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はてなキーワード: 主観的とは

2020-06-02

anond:20200602024214

人生が(客観的には)無意味、それは同意してる

からこそ主観的意味を見いだすしかないだろうという考えだよ

それが正解かどうかじゃなくて単なる俺の思いつき

2020-05-31

TBSラジオ山里亮太の不毛な議論 2020年05月27日放送分について

TBSラジオ山里亮太の不毛な議論2020年05月27日放送分の冒頭15分で

木村花さんの死とSNS攻撃された自分体験について語り

「今回のことは、僕は一生思っていきますし、考え続けます」と締めた。

ただ、この放送自体賛否両論で、

番組山里自身木村さんを揶揄するコメントをしていた加害性やその謝罪については一切触れず、

同じSNS攻撃被害を受けた立場として第三者的に話したのが悪い印象を与えたようだ。

自分感想としても、この放送は失敗だったと思う。

まずは放送時間全部使って木村さんのことや自分のことについて語るべきだった。

テレビ放送に乗らなかった木村さんの印象や思い出をスタジオメンバーからこそ知る話として

たくさん語ってほしかった。

山里言葉センスは、悪口自己卑下で笑いを取るときだけじゃなく、悲しんだり、悔やんだり、

思い出を語ったりするするときにも発揮されることを示してほしかった。

山里自身も多くのスタッフ家族を支えている立場上、自分責任と言い切って謝罪するのが難しいのはわかる。

からもっと主観的自分の中の喪失感、罪悪感や、今の芸風についてこの機会に素の状態で話してほしかった。

絶対に素を見せない山里からこそ、今回一度だけ素顔を出してほしかった。

弱者クズキャラで巧みに悪口を言う芸風を確立したのは確かにすごい。

それを若林には「マウントをとらせて下から関節を決める」なんて言われていたが

その若林がうまく弱者キャラを脱していったのを見ていてどう思ったのか。

山里が次第に人気者になり後輩も出てきて結婚もしてどんどん強者になっていくうちに

悪口芸がパワハラに見えて通用しなくなってきた実感は、空気に敏感な山里本人も絶対感じていたと思う。

ましてやプロタレントでもない出演者に、反論されない場所から悪口を言うテラスハウスで、

バランス役の徳井がいなくなった空気の悪さは絶対に誰よりも感じていたはず。

そういう葛藤ラジオ吐露することはできなかったのか。

またNSC時代から今の芸風を確立する間には、様々な試行錯誤があったはずで

そういう今の山里ができあがる過程を振り返る良い機会だったかと思う。

悪口芸にしても先輩に怒られたり、素人をいじりすぎたりした失敗が多数あったはずで

ずっとやってきた中で自分なりの踏み越えてはいけない一線があったはず。

それを今回踏み越えてしまったのではないかという自問自答を言葉にできたのでは。

そして今後誰かの悪口陰湿に言う芸ではもう笑いはとれなくなってしまったと思う。

それもわかっているなら、自分から今日限りでクズキャラ悪口芸はやめると言っても良かったと思う。

いままでこれ一本でやってきたしすぐには切り替えられないかもしれないが

これから誰かを傷つけるような悪口で笑いを取ることをやめるよう努力し続けると宣言すれば

みんな山里応援していこうという空気になったはず。

それが今回の件を一生考え続けるということだと思う。

※このエントリーは他の場所に書いた内容に加筆したものです

自己評価が分裂してる

 客観的に見て俺は保身的だし優しくないし面白くないし表現力もないに情熱もないし頭も悪いしでダメダメなんだけど、主観的にはそんな自分がけっこう好きだったりする。

 増田文学100選なんかを読むと、語るべきエピソードも読ませる表現力もない自分がどうしようもなく惨めに思えて胸のあたりが痛くなったりするんだけど、一方でそんな自分結構魅力的に思えもする。

 何もない人生を送ってきたのは他でもない俺自身選択の結果で、この何もなさこそが俺のアイデンティティーなわけだ。他の奴らがついつい自分を磨いたり何かを探したりしてる間に、俺は何も考えずにただ流されて消費社会で惰眠を貪ってきたわけだ。どこにも行ってない・誰にもあってない・何も読んでない・何も書いてない・何もしてない・何も得てない・何も生んでない。

 でもそうやって本当に何もしてないことに誇りすら覚えちゃったりするんだよなあ。ダメ人間自称する人間が意外と優秀だったり心揺さぶ作品を生み出したりしてるのを見たとき劣等感と同時に優越感も覚える。「ああ、お前はダメでいることに耐えられなかったんだな」「いいものを生み出してしまったねえ」と。

 クズで才能のない人間が開き直っているだけといえばそれまでだけど、俺が俺をクズであるがゆえに愛していることに嘘は一切ないんだよな。今後も花を咲かせるどころか芽吹きすらせずに腐っていくんだろうけど、その腐っていく俺を目撃するのがこの俺だけであるという事実はなんとなく甘美だ。世間に知られてやるものかと思う。世界は俺という才能を全く気づかないうちに失えばいい!とちょっと矛盾した気持ちを抱いている。

2020-05-30

昨日のうれしかった事や物すら記憶希薄になるので、今見てる物はなんなのかと思う

日記付ければいいじゃないの?とか言われたけど、そういう問題じゃなくてきおくもなければビジョンもない

でもみんなもそんなもんなんだろうか?主観的ものからからないけど

2020-05-29

anond:20200529122842

ブスとか主観的ものならともかく、アホは検査とかテストとかで明確にできるからなあ

そういう事実まで言えなくなったらいよいよ言論統制だよなあ

2020-05-28

父が死んで最初の月曜だ

これは嘘松から安心してほしい。

5年の介護の末、父が死んだ。今日は忌引きで休みだ。先週末にかけて通夜葬儀とおわり、遺産整理やら名義変更やら自治体通知やら法的対応は山ほど残っているが、こうして増田をかける。

痴呆症だった。最後は日に数分起きる暮らしに落ち着いた。最後最後は目を覚まさず、ただ、呼吸をやめた。自宅での見取りとなった。それが父の希望にかなったのかは、介護の間からわかりえなかった。ひとりの老人を死ぬまで生かすために、大勢大人と多額の資金と、終わりがみえなくてもおれない心と、無限のような時間必要だった。人と金以外は自分で用意するしかなかったのがもっともつらかった。

そして、父は死を恐れたのだろうか。痴呆症の彼は死を知覚、認識できたのだろうか。明日死ぬ、午後に死ぬ、五分後に死ぬ、もう死ぬと迫ってくるのを理解したのだろうか。

僕も最後痴呆症になりたいと願った。死ぬのを理解しなくていいのなら、もっとも気軽に死ねるのではないだろうか。介護をしながら、父のその最後にあこがれた。もう、彼の時間は止まってしまい、主観的には死んでいたのかもしれない。あれは何が生きていたのかもうよくわからない。ただ生かさなければならない、その社会要求に、僕が答え続けただけだった。偉そうに。

ただ、本当に、心底、とにかく、痴呆症死ぬのは、人類が得た進化のかたちなのだと痛感した。

死を意識して生きるのは人間にはできない。

ムービーシーンの先駆、FFIV

ムービーシーン先駆者としての功績と功罪

FFムービーゲーとして舵を切った時期は意外と早かった。それは4(IV)。

4からキャラクター強制的に会話するシーンが増え、キャラ名も任意名前はつけられるものの、実質固定イメージ攻略本などが表記するようになった。

もちろんIIあたりでもフリオニールなどの名前雑誌に書かれていることはあったが、IIIまでのFFドラクエと同じく素材としてのキャラ名前をつけて楽しむものだった。そこに重厚な裏設定なども存在しない。あくまでもキャラ自由に育ててそこに没入してほしいという立ち位置しかなかった。

ところがFF4は違った。暗黒剣で苦しみ、苦闘の果にパラディンへとクラスチェンジするセシルと、仲間を不本意にも裏切り続けるカイン、という対象的なキャラが設定された。主人公たちは主観的な没入型から客観的ムービー型へと変わった。端的には会話数が増えて、伊集院の言うところの「クラウド勝手自分にできない技をガンガンきめて置き去り感がある」状態を当作より現出させたのだ(伊集院深夜の馬鹿力 2020/5月のもの)。物語ドラマチックになったが、その反面終盤までストーリーに沿って強制的に進行するきらいが強くなり、浮遊大陸を抜けてすぐに広い世界が広がったIIIとは真反対のアプローチをとったといえる。上の伊集院氏の言ではないが、ラスト付近ではキャラ操作してもいないのにWメテオなる技をかましてくれたりする。あの演出には感動した人と白けた人に別れたのではないか。何しろ上限9999の技でしかないWメテオ決死覚悟で繰り出すのだが、その後主人公たちがフレアなどで容易に9999を出してしまえるのだ。決死のWメテオは全くの無駄である

ネットもないこの頃の全国的風評は定かではない。しか個人的には手狭になったな、と感じたことを覚えている。そしてFF5でジョブチェンジシステム復活とキャラ性を押し出さない、良い意味で無個性パーティーメンバーによりユーザービリティ回帰を狙ったが、FF6(VI)では再びムービー寄りのゲームになってしまい、7以降はこの路線をついに変えることがなくなってしまった。最近では毎作ごとのにーちゃんホスト化を止めることができないらしい。

ムービーを大胆に挟むといえば、他にもストライダー飛竜忍者龍剣伝が思い浮かぶしかし両者はアクションであり、RPGムービーの先駆はやはりFFなのだろう。

泣きゲー要素

実はFFシリーズは6付近までは死に泣きゲーだった。IIでのミンウは仲間をかばって死に(実はヨーゼフも味方をかばって石の下敷きになるが、何故かあまり語られない)、IIIの不幸な巫女エリアは水中に没して死亡。IVカインとの決別、シド自爆。Vではギルガメッシュ主人公たちをかばって自爆する。VIティナは不幸からまれてきたような少女で、子どもたちを支えるために立ち上がる。

この泣きゲー伝統は7から大きく崩れる。というより7から徐々に痕跡を消していった、というべきか。かろうじて残っているのはFF10でユウナ人身御供が発覚するあたりだろう。何れにせよ、グラフィックス進化と共にFFハリウッド化してゆくのはやむを得ないことだったのかもしれない。

anond:20200527180734

2020-05-25

ハゲハゲって言うのは罵倒じゃない

って層とそうじゃない層がいる

安倍無能から無能って言っても罵倒ではないって主張

その辺で認識にずれがあるように見受けられる

左翼安倍支持者を愚民と呼んで憚らないし、右翼は反安倍売国奴と呼んで憚らないけどお互い罵倒してるとは思っていない

だってお互い主観的にはそれが事実から

事実事実として指摘するのは罵倒には当たらないってお互い考えてるんでしょ

第三者から見たらどっちも罵倒で同じ穴の狢なんだけどね

争いは同じ以下略

2020-05-17

anond:20200517101237

この場合は、

骨折だろうが半身不随だろうが俺にとってはかすり傷だが?

っていう主観的定義問題だけどな

2020-05-15

第九回総選挙

ずっとよくわかんねぇって思ってた感情が表に出てきてしまった。


自分の今感じている感情は本当に自分感情なのか」

というもの


例を挙げるとキリはないが例えば

「周りが泣いているから私も泣く」

特に深い感情があるわけじゃないのに深いふりをする」

という感じ。


誰かの熱に充てられて、とは言うけどそれって多分突き詰めれば本来感情じゃなくて何となく「そうしたらいいかも」という損得勘定が多分自分にあるからそうしてるのかな、とも思う。


ここまで書いて自分が飛んでもない嘘吐きだと感じると同時に

「この記事を書いていることも誰かへのアピールなんじゃない?本当にこんなことに本気で悩んでこんな記事書いているの?」とも感じる。


要するに自分の行動って全部誰かへの反応を待っていたり誰かの事を理由にして嘘ついてるだけなんじゃない?と思えてきてしまったのだ。


こんな感情になる自分が嫌いだが、こんな記事を書いて誰かからの反応をもらおうとしている自分死ぬほど気持ち悪い、気持ち悪いと言いながら書き続ける自分が嫌い、という感じでずっとループする。


この感情最近に始まったものじゃなくてなるべく無視しようとしていたんだけど流石に無視できなくてこの記事を書いてガス抜きになればいいかな、と思った。


今回の総選挙僕は「楽しむ」をテーマにやっていて途中まではなかなかできていた、と思ったが思うに誰かの「楽しさ」を阻害した「楽しさ」であり、主観的な「楽しさ」ではなくアピールとしての「楽しさ」では無かっただろうか、と感じたのだ。





「俺は楽しんでいる、すごい!」

「楽しんだもん勝ち!」





誰にアピールしているというのか、何が「勝ち」なのか、自分が嫌いで仕方ない、自分の楽しさも自分だけで感じられないのか、優越感に浸りたかっただけじゃないのか。


自分が楽しむためにTLを荒らしたり、企画私物化したり、不快にさせた人がいるのに気づけなかった自分は一体何者なんだろう。

ほら出た自分悲劇的に語る論法、こういう自分が本当に大嫌いだ。


このまま死んだように消えたいのだが見たい景色があるから頑張る、という感情は本当だったはずなのにそれさえも「あぁ、全部何かに対するアピールなんだったろうな」と思う。


傷ついている誰かに対する言葉気持ちも「いい人」って思われたいからなんだろうな、微塵も心の底から感じてないんだろうな。


もう死んじまえよ、まぁどうせ死ぬ勇気も死んじまえって言葉もどっかから影響された言葉なんだろうけど。

2020-05-05

社会人になって1ヶ月の新卒だけどコロナパニック収束しないでほしい

社会人に一応なって1ヶ月が経ったいま考えていること。

 この記録を残すのはまず、歴史教科書に載るような大変化がいま起っているのが確実であり、その変化の渦中にいた自分の考え、当時の生活を、あとから振り返ることができる手がかりを残したいと思ったから。この背景には、東日本大震災の時に、自分日記などをつけていなかったせいで当時の自分自分を取り巻く状況についての主観的情報確認する手段が、曖昧記憶を辿る以外になく、勿体無かったと感じたことがある。東日本に関しては、震災を機に自分の中の価値観が大きく変わったという人をこれまでに少なく無い数見てきたが、自分にはそうした変化は見られなかった。直接の被害を受けていない地域に住んでいたこと、当時まだ高校生と若かったこともあるが、社会の状況が自分の核になる部分に影響を与えるということのイメージ自体がうまくわかなかった。そしてそれは今も変わっていない。

コロナウイルスの起こした混乱で、2020/5/5の現在は多くの人が不安を抱えている状況で、

緊急事態宣言の期間が延長されたこともあって、不安絶望に変わった人も少なく無いと思う。

自分就職した会社ももちろんダメージがあるが、ここ数ヶ月のうちに会社がつぶれたり解雇される社員が出たりという状況にはならない。

接触を8割減らせ命令に従っていることもあり、自分部署はだいたい週一出社くらいになっている。

当初予定されていた集合研修は中止になったし、歓迎会も一度も開かれていない。というか同じ部署の人ですらまだ全員に全然会えていない。

業務内容の説明なども大して受けないまま、部署に配属されたり、研修やその後の飲み会で同期や先輩たちと仲を深めることができていない状況をさして、社内で会う人会う人に「大変だったね」「かわいそうだ」などと言われるけど、自分にとってはこの状況は幸運以外のなにものでもない。

就職すること、会社で働くことが本当に嫌だったからだ。

嫌なんてものじゃなく、恐怖だった。

社交不安障害を抱えている自分にとって、人が多く集まるようないわゆる普通オフィスでの仕事苦痛のものから

うつ状態が加速すること、体調が悪化することがほぼ確だと思っていたし、そうした思いの中、入社までのカウントダウンの日々を過ごしていた自分には

絶望しかなかった。自分に明らかに合っていない会社で働くこと、そして現状の日本会社ほとんどが自分に合ってないことそうした確実な未来から目を背けてモラトリアムの終わりをかみしめていた。

街を歩くと三密業態の店は軒並みシャッターを下ろしているし、身の回りでも明らかにダメージを受けてる人が多くてみんな本当にきついと思うんだけど、自分にとっては今回のコロナ禍は本当ありえないレベル僥倖だ。人生最大の絶望が、歴史感染症流行によって救われている。執行猶予を与えられている。

この状況が続けば、というかもうすでに大不況確定だろうし自分給料も前予想していたみたいには上がらないんだろうけど、そうでなくても自分はどうせ社会人として長く持たないだろうという諦めを持っていたか社会パニックに陥ってもそれと連動して自分不安や恐怖を感じたりしない。ある意味社会から切り離された無敵の人に近い状態だ。

自分無敵の人状態にあること。

自分就職が本当に嫌だった。大学生という時間に余裕のある身分でなくなることもかなりきついが、なにより自分個人が抱えている問題によるところが大きい。

じぶんは恐らく社交不安障害だ。人が多く集まる場に長時間拘束されることや、たとえ一対一でも他人と長時間一緒にいることがきつい。

不自由さが精神的にきついということもあるが体に症状が出てしまう。具体的にはお腹が張ったり鳴ったり、下痢が止まらなくなったりだ。

他にも症状の出方はいろいろある。声が震えたりとか。体臭が気になるとか。

どれか一つだけでもQOLは大きく低下するけどそれらのダブルパンチどころかトリプル以上のパンチを食らっている。

こうした症状が出やすい場面を避けることでなんとか生活できているけど、逆に言えば苦しみを回避するために行動の幅が、人生の幅が大きく狭まっている。

大学の横並びの長机の真ん中の席なんかは座れない。教授から、そこ詰めるように、なんて言われた日には結局すぐに耐えられなくなって

トイレ屋上に逃げていた。

症状それぞれに一応対処法はあって、具体的には病院でもらった薬を飲んだり、生活上気をつけるように言われていることをきちんと実行して、その効果の様子を見て一喜一憂している。

でも確実なのは、人目を気にしてしまうことが症状の根本的な原因になっているということだ。

匂いを完全に吸収して外に出さなパンツを履いたり、最高に合う薬を見つけても根本解決にはならない。

こうした社交不安障害の症状にはさまざまなものがあるけど、すでにこの障害を抱えている者にとって不都合現実として存在するのが、一度こうした症状を抱えると、ほかの分野にもそれが飛び火してしま可能性が高いということだ。いまは大丈夫でも、自分もいつか他の人が苦しんでいるような症状で新たに苦しむようになる可能性はゼロではない。実際、自分思春期発症して以来、この手の厄介な症状はその発生分野が広くなっている。中にはほとんど気にならないようになたものもあるけど、逆に前は平気でできていたことができなくなったりもする。

自分のこの問題を考えれば、就活の段階で明らかにいわゆる三密の職場は避けるべきだった。

でも大企業ホワイトカラーの多くは結局一部を除いて三密のオフィスで働いている状況で、時差出勤とかリモートが定着している会社意識の高い人が多く、それはそれで自分に合わなかった。

就活の時期に精神的に萎えていた自分は結局普通に良さげな大きな会社をいくつかうけて、受かってしまうとそこが自分に向いてないと分かっていながら就活をやめてしまった。

素人が考えた、優先的にコロナ関連の高度医療を受ける方法

これでICUとか人工呼吸器セットとかにありつけると思うのだが、どうよ?

救急車を呼んで、「ものすごく呼吸が苦しい」などといった旨を伝える。

救急科搬送してくれる。少なくとも現場レベルでは、重症を訴える患者を見殺しにすることは恐らくできないはず。

 数回救急車に乗った経験では、消防病院も怠慢は絶対にしない。

 よく知らないけど、もしそんなことしたら万が一死んじゃったとかの場合刑事でも民事でも行政でも処分される。

普通救急科医はどちらかというと血ダルマ交通事故被害者とか黒コゲの焼死体寸前の人間相手などが専門だろうから勝手想像)、必ずしも呼吸器科プロとは限らない。

・というわけで内科呼吸器科病棟に回される

検査をして肺に異常が無かった場合でも、現代検査では呼吸器官に異常が見つからなかったというだけで、未知の症状・病気という可能だってあるのだし、

 重度の風邪インフル肺炎結核か別の何かか分からないし、最悪タバコの吸い過ぎで風邪悪化たかもしれないとでも言えばいい

 体にも倫理的にもよくないが、飲酒運転殺人と違って、風邪引いた状態喫煙とかしたからといって違法ではない

 ましてそれで救急車を呼ぶ羽目になっても(ただしイタズラ電話とかは明確に違法だったと思う)

・痛みとか苦しみといった主観的な症状は現代医学でも客観的に測定しかねる場合が多々あるので(例:幻肢痛)、詐病とか悪質な嘘にならない範囲で、逆手にとって大いに主張する

・本当に新型肺炎重症場合でも、結核みたいなレアケースでも、上記のようなタダの不摂生による重症でも、毎月月給から大量に搾り取られられている税金社会保険料による公共サービスを正当に行使しただけである

・命に関わるような大病でなくても、死ぬかと思うような激痛を伴う病気普通存在するし(1敗)、自覚症状が無くても即死寸前の重病という場合もあるので(1敗)、そういう判断は専門の検査とか医者必要になるんだから、遠慮なく呼ぼう

2020-05-04

風俗嬢カツオ」について

ここ数日「風俗嬢カツオ」に関わるブックマークが目についてむかむかしているので、ここで吐き出すことにしたい。便所の落書きと思ってもらって構わない。

私(※1)は、風俗嬢カツオ(又は漁師)とは話が全く違い、比較できるようなものではないと思っているが、大差がないとか同一線上にあるとか言っている人たちを論理のみで説得することはできないと考えている。

カツオ風俗嬢サービス商品でしょ、とか、漁師風俗嬢も困窮してるでしょ、などという理解は(資本主義的な)論理において必ずしも間違っているとは言えず、その論理を突き詰めるならば(※2)、感覚問題と言わざるを得ないかである

ではどういう感覚なのか。大差がないと言っている人たちの多くは、若い女性が好みなヘテロ男性だと推測されるので(※3)、A:自分の作った作物や製品が買い叩かれて困窮する状況と、B:男性や老婆などを相手として性的サービスを行わねばならず、相手お金さえ払えば個別拒否権はない(場合によっては不能になるかと思うような乱暴な扱いを受ける)という状況とをそれぞれ想像して欲しい。

Aであっても辛いだろうが、Bの肉体への侵襲を伴う尊厳の傷つき方はその比ではないのではないか

風俗嬢には人権があるという意見は、一見禅問答のようだが、要するにこういう感覚のことだと私は思う。

風俗嬢の中には特に傷ついていない人もいる、差別だ、という反応があるかも知れないが(※4)、もし仮にそうだとしても、コロナ禍で風俗への参入を余儀なくされる人たちは、従来であれば参入しようと思わなかったという意味類型的に傷つきやすいだろう。

最大限の想像力を働かせても、AもBも大差ないと思う人は、どうぞご自由にだ。

(※1)アラサー男性

(※2)個人的には、この論理を突き詰めること自体拒否したいが。

(※3)本文と異なる属性読み手は、自分性的に最も嫌な属性念頭に続きを読んでください。

(※4)そもそも主観的に傷ついていなければ問題が無いかどうかは、別途議論余地があるだろう。

anond:20200504110900

被差別であるかは結局主観的な話でしかないのでは?困窮している言えども、彼女らにとっては他の仕事より良いと判断たからやっているわけで、それを他人主観判断してひどいひどいと言ってもそれはただの印象にしか過ぎない。

漁師がいつもより安く売らなければいけない、もっと悪いときは自ら廃棄しなくちゃいけない。これって相当きついし、自分のやってきたことが全部否定されるに似た苦しみがあってもおかしくないんじゃないか

ていうか、芸能人なんかは風俗の比じゃない賤業であってそういう主観がありなら岡村なんかはほぼ無敵なんじゃないかと。

2020-04-26

藤田孝典氏の記事問題点

もとの記事 岡村隆史風俗自粛神様は乗り越えられない試練は作らない」

https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20200426-00010000-flash-ent

藤田孝典氏の記事 岡村隆史お金を稼がないと苦しい女性風俗にくることは楽しみ」異常な発言撤回すべきではないか

https://news.yahoo.co.jp/byline/fujitatakanori/20200426-00175351/

元の記事では、岡村氏はコロナ収束したらかわいい女の子入店すると予想し、それまでは風俗自粛してお金を貯めようと言っている。藤田氏はこれを、「お金を稼がないと苦しい女性風俗にくることは楽しみ」と言い換え、岡村は野蛮で下劣社会を待ち望んでいると翻訳している。

大元発言をここまで飛躍させて記事を書くのは問題があるだろう。

2020-04-23

anond:20200423103458

こういう自称小市民は気に入らん。

いかにも加害性バリバリ極右極左の方がまだスカッとしていてまだマシ。

自身潜在的加害性・被保護性の両面に気づかずウサギのふりをしている。

お前はただ単に今まで生きてこれただけであり得ないほど助けられてきているし、助けられたことなどないなんて恩知らずもいいところ。

本当に弱肉強食世界ならお前はとっくに死んでいる。

それと同時に知らぬうちに、ただ単に生きているだけで加害を繰り返していることも忘れるな。

お前の日々の暮らしは、主観的にどれほど質素ものであったとしても、誰か他の資本収奪することで成り立っている。

そのことに無自覚で、あたか自身を放逐された無垢でか弱いウサギであるかのように自己規定しているお前の歪んだ自己愛には我慢ならない。

2020-04-19

「金があれば心も豊かになるのだろうか」

93以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします2020/04/15(水) 15:04:40.474ID:QJOlIjhua

⋙73

1人でこんな家住んだら逆に孤独感で死にたくなりそうだけど金があれば心も豊かになるのだろうか

95以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします2020/04/15(水) 15:05:52.087ID:GsqhH3110

⋙93

孤独を金で紛らわすんだろ

寄ってくる女全部金目当てだと分かっていても寂しいから受け入れてしまう悲しい存在

そんな存在におれは成りたい

98以下、5ちゃんねるからVIPがお送りします2020/04/15(水) 15:07:15.345ID:Kf6Fvj8b0

⋙95

ワロタ

しかし男なら誰しもが一回は憧れるよな

【画像】ガチの上級国民が住むと言われる東京の高級マンションwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww


憧れは遠く、永遠に求めるが故に、決して手にし得ない

「決して手にし得ない」から永遠に求める」のではない

永遠に求める」が故に「決して手にし得ない」のだ

ここに、本人の主観的世界との逆転が起こっている

2020-04-17

anond:20200417183352

主観的認識客観的認識存在することは

安全」ではなくその親の「状態」にもともと備わった実装なんだから

あえて説明しなければわからないほうがアホなんだぞ。

2020-04-07

anond:20200407224024

難しいという尺度は非常に主観的なのでまずは一般認識としての「難しい」の定義をしてからにしてください

2020-04-06

https://anond.hatelabo.jp/20200406104418

航空機事故心配するのと同じ感覚

今でも個人から見たリスクインフルと大差ないと思うけど、マスで見ると被害者多くなって、国際的責任がどうとかややこしい事になるから政府主体ちゃんとやることやらなきゃいけないし、主観的悪法と思えるものが通ってもやれる範囲で従うよ

でも経済対策は今出てるの全部足しても全然足りてないと思うな。

財政的にも日銀国債買いまくって協力姿勢見せてるから全然問題ないのに

2020-04-01

civilization 6、春の雪ドラゴンフルーツ

三月二十八日(土)

普段テレビニュースを除いてほとんど見ていないのだが、金曜日にはたまたま放送していたぴったんこカンカンというバラエティ番組に、エヴァンゲリオンで有名な鷺巣詩郎が出演していたのでぼんやりと眺めていた。放送された内容によれば、鷺巣氏はふとした気まぐれで欧州日本の別邸を移動する生活をしており、しかも移動すると決めるのが当日になってからで、おかげで妻はほとんど私物が持てず、生活必需品は七か所の自宅にそれぞれ置いているそうであるしかも、音響に対するこだわりから生活のこまごました面まで徹底して管理されているらしい。トイレを流すときにも許可がいるとのこと。これだけだと鷺巣氏がただの暴君のようだが、妻のほうも夫がきちんと入浴していないと怒ったりするそうなので(どうやらインスピレーションがおりているとそれどころではなくなるらしい)、妙なところでバランスが取れているのだろう。人様の家庭の事情とは斯様にわかりにくい。

さて、土曜日は午前中にうとうとしていたが、午後から雨が降るとのことだったので、えいやと気合を入れてジョギングをした。本当は先に筋トレをして走るつもりだったのだが、いつ降り始めるか予測がつかなかったし、なんだったら日曜日筋トレをしたってかまわないではないか、と考えたのだ。無酸素運動の跡に有酸素運動を行うのが一番効果的だというけれど、まったくやらないよりはましだろうと考えたのである

だが、帰宅してから久しぶりにcivilization 6をプレイしたのがまずかった。結局、十七時半から二十六時半まで、食事を除いてぶっ通してプレイしてしまった。いつも日付が変わる前には就寝することを徹底している自分が、そのルールを破ってしまうほどに中毒性が高いゲームであり、こういうコロナウイルスで出かけられないときには重宝するのだが、事態収束したらまた封印しなければいけないゲームな気がする。

この日の夕飯は、妹が一時間以上かけてソースを作ったお手製パスタティータイムは妹のお手製ベーグル

三月二十九日(日)

civilization 6の話の続きをしよう。

結局この日は起床した九時から十五時半までプレイしてしまった。一ゲームに十五時間以上かかっており、しかもそれが主観的にはあっという間なのだから始末が悪い。なんでこんなに時間がかかったのかといえば、一つには久しぶりにプレイしたのがあり、もう一つには自分ゲーム下手だからというのがあるのだが、さらには普段は六人プレイでやっているのに今回は八人でやってしまったのも原因だ。この手のゲームで実際の地形を模したマップでやるのはある種のロマンがあるのだが、そのマップ選択したときデフォルトで八人プレイになることを知らなかったのだ。

プレイしたのはアキテーヌ女公アリエノールで、特殊能力芸術の力によって相手都市を離反させて自分のものとすることで、要するにある種のチートであるしかも、ヨーロッパマッププレイしたのだが、AIと違ってこっちは地図の概略を知っているので、これもまたチートだ。それなりに苦労はしたものの、広大な空白地があると予測されるところにポコポコ入植していくのは楽しかった。おかげで敵の領土挟み撃ちする形にできた。

延々プレイしていたのは、日曜日が朝からずっと雪だったからというのもあるのだが、ちょうどプレイが終わった頃に晴れてきたので、散歩がてら外に出ることにした。家にこもってゲームばかりしていると頭が痛くなるし、新鮮な空気も欲しくなる。ついでに、梅や桜に雪が積もっているところも撮りたかった。写真ツイッターに載せた。

夜はすることがなくなったので「デカメロン」の第九日目を読んだ。別にコロナウイルスペストを重ねていたわけではない。ただ、何となく読みたくなっただけであるボッカッチョダンテ意識して創作したと聞いたので、「神曲」が好きな自分としてはどんなものなのかを知りたかったのも理由だ。しかし、読んでいるうちにコロナはどんどん大ごとになってきて、結果的タイムリー読書になってしまった。ちなみにカミュの「ペスト」は大学生の頃に読んだきりだ。

結局、筋トレはさぼってしまった。civ6中毒のせいだが、これをやっているとソープランドに行く気がなくなるのでいい。というか、歓楽街が封鎖されては行きようがない。

三月三十日(月)

身体障害があるので自宅で業務をしていた人が退職するとのことで、この大変な時期なのにわざわざ車いすオフィスまであいさつに来てくれた。しかも、世田谷のおいしいクッキーまで用意してくれていた。自分も、仕事の合間に少しだけ世間話をした。おかしかったのが、身体障害のある人が、はじめのうちこちらのことを文章の癖から女性だと思い込んでいたことだ。

小説執筆というか、手入れを再開した。

三月三十一日(火)

最近スリッパ臭い。冬用に買ったモコモコスリッパなのだが、仕事から帰ってきた靴下のままはいていたので、そのにおいが移ってしまったらしい。蒸れてくるとにおいが漂ってくる気がする。もっと暖かくなってきたら洗濯するべきだろう。洗剤につけておけば大丈夫だろうか。

この日、普段行くカレー屋さんがラッシーを切らしていたのだろうか、ランチセットを頼んだらドラゴンフルーツジュースを出してきた。味はベリーともバナナもつかない独特の甘さがあり、個人的には好きだった。

そういえば、この店にマスクを忘れて行ったら職場のあるビルまでわざわざ追いかけに来てくれた。なんて親切な店だろう。関係ないが、この店に一時期一週間に三度も通っていた時期があり、おそらく顔は覚えられてしまっている。

四月一日(水)

今日タイ料理を食べに行ったのだが、そこでもマスクを忘れてしまって、結局帰りの電車ではマスクなしだった。別に非難しているわけではない。気づかないのが普通だ。で、そのタイ料理屋に行く途中に新しい別のカレー屋さんができていて、暑苦しい青年たちが呼び込みを行っていた。あまり好きな雰囲気ではないが、味が好みかもしれないので、レビューを見てから行くかどうか判断したい。

そういえば今日は異動があり、かつての部長係長になった。これは何か問題があっての降格ではなく、一定年齢を超えると部長からは退くことが社内のルールになっているからだそうである

今朝のパンもまた妹の手作りテレワークが続いているので気分転換必要からだろうか?

関係ないけれど、はてなキーワードでは「四月」はないが「4月」はあるらしい。日記をここに書き続けるとしたら、4月2日、と書くことにするかもしれない。

2020-03-26

政治における無能とは

無能とは着地点が見えないまま右往左往して結果何の成果も残せないことだと思う。

沖縄基地問題をめぐる鳩山首相ムーブや、築地市場移転をめぐる小池都知事ムーブがこれにあたる。

民進党への改名から分裂に至る経緯も典型的無能さの表出である。場当たり的で着地点が見えない。

逆に、「一斉休校」「お肉券お魚券」であっても迅速に立案し実行する能力を有する限りは有能であると言わなければならない

汚職隠蔽に関しても、「能動的に何かを計画して実行した」という意味で有能さの表出であると言わなければならない

無能」は客観的事実なので無能政権は支持されない

邪悪」や「馬鹿」は主観的評価なので邪悪評価されても有能な政権は支持される

現在日本で起きている政権支持率はてブ政権批判の乖離はこういうことである

2020-03-25

主語を大きくして客観的を装うやつは一番終わってる

政治の話とか、最近だとワニ関連でもいたんだが、

「~~~なんて言っても今更誰も信じない」

みたいな大きめの主語を使うやつは、終わっている

 

やつらの思考回路は、

 

①俺は信じない

②でも主観的物言い説得力に欠ける…

主語を大きくして客観的雰囲気出したれ!(その主語自分one of themとして包含する)

 

という流れを無自覚にやっていて手に負えない

敵対勢力の言うことは何も信じない!って言ってるやつの方が、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い状態になっていることに自覚的な分だけまだマシ

冷静な判断ができていないという点ではどっちもどっちだけど、まだマシ

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