はてなキーワード: 正月とは
相変わらず唐突にアニメネタを挟んでくるヒロシのひとりキャンプのすすめであるが
Angel Beats!ときんモザ以外は見てるけど、野球回あったっけ?と思う
Nice boat.回があるアニメの評価はどうなんだろうか
そんなこんなで小雪舞う中、秘密基地を作ろう合宿三日目の焚き火会面々
弓を作ってどうするの?な大和
キャンプ場の守り神可愛い!サウナストーブに置くあの石みたい(ぴちょんくんみたいなアレ、名前なんていうんだろう?)
唐突に始まる歌合戦。普通にルナシー巧いヒロシ。貴重な阿諏訪のAKB(格好良くなってるフォーチュンクッキー)
そして踊り出す楽しそうな大人達。正月特番縮小版の様相を呈していたなあ
次回も目が離せません
現在三十代半ばなので二十数年前のことになるが、幼稚園児だった頃を思い出そうとすると以下の三つが浮かんでくる。
私は幼稚園バスに乗って隣の区にある私立幼稚園に通っていた。敷地内に二階建ての園舎と運動会ができる広さの園庭、そしてプールがあったのでそこそこ大きめの園だったのだろう。夏になるとプールで遊んでいたはず。水着になってプールで泳いだ記憶はまったく残っていないのに、当時園児のあいだでもちきりだった気がする噂話を覚えている。
②実習にきた学生が親戚だった
少しの間外から来た先生(園児に実習とか学生なんて区別はつかないので、エプロン着ている大人はみーんな先生なのだ)が親戚だったため私はその先生のことを「○○おねえちゃん」とお正月におばあちゃん家で会ったときのように呼びかけ、みんなより親密に振る舞えてこっそり得意げだったのだ。ふふん。
ちなみに同じ幼稚園にひとつ年上と同い年の従兄弟たちも通っていた。家から遠い幼稚園、通園以外でおともだちとほとんど会えなかった。仲良く遊んでいた子はいたと思うけれど一人も思い出せない。
幼稚園にはしっかりした舞台とホールが備わっていた。年に一度お遊戯会が開催される。
年長さんは劇、年中さんはダンス、年少さんは合唱といったような。
ステージの上で着る衣装はだいたい親の手作りだった。幼稚園が用意した型にそって、色付きポリ袋を切り貼りする。私たちのドレスは親が一生懸命こどものサイズに合わせて作ったピンク色のポリ袋で出来ていた。
(いま検索してみたら白雪姫やベルのドレスの作り方動画がでてきたから、もしかして今も現役なの?)
母が私のために作ってくれた衣装は、ちょっと丈が長かった。こどもの下着が見えないように袋を二重にしたりくしゅくしゅにしたりするところが本来の位置からやや下になった。
なにが起きたか。その年のお遊戯会のビデオで、ひとりだけぱんつまる見えな子が映っていたってこと。
ついでにお遊戯会関連でいえば
我が家に子はいないが、祖父母が同居しており、子守をあてにしてやってくるのだろう。たまには夫婦水入らずで息抜きしたいのだろうか、細かな事情は分からない。
子どもたちは言うことを聞かず、家中を走り回り、プライベートなどお構いなしにあらゆる部屋へ入ってきては、ときたま猫の置物などを壊して去っていく。上は小学校中学年、下は低学年。やはり自制心などはまだないのだろう。
可愛いところもある。懐いてくれるし、老けた祖父母の刺激になればとも思っている、来るなとは言わないが気が休まらない。
もともと我が家と姉夫婦はあまり良い関係ではない。祝い金なども返さなかったりと、こちらからは非常識に見えてしまうことが多かった。
きっともう良好な関係は無理なんだと感じているが、諦め切れない自分もいる。
神様がいるかいないかは知らんけど、とりあえず言えるのは神様は現代の人は助けることはない。
神事で賑わうと『うるさい』『騒音だ』『意味あるの?』なんていう考えの奴がいるわけで。
俺は神様がいるかいないか分からないが、神様を信じる人は馬鹿にしない。
信じる人の中にはいるんだしな。そういうもんでしょ。
が、信じない以前に馬鹿にする奴が居るわけで、例え本当にいても絶対こんなのを助けようとはしないだろうなって感じだ。
そもそも冠婚葬祭を馬鹿にし、正月の初詣を馬鹿にし、祭りすら馬鹿にするような奴らに神様が助けるわけがない。
神様から見れば『ろくでなしの獣』が布まとって生きてるようにしか見えてないと思うね。
面白いのは、神様を信じないっていう奴らに限って友人からお参り行こうよって言われると行く所。
もちろんお参りは別にどうでもいいって感じで、単に友人らとワイワイできればいいという罰当たりな考えなだけなんだろうが。
そういう奴らがお参りにいって金を投げている姿は滑稽だ。もちろん神は助けないだろう。純粋に参ってないんだから。
現代は神事に携わる人も減り、祭りは若者が参加しない、大晦日の除夜の鐘すら中止しろという老害も居て
神様なんて居たとしても、この日本を助ける気なんて起きないと思える。
だからといって、過剰な信仰や宗教勧誘しているようなやつも同様に救おうとしないだろう。
令和になり祝日の移動がなされた際、カレンダーから6月と12月から祝日が消えるという事態が発生した。 ただでさえブラック企業によって休みの無い日本に、祝日そのものが減らされるという異常事態になったため、逆に増やすべきとしてこの案を作り上げた。
祝日の増加だけでなく、ゴールデンウィークやシルバーウィークなどにおける長期休暇等の再整理も同時に行う。 これは五月病及び九月病の問題が発生しているため、それを防ぐための再整理ということになっている。
個人的には1年の中間ということで第3水曜日とすべきと思っていたが、難しいのもあるので月曜日とした。 祝日名はブラックカントリーである日本を最大限に皮肉るため、あえて「ぐうたら感謝の日」としたが、真ん中ということで「時計記念日」と無理くり与えることもできるだろう。
2020TOKYOで祝日が消えることが判明したため、1日以上を確実化するために設けられた祝日。 この月は神無月ということで、八百万の神々に感謝する「神様感謝日」と名付けた。
天皇誕生日がそのまま祝日にならなかったため、「正月準備日」として祝日化したもの。 当初は第3金曜日等に予定していたが、クリスマスやら年末年始の業務多忙も懸念されたのであえてこの日とした。
よく「12月には大晦日があるじゃん」というクソアンサーは、遊園地やゲームセンターなどのアミューズメント施設には通用しない。 ディズニーやユニバ、各ソシャゲやネトゲなどのスタッフが一揆を起こしたらどうなるか想像せよ。
春分の日の位置によっては3月から祝日が存在しないため、「さくらの日」や「雛の日」とでも追加する。
昭和の日が土曜日にめり込む可能性があるのと、新人が休暇というのを経験できるタイミングとして。 この日を「さくらの日」としても良さそうで、他の候補としては「おはなの日」と指定する必要もあるかもしれない。
山の日である8月11日が土曜日にかぶってしまうことを考慮し、どっちが土曜日になっても大丈夫になるように。 一応この日は「終戦の日」でもあるが、他候補に「お盆の日」でも何ら問題はないだろう。
どちらかを5月の第2月曜日にまわしておき、もう片方は4月第2金曜日等に移す。 こどもの日を第2月曜日とし、みどりの日を3月の第1金曜日とする。
現在の日本では祝日がちゃんと機能していないクソ祝日にしかなっていないという状況が非常に続いている。 大晦日でも元旦でもゴールデンウィークでもシルバーウィークでも天皇誕生日でも連休でも社畜は「私は仕事デース!!!」と叫ぶ。
この状況を見ても、政府などはモチベーションアップばりの屁理屈を定義するため、結局のところいたちごっこにすら発展しない。
結果的に世界的に祝日が多くても休めてなければ何も意味はない。 というか世界的に本当の休暇を得ているのかという観点で言うと、先進国内では最下位と言っても過言ではない。
17歳の時から10年以上大阪府に滞在していたため、日本語が堪能。「日本での生活を通じて、人間として大切なことを学んだ。日本の歴史、文化を心から尊重している」と語り、「親日家、日本通と呼ばれることは気分がいいものではない。日本人にとっては私は外国人にしか見えないかもしれないが、日本は私の第二の故郷。同じ日本人として接してほしい」と語っている[21]。 千葉真一と親交があり、千葉がハリウッドに拠点を移してからは、セガールが流暢な大阪弁で「千葉先生、居てはりまっか?」などと、頻繁に千葉へ連絡している[22]。淀川長治とも日本語で対談を行い、淀川の「日本語がお上手ですね」に対してセガールは「恐れ入ります」と応えた[要出典]。初主演作品の『刑事ニコ』のオープニングシーンおよびコンベンションセンターでのシーンや、2005年公開の映画『イントゥ・ザ・サン』では日本語の台詞を用いているほか、いくつかの作品では日本語の単語を台詞のなかで用いている。2008年正月、『奪還 DAKKAN -アルカトラズ-』のテレビ放映時に出演し、「あけましておめでとうございます」と挨拶をしてから、日本語で映画のみどころをアピールした[出典無効]。しかしコメントの締めの日本語を言い間違えたあと苦笑いをし、「日本語はもう20年ほど話していなかったため、忘れてしまった」とやはり日本語で語っている[出典無効]。それでもコメディアンで画家のジミー大西がテレビ番組[要文献特定詳細情報]のロケーション撮影でアメリカを訪れた際、たまたま現場に居合わせたセガールはジミーに「おう。元気か」「自分、大阪はどこ?(ジミーが関西弁を話していたため)」「ウチはどこや」「新宿か。新宿のどこだ。四谷か。そうか」などと話しかけ、流暢な日本語でやり取りをしていた[要出典]。『情報プレゼンター とくダネ!』[いつ?][出典無効]に出演した際、シルヴェスター・スタローンが『ロッキー・ザ・ファイナル』の製作を発表したことについてコメントを求められ「彼は最近仕事がないから」「品のある年の取り方をして欲しい」と答えた。さらにデーブ・スペクターとパパラッチ問題について語り合った際は、デーブとのやり取り含め、すべて日本語だった。日本のテレビコマーシャルにも多数登場し、日清食品のカップうどん・ごんぶとのCMでは日本語で演技を行い、アリナミンAの爆走する車の屋根につかまり「こう見えても、疲れまんねん」と言うCMシリーズでは娘・藤谷文子と共演した。大阪在住時に阪神タイガースのファンとなり、タイガースの低迷期に朝日放送のインタビューで「今年もまた負けたらしいのう。わしゃ、もう情けないわ」と大阪弁でコメントしている[要出典]。
と、今年の正月、2人で行った初詣の帰り道に小5の甥っ子が言った。
甥の言う「良い事」とは、初詣中に車椅子の手助けをしたことだ。
親娘のように見える80代くらいの車椅子に座ったおばあさんと、60台くらいのおばさんが自分達の前にいた。
神社の敷地に入る所に段差があり、中々上がらないようで、「良かったら押しましょうか?」と声をかけ、
手伝って押し上げた事。もう一度、今度は拝殿前にある階段、あがるのは娘さんに支えられ自分の足で上がりはったが、
車椅子は階段の下のままだったので、今度も声をかけてから車椅子を上に運んだ。
甥の言葉は公正世界仮説とか、因果応報とかそういうものの表れなんだろう。
俺は因果応報も公正世界仮説も信じないし、おみくじも信じない。
だから、大吉引こうが大凶引こうがふーんて感じだし、一人ならおみくじ引かない。
俺は甥に嘘付いた酷い人間なのかな?と逆にそんな事を考えてしまう。
そもそも、今のご時世だから、参拝も1組ずつってことで、神社の入り口の外までずらーっと並んでた。
車道の邪魔にならない様に道なりに折れて並んでたのに、車椅子の親娘は俺と甥が目に入らなかったのか、
俺達の前に並びやがったんだよね。「ワレなに横入りさらしてくれとんねん、どこに目ェつけとんのや!」って
心の中で一瞬沸騰したけど、直ぐに「まぁ急いでないし別にええか」となって上記のお手伝いしたんだけど。
まぁ普通それくらいはするよね。
心の中で悪態付いた因果はどういう応報として帰ってきたのだろうか……まぁ応報なんて無いんだけどね。
甥っ子はいつどうやって因果応報的な考えを身に着けたのかなぁ?と正月から暫く考えてたんだけど、
基本そういうお話おおいし、子どもが触れるコンテンツは特にそうだから、そう考えるのは自然なのかなぁという結論に至った。
甥っ子は喋り始めるのが結構遅くて、ちょっと鈍くさい所も多いのだが、親の教育がいいのか心根はまっすぐでいい子に育ってると思う。