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はてなキーワード: 存在意義とは

2017-07-23

今の学校教育での美術音楽・体育の存在意義って何?

出来る人間は退屈な時間を過ごし、出来ない人間苦痛時間を過ごすだけの無駄時間

教えるべきことはいくらでもあるんだから時間無駄にしてちゃいかん。

ただのルーチンワークなやっつけ実技をさせてる暇なんて本来は無いはずなのに何故か教えるべきことの半分も教えてない。

宗教芸術関係性や技法発明された順番を語れる日本人ってどれぐらいいます

キースケールコードを正しく把握してる日本人って何人いるんでしょうかね?

筋トレの正しいやり方を社会人になってから身につけた人って何割なんでしょうかね?

試しに手を動かすのはたしか大事ですよ。

ですが、今やっている事が何を学ぶための行為なのかを把握して無ければ折角手を動かしても全然身についてくれません。

それじゃ教育として不完全なんですよ。

その事をもっと知ってもらいたい。

文部科学省のお役人さん達に。

最終的には前線教員理解してもらう必要があるのですが、上が理解してくれないと下が理解しても枠に嵌められて元の木阿弥になるだけですので。

2017-07-15

夕方ラッシュ時、東海道線下りに乗ってみた

東海道線通勤ラッシュ体験たかったので品川から平塚まで乗車

品川…混んでる。

川崎神奈川に入った。乗客が大量に入れ替わり。品川と変わらず混んでいる。

横浜乗客がそこそこ降りた。ちょっと遠くまで来た印象。混んでる

戸塚横浜から結構時間かかる。ここでもまだ混む。

大船乗客の入れ替わりがそこそこある。まだ座れない…。腰が痛い。

藤沢…かなり遠くまで来た。品川からここまで下っても乗客の入れ替わりが結構ある。座らせろ…。

辻堂…座らせ(以下略

茅ヶ崎…ようやく座れた。自分は座れたが、乗客入れ替わって発車した時には座席空いてなかった。

平塚…降りる。ここでも発車時に座席は埋まっていたように思う。

感想としては

2017-07-09

https://anond.hatelabo.jp/20170709232330

まあ、そうですよね……。

これからテレビだけじゃなくてインターネットを通して受信料を取り立てようとしているぐらいですから

しかNHK存在意義である公共放送」というものに焦点を合わせると、

果たしてドラマだのが「公共」のために必要ものなのか、という点はかなり怪しいんですよね。

何とかして欲しいところです。

2017-06-29

嫁のお小言

なんだろう?

給料安い時は働くことの理解あるのに

ある程度年収上がると「金じゃねぇ」とか面倒くさいお題で困らせるのは、

結局

お金あって余裕あって、暇もあって、余計なこと考えすぎてるだけだろ?

こっちは仕事必死だっつうの!

年収維持するとかでなく今の立場で誠実に仕事がんばる為に!

でもコレやらなきゃ会社での存在意義無いし、

黙って辛いことととか我慢して家に給料運んでも知らん顔

そのくせ「自分のことや子供の事はわかってくれない」とか

それも家計に余裕があるからそんなこと言えるんだぜ!って言えない自分

はぁぁぁーーーー

2017-06-21

テロ等準備罪

まり、この法案を整備しないとパレルモ条約が締結出来ない。

その上、FATFからマネロンテロ資金対策が不十分と見なされて「ハイリスク国」に指定されてしまう。

そうなると国際金融活動に支障 が生じたり、日本企業などの対外 決済に遅延が発生したりする可能性があるという事。

またパレルモ条約が締結出来ない場合

テロ情報を共有出来ない国となるため、テロ組織活動やすくなる。

日本テロ集団拠点にされやすくなる。

こう言う事でしょう?

本来なら民主党政権から着手していないといけなかった法案なのに

放置されてきた為、FATF会合日本だけ名指しで非難され、

慌てて安倍政権で整備した。

それでも反対していた野党って・・・・・

何を目指しているのか。

そしてこの経緯を全く報道しないメディアは、もはや存在意義がない

2017-06-19

https://anond.hatelabo.jp/20170619104209

かぐや姫の物語レッドタートルを「やーいジブリのくせにコケコケた」とメディアがはやし立てたりしたのもそういう世間意識によるところがありそう。

映画祭って商業要素の少ない鑑賞会っていう役割ビジネスとしての見本市っていう役割が表裏一体になってるけど、

鑑賞会で褒めてもらったっていうのをビジネス的なセールスポイントにするっていうことに違和感が出てきてるのかもね。

審査員は娯楽作の売り込みをしようと思ってるわけじゃなくて良いと思ったもの推挙してるだけだし。(いろいろあるのかもしれないけど建前ではね)

映画批評がちゃんと機能してれば日本でも他人の推薦するものを見に行くスタイルができてたのかもしれないけど、

批評家が信頼されてないから、なんとなくすごい賞とったか野次馬根性でみんな見に来いみたいなプロモーションなっちゃうんじゃないだろうか。

世界三大ファンタスティック映画祭存在意義をわかってくれる人とか今の日本でそんないないのかもしれない。

2017-06-18

野球チアリーディングやってる女子撮ったらいけないらしいけど

あれの存在意義って何なの?

撮っちゃだめだけど視姦してってこと?

2017-06-17

最近鉄道おじについて

車社会派による鉄道いじめっていうけど鉄道民がいじめいじめってわめき散らしてるだけで、嫌われているし貧しい奴ばっかでいじめられても仕方ないのは事実だろ。

車・バイク叩きばかりで鉄道存在意義を唱える反論は少ないし。

ただ、鉄道おじさんこと高山直人(greatchina2)が滑稽なのは自分矛盾したこと平気で言う上に

地元横浜川崎がその忌み嫌う車・バイクスポットで、高山直人自身元ヤン(しか小中学生時代経験)なことだ

しか日本鉄道欧米基準では完全な商売施設だと外国人間すら言ってたよ。

という事をこいつに聞かせると発狂必至。

それに高山直人はもう鉄道好きですらなくなって

完全な乗り物オタクミーハーのかけらすらない

奴の行動パターン2014年よりも激変している。

なのであとは自然消滅を待つだけ

趣味黒歴史ですら道具でしかなかったのか。鉄道好きのリア充にgreatchina2こそ逆張りした馬鹿って言われて発狂する様子も見てみたかったが、まあ鉄道自動車も使った実体からするとどちらももつながった一つの世界世界観なんて意味ないし、鉄道独自文化圏というよりは時代遅れの寄せ集めみたいな感じだと思った。

バイク嫌いの正体はバイク乗り

鉄道好きの正体は落ちこぼれ

自称元ヤンの正体は軽度障碍者

愛国心つぶしの正体は元ガイジン

アウトロー趣味の正体はキモヲタ

学歴煽りの正体は高学歴

左翼煽りの正体は左翼

ネトウヨの正体は非国民

>たった1人でこれだけの事実証明した模様

2017-06-16

スマホの普及でカメラオワコンなのか

個人の願望を多分に含むが、答えはノーと言いたい。

まずはフルサイズ*焦点距離50mm*f1.2写真を見て欲しい。

http://ganref.jp/photo_searches/result?keyword=50mm+f1.2&parent_category=&category=&term_pattern=&ganref_point=100

これをファインダー越しで見たときに、世界はえらく綺麗に見えた。そして呪いに掛かった瞬間でもあった。

果ては物理的なプリントに終わらず、デジタル二刀流リバーサルフィルムを年間何10本と消費するウンコ製造機が生まれることとなった。

勿論後悔はしていない。そしてまだ存在意義があるこの呪いに、少しでも多くの人が掛かってしまえば良いと思っている。

デジカメ撮像素子センサーサイズ由来の画質の違い

フィルムに相当するセンサーサイズである

面積が大きいほど、光学的な情報量が増えるため、

故に画質や、光の少ない暗所での性能を決める要素のひとつとなる。

スマホで主流なのは対角線1/3inchのものであり、

スマホ写真との質の違いが体感やすくなる1inch以上のもの

デジカメ市場では今後主流となると考えられる。(3万円後半〜)

1inchを超えると固有名詞、タテヨコ寸法でセンサーサイズを表す通例となる。



Bokehの強さ

ピントが合わないボケている部分のことで、写真に立体感を与える。

撮像素子サイズが大きく、焦点距離あたりのレンズ口径が大きい(低F値)ほど、

ピントの合う範囲が狭くなり、ボケが強くなる。この点は現時点ではデジタル補正/加工で再現しきれない。

スマホカメラ被写界深度が浅い(ボケない範囲が多い)。

全体にピントを合わすパンフォーカス撮影の際には利点になるのだが、

フルサイズセンサーカメラで絞り込み、パンフォーカス設定にすることもできる。

この「大は小兼ね」モードだと絞り込む分、ISO感度を上げることになるが(シャッタースピードは変えないとして)、

センサーサイズが元より大きいため、スマホカメラとイーブン以上の質になる。

被写界深度F値まわりの詳細は図解が必要なので割愛する。

その他

その他機械シャッター光学モジュール由来のオートフォーカス

RAW現像ネガフィルムの自前現像ポジフィルム鑑賞など、語り尽くせない面白みがある。

最後に、スマホカメラ否定している訳ではないことは伝えたい。

30年前のインスタントカメラ時代以上に1億人総写真家なのはポジティブではなかろうか。

その分カメラ業界にも商機はあると思っているので、今後を楽しみにしている。

2017-06-15

そのとおり

そして犯罪者犯罪自覚有無に関わらずやるんだわ

「重大な犯罪である、 と言う認識」は犯罪を防ぐ側にこそ存在意義があるもので、

犯罪を犯す側にそれを求めてもしゃーない

https://anond.hatelabo.jp/20170615193550

エロゲが衰退した≒アニメゲームが復活した

かつて世界にはメインとなるカルチャーがあった。

強力な力を持つ存在がいた。

だが、彼らはある時期その力を失っていた。

富士見の興廃などはその省庁である

そうして世界が暗黒に落ちかけた時代を照らしたのが、サブカルチャーである

太陽の沈んだ世界に輝く月の如く、闇夜に瞬く星界の如くサブカルチャーは栄えた。

しかし、再び太陽は昇り、サブカルチャー存在は儚く霞んでいくのであった。

太陽が昇れば消えてしまったサブカルチャー、彼らの存在意義とは何だったのか

私は、「バトン」だったのだと考える。

太陽存在しない時代を支え、次の太陽までを繋ぐ、それが彼らの役割だったのだ。

サブカルチャーとは結局のところはサブのカルチャー、光溢れる世界では再び地下に戻るが道理

闇の中で煌めいた彼らの光を心に残し、地底へと戻る彼らを見送るのが我々の成すべきことなのではないだろうか。

2017-06-14

http://anond.hatelabo.jp/20170614014937

うるせえな

から一生お客様神様だと思い続けて牛丼屋に通って死ね

献血ルームに近づくな サービス業じゃねえっつってんだろ怠慢だの何だの

コンビニ牛丼屋に一生通って死ね

血が足りなくて死ね

お前みたいな貢献もしたことないし今後もしないのに文句ばかり垂れるクソ野郎

一生文句ばっか言って透析になっても白血病になっても誰からも助けられずに死ね

まぁお前みたいなクソオブクソも日本保健医制度は助けてるんだけどな

お前みたいに人様に感謝もできず、外に出ずに指先で文句だけ垂れてる人間になんの存在意義があるんだ?献血っていう一番身近で一番手軽な人助けすらせずにお前は何をしてるわけ?

2017-06-03

つけ麺存在意義がわからない

つけ麺って、ラーメンみたいな麺をラーメンみたいなスープ(タレ)につけて食うじゃん。

ラーメンで良くね?

つけ麺の有名な店で食うと確かに美味いけど、「これがラーメンだったらもっと美味いのでは」という疑問は拭えない。

かけそば」と「ざるそば」にそれぞれの良さがあるのはわかるが、つけ麺ならではの良さって何?

2017-05-31

NumLockいらない子

NumLockは絶対キーボード必要ない。

存在意義わからんし、一度も使ったことはない。

からとにかく邪魔邪魔で仕方がない。

ふとネットでNumLockについて調べたら知恵袋にこんな質問があった。

https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1041035360

ecozou2006というユーザー

>世の中の人が、すべて、あなたと同じ使い方をしているとは限りませんので、必要キーです。

自分が使わないからと言って、「不要だ」と決めつけるのは、暴論。

ならば、

世の中の人が、すべて、あなたと同じ使い方をしているとは限りませんので、不要キーです。

自分が使わないからと言って、「必要だ」と決めつけるのは、暴論。

と言わさせていただこう。

彼は自分意見絶対の自信を持っておられるようだ。しかし、彼の意見もまた暴論であるようにも思える。

どう考えても必要じゃないよね…(^^;)

万が一必要でもあの場所キーがあることはいじめとしか思えない。

ところで、知恵袋って正直便利だけど、アレな側面もあるし、何より質問が終了したらもう何もできない仕様意味不明

意味不明な回答があると、質問解決したことにされるのは謎だわ。

なんとかなんねぇかな。

追記:

トラックバック気持ち悪~い

誰がなんと言おうともNumLockはほんといらない子

しかラップトップからどうしようもないし…ラップトップは屑だね

ところでさぁ、DELLの激安パソコン君使ってんだけどさぁ…Enterキー細すぎ

狭いスペースに無理やりテンキーぶち込んでやるぜ~だからEntere君が激死してるんだよなぁ…

無能が開発してるし、NumLockが必要だなんていう屑人間がいるせいでみんなが迷惑してるんだよなぁ~

悔い改めて、どうぞ

2017-05-29

http://anond.hatelabo.jp/20170529114454

1.このまま投票率が下がり続けると組織票があったとしても最低投票率を下回るのが現状

投票が成立しない=政治が成立しなくなる=政治家仕事がなくなる

そうなると組織票自体意味が無くなる=金をもらえなくなる

また政治に無関心な層を今のうちに教育しとかないと老人すら選挙いかない社会になる

そうすると今支えてくれている老人の支持母体のもの消失する

これは与党野党関係ない

先にもいったとおり野党は勝つつもりはまるでない

全力で与党金魚のフンをしてるだけ

 

2.実行力を伴わない対案は空論

唯一実行力のある野党であった公明党が既にいない以上、ただの道化

今の野党が実行力があると信じているのはごく一部のキチガイ

実際は与党野党の中身のない対立を煽って野党存在意義があると信じ込ませるサクラばかり

 

日本統治国家の体裁海外からみて保つためにも投票率が低下して政治機能停止になることを

企業連は望んでいない

からごみでもくずでも投票いかせようとする

政治自体自然な形で機能停止にすることが無能政治家が甘い汁を吸えなくなる最悪のパターン

2017-05-23

[]鳥野しの「麦の惑星」2巻まで

舞台現代東京の片隅、山がある田舎

ある日、隕石が落ちてくる

それは実は不時着した宇宙船で、それに乗ってた子がいた

ひょんなことから山の頂上にあるパン屋で救助がくるまで暮らすことになる

パン屋をひとりできりもりする青年宇宙人の子、それらを取り巻く人間関係が描かれる

地味だけど普通に面白い

地味だけど(2回目

自分が求めてたものがそのまま変なひねりをきかせずに提供されるってすごい安心感

これが宇宙人バトルとか宇宙人ってのがフィーチャーされすぎちゃうと、俺が見たかったのはそっちじゃなかったのにってなるところだったか

でも逆に言うと宇宙人の子存在意義いまいち少ない気がするから、今後どれくらいからめてくるのかが注目どころかなあ

そのバランスも今のところいい感じだと思う

宇宙人感覚人間感覚を再発見するってのも地味だけど好き

2017-05-20

ジャニーズ存在意義

  • 歌も上手くないし、
  • 演技も下手だし、
  • 笑いを取れるわけでもないし、
  • 教養がある訳でもない、
  • コメント凡庸

隣人感が良さというのであれば、もっと俺もモテてもいいハズ。

日本の文化水準の低下の原因はジャニーズに一端があると思う。

俺は欧米に行くよ。こんな国はもう…。

2017-05-19

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

AI市場が縮小している

またもAI市場が縮小しそうだ。

数ヶ月前までAIビジネス企画は売り手市場で、フィジビリティコンプラも怪しい案件でも容易に資金調達出来ていたが、ここ最近は急激に厳しくなった。

AI化によってもたらされる結果が「低賃金作業者の撲滅」ではなく、医師弁護士裁判官などの専門性の高い人達や、経営者投資家と言った「資金を出す側」の仕事を奪うことが言われ始めたからだ。

経営者投資家も、さすがに自分達の存在意義を失わせる技術進歩に金を出すほどバカではない。また高収入専門職人達失業させたら、経済が一気に縮小してしまう。それは今の政権方針には合わない。

また10年はAI技術は停滞しそうだ。

2017-05-16

結婚ていう制度存在意義理解できなかった

ガキの頃から結婚ってものがなんであるのかさっぱりわからんかった

面倒なこと増えるし、得なこともほとんどないし

ずっと一緒に暮らしててなんか我慢できなくなることとかあるでしょ?そういうときにぱっと離れられないんだよ?身軽な方がお互いに生きやすいのになんでわざわざ拘束すんの?

当然自分絶対結婚なんてしないと思ってた

ところが八年付き合ってた彼女に転居とか転職とかを機にそれとなーく「結婚しないの?」的なことを匂わされて、はっと気づいた

そうかこいつ不安なんだ、なんかちょっと我慢できなくなっただけでぱっと離れられるような状態だと怖いんだ、だからこの先もひとりにはさせないよって安心させるためにお互い拘束する制度なんだ

結婚って相手のためにすることなんだ…

 

理解できたので彼女とは別れた

2017-05-13

文章とか、お金とか。人とか。

この長さの怪文書を投稿することにためらいはあるけれども。

偶には、言いたい事を思い切り言ってもいいかなと思う。

商品」としての文章

まず自分のことを書くと、稀にしか更新しない覚え書きのようなブログをやっている。あと好きな文章を書く人は結構な頻度でチェックしているくらい。

自分新参だけれど、新しいタイプブロガーの人が使う、押しが強めの手法がじゃっかん苦手である

新規ブログを始めた際、こちらのブログは全く読まずに(本人には割と分かるものです)、宣伝のためにスターを付けてくる人が一定数いる。まあ当然、興味を持たれる文章を書けないこちらに非があるわけですが、「貴方のことは気にならないけど私の書いた文章はぜひ読んでくれ」と受け取ることもできる。

露出を求めて「記事お題」を引用し、全く関係のないことを書く人も多い。例えば「雨の日グッズ」というお題を引用しておいて、いつもの調子日記を書く。露出したいのは分かるけれども、そのばあい読者が読みたいのは傘や長靴の話であって、職場愚痴とか趣味の紹介とかではない。

あと、リクルートの適職診断、またはリクナビNEXTのグッドポイント診断を薦めるエントリ。MIIDASの適正年収診断、dTVの紹介。日常会話みたいな感じでお勧めされるんだけれど、あれは紹介料が入るからやっているのだそうで。道理で数が多いと思った。…あれはステマにはあたらないのだろうか。「PR記事」とかの表記がない分、「選挙前にさりげなく電話をかけてくる友達」みたいな感じがして、個人的には警戒してしまう。

CGMは、そのコンテンツの持つ価値判断が難しい、とは思う。それは人によって違うし、ネットでの人気には「親しみ」も大きな要素である

ただ分かりやす基準として、例えば、寄稿出版の話が来る人にはそれだけの実力と、その人固有のブランドがあるわけで。

なので余計に、「とりあえず100記事書きましょう」「SEOを勉強しましょう」「PVを稼ぎましょう」と、クリックしてもらうことに血道を上げる風潮がどうもよくわからない。読み手客観的価値提供できているのかな?と、不安になることはないんだろうか、と。(言うまでもないことだけど、価値がある/ない、という話ではない。「価値のものさしはどこにあるのか」という話)

ここで、いやらしくも。商業文章出版物の話をする。

はてなの人なら、自分なんかよりよほど熟知されていることと思うけれど。執筆され、編集の手が入り、校正されてデータ印刷所に渡り、取次を経て本屋に巡ってきたり電子書籍になる、それだけの手がかかった、色々な「出版物」は本当に凄いなと思う。

個人がもっている「有益情報」には限界がある。取材して一次情報にあたるプロに、正確性や量で比肩するのは正直、むずかしいのではないだろうか。

比肩しなくてもいいけれど、そこから発生する「収益」は最大限にしたい、というなら、それはインターネットが役に立たなくなるわけだと思う。

媒体が紙でもネットでも同じことで、例えばキッコーマンサイトを見ると、料理の基本から旬の料理から詳しく載っている。歯の健康について知りたいときは、クリニカ辺りのサイトが役に立つ。商品の紹介記事しろエッセイしろ企業がやっている媒体掲載されている文章をみると、何歳ぐらいのどんな経歴の人が書いているんだろうと思う。

コード料理商品になるように、文章もまた商品として存在することは確かだ。ただ、コード個人お金にするにはそれなりの手順が必要だと思うけれど、文章はなぜか、個人ネットに上げるだけでも「儲かる」。

他にも、ネットにアップするだけで儲かるものは色々あるけれど、合法かつ元手がかからず、特に技術習得をしなくてもできる「稼ぎ方」として、「文章を書く」というのは確かに適しているのだろうとは思う。

個人メディア」ができること

ここまでを踏まえて。「商業クオリティ情報量には敵わないが(※ケースバイケース)、読んだ人に満足を与えるような文章を書き、お小遣い程度の利益を得られる、Win-Win取引(読者が読む時間によって「収益」を発生させるなら取引みたいなものではと思う)」を考えてみる。(ものすごく飛躍しているような気がするけど気にせず進めます

商業ではなく、市井個人が書くことに意味がある文章とは何か。

それは、「その人にしか書けない文章を書く」ということではないだろうか。

別に個人情報を晒せということではない。出身地職業家族構成は確かに、その人を知る大事情報だけれど、同じような属性を持った人が世の中にはごまんといる。

他者から客観的に見た自分」と、「自分演出したいキャラクター」には、往々にして懸隔がある場合が多いと思う。シニカルに渋く決めているかと思えば、愚痴悪口を書いてしまったり。写真にお洒落な加工をしていても、背景がどうも決まっていなかったり。「本当の自分らしさ」は、他者からの反応や自省によって得られるもので、見たくもない自分を見せられることも多いし、自分評価されたい項目と他者から評価される項目が違ったりもする。

それでも。「自分の良いところ、推せるところ」を見つけて、「それによって他の人を満足させ、楽しませる」ことが、「個人としてメディアをやること」の強みなのではと思う。

その人にしか言えない言葉、できない話。培ってきた価値観文章テンポ言い回し自分なりの軸による知見や考察。人によってはイラスト作品。例えブログ名や使っているテーマを変えても、文章ならば増田に書いても、「ああ、あの人だ」と分かってもらえるかどうか。

「その人にしか書けないブログ」こそが、個人ブログ存在意義なんじゃないだろうか、と。

商業に出来なくて個人ブログならできること」は多くある。言及合戦ボールの打ち合いもそうだし、商業の連載や肩書を背負ったブログと違って、思ったことを好きなように、題材も自由に書ける。

日記を見ると、今日したこと、最近興味のあること、生活感情の移り変わりを感じることができる。例えば料理写真ブログであっても、書いている人のキャラクターが違えば、受ける印象は全く違う。

「その人らしさ」が感じられるなら、面白くないブログなんてひとつもない。どんな個性でも、ネットに上げれば一人くらい、それを楽しんで、好きになってくれる人がいる。それがCGMの良いところで、インターネットが普及した利点であると思う。

さらに言えば。有名ブロガーの人たちを見ていると、やっぱり「読者を楽しませること」にとても力を入れているなと感じる。

スタイルは人によって様々だけれど、重い段落がつづくとその人のやり方で空きを入れたり、ボケてみる。自分の愛されている分野以外のことはあまり書かない。反応がよかったらまた掘り下げる。とか。(まあ、こうやって分析されるのも嬉しくないのかもしれないけれども。)

当たり前に、お互いがWinWinになっている関係で。それは愛されるよなあ、と感心したりする。

交流勢について

互助会」という言葉について書くにあたり、ブログをやっている人を便宜的にタイプに分けます

A)古参はてダ時代からやっているような人。総じて文章が上手い。更新頻度は低め。交流はあまりしない。

B)新参。好きなことを書いてあわよくば若干の収入を得たい感じ。更新頻度が高い。交流が好き。

C)アフィリエイター。以下のようなタイプがあるように見える。

ガチのアフィの人。それなりの戦略があるタイプ。「かわいい画像!」とか「速報・芸能ニュース」とかそういうやつ。よくダッシュボードの右に載っている。他にも色々やっていると思われる。

・何を考えているのかよく分からないタイプ。ほぼ中身のない記事にひたすら広告を貼る。偏狭そうな人が多い。

・「ブロガーとして」明確に互助を目指し、ブクマ不正している、らしい。偶に増田告発されているけど割とスルーされている印象(興味がないのでよく知らない)。

よく見かける「互助会」という言葉は、B)に向けて使われる。「お互いのブクマコメントブクマ数を稼いでいるんだろう!」というやつ。

でも、実際のところ。「当たり障りのない敬語コメント」は、「相手好意をもっていて話しかけたいから」「交流が楽しくて」やっているのだと思う。

その証拠に、「スターブクマフォローしたけど返してくれなかった!PVが伸びない!」なんて愚痴を書いている人は誰もいない。(このクラスタは素直な人が多いので、そういう気持ちがあったらたぶん正直にそういう記事が書かれ、誰かの目に留まるのではないかと思う)

ブクマしてほしい」という気持ちももちろん多分にあるだろうけれど、自分リアクションするにあたっては、利益を期待してやっているんじゃない、と思う。

嘘だと思ったらそのへんの、自分が「互助会」と呼んでいるブロガーに聞いてみたらいい。相手言葉をなげかけるのが楽しいから相手のことが好きだから。たぶん、思うより多くの人が、そう答えるのではないだろうか。

そうはいっても、はてブ的には馴れ合いコメントは確かに鬱陶しいだろうと思う。では、コメント欄を使えば解決する話ではないのか、とも。

そう考える人はもちろんブログを書いている側にもいて、読者に向けて「ブクマでなくコメントで交流しませんか」という提案をするブロガーもいる。読者が何百人レベルになってくると、はてブ側に気を遣ってのことだと思われる。

Twitterとの連動など、利点はあるようだれど。言葉をかけたいだけなら、ブロガー本人が「互助会」と叩かれるリスクをとる必要もないのではないかコメント欄もっと気軽に使っても良いように思う。

もうひとつ別にお互いに便宜を図っているわけでもないのに、「互助会」と呼ばれるのは何だかおかしい気がする。「交流会」「ひつじ会」とかのほうが実態を表しているのではないだろうか。(「ひよこ会」とかでもいい。何かかわいい名前がいい)

マネー勢について

で、じゃあ「スターブクマフォロー利益を得ることを目的とした行為」はないのか!というと、うんざりするほどある。

C)のアフィリエイター系。これが本当にしつこい。見るからに書いていて楽しくなさそうな、NAVERまとめ的なブログからリアクションがそこそこの頻度で来る。凄かったのは、同じ記事に2度3度つけてくる人。無言でそれをやられても、ただ気味が悪いだけで、何かを返したいとは思えないのだけれど。

相手の人格や思いを無視して、金銭のためにブクマをつけて何が楽しいのか、と。他人の顔が札束しか見えていないような、うわべだけの文章を読みたいとは個人的には思わない。まして広告クリックなんてしない。

これは自分に矛先が向くことを恐れているとか、好きな人擁護したいとかでもなく、単純にクラスタの分類として。交流勢よりも、こういった「機械的な無言のリアクションによって、露出や返報を期待する」アフィリエイター勢のほうが、真に「互助会」と呼ばれるに相応しいのではと思うのだけど、どうだろうか。

ネット上で、文章で稼ぎたいのは勿論、悪いことではない。でも、個人的に読みたいのは、誰でも書ける情報のまとめとかではない。

アフィリエイトをやっている人であれば、どうしてそれを始めたかとか。情報収集はどうやってしているかとか。ライバルはいるかとか、作業するときにかけている音楽とか。その人にしか言えない言葉面白い話。そういう文章が読んでみたい。

「読む側」としてのスタンス

はいえど。面白かったり為になる文章無料で読みたい、というのもある意味、何というか難しい話だとは思う。

医学辞典なんて手元にないかネットでいいや、とか。先述のように、企業宣伝のために作成しているページを利用する、とか。「ネット」と書いたけれど内訳は、キュレーションサイト個人がアフィ目的で作ったサイト質問投稿サイト個人ブログのどれかが引っかかることが多いのではないだろうか。

それが確実な情報源でないことは、もちろん周知の事実である。それでも取り敢えず適当情報がほしくて検索する人がいるから、それにあわせて少ない労力で情報を供給し、利益を得ようという流れが自然に出てくる。

「分かりやす出所の確実な情報」ならば、上述のように、出版業界商品に頼るのが却って近道ではないかと思うことが最近増えている。「集合知」は確かに無料だけれども、「文章」にクオリティを求めるならば、書籍を買うか図書館に行けばいい。紙が面倒ならデータの形で入手すればいい。

商業としての出版を信頼しているから、例えば某警察官やめたブログ暴露されていたように、CGMのふりをして売名する商業があるとしたら個人的には少し悲しい。プロとして作り上げたものプロモーションされたものに、正当な敬意を払いたい。

…ここまで書いてきて心配になったのだけれど、出版業界の回し者ではなく、ごく普通の読書好きのオタクが書いています。信じて欲しい、としか言えないけれども。

逆に言えば、ネットで、商業ではなく個人が発信するとき、それは受け取る側となんら変わらない、「普通の人」なわけで。文章を発信する側は全ての責任とリスクを負うべきで、受信側は何を言っても良い、ノーリスクハイリターンな立場である、とは自分には思えない。

ネットを使っている人であれば誰でも、ある程度の文章は書けると思う。たまには「発信側」になってみるのも、悪くはないんじゃないかと思ったりする。

同じ人間が一人としていないならば、誰にでも、「その人にしか書けない文章」があるはずで。私はそれが読みたい。

色々書いてきたけれども、これが正しい見方であるとは自分で思っていない。誤りや偏りの指摘も含めて、議論一助になればと思う。

http://anond.hatelabo.jp/20170513093214

いつもよくわかんないんだけど、子育てしてる人たちはみんな「子供こそが最高の幸せなんだ!人間の究極の存在意義子供に比べたら他のことは全てゴミのようにしか思えなくなった!!」って主張してない?それって「この現実=宝物」ってことじゃないの?増田にいる憂国烈士様のように国を憂いて辛く苦しい子育てを一身に背負う覚悟子供を作ったなんて人はそうそういないだろうし、だったら「この現実=宝物」でいいんじゃないのか?よくわからない。

2017-05-12

しなくても肉体的に問題ないで済むなら宗教存在意義ひとつ消えるな

2017-05-11

http://anond.hatelabo.jp/20170511015945

同じように、「予め人を増やして育休取っても支障ないようにする」ってのも

育休復帰者が要らない人扱いになりがちなんだよね

その人が休んでる間も問題なく仕事が回ってたわけだから、復帰しても別にお前居なくていいんだけど?となる

どうせ復帰後は子供病気だ何だですぐ休むから重要仕事を与える訳にもいかないしね

周りが気を遣って育休復帰者に敢えて適当仕事割り振っても、そういう扱いをされているのは余程本人が空気読めない無能でない限り察知するし

育休者が割り切ってて「仕事楽だしいつ休んでもいいのに給料貰えて子供保育園丸投げで育児も楽出来るしサイコー!」と思える人なら問題ないけど

会社側としてはそんなやる気ないやつが一人二人ならともかく大量発生したらそれはそれで困るだろうが)

生真面目な人だと「どうせ自分なんか職場じゃ居ても居なくてもどうでもいい存在なのに子供放置してまでしなければならない仕事だろうか、

同僚も本当はこいつ要らないさっさと辞めろとか思ってないだろうか」となってしま

「育休復帰者に職場での存在意義を与える」のと「育休取る人が出た場合に同僚にしわ寄せが行かないようにする」ってのがそもそも矛盾してるんだよね

存在意義がある人は休めば周りが困るし、休んでも誰も困らない人は存在意義もない

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