「絶対的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 絶対的とは

2017-09-20

自分人生に常にもやもやしている

それって仕事がうまくいってないからなんだ。今まで仕事で何一つ満足できたことがない。そもそも忍耐力がないから結果が出るまで待てなくて転職の繰り返し。成果が出るまで何年か掛かることは承知してるけど、でもやっぱり飽きてしまう。それでまた違うところに行ってイチからやり直しの繰り返し。それと人と関わるのが圧倒的に嫌だ。以前はそんなことなかったのだが、ある職種になってからその思いは強固なものになった。もう絶対的他人と直接関わるような仕事はしたくない。自分幸せ、それは仕事成功すること、充実すること。それには忍耐力が必要だ。わかっちゃいるけど改善できない。すぐに結果を求めてしまう。このままだと一生満足することな人生を終えることになる。答えはわかっているのに迷宮入りベスト方法を教えてください。

anond:20170920040227

・ただの人間発言が一人の人生保障しなければならないのは何故ですか?

あなた他人人生根拠のない指針を与えようとしているからです

そんなつもりがないのなら黙っているべきです

・もし一つの発言が一人の人生保障する責任を持たなければならないとしたら、発言を受ける方は自分人生責任他人に与えることになりませんか?

無責任であると言われたくないのなら

なんら手も汚さず身銭も切らずに他者人生方針に直接言及するような発言を控えればよいだけではないでしょうか

発言内容によっては無責任であることが許されるでしょう

自分人生は結局のところ自分判断によってこそ成立すると思います。なぜなら、他人が何を言おうとも自分はそれに従うことも反抗することもできるからです。もし自分人生保障他人に与えることを認めたら、上記のことを否定することになりませんか?

自分判断によらずに天災によって死ぬ人もいるでしょう

あなたが生まれたのだってあなた自分判断して望んだからまれたわけでもありません

当人判断だけで人生が成立しているという人生観絶対的に正しいという思い込みはやめましょう

2017-09-19

天皇主義右翼みたいな単純な話だと思うのは教養絶対的に足りてない

不倫報道の意義

ネットで「誰得」と言われることの多い不倫報道について

報道する側にとっての意義を考えても「数字が取れる」以外に思いつかない。

事実を知らされる側にとっての、不倫報道の意義とは何なのだろう。

ホントに何なのだろうか。事実を知らされる側の大半は、当事者とは無関係な人たちだろう。

自分身の回りにも周囲が起きていないかどうか、相互牽制効果が働いて不倫が起きなくなったりするのか?

私は不倫報道を見ると、全然関係ない人たちであるのに何故だかされた側に感情移入して気分が落ち込んでしまう。

不倫は悪いことだ。」と絶対的に思っているから、気分が落ち込むのかな。。

2017-09-18

anond:20170918091013

そんなのはどうでも良いんだよ。

一般的ホモキモヲタメンヘラ+低収入って属性は、「見下せる」ステレオタイプクズ属性な訳。多くの人間クズであっても上記のうち一つの属性も持ってない。

からこそのid:aukusoeだった、ってのを自身理解してないのならお察しだな。

読者と筆者で相対的に考えるのではない。au糞が絶対的底辺にいるって事実けが重要だったんだよ。

PCやら家電やらが売れない理由

家電量販店で、PCや大型家電が売れない、売れても値切られる、

若い店員が驚くほど扱っている商材を知らない、勉強しようとする意欲がない、

フラグシップモデルを売り、単価アップを図りたいが、安い製品ばかり売れてしまう、

全体的にネット通販に流れている、そもそも売れる次のヒット商品がわからない、

みたいなニュアンスの話を人づてに聞き、

「当たり前」だと思った。

40代以下は、おおむね仕事より趣味・身内優先。

業務時間内に業務に関する知識を得られる場を設けるしかない。

一般消費者向けのモノがかつてほど売れない理由は、増えない収入時間のなさ。

多くの人は忙しい。食費とスマホゲームなどのエンタメと、

家族他人とのやりとり・おしゃべりに過剰に費やしている。

人付き合いが苦手なタイプも、一人で楽しめる趣味しか投資しない。

競合は、他社製品ではなく、他のお金のかかるさまざまなサービス

専業やフルタイムパートでは、収入絶対的に足りない以上、

「カネで時間を買う」必要に迫られているフルタイム勤務のパワーカップルや、

レビュー目的ブロガー以外、高額なPC家電は買わない。

iPhoneは、以前は「エンタメ」の範疇だった。

最新モデルを持っていることがステータスだった。

今は日用品扱いに格下げとなり、若い世代は画面が割れたままでも気にせず使う。

もうスマホもかつてほど売れないとなると、

いよいよ誰でも知っているような大ヒット商品はなくなり、

ニッチな限られたヒット商品だけになる。

どう楽観的に考えても、対策を打っても、

2020年以降の日本経済は、きっとひどいと予想する。

もうモノは何にも売れない。

東京横浜埼玉の一部しか知らないけど、

すでに地元は、東京に比べて行き交う人が圧倒的に少ない。


ネット界隈もSNS時間を取られ、食・健康関連以外の記事は読まれなくなる。

幸いにも、「はてブ」だけが、昔のネットと変わらないまま。

2017-09-17

自分への自信のなさ」、「他者への接触や干渉を拒絶・回避すること

「けど、ご主人様は「周りの人」が自分のご主人様になってまうでしょう?」

鳥取様が「チョコのご主人様」でいようとする事で自分を下に置こうとするのをやめてくれはったら」

「そのうちに役割なんてのうなっても平気になるって…その位仲良うなれたらとおもうてたんやけど…」

「けどあかんかった」

「うちが思うよりずっと鳥取様は自身がなくて…うちといると自分いじめていってしまう」

「うちの思うてへんことでどんどん自分を嫌いになってしまうんです」

「だからもう」

「一緒にいてはいけないんやと思いました」

――きづきあきら・サトウナンキ「メイド諸君!」第4巻

「お前の世界にはお前しか存在しないんだなあ」

「……は?」

「この間の千代子の元「ご主人様」としゃべってる時も思ったけど」

「まるで壁に話しかけてるみたいだ」

「俺はお前に話してるのに」

「お前はお前と話してるんだよ」

「……ちゃんと会話してるじゃないか?」

「ははは」

「お前は結局 俺のことも」

「いや」

「史子の事も好きじゃない」

――きづきあきら・サトウナンキ「メイド諸君!」第4巻


このスレをみて思ったことをつらつらと

このスレでは、>>1セックス中に相手にどう思われているかを酷く気にしている

1風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:42:02.62ID:YiEaxTy6a

「(ワイの息臭くないかなぁ)」

「(目の前にワイの顔あって嫌やろうなぁ)」

「(オナニーしてた方がええなぁ)」

20風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:47:34.13ID:YiEaxTy6a

ホンマは腕枕嫌なんちゃうかなぁ

ワイの体熱くて寝苦しくないかなぁ

とかもある



そして、それは「罪悪感」という形で表現される

9風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:44:39.65ID:YiEaxTy6a

罪悪感半端ねーわ



「罪悪感」はセックスという行為のものへの嫌悪に変わり

34風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:51:25.04ID:YiEaxTy6a

この思考のせいでセックス嫌いになったわ



そして、セックスを避けられない関係のものへの拒絶・回避へと繋がる

33風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:51:18.67ID:MbSdzbYz0

自分の嫌な所我慢してくれるような子とエッチできるって素敵やん

45風吹けば名無し@無断転載禁止2017/09/15(金) 21:52:42.83ID:YiEaxTy6a

33

すぐフラれるんやろなぁ

ならこっちからフるのが最善やろなぁ

って感じですぐ別れる模様




この一連の流れに、見に覚えのある人間は多いのではないだろうかと感じてしま

自分は何かやってしまったのではないか

自分は嫌われてはいないだろうか」

自分行為相手不快感を与えていないだろうか」

「嫌われている、疎まれているに違いない」

「やっぱり何もやらなければよかった」

自分もっと意識してれば、もっと自制していれば」

「そんな感情を持たなければよかった」

調子に乗って、自信過剰にならなければよかった」

そもそも他人と関わろうとするから相手不快感を与えてしまうのだ」

このような経過の中で、次第に対人関係のもの拒否するか

良くて、「当たり障りのない事」ばかりを言い、相手への影響力や干渉を極力薄めようとする

何らかの拍子に人間関係上で自尊心が傷ついた場合は「関わろうとしたこと」それ自体を失敗だったと判断し始める

他者との接触には必ず軋轢とすら呼ばないような、摩擦が生じる

違う人格同士が関係を持つ時、お互いに多少の不快感嫌悪感を覚える

関係の中で生じるそうした摩擦を「全て自分へ原因帰属」すること

何かが生じたら、“それは全て”自分責任があると思う傾向

そう、この心理状態にあたっては、もはや“相手がどうこう”ではないのだ

関係”という言葉が“相互作用”と同義である場合、もはやこのループにおいて関係性は希薄である

なぜなら、相手如何は関係なく、自分の中で完結しているからだ


こうした、自分の事しか見えていないような“近視的”な対人認知を持つ者は多いのだろうか

多かれ、少なかれ

(視力の悪さを示す眼鏡が時として嫌悪されるのは、近視的対人認知連想させるからではという邪推はさておき)

そして、近視的な対人認知が生み出す罪悪感は

時として自分への攻撃性だけではその甲斐性を果たせず、「逆ギレ」という形で相手への攻撃となる

あなたが○○したから、私が☓☓してしまったんじゃないか。私は悪くない」といった風に


そして、それが進むと関係のものを拒絶するために

自分ではなく相手関係を拒絶するように働きかけ始める

あなたの周りに、やたらと攻撃的で、嫌味ったらしく、皮肉屋な人間はいないだろうか

まるで、「関係のもの拒否しようとしている」かのような振る舞いをする人は

これはまさに倒錯である

自分の自信の無さから相手への干渉(不快感提示)に罪悪感を感じるわけだが

その呵責に耐えられなくなると、今度は相手への干渉をむしろ積極的に行っていくこととなる

「自他へ攻撃性を向けてしまうこと」とは、このように生じる場合もある


以前の増田で書いたように

特に日本人は、罪を罪として罰を与えられることよりもむしろ

罪を許されること、情けをかけられる事の方を疎む

「許し」では「罪悪感」は晴れないのだ



それは、結局は「その赦しが本心でないとしたら?」という恐れを持つから

自分に自信がなく、相手言葉にも信頼を置くことができない結果

人は対人関係から退却し、回避し、時として攻撃性を以って拒絶する

結論

二次元におけるバブみにおける絶対的信頼・信用と圧倒的かつ究極的な許しが

現代に生きる人間の心の拠り所(宗教)になるのは、必然である

したがって、「もっと私に頼っていいのよ」は福音(エヴァンゲリオン)である

シャアは悪くない、悪いのはそんな男を作ってしまった社会

俺も悪くない、悪いのは社会

2017-09-16

夫が子どもを早く寝かせようとしない

2、3年前から夫は日本株を中心に株式投資を始め、最近は「株主優待タダ取り」もやっている。

週に1~2回は、自分ではなく、夫に2歳の子もの保育園のお迎えを頼んでいるが、

毎回、帰宅時に就寝できる状態になく、結局、子どもの就寝時刻は23時近くになってしまう。

ひどい日は22時から入浴していた。理由をきくと、一緒に録画した幼児番組を見ていたという。

今週、9月14日さらにひどく、散らかった部屋と干しっぱなしの洗濯物を見て

「遅すぎる」と怒ると、「今日しかできない優待タダ取りが最優先」だと反論した。

確かに自分がお迎えを担当した日も、たいてい22時過ぎになる。

そもそも19時近くまで預けているため、夜の時間絶対的に足りないのだ。

はいえ、自分場合、翌日の保育園の準備、食洗機にかける食器の予洗い・本洗い、

洗濯物の片付け、翌日の洗濯物のネット入れ、ゴミ出し準備、

余力があれば掃除機がけ、簡単な清掃まですべて行い、

自分の夕食」を済ませたら、後は寝るだけの状態で22時だ。

夫の場合は、それらを積み残した状態で、帰宅した自分に対し、

子どもの入浴や歯磨きを手伝えという。もちろん、寝かしつけもしない。

わずか数時間前に子どもと一緒に食事を済ませたにも関わらず、たいてい毎日夜食を作って食べている。

食器洗いの回数と量は2倍。いったい、自分は、いつ入浴や食事をすればいいのだ?

結局、一刻でも早く子どもを寝かし、自分も寝るためには、食事を削るしかなかった。

帰宅時の電車内でゼリーなどをつまんで小腹を満たし、寝る前に一口で食べ終えるスイーツを食べる。

だが、だんだん就寝時刻がずれこみ、それすら食べる時間がなくなってきた。

その反動で、早朝に起床し、朝食だか夜食だかわからない時間帯に、

1日分をまとめて食べてしまう。

保育園先生にも、まだ幼いうちは遅くとも22時には寝かして欲しいと、アドバイスを受けた。

しかし、夫はまったく無視し、むしろ寝かせようとしない。

毎日、小言を言い続けるのも疲れてきた。

性格の不一致、価値観の違いは、「子ども」の存在で明確になる。

この悩みで、心療内科カウンセリングを受けようとしている。

「夫が子どもを早く寝かせようとしない」

子どもや夫と一緒に食事を摂ろうとすると落ち着かない。特に夫が隣にいるとほとんど食べられない」

文字に書き出すと、愚かな悩みだ。カウンセリングでは解決しないとわかっている。

他人」を変えることはできない。

変えられない他人からは、本当は離れるしかない。

2017-09-15

映画ワンダーウーマンを見た

ワンダーウーマン」を見たので感想。と言うか考えたこととかのメモネタバレ気にしてないのでそういうの嫌な人は回避推奨。あらすじ解説とかもやる気ないので、見た人向けだと思いますフェミの話とかも出てくるんでそういうの苦手な人も回避でよろしくっす。

総評

まず最初に、「ワンダーウーマン」、個人的にはそんなに評価高くない。少なくとも世間で(特に欧米で)いうほど大絶賛、大感動をすることはできなかった。これは映画を見終わったあとのファーストインプレッション

しかしじゃあ評価低いのかというとそんなこともない。

「1800円という価格&2時間という投資に見合った体験できるのか?」という視点で自問したところ、その答えは「100点」なのだ。十分高評価だろう。いい加減な脳みそだなあ、オレ。とも思った。

なんでこんな評価のすれ違いが発生してしまったかというと、今年見たアメコミ映画の先行2本、すなわち「レゴバットマン ザ・ムービー」と「スパイダーマン:ホームカミング」の評価が高すぎた、というのが原因であるらしい。前出の基準で言うと、「レゴバットマン」も「スパイダーマン ホームカミング」も200点くらいの評価なので、「ワンダーウーマン」はタイミング的に損をしてしまったのかもしれない。これが「ドクター・ストレンジ」のあとだったら感激できてたのに。

「100点である理由」としては大きく2つ。

まず「予告編で期待される要素が全て入っている」。無垢主人公ダイアナの島での生活スティーブとの出会い、「外の世界」への出発、人間社会との交流、第一次世界大戦の泥臭い戦争描写、圧倒的な戦闘シーン、ど派手なCGバトル。主人公ダイアナの衣装替えもアマゾン戦闘服マント姿→1910年代のヴィクトリアンはいったロンドンファッション→鮮やかな青のナイトドレス神の子戦闘服と飽きさせない。

そして「アメコミ映画ありがちなダメダメ要素を極力入れないようにしてある」。とくに3点「主人公の不幸描写に力点をおいたヒーロー誕生秘話」「クリフハンガーの繰り返しによるピンチ感の陳腐化」「取ってつけたような絶対悪敵役」の排除には成功している。そういう意味では、既存作品の悪いところがよく研究されているのだ。これは簡単なことじゃない(アメコミ映画はこの3つの罠によくハマるのだ)。

要約すると、よくできている。期待通りの作品だ。

一方で「100点でしかない理由」としては「取ってつけたような批判回避策」、「人物描写の底の浅さ」だろうか。

主人公ダイアナスティーブ自分たちの定めた使命を果たすためにチームを結成して第一次対戦の最前線に向かうのだが、そのチームは「絶海の孤島で育った主人公の女戦士ダイアナ」「イギリス軍諜報部に協力中のアメリカ外征軍大尉スティーブ」の2名を中心としているのだが、それ以外の参加者が3名いる。

フランス領モロッコ諜報員サミーア(おそらくイスラム系)」「ネイティブ・アメリカン密輸業者で通称酋長」「スコットランド人の酔いどれ狙撃チャーリー」この三人なかなか個性豊かで好感がもてるにはもてるのだが、「イギリスvsドイツ塹壕戦」にたいしてイギリス陣営でこれを主人公チームにするのは、いかにもPC的な取ってつけた感があった。

それを言うと映画冒頭のアマゾン族が暮らす絶海の孤島にも、白人だけじゃなく黒人アマゾンが配置されてたりして「こんな風に色のバランス取っとけばいいよね」的なそれを感じる。

この種の気遣いがあるのはもちろん良いことなのだが、それが気遣いの要素を超えていない、多様性テーマに対して踏み込んでないという部分があったせいで、浮いて見えてしまっている。またそれに対応するドイツ軍が通り一辺倒な描写で(つまりは白人集団なので)片手落ちに見えてしまう(ドイツ下げをしたかったわけじゃないだろうに)のも気にかかる点だった。

総じてエンタメ作品として秀作ではあるけれど、秀作止まりというのが個人的評価である

無垢子供ダイアナ

たぶんこのPC的なディレクション――批判に対して自覚的で先手を打って内容を適正に作っていこう――は最近ハリウッド映画では多かれ少なかれあるのだと思う。ただ、そういう制約(どういってもある種の制約ではあるだろう)を逆手に取って笑いやネタにしたり(デッドプールにおける「女性も男同様にブン殴ったほうが公平じゃない?」)、むしろそこに正面から踏み込んでえぐり出す(スパーダーマン:ホームカミングの敵役ヴァルチャーはいま注目されている「見捨てられた白人労働者」)のにくらべ、ワンダーウーマンのそれは踏み込みが浅くどうしても「そういうルールなので設置しました」感が出てしまっている。

重ねていうけれど、これは減点部分だという話ではなく、加点はなかったという話だ。

おそらく「ワンダーウーマン」という作品――つまり女性戦場に出て戦うという作品を作るにあたって、制作側は、(フェミニズムを中心に)炎上の可能性を覚悟して作ったのだと思う。だから、予め潰せる問題点は潰しておいた。

それは主人公ダイアナの人物設定にも反映されていて、彼女美女で、アマゾン族の王女で、めっちゃ強い。すごい跳躍力や筋力を持ってるし、噛み殺しの特殊能力を持つスーパーゴリラだ。だが多分そのままだと脳筋批判も巻き起こすだろうから、島で英才教育を受けてた設定になっている。作中でも数百の言語を操り、古典に詳しく、第一次世界大戦当時の最先端化学式を読み取るなど知能面でも卓越している。(第一次世界大戦当時の)女性だからといって馬鹿ではないのだ!

しかし、だからこそというか、逆説的にというか、なんだかすごく残念な人物描写になってしまっている。

彼女世間から隔絶された島で育ったので無垢だ……という設定なので、物語終盤になるまで「人間は悪神アレス洗脳されているせいで地獄のような戦争をしているのだ。悪神アレスさえ倒せば人間は正義と慈悲に立ち返り戦争は即座に終わる」と信じ込んでいる。ここは物語のテーマなので、外せない重要な要素だ。

それはそうで、重要に間違いはないのだが、それってどうなのだろう。

言語というのは必ずその文化を含んでいる。外語を学んだことがある人ならわかると思うけれど、外語を学ぶというのはその言語を操る民族や地域文化を学ぶということをニアリーイコールだ。文化も歴史も言語には含まれているからで、そこに理解無くしては言語の意味を理解するなんてできない。ましてや古典まで学んだダイアナが、人間の持つ二面性や、善悪といった内面を「全く理解してない」なんてのはありうるんだろうか? いやまあそこが物語のキーなわけだから、理解していないということにしないといけないのはわかるのだが、そういう描写にしてしまったせいで作品は別のメッセージを持ってしまった。

すなわち「知識も教育も倫理や人間について理解の助けには全くならない。世界を良くするという意味では、教育は全く無意味である」というメッセージだ。多分これは随分うがった見方だろうし、制作側はそんなメッセージを発信するつもりはないだろう。けれど、物語上ここでねじれが生じているために、そう取られかねない「隙き」が生じてしまっている。批判される要素をなくそうと頑張っていた制作陣が、塞げなかった穴に見えてしまうのだ。こういうねじれが、どうも彼女をそこの浅い子供に見せてしまっている。

ワンダーウーマン」は「(邦画では珍しくもないが)戦う女性主人公」「女性が監督した初めての大手スタジオによるスーパーヒーロー映画」という点で、フェミニズム界隈から賞賛を受けた。

けれど、個人的にはダイアナ女性ではないのだと思う。すくなくとも、フェミニズムが想定するような「解放されるべき女性」ではまだなくて、子供なのだ。まだ思春期すら迎えていないような子供で、世界に対して良く言えば無垢だし、シニカルに言えば無知無責任だ。

ダイアナに強い好感を覚えられなかったのがこの映画評価に加点が少ない理由だと、整理した今なら自覚できる。

善き大人スティーブ

多分、自分にとって不幸だったのはこの部分で、それは「ワンダーウーマン」を観るまえに「ウーマンリブ的な文脈でフェミニスト絶賛」みたいな評価を知ってしまった点だ。「そういうつもり」で見てしまったせいで捻じれが目についてしまった。

しかし、見終わったあとに思い返してみると、魅力的な部分がいくつもある映画だ。その最大のものアメリカ外征軍大尉のスティーブトレバである

彼はドイツ軍スパイした結果恐るべき毒ガス計画を知り、逃亡の最中に絶海の孤島アマゾン島に漂着し、主人公ダイアナを「外の世界」に連れ出す役目をする。無垢美女ダイアナエスコート役であり物語最終局面まで彼女を支えて導き続ける。

ぶっちゃけ、序盤はただのイケメン俳優だと思っていた。

いやイケメンなのは最終盤まで変わらないけど。

ヌードシーンがあったりもするので、女性向けの眼福要素も担当させられたイケメン俳優だと思っていたのだ。二回もイケメンって言ってしまったよ。

彼は優秀な軍人でありパイロットなのだが当然人間なので、スーパーヒーロー神の子であるダイアナに比べたら喧嘩においてはまったく弱い(軍人として適正に強くはあると思う)。おまけに非文明圏であるアマゾン島では虜囚に近い扱いも受けていたし、さらにいえば彼はアメリカ軍大尉であり、物語中盤の舞台イギリス(&イギリス議会イギリス軍)では大きな権力を持っているわけでもない。上司に対しては愛想笑いを浮かべたり、自分意見をひっこめたりもする。

物語中盤、未知の世界である外界に出たダイアナは完全にお上りさん状態であり、大都会ロンドンにおいて常識を知らないことから、スティーヴに迷惑をかける。それにたいしてスティーブはなだめたり、すかしたりしてダイアナに行動を抑制しようとする(そして失敗する)。スティーブダイアナに「外の世界常識や考え」を事細かに説明して理解を得ようとはせず、断念する。命の恩人ではあるし天下無双の戦闘能力を持ってはいるけれど、「面倒くさい子供」でしかないダイアナに呆れているように見えることもある。

こうやって説明すると際立つけれど、スティーブイケメンが売りなだけのダイアナの介添に見えていた。

しかし、上映後に振り返ってみるとこの映画の中心はスティーブだと思う。

ド派手なCGバトルアクションとか、世間フェミ的な評価を全部取っ払って、個人的に「ワンダーウーマン」の感想を述べるならば、「ワンダーウーマンスティーブ映画なのだ

全般的に人物の内面描写が浅いきらいのあるこの映画だが、スティーブに関しては脚本も俳優も素晴らしい仕事をしている。

彼は心の中にロールを持っている男だ。それは「善き男」であり「善き大人」であり、おそらくだけど「善きアメリカ人」であり「善き隣人」だ。彼はそういうふうに生きたいのだ。正しさや信念というよりも、自分の中に理想像ロールモデルがあると表現したほうがしっくりくるのがスティーブである

彼が軍に身を投じたのは、混迷続く世界情勢の中で、善きアメリカ人として社会に奉仕しようとした時、そのモデルが軍人だったかである。今の価値観で言えばもちろん異論はたくさんあるだろうけれど、その当時の常識で言えばそれは愛国心であったし、善き市民の善き行動だった。

ドイツ軍に密偵した結果、彼は恐るべきマスタードガスの開発と、それが講和間近のイギリス軍へ向けられていることを知ってしまう。彼はこの情報を持ち帰るために命を捨てるような危険を犯す。それもまた、彼の中にある「それが善き男の行動」だからだ。

その過程ダイアナに命を救われ、彼女の「外の世界戦争を止めたい」という希望を叶えるためにも、一緒にイギリスまで情報を持ち帰ることにする。

しかし、イギリスにそれを報告したが、結果ははかばかしくない。講和が間近に迫ったイギリス軍は、ドイツ軍(の一部)に災厄的な行動があったとしても全面攻勢には移りたくない。スティーブ情報事実上握りつぶされる。

彼はここで彼自身の行動規範である「善き人」を曲げられる。軍の階級差という世俗の権力構造のせいで、彼がすべきだと信じる行為を行うことができない。

講和のためとは言え、前線舞台をマスタードガスの脅威の前に放り出してよいのか? 良いはずはないが、議会や政府の決定に従うのも「善き国民」の義務ではあるのだ。

でも隣には精神的に子供ダイアナがいて「ねえなんでなんで? なんで正義しないの? まさかここでやめるわけ? 処す? 処そうか?」という視線で見てくる。彼は、その結果、軍の命令を無視して、私費で(というかボランティアのつもりだった?)傭兵を雇い前線に向かう決意をする。彼は心の中にある「善き人」の指し示すところに従ったのだ。ダイアナがあんまりにも無垢なので引っ込みがつかなくなったという側面があったにせよ。

前線に向かい、血みどろの後背地を抜けて塹壕にたどり着き、取り残された村をダイアナ神話的な能力にも助けられて開放して、ダイアナスティーブの関係は接近する。男女間の性愛的な意味での愛情もあったような描写だったけれど、個人的にはスティーブ父性も強く感じた。その父性というのは、子供しかないダイアナに「善き大人」を見せるというものだ。戦争なんて醜悪なものなのだけれど、それだけではないということ、世界には「善き隣人」の「善き努力」もあるということを示したかったように見えた。孤島から世界に連れ出した人間として、世界に失望してほしくなかったのかもしれない。

終盤。マスタードガスの大量生産はすでに完了しており、その暴挙を止めるために一行は秘密基地に忍び込む。ダイアナはその中で、アレス化身だと思われるドイツ軍ルーデンドルフ総監を倒すことに成功する。ダイアナは「これで悪神アレス洗脳は溶けて戦争は終了する!」と歓喜するが、兵士たちは戦闘をやめない。殺戮の準備を辞めない兵士ダイアナパニック状態になる。ダイアナにとっては今まで信じてきた世界観が崩れ去った瞬間なのだ

そのダイアナに向かって、スティーブは今まで何度も説明しようとしてしきれなかったことを告げることになる。

それは「この戦争は人間が開始して人間が拡大させたものなんだ。神はいない。僕たちの責任だ」ということだ。その告白はとても辛い。「善き男」として生きたかったスティーブは、まったく「善き男」ではなかった。戦争をしちゃってるのだから極悪人なのだしかし、スティーブは「この戦争は僕達の罪なのだ」ということを認める。なぜなら、戦争の責任を誰かに転嫁するのは、戦争を始めるよりも更に恥ずべきことだからだ。「善き男」として彼は、世界の醜さの責任を取らなければいけないと決意する。

スティーブダイアナの間にあったものは多分とても複雑で、男女でもあったし、父と娘でもあったと思う。でもその一部には神と人間というものもあった。

彼女の戦闘能力があまりにも隔絶してたかスティーブもその視点を持たざるを得なかったのだろう。

ダイアナの考えは「神が神の邪悪を振りまいたせいで人間が迷惑をしている」から「神の使命を持つ私が人間を救う」というものなわけだけれど、スティーブはこれに「善き人間」としてノーを叩きつける。ダイアナの考えはある種のパターナリズムだが、スティーブの答えはそこからの脱却だった。

神々の戦いは神々であるアレスゼウスの娘ダイアナが決着をつけるだろうし、人間であるスティーブは戦闘能力の関係上そこには関与することができない。しかし人間の始めた戦争であり、人間の悪意であるマスタードガスは人間であるスティーブが止めなければならない。筋としてそれが正しい。

ダイアナの戦闘能力やスティーブたちの状況を考え合わせると、彼らはここで戦闘を放棄すれば逃げて安全に暮らすことは十分に可能だったように見える。その場合はもちろんマスタードガスで前線の部隊は凄惨なことになるのだけれど、倫理的に考えてスティーブが彼らを救う(その結果命を落とす)絶対的な義務があったわけではない。戦争の悲惨すべてを、個人であるスティーブが背負う必要はないからだ。

スティーブが命をかけた動機として、父(先行者)として娘(後続)に「この醜悪な外の世界にも善はあるのだ」という事を示したかったのか、人間として神に「あなただけにすべてを背負わせない。人間は弱いけれどそれでも自分たちのしでかした行為の責任は取る」ということを示したかったのか、それとも男として女に「俺も戦う」といいたかったのか、それはわからない(そこが返ってスティーブという男のテーマとしてよかったと思う。彼の愛情には名前がつけられない)。

けれど、スティーブは「自分の戦い」として今まさに離陸していこうとする毒ガス満載の爆撃機を止めるために飛び出す。そして乗り込み、爆弾を抱えて、前線を救って、結果としてダイアナを残して死ぬ。

こうやって思い直してみると、中盤、ロンドンの街で常識知らずにうろつくダイアナに手を焼いていたのも、「善き大人」として子育てに苦労してたんだなあ、と思える。

スティーブは大尉だからおそらくエリートなんだろうけれど、まだ若いし、それ以前にすべての人間がそうであるように、不完全で未熟だ。しかしそうであるからこそ、彼には「こんな存在でありたい」という理想像があった。そして常にそうであろうと、努力していた。都会ではトラブルメーカーダイアナを「善き保護者」として(オロオロしつつも新米父親のように)導こうと思ってたし、最前線では「善き戦友」として肩を並べて戦った。戦火から救い出した村でチャーリーが歌ったときは「善き男」としてダイアナを熱っぽく見つめた。彼は最終的に、「惚れた美人との安全な生活」よりも自らの役割を優先した。自分自身の信じる正しさに殉じた。それは「善き人間」として神の前に立った時、他の誰でもなく自分が、人間すべての代表として神に「人間の誠実」を見せるべきだと思ったからだ。

それは上野千鶴子あたりの言葉を借りると「男性の安っぽいヒロイズム」であり「戦争に興ずる幼児性」なのかもしれないけれど、物語としてみるとスティーブの人物描写はこの映画の中で一番複雑で深みがあった。魅力的だった。

そんなことを考えると、「ワンダーウーマン」はウーマンリブ的な価値観映画というよりも、男性的な価値観の、そして「神(あるいは超越的な力を持つスーパーヒーロー)の前に立った『善き人間』の覚悟と誠意」の映画だと思う。そして、そこがこの映画の美点だと思える。

2017-09-13

https://anond.hatelabo.jp/20170901232336

よ~し。じゃあ男同士の内緒の話を教えちゃうゾ~☆

まず銭湯温泉に行ったときには

「わっ!〇〇君のちんこでかーい!さわってもいい?」

「ちょ、やめてよ~。べつに普通だよ普通

さらにでかくなった!でけえ!まじでかすぎだろ!!」

という感じでチンコカーストというのが存在します。

男というのはチンコがでかいというのが絶対的ステータスなのです。

チンコがでかいのが正義であり、そして女性モテルのです。

2017-09-11

スマホゲームって最新のゲームを装ってるけど、その根底にあるのはウィザードリィシステムだよなぁ。

ウィザードリィPCゲーム機で動いた市販ゲームソフトウェアだが、その前身にあたるゲームは、確か米国大学学生二人が、学校で生徒みんなでログインして使う共有コンピュータ(unixだったかな?)で動くものを作った。

特徴的だったのは、二人の学生が作っていたプログラムニコイチしたこと。

3Dダンジョンの画面上をプレイヤーが探索して歩くピコピコゲーム部分と、特徴的な項目を複数用意したモンスターキャラクターデータデータベースの両方が融合したことだった。

この融合により、キャラクターを成長強化したり、毒を喰らって定期的なダメージを喰らうようになったり、敵キャラクター雑魚からボスまでの段階的な強度をもったバリエーションを持たせたりといった、より詳細なキャラクター設定ゲームの中に持ち込むことが可能になった。

ウィザードリィ以前のゲームといえば、画面上でドットキャラクターピカピカ光ったりBeepBeepうるせぇピコピコゲームの部分だけのことを言ったが、ウィザードリィ以降はピコピコゲーム部での操作キャラクターデータベースに変更を加える進化形のことを言うようになる。


でもって、これを現在スマホゲーに当てはめてみると、まるっきりそのまんまじゃんと思うのよ。

大体スマホゲーって、アクション/パズルパートキャラクターの強化などのマネジメントパートの二つに分かれてるでしょ。

ウィザードリィ以降スマホゲーム以前までは、プレイヤーから見てアクションゲームパートがすべてに見えるように作られていて、データベース部分は裏方として直接的に見えないようにしてあった。

それが携帯スマホゲーが登場して、逐次課金システム成功して一般化すると、所有キャラカードデータの一覧表示が必須になった。

金払ってキャラクターカード手に入れてる客に対して 、買ったものをはっきりと見せる一覧表示が絶対的必要機能となる。

それ以降キャラクターデータの明確な表示を含めたマネジメント機能が、ゲーム機能ひとつの柱として分離され大型多機能化した。

ゲームって面白いすなぁ。

最新ゲームでもやってることは30年前とあまり変わらないんだぜ。

2017-09-10

https://anond.hatelabo.jp/20170910024740

はてサなんていないと何度もはてサが言ってるじゃないか。いるのはグローバル論理的科学的で革新的絶対的に正しい認識に基づいたあらゆる専門分野にも素人考えで冷静で的確なアドバイスできるほど頭も良くて民主的ポリコレ的にも正しくて人を低知能な罵倒なんてしなくて清廉潔白政治的にも全く偏ってなくて誰に対しても寛容かつ公正で優しくて真実しか述べない賢い普通の人々がいるだけだ。

2017-09-09

外国人嫌悪または多様性否定

話題にするも嫌だけど、表面的な視点だけで一方だけが正解で残りは間違いになるのも嫌なんで書く。

特定人種民族やその混血と別の人種特に自分と同じか同族人種民族を比べる話題を出すと、すぐさま、外国人嫌悪一面的見方がでてくる。

だが、そうなのか?


環境的または遺伝学的に、特定人種民族特に有利な才能が備わっていることがあるということを認めないのだろうか。

全員ではないにしても、または個人努力または怠惰によって相殺されることではあるかもしれないが、人種民族に傾向的な才能があることがある。

単純に言えば、走るのが速いとか、体力持久力があるとか、寒さに強い、乾燥に強い、日差しに耐久力があるというような能力、才能があることを認めないのだろうか。

それに恵まれなかった人が個人努力で対抗できる程度であったとしても、それはありうると思っている。


それを認める事が、外国人嫌悪なのかどうか。

個人努力で対抗できるとしても、それが本当に起こるかどうかは、現実にみてみなければ確認できない。


さらにこれは他の議論にも飛び火する思索がある。

人種民族といった大きな傾向ではなく、もっと狭い場所での人間差異について。

例えば、男性女性特定作務が向いている、向いていないということが遺伝的な部分であるかどうかという点。

繰り返すけれども、個人努力でその差異相殺できる程度の差があるかどうかであり、特定の人に絶対的不可能があると言ってるのではない。

努力で克服できるから、その差異話題にするべきでないというのは、何かを考えてはいけないという思想を制約することであり間違っていると思う。

それを話題としてしまったとしても、その話題を始めた人を排斥したり、その話題事態封殺する民意形成する事もまた正しい道ではない。

個々人は、各々に人種民族遺伝学的または環境から生ずる差異があって、多少の有利不利があるはずで

漫然と現実を受け入れていればその差異はそのまま居残り続けるということを認める事は、外国人嫌悪あるいは一般的にいう多様性否定なのだろうか。

追記しとくけど

特定ブクマ本人ではない。ある批判をみてそれは正解なのかと疑問に思っただけの傍観者

anond:20170908230300

近親相姦:遺伝的に弱い形質が残りやす

比較が「近親相姦」と「離れた人と結婚する」になるので

離れた人と結婚するほうが種の発展に望ましい

また、これは「通常時望ましくない」の前提がついているので

仮に世界崩壊後肉親男女二人が残った、など

「他に相手がいない」状態なら

近親相姦を反対する人は大幅に減ると思う

高齢出産:遺伝的に弱い形質が残りにくい

比較が「生まない」と「高齢でも出産する」になるので

※「若い時に好んで出産する」と「高齢で好んで出産する」にならない

高齢でも出産した方が種の発展に望ましい

GBT:遺伝的に残らない

上記は本来はどれも「通常時に種の発展だけ考えたら」

避けるべきなものではあるが

※決して種が発展することは世界絶対的ルールではない

※発展しやす性質の方が残りやすいだけである

個人的には上記に関して全て許容している

近親相姦だけ法になったのは男女が惹かれる本能の上で

通常時の例外として抑制しているからと推測している

2017-09-07

anond:20170907090942

スイテームザイのプロフェッショナルにお伺いしたいのですが

"そのうえで、同意があったと男性が誤解したのは、女性が明確な抵抗を示しておらず、外国人被告が遠回しな態度を理解できなかったためだと述べた。"

という文から

@裁判所として明確ではないが女性の抵抗があったことは認める

@日本人には遠回しだが抵抗だと分かる

@相手外国人から"誤解"した

しか読めないんだけどこれでも絶対的同意の有無は証明出来てないの?

2017-09-03

表現の自由論争はアラブの春と同じ運命を辿る

アラブ諸国独裁政権によって

ある種の制約はあっても、常に前進をしていた

反米と言う共通の敵によって体制は維持されてきた

ところがSNSによって革命が起き、政権批判宗教批判可能になった

その後に起こったことは言うまでもない

ISIS跋扈とそれに対する体制側の虐殺、完全なる混沌

 

国粋主義宗教的作品はあっという間に普及する

意図せずとも過激プロパガンダ民間から量産され

いずれ大衆支配し、自由社会幻想は消える

 

表現の自由自由を殺すアイロニー歴史証明してきた

ヒトラーでさえ選挙民主的に選ばれているのだ

 

表現の自由、この口触りの良い言葉は錦の御旗ではない

人間にとっての絶対的概念でもなく、戦後数十年程度しか歴史の無いパンドラの箱

我々はこの不都合直視する時が来ている

性格が良い」という表現

が割と一般的に使われてるのが、何となく疑問だ。

性格なんて個々にありのままにあっていいはずのものに、

絶対的な良いとか悪いとかがあると考えてる人が多いんだろうなと思う。

自分にとって都合が良い、が良いではない、ということが分かってないのか?

分からんな。

動物園は「逃げる」先に向かない

なぜなら弱肉強食という絶対的概念があるから

弱いものは上に上がれず、強いものが強い

明確なカースト存在する、これが自然界の当たり前

地球上の99.9999...パーの動物はこの規範の中で生きていて、疑問も抱けない

 

そして仮に人間さまの手によって

このカーストから逃れる=ペット動物園見世物になったとしても

今度は人間から虐待におびえなければならない

見世物になれば、一生檻の中

社会性のある動物なら、一生動物関係に苦しまなければならない

ガチ病気になって隔離されるくらいしか逃れる先も無い

指さしてくる黄色くてうるさいサルどもに愛想を振りまかなければならない

 

唯一伸び伸びとした生き方が出来る動物

野良ネコ野良犬か、乳用種の動物(メス)だけ

だがその乳用種も、生産能力が落ちれば食肉にされるケースもあるという

 

動物界は資本主義も真っ青なディストピア 

けもフレはおまえの頭の中にしか存在しないのだ

2017-09-01

超興奮状態の子ども相手に、本当に冷静でいられる人がいるの?

子どもにもよっては、本当に何も耳に届かないくらい興奮しちゃう時がある。そういう時ってすごい状態で、何を言っても全く何も届かなくなる。もう、どうしようもない。

で、日野の件。子ども暴力とかやめろや、と思う。最悪だな、と思う。おっさんしっかり叱られて反省しろ、と思う。でも、自分が同じことを100パーしない自信があるかというと、100パーじゃない。我慢するけど、絶対的な自信はない。演奏しててトランスする状態とかなったことないし意味からないけど、仮に上で書いたみたいに興奮してわけわかんなくなってる感じだったとしたら、これは手に負えないだろうなあと想像できる。

その上で、この手の記事ブコメ見ててびびってる。はてなホトケ率高すぎだろ。どんだけ冷静でいられるのよ。マジかよ、と。

そういうときマジで手を上げずに毎回我慢できる人っているの?暴力ダメなんて当然わかってて、それでも時々抑えられなくなって、手が出た経験って、マジでないの?

こっちの声が相手である子どもに届全くもって届かない。何を言っても聞こえない。待ってても収まらない。抱きしめろっていうからそれやっても大暴れするだけ。離すと寝転がって大声で泣いてたりしてる。それも初めてじゃない。何回もある。そんな子供にちゃんと対応できる自信とか実績があって、コメントしてんの?経験ない人なんじゃない、って疑っちゃうんだけど。

こんなになる子どもばかりじゃないのは知ってる。抱きしめてやると落ち着く子供もいるんだろう。でもそれってラッキーなんだよ。大人がうまく対処たからって理由だけで落ち着いたんじゃない。その子がそれて落ち着くことができる子だっただけ。

日野擁護する気は無い。暴力ダメ、は絶対。やめろバカって思う。でも、それは過去子どもに手を上げたことがある自分でに対しても同じように思う。

清廉潔癖、完璧ホワイトな人以外は意見するなと言うつもりもない。みんなでバイオレンス日野アッチイケとか言って罵ればいい。

でも自分が超ホトケな感じで、絶対自分ならやらないというスタンスなんか言えるのって、それマジで自分の実績から言えてんの?その品位経験と徳力がうらやましすぎんだけど。って思った。

2017-08-31

https://anond.hatelabo.jp/20170831010215

パクリ糾弾

「絵の書ける人」VS「書けない人」

っていうオタク界隈での絶対的階級差をひっくり返すためのツールなんじゃないか

2017-08-30

「どんなことがあっても殺しちゃだめなんだよ」の気持ち悪さ

https://anond.hatelabo.jp/20170830204145

わたしを殺すな」という主張ならばわかりやすい。そこには倫理正義もない。死に抗うあらゆる生物の剥き出しの本能である。これが他者も含め「どんなことがあっても殺しちゃだめなんだよ」と拡大されると途端に気持ち悪くなる。

食用、素材、害獣駆除スポーツハンティング等。人の都合であらゆる動植物の命を奪っておきながら人は殺すなという。それは人間至上主義である。今話題白人至上主義との違いは何か?どこで線を引くかだ。「白人とそれ以外」なのか「人間とそれ以外」なのか。

人間至上主義結構白人至上主義結構エゴ丸出しで生きるのもいいだろう。不利益があっても批難されてもそれが貴方主義であるならば貫き通せばいい。それを絶対的正義正論であるかのように主張するから気持ち悪いのだ。

人は人を殺しても構わない。群れにとって不利益であるから群れの理屈によって処罰されるだけのことである善悪問題ではない、損得の問題なのだ。そこを履き違えて正義を気取るからおかしくなる。

2017-08-29

頭を抱えればミサイルから身を守れるのか?

https://news.yahoo.co.jp/byline/shiraisatoshi/20170828-00075061/

大丈夫である、と毎日新聞は伝える。

この種爆弾日本でも研究されこの実態もわかっていた程度のものである。従来の爆弾は横に及ぼす爆風の威力によって人、物を殺傷破壊したが今回の敵のいふ新型爆弾は上空から地面に及ぼす垂直風圧の威力が大きかったのが新しいところである。ところで第一の熱線の焼夷的効力についてまづ上空に向かって遮断をすることが最も効果である。この意味から地下壕は絶対的である。五体の露出部分は完全な防空服装によって包むこと。…(中略)…防空頭巾、手甲、脚絆、しか顔面を包むことも考慮すべきである。かうした防空服装を整えて壕に入っておれば絶対安全である

第二の爆風圧即ち爆風に対しても上空に向かっての遮蔽が有効であることはいふまでもない。…(中略)…熱線を防ぐため壕も入口より奥にまたとっさの場合は高位より伏せの姿勢有効であるは論をまたない。この敵の新型爆弾対処する途は今こそ一億総穴居、完全な防空生活に徹することの以外にはない。

昭和二十年八月九日「毎日新聞掲載赤塚参謀談話引用高見順敗戦日記」による

広島視察後の談話。伏せは有効だって。みんな穴倉で暮らせって。

一億総決起の洒落なんだろうか。笑うところなんだろうか。こういうのは「不謹慎」ではないのか。

帝国陸軍ジョーク難しい。少し悩む。

2017-08-28

タイムリープ物に対するオタク一般人の違い

オタクトゥルーエンドにたどり着こうとする

一般人運命を変えようとするより受け入れようとする

この違いなんだよなぁ。

結局はここが絶対的な違いなんだよ。

オタク作品一般人向けにしたり、一般人向けの作品オタク向けにすると、このギャップが超えられずに作品エッセンスが谷間にボトボト落ちていって意味不明な何かになるのよ。

何でこんな違いが生まれるのかって言うと、一般人は結局のところそれぞれの人生を受け入れられる程度には人生が充実してるのよ。

でもオタクアニメの見すぎで求める人生ハードルが高まりすぎて、そのハードル越えるの諦めきって腐った人生送った結果自分人生に不満プンプンな訳。

からオタク自分ありのまま人生なんて受け入れらないから、トラックに轢かれて異世界チートし放題とか妄想ちゃう

そういうメンタルループ物とぶつかるとトレードオフになる可能性の向う側にある第三の答えを求めだすんだよオタクは。

女か虎かとオタクに問えば、①ハンサム主人公は突如逆転のアイディアが閃く②奇跡が起きて王女と結ばれる、みたいな事抜かすのがオタク

そんな奴らの感性一般人はついていけないんだよ。

なにそれ?

お前ら何が言いたいのってなるわけ。

その感性レベルの圧倒的ギャップを埋めるのは無理なの。

からオタク向け作品一般人向けにしたり、一般人向けをオタク向けにしたりすると、不幸と踊って横転事故大惨事になるって事よ。

オーケー

この増田が役に立ったと思う人はブクマを。

役に立ったと思わない人はスターをお願いします。

2017-08-27

[]

今回は少年ジャンプ+

ファイアパンチ 65話

メタ的に見るなら、アグニが現状の展開について読者向けの説明をしてくれないから、ネネトがそのケツを持った感じ。

そのせいで何だか自然になっている気もするが。

いや、本作ってどうもこのあたりの運び方があまり綺麗じゃないから今さらかもしれないけれども。

語らず見せるべきことと、見せても語るべきこととの過不足について作家自身苦戦している……ってのは邪推が過ぎるか。

ヴィジランテ-僕のヒーローアカデミア ILLEGALS- 12

今回は世界観説明というか、ヒロアカ設定資料漫画で読んでいるような心地だった。

こういった架空の設定について理詰めで説明するのはリアリティが生まれて嫌いじゃない。

本作のテーマにも繋がっている解説だし、不必要というわけではないしね。

ただ、やっぱりちょっとファン向けというか、文字フキダシの占有率が凄まじくて手放しで褒められた構成ではないけれども。

まあスピンオフって基本的原作ファンとかが読むことが多いの前提だから、まあそれでもいいのかなあって感じか。

雑感

ちょっとから始まった、読み切り&新連載ラッシュ。一つ一つ感想書く気力もなかったので、全体的な感想として。

ギャグ漫画コメディ系のは軒並みイマイチ。酷い出来ってわけではないけれども、特筆して評価できるようなところもほぼない。私は、プロットが録になくて設定したキャラだけで何とか体裁を成そうとしている漫画を「キャラ漫画」とかいうことがあるけれども、概ねそんな感じだった。

別にキャラクター描写に傾倒すること自体ダメってわけではないんだけれども、デザイン性格などの設定の羅列で終わってしまっているのがダメで。漫画キャラ大事ってよく言われるし実際その通りではあるけれども、その認識が甘いというか。本当の意味で魅力的なキャラクターってのは、テーマプロットなども包括してこそ。ドラマ言動説得力を生み、相関関係化学反応を起こし、そうしてキャラクターというものはより魅力的になる。

これといって大したことのない、何の捻りもないプロット面白そうなキャラクターを配置しても、とりあえずは読めるものになるかもしれない。でも、すぐに底が知れて陳腐になり、漫画の話含めてキャラクターにもすぐに飽きる。特に会話劇とかが中心のコメディは、作家の手癖だけで描くと冗長になりやすいから、よほど自信がない限りはプロットから作りこんだほうが良いと思う。


ストーリー系の漫画は、クオリティ的には概ね良好だと思う。それぞれ個性を出そうとしているのも窺えるし。ただ、いかんせん私的に刺さったものがないので、語れることが少ない。

あと持論だけれども、私は表面的な表現手法とかは評価に値しないと考えているんだよね。極端な例えだけど、4コマ漫画を読んで「コマ割が良い」なんて言ったら馬鹿みたいでしょ。だからそういった表現手法賞賛対象にもならないし、批判対象にもならない。どのようなテーマで、どんな構成セリフを紡いで表現するかってことがストーリー漫画においては大事なんだと思う。もちろん、表面的ではない表現手法に関しては評価に値すると思う。私個人がそれを評価できるかはともかく。


スポーツ系のもあったけれども、正直ありがちなスポーツ漫画読み切りだった。定型を何ら脱していない。王道的な構成と見ることも出来なくはないけど、私としてはもうこういうのはいいかなあ。

作品というもの絶対的評価大事だけれども、相対的評価大事比較対象が多い媒体なら尚更。既存のものばかりで構成されているのなら、より洗練されていて欲しい。それが出来ないというのなら、(クオリティの良し悪しはともかく)せめて新しいものを。どちらも出来ていないなら、語るに及ばず。

2017-08-26

もやっとする比較をされた時。

μ'sは良かった、という人が苦手だ。

僕はμ'sがどうしても好きになれなくてラブライブのものが好きになれなかったからだ。

理由はあげればそれなりにあるけれど、自分が好きでなかったものに労力を使うのは無駄だ。

そんな僕をラブライブコンテンツに触れさせてくれたのがサンシャインだった。

一番最初に感じたのはキャラの声が好きだ、ということだった覚えがある。

たまたま配信で観た1話で、いきなり歌いだしたり髪の毛の色がカラフル彼女たちに面食らったけど。

なにより、「あの」ラブライブか……とちょっと引いていたのに。

CDを買うようになり、BDを予約して、雑誌を買って、ゲームも始めた。スマホゲーはねこあつめ以外したことなかった。

彼女たちのうたが、声がしみる。そんな風にいつの間にか思っていた。

一番びっくりしたのは声優ファン距離感が今までの認識とは全然違っていたこと。

声優っていうよりほんとにアイドルみたいだった。いまだにμ'sからファンとは認識が合わない気がする。

ここで冒頭に戻る。

μ'sは良かった? キャラ声優リンクしていた?

それは振り返っているからそう見えるだけだろ?

そもそもキャラ声優を同一でみる、2.5次元っていう発想が納得できない。

だって彼女たちは彼女たち以外にありえない。

彼女たちが演じているキャラがいて、キャラがいて演じている彼女たちがいる。

そこに絶対的な違いがあるのは当然じゃないか

バーチャルアイドルじゃない、生きた人間なんだ。

そこをイコールしないと楽しめないなら、ライブなんて行くなよ。

アニメを観に行ってるわけじゃないんだろ?分かってるからこそ声優調子が悪いとかダンスがうまくなったとか、

そういうことに感動するんだろ?

頑張って欲しいって声を出してブレード振るんじゃないのか?

μ'sを捨てろとは思わないし、いつまでも大切に想うコンテンツは僕にもある。

それが消えてしまったコンテンツでも、もう続きが見込めないコンテンツでも。

ただいつまでも元カノに執着するみたいに、今カノに前カノを投影するみたいに、

当てはめるのはやめにしないか?(もちろん声優恋人だなんていうつもりはない。ただのたとえ話だ)

Aqoursが何かやり遂げるたびに、前カノの話をするきみらをみるのは嫌なんだ。

あいにく僕は埼玉LV参戦だ。ファンミは行けない。

でもAqours応援しているよ。

アニメキャラたちのAqoursも、現実存在する声優9人のAqoursも、

元気をくれる存在には違いないから。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん