はてなキーワード: 主観的とは
平均的に、男は女とセックスがしたいと考えている。
特定のだれかとだけセックス出来ればいいと考えている男は少数派で、あらゆる要素が許せば色々な女とセックスしたいと考えている。
だが現代社会でセックスまで持ち込むためには当然女性の同意が必要になる。
自分とセックスしない女が別の男とセックスをしている、というはあまりにありふれたことだが、それはその女が自分を別の男よりも劣った存在と判定した結果と同義である。
セックスに関しては女性に許可を乞う側の性である男は、常に世の中のほとんどの女から「劣った男判定」を受けていると言ってよい。
あまりにもありふれたその判定は、しかし自分では意識もしない程度の「傷」を男の脳に刻み付ける。
この傷が他の女によって癒されることなく蓄積されていった結果、女を、とくに「自分とセックスしない女」を憎む人間が完成する。
こういう男は「嫌う」ではなく「憎み、復讐したい」と考えている。
あまりにも理不尽だが、少なくとも男の主観的には自分の方が被害者で「女に傷つけられた」と感じている。
そしてそういう男は処女が好きだ。処女はまだ「男性優劣判定機」になっていない。少なくともセックス可能性という点において、まだ何も判定していないのだ。
https://anond.hatelabo.jp/20230526043327
正直かわいそうと思いました。
こんなに叩かれるなんて、想像してなかっただろうな。
想像できてたら、ここに書いていたような行動はそもそも取ってなかったよね。
>悪気があってやっている様に思われてしまう
誰も思ってないと思う。
悪気なんてまったくなかったんだろうなって思ってるよ。
だって悪気があってやっていたら、それって超悪女じゃない。そんなキャラじゃないでしょう?
まわりから自分がどう見えるのか、普段から考えることができていますか?
反出生主義、なんやかんや言って、自分の人生がイケてない、正直死にたい、生まれてきたくなかった、というところからスタートすると思うんだよ
ベネターさんの思想的には、そもそも主観的に幸せかどうかなんて関係なく、全員生まれないのがイチバンってことではあるんだけど、まあ、個人が反出生主義に傾倒する理由としては、自分の人生が嫌いだからというのは多少なりあると思う
で、不幸の再生産をしないために絶対子供は作らないぞ、っていうのはいいと思うんだよな
でも、他人にそれを期待し、他人が子供を作ってるのを見て怒りを覚えるというのは、純粋に損なんだ
むしろ、ガンガン苦しんでくれた方が自分の将来にとっては良いというところまである
自分の子を勝手に生み出して苦労させて恨まれるなんてことはやりたくない
でも、他人の子供が他人に勝手に生まれていくら苦しもうとどうでもよくねえ?
俺んところでだけ不幸の連鎖を断ち切っといたらそれでいいじゃん
アホにはドンドン産んでもらってさあ、貴重な未来の労働力になってもらいましょうよ
自分のところだけしっかりやって、他人がバカやってんのはヘラヘラ笑いながら見てようぜ
と、最近は思うようになったよ
自民をカルトと言ってる時点で、普通はお前の方が一般的な感覚を失ってカルトに染まってるとみなされるわな。
カルトと関係のある政党をカルト扱いしていいなら日本にカルトでない政党は存在しない。そのなかでも自民は距離感がまだある方だろう。支持はしないが。
「最悪の国」って言葉も軽々しく使い過ぎだ。視野が狭くて主観的な人間性が透けて見えるから、北朝鮮とかカンボジアくらいになってから使え。
ここ数日、エンジニア界隈で話題になっている「雑魚エンジニア」の記事がある。
https://note.com/joan_of_arc/n/ned510ca913c7
中身は「自分が無能だったせいで最終的に鬱になったので経緯を説明します」ってだけなんだけど、
これを読んで思ったことを書き記す。
そこで、頭の至らない私にとって選択できる解決策はあまり思い浮かばず、「第三者に判定してもらおう」と思い、ソースコードの一部を私の部の slack に共有し「このコード、率直にどう思いますか?」とお伝えしました。
いやいやいやいやいや、コイツやべーだろ!
ウンコードを読んでリファクタしたいと思ったのはわかる、それを断った先輩の気持ちもわかる。でもその後のアクションがなんでいきなり晒し上げなんだよ!
それ社会的に殺したい相手とかにやるやつだから!同じ会社で一緒に働く同僚にすることじゃねーから!
ってかもう、この部分だけで彼(彼女?)の生態がわかるじゃん。
文中では
とか
この記事も徹頭徹尾、「自己の正当性を証明するために世間の同意と同情を得るためのもの」じゃん。
話は変わるけど、君らは当然ハリーポッターは履修してるよな?してる前提で話を進めるよ?
「ああハリーポッター、ドビーめが悪いのです!」とか、「ドビーは悪い子!ドビーは悪い子!」とか。
この記事も完全にそれじゃん!
自分のことを「雑魚エンジニア」とか「頭の至らない私」って過剰に卑下してみたり、
「自分視点の主観的な理解しかお話しすることができません」とか「この先輩エンジニアの方に責任を押し付けたいわけでは決してないです」とか「『上司の判断がおかしい』と言いたいのではありません」とかで免責してみたり。
こいつはくせえッー!ゲロ以下のにおいがプンプンするぜッーーーーーッ!!!
雑魚エンジニアじゃなくて屋敷しもべ妖精エンジニアに改名した方が良いと思う。
今回は鬱になっちゃったので失敗感あるけど、これまでこの「周囲を味方につける」手でたくさん成功体験を積んできたんじゃないかな。
最近上映され始めた映画「TAR」は、ものすごく「はてブ向けのテーマ」を扱っている。
世界最高峰のオーケストラで指揮者を歴任し、クラシック界の最重要人物となったレズビアンの主人公、リディア・ターが、音楽教育やオーケストラ運営の中で徐々に問題にぶつかっていく。
そこではSNSによる告発、ある種のハラスメントや人間性の消費が描かれており、その解像度が高い。
主人公を写し続ける美しい画面は主観的で、リディア・ターの真摯に音楽と向き合う姿勢と、権力者として傲慢に振る舞う姿勢が描かれる。きっと、見る人によってターへの共感のレベルが変わり、物語全体が理不尽にも、因果応報にも、新たなる希望にも感じられる。
客観的な描写が省かれることにより、誰がどういう心境で、実際に何が起こったのか、確定をすることが難しい。見る側の理解に委ねられている。
ジェンダーやハラスメントの問題も、本質的なテーマというよりは、より普遍的なストーリーのためのスパイスに過ぎないのかもしれない。
昨日投稿した記事がとてもありがたいことに伸びたので、調子に乗って別の話をしようと思う。軽い気持ちで書いてたらクソ長くなった。
これを読む前に注意してほしいのは
だ。
YOASOBIの「アイドル」を聞いて、これはすごいと思って推しの子を見た。
そして第一話でアイが殺されて「??????」となった。あまりにも納得がいかなかった。それは以下のような理由による。
偶像としてのIdolを死守する(「嘘が愛」とかアイっていう名前からも推察できるように)というのが最序盤のテーマだったわけで、そこに子供がいるっていう嘘を死守するっていう物語があって、さらにIdolとしてファンを愛してるっていう嘘(本当は誰のことも愛したことがないから)もあるから、その嘘が本当のこと(ファンとほかの人々を心の底から愛することができるようになる)になる、っていうのが大筋のストーリーになるべきだったわけだ。
その重要な過程(アイが少しずつ成長していく)が完全にすっ飛ばされたので肩透かしを食らったという感、殺されるところでいきなり愛してるって言っていて、正直第一話だけだとアイに対して人間としての共感が全くできない。
この物語が評価されている大きな要因としては、まず推しの子に自分がなるっていう第一話のインパクトとコメディ性、次にアイが死んでしまうっていうさらに劇的な展開。
これ自体は別に悪くないと思うが、やはりアイが本当の愛を知る過程をスキップしているので作品としての完成度が低下している。
たぶんその理由として乳幼児だと行動の幅が狭すぎるっていうのがあるのかなーと。簡単に動かせないから話を作りづらいっていうのがあったんだと思う。それをどうにかするのが脚本家の仕事ではあるんだけど。でも子役ルートがあるならそういう問題もなくないか?
また、アクアとルビーの父親に関する伏線が第一話だけっていうのもつらいポイントではある。
どうしてもそこからのストーリー展開が難しくなる。第二話以降の話は割と自由に進めることができるはず(ルビーがアイドルを目指すとか、主人公が父親を捜すとか)で、その辺の先の読めない感じは面白い。
1クール目の最後でアイが殺されたりしてたらもっとよかったんじゃないかなーとか思った。
「え!? この感じなのにこの1クールを全部このOPでやるの!?!?!?!!?」
初めてこの曲を聞いた時とんでもない衝撃を受けた。
それは初めてYOASOBIの「夜に駆ける」を聞いた時に感じた衝撃と同じものだった。
まず、「夜に駆ける」が空前絶後のヒットを叩き出した最大の理由について述べようと思う。
もちろんこれは俺の意見であって、完全に正しいということを主張したいわけじゃない。別の意見があればコメント等に書いてほしい。
音楽というのはほぼすべてが感覚で成り立っているので、それを正確に記述することは本当に難しい。
「夜に駆ける」を語るにはまずコンポーザーのAyaseについて紹介する必要がある。
Ayaseはもともとボーカルとしてバンド活動を行った後、解散したのちいわゆるボカロPになったミュージシャンだ。
ボカロP:Ayaseを象徴する代表曲は「幽霊東京」や「ラストリゾート」が挙げられる。
初めてこの曲を聞いた時の俺の感想は、”よくあるボカロ曲だなあ”というものだった。
正直これらの曲はボカロ曲としては古典的な印象を与えるものだと思う。DTM感が強い、打ち込みで構成されたボカロ曲……という感じだ。
しかしここで重要なのは、実はこれらの曲でAyaseのパーカッション、リズムに関する凄まじいセンスが光っており、それが当時のネット音楽のトレンドにぴったりとマッチしてある程度の人気を博していたということだ。
Ayaseのリズム感に関する才能には目を見張るものがある、というのは上記の二曲を聞けばたぶんわかってもらえると思う。もちろんこの曲が発表されてから時間が経っているので、当時は真新しくとも今では多少風化しているように感じるかもしれないけど。
「夜に駆ける」においてもそのリズム感が遺憾なく発揮されている。ただ、この曲がそれまでのAyaseの曲と大きく違うのは
・繰り返される転調
と
だ。
一つ目の繰り返される転調に関しては「夜に駆ける」を聞けばわかる。最後のCメロのところとか二回くらい転調してる。で、たぶんなんか普通の転調とは違う感じがする。音楽知識がないのでその辺はわからないけど。まずそこの斬新さがある。異論は認める。
まずikuraが持つリズム感についてはもうとりあえず「夜に駆ける」聞いてみてほしい。歌詞の子音がバスドラとクラップに気持ちよくハマっている。
この文章を書くにあたって今一度「夜に駆ける」を聞いていたら、そのikuraのリズム感の素晴らしさについてちゃんと語りたくなったので細かく述べる。興味ない人は飛ばしてください。
・イントロの”沈むように「溶けて」いくように”の「溶けて」のリズム感が良い
・”二人だけの空が広がる夜に”ここのリズム感は全部いい
・”さよなら「だけだった」”の「だけだった」のリズム感が良い
・”その一言で「すべ『て』がわかった」”の『て』が良い
・”日が沈みだした空と君のすが「た」”の「た」のリズムの取り方がマジですごい
・Bメロの”いつだってチックタックと「鳴る世界で」”の「鳴る世界で」のリズムの取り方がすごい。
・Bメロの”触れることない言葉うるさい声に涙が”ここのリズムは全部すごい
・サビの”騒がしい「日々に」笑えない「きみに」”の「日々に」と「きみに」のリズムの取り方がすごい。
・二番のBメロは正直全部リズムの取り方すごい。”信じてたいのに信じれないことそんなのどうしたってきっと これからだっていくつもあってそのたんび怒って泣いてくの”ここがすごくいい
・Cメロの”もういや「だって疲れたんだって」”の「だって疲れたんだって」のリズムがすごい。
ここにリズムの優れた曲を作るAyaseとのシナジーがある。偶然にしては出来すぎたユニットである。
次の”ikuraが持つ自我の顕れない説得力のある歌声”について
これは説明がとても難しい。
と
・なんでも歌える歌手
の二種類だ。一見後者の方がなんでも歌えて優れているように思えるかもしれないけど、事態はそんなに単純じゃない。
まず前者について具体例をいくつか挙げようと思う。
とりあえず例を列挙する。
米津玄師「アイネクライネ」というか米津玄師はほぼ全部自分の話をしている感じがする。
実はほとんどのバンドマンは自分の話しかしていない。ヨルシカが「八月、某、月明かり」の歌詞で叫んでいるように「心を売り出し」ているのだ。
ちなみにヨルシカは「詩書きとコーヒー」でも「寿命を売るなら残り二年」とか歌っていたりして、そういう自分のことしか歌えないナブナ自身をどこか皮肉めいて表現していたりする。
りりあの「浮気されたけどまだ好きって曲」を聞いてほしい。これ絶対自分の話だろと思って調べてみたけど明言してないっぽい。なら自分の話と考えていいのかな?
この曲は浮気された女の子の心情を歌うにしてはリアリティが高すぎる。
汚れた君は嫌いだ
君を汚したあいつも嫌いだ
この歌詞の下のほう、「君を汚したあいつも嫌いだ」ってそっちにヘイトが向く心情を表現できるのすごくないか? 普通浮気された曲って恋人に対する恨みつらみで話が終わると思っていただけにびっくりした。
こんな風に自分のことを歌う曲は”その人の人生の重み”が自然と声に乗っかるので、ものすごい破壊力がある。
でも、こういう歌手がほかの人の作った歌を歌うと、どことなくちぐはぐな感じになる。なんか違うな~とか、ぐっとこないな~みたいな気持ちになる。
あとこのタイプの歌手は一発屋で終わる傾向が多い。劇的な経験がないと歌えないならそうなるのも必然、という感じはする。
歌い手文化はいろんな人の曲を歌うっていう前提があるわけで、そこでさっき挙げたような自分の歌を歌うタイプの歌手は歌い手文化にそぐわない。
自分が共感できる曲だけを歌うことでその問題を解決してる人もいるっぽいけれど。
なんでも歌える歌手の例を挙げる。
・ikura
・Ado
・yama
・suis
ヨルシカはナブナの個人的な、本来だったら本人にしか歌えないような歌をsuisが上手く歌っている感がある。
これらの歌手は限界まで自分の色を出さない。でも無個性とは違う。ただひたすらに歌詞にひたむきに向き合って、そこから読み取れる感情をまっすぐに表現している。だから聞く人の心にダイレクトに届いているように思う。
YOAOBIのコンセプトは”小説を音楽にする”だ。このコンセプトとikuraのどんな曲も歌うことができるという特性は実に親和性が高い。
「夜に駆ける」の元となった小説は「タナトスの誘惑」というものだ。
あらすじをめっちゃざっくりと言うと、死にたがりの彼女を助けた主人公だったが実は彼女は死神で、最終的に一緒による闇に飛び降りるという、中二病要素をこれでもかと言うほど詰め合わせたような物語だ。大学生が書いたらしい、笑った。
さて、どれほどこの物語がチープであろうとしても、この歌を実体験として生々しく歌うことができる人はなかなかいない。テーマが重すぎるし、全体的に闇が深いものだからだ。
ただ、ikuraは「夜に駆ける」を独自に解釈することに成功している。
この作品自体をどことなく俯瞰的に見下ろして歌うことによってそれはかなった。過度に主人公やヒロインに感情移入するのではなく、どこか客観的な視点から物語を淡々と紡ぐように歌う感じ。無機質な――機械的な、ある種ボカロっぽい歌声と、どことなく人間の闇を感じさせるPV(このPVもあの原作小説から作ったとは思えないほどクオリティが高い)が悪魔的に融合した。
これが「夜に駆ける」がヒットした二つ目の要因だと思う。
もう一回PV見てるけどやっぱりいいな。
“制限が新たな芸術を生む”的な言論があったりする。「アイドル」が素晴らしい曲であるのにはここに要因がある。
今回の場合は
・最新の曲調(Adoが歌う「踊」に似てるとか指摘されてるね)
・”推しの子”のOPに要求される、アイドルソングライクな(コールが差し挟まれるなどの)要素
この三つが程よくミックスされた結果、既存の物にはない斬新さを持った曲としての大ヒット……だと思う。
この話をするにあたって、YOASOBI「アイドル」の歌詞について軽く説明する必要がある。
「アイドル」の歌詞は原作「推しの子」とそのスピンオフ小説の「45510」をもとにしたものだ。
医者の主人公のところに推しのアイドル(アイ)が妊娠出産のために入院してくる→出産日に主人公が殺される→気づいたらアイの子供に生まれ変わってた→アイドルなので子持ちはまずい→なので必死に嘘で隠す
というものだ。
そしてスピンオフ小説「45510」の主人公は、アイとかつて同じアイドルグループに所属していた女性だ。
「アイドル」の歌詞の中での主人公は歌の途中で変わっている。二回目のサビまではスピンオフ小説の「45510」の主人公がこの歌の主人公で、その後はアイ自身の歌に変わる。
1サビまでの歌詞は「45510」の主人公の、アイに対する憧憬を描いたものと思われる。同じグループの中でも抜きんでて人気のあるアイに対する羨望を表現している。
ここの歌詞をikuraは上手く歌えている。
問題はその後だ。
我々はハナからおまけです
お星様の引き立て役Bです
全てがあの子のお陰なわけない
これはネタじゃない
からこそ許せない
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
これはアイが所属するアイドルグループ「B小町」の別のメンバー:「45510」の主人公の心情を描写したものだ。正直、この歌詞を書いたAyaseは天才だと思う。
一見、最初はアイに対する強烈な嫉妬心を表現しているように見えて、最後には
完璧じゃない君じゃ許せない
自分を許せない
誰よりも強い君以外は認めない
とアイに対する信仰とでも言うべき強い感情の発露を描いている。この一見相反するようでいて、しかし同一の感情を詳細に表現したセンスはマジですごい。
Vtuberの歌ってみたとかを聞いた時に「お、この曲はこの子とマッチしてるからいい感じだな」とか思ったことがないだろうか? 俺はその現象を”人格一致ボーナス”と呼んでいる。
たぶんikuraはまっすぐに、幸せに育ってきたタイプの女の子なんだと思う。だから、こうした嫉妬などのどす黒い感情にそれほど縁がないのではないだろうか? なので、それを歌おうとしても、どうしてもうわべだけのものになってしまう。
先ほどの話に戻る。世の中には
・どんな歌も歌うことができる歌手
の二種類が存在する、と言った。
の二つがあるのだ。
そして「アイドル」という曲は”とある人間にしか歌えない曲”に属する。それはこの曲が極めて個人的な体験(この場合だと、45510の主人公とアイ自身の体験)をベースに紡がれているからだ。
ikuraのスター性と「アイドル」の明るい部分は極めて親和性が高い。特に一番のサビなんかは完璧に歌えている。しかし、45510の主人公のアイに対する嫉妬などのダークな部分は歌えない。聞けばわかると思うが、なんだか上っ面で歌っているような印象を受ける。
そんな私の嘘がいつか本当になること
信じてる
恵まれないアイの家庭環境を背景とした暗いCメロの歌詞だ。やっぱりここでも、ikuraの歌はどことなく空虚な感じがする。ikura自身にこんな経験がなく、想像することさえも難しいからだ……と思う。
あるいは、
【ikura】今回は、レコーディングする前にたくさん話し合って…。どういうイメージで、どういう声色で、ニュアンスでやっていこうかっていうのを考えながらレコーディングしました。
【Ayase】そしてたどり着いたのが…「最強のかわいい!」です。僕はikuraがレコーディングブースに入って一生懸命歌っている中、勇気づけるようにディレクションブースから「もっと自分のことかわいいと思って!」って伝えていました。https://news.yahoo.co.jp/articles/32691ffa10659b427d43550c4eda76ad09a1ea74から引用
とあるように、レコーディング環境が足を引っ張ってしまった可能性もある。
「アイドル」の歌ってみたをいくつか聞いてみると、この二番を上手に表現する歌い手を何人か発見した。やはり、こうした現代的な嫉妬の経験がある歌い手のほうが歌声に説得力が増す。
しかしこうした歌い手は同時に、サビの部分で顕著に表れるアイが持つ底抜けの明るさ、可愛さを表現することが難しい。
「アイドル」を完璧に歌える人間は存在しないかもしれない、とか思った
だってさ、「責任を取る」って何?具体的に。何をもってして成功と失敗と断定して、失敗だった場合何をする気なの?切腹?降格人事?
腹なんか切る奴いないし、家庭問題において人事なんてないよね。
「責任を取りたくない」のではなくて、「責任の取り方がわからない」の間違いじゃない?
それは『成功とは何かわからない』であって、『失敗とは何かわからない』のに加えて、「失敗だった場合、どうしたらいいかわからない」でもあるよね。
恐れているのは、子育てでもなく、子育ての失敗でもなく、それに付随する責任でもない。
答えが決まっていないこと、未知への恐れだよ。
そして、答えだけ先に教えてあげるけど、
責任の取り方なんてないよ。良くも悪くも。
逆説的に言うと、失敗もなければ、成功もないよ。「コップに半分もワインが残っている」「コップに半分しかワインが残っていない」みたいな、主観的な話にしかならん。
「わからない」って言う事、わからないものを、とりあえずやってみることから逃げてるのがダサいと心の奥底ではわかってるから、
責任の取り方なんて、誰も知らないんだから、つまり責任なんて、誰も持ってないんだよ。
つまり、やってみりゃいいと思うよ。
「誰がやっても同じ結果になる」ってこと
主張じゃなくて、実際に起こることだから、世界のどこで誰がやっても同じ結果が出る
でないと電気を作り出したり家を建てたりできない
でも宗教は再現性がなく、これをやれば同じ結果が出るって訳じゃない
客観性というのは、過程や結果が誰にでも客観的に観察ができるということ
「死んだら輪廻転生する」ということを、誰もその過程や結果を観察できない
その点科学はちゃんと誰が見ても過程や結果が分かるようなものが学説となる
そりゃ後から覆えされるのもあるけど、それはその過程や結果の観察が足らなかったとか、学説の立て方に穴があったとか、そういう場合
でも科学の世界は厳しいから、論文の査読はもちろん、実験で客観的に観察できるか、再現性があるか厳しくチェックされる
でも宗教はそんなことしないんだよ。
長くなったので最初に要約する。現状のAIイラストの恩恵を被る絵描きは、次のタイプであると思う。
「長年絵画表現に慣れ親しんできており、基本的なデッサン技術は習得しており一通り何でも描けるが、表現したい内容の個性が強すぎて多くの人に敬遠されがちなタイプのアーティスト。デジタル絵画表現において個性が強すぎて、多くの人にとって見慣れないバランスであるために技術力の割には敬遠されがちだが、どこを標準的なテイストに近づければ「自分の理想とする表現の核を見失わずに人に受け入れられる作風に近づけられるか」という判断が自力ではつかない人」
自分はどちらかというと反AIだと思われている。学習データに児童ポルノを含むことやディープフェイク等、現行の生成AIについて問題はあると考えている側である。
絵と漫画を描く。技術的には資料さえあれば何でも描け、絵を寄せることも可能だが、人物キャラクターにおいて、あまり流行とされるイラストに魅力を感じないので基本的に金銭の絡む場合以外においては資料として流行のイラストを見ながら流行のイラストに寄せて描くことはない。
テストのために自分の絵をi2iに通してみたところ、いくつか発見があった。PCは面倒だったのでモバイルアプリでテストをした。おそらくNovelAIリークだろう。
まず初めに「(表現で)勝った」という感情があった。データセットの関係か、生成AIの画像は自分の絵の方で表現している内容を全く拾えなかった。
自分の絵の方が個性的で、強い感情を表しており、ぐっと人目を引く絵だった。おそらく生成AIが苦手とする類の微妙な感情表現だからだと思った。そもそもデータセットになるべき絵の枚数自体があまりないタイプの絵なので、今後もそういった表現でAIが卓越してくることはないだろう。
そして、生成AIに食われたデータセットについて、無許可で使用された挙句、絵柄の作成者のあずかり知らぬところで、他の絵描きから「勝った/負けた」と比較される土台にされるのは不甲斐ないことだと思った。歌い手と比較されるミクのように、データセット提供者の許諾とそれなりの対価は得るべきだと思う。
さて、自分は表現において「勝った」ことによって、主観的なレベルでのイラスト生成AIへの本質的な畏怖が無くなった。
しかし、ここで疑問が残った。AIに追いつけない表現をしたからAIが追い付けなかっただけであり、それらが得意とするタイプのモチーフならまた変わってくるのではないだろうか?
そう思っていわゆる自分が描いたアニメ系の美少女の一枚絵をいくつかi2iに通した。といっても、特定の絵柄に寄せたものではなく、自分の独自の絵柄で描いた女の子の顔の絵である。
ここでかなり気付きがあった。自分が標準的だと思っていたアニメ系の典型的な美少女の顔は、標準的な美少女の顔から縦横比や骨格のバランスがかなり異なっていたということである。AIによって生成された、骨格が異なる美少女絵は同一人物だと思えなかった。
i2iに女の子の絵をかけるまえの当初は、絵柄を変えた自分のキャラクターが出てくるものだと予想していたが、出てきたのは同じ服飾とポーズのコスプレをした他人だった。そのとき自分が思っていたより自分の絵柄の美少女キャラはオリジナリティがあったこと、だからあまりウケなかったこと、自分の描いたキャラクターの唯一無二性を理解した。
ー自分が思っていたより自分の美少女キャラの絵柄は個性的だった。
ーそして、その強すぎる個性が多くの人を敬遠させる原因となっていたようだ。技術力の問題ではなさそうだ。
ー自分の脳内の人物像を知っているのは自分だけであり、やはり自分にしかその特徴を捉えて表現することは出来なそうだ。
ー左右のパーツのバランスの狂い。パーツの一部だけではあるが、「上手い絵」の生成AIの顔画像と並べて比べることで、絵の狂いに気づくことができた。外連味のある狂いなのか、ただ左右対称に描けずに狂っただけのバランスの狂いなのかが、i2iを通して他人の絵柄に変換されるようになったことで客観的な判断ができるようになった。これは絵描きにとっては非常に有益である。
ー塗りや色見本のサンプル、仕上がりのサンプルとして非常に有用。これは自分だけかもしれないが、絵柄を寄せられるということは、先に仕上がった先の具体的なイメージがより見えるほうが上のクオリティを目指しやすいということがある。最初に完成図(仮)が見えることで、どちらの方向で内容を詰めていけばいいかの案出しのイメージが初期段階でいろいろ検討できるのはとても有用だと思った。先述した通り、もともとの絵においての表現の強度自体はAI生成物は超えられるので、より高みを目指して行けるというか。
ーもともと流行に乗るということがもともと苦手で、10年残る画風を想定に違和感のないバランスを模索しているタイプだった。自分の絵のベースを守りつつ
この場合は絵柄の骨格やパーツの描き方等を維持したまま、より多くの人に受け入れられやすい見栄えの良さとフレッシュさを追求したいと思っていた。そこに、自分の描いた構図と色合いのまま、完全に他人の絵柄に絵を入れ替えるというこのAIは革命を起こしたと思う。自分の絵柄の標準から異なる部分が非常に明瞭化され、自分の確固たる独自的な表現、そして表現されたキャラクターの人物性を如実に表すオリジナリティの部分はどこか、失ってはいけない角の部分がどこかということがより明確に自覚することができた。
守るべき部分、重要な部分がはっきりと可視化されるので、そうでない部分、フレッシュな塗りやディテールの線画の太さ等の表現は標準的な絵に寄せることで今まで敬遠されていた層にも好かれやすい表現を開拓できそうだと思った。
イメージでいえば目指しているのは、ソシャゲのグラブルのイベントの名探偵コナンのようなイメージである。どうみても名探偵コナンだが、塗と雰囲気がグランブルーファンタジーに準拠していたものであり、グラブル世界観やグラブルユーザーにもなじむという絶妙な表現になっていてすごいと思った。
今まであまりリファレンスの画像を見てこなかったのは、端的に言えば、自分と異なる表現テーマを持った魅力的な絵を横に見ながら描くと、自分の意識の方を絵の内容の方に引きずられて自己の表現したい内容の温度感を鮮明に感じられなくなるからというのがあった。
i2iの場合は、同じ構図であるうえに、「i2i先の絵には表現したいもの」が存在していないことがわかるため、端的に言えば作者の存在がないため、欲しい部分、つまり塗りや線の太さだけに着目することができる。これはいつも他の人の作品を見るときに裏に作者の存在を読み取ろうとし、そして作者の存在に配慮しようとしてしまう癖がある自分にとっては「裏に作者の意図と意思のない画風見本」というのはリファレンスとして革命だった。
長々と書いてみたが、要するに「自分の構図で出力される他人の画風の生成物を自分の絵と比べることで、自分の絵の客観視が行いやすくなった」ということである。「自分の絵を客観的に自分で分析、そしてその分析をもとに自己の絵画表現をより深化させるためのたたき台にするためのツールを得られた」という感覚だ。逆に、この一点以外のイラスト生成AIの有用性はないと考えている。
なお、AIの生成画像や一部をそのまま切り抜いて使うという使い方については何がいいのか感覚的には全く理解できない。それはただの手抜きツールであって短期的な利益にはなるかもしれないが、便利なものに頼るとその部分の潜在的な能力は退化するので、そういった手抜きツールを使用したアーティスト個人においての長期的なメリットはなさそうに思う。
ドンマイ
考えすぎパターンもあるのかもだけど、主観的にもやっとするこういうの人生に何度かあるよな
落ちてるの拾ったらそこから難癖つけられる美人局パターンとかも昔からそこそこ聞くしそこで終わってよかった
前にそういう奴もいるから自分の知り合いでもなければ助けないようにしてるってここに書いたら、何やられようが警察で話せば最後はわかってもらえるんだから拾って社会貢献しないお前はクズだ犯罪の片棒担いでる自覚を持って猛省して死ねみたいな感じで逆にすげー煽られて最悪な気持ちになった
変に思われたり周りに誤解されそうになっただけでマイナスだし最後に解決するとかそういう問題じゃないって書いたら、今度は男がずっと女を虐げてきたから自衛がどうだのこうだの
こういう被害妄想だけ異常に強くて他人にどういう悪感情を振りまいてるか自省できないカスみたいなのが人口の数%くらい紛れてて、何かされてもお前はアホかで済ませられん時代になってしまったからこういうアホが増長しっぱなしになってるんだよな
お前他に言うことあるやろまずは一言目にお礼を言えやボケ、不貞腐れてないで自分の脇の甘さを自覚しろカスくらいのこと言わないとこういうカスの性格は治らん
主観的よ。向かいの人は裁判しても勝てんよ。警察も相手にせんよ。
だけど相手が迷惑って言ってるのに自己中心的な理屈で突っぱねて被害者ぶっても誰も相手にせんよ。それがブコメやトラバの反応に現れてる。常識のない増田の問題。
まじで君たち論理性皆無なのね
ちなみにご近所トラブルの筆頭は騒音でそれ以下に匂いやゴミ問題があるんだ
これが工場排煙などの恒常的にでてくるものならば環境的瑕疵あるいは心理的瑕疵で説明しやすいが、個人の庭先でのBBQ程度がどのくらい周辺に影響するかは本当に主観以外のなにものでもない
もちろん極度に騒音を撒き散らすとか火事を誘発するなどは主催者側の責任に当たるだろうが、一般的な範囲でどれくらい匂いトラブルになるかはもはや当事者同士でしかわからない
当事者同士の問題に警察は加われないし、まして又聞きの第三者が何を話すの?