はてなキーワード: 実年とは
匿名はてなを読んで楽しんでいた10代から何年も経ち、あっという間に数年で30歳になってしまう年齢になった。
最近の自分はと言うと、インターネットゲームにハマり、10以上歳の離れたガキとゲームをしたりXやdiscordで会話をしたりしている。近い年齢の友人もいるが、界隈でも割合は少なく、親しい間柄の人間にはあまりいない。
少し遅めの一人暮らしをはじめてから1年半。家に帰ればインターネットで他人とゲームやおしゃべりをするようになってからは1年。周りは学生ばかり。本当にこれでいいんだろうか?
同い年の地元の友人たちは結婚や子育てラッシュと言わんばかりにInstagramにアップされる旦那子ども。
正直自分は恋愛も結婚も子育ても向いていないし、まだまだ自分が一番可愛いので、そこに羨ましさはない。他人の幸せはめでたいし素直におめでとうと言う気持ちでいる。しかし、そういう他人の生活を見る度に「自分は一般社会のレールからはみ出しているのではないか?」と私の中に植え付けられた"普通の人生"という価値観が問いかけてくる。
インターネットで人と馴れ合うことは楽しい。自分が一人じゃないと思える。1年半前に地元を離れ、社会人にもなると、どうしてもリアルの友人と会える頻度はぐんと減る。そんな寂しさをdiscordやXは気軽に埋めてくれる。
しかし、そんな中でも人間関係のトラブルは発生する。インターネットは直ぐに仲良くなれて手軽だが、そこに居着く人間というのは多かれ少なかれ難を抱えている。この1年で酷いこともされたし、縁の切れた友人もいる。最早最初から友人ですらなかったのかもしれない。そんなことで一喜一憂している20代後半の自分ってどうなの?同い年の友人らは子どもを育てて頑張っているのに??と思ってしまう。
私は年齢の割に見た目は若く見えるようで、インターネットでは実年齢よりも2歳だけ鯖を読んでいる。それでも大学生?と会う人に言われることもあり、まだ若く見られる自分に少し安堵もする。
しかし、もう数年で30歳のアラサー女がいつまでも学生に混ざって夜な夜なゲームをしていていいのか?このまま歳を取ればいつか見た目にも年齢が現れる。その時に自分を選んでくれる人間はいるのか?今が楽しければそれでいいと同じように言えるのだろうか?
前述したように、自分には結婚も子育ても向いていないし、したくない。それでもこのまま歳を重ねていいのだろうか、ずっとこの生活が続くわけでもないのに。今インターネットにいる友人らはまだまだ若く、何年もインターネットで楽しく過ごすのかもしれない。しかし、私は30を超えてもここにいるのか?それは流石に恥ずかしいことなのはないのか?とぼんやり考える。少なくとも私は10代や20代前半と一緒にキャッキャしている30オーバーの人間は痛いのではないかと考えてしまう。同じレベルでいいのか?と。
リアルの友達も多い方だと思う。職場でも明るく社会性もあり好かれる方だと思う。誰でも良いのであればすぐにでも恋人も出来るだろう。しかし、表面では取り繕うことが出来ても、中身の私はとても面倒臭く傲慢でややこしい性格をしているので、まだまだ一般的である温かい家庭の様なものは築けないんだろうなという焦り。
このご時世、晩婚化は当たり前。出生数も年々下がり、結婚したくないという若者が増えている中で、私がこうも普通の人生や普通の家庭に憧れて焦るのは、家庭環境があまり宜しくないことも起因しているように思う。
自分の中で結婚も子育てもしたくないと言う気持ちと、普通のレールから外れる恐ろしさ、幼少期に手に入らなかったものへの憧れに板挟みになっているからこうして悩んでいるんだな。そして抜け出せないインターネットのぬるま湯。もう子どもじゃないのに。
成人済み、それも20代後半以上のオタクははっきり言って精神年齢が低いと言わざるを得ない。私の周りにいるいい歳したオタク達はほぼすべからくそうだし、オタク せ くらいまで打てばサジェストで精神年齢 低い などと出てくる(オタクについてこれといって調べたこともなければ、精神年齢とは全く関係ないことを検索しようとしていたため、このサジェストは恣意的なものではない)。
私ももうすぐ就職する立派な成人済みオタクであるが、自分を含め何故成人済みのオタクは精神年齢が低いのかについて一度真面目に考えてみたい。
オタクと言うと、運動部に入ることも無く、大学でもサークル活動を行わず、社会に出てからも人とあまり関わらないという人がボリュームゾーンなのではなかろうか。(私は一応大学までずっと体育会系の部活動に入っていたためか、この点においてはステレオタイプなオタクより社会に迎合する術を知っているような気がする)
共通の目標に向かって仲間とある程度苦しい鍛錬を積んだり、その過程で仲間のうちの数人とより深い人間関係を築いたりする。そういった精神的鍛錬の機会を逸してきたツケが成人済オタクに回ってきているのではないだろうか。
もちろん文化系の部活動や帰宅部でも勉学に励んでいた人はある程度精神的な鍛錬を積めたかもしれない。しかし高校を卒業してから成人、20代後半になるまでの、これまでと比較して追い立てられるような物事のない期間、恋愛をしたり仕事に打ち込んだりしていた人間と、アニメだけ見て自己研鑽に励まなかった人間との差はじわじわと広がっていく。そもそも我々がアニメを消費している間、一般人が何もせずなんの学びも得ずにいる訳がないのだ。
小学生、あるいは中学生くらいまで、オタクとはむしろ精神的に大人びているという評価を受けがちなものではなかったか。
アニメとは、10代〜20代前半あたりをターゲットに作られるものが大半だ。今はオッサン向けのなろうアニメなんかが増えているが、少なくとも10年ほど前まではそうだったはずである。
やや歳上をターゲットに作られた創作物。もちろんターゲットの年齢層に合った教訓が得られたり、葛藤に寄り添ってくれたりする。背伸びした内容を日夜浴び、それらについて考えを巡らせる。必然的に精神年齢がターゲットとされている層くらいまで引き上げられるはずである。これが前述の大人びているという評価に繋がるのだろう。
しかしアニメの内容は、一定のレベル帯に留まっている。ターゲット層の10代~20代前半にとって高度過ぎる内容ではウケないからだ。
それをターゲット層から外れた高齢者が延々と擦ったところで、新しい学びが得られようはずもない。
もちろん年代を超えて学びを得られる名作も存在するにはするが、そういったコンテンツから年相応の学びを得るためにはある程度実生活を通して精神的に成長しておかなければならない。しかし幼少期に大人びていると持て囃され、哀れな選民思想に浸かってしまったオタクが今更低俗な一般人と同じような生活をして精神的鍛錬を積もうなどと考えられるだろうか?
ここ10年ほどでオタクも随分と市民権を得たものだが、オタクというものは元々爪弾き者の流れ着くシェルターであったように思う。もちろんそうでない人間もアニメを見ていたが、仕事や人間関係など他に打ち込むべきものがありながら、それと両立してアニメに熱意を注ぎ続けられる人間はそう多くない。結果的に、そういった人種はオタクをやめていく。
本人の性質に問題があったのか、オタクという属性故なのかは定かではないが、虐げられ、弱者として生きてきた人間のるつぼとなっているオタクコミュニティ。無職、こどおじ、童貞なんてのはざらだ。そんなのが跋扈しているぬるま湯にいつまでも浸かっていては、精神的に成長できるはずもない。隣を見れば無職なのだから、派遣だろうがフリーターだろうが低収入だろうが焦る必要はないのだ。
まとめると、幼少期に少々背伸びをした創作物を摂取し、大人びていると持て囃されて胡座をかき、実生活を蔑ろにした結果、思春期の成長機会を逃す。普段つるんでいるオタク仲間は高齢者を中心に爪弾き者ばかりなので、その状況に危機感を覚えることもなく、実年齢と精神年齢が乖離していくという二段構えのように思う。
この状況を打開するためには、オタク仲間達をこの世のスタンダードだと思わず、常に世間一般の中で自分が年相応の経験を積めているか、足りないものはないかと問いかける姿勢が大切だ。また、アニメ以外の事象にも目を向け、単純化されていない人間との複雑な関係を築くことも、精神的な円熟のためには必要である。
全然そう思ったことなかったけど、ロリコンだったのかも知れないと最近初めて気付いた当方39歳独身男。
同世代の女性に勃たなくなってきた。若い女なら勃つ。でも30を超えるとだんだん怪しくなってくる。40以上となるともはや勃つ相手の方が珍しい。
体感勃起可能率でいうと20以上30未満なら95%以上可能。でもそこからだんだん下がってきて35で約40%、40歳を超えると10%以下にまで低下する。
40代50代の女性相手でも問題なくセックスできた経験はある。
ただそのケースは外見年齢20代といっても通じるような美魔女で、要するに実年齢関係なく外見が若ければセックス可能、老けていれば不可能ということらしい。
若いうちは同世代の女性とセックスできていたから恋人作りになにも問題なかったし、自分のこの傾向に気付くこともなかった。
でも自分も歳を取り、相応に同世代の女性と交際するようになり、35歳以上の女性に欲情できない自分に初めて気が付いた。
最近付き合った恋人とも、セックスレスが原因で別れることになった。オレが勃起できなかったからだ。ED治療薬とか頑張ってはみたんだけど無理だった。
セックス以外はなにも問題なく仲もよかったんだけど。これじゃあこの先結婚できても子供は作れなさそうだ。
オレ、ロリコンだったのかなぁ。
赤ちゃん界では、「オムツは下着なので見られるのは恥ずかしい。だからオムツはズボンやブルマ、ショートパンツで隠す」という概念がある
私が育てている女の子の赤ちゃんはむちむち体型で、最近は秋なのでかわいいブルマをはかせて赤ちゃんファッションを、むちむちの太ももを楽しんでいる(ちなみに私は赤ちゃんのおしり愛好家)
娘は小柄で、成長曲線の一番下だけれども、その分、娘が歩くとハイハイしてる赤ちゃんがそのまま歩きだしましたみたいな印象になり、みんなかわいいかわいいと言ってくれる(娘と同じ体型でまだハイハイの段階の赤ちゃんはいっぱいいるからね)
実年齢、実月齡は赤ちゃんを脱しつつあるんだけど、体格は完全に赤ちゃんなので、みんなから赤ちゃん赤ちゃんって言われるね
今日は裾がフリルのワンピースをはかせて、ブルマをはかせて、総レースのハイソックスをはかせたんだけど、ベビーカーに乗せた娘の腰元がセクシーな感じになってとてもかわいかった
赤ちゃんのブルマは見せてもいいパンツなので、むちむち太ももとブルマの組み合わせを楽しんでいる
これが相手が幼女で、オムツではなくショーツが見えたら、見えてはいけないもんが見えちゃった!とギョッとすることになるから不思議
Twitterで検索していいね数の関係などで上位に出てきた人
Slice🐣
@shiratama__coc
理系チー牛のキモイ要素は、「花火を見て炎色反応を思い浮かべる」こと自体ではなく、「花火を見てその色になる原理を思い浮かべちゃう俺頭良くておもれ〜」という浅はかで自己陶酔的かつ同行者への共感が一切ないその精神なのですよ by理系チー牛
暗黒チー牛
@darktigyu
義務教育にしたい本。
だから抜け出せない
よくバズっているらしく他にもこの人のツイートが上位に出てくる
🥟みつき🐿️
@S2mitukiS2
私もチー牛良いと思ってたくさんお会いしたけど①実年齢アラサーなのに精神年齢が12歳くらい②「相手の気持ちを考える」を考えたことがない③相手のことを考えて発言ができない壊滅的な自己中心性④空から自分のこと大好きな美少女が降ってくると思っている超受け身体質
@KotokotoX
チー牛と名乗ってる多分男性
チン化す
@feXCToj7K624069
タバコ吸ったり酒飲んだりしないのがチー牛なんじゃなくて、大した能力や趣味が無いにも関わらず一丁前に周りを見下して、何もしない自分に目をつぶりながら人畜無害な人を勝手に敵視して僻んでるところが嫌われてるってことを理解出来てないチー牛が多すぎる。
乙
@O2_O2__
プンプン
@punpun765P
チー牛との生活
気の狂った鍬
@kuwawomote
わかる。
ポスト宮崎駿みたいな感じで男女共にウケるパンピ向け作品みたいな顔して実際キッショいセクハラシーン盛りだくさんのチー牛(この場合女性差別こじらせたキモオタの意)向け作品で吐き気してから新海誠嫌いだし、新海誠を何も引っかからず見れる男のこと信じてない
@air_xxkg
「やらない」男が好きなのであって、「できない」チー牛の話はしてないんだよなあ
🧀弱男ですか?🐮
@jayakunandesuga
チー牛って時たま「こんなのネタじゃん‼️」とか言って全く笑えない冗談ばっかり言ってるけど
本人達にとっては本当にネタなんだろうな……って一緒に笑ってるチー牛たち見てて思った……😨
x.com/jayakunandesuga/status/1828638494895546690
チー牛と弱男叩き専用垢、多分女性
周辺では男が自虐やネタでチー牛自称してるパターンばかりなので「チー牛というワードを使うのは女」という嘆きを増田でたまに見ても腑に落ちなかったが
確かにチー牛というワードを使っているのは半数以上女っぽかった
男女論界隈に入り浸っているとこの手のツイートがよく流れてくるのだろうか
最近「弱者の味方」という人がチー牛は結婚相手としていいぞみたいな発言をしてバズりと共に批判も多くされ、
「弱者の味方」への反論という形でチー牛に言及する女性が今日は多かったようだ→x.com/bnbngtsi/status/1826481197578342886
広告がガツガツしていないとこと、内容がなんていうかかつてのラジオ的というか牧歌的なとこは好き。
言葉遣いとか表現が上品でクリック数稼ぎのための釣りみたいなのが少なめなのも好き
社長夫妻が実年齢はそろそろ老年なのにファッション無理してる感はちょっとしんどい。
ただなんとなく限界を感じる。探偵ナイトスクープとかタモリ倶楽部みたいな身近ネタをメディア記事にまとめようとすると
結構本気のリサーチ力とか表現力とか落ちがつかなくても記事発信元が美人とか可愛いとか男でも可愛げがあるとか魅力が必要と思う。
それができる体制でも圧倒的な表現力とかでもないのはもったいない。
魅力的なライターさんがいるので、その人のプロとしてのキャリア開発と並行して記事が出て行けば面白いよな、って思う。
神社関係者の人は、今は神社豆知識みたいな記事を書いていたとしても、10年後20年後は神道祭祀の歴史蘊蓄とか神社本庁のニュースとか
やっぱり神道の何らかの意味で一人者になっていると読者も読み買い応援し甲斐があるし、ソムリエの人は高レベル大会に出てレポートしてもらうとか
その能力者「手が届く者」とは、空中にシャボン玉のような球体を作り出し、その球体をぶつけられたモノは球体と同じサイズだけ消失する
つまり人間の頭に野球ボールサイズの球を投げつければ、野球ボールサイズの穴が空いて死ぬ
丸神町の者はこの能力を駆使して乱世では9人の能力者だけで数万の敵勢を返り討ちにした
現代では能力者は片手で数えられるほどしかおらず、非公開の神事で並べた石をバチンバチンと消すぐらいにしか能力を使っていない
能力を使うほどに能力者の容貌は変形して「鳥のような羽毛を持つエイリアン」みたいな顔になり、手指は1本追加で生えて6本になる
作中の推測では、まさに「エイリアン」がかつて丸神町に降り立って植民地か実験地にしようとして町民に能力を与えたと推測される
またエイリアンは能力だけでなく、町民を「窓を開いた者」にした
「窓を開いた者」は夜毎に「怖い夢」を見る
それは宇宙の果てか地の底のような場所で永劫の孤独を強いられ、苦しんでいると「エイリアン」のような存在だけが手を差し伸べてくれるというもの
町民はその夢によって、エイリアンを切望し隷属しなければいけないという衝動に駆られる
球はモノを消す際に強い光を放つ。山頂で石をバチンバチンする神事は派手な光を出すことで「エイリアンよ、私達はここにいるのでまた来て下さい」というメッセージが込められている
でもエイリアンは何故かもう何百年も現れず、町の人々にはただ超能力と怖い夢だけが残されている
丸神町では能力がなく夢も見ない普通の人間が最も多く、次に夢だけ見る者がけっこうな数いて、能力者はごくわずか
頼之さんは夢を見るし能力もある稀有な存在で、球のサイズも建物一つ飲み込めるほど大きくできる歴代最強の能力者
「10代の頃から神事を行う若き神官」と称されているので、多分まだ20代だろう
頼之さんは能力を使いすぎて容姿はもう人間離れして、見た目では年齢不詳
「エイリアンとのつながりを保たなければいけない」という怖い夢による強迫観念のもとで、頼之さんは神事の山を切り崩す開発工事を提案したヨソモノを能力で殺害してしまう
怖い夢に支配されている一方で、頼之さんは「何百年も前に我々を見捨てたエイリアンに縛られ続けるのはおかしい」「あんな山なんかぶっ壊して解放されるべきでは?」とも考えるようになった
町には「山里を守るためだけに能力を使え、外部に能力を知られるな、外部のために能力を使うな」という掟がある
頼之さんは、その掟を破って能力を外で派手に使いまくれば、掟を押し付けたであろうエイリアンが出てきて対峙できるのではと思い、町を飛び出して反社とつるんで船舶、飛行機、巨大ビル、著名な政治家らを次々と球で消去する
それでもエイリアンは現れない
頼之さんには幸子という同郷の幼馴染がいる
幸子は怖い夢は見るが能力はない
彼女は兄が能力者で、幼い兄は能力を遊び半分に使って小さな球を幸子の体に投げつけて背中にはえぐられた傷跡が大量にある
頼之さんはエイリアンのような容姿を隠すため常に覆面の怪しい人間として登場するが、幸子のことを「さっちゃん」と呼んで気さくに接する
怖い夢に縛られ兄からの虐待の過去にも苦しむ幸子は常に陰気なのだが、頼之さんは幸子の頬にそっと手で触れて「俺がいつか悪夢から解放する」と話す
そのために頼之さんが凶行を重ねていると知り、幸子はそっと涙を流す
幸子は怖い夢の中で手を差し伸べるエイリアンを見るうち、あれは本当は実在も定かではないエイリアンなどではなく、頼之さんじゃないのか、頼之さんがどん底の世界から救ってくれる人ではないかとうっすら考えている
この二人の関係は恋愛未満であるが、だいぶ恋愛に近いものだと思う
わけのわからない夢に縛られている、よそものにはわからない同郷者同世代同士で苦しみを分かち合う者
人間を球で消去しまくって大量殺人を重ねている頼之さんに呑気にラブコメする時間はなかったが、お互いに他の同郷者とは別格の思いを抱き合っている
ところがドラマ版では色々改変があり、まず頼之さんが幸子と同世代の若者ではない
頼之さんの俳優は40歳の山田孝之で、頼之さんはエイリアンみたいな姿なので特殊メイクしており役者の実年齢は関係ないと思いきや、
山田孝之は有名な俳優だ、せっかく起用するなら特殊メイクだけでなく顔を出させたいのは人情だろう
だが、数年前のシーンで幸子が子役を使う一方で頼之さんは40歳の山田孝之で、親子ぐらいに年の差が開いてる設定になった
頼之さんは幸子の母親と同世代で、幸子の母と恋仲だったがお家の事情で結婚できず、幸子母は他の男と結婚したという設定が生えた
幸子父は頼之さんとの関係に嫉妬して妻子を愛せず、幸子が兄から虐待を受けたのは、兄が父から虐待を受けておりそれが連鎖したという設定になった
原作と関係のない一つのドラマとして見ればシナリオにそんなに破綻はないし、球による人体破壊描写を容赦なくグロくしたりがんばってくれてはいるのだが、
頼之と幸子の関係が様変わりしたのはショックだった
山田孝之はずっと特殊メイクのまま20代の若者設定でいてほしかった
幸子の母と恋仲とかなんだよそれ
頼之さんは結局、暴れまわってもエイリアンが現れず、とうに人間たちは棄てられているのだろう、
なのに呪いのような怖い夢だけ残され、エイリアン降臨を待ちわびる神事をするのが馬鹿らしくなり、
最後には神事を行う山を巨大な球で破壊し自分もまたその球によって消えようとする
もしかしたらエイリアンはとっくに手を差し伸べてくれていたのではないか、球は「扉」であり、巨大な球に丸ごと体を飲み込ませればエイリアンのもとへ行けるのではないかという仮説を提唱し、
それが真実である根拠はなく、もしかしたら死ぬだけかもしれないのに巨大な球に触れようとする
幸子は自分も一緒に行きたい、自分にとって手を差し伸べてくれていたのは頼之さんであると述べて頼之さんに駆け寄ろうとする
結果的に死んでもいい、心中になってもいいというのが頼之さんと幸子の関係だ
これが幸子母に恋してた疑似親子みたいになるのはなー違うんだよなー