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はてなキーワード: 客観性とは

2019-01-13

復讐には価値がある:パワハラ上司復讐したこと

 ちょうど2年前になる。上司から執拗パワハラによって退職に至った。

 パワハラが始まったのは退社する3年前。その上司自分の直属の上司になってから。いわゆる言葉による長時間の人前での罵倒、叱責、嫌味・・・そのうえ、日常的に深夜残業休日出勤強要された。

 それまで健康だった自分精神を崩し、近所の心療内科に通った。うつ病の診断をされた。

 そのことをその上の上司にも査定の際に言ってその上司の下ではない配置にしてくれと言ったが聞き入れられなかった。周りの同僚からも「君はパワハラをしている」とその上司に警告があったそうだが一向に収まらなかった。

 結果、あるきっかけで他の社員がいる前で号泣、そのままフェードアウトのように退社させられた。その際、その上司のその上の人と面談になったが「あいつも悪気はない」「君がこの会社にあっていない」「彼の期待に応えられない君にも責任がある」と、擁護するだけ。

 そしてなぜか給料大幅ダウンを言われる。事実上自主退社に追い込まれた。

 私は失意のまま会社を辞めた。が、許せなかった。半年たって、まだこの怒りが収まっていなかったら復讐しようと思った。

 半年後、それを実行した。

 まず、パワハラ上司言動上司との面談の会話記録はスマホに録音してあった。客観性を持たせるために自分に気をかけてくれた同僚から匿名を条件に社内で日常的にパワハラがあったことを証明する文章をもらった。

 勤務実態証明のためタイムカードも退社前にこっそりコピーしていた。通っていた心療内科先生に通院歴、診断書も書いてもらった。

 これをもって労務関係に詳しい都内弁護士事務所を訪ねた。

 丁寧に話を聞いてもらい、音声データなどを聞いてもらったところ「客観的に見ても勝てるでしょう」と。そこでパワハラ当事者会社相手取って慰謝料請求を行った。

 反撃の開始である

 向こうも相当慌てたようだ。社内に残っていた同僚からメールで状況を聞いていたのだが、必死に隠そうとしていた。幹部が集められて向こうも弁護士を立てた。

 が、こちらの証拠がそろいすぎている&そのパワハラ上司は以前から私以外にも疎まれていたらしく、社内調査で他のパワハラが出るわ出るわ…一気に立場が悪くなったそうだ。

 結果、会社側の社長謝罪文和解金として200万の支払いをしてもらった。

 パワハラ上司は降格。当時社内で肩で風を切っていたのが、人望も失い今は閑職に追いやられ、あの人が辞めるのも時間問題だとささやかれている。

 以上がパワハラに対する私なりの復讐だ。弁護士を~って話だと面倒になるイメージだったが、思った以上にあっさり片が付いた印象だった。数回打ち合わせとメールのやり取りをしただけであった。

 というか、法律という外の世界の力を借りるとこの手のパワハラをする人間というのはとことん弱い。内弁慶だった。

 こんな卑怯人間人生を狂わされたかと思うと腹が立つ。

 今は私は同種の会社転職している。仕事内容は同じ。そこで彼に言われたやり方と真逆技術論で仕事をし、社長賞をもらうほど。つまり、あの時のあの上司の叱責は全く見当外れだったこと、自分が彼の言っていた「無能」ではないことも立証もできた。

 パワハラで苦しんでいる人に言いたい。ちゃん証拠を集め、客観的データを集めれば復讐とは意外と簡単。むしろ黙ってフェードアウトしなくてよかったと思う。

 弁護士依頼時に10万円ほどかかるが、泣き寝入りよりよほどいい。

 人生狂わされた代償がたった200万程度では割に合わない。しかし、自分の中で気持ちの整理はついた。

 復讐には意味がある。

 

 

 

2019-01-07

anond:20190107173332

こういう”相手意見を【主観からダメ】と【主観判断して】言ってくるバカ死滅しねぇかなぁ

しかも今回は実際にVRイベントは低い数字が出てる(客観性のあるデータが示されてる)ってのに

2019-01-02

客観性って必須か?

愚痴

なんか客観的じゃないか法律学学問じゃないとか言われて納得できねーーーーーー

そりゃ厳密に現実世界とか実態記述を行うことを目的とするなら(目的の一部とするなら)、客体と主体は分離されざるを得ないだろうし、数学みてーな解釈余地がない言語でそれを記述するのが一番だー!って話になるだろうな。そういう目的においては、あるいはそういう前提においては、たしか客観性大事だろう。というよりも、そういう客観性が保たれる手法を取らなきゃ、そういう出来るだけ実態に近い実態を把握しようなんて試み自体が成立しない。だからこそ、そういう分野においては客観的エビデンス大事だ。めちゃ分かる。理解できる。

でも、別にそれだけが学問目的じゃあないし、そうではない目標を掲げた分野が存在したっていいだろ?例えば俺の思う限りでは法律国家の道具だし、その道具でどうやって社会を良くするか考えるのが法律学だろう。仮に法律学目的がそうであるとしたら、必ずしも極めて厳密で客観的手法要求されるとは限らないだろ?だってそもそも目的がちげーんだから客観性大事なのも結局なんらかの目的客観性要請してるだけなんだから学問客観的でなければならないなんて定義してしまった時点で数学的な言語記述できない分野は学問足り得なくなってしまう。でも学問がそうであるべきと決め打つ必然性なんてどこにもねー。ただある目的においてそういう手法が極めて有効だってだけ。百歩譲って法律が仮に学問たり得ないとしても、まさかそれで法律がいらないなんて言うわけじゃないよな???

結局、客観的じゃなければならない、っていう宗教を信じるなら、そりゃ客観的じゃないものは全部だめなものに映るんだろう。そしてそういう宗教信者になるのは、ある目的においてはすごく大事なことだ。とてもとても大事すぎてそれが本質だと言ってもいいぐらい、大事なことだ。でも、そういう手法がとれない分野とか、そういう手法親和的じゃない目的もあって、そういうもの必要ないとか学問足り得ないとか言われるとムカつく。その宗教教義があらゆるとき妥当するって本気で思ってのんかよばーーーーか

でもそういう思い込みこそが彼の原動力の一つかもしれなくて、そういうもの恩恵絶対自分あやかってるから、でもけどでもうーん

正月から何を書いてるのか

2018-12-30

anond:20181229020553

韓国ルール違反きれいな違反日本の抗議は汚い抗議

韓国ルール違反に関しては何も言ってない。日本人だし、日本政府の行動にしか口を出していない。

出たよ

パヨパヨ君の定番言い訳だよね

2重基準日本だけを罵り韓国のことはどこまでも擁護する異様さが

こんな言い訳で糊塗出来ると思ってるのは相当な客観性欠如

2018-12-19

ここは学会に出す論文を書く場所ではない。

いつもブコメ言及を見ていると気になるのだが、「用語定義がきちんとされていない」とか「○○と△△のところが矛盾している」とか「根拠(あるいはエビデンス)を示せ」とかいうのが多すぎないか

特定個人法人非難攻撃する内容なら根拠を出せとか言うのも分かるが、それほどでなければ「○○だと思われる」とか「△△と言われている」とかそれが事実ではない可能性もあることを示せばそれで良くないか

あと、感情論を書いたことに対して文句を言われることもあるけど、ここって自由感情を吐き出すためにあるんじゃないのか。ここで感情論否定されたら誰もここに文章を書けなくなる。もし、感情を込めずに論理的に書くことができたとしても、それなら匿名ダイアリーである必要はないと思う。

そういうところに噛みつくヤツは、単に「元増田より自分の方が頭が良いか文章おかしいところに気づく」とマウントとりたいだけなんじゃないかと…。

読む側も多少のフェイクや誇張やパクり、創作があり得ることは念頭において読むべき代物ではあるが、だからこそ論文みたいな客観性論理性、そして余計な感情差し挟まないことをこの場に求めるのは間違ってると思う。

そういう形式面のことばかり言うヤツは女のとりとめのない雑談を「うんうん、そうだね」と言って聞いてやることもできない非モテなんだろうなと思う。論理を追求したいなら学問なりなんなり理屈エビデンス必要とされる世界でやれ。

2018-12-17

かつての自分を思い出して気づいた、女全員いじられキャラ

職場の女の同僚の生態を見てたり、

最近セクハラとかなんたら問題

女の根本的な地位の低さとかさ

あれ、男なのになんか親近感湧くなと思ったら

学生時代いじられキャラだったころの自分そっくりだと気付いた

  

 

いじられキャラってのは大抵自尊心が低い

からリア充庇護下に入ろうとする

いじられキャラ(以下略称いキ)はコミュ力、媚び力は磨けるが、それ以外のスキルは磨けない

何故なら偉大なるリア充があらゆる便宜を図ってくれるから

 

から いキ には努力客観性という文化存在せず、

自分の気に入らない(格下の)もの攻撃しがちになる

おなじ いキ がいじってくると凄く腹が立つ

無論、絶対的権力を持つリア充からのイジリはノーカウント

 

常に周りの目を気にして、人物間の微妙パワーバランスを保とうとする

どうしてかって? 自分に才能がないと卑下してるから

人間関係崩壊自分ポジション崩壊=何もない自分が宙に放り出される

錯覚するから

このバカげたピエロ役を、人間力とかコミュ力だとかと勘違いしてしまう(女で言う女子力()って奴か?)

現実に君は笑われて、(バカキャラとして)可愛がられてるだけなのに

 

しかし、社会要請されるのは個の力

リア充じゃない奴は容赦なく排斥されるし

ヘラヘラ笑ってるいじられキャラ戦力外通告されるもんだ

 

からそうだな、

まず、勉強して個の力をつけるのは当然、

あといじられキャラ中学生までにとどめておけって話だわ

体格のいい奴でもイケメン美女でも臆せずディスって笑いを取れ

 

ディスる形式コミュニケーションマッチョで近寄りがたい文化に思えるかもしれんが

これで回ってるのが現実だ 受け入れるしか

2018-12-10

anond:20181210191117

1回で崩れるがアホっぽい。10回中9回可愛いなら可愛いの方でよくない? 客観性ないのかな?

2018-12-07

ネットで時々見かけるヤバい

有名じゃない女YouTuberライブ配信に現れて「これから親密な関係になりたいのですが住所を教えてください^_^」とかコメントちゃうタイプ。実際に見たパターンだとそのYouTuberはあるジャンルに特化した動画を出しててそのライブ配信もそのジャンルのものだったのに、その人はそのジャンルにはまるで興味がなくてただとにかく「親密になりたいです!私とあなたは親密になるべきだと思う!」って強迫的に思い込んでる感じ。そのYouTuberが話してることなんか聞いちゃいないみたい。

で、あの種の人って何でああいう風になっちゃうんだろうね。ライブ配信見てる全員に無視されてるのにしつこく同じこと書くし、脳の客観性を司る部分がバカになってるのかな。アカウント名も本名みたいなのが多いし。

ちなみにこの手の人で一番強烈に覚えてるのはのん(元能年玲奈)のInstagramに「のんちゃん スタイルいい!可愛い!でも膝小僧が膝大僧に見えちゃうからシェイプUPよろしくです^ ^」みたいなコメントしてた人。

シェイプUPよろしくです^ ^って何、どうしたら赤の他人にそういう発語が出来るのか…。

それで思ったんだけど、こういう人たちってやっぱり何かの病気なのかね?分からないままにしてるとふとした時(バズってるTweetのリプ欄とか)に見かけてビビるから、なんかその心理状態とかを解説してる本とかあるなら読みたい。子供の時からああなのか、何かきっかけがあってああなるのか。たぶん「寂しさ」が理由の一つなんだとは思うけど。あと観測範囲では中年男性が多い気がするけど、たぶん女でも若くても似たようなことする人はいるんだよね。

老いも原因の一つなら自分だって将来ああならないとは限らないし、怖いなあ。

2018-11-28

給料が安くてホワイト風土 というなら弊社も割とそうだとは思う

有能な…激務をこなし数字を稼ぐ人間と、そうでない人間との報酬に違いが殆どないのも、弊社だなあと思う

だがしかし、弊社の給与相対的どころか絶対的に低い

また、報酬は働く人間評価を下げ、浮いた分を働けない人材に分配しているのだろう、と思ってしまう程度には客観性が低く納得も行かない人事が多い

弊社は普通に滅びゆく中小企業のそれである

2018-11-20

anond:20181120014324

判定っていうのはあくま自分が納得するための基準しかいからね

外国人がこう言っていた」系は発言権威を付けるのに利用されやすいけど

実際には外国人だって多種多様思想だってバラバラだし頭がいい人ばかりでもないんだから

発言客観性権威を持たせるために使われる「外国人発言」に対しての出羽守認定には一理あるとは思う

でもそういうどうでもいい応酬の後で一歩引いて言説の内容について自分の中でもう一度考えてみる態度を持てるかどうかが重要だろう

あとは2010年代は色んな国や政治団体企業ネットでのプロパガンダ予算を割いているという事実が既に明るみに出ているので

なんでも事実だとして乗っかるのがマナーだという意見には賛成できない

2018-11-18

この世に良い企業なんて存在しない件

転職チャレンジ成功したので思ったこ

それは、転職サイトの口コミなんてほぼ悪口大会みたいなもん、5chとかと同レベルの信用価値ってこと。

端的に言えば、人の評価なんていちいちうのみにしてたらニートでいるしかねぇってこと。

そもそも前提というか、シチュエーションとして、転職サイトや退職者が書き込む企業クチコミなんて主観バリバリ入ってる。めっちゃ感情的。だからネガティブな内容ばかり。

そのネガティヴな内容を大きく分類すると、「自分もっと大事されるべきなのに不当な扱いを受けた!」か「給料低い!自分もっと貰うべき人間だ!」とかそんな感じ。

から全体的に愚痴っぽい。聞いてもない体験談や社内の人間をダシにしてるし、言葉遣いも荒々しいものがあったり、分量がめちゃめちゃ多い。たまに会社への改善案提供してる場違いものもある。

要は自分が"主観的に"見て、可哀想から退職したって感じ。体験談で語られた出来事事実である可能性は高そうだが、そもそも自分可哀想論で書いてるから客観性に欠ける。

一方で、ポジティブ口コミは当たり障りがない。

ネガティブ意見主観立場のものが多いのに対して、ポジティブな方は"誰にでも"言うことができるような書き方だし、具体的なエピソードもそんなにないと感じた。だから、悪い意味でいえばイメージしづらい、会社実態として書く口コミとしては少し物足りない。

上記ネガティブクチコミを書く人よりかは落ち着いた文面で簡潔な印象。人間悪口で盛り上がれるくらいには良いことよりも悪いことの方がスラスラ言葉が出てくるもんなのかね。

そんでもって、どんな企業でも転職する人がいるし、ネガティブキャンペーンかな?って思うくらいのクチコミオンパレードが現れるご時世だ。

でもこれ自体は悪いことじゃないと思う。ずっと同じ環境にいて文句が出なくなったら成長や思考が止まったようなもんだし、止まった分だけ自分価値を下げてることになると思うから

まあつまり、悪いのも良いのもクチコミ信憑性が低いし、悪いところがない・少ない企業はほぼない。だから話半分にして流していかないとやっていけない。

たこれに付随して、転職サイトに書き込まれ口コミの傾向から「☆2.5以上の企業」で探せば割とあると思うが、「☆3以上の企業」は結構難しいと思うし、☆4なんてもんはそもそも工作カルト宗教を疑うべき。

現職者ならまだしも、転職者は大抵その企業が嫌でやめてるせいで必然的評価が低くなるのは当たり前なんだから。てか評価高いなら辞める必要あんまなくね。

自分が今度入るとこは、前に比べたら規模もめちゃくちゃでかいし、金も貰えてかなり福利厚生もしっかりしてるけど、悪い口コミは割とあったりする。

なので、そりゃみんな同じ価値観を持ってて、同じ働き方してる訳じゃないしね〜って割り切ることにした。ただ、悪いクチコミに関しては用心しておこうと事前準備が整えられたと思う。

ちなみに前の会社は、療養の為の休職間中に「復帰するか自主退職しろ」って来たので二つ返事で退職した。退職したら心身ともにみるみる健康になったので、辞めたのは正解だねって思ってる。潰れちまえばーか

2018-11-06

anond:20181106222028

自己愛戦士でいったらフェミの方が近くない?

客観性ゼロの「自分攻撃されてる」って妄想肥大しきった自我を守るために周りに八つ当たりしてるじゃん

anond:20181106214434

流石に君話通じなさすぎて辛いわ

別に理解し合えなくてもういいわ、どーでもいいし

ここまで付き合ってやったのにこんなに屑はもうどうしようもないな

公共性についての予測をつけて議論スタートの何が決めつけなのか、わかってて認めないんだろ。本当にキチガイだな

しかしこういうのを是認してるオタクってのは本当に倫理観論理性も客観性もないんだな

生きてて恥ずかしくないのレベルだね。お母さんも君みたいなの産んで本当に気の毒だな。頑張って育ててこんなアホで屑でミソジニー

もう永遠に人生に絡まんでいいか

フェミ顔真っ赤で逃走とかお前らがよくやってる勝利宣言でいいんで

2018-11-03

anond:20181103160106

児童への強制わいせつ及び強姦は、H24以降緩やかに伸びていると見えるが、傾向が有意にあると断定は出来ないこと

グラフの傾向は長期(つまりデータ数が多い)なモノの方が客観性および信頼性が高いこと

H25とH26の単年度比較はあまり意味ないこと

児童虐待防止法の制定とその改正がH16であることから、その後の相談検挙が増えている可能性が高いこと

突っ込みどころはこれくらいか

増田の本筋からズレた不義コメ > 相手の虚偽コメ

増田の勝ちだけど、たいして価値ないとも思う

あと「児童虐待の加害者の大半は母親」は好意的解釈して殺人に絞ると確かに母親等が8割超え

anond:20181103121831

ポモがこういう揚げ足取りばかりするから人文知が壊滅したんだよなあ。自滅というか。

客観性は「誰がやっても同じことしたら同じ結果になる」要するに再現可能性を示せるかで判定するべきだと考えてる。現実問題対処するなら。

再現性が無いなら、信じるか否かはあなた決断する信仰ですお気持ちです!と開き直って欲しい。

2018-11-01

anond:20181101065240

それもお前のお気持ちやんけって言われたらどうすんの?客観性どこにあるの?

2018-10-31

警察クビ漫画チラ裏感想

初老教官諸悪の根源指導方針なのか本人の教育観か知らないが、どちらにせよ人として死んでいる

加害者全員本名曝せばいいんじゃないかな☆

見て見ぬふりも加害者と同じだけど、徹頭徹尾見て見ぬふりで陰口すら一切加担しなかったのならまあ環境的に仕方ない

バカッター特有(いやどこでもそうだけど)の描いた本人叩き。そもそも叩く所は本人じゃなくない?

客観性に欠けるとかそんなの読み手は織り込み済。読み手客観視するだけの話だから。それで警察迷惑が掛かるって?

本人を叩く人と警察全体を一緒くたに叩く人は同じレベルバイアス馬鹿から、それは結局鏡に向かって言ってるのと同じなんだよ。安心して自分の頭を心配しろ

自分はナー、腕力に物を言わせて魂を刈り取りたいとまでは思ってないけど

あい加害者には、生涯孤独で貧しい生活を送って欲しいし社会的意味でご逝去してくれるといいな

子供がいる場合はその子供が将来引きこもりになって学歴職歴なしで親本人が死ぬまで脛の骨まで齧っててくれたらいいなってくらい

できればまじであいつの本名曝したいんだけどなぁ

初老警官最後演出とかあいつと全く同じことをしてるから、見えない根っこで繋がってるんじゃないかSFホラー?とぞっとした

社会弱肉強食ではなく適者生存なのに、アレを正当化する頭の人間がいて市井正義気取りとかおぞましい冗談にもほどがある

国会野次飛ばす議員とかと同じで、極端に社会から乖離しててああい人間が生まれ

書くの飽きた

2018-10-21

清潔感というクソワード

清潔感って女の発明したクソワードだよ

キモイ、近寄るな死ね」という加害的な言葉

アナタが不潔でワタシが迷惑している」という被害的な言葉に変換

"清潔"という客観性のある表現と"清潔感"という主観的表現意図的混同

ワタシが感じた=誰もがそう思っている

という事実を作り

「お前は周りに迷惑を掛ける不潔な加害者」扱いする始末

人を傷つけておきながら加害意識は無く、自分こそ被害者だという態度

2018-10-13

ネタタグ不快感やばい

他人が考えて発言したものに対して、「ネタタグつけて冷笑している人間はてなには多すぎる。古くからあるはてなー流のマウント芸ではあるが。

もはや真面目に物事を考えようという意志存在せず、気に入らない発言はすべて「ネタ」扱いで茶化して冷笑するのが癖になってる。

彼らは「俺は一段も二段も上のステージにいるぜ。世間バカどもときたら今更こんな話かよ。やれやれだぜ」そういってニタニタしながら全能感に酔うことにしか興味がない。

冷静に考えてほしいんだけど、きみらって別にそんなに頭良くないよね。なんでそんなに自分が偉い、正しいと思っているの?

高慢な態度のオタクがほんとに増えた。ネット時代になり、検索すれば各分野の初歩的な解説は出てくるようになった。でもなんでそれだけ読んですべてわかった気になっているのか。

自分の好きなものに対する雑語りを絶対に許さなオタクたちが、自分の知らない他分野、他ジャンル問題に関してはたった今検索して知ったような浅い知識だけですべてを知った気になって冷笑している。他人に厳しく自分に甘い。自分被害者意識だけは強く、他者に対する攻撃性は高い。

30歳を過ぎたいい大人たち(あるいはすでに50歳近いのかもしれない)が「ネタタグつけていまだに冷笑家やってる。斜に構えることしかできなくなった。いつの間にかそれが自分生き方になってしまった。そんな人たち。当事者意識がなく、上から見下ろす全知全能の神のような態度が当たり前になってしまった人たち。

科学的態度は人に客観性を身につけさせたが、そのせいで人は高慢になってしまった。実際に物事の中に入っていって役割を演じる人たちのことを、自分安全なところで冷笑するだけ、そういった観察者、傍観者が増えてしまった。「俺は批評するだけ」

勘違いしないで欲しいのは、きみらは観察者でも傍観者でもなく、プレイヤーの一人だということだ。

anond:20181013061909

ありがとうございます

本業の方に添削していただいて、文例まで書いていただけて恐縮です。

かにそのように書いた方が、ずっと没入感があり、感覚が刺激されますね。

かにこれは第2話という位置付けです。タイトルの「サトシ原子炉」をクリックするとカテゴリページに遷移するので、そこに第1話があります。もし読んでいただけたら嬉しいです。

地の文についてですが、神の視点の文は基本的にありません。タイトルにある名前登場人物視点で書くようにしています

ご教示いただいたことを踏まえて、全体との整合性にも気をつけて修正を加えていきたいと思います

追記

語尾については、その登場人物出来事を語っているように書いています。すなわち、基本が過去形で、臨場感をもたせたいところや、客観性が乏しく、その人物感覚感情比重が大きい部分は、終止形にするようにしています

2018-10-11

日本臨床心理学における査読論文価値

anond:20181009215657

心理学について書こうと思ったら、お一人書いてくださった方がいたので、そこで「特殊」とされていた臨床心理学について書きます

臨床心理学系の大学院博士号を取って、現在大学で臨床と研究をしています

論文事情を書こうと思ったら、背景にある臨床心理学事情になりました…。そして「日本の」と書いたのは、日本の固有の事情もあるためです。

はじめに

臨床心理学における研究は、おおよそ以下の3つに分けられます

 1:ブコメであったような、症例報告から始まってランダム対照試験まで行くという医学疫学的な研究

 2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究

 3:その他の調査研究ちょっと大雑把ですがゆるしてください、そして私のメインはここです)

少々雑な括りで、中間位置する方や例外もままいることを踏まえ、あくまでも概要を述べているということを踏まえたうえでお付き合いください。

論文事情

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 では心理学論文事情として以下の順序を挙げていらっしゃいました、

 査読付き英語論文>>>>査読日本論文>>査読なし日本論文(いわゆる紀要査読有り紀要も含む)

これは、1と3を自分研究領域にしている臨床心理学者にもほぼそのまま当てはまりますし、海外でも同様です。

そのため、競争が激しい業界院生さんだと、Predatory Journalに投稿しているケースも残念ながら見ます

特殊なのは、「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」を中心としている人たちです。

この方々の多く(全員ではありません)は、場合によっては「論文」というものを軽視すらしていますし、査読論文の数も非常に少ないです(大学に勤めている以上、建前で「論文書かないとね」と言ったりはしますが)。

これは分野外の人からはよく見えないため(もちろん業績調べればわかります)、中々ややこしい問題です。

私の観測範囲ですが、下手にこういう人たちが多い大学就職しようとしたり、あるいは就職してしまったりすると、論文業績が多い人はかえって冷めた目で見られたりすることすらあります

このような信じられない断絶が臨床心理学の中にあるので、業界からはわかりにくいのです。

ちなみに「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちの業績に対する意識は人文系に近く、私も完全にはよくわかりません。ただ少なくとも、英語査読論文を無条件でありがたがったりはしません。

しろ”深みのある”事例研究理論検討が尊ばれ、そうしたものに特化した特定学術雑誌論文や、あるいは書籍などを重視する印象です。

業界事情(長いです)

なぜ学問を行う場である筈の大学において、こんな断絶が起こるのでしょうか。

つの要因は単純に「世代」です(繰り返しますが大雑把な区切りです)。

世代によって何が違うかというと「臨床心理学に対する考え方」が違います

もっと具体的には「エビデンスを重視するか否か」の違いです。

エビデンスを重視しないなんてバカ?」と思う方も多いと思います

私も7割同意しますが、これにはこれで事情があります

先ほど書きましたが、2の人たちが重視するのは事例研究です。

https://anond.hatelabo.jp/20181009215657 には、「事例研究には物語以上の価値はないのでは」とありました。

「そう見えるのは仕方ないだろうな」と思う気持ちと「物語価値過小評価しすぎですよ」という両方の気持ちを抱きます

なぜかと言えば、「クライエントの人生」を理解しようとすれば、どうしても「物語」というフレーム必要になるからです。

古典的な臨床家(心理療法をやる人)は、クライエントの人生全体を見ます

クライエントが訴える問題(やる気が出ないとか、落ち込むとか)を全てと考えるのでなく、むしろ人生における氷山の一角と捉えます

そして、クライエントの人生をそのものを見つめ、その人がより良く人生を歩んでいけるよう、どうにかこうにか支援をしていくわけです。

(「大きなお世話」「思いあがるな」と思われる方もいるでしょうし、下手すると実際にクライエントにとっても大きなお世話になります

その人の知能や症状の程度、パーソナリティなどを数値化して客観的に捉えることは心理学の得意技ですが、それでその人の人生全ては捉え切れません。

人生というものを捉えようとした時、どうしても物語必要になります

もちろん、物語ですから完全に同じ事象再現されることはまずありません。そのため、厳密な「エビデンス」はそこから得ることはできません。

ですが、だからといって物語意味がないわけでもありません。

物語から自分は何も学んだ覚えはない」という人がいたら、それは物語意味がないのではなく、恐らくその人に学習能力がないためです。

物語を蓄積していくことで、我々は人間に対する理解をより深いものにしていくことができます

そのため、日本臨床心理学者は「エビデンスなんかいらない」というよりも、「物語を蓄積してくしか、やりようがない」と思っていた部分もあると思います

またもう少しフォローしますと、単に物語を乱立させるのでなく、蓄積された様々な「物語」を体系づける理論の構築自体は脈々と行われてきました。

それが、「2」の後ろ半分「それを踏まえた臨床論的研究」です。

フロイト精神分析なんかは、今でも理論精緻化され続けていて、それはそれで読むと非常に面白いですし、人間理解に大いに役立ちます

というわけで昔の臨床心理学は、多分に人文的というかアート的な学問領域でした。学んでみると非常に面白いのですが学問としての欠点もたくさんあります

最たる点が、多くの方が既に感じていらっしゃる通り、物語性を重視するあまり客観性エビデンスをあまりに軽んじてしまたことです。

 ◆

しか1990年代の後半頃でしょうか、「認知行動療法」と「エビデンス重視」の立場が、アメリカから日本へ本格的にやってきました。

心理療法の一つである認知行動療法エビデンスを非常に重視します。

例えば「うつ病」ならば、患者抑うつの程度を測定し、「認知行動療法を行うと抑うつの程度が有意に下がる!」みたいな研究バンバンやるわけです。

当時の学会の様子は今でも覚えていますエビデンス重視の方々は「それエビデンスあるんですか?」と、どこかの誰かのようなセリフを旧来の臨床心理学者に容赦なく投げつけ、大変気まずい空気を作り出していました。(別に悪いことではないですが)

残念ながら旧来の臨床心理学者はそれに真っ向から反論することができません。なぜなら、実際の所エビデンスは無いからです。

ただし、客観的エビデンスが求められる研究では、「客観的に扱える要素」しか扱うことができません。

そういう「客観性」では捉え切れない人間の心を探求していったのが、これまでの臨床心理学だったはずです。

ですから多くの人にとって、「エビデンス」というものが極めて底の浅いものに見えたという部分もあると思います

実際私もそう感じる部分はありました。確かにエビデンス大事だけど、余りに機械的人間の心を扱いすぎていないか?と。

それって、本当に臨床心理学が目指していたことだっけ?

とはいえ、旧来の臨床心理学者がその文学性に浸りすぎ、客観性過小評価していたのは間違いないと思います

エビデンスに対して「人生の深みをわかっていない」「客観性が全てではない」と言っても、インチキしか聞こえないでしょう。

要するに、物語偏重し、エビデンス全否定する姿勢は間違っていますが、エビデンス偏重し、物語全否定するのも同様におかしいと、私自身は思います

そういう微妙バランスというか面白さが臨床心理学の中にはありますし、どちらも人を支援する上では大事視点だと思います

 ◆


まぁその後は各学会大学内で、明に暗に色々な小競り合いがあって、現在は昔よりもだいぶ両者が折り合いつつある雰囲気です。

一つは、純粋な「2:事例研究やそれを踏まえた臨床論的研究」の人たちが減ったという単純な理由です。大御所の多くが高齢化し、以前よりはだいぶ比率が少なくなりました。

逆に、認知行動療法がだいぶ浸透した結果、若い世代では認知行動療法が専門外でも、エビデンス重視の考えは馴染みのあるものになっています

また、認知行動療法の人たちも”表面的な”エビデンスが全てではないという姿勢の人が増えてきました。

また、個人的にすごく大事だと思うのが、実証重視の方々にとっては「物語」の代表に見えるであろう精神分析系の心理療法も、ちゃん効果確認されるようになってきたたことです。

これによって、「エビデンスが全てではない」と意地を張らなくても良くなってきたのだと思います

結局、エビデンス否定するのではなく、自らエビデンスを出すことで (とはいえ研究殆ど海外ですが)、問題は解消されつつあります学問としてこれはとてもよいことだと思います

 ◆

つい最近中室牧子さんとかによって、教育業界エビデンス視点を持ち込む動きがありますが、同じように、日本臨床心理学にもエビデンス視点を持ち込もうという動きが20年程前にあったのです。

エビデンスに対する考え方の違いは、人間理解に対する考え方の違いであり、それが論文業績に対する考え方の違いにもつながっていたという話です。

これを読んでみて、改めて「臨床心理学ってクソだな」と思った人もいるかもしれませんが、こういうゴタゴタも乗り越えつつ、少しずつ学問としてブラッシュアップされていっている臨床心理学が私は大好きです。

長くなってしまいました、すいません。

おまけ

長くなったついでで恐縮です。

https://anond.hatelabo.jp/20181011091532 「再現可能性が4割」の部分に

https://anond.hatelabo.jp/20181011091734 「びっくりするほど信用できない学問だな てか学問かそれ 」というコメントを見かけましたが、これ心理学だけの問題じゃないんですよ。

Natureが少し前にいろんな研究者に調査しましたが、理系領域だって再現性は決して高くありません。

https://www.nature.com/news/1-500-scientists-lift-the-lid-on-reproducibility-1.19970

しろ追試をちゃんとやって、どれが再現できるか否かをふるいにかけ、学問を発展させようとする態度こそが科学的だと私は思います

anond:20181010203532

法学:ほぼ実務に即するので、最高裁判決を頂点にある程度の客観性担保されてる。ただ、憲法学宗教論争化しており、政治学から批判が多い。海外の考え方を持ち込む意欲は強いが、逆に日本の考え方を海外に発信しようという気概はほぼない(知らないだけかもしれないけど) 

政治学2000年代初頭には「ポリサイ頑張ろう(政治科学する、政治という現象データ分析的な手法で考えよう)」みたいな機運があったけど、どうもうまくいってないっぽい。直近の状況は詳しくない。日本政治思想海外発信する人はあまりいないけど、分析手法は共有も兼ねて海外でも発表してそうな印象

そもそも社会学政治学表象を(知られているものとは別の角度で)著述することで新たな人間観、社会観、新たな概念を生み出す(例:円柱は正面から見たら長方形だけど、上から見たら円だよねみたいな)ことに価値を置いてる/いたので、どうしても自然科学的なアプローチとは相性が悪かった(歴史的に"天才のひらめき"によって前進してきた)。

はいっても、それ(天才待ち)だと理論は進展しない(しにくい)し、トンデモ理論であふれちゃうので70年代以降はデータ分析的な手法表象を改めるという手法が試されてる(道半ば)。

査読に関しても、個の集合体であるカオス的な)社会を扱っているので、反証はいくらでも可能で、大規模な社会実験が必要になる追試が事実上不可能なのでなかなか難しいと思う(こなみ)

2018-10-10

法学客観性ってなに?

査読の話があがってて、客観性に欠いてるよね!!ってどの次元の話をしてるん

1.結論を導いた根拠そもそもないやんけ

2.結論を導いた根拠はあるけど、根拠を支える資料がないんか

3.根拠資料も揃ってて、論文体裁が整ってても、審査するやつが身内なのかよ

4.どの論文がスゲー論文なのかを審査するためのモノサシがないのかよ

とかそんなあたり?具体的に何を叩いてるんだ、これ。査読がないから、客観性がないって、何に対する客観性を維持しようとしてるんだ。

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