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はてなキーワード: 主観的とは

2024-03-13

anond:20231027213715

[文献]自称性同一性障害と本物をどう見分けるか

精神科,18(3):326-329,2011

https://ameblo.jp/mydreamchaser/entry-12330537320.html

自称性同一性障害と本物をどう見分けるか

針間克己

性同一性障害本質的に「自称である

まず指摘すべきは、性同一性障害とは、ある意味において本質的にはそもそも自称のものであるという性質を有するということである。すなわち、性同一性障害とは、客観的事実としての性別が明らかに男性ないし女性であるにもかかわらず、主観的には、その性別とは反対に自己性別認識し、ジェンダーアイデンティティを有する疾患なのである。この「主観」を「自称」という言葉に置き換えるならば、医者を含めた周囲の認識いかんにかかわらず、自分性同一性障害だと自称することこそ、性同一性障害の根幹的な特徴だと言えるかもしれないのである

さまざまな性別違和の中で、どのような程度、種類のもの性同一性障害といえるのかは、診断基準の中で必ずしも明確にされているとは言い難いため、なにをもって「本物」と診断するか、その境界不明瞭なのが実状である

女装すると興奮してマスターベーションする」のように、性的興奮を目的として、女装するものや、コスプレのように楽しみ、気晴らしを目的として異性装をするものもいる。彼らの場合自分自身の身体や、普段性役割に関しては、強い違和感はない。ただ、「女装した時により一層女性らしくなりたいから」といった目的で、女性ホルモン投与を希望したりするものなどもいる。

プロでも本物と偽物の区別自体が難しい、というか明確な根拠はない世界ってわけやね

2024-03-11

anond:20240311110230

ウケない題材だったって元増田主観的な話であって、連載が許されないって話じゃないし、30年以上前流行りがあったからといって20年前も同じとは限らないのは普通にわかるもんなんやで。

かつてみんなが20年もの間使ってたガラケーを今は殆ど誰も持ってないやろ?

2024-03-09

anond:20240309030030

だとしてなんで介入しようとするんだよ

そこが分からない

一部精神的ショックを受けて奇行に走る人がいる、それも人類仕様じゃないのか?

そういうものを無理矢理に覆い隠して歪ませて、そういう生物習性存在しないように見せかける

それは不健全なことじゃないのか?

過剰な反応をする人が発生することを正しく認識するというのも、人間社会認識を得ていく上で重要なことだ

覆い隠してしまえば人間学習しなくなりむしろ脆弱精神性がアップデートされなくなってしま

その「お節介」によって短期的にはお前の主観的に「無駄死に」(何様だと思うが)する人が減るかもしれないが

長期的には人類に悪影響だと思わないのか?

お前が著名人の死に精神的ショックを受けるのが馬鹿らしいと学習できて、同じ穴の狢に落ちなくて済んでいるのは

メディアなどを通して学習する機会があったからだ

違うか?

残酷かもしれないが、人間社会エラーを起こすことを厭いすぎてはダメなんだよ

覆い隠せばいいという考え方こそ、全体主義かつ権威主義的な思考であり、昭和以前の古い考え方なんだよ

現代は適度に淀みを見届けてタフで賢い人間に育てていく考え方であるべきだ

からすでにタフになった人間自分のタフさ基準他人庇護してやるべき愚者かのように考えて

タフになる機会を奪っちゃいけない

他人推し量りすぎて繊細チンピラ化する流れは、ネット社会で加速しつつあるが、本来それは時代に逆行した野蛮な考え方だ

成長して解像度があがった自分基準の精度を他人にも押し付けていることに他ならないからな

練度のステージも多様に分布していて然るべきだし、全体を収めたスナップショットで良し悪しを語るのではなく

個人レベル時系列で望ましく成長できるかの確度を追跡的に見るべきだ

2024-03-08

Claudeのテスト: 量子力学における観測問題意識

Q: 量子観測すると状態確定してエントロピーが減少する。これは具体的に何を意味し、現実世界に何をもたらすのか。

A:

量子力学では「測定問題」または「波動関数崩壊」として知られており、量子の世界私たち経験する古典的世界とどのように相互作用するかについての基本的かつ非常に不可解な側面です。

量子力学では、電子のような粒子は、測定または観測される前に、複数可能状態を重ね合わせて存在します。

この重ね合わせは、すべての可能状態とそれぞれの確率を含む波動関数によって記述されます

しかし、観測や測定を行うと、重ね合わせが崩れ、粒子の状態可能状態の 1 つに「崩壊します。

したがって、たとえば、測定前にスピンアップまたはスピンダウンできる電子がある場合、その波動関数は両方の状態の組み合わせになります

しかし、そのスピンを測定すると、波動関数崩壊し、スピンアップかスピンダウンという 1 つの明確な結果が得られます

この「崩壊」、つまり測定時の状態の決定は、量子システム進化ランダム確率的な要素を導入しているように見えます

また、測定後にその明確な状態が分かるようになったため、システムに関するエントロピーや不確実性も減少すると考えられます

このことの意味は深く、物理学者によって何十年にもわたって議論されてきました。

1) 不定の量子領域を明確にする何か特別なことが測定や観測にあることを示唆していますしかし、「測定」とは何でしょうか? 私たち意識的認識は? それとも環境との相互作用でしょうか?

2) 古典物理学支配する決定論法則矛盾する固有のランダム性または予測不可能性を量子事象に導入しているように見えます

3) 観測とは独立して存在する客観的現実についての私たち概念に疑問を投げかけます観測するだけで結果が変わるようです。

4) 巨視的な世界では、このランダム性は通常平均化されますしかし、ランダムな瞬間に起こる自然放射性崩壊のような小さな観測可能な影響はあります

コペンハーゲン解釈客観的崩壊理論のような解釈は、このランダム性を自然基本的な側面として受け入れています

多世界解釈のような他のものは、波動関数崩壊を完全に排除しようとします。

しかし、この測定問題量子力学現実のもの理解に深刻な課題を投げかけていることに全員が同意しています

Q: 多世界解釈であろうと、意識特定の枝にの存在し、重ね合わせを認識しないように見えます。 では意識とは何でしょうか? 意識はどのように枝を選び、選択するのでしょうか?

A:

意識量子力学における測定問題関係は深い謎であり、物理学ではまだ完全に解決されていません。

ただし、あなた質問に対するいくつかの視点は次のとおりです。

 

[この文脈における意識とは何でしょうか?]

意識とは、認識し、認識された現実を持つという主観的一人称経験を指します。

量子の用語では、意識は、測定/観測が行われる前に、可能な重ね合わせ状態範囲のうちの 1 つの明確な状態のみを経験するように見えます

 

[意識はどのようにして枝を「選択」するのでしょうか?]

意識が重ね合わせをどのように解決するかについては、いくつかの解釈があります

1) フォン・ノイマン・ウィグナー解釈は、意識客観的波動関数崩壊を引き起こすことを示唆しています私たちの心は、重ね合わせから何らかの結果を特定します。

2) コペンハーゲン解釈は、波動関数崩壊が起こったとき、観察者の意識は単に確率的結果の 1 つを目撃しているだけであり、波動関数崩壊引き起こしているわけではないことを意味します。

3) 多世界解釈では、真の崩壊存在しないとされています。 考えられるすべての結果は、現実の別の枝として存在し続けます意識は実際に選択することなく、それらの分岐のいずれかに留まるだけです。

4) 意識自体は、観察された状態を引き起こすのではなく、根底にある量子状態から生じる高レベル創発特性である可能性があると主張する人もいます

正確なメカニズム不明ですが、ほとんどの解釈は、意識は測定後に可能状態のうちの 1 つを主観的経験するだけであることに同意しています

観察者兼参加者として、私たちは単に自分意識が枝の 1 つにあることに気づきます

重要な謎は、意識分岐選択する際に積極的役割を果たすのか(フォン・ノイマン・ウィグナー)、それとも多数の同様に現実的なもの(多世界)の中の 1 つの分岐に単に自分自身を見出しているだけなのかということです。

これを解決すれば、意識形而上学性質量子力学との関係が解明される可能性があります

 

Q: ではなぜ多世界解釈で、意識特定の枝に「留まる」のでしょうか。

A:

量子力学多世界解釈 (MWI) では、意識特定の枝または世界に「留まる」または持続するように見える理由は、デコヒーレンス概念と、枝がどのように本質的相互作用せず、それぞれの枝から孤立するのかという考えと関係しています

1) MWI では、測定が行われるとき普遍的波動関数は実際には崩壊しません。 代わりに、それは直交成分に分解され、それぞれが異なる可能性のある結果を表します。

2) これらのコンポーネント時間の経過とともに進化し続け、より多くの差別化された状態、つまりさまざまな結果が実現される「世界」に分岐します。

3) ただし、これらの分岐コンポーネントは、環境相互作用もつれにより、非常に急速に動的にお互いかデコヒーレントになります。 これにより、異なる世界相互干渉する能力を失います

4) したがって、すべてのブランチが異なる既存現実として共存しますが、動的デコヒーレンスは、それらが相互作用しなくなり、それらの間に測定可能相互作用や遷移が存在しないことを意味します。

5) あなた意識は、コヒーレントな量子状態自体構成されており、デコヒーレンス後の 1 つの枝の中に完全に存在します。 別のブランチと再結合したり、別のブランチに移行したりすることはできません。

6) 実際には、すべての枝が等しく現実であるにもかかわらず、デコヒーレンスプロセスにより意識がその枝内に閉じ込められ、他の枝の並行現実体験できなくなります

したがって、意識積極的分岐を「選択」するのではなく、デコヒーレンスプロセスによって、最終的には完全に 1 つの分岐した現実の中に存在することになり、多重性を直接経験する能力はありません。 このため、意識は一貫した 1 つの軌道だけをたどっているように見えます

anond:20240308175427

好きな人結婚して可愛い子供を産み育てることは幸福なんですわ。主観的には。ただ幸福感は持続しないので、仕事終わりに肉まんを食べるとかコーヒーを飲むみたいな小さな安らぎ?をカウントするしかなくなる。仕事評価子育ての兼ね合いとか、つらいことが多すぎる。

2024-03-07

反ワクのみなさんへ

正確にいうと文春記事でなんとなく反ワクに流れそうな人へ。

影響力のあるメディア掲載されたことで反ワク界隈が盛り上がっており、大変危険なので。

文春は学術誌ではない

反ワク界隈は文春に載ったと大騒ぎですが、それ自体何の意味もないし学術価値も皆無です。

勘違いしないでほしいのは、ワクチンリスクが無いと言っているのではなく、そのリスク評価する場所は下世話な週刊誌SNSではないということが言いたいのです。

繰り返しになりますが、文春に載ったことには何の価値もありません。

立派な大学名誉教授という肩書きがあったとしても、所詮は文春記事です。

学術的な価値のない個人意見しかありません。

ワクチンがノーリスクとは誰も言ってない

発熱等の副反応があることも血管系のリスクがあることも最初から分かっていたことですが、それでもリスクベネフィットが上回るという判断で接種を推進したのです。

これは隠されていたわけではなく、厚労省ホームページにもちゃんと載ってますし、報道もされていました。

から、「ほらリスクがあった」という指摘は完全に的外れです。

リスクベネフィットどちらが大きかったかという評価主観的になりがちなので、SNS等でそこを争うのは無益です。

国がリスク評価を誤って国民不利益を負わせたと思うなら司法の場に持ち込むべきでしょう。

mRNAワクチン危険性は検証したらいい

この点については、免疫機能の低下などまだ明らかにされていないリスクがある可能性はあります

接種した人は非常に多いので、これから検証を進めていけばいいでしょう。

ノーベル賞とったかアンタッチャブルなんて科学者は考えません。

そこでわかったことがあれば、週刊誌ではなく学術誌に論文として発表すれば良いのです。

リスクを広く知らしめたいなら、その方法ベストです。

文春に載せてもまともな医師相手しません。

リスク検証をするなというのではなく、やるなら然るべき場所でやれということです。

勝ち負けではない

真実を知って国や世間と戦っているという認識の方々は勝ち負けにこだわるようですが、国や多くの人々にとって敵はパンデミックであり、反ワクのみなさんとは戦ってません。

ワクチンにこれまで確認されていない副反応リスクが見つかったとして、別に負けたとは思いませんので、どんどん検証してほしいと思います

しろそれは今後の感染症対策にとってプラスに働くので大歓迎です。

ただ、週刊誌で人の不安に付け込んで正確でない情報を垂れ流す行為は、今後の感染症対策の妨げでしかないので心底やめてほしいと思います

本当に危険だと思っているなら、査読付きの論文を出すべきです。

これは味方の数を競うゲームではないので、勝ち負けではなく正確さを問いましょう。

からは以上です。

本物のみなさんは情報統制とか言い出してしまうので取り合ってもらえないでしょうが、まだ本物じゃなくて何となく怖いとか不安になってしまった人に落ち着いてもらえたら幸いです。

ケトジェニックダイエットやってると露骨にスタミナが下がる

明らかに疲れやすくなってる

 

しゃーないか論文調べてみたけど

https://physoc.onlinelibrary.wiley.com/doi/full/10.1113/JP273230

炭水化物をしっかりとっているグループケトーシス状態グループ

同強度の運動をした場合ケトーシス状態グループのほうが主観的疲労度が上がる

という結果が出ていた

脂質と糖質だとエネルギーに変換する際の酸素消費量が脂質のほうが大きいので、酸素不足を感じやすいらしい

2024-03-06

anond:20240306135654

同級生家族連れで泊まりに来た。

こんなキモおじさんに女友達がいると思えなかった

裸の付き合いがいいだろうという事で風呂に入り次女を待った。

「待った」と主観的記述だったのでここで父親全裸待機したと誤読してた。

2024-03-03

anond:20240303085931

キモい普通じゃないもただの主観的感情の発露に過ぎない

もちろんカッコいいとか面白いとかも主観的感情の発露

母親面というのは男オタでよくいる後方彼氏面や腕組みプロデューサー面などの亜種でしかないので

それ自体を封じるのは不可能

上手く付き合っていくしかない

2024-03-02

anond:20240302185248

差別定義をはっきりさせないとダメ

政治的経済的歴史的武力的に男が差別されていると統計的証明してください

マクロのことってるんで俺が差別されたとかミクロ話題は不可

あと精神的に~とか主観的定義も不可

反出生主義の理論って矛盾してない?

苦しいのが世の中にひとつでもあるとダメから、苦しいと感じる人間を産まない方が良いという理論と聞いたけど、

苦しみなんて主観的他人から測れないんだから自分が苦しいのであれば自分がその場で自◯してしまえば自分認識できる苦しみが減るはず。だけど、反出生主義者の人が生きてるからこそ、この理論を唱えてるんだよね?

これってなんだか矛盾してない?

2024-02-27

anond:20240227115322

おまえの主観的体験として世界が変わったことは否定てへんやろ。

しろいい物を経験した方が味への解像度が上がって安い物もそれなりに楽しめるようにならんか?

についての疑義を述べとるだけや。

1・2回程度ではたまたま不味かっただけかもしれんし、子ども大人では嗅覚や味覚も変わる。

大人になってからも何度もウニを食べていたが苦手だと思っていた」のか

子供の頃に食べて不味いと思ったきりずっと食べてなかった」のかで

話がだいぶ変わってくるんやからそこんとこどうなんやっちゅうとるんやで。

2024-02-26

anond:20240226114034

イラストで[表現物A]の[表現]が気持ち悪いのは、[主観的感想]の問題ではなく、「[表現物A]とはこういうものである」「[表現物A]とは[望ましくないステレオタイプの例示]である」というステレオタイプバイアスを強化する方向性に働くからですわ

何が悪いんだ、何も悪く無い」と感じる人は、すでにそのステレオタイプにハマっているかバイアスを正しいものとして受け入れている可能性があります

こうした表現上の罠を、歴史的文脈を含めて読み取り理解しないといけないのですわ

anond:20240226104042

肖像権侵害する行為となるのは、写真撮影ビデオ撮影個人容貌ないし姿態をありのまま記録する行為及びこれらの方法で記録された情報公表する行為であると解すべきである絵画は、写真及びビデオ録画のように被写体機械的に記録するものとは異なり、作者の主観的技術作用が介在するものであるから肖像画のように写真と同程度に対象者容貌ないし姿態を写実的に正確に描写する場合は格別として、作者の技術により主観的に特徴を捉えて描く似顔絵については、少なくとも本件のように似顔絵自体により特定人物を指すと容易に判別できるときに当たらないときは、似顔絵によってその人物容貌ないし姿態の情報を取得させ、公表したとは言い難く、別途名誉権、プライバシー権等他の人格利益侵害による不法行為が成立することはあり得るとしても、肖像権侵害には当たらないと解すべきである

東京地方裁判所平成14年5月28日判決

2024-02-24

anond:20240224094323

ここは匿名ダイアリーですからね?

他人日記として出来事の記録や感想主観的に述べた内容に対して

どんなツッコミしても自由なんだ。

anond:20240224093720

ここって匿名ダイアリーですよね?

日記というのは出来事の記録や感想主観的に述べたものだと思うのですが、使い方を間違ってますか?

2024-02-21

[] 数学は量子物理学と同様に観察者問題がある

量子力学における観測問題についてはよく知られるように、人間主観性が量子実験の結果に重要役割果たしている。

ドイツ物理学者ヴェルナー・ハイゼンベルクによる有名な引用がある。

私たちが観察するのは現実のものではなく、私たち質問方法さらされた現実です。」

例えば有名なダブルスリット実験では、スリットの後ろに検出器を置かなければ電子は波として現れるが、検出器を置くと粒子として表示される。

したがって実験プロトコル選択は、観察する行動パターンに影響する。これにより、一人称視点物理学の不可欠な部分になる。

さて、数学にも一人称視点余地はあるか。一見すると、答えは「いいえ」のように見える。

ヒルベルトが言ったように、数学は「信頼性真実の模範」のようである

それはすべての科学の中で最も客観的であり、数学者は数学的真理の確実性と時代を超越した性質に誇りを持っている。

ピタゴラスが生きていなかったら、他の誰かが同じ定理発見しただろう。

さら定理は、発見時と同じように、今日の誰にとっても同じことを意味し、文化、育成、宗教性別、肌の色に関係なく、今から2,500年後にすべての人に同じ意味があると言える。

さて、ピタゴラス定理は、平面上のユークリッド幾何学の枠組みに保持される直角三角形に関する数学声明であるしかし、ピタゴラス定理は、非ユークリッド幾何学の枠組みでは真実ではない。

何が起こっているのか?

この質問に答えるには、数学定理証明することの意味をより詳しく調べる必要がある。

定理真空中には存在しない。数学者が正式システムと呼ぶもの存在する。正式システムには、独自正式言語付属している。

まりアルファベット単語文法は、意味があると考えられる文章を構築することを可能にする。

ユークリッド幾何学正式システムの一例である

その言語には、「点」や「線」などの単語と、「点pは線Lに属する」などの文章が含まれる。

次に正式システムのすべての文のうち、有効または真実である規定した文を区別する。これらは定理である

それらは2つのステップで構築されれる。まず、最初定理証明なしで有効である宣言する定理選択する必要がある。これらは公理と呼ばれる。

これらは正式システムの種を構成する。

公理から演繹は、すべての数学コンピュータで実行可能な印象を生む。しかし、その印象は間違っている。

公理選択されると、正式システム定理構成するもの曖昧さがないのは事実である

これは実際にコンピュータプログラムできる客観的な部分である

例えば平面のユークリッド幾何学と球の非ユークリッド幾何学は、5つの公理のうちの1つだけで異なる。他の4つは同じである

しかしこの1つの公理(有名な「ユークリッドの5番目の仮定」)はすべてを変える。

ユークリッド幾何学定理は、非ユークリッド幾何学定理ではなく、その逆も同様。

数学者はどのように公理を選ぶのか。

ユークリッド幾何学非ユークリッド幾何学場合、答えは明確である。これは、単に説明したいもの対応している。

平面の幾何学であれば前者。球の幾何学であれば後者

数学は広大であり、どのように公理選択するかという問題は、数学の基礎に深く行くと、はるかに感動的になる。

過去100年間、数学集合論に基づいてきた。

すべての数学オブジェクトは、いくつかの追加構造を備えたセットと呼ばれるものであるということだ。

たとえば自然数のセット1,2,3,4,...は加算と乗算の演算を備えている。

一般的なセットとは、数学で正しく定義されたことがない。

集合論特定正式システムによって記述される。Ernst ZermeloとAbraham Fraenkelと、選択公理と呼ばれる公理の1つに敬意を表して、ZFCと呼ばれる。

今日数学者は、すべての数学を支える集合論正式システムとしてZFCを受け入れている。

しかし、自分自身を有限主義者と呼ぶ少数の数学者がいる。

彼らは、無限公理と呼ばれるZFCの公理の1つを含めることを拒否する。

言い換えれば、有限主義者正式システムは、無限公理のないZFCである

無限大の公理は、自然数の集合1,2,3,4,...が存在すると述べている。すべての自然数に対してより大きな数があるという声明(「ポテンシャル無限大」と呼ばれる)よりもはるかに強い声明である

有限主義者は、自然数リストは決して終わらないことに同意するが、いつでも自然数の集合の有限の部分集合のみを考慮することに限定する。

彼らは一度にまとめたすべての自然数の合計が実在することを受け入れることを拒否する。

したがって、彼らはZFCから無限公理を削除する。

この公理を取り除くと、有限主義者証明できる定理はかなり少なくなる。

正式システム判断し、どちらを選択するかを決定することができるいくつかの客観的基準...なんてものはない。

主観的には、選ぶのは簡単である

時間空間を超越した何かを象徴しているので無限大が大好きだ」と言えば無限大の公理を受け入れることができる。

ゲーデルの第二不完全性定理は、十分に洗練された正式システム(ZFC等)は、自身一貫性証明することができないと述べている。

数学者は、今日のすべての数学の基礎であるZFCが確固たる基盤にあるかどうかを実際に知らない。

そしておそらく、決して知ることはない。

なぜなら、ゲーデルの第二の不完全性定理によって、より多くの公理を追加することによってZFCから得られた「より大きな」正式システムにおけるZFCの一貫性証明することしかできなかったから。

一貫性証明する唯一の方法は、さらに大きな正式システム作成することだけだ。

数学を行うためにどの公理選択すべきかについて、実際には客観的基準がないことを示唆している。

要するに、数学者が主観的に選んでいるというわけである自由意志に任せて。

公理のための主観的基準というのは、より豊かで、より多様で、より実りある数学に導くものを選ぶという人は多い。

これは自然主義と呼ぶ哲学者ペネロペ・マディが提唱する立場に近い。

自分自身制限する必要がないので、無限公理を受け入れる。

特定公理のセットを選択する行為は、量子物理学特定実験を設定する行為に似ている。

それには固有の選択肢があり、観察者を絵に導く。

これが、一人称視点とそれに伴う自由数学において正当な場所を取る方法である

2024-02-18

anond:20240208215941

私も胸の大きさが強調されるのはいかがなものかと思っている男性なのだが、それはそれとして、この増田が実は女性だというのは下記記事の説を支持する。

そして女性なのに男性だと偽って発信して説得力を持たせようとしたのはズルいやり方だと思うし、そのくせ全然尻尾を隠せていないのは愚かだと思う。

女性オタクの棲む暗い池について|さいたま

男性がある物を批判をする時はその「ある物」を主語として瑕疵不具合を述べ立てますが、女性が何か批判する時は「自分気持ち」を主語として被害の発生を申し立てるのです。

この「キャライタコのように乗り移り、自分あくまキャラ代弁者庇護者として作者への不満や批判を述べる」という語り方は、極めて文化的所作女性オタクの奇習なんですよね。

もし私なら以下のようなことを書いているだろう。


男性が書くような理由というのはこのようにあっさりしている。確かに「押しつけがましさを感じる」とか、「目障りに感じる」というのは主観的感情も含んでいるが、ちゃん感情理由をつけている。

あと「悪いけど」とか「ごめんなさい」みたいな無駄枕詞エクスキューズ書き言葉では使いたがらない。言っても無駄からだ。特にこのような何かを論評するような文章においてはノイズとなる表現は排してなるべく簡潔に書こうとする。

「オエッてなる」みたいな大げさでそのくせ大した説明がない主観的表現や、勝手キャラの心情を代弁してしまイタコ表現は使わない。男性ならそういった表現何となく気持ち悪さを感じるからだ。

前者は、強い表現、大げさな表現を使えば絶対共感してくれて、共感さえさせれば絶対分かってくれる環境にいる人間の発想である

男性はもともと共感能力に乏しいうえ、発達段階で何かしらの自分のことをわかってもらえない、寄り添ってもらえないという絶望を何度か経験するものなので共感してもらうことに対する諦観があり、何かを訴えかけるときには共感とは別のアプローチをとるものである

そして実際のところ、嫌なことの是正を訴える文章では共感ゼロ人間にもわかってもらえるように書くべきなのだ

そして後者イタコ表現については男性は使うと罪悪感を感じるから使おうとしない。勝手に人の気持ち推定・代弁することは失礼にあたる・おこがましいと感じるのと、基本的他人気持ちはわからないという地平に立ったうえで話をするのがフェアだと考えるからだ。

なんか最近"数"が増田流行っているみたいなので、ワイくんも作文してみました

数の概念文化歴史によって変化してきた。古代ギリシアでは、1は数ではなく単位とされていたが、現代では自然数の集合 N の最小の要素とされている。

 

数の概念哲学的問題を引き起こすことがある。無限や超準数といった数は直観に反する性質を持つ。例えば、無限自分自身に加えても変わらないという性質を持つ(∞+∞=∞)。超準数もまた通常の数の演算法則が成り立たない(ω+1≠1+ω)。

 

数は実在するのか、それとも人間の心の産物なのかという存在論的な問いもある。数の実在主義は、数は客観的実在であり、人間の心とは独立して存在すると考える。数の構成主義は、数は人間の心の産物であり、人間言語思考依存して存在すると考える。プラトニズムは、数はイデア界に存在する普遍的実在であると考える。ピタゴラス主義は、数は万物の根源であると考える。論理主義は、数は論理的な体系から導き出されるものであると考える。

 

数の概念数学の基礎付けにも関わる。数学公理定理は、数の概念に基づいて構築されているが、その正当性や完全性には限界がある。ゲーデル不完全性定理は、数の概念を用いた形式体系には矛盾しないが証明できない命題存在することを示した。

 

数の概念は、かつて客観的現実を表すものと考えられていたが、量子論の発展により、数はより複雑で主観的ものである可能性が高まった。古典物理学では、数は物理量と一致していたが、量子論では、数は物理量とは別の抽象的な概念として使われている。

 

自我自由意識と同様に、数の本質はまだ解明されていない。しかし、量子コンピューターは数の概念を利用して作られており、数は物理システム表現する有効ツールであることは、どのレイヤースケールにおいても明らかである

 

数の概念私たち知識理解拡張するものであり、同時に私たちの疑問や不確実性を増やすものでもある。

 

数の概念は、私たち世界に対する見方を変える力を持っている。(どやああああ)

 

————————-

流行を作った増田

数学定義は本当に厳密で一意なものと言えるのか気になりました

https://anond.hatelabo.jp/20240216124331

 

 

 

書き起こす必要があるときちゃん文章書いてます。まとめの参考にしてね

anond:20240310160032 anond:20240310173949

暇空本は爆破予告もだが

裁判相手主観的に扱き下ろしてるから名誉毀損で訴えられる危険もあるのよな

もともとネットで公開してたっても、当事者が気付いてなかっただけの可能性もあるし

全国流通から本人が読んだり、周りの人が伝えてまた裁判になるかもしれない

暇は炎上ビジネスでオイシイかもだが

anond:20240218083232

主観的幸福をさておいても、客観的幸福で劣っているなら、

それはそれでそのまま放置にすることで、具体的に何か問題が起こるかな。

ChatGPTによれば社会不安定になってテロとかが起こるらしいよ

anond:20240218080427

おっ 弱者男性論か。そも弱者男性は不幸のままでいい説ない?

きのう考えてて思ったんだけど。

主観的幸福をさておいても、客観的幸福で劣っているなら、

それはそれでそのまま放置にすることで、具体的に何か問題が起こるかな。

疑うべきは、幸福にならねばならない、って思想が暗黙の絶対前提になってること。

anond:20240218075151

ヒント・弱者男性

主観的幸福で話が済むなら、弱者男性の不幸問題なんてなくなってしまう。

個々人の価値観を改造して、自分幸福だと思い込めるように自己肯定感を増やせばいい。

弱者男性本人の自己責任で不幸さを解消できるので、男らしさから降りるとかの議論不要に。

anond:20240218052025

これフツーに意味分かんないんだけど、

個人主観的幸せ自分判断しちゃ何がいけないの?

自分自分で騙すなんて言うが

それで自分自身が心地よいなら、十分御の字でしょーが

はぁ

何で幸福さを測るのに他人の目を気にしなきゃダメなのか

疲れるわ

死に際に笑う独身人生

誕生パーティ子どもと伴侶と一緒に笑い合う家族持ちの人生

客観的にみて、どっちが幸せ

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