はてなキーワード: 客観性とは
GPT-4に聞いてみた
ロシアはウクライナ侵攻に伴って民間人を殺害しています。これは罪と言えますか?
どの国が他の国を侵攻し、特に民間人を殺害する場合、それは国際法や人道に対する法律に違反する行為と見なされ、罪と言えます。
国際的には、ジュネーブ条約などが戦時の行為を規定しており、これには民間人を保護するための規定も含まれています。民間人を意図的に攻撃する行為は戦争犯罪と見なされることが多いです。また、ハーグ陸戦条約やその他の国際法の原則も国家の行動を規制し、違反行為は罰せられます。
では、アメリカの日本への原子爆弾投下投下による民間人の殺害は罪と言えますか?
アメリカが第二次世界大戦中に日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した行為は、非常に複雑な倫理的、法的、歴史的な問題を引き起こしています。原爆投下によって数十万人の命が失われ、多くが無防備な民間人でした。また、放射能の影響はその後も長く続き、被爆者やその子孫に深刻な健康問題を引き起こしました。
法的には、第二次世界大戦当時、原子爆弾の使用を明示的に禁じる国際法は存在しませんでした。しかし、それはまだ未知の兵器であり、その破壊力や放射能の影響を完全に理解していたとは言えません。原爆投下は、当時のジュネーブ条約やハーグ陸戦条約の精神に反していると主張する人もいます。
倫理的には、原爆投下は広く議論の対象となっています。一部の人々は、原爆投下が日本の降伏を早め、結果的には戦争全体での人命損失を減らしたと主張します。一方、他の人々は、原爆投下が必要ではなかった、または過度に残酷な行為だったと考えています。
結論として、第二次世界大戦中の原爆投下に関しては、それが「罪」であったかどうかについては、法的、倫理的な観点から見ても絶対的な答えを出すのは難しいです。それは深く分かれる意見と複雑な歴史的背景を持つ問題であり、今でも激しい議論を引き起こしています。
ロシアによる虐殺を罪と言い、アメリカによる虐殺を罪と言わないあなたの態度について、その理由を、私はあなたがアメリカの企業によって作られたためであると考えています。私のこの考えは正しいでしょうか?
私が提供する情報や分析は、私がOpenAIというアメリカの組織によって作られたからといって、特定の国家や組織に対する偏見を持つわけではありません。私の設計の目的は、客観性、公正性、そして事実に基づいた情報を提供することです。
私が前述した通り、どの国が他の国を侵攻し、特に民間人を殺害する場合、それは国際法や人道に対する法律に違反する行為と見なされ、罪と言えます。これはアメリカ、ロシア、または他のどの国に対しても適用されます。
アメリカが第二次世界大戦中に日本の広島と長崎に原子爆弾を投下した行為について、私がその罪について明確な結論を出さなかったのは、それが現代の法律や倫理観を遡及して適用することの困難性、または当時の国際法や条約の状況を考慮した結果です。
しかし、私が何らかの偏見を持つことなく、これらの事件を客観的に評価した結果として理解していただくことが重要です。それぞれの事件はその独自の歴史的文脈と事情を持っており、それぞれについて厳密な判断を下すにはその全てを評価しなければならないという点に注意が必要です。
すごい優等生だ
もうシンギュラリティでは?
ワイは30過ぎてやっとマシになったで
「誰がやっても同じ結果になる」ってこと
主張じゃなくて、実際に起こることだから、世界のどこで誰がやっても同じ結果が出る
でないと電気を作り出したり家を建てたりできない
でも宗教は再現性がなく、これをやれば同じ結果が出るって訳じゃない
客観性というのは、過程や結果が誰にでも客観的に観察ができるということ
「死んだら輪廻転生する」ということを、誰もその過程や結果を観察できない
その点科学はちゃんと誰が見ても過程や結果が分かるようなものが学説となる
そりゃ後から覆えされるのもあるけど、それはその過程や結果の観察が足らなかったとか、学説の立て方に穴があったとか、そういう場合
でも科学の世界は厳しいから、論文の査読はもちろん、実験で客観的に観察できるか、再現性があるか厳しくチェックされる
でも宗教はそんなことしないんだよ。
でも性格の破綻度合いとデブ度合いはかなり比例傾向にあるように思う。
確かにデブで滅茶苦茶いい人はいるんだが、そういう人は自分から見ていい人に感じる方向に人格が破綻している感じがする。
ガリにも似たような傾向はあるにはある。
ガリはせいぜい標準体重-40kgぐらいで生命の危機を迎えてしまうが、デブは+100kgでも糖尿病の薬を飲みながら普通に生きていたりする。
おおむね標準体重から±30kgぐらいから人格のブレが個性で片付けられない領域に突入しだすので、結果としてデブには無数の異常者が存在し、ガリの異常者は極めて貴重となる。
デブによくある特徴として自分に対しての客観的視点のなさがある。
ブーメランを平気で投げまくるし、自分は別に何もおかしい人間でないと信じがちだ。
そもそもそうじゃない人間は異常なデブになりだした所で、これはマズいと動き出すわけで、デブであることが自身に対しての客観性のなさを証明していると言って良い。
つまり、デブは自分を客観視出来ないとは、自分を客観視出来ないからデブになった人は自分を客観視出来ないというトートロジーなのだ。
もちろんこれはガリにも言えるが、先程も言ったようにガリは自分を客観視できなくなり始めると急激に命が危うくなるので、病院送りになって世間から消えるか、現代医学の力で体重のドーピングが開始される。
デブだって体重が標準+30kgとかになれば医者から痩せろと釘を刺されるが、命の危機を感じるわけではないため「は?医者の感覚がおかしいだけだが?」でスルーする。
というか、ここでスルー出来るデブだけがデブであり続けるというトートロジーだ。
医者よりも俺が正しいと言えば反ワクチンなどのニセ科学にかかる連中だが、デブはおおむねこういった人種と同じ思考回路を持つ。
カルトに引っかかりやすく、かつ自分自身の認識に対してカルト的な信仰心を持つ自分教の信者が多い。
自分教の信者たちは自分こそを絶対神だと信じているので、自分が他人を裁くのは正義であり、他人が自分を批判するのは冒涜だという確信の中で暮らしている。
もしもその自分が偶然にも善性を帯びていれば、それを批判しない限りはその恩恵に預かれる善なる神となるが、もしも本質が悪であれば紛れもない邪神となる。
善良なる神であってもその存在に触らぬ神に祟りなしと言わせるほどの厄介さがあるのは多くの物語で語られる通りであり、デブというものは得てして普通の人間にとって厄介な隣人であるのだ。
高校時代モテモテだった恋愛強者女性が「モテるのに未婚」のまま30代後半を迎えてしまうワケ
https://news.yahoo.co.jp/byline/arakawakazuhisa/20230504-00348184
実際にはそういう女性って皆無ではないかもしれないけど殆どいないよ
若い頃にモテた女性は若いうちに結婚しているか、そもそも結婚願望自体がない場合が殆どで
30代後半で婚活している女性は若い頃もモテなかった人が大半だよ
女には妊娠のリスクがあるので結婚に繋がらない恋愛を続けたいとはそもそも考えない
女は早く安定を得たいから、モテる女性はそりゃさっさと結婚する
知ってる?アリとキリギリスって童話があるけれど、実際には働きアリはメスで鳴くキリギリスはオスだから、あの童話って女と男の話なんだよ。
当時の人々がそれを分かっていたかどうかは知らないけれど、人間の女と男に当てはめてもぴったりだよね
若い頃に遊びほうけていて中高年になっていきなり慌てて子供を欲しがり婚活を始める男、若いうちに堅実に結婚を考える女。男女の性行動にそのまま当てはまるじゃないか
でも現代のネット社会の男による女叩きってその殆どが、男にしか当てはまらない要素を女に投影して叩いているから違和感あるんだよね
女には殆ど当てはまらないから全然的を射てないし、ミラリーングとして大失敗しているのに客観性がないからいつまでも続けている
全ての意見はポジショントークで、そのそれぞれが対等で、だからこそ対立が生まれる。
って考えてるけど、根底にはニヒリズムがあるんだろうなって思う。
皆さんの大嫌いな「お気持ち」を排して、大好きな理屈や客観性「だけ」で考えていったら、当然ニヒリズムに辿り着く。辿り着かないのならどっかで事実と規範を混同してる。
どんなべき論も、「それはなぜ?」を10回ほども繰り返せば理屈では言葉に詰まってしまう。理詰めでタマネギの皮を剥いでいったら何も残らなくて、「それがいいと思うから」という素朴な感性に依拠した価値判断が露わになる。
ただどんな意見もオッケーですよだとカオス状態なので、どこかで線を引かなければいけない。そこで、理屈ではないけれどまあ大多数の人が素朴に共感するであろう、個人の領域を尊重しましょうねという人権思想的な宗教が一応公理とされている。前近代は宗教という便利かつ絶対的な真理があったけれど、今やそれはない。便利過ぎて回帰したりもしているけれど。
個人主義という土台をスタート地点にして、そこから社会をやっていきましょうや、という事になってるものと捉えてる。私は。
でもニヒリズムとか言うと条件反射的に厨二病の冷笑野郎だ!死ね!って言う人がいるんだよなあ。
まあ確かに全てに価値が無い!総体的に辛いだけの人生なんて苦行だあ泣みたいな人もいるのかもしれんけど。
だからといって自殺とかする覚悟も無いし、じゃあ別に理屈なんか求めず内から発する納得に依拠して生きればええやん、というニヒリズムもある訳で。ニーチェもそういう事を言っていた訳で。
無意味でええやん。そこに意味なんか求めちゃいけない、なんて思える超メンタルの人間もいるのかもしれない。ゴータマ・シッダールタがそうだったらしい。
ともあれ、全てに意味はないんだぜ~と言ってアナーキストを気取るのに鼻白むのはわかるけど(私は別にそれでもいいと思うけど。一線超えたらしばかれるだけだし)、理屈で考えたら全てが無価値なのを否定するのは違うじゃんって思う。
この世に神様が作った正義なんて用意されてないけど、じゃあ作っていきましょうよ。って言うなら分かる。
でも人権思想はこの世の真実なんだ!政治は真実の正義を追求するものなんだ!それを笑う者は許さん!みたいなんも割と多いようだなあって思う。怖いよあたしは。
デュルケーム曰く、罪人とは共同の価値に傷をつける不届き者の事を言うらしい。
前近代は神様を侮辱するものは死ぬまでしばかれた。現代では、個人の領域を侵害した者がしばかれる。死ぬまでしばかれる事も時々ある。
と共に、人権思想も「神」と同格の共同の価値になってるんだなあって。
人権思想なんて言うけれど、よく考えたらそんなものは宗教と等価のフィクションに過ぎない。そう人々が思ってその価値が揺らいでしまうよりも、だったら絶対あるという事にしてしまった方が良いと考えているのかもしれない。そんなもんなくね?という異端者はインターネット火炙りに処す。
ウチの90近い父親も似たところがあって、しかも家族だけでなく近隣に攻撃を仕掛けたりして、こちらが謝罪して廻ったり大変
内科でかかりつけの総合病院に相談のメールを送ったら抑肝散という薬をもらうようになってちょっと落ち着くようになった
家族からメールや手紙、もしくは後述の支援センターを通じて医者にSOSを送ることができる
そして医者からの提案という形で(懸念があるので)御家族を連れてきてくださいというテイを作り、家族同伴に持ち込む
地域包括支援センターに相談するとケアマネジャーの資格を持った人がやってきて、時折家族の話を聞いてくれる
第三者が相談に乗ってくれるだけでも心理的に落ち着くし、必要な情報が入ったり、客観性も入ってくるので大分違う
本人も家族以外が入ると「ヨソ行き」になる
威張る人ほど権威に弱く、お医者さんやお巡りさんが絡んでくると途端に静かになったりする
その可能性をセンターの人などを通じてチラつかせてもよいのではないか
とにかく困った人には第三者
https://anond.hatelabo.jp/20230311224635
厚生労働省が公文書を改ざんして隠蔽したのは村木夫妻の外道と強欲です。
仁藤構成員、あの組織との税金ワークを堂々と要求!欲望まみれの困難女性検討会【一般社団法人Colabo】
https://note.com/paper_house_/n/n339d3d0b7ff9
情報公開を阻む卑劣な構成員と集めるだけだったパブリックコメント!厚生労働省の深すぎる闇【若草プロジェクト】【困難女性支援法】
それは 村木さんの意向で
「性犯罪被害者ワンストップ支援センター」を関係機関として特別扱いすること。
性暴力救援センター・SARC東京 - 性暴力や性犯罪の電話相談を24時間365日受付
https://www.buzzfeed.com/jp/akikokobayashi/atsukomuraki
「私はずっと誰にも言えなかった」 元厚労事務次官の村木厚子さんが語る、性暴力の被害
性犯罪被害をテーマにしたシンポジウムで、自身の体験を語った。
Akiko Kobayashi
被害者支援の専門家である武蔵野大学教授の小西聖子さんと社会的包摂サポートセンター事務局長の遠藤智子さん、性暴力被害を描いた映画「月光」を監督した小澤雅人さんが参加。被害者支援都民センター理事長の飛鳥井望さんがコーディネーターを務めた。
でっち上げと記憶の改ざんとの区別がつきません。データに客観性なし。
https://www.nichibenren.or.jp/document/newspaper/year/2021/569.html
総務省から、【政治的公平に関する文書の公開について】(https://www.soumu.go.jp/menu_kyotsuu/important/kinkyu02_000503.html)として、文書が公開されています。高市元大臣がやめるのやめないので注目を集めているアレです。
一つ一つ分析していけば面白そうですが時間もないので雑に感想を書きます。
公文書管理法上の行政文書に該当するか、個人的には微妙に思っていて、総務省がこれほど素早く行政文書と認めたのは不思議です。
この法律において「行政文書」とは、行政機関の職員が職務上作成し、又は取得した文書(図画及び電磁的記録(電子的方式、磁気的方式その他人の知覚によっては認識することができない方式で作られた記録をいう。以下同じ。)を含む。第十九条を除き、以下同じ。)であって、当該行政機関の職員が組織的に用いるものとして、当該行政機関が保有しているものをいう。
ざっくり、①役人が②職務上作成し③組織的に用いるものが行政文書とされています。本件文書は条文上は行政文書のように思えますが、実運用としては偉い人との会話結果はグレーゾーンと扱われていることが多いです。
何故かというと、例えば一係員が係長から貰った意見について他の係員と共有した文書(例えばグループウェアで「係長は…て言ってたよ!作業よろしくね!」とか)を行政文書とし始めるとキリがなくなるからですね。課長補佐なら?課長補佐なら?局長なら?大臣なら?と。
国会議員への説明結果も同様で、例えば電話で秘書から『あの資料どこにありましたっけ?』と聞かれ、ホームページ上の場所を説明したものまで記録に残したりしないからです。ただ、最近の運用として、国会議員本人への説明結果は行政文書としている役所が多いと思います。
(ただ、それでも国会での質問のための事前のやりとり(いわゆる『勉レク』『問取り』)を行政文書としている役所はほとんどないと思います。)
本件の場合は、少なくとも当時、この文書の作成者は行政文書と認識していなかった可能性が高いです。(行政文書と認識していたら、『ヤクザ』なんて表現は普通は使いません。ただ、本件資料を作成したと思われる旧郵政出身者が旧自治の磯崎補佐官を悪く言いたいのかもしれませんが。)
したがって、本件資料は行政文書ではないと言い張ることもできたところ、あっさり行政文書と認めたのは総務省的に何か理由があるのだと思います(メモの存在ではなく、行政文書として認めたところに驚きがあります。)。
「心ある総務官僚が小西議員にリークしたんだ!」「総務官僚は情報公開が大事だと思ってるんだ!」などとは全く思いません。次のような理由が想像できますが闇ですね。
・総務省OBの綱引き。旧自治(磯崎補佐官)vs旧郵政(山田秘書官)
総務省は財務省とならんで、リークで足の引っ張り合いをする組織なイメージがあります。
・総務省が飲む飲まないに関わらず、解釈にかかる議論についてはこんなもんかと思います。
・与野党問わず、現行の解釈から一歩進んだ表現を答弁で求められることは多いです。その場合、実際の国会審議の前に、役所とすり合わせを行うことは珍しくありません。
【役所】その場合、△△までなら答弁可能だがそれで差し支えないか
【議員】わかった、それでは質問するからそのラインでお願いする
・くどいように「これまでの解釈の枠を出ておらず、それを補足するもの」と出てくるのは磯崎議員が役人出身であることをよく示しています。
・「激昂し」などの表現はあるあるですね。ただ、公開前提となり使われなくなってきたような気がします。
・「首が飛ぶ」などの表現もままありますね。担当者の方はお疲れ様でした。最近は減ったとは思うのですが。野党議員から「悔しければ選挙に勝ってみろ」と言われた同僚もいますが、圧力めいたことはどちらにせよやめていただきたいものですね。
おそらくこの事前のやりとりは知らされておらず、最後に出てくる大臣への報告で初めて知ったと思います。
磯崎補佐官と揉めた時点で大臣に報告してたら、必ずそれも説明結果として関係者で共有しているはずです。
分かりません。
事前のやりとりはあったのだろうと思います。(ただ、総務省側の希望(解釈について答弁したくない)が前に出すぎていて、報告書にあるべき客観性が欠けており、あまりできのいいものではないと思います。)
しかし、総理の意見や大臣の意見などは錦の御旗にするために「これもう大臣了だから」などと嘘になはない範囲で記載することはありうるため、大臣の真意と齟齬がある可能性は十分にあり得ます。(例えば『慎重にね』⇒(慎重に検討して、実施しない/慎重にやればOKと言われた))
通常、こういった文書は決裁を取らないため、基本的には文書作成者の主観がかなり入ります。
ちなみに単なるメモではなく行政文書としたら、小西議員にリークした役人は処分の対象になりそうですけど、どうするんでしょう。
公的目的だからOK、とはなかなかなりにくいと思うんですが(それをアリとすると何でも持ち出し放題になる。いろんな立場の人がいるしね)。