はてなキーワード: 成長物語とは
数日前に書いてたテキストファイル捨てるの勿体無いと思ったので張る
例のあのフォーマットに乗ってWeb漫画の話をしようかと思ったがWeb漫画は山ほどあるし別に網羅的に読んでる訳でも無いので単に自分の好きな作品を書くことにした人が居たので便乗。
消えてる作品以外はブックマークが残ってるので探しやすくてよかった。
2012か13ぐらいから読み始めた人。それ以前も知らないし、最近も知らないしひどく偏ってるはず。順不同
みんな大好き(なはず)。転生元の(中途半端な)知識と超絶魔力持ちでチートではあるが、虚弱常識知らずなど、情熱と人脈でカバーしてく。
これと謙虚ぐらいしか男性向けっぽいの読んでなかったし、読んでも合わないの多い中(ゴミ拾いのとかテイマーのとかは読んでた)、何度も読み返した名作中の名作。
言い過ぎだけど、パトレイバーや銀英伝レベルで社会に出てから有用な知識が得られる。
(パト、銀英伝信者からしたら言い過ぎ、そうではない人からしたらそんなもんかってなる?)
現実世界への巻き戻り。細かいこと(と重要なことのほとんど)は忘れたが、サッカー選手になれなかった大人がサッカー始めた日に戻ってやり直す話。
確か戻るのはその一回ぐらい。戦術等の知識が大人レベルなのと、コツコツ努力できる(練習の目的がはっきり、効率もよい)のと、あとなんか鷹の目みたいな俯瞰視点だけで頑張る。
雰囲気は週刊少年誌のサッカー漫画みたいなの(ジャンプっぽさはなく、サンデーマガジンのどっちか寄り)。恋愛要素が少なくて物足りなかったような、中学生編ぐらいまでで終わったのとかで悲しかったような。
これと続編(サブアカウント)のセット。アイリッシュスナイパーは含まない(好きだけど)
VRMMOは二大ジャンルのひとつだったり、転生、転移に次ぐ第3のジャンルだったりしたが、あまり人気作が無かった(当時の個人的な印象)中、(根底に)デスゲーム要素もなく、描き切りつつ、VRMMO系で不足しがちな現実世界にも重点を置いたのが本作。
MMO要素は各キャラのなりきりに由来するコメディ要素やストーリーの本筋に絡む仕掛けであって、中身は群像劇要素も強く、主人公以外の成長物語でもあり、半沢みたいなのとかでもあり、ミックスグリルみたいな作品。あえて大げさに言うと、大長編ドラえもん詰め合わせみたいな。
章ごとに目標が変わってたりしつつ、最後でどかんと一気に色々纏まるのがめちゃくちゃ気持ちよかった。主人公大人だし、なろうっぽくない(なろうっぽくないことはないが)
主人公も一応精神的に色々成長します。地の文の好き嫌いは分かれそう。
クソゲーとして名高いバグだらけのゲームの中に入ってしまい、バグ(仕様()も多い)を駆使して気持ち悪いことを沢山する。
読んで知って欲しいのだが、全方向を騙していくのとか、サブキャラとかが立ってるのとか、一応色々吹っ切れてるのが面白すぎた(作者的にはセーブしてるのかも)
本作作者の他作品も少し系統違ってても面白いので、他作品挙げたいが完結してなかったりするので、出会いの本作をエントリー。
タイトルそのまま。ちんちくりん系の女子と普通の女子のコンビに、個性的なパーティメンバーなどで冒険する。
基本的にはテンポよく成長していくし、仲間も頼りになる。地の文とかほのぼのした雰囲気も好きだし、ちょっと年齢層高め向けのギャグとかも合ってた。作中でどういう扱いだったかは忘れたが馬は脳内でひんべえ(いつもいっしょのおうま)になる。
真剣なシーンでも気が抜けるような描写が多くて好きだったかも。
終盤SF過ぎたのとか好みが別れるところか。SF方面だったかは定かではないが
時代がずれてたら防振り(途中までしか読んでない)ぐらい売れてたかも。コミカライズされてたの今知った
頭おかしなった。突っ走ればよかったのにと思ったような。
おもろい。
これも流行った。
きつね可愛い。同作者の他作(沢山あったはず)も読んでみたけど、これがなんか時期的になのか、一番ハマった。
その他の候補作
影響は受けたが、読んでないので
色物かと思ったら意外としっかり面白かった。アニメ見て、原作一気読みした。
転スラ
すごいのはみんなわかってるが、重要度は低い。
このすば
どこにも書いてないが、これ系では他作品のほうが影響受けたので除外。
宝くじで40億
脳噛ネウロ、ヒカルの碁、暗殺教室、それでも町は廻っている(これは最終回がない感あるから例外かな?)が好きです。
最終回に向けて強かったキャラクターが、弱かったけど強くなったキャラクターに支えられるという展開が良かった。それを飽きさせずに続けているからすごいこと。
ミステリーの皮を被ったドタバタヒューマンコメディ短編と見せかけた長編なので、絵柄気にしない方は読んで欲しいなぁと思う。
読んだのが昔過ぎてなんとも言えないが、すごい良かったぜんぶ!という記憶しかないから良い作品だったのであろう。
成長物語。読み終わった後はうおー!人生頑張るぞー!と思えるような最終回で素敵。
正直、このトラバで改めて『能力の問題』とアニメ・マンガ・ゲーム界隈で起こりがちな地獄みを感じている
まぁワイは、元増田の作文含めて配慮なく思うがままに書き綴ってるのでお互い様ではあるのだけれど、無礼な投げかけには遠慮のない無礼な返事が返ってくるよと
覚えておくといいかもしれない
ねぇねぇ、アニメとかマンガ、ゲームって超すごくない?誰でも楽しめるのが最高の魅力なんだよね!例えばクラシック音楽とか美術館の絵とかって、ちょっと知識がないと難しいじゃん?でもアニメとかは、そんな予備知識なくても「わぁ、おもしろい!」って思えるんだよね。
これってマジやばくない?例えば『スパイダーバース』。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、世界中の人が「すげぇ...」ってなれる作品でしょ?マイルスの成長物語に、誰もが自分を重ねられるし、あのぶち上がった映像美と音楽!「誰でもヒーローになれる」っていうメッセージが心に響くよね。
あ、そういえばスラムダンクの話!これ読んでバスケ始める人めっちゃ多いんだよ。「俺も湘北高校の選手みたいになりてぇ!」みたいな(笑)マジで人生変わった人多いよね。
実はドラゴンボールも面白いよね。アメリカのラッパーとかが「ドラゴンボールは俺たち黒人の生き様そのものだ」って言ってたりするの知ってる?悟空みたいに諦めずに強くなっていく姿に勇気をもらったって。スパイダーバースのマイルスも同じように、いろんな人に希望を与えてるんだよね!
スーパーマリオとかもそう。最初は「ジャンプでコイン取るだけ」の簡単なゲームなのに、やればやるほど「おっ、ここにこんな裏技あったの!?」みたいな発見があるでしょ?
要するに、アニメ・マンガ・ゲームってさ、「誰でも入れる」のに「めっちゃ深い」んだよね。「にわかはダメ!」みたいな意見もあるけど、それって違くない?だって、みんなが楽しめるってことが一番大事じゃん!
体調悪い時でも、言葉わかんなくても、年齢関係なく楽しめるって、むしろすごいことじゃない?そこからどんどん深掘りしていける。それってまさに現代のエンタメの理想形かもしれないね!
だからさ、アニメとかマンガ、ゲームが「わかりやすい」っていうのは、全然マイナスじゃないんだ。むしろ、それこそが最高の芸術なのかもね。スパイダーバースみたいに、最先端の表現方法使いながらも、誰もが心から楽しめる作品こそ、これからのエンタメの理想だと思わない?
近年、これらのメディアの「わかりやすさ」を否定的に捉える言説が一部で散見されます。しかし、このような主張には認知科学的、メディア論的な観点から、いくつかの本質的な誤認が含まれていると考えられます。
優れたビジュアルナラティブは、複雑な情報や感情を直感的に伝達する高度な表現技術を要します。例えば、宮崎駿作品における視覚的メタファーや空間表現は、言語的説明を超えた普遍的なコミュニケーションを実現しています。これは決して「単純」な表現ではなく、むしろ高度に洗練された情報設計の成果と評価できます。
アニメ・マンガ・ゲームは、マルチモーダルな情報伝達システムとして機能します。視覚・聴覚・インタラクティブ性を統合した表現は、受容者の認知負荷を最適化しながら、複層的な意味伝達を可能にします。これは現代メディア論における「効果的なコミュニケーション」の典型例といえます。
情報工学の視点からみると、高度な内容を広く伝達可能にすることは、むしろ最も困難な技術的課題の一つです。『スーパーマリオ』シリーズにおけるUI/UXデザインや、『鬼滅の刃』のビジュアル・ストーリーテリングは、この課題に対する革新的なソリューションを提示しているといえます。
芸術社会学の文脈において、文化的価値を「理解の困難さ」と結びつける思考は、しばしば批判的に検討されてきました。現代のメディア環境において重要なのは、むしろ「複雑性の中の明晰さ」を実現する表現技術です。
心理学的観点からみると、メディアの価値を「理解の困難さ」に求める傾向は、しばしば確証バイアスや認知的不協和の現れとして解釈できます。これは作品の本質的価値の客観的評価を妨げる要因となりかねません。
アニメ・マンガ・ゲームにおける「わかりやすさ」は、決して表現の未熟さや単純さを意味するものではありません。それは以下の要素を高度に統合した結果として実現される特質です:
これらのメディアの真の理解者であれば、その「わかりやすさ」の背後にある技術的・芸術的達成を適切に評価できるはずです。それはまた、現代のメディア環境における重要な価値創造の一つとして位置づけられるべきものでしょう。
したがって、「わかりやすさ」を否定する言説は、メディアの本質的特性や現代的価値への理解を欠いた、表層的な判断であると言わざるを得ません。
ジャニーズが人気があったのと、婚活市場やマッチングアプリでチビが余ってるのは矛盾してないぞ
単身かつありのままの自然体でシンプルなファッションでも女にキャーキャー言われる
現実にそんな存在だったのは若い頃の吉田栄作や反町みたいな高身長イケメンのみ
そもそも体臭ケアや男のチビは不利だから数をこなせなど「おまえはそのままでは需要がないから頭や労力を使え」と言われただけでキレてネットリンチを始めるネットの低身長男性が
芸能アイドルを根拠に「チビはモテる」と喚いてる事自体がおかしいんだよな
本人も会社も女に受ける為に必死にイケメン宝塚的コンテンツを構築してグループや事務所内や芸能界の共演者やスタッフやマスコミ諸々との人間関係に苦慮し、関係ジムにエステにメンテに化粧と容姿に全振りし、汗塗れで歌って踊るマルチタスクを要求される
山田涼介なんてファン向けのインライなど起きてる時間は全て厚化粧白塗り状態
女の衆目を集めて課金して貰う価値をつける為にジャニーズなど芸能人ですらメンバー選考やらグループ構想や舞台装置やら売り出しやら露出やらプロデュースやイメージ操作にあれだけ金をかけるし、他事務所のイケメンを追い出してメディアに大量露出させて売り出し、事務所やグループ内の人間関係や成長物語といったストーリーを付加してコンテンツ化する
男も容姿のピークは10代なので、その頃から煌びやかな衣装やステージで踊らせて刷り込みを行い、その頃についた同世代おばさんファンの課金で生きていく
ジャニーズが人気があったのと、婚活市場やマッチングアプリでチビが余ってるのは矛盾してないぞ
単身かつありのままの自然体でシンプルなファッションでも女にキャーキャー言われる
現実にそんな存在だったのは若い頃の吉田栄作や反町みたいな高身長イケメンのみ
そもそも体臭ケアや男のチビは不利だから数をこなせなど「おまえはそのままでは需要がないから頭や労力を使え」と言われただけでキレてネットリンチを始めるネットの低身長男性が
芸能アイドルを根拠に「チビはモテる」と喚いてる事自体がおかしいんだよな
本人も会社も女に受ける為に必死にイケメン宝塚的コンテンツを構築してグループや事務所内や芸能界の共演者やスタッフやマスコミ諸々との人間関係に苦慮し、関係ジムにエステにメンテに化粧と容姿に全振りし、汗塗れで歌って踊るマルチタスクを要求される
山田涼介なんてファン向けのインライなど起きてる時間は全て厚化粧白塗り状態
女の衆目を集めて課金して貰う価値をつける為にジャニーズなど芸能人ですらメンバー選考やらグループ構想や舞台装置やら売り出しやら露出やらプロデュースやイメージ操作にあれだけ金をかけるし、他事務所のイケメンを追い出してメディアに大量露出させて売り出し、事務所やグループ内の人間関係や成長物語といったストーリーを付加してコンテンツ化する
男も容姿のピークは10代なので、その頃から煌びやかな衣装やステージで踊らせて刷り込みを行い、その頃についた同世代おばさんファンの課金で生きていく
無限のリヴァイアスが6月1日からサンライズチャンネルで配信らしい
このアニメは今見ても名作だと思うけれど、それでもやっぱり制作当時の価値観からは逃れられないという限界はあるよなあと思う
このアニメの中では能力の格差は描かれていても、親の経済力のような生まれの格差についての解像度は粗い
その中でも特にそれを感じるのが、ルクスン北条というキャラクター
このキャラクターは軍人の家系の名門出だが優秀な父や兄に比べて落ちこぼれで、
最初は艦長だったがその地位から転落して成長していくというストーリーが描かれるんだけど
でもそれって彼の実家が太くバックボーンが安定していて、この航海を乗り越えれば元の暮らしに戻れるという安心感あってのものだよなあ
結局、あの当時は今ほど経済格差や親ガチャ、実家の太さという概念が浸透しておらず
(実際にはあったとしても、一般大衆の間で今ほど共有されていなかった)、
実家の太いボンボンの成長物語や恵まれた育ちゆえの善性を見て素直に感動出来ていたんたなっていう
いや、今でも好きだよ
好きなキャラクターなんだけど
…でもちょっと悲しい
ゲームもアニメ本編もまったく観てないけどノンクレED観ただけで大満足なんだが?
波の描写とかエモすぎる。朝方の穏やかな砂浜の波のカスケードの付き方ってこうだし人間の影の付き方もこうなんだよなって再発見させてくれる。
内容は知らんけど波=ブルーで単に青春っぽい感じがするだけでなくて波と砂浜の境界に微かに不気味さがあってたぶん世界と世界の境界みたいな感じを暗喩してそうだし
砂浜に残る足跡の軌跡がアーカイブ的な何かを物語ってるんやろなって気がする。
その後のキャラ紹介みたいなシーンの連続もカメラワークが気合い入ってていいけどそこに「交通」「階段」「季節」の各要素が重層的に配置されてるよな。
交通はルール=しがらみの暗喩かとおもったけど横断=境界を乗り越えるみたいな意味もありそう。
季節は時間の広がりだろうけど、そこに階段=成長と挫折の暗喩みたいな。単なる時間経過の成長物語ではなさそうという感じを受ける。
自販機のジュース目線を入れてるのはゲームorゲームのアニメ化だけだと単に俯瞰するだけだからそこに実験的に疑似的な双方向性を与えてみるみたいな試み感がして良い。
アイアムアヒーローが全話無料になってたので読んで無かった後半以降を読み切った
後半、謎解きというか、ゾンビ化を起こすものがどこから来て何を目指して、というのも興味深かった
日常がなくなった世界での人間達の社会の再構築とか争いなんかも興味深く読んでた
けどそれらのどれもがテーマではなくて、主人公の冒険・成長譚、恋愛譚の味付けなんだな、と読み終わっての感想
壮大な世界観で話を拡げるけど、結局は個人の内面世界が肝っていうの、夢オチレベルでがっかり感ある
7seedsもサバイバル・パニックワールドものだったけど、読み終えてがっかり感・購入して読んで損した感がひどかった 少女の人間関係と成長物語といった感じで、ただの少女マンガだった 各人の強い気持ちでサバイバルの状況がトントンと解決するのもとてもご都合主義的で馬鹿馬鹿しい気持ちになった
そんで今回のアイアムアヒーロー、青年マンガだし、別のオチを期待してたけど、同じような落胆を感じた
雰囲気とノリが重要で、ストーリーとしては平々凡々な個人の成長譚にしかならないものなのか
なんにせよ今回は買わずに読んだのが救い
古臭いビルドゥングスロマン(成長物語)が名作とか言われるのも気に食わんけどな
https://anond.hatelabo.jp/20240126051251
2012年の作品だがTVアニメ「怪奇ゾーン グラビティフォールズ」が超おすすめ。
双子の姉弟、12歳のメイベルとディッパーが夏休みの間叔父さんのいる田舎町「グラビティフォールズ」にやってきて、様々な怪奇現象にあう一話完結オカルトコメディ。…と思わせて、実は序盤から巧みに伏線が張り巡らされたSF物語。
終盤に向かうにつれおじさんの秘密や町の秘密が明らかになり、更には世界の危機にまで発展。そこに「まだ子どものまま、仲の良い双子のままでいたいメイベル」と「早く大人になって、好きになった年上の少女に認めてもらいたいディッパー」の成長物語も複雑に絡む。
全41話もあって結構長いけど、最初から最後まで目が離せないし「あの時のあれがここに繋がっていたのか!」を過去話見直して確認出来るので、配信向きのアニメだと思う。
シャニマスでは育成ストーリー以外でイベントストーリーで各ユニットや越境ユニットでいろんな活動を通じてアイドルが成長していく様が描かれるけど、基本的には日常系と同じでアイドルは歳をとらない。それでも2年目、3年目の冬を迎える不自然さもあるし、なにより成長のストーリーである以上「完成したら終わり」でもある。
この日常系設定と成長物語ってそもそもバチクソに相性が悪いと思うんだよな。
ストレイライトなんかはユニット結成からアイドル個人の成長とユニットの成長を絡めたストーリーが好評だったけど、それも2年、3年続くと「いつまでやってんだ」って話になる。まだそんな話してんの?その話前にもやったじゃねーか!みたいな。
ここ2年くらいは本来もっと早く進められる話をひたすらうすーくうすーく引き延ばしながらなんとか越境したりルカの話を絡めたりしてかさまししてごまかしてる印象しかない。
「そういう部分もある」では駄目。
これはほぼ100%がそうであるタイプであり、それ以外の部分は繋ぎでしかないと思っていい。
作中に説明不足に見える用語が沢山あるけど、それらは作品の外から持ってくる必要がある。
たとえば戦争映画でわざわざ「日本とアメリカが戦争をしています。日本は最後に負けます」と解説しないのと同じで、作品外から情報を補わせることで作品のテンポを良くしたり仄めかすことでより感情を揺さぶろうとしてる。
まずは作品のラストから遡っていき重要な用語を現実に当てはめて整理していく。
13個目の積み木→宮崎駿の長編監督作品(ルパン2作とコナン1作を含む)13作目が君たちはどう生きるか
血を継ぐものへの継承→宮崎吾朗(アーヤと魔女を見れば分かる通り、継承は失敗している)
インコの王→米林宏昌(それっぽい真似っ子は出来るが……を越えられず、ついには独立してメアリと魔女の花を作っている)
インコ→ジブリのアニメーター(塔(ジブリ)の庇護下にあるときは強いのだが、外に羽ばたいて見せると途端に魔法が解けて拾ってきたときのか弱い生き物に戻ってしまう。インコは結局真似っ子しか出来ねえかんね)
下の世界の死人→アニメーター以外のスタッフ(自分たちでは何も生み出せず、いざ作品が形になると群がってくる)
ワラワラ→未来の太客(面白い作品を見せて育てることで将来的に太い客になってくれる)
ペリカン→客を食い物にしようとするアニメ関係者(せっかく育てた客を食っていく。傷ついた客がアニメに愛想を尽かすすことも)
これがマジで難しい。
アニメーターとしての宮崎駿だと考えることも出来るし、宮崎吾朗の成長物語だったのかも知れないし、鑑賞者の分身だったのかも知れない。
そういった全てが重なり合った存在であったと解釈するのが自然ではあるのだが……。
たとえば自傷行為で心配されているのは宮崎駿が引退するする詐欺で周りを振り回したときの様子にそっくり。
ことあるごとに鈴木敏夫に振り回されているのは宮崎駿もそうだけど鑑賞者側も同じなわけで。
主人公は最初、本当の母親との再開を求めて塔に向かうが、途中から新しい母親を連れ戻すための冒険も同時に進行していく。
塔の中では幼少期の本当の母親と再開し、最後に別れを告げることになる。
また、新しい母親のことを最初は他人行儀に読んでいたのが、夏子母さんと母であることを認めることで取り戻すことに成功する。
結果として、どちらもが本当の母であると言わんばかりの終わり方となる。
これは宮崎アニメにおいて「ヒロインをどのようなキャラクターとして造形するか」についての葛藤を描いているのではないか。
ハッキリ言えば、「ロリコン趣味を疑われながらも少女を主人公とするべきか、そうではないヒロインを描くべきか、それらは物語や世間が求めるヒロイン像により時には重なり合い時には反発する」という話をしたかったのだと思う。
歪な時間軸の中で幼少期の母に出会いヒロインとして共に冒険しながら、もう1人の大人のヒロインを救出に行くという混沌とした物語構成が、常にその葛藤に晒されてきた宮崎駿の複雑な心情を描いているのである。
こうして纏めてみると結構スッキリした話なんじゃね?(むしろドロドロって気もするけどな(笑))
宮崎駿の目から見たジブリの物語を描いてますよって感じなのでは。
「君たちはどう生きるか」というタイトルはこの状況に対しての語りかけで、どこに向けてそれを言ってるのかで意味は変わるんだと思う。
ジブリと関係が深い人に対しては「俺が引退した後好き放題するんだろうけど、何をする気?」みたいな感じだろうし、インコに対しては「真似る相手がいなくなったらお前らもう本当に何も無くなるんじゃね?」とかなんかな。
でもインコの話について観客に対しても「お前らもインコになってねえか?」って圧かけてきててもおかしくないんだよなーこのお爺ちゃん職人気質とかいてパワハラって読むような所あるからさー正論で人を追い詰めるマチズモなんだよなー。
しょーじきここまでメタファーまみれだと「風斬りの7番」とかも分かる人には分かる要素なのかもね(鈴木敏夫の弱点って聞くと咄嗟にとある女性が思い浮かんだりしちゃうが、アオサギ=鈴木敏夫じゃなくて高畑勲って解釈もできるし焦っちゃ駄目ね。高畑勲の場合は柳川堀割物語かな。まあ人間なんかしら人生に汚点はあるからこじつけようと思えばいくらでも出来ちゃうね)。
アオサギを適当な人物に当てはめて「宮崎駿が「お前とは色々あったけど本当に友達だったと思ってるぞ」と言ってるんだ―尊いー(T_T)」って適当に感動しときゃええんちゃう。
作画スゲーだけで終わらせるのも吉。
ジブリは滅びますぞ―のセンチメンタルそのものについて鑑賞者まで深く考えんくていいと思う。
マザコンなのかロリコンなのかハッキリしろって突っ込むとか、宮 崎 吾 朗 wwwwwみたいにヤジを飛ばすとかは見終わってからまでわざわざせんでええのかもなと。
やっぱ全体としてストーリーラインが雑というか、もののけ姫とかに比べて不自然さは凄いし、ストーリーだけを楽しもうとするのは厳しいね。
マクガフィンが母親であることのパワーを過信しすぎて「え?そこまでする?」になってるのがあまりよろしくないのよねー。
メタファー込みで考えると上手い具合に物語に落とし込んだなって感心はするけど、そんなの見せられても困るんですよお爺ちゃんって感じよ。
とりあえず朝イチで観てきたので走り書き
自分は声優の良し悪しなどには詳しくないので、あくまでそれ以外の観点から。
・主人公の眞人くんが亡母の死を受け入れ、新しい母=新しい生活を受け入れるための、少年の成長物語。
・眞人くんが異世界に消えた新しい母を探しにいき、更に亡母に別れを告げる、まずはこれが一本の軸としてある。
・あの夢のような世界は辛く厳しい現実を忘れるための空想世界(宮崎駿にとってのアニメ)。世界の崩壊=大叔父の死。だからこそ世界の崩壊により、アニメナイズされた鳥たちは本来の姿に戻る。
・つまり大叔父は次世代の人間に自身の創作世界を引き継ごうとしている……が、主人公は自分なりの方法で現実世界と戦うことを選択、これを固辞。これがもう一本の軸。
・この二本の軸に共通するテーマはおおまかに「古い価値観を捨てて、この辛い現実を『どう生きていくか』自分なりに考えていこう!」。
・テーマ自体は他のジブリ作品(ポニョとか)に比べればわかりやすい方。
・しかし、メッセージ性に振りすぎて物語の大筋=考察しなくても楽しめる部分がおろそかになっている印象。
・まず眞人くんと他のキャラクター(アオサギとか)の関係性の構築がほとんど描かれていないので、感動シーンで置いてけぼりをくらう。
・眞人くんは基本的に何事にも直接手を下さない。ペリカンの死も、世界の破壊も、眞人くん以外の手によって為され、眞人くんは常に俯瞰の立場、受動的。
・眞人くんの行動や変化が世界に対してなんの影響も及ぼさない、誰の行動も変えない、関係性も変えない。
・唯一眞人くんの行動によって変わったのは新しい母親との関係性のみ。
・しかし、現実世界へ帰還してからの眞人くんと母親の関係についてほとんど描かれない=眞人くんがこの冒険によってどう成長したか分からないため、肩透かしのままエンディングへ。
【いいところ】
・眞人くんのキャラはかなりいいと思う。
・最序盤の「あ、本気なんだな」と感じさせる火事のシーン
・ジブリ作品に必ず一人は出てくる多種多彩なババアが全員集合、みたいなとこ。
・矢を作るシーン
・下校中に自分の頭を石で打ち付けるシーン、あそこは少年の鬱屈した内面が端的に表されてて素直に感動した。
・塔に入るまでは間違いなく面白かった。
・鯉とガマガエルのシーンなんか最高。
・終盤、眞人くんが大叔父に対して、「それは積み木ではなく、石です」みたいなことを言い返すシーン、あそこはなんかよくわからなかったけど宮崎駿っぽくてかっこよかった。
【ここはどうなのよというところ】
・わたわたが過去のジブリ作品のマスコット枠の中で個人的に一番可愛くない。
あと、余談だけど父親が亡母の妹を嫁に入れているシーンに対して違和感を覚えた人がいるみたいだけど、当時の時代背景的には割と普通だよ。
以上です
この話の続き(いまさら)
へーあのうた世界一位になったんだすげーなーと思いつつ、モヤるはモヤる
聞きなれずに聞いた最初は、いろんな音源がバラバラに聞こえてまとまり感がなかったし、
何度か聞いてようやくひとつにまとまって聞こえるようにはなった後では、既存の楽曲のAメロBメロCメロ普通の流れでシンプルなほうが気持ちイイのではと思う
B小町の他の誰かなのか他の芸能人なのか漠然とした世論なのか曖昧に混ぜてるぽいやつ、
アニメのストーリー内で全く出番がないB小町その他ぽい雰囲気を持ち出されても「アニメの内容に沿ってる」感じはしない(もしくはミスリーディングに見える)
むしろアイドルのネガティブ部分の具体的な実体(芸能界の裏話、黒い話)をこれでもかと並べ、
ガチのストーカーまで出してくる本編と雰囲気が一致しなさすぎに思う
あるいはアイドルという語から湧く一般的なイメージ像を謳ってるだけなのかもしれないが、
いやそれまで歌ってるアイドル像の一般論ぽいのと全然関係ない具体的場面なとこに飛ぶけど、なんでいきなりストーリーに寄せるんですか、となる
アイの成長物語としての歌なのに、ストーリーでアイをいきなり殺してどうする、と怒ってる原作未読の増田がいたが、
歌詞の世界観的には、アイ視点のアイと、アイ以外の視点で見たアイをダブらせて、ミステリアスな感じにしたいのかもしれないが、
ぶっちゃけ原作のアイにそういうとこあんまない(アイはすぐ死ぬし、その後も芸能界裏話をアクアがぶった切る痛快サスペンスもどきだし)
ので、漠然としたアイドルについてのイメージソングなのかマンガのストーリーなのかアイのお気持ちなのかで判断に困る
イメージソングならラストにルビーアクアをぶっこむのどうよって思うし、
アイのお気持ちの歌なら原作未読増田の言ってることがすごく妥当な意見で、つまりアニメの内容がダメって話になる
それで、なんでこうなるのかなと思ったんだけど、
耳で聞く音楽じゃなく、動画で見るの前提の歌で、ストーリーの本体はビジュアル側で請け負ってるからなのかなと
音楽が音だけで独り立ちしてない(する必要がない)、無茶な打ち込みで耳がついていけなくても、映像がストーリーを作ってるから、目でついていける。
同様に、歌詞もまたストーリーを背負ってないし、イメージを背負ってもない
MVとして、映像の修飾みたいな感じで捉えてればいい