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はてなキーワード: エモいとは

2024-11-16

生成AIに正しく対応する反AI絵師の動きとは

AI使ってますか?Xで翻訳ボタン押すと海外ポストでも日本語で読めるの便利ですよね。

機械学習から連綿と続いた先にある生成AIの隆盛、大変エモいものがあります

自分はまだニューラルネットワークと呼ばれていたこからこの分野で細々と研究をしており、趣味は主に写真です。絵はたしなむ程度。

今の反AI運動は、誰に対して何を反対しているのか良くわからなくなってしまっているので、正しく反対するのが良いと思っています

結論から、なぜそうなるのか、どうしたら良いのかと整理しておきます

ウォーターマークサイン意味があるのか?

つの意味では意味があり、2つの意味では意味がありません。

(Xの利用規約がいつ変更され、どのように利用されるかについては、他の方の記事に詳しいため略します)

なぜ学習を防げないのに、意味があるのか

自分画像であるという主張を残せるからです。

先行例としてストックフォト(写真の利用販売)があります

たいていの場合人間が利用可否を判断できる程度には高解像度写真と、ストックフォト社のロゴ撮影者の名前管理IDが入っています

もちろん商業印刷に使える高解像度は購入後にしか手にすることはできません。ただサンプル画像ですが、機械学習用途では十分です。

ロゴなどを取り除くのは難しくありませんし、学習用途では十分なイメージサイズがあり、機械学習に十分使えます

しかし、実際にはそういった事例は見聞きしません。(個人学習されている方もほぼいないでしょう)

なぜならば、もしも利用が発覚した場合使用料請求されるからです。

同様に、無償用途であっても、例えば軍用機戦車など、IDサイン写真に入れる方は少なくありません。

これは、端的にはパクられた時に自分写真だと主張する為です。

学習されたくないという目的を達成するには

現行法下では、いわゆる"無断学習"を止めることはできません。

必要なのは法改正もしくは法解釈変更のためのロビー活動です。

機械的に大量の学習が行われるのが問題であるという論建ても見聞きしますが、あまり良い筋論とは思えません。

なぜならば、少ない学習量で良い結果を出すというのは、機械学習的にはかなり昔から熱心に研究されているテーマからです。

(例えばコンピュータ将棋新風を吹き込んだBonanzaは、たった6万局の棋譜学習させることで評価関数作成しています

実用的にも、事前に学習させたモデルを準備しておき、少ないサンプル画像(数枚~数百枚)で、不良品検査に使えるモデル作成する、などは熱心に行われています

現状でも、対象となる絵を人間が模写して、模写側を学習させるだけで、十分に元画像に近似した画像を出力できます

人間が目で見て判別できる程度のノイズウォーターマークは、前述の通り除去にさほど手間はかかりません。

無断利用されたくないという目的を達成するには

方法論としては3つあります

  1. Xへの画像ポストを止め、学習しないと明言しクローラー拒否しているサイトを利用する。
  2. 個人利用以外には、対価を取る旨を明記する。
  3. 嫌がらせに対しては、都度対応する。

Xを利用する以上、利用規約同意しなければ使えないので、これについて学習を防ぐことはできません。(非公開ポストについては学習されませんが、これもXの利用規約変更が無いことが前提です)

例えばpixiv機械的画像収集ガイドライン禁止されています。また、画風を模倣した作品投稿についても一定制限のもとで禁止されています

対価を取る旨の明記とは、例えばpixivFANBOXのメンバー限定コンテンツを、無断で転載されてしまった場合、損害を負ったと外部に対して明確に説明が出来ます

これらを行ったうえで、故意学習され、似た作風の生成AI画像を公開されるという嫌がらせを受けた場合は、上記の旨を前提として、嫌がらせであると都度対応する必要があります

これは知らなかった、うっかりしていたでは起こりえない状態にしたうえで、きちんと嫌がらせに向き合うということです。

上記では防げない部分の補足

生成AI画像そもそも見たくない、というものは、現行では防ぎようが無く、どちらかというとロビー活動に近いものになります

こいつは画像生成AIで絵を出力している!というのは、指摘として正しいか否かは別として、あまり意味をなしません。

ただ、自分趣味である写真でも、いわゆる加工をどこまで許容するかは人やコンテストによって異なる為、そういった住み分けの話になってくると思っています

例えば、ある画家自分の画風を学習させた生成AI画像を出力して販売したとしても、それを咎め理由は思い当たりません。

現状でもまだ過渡期であり、人間の目で判別不能画像を出力するようになるのは、時間問題です。(既に人間が書いた絵であっても生成AI絵だと誤認される事例は数多くあり、指摘できる人間の数は減っていきます

どちらかと言えば、作画過程タイムラプス動画価値を見出すような、違った付加価値の話になってくると思います

最後

生成AI画像技術禁止する、学習禁止するなどは、現行法下ではできません。

法改正もしくは法解釈の変更が必要なためロビー活動を行うしかありません。

しかし、自分の絵を商用利用を禁止し、それを許容するプラットフォームで発表することはできます

Xでは非公開ポストにしない限り、機械学習に利用されることを防ぐことはできません。利用規約で既に利用が可能になっているからです。

露悪的に言えば、Xを利用するのに学習されたくないのは虫が良い、と言えます。ただし、Xに対して一定金額を払うことで対象から除外してもらうように働きかけることはできるかもしれません。

ウォーターマークサインノイズ機械学習を防ぐ目的に使う効果はとても薄いです。ロゴウォーターマークの除去もテーマとしては昔からあるものであり、難易度はそれほど難しくありません。

ただし、意図して除去していることは明確になるので(Xには規約学習されてしまうが)X以外の例えば悪意ある第三者学習された場合に、悪意ある行動だ、と指摘することが出来ます

この場合、対価を取って公開している場合、損害が明確になるので、アクションを取りやすくなります

簡単にまとめると

X社に学習されるのは諦めて、小さくても良いのでトリミングで取り除かれない位置サインを入れてポストするのが最もベターです。ウォーターマークである必要はありません。

(取り除かれて転載された場合タイムスタンプを基に悪意ある転載だと指摘できるため。逆に言えば別に大きくいれてもさして違いは無いので自分の好みで入れれば良い)

また、自分の画風のAIモデルを開発中である、これの対価はAI陣営には買えないくらいとても高い、とプロフィールに書くだけでも十分抑止になります

生成AIに反対する為に、自分AIモデルを作り高額で販売するつもりである、と表明すれば良いからです。

嫌がらせ自分の画風を真似たモデルが作られて販売もしくはそれを使った出力画像が出た際に、自分は損害を負ったと主張できます

また、第三者ゲームスクリーンショット勝手に透かしやサインを入れるのは止めましょう。適切なガイドラインのもとで適切に利用するのが最も大切です。

既に法律でも、利用規約でも、生成AI機械学習側がリードしている状態です。

Xが学習するというのを妨げるのは、プラットフォームを利用する側としてはどちらかと言えば非難される側になってしまます。(規約にあり、利用しており、それでいて相手妨害する為)

Xにポストする絵には必ずどこかにサインを入れて自分のものだとわかるようにしてください。それが今できる最善の対応です。

2024-11-07

お前らって"エモい"を使いこなせる?

はいまだに使いこなせいないよ

anond:20241104184608

めちゃくちゃわかる。エモいとかだけで済ますのやめて欲しい。

毒入りスープもいいぞ。

よく考えたら意味が分からない言葉

ユンケルンバでガンバルンバ

・ぴえん

バッチリ

ガッツだぜ

・どんだけ〜

おっぱっぴー

はっちゃけ

ウケる

エモい

・マジ卍

2024-11-04

最近クトゥルフ神話TRPG界隈がゴミすぎる

タイトル通り

以下愚痴


もうやめましょうよ

最近のやたらと感情思想に訴えかけるタイプシナリオの流れとか

やたらそこに精神嫌悪を抱くようなシーンを盛り込むとか

それを"エモい…!"、"しんどい…"という言葉だけでエモシだと思わせるようなPLも

全部、キツいっす


性的被害災害被害という人にとってはPTSDになりかねない事象ネタバレからという理由で注意書きに描かないの本当に人としてどうなの、キツいよ


そこを隠さないとシナリオの魅力が伝えられないんですか?じゃあシナリオ作り辞めちまえ。

自分から物語ギミック作る能力ありません」って言ってるようなもんじゃんね


こんなシナリオ投げ出して、全員悪霊の家でも回ろう!

はてなブックマークとか増田とかって、

なんかセックス関連の話題とか床屋政治談議みたいなのと、うんこ漏らした話がぐるぐる堂々巡りしていて最近全然「あ、そんな話あるんだ!なるほどね」みたいな気づきがない。増田は延々堂々巡りとかおじさんホイホイ(漫画ベスト10とか)夫婦セックスレスとか不倫かいやでたまらないとかやらせてもらえないとか)ミソジニーとかアセクシャルとか発達障害とかそんなワードサラダ

最近はてブ環境悪化を促進しているのがTogetter素人さんのつっこみどころ満載の「断言」をまとめてホッテントリに入れるムーブ。クソだし有害からやめてほしい。

あと朝日ハフポスト意味なくエモい演出の有料記事とか関係者組織上げしかなくない?東京新聞とかそんなに影響力あんの?普通にロイターブルームバーグワシントンポストタイムズ、BBC,NHKあたりのソースでいいじゃん。東洋経済は一時期クソだったけど、最近少し改善されたように思う。(定年したお年寄りコタツ記事で。タイトル釣りで「なぜ〇〇は嫌われるのか」みたいなので埋めてあることが多かったけど、最近はそれなりに企画された本の紹介で専門家が出てくることが増えたと思う。)

先週は物流業界系のソーストラック業界ニュースとかホッテントリはいっていてこういうの良いなと思う。

でもなぁ、なんていうか活動的ちゃん教育を受けた知識人がなにか書いていくっていうのもうないよな・・・

2024-11-02

anond:20241102083243

駄文ばっか書いてる分際でなにエモい別れみたいに書いてんねん二度とその面見せんな

2024-10-30

四十肩には一度しかなれない

四十肩は、ふつう一生で一度しかならないものらしい。

一生のうちで一度しかなれないってエモいよね。なんだか尊いものに感じるよ。

 

去年、四十肩の疑いがあったんだけど、病院いかないうちに治ったので、あれが四十肩だったのか分からない。

あれは四十肩だったんだろうかっていうのも、あれは恋だったんだろうか、みたいでエモいよね。

こちソロライブがめちゃくちゃ良かった件

Vtuber見るけど基本的芸人だと思ってみてるからライブほとんど見たこと無いんだよね

ただ流石に5年推してて、ずっとやりたいって言ってたソロライブから見るかーとなったんだけど(チケットは外れた)

完成度が異常に高くてビビった

 

ストーリーとしてほんとに綺麗なんだよね、よくできた漫画アニメみたいな

シナリオライター居るわけでもないのに設定の伏線とかドラマちゃんとしてる

ソロライブやりたいといい続けてて6年かかって実現する話」とするとカタルシスがエグい

そりゃ皆泣くって

 

例えば「すいちゃんステラステラ配信女児みたいに歌い続けた」っていう伏線がずーっとあって

それで初ソロライブゲストとして呼んで一緒に綺麗に歌うみたいな、これも伏線回収というか、その瞬間に色んな記憶が呼び起こされるんだよね

まるでアイドルに憧れた女児が同じ舞台に立つみたいなエモさ、マクロスか?(見たことないけど)

こういう、漫画とかで見る「繋がった瞬間のエモさ」がめっちゃあった、鳥肌立つやつ

 

35Pのピンクハッピサイリウムが、まるで桜の木のようになってる みたいなのも、後出しにしては出来すぎなんだよな

ライブ開始時に、初期設定の動画リメイクを流すのもさ、アニメで見るよね、最終回1話のシーンが出てくるやつ、シュタゲとか

それを6年越しだから

 

そうか、今回は結果的時間の重みを意識した構成になってたな

初期3Dを登場させるとか、初期みこちからメッセージとか、ライブ前の私から手紙とか

あとはライブ告知前からの「最近レッスンで忙しい」という伏線からの、告知後の「ライブのためのレッスンで忙しい」からの、ハイクオリティパフォーマンス、みたいなのも時間意識される

この感覚もエグくない?毎日配信してるから裏で頑張ってるのが何となく分かるんだよね、家族見てる気分になるわけ

 

歌とダンスも異常に良かった、想像の上の上だった、よほど頑張ったんだろう

からこうだったかなあ?今回異常に上手く見えたんだけど、会場もよかったのかもしれない、Vのソロライブ始めてみたけど面白いステージ構成だった

ライブ後の通常配信での撮影会は「かわいい」より徐々に「おもしろい」が勝ってきたから、やっぱあの会場がすごかったのかもしれん

 

あとライブ意識して作ったと思われるアルバム新曲もどれもしっくり来た、これ配信活動のことを歌ってるからなんだと思う

個人的アニソンが好きな理由と同じだ、バックグラウンドがある歌はエモさが段違いになる

一般アーティストにいい歌はたくさんあるけど、どうにもハマれないんだよね

 

あと3Dも異常によかった、ついにここまできたかっていうくらい

めちゃくちゃ存在感があった

初音ミクさんが初めて3Dライブしたときはイロモノみたいに捉えられてたけど、ここまで来るとちょっと話変わってくると思う

 

存在感があったもう一つの理由は、ファン存在だと思う

これすごいエモいなって思ったんだけど

普通歌手ライブだと、いうてファンがどういう人かなんてわからないし、普段から歌手コミュニケーション取ってるわけじゃないから、他人と一緒に見るライブなんだよね、歌手自分+その他大勢みたいな

でもVのライブ場合、いっつも配信でやり取りしてるファンなんだからファミリー感がかなり強い

まりライブなんだけどほんとうに「いつも通り」なんだよね、ファンがどういう人かもだいたい知ってる、どういうノリでどういう笑いのセンス持っててどういう気持でライブ来てるか何となく分かる

これすごくね?1万人以上の「お前ら」なわけよ

Vにとっても安心安全空間すぎる、歌だって緊張せず「いつもどおりの歌枠配信」のつもりでもいいんだよね、皆100点出せとか思って無くて、いつもの延長線を求めてるんだから、おもろいわ

いつもの同接は3万人とかだから、それより少ない厳選された視聴者が、オフで集まって豪華な配信見てるだけなんよ言っちゃえば

よく体験型コンテンツって言うけど、これぞまさにって感じがした

 

あ、あと一曲カバー曲があったけど最高だった

こちバンド系の盛り上げ方も上手いんだよね、なんならカバーオンリーライブあってもいいくら

 

いやーほんとに良かった

ストーリー厨としては大満足と言うか、「近年見たアニメの中で一番おもしろかった」みたいな評価になってしまっている

なぜかアイドル系のアニメ全然見ないのに、不思議なんだよな

プリパラは全部見たけど

 

____

 

マリンライブちょっと気になるから見ようかなあ

2024-10-29

たまきん総理と対決する未来がきたらエモい

20代30代の働く若い世代に圧倒的人気がある国民民主と玉木

今回は労働者側に立った政策で支持を集めて一気に党勢を拡大したが

玉木の最終的な国家ビジョンは、必ずしも今回国民民主を支持した人たちの希望とは一致しない

玉木は高福祉負担中央集権国家志向の持ち主だと思われる

もし玉木の思惑通り日本経済回復して玉木が総理椅子に座った時、

どこかのタイミングで玉木はきっと増税を言い出すだろう

玉木をひたすら労働者を甘やかす政治家だと思っていた有権者失望あんなに支持した玉木を憎み選挙落選を祈るはずだ

これはマンガみたいな展開で超エモい

玉木もいつか自分を支持した人たちを非常に切り捨てる瞬間がやってくることを理解しているはずた

今の玉木と若い労働者蜜月も一瞬のものしかない

これはもうマンガだよ、そんなドラマチックな未来がくるのが今から待ち遠しい

2024-10-28

anond:20241028090851

この後に続く音が「ドピュッ」だったらエモい

2024-10-20

anond:20241020104309

あの漫画エモい。あれに出てくる曲は知らないやつが多いけど、吹き出しに手描きの文字で描かれた歌詞が、シチュエーションと合っていてグッとくる。

 

さぞ元の曲もいいのかと思って聴いてみると、正直なところ曲はあんまり良くない。(個人の感想です

結局のところ、物語に合わせた選曲と、詩の拾い方が絶妙なんだな。だからエモい

2024-10-13

言語化言語化必死になるのもいいけど、未整理な感情に貼るラベルを無理に探すくらいならエモいとでも言って留保しておくのも趣があっていい。

しっくりくる言葉を見つける時まで待ったっていい。

会社文書に使うだけが、明確さだけが結論を頭に持ってくるだけが言葉じゃない。

青春という言葉ニュアンスを明確に捉えた青春当事者はどれだけいるか

漠然とした焦燥や苛立ちだの、ぶつかる先を求めている情熱だの何だの。そういうざわめきを表す言葉もよく分からないまま、そいつ心を掻き立てられて居ても立ってもいられないような気分。

名前の分からないそいつに動かされる事でしか得られないものもある。かもしれない。

青春という言葉は何も制服着てデートするばかりではないんだと、後になって気付く。

ハナからそういうのをあ〜〜青春屋根で片付けてしまえば何かを失ってしまうのかもしれない。

おれはそういうとこでちょっと頭でっかちに生き過ぎたような気がする。

辞書説明たらい回しトートロージーだけではなくて、自分身体と頭を使った実感を通して初めて帰納的に意味の分かる言葉もある。そうやって初めて重みを持つ言葉もある。

情熱を感じた事のない人間には、その言葉も目から火を吹いてるキャラクターを手短に表すためのものしかないのかもしれない。

ありきたりだけど自分のものに出来てない言葉はまだいくつもある気がする。

よく分からない言葉をヒントに、まだ見ぬ心の動きを探し求めるのもそれはそれでいいですけどね。

名作といわれるドラマおしんをみたので感想を書く その4

https://anond.hatelabo.jp/20241010224911から続く

おしん物語根底を流れているのが、「恩」であり「仁義であるということをこれまでの感想でも書いてきた。おしんイコール辛抱する精神というイメージが広く流布するなか、金儲けに走った息子の根性を叩き直すために、田倉家を滅ぼしてでもライバル会社に利する行動に出た、という物語ハイライトは、意外にもあまり注目されていない。私も正直なところ、全話を通してみるまで知らなかった。

今回は、物語類型としての「おしん」をみてみたい。

流浪するおしん股旅物としての評価

おしんは一代記ものとしては、タイムスケールがとても長い。おしん1901年昭和天皇と同年に生まれた設定である

そしておしんが生きた少女時代から後期高齢者の83歳になった1984年まで、それぞれの時代があまりにも違い過ぎるので、1983年の田倉家のシーンから明治回想シーン時代を一気に2世代くらい遡るときタイムトリップ感が半端ない

1983年おしんが息子・仁を裏切って、並木商店への説得どころか、積極的大手スーパーへの並木土地の売却を進めてくれとお願いした背景には、並木商店隠居の大旦那並木浩太に対する並々ならぬ恩があるからである

それは、どのような恩だったのか。おしんは息子たちには何も過去を語ってこなかったので、仁には知る由もなかった。そもそも並木浩太とは何者なのか。

おしんも誤解されるのが嫌でそれまで息子には一度も語ってこなかった。しかし、前年の1982年17号店進出を知ったおしんが息子の行動を阻止しようとしたとき、仁は、それが母の初恋の人への配慮であることを悟る。そして、仁はいう。商売ってそういうものじゃない、「母さん、みっともないよ。」と。今風にいえばいい歳してエモいことを言い出してんじゃねえよと思われたのであろう。案の上、誤解されてしまったおしんであったが、なすすべなく工事は進み、ついに開店当日を迎える。おしんはこれまでの人生の回顧の旅に出るのである

おしんと人の縁

おしんと浩太のいきさつをかいつまんでかくのも、がっつり書くのもいずれもけっこうしんどいしかし、今回のテーマの「股旅物」がわかるように、ややガッツリ目に書いておこう。股旅とは、大正時代に生み出された物語類型ひとつで、一宿一飯の義理人情に従って流浪する物語であり、多くは渡世人やくざなどが主人公である股旅物の元祖長谷川伸は、その後の日本小説戯曲、そして映画テレビドラマに至るまで多大な影響を与えた人物である。「飢餓海峡」で知られる水上勉は、長谷川伸の「夜もすがら検校」を読んで作家を志したことはよく知られている。「夜もすがら検校」を発表したのは1924年である明治が遠く過ぎさり、大衆大正デモクラシー自由への過大な期待から人々が少しずつ醒め始め、もう一度生き方を見直そうしていた時代である

2000年代になると、日本映画ドラマの潮流は変わり、義理人情といったテーマ陳腐ものとして忘れ去られてゆく。20世紀末までのドラマでいえば、「北の国から」が長谷川伸的な一宿一飯の義理人情世界観でつくられた恐らく最後ドラマだろう。吹雪の中を助けに来る馬、泥付きの一万円札などに表現される世界は、まさに長谷川伸系譜なのである

おしん回想シーンだけをみると、浪花節にあふれた、まごうことな股旅であるしかし、おしん物語面白いところは、浪花節陳腐化し、古臭いものになってしまった現代1980年代)と交差している点である

キーワード加賀屋への恩】

並木浩太とおしん最初出会いは、おしん16歳、山形酒田の米問屋加賀屋奉公へ来てから7年が経った頃だ。おしんは、加賀屋の跡取りの長女・八代加代と姉妹同然に育ちながらも、大奥様・八代くにからは、肉親の孫娘・加代よりも商売イロハから茶道裁縫など良家の子女としての教養を徹底的に教え込まれていた。このときにの指導によって身に着けたものの考え方や教養が、のちのおしん人生で役に立つのである。加代はというと、将来は良家から婿をもらって加賀屋をどうせ継がさせられる自分のつまらない運命うんざりしていた。絵画が好きだった加代は、東京で別の”自由”な人生があるのではと夢をみる少女だった。そんな折、農民運動活動家・浩太と出会った。酒田訪問した際、官憲の目を逃れるためにおしんとお加代に助けを求めたのが最初出会いであるおしんとお加代は同時に、浩太に恋心をもってしまう。大正デモクラシー時代だった。インテリかぶれした加代は平塚雷鳥の本を手元におき、人形の家を著したイプセンなどに憧れを抱いていた。当時、大衆のなかで勃興していた人権運動先進的だと中身もわからず憧れていたのである農民運動、カッコいい!加代は浩太の活動ロマンを感じて恋に落ちてしまった。一方、おしんは、土地を持たない小作農民の自立を助けたい、という浩太の純粋な思いに心を打たれていた。おしん小作の娘であった。小林綾子が主演した「おしん少女編」では、おしんの母・ふじが冬の川に下半身を沈めて妊娠中絶を図ったり、小作農民の悲哀がこれでもかというくらい暗く描かれていた。そしておしんは冬の川に入った母の姿をみて、6歳で材木問屋奉公へ行く決心をしたのであるいかだに乗って、母ちゃんと叫ぶ、有名なシーンのアレである

ともあれ、加代とおしんは同時に同じ男性に恋をした。そしておおらかで情熱的な性格の加代は恋心を隠すことができず、おしんに打ち明けていた。そしてやがて加賀屋の跡取り娘でありながら、何もかも捨てて浩太へ会いに東京家出してしまう。しかし、おしんは、奉公先の跡取り娘であるお加代様の恋を大切に思い、自分の思いはそっと封印した。一方の浩太は、東京に出てきた加代の猛烈な求愛を受け止めつつ(東京で加代と同棲までした)、本心最初からおしんが好きだったのである

おしんは加代の家出理由加賀屋に伝えることが忍びなく、おしん加賀屋から暇をもらって帰郷する。帰郷したおしんを待っていたのは、おしん女郎部屋へ売り飛ばそうとする父・作造と口利きの男であった。さら実家で目にしたのは、奉公先の製紙工場の過重労働健康を害し、肺結核で放り出され、今や死を目前にした姉・はるの姿であった。いまわの際に、はるは女衒に騙されそうになっているおしんを救うべく、自分の夢が髪結いになることだったことをおしんに告げ、東京の知人の髪結い師匠長谷川たかの住所を訪ねるように、伝えて息絶えた。

一方、加代は、浩太の心がおしんしか向いていないことを悟り、浩太のいない東京を去り、加賀屋を継いで見合い結婚する。

キーワード日本髪結いのおたかへの恩】

こうして、はる姉ちゃんが叶えなかった夢を託されたおしん東京へ出た。女郎部屋を売り飛ばそうとした父のいる故郷に心を残すものはなかった。髪結い師匠たかは、江戸時代から続く髪結いの昔気質職業観を持った女性だった。一人前になるための6~7年の下積みの苦労は当然であり、弟子には甘えを許さなかった。

しかし、大正という時代は、江戸から明治まで続いてきた日本髪の伝統の衰退期であった。大正浪漫とか大正モダンと言われる時代が到来しており、洋髪が東京流行し始めていた。おしんが修業している3年間の間に大きく時代が変わりつつあったのである

大衆身分から解放され、より自由髪型を求めるようになっていた。髪型をみれば、人妻なのかそうでないのか、はたまた、その人の職業身分がわかる、という時代は終わりつつあった。弟子入りなんてせず洋髪の専門学校をでて、理髪を仕事にする時代がきていた。おしんには洋髪のセンスがあった。たかおしん独立をすすめる。たかはいう。「昔は厳しかったんですよ。6年も7年も修業してやっと一人前になったら、それからまた、お礼奉公をして。10年近くもただ働きをして覚えたもんなんですよ。そんなことは今は通んなくなっちまったけど。やっぱりご時世ってもんですかね」。これは紆余曲折を経ておしんたかの元から独立し、その後、客先で出会った男性・田倉竜三と結婚挨拶たかを訪れたとき言葉である。その時、5人いたたか弟子はついにたった一人だけになっていた。

田倉商店を竜三の妻として支えるようになったおしんであったが、商売は順風ではなかった。おしん夫婦を陰で支えていたのはたかであった。田倉の経営が傾くと、おしんたかを訪れ、髪結いをして夫を支えた。たかもまた、洋髪の時代おしんの才覚を必要としていた。客商売は人の縁、ひととのつながりを大切にすることだと心に刻んだのはこの頃である

一方、田倉商店開店休業状態に陥るほど経営悪化していたが、おしん髪結いで稼いでいたので竜三はプライドを傷つけられ、すっかりおしんが稼ぎ出した金で遊び歩くようになってしまった。師匠たか相談すると別れちまえという。「ダメな男はどこまでいったってダメなんだよ」とすっぱり切り捨てるが、おしんは亭主をダメにしたのは自分だとと気が付いた。夫の更生のために妻の自分は黙って夫についていく姿勢を示すことを決意し、長谷川洋髪をやめることをたかに申し出る。稼ぎ頭のおしんに辞められるのはたかにとってもつらいが、受け入れる。やがて蓄えもつき、明日食べるコメもないどん底におちて初めて竜三は再起を決意する。しばらくは順調に田倉商店再生が進んで、おしん洋裁の才能も手伝って、田倉は子供服店を開店することになった。しかし、その直後、関東大震災おしん夫婦の夢を完膚なきまでに打ち砕いてしまうのである工場火災で焼かれ、絶望した竜三は「佐賀ゆっくり休みたかおしん佐賀はいいとこばい。。。」といって佐賀への帰郷の心を固める。竜三は大地主の三男坊なのである。こうしておしんにとって地獄佐賀編がスタートすることになった。

さて、佐賀に三男の嫁として入ったおしんを待ち構えていたのは、姑による徹底的な虐待だった。数か月もすると、おしん佐賀地獄から脱出を心ひそかに誓い、東京師匠たかのもとに、東京に戻りたいと手紙を書くのであるたかの元にいけば助かる、自分の腕一本で生きていると信じた。必死の決意で脱出し、やっと髪結いを再開しようとするも、さらなる不幸がおしん絶望に突き落とす。佐賀で夫に振るわれた暴力が原因で、右手の神経に麻痺が残ってしまっていた。髪結いを諦めざるを得なくなった。

こうしておしん流転の人生が始まる。屋台出店からまり故郷山形酒田と流れ流れ、ついに浩太の紹介で三重伊勢の魚の行商に落ち着き先を見出すのである佐賀に残った夫といつかは一緒になれると信じて手紙を書き続けるのである

キーワード:浩太の恩】

浩太の実家貴族院議員の父を持つ、太い実家だと先に書いた。しかし、浩太にとって本当のやすらぎのふるさとは、おばの伊勢実家網元のひさの家であった。浩太は、流浪人生を送るおしんを見かねて、伊勢網元をやっているおばのところに下宿し、行商を勧めるのである。これまで米問屋での奉公に始まり、ラシャ問屋子供服洋裁、洋髪・日本髪、農家の嫁地獄酒田の飯屋をやってきたおしんめし加賀屋は加代とおしんが切り盛りし、おしんにとって加代の元気な姿をみた最後の思い出となった。その職業遍歴に今度は魚売りが加わることになった。

伊勢に来て、笑顔を取り戻したおしん。竜三もおしん魚屋をやる決意をしてくれ、おしん人生好転し始めていた。

一方、加代の人生は、暗転した。加賀屋本体が夫の先物取引の失敗で負債を抱え倒産した挙句、夫は自殺してしまう。八代家の両親は過労で衰弱、入院費を工面するために加代は借金のかたに売春宿に沈められてしまう。両親は相次いで亡くなり、生まれたばかりの希望を抱えた加代をみて、おしんは救出を誓うが、借金の額に手が出せなかった。加代は翌日酒を煽って死んでしまった。希望は田倉で引き取ることにし、加賀屋の再興を果たしたい思いから、養子にはせず、八代苗字も変えなかった。

一方、浩太は長く続けてきた農民運動に行き詰っていた。治安維持法により、弾圧が厳しくなり、ついに6年間も投獄され、苛烈拷問の末、転向を迫られた。敗北者となった浩太は、心身の傷をいやすために伊勢のおばのところに帰るのである。すっかり引きこもってしまい、おしんとも口を聞こうとしなかった。やがて、浩太は実家の縁談に応じて、並木家へ婿入りすることになって静かな人生を送るのである。やがて少しずつおしんとも再び心を開くようになるまで十数年を要した。

田倉家では、雄、次男の仁、そして希望がすくすくと育っていった。雄は戦争で亡くなるが、戦後も仁と希望兄弟のように母おしん魚屋を支えていた。大人になった仁が商才を発揮する一方で、希望商売に向いていない自分を見つめ直し、自己実現のために陶芸の道を歩みだす。

屈折10年、陶芸師匠の元で修業した希望がようやく独り立ちできる時期が来た。そのときに、希望のための釜・新居の支援をしたのは浩太である。お加代さんとの縁を思い出してのことである。浩太は、折に触れて田倉家のおしんを見守るように生きていた。おしんセルフサービスの店に挑戦するときも、銀行からの借り入れにあたって、浩太は並木の自宅を抵当にいれてくれたこともあった。

股旅物を取り込んだ現代劇~義理人情は古臭い観念かという現代人への問いか

さて、長いことおしんの半生を振り返ってきたが、一旦冒頭の仁のセリフ1983年の場面)に戻りたい。

仁が17号店の出店を並木商店の近くに計画していることを知っておしんが反対したときのことである初恋のひとに迷惑がかかる?「母さん、みっともないよ。」というのが仁の反応であった。しかし、もし仁が母おしんの半生をもう少し知っていればそんな言い方はなかっただろう。おしんは人の恩に深く支えられて生きてきたのである。田倉スーパーの出発点となったセルフサービスの店にしても浩太の支援があってこそであった。

ドラマ構成として興味深いのは、おしんの半生を、徹底的に(一年間のドラマの大半部分を費やして)一宿一飯の義理人情で「世話物」的に(つまり当時の生活感覚として)描いておきながら、おしん戦後現代にいたる高度経済成長おしん自身義理人情を忘れてしまたことに気が付く、というメタで重層的な構成であるおしんにしても、商売は食うか食われるかだ、という厳しい姿勢戦後を突っ走り、16号店までたのくらスーパー事業拡大させてきた戦犯なのである。それが今になって17号店は昔に世話になった人に迷惑がかかるから反対、はない。突然反対し始めた母を見た1983年の仁の目からは、義理人情なんて古臭いものだという感覚であり、母の物語は「世話物」ではなく完全に「時代物」なのである。大切なものを置き忘れてしまった気がしたおしん問題17号店開店当日、失踪する。この世話物時代物が交差する、ところもドラマおしんの魅力である

2024-10-12

アンチ村上春樹による「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」のレビュー

アンチ村上春樹です。

万が一傑作である可能性に賭けて一応読みましたが、そのギャンブルは失敗に終わりました。よくこんな話を恥ずかしげもなく世に出せたものだ、というのが率直な感想です。

以下ネタバレあり】

あらすじは「高校時代にできた男3女2の仲良しグループからあるとき絶縁された男がずっと鬱々と暮らしていたが、36歳になってやっと気が合うセフレめぐり逢い、昔のトラウマ解決するよう言われ渋々腰を上げたと思ったら全員にノーアポで会いに行き近況と当時の真相を聞いてまわる話」。

電話メールFacebookであらかじめ連絡を取れや何を眠たいことやってんねん阿呆か、と思うタイプの人にはこの小話はまったく向いていません。

鬱々とした心情描写が延々と続き、全然ストーリーが進まないため5ページ読み進めるごとに強烈な眠気との戦いに都度勝利する必要があります

以下、特に気に食わなかったことを記します。

"ディジタルウォッチ"

のような英語ネイティブかぶれの呼称

"「こんな時間に本当に申し訳ないと思う」

「こんな時間って、いったいどんな時間?」

「午前四時前だよ」

やれやれ、そんな時間が実際にあったことすら知らなかったな」"

といった気が利いてる風の間抜けな会話

"「フィンランドにいったい何があるんだ?」と上司は尋ねた。

シベリウスアキ・カウリスマキ映画マリメッコノキアムーミン」とつくるは思いついたことを並べた。"

この、「俗物の非インテリである貴様には知りもしない文化的なことがフィンランドにはこんなにあるし、それを当然俺は知っているし、さらもっと深遠な目的が俺にはあるのだが貴様には到底理解できんだろう」という衒学趣味の受け答え

悩み事があるからと、それが無上の理由であるかのように罪悪感の描写もなく自分で注文した料理をしゃあしゃあと残す思い上がり

…全編このような愚にもつかない内容で構成されておりいちいち上げつらうと宇治十帖よりも長くなってしまうのでこのあたりで切り上げるとして、根本的に気に入らないのは、自分の力で人生を切り開く気概主人公に無いことです。

改めてネタバレを含めてストーリーかいつまんで言うと以下の通りになるわけです。

1.仲良しグループ(男3女2)からハブられたか死にたい

2.でもなんとなく死ねなかった

3.孤独ぶってたら妙に男の後輩Zに懐かれ仲良くなるがある日急に去られて寂しい

4.幸運にも向こうからグイグイくるセフレXができて人生がマシになった

5.セフレXに「昔のトラウマにきちんとケリをつけてから改めて私との関係を構築せよ」と言われ旧友たちの連絡先を取りまとめて渡されて初めてやっと重い腰を上げる

6.「そうした方がいいと思った」という曖昧理由によりノーアポで旧友男A.男Bを尋ねてまわるが、かつて若々しい夢にあふれていた彼らも今やくだらない仕事をしており無常を感じる

7.なんとなくの想い人だった旧友女Cが主人公レイプされたと虚言を吹聴していたことが主人公が絶縁された理由であったことを知る

8.その旧友女Cは何者かに殺害されもうこの世に居ないことを知る

9.旧友を訪ねてまわる最中セフレXが別の男と心底楽しそうに街を歩いてるのを見かける

10.主人公のことをなんとなく好きだった旧友女D(人妻)にフィンランドまで出掛けて行って会い、改めて事件の内幕を聞き、さらに昔は好きだった的なことを言われて恥ずかしげもなくハグしてエモい気持ちになる

11.過去の話に一応ケリがついたので改めてセフレXが寝盗られてたことを思い出し「とくに理由はないけどほかに好きな人がいるんじゃない?」という声の震え丸出しクソダサ詰問を朝四時に電話で仕掛けるも「いやお前、いま早朝だし後日な」ともっともな事を言われて訳知り顔で引き下がる

12.特にオチはなく以上

ね?わかるでしょ?

IQが3ポイント以上ある人ならどなたでもお分かりだと思いますがこの本、最初から最後までクソダサ男のヘナヘナ日記帳しかありません。この本を読んで得られる人生真実は何一つありませんし、後に残る感想といえば「だから何?」に尽きるというものです。この文章を参考にして青春時代を過ごそうという若者が居たら絶対に制止したほうがよろしい。この主人公のような受け身精神性では、貴重な若い日々を無駄にすること請け合いからです。友達に絶交されて酒飲んで寝て起きてなんとなく暮らしてたらワンルームマンションと都合のいいセックスフレンド(EDでもまったく気にせず優しくヨシヨシしてくれる)が手に入っていた、なんてことは通常起こりません。「押し入れから巨乳美少女が出てこねえかなあ…」というニート妄想レベルが同じです。かかる程度の低い思考回路をさも深遠高尚であるかのような描写に仕立てて凡人の無能さ・非積極性肯定し甘やかすことは若者を含めたほとんどの人間に対し悪影響であり、社会経済上、および文化芸術の発展からして害悪であると言わざるを得ません。

以上の理由により本来は星0つですが、言論出版の自由、また「くだらない内容であるにも関わらずレビューは高評価である」という事実から導き出される「人間雰囲気物事判断している」という気付きを与えてくれたことに敬意を表して星1つです。

しか最後になりますが作者の翻訳したほかの作品群は本当に素晴らしい。それらを見るに作者は読解力と文章力は抜きん出た人物であると見受けられます。したがって、本当は彼には物事真実を見抜くセンスがあるはずです。いつの日かこのような茶番自己承認と小銭を稼ぐのをやめ、今の自分の軛を脱し、人生真実を描き出す傑作を上梓してくれることを願ってやみません。

2024-10-11

萌え」と「エロ」は不可分だろ

どこのサイトとは言わないがさも「萌えとは可愛いものを愛する気持ちです」みたいに言いやがるアホがいる。

んなわけねえだろ。

それなら最初から可愛い」を使うわ。

平成初期〜中期にかけてのオタクが持ってた最低限のTPOから作り出された単語が「萌え」だよ。

コレを令和の民度終了済みオタクスラムでは「シコい」と呼ぶ。

一応言っておくが、「尊い」という概念と「萌え」は全く別物だからな。

尊い」は「キュンと来る」の言い換えだ。

ただ「キュン」という言葉についた加齢臭が笑えないぐらいキツイから別の表現が生まれたんだ。

この話をすると「じゃあダム萌えダムで発電するの?」とか言いやがるアホがいる。

アレらは「誤用」だよ。

エモい」が流行語になったときエロくてキモいの略」として紹介してる奴らがいたのを覚えているか

その時と同じように「ロクに調べもしないで誤用を広めるアホ」が世の中には沢山いるってだけの話だ。

分かったな。

まあ、そういった誤用の広まりに対して「いや、俺の萌えは元々の意味通りだ」とわざわざ言うのがダルいからシコい」が産まれたという経緯はあるんだろうけどな。

それでもなあ、やはり品がないよな。

令和のオタクは慎みがない。

漫画熱帯魚は雪に焦がれる」を読んで腹が立った話

 百合が好きなので、なんだか評判のいい漫画熱帯魚は雪に焦がれる』を読んでみた。

 結果として、2巻か3巻の途中で投げ出してしまった。

 理由としては第一に、あまり面白くなかったから。第二に、読んでいてだんだん腹が立ってきたからだ。

 腹が立った理由は「水族館部」の描写だ。結論から先に言うと、水族館部という珍しい部活をとり上げた理由が「なんかエモいから」でしかないと感じてしまった。

 この作品は、主人公田舎高校入学し、気になる先輩が所属する「水族館部」に入ることにして、その先輩と徐々に関係を深め合う、そんな物語である

 この水族館部というのは愛媛県長浜高校実在する部活動で、作者も現地へ取材に赴き、実質的作品舞台にしたようだ。

 だが、その水族館部の描き方に問題がある。

 まず、水槽が多すぎる。

 実際の水族館部もこれぐらい水槽があるのかもしれない。ただ、長浜高校水族館部の部員数は全校生徒の半分以上を占め、2024年3月時点で68人いる(https://www.asahi.com/sp/articles/ASS2W4TLBS2RPTLC011.html#:~:text=%E6%B0%B4%E6%97%8F%E9%A4%A8%E9%83%A8%E3%81%AE%E9%83%A8%E5%93%A1%E3%81%AF,%E5%A4%9A%E3%81%8F%E3%81%AE%E5%AE%A2%E3%81%8C%E8%A8%AA%E3%82%8C%E3%82%8B%E3%80%82)。

 全国募集部員数が増える前でも、数十人は下らなかっただろう。

 しかし、『熱帯魚は雪に焦がれる』の設定ではなんと部員数は2人。主人公が入部する前は1人だったのだ。

 ……誰が水槽洗ってるんだよ!?

 水生生物を飼ったことがないと想像しづいかもしれないが、水槽管理はなかなか大変だ。

 生体の老廃物や排泄物、食べかすなどで水が汚れるのでフィルター(濾過機)を常時回すのだが、どうしても濾過・分解しきれない物質が増えていくため、定期的に水を換えなければいけない。そしてフィルター掃除しなければ目詰まりしてしまう。さら水槽ガラス部分に藻や苔のようなものが付くので、こそぎ落とさなければならない。また、海水水槽場合は析出した塩を取り除かなければいけない。水温の管理必要だし、当然、生き物に関する知識を身に付けなければそうした調整もできない。

 こうした作業を、数十個の水槽に対して2人で対応していくのは極めて困難だ。

 百歩譲って、大量の水槽を2人で頑張って管理していたとしよう。しかしそうなると今度は、ストーリーとの整合性がつかなくなる。

 この作品主人公ら2人の仲良くなりたい、でも臆病になってしまう、みたいな繊細な心の動きを描いている。が、2人で何十個もの水槽管理し、あるいは重い水槽を一緒に持って動かし、生物水槽管理知識を教え合い、なんてしていたら心の距離が縮まらないわけがない。ましてや、話しかけようかどうしようだの誘おうかどうしようだのでうじうじする距離感ではなくなる。距離感が近付いた結果仲良くなるか仲が悪くなるかは人それぞれだが、距離感が近付かないということはあり得ないのだ。少人数の部活動というのはそういうものだ。

 また、登場人物水族館部および水生生物へのスタンスも気になる。はっきり言って、2人とも生き物にあまり興味がなさそうなのだ

 主人公は生き物どころか水族館部にあまり興味がないけど流れで入部しているし、先輩も水族館部にいる理由を聞かれて「子どもの頃からそれが当たり前だったから」みたいなことしか言わない。途中で顧問先生=先輩の父親も出てくるが、その人もちょろっと話を展開させる要因なだけで、生き物への愛情とかは語らない。(なんなら、作者も生き物のディテール知識は細かく書き込んでおらず、好きではあってもめちゃくちゃ好きというわけではないのだろう。)

 水生生物好きとしては「じゃあ誰がこの子(生き物)たちを好きなんだよ!?」と言いたくなる。別にこれが放課後に駄弁るだけのボドゲ部とかだったらボドゲ愛情がなくても構わないのだが、水族館部というのは一応命を預かっているのだ。色々と心配になる。

 それでも水族館部の活動を通して、生き物への解像度とか、「生」というものへの関心とか、生きるって何なんだろうとか、そういうことに思いを馳せながら2人の関係にも有機的に絡み合ってくるのかなと思ったら、全然話に絡んでこない。岩陰から出てこないサンショウウオを「自分に似てる」と勝手自己投影するぐらいである。そして、お互いにどきまぎしながら日々を過ごす傍らで、なんか水族館部の活動もしているっぽいぐらいである。本当に傍らである

 少し話は逸れるが、先輩が部活をやってる理由想像以上にぼんやりしているのは悪い意味リアルだと感じた。卒業した先輩の意思を継ぐためとか、水族館部を途絶えさせないためとか、過疎化していく地域のためとか、部員が1人になっても意地で続けていたとか、ベタながら物語映えしそうな理由はいくらでも思いつくのに、そうしたエクスキューズ特にないのだ。まあぶっちゃけ高校生なんてぼんやり生きているのが普通ではあるのだが、学校行事として開館日を設定して、他部の生徒にも協力してもらってまで水族館地域開放を成立させているような状況でこのぼんやり具合はうそ寒さすら感じる。

 ここまで長々と語ってきたが、この作品水族館描写問題点は「リアリティのなさ」とその背景に見え隠れする「リスペクト希薄さ」に集約できそうだ。

 漫画リアリティで言うと、別に幽☆遊☆白書を読んで「死んだ人間が生き返るわけないだろ!」とか言わないし、NARUTOを読んで「実際の歴史上の忍者と違う!」とか言う人もいない。では『熱帯魚は雪に焦がれる』のリアリティのなさは、なぜ問題なのか。

 それはやはり実質的特定高校舞台にしているからだろう。

 創作のために多少手を加えたり省略したりするのは許されるかもしれない。しかし、この作品では生き物を扱う苦労を無視してしまっている。こうした過度な美化は、現実存在をただ作品を飾り付けるためだけに利用してしまっている表象ではないだろうか。

 これがボドゲ部や手芸部ならいい。真剣手芸部もあれば、放課後女子会のような手芸部もあるだろう。他の部活だってそうだ。

 しかし、水族館部は国内で唯一と言われている存在だ。

 手芸部でもなんでもよさそうな内容を、ただ画的にエモいからということで日本で唯一の水族館部に設定してしまうのは厳しいものがある。

 水族館デートというのはさまざまな作品で描かれてきた。現実デートでも定番スポットだし、漫画アニメドラマ描写するにしても水槽が鮮やかで、でも館内は暗くて、なんかエモい水族館を訪れる人はそれで十分だと思うし、水族館職員の奮闘に思いを馳せる必要はない。

 しかしこの作品では、その水族館を「内部化」することでエモさを恒常的に発生させていて、一方でその現実的な苦労を描いていない。それが「いいとこ取り」で「表面的」にしか思えない描写に繋がっているのだと思う。

 以上、水生生物が好きでもないと半分以上理解できない内容ではあると思うが、『熱帯魚は雪に焦がれる』に感じた違和感を記した次第である

 なお、論評するなら最終巻まで読んでからしろと言われそうな気もするが、連載形式漫画にそれをする必要性はないと思っている。

2024-10-01

いや…#呪術本誌(withスクショ)じゃなくてさ。1コマでもネットアップロードすんなよ。

こんな意味だったのかあ深いなあエモいあみたいに浸りながらカジュアル作品違法アップすんな

1人1コマずつこのくらい許されるだろってアップしてたらあっという間に全編アップロードになるわ

2024-09-28

作曲、甘く見てたな

方針耳コピに変更して正解だった

自分を出すより、まずは他人とかプロが何をやってるのか真似るのは重要だな

とりあえず、パワーコードだけは弾けるし、基本的コード進行はできるし、作曲なんてほほいのほいですよ、と思っていたが、

~日でできる作曲、みたいなのさえ挫折した、というか、本の中の課題で曲にはできるが、なんか納得いかない

単純に面白くない、自分の曲がつまんない

じゃあ、同じようなコード進行をしている曲はあるか?ある、その曲は面白いか面白い、熱くなる、この差は何なのか

色々な理由があるが、例えば転調がある

マイナースケールから、サビでメジャースケールになると、雨空や曇り空に晴れやかな光が差すような感覚があることがある

もちろん、マイナー=暗い、メジャー=明るい、とはかぎらない、メジャーで暗い曲も書ける

あと、パワーコード弾きつつも、ちょこちょこコードトーンを基本に足してやるのも効果的だと思った

世代が分かるが、例えば、天空戦記シュラトopがあったとして、あれをパワーコードだけで弾くのは簡単

でも、よく聴いてみると、ちょこちょこ高音で足してる音がある、これも意外と必要だと思った

そのちょこちょこ足すセンスが未だにないのだが…

なんにしても、知ってる曲、知らない曲でも初回からコード当てはめを試してみたり、どうしたも無理ならベーストラックだけ抽出して、オクターブを上げて聴く

そこから大体のコードを把握し、適当パワーコードで弾いてみて、そこから上記のちょこちょこした細かいものを聴き取っていく

作曲するために買ったDAWだったが、完全にコピーするために使ってる

でも、前々から分かっていたことだけど、耳コピって作業は音を聴き取る作業と同時に、作曲をする作業だと思う

というか、原曲作曲した作曲家の作曲過程追体験するのである

耳コピをしながら、こういうときはこうするとこうなるのか、という知見を積み重ねていく

しかし、作曲はまあとして、自分に致命的に駄目そうなのは歌詞の方だな

エモい歌詞とか書けない

ウソは書けないとしたら、なんか憂鬱ものとか、ルサンチマンとか、そんなものになりそうである

サンボマスターみたいなのを書いてもいいけど、自分からするとやっぱりウソだと思うんだよね

ウソをつくならデカウソをつけ、本当になるから、というから、逆ブレして、大嘘を書くのもありなんだろうけど

なんにしても歌詞は書けない、恥ずかしいのもあるし、なにか自分の外側に訴えたいものがない、正直、なくなってしまった、若い頃の方があったんだと思う

今は音楽理論こねくり回したり、ネット自分よりできる人の演奏とかタブ譜を眺めては真似たり、とても他人の前で披露できるレベルじゃないし、

まあ、死ぬまで披露しなくても構わないのだけど、死ぬまでなら、何か自分なりに納得できる着地点がひとつはほしいところ…😟

2024-09-25

オモコロには何の恨みもないが

オモコロ派生チャンネルが終了発表されたけど

本家チャンネルを「見るのがしんどい」と言っちゃうレベルにやさしい世界(笑)が好きな繊細さん(笑)阿鼻叫喚してるの面白~www

繊細さん(笑)のくせにあのライターが嫌いとか名指しで直球の悪口言ってるのもウケる

これを機にXをやめて理解ある彼くんに慰められながらインスタになんかエモい感じで草花の写真上げたりポエム書いたりして穏やかに過ごしたらいいのに

2024-09-24

ai人生ぶち壊された絵師

まぁ、自分絵師じゃないので想像だけど。

何年、何十年と一生懸命練習して必死習得してきたスキルが、aiの登場で一瞬で陳腐化する喪失感って凄まじいものだと思うんだよね。

自分死ぬほど苦労して生み出した会心の一撃が「エモい絵」一言プロンプトで数秒で生成されるai絵に敵わないことに絵を完成させる度にわからせられるんだぜ?

絵師ざまぁwww」とかバカにしているかもしれないけど、今後あらゆる分野がaiに飲み込まれていくことが想像できるから絵にかかわらず語学でも、学問でも誰も苦労してスキルを磨こうとする人はいなくなると思うんだよね。

これ、生成ai社会に与える影響として割と深刻な問題だとおもうんだけど、この先どうなるんだろうね。

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