はてなキーワード: タツノコプロとは
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
小さい頃「キャッ党忍伝てやんでえ」(きゃっとにんでん てやんでえ と読む)というアニメが好きで見ていた。
知ったきっかけはただの偶然だったのだろうと思う。
大人になってふと思い出しネットで調べたら、てやんでえはギャグやコメディなどが多いそうだ。
そういえば怒ると?爆発する人がいたり、すぐに人を島流しにする姫がいたりと、変な人物はいたし、
出撃場面は巨大な銃で飛んで行ったりそんなのだったと思う。
当時の私は「そういう変なキャラ」「そういう設定」くらいの認識でアニメ自体は
特撮の戦隊ものとかドラゴンボールを見るくらいの気持ちで見ていたのだと思う。
主人公がいつも何故か巨大ロボに乗れず、アニメシリーズの最後のほうでやっと乗れるのは
ギャグとかではなくそういう運命的な展開なんだなという気もした。
てやんでえはタツノコプロ制作で、タツノコプロというと似た路線にタイムボカンシリーズというのがその前にあったらしい。
どちらにせよ今リメイクしたら売れるかもしれないな。
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
なんかシナリオが夢小説だってのばっかり言われてるけど、そもそもシナリオ自体の作りもかなりまずくないか?
いきなりウタのライブを見にきてバーベキューしてる、いかにも日本のフェス()満喫してますみたいな麦わら海賊団のシーンから始まるんだけど、なんでグランドライン進んでたはずのルフィがあの場所にいるのかも説明がないし、いきなり全員が知っていてファンだってことにされるのが意味不明。
いや、なんでああいう場所にいるかってのがそもそもの伏線になってるでしょ?って言いたい人がいるのもわかるよ。でも表現が稚拙すぎてそう機能してないんだわ。
あと、あのバーベキューシーンを書きたかったんだろうね。「こんな特等席で見れるなんて」みたいなセリフが出てくるんだけど、ルフィたちがいるのはステージ前に謎にある離れ小島だよ?ほかの観客はみんなその小島とステージを取り囲むように配置されてるの。なにその晒し台。しかも一応指名手配犯だろ。マジでどうなってるんだ。ファンみんな海賊嫌いって設定なんだから、秒で気づかれるだろこんなの。
あと、ビッグマム生きてるのなんで?時系列が意味不明すぎるんだけど。
まあ、原作準拠してないって話はパラレルワールドだからいいよってことにしよう。そういうアニメ映画結構あるしね。
あと、ライブシーンな。
まず、最初の「新時代」を歌うライブシーンと思われるシーンなんだけど、マジで最悪。
ライブというからには演者は観客の方に向かってないといけないけど、この映画では四六時中カメラに向かって歌う。それはライブじゃなくてPVなんだわ。舞台で歌ってるシーン自体もかなり少ないし、ウタの能力のせいもあって、本当にワンピースのキャラソンのPVって感じなんだけど、ライブシーンって銘打っていて、キャラクターのライブアクトを見せますよ!みたいな映画なのに肝心の歌唱シーンがこれって酷くない?とりあえず監督はアイカツとプリパラを1億回ぐらいみて、タツノコプロのトイレでウンコでも食ってろって感じ。
そのあとに「私は最高」って歌で「あーここはディズニーヒロインっぽいのやりたいのね」ってのもわかるんだけど、ああいうのはストーリー上でのキャラクターの描写とそれに沿った作詞あってこそであって、Adoから上がってきた楽曲に宛書でコンテ書いてるようなメインストーリーと全然整合性の取れてない歌唱シーンぶち込まれても、一切感情移入できないのね。
それ以降の歌唱シーンも全部本編の間にある異物て感じ。なんか、ワンピースのアニメをYoutubeで見てたら、合間合間にAdoの曲の広告挟まれる感じみたいな映画なんよ。
もう見てる間中ずっとクソクソクソって心の中で思ってたし、人生で初めて映画途中退席しようと思ったわ。
後半歌のシーンが減ってきたら嫌悪感も薄れてきて反笑いで夢小説的なシナリオを眺めてたんだけど、シナリオ抜きでも相当ひどい映画だったと思うよ。
追記:コメントで「逆張り」って言うけどさ、根拠なく批判してるわけじゃない分からないの?売れてても売れてなくても知らねーよ。見に行った映画がクソだったから書いただけだろ。
「何に対しても反論してそう」って言うけど、批判意見に根拠のないレッテル貼ってること自体が「何に対しても反論してそう」って感じなんだけど。ブーメランじゃないの?
プリティーリズムのアニメシリーズ第三期「プリティーリズム・レインボーライブ」のスピンオフとして
「KING OF PRISM by PrettyRhythm」が2016年1月9日劇場公開される。
公式略称は「キンプリ」。劇場公開時には「#キンプリみたよ」を公式推奨ハッシュタグとして使用。
https://realsound.jp/movie/2019/04/post-343925.html
ジャニーズジュニアの夏季イベント限定ユニット「Mr.King vs Mr.Prince」として結成される。
Mr.King3名、Mr.Prince3名をそれぞれ当時の人気メンバーから選抜した。
愛称は「キンプリ」。イベント後は、Mr.KingとPrinceの別ユニットとしてそれぞれ活動を続ける。
2018年に「King & Prince」と改名して正式にメジャーデビュー。
時系列で言うと「キンプリ」を最初に使いだしたのは「ジャニーズ」ということになる。
これは当時のメディアでも「岩橋さんはさっそく「略してキンプリ」とアピールした。」と紹介されている。
https://mantan-web.jp/article/20150605dog00m200022000c.html
ただし、期間限定ユニットであったということもあり、2015年夏以降「キンプリ」としての活動実績はない。
その後2016年に「KING OF PRISM」が上映され、ヒットを飛ばし、毎年新作を送り出す。
オタク界隈では「キンプリといえばKING OF PRISM」であるという共通認識が広がる。
※2018年に「King & Prince」がデビューする前は「キンプリ」で「ジャニーズ」が出てくることはほぼまったくなかった。
しかし2018年に「King & Prince」がデビューしマスコミ各社が略称を「キンプリ」としたことで、オタク界隈は激震。
アニオタ層は「キンプリといえばKING OF PRISM」だろうと大きく反発した。
だが「Mr.King vs Mr.Prince」時代から正式デビューを待ちわびていたジャニオタ層も反応。
当然だがどちらの公式もそれに対して特にアクションを起こしていない。(ジャニーズ本体は公式にはキンプリをなのっていない)。
「KING OF PRISM」の公式および、「King & Prince」関係のマスコミ各社はどちらも「キンプリ」を使用しており、Web上では「キンプリかと思ったら違う方だった」という小競り合いが今も続いている。
ファンの間では「King & Prince」を「キンプリちゃん」、「KING OF PRISM」を「キンプリくん」と呼び分けていると情報がありましたので、Twitterで検索してみましたが呼び分けは特にできていませんでした。
商標に関しては「KING OF PRISM」の版元であるタツノコプロが、2017年に出願、登録をしています。
https://search.toreru.jp/homes/detail?registration_number=5967825
自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。
すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。
今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。
まず、オタクがオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。
名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメの現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダールを敬愛していてたまたまタツノコプロの求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。
「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫がオタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本でオタクが市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通や村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。
まずは、宮崎駿。アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。
宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要なポイントだ。
押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ的想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。
他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。
オタク監督だと言われるウォシャウスキーやタランティーノだって、ウォシャウスキーはSFの人で決してオタク的想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノは高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。
エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァはオタクがオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク的想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督は庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実をオタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。
このようにオタクがオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク的想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛や新房昭之の姿だ)。
むしろ、オタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。
オタクはオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアート的アプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコードに平積みされ、オタク的想像力は一瞬で敗れ去った。
それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。
そして、それは明らかにアニメの進化を阻害している。その理由を書こう。
まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニーが萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。
しかし、アニメオタクは萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。
例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品が萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。
そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクはアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーションの快感をマイケル・アリアスに取られてしまうのだ。
もう一度言おう。オタク的想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメの進化を阻害している。
アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。
最近「あれ、あのアニメってもうそんなに前だっけ…?」と思う事があって、とてもショックを受けた。
そこで、あれは何年前の事だったか…とすぐ思い出せるように、備忘録代わりに数年前見ていたアニメのタイトルを簡単な感想と一緒に50音順に書き記してみようと思う。
シリーズファンには不評だったらしいが、ロゴスは初アクエリオンだった僕は問題なく楽しめた。
作品の後半に登場する主役機の名前は「アクエリオンディーバ」なのだが、何故番組名が「アクエリオンロゴス」なのか最終話で分かるシーンはグッと来た。
この作品のお陰で、僕は長年積んでいたアルスラーン戦記を崩し一気に読む事が出来た。
初期EDのアルスラーン殿下が非常に可愛らしく、僕はしばらくの間小林裕介さんと花江夏樹さんの事を女性ではないかと思っていた。
藍井エイルさんのラピスラズリはCDも買った。ところで、このアニメで使われたKalafinaの楽曲は以前発売されたアルバム「Seventh Heaven」に収録された物とそっくりだと思った。
OVA版でうしおの声を担当した佐々木望さんが今作でも終盤重要な役割にキャスティングされているのにはニヤリとした。
林原めぐみさんの演じる白面の者、斗和子はイメージが原作を読んで感じた雰囲気にピッタリだった。主題歌もどれも好きだった。
大人気アニメ。視聴したのが結構前の事なので内容を大分忘れている。
六つ子が皆で麻雀をやる回が好きだった記憶があるけど、あれは一期だったか二期だったかよく覚えていない。
一期は概ね好評だった印象があるが、僕は一期より二期の方が好きだった。
僕はこの作品に登場するモビルスーツ・グレイズがガンダムシリーズに登場する機体の中で一番好きで、初めてガンプラに手を出してしまった。
これまで高橋留美子作品に出演した声優陣が多数出演なさっていて、そういう意味でも楽しめる作品。主題歌がどれも好きだった。
結局原作の最終回までアニメ化する事無く一旦終了してしまったけど、犬夜叉の続編が始まってしまったので続編は望み薄かもしれない。
アニメオリジナルエピソードに結構尺が割かれており、原作読者には賛否両論らしいけれどアニメから入ったファンには概ね好評らしい。
今でも血界戦線ファンの間でアニメ肯定派と否定派が喧嘩をしている所を見かけて嫌になる。僕は終わってみればアニメはアニメで悪くないな、と思った。
1クールロボットアニメ。fhánaの主題歌が本当に素晴らしい。
進化する毎に弱くなっていく主役機を始め色々と突っ込まれる駄目な所も多い作品だけど、僕はそこまで嫌いじゃなかった。
今思うとラブコメ作品でOPもEDも男性ボーカルが歌う作品って珍しいんじゃないだろうか。コミックスも買ってみたけど、内容はほぼ原作通り?だったんだろうか。
声優さんに釣られて見てしまったミュージカルアニメ。もろに女性向けの作品なんだろうけど、最新作まで全て見てしまった。
シリアスな話をしていた筈なのにシームレスにミュージカルパートに入る所が歌劇的で面白い。この作品もやっぱり主題歌が好きだなぁ。
あれです。あの、エッチなアニメです。エロに釣られて見ました。
所謂モン娘アニメの火付け役?はこの作品って事でいいのでしょうか。記憶だとパピちゃんがエロかったような気がします。
ブラック・ジャック先生が若かりしころの姿を描いた漫画のアニメ化作品。当然作者は手塚治虫先生ではない。
この作品を作った人は手塚治虫先生の作品が好きなんだろうなぁ…と作品内のオマージュ要素を見て何となく思った。
ブラック・ジャック先生が「若い頃の自分を思い出している」という形で大塚明夫さんがナレーションを担当しているのはグッドだった。ところどころ女性向けっぽい描写もあった気がする。
パンチ一発でどんな奴でも倒せてしまうとんでもなく強いヒーローが主役の奴。
作画がとんでもなく良くて国内のみならず国外でも非常に高い人気を誇るとか。その反面二期は色々と評判が良くないらしいけど、僕は二期も好きです。
声優の古川慎さんの名前を初めて知ったのはこの作品からだったと思う。EDを森口博子さんが歌ってたりして2015年のアニメなのに凄いなぁと思った。
所謂赤ルパン。見始めたのは途中からだったけれど、一応最後まで視聴出来た。やっぱりルパン三世のテーマは何十年経っても色褪せない名曲だと改めて思う。
宮崎駿氏が手掛けたシリーズの中でも評判の良い回も見れた。ただ宮崎監督はこのルパン三世 PART2を快く思っておらず、その当てつけでああいう話を作ったと聞くと複雑な気持ちになる。
所謂緑ルパン。記念すべきルパン三世シリーズの第一作目。OPが3種類もあるけれど、どれも個性的で素晴らしい。EDもいいよね。
1クール目は現在のルパン三世に比べるとシリアスな印象が強く、ルパンも義賊というよりプライドが高い悪党という感じ。
2話にしてルパンが処刑されたと思い涙を流す不二子ちゃんなど貴重な所も見える。番組の後半からはファミリー向けというのか、皆が知っているいつものルパンになる。ルパンって本当カリオストロの城っぽいノリが多いと思う。
所謂ピンクルパン。赤ルパンや緑ルパンを知っていてもこれを知っている人はあまり居ないと思う。結構人を選ぶらしい。
OPはルパン三世のテーマとかかじゃないんだけどルパンのイメージに合致しててとても良い感じだと思う。番組の後半から明らかに作画の雰囲気が変わるからそこから人を選ぶ感じかな。
PART2と比べると山田康雄さんと納谷悟朗さんの声が大分しんどそうな感じだった。最後に山田康雄さんが演じたTVルパンって事でどうしても哀愁のような物を感じてしまう。
魔法少女物。90年代ってこういう作風が流行っていたんだろうなぁという感じがする。これも主題歌がどれも好きだった。
ネットでは暗い作品として有名だけど、実際に見たところ前半は割と普通の魔法少女物で後半から露骨に暗い雰囲気になったと感じた。
現在放送中のヒーリングっど♥プリキュアもこんな感じの作品にならないよな…と不安半分期待半分で見ている。
ある年代よりの下の人間には「タイトルと主題歌は有名だけど実際に見た事は無い」ってアニメの結構上位に入りそうな作品だと思う。
ピョン吉の声がのび太のママ役の千々松幸子さんで、ひろしの母ちゃんの声がのび太くん役の小原乃梨子さんな事に結構衝撃を受けたでヤンス。
ひろしの母ちゃんはひろしがどんなに悪い事をしても決して怒らない良くも悪くも優しい人なんだけど、ひろしが他人から馬鹿にされた時だけは鬼のような形相になって怒る人なのは、何というか生々しい母ちゃんって感じもした。
登場するロボットがマクロスそっくりだなぁと思ったら、マクロスと同じタツノコプロが作っていたアニメ。とにかく音楽の雰囲気がお洒落で素晴らしい。
ルーク・スカイウォーカー以外で島田敏さんが主人公を演じている数少ない珍しい作品でもあるんじゃないだろうか。
異星人が敵として登場しながら宇宙では殆ど戦わずほぼ地球での戦闘がメインという珍しい作品。スパロボのα外伝が好きな人なら雰囲気を好きになりそうだと思った。勿論僕は好きになった。
窪田正孝さん主演のドラマ版デスノート。視聴者が原作漫画や実写映画を見ている事を前提に意表をついてくるような展開が面白かった。
夜神月は天才高校生では無く凡人大学生、ミサミサは人気アイドルでは無く地下アイドルなど、原作と似て非なる設定から展開されたオリジナル展開は新鮮だった。
特に物語の終盤で父総一郎に自分が殺人鬼キラである事を見破られてしまった月が、父の遺体からデスノートを引き剥がし我が物とするシーンの迫力は…このドラマ版ならではの物だと思う。
ニアとメロが二重人格設定で原作とはまるで別物だったのだけはどうにか出来なかったのかなと思ったけど、どうにか出来なかったんだろうから仕方ないと思う事にする。
化物語などで知られる西尾維新先生の小説の実写ドラマ版。とにかく新垣結衣さん演ずる掟上今日子さんが可愛い。
原作小説は読んだ事は無いけど、西尾維新先生の作品が初めて実写化されたというのはやっぱり感慨深い。とにかく新垣結衣さん演ずる掟上今日子さんが可愛い。
また続編を作ってもらえたら嬉しいけど、5年も経ったから流石に無理かもしれない。でも逃げ恥だって続編が作られたんだからこっちも原作ストックがあるならまたドラマ化して欲しいと思う。
上川隆也さんがもっこり男の獠ちゃんことシティーハンター冴羽獠を演じるドラマ作品。
シティーハンターの続編エンジェル・ハートは未だに未読だけど、上川さんの演じる冴羽さんはかなり雰囲気がハマっていたと思う。
ところで北条司先生の作品っていつも父と子の愛情が物語のテーマになるのは偶然では無い気がする。
スパイダーマンのTVアニメーション作品。所謂サム・ライミ版のスパイダーマンしか知らない人は本作を見て実写映画版とのノリの違いにビックリすると思う。僕はビックリした。原作コミックの雰囲気にはこちらの方が近いのかもしれない。
とにかくスパイダーマンが陽気でお喋りな性格で、毎回大変な事件に巻き込まれるも軽快にお喋りをしながら解決していく。最初は映画版と全然雰囲気が違うな…と思いながら、慣れてからは楽しんで見ていた。
余談だけど、このアニメ版スパイダーマンを見て「スパイダーマンはこんな奴じゃない」と馬鹿にする人も結構居たんだとか。サム・ライミの映画がいかに日本でのスパイダーマン像を固めたか、この一件で分かった気がした。
スター・ウォーズのアニメーション化作品。時系列的にはEP3とEP4の間の話らしく、銀河帝国によるジェダイ残党狩りが盛んな時期の事なんだとか。
スター・ウォーズ/クローン・ウォーズというアニメの続編にあたる作品らしいけど、この作品単体でもスターウォーズのスピンオフ作品として楽しめた。それでも前作から続けて見た方がきっと面白かったんだろうなと思う。
アニメ作品という事で子供も見る事を考慮しているのか、ライトセーバーで人の体を切断するような残酷なシーンは無かった。それでも、ヌルヌルと動くライトセーバーを使った戦闘シーンは非常に迫力があった。
抜けがあるかもしれないけど、ひとまずこんな感じだろうか。
こうやって並べて書いてみるだけでも、「あれ、これもう放送して5年以上経つんだっけ…?」と感じて怖い。時間が過ぎ去るのは本当に早い物だと思った。
1 ハチミツとクローバー 2005年4月 - 9月 2クール 全24話 J.C.STAFF
2 Paradise Kiss 2005年10月 - 12月 1クール 全12話 マッドハウス
3 怪 〜ayakashi〜 2006年1月 - 3月 全11話 東映アニメーション
5 ハチミツとクローバーII 2006年6月 - 9月 全12話 J.C.STAFF
6 働きマン 2006年10月 - 12月 全11話 ぎゃろっぷ
7 のだめカンタービレ 2007年1月 - 6月 2クール 全23話 J.C.STAFF
8 モノノ怪 2007年7月 - 9月 1クール 全12話 東映アニメーション
9 もやしもん 2007年10月 - 12月 全11話 白組
10 墓場鬼太郎 2008年1月 - 3月 全11話 東映アニメーション
11 図書館戦争 2008年4月 - 6月 全12話 Production I.G
12 西洋骨董洋菓子店 ~アンティーク~ 2008年7月 - 9月 日本アニメーション
13 のだめカンタービレ 巴里編 2008年10月 - 12月 全11話 J.C.STAFF
14 源氏物語千年紀 Genji[注釈 5] 2009年1月 - 3月 トムス・エンタテインメント
15 東のエデン 2009年4月 - 6月 Production I.G
16 東京マグニチュード8.0 2009年7月 - 9月 ボンズ
17 空中ブランコ 2009年10月 - 12月 東映アニメーション
18 のだめカンタービレ フィナーレ[注釈 6] 2010年1月 - 3月 J.C.STAFF
19 四畳半神話大系 2010年4月 - 6月 上段 マッドハウス
21 もやしもん(ドラマ版) 2010年7月 - 9月 上段 全11話 白組
22 屍鬼 2010年7月 - 12月 下段 2クール 全22話 童夢
23 海月姫 2010年10月 - 12月 上段 1クール 全11話 ブレインズ・ベース
24 フラクタル 2011年1月 - 3月 A-1 Pictures
26 C 2011年4月 - 6月 上段 タツノコプロ[注釈 7]
27 あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。 2011年4月 - 6月
下段 A-1 Pictures
28 うさぎドロップ 2011年7月 - 9月 上段 Production I.G
31 ギルティクラウン 2011年10月 - 2012年3月 下段 2クール 全22話 Production I.G 6課
32 テルマエ・ロマエ 2012年1月 上段 約0.3クール 全3話 DLE
33 ブラック★ロックシューター 2012年2月 - 3月 約0.7クール 全8話 Ordet
34 坂道のアポロン 2012年4月 - 6月 1クール 全12話 MAPPA
35 つり球 下段 A-1 Pictures
36 もやしもん リターンズ 2012年7月 - 9月 上段 全11話 白組
38 PSYCHO-PASS 2012年10月 - 2013年3月
下段 2クール
1クール 全22話
全10話[注釈 10] Production I.G[注釈 11]
39 Robotics;Notes 2012年10月 - 2013年3月 下段 2クール 全22話 Production I.G
40 刀語(ノイタミナ版)[注釈 12] 2013年4月 - 6月 1時間枠 1クール 全12話 WHITE FOX
41 銀の匙 Silver Spoon 2013年7月 - 9月(前半)
2014年1月 - 3月(後半) 上段 2クール 全22話[注釈 13] A-1 Pictures
42 ガリレイドンナ 2013年10月 - 12月 1クール 全11話
43 サムライフラメンコ 2013年10月 - 2014年3月 下段 2クール 全22話 マングローブ
44 ピンポン THE ANIMATION 2014年4月 - 6月 上段 1クール 全11話 タツノコプロ
45 龍ヶ嬢七々々の埋蔵金 下段 A-1 Pictures
46 残響のテロル 2014年7月 - 9月 上段 MAPPA
47 PSYCHO-PASS 2 2014年10月 - 12月 タツノコプロ
48 四月は君の嘘 2014年10月 - 2015年3月 下段 2クール 全22話 A-1 Pictures
49 冴えない彼女の育てかた 2015年1月 - 3月 上段 1クール 全13話
50 パンチライン 2015年4月 - 6月 全12話 MAPPA
51 乱歩奇譚 Game of Laplace 2015年7月 - 9月 全11話 Lerche
52 すべてがFになる THE PERFECT INSIDER 2015年10月 - 12月 A-1 Pictures
54 甲鉄城のカバネリ 2016年4月 - 7月 WIT STUDIO
55 バッテリー 2016年7月 - 9月 全11話 ゼロジー
57 クズの本懐 2017年1月 - 3月 全12話 Lerche
58 冴えない彼女の育てかた♭ 2017年4月 - 6月 全11話 A-1 Pictures
59 DIVE!! 2017年7月 - 9月 全12話 ゼロジー
60 いぬやしき 2017年10月 - 12月 全11話 MAPPA
61 恋は雨上がりのように 2018年1月 - 3月 全12話 WIT STUDIO
62 ヲタクに恋は難しい 2018年4月 - 6月 全11話 A-1 Pictures
63 BANANA FISH 2018年7月 - 12月 2クール 全24話 MAPPA
64 約束のネバーランド(第1期) 2019年1月 - 3月
2020年7月 - 9月(再)[注釈 14] 1クール 全12話 CloverWorks
65 さらざんまい 2019年4月 - 6月 全11話 MAPPA
66 ギヴン 2019年7月 - 9月 全11話 Lerche
67 PSYCHO-PASS サイコパス3 2019年10月 - 12月 1時間枠[注釈 15] 約0.75クール 全8話 Production I.G
68 うちタマ?! 〜うちのタマ知りませんか?〜 2020年1月 - - - MAPPA
約束のネバーランド(第2期)
初めに…
この度の一件で負傷されたスタッフの方の心傷が癒えると共に一日も早い回復を、お亡くなりになられた方のご冥福をお祈りいたします。また、京アニ作品を観て育った一人としてできる支援をしていきたいと思います。
※注意※
個人が募金や京アニへ今できることを知ってもらいたく記事にしたもので無断転載になるのは重々承知しております。各所様へのこの記事や関連する動画に対する問い合わせは御遠慮ください。
*物販&募金*
・物販
京アニ作品関連のグッズや円盤を買う際はAmazonなどではなく、利率の良いとされる京アニショップ!からお買い求めください。また多くの方が支援の為に購入されることが予想される為、出来れば、ダウンロードコンテンツの購入が業者の方々への手間が省けるのでお勧めです。
http://kyoanishop.com/smartphone/
・募金
国内でも募金を募るところが出てきました。また、個人による寄付の申し出は場合によっては迷惑になりえるかもしれないこと、個人で募金を呼びかけるものも詐欺などに繋がりやすい為(こういう時に多くなるそうです)、必ず社会的な信用がある企業や団体からの募金をお願い致します。
https://www.animate.co.jp/info/278030/
19日(金)より各店で被害にあわれた方々の支援を目的に随時店頭募金を開始。
https://www.pref.tottori.lg.jp/286410.htm
まんがと地域を結びつけ、地域活性化や観光振興に結びつける取り組みを続けている団体。
被害に遭われた京都アニメーションを応援する為、鳥取県庁及び各総合事務所に募金箱を設置。
Sentai Filmworks
https://www.gofundme.com/help-kyoani-heal
募金を募って下さる各所様の簡略的な紹介になります。詳しい募金方法、メッセージに関しましてはリンク先をご確認ください。
※現在、私が確認出来るもののみ紹介しております。他にも募集されているところがありましたらコメントで教えてください。追記で明記します。
*その他*
①
追悼イラストやコスプレよりも正しい情報と募金をの呼びかけを!
亡くなられた方々への追悼もとても大切なことですが、今は残された方々への支援に徹底しましょう。特に物販売上は延焼してしまった建物への現実的な立て直しの力になります。
②
実名公開されてから犯人へ対する過激なツイートがより増したように感じます。あまりに過激な発言は今も続きつつある「ヲタク」に対する偏見的な考えを拡散しかねないです。特にマスメディアはそういう部分を嬉嬉として取り上げる傾向にあります。
冷静に犯人が法のもとに正しく裁かれるのを願いましょう。みんなが言ってるから叩いて良いということはありません。
③
非常にセンシティブな内容を含むツイートが大量に呟かれています。不安定だったり、しんどい気持ちは誰にでも負担にしかならないので落ち着くまでは離れるも大切なことです。そこに罪悪感を感じる必要はありません。心の健康第一にしましょう。
・事件に関して
各国の大使館並びにサブカルチャー方面以外の公的な団体や著名人の方々が哀悼の意を表しているのは、戦後最悪レベルの放火殺人事件だからです。過去の事件と比べるのは御法度ですが、戦前の津山事件や97年のサリン事件よりも多くの方が犠牲となり亡くなっています。
京都アニメーションだから騒いでいるのではありません。場所が学校、幼稚園、スーパー…私たちの普段の生活に関係ある場所でもこのような無残極まりない事件が起きたら様々な場所から哀悼の意や言葉が出るでしょう。
・関係者各位の詮索はしないこと
京アニに務めている方の身内の方が安否不明者リストをガセで流されていたことに困惑してRTを止めるよう呼びかけているツイートを見かけました。事件の詳細として気になるかもしれませんが、公式の発表があるまでは無事を祈るのみにしましょう。また、誰が亡くなられたかの詮索もご遺族の気持ちを傷付けることに繋がりかねないです。こちらも公式の発表があるまで待ち、亡くなられた方へのご冥福をお祈りしましょう。
加害者家族に関しても、罪を背負うべきは犯人本人で御家族には嫌がらせをするような真似や誹謗中傷の書き込みは直ちに止めてください。加害者に対して含め、私刑は犯罪です。私達は被害に遭われた方々への支援しか出来ません。
最後に…
京都アニメーションは他で言われている通り、日本のアニメ史及びサブカルチャー史には欠かせない作品を排出したスタジオであり、今も高品質の作品を送り出しているとても偉大なスタジオです。
京アニは自分が思っていた以上に歴史が古く、タツノコプロやぴえろの作品にも関わっていることを今回の一件で知りました。その古くは遡ること自分の親世代のアニメである「うる星やつら」に始まり、「 機動警察パトレイバー(初期OVA)」、20代半ばの私と同じ世代なら、今も続いてる「クレヨンしんちゃん」、「劇場版ポケットモンスター」、紅の豚などのジブリ作品にも携わっています。ハルヒ、けいおんだけではありません。
誰かが観たアニメに必ず関わっていると言えるのが京アニです。無関係と言える人の方が少ないかと思います。
なので、京アニの携わった数々の作品のどれか一つでも出会い、刺激を与えてもらった人がいたならば、少額でも良いので力になっていただけたら…と思います。
( 2019年冬アニメ1話ほぼ全部観たから感想書く その1 からの続き )
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鬼ごっこ。Clover works(旧A-1 Picturesのスタジオ)によるサスペンス作品。原作は週刊少年ジャンプ連載の漫画。神戸守とA-1によるノイタミナ枠といえば「すべてがFになる」だけど、本作もほぼ同じスタッフ(まだ観てない)。
日常→非日常までの流れがすごい綺麗。1話はちゃんと2回観てね。無邪気な子どもたちの会話シーンに流れる、流麗だけど緊張感のある音楽(音楽:小畑貴裕)と、音楽のないシーンを織り交ぜて不穏な感じを徐々に演出していく。
そして例のシーンにおける容赦のない作画。特にCloverWorks作品は表情のアニメーション作画が強烈(スロスタ、ダリフラ、青ブタとか)で、本作も非常にエモい。特に人外の表情もいけるクチだったのね。その後の、諸星すみれの絶叫がこわかった。そのあと力強くて優しい曲が流れる演出好き。
作画で言うと、細かい仕草の作画が丁寧。5~12才の子どもたちが甘える仕草。甘えん坊~自立した子まで丁寧に書き分けてる。あとメイン2人の恐怖を、全身使って描くシーン。
そして2話以降、遠くの物陰から二人をこっそり覗き見ているようなカットが急に増える。これが非常に強烈な緊張感を醸し出しててキツイ。
そういえば、カメラをフィックスしたカット演出って神戸守監督結構好きなんだっけ。神戸守が絵コンテを担当した「宇宙よりも遠い場所」の7話、8話でもちょくちょく使ってて好きな演出。
よりもい8話で「ついに流氷を見た4人が順番に短いセリフを言っていく際、喋るキャラに一人ずつピントを合わせる」という超エモい演出があったけど、ああいう被写界深度を駆使した演出が本作でも見られるのが嬉しい。
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半世紀前に連載された手塚治虫のマンガを再アニメ化。制作はMAPPAと手塚プロ。ゲゲゲの鬼太郎よりもグロくてシリアスな時代劇。犬夜叉からギャグを引いた感じ。割と長編の作品ゆえ、シナリオはある程度改変しているみたい。魔物の数が48から12体に減ってる所とか。1話につき1妖怪なのかな。
時代劇専門チャンネルで放送されている本作は全体的な作りも時代劇っぽい。キャラ原案が浅田弘幸(最近だと「あかねさす少女」のキャラ原案)で、あの濃いキャラデザが時代劇っぽさによく合っている。手塚治虫っぽさは感じにくいんだけど、OPのどろろの顔とか急に手塚治虫っぽくなる感じは狙ってやってるよね。OPED両方凄く良いのでぜひ観てね。特にワンマン作画のED。浅田弘幸の挿絵すっげえ綺麗。
あと背景が良い。「かぐや姫の物語」ほどではないけど、おとぎ話の世界にいるような雰囲気がある。世界観的にも「蟲師」に似てる(2話の「妖怪よりも人間のほうが…」っていう古典的モチーフとか蟲師っぽい)。どろろの背景を担当したスタジオPabloの、筆っぽさが残ってる背景いいよね。最近だと「少女☆歌劇 レヴュースタァライト」とか。
池頼広による劇伴は和楽器を使った曲がメインだけど、それでいてすごくJazzyでおしゃれだったり、重厚な戦闘BGMだったり。同氏が劇伴を担当してるTVドラマ「相棒」シリーズっぽさを感じる。
国家間戦争を描くタツノコプロのロボアニメ。スタジオ設立55周年記念となるオリジナル作品。
キービジュアルとかキャラデザ的が可愛いのと裏腹に、タツノコらしい硬派なシナリオ。ガンダム作品くらいキッツい話なので注意。
王国のお飾り首長こと主人公が自国の将来をどうするのかっていう視点とは別に、自国の兵士視点、敵国の兵士視点でそれぞれ戦争を描いていく。群像劇→戦闘→群像劇→…。3話では王国の戦争孤児と帝国軍の兵士が仲良くしてたり。戦争モノの作品は個人的に兵士たちの何気ない会話が好きで、本作で言えば主人公は側近と、王国軍の兵士は戦闘前にワイワイと、帝国軍の兵士は偵察で王国内をウィンドウショッピングしてるシーン。ああいうシーンが、彼らに感情移入するキッカケになるよね。特に本作の登場人物はみんな割といい人として描かれてるのが印象的。「こんな戦争、いつまで続くんだかなぁ…」とは帝国軍兵士のセリフ。
その戦争は基本的に人型巨大機動兵器を使う。基本的に3DCGで描かれるんだけど、デザインや挙動、戦い方がすごい。1話ではVR模擬戦、2話では中隊~大隊による大規模戦闘。量産機による小隊を最小単位とする戦闘がメインで描かれてる。1話の模擬戦では5vs5で、近距離:中距離:遠距離=1:3:1。武装も近接用の打撃武器、サブマシンガン、ライフル等バリエーションがあって、威力もそれぞれ描き分けてる。機体はホバリングで高速移動が可能なんだけど、姿勢制御用の羽根みたいなスラスターが機体の前後に展開されてて、停止する時ちゃんと慣性制御してる。すごい格好良かったのが狙撃機で、移動時は狙撃銃を縦に持ってたり、攻撃時頭部が変形したり、放った弾丸が緩やかな放物線を描いて着弾したり。めっちゃかっこいい。かといって狙撃機=強いでもなく、それぞれのバランスを考えた戦闘演出になってる。2話以降もエース機による無双(なんだ!あの機体の動きは!?)ではなく戦術的な展開にフォーカスしてる(敵も戦術を練ってくる)のが面白い。あれだけの機体数を画面内で動かしまくるシーンは壮観。
OPを観ての通り、「王女の笑顔」と「一兵卒の笑顔」という対比構造が物語の中心に据えられている。王女の笑顔…周りの人間が、彼女の笑顔を守ろうと尽力している。そういった努力の象徴。お花みたい。そういえばニコニコの生放送特番で「タイトルが敢えてカタカナになっているのは意味がある」的な発言してたけど、花の名前だったりして。対して一兵卒ちゃんの笑顔...何もかも失った彼女の、悲しみや虚無感の象徴。持つ者と持たざる者。支配階級と労働階級的な?
「フルーツバスケット」でおなじみ大地丙太郎監督によるタイムスリップラブコメ。原作はブロッコリーの恋愛ADV。タイムスリップ先は明治時代の日本で、攻略対象は歴史の偉人(イケメン)。森鴎外や泉鏡花等文化人が多い。
転移タイプの導入が流行っているのだろうか。去年の作品だと夢100は夢の中の世界に飛ばされた主人公が世界を救う旅に出る話で、BAKUMATSUは(主人公が不在だったけど)別の世界線に存在する日本を救う話。で、これはもうちょっと規模の小さいお話。今期で言えば「不機嫌なモノノケ庵」みたいな感じ。モノノケが見える能力を活かして、身の回りに起こる出来事を解決しながらみんなと仲良くなっていく。
お正月にフルバ一気見してたんだけど、大地丙太郎監督のアニメはほんとテンポ感が気持ちいい。基本的にラブコメなんだけど、話の縦軸は多少シリアス。でも「あ、結構シリアスになりそう」っていう絶妙なタイミングでガスを抜くっていうか、緊張と緩和の波が穏やかになっていて、最後までほっこりした雰囲気で終わる作品になっている。そういえば今年放送されるフルバのリメイクも、本作と同じトムス・エンタテインメント制作なのね。
背景も含めて、全体的にコスト抑えめな作品。この時代を描いた作品は去年いくつかあったけど、背景の緻密さでいうと これ(明治)<ニル・アドミラリの天秤(大正)<天狼(大正?)という感じ。また、多用されるデフォルメ顔は引きの画になった際キャラの顔が崩れるのを防ぐため積極的に使ってるのかもしれないけど、文脈が破綻しないくらい表情が豊かでかわいい。
現代→明治のタイムスリップなので文化の違いに主人公が驚くシーンがちょくちょくあるんだけど、一瞬で順応する適応力の高さ。そんな物怖じしない主人公が周りをを引っ張って行く感じが好きだし、なんやかんや付いていく菱田くんや、付かず離れず二人を見守る森さんも好き。
現代版「徒然草」。東京都練馬区の江古田駅ら辺に住んでいるフリーターの女性視点で描くルポルタージュ。
1話ごとに監督、キャラクターデザイン、声優、アニメスタジオなどすべてが変わるオムニバス形式のショートアニメ。構想12年らしい。d'アニメストアでは、各話を担当した監督x江古田ちゃん役の声優による対談を加えたロングバージョンが配信されている。1話は大地丙太郎監督。江古田ちゃんが送る日々から切り取られたワンシーンがテンポよく描かれていく様はまさに「つれづれなるまゝに、日ぐらし硯に向かひて、心にうつりゆくよしなしごとをそこはかとなく書き付くれば、あやしうこそ物狂ほしけれ」みたいな感じ。いやぁ、あるあるだわー。そしてきっつい。なお1話の対談で大地監督が言ってたけど、「ショートアニメ、しかも1話だけで表現できることなんかねえよ!」とのこと。今の所2話の人間味溢れる江古田ちゃんがめっちゃ好き。2話…監督:杉井ギサブロー 江古田ちゃん:朴璐美 脚本:岡田麿里。既に各回の監督やキャストは発表されているので、興味がある人はチェックしておこう。一番楽しみなのは高橋丈夫x小清水亜美の回。
AmazonPrimeVideo独占
たつき監督率いるirodoriの新作。ニコニコ動画等で配信されている自主制作アニメのリメイク。けもフレみのある低コスト志向な作品。けもフレ同様ポストアポカリプスな世界感なので、少女終末旅行みたいな灰色の廃墟が背景として登場する(軍艦島っぽい)。好き。
エンドロールがたつきから始まりたつきで終わるあたり、「たつきの、たつきによる~」って感じが伝わってくる。
まず説明的なセリフを極限まで削って伏線を散りばめるシナリオうまい。良く分からないようで要所はちゃんと理解できるし、後のシーンを理解するのに必要な因子を事前に描いておく手法も、絵の中に必要以上な情報が含まれていないからこそって感じがある。
また島を離れる準備をするシーンを見ると、一連の動作を短いカットに分け、的確につなげて描く演出になっていて、けもフレでいえばジャングル回で橋を作るシーンみたいなテンポ感のある、分かりやすくて間延びしない絵になってる。結果として「はじめこそよくわかんないけど、すんなり観ていられる上に話の輪郭が分かりやすい」という印象に。
手さぐれ!でも思ってたけど、キャラの芝居が細かくてかわいい。1話2:00頃「階段登ってて振り返るリナコの仕草」とか、2話14:30頃「リンの帰還をリツが耳で察知する仕草」とか。
作品の世界観こそシリアスだけど、割とゆるいパートから戦闘パートまで振れ幅が大きい。そしてそれらを彩る音楽がかなり良くて、特にシリアスパートの曲がエモい(音楽:高橋哲也)。
アメリカの刑事ドラマ。スタジオぴえろ制作のオリジナルアニメ。アメリカの警察組織と凶悪犯罪者の戦いを描くサスペンス?ミステリー?ハードなストーリー。
制作こそ日本だけど展開やセリフ回し、登場人物等アメリカの刑事ドラマっぽい。作品の雰囲気を印象づける背景も、遠景に映る建物デザインや道幅、街路樹の種類や植えられている間隔等すべてが新鮮に感じる(聖地巡礼という文化は海外にもあるんだろうか)。葬式の後3人で歩くシーンなんか、街路樹の枝の描き方がヤバイ。あんなに主張の強い街路樹あんまり見ないよね。色味もキャラのデザインに対して全体的に淡いし(各キャラのビビットな差し色がめっちゃ目立つ)。
キャラクターのお芝居も全然違くて、例えば泣きの演技も「伏し目→手で顔を隠す→天を仰ぐ→涙をこぼす」みたいな、日本のアニメでは中々見ないような「あ、ここ海外ドラマでやったやつだ!」という印象が強かった。
そしてかなりアクションシーンがかっこいい。刑事ドラマのアクションということで、1話は激しいカーチェイス。激しい動きなのにまさかの手描き。手描きの車によるアクションシーンを観たのは「ルパン三世 Part5」以来かも。アニメ映えするアクションというより、「カーアクション映画らしさ」にこだわったアクションになっていたのが印象的。カメラの使い方とかカットの割り方とか、ぶつかってスピンする車の動きとか。先のアニメ「SSSS.GRIDMAN」が「特撮らしさ」を追求したアクションだったように、本作もそういう趣向を強く感じた。