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はてなキーワード: 負の感情とは

2017-12-04

村八分を許せず」「にわかを許せない」オタクたちへ

村八分を許せないのなら、にわかを許せ。それ以外にない。

おまえたちオタクは「いじめ」「村八分」「差別」を嫌う。

言ってしまえば「にわかヘイト」はこれに等しい。新しい村八分記事に「こちらは感情で言っている」という名言があるが、オタクにわかヘイトは「感情」でしかない。

まず、コンテンツは「限定された人が楽しむため」に存在しない。(年齢制限は除く)

誰でも簡単アクセスでき、楽しめる。公式が○○向けと言っても、○○じゃない人が楽しんでも問題はない。

おまえたちオタクが楽しんでいる女児アニメはお前たちオタク向けか?そうではない。でも、おまえたちはメイン層の幼女から迫害されずに楽しんでいる。幼女は清らかな心なのでおまえたちオタクみたいに迫害はしないが。

 

にわかが居ることでコンテンツマイナスがかかる。例えば、「○○ファンキチガイ」と呼ばれたり、「○○ファンなら仕方がない」となるのを嫌っている人間も居る。

それはわかる。わかるが、それはにわかに限ったことではない。

かにスマホアプリ板なんて見てると勢いがあるところほどガイジが多い。それはイナゴが紛れ込んでいるからだろう。祭り炎上ともなればエアプが溢れ、あることないこと言い出す。イナゴコンテンツに百害あって一利無しと思うのも致し方ないと思う。

なぜか。それは、コンテンツを楽しみに来たわけじゃないからだ。コンテンツ炎上という祭りを楽しんでいるだけにすぎない。

にわかはどうだ?コンテンツを楽しみに来ていないのか?イエッタイガーするやつは迷惑をかけたいからイエッタイガーしているのか?撮り鉄迷惑をかけるために運転手フラッシュを炊いて撮影したのか。そんなわけない。「コンテンツを楽しんで、結果的に周りに迷惑をかけてしまった」だけである。そして、そんなことは生きている限り誰にだってある。迷惑をかけてしまたことがないやつだけはにわかに石を投げなさい。

 

あんまりまとまっていないが、にわかを許さないことによっておまえたちがコミュニティ衰退の原因になっていることをまずは自覚してほしい。

にわか犯罪者ではない。おまえたちに負の感情を植え付けてくる敵にしか見えないだろう。

からそこで感情理由にすることは、村八分で「感情問題」といっている元自治会長となにが違うのだろうか?

2017-12-03

長寿が良い事みたいに言われると明治時代か何かと思う

http://www.huffingtonpost.jp/2017/12/01/health-disparities-in-japan_a_23292489/

なにこれ?

長寿大国と言えなくなる、やばいぞってその価値観はいつの時代だよ?

医療が発達していなかった時代は、そりゃ命は尊いものだったよ。そりゃ長寿おめでとうだよ。

でもなあ、今の日本なんて老人で溢れかえり、老人がいつまでも病院通いして大量の薬を投与されいつまでも長生きされるおかげで、税金なんていくらあっても足りん。現役世代社会保障崩壊し、もう死ぬまで働かないといけないような有様なんだけど?

管につながれてまで生き長らえる老人って何なの?

薬の処方量に制限がない日本とか、いくら税金あってもそりゃ社会保障崩壊するわ。

さらに、老人で溢れたこ社会介護介護、定年迎えりゃ介護。何を生み出すわけでもなく、ただ介護税金と労力だけが消費され、負の感情社会蔓延する。

今後はもっとひどい。働きながら介護。老人が老人を介護。いや、超老人が超超老人を介護

何のために生まれてきたのかまじでわからん

何?これでもまだ長寿大国幸せなのか?

大丈夫か、この記事を書いた人?

自分は50歳で定年迎えて年金をもらえるなら60歳で死んでもいい。

2017-11-28

バズる増田の作文教

anond:20171128112156

年間で500ブックマーク以上を5本以上、多いときは2000越えとかもしてる。

元増田の言う「バズってる増田」だとたぶん思うので、

アドバイスちょっと書いてみる。


俺も増田10年の古参プレイヤーだけど、

最初は30ブックマーク行けばいい方の零細増田だったから、

のびないときの悲しい気持ちはめちゃわかる。


時事ネタに乗っかる

時事ネタって言っても、総理が変な事言ってるとか、連続殺人事件があったとか

そういうんじゃなくて、はてな界隈話題になってるネタに乗る。

例えば最近だと「40代アラフォーが持てない理由をうんたらかんたら」

ってのがあったと思うけど、あれに引っかかるような文章を書く。

みんな直近で見た知識って数珠繋ぎ的に興味を持つから読んでもらいやすい。

視座を変えた正論とか、実際の体験談とかはブックマークがとっても伸びやすいよ。

主語を大きくしない

「私は○○だと考える」的な文章はまったく伸びない。

世の中に対して、疑問に思ってる事をいくらぶつけても

自分ほど他の人はそのことに興味ないんだよね。

あと、考えてるだけで行動が伴ってないような文章も、

増田だと超たくさんあるので、埋没する。

例)日本医療医療費やばいんだからジェネリックを基本にするべき。

とか書いても、読み手は「で?」みたいな感じになっちゃう。

これが、実体ベース主語自分にすると

例2)俺、薬剤師なんだけど、生保の人ほどジェネリックを嫌がるんだよね。

これってどうなの?

みたいな感じになると議論がぐっとリアリティつんだよね。

ちなみに、例はかなり尖ったテーマから炎上するかもしれないかオススメしないけど。

実体ベースで書く

結局のところ、100%創作面白いものをかける人は、

たぶんプロ作家になれてると思う。

増田くらいであれば、自分経験ベースで、それを脚色して

多少面白くして書くだけでも十分ブクマはもらえる。

全部本当じゃなくて、もしあの時ああいう展開だったら

しかっただろうなあ。みたいなのを物語にして書くだけでも

リアル体験ベースになってるから読み手感情移入やすい。

増田ネタ帳を作る

これはかなり良かったんだけど、スマホメモ帳増田ネタ帳を作ってる。

電車の中とか、はてぶ見たときとか、

他の人が言及してない自分だけの視座の事案を思いつくことあるじゃない。

それを忘れないように軽くメモしておく。

すぐにそれを増田にするわけじゃないんだけど、

2回目3回目と、それを思い出すことがあったら、

メモを参考に増田書くとおもしろいのかけるよ。


幸せ増田を書く

最後はお願いに近いのだけど、

読んだ人がほっこり幸せな気分になる増田を書いてほしいんだよね。

炎上狙いで、煽ってブクマ集めようとする人も多いんだけど、

その文章を読んで負の感情を持つ人がたくさん出たら、

世の中の「不機嫌」が増幅するじゃない。

読んで、楽しかった。よかった。泣けた。幸せな気分になった。

属性で溶けてしまいそうになった。そんな感じの増田を、

書いて欲しいなあと思ってる。

実際、なにこれ。つまんない。むかつく。よりも、

凄いよかった!方がブックマーク全然伸びるよ。


・細かいTIPS

あとは、細かいTIPSを列挙していくと

1)書いた後は読み直して編集推敲をした方がいい。

2)言い回しはフックがある比喩とか入れられると良い。

3)推敲ときに見つけた誤字が笑えるものだったら放置して「フック」にするのもあり。ただし、最初から狙うと面白いの作れないので偶然の産物大事にする。

4)改行位置PCスマホ両方で見て気持ちよさを確認する。

5)セルクマはしてもいいけど、1ブックマーク目にするのは意味がない。誰もブックマークしないような増田セルクマしてもヒットしないからね。

元増田スマッシュヒット面白い増田読ませてくれること、

すごい楽しみにしてます。頑張れ!!

<追記>

元増田よりブクマもらっちゃったみたいでスマンす。

でも、まあ実際にブクマがついた方が説得力あったかなーという意味では

良かったような。。。まあ、真似してみてください。

あと、ネタ帳便利よネタ帳。やってみてね。

以下、ご質問に返信。

ブログでやれよ

これ、毎回言われるんだけど、ブログだと無理なのよ。

例えばちょっと古いけど「電車男」はブログでは作れない。

みたいなことで、実体ベースの脚色って、

自分の知り合いが一人でも見てしまったら「けっ」ってなったりする。

匿名の遊びとして楽しむのでちょうど良いのよ。

>何属性

属性文章のみ流すようにしてる。

あと、読んだ人がすぐに日常実践できる感みたいなのも

大事にしてるかな。


>どんな増田書いてるの?

直近のは興ざめになっちゃうので、昨年のだと

カレー書いたよ。

>本当のプロ増田投稿時間に気を使う。

これ、正しいと思う。でもやっぱり内容が面白くないと

何時に投稿してもダメものダメ

逆に面白いもの書けたなーってときは、

何時に投稿しても関係なくバズる

どっちかっていうと、みんなが興味を持つ時流を見極めることのほうが大事かなと思ってる。

>同じ文章でもブクマが違うんだから運でしょ、運。

これも正しいよ。俺も昔の全然当たらなかった文章

リライトして書いたら凄い伸びたこととかあるし。

これも繰り返しになるけど昔書いた時点では、

時代より「早すぎる」ってことも結構あるのよ。

最近は、「今なら求められるな」みたいなのを意識するようにしてる。

あと、最初の3〜4ブックマークを取れれば、後は勢いに乗る。

みたいなのは、はてぶの仕様として有名よね。

そんじゃみなさん、

Have a nice anonymous diary!

2017-11-26

anond:20171126031645

誰でもそういう負の感情を抱えてしまうことはあるよ。

憎しみや怒りと、ほんのちょっとしたキッカケがあれば人は人を殺せてしまうんだ。

あなたの「人を殺してしまう」という予感は、たぶんお酒のせいもあるだろうが、君の精神が擦り切れかけているのだと思う。

この先さらに摩耗して精神がプツンと切れてしまったとき、憎しみや怒りが身体支配してしまう。

そこにあなた家族の「ちょっとした一言」というキッカケがあれば、殺人カンタンに起きる。

あなたのことや家族のことも、これまでに何があったかも全く知らないけれど、現状維持はよくない結果を招くんじゃないかな。

キッカケを作ってしまう人や環境から距離を置くことが、あなたのその不安から逃れる唯一の術だと思うよ。

2017-11-09

振られて3年、元彼の女友達を好きになった

初めて付き合った彼氏に3ヶ月で振られて、ちょうど3年が経った。

彼の名前をAとしよう。

1年めは、まるでAが私の過失による事故災害で亡くなってしまたかのように、

日々喪に服していた。

「そんなこと言って、連絡くらいきたんじゃないの?」と思うかもしれないが、

彼はそういうタイプ人間ではなかった。

Aが私の家に置いていた荷物を郵送してからLINEブロックされたし、

Aは私と会う前にすでにTwitterFacebookを退会し、ソーシャルのまじわりを断っている人間だったし、

SNSでふと流れてくるつぶやきを目にする……ということもなく、

本当に、死んだか失踪たかと信じ込むこともできなくはなかった。

そもそもAと私は、共通コミュニティ所属していたわけではなく、共通の友人もいなかった。

当時私が働いていた会社の後輩の女の子主催した合コンに行ったところ、

男性側の数合わせで連れてこられていたのが、合コンに一切興味がなく、

合コン中に翻訳小説を読み出した彼だった。

さすがにびっくりしたのだが、その本の著者は私も名前を聞いたことのある人だったので、

Aのことは気にせず盛り上がっているメンツをよそに、私はAにあれこれ質問し、

合コン後のグループLINEに参加しようとしなかった彼のLINE IDを手に入れたのだ。

合コンの間は気難しそうに見えた彼は、28歳だというのに、「本当に合コンが初めてで、どうしていいかからなかった……」

とのちに明かし、2人きりで会ったときには、不器用ながらも気さくに自分のことを話してくれた。

物言いはぶっきらぼうで露悪的だけど、根はいい人なんだなというのがすぐにわかり、

あっという間に好きになっていた。Aも、すぐにそれに応えてくれた。

そうして、交際期間がとても短かったのもあり、私はAとお互いの友人を紹介しあうことはなく、

そして彼の家の場所電話番号LINE以外の連絡先を知ることなく別れることになった。

合コンから私はAにだけ関心があって、他のメンバーに連絡することもなかったので、

もはや彼とのつながりは一切存在しなかったのだが……

彼と別れて1ヶ月後、偶然彼の親しい友人の一人と知り合うこととなる。

それがBだ。

新宿紀伊国屋書店で、新刊コーナーをうろついていたら、

彼に以前写真を見せられたことのある男性そっくり女性が、やってきたのだ。

私が「えっBさん?」と小さな声をあげると、なんとその人も「あれっ」と声をあげた。

から聞けば、彼女彼女で、私といっしょに遊びに行ったとき写真や、

2人がペアリングをしている写真などを見せられていたのだという。

書店会釈して終わりかと思ったが、彼女は私を喫茶店に誘ってくれ、

あれやこれやと話してくれた。

「◯◯がさぁ……恋人ができたっていうだけでも驚いたけど、まさか彼女ペアリング買うとは思ってなくて。本当にびっくりしたよ」

「それまでは彼女いなかったんですか?」

過去に1人いたとは聞いてるんだけどね。彼女の家庭の事情が大変で、別れることになったみたい。私もその子とは会ったことはないから、具体的なことはしれないけど。

 だから増田さんと付き合い始めた話を聞いて、すごくうれしかったんだよ。最後のほうは、いろいろ悩んでいるのも聞いていたけど……」

Bは、見せられた写真の印象だけでも、育ちが良くて笑顔かわいい上品な人だなあという印象だったけれど、

会って話せすと想像以上に気さくで、「この人に気に入ってもらいたいなあ」と思ってしまタイプだった。

正直、仲のいい男友達元カノというよくわからない存在書店で声をかけられても、けげんな顔をして立ち去る人が大半だろうに、

その日は喫茶店に誘ってくれたばかりではなく、その後2人で飲み、連絡先も交換することになったのだ。

「この前もAと会って……」や「Aは昔からそういうところがあって……」というように、Aとの仲良しエピソード披露してくるので、

もしかして……本当はAのことが好きなのかな?」「というかむしろ今つきあってるのかな?」と邪推もしたが、

聞けば、すでに3年つきあっている彼氏がいるという。

しかに、これだけかわいくて素敵なお嫁さんになりそうな人はもっと社会性のある男性を選ぶだろう。

彼が「いずれ紹介するよ」と言いながらも、結局紹介されずじまいだった相手と、

こうして偶然出会たことにはきっと何か意味があるだろうと私は思い(思い込もうとし)、

さら純粋に彼との話をとにかく吐き出せる人がほしくて、私はその後彼女を定期的に飲みに誘った。

最初は遠慮して月1〜2度にしていたのだが、彼女が本当にお酒を美味しそうに飲むし、実際ものすごくお酒が好きで、

毎日一人でもバーに行くことがわかってからは遠慮せずに誘いまくるようになり、

彼に振られて1年めには、私が彼女と飲む頻度は、週に1〜2度に増え、

さらに2年めには、土日のどちらかはかならず私の家に遊びに来るようになり、

そうして3年めを迎えようとしている。

合コン中に小説を読み出すほど読書家だったAと友人なだけあって、

Bも日々驚くくらいの時間読書にさいている。

1日あけて会えばその間に読み終えたSFの話をしてくれるし、

私が仕事で悩んでいるときには、適した分野の新書を紹介もしてくれる。

映画展覧会にもよく足を運んでいて、おもしろかったもの感想を教えてくれる。

「次は一緒に行かない?」と誘っても、「一人で行きたいから」と断られるので、

一緒に映画展覧会を鑑賞したことはないが、それぞれ見たもの感想を言い合ったりもする。

彼女は今でもAに会っているので、Aの話も全然出してくる。

Aが引っ越したとか、最近はこういう本を読んでたとか、いっしょにあの映画を観に行ったとか。

Aと仲良くしすぎて、彼氏嫉妬されたこともあるという。

頻繁に飲むようになってからは、私もそのあたりを正面からイジったりしてみて彼女の反応を見てみたが、

「え〜〜、たしかにAくんはかわいいしかっこいいけど……ほっとけない弟みたいな感じなんだよ」

と毎度否定され、そこには一切のやましさの感情がないのが見て取れる。

というか、どうやら彼女には「誰かと誰かが仲良くしていて、負の感情を感じる」

ということが、生まれてこの方ないらしい。

から、「自分の行動で、周りが負の感情を感じる」ということも全く理解できないそうだ。

しかに、もし私が彼女だったら「こんなに元カノと仲良くしていたら、Aに対して気まずいかも」と思うし、

私がAで、この状況を知ったら、こころよくは思わないだろう。

そのことを指摘したら、「あーーーーそういうものなの!」と目をパチクリしていて、

それも彼女の育ちの良さであり、育ちの良さゆえの鈍感さであり、美徳でもあるのだなあと、

なんだかおかしいやら腹立たしいやら、不思議な気分になってしまった。

それで気づいたのだ。

つの間にかAの生死とか、振られたことなんてどうでもよくなっていて、

彼女と会うことが純粋に楽しみになっていたということに。

最近は、いっしょにいても自然と手をつないでしまうし、

我が家のベッドで一緒にゴロゴロしながら映画を見る日も多い。

彼女には彼氏がいるし、相変わらず付き合っている。

彼女はとっても育ちがよくて、鈍感で、きっと私が彼女をいつのまにか好きになっていたことに気づいておらず、

しかし一方で、彼女自身もかなり私のことが好きなのだと、最近確信できてきた。

私の感情は間違いなく友情じゃなくて、彼女の裸を見たいなと思うときすらある。

でも、一体どうしたらいいんだろう。

私は彼女に甘え続けるため、まだAに振られた傷があるんだとウソをつき続けている。

ふと増田を見返していたら、セクハラパワハラ?がめんどくさいっていうような話を書いていた。あれからもう1年か…。

あんなにいろんな方にいろんなアドバイスをいただいたのに、結局、転職すらできていない。

というか、現状、職場より家庭でのストレスに悩むという予想だにしない結果になっている。

見てわかる感じに体調を崩したため、前記事元凶だった元上司(役定によりただの同僚になった)の当たりはむしろ優しいくらい。それに絆されはしないしされたことは忘れないが。というか多分単に、私の結婚生活がうまくいってないのも嬉しいんじゃないのかな。訳知り顔で偉そうなこと言えるし。

と、調子が悪いと気持ちまで暗くなってしまって快適な生活が程遠い!

この負の感情で痩せたらいいのに…。

2017-11-05

https://anond.hatelabo.jp/20171104235007

私の場合

私は夫と結婚して20年になる。同棲期間も入れると25年か。

小学生の子どもがいる。

それでも、セックスは週に1、2回はある。


前提として、、

夫婦なら何が何でもセックスしないといけない。とか

セックスがない結婚は不幸だ。とか

そういったことは全く思っていない。


ではなぜ私が夫とセックスをするというかというと、楽しい共同作業のように考えているからだ。

(もちろん、妻が夫に性的サービスをすべきであるとも考えていない)

夫の肩を揉んだり、愚痴を聞いたり、二人で部屋の掃除をしたり、趣味の話をし合ったり、気の利いた酒のつまみを作ったりすることの延長線上のように考えている。

もちろん私にそれができるのは、夫がいつも私を大切にしてくれているからだ、という前提があるが。



同棲しはじめて3年を迎える頃には、すでにお互いに「強く欲情する」という感覚はなくなっていた。

はじめはそれを少しさみしく思ったが、

お互いに風呂上がりはすっぽんぽんで、「今日はやる?」「うーん、疲れたからいいや」というような会話をしている二人だから仕方がないだろう、と思った。

夫が、AV自己処理していることも知っていたし、夫も別にそれを隠すこともなかった。


しかし、裸で抱き合い、肌のぬくもりを感じあい、お互いに充足させ合うという作業は私にとってはとても大切で、無くしたくない日常ひとつだった。


私は徐々に、自分女性として欲情されなければならない、だとか、欲情されてこそ夫のオンナとして価値があるのだ、とか、欲情されるというフェーズがなければセックスは行えない、とか、そういった考えを捨てていった。

そしてもちろん、自分が夫に欲情しなければならないという考え(これは私にはそもそもまりなかったが)も捨てた。

ムードというものは、なければならないものではなく、あったら嬉しい、というくらいのものにした。

私にとっては性的絶頂感は重要ものではなく、抱き合うだけでも満足なのだが、夫は男性ということも有り、射精快感も大切だろうと思い、そのための手技も磨いた。


自分の技を磨いて夫を気持ちよくさせる、というのは、私にとっては喜ばしいことだった。

子どもや夫の好みの食事を作れるようになることと、感覚的には同じだ。


夫もそれに対して喜びを表現してくれるし、夫も呼応するように、私を充足させるよう動いてくれることもある。

その気持ちが嬉しくて、身体的にも精神的にも満たされる(性的絶頂や挿入を絶対要件としなくても)。

また、子どもがいる家庭の夫婦としては「お互いがお互いのためだけを思って何かする」時間というのが貴重でもあるから、尚更、楽しい

子どもやお互いの両親やお金のことは置いておいて、お互いの身体気持ちだけに耳を澄ませて喜ばせ合おうとする時間はかけがえのないものだ。


セックスは、欲情し合う二人が行うことである、と言う前提が在るから

肉親のようになってしまった相手(に、欲情するのは恥ずかしいorには欲情できない)とはセックスできない、となるのかもしれない。

かに、お互いに欲情しあって燃え上がるような気持ちで行うセックスは素晴らしいと思う。

しかし、完全に心許せる相手同士で、お互いに何もかも委ね合って行う穏やかなセックスも良いものだ。


まだ同棲をはじめて間もないころ、私はぎっくり腰インフルエンザダブルパンチで布団から動けなくなったことがある。

すっぴんでお風呂にも入れず、頭皮身体からは汗の臭いが漂って、不潔で、本当に恥ずかしい姿だった。

その時、夫は、身体蒸しタオルで拭いてくれ、着替えさせてくれ、心が休まるように、手のひらをマッサージしてくれた。

恥ずかしいけれど、心が満たされる…不潔な自分身体相手に委ねることによる様々な負の感情よりも、なにか解き放たれたような暖かい気持ちの方を強く感じた。

その時のような気持ちを、セックスすることで、感じることができる、今でも(もちろん毎回ではないけれどw)。

欲情されない自分身体は恥ずべきものじゃないし、もし恥ずかしくたって、その身体をまるごと相手に委ねることは、ときには、欲情されることとはまた別の、暖かい快感を与えてくれるよ。


そんなセックスもあるよ~、って、ただ言いたかったのさ。

(終)

2017-11-04

口論を見て楽しめるようになりたい

自分負の感情出会うのが苦手だ。

例えば他人口論犯罪事件ニュースなど。

それが自分に向けられたものでなくても心穏やかではなくなる。

イライラしたり、怖くなったりする。

それがとても嫌だ。

一方、はてな民の多くはそうでもないらしい。

例えば彼らは「日野雄介 VS id:kyoumoe」をとても楽しんでいる。

今の自分はあれを楽しむ事ができない。

ああやって他人口論を見て楽しめるというのは人生得だなと思う。

自分もあのやり取りを「観戦」したい。

肴にして酒を飲めるようになりたい。

なりたいが、なろうとする努力はしたくない。

そんな気持ち

2017-10-20

ある程度生きてると、ニュートラル以上に感情が揺れ動く事ってあんまりなくない?

感動的なフィクションを観れば感動を得る事は出来るけど、現実的にそんなに驚いたり印象的な事って滅多に起きない。耐性が付いてきて、ポジティブになり過ぎる事も、ネガティブに寄り過ぎる事もない。

他人と衝突した時だけネガティブ感情が芽生える。ただ、そういうのって記録しても次から次へと負の感情が湧き出すだけだからやめてる。

2017-10-17

anond:20171017223401

そう、私はいつも甘えられる側の立場にいる。

善意自分のいいように利用されて罪悪感をかけらも持たれないで。それで許されると勝手に思われている。

そして負の感情をぶつけられる。

2017-10-12

https://anond.hatelabo.jp/20171012085052

崖って言うとたとえばテーパリングの先行例として

大統領あんな感じで議会も紛糾してるのになぜか雇用は順調に伸びてるアメリカがあるんだけど

君の脳内では日本人雇用が増えると何らかの凄まじい負の感情に襲われちゃうわけ?

2017-10-11

東野圭吾が俺をニートにした

俺は社会が怖い。

社会人間は皆が自分利益のためだけに動いていて、誰一人信用することなどできないと思い込んでいる節がある。

からこそ俺は高校卒業就職をせず、だらだらとニート生活を送っているわけだ。

それが本当に思い込みかどうかは実際に社会に飛び込んでみなくてはわからない。

しかしそれはどうしても嫌だ。

会社へ出勤する自分想像すると、上司に叱責され、同僚に嘲笑われ、後輩に馬鹿にされるイメージが鮮明に浮かぶ

周りには敵しかおらず、日に日に自分の心が削られていく。

そんな生活だけは絶対にしたくない。

俺の深い芯の部分が拒否反応を起こす。

ずっと疑問に思っていた。

そもそもなぜ周りの連中は平気な顔をしてそんなところへ飛び込んでいけるのだろうかと。

その理由が判明したので今このエントリを書いている。


そう、ぶっちゃけ東野圭吾だ。

つい昨日ネットを見飽きて珍しく自分本棚に手を伸ばした。

それで東野圭吾の「変身」を読んだ俺は理解した。っていうか思い出した。

こいつが俺の社会に対する恐怖を刻みつけた元凶だと。

はてななんかを見ている人は東野圭吾小説を一冊くらいは読んだことがあるだろう。

作風が狭いわけではないが、もっと根本的な部分で東野圭吾小説には社会に対するネガティブ感情が刻み込まれている。

如何に社会自分のことを必要としておらず、如何に一人ひとりが自分のことだけを考えて生きているかということを教えてくれる。

東野圭吾差別いじめを具体的に描く。

子ども関係から発展したママ友同士のいじめ旦那収入で競い合うセレブの争い、優秀な部下に対する上司陰湿嫌がらせなどが大好物である

だが決してそれらの行為否定し、批判する意味で描かれるわけではない。

主人公は必ずしもそれらに苦しめられる被害者ではないのだ。

結構確率主人公自身がそれを実行する側であり、その心理思想がまるで見てきたかのように詳細に描かれる。

加害者自分が重なることで、誰かを苦しめる行為がただの悪意によってのみ生まれものではないということを理解させられる。

それは即ち、差別いじめやそれ以外の犯罪人間社会にとって本質的ものであるということである


俺はそんな東野圭吾小説小学生の頃に貪り読んでいた。

読んだことがある人ならわかると思うが、東野圭吾小説はとにかく読みやすい。

論理明瞭な文章で難しい語彙も表現も少ないため、小学生でも漫画のようにスイスイ読める。

なぜか小学生の俺は東野圭吾小説を異常に気に入っていて、そればっかり月に何冊も読んでいた。

(白状すると今も昔も東野圭吾以外の小説はあまり読んでいないにわか野郎だ。)

その蓄積が俺の社会に対する恐怖を育んだというわけだ。

これは決して過大な表現じゃない。

子どもの頃に受ける影響というものは計り知れないもののようで、俺は骨の髄まで東野圭吾社会に対する負の感情に蝕まれ、どうしようもなく社会を恐れている。



と、タイトルからここまで東野圭吾自分怠惰責任押し付けニートとして綴ってきたが、まあ実は東野圭吾小説を憎んでいるようなことは一切ない。

なぜなら別に俺は社会に出ない自分嫌悪しているわけではないからだ。

東野圭吾に影響を受けたことも、その結果社会を恐れていることも事実だが、だからなんだという話だ。

子どもの頃から教えられてきた正規ルートからは離れてしまうが、それもまた人生であることには変わらんのではないか

私の人生をひん曲げてくれた東野圭吾感謝の念を込めて、就寝しようと思う。(AM 6:53)


追記:王道すぎてつまらんが私はやはり「容疑者Xの献身」が好きだ。

2017-10-07

「ボク、辛いです」→「甘ぇ、俺はもっと辛かった」からの負の連鎖

他人の辛いって言葉に過剰に反応する人がいるけど、お前の辛いって経験話はどうでもいいと思うことが多い。

①「俺はもっと辛い思いしてきたからお前の辛いは甘ちゃんすぎる」←この言い方をする人は話にはならない。

が、そうでもない人も居る。

②「俺もそういう辛いことあったな。君も辛いよね。挫けそうになってると思う、その気持ちわかる。お互いに頑張ろう」

こう言ってくれる人は経験談を含めて理解をしようとしてくれているのだ。

そういう人は蔑ろにしてはいけない。

①の場合は、ただの不幸自慢へ繋げるだけの人だけど、

②は自分経験を思い出しながら、相手の辛さを理解してくれている。

この差を同じと考えてはいけない。

しかし、Twitterで見てみるとだいたいこの二つを同じ解釈にしてしまっている。

これは①の意見を読んでしまった人が負の感情でいっぱいになってしまったケースに多い。

②の意見は全く違うことを言っているのに、心が感情論に覆い尽くされてしまった為に理解が出来ていない。

結果的にどうなるかというと、②は辛いと言ったボクさんの気持ち理解しているのに

周囲が①の意見しか見えなくなってるので②まで攻撃対象にされる。

炎上する必要性がなかったものだった事でさえ、①に感化され周囲は集団で個を言葉暴力で傷つけ始める。

実際の所、①自体特にボクさんを攻撃するつもりもなく、単に言葉の足りない叱咤をしているつもりなわけだが

ボクさんが理解するよりも先に周囲が悪い方向へ誘導してしまうことも問題

【例】:俺の過去もっと酷かったぞ→周囲「不幸自慢かよ、昔と今で比べるのおかしいだろ」

ボクさんが言葉を発する前に周囲がそれを言ってしまうことで、全く関係ない人がヒートアップしてしまう。

この場で会話が繋がっているのは、あくまでボクさんと①の二人。

周囲は、ただの見物客なのだ

周囲が勝手に入ってきて悪い方向へ誘導してしまう事で必要のない炎上を起こす。

負の連鎖だ。

何が言いたいかと言うと、外野あくま外野なのだ

会話に入りたいのであれば、まず横から入ってしまうことに対し断りを入れる必要はある。

その上で意見を言えば良い。

いきなりボクさんを無視して自分感情をぶつけるというのは問題外だ。

余計な火種をなぜ持ってきてしまうのか。そしてなぜ誰彼構わず攻撃対象にしようとしてしまうのか。

結局、このボクさんの「辛いですから始まった話は、②の人が外野妨害を受けながらもボクさんと話を続け、ボクさんは立ち直った。

その横では、外野勝手に人を集めて①及び②を攻撃し続けているという意味の分からない事が続いていた。

SNSに有りがちなのだが、当該者の存在を忘れて諍いに持っていく人が多い。

今回の①のようなやり方は、正直な所ベストではない。むしろ言葉がたりなさすぎて悪い。

①の「俺はもっと辛かった」という意見の仕方は解決に至らない意見である

そして、最初純粋にボクさんの支援者であったであろう外野も当然悪い。

①の意見に対し、ボクさんと①のやりとりを横入りした上に攻撃的になってしまった。

「辛かったろうなぁ…」と思っていたはずの外野が「こいつムカつくわ、仲間集めてやったるわ」になるのは変である

言葉の受け方は人それぞれ、自身経験における辛い辛くないも人それぞれ。

程度の違いは必ずある。

それはボクさんも①・②・外野も同じだ。

ボクさんは辛いと言った。

①はまだ甘いと言った。

②は気持ちがわかる、でもくじけるなと言った。

外野は①②に対して攻撃的になった。

やはり外野問題があるのだ。

なぜ、支援者攻撃的になる必要があるのだろうか。

ボクさんを神のように祀った状況にして勝手に諍いを始めてしまう。

結果、外野勝手に始めた諍いで炎上が収まら大事になってしまう。

そしてボクさんは望まないツイ消しアカウントの削除を行う。

ここでやっと諍いは静まる。争う場がなくなるからだ。

火を起こした原因は①の言葉足らずであるが、火を大きくしたのは外野である

さらに悪い事に外野は、これを「良いことをした」と思い込んでいる所だろう。

実際に良い方向へ持っていったのは②である

①は解決に至らない意見だった。外野はそれに反感し諍いに発展させただけである

一番損をしたのはボクさんである

自身の悩みを打ち明けただけなのに、それがなぜかツイ消しアカウントの削除を行わなければならなくなった。

キツイからすれば「それは自業自得で、当たり前の結果」というかも知れない。

しかし、そこまでしなければいけない状況にしたのは紛れもなく外野である

そもそもTwitterで悩みを打ち明けるというのはリスクが大きい。

ボクさんの行動は間違っていたかもしれないが、リスクが大きい反面で得るものも大きくあるだろう。

昨今では外野必要のない炎上で当該者の声がかき消されることも多くなってしまった。

外野あくま外野なのである

仮に乱入するにしても、当該者を置き去りにしてはいけない。

あくまで本人を前に置いた上で後ろから応援するのだ。

外野が本人を無視して主人公になろうというのは、おこがましいのである

それを外野理解してほしい。そして①は言葉を知ってほしい。

2017-10-04

おそ松さんファンやめる

やめるよ。もうムリだよ。でもやめる前に吐き出さないとやってらんない。

寝不足だし気持ちの整理ついてないしショックだしで、ちゃんとした文章書けないだろうけど、書かなきゃやってらんない。

二期の1話がどうしても受け入れらんない。

友人に推しキャラが変な見た目になってたからかって茶化されたけど違うよ。

好きなキャラデブやガリになってたり、ちゃんとしたアニメになろうと違う絵柄違う世界観になってたのは面白かったよ。

そこじゃなくて、公式からご丁寧にファンバカにするような描写放送されたことだよ。

1話を見て、説明出来ない感情におそわれて、もうおそ松さんを楽しめなくなったからだよ。

元々は原作赤塚先生が好きで、最初絶対好きになれないし藤田監督からむしろ嫌いになるだろうし、なんならアンチにでもなってやろうかっていう最低な理由で見始めた。

案の定1話はクソみたいな出来だなって思ったよ。話題集めるためにやってた部分もあったんだろうけど、赤塚先生キャラ借りてなにしてんだよって嫌悪感が強かった。

でもそのままなんとなくダラダラ見続けてたら、不覚にもハマってしまった。

あんだけ負の感情で見てたのにも関わらずハマってしまうほど、面白くて魅力的だった。

ギャグアニメとして純粋おもしろかった。あの六つ子なのに個性がついてるのが、意外にもすごく良かった。イヤミやトト子ちゃんとの絡みも面白かった。とにかくみんなが騒いでる姿がかわいくて面白かった。キャラデザも色彩も素敵で、見るのも描くのも楽しいし好きだった。

原作とは別物として、どんどん好きになってた。

グッズや雑誌が出れば買ったし、イベントがあれば頑張って時間お金工面して行ったし、アプリが出れば労いの意味を込めて課金したし、二次創作もした。

アニメ一期が終わってしまって、記念作品からもう二期はないと諦めていた。それでも、何ヶ月たってもまだ好きなままだった。グッズも買い続けたし、二次創作も続けてた。本編のBlu-ray持ってるから、正直いらないなって思ったけど、公式に少しでも貢献したくて松セレクションも買ったよ。

二期が発表された時は本当に嬉しかった。

またみんながバカやってる楽しいアニメが見れるんだなーって。

すっごい待ち遠しいのと同時に、不安が隠せなかった。だって監督藤田から

一期の1話があんなだったし、二期の1話も私には合わないだろうなと覚悟はしてた。きっと予想を裏切ろうと変なことしてくるんだろうなって。

まさかあんなのが来るだなんて微塵も考えてなかった。

いくら覚悟してたとはいえ、アレはさすがに受け止めきれないよ。

なに、あの何分も何十分も使ってファンバカにするような描写

グッズもイベントも好きだったよ。いくつか微妙なのもあったけど、それでも金かけたよ。だって、そうやって公式お金かけて少しでも貢献したりスタッフ労ったり出来ると思ってたから。面白い作品作ってくれてる事に感謝してたから。

もちろん、金かけてスタッフ労いたいだなんて自分勝手エゴだってわかってるし、別に、なにもそれに感謝しろだなんて微塵も思ってなかったよ。

購入も参加も自分がしたくてしたことだし、お金を払った奴が偉いだなんて思ってないけど、まさか公式からそれを表立って馬鹿にされるとは思ってもみなかった。

作った奴はギャグのつもりだったのかもしれない。あくまでアレはクズである六つ子が一発当てたらこう思うんだろうなって描写がしたかったのかもしれない。

それでも、限定煽りしたグッズをしれっと一般販売したり、絵使い回しのグッズ作ったりした奴にクオリティなんて知らない出せば売れる、なんて作品通して言われたら笑えない。

制作陣の本音で、本気の嘲笑なんだろうなって受けとってしまう。

正直、金のなる木だボロい商売だと、思ってるんだろうなとは感じてた。

ファン原作を少し蔑ろにしてると感じることもあった。

でも、まさか、それをわざわざ30分のアニメ使って、キャラを使って、表立って言われるなんて思わないじゃん。

他の視聴者はどう思ったかしらないけど、私はたえられなかったよ。

もうおそ松さん関連の全てが見たくなくて、放送終了後すぐにツイッター消したけど、みんなはアレ楽しめたのかな。

今思えば楽しいことだけじゃなくて、嫌なことも多かったな。

ファンやら一部の関係者やらかしとか。グッズの後出しとか。雑誌インタビューとか。

ファンのは見ないようにできたし、公式関係いから耐えられた。

一部の関係者とかグッズとかは、あくまアニメ本編外でのことだからと、自分をだませた。

でも今回はアニメ本編の中で起きた、公式での出来事から、もう、ごまかしがきかない。

なにかの雑誌藤田が「19話以降見所なくなってつまんなくなる」みたいに言ったときに見切れば良かった。人から借りてるキャラアニメ作ってるのに、その発言あんまりじゃん。

ファンやらなんやらをバカにしたり、蔑ろにするのが、面白かったりかっこいいとでも思ってんだろうなぁ。

それでも嫌いになれず見続けちゃったのは、やっぱキャラが好きで、ギャグ面白かったからなんだろうけど。

今でもキャラは大好きだし、またあのはちゃめちゃなギャグが見たい気持ちが大きい。

でも、もう今はキャラ見るだけで1話のことが頭に浮かんで楽しめない。よくわからない感情におしつぶされて、ただただ悲しくなる。

アニメ制作に詳しくないから、もしかしたら監督以外の人が悪いのかも知れないけど。

もう誰が悪いとかどうでもいい。

グッズも人に譲った。雑誌ゴミに出した。週末のライビュも行かない。ツイッターとかのおそ松用のアカウントも消した。

今後はグッズや雑誌が出ても買わないし、イベントも二度と行かない。

だって、そういうことしてる人のこと、バカだなぁって思うんでしょ?

そんな表立って見下されたりバカにされたりしたら辛い。たえられない。

私はただ、ギャグアニメが見たかっただけなのに。なんでこんな気持ちになってるんだろ。

きっと、何かの拍子でまたおそ松さん見て面白いと感じたとしても、制作陣が入れ替わったとしても、もう怖いからグッズにもイベにも手は出さない。

おそ松さん公式に金かけるような事は全部出来ない。

だって、内心バカにされてるかもしれない不快感が拭いきれないから。なんかモヤモヤするから

まだ気持ちの整理出来てないし、これがどういった感情なのかもうまく説明出来ないし、ファンやめる理由が今書いたことだけなのかもいまいち自信がない。私のメンタルが極端に脆くて、被害妄想が強いだけの話かも知れない。

それでも、1話見て堪えきれない気持ちになったのは事実だし、今はアニメ見てもキャラ見ても楽しめない。

こんな気持ちでいたくないから、ファンやめます

この制作陣がいる作品にも、今後は手出すのやめます

いつか他の人の解釈とか聞いて、気持ちの整理ができたらいいな。

おそ松さんの二期、ファンとして純粋に、ギャグアニメとして楽しみたかったのにな。

【追記】

なんか思ってたより反応きてびっくりした。肯定的な人の意見聞けてありがたい。このまま意見交換したいくらいだ。

ひねくれてる皮肉屋だから、いくつか追加で言わせてもらいたい。

私はおそ松さん平和アニメだとは思ってない。しょーもない下ネタとか、クズゲスブラックジョークなんかが好きで見てた。1話で家が豪邸になってたのも、六つ子のファンに対する雑な扱いも、視聴者までメタ視点で巻き込んできたのかって笑ってた。やっぱこういういい子ちゃんじゃない不穏なとことかが魅力的だなって。

一期の謎の感動回とかはクソつまんないなって思ってたよ。後半の少しキャラに重点置いてる話とか、腐女子が喜びそうな話も。私はおそ松さんにほのぼの平和日常も過度な兄弟の仲良しこよしも求めてないんだよ。

それでも見続けたのはファンから自分結構盲目的な信者だと思ってたんだよ。今回ので違うってわかったけど。

一応そこまでのファンだったのに、なんで今回はダメなの?って考えたら、たぶんキャラ越しに制作陣が見えちゃった気がしたからなのかな。被害妄想だろうけど。

制作陣が実際に思ってるんだろうなって感じた。

まりは、被害者面がしたいとかじゃなくて、ただ勝手深読みしてショック受けたもうムリって勝手にキレてるだけなんだけどさ。

見るのも買うのも私に決定権があったんだから被害者ではないのはわかってる。

ただただ、なんか、ショックだったんだよなぁ。

公式はあれ自分に冷や水ぶっかけて0に戻そうとしてたのかな。

かに当初の方向性とは違ってきてたから、修正してほしいとは感じてたよ。でも、ならもっと丁寧にファン弄りしてほしかったなぁ…

いずれモヤモヤも晴れてまたおそ松さん楽しめる時がきたとしても、きっともう熱狂的なファンにはなれないな。

肯定的意見が聞けて本当によかったです。ありがとうございました

とりあえず今は少し時間おいて、冷静になって、ゆっくり気持ちに整理つけてく。

2017-09-29

虐待だったのかわからない」ということ

 虐待とはなんでしょう。殴る事? 蹴る事? でも殴ることも蹴ることも全部虐待だというのは暴論ではありませんか?

 自分が「虐待」されていたのかどうかわからないひとたち、というのは少なくないような気がしました。頭の整理も兼ねて、こうやって拙いながら書き込んでいます。 

 私は去年大学生になりました。視野が一気に広がりました。交友関係も広くなって、様々な価値観を持つ人たちとかかわりを持つようになりました。本当は高校生の時からうすうす勘付いていたのですが、大学生になってはっきりと「自分虐待されていたのではないか」と考えることができるようになりました。テレビ報道されるほどショッキングな家庭ではありませんでしたが、暴力を振るわれる恐怖が常に傍にある幼少期を過ごしていたということが異常であることをようやく理解できるようになってきたのです。

 小学生中学生の頃の私は、なんの疑問もなく「きっと他の子も殴られたり蹴られたりしているだろう」と思っていました。あるいは、暴力が過剰であったとしてもまさか虐待」というレベルに達しているとは考えもしませんでした。なにせずっとそういう家庭に身を置いていましたから、それが「当たり前」だったのです。だから大丈夫だと思っていました。自分の家はおかしくないし、自分自身おかしくはないと思っていました。今思い返せば、そういう思考に逃げることで様々な負の感情を抑え込んでいたのかもしれません。

 私の悩みはもっぱら「私は虐待されていたのか」というものです。私を悩ませている一番の原因は、両親が歳とともに穏やかな性格になり暴力を振るわなくなったことです。私はその変化を喜ばしいものだと捉えると同時に酷く「憎い」と思いました。どうして「何も悪いことをしていない」みたいな顔をしているのだろうと恨みそうになって、両親を恨もうとしている自分自身嫌悪したりしました。忘れられないのです、私を殴ったり、髪を掴んで引きずり回したりしたあの人たちが忘れられないのです。なのに穏やかになった両親を前にすると、自分虐待されていた、と考えることもできなくなります。今が幸せそうだからです。つまり、「昔は両親二人とも大変だったから仕方ないのかもしれない」と考えることができるのです。

 でも、過去暴力に怯えていた自分を「仕方ない」の一言で宥めることができません。「家族幸せ」と「自分の不幸せ」がずっと対立しているのです。だからはいつまでたっても「自分虐待されていたのではないか」と考えることをやめられません。もしかしたら、死ぬまで解決しない問題なのかもしれません。あるいは、いつかどこかで妥協する日が来るのかもしれません。

 

 いじめセクハラは「された人が嫌がったら」いじめセクハラとして成立する、と聞いたことがあります。では虐待はいつ成立するのでしょうか。親が子を叱るのは当然のことです。時には殴ることが必要になる場面もあると思います。つまり虐待には「された人が嫌がったら」という条件が当てはまらないように思えるのです。私は殴られたことも蹴られたことも、髪を掴まれ引きずり回されたこともあります。嫌だと思いましたし、その暴力が異常だと気付きました。だけどこれが虐待だったかは、何年たってもわからないままで、もしかたらこの先ずっとわからないのかもしれないのです。

2017-09-23

anond:20170922085507

オニイサマをボロカスに書いたレビューは100個ぐらい参考になったをもらった。

珈琲店タレーランの事件簿をボロカスに書いたときは60ぐらい。

逆にりゅうおうのおしごとを褒めるレビューとき20ぐらいで、俺ガイルを褒めたときは18だった。

あれはブコメと一緒で罵倒のほうが評価されやすい。

俺が褒めるのが下手なだけかと思ったけど、Amazonレビューは全体的にそういう傾向で、

KAGEROUなんか☆1の罵倒に参考になったが100以上ついているのがいっぱいあるのに対して、

僕らはみんな河合荘9巻(143人中141人が☆5)なんか、せいぜい50人の参考になったが限界だった。

負の感情の方が共感力が高いなんて嫌な世の中だ。

2017-09-16

地域おこし協力隊を追い出した記事ってファクトに基づいてるの?

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/hbol.jp/150918

「もし本当なら」って留保を付けずに叩いてる人がおおい印象

・・・これってさあ、

クソなパソナとクソな田舎をセットで叩ける美味しい案件から

みんな自分たちバイアスダダ漏れになってね?

こういう予断が許されるのなら、

ああ、ハーバービジネスオンラインってノイホイを持ち上げてた胡散臭いサイトだよね、

って予断もOKなっちゃうんだが

まあはてなの人々って油断するとすぐに内に秘めた差別心などの歪んだ負の感情を漏らすよねー、ってことで

2017-09-13

ずっと夏が嫌いだった。皆楽しそうだけど全然そういうのに縁遠いし暑いし蚊に食われるし。中学高校夏休み部活が相当キツかったせいで更に嫌いになった。

それでも今夏が悪くないと思う自分がいる。FGOのおかげだ。

6月に始めて現在スレベが120を超えているくらい熱中している。星5全然来ないけどとにかく楽しい

FGO夏イベをやり終わって今はネロ祭やってるわけだけど、コイン集めてるとと花びら集まんないなとか考えてると本当に楽しい

まだ夏休みが続いてる。去年までは夏休みなんて早く終われと思ってた。大学に入ったら入ったで、同級生は皆SNSキラキラしてるし花火大会彼女作ってるらしいし自分以外の面子ラーメン食いに行ってるらしいしそもそも誘われてない。

けど、まあそれはそれで良いかなと思える。お前等はリア充活動頑張れ。自分FGO頑張るから。そういう風に思える。どころか、夏も良いと思いなおせる。水着イベ楽しかった。

負の感情を引き寄せないくらいに好きになれるものが出来た事が嬉しい。とにかくFGO感謝したい。

2017-09-08

ディズニーの魅力を教えてくれ

ディズニーランドすげー金かかるじゃん。

四人家族で行ったら3,4マンはすっとぶじゃん。

うち、収入少ないくせに旦那が親に仕送りしてるから貯金もできないし、なによりうちの子供らディズニー行けなくてかわいそうじゃん。

同じ保育園の子どもたちは年に何度も行ってるし、ホテルにも泊まったことあるかいうのもいるぐらいなのにうちの子たちは一回もいったことなくてかわいそうじゃん。

この間、家族でいっしょに行こうってママ友たちに誘われたとき、断る理由考えるのがつらかったじゃん。一瞬カードキャッシングちゃおうかなとか思っちゃったじゃん。

みんなからおみやげもらってつらかったじゃん。旦那の親クソじゃん。

3,4マンたかだか3,4マンなのに、捻出できないとかつらいじゃん。

すごいコンプレックスじゃん。

自分みたいな貧乏人達にとっては負の感情の生成施設じゃん。それなのに凄い魅力じゃん。

anond:20170908065220

2017-09-03

https://anond.hatelabo.jp/20170903182100

一人は私が何について述べているか理解しているようですが

貴方理解していないようですね。

死ねという負の感情は、いずれ貴方自身に返って来ます因果応報というものです。

2017-09-02

真木よう子さんのコミケ参戦問題を整理してみた。

現時点で、本人が参加を辞退している以上、もう掘り起こさなくても良いんじゃないかとも思うけど、今回の件で色々と考えさせられたので、自分の中のもやもやを整理するためにこの日記を書いています

なので、自分と違う価値観の方には全然落ちてこない内容かもしれない。そして私は、コミケ同人誌即売会というイベントサークル参加した経験はないが、一般参加は何度もした事があり、友人に同人サークル活動をしている人もいて売り子で協力した事があります。このため、出来る限り中立的目線を持ちたいですが、所謂コミケ参加者側の"オタク"の価値観に寄った意見になる事をご容赦ください。

ただ、自分にも真剣応援している推し俳優がいるので、今回の一連の騒動はなんだか他人事とは思えなかったので。

まず、問題は一つではなく複数あり、複数問題が複合的に重なった結果、今回の騒動が起きてしまったんだと思う。混ぜて話すと分かりにくくなるので、1個ずつ取り上げてみることにする。

また、「真木よう子コミケ参戦を促した黒幕別にいるか彼女には何も落ち度はない」という意見もあるかもしれませんが、ここでは論点が少しずれるので詳細には言及しないこととします。

まず問題なかった点というか、これは是非とも賛同したいなと思えた点から

問題なかった点】
写真集作成するということ

オタク普段から表現の自由を訴えている癖に、彼女表現する機会や表現する自由を奪った」という記事意見を多数見かけたが、コミケ参戦反対派のオタク(以降、便宜上オタク」と略す)の中で「写真集作成する」という行為自体否定している人はほぼいなかったと思う。写真集作成し、彼女写真エッセイ等で自分自身表現すること自体はとても素敵で素晴らしいことだ。今回は残念ながらプロジェクト頓挫してしまったが、今後また別の機会があれば是非とも再挑戦してほしい。

ただしその時は、その作品を発表・発売するのに一番適切な環境手法について熟慮して頂くことを心から願いたい。

問題があった点】
◆「クラウドファンディングによって多額の資金を募った作品」をコミケの「アマチュアサークル」として頒布しようとした事

これは既に多くの記事でも言われている通り「クラウドファンディング自体資金集めの手段としては画期的であるし、彼女応援するファン支援できる、という事は全く悪いことではないと思う。ただ、「クラウドファンディング」というビジネスモデルに頼って「多額の出資金」で作成された「プロライクな作品」を「コミケアマチュアサークルとして頒布する」となると、やはり違和感が拭えない。

正式ルール化されていなくても、アマチュアサークル作品を作り頒布する人のほとんどは、例外を除き自費制作が主流。これは、出す作品同人誌でも写真集でも雑貨でもCD映像作品でも一緒だと思う。当然、自費制作なので多額の資金を準備するのは大変だし、制作数にも限りがある。そういう制約の中で最大限の努力をして、自分作品を出す。コミケというのはこういうDIY精神ベース根付いているし、そういう人達の活力で出来ている。

クラウドファンディング」の「制作したいものがあっても資金がないので、パトロンを募って出資してもらおう」という精神は今の時代の風潮に合う素晴らしいものかもしれないが、「コミケ」の中の主流である自分達の制作頒布するもの基本的自分達の資金力・能力範囲内で準備する」という精神とはやっぱり相容れない部分が大きい気がする。

多くのオタク拒否反応を示したのはこの部分のはずなので、同じことを別の人がやってもやっぱり叩かれていたと思うが、真木さんほどの有名人がやろうとしてしまったことが大炎上に繋がったのだろう。

コミケ企業ブースであれば、出展料金はアマチュア向けブースよりもかなり高くつくものの、そもそもが商用のスペースなので、企業ブース出展する企業コラボレーションして参加するという話であれば、もしかしたら成功していたかもしれない。(企業ブースには声優等の有名人が登場することもある)

真木よう子さん自身目的を達成するにはコミケアマチュアサークル向けスペースが不適切すぎた点

何故コミケに参加したいのかという質問に対し、真木さんは「ファンの方と交流したい」という回答をされているのを拝見した。コミケは、確かに作品頒布者とそのファン交流できる場でもある。ただそれは、あくま作品頒布する際に生まれる「副産物」であって、そもそもファンとの交流に適した場所ではまったくもって無い。

コミケは、毎年ニュースになるほどの人混みになる。アマチュア向けサークルブース基本的に長机を半分で1サークルが使い、サークル側の1ブース内に入れる人数は2人程。大手サークルでも2スペースで長机一つ分。一般参加者が歩き回れる通路もとても広いとは言えず、移動したくても身動きが取れなくなってその場で立往生するなんてことは当たり前に発生する。人混みではない場所でもブースの周りにずっと人だかりが出来ていたら、近隣のサークル迷惑がかかる。そもそも、入場するまでの待機列から目的場所に辿り着くまでに3~4時間以上経っている…なんてことも当たり前に起き得る。夏コミなら炎天下灼熱地獄の中で長時間外で並ぶことになるし、冬コミなら早朝の凍え死にそうな寒さの中で長時間並ぶことになる。

そんな場所で、所謂有名人である彼女が参加することで起きるであろうリスクを考えるのは簡単だろう。コミケ参加者彼女ファンを問わず真木よう子というネームバリューがあれば大量の人達がそのブースに押し掛ける。コミケ参加に不慣れな彼女ファンコミケ常連客との間でトラブルが起きるかもしれない。それによって、近隣のブース作品頒布するサークル迷惑行為被害が及ぶかもしれない。コミケに不慣れなファンが長時間外で並ぶことで体調不良者が続出したり、救急車が出動することもあるかもしれない。

こういった可能性に対するリスクマネジメントをきちんと行い、徹底的に対策することまで考慮されていたのかは定かではないが、少なくとも頒布する場所コミケではなく、個別に専用の会場を抑えてファンミーティング握手会等といったイベントを開催した方がよっぽどリスクが軽減されるはずである。それに、彼女程の女優であればそのようなイベントを開催することも可能なはずだ。つまり芸能人ファンとの交流に重きを置いているのであれば、コミケという場は正直不適切しか言いようがない。

これは、自分推し俳優に当て嵌めて考えても、やはりコミケに出たいと言われたら絶対に全力で反対するだろうし、専用の会場を抑えてファンイベントを開催してくれた方が正直何百倍もありがたい。というか、あん過酷空間推しを放り出すのはファンとしてとてつもなく心配である

あとこれは、個人的意思が多分に含まれるが、コミケというのはそもそも芸能人ファン交流の場ではないので、それを正々堂々と「ファン交流のためにコミケに参加したい」と芸能人が言ってしまうのはコミケ私物化したいと言っているようにも捉えられかねないと思う。やはり、ファン交流目的ならば別の会場をブッキングするべきである

もちろん、今年の夏コミでの叶姉妹のように上記リスクを全て懸念の上、事前のリサーチ対策を徹底的に行い、かつ準備を入念にしているというのをアナウンスをしてくれれば「そこまでしてでも参加したいのであれば…」と参加を応援する声が増えていたかもしれない。コミケに来るオタクの一部は、とてもトラブルに敏感である。そして「有名人が参加する」という事はそれだけでアマチュアサークルの何倍ものトラブル勃発の可能性を内包している。有名人アマチュアサークルコミケ参加にはそれくらいの差があることを、彼女ファンの方々にも是非知って頂きたい。

◆本プロジェクトを発表するタイミングとその内容の詰めが甘かった点

これは想定の話になってしまうが、発表時点で「クラウドファンディング写真集作成をする」という事だけが公表されていて、「コミケ参加」は当選が確定した後に発表されていれば、ここまで批判する者はいなかったように思える。もちろん、コミケ参加を発表する際には、先述のリスクに関する対策案も同時に発表しなければ結局炎上していた可能性はあるが。

毎年多数のアマチュアサークルからの応募があるが、その分落選するサークルだっている。そういった背景があるにも関わらず、確定前に「コミケに参加する」という発表をするのは「芸能人からたぶん当選するだろう」という驕りにも見えるし、「コミケ」というキーワードを使えば話題性高まるのでクラウドファンディング資金集めをするネタにしようとしていたようにも見える。この辺も、オタクから反論を買うことになってしまった要因の一つだと思う。

そもそも事務所意向に反する活動が出来ないと言っているのに事務所的にクラウドファンディングというビジネス彼女個人で実行するのは問題ないのか?

この辺は所属事務所規定にも関わってくると思うが、本人のみで完全に非公式プライベートコミケに参加するというのであれば、会社員をやりながらコミケに参加するアマチュアサークル形式は一緒な気がするが、クラウドファンディングというのは一つのビジネスであり、実際の必要経費よりはかなり少ない額とはいえ800万円もの資金所属事務所を通さず、大々的に公表して集めて、事務所から何も文句は言われないのか?というところも疑問である

コミケという場を借りててっとり早く本を出すよりも、少し時間はかかるかもしれないが、事務所相談するなり、事務所移籍するなりして、事務所側に彼女自身が望む企画理解してもらえるように働きかけるべきだったのではないかと思う。

今となっては、あの発表内容に書かれていた文章が、本人による言葉なのかどうかは分からないが、ファンから集めたお金を使う以上、沢山のファンコミケに関わる全ての人が閲覧できる場所で、あの内容を「本人の言葉」として発表する事を許容してしまったのは、一端の大人であり、女優という注目されやす仕事をしている社会人として、あまりにも配慮が足らなかったと言えると思う。

SNSでの発言内容やその使い方に配慮の無さが際立ってしまった点

これは、かなり個人的意見になるが、Twitterにて批判を受けた際に、数あるリプライの中から特に暴力的ツイート引用して、謝罪文投稿した事は正直ドン引きだった。彼女の元に来ていたリプライを見ていた人なら分かると思うが、その中には暴言だけでなく、建設的な助言や意見が多数寄せられていた。にも関わらず、謝罪ツイートにそれらの意見引用するならまだしも、敢えて特別ひどい暴言引用した意図が全く意味不明だった。

正直、自分ファンに「こんな酷い暴言を受けても謝罪しているアタシって可哀想」というアピールをしているように見えても仕方ないやり方だった。事実、その後Twitterでの論争は更に広がり、彼女擁護派対オタクでの言い争いが巻き起こっている。こういった状況を誘発する事すら想像できなかったのだろうか。

世間には何も考えずに心無い暴言を吐く人間が山程いる。特にTwitterをやっている有名人というのは、そういう人間には格好の餌食だ。そういうのを真に受ける必要はどこにもないし、逆に相手にすることによって、相手負の感情助長してしまう事もあるので、そういう相手へのスルースキルを持つべである

逆に、彼女のことを親身に考えてアドバイスをしていたオタクファンも沢山いたのだから、そういう意見尊重引用すべきだったのではないだろうか。そうすることで、擁護派の人もオタク意見に寄り添えたかもしれないし、オタク側の理解者も増えていたと思う。少なくとも、今よりもう少し、平和な状況になってたと思う。

このTwitterでの一連のやり取りから感じた彼女への印象は、SNS煽り耐性の無い人なんだなぁ、という印象である。仮にも34歳の立派な大人なのだからSNS発言すること、インターネットという世界中に開かれた場所情報を発信する意味を、もっときちんと考えるべきだと思う。

最近この騒動を受けてか、Twitterアカウントを削除されたようだが、一旦彼女自身SNSとの距離感を考える良い機会になってくれたら良いなぁと思う。

…以上が、一連の真木さんのコミケ参入に関する一連の騒動への所感です。素人意見なので、色々と間違っているところもあるかもしれないですが、自分なりに整理してみました。

長々とお付き合い頂きありがとうございました。

いつか真木さんご自身が、これらの問題をすべてクリアにして作品を発表できる事になったら、その時は快く応援させて頂きたいですね…!

その日が来ることをお待ちしております

2017-08-26

MマスPこわいよ、おちつこうよ

ガチャだったり担当露出度だったり他Pの態度だったり、諸々不満をもつことってあるよね、人間だもの

いやでも、自分不快なことだったり嫌なことだったりを、全部まるっと「悪いもの」「存在してはいけないもの」みたいに扱うのって弾圧だと思うの

他Pよりもガチャイベント頑張ってて、CDも買って、コンテンツのために一生懸命お金を払ってるってすごいと思う。

それなのにライブにいけないって悔しいし、他Pが軽い気持ちで行けてるの見たら怒りがわくと思うし、嫌な気持ちでいっぱいになると思います人間として当然の感情の流れだと思います

でもそれって、「嫌なこと」だけど、「悪いこと」「正しくないこと」にしてはいけないと思うんですよ。

どんなことを思ってもいいけど、負の感情を抱いたことを理由に、他の人の楽しみ方を規定したり行動を制限するようなことって、超えてはいけないラインではないかなって。

それって、不機嫌で人をコントロールしようとする毒親DV加害者と何が違うかなって。

SideMだけに限らないんですが、女性向けコンテンツって「自分コンテンツを楽しむこと」よりも「他者が不誠実にコンテンツを楽しんでいないか」みたいなところに目をむけてしまいがちで、すごい自縄自縛におちいってないかなってたまに思います(これはただ印象で言っているだけですが)

何が言いたいのか分からなくなりました

あれです、「正しく楽しむ」みたいなのって出来ないしそもそも方法存在しないでしょうし、

だったら無闇に人を萎縮させるようなことってしない方がいいんでないかなっていうひとりごとでした(治安悪そうな街に人は寄りつかないよね、引っ越すよねっていう)

2017-08-24

言葉の鮮度

言葉には鮮度がある。

たとえば会話なら言葉を発した瞬間、聞いた瞬間がもっとも鮮度が高いと思う。

そして当然ながら鮮度というのは落ちる。

時間が経てばそのとき言葉と共にでた感情の鮮度も、良くも悪くもその時のままというわけではない。

数日前、私は恋人と別れた。

きっかけになったのは私が趣味で書いていたブログだった。

数カ月前、当時感じていた彼への不満やいら立ちをブログに零したことがあり、その一文が彼の目に触れてしまったのだ。

ブログスクショをとり私に見せ「こんな風に思ってたんだ」と、その目には失望の色が浮かんでいた。

正直書いたことすら忘れていた私は、これはこのブログを書いた当時の感情であって今そう思っているわけではない、と弁明したが彼にその言葉は届かなかった。

当然だ。私の中ではとっくに鮮度切れのブログの内容でも、彼にとっては今まさに新鮮な言葉として入ってきたのだから

ツイッターなどを見ていても数年前のツイートなどが急にリツイートされたり、話題になったりする。

そんなときツイートした本人は「随分昔のツイートなのに」と思うが、初めてその内容を目にした人にとっては今が一番鮮度が高いのだから仕方がない。

昔の作家の本などが現代にもずっと残っているのも同じ仕組みだろう。

今回の事で一番傷ついたのは彼なのだが、改めて自分負の感情を目にしたことにより当時の私にも嫌気がさし、しばらく自己嫌悪に陥った。

鮮度切れだと思った言葉は、当時とは別な感情を伴って私の中に入ってきた。

今後、言葉を残すなら前向きになれるプラス言葉を発するようにしよう。

時間差で自分や誰かの目に触れるかもしれない言葉なら、負の感情を伴う言葉はなるべく残さないようにしようと思った。

2017-08-19

十代後半から二十代半ばにおける感性の変化について

『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』という

言論ネットサーフィン中に見かけたので、今回はその言論について反論しようと思う。

結論から言うと、『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』は

である

漫画絵を描こうとペンを握ってから、そろそろ十年が経とうとしている。

当時十台前半だった自分は二十代も半ばに差し掛かり、自分を取り巻く環境が変化していくにつれて、

絵を描くための感性質的な変化がみられたように思う。今回は絵を描くための感性質的な変化について

書き記していきたいと思う。

感性の変化その1:パッション情熱)が低下した

十台の頃と比べて、二十代の自分パッション情熱)があらゆる分野に対して低下したように思う。

それは漫画絵を描くことに対しても例外ではなくて、漫画絵を描くことに対するパッションが十代の頃と

比べて今の自分は遥かに低下したように思う。

良いようにいうと『精神的に落ち着いた』、悪いようにいうと『情熱的ではなくなった』というべきか。

十代の頃の自分は、いつも焦燥感に駆られており、精神的に全くといっていいほど落ち着きがなかった。

その落ち着きの無さは絵にも顕著に表れていて、十代の頃の自分の絵には日常生活で感じた嫌なことや

悲しいこと、そして何より自らの感じていた焦燥感が率直に表現されている。稚拙表現になっている箇所も

まだまだ多いが、見るものに対して何かを訴える力にあふれている絵が多い。

から十代の自分の絵を見ると、未だに当時常日頃から感じていた感情を想起させられてしまうことも多い。

だけれど二十代の自分の絵を見ると、そういう風な負の感情をあまり想起させられることはない。

それは二十代になった自分精神的に徐々に落ち着き始めたせいではないだろうかと思う。

自らの落ち着きが反映された結果、二十代の自分は絵に対して自らの心情ではなく、人や物がもっている「美しさ、きれいさ」を

素直に絵の中で表現するようになっていったように思う。

(十代の頃は、美しさやきれいさを絵の中で表現するだなんて偽善くさくて嫌だ!!と思っていたのはここだけの話である

今の自分はどす黒い感情よりも美しいものに惹かれることが多いのだ)

感性の変化その2:他人自分を比べてもあまり腹が立たないようになった

他人自分を比べた際に生じる嫉妬という感情は、人間が生起する感情の中で最も醜い感情だといわれている。

絵描き嫉妬権化だといわれており、他人自分の絵を比べることで強い嫉妬を抱かなかった経験

持つ絵描き殆どいなかったといわれるほどだ。

まりそれくらいに絵描き嫉妬という感情と隣り合わせになりながらペンを握っているということなのだ。

もちろん自分例外ではなく、自分より上手い絵を見ては嫉妬し、粗を探し、そして反骨精神で上達するというサイクルを

繰り返し続けている。もちろん今も基本的にはそうである

だけど二十代も半ばに差し掛かった今の自分嫉妬の強さと、十代の頃の嫉妬の強さを比べてみると、

やっぱり十打の頃に感じていた嫉妬の方が幾分強いように思う。

十代の頃の方が感情的になることが多かったから、当然といえば当然か。

二十代の今は、他人自分を比べてもさほど強い嫉妬を抱くことはなくなったのだ。

自分自分他人他人他人自分を分けて考えられるようになってきたと思う。

それにすごい絵を描く人を見ても、自分確立してきた絵を見返すことで平静を保つことができるようになってきた。

何より二十代の自分には、勉強して練習すれば、いくらでも自分は上手くなれるんだという確信がある。

からさほど嫉妬することはないのだろうと思う。

自分より上手い絵は、魅力的な絵は、二十代の自分にとってはすっぱい葡萄ではなくなった。

すっぱい葡萄ではなく、到達可能な具体的な目標になったのだ。

感性の変化その3:良いものが見分けられるようになった

目が肥えたとでも言うべきなのだろうか。

二十代の自分は、良いものと悪いものを見分けられるようになった。

自分の心を揺さぶられるようなものしか興味がなかった十代の頃の自分は、物の良し悪しもわから

とにかく目の前にあるものを吸収しようとしたが、今の自分は目の前の物の良い部分だけを吸収しようとしている。

その結果、目が肥えた。

目が肥えたのでよりシンプルで良い絵が描けるようになった。

まとめ:

二十代の自分は、十代の自分と比べると、情熱嫉妬心を無くした。だけど精神的に落ち着いたおかげで

より洗練された良い絵が描けるようになってきた。

結論

『二十代になると絵が上達することはなくなる、感性が衰えて良い絵が描けなくなる』という言論なんて嘘。

もちろん十代のような絵は描けなくなるが、二十代には二十代なりの良い絵を描くことができる。

以上。

世代ギャップと怒り

俺はもう40代半ばで、学生だった時間よりも社会で働いてきた時間の方が長くなっている。

から、いまさら学歴なんてこだわりたくない。そう理性では思っている。

しかし、昨今のTVクイズ番組とかで芸能人出身大学が強調されたり、「いまは大学全入時代

とか言われて、大卒当たり前で、非大卒非人間のように扱われる風潮に対して、正直、怒り狂う。

俺の世代は、いわゆる段階ジュニア世代で、就職氷河期世代

俺も高校までなら、一応偏差値60より上の高校には行った。だが、いろいろあって大学には行かなかった。

俺の就職する時代は、年々就職環境が厳しさを増していた時代だった。下手に大学に行ったら、それこそ

就職する先がなかったかもしれない。

俺と同世代には、非正規労働者として苦労している者も多い。俺は幸運にも、それなりに安定した働き口が

あって、そこにいままで務めてこられた。

それでも、俺は非大卒だ。卑屈な学歴コンプレックスだとはわかっている。

俺はこれからも、この負の感情を持ったまま生きていくだろう。

学歴価値とかそういうものは、世代によってまるで違うというのに。

俺は静かに怒り狂う。

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