はてなキーワード: 合致とは
forループからなる処理があり、データに対して、条件に合致する行にスコアを与え、スコア判定されたものは(id, score)というペアを出力し、それ以外のデータはリストにまとめて返す、という処理がある。
このパターンが6回ぐらい連続で続いていたが、条件合致部分が複雑で、処理が一致していることに気が付かなかった。
処理が一致していることに気がついて、abstractメソッドに実装(条件合致部分)を与えるという方式にして抽象化したらコードがスッキリした。
だからこそ法律によって子供のいない女性の医療費を自己負担十割にしなければならない。
頭の悪いこと言ってないで少子化解消のための現実的な政策案をだせよ。
「狙い撃ちLoRAはアウト」の説明の中で、創作的表現が合致してたらアウトみたいに書いてあった。
例えば、妖怪ウォッチのジバニャンを真似て人形作るのはアウト。「可愛らしい猫型の妖怪」の人形を作るのはセーフ。
じゃあ、Aさんが二次創作ばっか描いてて、Aさんの絵から作ったLoRAを使って、それで二次創作描いたら?これはセーフだよね(公式の著作物だし)。
次に、Bさんがオリキャラばっか描いてて、LoRA使って、二次創作描く場合。これもセーフだよね。
次に、Cさんがオリキャラ(仮に短髪桃髪のゆるふわ天使だとする)ばっか描いてて、LoRA使って、Cさんが描いてるオリキャラに似た雰囲気のキャラ(長髪青髪のゆるふわ天使)描いたら?これもセーフだよね。
今回の選挙の後の自分の周りの反応がいつもと異なっており、純粋に疑問を抱いたため考えをまとめる意味合いと、複数の意見を聞ければいいと思い文章にまとめている。関連の記事を読んで、自分も考えてみるかとなった。
これに尽きる。いつも意見合う友人だったから今回は真逆でびっくりした。
仲良くしたいから直接は聞けないけど、何でかは気になるからここに書いてる。理由は詳細版に書いてるが割愛。
空気感に煽られたとしても、今まで選挙に興味すらなかった層が10%以上選挙に足を運んだということだけでもかなりの快挙なんじゃないかと。そしてそういう層が今後も選挙に行ってくれるなら、国民のお気持ち1つで当選する人を選べるんじゃないか?
そもそも実際の政策に満足した層だっているはずなのに、ポピュリズムで括られてしまうのってどうなんだろうな。
ようするに、政治に関心はあるが詳しくない一般人であるということだけ理解して欲しい。そんな訳で意見などあれば、わかりやすく教えてくれると助かる。
最初にニュースを見た時のことはあまり覚えていないが、パワハラで人が亡くなってしまったということで、痛ましいなと思った。
その後、報道が多かったからか名前を見かける度に今どうなっているんだろうと経緯をネットニュースなどで調べたりしていた。そして調べる度に進捗がさしてないなと思っていたところ、辞められたので驚いたし、調査結果出たのかなと思ったら、出ていなかったので更に驚いた。
正直、公務員周りの仕組みや政治についての知識が乏しすぎるので、それが適正なのかどうか自分には判断ができなかった。
会社員の端くれとして、結果がわからないのに解雇されるようなものだと思うと何でだよと思っても許されるんじゃなかろうか。
そして知事選やるのかあと思っていたら、斎藤氏は辞めてもう一度選挙に出るるらしいし、稲村氏という票集めに強い人が担ぎ出されていたりした。まあ稲村氏が当選するんだろうなと、結局疑惑はうやむやにされてわからずじまいだろうなと考えていて、しばらく特に追うこともなくなった。
自分は毎回選挙に行ってるが、段々と生活が苦しくなる実感だけが肌に積もっていくのを感じながら、もうどうにもならないんだろうなと、世間の大多数の人同様、諦めに似た気持ちだった。
若年層でもっと投票率を上げるしかないとは思っていたが、もう難しいんだろうなと自分の昔を振り返ったりもしていた。
もっと教育に組込んで欲しいが、政治を動かしている政治家達は投票率が上がったら都合が悪いだろうから、絶対にやらないだろうなと。そして家庭内で行うには両親に依存しすぎだし、全体で見ると格差が酷く歪になるだろう。自分もそうだが、様々な理由で親から教育されないものが取りこぼされるし、そういった人々こそ選挙には行くべきだと思っている。
いつも選挙の時、票を投じたい人や政党など1つとしてなく、まさしく断腸の思いで投票するも、多数派には入れないのでいつもささやかな意思表示のみに留まっていた。
その選び方も、個人的最低を除外した後から選ぶのだが、その判断基準が選挙の度に酷くなっているなと自分でも思っている。年寄りよりは若い方がまだマシだろうお前もまだ数十年生きるんだらかな、といった具合なのでお察しだろう。
ここ数年は特にしんどくて、これ海外だったらもっと暴動起きてるんじゃないのか?と思いながら、でも自分自身も暴動を起こそうとは思えないので、他責がすぎるわけだが、思考の中でぐらい許してくれよと言い訳しながら、それでも何かある度に溜息と共に考えていた。
そうして選挙戦が始まり、投票日も近いしそろそろ情報収集するかと思ったところ、予想外に斎藤氏が善戦していて何があったんだ?というところから始まった。
知事選とは思えないぐらい、色んな情報が飛び交っていて、正直自分のレベルでは真偽が付けられなくて本当に困った。
公約などそのあたりを見るのはともかく、SNSを覗いたら先日の衆議院選よりもかなり過激な内容が飛び交っていたように感じた。事の発端を考えればそりゃそうかと思いつつも驚いた記憶がある。
もし過去に政治家や企業よりも国民のための政策を乱打してくれた実績があるなら自分の票をその人にいれるだろう。
全員そんな実績もなく、選挙の時だけ発動するお綺麗で薄っぺらい公約を掲げているだけなら、経験がなくても具体的でパワフルな公約を出してくれる人に入れる。
政策については短くキャッチーにまとめた方がわかりやすいというのはわかる。でも今はインターネットがあるんだから、アクセスしたい気持ちのある人に、わかりやすく伝える努力ぐらいはして欲しいし、実績ももっと掲載して欲しいよな、何回も当選されて、貢献したという自負があるなら華々しく載せて欲しいもんだ。
でも今回は政策や過去の実績についての言及というよりも、ヘイトスピーチにしても雑すぎないか?というようなものをたくさん見た気がする。気分が良くなかった。
だからといって発端の斎藤氏の件についても真偽が何1つわからなかった気がする。随分と盛り返しているので何か新しい事実か決定的なことでも出たのかなと思ったけど、おそらく出ていない。何かあったとしても情報の海に溺れてしまった自分にはわからなかった。
斎藤氏については事実は知り得ないが、最初の印象が最悪すぎた中、行ってきた政策の着手率が凄く高く、そこは好印象だったので無実でテコ入れしてくれたらいいなと市民として軽く考えていたぐらいだった。
無実ではなかったとしても、市民に良い政策、良い政治として還元してくれるなら正直構わないと個人的には思っている。
政治家に潔癖性を求めるには政治に対して疲弊しすぎているのだ、共に働く役所の方には申し訳ないが。今回の騒動は大きかったため、さすがに抑止力や監視力などがかなり働くと思うので、結局再当選した斎藤知事には本当に本当に気をつけてほしい。
あちこちで見聞きする裏金問題のことを考えれば、ここだけ切り取って好感を持っても許されるのでは?とすら思ってしまう。
そんなことでと思うなら、政治家の皆様はわかりやすく報酬をカットしたらいいんじゃないだろうか。その分、裏金が捗るというなら、どうしようもないが、いい加減その辺りは厳罰と返金を必須にするなどして欲しい。そこについても色々問題が、と言われても一般国民は難しいことはわからないのでは?というよりそれは国民が考える問題ではないでしょうよと思ってしまう。
他人の物を奪うなって当たり前すぎて子供でもわかることなのになと。
SNSで繋がっている友人知人は思考が似ている奴等が多く、選挙の度に見かけるツイートも共感するものが多かった。
ところが、今回はそうではなかったのだ。
斎藤氏が当選し、自分としては総合的には良かったなと思ったが、何人かの友人はそうではなかった(考えが違って当たり前なのは理解した上で、いつもより強めの乖離があるため気になったのだ)
特に①については若年層が今後投票に行く後押しになれるんじゃないかと思ってかなり嬉しかった。
②は①を起こすために必須なのでやっぱり嬉しい。
しかし先に述べていた友人の幾人かは、結果について激しい落胆だけを述べていたり、中身もなく煽られたポピュリズムのクソ結果じゃないかと、アメリカ大統領選と絡めてそんなことを言ったりしていた。
彼は自分よりも結果を重視するタイプだと思っていたので、驚いて、多分少しショックで、今こんな長々と書いてるんだろう。
勝手に落胆しているので悪いのはこちら側であるし、本人と揉めたい訳ではないので、不特定多数への問いかけという手法を取っているだけということは理解して欲しい。
新旧メディアの対決のように言われていて、最終的に形の掴みにくい「既得権益者達」と「ハメられた斎藤氏」という、権力に切り込もうとして虐げられた者という日本人の好きそうな構図に合致してしまったなとは思うが、先にも述べた通り斎藤氏自身の報酬のカットや学校関連の予算増額など、目に見えた恩恵を受けた県民だっているのだ。
面と向かってディベートできず匿名で文章を書いている自分は狡いとわかっているが、じゃあ今回はポピュリズムを嘆いている人達はどうしたら良かったと思うんだろう、今後どう政治を見ていけばいいのか教えてくれよと、そういうメッセージを投じたかった。
感情論も入った文章になっている自覚はあるが、自分と違う意見を非難したり馬鹿にしたいわけじゃなくて、自分の意見すらままならず、自分の思いもよらない考えの過程に思考が至らないだけなので、教えて欲しい。あと、あんまり怖いことや難しいこと言われると泣いてしまうので、なるべく優しく頼みたい。
その点、政治家はプロだ。そんな政治家の行ったことを、生きて暮らしている中で自分が感じた気持ちを投じて是非とするのが選挙だ。
期待されて当確した政治家がパッとしなかったら、次回はAを落としてBにする。それでいいと思うんだが、そんなに悪いことなんだろうか。ここ数年はどんなに否と叫ぶ人々がいてもその変更すらままならなかったと思うんだが。
そういう意味では空気感に煽られたとしても、今まで選挙に興味すらなかった層が10%以上選挙に足を運んだということだけでもかなりの快挙なんじゃないか。そしてそういう層が今後も選挙に行ってくれるなら、国民のお気持ち1つで当選する人を選べるんじゃないか?と期待したくなる。
前回の選挙で石丸氏に投票した若者がSNSで批判されまくってた時の気持ちに似てるのかなと思わなくはない。考えた末に鼻で笑われるとかたまったもんじゃない。わからなくても詳しくなくても知りたい気持ちはあるのだ。
この意見には、トランプ氏の経済政策と政治的理念を説明する意図がありますが、いくつか問題点や不正確な解釈があります。以下に指摘します。
妥当な点
トランプ氏が掲げた「アメリカ第一主義」は、他国への依存を減らし、米国の利益を最優先するという方針で、確かにフランスのド・ゴールが掲げたフランス第一主義に共通点が見られます。トランプのTPP反対やNATO費用負担の見直しも、自国の利益を強調する姿勢を反映しています。
トランプ支持者の一部が、「仕事にありつける」「収入が増える」などの期待を抱き、経済的なメリットを求めてトランプに投票した点は的を射ています。これはケインズ的な需要刺激策(公共事業など)によって雇用や経済の活性化を図る政策の影響です。
1. トランプを「ケインジアン」とする見方は単純化しすぎている
トランプ氏がすべての政策でケインズ経済学を実践していたわけではありません。ケインズ経済学は、政府が不況時に積極的に介入することで経済を刺激する理論ですが、トランプ政権の政策には必ずしもこれに基づく一貫性がありません。むしろ、減税や規制緩和といった側面もあり、これらはケインズ理論とは異なる自由主義的なアプローチです。トランプの「ケインジアン」としての立場は単純化しすぎています。
2. メキシコの壁を「ケインズ的な公共事業」とする解釈の誤り
メキシコの壁の建設は、トランプの移民政策の象徴的な要素ですが、これをケインズの公共事業とするのは適切ではありません。ケインズ理論の目的は不況時の景気刺激であるのに対し、メキシコの壁は主に移民抑制や国家安全保障を目的としています。経済的な刺激効果もある可能性はありますが、それが主要な意図ではなく、理論に合致しない解釈です。
ド・ゴールはフランスの独自性を守るために多国間の枠組みや同盟に対する懐疑的な立場をとりましたが、同時に外交面では現実的なアプローチも取りました。トランプ氏も「アメリカ第一主義」を掲げていますが、その外交政策は必ずしも一貫性があるとはいえません。トランプ氏は同盟関係を揺さぶりながらも、アメリカの国益にかなう場合には取引を優先していたため、ド・ゴール主義と完全に一致しているとは言い難いです。
トランプ氏がケインズ経済学や他の経済理論を深く理解しているとする見方は、必ずしも証明されていません。トランプの経済政策は「ビジネスマンとしての直感」による面が強く、理論的な一貫性を欠くことが多いです。また、彼の支持者たちが経済政策の理論を理解して投票しているかどうかも疑問が残ります。
5. 「反トランプ派がトランプの政策理解を欠いている」とする指摘の偏り
反トランプ派に対して「トランプの政策を理解していない」という批判は、偏りのある見方です。反トランプ派の中にも、政策の効果や経済理論に基づいた批判を行っている人々が多くいます。政治的な意見が分かれる中で、一方を「理解が浅い」と決めつけるのは公平さを欠くといえます。
まとめ
この意見は、トランプの政策や支持者の動機について興味深い視点を提供していますが、トランプを「ケインジアン」「ゴーリスト」と断言するのは単純化が過ぎる点があります。トランプの政策は、一貫した経済理論に基づいているというよりも、選挙戦術やビジネスマンとしての感覚が反映されている部分が大きく、経済学的な視点だけで彼を理解するのは難しいでしょう。
「ふつうの軽音部」の高校のモデルはどこなのだろうか。ルーキー版とジャンプラ版で設定が異なることもあり、明確な答えは出ないことはわかっているけれど、ちょっと考えてみようと思う。以下、とくに明示しなければジャンプラ版の話です。
まず、谷九高校という架空の高校が舞台になっているけれど、地理的な面から考えると候補に挙がるのは高津(こうづ)高校だ。谷九交差点から徒歩16分とやや距離はあるが、それでも府立高としては最短距離にある。私服校なのでその点はややイメージが違うが、校則なし、軽音部が人気で部員数100人を超えるといった点は雰囲気に合う。ただ、問題はまあまあな進学校であるという点で、毎年京大10名、阪大・神大30名ずつという進学成績、入学時点では基本国公立をめざすというレベルなのである。彩目が進学を考えていなかったり、ヨンスが国公立狙うという理由で部活をやめるというエピソードとちょっと合致しない。バイトをする生徒がほとんどいないのも、イメージとずれる。
谷九からもうすこし範囲を広げて、夕陽丘高校はどうだろうか。進学レベルや学生の雰囲気はなんとなく合うところもあるが、普通科だけでなく音楽科がある高校という特徴がじゃまをする。北方向に範囲を広げて清水谷高校というのも「ふつう」っぽさではありだが、これはもう谷九じゃなくて谷六高校だろう。これまでのストーリーで大きな役割を果たした長居公園から離れていくのもマイナス要素である。
そう、ストーリー展開から考えると、長居公園から離れすぎてはいけないのだ。そちら方面で候補を考えると、住吉、東住吉、阿倍野、今宮あたりが浮かんでくる(天王寺は高津の上を行く進学校なので除外)。東住吉は普通科以外の存在感が大きすぎ、阿倍野は国公立進学に現実味がないのでちょっと違うだろう。
そうなると住吉と今宮に絞り込まれるわけだが、ここでルーキー版の最初の方、新歓ライブの場面が生きてくる。軽音部員が着ているTシャツに描かれているのはTEN-CHA K-ON CLUB、つまりもともと地理的には天下茶屋周辺の高校をモデルにしていたと思われる。なぜジャンプラ版で谷九にしたのかはわからないが。
今宮と住吉のどちらかというと、やや住吉の目が強い気がする。今宮は昔はともかく現在では国公立を狙える高校ではなくなりつつあるし、なにしろ町田町蔵の出身校、ふつうの軽音部というにはストーリーを背負いすぎている。住吉なら、上位は国公立を狙い、ボリュームゾーンは関大〜近大、進学しない子も少数いて、バイトやってる子も珍しくないという「ふつう」っぽさがあるのだ。
ちなみにレイハさんの通う七道高校は見当がつかない。天王寺か三国丘かと思うけど、どちらも七道駅からは遠いし、鳩っちと水尾が住吉であるなら中学は大阪市内と想像され、すると天王寺の線が強いと思うけど、わざわざ七道なんてマイナーな実在の地名を付けた意図はよくわからない。
ここまで考えてきて、大阪で「ふつう」の府立高を探すことは今やわりと難しいのだなと思った。文理学科をもつ進学校10校とそれ以外の距離がありすぎて、大阪の「ふつう」の高校生は無償化以降、私立の方に多いのかもしれない。
私は2000年台、まだSNSができる前、小谷野敦が「モテない男」を出版し、本田透が「電波男」で二次元嫁の存在を説き、ネットで喪男、喪女という単語ができたときから、今でいう「非モテ」と「弱者男性」に関する議論を見てきた。
そこで共通していたのは、モテないやつを「悪い奴じゃないんだけど、なんかコミュニケーションが苦手だったりブサイクだったりしてモテない、かわいそうな奴」のように捉えていたことだ。
別に特段いい奴というわけではないが、決して悪人ではなく、でもなんか外見なり様子なりどこかしら気持ち悪いからモテないみたいなの。
2chの喪男板とか、モテないどころか友達すらいない奴も多かったと思う。
多分、今ならアスペルガーとかASDとかの文脈の方で回収されている層が「モテない」というカテゴリに入れられていた。
つまり「かわいそうなヤツ」だったわけだ。
それは現在、男が(特に同類の男が)弱者男性について語るときも、そんなに変わっていないと思う。視覚化するとしたら、ちょいブサイクな男が暗い部屋の中で一人で動画見てゲームしてるような情景が非モテという単語からは思い浮かぶ。
その後、非モテ論ははてなで盛り上がったりして、今では「弱者男性」論が盛んだが、一つだけ大きな違いは「女が男の非モテについて語りだした」こと。
昔だって上野千鶴子が宮台真司との対談でそういう男は「ギャルゲーしながら死んでくれればいい」とか言ったとかあったが、やはり同性の、斬れば血の出る問題だけに異性が下手な言及は避けていたのだと思う。男の非モテは男が語るのが定番だったと思う。
ところが、女がこの問題に口を突っ込むようになって、「弱者男性論」になった今ではそれは普通になったが、彼女らの書く文章を読んでいるとどうしても違和感があるのだ。なんか根本的に違うものを見ているような、こっちはタヌキについて語ってるのにキツネに関する文章を読まされているような、妙なズレた感じが消えなかった。
どこでそれが生じているかに気づいたので書く、
女は「モテない奴」を「悪い奴」だと思っていること。もっと言うと「過去に自分に迷惑をかけたアイツみたいな奴」へのレッテルとして「非モテ」とか「弱者男性」という単語を使っていることだ。
女「過去に付き合ったことのある非モテにひどい目に合わされた!やっぱり非モテはダメ」とか言い出す女を何度見たことか知らない。
こっちの感覚としては、付き合ってる時点で非モテではない。データ上でも童貞30歳なんて珍しくもない時代である。そいつは「モテている」奴である。
女「マッチングアプリで出会った弱者男性がとんでもなく粗暴でした。やっぱり弱者男性は人間性も終わってますね」
それは弱者男性じゃないだろう、としか思わない。どちらかというとDQNとか言うのでは?
どうも女は自分に嫌な思いをさせたアイツはモテない奴だと思いたがる習性があるようであり、モテる奴に迷惑をかけられたと考えることは耐えられないみたいなのである。
で、「その時のそいつ」が心象内の「非モテ」のモデルになっていき、そいつに向かっていいたいことを世にいる「非モテ」とか「弱者男性」にぶつけるわけである。
だからこっちが「なんかかわいそうなヤツ」だと思っている非モテ像とまるで合致しない。話のズレの正体はここにあった。
それだけの記事なので、だからなんだと言われたら困るが別に「モテない」というのは単に性的魅力が足りてないというだけのことなんだから、あんまり否定的な意味を付け足すのは良くないと思う。
これって、セックスは承認欲求だという話と、レスの話が一緒になっているよね。地続きではあるんだけど。承認欲求ではなく、レスの話。
“ただ、気分が乗らないとかいうのを「性欲=加害」だから応えないのが女性の正統な権利みたいな振る舞いするの本当に酷いと思うんだわ。”
“気分が乗らない”でセックスを断るのは男女ともにあるし、“女性の正統な権利”というより、「人としての権利」ではあると思う。セックスは双方が「したい」と思って初めてできることで、一方がしたくないのに、もう一方のしたい意志だけ尊重されたら結果的に加害にはなってしまう。それがパートナーであっても、相手に対して無理矢理セックスすることはできない。パートナーというのは、いつでもセックスする権利を得られるわけではないし、お互いの意志が合致して初めてセックスができる。性欲を悪と言っているのではなく、相手が望んでいないのに、自分の意志を押し通すのは良くないという話。ただ、これしたくない側も自分の意志だけ通されてしまうのではなるけど、ことセックスに関してはしたくないのにする側の精神的・身体的負担が大きいというのもあると思う。
セックスだけではなく“褒めて欲しいとかハグして欲しいとかキスして欲しい”というのも一方が求めていて、もう一方が求めていなければ成立しない。セックスだけじゃない。自分が「したい」という権利も、それに対して「したくない」という権利もあるし、双方が合致しないと成立しないことに関しては「したくない」が尊重される。
とはいえ、セックスレスが離婚事由になる場合もあるし、パートナーとしてはセックスをするのが関係を継続するためには必要なことではある。(それぞれのカップル・夫婦にもよるけど)セックスを「したい」という権利も、「したくない」という権利もあり、それぞれ尊重されるべき。セックスにおいては、身体的にも精神的にも負担が大きいから、「したい」「したくない」がぶつかると、「したくない」意志が尊重される。でも、だからといってレスる側がレスられ側に対して悪く言って(「性欲=加害」とか、パートナーの加齢が受け付けられなくなったとか)、「レスられ側が悪い」とするのもそれはそれで相手のことを尊重できていない。
“改善策を夫婦で検討するか、カウンセリング受けるかしてほしいよ。”
これは増田という通りだと思う。レスる側が悪いわけでも、レスられる側が悪いわけでもないし、どうしようもないことでもある。だけど、セックスがパートナー間のコミュニケーションのひとつだとするなら、コミュニケーションがひとつなくなってしまうわけで。二人で一緒に何かすることがないとか、会話がないとかいうコミュニケーションと同じで、すれ違う原因になる。だから、お互いに向き合ったらいい…とは思うんだけど、じゃあなんでしないのかっていうと、積み重ねだと思うんだよね。セックスでも、セックス以外でも、お互いがお互いを尊重したコミュニケーションを育めていたら、いざレス問題になったときもお互いを尊重するためにコミュニケーションが取れる可能性が高い。一日でレスになったわけではなく、レスになるのも積み重ねで、そこに向き合えるかどうかもそこまでの関係性の積み重ねの結果なんだと思う。
あと、“本心では、承認欲求だってのをわかってるだろうに。”っていうのも、ごめん、わかっていないと思う。わかっているのに断って、断る理由をレスられ側になすりつけている、って見えているかもしれないけどそんなことないと思う。
「セックスをしたい正当な理由があるのに断られる」と感じると、“ただ、気分が乗らない”だけでセックスしたくないんだろうと思うのかもしれないけど、それも違うと思う。レスる側には自分に理由があるかもしれないし、相手に理由があるかもしれない。自分側の理由というのは、たとえば自分の加齢が受け入れられないとか、持続しない(勃たない、中折れする)とか、痛みを感じるとか精神的・身体的な理由。あとは一緒にいる時間が長かったり、子供ができたりして「家族としてしか見られない」「性欲が湧かない」という理由。そして、相手に理由があるというのは、相手の加齢が受け入れられないとか(“身体が垂れてきたおばちゃんだから”は関係ないというのはすごく愛で素敵だと思うけど、これが理由で断る人全然いるよね)、相手に対しての不満がたまっているとか。今日断ったとしても、今日に理由があるわけではないんだよね。積み重ね。
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/c52ced8f4544aef7106d821dc21046ef27c6e454
共産党支持者と立憲支持者はあんまり変わらないし(どちらも20%前後)、
熱心に拡散していた5アカウントのうち3アカウントは立憲民主党フォロワーということなので、少なくもないんじゃない?
注目すべきは拡散力の高い5アカウント(インフルエンサー的なアカウント)よりも、「そのフォロワー」の活動で、
所感だけど、AI許せないってなってる人って自分の範囲のものに対して異様に繊細な人とか、行き過ぎて自己中みたいな振る舞いをする絵師が多い印象。頼んでも納品される確率低かったり突如噛みついてブロックしてきたりもするし、描いてくれるって信用を求めるなら結果的に頼めなくなっていくんじゃないか? 本心から思想信条で病んでるか、サボりたいからキレてるフリしてるかなんて判らんもの
例えば個人の話で、運よく本当に欲しいものに合致しているのが売ってたら、珍しいことだろうけどそれは買えるでしょ。需要と供給がマッチした状態で、思想や気分や思い込みで勝手に蹴られないフィールドの話になるもの
そもそもの話として、ソシャゲって「物語として高いレベルのクオリティを目指す意味」なんてものあるの?
自分はゲーマーなんだけど、ソシャゲが「ゲーム」であると思ったことが過去に一度もない。優れた暇つぶしではあると思うけれど、その暇つぶしがゲームである必要、ある?ないっしょ。ラノベである意味もアニメである意味も小説である意味も、おそらくない。ソシャゲって劣化ラノベと劣化マンガと劣化ゲーム?の間の子で脳死で時間潰せれば良いもので、実際需要としてもそう言う需要に合致して消費されてるんじゃないのかな。ユーザーの多くはそこまで本気の何かを求めてないよ。
マンガでも小説でもゲームでもアニメでもなんでもそうだけど、本気で気合の入った、そのメディアの粋みたいな作品って需要にも咀嚼にもそれなりに負荷とかカロリーかかるものだよ。ソシャゲが本気でそう言うクオリティのナニカをめざしたら、仕事帰りの気力マイナスで電車の中でポチポチとか、できなくなっちゃう。
ソシャゲのシナリオの価値って、ユーザーの暇つぶしを妨げない、「クオリティの低さに苛つかない」くらいがちょうどいいと思う。んでもって昨今言うところの「シナリオが良い」ってのは、言葉通りの「良い」ではなくて、やっと「クオリティ低すぎて苛つく」「ユーザー舐めてるような取ってつけ素人仕事」じゃなくなった、足を引っ張らなくなった、ってだけの話だと思うよ。
あなたが思い出そうとしている兵法の話は、古代の兵法書や思想書、または権力や支配に関する教訓的な作品に見られるものです。具体的な出典は不明ですが、いくつかの候補があります。
まず、思想の内容としては「相手に恩恵を与えて依存させ、それを操作することで支配する」という概念が含まれており、この種の考え方は中国の古典思想や戦略書に見られます。以下が主な候補です。
1. 『孫子』
中国の古典兵法書である『孫子』には、相手の心理や状況を巧みに操ることで戦いを有利に進める方法が書かれています。具体的な記述は異なるかもしれませんが、「まずは相手に有利な状況を作り、後にそれを利用して支配する」という戦略に通じる部分があります。
2. 『韓非子』
韓非子は法家思想を代表する書物で、権力や支配に関する厳格な方法論が多く記されています。彼の思想には、支配者が相手を巧みに操り、依存させることで支配を強化するという観点が含まれている場合があります。「施しによる支配」という概念も、韓非子の実用的で冷徹な政治論理に合致します。
少し後の時代の西洋の思想書ですが、マキャヴェリの『君主論』でも「支配者が民衆や他国に対して恩恵を与え、その後恩恵を取り上げることで支配を維持する」という考えが見られます。このような心理的なコントロールは、古代中国の兵法にも通じる部分があります。
これらの書物には、あなたが思い出そうとしている内容に似た支配の方法論が含まれていますが、具体的な「麦や水」などの事例があるかは不明です。
もし孔子や老子の思想からそのようなものを探すとすれば、『論語』や『老子』には倫理的な教えが多く見られ、直接的な支配の方法論は少ないかもしれませんが、間接的な統治の手法に関するヒントがあるかもしれません。
最終的には、古代の兵法書や政治哲学書に関連するテーマとして「恩恵と依存を利用した支配」という構造は多くの思想に共通するものであり、そのような考えが古代から続いていることは確かです。
同世代です。
「選挙前に掲げた理想を本当に実現しようと動いてくれる人たちなのか、どう信用すればいいのか」
私はそこまで考えていません。考えているのは次のようなことです。
①一つの政党が常に政権を取り続けるのは、別の意見が反映されにくかったり国会の緊張感が保てなかったりするから、民主主義社会にとって健全じゃないと私は考えています。なので最大多数の党以外の党がパワーを強められるような投票行動をしています。
②国政政党の特徴はおおむね把握しています。自分の問題意識と合致しそうな特徴を持つ政党に所属する候補者に投票しています。私は、少数派の意見を国会に積極的に取り入れてほしいという思いがあるので、そういう特徴を持つと思う政党に所属する候補者に投票しようと考えています。
③ここまでである程度投票先を絞れたので、あとは候補者がトンデモじゃないかを一応チェックします。Twitterで発言を、Wikipediaで過去の不祥事あたりを見ます。たとえば陰謀論者や反科学的思想の人が国会に来るのはちょっと嫌だなと思うので。
そんな感じで決めています!票を投じたやつが本当に公約を実現するかというより、「こういうイデオロギーの人ならこういう行動はしないだろう/こういうことには比較的力を入れてくれるだろう」程度のことです。もしそいつがくそだったら次の選挙で落とすための投票行動をすればよいだけで、まずは主権者として気軽に参加してみてくださいね。
「自民党がダメだから野党へ」という考え方は、政党の政策や実績に対して不満を抱いた際に、他の選択肢として野党を支持するという民主主義の基本的なプロセスです。これは、選択肢を変えることによって政治的な変化を求めるという正当な行動です。これを「謎理論」として一蹴することは、不満を持つ有権者の政治参加を否定しているとも解釈できます。
「自民党支持者を取り込むことは簡単だ」と主張していますが、実際には政治的な立場や支持する政党に対する信頼は、一度失われると再び取り戻すのが難しい場合もあります。過去に民主党に投票していた有権者が自民党にシフトしたとしても、今後その逆が容易に起こるとは限りません。また、無党派層を取り込むことが難しいとする根拠も不明です。むしろ、無党派層は浮動票と呼ばれることが多く、選挙の結果に大きな影響を与えることがあるため、戦略的には重視されるべき層です。
この意見では、野党支持者が「民主党政権時代には野党に入れようと言ってなかった」として一貫性がないと批判しています。しかし、時代や政治状況に応じて支持する政党を変えるのは、選挙の本質に合致しています。有権者はその時々の政策や状況に基づいて判断するため、一貫して同じ政党を支持することが必ずしも求められるわけではありません。
4. 「ミラーリング」の不十分さ
この意見では、アンチ自民党の人たちが自民党支持者の視点を理解していないとしていますが、これは一方的な見方です。逆に自民党支持者側も、野党支持者の立場を理解しようとしていない可能性があります。民主主義の議論では、異なる視点を相互に尊重し、建設的な対話を通じて理解を深めることが重要です。
この意見は、自民党支持者と野党支持者の双方に対する偏った見方を含んでおり、選挙における多様な意見や有権者の行動の自由を軽視しています。また、選挙結果に基づく社会の現状分析が不十分であり、野党支持者が一貫性を欠いているとする批判も根拠に乏しいです。
私には宗教的素養はまるで無いが、しかし選択的夫婦別姓が血統主義への回帰であることにリベラルがまるで無自覚なのもどうかと思う。進歩に見えるその内実が懐古であることに。
↓
この意見にはいくつかの問題点や矛盾点が存在します。選択的夫婦別姓を「血統主義への回帰」とする見方は、論理的に矛盾している可能性があるからです。以下に具体的な問題点を示します。
選択的夫婦別姓は、夫婦が結婚後もそれぞれの姓を維持する権利を認める制度です。これにより、個人のアイデンティティの尊重や、特に仕事上の姓の変更による混乱の回避が目的です。したがって、この制度はむしろ個人の自由を尊重し、伝統的な姓の継承に縛られない方向に進むものと理解されています。
「血統主義」とは、特定の血筋や家系を重視する考え方を指します。選択的夫婦別姓を「血統主義」と結びつけるのは、姓を通じて血統を守るという考え方に基づくかもしれませんが、実際には選択的夫婦別姓はそうした特定の家系や血統に依存しないというのが基本的な理念です。
• 夫婦別姓の導入は、血統主義を強調するわけではなく、むしろ多様な家族の形を認めるものとされています。そのため、家族や個人の選択を尊重し、姓の変更を強制しない制度は、血統に依存した価値観の反対方向に進むとも解釈できます。
選択的夫婦別姓を支持するリベラルな立場は、一般的に進歩的な価値観に基づいており、ジェンダー平等や個人の選択の自由を重視します。意見の中で述べられている「懐古」という指摘は、制度そのものが伝統に回帰することを意味していますが、選択的夫婦別姓は実際には従来の性別役割や伝統的な家族観を見直す方向性を持っているため、懐古的な要素を含むとは考えにくいです。
選択的夫婦別姓はすでに多くの国で実施されていますが、血統主義や伝統的な家族構成を維持するための制度ではなく、むしろ個人の自由やジェンダー平等の観点から導入されるケースがほとんどです。このため、選択的夫婦別姓を懐古主義とみなす視点は、現実の動向と合致しない可能性があります。
この意見は、選択的夫婦別姓を血統主義と結びつける点で誤解を含んでいる可能性があり、リベラルが「懐古」に無自覚であるとの指摘も事実に基づいていないと思われます。選択的夫婦別姓はむしろジェンダー平等や個人の自由を促進するための制度として広く支持されているため、懐古的という評価は適切ではありません。
いや、こういうアンケートは確かにあるけどさ。もっと中身の話や本人の具体的な考えを知りたいのと、ちゃんと批判的に分析して欲しい。
例えば個人の話をするなら、その人が選択的夫婦別姓に賛成だったとして、その方針と党の方針は合致しているのかとか、党内での影響力とか、同じ選挙区の他の候補者とどういう議論をしているかとか、演説で具体的にどんなふうに触れているのかとか、これまでの実績とかをなかなか調べられないなと。党の場合だと、「○○に賛成」だけでなく、過去の方針との整合性とか、具体的にどんな法案を考えていて他の党とどういった調整が見込まれるかとか、そういうのに詳しくないから、専門家の話とかを記事にして欲しいんだよね。