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はてなキーワード: 絶対的とは

2018-05-22

anond:20180522150559

自分精神を安定させるために共感が欲しいというより

「誰にも反論できない絶対的に正しいこのような理由においてこういう状態が男女が完全に平等状態です」という

明確な定義が誰にも出来ない以上

共感を呼ぶ主張によって男女平等とされるライン恣意的に動かされるという構造に世の中がなってしまっているわけであり

別に共感してほしいと思っていなくてもあまりに横暴なラインの動かし方を誘導するような言説に対してはカウンターを当てていかないと

自分たちがワリを食わされる時代になって突入してしまっているのです。

そのためにバカバカしいと思っていてもある程度のカウンターを当てることは自分人権を守るために必要なのです

2018-05-21

anond:20180521211417

エベレスト登山は虚栄心だけじゃできない。絶対的に金がなきゃスタートラインに立てない登山。金を出し絶対いつか死ぬ登山やらせ続けてたスポンサーファン、講演に金払って行ってたやつ、メディア自己啓発界隈すべての責任

2018-05-19

anond:20180519113526

性犯罪の9割は冤罪だろう

見るからにガラの悪そうなのが集団レイプしたら自殺して

弱そうな相手からなめられたと思ったら満面の笑みで警察に訴える

絶対的な格下だと思ったらやられてなくても通報するんだろ

恋人だったら無罪友達だったら有罪夫婦でもいやだったら有罪???

性犯罪ほど実在胡散臭い犯罪はない

anond:20180519014904

そういう面は確かにあるが、読者が脳内に作り上げた「キャラ像」みたいなもの絶対的に正しいわけじゃないはずなんだよね。

しろ創造主である作者側の方が、キャラ人間的なゆらぎをベースの時点で組み込んでいて、今まで見せてたのはその一部にすぎない、と考える方が妥当

読者が現時点までの発表分から勝手イメージを固めて「飛影はそんなこと言わない」的な事を言ったとしても「はあ?何様なの?」って受け取るのが普通だし読み手として謙虚姿勢だと思うんだよね。

でもそれが最近の人には理解できない。なぜならネットでのファン同士の会話や二次創作を通してもう「勝手キャラを固めまくっている」から。それが正義と思い込む。

結果として、「創作を楽しむの下手くそか」とツッコミたくなるような人たちが大量発生するんだよ。

2018-05-11

anond:20180511211858

増田だけど「思ったより」って主観の話でしょ

3割と7割の絶対的比較の話ではないのでは

2018-05-07

座右の銘とか心に響く言葉とか名言とか、一見そうなのかもなとは思うけど、いやそれ絶対的なことのように言われてもそんなん捉え方次第だし笑ってまうわ、という考え方のことをなんと呼べばよいの?中二病

2018-05-06

anond:20180506215635

でも全てが相対的という思考絶対的価値観存在を信じるのもどちらも妄想じゃないですか?

2018-05-05

野球という欠陥だらけのスポーツ 」に真面目に回答してみる

https://anond.hatelabo.jp/20180503192028

出遅れしまったが、野球話題はてなで伸びることはあまりないので真面目に答えてみる。

競技フィールド問題

ブコメでも大量に指摘されているが、広大なフィールド必要とする競技は中心となる競技エリア以外の規定はアバウトに設定されていることが多い。サッカー競馬クリケットウインタースポーツ等の自然環境を利用した競技など。これらのスポーツが厳密に設定されたフィールドしか行えないのであれば、プレイする場所が限られすぎてしまうために現実的でない。

言うまでもないことだが、敵も味方も同じ環境で行っているのであれば場所の違いによる標準化問題は多少は許容されるのが大抵のスポーツ普通である環境標準化問題でいえば、標高差・湿度・風速・道具の問題など枚挙に暇がなく、野球に限った問題ではない。

プレイの洗練の問題

プレイが洗練されているかどうかは個人主観に拠るところが大きいが、サッカーシミュレーション柔道レスリング化等、野球に限った問題ではない。

<第三アウトの置き換え>

マンガあまりにも有名になってしまったが、個人的にはあまり問題に思ったことはない。現実殆ど起こらないので。というか、分かりづらいこととはいルールブックに明白に書いてあり、適用事例も示されていることを「曖昧」というのはどうか。問題にするとすれば厳密に適用されていないルール(例:バント時のバッターボックスからの足のはみだし)やチェックスイングの判定じゃないのか?

サイン盗み>

これもブコメで指摘されているが、サイン盗みが横行するとサインが複雑になり、試合時間無駄な延長に繋がるため。

故意のファールの見分け>

これはブコメになかったので解説する。通常バッターは打った直後、打つ方向に向けて頭(目線)が自然と向く。右打者なら打球を引っ張れば目線はレフト方向に行くし、流せばライト方向に向く。(たまに打球方向と目線の向きが異なってしまった場合が"あっち向いてホイ"状態である。)

打球をフェアゾーンに飛ばそうとしている打者はフェアゾーン方向に自然目線が向いているのが普通なので、打球を放った直後にフェアゾーン目線が向いておらず、打ったファール方向に目線が向いている場合故意にファールを打っていると見なすことが出来る。日本ハムにファール打ちを故意に行っているとされる中島卓也という選手がいるが、是非動画サイト等で彼がファールを打っている時の頭(目線)の向きに着目して欲しい。センターカメラから見て三塁ベンチ方向(つまり打球がファールしていく方向)に目線が向いていることが殆どである

しかし、故意にファールを打つ行為は打球をフェアゾーンに飛ばすことが目的であるはずのバッティングと相反する行為であるので、ルール上反則ではないものの、それに反感を覚える人が多いのは理解できなくはない。個人的には、故意のファールそのもの認定するのは線引きが難しいので、12連続でファールを打ったらアウトぐらいのルールを設けてもいいようには思う。

なお、ファールの方向に頭が向かずにファールで粘れる選手はかなりミート技術が高いと評価でき、プロの一流打者なかにはしっかりとしたスイングをかけながらファールで粘れる変態的打撃技術を持つ選手もいる(元日ハム阪神片岡篤史など)。

<大量リード時などゲーム終盤の手抜き>

サッカーの終了間際のボール回し、競馬勝利が確実なときに鞭を使わない、陸上距離決勝進出が確実な選手準決勝まで流す、カーリングのコンシード等、その試合のみで全てが終わるわけではない大会においては体力温存などのために最後までプレーしない行為は広く行われている。





以下はブコメ意見に対するレスポンス

バット振って当たればラッキーみたいな感じでスポーツとして怪しいかも>

130km/hのボール投手から打者まで到達するのにおよそ0.45秒、115km/hではおよそ0.51秒であるリリースポイントが投球板から2m打者方向、球速が一定仮定した場合計算が間違っていたらスマン)。その差はわずか0.06秒だが、距離にして約1mの差。バットボールの大きさは10cmもないので、130キロボールと115キロボールを同じタイミングで振っていたら全くかすりもしない。

プロ打者は数種ある投手の球種に0コンマ0何秒のタイミングバットを数cmレベルで、さらコースによってバットの出る角度を調整し、ただ当てるだけではなくそれなりの強度を持ったスイングで、前方45度の野手の居ない方向にボールを飛ばさなければならない。しかもこの作業は、職人静謐クリーンな集中できる作業場で行えるのではなく、砂埃舞うグラウンドで数万人の歓声と衆目の中で行わなくてはならないのである。誰にでも出来るようなことではなく、プレッシャーで潰れていく選手が出るのも不思議なことではない。

フォーメーションが決まってるから柔軟性、というか発展する余地がない?>

現在MLBでは広く行われるようになっている「極端な守備シフト」の出現は、伝統的な野手守備位置を崩す大きな野球の変革といえる。かつての王シフトのような極端な守備シフトは、一部の選手に対して行われるいわば"奇策"に近いような戦術であったが、近年は非常に多くの打者に対して行われるようになった、という点で大きな変革が起こったといえる。一方で極端な守備シフトによって野球醍醐味の一つである野手ファインプレーが減ってきているという指摘もあり、極端な守備シフト制限するための措置が行われるのでは?という噂もある。

喫煙肥満が云々>

喫煙肥満を推奨するわけではないが、一見アスリートとは思えないような見てくれの悪い人間活躍するのも、ある種野球面白さだと思う。松坂大輔攝津正のように若い頃の面影がなくなってくるとそれはそれで悲しいのだが、バートロ・コロンのように体型を維持しながらピッチングスタイルを変えて生き残っていく選手を見るのも楽しい

野球不文律について>

野球不文律については、特に野球ファンでないと思われる人々から野球の嫌なところ」として指摘されることが多いように思う。しかし、実際のところ暗黙の了解によって行われるプレーはそれほど多くはなく、それを破ることによって問題になる場面も多くはない(というか、頻繁に問題になるのであれば確実に成文化される)。"不文律"という仰々しい表現が使われているが、いくつかは慣習的に行われているマナーのようなもので、電車で騒いではいけませんとか他人の顔をジロジロ見てはいけないとかそういった類のものである。例えばwikipediaの「野球不文律」の項で取り上げられている"投手の集中を妨害するために相手に話しかけたりしてはいけない"とか、"投手野手文句言ってはいけない"などは、野球独特の暗黙のルールとして特筆するようなことでもないだろう。将棋で対局中に相手に話しかける棋士はいないだろうし(いたらスミマセン)、仕事で別部署の人がやってしまったミスをわざわざ咎めに行く人はいないだろうが、成文化されていないとしてももしそれらをやれば確実に顰蹙を買うはずだ。

wikipediaの「野球不文律」で書かれている項目は特筆するべきことでもないことかなにかしらの説明必要な項目ばかりで、野球を全く知らない人が参考にして見てもらいたくないことばかりである(もちろん全ての項目が気にするなというわけではなく、引退試合忖度などは無くすべき慣習のように思う)。

つまるところ、これらの問題はささいなことであって、外の人が「これが野球の嫌なところである」と声高に主張することがある種偏狂で、野球ファンからすれば不快だと言わざるを得ない。

アップデートの無いゲームは欠陥がかなり残っているでしょう>

まり知られていないことだが、実は野球ルールは毎年細かい変更が行われている。「野球規則改正」で検索してほしい。

ストライクゾーンってのがマジで理解出来ない 選手ごとに可変でしかも全部審判目視て>

MLBでは機械的な投球の測定システムの導入によって審判ストライクゾーンの精度がかなり向上したらしい。将来的にゾーンの判定が機械的に行われるようになることも非現実的ではないと思われる。

<一つのポジションピッチャー)のゲームへの寄与が、他のプレイヤー全員の寄与を合わせたよりも大きい点で、デザインおかしスポーツ

少し理屈をこねた回答をする。団体スポーツで一人の選手スタンドプレーによってゲームが決まってしまうことは、特にアマチュアレベルにおいては決して野球に限ったことではないように思う。子供の遊びレベルサッカーバスケットボールで、一人の運動神経のいい子供ボールを多く扱って何得点も決めてしまう場面を見たことがないだろうか。

野球においては投手が多くボールを扱っているか投手が全てを支配しているように見えてしまうが、ただボールを投げただけでは得点は入らないのが野球面白いところで、投手負担だけで野球というゲームの全てが決まってしまうわけではない。もちろん1試合のみでは絶対的投手によって試合の体勢が決まってしまうこともあるが、プロ野球においてはその点他のプロスポーツに比べて非常に多くの試合が組まれることによって、一人の投手のみによってシーズンが決まらないような体勢が整えられているのである。また投手の分業制は最早当然の戦略となっており、多くのイニングを投げる先発投手のイニング数も年々減少傾向にある。プロのみならず、最近高校野球でも複数投手を擁するチームが非常に多くなってきた。これは単に投手負担を減らす意味合いだけではなく、一人の投手能力だけではゲームをdominate出来ないことが多くなっているといえるからだと思う。逆説的にいえば、一人の選手ゲーム支配することもあるし、戦略的には複数投手制をとるチームが増えている点で、独特の興味深いゲームバランスになっているといえないだろうか。

ちなみにアメリカのbaseball_referenceとfangraphsというサイトがそれぞれに公表している「WAR」というMLB選手の貢献度を測る投手野手共通指標存在するが、2008年から2017年までのMLBリーグトップWAR20人中、reference版でトップになった投手は6人、fangraphs版ではわずか1人である。少なくとも長いシーズン戦うプロ野球においては、図抜けた投手一人より図抜けた野手一人のほうが貢献度が高いと見なされているのである

2018-05-04

山口被害者セカンドレイプ意味がわからない

夜八時46歳の仕事絶対的権力のある男性から女子高生淫行狙いで呼び出しがあって、女子高生から友達を連れて行ってもいいかと聞いた事で

46歳はJk3Pできると誤解して

女子高生複数でいいなら淫行狙いではないと誤解した

結果恫喝され無理やり酒を飲まされて顔を舐められキスをされトイレに逃げ込み親に助けを呼ぶ事態になったわけだけど、何故か女子高生の誤解を一方的攻撃する声が目立つ。

男は家に誘った女から友達も誘っていいか聞かれたら相手セックス意思はないと思わないのだろうか?

しかも娘みたいな年齢の未成年相手に。

2018-05-03

オタクのチェック柄に対する絶対的な信頼感はどこから来てるの?

2018-05-02

anond:20180502185433

ヘイトのつもりで言ったわけではないが、そう受け取れる表現であったことは謝罪する。

私たち社会通念とは相容れない女性の扱いをしている、と言い換えよう。

ただ、これは私がそう思うだけであって現のムスリム女性絶対的に不幸であるということを指しているわけではない。そうした扱いの中でも個人幸せ見出しているムスリム女性もいるはずである

2018-05-01

anond:20180501112341

罰が与えられないからと言って罪を見逃すのではなく、それが罪であることを認めさせることはできるはずだ。

絶対的な罪が存在すると思われていた”神が生きていた時代”こそが人間にとっての暗黒時代だったとか。

多くの「罪」は究極的には、二者の利害が相反するところからまれているので、「それが罪であると認めさせる」ことは、その社会が定めた法律が介在しない限り私刑しかない。

2018-04-26

ハラスメント本質について

嫌がらせ嫌がらせをする当の本人にその気があるなしに関わらず相手が嫌だ、不快だと思ったかどうかが最大の焦点

同じことでもそれをする人によって嫌だったり嫌じゃなかったりする。

それってもう嫌いな人とは関わりたくないしお互いに一緒にいて好感しかない人とだけ関わってたいし不快なことは一ミリでもない方が良いってことじゃない?

それを前提にするくらいに社会が豊かになったというべきか日本人グルメになったというべきか、なんというかこうすれば良いよねって話じゃなくて人間行為ネットとか便利なサービスとかbotとか画面の中のイケメン美少女に敵わなくなってきてる流れの中で起こっているような気がしている。

ハラスメントって絶対的ものじゃなくて相対的心理的ものでしょ。ハラスメントガイドラインなんて一律に作れるものじゃない。

何が言いたいかっていうと、ハラスメント擁護したいわけじゃないんだけどこの流れの延長にある社会関係性ってとても機械的クリーンものになっていって最終的に人類淘汰不可避なロジックなんじゃないかっていうこと。昔は良かったけど今は駄目なことっていっぱいあるでしょ。今はまだハラスメントに当たらない行為未来ではハラスメントになってないとも思えない。100年後とか、画像認識で目の前の人に話しかける権限があるかどうか可視化されるようになっていたりしてね。まさかね。

2018-04-24

最近、新しい斬魄刀を手に入れた

家族を救うためだと言って、朽木ルキアが僕にプレゼントしてくれたものだ。

こいつに慣れるためにも、これから定期的に虚(ホロウ)を尺魂界(ソウルソサエティ)へと送り続けていきたいと考えている。

ここで終わってしまうのも味気ないし、自己紹介も兼ねて筆を進めて行きたいと思う。

僕の性別男性、歳は15歳、高校生(と死神代行)をしている。

僕の不徳の致すところに依り、これから先数年は死神代行を続けなければいけないことになっている。

死神の席官や虚、滅却師クインシー)と戦ったりする事が好きな事の一つだ。

尤も、虚化や完現術(フルブリング)は、近年流行った卍解バーゲンセールですっかり陳腐化されてしまっているみたいだけれど。

僕は、月牙天衝を使わない戦闘というものに滅法弱い。

霊力を使った鬼道というものが出来ないし、斬魄刀を常時開放しないということが出来ない。

なんとも生き辛い魂魄性質をしている。

霊圧であふれた場所は好きだ。

疲れている時は卍解を要しないような低レベルの虚を魂葬し続けるに限る。

空座町最高、瀞霊廷なんてクソ喰らえである

死神代行になる前の憧れは主人公になることだった。

若かりし僕は、主人公というものは、強力な仲間を腐る程持て余し、自らの目標邁進するものであると考えていた。

から主人公になった自分は、強力なライバルに触れ続け、いつかは自分自身で強力な仲間と歩み出すようになると信じて疑わなかった。

しかし、実際のチャドは、京楽春水やヤミーやその他破面アランカル)に霊圧を消されてしまものであり、とてもインフレについていく余裕などないのである

少なくとも、チャドには難しい。

この話を聞くと、なんだ背景を書き込む時間も十分に取れないほどストーリーキャラデザに熱中することが出来て、幸せではないか、と考える人もいるだろう。

そんなわけないだろう、「心か」というページが、充実の証左たるわけがない。

そのように考える人間は、朽木白哉にでも生まれ変わり、千本桜景厳を手掌で操り続ければ良い、きっと精度・速度が倍化される。

忙しさというものは、絶対的時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由時間創造的な行動をする気力を奪う悪魔ディアブロ)なのである

今日からの僕はこれまでとは一味違う。

このはてな匿名ダイアリーという真世界城(ヴァールヴェルト)で、忙しさという悪魔に打ち勝って自らの創造性を再獲得するのだ。

これくらい文章を書くと、生まれて初めて霊子兵装に触っても割と自在滅却師完聖体(クインシー・フォルシュテンディッヒ)することができるようになることが分かったので、今日はこの辺りで神聖滅矢(ハイリッヒ・プファイル)を置きたいと思う。

これからは気が向いたら何かしらのテーマを持った文章を書きたい所存であるので、今日のこの朽木ルキアの描くイラスト文章にもブックマークしてくれると嬉しく思う。

anond:20180422154919

誰かが、僕の文章を好きだと言ってくれたなら

anond:20180422154919

「――進級祝いだよ」

 彼女スマホから目を離さずにそう言った。

 初夏も迎えていないのに油断すると汗がにじむ、春の陽気とはいい難い日だった。すこしだけ呆けていた私は、それが机上に鎮座したパソコンのことを指しているのだと気付くのに時間を要した。

「進級祝い?」

 そう口にして、彼女と同じことを言っていると思った。気恥ずかしさを誤魔化すように、胸ポケットから煙草ライターを取り出す。火を点けると一瞬燐の燃えるつんとした匂いがした。

 スマホから目を離した彼女と目があった。

「うん、進級祝い」

 そう言って彼女は愉快そうに笑った。

 私は日記を書くことにした。

 私のことに興味を抱く人間など希少だろうが、このはてな匿名ダイアリーという戦場では、何らかの記号がなければ、不特定多数の日々という奔流に押し流され、何事もなかったかのように埋もれてしまう。

「——せっかくだから定期的に日記を書くよ」

 彼女にそう言ったので、私は、ここで私のことを記そうと思う。

 当時の私は大学生だった。自身の不徳から同級生より二、三、歳を重ねていたが、好きなものを持ち、夢を持ち、自由を持つ、有象無象学生の一人だった。

 大学生になる前は、モノ書きに憧れていた。

 昔から文章を読み、書くのが好きだった。尤も、幼少より親交を深めていた文筆や長文という名の友人は、短文型SNS流行によりに疎遠になってしまたことは否めない。

 それでも私は期待していた。

 大学生になれば、腐るほど時間を持て余すだろう。上質で心地よい文章に好きなだけ埋もれることができるだろう。そうしていつか、

 ――自分文章を生み出すことができるだろう。

 だが、漠然モラトリアムを信じていた私を迎えたのは、勉学や部活動やその他雑務忙殺される、いかにも大学生らしい生活だった。これでは趣味を極める余裕などなかった。少なくとも私程度の容量では困難だった。

「忙しいって、充実してるってことでしょ」

 ――いいじゃない、と彼女は言った。私はすぐさま反論した。

「僕は忙しいなんて感情が、充実の証左たるわけがないと思う。多忙絶対的時間を圧迫するもので、人が創造する余地を奪い気力を追いやってしま悪魔だよ。そんなものを充実と勘違いする奴らなんて、ハムスターにでも生まれ変わって回し車で走り続けてればいいんだ。きっと幸せだろうさ」

ハムスターが充実してるかはわからないけど」

 彼女は私の言葉を制する。

「でもごめんね、そんなつもりじゃなかったんだ」

 私は、言語を介さな思考というものにめっぽう弱い。

 図や数式に意味を見出せず、記号として扱うことが出来ない。想像したものを、今見ているものでさえも、絵という形に還元できない。運動をする際にも、関節や筋肉の仕組みを文章理解して、やっと思考動作が一致する。生き辛い脳の作りをしていると思う。

 彼女は違った。

 図だろうが数式だろうが、そこにあるものをあるがままに扱った。スケッチが上手だった。空想世界でさえ表現することができた。スポーツなんて、見ればすぐに何でもこなした。

 何もかもが理解できなくて、どう考えているのか彼女に尋ねた。

 ――勘かなあ、と。

 なんでもないことのように彼女は言った。それが心底恨めしく、心底羨ましかった。

「——私は君が羨ましいな」

 彼女言語を介した思考が苦手だと言った。映画感想を聞けば楽しかった、という画一的表現しかできなかった。ラインのやり取りは苦手だから電話を好んだ。読書感想文なんて本を読む気も書く気も起こらず、コピペをして怒られたらしい。

 そんな彼女がくれたパソコンで、私は日記を書くと宣言した。

 多忙という悪魔に打ち勝って、彼女との差異を埋められるだけの、創造性を再獲得すると誓ったのである

 そうしてたくさん日記を書いた。何度も筆をとり、何度も筆を手放しそうになりながら、日記を書き続けた。

 ブコメもたくさんついた。批判的なコメント肯定的コメントも数えきれないほどあった。

 創造性を再獲得できたかはわからない。大学生だろうが社会人だろうが、忙しさは私を襲い続けた。私は今も悪魔と戦い続けている。

「ただいま」

「おかえり」

 彼女スマホを見ていた。

 相変わらず彼女は直情的というか、動物的というか、あの頃のままそこにある。泣き、笑い、怒り、喜び、日々忙しそうだった。

 胸ポケットから煙草を取り出した。ホルダーにセットすると、独特の酸味臭が鼻を突く。

 スマホから目を離した彼女と目が合った。

 画面をこちらに向けていた。

「これ、君でしょう」

 

 文字の海から私を見つけて、彼女は愉快そうに笑っていた。

 ――僕はその喜びを、未だに言語化することができない。

2018-04-23

「誰か、僕の文章を好きだと言ってくれませんか」を読みやすくした

タイトル :

誰か僕の文章を好きだと言ってくれませんか

本文 :

 最近、新しいPCを手に入れた。進級祝いだと言って彼女プレゼントしてくれたものだ。こいつに慣れるためにも、これから定期的に日記を書き続けていきたいと思っている。

 と、ここで終わってしまうのも味気ないし、自己紹介も兼ねて筆を進めよう。僕の男で歳は20代前半。大学生をしている。不徳の致すところにより、まだこれから数年は学生という身分を続けなければいけない。文章を読んだり書いたりするのは好きなことのひとつだ。もっとも、僕の作文能力や長文に対する集中力は近年流行った短文型SNSにすっかり毒されてしまっているみたいだけど。

 僕は言語を介さな思考というものにめっぽう弱い。図や数式といったものをそのまま扱って思考を進めることができないし、スポーツでも身体の動きを文章理解しないと再現できない。なんとも生き辛い脳の性質だ。そのかわり文章であふれた場所は好き。疲れている時は思考力を使わないような低レベル文章に浸り続けるに限る。Twitter最高、Instagramなんてクソ喰らえである

 大学に入る前はモノ書きになることが憧れだった。若かりしころの僕は、大学生というものはヒマな時間を腐るほど持て余し、自らの趣味に没頭するものだと考えていた。だから大学生になったら上質な文章に触れ続け、いつかは自分自身で上質な文章を生み出すようになると信じて疑わなかった。しかし実際の大学生は勉学や部活動雑務忙殺されてしまものであり、とても自らの趣味を極める余裕などない。少なくとも僕には難しい。

 この話を聞いたら、趣味時間も充分に取れないほど勉学や部活動に熱中できて幸せじゃないか、と考える人いるかもしれない。しかしそんなわけないだろう。忙しいことが充実の証左たるわけがない。そんなふうに考える人間はハムスターにでも生まれ変わり、回し車で走り続ければいい。きっと幸せになれる。忙しさというもの絶対的時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由時間創造的な行動をする気力を奪う悪魔なのである

 でも今日からの僕はこれまでとは一味違う。このはてな匿名ダイアリーという戦場で、忙しさという悪魔に打ち勝って自らの創造性を再獲得するのだ。

 これくらい書くと生まれて初めて触ったMacでも割と自在タイプできるようになることが分かったので、今日はこのあたりで筆を置きたいと思う。これからは気が向いたら何かしらのテーマを持った増田投稿するから、この統合失調症文章ブックマークしてくれると嬉しい。

anond:20180423143330

これは早晩そうなるよ。

西洋人権思想からすれば、ルッキズムも明確な差別なので、この状況の変革を望んでいる知識層は多いだろう。

美男美女っていうのは絶対的ものでなくて社会が作り出した流行みたいなものから映画ドラマにおいて現状のルッキズム価値観を反映しないキャスティング積極的に行う事で、社会ルッキズム消失すると思われる。

勿論、急進的にやりすぎると興行的に成功するためのハンデになりかねないので、徐々に広げていく感じで行われていくだろう。


まぁ我々が生きている間にそれが達成されるかどうかは分からないけれども。

2018-04-22

anond:20180422181826

今なら、比較的いい求人ゴロゴロしてるよ。流石に40代大手正社員は難しいかもしれないけど。

少なくとも、正社員で15万って週5で8H働くフリーターに負けそうなレベルじゃん。

身体壊したり、首切られたら一緒なのに安心できるのがよく分からない。

親と同居とか、絶対的制限が無いなら今、求人のあるとこ行って安定的なとこの正社員とか契約社員になるのも手だと思うけど。

誰か、僕の文章を好きだと言ってくれませんか

 最近、新しいパソコンを手に入れた。進級祝いだと言って、彼女が僕にプレゼントしてくれたものだ。こいつに慣れるためにも、これから定期的に日記を書き続けていきたいと考えている。

ここで終わってしまうのも味気ないし、自己紹介も兼ねて筆を進めて行きたいと思う。僕の性別男性、歳は二十代前半、大学生をしている。僕の不徳の致すところに依り、これから先数年は学生身分を続けなければいけないことになっている。文章を読んだり書いたりする事が好きな事の一つだ。尤も、僕の作文能力や長文に対する集中力は、近年流行った短文型SNSにすっかり毒されてしまっているみたいだけれど。

僕は言語を介さな思考というものに滅法弱い。図や数式といったものをそのまま扱い思考を進めることが出来ないし、スポーツをするとき身体の動きを文章理解しないと再現することが出来ない。なんとも生き辛い脳の性質をしている。文章であふれた場所は好きだ。疲れている時は思考力を使わないような低レベル文章に浸り続けるに限る。Twitter最高、Instagramなんてクソ喰らえである

大学になる前の憧れはモノ書きになることだった。若かりし僕は、大学生というものは、ヒマな時間を腐る程持て余し、自らの趣味に没頭するものであると考えていた。だから大学生になった自分は、上質な文章に触れ続け、いつかは自分自身で上質な文章を生み出すようになると信じて疑わなかった。しかし実際の大学生は勉学や部活動やその他雑務忙殺されてしまものであり、とても自らの趣味を極める余裕などないのである。少なくとも僕には難しい。

この話を聞くと、なんだ趣味時間も十分に取れないほど勉学や部活動に熱中することが出来て幸せではないか、と考える人もいるだろう。そんなわけないだろう、忙しいという感情が充実の証左たるわけがない。そのように考える人間はハムスターにでも生まれ変わり、回し車で走り続ければ良い、きっと幸せになれる。忙しさというもの絶対的時間を圧迫するだけではなく、ヒトが自由時間創造的な行動をする気力を奪う悪魔なのである

今日からの僕はこれまでとは一味違う。このはてな匿名ダイアリーという戦場で、忙しさという悪魔に打ち勝って自らの創造性を再獲得するのだ。

これくらい文章を書くと、生まれて初めてMacに触っても割と自在タイプすることができるようになることが分かったので、今日はこの辺りで筆を置きたいと思う。これからは気が向いたら何かしらのテーマを持った文章を書きたい所存であるので、今日のこの統合失調症文章にもブックマークしてくれると嬉しく思う。

2018-04-18

anond:20180418154336

じゃあ私の幸せって何なのって聞かれると、たぶん答えられない。

絶対的幸せって「寿司を食う」とか「趣味に打ち込む」くらいしかない。

相対的に同世代他者との比較で「幸せ」「不幸せ」を感じる。

(都会の価値観かもしれないけど)

増田が「私にとっての幸せってなんだろう?」と

探しているかが疑問だ。時間は有限でなく、気がつけば周りの友達

結婚出産して遊び相手がいない、なんてことになりかねない。

いろんな人と、たくさん会う機会を持ったほうがいい。

(いろんな人の価値観幸せの形に触れる為に。)

「OO(地域名) 社会人サークル」で検索するとか。

地域facebookグループを探してみるとか、

個人的オススメこち

https://commonbeat.org/project/musical-acb/taiken/

努力と才能

「(適切な)努力をすればなんでも可能」論について。

結論)こういう言い方はしない方がいいと思う。

思考実験)適切に努力すれば、誰でも陸上100mで五輪メダルを獲れるのか?

論理的には、間違っている。なぜなら「全人類が適切に努力したとしても、確実にメダルを取れるのは3人だけ」であることは明白だから努力が叶う確率3/70億、それは限りなくゼロに等しい。少なくとも「誰でも」でないことは明白だ。

しかし、現実論として考えれば必ずしもそうではない。全人類競争に参加するわけでもないし、全員に「適切な努力」をさせるためコーチなどのリソース提供する資金はどこにもないから。つまり現実的には、「一部の人間が、おおむね不適切努力をしている」世界存在するだけであるから「適切な努力」の適切さの度合いを厳しくすれば、「適切な努力をすれば誰でも」ということは不可能ではないかもしれない。まあ、極端な場合、それはドーピングなど非合法手段を含む「適切さ」であるかもしれないが(あとで剥奪されても「取った」ことは実現できる…という意味においてだが)。

(本論)

大抵の夢は「五輪メダル」ほどハードルが高くない。たとえば「音楽家になりたい」くらいの夢なら、世界中で毎年数十万人がかなえているくらいのレベルの夢ではないだろうか。そう考えれば、現実論として、「適切な努力をすればなんでも可能」論はそれほど的外れでもないだろうことは認めよう。実際、遺伝子レベルの優劣それ自体が、どれほどその人の人生に決定的な作用をもたらすかというと、そりゃ大したことはないとは言えるだろうね。だが、実際は、生まれ落ちた瞬間から全ての「努力」はスタートしているのであり、ときにその差は「才能」と言うしかないほどに絶対的な差となることもある。

たとえば絵を描くことを例にとれば、日常のもの見方、感じ方、興味の持ち方…など24時間全ての時間が絵を描くためのトレーニングに直結するような(それこそ夢の中も含めて)生活を送ったAくん12歳と、まったくそういう興味をもってものを見たことがないBくん12歳が同時に画塾に入塾したとしたら、いろいろな技術を両者とも初めて身に付けるとしても、描く絵の質は数ヶ月のうちに天と地ほどの差ができるだろうし、そこから得られる賞賛などの成功体験と逆に受ける劣等感…など周囲からフィードバック、それによるモチベーションの差なども含めて考えれば、いくら後者が「後者なりの適切な努力」をしてもその差を埋めるのはまあ不可能だろう。そういう現象が世の中にあふれているのに、Bくんに「才能じゃないよ、後天的努力努力の質の問題だよ」と言っても、納得させるのはなかなか難しいだろう。

Bくんに対してAくんのことをどう説明してあげればよいのだろう? 「Aくんの方が努力してる」と言えばいいのだろうか? 現実には、Aくんは一日2時間しか絵の練習をせず、それ以外は、普通に景色を見たり興味のあるものを読んだりして暮らしているだけで、Bくんはその間一日6時間も絵の練習をしているとしても。それでもAくんの絵の方が圧倒的に「うまい」のだとすれば。その場合、Bくんに「君の努力の仕方は適切ではない」というのは、本当に適切だろうか。Bくんに、生まれからの10数年間を全否定して、もう一度

赤ん坊ものを見るその見方、感じ方から(神経回路の形成自体をやり直させる勢いで)修正して…という教育を施すのが適切な努力というものなのだろうか。赤ん坊が数年で実現することを大人になってから行おうとすると十年以上の時間がかかるかもしれない、しかも、十年以上たってやっと、Aくんの12歳にようやく追いつくだけだというのに? 私なら「Aくんには絵の才能があり、君にはない。人の才能をうらやむのは意味がないからやめなさい。」と言うだろう。

何かをあきらめる言い訳として「才能」という言葉はとても便利だ。人生時間というリソースは、誰にでも平等で有限だ。苦手な分野にそのリソースを投下するより得意な分野に投下する方が、本人も社会も得る利益は大きい。今のままのBくんにも別の「才能」がある可能性を否定するべきではないだろう。「才能」という言葉言い訳にすることを、大人にも子どもももっとカジュアルに許した方がいいと思う。

(参考)

作曲家渡辺崇氏、中学生から助言を求められたので「夢は叶う」という旨を伝えると返ってきた答えが物哀しかった→様々な意見とそんな人々へのエール

https://togetter.com/li/1218942

2018-04-17

公式設定ってなんなのさ。

先日、縁があって知り合いが主催する合同誌に最近ハマり出したキャラ二次創作作品寄稿することになり、そのキャラの設定を再度確認している時にふと思ったことがある。

公式設定とは一体何なのだろうか。

今回私が書くことになったキャラ母体コンテンツはかなり規模の大きいコンテンツであり、個別キャラクターボイスが用意されているし様々なエピソード存在する。

規模が大きいコンテンツシナリオに重きを置いたコンテンツであればメインライターの他にサブシナリオライターがいることも少なくない。

そうすると各書き手ごとにそれぞれのキャラクター像と言うもの存在する。

もちろんほとんどの場合は設定の均一化ははかられているだろうし、よほど癖のあるライターでなければ書き手ごとに違和感を感じるといったことはないだろう。

だが中には過去存在した設定と真逆の設定が出てきたという事例も存在する。

公式で設定の矛盾が発生している以上一ファンである我々が設定を全て把握するというのは中々難しいことだと思う。

キャラクターボイスに関してもまた然りだ。

声優の方々は演じる際に自分の中に確固たるキャラクター像があってそれを演じている方が多いと思う。

もちろん、それは指示もあってのキャラクター像だとは思うがその中でもやはり個人の考えは存在するだろう。

キャスト変更があった場合には尚更であろう。あくまキャスト変更で引き継げるのは公式で定められた設定だけであって個人の考えを引き継ぐといった事はかなり難しいと思われる。

前置きが長くなったがつまり何が言いたいかと言うと、「ちょっと公式設定云々で騒ぎすぎじゃない?」ということが言いたかっただけなのだ

そのキャラクターに関わっている人間複数人いる以上、その人それぞれにキャラクター像が存在する。それを全て統一しろというのは中々難しい。

そもそも実在人間ですら人それぞれ評価が違うというのにもっと存在あやふやキャラクターに絶対的評価を求めるというのは酷な話だ。

もし、キャラクターに対する考え方で相違が発生しても

「え〜?君はあの人のことそう思ってるの?私はこういう人だと思うけどなぁ」

くらいの軽い気持ちで受け流すことが出来れば幸せではないだろうかと思う。

無論、それもキャラクターを一人間としてとらえるか事象としてとらえるかで変わってくるとは思うが。

そんなことを考えていて気付いたら締切を過ぎたことの言い訳のためにこの文書を書いた訳ではないということを最後に断っておく。

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