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はてなキーワード: 科学者とは

2024-03-19

車輪の再発明」という言い回し発明されたのはいつなのか

気になる、調べましょうね

調べました

車輪発明されたのは紀元前だが、「車輪の再発明」という言い回し発明されたのは20世紀になってからのようだ

「車輪の再発明は良くない」というのは誰が言い始めた言葉ですか? 日本で広まったのはいつごろでなぜですか? | Quora

Reinvent the Wheel – Idiom, Meaning & Origin | GRAMMARIST

The term reinvent the wheel dates back to the 1950s, often used as a business and advertising metaphor.

One of the earliest published occurrences of the phrase dates to 1956 and is found in Documentation in Action from an article concerning how research workers, executives and others use information:

車輪の再発明」という用語は1950 年代にまで遡り、ビジネス広告比喩としてよく使用されていました。

このフレーズが最も早く出版されたものの 1 つは 1956 年に遡り、研究員幹部などが情報をどのように利用するかに関する記事が「Documentation in Action」に掲載されています

なるほどねえ

これ以前に全然別の文脈で「車輪の再発明」という言い回しがあった場合、「車輪の再発明」が車輪の再発明されていたということになりネタとして面白いんだが……流石に無いかもな

これは日記です

---

しか

“The intensive literature search at the beginning of a research project is intended to define the precise boundaries between the known and the unknown and to forestall unnecessary duplication or, as one scientist has expressed it, to avoid re-inventing the wheel.”

研究プロジェクトの開始時に集中的に文献を調査することは、既知と未知の境界を正確に定義し、不必要な重複を防ぐこと、あるいはある科学者表現したように、車輪の再発明を避けることを目的としています。」

"one scientist"……「ある科学者」とはだれなのだろうか

その人こそ車輪の再発明というmemeの発明者……か?

2024-03-13

anond:20240313174505

まず君の言ってる研究ってどの論文

https://dash.harvard.edu/bitstream/handle/1/11129154/Reinhart_Rogoff_Growth_in_a_Time_of_Debt_2010.pdf

https://peri.umass.edu/images/WP322.pdf

https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0022199615000690

ググっても債務残高と経済成長率の関係のものしか出てこないんやけど。

それこそがまさにcrowding outなのですが

まああとネルギー保存則が破られないように原理的にありえないことは演繹的に否定可能だよ。

エネルギー保存の法則デカルトライプニッツ17世紀提唱して、20世紀アインシュタインに至るまで300年の時間をかけて「法則」になりました。

その間多くの科学者実験研究を行いデータに基づき築きあげた物です。

一方MMT現代貨幣理論」です。

そもそも民間銀行プールしている現金を貸し出してるわけではなく預金通貨信用創造して貸し出してるので貸出自体には資金必要がないため資金が逼迫して金利が上昇するわけがない。

民間銀行国債を購入した場合予算が消化されると最終的には民間銀行の講座に購入分の金額が返ってくる上に中央銀行民間銀行資金供給可能なので資金の不足は人為的に解消可能

よってクラウディングアウトが発生しないという主張は、循環論法に見えます



私の見解としてはMMTの主張する「crowding outは発生しない」という理論は納得ができないです。

「crowding outは発生しない」を証明するなら「crowding outは発生する」と主張する先行研究反証を挙げるのが科学です。

データを基にした先行研究に対して正面からデータで挑戦するのではなく、「人間最後の審判で甦る、なぜなら神は存在するからだ」と反証不可能な前提に基づいて反論するのは科学ではありません。

クルーグマンが言うように「MMT論者は理論検証できない状態意図的に作り出している」のではないかと思えます

>Krugman described MMT devotees as engaging in "calvinball" – a game from the comic strip Calvin and Hobbes in which the players change the rules at whim.

先日、

オッペンハイマーという話題映画日本に帰る機内の新作映画ラインナップされていたので早速みてみた。

日本賛否両論が起こりうるということで、昨年、日本での公開が見送られていた映画だ。

もっとも来週あたりようやく公開されるようだけど。

当初、配給会社忖度して日本人向けには見せてくれなかった、となると、一体どんだけ鬼畜な内容なのか?などと、

逆にヘンに妄想が掻き立てられるもの

妄想が先行していた分だけ、みた印象としては、拍子抜けとなった。

オッペンハイマー個人パーソナリティを軸に、冷戦など彼をとりま社会が興味深く描かれていた。

政府社会科学者個人を利用し、偶像化してゆく構造的な背景をのぞかせるような映画だった。

ネタばれになるので、詳しくは書かないけど、水爆開発の反対と公職追放、このあたりの描写映画としてはクライマックスだ。

ステレオタイプオッペンハイマーをみれば、彼の道義心と公職追放がセットになって語られがちであるが、実際にはいろいろな経緯が絡まり合っていた。

原爆投下という途方もない人道的な問題に対して、誰かに代表させてそれらしい答えを出させようとする世間(みている観客も含めて)の空気が鏡のように反射してみえ映画だった。

ヒーローヒール役というのはそうして偶像化される。

この映画では終始、オッペンハイマーパーソナリティを軸に展開していたので、その摩擦が却って浮彫にされた形だ。

そもそも歴史上の人物は、未来ことなどわかるはずないのだから、後世の人権感覚など何も知らないで生きている。

しかし、後世の進歩的歴史観は、歴史上の人物善意悪意をそれぞれ振り分けてして断罪・総括してしまう。ヒットラー絶対悪にするみたいにね。

しかし、特定個人悪人しかみたがらないような歴史観では、非人道的行為実像みえるはずもない。

その点、本映画では、本人をよそに、後世の歴史観にとって都合の良いレッテルやらロールモデル押し付けられてゆく、

という構造が見え隠れするという意味ではよい出来映えだったと思う。

しかし、結局のところ、一体何が日本賛否両論を巻き起こしそうな映画なのか、分からなかった。

プロットが複雑なこともあって、一度見て全部を理解できるような映画でもない。

ただ、映画を見終わったあと、そういえばトルーマンがそれほど登場しなかったな、と自分の不満ともいえる感情がくすぶり、ふと、

でもそれって、ヒール役の邪悪トルーマンをみてカタルシスを得たいだけだよな、と我にかえって気が付いた。

日本賛否両論を巻き起こしそうだという忖度って、まさにこういうことだろうと思った。

忖度のものが、原爆投下非人道的でありその野蛮さが強調されるべきだとする歴史観に知らず知らずのうちに飲み込まれていることが想像できた。

原爆の父と呼ばれるオッペンハイマー主人公映画なら、ぜひ彼に原爆開発を後悔させたい、苦悩させたい、とする心情、そういう懺悔がなければカタルシスが得られないとする心情ー

そういう道徳的な片鱗を少しでも見出したいとするのは、結局のところ未来がどこに向かっているか知る由もない歴史上の人物の顔を無理やり後世の人が考える正しい方向へ振り向かせようとする努力のようなものだ。映画のなかで彼に反省させてステレオタイプオッペンハイマー像に満足したい、というのが日本で起こりうる「賛否両論」の実像だとすれば、それこそ、オッペンハイマーに何かの役割を担わせようとする自分反省する意味でもこの映画をみるべきだ。

映画に描かれなかった広島長崎を強調させたいとする空気があるとすれば、皮肉にも、それこそが本映画で見てとれる構図、

歴史上の人物自分の持っている史観に都合のいいようにヒール役にしてみたり、ヒーローにしてみたりする空気元凶だということを再認識した。

余談だが、原語の英語の語りは、NHKドキュメンタリー並みに、かみしめ口調でゆったりとしている。

高校生くらいでも聞き取れるかもしれない。若い世代にみてもらいたい映画だ。

2024-03-08

anond:20240308232625

定義がなければ存在しないと?科学者としてその態度はなんだね?

原始人が数を定義できないとして、数は存在しなかったのかね?

2024-03-07

反ワクのみなさんへ

正確にいうと文春記事でなんとなく反ワクに流れそうな人へ。

影響力のあるメディア掲載されたことで反ワク界隈が盛り上がっており、大変危険なので。

文春は学術誌ではない

反ワク界隈は文春に載ったと大騒ぎですが、それ自体何の意味もないし学術価値も皆無です。

勘違いしないでほしいのは、ワクチンリスクが無いと言っているのではなく、そのリスク評価する場所は下世話な週刊誌SNSではないということが言いたいのです。

繰り返しになりますが、文春に載ったことには何の価値もありません。

立派な大学名誉教授という肩書きがあったとしても、所詮は文春記事です。

学術的な価値のない個人意見しかありません。

ワクチンがノーリスクとは誰も言ってない

発熱等の副反応があることも血管系のリスクがあることも最初から分かっていたことですが、それでもリスクベネフィットが上回るという判断で接種を推進したのです。

これは隠されていたわけではなく、厚労省ホームページにもちゃんと載ってますし、報道もされていました。

から、「ほらリスクがあった」という指摘は完全に的外れです。

リスクベネフィットどちらが大きかったかという評価主観的になりがちなので、SNS等でそこを争うのは無益です。

国がリスク評価を誤って国民不利益を負わせたと思うなら司法の場に持ち込むべきでしょう。

mRNAワクチン危険性は検証したらいい

この点については、免疫機能の低下などまだ明らかにされていないリスクがある可能性はあります

接種した人は非常に多いので、これから検証を進めていけばいいでしょう。

ノーベル賞とったかアンタッチャブルなんて科学者は考えません。

そこでわかったことがあれば、週刊誌ではなく学術誌に論文として発表すれば良いのです。

リスクを広く知らしめたいなら、その方法ベストです。

文春に載せてもまともな医師相手しません。

リスク検証をするなというのではなく、やるなら然るべき場所でやれということです。

勝ち負けではない

真実を知って国や世間と戦っているという認識の方々は勝ち負けにこだわるようですが、国や多くの人々にとって敵はパンデミックであり、反ワクのみなさんとは戦ってません。

ワクチンにこれまで確認されていない副反応リスクが見つかったとして、別に負けたとは思いませんので、どんどん検証してほしいと思います

しろそれは今後の感染症対策にとってプラスに働くので大歓迎です。

ただ、週刊誌で人の不安に付け込んで正確でない情報を垂れ流す行為は、今後の感染症対策の妨げでしかないので心底やめてほしいと思います

本当に危険だと思っているなら、査読付きの論文を出すべきです。

これは味方の数を競うゲームではないので、勝ち負けではなく正確さを問いましょう。

からは以上です。

本物のみなさんは情報統制とか言い出してしまうので取り合ってもらえないでしょうが、まだ本物じゃなくて何となく怖いとか不安になってしまった人に落ち着いてもらえたら幸いです。

2024-03-06

anond:20240306172722

久々のggrksだな。

https://www.wpath.org/media/cms/Documents/Public%20Policies/2019/WPATH%20Letter%20to%20Japanese%20Gov%20Officials%20re%20Identity%20Recognition_May%20%2028%202019%20JPN.pdf

世界トランスジェンダーヘルス専門家協会(WPATH)は、性別違和gender dysphoria)

科学研究と、トランスジェンダー健康エビデンスに基づくベストプラクティス

のために活動する、唯一の国際的で学際的な専門職組織です。当協会は、医学メンタル

ヘルス、法と倫理、そして科学研究の分野に 2,200 人以上の会員を持つ非営利団体です。当

協会は、科学者と医療提供者が力を合わせ、当該領域に関する知識を交換することを目的

として 1979 年に設立されました。国際的に認められた「トランスセクシャルトランス

ェンダー、ジェンダーに非同調な人びとのためのケア基準」(最新版は第 7 版)(SOC v7)

作成し、Web サイトwww.wpath.org)には日本語訳も公開しています1。当協会世界

各地の政府に対し、トランスジェンダー健康人権および市民権に関する助言を行って

ます

2024-03-03

追記あり教養って文化資本に恵まれた奴がマウントを取るための道具だろ

文化資本ガチ勢ガチ勢同士でつるむためのチケットしかないだろ。くだらねえよ。意味ねえじゃん。

教養なんてあっても幸せになんてなれないし、むしろ邪魔であるだろ。

自分で言うのもなんだが、俺にはかなりの教養がある。つまりお前に意見をするチケットがある。こんな話は反吐が出るから詳しくは言わないが、文系理系文化芸術などなど、どの点をとっても俺の教養パワーにはほとんど隙がない。なぜ隙が無いのか?文化資本に恵まれいるからだ。

どうして俺が反吐を出しつつも、こうして自分教養があることを声高に主張するのかというと、教養のあるみなさん(笑)教養の無い人の意見を聞いてくれないからだ。

教養のある皆さんにもよく考えてほしいんだが、教養のある奴が、教養のある故に幸福になっているところを見たことがあるか?

無いよな。

教養があって幸福なやつは、持ち前の向学心によって身についた職業に関する専門的な知識と、持ち前のハピネスパワーゆえに幸福になっているのであって、教養のもののおかげで幸福になっているわけではない。

毛沢東教養があるのに狂った

毛沢東の家には70万冊の蔵書があったらしい。全部読んだわけでは無いだろうが、それにしてもドン引きするほどの読書家だと伝えられており、頭も死ぬほど良かった。

だが毛沢東イカれた思想に傾倒して人間不信をこじらせて中国人を殺しまくった。世界で最も多くの人を殺した人間だ。

「狂う」なんて、教養さえあれば防げそうな不幸ランキング第一位なのに、毛沢東は狂ってしまった。むしろ当時はインテリほど共産主義に傾倒して狂っていた。

毛沢東が不幸だったのかは知らないが、ああはなりたくないのは事実だ。

「正しい教養」「真の教養」という言葉無意味

毛沢東は「偏った教養」「正しくない教養しか持っていなかったから狂ったのかもしれない。確かにそれは事実かもしれない。

「正しい教養」「真の教養」があれば毛沢東みたいにならないで済むのかもしれない。

教養にこだわる人は、なぜだか知らないが、それが真の教養なのかどうかに異常にこだわる。実際、この記事にも「お前がこの行で言ってるそれは"真の教養ではない"」といったコメントがいくつもつくだろう。俺は彼らのことを"真の教養おじさん"と呼んでいる。

だが、じゃあ「正しい教養」「真の教養」とは誰がどうやって決めるんだ?お前が決めてくれるのか?それともなにか権威のある人や集団が決めるのか?

お前や、あるいは"権威のある人や集団"が毛沢東ではない証拠はどこにあるんだ?

よりよく生きるために「正しい教養」が必要なのに、「正しい教養」が何なのか決められないのだとしたら、それはもう教養無意味だと言っているのと同じだろ。

原爆開発は、人文知や、宗教や、教養が、科学暴走を止められなかった好例として解釈されることがある。

オッペンハイマーは、教養があれば原爆開発を思いとどまれただろうか?そんなわけはない。そもそも、彼に教養がなかったという見方が間違っている。彼はアメリカ政府に選ばれた世界有数の天才で、優秀な科学であると同時に優秀なリーダーでもあった。少なくともお前よりは教養があっただろう。

原爆を作ってしまったオッペンハイマーには教養があった。もちろん「真の教養」は持っていなかったのかもしれないが、「真の教養」が何なのかは誰にも分からない。

教養があれば狂う可能性を減らせる」はお前の妄想

すると、今度は「教養があるからといって狂わないわけではないが、教養があれば狂う可能性を減らすことはできる」みたいな反論が帰ってくるかもしれない。

では、教養があると狂う可能性をどのくらい減らせるんだ?データはあるのか?「可能性を減らせる」などと主張するのであれば当然根拠となるデータ必要だと思うが、お前は示せるのか?俺は示せない。

世の中を見渡すと、むしろインテリこそ狂ってるイメージすらあるだろう。芥川龍之介なんて、インテリからこそ狂ってしまったとしか思えない。

教養でも幸福だし、教養があっても不幸

逆に、無教養な人のことを考えてみよう。日本国内にいる、高校を出てすぐに就職し、1年に1冊も本を読まないし、音楽も聞かないし、美術館にも行かない人のことを考えてほしい。

彼らは必ずしも不幸だろうか?そんなわけないよな?

そもそも地球人ほとんどは無教養だ。恐らく90割は、日本の水準で考えれば完璧な無教養だと言って良い。海外に行けばわかるが、先進国以外の国民は驚くほど無教養だ。

世界の成人の識字率は80割ほどだと言われている。20割は文字すら読めない完膚なきまでの無教養だ(真の教養おじさんに言わせれば、文字が読めなくても真の教養のある人はいるのかもしれないが)。

俺やお前が想像するような「高い教養のある人」は、この地球におそらく1%もいないだろう。では、地球人の99%の無教養な人は、不幸な人生を歩んでいるのだろうか?

そんなわけはない。彼らもそれなりに幸福日常を生きている。家族と談笑し、仕事でそれなりに人望を得て、休日は近所の人と茶を飲んだりして過ごしている。

教養で不幸な人も確実に存在するだろうが、無教養幸福な人もそれと同じくらい確実に存在している。

教養が無いからといって不幸になるわけではないし、教養があるからといって幸福になるわけでもない。では、この教養という奴には、何の意味があるんだ?

教養があっても豊かになるとは限らない

次に、「教養があると生活が豊かになる」と主張してくる奴が現れる。これを言われると俺も弱い。割りと一理あるからだ。

よく聞くのは、「石の名前がわかれば散歩をしているだけで楽しい」のような意見だ。

リンゴを見たとき連想する単語の違いが頭の良し悪しで決まるとする極めて不快漫画を、お前も見たことがあるだろう。内容は極めて不快だが、一理も無いと言えば嘘になる。

だが石の件は、実は因果が逆で「散歩していても楽しいから」「石の名前がわかる」ようになった可能性を否定できていない。散歩楽しい人は何も知らなくても散歩楽しいのではないだろうか。逆に、石の名前はわかるけど散歩が楽しくない人だって大勢いるわけだ。

また、石の名前がわかるようになったことで損なわれる感覚について議論していない点も問題だ。石の名前がわかることは、石の美しさを楽しむ上で本当に必要ことなのだろうか?

さらに、教養を身につけることに使ったリソースで別の楽しいことができた可能性についても議論していない。

勉強が得意なお前は貴重なリソースを使ってでも石の名前を覚えたほうがコスパがいいのかもしれないが、石の名前を覚える時間で、Youtubeで猫がチピチピ言っている動画を見たほうが幸せになれる可能だってあるだろう。石の名前を覚えずに今を生きることがそれほどコスパの悪いことなのだろうか?

教養があると生活が豊かになる」という意見は確かに一理ある。認めてもいいと俺は思っている。だが、それほどの効果は無いのも事実だ。

教養があれば幸福になれるかどうかはお前にはわからないし、俺にもわからない。もちろん真の教養おじさんにもわからない。

結局、教養文化資本ブルジョワ権力を維持するための道具にすぎない

結局、教養なんて意味ねンだわ。

あるのは意味じゃなくて、生き方だよ。教養のある生き方と、教養の無い生き方があるだけだ。この2つの生き方に、良い悪いは一切ねンだわ。

教養のある奴は教養のある奴としかつるまないし、無い奴は無い奴としかつるまない。例外はあるだろうが、基本的にはそうなっている。

なぜなら、教養があるやつは常にマウントをとって教養の無いやつを差別するからだ。

この投稿にも「お前は無教養、なぜならこの行でこんなことを言っていて、この発言はお前の無知から来ているからだ」みたいなコメントがたくさん付くだろうけどさ。

そういうコメントこそが、文化資本ブルジョワのお前が、文化資本力に劣る人間差別してる一番の証拠だろ。

からさ、文化資本ブルジョワのみなさん。みなさんは、文化資本に恵まれ地域・家庭・社会遺伝子に生まれてよかったですね。

近くに図書館があって、美術館があって、あるいは美術館に行く金を親が出してくれて、親が音楽を聴いていて、良い先生に恵まれて、親が大学授業料を出してくれて、あるいは奨学金情報アクセスする手段に恵まれて、大学が家から近くて、あるいは一人暮らしをするガッツがあって、あるいは大学に行かなかったのに向学心があって、毎日勉強するやる気と健全精神健康な肉体に恵まれて、専門科目以外を勉強する余裕があって、良い友人に恵まれて、教養をたくさん蓄えて文化資本階級になれてよかったですね。今日もお得意の教養を使ってたくさんマウントを取りましょう。

ほらな

自称教養人のコメントなんてこんなもん。本人は教養を身に着けたと思っていても、この程度のコメントしか出力されねンだわ。

いまから晒す教養一家言ある彼らが、より多くの、より質の高い"真の教養"を身につけたとしよう。彼らはもっとマシなコメントができるようになるだろうか?俺はNOだと思う。彼らのコメントこそが教養無意味さを立証している。

俺がチケット持ちではないことを指摘するコメント一覧

acridian 文字扱う仕事してる人間から見るとかなりらひどい文字の打ち方してる。blueboy氏くらい原稿整理してみてくれ/ほんとに教養あるなら教養にスキがないとか口が裂けても言えんだろ…

→俺は本文で「ほとんど」隙がないって書いてあるよなwなんでそこを切り取ったの?日本語も読めないのにチケット持ってるフリすんなよ。文字を扱う仕事をしてる人間のacridianさん、「かなりらひどい」って何ですか?こっそり編集するなよ。俺の文章はひどくて、「文字扱う」「打ち方してる」「ほんとに」は酷くないのか?blueboyが誰なのか知らんが(そいつを知らないとここではチケットが発行されないのか?)まあなんだ、お前もblueboyを見習えよw

n_y_a_n_t_a 教養のない人の意見

itotto 教養なさそう

jkob 特に教養らしきものを感じない文章だった。教養の有無で狂ったとか狂わないとか幸福とかそうでないとか何が言いたいのかよくわからない。

takashi0314 教養がある人の文章には見えないなぁ

真の教養おじさんのコメント一覧

grdgs なにが教養に含まれるかでなく、教養定義根本的に狂っている増田教養があれば狂わないとお前らは言っている!と狂うゆえに狂った藁人形をこさえている。

→これ言い方を変えただけで"真の教養おじさん"と言ってることは同じだよね。定義が狂ってると言うなら、お前がまず定義を示せよ。そもそも教養などというふわっとしたもの定義可能だと思ってる時点でヤバいけど。

toratsugumi 教養ってなぁ、理解力レンジを広げて、楽しめるコンテンツを増やす背景情報かつ前提条件であって、別にマウントを取る手段ではないぞ?第一、こっちから乗りに行くのではなく、向こうが勝手に下に潜り込むのだ。

→これもそう

frothmouth 衒学教養はまた違うんじゃないかな/個人的には教養を身につけるために学ぶよりも、好きなことをやっていたらある種の教養も身に付いた、方が好きですね

衒学教養はなにがどう違って、この2つはどのように定義されるのですか?その定義は誰が考えたもので、なぜその定義が正当だと言えるのですか?これに答えられないなら真の教養おじさんと言ってること同じだよね。

cider_kondo 本当に教養あったら「80割」みたいなあからさまな釣りは恥ずかしくて入れらんないと思うぞ…/教養主義って「無学でも古典良書の組織的読書人格陶冶できる」という信念のことで文化資本をむしろ否定する思想だよな

→そのまんまの「真の教養おじさん」で草。で、古典良書にはどのようにアクセスするのですか?無学で、本を読むのが苦手で、あるいは怠惰で、近くに図書館が無く、放課後は寝たきり老人の介護をしないといけない彼らは、小難しい古典良書をどのようにして読むのですか?

アホすぎて話にならない主張一覧

教養がないとこうなっちゃうことを身をもって証明してくれてるのかな?

aquatofana クメール・ルージュへようこそ。/それでも共産主義者が「既得権益者」を排除しようとするのは筋が通ってなくもないのだが、こういうこという奴ってたいてい根拠のない反共産・反社民主主義なので手に負えない。

→え、どゆこと(笑)俺は本文中で毛沢東のやったことを「狂っている」と完全に否定したし、教養があるやつを殺せなんて一言も言っていないよね。大丈夫?書かれていないことを読み取ろうとするのは教養うんぬん以前に、なんか見えちゃいけないものが見えちゃってるだろ。最近クメール・ルージュを知って、つい使いたくなっちゃったのかな?カンボジア歴史に興味を持ってくれてありがとね。あと「ようこそ」は草。

tamasuji 下らなくて意味がないと言いながら「俺には教養がある」とアピールするのが意味不明で面白い。 あとで消す

→え、本文1文字も読んでない人?チケットがあることを示さないと君たちは話も聞いてくれないだろ?だからチケットを持っていることを示した上で、チケットチケット以上の意味がないことを説明したんだが、どこが意味不明なんだ?あ、あとで消す必要はないですよ。

Kouboku 毛沢東は狂っていない。大躍進も文化大革命も自己権力維持のためにやった。手段の是非はともかく、狂って起こしたわけではない。文章読んだけど、多分増田みたいな人こそ毛沢東に傾倒すると思うよ。

→保身のための合理的な行動だったとしても手段が狂ってるんだから狂ってるんだろうよ。自分利益になるんだったら人を殺していいのか? 「毛沢東に傾倒すると思うよ」わたし毛沢東に傾倒しておりません。

amunku 長い。私は教養があるから幸せなんじゃなく楽しいから教養を積んでる。勉強するのがこんなに楽しいなんて、なぜ中学の時にわからなかったんだろう。増田教養はあるが視野共感力が無い典型的器用貧乏なんだろな

→「なんで中学の時にわからなかったんだろう」この理由がわからないのが答えなんじゃないですか?勉強するのが楽しいかどうかはホルモンの量で決まって、お前は成長にともなってホルモンが増えたんだろ。成人するとホルモンが多くなる遺伝子を持って生まれてきて、よかったですね。

restroom 文庫本新書ぐらいなら、文化資本に恵まれていない人でも十分に入手できます。私の実家地方で、両親は高卒でしたが、父は読書家で教養を持っていました。

→おとうさんが文化資本に恵まれていて、よかったですね。

y-mat2006 人から話を聞いたときに新しい知見を得られた!と思わずに、マウント取られて口惜しいと思うような寂しい人生は送りたくない。

→見えちゃいけないものが見えてて草。

2024-02-24

anond:20240224154753

E500と音声作品聴くことは万人にオススメするが、万人にオススメの音声作品というのは存在しない。

性癖十人十色から、各々が探すほかないのだ。

事実、俺自身の好みはDlsiteランキングとはかなり異なるため、ランキングは参考にしていない。

しかし、それだけではトラバとして寂しいし、気が向いたので評価しているお気に入り作品を述べる。

以下は全てDlsite作品。俺は男なのでそのつもりで

健全の部

サークルドッグイヤーカンパニー

かわいい奴隷少女救済モノが性癖のためお気に入りである。起伏のない話で、ただひたすらに可愛いだけ。このような作品出会えると心が洗われるようである。続編がある。

サークル:whisp

かわいい。送り雀とは和歌山あたりの妖怪。ひよがお手玉を教えてくれたり耳かきしてくれたりする。おっとりした話し方がいい。設定は80歳の妖怪少女だが、ロリババアとは言い切れない興味深い人物描写があり、個性がある。

whispの作品は当たり外れが激しいが、同シリーズの「洗濯狐 お紺」と「ヤマネコ やこ」も気に入っている。

サークル毛ガニデパート

Dlsiteの音声作品の中では珍しい歴史創作もの。元ページの文を紹介文:

1766年ロンドン

若き孤高の天才科学者ヘンリー・キャベンディッシュに、終焉の時が迫りつつあった。

動悸が止まない、脈拍は全身を打つように激しく、足元は波間に揺れる船のように不確かで、何かに掴まっていなければ立っている事すらままならなかった。

「人工空気に関する実験についての3つの論文」、王立協会での初の論文発表がもう明日だというのに。

初見時はここ4行を読んだだけで雰囲気に圧倒され、聴くことを決めた。

主人公ヘンリー・キャベンディッシュとは水素発見したあの人物である。この作品近代自然科学の発展による古い時代の終わりを、ヘンリー吸血鬼との関係を通じてしっとりと描く。

哀しみとあたたかな充足感を得られる傑作。なぜか安すぎる値段のため気軽に聴こう、そして作者・毛ガニデパートの他の作品も聴こう(R18作品もあるよ)

サークルあまなつカフェ

泣いた。こういう純粋ロリの話に弱い。話の筋がしっかりしており短いながらも秀逸な作品

ネタバレ回避のため何も言えないが、雰囲気は「聴く絵本」と表現できる。

R18の部

サークルアンスリウム

うーんかわいい。俺は猫に弱いのである。続編が2作存在する人気作品アンスリウムによる他の獣耳作品オススメ

サークルRe:sound

オキシトシンが出る。奴隷少女救済モノが性癖のためお気に入りであるトラック1の虐待描写は心が痛むほどキツいが、それこそが作品白眉甘味塩味によって強化される。かわいそうなら、さらかわいいである

トラック1を除けば、終始抑えめな声のため入眠用としても使える。

他のRe:sound作品オススメ

サークル:甘々と毒々

うーんかわいい。俺は猫に弱いのであるさら孤児救済モノが好みであるしか逆レイプときた。どストライク作品。続編がある。

このサークル文章力も高く、心理描写セミリアリスティックにそそられる。

  • ぼっちでかわいくてほっとけない妖狐

古い作品でASMRでも無いが、「元気で、素朴で、人懐っこい」と非常に性癖に刺さるキャラ造形をしているためお気に入り。話も面白い。続編がある。

声と設定が良かった。ある意味女性上位モノ?声優御崎ひよりの実力が光る。続編がある。

しかし、奴隷ものが多い……。

このタイトルなのに中身がしっかりSFしていて驚いた。聴いたあとはなんとも言えない哀愁と風情を感じる。文章力評価ポイント

ネタの部

公安革命家メスガキに負ける。やってることは敗北メスガキジャンルそのままだが、いにしえの左翼活動をコンセプトにしておりギャップで笑ってしまう。一部の高齢者トラウマを刺激されるかもしれない。

ありそうでなかったドスケベ落語というジャンル開拓者。その亭号センスありすぎるだろ。タイトル出オチではなくまっとうに面白かった。続編があり、最近新作が出た。

入眠用。”耳元でどうでもいい話をされる”というコンセプトの音声作品。地縛霊の話す内容がすさまじくつまらないため入眠効果が高い。俺自身、寝てしまうため最後まで聴いたことがない。しかし声は可愛いくて癒される。

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評価している作品は他にもあるが、キリがないのでここまで。

上記作品群の評価する点は[少女救済モノ、猫、女性上位、文章力個性声優の質]のいずれかもしくは複数である。お察しの通り偏っている。

しかし癖は十人十色自分の癖に合う作品を見つけることが音声作品探しの難しい点であり醍醐味

以上のが刺さらない場合は、Dlsiteランキングジャンル別人気作品を掘ってみてはいかがだろうか。

合うサークルを見つけられたら、芋づる式に良い作品出会える。

良い作品出会えれば、分泌される何らかの脳内物質を通じて疲労回復精神衛生の増進が期待される。

ここまで書くのに2時間かかっちまった。

それでは、よき音声作品との出会いと幸運を祈る。

2024-02-21

Q.「もしも世界から24時間異性が消えたら」→A.「この世界仮想現実であるという仮説から始まる研究考察に合流する」

俺の答はこれ以外にありえない。

もし本当にある日異性が消えたら、私はまず「自分が眠っている可能性を考える」だろう。

ひとまずインターネットを立ち上げてみて、文字が読めればそこは現実だ。

そしてインターネットに並ぶ無数の異性消失情報を目にし、次に考えるのは「ドッキリの標的にされた可能性」だ。

ひとまずは悩んでますよというポーズをしながら目を瞑って作戦会議だ。

あとあと馬鹿にされないような形に気をつけて道化を演じつつ、ドッキリのコストに負荷をかけようとして、いつも行かないような駅にでも行こうと家を出る、直前で足を止める。

もしも本当に全ての異性が消失していたら、世界人口の半分が消えるという大パニックだ。

というか、インフラ施設の当直員や夜行バス運転手が消えたとしたらどうなるのかを考え、引きこもることを決めるだろう。

しかしたら我が家の周りも既にクリスタルハトが始まっているかも知れない。

窓やドアの施錠を確認し、板をうちつけるまではいかずとも目張りぐらいはしておく。

家中武器になりそうなものを足元に集めた状態インターネットに再び潜る。

食事をし、仮眠をし、気づけば24時間が過ぎていく。

24時間ちょうど異性が消滅していたことが世界中で話題になるだろう。

偶然か、神の奇跡か、裁きの時か、きっと大きな混乱が巻き起こるはずだ。

その中にいるはずなのだ

世界仮想現実であり、if sex=0 deleat time=1dのようなコード入力されたに違いない」という仮説を元に検証を始める集団が。

私はそこに合流する。

何故なら神の存在を信じるよりも、その可能性を追求したほうが現実的に感じられるからだ。

確証バイアスによって集団幻覚で終わらせる者達、パニックのままに暴れ続ける暴徒、ここぞとばかりに勧誘を始める宗教家、様々な連中が出てくるだろうが無視する。

世界仮想空間であり、リバースエンジニアリングによって我々人類にも神に等しいチートを手にする機会があるかも知れない。そのチャンスに私は合流するからだ。

答は出るのだろうか?

三体の科学者のように「無理無理カタツムリ俺たちはもうオシマイダー!」と狂ってしまうのだろうか。

実に楽しい人生の終になりそうだ。

途中でモヒカンヒャッハーされないことを願う。

2024-02-16

味を消す物質ってあるのかな

味を加える物質はたくさんあるけど、消すのは無理だよね?

塩入れすぎた!」ってなったら水とかでうすめるしかないもんね

塩と逆の効果を生む(結合して塩を分解するとか)物質とかがあればいいのにね

そろそろそんな物質とか調味料が出ればいいのに!

甘すぎるジュースを甘さ控えめにしたり、塩分取りたくない人が塩分控えめにできたり

科学者の人お願いします!

2024-02-04

3月29日公開の映画オッペンハイマー」本予告

映画会社ビターズ・エンドYouTube公式チャンネルで3日前に公開、現時点で21万回再生。 

もともと科学者もの映画が好きということもあるが、面白そう。

公開されたらIMAXレーザーGTのある池袋グラシネで観たい。

Xにいる科学者研究者

環境問題に興味が湧いて、その方面研究者科学者を見繕って三十人くらい軽い気持ちフォローしたんだけど、あいつら極めて政治性が強く、しかもみんな左寄りと来た。

加えて、自分の専門分野で、自分と異なる意見を見つけると、引用ポストの形で全面否定した上で、人格否定とも取れる程の罵詈雑言をも添える。

膨大な知識を持つ高学歴エリートも、Xに染まるとただの暴言装置となってしまう。

結局、あまり攻撃性の高さと政治的発言の頻度と偏りから、次々とフォローを外していき、つい先程、フォローした三十人がゼロになった。

御大層な肩書職業もその人の言動保証するものではないのに、何であんなに偉そうに振る舞えるんだろう。

オレは今人間が怖く感じている…。

2024-02-02

統合失調症みたいな投稿は本当に統合失調症なのか

俺が「schizoposting(以下糖質投稿)」と呼ばれる文化に惹かれたのは、陰謀論的な投稿を信じて投稿するときに生じる一種混沌とし​​た論理認識したとき

糖質投稿は、患者医師が「ワードサラダ」、パラノイア無秩序思考として知っている症状に関連して「統合失調症」という用語を借りて、精神状態模倣するSNS投稿パターン説明するサブカルである

これは世界中で人気があり、Facebookグループ「schizophrenic order of the piss of dawn」には現在50 万人以上のフォロワーがいる

この投稿行為は、Reddit4chanなどで始まりユーザー自分投稿を通じて、軽度の感情示唆するミームや会話を投稿することで、実際に統合失調症であるかどうかについてオンラインの仲間から疑問を投げかけていたらしい

陰謀、劇的な結論、そしてほとんど読めない単語サラダを好んでいる

投稿の多くは銃乱射事件統合失調症と誤って結び付けられている)に関するジョークや、視聴者から笑いを誘う品位を傷つけるミームについて詳述している

最初は無害に見えるかもしれない

これらのグループは、人々が犯罪化や検閲を受けることなく、奇妙で曖昧な行動や思考を探求できる安全場所提供しているという考えに共感できる

しかしそれは重要な点を提起している「糖質投稿根本的に受け入れられているのか、そして神経発散的な癖を称賛しているのか?それとも、病気の症状であると主張することが、精神異常行動についての知識に悪影響を及ぼしている可能性はあるのか?」

大衆文化は、精神疾患には特定有益な、そしておそらく望ましい性格特性が伴うと信じ込ませてくる

うつ病不安を称賛するミームを見たことがあるだろう

なぜなら、それらは思いやりや忍耐の特性を「教えてくれる」から

精神疾患とポジティブ性格特性が結びついているため、業界全体が精神疾患と創造性の関連性の分析に注力している

まり病気がなければ、創造的な天才存在しないだろうということである

しかし、その考えは、私たちが行動を病気として分類する理由のもの本質を損なうことになる

医師古典的に「障害」と定義するものについて、精神疾患として定義されるためには、その症状が罹患者の日常生活に重大な障害苦痛を引き起こす必要がある

実際、患者人生を十分に楽しむためには、この障害に伴う認知障害対処するための的を絞ったプログラム必要であり、多くの科学者臨床医が開発に時間を費やす

努力にもかかわらず、統合失調症研究者模倣しようとしている認知的な欠陥のせいで、ホームレス労働力から孤立、または失職などの苦悩から精神患者を更生させることができる状況には、望んでいるほど近づいていない

精神医学運動は、実際に苦しんでいる人々からこの区別を奪い、適応戦略や風変わりな性格特性の形として症状を流用することは、伝統的な定義では声をあげることができない人々のグループを消去することに寄与している

統合失調投稿場合、明確に考えたり、一貫した文章を作ったりしないという特性が称賛され、「オンライン」な人々に特有ユーモアブランド奨励されている

そのユーモア風刺として分類されることもあるが、実際には、文化があまりにもとんでもないものになってしまい、陰謀を信じたり統合失調症のように見えることが一部の人々が選んだ道であるからかっていることがある

しかし、それがまさに当面の問題なのかもしれない

病気実例となることを選択することは、ユーザーが気づいているかどうかにかかわらず、障害に対するある種の倒錯した嗜好を示しており、真の精神疾患患者場合患者統合失調症ポスターとまったく同じ症状を回避しようと最善を尽くしているように見えるだろう

表現の自由が称賛される社会において、文化アイデア意味を探求し、あいまい人口統計日常の語彙に組み込んでいるのを見るのは素晴らしいことだ

しかし、糖質投稿という行為不正確に使用されている可能性があり、ハロウィーンで老人の仮装をしたり、同じ休日ネイティブアメリカンブラックフェイス衣装を着たりすることに近いかもしれない

まり、これらの流用の対象者は明確な生計を立てている(しかし、ほとんどの場合生計手段が欠如している)が、大衆文化によってさらに誤解されている

糖質投稿は、表面的には楽しくて無害なことのように見えるかもしれないが、実際には退行の兆候であり、精神異常者になること、または「正気を失う」ことが何を意味するのかを実際には理解していない可能性があり、その結果、苦しみをさら孤立させることになる

2024-01-27

自称インテリID1107214545の特徴

2024-01-22

anond:20240122153819

そうなんだよな

科学者の言う集中状態ってのは、どの程度の集中状態なのか定義してくれよという感じ

俺は集中が途切れないことを目標に頭使ってたから、

30かそこらの集中具合を半日以上続くようにしてたら、慣れて底上げされてきたとかそういうんじゃないかなと思ってるんだが、まさにオレオレ定義なのでしらん

anond:20240122153347

まあな

なんかこう、科学者が言う集中状態と、俺が思ってる集中状態には開きがあるとかそういうことなんだろうなとは思ってる

別に命の危険がある作業をずっとやってるわけじゃあないからなあ

2024-01-18

anond:20211221212647

成人女性未成年の設定でSNS投稿 子どもが直面する危険を映すドキュメンタリーSNS 少女たちの10日間」予告編

https://eiga.com/news/20210222/20/

巨大な撮影スタジオに作られた3つの子ども部屋に、幼い顔立ちの18歳以上の3人の女優12歳の女子という設定のもと、SNS友達募集をする。その結果、彼女たちにコンタクトをしてきたのは、2458人もの成人男性だった。精神科医、性科学者弁護士警備員など専門家による万全のケアのもと、撮影10日間にわたり続けられた。撮影されているとは気付かず、何も知らずに卑劣な誘いを仕掛ける男たち。彼らの未成年に対する容赦ない欲望の行動は徐々にエスカレートしていく。

2024-01-11

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

2023-12-27

昔の化学者エピソードを見ると「合成した物質を舐めた」みたいな話がたまに出てくる

アスパルテームはそのなかでも有名なエピソードかもしれない

アスパルテーム - Wikipedia

1965年アメリカ製薬会社G.D.サール社の化学者ジェームズ・M・シュラッターが、ガストリンの合成に取り組んでいたときに偶然発見した[113]。シュラッターは、抗潰瘍薬の研究をして、ホルモンであるガストリンテトラペプチドを生成する中間段階としてアスパルテームを合成した[113]。シュラッターは、薬包紙を持ち上げようとして、アスパルテームがついた指をなめて、その甘味発見した[8][114][115]。トルン・アテラスガリンは、アスパルテームの開発を監督した[116]。

いわゆる化学者によるセルフ人体実験、すなわち自己実験

うん年前は私も大学学生実験をやっていたわけだが、生成物を舐めるなんて発想はとてもじゃないが出てこなかった

まあ、私の場合重金属を扱ってたので舐めたらヤバいと知っていたわけだが

アスパルテーム場合製薬会社内の出来事、つまり薬学系なのでそこらへんの肌感覚が異なるのだろうか?そんなことないと思うがな……

スクラロースエピソードもなかなか凄い

Sucralose - Wikipedia

Sucralose was discovered in 1976 by scientists from Tate & Lyle, working with researchers Leslie Hough and Shashikant Phadnis at Queen Elizabeth College (now part of King's College London).[21] While researching novel uses of sucrose and its synthetic derivatives, Phadnis was told to "test" a chlorinated sugar compound. According to an anecdotal account, Phadnis thought Hough asked him to "taste" it, so he did and found the compound to be exceptionally sweet.[22]

スクラロース1976年、テート&ライルの科学者が、クィーンエリザベスカレッジ現在キングスカレッジロンドンの一部)の研究レスリー・ハフ(Leslie Hough)とシャシカント・ファドニス(Shashikant Phadnis)と共同で発見した[21]。スクロースとその合成誘導体新規用途研究していたときファドニス塩素化された糖化合物を「テスト」するように言われた。逸話によると、ファドニスはハフから「味見」するように言われたと思い、実際に味見をしてみたところ、その化合物は非常に甘かったという[22]。

testをtasteと聞き間違えたからといって舐めるか?そうか、舐めたのか……

スクロースのヒドロキシ基を塩素で置換したものなので、まあ舐めても危険ではないくらいの認識はあったってことなんだろうか

Tate and Lyleは食品系の会社でそこの研究室での出来事なのか、なら味を確かめろって言われたら舐めるか……

科学者倫理感の移り変わりが気になるので『世にも奇妙な人体実験歴史』という本を買って読んでいる

少なくとも20世紀初頭くらい最近になっても現代基準で見ると危険実験やりまくっていたようだ

自己実験とは違う話になるがデーモンコアの実験1945年くらいか

戦前学者倫理規定どうなっとんねんとしみじみ思う

前述の本を読んでいると「申請すると許可下りるわけないので自分の体で実験して事後報告した」みたいなエピソードが出てきて笑う(笑えない)

カール・ヴィルヘルム・シェーレ - Wikipedia

シェーレが若死にしたのは同時代化学者の例に漏れず、危険実験条件のもとで研究を進めたためだと考えられている。また彼には物質舐める癖があったため、毒性のある物質の毒にあたったのではともされる。

18世紀とかだと「まあ舐めて確認する人がいても不思議じゃないわな」と思うのだが

イギリスとある医師ニトログリセリン舐めて心臓まりそうになって死にかけたのが19世紀出来事

21世紀になっても舐める人はどこかにいるのだろうな

舐めて死んだとか、舐めて大発見に気付いたみたいになっていないから記録に残らないだけで

有機系をやってた大学の頃の同期に「実験生成物を舐めるって発想あった?」と聞いてみたが「ありえん」の一言が返ってきた

現代日本大学研究室で、教授学生に向けて「生成物を舐めて確認してみよう」なんて指導するところなんてありえるのだろうか?

流石にないだろう……あるのか?生成物がアミノ酸とかならありえるのか?有毒なものだってもちろんあるが生成物はだいたいこんな感じの物質って元素の内訳も構造もある程度予想ついてるなら舐めても多分大丈夫みたいな肌感覚が育つのだろうか?わからん世界

まあ味の素研究所なら舐めても不思議じゃないかもか……

畑が違うと全然感覚違う、ということか

でも薬学系とか食品会社研究所でも一度動物摂取させるとかやると思ってたんだがな、きっと普通はやるのかもしれないが一部の人がいきなり舐めたのかもな……

日記

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医学者による自己犠牲的とも勇敢ともいえる自分の体を使った研究ではなく

ある種の迂闊さでペロッと舐める科学者が今でも一定割合でいるんじゃないか?という疑問を書いた日記

ペトリ皿に鼻水垂らしたのがきっかけでペニシリン発見したという出来事幸運な結果に終わった迂闊な出来事だったわけで

そういった種類のおおらかさは現代だとあまり許されないはずなんだよな~

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耳寄りな心臓の話(第2話)『爆薬が心臓病を癒す』 |はあと文庫|心日本心臓財団刊行物|公益財団法人 日本心臓財団

なぜニトログリセリンを舐めようという発想が出てきたのか?を伺い知ることが出来そうなエピソードもぐぐったらでてきた

20世紀初頭にイギリス火薬工場で、週日の作業中は何も起こらないのに休みが終わって月曜日仕事が始まると決まって胸痛を訴える工員が何人もいることが話題になりました。最初工場で扱っている爆薬が原因で起こる病気を疑ったのですが、もともと持病に狭心症のあることがわかりました。

それというのも、原料であるニトログリセリン粉塵工場内に舞い、露出した皮膚や粘膜からある成分が吸収されて狭心症が抑えられていたものが、週末に休みをとることで粉塵にふれることもなく薬がきれて、月曜日に力仕事を始めることで狭心痛が起こったと推理されたのです。

痛む胸を押さえて、それこそ青息吐息月曜日になったこから、「ブルーマンディ」という言葉が生まれたようです。今日では休日明けで、仕事学校に行くのが億劫になる月曜日の憂鬱、月曜病の走りとなりました。

blue Monday語源ニトログリセリン説はかなーり怪しい気がする、勘だけど

これを調べるのも面白そうだ

……ん?時系列矛盾がある

『世にも奇妙な人体実験歴史』によると1858年フィールドという名のイギリス医師がニトロを舐めたとある

その後1878年ウィリアム・マレルという医師が再度ニトロを舐めて効果確認し、狭心症治療薬として自分患者に試した

火薬工場エピソード20世紀初頭……1901年頃ということになる

発見されたのか?だとすると最初に舐めたフィールドって医師は推測無しに舐めた好奇心旺盛な人ってことになる

火薬工場エピソードのしっかりとした出典を探すべきだな

原典だと20世紀初頭じゃなく19世紀末~20世紀初頭みたいな書き方になっているのかもしれない

2023-12-19

anond:20231218232227

与党にどんな悪評が立とうとも、野党が躍進すると今より更に悪いことが起こると多くの人に確信されてるんだよな

政治家ってのは科学者とかエンジニアじゃないんだから有権者に良く見せるのが上手くなきゃどうにもならんやろ

2023-12-16

救いの前に彼らを迷わせなければならない

バイオ大学での福音学での恩師、カーティスミッチェル博士はよく言っていた。「救いの前に彼らを迷わせなければならない」と。もし人々が自分たち生活に何か深刻に満たされていないものを感じていなければ、新たな信仰を受け入れるとは考えにくいし、まして神や救いを求めようとするはずもない。

ダニエル・L・エヴェレット(著), 屋代通子(翻訳)(2012年)『ピダハン―― 「言語本能」を超える文化世界観』(みすず書房pp.369

 キリスト教宣教師によって世界各地に伝播していく仕組みはこれだったのか。ローマエルサレムとははるか遠くに離れたアジア南米にまでキリスト教が広まっているのが不思議だったけれども。キリスト教には原罪というすべての人類に押しつけがましく罪悪感を植え付ける思想があって、個人的には気に食わなかったけど、宣教にはうってつけの手法だったのか。

 著者のエヴェレット博士は、SILという米国キリスト教宣教師組織の一員として聖書ピダハン語に翻訳して宣教するために、ブラジルアマゾン少数民族ピダハン集落へと妻子と共に赴いた。著書によると、聖書翻訳してピダハン理解させることはできたが、キリスト教信仰を受け入れさせることはできなかった。

 ピダハン特別宗教信仰しておらず、実際に見聞きした物事しか信用しない。あえて何らかの信仰があるとすればアニミズム信仰であり、あらゆる物に精霊が宿っていると考えている。さらには自らが精霊になったりもする。故人に変装して土葬されたとき気持ちトランス状態で語ったり、精霊の名のもとに自らの雄弁さや教訓を語ったりといった具合にだ。日本で言うところのイタコ芸かと私は思った。ピダハンにとって精霊は、実際に見聞きできるものなのだ

 ピダハンにとってイエス・キリストは実際に見聞きをすることのできない存在なので信仰対象たり得なかったのだ。翻訳された聖書の音声レコードを聞いて文化の違いに笑ったりもするが、聖書エンタメしか理解されなかったようだ。洗礼者ヨハネが首をはねられる場面を楽しみながら何度も聞いたという具合にだ。エヴェレット博士宣教師だが、同時に言語学者として大学での研究も並行していた。実証されたこしか信じないピダハンの態度を目の当たりにして、エヴェレット博士科学者としての自らの論理的思考の結果から信仰に疑問を持って無神論者になったという。

 聖書アニミズム信仰者に理解させることができなかったことは、キリスト教宣教師が自らの信仰喪失させるほどのことだったのだろうか。だとしたら、過去世界中にキリスト教宣教できたのはなぜだろうか。やはり、金や暴力といった強制力を働かせなければ宣教は難しいのだろうか。日本に対するキリスト教宣教師がそうだったように。冒頭で引用したように、強制力をもってして迷わせることが、キリスト教宣教による救いを与えるのに必要な前提なのだろう。ジャングルという恵まれ自然に満足して常に笑顔を絶やさなピダハンには、迷う必要そもそもなかったから、キリスト不要だったのだ。

 科学技術の発展にともなう人々の論理力の向上と、金や暴力による強制力忌避する社会的な風潮によって、宗教の力は今後ますます縮小していくことだろう。日本において神道仏教などの宗教の力が人々から薄れていくのと同様の運命を、キリスト教など他の世界的な宗教でも同様にたどっていくことだろう。

2023-12-13

意味が分からいからヒットするのかもしれません。

意味が分かるほどつまらないものはありませんから

科学者の目を見て同じことが言えるのか?

こいつは「わかる」ことによるドーパミン放出時の感覚経験したことがないようだ

2023-12-08

エビデンスのない情報よりはエビデンスのある情報の方が欲しいが、「エビデンスがある」っていうのは科学者肩書がある人がそう言ってるからとか、定評のある出版社の本に書いてあるからとか、要するに単に自分なりに「この人は信用できそう」って思ってるだけだ。

からエビデンスがある」って言ってる人がゴッドハンドSTAP細胞の類じゃないっていう保証はない。

2023-12-01

anond:20231129233045

この「元三エンジニアによる黎明期スマホ史」前に増田で読んだことあるけど、この増田は恐らく騙り

以前書かれたものに比べて技術的な話や企業の内幕みたいのが一切なくて話が薄っぺらいし

取って付けたようなプラス持って回った言い回しが多くて内容がないのに無駄文章が長い

日本キャリアApple不平等条約だとか貧困なのにiPhoneとか他所で百万回聞いたようなことしか言ってない

ブクマカから技術認定科学者認定されることが生きがいの例のキチガイ文系増田職人だろう

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