない」
みたいな事なんだろうか?
どのみち深読みし過ぎかもね。
個人的な体験談になるけど、昔一人の腐女子と仲良くしていた頃、その腐女子から早口のオタク喋りでよく分からない知識を延々語られるというのが日常茶飯事だった。
だからマンスプが男特有のものという実感が、俺にはあんまりない。
当時はインターネット男女大戦なんて全く知らず、俺もよくオタク喋りをやり返して、共にオタクとして深化していったのが今となっては良かったのか悪かったのか、ただの懐かしい思い出になっている。
事務所盲信擁護派「ジャニーズ最高!中居もTOBE(だけ)に苦言言ってる!」
事務所アンチ過激派「中居くんのことも好きだったのに事務所擁護してTOBEに苦言って失望した!」
中居担当わたし「芸能界全体に圧力忖度するなってデカい釘ぶっさしたの、ファンじゃないとわからないのかな?」
どれでもない他の視聴者「中居くんは音楽の日でも事務所の垣根こえたこと喜んでたもんな〜」
しらない人向けに解説すると(あくまでわたしの解釈ですが)だれだって独りよがりはダメだよ、協力していきましょうって言ってるだけです。
どっちかじゃなくて両方、なんなら全体に向けて言っていると捉えたほうが良いです。
それにトニセン(とくに子会社とはいえ社長である井ノ原くん)が理解を示す画は業界にでかいインパクトになると思います。
圧力や忖度を求めていると思われている人がそれはいりませんと示したわけですから、番組を見た業界人がどう動くのか見ものですね。
文字だけでは伝わりにくいニュアンスを多分に含む内容を、ネットの切り取り記事や他人の言葉だけで判断するのはもったいないですよ。
活動家に片足突っ込んでるな。
認知が歪まない保証なんかないのは、小説でも井戸端会議での陰口でもすべて言えることだろ。フィクションと現実を区別できない幼児性は性犯罪者とフェミニストの大きな共通点だぞ。この点に関しては、イコールと言っても差し支えない。
とは言っても、一方で氾濫する盗撮動画とか性犯罪ビジネスの資金源を断つのは正攻法なので、それに関しては好きにやればいいと思う。
ただし、一番大切なことは「殺したかった」気持ちになっている彼女から復讐心を取り去って正常に戻してあげることだろ。目を具体的かつ眼の前にあるものに向けることのほうが大切で、独りよがりの正義に酔った活動はそれに必要ないことに気づけよ。活動家になるのは余裕ができてからにしたらどうか。
言及先が完全に引用記事の内容を曲解しているのでなんちゃってコミュニティノートとしてエビデンスをつけて読者に注意喚起する。
Aがこのエントリの言及先で、AはBを引用してBについて書いている体で全く関係のない内容を書いている。
Bは個人のブログでCを引用してCについて理由を考察している。Cは消えてるので魚拓から最新を取得している。
まず、BとCの流れをざっくり要約する。
Cでは30歳になったばかりの増田が高齢者のオタク差別が異常だと書いている。ただし、差別しているのは40~60代と思しき人としてオタクに限定していない
Bでは、差別される側であるブログ主が『「自分はオタクだけど」と断って非難する』理由を考察し、オタクを見下すことを非難している
これを踏まえてA増田を読み解く。A増田は以下のように記述している。
意見が違う部分はブコメでコメントされてもいる「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という所。
私もこのブコメに同意で、そもそも今の「オタク」とオタクを見下し批判している高齢オタクは全然層が違う。だから本当はこれは「同族嫌悪」ではない、そもそも同族ではないから。
この人結局対立炎上商法に走り始めちゃったか。こないだはてブでも話題になってたように、今世間に受け入れられてる「オタク」はそもそも従来のオタクと違う層なのに混同してるからズレが出てるんだと思っている。
ブコメもA増田もBを全く理解していない。Bは現在のオタクと従来のオタクは違うものと明確に分けており、批判対象を従来のオタクに絞っている。A増田は不一致点として「今の(若い)「オタク」と従来の「オタク」は違う層であり、混同するとズレが生じる」という点を挙げているが、Bでは宮崎駿や第一世代の庵野秀明をプレオタク世代として、彼らの世代にあったオタク差別を背景とした従来オタクの階層意識を批判対象としCの理由と説いている。混同など全くしていない。
さらに全く逆の層を従来のオタクにすり替えている上にテーマが全く変わっている。
BやCが従来のオタクとしているのは表現規制を支持するフェミニズム、すなわちミサンドリー側である。ブログBの題名を見たら明白である。萌え批判や表現規制、統一協会と関わりがあると発言しているのは専らこのタイプである。以下、それぞれC、Bからの引用。
Twitterではオタクでありながら表現規制に賛成し、「萌えオタク」を過激に非難する人々が散見されるが、その背景にあるのもこのような階級思想である。
必要ならid付きでブコメを引用するが、端的に言えば、BやCが差別する高齢オタクと批判しているのはA増田のようなミサンドリーでありA増田が言及しているのとは真逆の層である。その上で、「高齢オタクの異常な同族嫌悪はもうやめよう、若いオタク達の為に」という題名をつけながら全く関係のないフェミニズムの話を主題に据えている
AはBやCを全く踏まえていないどころか完全に曲解して独りよがりの持論を展開しているものである。
ブログBについて、若干記載不足による誤解を生む危険があるので追記する。
本エントリでは、”BやCが差別する高齢オタクと批判しているのはA増田のようなミサンドリーであり”と記載しているが、Bが批判しているのは、「立派」で「まとも」ではないオタクを見下すオタク内ヒエラルキー思想をもったオタクである。その例として表現規制を支持して萌えオタクを過激に非難する人を挙げている。フェミニストと称するミサンドリーはまさにその典型例だがBが批判する対象の全てではなく一部である。
フェミはお気持ちに任せて意味不明の長文を書く傾向にあるのでAIに要約させた。リンク元も読ませてある。
ミソジニー連呼する高齢オタクのエビデンスのかけらもない独りよがりの論理だということがわかると思う。AIはこう指摘する。