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⑩食べ放題の店で柔道部や相撲部は食べすぎるので出入り禁止 → OK
「食べ放題は店が黒字になるシステムで料金設定がされているのですが
食べ盛りの柔道部や相撲部の部員に頻繁に来られてしまうと、店の経営が立ち行かなくなってしまいますよね。
そのため、店の営業の利益を守るという合理的理由があり適法とされる可能性が高いでしょう。
https://sirabee.com/2016/02/02/82449/
ここで、“食べすぎること”が合理的な理由にあたるかが問題になるところ、食べ放題は
基本的に“フードファイターのようなプロまたはプロに準ずる大食いではない一般人”が来店することを前提に料金設定がされていると思われます。
その意味では、今回のプロの大食い選手や、一般人の何倍も食べる相撲の力士などが来店して大量に食事をされると
採算が取れなくなってしまうため、そのような客をあらかじめ一律に断ることには合理的な理由があるといえそうです。
そのため、食べ放題の店で一般人をはるかに超える量を食べる大食いの人をあらかじめ出禁にすることは合理的な制限として社会的にも許容されると言えそうです。
顔を見て、かっこいいとかかわいいとかその容姿を魅力に思う気持ちと、性器を見てエロいと思う気持ちって、言葉が違うだけで大差ないのではないかと思ってる。
言葉の違いが認識を変えさせてるという哲学の話じゃないが、なぜ座頭相撲とか公唱制度やってた国がここまでエロという概念をこしらえてそこに忌むべきものとしていろんなのを突っ込んで公然と言えない空気にしたかというと、
公然と水着の女やグラビアアイドルを見ていいなと思うことはよくて、海外のヌーディストビーチを裸体鑑賞目的で行ったら変態と思われることには、どうにも恣意性を感じるというか。
でこまん事件みたく性器ひっさげて表現の解放を主張するのは過激派的だとしても、刑法175条の緩和を謳うならエロ漫画テイストの性器が見える構図の裸体に性器部分だけモザイクかけたパネル貼った街宣車で選挙活動するぐらいのことはあってもいいんじゃないか。
もちろんこれすら「良識」ある人間としては抵抗を感じてなかなかするのが正しいことと思えない部分があるが、この良識感覚自体なにか誰かの都合で、サブリミナルナッジ理論そのほか無意識に作用する社会的手法を意図的に使われた刷り込みに感じる。