はてなキーワード: 正月とは
金がないから通所介護は週2回くらいしかできない。それ以外はずっと家で二人きりだ。
遅くなると癇癪を起こすから仕事も必ず定時上がりにしてもらったが、その代わり部署異動になった。
私は営業の仕事が好きだったし営業の仕事しかしてこなかったので新しい総務人事部という仕事にいまだに慣れない。昼に家に帰るのも負担だ。家では母の面倒を見、会社では慣れない仕事にあたふたあたふた。ストレスで10円ハゲ2個できた。
腹が減ったと言うから飯を用意したら食わないといい、味が薄いというから塩を足したら濃いといい。自分が言ったことも忘れて怒り出す。夜中に起き出して騒ぎ出すし、近所からの苦情も絶えない。
毎日毎日こいつはいつになったら死ぬんだと思いながら向き合っている。
母とは折り合いが悪く18で家を出て、社員寮があった今の会社に就職した。高校の時からバイトをし、15から小遣いをもらったことはない。つーかそれ以前にももらった記憶がない。
当然、親からの出発金なども一切なく、これまで親戚からもらっていたはずのお年玉も全額行方不明になり仕送りなどもなく、18から30まで一切親に頼らずに生きてきた。
30で父(離婚済み)が死にその葬式で母と再会し、仲直りというほどでもないが正月くらいは顔を見せ合う仲にはなった。
ここまでしなきゃいけない恩は私にはないはずだ。
そんなもん、あいつらが勝手に私を作った責任を果たしただけだろうが。
親は子供を産むことで自分の人生が歪んだ。介護の間くらい自分の人生が歪むことも受け入れろ?
嫌なら最初から作るな。私が一度でも頼んだか。お前らが勝手に歪んだだけだろうが。何恩着せがましくしてんだバカらしい。
勝手に作って勝手に歪んで、自分が調子が悪くなったら面倒を見るのが当然という風潮が理解できない。
全く理解できない。
この幸せを願わない親はいないというなら、こうなるまえにさっさと死んでおけよ。
私のために何も残さなかったこのゴミのために今私は、私が積み上げてきたものを切り崩しながら生きている。
これが終わったら、終わったときに私には華々しい人生が待っているのか?ないじゃん、なにも。
なぜ親を介護しなきゃいけないんだ。
だって、みんなお正月とかにお金を払って願いを叶えてもらおうとします
本当の神様は、お金と交換で願いを叶えてくれるようなものではありません
日本人って無宗教なようで、都合のいいときに都合のいい所だけ都合のいい宗教の信者だよね…😟
ちなみに、普通のキリスト教の教会の運営は日曜のわずかな寄付と教会全体で運営費を分配しています
当然、そんなお金だけで暮らしていけるわけもないので、牧師さんとか、牧師さんでなくても家族とかみんなが普通に働いてます
普段はサラリーマンをしながら牧師をしている人たちが大勢います
日本のお寺とか神社は、兼業でサラリーマンしなくても食べていけてる人たちがいます
おみくじでお金も取りますし、地鎮祭とかでも多額のお金を取りますよね
お寺や神社はもちろんですが、もっと怪しい宗教は巨大な御殿とか仏像とかが建っています、そんなのおかしいです
宗教の関係者も、信者さんたちも、みんな同じように毎日働くべきなのです
プロテスタントの合理的禁欲が資本主義の元になったというような説があります
しかし、今のアメリカでは資本主義から宗教的禁欲の要素がなくなり、欲だけになってしまいました
とんちで有名な一休さんだって、史実はあんなアニメのようなものではなく、あれは民の間で伝わった話が元になっています
一休宗純は、托鉢をもらって悟りを目指して修行する、という特権階級のような考え方に疑問を持ち、
自分で畑を耕したり、寺に仕事を持ってきてはみんなで内職をする、というような活動をしていたと聞いています
俺たちは悟りとか修行とか高尚なことをしているのだから働かない、托鉢で生きさせろ、という考え方がそもそも煩悩なのではないでしょうか
両者とも乞食のような恰好をして、売春婦や障害者を引き連れて、街を練り歩いたりしています
二人とも民衆から隔絶された宗教施設にいるような宗教家ではなく、民衆の元に降りてきて、民衆と共に生活しています
大きな違いは、イエスはユダに裏切られましたが、一休さんの凄い所は晩年成功したということでしょう
神社にお神酒が必ずお供えしてあるでしょ?お正月にお屠蘇を飲んだりするよね。穀物からつくった酒は、神と豊穣を結ぶ食物で聖性があるんだ。だから神に国の繁栄を願う儀式的な側面を持つ相撲では飲酒に甘いようにみえるけれども、「お神酒を舐めただけだから」という見方も通る。相撲は競技スポーツではないのでオリンピック選手と完全同列にはならない。
●はじめに
これは相手に向けて書いたものではなく、相手を批判する意図はない。
もしこれを読んで相手を批判しているように思えたのならそれは私の表現力の乏しさによるものである。
また、フェイクを入れずに書いているので、両者の友人知人は「もしや」と感じるかもしれない。
だとしても二人に触れずにそっとしておいてほしい。
以上のことを踏まえて、了承していただける方のみ先を読み進めてほしい。
●登場人物
私=筆者
一次創作をする。
絵と文章を嗜む。
A
この文章は、Aとの出会いから別れまでの備忘録と私自身の反省のためのものである。
●Aと私の関係性
そして縁が切れたのが我々が28歳になる年の2月ごろ。
薬10年を共に過ごしてきた仲だった。
間違いなく、一番仲が良かった友人だった。
高校3年間はクラス替えもなく、いろいろな話をして、真剣な話もして、時には喧嘩をしたりすることもあったが、それも乗り越えてきた。
大学は別々の道に進学することになったが、それでも毎日のようにLINEで会話を交わし、時々二人で遊びに行っては日が暮れるまで話し、解散後も夜が明けるまでLINEで話をしていた。
私が新卒で入社した会社の研修で2か月東京に行くという話をしたときはとても寂しがってくれたことを今でもよく覚えている。
Aは絵を描くことが好きだ。
絵を描くことが好き、と一概に言っても色々幅があるが、私から見ればAの「絵を描くことが好き」とはAのアイデンティティであり、Aの人生そのものなのだと思っている。
自分の気持ちを言葉にするのは少し苦手のようだったが、感情を絵に込めるのは大得意でAの描く絵には喜怒哀楽様々な感情が乗せられていた。
私も少し絵を描けるが、どちらかといえば絵を描くことは好きではなく自分の描く絵は好きという難儀な性格をしている。
そんな私と比べると、Aの絵に対する思いは尋常じゃないものなのだと思う。
私の作ったキャラクターやお話のファンで、この世のキャラクターの中で一番、私が作ったキャラクターが好きとまで言われたこともあった。
そのキャラたちしか描いてないのではないかという時期があった程度にはたくさん。
Aが絵を描いてくれることが嬉しくて、私はAにたくさん自分の創作の話をした。
●事のあらまし
Aと私は今までの一次創作の積み重ねを本にしたいという話になった。
私が書いた小説や、私から聞いた話をもとにAが描いた漫画の断片はいくつかあれど、それらを本という形に残したくなった。
そこで一次創作の同人誌即売会を調べ、Aと私の二人で本を出すことになった。
私は今まで書いた小説を集め、書き下ろしの話を追加した短編集などを3冊作り、Aは私が文章で書いていた短い話を漫画の本にした。
ところが肝心の即売会は諸事情で中止となり、半年後に延期になってしまった。
頑張って作った本たちはひとまず通販に置いて、Twitterのフォロワーを中心に頒布することができた。
半年後になってしまった即売会を待つ間、Aと私は喧嘩をしてしまった。
Aが私の地雷を踏みぬき、私が苦言を呈したことがきっかけだった。
私としてはその場で謝罪をもらって、それで終わりで良かった。
喧嘩をしたつもりはなかったのだが、思えばAの様子が変わったのはそこからだった。
多分おおもとの原因はここなのであろう。
Aの様子が変わり、Twitterにも出てこなくなったことが心配で、私はAに手紙を書いた。
仲直りをしたときの電話で、数か月後に迫った即売会の話になった。
「せっかくまだ少し時間もあるし、もう一冊本を作りたい」とAに伝えた。
Aもそれに賛同してくれたので、私は本の攻勢について説明した。
前に話していたネタで、漫画の本を作りたい。長くなりそうで作画が大変だから、今回は私が全部作画をする予定で、と。
Aは「あの時のネタか」と喜んでくれ「すごくいいね」と言ってくれた。
その会話の中でAが言った。「その漫画読みたいな、何なら私が描きたいくらい」と。
しかしどうにも作画コストがありそうなので、Aに全部描いてもらうのは申し訳ない。
だがAがそこまで言ってくれたのが嬉しくて、Aにも制作に参加してもらえたらと私は返答した。
結果、表紙と人物紹介ページの立ち絵だけAに作画を頼み、あとは全て私が自分で描くことに落ち着いた。
そして私は自分が描く予定で考えていた表紙のラフや、キャラの立ち絵のポーズのイメージを送り、Aに制作をお願いした。
私は今までAが描いてきたファンアートに対して何か対価を支払ったことはなかった。
強いて言うなら「新しくお話を作ること・考えること」を対価としていたのかもしれない。
だが先の喧嘩のこともあり、好意で描いてくれたものに対しても何かお返しをしたいと感じていた。
なので今回の制作に対しても「お礼をする」とAに伝えていたのだった。
Aの作業も私の作業も少し進んだころ、二人で遊びに行く機会があった。
そのときに私はAに「お礼として晩ご飯ご馳走するよ」と伝えた。
Aはそれを聞いて少し渋い顔をしたあと「じゃあ2回分で」と答えた。
Aの返答に少し違和感はあったが、私は2回分の晩ご飯をご馳走することを了承した。
だがしばらくした後、Aから「晩ご飯2回分と、表紙・立ち絵を描くことは釣り合ってないと思う」と言われた。
もともと私が全て描くつもりで考えていたものを、Aが描きたいと言ったから急遽参加してもらうことになったのだ。
つまり、好意で描いてもらうものに対して、私も好意でお返しをするという形だったはずだ。
どちらかと言えば同じサークルのメンバーで1つの本を共同制作する形に近い認識であった。
だから「"依頼"に対しての"対価"が釣り合ってない」と言われたことは、私としては違うと感じたのだ。
しかし、自分の描きたい絵を後回しにして人から頼まれた絵を描くことは大変なのは私にも分かる。
「じゃあ、何なら釣り合うと思う?」とAに聞いてみた。
Aは「考えておく」と一言。この話はこれで一旦おしまいになった。
Aから"対価"の話はされないまま、その後もお互い制作を進めた。
とうとう絵と漫画は完成し、本が出来上がった。
私は刷り上がった本を一冊と、同時に一人で制作していたグッズを合わせてプレゼントした。
本を開き完成した漫画を読み、楽しそうにリアクションを取るAの姿は、無理をしてそのように演じているように見えた。
長い付き合いなので、Aが気持ちを抑えてそれらしく振舞う癖があること、しかしそれが下手でバレバレなことは私にはわかっていた。
Aはそのときも、何かの感情を押し殺してそれらしく振舞っていた。
そのまま迎えた即売会当日。
その日はたまたまAの誕生日でもあり、私は今回のお礼と誕生日プレゼントを兼ねていくつかプレゼントをした。
細かくは覚えていないが、確かお土産菓子と、Aが一番好きな私のキャラのイメージ香水。
それからAは自分へのプレゼントとしてiPadを購入していたので、1000円ほどの有料のイラストアプリを入れてもらおうとiTunesカード1500円分をあげたのは覚えている。
iTunesカードは突発的な思い付きで、昼ご飯を買いにコンビニに買いに行ったときにふと目についたのだ。
「昼ご飯買ってきたよ。あとこれはい、あげる」と、さらっと渡したのだが、Aのリアクションは
「はあ……」と言ったものだった。
即売会も終わりに近づいた時刻、Aから「そういえばお礼の話だけど」と話が始まり「いろいろ考えたけど、1万円で」と告げられたのだった。
……イラストの有償依頼で、表紙(カラーイラスト)と立ち絵数名分を依頼した、となると確かに1万円は破格だろう。
友人同士の"共同制作"ではなかったのだろうか。
"共同制作"ならAが「印刷費をいくらか出した方がいい?」と聞いてきた際に頂いておいたほうがよかったのだろうか。
私は1万円を支払わなかった。
その代わり1万円分のお礼はすると伝え、今回渡したプレゼントはお礼も兼ねていることと、今日のご飯代、打ち上げのカラオケ代で1万円くらいになりそうだから、それでどう?と言った。
続けて「もし対価としてお金を要求するなら、それは話を引き受けるときにするべき話で、後から1万円でと言われても了承はし難い」と伝えた。
「今回はお互いのすり合わせがちゃんとできてなかったから、それは両方の責任だと思う。お礼に関してはあくまで好意で渡している。もし足りなかったら今後遊ぶときに代金持つよ」とも伝えた。
Aは最後まで納得がいかなそうな顔をしていて、頑なにカラオケ代を受け取ろうとしなかったが、私はそれらの代金を全て押し付けて、その日は解散になった。
あくまで私の価値観として、金銭が発生するやり取りは"契約"だと思う。
"依頼"を受ける"対価"として「これくらいの金額で」と提示し、双方合意の上で契約が成立するものだと思う。
「描いてもらいたいんだけどいい?」「描くよ」「ありがとう。お礼はするよ」
そこに金銭のやり取りが発生するとどちらも言わなかった。
私はこのやり取りのことを友人同士の口約束だと捉えていたのだった。
Aはその後、即売会の後処理や事務的なやり取りを私と交わし、私と連絡をすることはなくなった。
またもや大変長くなったが、ここまでが事のあらまし。
●縁切りに至ったきっかけ
約1年、Aと会話をしなかった。
そんなことは今まで初めてだった。
しかし連絡がなかったとは言え、TwitterやLINEは相互のまま。
まだ縁が切れたわけじゃなかったのだ。
Aが私に対して思うところがあるのは嫌でも分かった。
まだ友人関係を続けるなら清算が必要だし、縁を切るならそれはそれも仕方がない。
迷ったが、Aの誕生日に「おめでとう」と送った。約1年ぶりに発した言葉だった。
そのときのやり取りは消してしまってもう残っていないので、事実とは異なる可能性がある。
ぽつりぽつり、とぎこちなくやり取りを交わしたが、かつての親友を歓迎する雰囲気は全くない。
まだ怒っているか尋ねたところ「そうだね」と返事が来る。
「私のことが嫌いになったならもう現れない。あなたの前からいなくなる」と縁を切る提案をした。
とてもとても時間が空いて、Aから「嫌いとか、勝手に決めつけるのやめてほしい」と返事が来た。
『なんだその返事は。どう考えても「お前もう無理」が態度ににじみ出てるんだよ』
『そもそもお互いちゃんとすり合わせができてなかったことが原因だからどっちも悪いところあったんじゃないのか』
『なんで私だけが悪いみたいな態度を取られなきゃいけないんだ』
『謝ろうにもそっちの意見を聞かない限りは本当の謝罪なんて無理だろう』
私のこのときの率直な思いだ。
しかし、まだこれなら修復ができるかもしれない。
「私は今でもまだ友達だと思っている」と伝えると「私も同じかな」と返ってきた。
会う約束をすることになったのだが、いろいろあって実際に会えたのはさらに半年後だった。
ちゃんと話し合おう、主観で悪かったと思うところは謝って、相手の口からもきちんと思いを聞いて、
粗相があるなら謝ろう。誤解があるなら解けるまで言葉を交わそう。
そう思っていたはずなのに、久しぶりに会って私の口から出るのは、薄っぺらい近況話や中身のない話だった。
その日の私とAは、傍から見ればいかにも友人っぽかったと思う。
私に至っては。もはやAのご機嫌取りに近かったのかもしれない。
いかにも友人っぽい二人は、大事な話もできずにいかにも友人っぽいまま解散してしまった。
その日を境にTwitterなどでやり取りは再びするようになったが、心理的距離は変わらないままだったと思う。
それでも私の誕生日には簡単なイラストが贈られたので、私もAの誕生日にイラストを贈った。
私はその年、結婚式を挙げる予定があったため、Aのことも誘ってみたのだが
Aはその日どうしても外せない予定があったらしく、申し訳なさそうな顔をして断られた。
しかし祝福はしてくれていて、Twitterに載せた前撮りの写真にもコメントをくれたり、
行くことはできなかったけど、祝福はしているという雰囲気であった。
年末、式に招待した人たちに年賀状を出そうとリストを作っていたところ、
招待したけど来られなかった人にもお礼状として年賀状を出そうと考えた。
AにLINEで住所を聞いた。Aの一人暮らし先の住所は知らなかった。
Aからは「正月は帰省しているので実家に送ってほしい」と返事が来た。
私は過去の年賀状のファイルを実家に置いてきていたため、再度実家の住所を聞き、送った。
送った年賀状は「あて所に尋ねあたりません」のスタンプが押され、返ってきた。
Aに聞くと「省略した住所だったからかな?これが正式な住所だから送ってみて」との返事。
住所を訂正し、切手を貼り直し、再度送った。
再び、スタンプが押され返ってきた。
原因はどうやら転居届を出していたことだと分かった。
Aに「一人暮らし先の住所教えて。それか、直接渡すからどこかで遊ぼう」と伝えた。
Aは「年賀状のためだけに会うのは申し訳ないし、仕事が忙しくなりそうな予感がしてるから
しばらく遊ぶのは無理かも。何か手間かけない方法で……局留めとかできないかな」と返信した。
……私はもう疲れてしまった。
「年賀状のためだけに会うのは申し訳ない」はどう考えても「会いたくない」の言いかえだと思う。
局留めなんて提案もバカバカしい。住所を教えたくないだけなのがよく分かる。
「分かった。じゃあ会わなくていいから、どこかで話をする時間がほしい」
私はそう伝えたが、これは仲直りだとか謝罪だとかのためではない。絶縁のための話がしたかった。
話したくないことはよく分かったがそうも言ってられない。
LINEがブロックされたのかと思い、確認してみたがそんなことはない。
ただただ、無視をされていた。
数日経って、AがTwitterでスペースに参加しているのが見えた。
別のフォロワーがホストのスペースにスピーカーとして参加しているようだった。
よく見てみると、スペースに入る際に匿名で聞く機能が追加されているのが分かった。
盗み聞きのような気分だったが、そういう機能があるのだから使ってみることにした。
他愛のない会話。Aは楽しそうにしていた。
私はAに追加でLINEを送ってみることにした。
目につきやすいように、短文で3件ほど。
わざと気を引くような言葉も選んだと思う。
スペースで何か反応があることを期待したものだった。
しばらく待つと。案の定Aはその件について触れ始めた。
「まあ、私(A)の中ではね、友達としてはね、もうあのときで終わってるから……」
これだ。私が聞きたかったのは。
鍵アカウントの方へ移行していった。
Aからもらった絵も、渡すはずだった年賀状も、一緒に撮った写真も何もかもすべて。
Aの魂のこもった絵を処分していくのはさすがに心が痛んだが、私にはもうすでに必要のないものだった。
実家を出て、新居に必要なものだけ持ってきたはずだったのに、やたらとAの痕跡が多かったことを私は忘れないだろう。
(余談……事務的な手続きをやり残したまま処分を始めてしまったため、後始末に少し苦戦した。
他人も巻き込んでしまったためここは大いに反省すべき点だと思う。)
タイムマシンがあったら戻るか?と聞かれても、私はもう戻ることはない。
やりなおしたいわけではないが、自分の行動のどこがまずかったのかは今でも考える。
私はあのとき、ポンと1万円を支払っていればよかったのだろうか。
そもそも、お礼に何をするかを前もってすり合わせておくべきだったのか。
いっそのこと、自分の本なのだから他人に絵を描いてもらおうなんて思ったこと自体が間違いだったのか。
……恐らくすべての点で間違っていたのだろうと思う。
Aはきっと、私に対して「自分の絵(=自分の人生そのもの)に対して1万円の価値もないと思われた」と
感じているのだろう。
もちろんこれは断固否定するが、そんなことは決してないし、Aの絵と絵に向き合う姿勢にリスペクトしていたつもりだ。
私の思いはAに伝えたつもりだが、その通り受け取られなかったのなら、それは私の言葉や表現方法が悪い。
そもそも受け取ってもらえなかったのはきっと今までの積み重ねもあるのだろう。
私の信用は、もっと前には既になかったのだろう。
Aが私に対して「許せない」と感じているのはもう仕方がない。
許されないことも仕方がないと思っている。
しかし、今でも私はきちんとした謝罪ができなかったことを悔やんでいる。
Aは私の謝罪を必要としていないのかもしれない。だが私が謝罪をしない理由にはならない。
人間として、相手のことを本当に大事に思うのならば、きちんと謝罪をするべきだったのだ。
ない頭を振り絞りAの立場に立って考えたつもりではあるが。本心はAにしかわからない。
Aの本心を聞けなかったこと、強引な手段でしか本音を聞けなかったことも非常に後悔している。
何にせよ、もう私たちは戻れない。二度と戻ることはできない。
Aが私を許せないのと同じくらい、私もAのことが許せないのだ。
かつての親友であっても、二人の共通の友人とは今は関わりがほぼない。
共通のコミュニティに属していない以上、時間とともに価値観の相違は生まれるものだ。
Aも私も、少しずつお互いにずれていっただけなのだと思う。
Aが使っていた「ばかたれ可愛い」という語彙がなんとも下品で嫌いだった。
家に招いたとき、部屋中に飾った好きなキャラのグッズやぬいぐるみを見て
「ちゃんと定期的に埃とか取らないと汚い」と言ったことが許せなかった。
言いたいことをはっきり言わずに態度に出まくりなところが本当に嫌だった。
誰が聞いてるかもわからないオープンな場所で人の悪口を言ってる姿が情けなかった。
「もうとっくに友達じゃない」と思っていたのならさっさと切ってほしかった。
「友達として終わってる」なら私の結婚関連の祝いの言葉は何だったのか。
これらは全てAが悪いのではなく、私の価値観に合わなかっただけである。
それでも私はAを許さないと思う。
駅から徒歩15分くらい。戸建てが立ち並ぶ典型的な『閑静な住宅街』に俺は住んでいる。
そこの様子が変わってきた。
このあたり、大体一軒の家が5000万から6000万なのだが、商売をやっている外国人からすると「安い」とのことで、そこそこの数の外国人が移住してきてるというわけだ。
我が隣家にも、南米だか東南アジアだかよくわからんが色の黒い外国籍の夫婦が引っ越してきた。
俺は別に近所づきあいなどというものはほとんどしないので、別に隣の家に住んでいるのが外国人だろうが異星人だろうがあまり関係ない。
犯罪者はちょっと困るが、引っ越しの際は挨拶なども非常に朗らかにされて、隣駅で飲食店を営んでいるとかで別に問題の無い社交性を持った人達だなーと感じた。
御多分に漏れず老人ばかりの地域において、そういった人達は大体子供が3人も5人もいて、まさしく日本の縮図であるといった様相だった。
子供たちは道路でボール遊びをし、庭に何やらよくわからん秘密基地めいたものを作って遊ぶのを俺もほほえましく見守っていた。
さて、そんなどこにでもある地域なのだが、割と早めに問題が発生したのである。
なんでも、深夜に奇声を発している人間がいるとのことだった。遠回しに、「「あの外国人だろ」と老人たちが言っているのは明白だった。
婉曲的にではあるが、「隣の家のお前なんとかしろよ」と言われているのが馬鹿でもわかった。
俺は悲しい気持ちになった。そういうのを差別というのではないだろうか。確かにうちの隣人の人達は庭でよくボーっと煙草を吸っていたり、
正月にはどこからやってくるのか、友達だか親戚だかが集まって来て、深夜まで道路に何台も車を止めて楽しそうに会話をしていたりする。
まあ深夜に奇声を発しながら徘徊しているのは俺だ。
そんなことはどうでもいい。それに、この町内会をどうするつもりなのだろうか。うちのはす向かいの診療所は閉じたきりで、そこに勤めていたお医者さんは亡くなってしまった。
町内会長はこの前、町内会費をガメて大問題になりかけていたし、創価学会のおばちゃんは自分の家の犬と喧嘩して警察沙汰になっていたではないか。
なにより子供がいない。本当にいないのだ。そこそこ栄えている駅が近くにあるにも関わらずだ。この一帯が今緩慢に死のうとしているのはよく考えずともわかることだ。
そんな地域で、外国人であるからといって、証拠もないのに、騒音問題の犯人にされてしまうのはあまりにも可哀想だと思った。日本人だからと言ってみんないい子なのかと。憤然やるかたない俺は言った。
確かに、確かにね、あの人達は外国籍ですよ、と。子供は道路でよくボール遊びしてるから危ないし、煙草だって庭で吸ってるし、犬だって庭で飼ってる。
今の日本人のマナーからしたら、ちょっとどうかと思うこともいっぱいあると思うんですよ。
でも、冷静に考えたらそれって昔の僕らがやってたようなことじゃないですか。
僕らだって若いころは道路で遊んでたし、煙草だって吸ってたし、犬も外飼いしてたわけじゃないですか。ということを、相手が不快にならない範囲でお伝えした。
とりあえず、議題は今度に持ち越し、という形になった。俺は、勝手にこんなことを話されている外国人一家の気持ちを考えて、少し寂しくなってしまった。
自国を捨てて、言葉も通じない国にやってきて、商売で金を貯めて、子供を育てて。
ようやく買った一軒家。そこで「幸せに生きよう」としているだけではないのか。それなのに、日本の文化を押し付ける。
日本の文化やマナーってだけなら「郷に入って郷に従え」という精神でいいのかもしれないが、今のうちの町内会の文化は老人による老人のための文化だ。
成熟したマナーと言えば聞こえがいいが、単に地域全体を老人用のグループホームにして、ローカルルールを押し付けているだけだ。
俺はどうするべきなのだろうか。それを今、悩んでいる。
何処かのお店に入店した際、
棚の引き出しの奥にバブ柚子味がったので
バブみをもって家のお風呂でバブを握りしめながら世界を救えなかった感じで手のひらの中で儚く消えていくバブを柚子味堪能したところでしっぽりと温まったところよ。
ものの数が多いことを表す誇張的表現。派生に“65535”, “65536”がある。
いやいや65535も承知の助じゃない。
回文増田の最寄りの駅名。駅前には商店街があり、喫茶店や焼き鳥屋、定食屋、レコード屋などが並んでいる。
なんだかみかんの花咲く丘公園の桜も咲きそうな頃というかもう咲いてる感じがしてるわよ。
そう言えばミカンの花ってどんなんだっけ?って意外と思い出せない感じもするわ。
ねえ聞いて聞いて!
みかんの花咲く丘公園駅前の商店街のくじ引きが当たって2万円の商店街で使える金券がゲットなのよー!
運良くない?凄くよくない?
みかんの花咲く丘公園駅前商店街のレコード屋さんで開催されるフェア。クリスマスの山下達郎フェアが終わると角松敏生フェアがはじまる。
三が日明けると次何やる買ってフェアー楽しみなんだけど。
今は角松敏生フェアーのコーナーが賑わってるわ。
街のレコード屋さんは
ある心情や状況を強調するときに使用される表現。トラックバックへの返信の中で用いられることも多い。
きっと一所懸命塗ったフェスであればあるほど貢献すればするほど勝つることから遠ざかってしまい且つそのためには投票して戦わずいや塗らずにフェスを見守る方が勝つるわってそうかも知れない山脈に向かってヤッホー!って叫んじゃいそうな最近のフェスの仕上がりなのよね。
お湯沸いてあると思ったら電源コードが抜けていて、
以後気を付けるわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
どうぞよろしく!
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
宇宙船育ちの水耕栽培されたなんかハイテクトマトはとても美味しいって噂よ。
はい!
襟裳岬には何もないところだけど、
マドラー要りますかってステアするのにマドラー要らないってイキがっていたときもあったわ。
懐かしい香りがした、
そう大黒摩季さんのようにね。
うふふ。
あ!ここはうふふじゃなくて
らららね。
またはタニコーの五徳の如く
増田でステラーブレイドって検索今は超絶速くなってきたから検索しても誰もそのことを書いている人がいなくて増田で盛り上がっているのは私だけ?って思わざる山の如しって思うほどタニコーの五徳なのよ。
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
兄は夜更け過ぎにユキエに変わるだろう
発達障害を持っていてB型作業所に6年間通っているが就職に近づくどころか2年に1回のペースで大きなトラブルを起こしその度に就職から遠のく。
毎日必死に努力して図書館で自己啓発書を読んで体力を付けるために筋トレして生活費を下げるために節約本や断捨離動画を見ているのに全く就職に結びつかない。
そんなこんなのうちにここまで努力しても就職できないのは社会側の問題なのではないかと思い日本や社会の全てが憎くなってきている。
日本人を脳内で蔑称で呼んでいるし反政府組織に入隊して日本人をやっつける小説を書くのを趣味にしているくらいだ。
それだけでなく今年正月に起きた事件を見てこいつらは健常者で普通に就職して中には家も建ててる金持ちも居たんだから耐震対策をしなかった自己責任だろ、健常者ザマアと家族に話し怒られた事で自分の思考が変わってしまったことを自覚した。
今日報道された某国民的スターの報道の話を聞いても金持ちザマアと思ってしまった。
自分でも思考がおかしくなっていると感じるが自分でそれを正論と思っているのも本心なので変えたくても変えられない。
困っている障害者を助けず自己責任を押しつけるなら困っている健常者なんて超自己責任だろと思ってしまうからだ。
これは健常者に対するミラーリングでもある。
障害者に適切に配慮した上で健康的で文化的な生活を送れる雇用を用意するのが最優先だが出来ないのなら生活保護を無条件で与えたり障害年金を増額したりと言った社会側の弱者への努力と配慮を頼むからして欲しい。
祖母が比較的熱心な信者だが私財をなげうって家族がどうこうみたいなことは全くない。何なら商売をしている家計なのでそこそこ裕福だったと自認している。
両親になるとたぶん全くもって信仰はないだろう。物心ついたときに家には小さな仏壇があったがリフォームの折にそれもなくなった。多分処分したんじゃないかと思う。
当然その両親の子供の自分に信仰なんてあるわけもなく正月やお盆の勤行会?に連れられて退屈な時間を過ごした印象だけが強く残っている。当然自分にも信仰など皆無だ。
だが今のところ積極的に脱会?することは考えていない。面倒だからだ。
学会関係の知り合いは全くいないが、我が家の墓は創価学会の管理する集団墓地にあるので移動やらなんやらの手続きを考えると多分それなりの労力や金がかかるだろうことは想像に難くない。
ここまでにも書いたようにいい思い出もないのだが同様に悪い思い出もないのだ。
宗教絡みで家が大変になった思い出があるのなら熱意を燃やして脱会のために動けたのかもしれないが幸いなことに私の家族(少なくとも私個人は)創価学会を通して不利益を被ったことがない。
こうなるともう苦労してまでわざわざ脱会する気は起きない。このまま名ばかりの創価三世として生きたとして不都合もない。
と、思っていたんだけどなあ。もしも元増田と同じように恋人に打ち明ける日が来た時にひと悶着起きるのだろうか。まだ見ぬ未来を考えてちょっとめんどくせえなという気分になった。
ここで言うガチとは、お守りをハサミで切るのにも特に抵抗はなく、悪い事したやつに不幸が降りかかってもバチが当たったとか思わず、事故物件であっても清掃が行き届いているかくらいしか気にしない人間のことだ。
でも、正月には初詣に行っておみくじを買うし、家人が「やっぱ悪い事は出来ないね、お天道様が見てるから」と言えば相づちを打つし、海外出張の前にお守りをもらえばちゃんと持っていく。それはまあ一種の社会性フィルタってやつだ。
そもそも、信仰は大半の人間にとって有用であるし、宗教というシステムも一部の例外を除いてはとても良く出来ていると思っている。有史以来宗教によって殺された人間は数多くあれど、宗教によって救われた人間だってそれ以上に多いはずなんだ。
だから彼らの信じるものを否定する理由などないし、気分を害するようなことをしても誰も得しないと思ってる。「無神論者たるもの信仰心を持った人を論破すべし」みたいになったら、それこそ宗教めいていて気持ちわりぃや。好きの反対は無関心ってな。