「存在意義」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 存在意義とは

2018-07-17

anond:20180415014902

モザイク存在意義もう全く分からないのでとっとと廃止されて欲しいけど、政府は他にやること多過ぎてそんなどうでもいいことに触れてられないんだろうなという察しはある。

何か間違って東京五輪とかで猛烈に非難を受けて改正の流れとかになって欲しい。

東大生だけど周りのやつらマジで2ch学歴板みたいな感覚

2018-07-16

VR尿意に勝てない

ゴーグルをつければ視覚は騙せる。

ヘッドホン聴覚を騙してくる。

視覚から入ってくる情報が安っぽいコントローラーと画面の連動に対する違和感を打ち消していく。

嗅覚はその存在を忘れ去られ、今や五感の全てが別世界にいる自分認識する。

しかし、尿意は……尿意けが誤魔化せない。

喉の渇きも飢えも、前もって満たしておけば半日程度はただの違和感に留められるが、尿意便意だけはバーチャル世界に没入したはずの体の内側からやってくる。

意識存在意義もVR空間の中に入り込み、もはや現実は捨て去られたはずなのに、尿意けが最後リアルとして生き残る。

せいぜい4時間限界だ。

それ以上は尿意によって幻想が砕かれる。

股間に響くかすかな違和感と少しずつ強くなる小さくて鈍い痛みがハッキリと教えてくる。

お前は未だリアルにあるのだと。

そして自分実態が3Dモデルでもアカウントデータでもなく、リアルにおける肉体に宿っているのだと実感させられるのだ。

尿意こそが、尿意こそが人をアナログ世界に閉じ込める最初の楔なのである

2018-07-14

[] 弁護士法治国家否定

法治国家日本

法曹関係者には、いろいろな考え方の人がいる。

法治国家否定するラディカルな思想を持つ人がいても、おかしくはない。

しかし、日本が人治国家になったら法律無用法務を専業とする弁護士不要となり、自らの存在意義否定する「矛盾」に陥るのではないか

 

オウム事件とこの集団対応は、この「前例のない事件に対しては前例のない体制で」でやってきた。それだけの大事件であり、特異な集団であり、特異な思想だったからです。

で、今回の支援要請につき、国が応えられないなんてありえない筈、と確信しています

・その必要性があり、決して憲法違反するものではなく、法令違反するものでさえないのだから

日本が、テロと闘うならば、そのテロ行為の背景などにも対応していくことによってこそ、「闘う」といえるのだから

助けてください。

 

滝本弁護士の主張から、鍵となるキーワードを拾ってみよう。

  1. 前例のない」
  2. 憲法違反
  3. テロと闘う」

 

前例のない」

社会は常に変遷して行く。かつてない状況に出会ったら、新たな対処方法確立する必要がある。そこまではOKだ。

しかし、最初は手探りの試行錯誤ゆえ不具合が生じた場合、後でちゃん不具合修正できるのか?

ロールバック可能手段も用意されているのか?

 

滝本弁護士独断で、関係者の利害を調整することなく、物事を強引に進めてしまった場合、その結果重大な人権侵害などが起きても、ちゃん回復できる仕組みも併設されているのか?

新規対応で失敗しないためには、ちゃん保険もかけているのか?そこを注意深く観察する必要がある。

デリケート問題を扱うにしては、十分な議論を尽くすだけの「慎重さ」が欠けていないか

 

万一、間違った前例を作ってしまった場合、後戻りできなくなるのでは困る。

歴史を振り返ると、人類は多くの失敗を繰り返している。(同じ失敗を繰り返すのは、単なるアホでしかない。)

前例がない」場合こそ、十分に時間をかけて話し合い、慎重に対処すべきという「共通認識」が必要だ。

 

憲法違反

人々の利害関係の調整は、政治家法曹職務である

民事および刑事係争は、法律というルールに基づいて解決を図るべきだ。

なぜ、滝本弁護士は、他の利害関係者と対話の機会を持たないのか?独断偏見で話を進めていないか

司法試験勉強をしたなら、少なくとも一度は日本憲法を読んだことがあるはずだ。

1945年昭和20年)に、ポツダム宣言を受諾して連合国に対し降伏した日本政府は、そこに要求された「日本軍の無条件降伏」「日本民主主義的傾向の復活強化」「基本的人権の尊重」「平和政治」「国民自由意思による政治形態の決定」などにより、事実上憲法改正の法的義務を負うことになった。

そこで連合国占領中に連合国軍最高司令官総司令部の監督の下で「憲法改正草案要綱」を作成し、1946年昭和21年5月16日の第90回帝国議会の審議を経て若干の修正を受けた後、同年1946年昭和21年11月3日日本憲法として公布され、その6か月後の翌年1947年昭和22年5月3日施行された。

第14条 すべて国民は、法の下に平等であつて、人種信条性別社会身分又は門地により、政治的、経済的又は社会関係において、差別されない。

 

なぜオウムだけは差別して、議論の輪から外しても良いと言えるのか?(言っていないなら問題ない。)

好き嫌い」という感情ではなく、「真偽」という論理、すなわち法律ルール)に基づく説明ができなければ、法曹としては失格だ。

パブリックコメントを発する以上は、他者から質問に答える義務がある。(質問を受け付けないのなら、それは単なる独り言しかない。結果、他者聞く耳を持たず、自身孤立する結果を自ら招くだけだ。)

滝本弁護士には、公開の場で質疑応答を行なうだけの「誠意」を見せて欲しい。

  

テロと闘う」

テロ」といえば昨今の「テロ等準備罪」を巡る議論を思い出す。

日本では犯罪を実行したことを罰するのが原則です。それに対して、共謀罪犯罪計画合意したこと自体を罪ととらえ、犯罪を実行する前に処罰しようというものです。深刻な犯罪を未然に防ぐことが狙いです」

 

「新々過失論」(危惧感説)

「過失」を巡る法理の分類は、歴史的に「旧過失論」「新過失論」「新々過失論」(危惧感説)などが挙げられる。

 

 

テロ等準備罪は、危惧感説に基づく新しいタイプ法律と言える。日本では、藤木英雄先生先駆者として有名だ。

藤木英雄1932年2月20日 - 1977年7月9日)は、日本刑事法学者。元東京大学法学部教授

戦後の数ある刑法学上の論争の中で、実務上最も重要な意義をもったのは過失責任を巡るものである

藤木は、高度成長期において非伝統的な犯罪が多発するという状況に際して、新たに企業側の過失責任拡張することで、被害に苦しむ市民を救わんと尽力し、新過失論を一歩進めて「新・新過失論」・「危惧感説」を提唱した。

危惧感説が登場する以前の新過失論は、逆に伝統犯罪交通事犯に対する過失責任限定意図していただけに、画期的な転換といえる。

危惧感説は、後に板倉宏らの一部の学者検察官の支持を得て、森永ヒ素ミルク中毒事件採用されるに至ったが、北大電気メス事件( 札幌高判昭 51.3.18 高刑集 29.1.78) では明確に排斥されており、学会でも一般的な支持は得られなかった。

 

日本ではまだ、危惧感説に基づく国民合意形成が十分になされている状況とは言えない。(テロ等準備罪も始まったばかり)

従って、滝本弁護士が、「テロと闘う」という大義名分の下、かつてない法的判断要求するつもりならば、日本国民に対する説明義務が伴う。

滝本弁護士が単なる思い付きや感情論で言っているだけなら、後世に悪影響を残す有害前例を作ってしまうかもしれない。

ハッタリではなく、滝本弁護士が藤木英雄先生の業績を踏襲し、発展させる意気込みがあるなら、一概に有害とは言えない。

 

この点については、オウム限定する必要がない。

なぜなら、日本国民全員の利害に関わる問題からである

従って、公開の場で議論を尽くされなければならない。

どのような方法で公開討論を進めていくべきか?日本国民全員で検討する必要がある。

(滝本弁護士には「オウム問題を風化させたくない」という思いがあり、さら法治国家否定しているわけじゃなければ、この結論に至るだろう。)

裏口でも医師国家試験合格すればいいだろ厨が散見されるが

医師国家試験合格すればいい」のなら医学部存在意義自体無くなるということに、彼は気付いていない

医師国家試験予備校だけあればいいということになる

2018-07-13

水着じゃない写真集存在意義がわからない

普通に服着てヘラヘラしてるのとか見て何が楽しい

ネット画像検索すりゃいいじゃん

2018-07-12

職場自分の居場所がないと感じること

仕事いちばんつらいのは、自分の居場所存在意義が見出せないことかもしれません。

私は最近、私の部署がかかえるある仕事について、部署の中でやり方を知っているのが自分ベテラン先輩社員ふたりだけ、という状況に見舞われました。

今後は、私か先輩のどちらかが、その仕事を引っ張るポジションになるだろうと、誰もが予想しました。

その仕事について打診を受けたのは、先輩ではなく、私の方でした。

先輩はその仕事から数年離れており、直近で任されていた私にお鉢がまわってきたのです。

私はその仕事が好きだったので、リーダーポジションというもの不安はあるものの、引き受けてみたい気がしていました。

しかしいざ、リーダーをやってみないかと打診された私の口を衝いて出たのは、正反対言葉でした。

「私よりも、○○さん(先輩)のほうがいい仕事ができるのでは?」

その仕事担当ベテラン社員の方に明け渡したいと申し出たのです。

私よりも先輩の方の方がより高い成果を出せるというのは自明でしたが、そんなことは上司承知で、それでもベテランではなく後進のためにと、私に打診をしてくれたのかもしれません。

しかし私はそこで、自分に任せてほしい、と言うことができなかったのです。

興味がありながら、自信がなかったばかりに、そのチャンスをみすみす手放してしまったのです。

もちろん、組織としての判断は、それで正しかったのかもしれません。 

私は組織犠牲になったのだと思いました。

私の判断は正しかった、結果的会社としてはこの方がうまくいっている、そう自分に言い聞かせることだけが自分へのせめてもの慰めでした。

でもそれからというもの、私は自分仕事上の存在意義について考えざるを得なくなりました。

浮き彫りになるのは、先輩自分との埋めようのない実力差でした。

皮肉にも、私が主張したように、先輩は数々の仕事を、これまで私には到底できなかったような高いクオリティで、鮮やかにこなしていきました。

正直、私が前年までの少ない経験のなかでささやかに積み重ねてきたほんのわずかな自信などというものは、木端微塵に砕かれました。

その仕事ぶりを見るにつけ、私なんていなくてもよかったんだ、そう強く思うことが増えました。

その結果、私に何が起こったかというと、転職への志向でした。

今の職場必要とされていないために、他の職場自分の居場所を求めているのです。

今の職場での能力不足が転職への理由なのに、それを棚上げして、別の職場心機一転頑張りたいだなんて、まったく恐ろしい話です。

人材職場にとどまらせたいのであれば、その人材には自分必要とされていると認識させることが肝心なのかもしれません。

自分必要とされること。

子どものころは、幸いにも、無条件に親からの愛を受けていたので、自分存在価値を疑うことなく生きてきました。

しか大人になってからというもの、あらゆる場面で、自分必要とされていないんじゃないかと、背筋が凍るような思いで、そう感じることが増えました。

その予感は、コップに水がたまるように、少しずついろんなコップを満たしていって、今、その許容量が限界を超えたような気がしています

逃げずに、仕事の借りはあくま仕事で返さなければならないという自覚はあります

しかし、今の私にそんな気力は残っていないのです。

陰毛を処理した

初めに言っておく。私は男だ。

不毛な期待は持たずに読んでくれ。陰毛だけに。



初めて陰毛を処理した。

かねてから私は陰毛に対して疑問を持っていた。

これは役に立っているのか?存在意義は何だ?

太古の昔、人間祖先が全身を毛で覆っていた時代から時は流れ、

進化過程で体毛を捨てていった。それなのになんでお前はそこに居座っている。

ホルモンバランスの乱れ、積み重なる不摂生に日々のストレス、照り付ける太陽

遠い地から飛来する何やらの物質に曝され日々前線を後退させている頭髪をしり目に、

相変わらずの栄華を盤石のものとしている。

やることと言ったら、知らぬ間に抜け落ち、自由を得んと言わんばかりにボクサーパンツから

抜け出し、そしておよそ不可能と思われる場所で、その場所になじもうとせず隠そうともしない

存在感を放っているくらいだ。

以前は大切な局部細菌などから守る役割とか、なんだかそんなものを持っていたのかもしれ

ないけれど、この潔癖現代社会において、そんなものはもはや無いに等しいのである

メリットデメリット釣り合っていない。

チンコの皮に潜り込んだりもするしね。

にもかかわらず、私はこれまで陰毛の処理というものしたことがなかった。

もう20年の付き合いにもなるというのにだ。

ふと人類のもう半分に目をやると、どうやら世の中では、女性陰毛を処理するのが

常識のようである

長さを整えたり、はたまたツルツルにしてみたり。

髪を整え、顔に化粧をし、爪を磨くのと同じだ。

かに、いざことに及ぶとなって彼女の下着を脱がし、そこに密林があっては興が冷める。

タイガぐらいがをかしである

私はパイパンより少しあるほうが好みだ。ツルツルだと、なんだか元から何もなかった

ような感じがしてしまって趣がない。短めに刈り揃え、手入れを、今日この日この瞬間の

ための準備があったという事実を感じられるのが趣である

話がズレた。

私はこれまで陰毛を処理をしたことがなかった。

何故か。

意味も無く恥ずかしかったのである

陰毛処理に対するこの気恥ずかしさはどこから来るのか。

なんとなく女々しい感じがしていたのかもしれない。わからないが、なぜかしたいとは

思いつつ実行できていなかった。

が、今日はなぜだか、処理してみようかなという気分になった。

気まぐれだ。意味はなかった。

加えて、今日たまたま妻が家を留守にしており風呂に入るのも独りだ。

風呂に入るため全裸になる。

洗面台には、普段髪の毛を刈っているバリカンがある。

手に取り風呂場に入る。

なんとなくいきなりいくのはやっぱり抵抗があって、まずはすね毛を刈ってみることにした。

バリカンには髪の毛の長さを3・6・9・12ミリメートルに調整するためのアタッチメント

付属している。

初心者の私は12刻印されたものを取り付けた。

適当バリバリっと刈ると、ツルツルでもぼさぼさでもないちょうど清潔感のあるくらいに

なった。これは良さそうだ。

続いて、太もも、足の付け根と移っていく。

最後局部だ。

この流れは知ってる。マッサージ師が女性マッサージしているかと思っていたらいつの間にか

みだらな行為に発展している資料を見たことがある。

自然な流れで私の陰毛バリバリと音をたてながら短くなっていく。

髪の毛やすね毛と違い、刈った毛がふわふわ毛玉のように一かたまりになる。

チンコの根元などは若干のやりづらさがあったが、これまでさんざんいじってきた

チンコだ。少し窮屈な思いをしてもらうなどしてうまくやることができた。

ところで、私は玉にも毛があるタイプだ。

これが曲者だった。

普通にバリカンで刈ろうとすると、玉の皮が引っ張られて上手く皮膚の上を滑らない。

加えて、もし皮が巻き込まれたらという恐怖心が付きまとう。

仕方ないので、ここは長さを揃えるのは諦めて、毛を引っ張って少しずつ切るようにした。

次に、私は玉からおそらくは肛門までも毛が生えている。

本当はこの部分も、というかこの部分が一番処理したかったのだが、なにぶん初心者である

深入りはしないこととした。

ちなみに女性肛門周りまでクリニックで脱毛するらしく、そのフロンティア精神には脱帽である

床に落ちた毛をティッシュに取り、風呂場を出る。

体に付着した陰毛が床に落ちないか心配になり意味も無く爪先立ちになりながら

リビングへ移動しごみ箱に放り込み、また風呂場に戻る。

改めて自身の股間を見ると、初めて見る姿のチンコがそこにあった。

なんだか子供っぽいな、というのが最初感想だった。

なんというか、子供チンコではないのだけど子供らしさのようなもの

感じさせるのである日本昔話のOPで龍に乗った小僧みたいな。

説明するのが難しいのだけれど、こう、ちょっと情けないというか、アホっぽいというか。

とにかく男性的自信を削ぐ見た目だ。

でもまあ、今になって見た目にこだわる必要もなく、利便性重視なのでこれでいい。

パンツを履くと、毛が短くなって立ち上がったのか何なのか、これまで以上に

パンツとの間に弾力のようなものを感じる。

違和感があるがそのうち慣れるだろう。

海外では男性でもツルツルにするのがエチケットなんて話も聞いたことがあるし、

中途半端に短くするより剃ってしまったほうが良い気もするが、それは今後の課題として

徐々にステップアップしていきたい。



初めての処理で、特に興奮なんかもなかったのだけれどなんとなく記録として

増田に書いてみようと思った。

Amazonなんかによくある、

 思った通りのものが届いて満足です。見た目もよくて最高です。

 まだこれから使うので性能についてはわかりませんが、

 この値段ならいいと思います

みたいな、それ何の役にも立たねーよって言いたくなるレビューのような文章

なってしまったけど、ここまで読んだ方には何かしらの益があればと思います

とりあえず、これで自分陰毛が床やテーブルやその他いろいろな所に落ちてるのを

見かける頻度が減ればなとおもう。


以上

2018-07-11

anond:20180711002913

具体的な方法は教えてやらないが、人工ワードサラダ相手を混乱させられなければ存在意義がない。一見してワードサラダだと見抜かれてはいけない。

2018-07-09

死にたいだとか消えたいだとかそういう感情はわかなくなった。

でも、自分存在意義価値自分というもの自体に疑問を感じる。

これでいいのか?いや、よくないだろ。

じゃぁどうすればよくなる?自分を変えろ。

ぐるぐるぐるぐる自問自答する。

自分とはなにか。どうありたいのか。

からずもがく日々。

死にたいわけでもない、消えたいわけでもない、やり直したい過去があるわけでもない。

でも、満足感がない。

日々をただ息づまりを感じ生きている。

見方を変えてみる。

これは究極の人間としての生きてる証なのではないだろうか?

でも、そんな考えは秒で消える。

生きるってなんだろうか。

世の中には今を生きるのも必死な人が、私の計り知れない数いるだろうに…。

こんなにも毎日無駄に生きている自分が憎い。

2018-07-08

高1でイラストサイトを畳んだ時の話

中学1年生の頃に創作サイトを開設した。

当時はYahoo!ジオシティーズが全盛で、自分もやってみたかったのがきっかけだった。

幸いにして父のPCには Photoshop 5.5 があり、マウスで描いた絵を投稿したり、日記を書いたりした。あとは当時流行っていた RPGツクール 2003 で簡単ゲームを作ったりしていた。絵は下手だったしゲームは何度もエターナったが、それでも本当に楽しかった。やるたびに世界が広がっていくような実感があった。

当時の自分はあまり版権モノに頓着しておらず、二次創作文化にはあまり触れることがなかった。

ただ、描く習慣はつけたかったので、日記では鉛筆落書きをアップし、カラーの絵は毎月必ず更新されるトップ絵という形で描くようにしていた。今考えると大したペースではないが、年に必ず12枚は本気のカラー絵を投稿する習慣があったのは良かったと思っている。

中学の頃の僕は絵の部活には入っていなかった。

しかし3年が経って高校生になり、いよいよ絵に注力したいと思った僕は、漫画研究部に入った。思ったよりもちゃんと描いてるサークルで、僕は安心した。ここなら楽しく創作できそうだ、と思った。

しか漫研に入った最初の夏に、僕は3年続いたイラストサイトをいきなり閉鎖した。

高1の期末試験が終わり、明日から夏休みが始まろうという日だった。

部誌に描くマンガネタに悩みながら、自分は帰り道ゲオ漫画を買い、長い道草を食った後に最寄り駅についた。

最寄り駅と言ってもそれなりに家までは歩くので、母親との都合があう日は車で迎えに来てもらって買い物しながら帰るということが多かった。その日もそんなつもりで家に電話をした。

母が電話に出た。電話口の母親は、力のない声で「今日は歩いて帰ってきて」…と言ってきた。具合でも悪いのか、聞いてもよく分からなかった。僕はそのまま歩いて帰った。

家のドアを開けると、同じく早く帰ってきてたらしい妹の泣く声が聞こえた。また母親喧嘩でもしたのかと思ってリビングに上がると、母親がなぜか正座をして迎えてきた。なんだなんだと思っていたときだった。

その日の朝に、父親逮捕されたと聞かされた。

援助交際だった。いわく相手未成年であることは知らずに行為に及んだようだが、相手方の少女家族にバレたらしく、その相手だった父が捕まった。僕の高1の夏休みはこうして始まったのだった。

いきなりのことで不安なことはいろいろあったが、まず気になっていたのは、こういう事件がどのくらいニュースとして広まるものなのか分からない、というものだった。

もし地方局レベルでもTVで流れてしまった場合、あっという間にいろんな人にバレるだろう。大げさな話、名前を変えて隠れて生きなければいけないんじゃないか?とか当時は本当に心配してた。今思うと無知だったとも思う。

結局、幸いにして(?)、事件のもの地方紙三面に小さく載った程度だった。父の名前は出ていたが、何気なく新聞を見ていて気づく確率はそんなに大きくないだろうと安心した(母はそれでもダメージを受けているようだった)。

父も一ヶ月拘置所に入る程度で済み、一旦家族はもとに戻った。8月の後半だった。7月トップ絵は更新できなかった。

イラストサイトの方では、自分個人情報はそれほど晒していなかった。住んでる地域ぐらいなら日記を見てれば分かるだろうが、管理人本名と紐付けること、ましてやそれが地方紙三面報道された事件容疑者の息子だと知ることなど、到底できそうには思えなかった(もし当時Twitterがあったらどうなっていたかからない)。

にもかかわらず、報道に怯えている間、インターネット自分晒しているということが次第に怖くなっていった。隠れて生きなければならないかもしれないのに、どうして自分サイト運営などできようか?

そうして僕は、父が逮捕された日にサイトを閉じた。一ヶ月後、新聞の小さな記事を見て後悔した。この程度なら続けていても良かったじゃないかって。

しかしこれは家族にぶつけてもしょうがない怒りだった。父が捕まったことは家族以外には内緒だったので、結局誰にもこれを相談することはできなかった。

サイトを閉じた後に一人Skype心配して声を掛けてくる人がいたのは嬉しかった。サイトバックアップを取らずにジオシティーズアカウントを消したのでそのまま復活させることはできなかった。しょうがなくブログという形で活動を再開していたが、その時にはもう色んな気力が萎えていた。

貧困本質とはモノやお金がないことではなく、先行きが見えないことだと言われることがある。僕の実家別に貧乏でもなかったが、それでも先行きがずーっと見えなかった。

三年間続けてきたコミュニティとの縁を何も言わずに切ってしまった。下手でも続けていた絵を投稿する習慣が途切れた。漫研にいたので絵そのものは続けていたが、よほど張り合いがなかった。インターネット活動する場所がなくなり、やることがあまりなくなっていった。

pixiv登録したり、mixi でかつてのサイト仲間とマイミクになったり、なんとかやり直そうとしていたが、そもそもあの時サイトを消すことなんて無かったんじゃないか、という気持ちがずーっと消えなかった。そんなこんなの間に受験が来て進学した。

大学入学前後の時期、僕は人生で一番絵を描いていた。とにかく遅れを取り戻したかった。が、二ヶ月もするとすべてが辛くなってしまった。入学後に始めたTwitterアカウントはどんどん病んでいき、またインターネットをやめた。

もうおしまいだと思った。

おしまいになってから五年が経った。

高1のころからそろそろ10年が経つ。

今は絵を描く仕事ではないが、やりたい仕事にはついた。

創作自体はしているが、もう誰も知らない、ずっと細々としたものになっていた。

あの時サイトをやめていなければ、自分はそのまま楽しく創作を続けていたのだろうか。

きっと順調に進んでいたとしても何らかの挫折はあっただろう。

創作にはそもそも挫折はつきものだし、反応がなくてやめてしまうケースなど珍しくはないと思う。

しかし、それはまだ「正しい挫折」じゃないか、とつい思ってしまうのだ。

幸福人生とは、つらいことがない人生ではなく、つらい出来事があってもそれにちゃん意味のある人生のことだ。それが努力の結果の挫折なら、それはちゃん存在意義のあるつらさだ。自分が一番不幸だとは考えないが、自分の不幸が一番無意味だと考えてしまうのはいかんともしがたい。

自分の当時の苦しみにはまったく何の意味もなかった。そもそも創作とは何の関係もない出来事きっかけに、まったくの非合理な思い違いから、ただ間違ったつらさだけが残った。どうせ理想がかなわない人生になるとしても、せめて後者意味では幸福でいたかった。つらいことがあるにしても、存在意義のある苦痛だけを背負って生きたかった。

そのことだけが悔しくてたまらない。

2018-07-06

結婚3年目で冷めきる仲、私よりスマホを愛する旦那

スマホって便利だよね。

いくらでも時間潰せるし。

おかげで旦那との会話が皆無。


朝起きて2人とも下向いてスマホ

私はツムツムのゲーム旦那スマートニュースを読み老けている。


この増田日記スマートニュースはてなブログカテゴリに載ったら旦那が読むことになるかも。


ということで、すごく間接的だけど届けこの思い。


旦那へ〜


あなたスマホばかりでつまらなくて私もスマホをいじっています

そうすると相手をされないフラストレーションから開放され、お互い様という気持ちに救われるからです。


ツムツムのゲームしてる割にあなたとの関係は積むどころか崩壊して詰んでるけどね。


よかったらお盆休みに海にでも行きたいけど、やっぱりスマホの方が面白いのかな。


あなたスマホを叩き割りたい時期もあっけと、今は諦めて見放してます

あ、でも関係が叩き割れてるか。


大好きなスマートニュースでこれを読んでるであろうあなたは「自分かも?」と思い当たるのか読み捨てるのかどちらだろう。


なんにしろ私よりスマホを愛するあなたに私の存在意義はないですね。


もし、思い直すのであればブコメ反省文下さい。


関東在住 26才 M子より

2018-07-04

女子大学

性自認が女かつ戸籍上の男性入学できるようにするの意味不明

既に性自認が男かつ戸籍上の女性入学事実上容認しているのだから、もはや共学なのでは?

そうなるとこの大学存在意義がなくなるの?

2018-07-03

ジャップサヨクの駄目なとこその2

 

俺もここや5chではよくネトウヨ相手に「生まれてくるな」とか「お前の母親は腹を痛めて産廃を垂れ流しただけ」とかよく煽るが、

これは匿名の場であることを考慮して相手に心の傷を負わせることを第一義としてにやってることにすぎない。

まり「とにかく今、悪を止める」ための必要悪として行ってるだけの意図的暴力行為だ。

匿名無責任相手に出来ることなんてこれぐらいだからだ。

これが正義の行いだなんて思ったことはない。

ところがツイサヨとかマジでこれほど「口汚く」さえなければ人格攻撃でも何でも正しくて意味のある行いだと思い込んでる節がある。

顕名アカウント優等生ぶった口調で「あなた人間失格です」なんて杉田水脈に送りつけて、

なんか「正しいことを言ってやった」的空気を醸し出してる。

お前らマジかと。

優等生」的に振る舞うのが好きなジャップサヨクは本気で小学校の半イジメ的学級会から成長してないだけな節がある。

単なる感情論をぶつけるだけの人格攻撃でもお上ぶってさえいれば許される、程度の倫理観しかない。

安倍の完全な違法行為を「こういうのが一番『嫌われる』行いですね」なんて感情論非難してなんになるのか。

まだシバキ隊等の方が開き直って必要悪を行っているだけ自分が見えている。

これは『サヨク』に限らず日本人根本的にこの程度の「学級会マナー」で生きているからではあるのだが、

ジャップサヨクがそこから抜け出せず「感情」でなく「真理」の追究に専心する知性を持ち得ないのであれば、

やはりジャップサヨクには力も存在意義もないだろう。

未来永劫。

壊すべきはその学級会センスのものなのに。

2018-06-28

上位大学文学部という低能先生製造装置

文学部」という言い方はやや雑だが、要するに「食えない」専攻ということ。

こういうところを卒業した男子学生は、自分の知性に対してプライド分不相応に高い。

しかし、社会に出て10年、20年と経てば知性や生活力人間としての魅力・価値に占める「学歴」の割合は微々たるものになっていく。

高卒Fラン卒の40歳男性上場会社勤務・課長級)の方が彼らよりも世間知、人間に対する洞察力、協調性年収等々要するに人間的魅力の全ての側面で優れているということはごく普通にありえる。

その現実を受け入れないまま、無駄プライドを堅持し続ければ、現実との齟齬はやがて人間の理性が処理できない水準に達する。それが低能先生なのだ人間として無価値な奴のくせにプライドを捨てられなかったのだ。彼は。そして彼のような欠陥品を製造し続ける九州大学文学部こそがその社会的責任を問われるべきだ。

もちろんイスラム文明研究とか大事だよ。だけどそんなもんを専攻した結果ラーメン屋バイトに甘んじて世間への憎悪を育んでその結果犯罪に走るなら高等教育意味がない。そういう学問は、ラーメン屋バイトをやってでも研究を続けたい情熱を持っているひととか、大金持ちで食えない学問をやってても食えるお坊ちゃんがやるものだろ。低能先生みたいな覚悟情熱も足りない低能がやるべきものではない。

殺害されたhagexさんは誠にお気の毒。低能先生のような低能害虫駆除されるべき。そして低能先生製造装置はその存在意義やあるべき姿を問い直されるべき。それが今回の一件に関して私がもった感想だ。

2018-06-23

ジブリが消えたら

日本児童文学は終わると思う。魔女の宅急便原作読んだことあるやつって少ないだろ。でもみんなジブリで知ってる。映画化されるだけで読んでみようという人もでてくるし、何より原作として存在意義がある。他のアニメ映画ほとんどが漫画原作だ。それに最近子ども目線で作ったアニメだけど大人が見ても見応えがある、ではなく、ぶっちゃけ大人目線アニメだけど子どもも楽しめるに傾いてる。これは原作漫画からだと思う。映画世界にとどまらず、昔はみんなよく見ていただろう世界名作劇場の原作はだいたい児童文学だし、制作に携わった有名人と言えば宮崎駿だ。

ジブリが消えたら、誰が児童文学の素晴らしさを映像におこしてたくさんの人に広めることができるのだろう。それよりも、子どものためを第一に思って作った映画アニメがいつかなくなるんじゃないか危惧してる。

活動家存在意義を失いそうになったとき、どういう行動に出るのかは興味があるよ

中世異端審問官はでっち上げを始めたな

2018-06-22

焼売弁当

焼売弁当を食べた。

久しぶりに食べた焼売弁当はうまかった。

焼売がおいしいのはもちろん、一番好きなのはあの竹の子煮物。その隣にある魚もいい。

卵焼き唐揚げなどおかずもいいけれど、紅ショウガ昆布ゾーンもいい。

あの杏の存在意義については考えてはいけない。

ただ焼売弁当を食べながら、最近焼売弁当を見た記憶があると思った。

どこで見たんだろうと考えて、新幹線殺傷事件報道だと思い出した。

新幹線の床にぶちまけられた焼売弁当

新横浜を出てすぐのことだったというので、駅で買って新幹線が出発して食べようとしたときの凶行だったんだろう。

あのひっくり返った弁当を見たとき日常が破られたんだな」という気がした。

新幹線で食べる弁当の格別さややすらぎをひっくり返すような、卑劣犯行

彼がどんな目にあって追い詰められてあの犯行に至ったのかはわからない。

人が死んで怪我をしている事実よりも、あの底を見せている弁当箱は何があったのかを語っているような気がした。

2018-06-21

決め手はタマサラダ増田出す真鱈さ胡麻タハテメキ(回文

FFからでも失礼しちゃってもいいわよ!

というか、

いちいち一言言わなくても絡んできてもいいと思うんだけど。

すごい丁寧な人がいて逆に恐縮だわ。

おはようございます

あのさ

日々食べている私のフェイバリットお気に入り

タマサンドの美味しさは何かと思って考えたら、

タマサラダの部分の旨味!

って思った時期が私にもあったの。

あんまりレシピを詳しく見てないか適当だったんだけど、

決め手は要はマヨネーズだと思ったのね。

で新鮮作り立てマヨネーズ最強説を立証すべく、

手元にあるすぐ出来る食材チャレンジしたの。

使ったオイルはオリーブオイルだったのがそもそもの間違いだとして、

これはオチなっちゃうんだけど、

結果オリーブオイルで作ったマヨネーズ

オリーブオイルの風味が強すぎて、

マヨネーズとしては

なんかそのタマゴの良さが全然活かされてないのよね!

卵入れてオリーブオイル入れてお酢入れて、

1秒間で1万回転とブラウン歯ブラシもびっくりな、

そのハンドミキサーでそれこそ一瞬で出来ちゃうの。

味見した途端、

不味い!もう一杯!って悪徳商会の人が顔をしかめながらおかわりを欲するってならないならないってぐらいの

なんかコレジャナイ感

油の主張が強すぎたのよね。

サラダ油の何も特に味がしない油の存在意義が分かったわ。

そう思うと、

日々発見ね!

うふふ。


今日朝ご飯

タマサンドアイスコーヒーよ。

日々タマサンドの美味さを噛みしめて生きるこの幸せ

生きている証だわ!

なんてちょっと大げさかしら!

デトックスウォーター

難消化性デキストリンをリピで4袋追加購入!

それプラス麦茶はお手製からだ健やか茶Wを彷彿させるわ。

これもうなんでも飲み物に混ぜれちゃう感じね。

今年の夏はこの特製麦茶ウォーラーが大活躍ねっ!


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2018-06-17

言論の自由存在意義政府批判の封じ込めを防止して独裁化を阻むことなので

国のおかげでーすとかいうのはもう言論の自由意味ないよね

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん