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はてなキーワード: 負の感情とは

2024-03-16

anond:20240315142305

から中学だけど、生まれから辛いとか負の感情なんてなかったよ!

世間の人は何言ってるんだろう?って謎すぎる

自分趣味かいろいろ満足にできないこともあったけど、子供で来たら子育てが最大の娯楽なんだから大満足だよ

みんな自分の子供大好きじゃないの?って思う


家庭それぞれ差があることは理解するけど、あえて思いっき主観100%だとこんな気持ちだわ

2024-03-10

悪口雑言を内側に向けてしまタイプ

 これは自慢でも何でもなく、真剣な悩み。

内側っていうのは、もれなく矢印を自分自身に向けてしまうという意味だ。人への愚痴や陰口、悪口罵倒ができない。その代わり、自らに向ける汚い言葉は沢山出てくる。だからそういう時は、外部との接触をすべて絶って、一人で汚い言葉に向き合う。

 学校バイト先に行くと、(ネット、あるいはここもそう、)さまざまな悪口や陰口が飛び交っている。私もたまに、友人たちのこぼす負の感情を聞く。私はそれらに「悪いこと」という感情よりも先に、「すらすら言葉にできるなんて凄い」と思ってしまう。何も言えないのだ。言えないし、分からない。

 今日、かかっているカウンセリング先生から、「〇〇さんは孤独に過ごしているみたいで心配」と言われてしまった。自らに悪口雑言を向けている時は、前述の通り外部との接触を断つ。別に悪口は言ってもいいのだ。少しくらいは。先生が言うにはそうらしい。

ストレス発散には、多少汚い言葉を吐くことも必要なのだろうか。本当に言えない。自分には溢れるほど出てくるのに。今も、何でこんなこと書いているのかと、ずっと自責している。

2024-03-08

原作アンチをしながら同人誌を作るオタク

本人たちは「アンチなんてしていない」と口を揃える

なのに原作の話の流れが気に食わないとつまらないつまらないって叫んでいる。

こういう展開にしろって俺の考えたさいきょー展開を垂れ流している。

原作者の人格否定している。

からすればそんなのアンチ以外のなにもんでもないんだけど…

不思議でならないか原作悪口を言いながら同人誌を作るオタクがこれを読んだら教えてください。

なんで同人誌作ってんの?

原作を楽しんでる私からしたらアンチしか見えないんだよ。原作者の悪口を言う人間なんて目に入れたくない

自衛はしてるよ

けど君たちがまるで普通ファンのような顔してそこに存在してやがるのが無性に腹立つ時があるからこれ書いてる

こういうことを言うと少しの否定意見も許せない盲目信者扱いされる。まあ好きだから否定意見を見たくないのはあるんだが…

でも同人誌出しながら悪口言ってる人たちはその悪口言ってる作品原作者が死に物狂いで描いてるキャラを使っている自覚あります

作品感想なんて自由だよ

悪口なんてみたくないけどそこはこっちが自衛するよ

でも同人誌出しながら原作負の感情を撒き散らすオタクは大嫌いだ

存在してほしくない

同人誌出してたら文句言ったらダメなのかって言われたら私は迷わず当たり前だろって返事するよ

やめてから文句言えよ

なぜやめない?

2024-03-06

anond:20240306140444

これ、今は負の感情が「直接傷付けた」父親に向いてるけど、時間が経って思い出したときに「止めずに写真を撮って、気持ちに寄り添ってくれず、間接的に傷付けた」家族にも向くから。私は向いた。

なんなら、考えなしな父は諦め、無神経な母の方にヘイトが向いた。私は。

2024-03-04

職場の人

他人悪口言いまくったり嫌がらせしたりするの自分感情抑制したりコントロールできなくて"どうしてもそうしてしまう"んだなと気づいた

増田がどんなに頑張っても人の名前覚えられなかったり使った物片付け忘れちゃったりするのときっと一緒なんだろう 脳の特性がそうなってるんだな

"感情のまま周囲に負の感情を撒き散らさない"ということができなのかもしれないと理解したらああそうなのかってなった

自分簡単にできること他人もできるとは限らないってわかってるけど、いざ自分が全く苦もなく当然のようにやってることできない人いるとわざとやってるのかな?と思っちゃうのは定期的に思い出す必要がありそう

増田も人の名前覚えないし間違えるの嫌がらせか?とか使ったもの置き忘れるの片付けるのめんどくさくてわざとか?とか何とか思われてるかもしれんしな 肝に銘じておこう

2024-02-26

なぜインフルエンサー駆逐せねばならないのか

なぜ、インターネット悪口を書きにくくなったのか。私はその原因を知っている。匿名がどうとかい問題ではない。簡単結論から言えば人気者の巨大化だ。

推し」という言葉流行っている。本来「推す」はある地位に推薦するという、限られた意味言葉であるが、昨今単に「好き」を置き換えたとしか思えないような形で濫用されている。この「推し」という概念は言うまでもなく欺瞞である悪辣アイドルグループ双方向性を捏造するために広めた概念だ。コンテンツ消費者数字ではなく、一人の意思のある人間として扱いますという嘘だ。人のことをなんとも思っていない「人気者」とコンテンツ産業が、人々から承認を奪うために蔓延させた害悪である

人気者とは、限りある人の認知リソースに食い込む能力に長けた人物のことで、要は好かれる性質を持った人間のことだ。インターネットはこの好かれる性質を使って金を稼ぐ狩り場に成り果てた。なぜ私が、「限りある」と強調するのかというと、人が人に抱く感情は有限の資源だと考えているかである。つまり、「人気者」に向けられる感情の総量が多くなればなるほど、私達が身近な人たちに無関心になっていくということだ。ビジネスという動機付けによって狂ったように加速していく双方向性や身近さ、帰属意識捏造は、私達のコミュニティ破壊している。私達はコミュニティから得ていたものコンテンツから摂取するようになり、身近な人と人との繋がりに感じる価値絶対的に低くなり続けている。身近な他者との繋がりではなく、「推している物事」が自己規定するようになる。限られた一部の巨大化した人気者に人間感情は集中して向けられる。つまり自己規定も、その多様性を失いつつある。

アイデンティティ商業的に画一化された社会で、何か物事に対してネガティブなことを発言するのは、その物事存在依存した大量の人間を傷つける行為だ。インターネットの人気者に対して有象無象友達のような態度で褒め称えたり慰めたりする光景を見たことがあるだろう。遠く離れた手の届かない人間友達だと勘違いさせられた哀れな人間が、友達成功を喜び、友達悪口を見聞きして傷つくわけだ。なんて馬鹿らしいことだろう。コミュニティ破壊され、「推し」が自己規定するようになった人間が増えると、悪口の影響が不必要に大きくなる。これがインターネット悪口を書きにくくなった大きな理由の一つだ。

私はインフルエンサー悪口を書くべきだと考えている。誹謗中傷をするやつは画面の向こうに人がいることを忘れた~とか間抜けなことを抜かすやつがいるが、それは人から好かれる性質を楯に欺瞞を広め数字を稼いで人間生活破壊しているインフルエンサーにこそ当てはまる指摘だ。巨大化した人気者に人間の、限りある負の感情を集中して、巨悪を打ち倒すべきだ。自分行為と人々に感情を向けられて得た利益を棚に上げて、受けた被害ばかりをことさら強調する悪党を、許してはいけない。そして悪口によって沢山の人を傷つけることで、「推し」が自己規定するようになってはいけないという、極々普通の当たり前のことに気付かせるべきだ。そして、嫌いなものがある人間面白いという、当たり前のことにもう一度立ち返って、私達は、私達の隣人と慎ましく暮らそうではないか。もう一度、愛と尊敬の念を持って、私達の身近な人々と日々の生活を形作ろうではないかインフルエンサー駆逐せねばならない、と強く思う。

2024-01-29

anond:20240128182712

全然矯正されない、、いや、なんだかんだずっと一人になれない環境でなんとかやってるのだから矯正されたのかな?

1個アドバイスにもならないアドバイスというか、最終手段かもなんだけど、期待しなければ割と耐えられる

辛いとか悲しいとか怒りとかは相手環境に期待しているから生まれてくるものなので、そこに希望を抱かなければ負の感情も生まれにくい

一人になれないのが辛い人って未だ一人になれるかもという希望を持ってるんだと思うんだよね

から今後の人生でもうひとりの時間を楽しむっていう選択肢は消してしまう。選択肢があると思うからつらくなる

自由に空を飛び回れないって理由しんどい人間っていないと思うんだけど、

もし自由に飛び回れてた人が飛べなくなったら絶望半端ないと思んだよね

周りの友人が飛び回ってるならなおさら

から最初からそんな選択肢はないのだと納得してしまうと良いかなと

そしてそれはそんなに悪いことじゃないのよ

2024-01-26

anond:20240121221433

3話まで見たけど、ブレイバーンとイサミの感情のズレをああも繰り返し見せつけられると、ブレイバーンがただ他人の話に聞く耳持たない自己中というより、実はイサミの嫌悪感とか負の感情ブレイバーンにとって美味しい餌になってるんじゃないかと思えてきたわ。

2024-01-24

anond:20240124202726

9:1くらいで増田に非はないと感じる。

その前提で、相手先行ブロックしていたのは、増田に頼らず自分の力だけでやってみたかっただけかもしれないことを言っておきたい。負の感情がなくてもブロックすることはある。

ただ、その上で増田不快に思う気持ちは当然で、増田の行動は確かに行きすぎた部分もあるかもしれないが、その位は言う権利があると思う。意趣返しでもなんでもなく直球で文句なのだから、これはもう仕方ない。

ただ、A子さんは恐らくスキルとして自分のまずいところを察知する能力も切り分ける能力もない。

から、そこは諦めるか諭してあげるかしてあげてほしいなという気持ちはあった。

でも、この手の人に諭してもヘイトをためて向こうが絶縁してくるだけなので、どちらにせよ不毛である

お疲れ様でした。

2024-01-18

anond:20240118155947

インスタに子供写真とかハイスペ彼氏写真を上げまくってる女子サークル時代はパッとしないか

埋もれていた人なので、「満たされている」というよりかは「満たされてなかった」人が取り戻してる感じがあるな。それで今は満たしている最中なんだと思っている。


でも「受け手を喜ばせる情報」ではなくて「発信者である自分を喜ばせるための情報」を永遠に見続けるのはストレスなので、2ヵ月くらいたったらミュートにしている。


カッコいい彼氏ができた、子供ができた、そこで舞い上がって自慢するのはわかる。

こちらも近況がわかるし、素直に喜ばしいと思う。

でも舞い上がりの時期が終わって、興味が無くなっても、

いつまでも需要の無い同じ情報を発信してくるのはささやかな加害だ。


相手の底の浅さが見える。飽きる。飽きると粗が見えてしまう。

「あ、こいつマウントしたいんだな」と思ってしまう。「そういえばこいつパッとしなかったな」「愚痴ばっかりだな」「ガキの顔上げながらガキの愚痴言うの頭おかしくないか?」「なんで知らない男の笑顔見なきゃいけないんだ?ちょっと男の顔も呆れてるし」

負の感情が増えていく。

妬みや恨み、その果てには。「お前さ、俺の事馬鹿にしてるんだろ?言えよ!」

ってなってくる。そうなったらそっとミュートする。人間性を疑う場合ブロックしておく。

ストレスを貯めないのが人に優しくできるコツだ。

2023-12-31

>あまりにも口調が荒い意見、偏った意見、もはや憎悪でしょそれ…みたいなダイレクト負の感情

ウチら本家やし😤

Twitterくんにちょっと疲れちゃった

Twitter、本当に色んな意見が聞けるから目から鱗ときや見え方が広がるときもあるし、バズによっては日常生活じゃ辿り着けない話題に辿り着けたり(最近だと素敵な短歌を知れました^^)するから大好きなんだけど、最近ちょっと疲れちゃったな

まりにも口調が荒い意見、偏った意見、もはや憎悪でしょそれ…みたいなダイレクト負の感情に晒されすぎちゃった

からこんな時間になるまで増田でひとりもそもそ日記書いてる

優しい人だけフォローしてても、TLの更新止まったら退屈になってついついおすすめを見てはしんどくなるのを繰り返してるから、思い切ってアンインストールちゃおっかな

いつかまた優しいTwitterに戻りますように

2023-12-19

anond:20231217212104

相手男性で同じ態度とられてもこんなケチョンケチョンに言うんかな?言わんやろな。

善意忠告したのに嫌な態度されたのは気の毒だけど、そのエピソードの書きぶりからし女性に対する負の感情を感じ取られたんだよ。

2023-11-27

認知症祖母が亡くなった

喪服に腰回りが入るか心配をする季節。祖父三回忌がもうじき行われよう、という頃であった。


祖父を追うようにして、と言うには少し年月が経っていた。そして、三回忌になる祖父の死を、祖母認識できていたかは、はたしてわからない。


介護4。祖母認知症を患ってから、もう20年は経っただろうか。


合掌。


**


戦前を知る祖母海外旅行が好きで、アルバムが何冊もある。そのほとんどをめくったことはないし、思い出を尋ねたこともないが…。実に惜しいことをした。


裁縫が得意で、幼少期に好きだったゲームキャラクターぬいぐるみを、ねだって作ってもらったことがある。手作りプレゼント、と思い返すと、今でも気持ちがあたたまる


祖母は長年、自営業だった祖父会社経理を務める傍ら、学童保育なんかの地域活動に勤しんでいた。60歳を過ぎたあたりで、そうした仕事縁が切れてしまったようで、毎日特にすることもなく、会う人もなく、自室に籠りがちになった。


特に具合が悪いとは聞いていないが、時おり部屋を覗きに行くと、散らかり放題。まず、足の踏み場がないくらい服が散乱している。万年床で力なく横たわる祖母の頭上には、布マスクが何枚も干してあり、床には消費期限切れのあんぱんやバナナが、袋に入ったまま潰れている。


当時はげっそりするばかりで、祖母を慮ることができなかったが、おそらく、鬱だったのだと思う。社会に、自分の居場所がなくなってしまったのだ。家族でさえも、居場所を作れなかったのだと思う。


おばあちゃん、なんかヘンだね、と家族話題にあがることもあるが、「しっかりしてよ!」と本人に言うくらいで、解決のしようがわからない。これからしばらく経つと、祖母の口から物や人の名前が出てこなくなり、めっきり口数が減った。


**


次いで、認知症らしい症状が出てくる。


自分食事が済んで部屋に戻ったあとで、入れ歯咀嚼時間がかかり、食事の遅い祖父に対して「まだ食べているのか」「洗い物ができない」と小言を言いにくるようになった。…3分おきに。


まりに頻度が過ぎるので、逆に祖母咎められる始末。でもまたすぐに、小言を言いに戻ってくる。まるでコントのようだが、本人の言い方は鬼気迫っている。見方によっては、祖父にだけは強く出られる、…それは愛情だったのかもしれない。


わかった、わかった、と折れるが食事の終わらない祖父。 その後、また小言を言いにくる祖母祖母老人ホームに入るまで、夕飯時はこのシーンが毎日、繰り返されることになる。


**


振り返って、認知症の決め手に思えたのが、「死んじゃいたい」という祖母発言だった。小言を言うようになって1年ほど経った頃に、祖母ふいに口にしたのだった。


なんてことを言うんだ…! …と驚いた。家庭に、希死念慮のある人がいるとは。


「情けないよ、死んじゃいたいよ」


これを何遍も繰り返す。認知症の人は、直近の出来事記憶はなくなっても、腹が立った、哀しかった、恥ずかしかった、という感情は残るのだという。おそらく祖母は、このときには自身認知症をはっきり自覚していて、それに伴う負の感情が、いよいよ堰き止められなくなったのだろう。


これはもう家族の手に負えない、と思って診断を受けてもらうと、当時は軽度ではあったが、やはり認知症認定をもらったのだった。遅かった、と悔やむが、早ければどうにかできたのだろうか。接し方くらいは、変わったかもしれない。


買い物は危ない。出先で声をかけられたのか、家族登録済みの生協個人でまた登録してしまったり、フルーツ訪問販売に食べきれないほど買わされそうになったり、人の良さや判断能力の鈍さに"付け込まれる"ことは多々あったが、それでも祖母は、自宅で自分身の回りのことをやれるだけの元気はあった。


**


我が家ではねこを飼っている。認知症祖母にとっても、ともに同居する家族にとっても、ねこ存在は救いだったと思う。


相変わらず祖父への小言は絶えなかったが、ねこを愛でるときは、祖母本来の、やさしい気質を感じさせた。


**


祖母と過ごした時間は、祖母認知症を患ってからの期間の方が、ずっと長くなった。


もう祖母の思い出というと、例の夕食のシーンがほとんどだったが、あるとき反物をもらったので、これを浴衣にしてほしい、と無茶を頼んだことがある。


「ずいぶん久しぶりだから、どうかしら…」

ちょっと困った顔をしていたが、やるだけやってみる、と十数年ぶりかに、針と糸とを手に取ってくれた。


数日後、ちょっと丈の短い浴衣が完成していた。物が出来上がったこともうれしかったが、大変だったのよ、とこぼす祖母の"小言"にも、うれしさを感じた。


**


それから私は家を出て、LINE家族から近況を伺うか、たまに帰ると名前を忘れられている人になるか、そういう距離感祖母と接していた。


認知症が進み、施設介護必要になってきた。ショートステイから始めて、遂にホームに入居するようになった。相変わらず、祖父食事が遅いが、それを咎められることもなくなり、家は静かになったそうだ。


一方で、祖母ホームではよく食べるようで、自宅にいた頃よりもがっちりとした姿を写真で見せてもらっていた。


**


一昨年、祖父が持病で亡くなった。


"長生き"が目標。90歳を超えて、呼吸や聴力、咀嚼に難はあったが、認知能力問題はなく、足腰は丈夫で、最後まで自分身の回りのことはこなしていた。友人には先立たれ、お金もあまりなかったようだが、酒と煙草はやめられない。…適量でね。カメラ高校野球が好きな、元気な人だった。大往生だろう。


年齢からすると、祖母大往生と言える。ただ、人生の後半20年は、認知症との並走だった。家族も辛かったが、本人も辛かっただろう。どんな心境だったか、皆目検討がつかない。


本人が「情けなくない」と自分安息できた瞬間は、この老後にあっただろうか? ひとつねこを撫でているときは、そうだったかもしれない。


孫の私は30歳を超えて、訃報を聞いたきょうも、だらしなく生きている。もう倍生きると、祖母認知症が始まった歳になる。


「情けないよ、死んじゃいたい」と、私もいずれ、誰かに言うことになるかもしれない。誰に言えるだろうか? そう口にしてから、どう仕切り直していけるのだろうか?

2023-11-26

ネット流行語大賞どっちも酷すぎるwww

ネット流行語100 2023

ニコニコ大百科ピクシブ百科辞典がやっている方。

百科のページアクセス数だけで決めているという潔さはいいのだが、そのせいで作品タイトルキャラクター名ばかりになっている。

ブリ管理とかも一切せずFGO・ブルアカガンダム辺りから複数ノミネートが当たり前のように起きている始末。

つうかそのキャラ去年から居たじゃんって状態のもチラホラ。

これを見ても「何が今年話題になったのか」なんて全然分からん

たとえば「にじさんじ」が流行語とか言われても2023年のにじさんじの何が流行したんだよとしかならなくなねっていうね……。

つうかどれも「それの何がこんなに流行ったのか」が全然伝わらねえのよ。

1人3つまで!『ガジェット通信 ネット流行語大賞2023』一般投票スタート / 締切は11月29日17時 | ガジェット通信 GetNews

ガジェット通信がやっている方。

ユーキャンがやっている流行語大賞と比べると治安の悪さが一目瞭然。

増税メガネに始まりドリル優子や公金チューチュー、教育教育死刑死刑スシローペロペロ、最新のネタとしてデスマフィンまで取り入れる貪欲さ。

もはや私刑のセケンレイプとさえ言えるラインナップでインターネットという空間に人々が求める負の感情が凝縮されている。

これを変なノリの個人や5chのまとめWIKIではなく営利団体記事の一環としてやってるんだから恐ろしい。

親会社未来検索ブラジルからこそ令和にこんなノリが出来るんだなあ。

2023-11-17

ファンクラブに入る幸せ

スポーツでもアーティストでもアイドルでもマイナー趣味でもなんでもいいんだけどさ

ファンクラブに入るってことはそれだけその物事に対する熱量があるからできるんだろう

有料ならなおさらだけど、無料であっても自らファンクラブに入るって行動起こすのはそんなに簡単じゃない

増田にはそんな熱量を持てる事柄存在しないから、そんな人は幸せなんだろうなと思う

もちろん、ファンクラブのしがらみがあったり、希望サービスが受けられなかったりと負の側面はあるんだろう

だけど、負の感情を持つことも熱量があるからこそなんだよね

増田には本当にそんなものがない

世の中に対する関心が薄いかっていうとそうでもないんだよな

例えば、日本代表スポーツはそれなりに見る

最近で言うとバスケW杯ラグビーW杯などは楽しんでみた

からと言って、Bリーグとかほかのラグビー観るかっていうと観ない

大谷翔平MVPもすごいなあとは思う

だけどメジャーリーグは観ない

麻雀Mリーグ結構見てる

でもファンクラブに入る気はない

Abemaプレミアムに加入する気もない

ほどほどに楽しめてるからいいのかもしれないけど、もっと熱量をもったほうがいいのかとも思う

今後、どうすればいいんだろうか

2023-11-14

人類幸せを願える人間なんているの?

多かれ少なかれ誰かしらに負の感情を抱いてて、

そいつが不幸になれば嬉しいって普通感情じゃないのか?

2023-11-13

他人の歳の差婚やデキ婚負の感情を抱く理由わからん

無関心ならわかるが自分関係ないことでなぜ怒るのか

本当の本気で全くわからん感情

2023-11-12

ビンの蓋の話

 いい年をして職場押し付けられる事務処理がなかなか自分担当というかたちから変わらず、やりたくねえなあと毎日思いながら毎日やっている。

 誰に尋ねても必要性がうまく説明できない業務と、それに伴う得体の知れない数字PCスクリーンと紙面の両方でこれをにらんで、憎悪疲労で膨らんでいく負の感情を、せめて、自分の次の若手はこういうくだらない作業から解放してやりてえな、という気持ち中和しようとしながら、積み重なった量をようよう消化している。

 あるイラストレーターtwitterで、「自分が受けた嫌な経験を、他人には経験してほしくないと思うのと、味あわせたいと思うのと分かれ道はどこにあるのだろうか」ということを書いていた。

 これを見て最初イメージしたのは、中学生の頃にやったドラクエ7の石板集めのことだ。

 ストーリーを先に進めるために、割れた石板のピースを集めて一枚に復元する必要があるのだが、これの一部分が欠けていると、極端な話、これまでに行ったすべての街やダンジョンを訪れて探し直さなくてはならない。ちょうどゲーム攻略インターネットクロスし始めた時代だったので、自宅に環境がある人なら特に困らなかったのかもしれないが、我が家はそうではなかった。一度通過した興味のない場所を嫌々たどり直す、ただただ苦痛で、うんざりさせられる「作業」に多くの時間を費やすことになった。

 ドラクエ7は何回かリメイクされているようだが、もし石板集めが簡単になっていたら、過去経験者としては少し残念? な気分がなくもない(それこそ、いまはネット接続しない攻略環境なんてほぼあり得ないので、当時のままでも困りはしないだろうけど)。

 あれが醍醐味だったのに、とは口が裂けても言えない。あの石板探しはまごうことなゴミ要素だった。

 それでも、今のユーザーにもあれを経験してほしい、と思うのは…なんだろうな?

 もしも楽になってしまったら、当時のプレイヤーけが馬鹿馬鹿しい時間の浪費に巻き込まれたことになって気に入らないから?

 「まあさ、こういうゲームだったんだよ」と新規ユーザーの肩を笑って叩くため?

 なんにしても後ろ向きで、なんとなく湿り気のある、あまりポジティブ感情ではなさそうだ。

 ゲーム経験というのは、けっこうこういう感情に人をとらえがちな気がしていて、過去経験者はどこかで、評判の悪い要素にブーブー言いながら、新しい参入者も被害者になるのをどこかで楽しみにしている気がする。

 それでも、嫌な経験というのは、基本的には根絶されていくべきだと思っている。

 だいたい、世代が変われば次の世代にはそのとき悪弊が新たに生まれるのだから、今あるもの積極的に無くさなければ、どんどん増えてしま理屈である。俺が最後世代だ。そういうつもりでやっていることがいくつかある。

 職場燃え尽きた人がいる。

 そろそろ定年も見えてきた大変に優秀な人である燃え尽きた、ということは過去燃えていたということでもある。

 俺のやっている気の滅入る事務処理だってちゃんとやらなければ会計に細かい狂いが生じたり、今後の事業計画に影響したりするので無駄とは言わないが、その人が以前所掌していたのは、組織の今後や体制にモロにかかるような仕事だった。その業務を進める過程で、組織内に一定数いる非合理と旧弊権化のような上層と同僚と、あとは人ではない空気感みたいなものに対して戦い(別に、あらゆる古いものがすべて悪いわけではないが)、すり潰されて疲れて、最終的に2勝8敗、ぐらいの感じの人だ。

 その人とこの前に話をしていた。流れで、ある事業広報方針について「あれはどうもおかしいと思う」という話題になった。

 それは以前、この人が取り組んで最後まで取り崩せなかった、企業の内部コミュニケーションの不足と各セクションごとの自負と他課へのおもねりあいが嫌な感じに複合した悪魔のような部分と関連していて、火中の栗というか、正確には昔その栗を取ろうとして大火傷をした人がいたので冷めても誰も手を出さなくなった、みたいな状態なのだが、その火傷を負った当事者であるその人は俺の話を聞きながら、(特に期待もしていないだろうし、俺は登った梯子を外されるほど仕事ができない)「今だったら、自分ならこうするな。やってみれば」というようなことを言ってくれた。俺はというと、自分でも意外だが、まあ頑張ってもいいかもな、と思った。

 何年も前に読んだショートショートで、飲み屋で誰かが開けようとしたビンの蓋がなかなか開かず、その場にいた何人かの客が挑戦したあと、特に体格がいいわけでもない冴えない男がそれを開けてみせた、という話があった。

 様子を見ていた語り手に男が聞かせたところによると、ああいものは色んな人が挑戦するうちに、誰も気づかないうちに少しずつ蓋がゆるまっているもので、自分成功したのは、その頃合いをちょうどつかまえただけなのだ、ということだった。

 科学的には力が足りない者が何人挑もうが関係ない気がする。それはともかく、この世の色々なビンの蓋が、色々な人の手によって少しずつゆるまっているということを考える。

 まだ蓋が固く閉まっているなら、強烈な英雄でなければそれを開けられないかもしれないし、誰も成功しないかもしれない。ただ、特に優れたところのない人間でも、単にやろうとするというだけで、結果として蓋を開ける最後の誰かになるかもしれない。

 なので、くだらないことは終わりにするよう頑張りたいし、意味のあることは始めていきたい。それが凡夫の目に無価値有意義と見えるだけで、実はちゃん理由があって余計なことはしない方がいいことだってあるだろうが、それはまた別の話である新劇エヴァだって、Qのあとちゃんハッピーエンドで終わったじゃないか。まあ、それでも、ドラクエ7未来プレイヤーが虚ろな目で画面をにらみながら、あのくだらない石板を探さなくて済むとなると、それは多少、面白くねえなと思わなくもないわけだが。

2023-11-08

人付き合いで安心ってするんですか?

タイトル通り。一つ質問がしたいです。

きっか

現在私はカウンセリングに通ってます

きっかけは職場起因の適応障害でしたが、今はそれは治っていて、今後同じことが起きても適応出来るように認知行動療法を通じて自身の耐性を高める為に通っています

認知行動療法の中にはコラム法と呼ばれる手法があるのですが、そのワークの中で

という指摘を頂きました。

これは正に仰る通り。


職場内のチームチャットにAさんが投げかけた質問に対して、その他チームメンバーが反応していなかったのを見て「冷たい人たちだ」「なんで助けようとしないんだ」と憤りやら不信感を勝手に覚えたり、

「何らか困っている人がいればそれは助けるべきだろう」という価値観に基づいて、それに反した(ように自分は捉えている)Aさん以外のチームメンバーに対して冷たい人間、ク◯共、と捉えて見下したりしていました。


テンプレート的な返答についても覚えしかありません。

自分はいじめられっ子でコミュニケーションコンプレックスがあったこからネットに落ちてる情報やら心理学、果ては哲学の本も読んだりして、

的なパターン結構頑張って勉強していて、それを元に動いているからです。

ワーク後に私は健全人間関係を築けるように「自分にとって安心出来る関係はどのようなものか?考えてみて下さい」という宿題を貰いました。これは非常に難しい。



自分人間関係検討すると、ネット情報心理学やらの勉強のお陰でそれなりの人間関係は築けるようになったと思うし、社会人になった今は一緒にいれば楽しめるみたいな関係性の人もそこそこいると思ってます

でも、どこまで行っても安心なんて出来ないんですよね。



世俗的には実の親との関係安心出来るものという考えがあるのかなと何となく思っていますが、自分にとってはこれは当てはまらないので除外されます

仲のいい人、昔からの友人、酒をよく飲む関係性、いずれを検討しても、楽しさはあれど安心は出来ない

今の自分にとって人間関係安心絶対に相容れない関係に思えるんですね

なぜ安心出来ないか安心ではないか

私にとってその答えは間違いを冒さないように神経を使わなければいけないかです

私にとって人付き合いは、その場その場で相手が求める内容を会話の流れに応じて間違えないように返答することです。

そんなもん安心できるわけないじゃん、と私は思ってます

間違いとは何か

会話の流れから逸れる返答だったり、相手の求めているものと違うレスポンスを間違いと私は捉えてます

文章化すればなんだかおかしものだとすぐに思います

ですが、ある程度のルールのもと成り立つの人間関係なのではないか、という観念も同時にあって、それはもっともらしい風にも感じています

守らなければ死ぬ法律と同じレベルの拘束!義務!ではないにしても、互いができるだけ守りましょうねという形で定められた努力義務レベルの効力はあるものではと捉えています

そして、それを守ることは、やはり私にとっては安心出来るものとは言えません。神経をとても使います

適応する方法を考える

守るのが苦しいのであれば

というようなアプローチがあるのかなと考えています


守らないアプローチ

守らない方面であれば簡単結論が一つ思いつきます自分が何をやっても許されるってことです。

傍若無人に振る舞ったって何だって誰にだって許される。それは安心でしょう。

ただそれに対して思うのは、そんなん非現実的すぎるということと、それが私の望むような関係だろうかということ。

自分の中のいい子ちゃんが反射的な反応を示しているようにも思えますが、常識的な対人場面を想定した時に、他人に対して「あんなことこんなことやってやりてぇぜ」みたいなことはあまり思いつきません。

別に1人で良くないかと思う。誰かといる意味を感じられない。

てかきっと気持ち悪さを感じる。なぜ相手がそんな自分を許す必要があるのか疑念が湧くだろうし、疑心暗鬼になり、そんなもの安心とは言えない。


ふと思いついたのが、もう1人自分がいて目の前に現れたらどうだろうってことだ。

ただ、自分はきっともう1人の自分にも気を遣うと思う。その時の私は出来るだけもう一人の自分が辛くならないように「まぁ気にしないでよ」みたいな声をかけるでしょう。

ただ、その声をかけられるもう一人の自分はきっとその声を受ける前に「マジで気にしなくていいからなんでも好きなこと言ってよ」と先制してくるでしょう。もう一人の自分なのだから気を遣ってくることは想像出来るので、相手が変に気を遣ってくる前に先制をします。

ただ、そうやって先制してくることはやってきそうだな、と私はもう一人の自分からの先制を読んで……

気を遣う無限ループ先読み大会

私がもう1人という無理筋勝負したとしても安心には辿り着かないように感じます

別方向のアプローチでの検討

1人はとても安心します。なぜ1人は安心なのか。それは何も気を使う必要がないからだ、とすぐに返答できます

何か試される訳でもない、求められる訳でもない、それは非常に安心します。何をやってもいいということだからです。

では、その自由さが私にとっての安心出来る要因だとして、それを通常の人間関係適応出来るものなのか?と考えると、そんな気はしません。

気を使わないことなんてありえなくないか??と感じて袋小路に感じてしまます。ここまで来て、手詰まりを感じて今こうやってブログにしています

表題質問をさせて下さい。

人付き合いで安心ってするんですか?

2023-10-30

ちょっとした仕打ちでも殺意のような衝動的な怒りが湧く

自分の中の怒りのゲージとか堪忍袋とか、言い方は何でもいいんだけど、

あらゆる負の感情を溜め込む容器があるとしたら、自分はこれまで生きてきた数十年分の人生の怒りや屈辱みたいなものを全部その中に溜め込んでいて、満杯ギリギリ表面張力すれすれの状態になってるんだと思う。

目の前の嫌なことをする相手自分人生上抱えた怒りの全部をぶつけるのはおかしいと頭ではわかっているんだけど、全てを吐き出してぶつけてしまいたいという気持ちを抑えれそうにない。

自分は信念もなければ失うものほとんど無いので、積み上げたものを全部ぶち壊しにして、なりゆきに任せて人生破滅してもいいと半ば思っているところがある。

唯一のストッパーは両親が悲しむってこと。

それでようやくいまは抑えている。

だけど抑え続けるのがあまりにも苦しすぎる。

誰にも言える人がいない。

両親も心配させるだけだし、

カウンセラーはなんの解決にもならないし、

言うとよけい孤独になって怒りが嵩増しする。

虫歯で神経抜くみたいに感情も神経を抜いてしまいたい。

ニュース常軌を逸した暴力沙汰を見ると、次にやらかすのは自分かもしれないと思う、

安全装置の外れた爆弾を抱えて生活している。

銃社会で銃を所持できてたら、衝動的に自分他人を撃ってると思う。

憎悪に取り憑かれて呪われていると思う。

頭がおかし自覚はある、けどどうしていいかからない、どうしようもない。

犯罪者の何割かは自分と同じような気持ちで生きてるんだろうか。

2023-10-18

会社でこの二人なんかセックスしてそうだなみたいな人がいたら帰宅時間とか休みの日とか確認して妄想ちゃうんだけどやめたい。

自分がそうなりたいという嫉妬負の感情もあるけど謎にオナニー捗るからやめられない。

特に不倫カップルだと捗る

2023-10-13

アンチクレーマー言葉に耳を貸す必要はないってまさにこれだ

anond:20231012205224

藤井聡太活躍するたびにギャーギャー騒ぐラノベ作家といえば、将棋ラノベりゅうおうのおしごと!」の著者白鳥士郎しかいないだろう。

元増田アンチクレーマーと呼ぶにふさわしいほど強い負の感情を持つわけでもなさそうだしギャーギャー騒ぐのをやめろと要求はしていないが、はっきりとうざいと言っている人も実際いる。

実際いるが、うざがっている人に配慮してギャーギャー騒がない結果、白鳥士郎は何も得をしないのが想像できる。

ギャーギャー騒いだ結果、Twitter(X)のインプレッションは目に見えて増加し、騒ぐ前と後の宣伝ツイートインプレッション比較すると6倍ぐらいとなっている。

さらに、ねとらぼヤフーニュースなどに取り上げられて、格好の宣伝になっている。

ギャーギャー騒がないならば、宣伝ツイートが6倍以上のインプレッションとなることはないだろう。それに見合うだけの得はあるのか?

元増田やうざがっている人が白鳥士郎がギャーギャー騒いでいないな、りゅうおうのおしごと!を読んでみようと考えることがありえるか?そんなわけはないだろう。

まりギャーギャー騒ぐとすごく宣伝になりお得をするが、人にちょっとウザがられるが、通常の6倍の宣伝になる。

ギャーギャー騒がない場合は、人にうざがられないが、通常の6倍の宣伝ができない。商業作家後者選択するなんてことはまずありえないだろう。

2023-10-10

新海誠の好きなところと微妙なところについて書く

あんまり映画を観る方じゃないけれどね。

ほしのこえ

記憶は定かではないが、おそらくこれが最初に見た新海アニメ

大学在学中はSFに飢えていて、「AKIRA」とか「エヴァンゲリオン」とかを観ていたのだけれど、「ラーゼフォン」にはハマることができなかった。問題は長さなのではないかと思い、26話も見る必要のない映画を手に取った。

この作品が好きだったのは、クラークイーガンが好きだった自分が求めている、別の惑星風景描写があったことだ。僕が映像作品評価するのは、どれくらい思いがけない風景を見せてくれるかだ。火星の大地や、木星イオあいだにかかる雷の橋が美しかった。ヒロインから携帯メールにも確かクラークへの言及があった。

また、日常の美しさを切り取った言葉を、詩のようにつなげていくアニメを見たのは初めてで、そこも新鮮だった。

敵方宇宙人が、鏡像となって話しかけてくるところなど、露骨エヴァの影響を受けているし、詩的な文章村上春樹フォロワーに過ぎないと感じはしたものの、この監督作品もっと見てみたいと感じた。

「僕と彼女の猫」は忘れてしまった。珍しく自分好意を寄せている女性視点失恋の話だった気がする。

雲のむこう、約束の場所

僕が好きな要素がとにかく詰まっていた。架空歴史知的早熟だけれども情緒的には年相応の少年少女、そして天にそびえる真っ直ぐな塔。東京からも見える北海道メガストラクチャーという、自分想像力はるかに超えた世界を見ることができた。

もちろん、欠点もあった。ヒロイン・佐由理を救うか世界を救うか決断を迫られる主人公・浩紀は、セカイ系典型例に感じられて冷めてしまったし、あと、これは前にも書いたのだけれど主人公のやっていることはテロリズム肯定だ。

テロ組織名前も、北海道を手に入れるためなのにアイヌ解放戦線じゃなくて、サハリン樺太先住民族ウィルタ解放戦線だ。ヒロイン祖父名前キノエはアイヌ系の名前だが、そこには一切触れられないし、朝鮮半島のように南北に別れた家族悲劇は、ごくわずしか触れられず、プロットには絡んでこない。つまるところ、政治は装飾でしかない。いいのか。

にもかかわらず、この作品を好きになってしまった。アニメで精密に描かれた東京景色は、当時の僕の生活圏とかぶっていた。自分の暮らす世界彩度を高めた景色は、ぐずぐずとした感傷に僕を引き込んだ。何にもでもなれると、まだかろうじて思い込めていた頃だった。

そして、テーマ曲があまりにも切なく、これがずっと頭の中で流れ続けていた。過剰なまでに作中で繰り返され、露骨でさえある。しかし、悔しいけれども切ない気持ちになるのをやめられなかった。ラストで虚無に飲まれ北海道の美しさで息をのんだ。

自分青春に満足できていなかった僕は、この甘ったるいテーマ曲映画呪縛されていた。批判しつつも、フィルムブックとノベライズを買ってしまうほどだった。これが感傷マゾなのか。

秒速5センチメートル

退屈さを感じる場面や、冗長な個所もあった。でも、日常風景を美しい色合いで描くアニメを他に知らなかった。第2話冒頭の、貴樹が空想する巨大ガス惑星が空にかかった惑星風景は、僕が創作していたSF小説舞台として何度も用いた。

そして、第3話で流れた「One more time, One more chance」ですべてを持っていかれた。ヒロイン・明里と結ばれないラストを見て「そうなんだよ! これこそが人生なんだよ! はっはっは!」と快哉を叫んだ。「鬱エンドだ」「悲しい」と言っている連中を笑っていた。なんてこじらせた大学生だったんだ。これもノベライズを買った。

振り返ってみれば、主人公はいつまでも明里の幻影に惑わされており、サーフィン少女・花苗の気持ちちゃんと向き合っていない。独り身の期間が長かった自分は「応えてやれよ!」とあとになって思ったものだった。そりゃあ、思春期から初めての感情ばかりで、あまりにも未熟で、だから人間関係で目も当てられないような失敗を繰り返すんだけれど、「結局お前モテてんじゃん!」と怒りが湧いた。

後に、貴樹をはじめとした新海アニメ主人公たちはどうやって童貞卒業したのかな、夜のお店かな、などと根拠のまったくない最低な空想をするようになってしまった。自分がそうだったからって投影するなよ。

星を追う子ども

激しくツッコミを入れながら観た作品

統一感のない固有名詞(※僕はファンタジー名前を付ける際には一貫性必要だと信じている。だからアルカンジェリ、ケツァルトル、シャクナ・ヴィマーナと複数言語から安易に引っ張ってくるのを良しとしないし、文法的に怪しいヴィータクアやフィニステラという語も納得できない)、ジブリの表層だけをなぞったような描写主人公明日菜が地上世界と地下世界の両方の血を引いているという重大な設定が劇中ではほとんど描写されないなど、自分が気に食わなかった点は多数あるが、最大の問題点は悪役の森崎(ムスカ揶揄される)のサブプロットのほうが面白く、新海誠思い入れを持っているように感じてしまったところだ。

愛するもの喪失を受容せず(子の喪失ってキーワード村上春樹フォロワーっぽい)、代理品や依り代を求め、神々なり悪魔なりと契約する姿は碇ゲンドウともかぶり、なんにせよ強烈なキャラで、明日菜を食ってしまっている。いっそ明日菜いらなくないか

冥界をめぐり、禁断の知識の代償として盲目になるのは神話的でちょっと良かったけどね。

この頃から、新海アニメを僕はさら批判的に見るようになる。

しかし、作者の意図性癖が透けて見えるというのは一方的に親しみを感じる契機でもある。不完全にゆえに見透かせるものがあり、理解者になれたと錯覚できてしまい、結果的作品を愛してしまうことがある(※これは新人賞を取った作品を読むときもそうなんだけど、「作者はこういうことをやりたいんだろうな。なら、ここをこうすればもっとよくなるだろうな」と考えつつ読むことが多い。創作をしていた人にありがちなことなのかな?)。

言の葉の庭

言いたいことはたくさんある。

けれども、最大の欠点は「何でもかんでも台詞説明してしまうこと」だ。

最後タカオとユキノが見つめあう場面で、高まった気持ちをぶちまけるのだけれど、音楽映像がうるさいなので、台詞なんていらない。

海監督は文章を書く能力はあるのは認めるけれども、「説明小説でやれ」と感じる。「なんでも説明するのをやめてくれ、映画受け手を見くびるな」とも感じた。

そして、鮮やかな色彩がわざとらしく感じられ、反発を覚え始めた。

ただ、この頃から日本古典を扱いだしたのは嬉しい。ささやか愛国心が満たされる。

僕は海外文学が好きなので、逆に外国の人に日本の詩を知ってほしい。

君の名は」「天気の子

観ていない。

言の葉の庭」の一件もあったが、ハッピーエンドになったということを聞いて、寝取られ性癖(というかBSS、「僕が先に好きだったのに」?)を抑える優秀なプロデューサーがついたんだな、とシニカルに考えていた。売れるようになった、大ヒットを飛ばすようになったとも耳にして、新海誠自分からどんどん離れて行ったように感じた。そして、もう二度と新海アニメを見ることはないだろうと思った。友人や尊敬するSF作家が見ていると聞いても、耳を塞いでいた。

君の名は」の予告の「スカート注意、男子目線!」といったセリフにも、新海誠性癖が透けてみるのだけれど、徐々に作者のあけすけな欲望に対して嫌悪を感じるようになっていた。

これは男子出身の僕がそうだからかもしれないけれども、僕には、男性監督女子高生をじろじろ見て偏愛していると気づくと、鬼の首を取ったかのように指摘してやりたくなる悪癖がある。岩井俊二映画を観たときもそうだし、「ラストレター」を観たときは「俺を振った女は不幸になればいい」という怨念を感じた。庵野秀明俳優やってたのはめっちゃ面白かったけどね。

「すずめの戸締まり

ある女性が新海アニメが好きで、じゃあ一緒に見に行こうということになった。ただし、彼女が好きだったのは「君の名は」以降だった。

「お手並み拝見」と思いながら(なんだかんだで楽しみにしていた一方、不安でもあった)観てみると、極めてまっとうな少女の成長映画になっていて驚いた。

被災者のすずめが「死ぬのなんて怖くない」と言っていたのが、逆に震災記憶と向き合い、心底死を恐怖し、逆に生きる実感を取り戻す構成が素晴らしかった。自分を助けに来た謎の女性自分自身だったってのも良かった。周囲の支援必要なのはもちろんだけれども、傷付いた自分を癒すためには、どこかで自分の力を信じて自分の足で立ち上がらないといけないのだ。

ロードムービーとしても優秀だし、周囲の人々が善意にあふれてすずめに手を差し伸べてくれたのも、叔母の環が思わず激高して負の感情をぶちまけるシーンのための溜めだと感じ、よく計算された素晴らしい脚本だと感じた。

今まで肯定的だった(あるいはマスコットしかなかった)猫が、ダイジンという善悪不明存在になったのも面白い。

今まで別の災害という形で間接的に東日本大震災を扱ったと聞いていたが、正面から向き合ったのはとても立派だ。このタイミングでなければできなかっただろう。

恋愛要素を薄めたのも大正解。「シン・エヴァ」を観たときみたいに、「監督大人になったんだな」と感じた。

それでも無念な個所はある。人口希薄になった土地を神々に返すというモチーフと、地震を封じる要石というモチーフが、完全に噛み合っているわけではない(人口が減少している時代から出てきた発想では? なぜそこから厄災が漏れ出る?)。少しぶれている。また、震災は人力で防げる、つまり東日本大震災は防げた、という誤った読解を誘発しかねない面もある。

あとは、震災描写リアルだし、緊急地震速報が頻繁に鳴るので、観ていてずきずきと頭が痛み、かなり気分が悪くなった(御茶ノ水近辺も学生時代生活圏内だったし)。昔は「アルマゲドン」みたいなパニック映画大都市がぶっ飛ばされるのを見たり、「地球大進化」の大隕石地殻津波が起きて日本列島が引き裂かれるのを見て気分爽快になっていたのだが、ある時点で感受性が「まっとう」になってしまったらしい。

ところで、この作品村上春樹かえるくん、東京を救う」のオマージュだとよく言われるけれども、「海辺のカフカ」のパロディも仕組まれている。東北まで中古車ドライブする芹澤青年が車内で流すのが「夢の中へ」だが、「海辺のカフカ」でも星野青年が何を探しているのかもわからない中田老人を連れて車で高松ドライブしながら、「探し物は何ですか~」と口ずさむのだ。誰か気づいてないかな。

そのくせ、村上春樹オマージュにとどめ、影響下からは完全に脱しているように感じた。

疑問点。すずめの三本足の椅子過去自分に手渡されたことで、時間の輪っかをめぐっていないか? 

その他

どの作品かは伏せるが、主人公が僕の名前と同じで、ヒロインから名前を呼ばれるたびに恥ずかしいくらいに動揺してしまった。

当時流行っていたラブプラスをやっていたら、おそらく引き返せないことになっていただろう。

あと、「すずめの戸締まり」に関するウェブ記事で、新海監督が#MeTooのこともあるしパンチラを封じたと聞いて、機を見るに敏だなと感じ、何となく気に食わなかった。正しい判断だと思ったけど、商業性に屈したようにも感じたのだ。正確には、「雲のむこう~」みたいに政治的を雰囲気に使うのをやめたのが、なんとなくタイミングが上手すぎて、逃げ足の早さを感じるのだ。

でも、とっくに青春コンプレックスこじらせオタク向けクリエイターから国民監督に変わってしまったのだ。寂しい。あんなこじらせた作品を書くのに既婚者なのも納得できない時期があった。

まとめ

こういったことを、友人に対してつらつら語っていたら、「それはお前、もう立派なアンチだよ」と指摘された。「アンチじゃない、愛情と憎しみの両方を持っているだけだ。複雑な感情をも抱えているんだよ」と反論すると、「お前が複雑な感情を抱えていない対象なんてあるのか」と笑われた。ひどくない?

これだけ複雑な感情を抱えているので、「君の名は」「天気の子」を見るのがずっと延期になっている。諸般の事情ラブコメ苦手だし。

2023-09-28

園子温作品生産性のない本能に従ったセックス暴力、また盗撮恫喝恐喝等の犯罪不倫等愚かなことに没頭させる。またはメンタルイカれたもの本能に従った熱量をそのままにぶつけている。

結末がどうであれ、頭のイカれた人間本能を見せつけ人をアブノーマルとは言い留められない思想をどこまでも煽らせる。

そこで肝心なのは登場人物の女は男に従わずを得ない立場に追いやられながらも、女という武器で裏をかいてるという過剰な女としての自信だ。男はそれを「頭の弱い女」と呼ぶ。

この園子温の「頭の弱い女」…言葉は悪いが肉便器のような扱いを受ける女性は、女を自分武器であると過剰な自信を見出す。特にセックスにおける相手を魅了しているという自信は「愛される」という言葉に変換させ、メンタルの死んだ女にとって麻薬のような作用をもたらしている。麻薬となってるのは行為であり、男ではない。だからこそ馬鹿なのだと。

……思えばバカみてーな作品だ。刺激だけ求めている内容だ。これこそが男女敵対哲学のように映画で語りつつも、下衆を極めたゴミだ。しかしながら、「男女の友情は成立するか否か」といった無謀な問答が昔からある限り、創造性のない頭ゆるゆる性欲しかない人間再生産されるだけだ。それらを認めるところから整備を始めなければいけないとこ、性欲のみに従いたいと惰性貪り努力せず「愛される」「愛されたい」などといった耳障りのいい言葉に挿げ替える。今度は若年層に「死」「サディズム」への意識ミックスして新たな創作に刺激的な味付けをし、植え付けようとする。

今度は性欲という本能封殺し、死生観をメインにする。はたまた嫉妬恨み等負の感情を引き出させる。一体何が見えてくるのか。

ちなみに地獄でなぜ悪いチェンソーマン暴力狂気は似ている。いずれにしても破滅が好きだ。ファッション破滅

ここまで書いてクソどうでも良くなった。どうせこんな文章書いたって二番煎じどころじゃねーわ。

あーーーー醜いきしょい俺もお前らも。

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