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はてなキーワード: 負の感情とは

2017-07-18

ケーフェイリアルファイト

人を嫌な気持ちにする動画をUPしているYouTuber話題になってる

最近のこのYouTuberファンは、YouTuberの中でも唯一無二の存在だと崇めており、炎上ビジネスを成立させた第一人者だと評価している

まぁその人に憧れるのは勝手だと思うし、増田自身面白いとおもってるので、これからもそんな動画をだしていってほしい

けど、今回の騒動は人を嫌にする気持ちエンタメとして成立するには不完全であった

なぜか

それは現実が関わっている

こういう負の感情エンタメとして成り立つのは、現実世界ではないところだ

このYouTuber場合、そのエンタメネット上で成り立ってる

しかし今回、YouTuberに嫌な気持ちにさせられたbboyがそのYouTuberに襲撃しかけた

彼らからしたら、ヒップホップ人生のもので、リアル

それだけ単純で馬鹿な人が真剣に取り組んで音楽にしているのがラップであり、ヒップホップ世界構成する一つの要素だ

そんな彼らは、嫌な気持ちYouTube上で切り離すことなどできるはずもない

人生否定されたのだから

そうなると、彼らは生きる場所を失い、後先考えない行動に出る

リア凸はその一つに過ぎない

ひょっとしたら他のリア凸もあっただろうし、命を絶つ事件もあったかもしれない

ラッパーリアルエンタメにする

視聴者の中にはそんな事情を知っている人もいる

そんな視聴者リアルを見せつけられ、現実世界へ引き戻されてしまった

結果後味が悪い、エンタメとして不完全になってしまった

現実世界ではないところから始まった視聴者エンタメは、リアルをみせつけられ現実世界に戻された結果、不完全に終わった

と、いう結論に至ったところで色々サーチしてみると、すでに答えを出していた方がいた

その方はケーフェイリアルファイトという表現をされていた

なるほど

水と油みたいだ

2017-07-16

助けたくなるメンヘラとそうでない人

短くまとめようと思っていたら思いの外長文になってしまった。

読んでいただけるかどうか。

会社に入った時、お偉いさんがおっしゃっていたことを今でも覚えている。一語一句覚えているわけではないが、

「君達には必ず苦しい時が来るだろう。そんなときに周りに助けてもらえるのは、普段から周りに手を差し伸べている人たちだんだよ」

要約するとこんなことをおっしゃっていたと思う。

確かにそうだと思った。自分で言うのもおかしいかもしれないが私も世話焼きな方で、友達や後輩が困っていたら助言に留まらずその人のためになると思ったことをしてきたけど、そのような人たちは人間的にも優れていて助けたいと思うような人たちだったから。

逆に私も苦しい時は助けて貰ったしお互い様だ。

自分の行動はいずれ自分に跳ね返ってくるのだ。自分権利ばかり主張するような人を助けたいと思う人は、あまりいない。

同じことはうつ病などのいわゆる「メンヘラ(私はこの呼び方はあまり好きではないが)」にも言える。

私はアメリカ育ちで親の転勤で東京に来たあと日本有数の女子校をでて名門と呼ばれる大学に進んだが、周りに精神的に病んでしまう人はかなり多かった。薬を飲んでいるor飲んでいたという人も少なからずいた。中には大学受験燃え尽きた人もいたのだろうと思う。

色々な原因があるがゼミ研究室要求レベルの高さや人間関係、更には大学入学時の戸惑いなどでうつになる人が多くいたように思う。

嘘か真か私の大学自殺率は高いと聞いたことがあるが、確かにそういう話はちょくちょく耳に入って来た。

大学無料カウンセリング施設は充実しているものパンク状態だったらしく、それが精神的に参ってしまう人の多さを物語っていたように思う。

運が良かったのか私にはそのようなことがなかったが、実際私の友達にもそんな人はいて、彼ら(彼女ら)にできる限りのことはして来たつもりだ。理系だったか研究室に入ってからそのようなことが多かった。

もちろん専門家ではないか適当なことはできないのだが、彼らはそのような状態になると冷静さを失うので、とにかく今は大きな決断はしないで専門家(大学カウンセラー相談できるなら指導教官、軽々しく勧められないが急を要するなら大学診療所など)に相談するよう促したり、ささやかだが生活の助けをしたり、少なくとも理解者でいる努力をした。力になれなくても、理解者がいるということで少しでも安心してもらえたらと思ったから。

実際、彼らは性格が良くて人間的にも優れている人ばかりだったから、それに全く迷いはなかったしむしろしてあげたかった。そう思わせるような人たちだった。

会社に入ってもそのような人はいたけど同様だった。(優良と呼ばれる会社でもそうなのだから厳しい会社もっと多いのだろう。)どこにでも休職している人はいると思うけれど、少なくとも私の周りの人は復職後暖かく迎えられていた。

うつになるのはそういう人たちだと思っていた。

優しくて気が使える人たちだから精神的に参ってしまうのだろうと思っていた。

でも、ネットで分かったのは、その印象は半分本当で半分嘘だということだ。

ネットとは便利なもの普段接しない人たちの声も聞くことができるが、メンヘラの人も同様でなかなか現実世界では声を届けることができない彼らもネットでは想いを伝えることができる。ネットには問題もあるがこれは素晴らしいことだ。

大半の人は私の「メンヘラ像」そのままの人たちなのだが、中にはそうでない人もいることがわかった。

私がそう思ったのはサユ@おどりばさん(@Sayu_Log)のブログ(http://www.sayulog.com/)を読んでからなのだが、これを読んで私の認識の間違いを訂正せざるを得なかった。

確かに辛い思いをされていることは理解できるのだが、冒頭にあったように自分のことばかり主張しているように見えるし、自分理解してくれない人に対してはかなり批判である

運転が許されていない類の精神薬を飲みながらも免許を取ろうとしている時点で自分本位だ。(誤解の出ないように免許を取る際の手続きを公開するべきだと思っている。そうでないとこれからもこのブログを見て大丈夫なのだ勘違いして免許を取り運転してしまう服薬中の人が出て来てしま可能性がある)

もともとの性格なのか病気がそうさせるのかわからない(後者であることを祈る)が、正直同情するどころか反感を抱いてしまった。

他にもあまり同情できないメンヘラさんが何人かいる。

よく考えてみたら日本だけでも何十万人、何百万人、もしかしたらもっとメンヘラがいるのだから全員が人間的に優れているわけではないのだ。他人に強く当たるような人や自分本位の人はうつにならないと勝手に思い込んでいたがそうではないようである

そんなとき、確かに声は大きく発信力はあるかもしれないが、悲しいが現実世界で助けてくれる人はあまりいないだろう。友達はどんどん離れていくだろう。残るのは家族医者くらいのものだろうか。

当たり前だが健康な人も人間である。困っている人がいても誰でも助けたいと思うわけではない。負の感情を抱いている人に献身的になるほど人間ができている人はそういないだろうから

2017-07-05

まらないものをつまらないと言えない世界のはなし

アガルタがつまらなかった。

もちろん、面白かったひともいると思う。これはそういう人に向けて書いた文ではないので、引き返していただいたほうがいいと思う(と、予防線を張っておく)。

私はアガルタがつまらなくて、不快だった。この新宿ネタバレに溢れた話を、「新宿より先にやってもいい」と判断した運営には心底驚愕したし、はじめて運営意見フォームから意見を出した。ツイッターでも正直につまらなかったと言った。

しかし私がここで書きたいのは、アガルタのどこがどうつまらなくて、どこがどう不快だったかという話ではない。そういうのは書きつくされていると感じるし、それを書くためにアガルタを読み返すことすらしたくない。

私がしたいのは、アガルタ公開後にツイッターで湧いて出た『考察』についての話である

本編で提示されていない内容を元にした考察は全て妄想である、という話をしたいわけではない(その意見には全面的同意だけど、妄想してはいけないというわけではない。妄想であることを自覚して欲しいとは思うけれど)。

ただ、私が見かけた『考察』のうち、どうしても思うところがあるものが二つほど存在し、その二つがどうやら同じモノを発端として発生しているような気がしたので、ひとつの覚書としてこれを書いている。

先に言っておくと、「だからどうした」みたいな話だ。単なる思いつきのメモである。でもどうしても、それこそ「吐き出したく」なったので書く。

※あ、ここからアガルタの根幹に関するネタバレ存在するので、アガルタクリアのかたはご注意下さい。

====




というわけで、『考察』の話をしよう。

ひとつは、『アガルタ』のつまらなさ(『平坦さ』『薄っぺらさ』)はある程度意図されたものである、という『考察である

アガルタ』はすべて『不夜城キャスター』が紡いだ物語である。故にお伽噺のように平坦だし、寝物語のように淡々として、即興で紡いだがゆえにちぐはぐであり、ご都合主義がまかり通る。そういう意見である。これはかなりRTされていたように思うので、見かけた人も多いのではないだろうか。

この考察は『本編で提示されていない』とまでは言えない。『アガルタ』が不夜城キャスターの宝具によって紡がれた世界である、というのは、本編中で示唆されている内容だ。

「『アガルタ』は、(15節まで)不夜城キャスターが紡いだ『物語である。」

問題は、これがどうして「だからまらない」となるのか、という話である不夜城キャスターは千夜物語を紡いだ語り手だ。「つまらない」話など紡いだらその場で殺される、そういう状況で語り続けた語り手なのだ。その彼女が紡いだ物語が「つまらない」ものであるはずがないし、「これが不夜城キャスターによって紡がれた物語である」ということを示すために「つまらなさ」を選択する必要はない。

例えば、必要以上に大げさな展開・カルデアとはかけ離れて愉快な配役のキャラクター荒唐無稽で「楽しい物語。学園モノで言う文化祭のような? ──そういったものでも「これは『物語である」ということを示すことは十分に可能なはずだ。普通に考えて、ソーシャルゲームという「飽きられたら終わり」の世界(これはある意味「飽きたら殺される」不夜城キャスターが置かれていた状況に近いとも言える)で、わざわざ意図して「つまらない」物語提供する、そんな作り手が居るはずがない。っていうか「つまらない」と自分で思っている話を15節も書き続ける苦行をやる書き手いるか

というわけで、この『考察』は間違っていると私は思う。『物語である部分は正しいかもしれないけれど、「だからまらない」という理由にはならない。

……が、私が今言いたいのは、この『考察』が正しいかどうかについてではない。

結論を導く前に、ふたつめの『考察』について話をしよう。

こちらの『考察』は、「マシュ・キリエライトは1.5部でビースト化の道を辿っているのではないか」というものである

この『考察』は、不夜城キャスター不用意に放った発言に対し、マシュが「貴方は私達の逆鱗に触れました」(だっけ? 読み返していないので正確なものではないけど、ニュアンスとしては間違っていないはず)と発言したことに端を発する。

状況としては、(これは何処かで見た表現なのだけど)「交通事故遺族のマシュに対して、不夜城キャスターは、マシュが交通事故遺族であることを知らずに『交通事故って一瞬で死ねそうで羨ましいです』と言った」と理解するひとが多いと思う。個人的には、ロマニ・アーキマンは自らそれを選び取った(けれど、決してそうしたいわけではなかった)という点において不十分なたとえである気もするけど、まあ、その点はさして重要ではない。問題は、このマシュ此処で不夜城キャスターに対して『キレた』ことが、今までのマシュのキャラクターからすると不自然である(と感じたユーザーがいる)ため、これはマシュが『変化している』ということではないか、ということからまれた仮説である(と思う。違ってたらすみません)。

この『考察』については、1.5部のラストに辿り着くまで、正しいかどうかはわからない。わからないが、私はこの『考察』にも違和感がある。

何故なら、このマシュの言動に対して、主人公ダ・ヴィンチちゃん、シャーロック・ホームズというその場に居た面々が、違和感を覚えている描写存在しないかである

物語として仕組まれた『変化』なら、それが『変化』であるということも同時に示されるはずだ。ダ・ヴィンチちゃんが違和感を覚えるのでもいい。主人公がマシュを諌めるのでもいい。六章でマシュを激励したところのホームズだって、その役目を負うに十分だろう。けれども彼らは、マシュの『変化』に気付くことはなく、心情に理解を示した。ならば(素直に読み解くのならば)、ストーリー上は引っかかるように書かれた部分ではなく、マシュに『変化』は存在しないということだ。あれだけわかりやすく(傍点まで使って!)不夜城キャスターにマシュを挑発させた書き手が、ここで示したかったのがマシュの『変化』であり、それがビースト化の布石であるというのなら、その『変化』はもっとわかりやすく、そう、【作中の誰かが危惧を抱く】という形で提示されるはずだろう。


……それで? と。

この『考察』が気に入らないのはわかったけれど、だから何なのか、と、そろそろ思われている頃だろう。というわけで、結論に入る。

これらの『考察』は、つまり、『公式提示したもの批判してはいけない』という、ツイッターランド特有文化からまれた『考察』と言う名の言い訳なのではないだろうか?

「つまらなかった」「マシュのキャラ解釈違い」は推奨されるツイートではない、けど、自分が感じたことが正しくなかったとは思いたくない。だから彼らは『考察』するのだ。

「つまらなかったけど、つまらなかったとは思いたくない」→「つまらなかったのも公式意図したことであれば、『つまらなかった』と思うのも当然!」

「マシュの言動違和感がある。これは(私の考える)マシュじゃない」→「マシュの言動違和感があるのは、公式がそう意図して表現しているから!」

……こうして『考察』することで、「自分公式を『批判』しているのではない、寧ろ公式意図を正しく汲み取っているのだ」と言うことができる。自分が行っているのはアンチ行為ヘイトではなくファン活動であると思うことができる。

「つまらなかったのも公式意図したことであれば、『つまらなかった』と思うのも当然」という言説は、「面白かった」と感じた人の感じ方を「公式意図を汲んでいない誤ったもの」にしてしまうことや、「マシュの言動違和感があるのは、公式がそう意図して表現しているから」という主張は、マシュの怒りを当然のものと受け取った人の感情を「ビースト化に繋がるもの」と見做していることに、彼らはもちろん気づかない。


まらなかったのなら、つまらなかったと言えばいい。

アガルタのマシュが解釈違いだったなら、解釈違いだったと言えばいい。


わざわざそこに、尤もらしい理由をつける必要はない。


考察』といういかにも理性的に見える言い回しで、貴方は、他人の感じ方を(ただ「つまらなかった」というよりもずっと強く)否定してはいないだろうか? 

貴方の『考察』は、自分公式に抱いた負の感情を、無理やり納得させるものではありはしないか



まらないものをつまらないと言えない世界には、『考察』という名の妄想蔓延る。






公式ファン距離が限りなく近づいた昨今、願わくはその妄想が、公式逆輸入されてしまうことがありませんように。



(これでもしマシュのビースト化がきたとして、それなりの描写があれば受け入れないことはないけど、「アガルタから布石はあった!」って言われたら、さて、どうしようかなあ……)

2017-06-23

https://anond.hatelabo.jp/20170622192103

他人に向けて直接負の感情をぶつけるのは苦手だが、顔の見えない誰かに負の感情を投げつけるのは得意そう

正直後者のほうがタチ悪い

2017-06-22

機種変更難しすぎる。死にたい

auを長期でご利用の皆様はご存じかと思いますが、ポイントシステムが変わったらしく6月末に古いポイント有効期限が切れます。人によっては大量のポイント有効期限を迎えるようで私の父もその一人でした。

ガラケーもどきは売っているものの、もうガラケー販売していないため父にスマホ機種変する選択肢提示してみたところ父が乗り気になったため、BASIO2という高齢層向けのスマートフォン機種変することで意気投合し、薦めた責任もありますしいささか不安もあったので近所のauショップに父と共に出かけたのです。まぁその不安が見事に的中するわけですが。

BASIO2に機種変する旨を店員に伝えたところ、最初に出してきた見積もりがシニアプランでした。なぜ、ガラケーからスマホに変更する人が加入でき、ほぼ全ての面において値段が安くサービス内容も上の「スマホはじめる割」というものがありながら、シニアプラン提示したのか意味が分かりません。それに加えて、さらっと故障保証を付けてきたのはこのさい目をつぶることにしましょう。その下に、さりげなく3万以上のmicroSDXCカード128Gを付けていました。謎です。

3万越えのmicroSDXCカードってなんだよと。さらに最悪なのは金額が分かりづらいようにわざわざ3年分割にして月々約900円として利用料金に混ぜている見積ですよ。高額なものを高額に見せないようにし、さらに知らない人が見ればプランに盛り込まれているものや機種にかかるものかと混同しそうな見積です。

その項目を説明する際に「128GBはiPhoneでも通常使われてる通常の容量です。」って、iPhone 7発売前なら最上位機種だったしょうが簡単スマホ契約する高齢者が3万越えのmicroSDXCカードを買う必要性があるかどうか、少し考えなくても明らかにオーバースペックでしょうよ。いやまぁ、確かに初心者であるが故に必要の無いデータを削除できず容量を圧迫するので大容量の方がいいというのは考えられなくはないけども、松竹梅提示しといて一番高い物を薦めるとかい良心も持ち合わせておらず、さも買わないとスマホが使えませんといった雰囲気を醸しながら説明してくるこの店員は、これまでどれだけ必要のない高額なオプションを老人に売りつけたかと思うと義憤にも似た感情がふつふつと沸いてきたのです。

そんな感情を静に押し殺しながら、プランは「スマホはじめる割」にして、故障サービス付き、SDカードはいりませんと話して見積を出し直させたところ、当初の見積から半額程度になったわけです。まぁmicroSDXCスマホ本体とほぼ同じ値段という狂気ですからね。そりゃそうです。

あとは、ケーブルカバーなどの付属品押し売りをかわせば終わりかなと思いきや、別の落とし穴が待っていたわけです。

それは、端末の頭金約5,000円をau電気契約したり、スマートパスプレミアムや端末保険サービスに加入すればゼロになりますよという、よくあるうまい話です。この件について父と少し話して、何も必要ないので5,000円払いますと言ったら、店員「じゃぁ、スマートパスプレミアムだけは付けてください」とか、わけわかんないことを言ってきた。

「じゃぁ」ってなんだよ「じゃぁ」って。

auカスタマーサポートに直接聞いてみますよ。そういう契約をするはNGのはずですよね?」と脅したいのを堪えて「それは話が違いますよね?5,000円払うのに、なぜ入らないと行けないんですか?」と少し怒気をまとった声で言うと、「可能かどうか確認します。」って今まで全員入れさせてたのかよ。必須でないものを全員が入る前提で組み立ててる契約しかないって頭おかしいのか。つか、誰に何を確認するんだよ。こっちが確認してやろうか。あほたれめ。

そしたら、「間を取って、au電気契約せずに、他のオプションだけ加入してください。」と。さら意味わかんねーよ!なんだよ間って。「こちらでau電気に入ったことにしときます。」ってなにそれこわい

なにが恐ろしいって、相手はこっちの名前や住所や電話番号やら知ってることですよ。このクソみたいな契約をしようとてくるやつらに個人情報を持たれてるって、下手したら訪問販売よりたちが悪い。いや、さすがにau看板を曲がりなりにも掲げてるから犯罪まがいのことはしないだろうけども。たぶん・・。

というか、そこまでしてスマートパスプレミアムはいらなきゃいけない理由ってなに?いや、理由KDDIからノルマだったり金もらってんだろうけど、KDDIauショップも客の方を向いてないってどういうこと?と店員を詰めたい気持がないわけでもなかったが、そんな大それた根性もなく父がそれならいいというので、不本意ながら「間」を取ることになってしまい無念の極まりない。

それ以降はむしり取れない客と認識したのか、対応が雑になりろくな説明もなく「チェックして署名してください」と書面を出してきたり、ケーブルなんかも「必要ですか?」と聞くだけで、あえて売りつけようとはしなくなった。つか、隣で確認してたけど何の契約についてのチェックや署名なのか読んでも分からないものがあるし、下手すると聞いても説明不明瞭で分からいくらい。必要のなさそうな契約書が混ざってたり意味が分からない。父に署名させるの怖かった。

結局、ポイントなどを差し引いた最終的な見積も出してこないし、客にとってauショップと名乗る存在価値があるんだろうか。auショップは鴨が勝手にやってくるんだからau看板を掲げる意味は大いにあるだろうけども。搾取できる相手がワサワサ来るってなんてあこぎな商売なんだろうか。わざわざ訪問販売して悪徳商法やってる人とか馬鹿らしくなるんじゃないかKDDI自分看板を背負わせてるのに、こんな悪徳商法まがいの契約販売をしようとする構造をいい加減見直したりしないのだろうか。機種もプランも決まっているのに、機種変更手続きをするまで1時間以上かかるっておかしいでしょう。別の客を1時間くらい待たせているのに。

もちろん全てのauショップ店員がこんな感じではないと思う。裏技みたいなのを駆使して友人の携帯を解約料なしで解約させてくれた店員だけは幸せになって欲しい。余談だけど、その店員契約に関する知識が半端なくて、携帯会社の複雑すぎる契約の不備(みたいなもの)をつくことを考え出して何の得にもならないのに丁寧に教えてくれたという、こっちが心配になるくらいにいい人だった。友人もauへの永遠の愛を誓いながら解約して格安SIMにしたくらいに素晴らしかった。auショップにはその人の印象があったのに、この体たらくですよ。恥を知れ。

あと、引き止めポイントとか乞食ポイントかい制度マジでやめろ。そんなとこで偽善者ぶって意味いから父に電話させてもらったけども。大人しくキャリアの言うことを聞く人が損をしたり、必要のないものオーバースペックオプションを付けるのを黙認しているとか本当に頭おかしいと思うのだけど、なんかみんなこんなことをしながら必死に生きてたりするんだって考えると、死にたくなるんだよね。なんかそこまで必死に生きてたくないわって。だからニートなんだろうけど。生きるのつらい。

ところで、端末を受け取ったあと、「auからショップについてのアンケートが行くと思いますが、いい評価にしといてください。」って、どんな反応してあげたらよかったんですかね。「お手柔らかにお願いします」とかだったら、まだ可愛げがあったものを。

auショップは最悪だったけども、少し触った感じではBASIO2が意外とよかった。もちろんスペック的な意味では落ちるからもっとスペックの高いスマホにしてアプリを入れて簡単スマホ風にする手段もあったのだろうけど、一時帰省ということもあって細かい設定をしている時間がなかったので妥協としてBASIO2にしたのだけども。一番いいのは父が最も使うであろうカメラに関してで、カメラカバースライドするとカメラが起動し、さらシャッター物理ボタンがあるところ。結局、年齢が高い人には物理ボタンが分かりやすいっぽい。必要そうなアプリだけホーム画面に入っていたり、ショートカットでした感じも悪くはなかった。ただ、意味の分からない通知が来るとあわあわしそうなので、重要でない通知は全部でオフにしといて欲しいが難しいのだろう。

最初の設定や必要そうなアプリを入れたくらいしか触ってないので、細かい部分で微妙なところがあるのかもしれないけども、ガラケーから乗り換える最初スマホとしては十分だったんじゃなかろうか。次のスマホを何にするかが、どこのキャリアにするかが今から悩ましいけども。それまで、なんとか生きていられたらいいのだけども。父も私も。

(追記)

みなさまありがとうございます。誤字脱字が多くて申し訳ありません。

他人に向けて負の感情を直接投げつけるのが苦手なため、ショップ店員カスタマーサービスではなくこちらに書きました。

また、死にたくなるというか、生きるのが面倒になるのが近いでしょうか。この世から消えてしまいたい。

そもそも生きる意志、生きたいという意志が弱いという個人的な要因があるのですが、そうした私からみるとauショップ日本大企業であるKDDIが黙認して高齢者情弱といわれる人たちから必死搾取をしている姿をみると、そこまで必死に生きないとダメなのだろうか、自分は生きるのに向いていないんだろうなと怒りよりもやるせない気持ちに思ってしまうわけです。

なかなか理解しがたい思考かも知れませんが、そのような人もいることを記憶の隅にでも置いといて頂けると幸いです。

2017-05-31

獣と除け者とセルリアン

ふとした疑問

ものは居ても のけものは居ない

しかセルリアンは駆逐されていくばかり。

どうして矛盾した歌詞存在しているのか私には訳が分からなかった。

除け者はいないんじゃなかったのか?


もしかして

そういえば、のけものは「除け者」と「野獣」のダブルミーニングだったな。

もしかしてセルリアンはけものではないのか?

本編中ではフレンズセルリアンは区別されており、そして溶岩性質をもったセルリアンが登場した。

そのこともあり、セルリアンは無機物だとする説もある。

これはセルリアンにはけもの差異があることを意味する。


ダブルミーニングに注目すると「除け者はいない」というのは獣について言ったのかもしれない。


結果

この疑問は自己解決した。

言いたくなったこと

そしてあることに気が付いた。

ニコニコTwitterAmazonとかで不適切な行動をする人や団体のことを「○○はセルリアン」と言うことがある。

それは変だ。

セルリアンはまず無機物可能性があり生き物ではない。

しかしその指示語はたいてい人のことを指す。

この時点で「○○=セルリアン」は成り立たず、誤りである

ということでセルリアン扱いをされた人が持つ感情負の感情である

「人でなし」とほぼ同義からである

「けものは居ても のけものは居ない」ので、どんな人であろうとも除け者にしてはならない


そしてもう一つ、

セルリアンは除け者なのである

からこそ、こういった誤用が頻発するのであろう。

セルリアンカワイソス

2017-05-20

関西人が考えるオウム真理教

関西人オウム真理教のもろもろの事件特に地下鉄サリン事件に対して本当に関心がない。

関心がないどころか恨んでいるし忌み嫌っている。その負の感情東京の人が持つもの全然違って子供っぽい理由で。

1995年1月阪神淡路大震災が起こった。当時は未曾有の災害で本当に大変だったし東日本大震災と同じく毎日報道されていた。

だけれど3月オウム真理教が起こした地下鉄サリン事件ニュースの内容が地下鉄サリン事件一色になった。

天災人災の違いであったり、世界で初めてバイオテロだったこともありニュースがそれ一色になるのも仕方なかったと思う。

でも震災から2ヶ月しか経っておらず余震もまだ続いていた最中だったので「忘れ去られてしまった」という感覚がしたのを覚えている。

死者6000人以上なのに。オウム真理教被害で死んだ人の数十倍なのに。やっぱり東京東京で起こったことじゃないとどうでもいいんだよな。と思った。

2017-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20170517174925

これが、顔を突き合わせた音声会話だと問題無かったりするんだよな。

チャットというか、文字列によるコミュニケーションは、負の感情ブーストさせるエフェクトがあると思ってる。

2017-05-11

負の感情が多い書き込みが多いけど

たまにはっとするような書き込みがあっていいなぁ。

わりとエネルギー使って文章化してくれる。

頭いい人がたくさんいるなぁ。

はてなー負の感情を甘く見すぎ

http://anond.hatelabo.jp/20170510230513

こういうの会社が悪いとか言ってたって始まらないんだよな

はてなではなかなか表立っては言えないことだが、

生活保護と同じで、

卑怯な手を使って得をしてるという印象を与えるような制度であるなら、

たとえそれが制度として許されていても感情的な負の悪影響を与えるのに決まってる

それを、ズルいと感じるほうが間違ってるとか、

人を不幸に引きずり下ろすようなことしてどうするとか、

正論でぶん殴ってくる人がはてなには大勢いるけど、

正論で殴ったところで、目からウロコから落ちるが如くそ人間が改心するわけがなく、

その負の感情はずっと溜まって世の中をギスギスさせる要因になる

世の中のネトウヨ化もこういうところから始まるんんじゃないか

まりにも優遇しすぎるのも問題だね、とか、

復帰しま詐欺で育休取った挙句トンズラするのは倫理的にどうかと思うとか、

もう少し負の感情にも配慮した考えもなくては困る

どうもはてなー正論で殴りっぱなしで、むしろ相手ヘイト溜めることばっかしてるんじゃないか

まあこういう意見も、

お前は間違った考えをしているから一日も早く悔い改めた方がいいと正論で殴られてオシマイなんだろうなとは思うが

2017-05-10

たぶんかっこ悪いことが死ぬほど嫌なのかなと思う。あとは自分を一番に優先してほしい。弱みをみせたくない。なめられたくない。馬鹿にされたくない。ちやほやされたい。憧れられたい。下に見られたくない。マウントとられるのが死ぬほど嫌。楽しいこと=やりたこともあるが、それ以外のやりたいことは、マウントをとられないためにやりたいのだというきがしてきた。海外旅行とか英語とかをやりたいと思うのはそういうのにあこがれていて、他人に憧れられる自分になりたいかなのだな。外見に気を使うのも一種のそれだな。本当はどんな格好したいのかというということを考えるとなんか今まで好みだったものと違う気がしてきた。かっこいいものかわいいくて素敵だと思う服=期待服じゃないかもしれない。本当はほっこり系とかアラブ旅人みたいな格好したいとかいうのもある。流行ってないけどじゃらじゃらアクセサリーつけたりしたい。結婚したいのもマウントられるのが嫌だからかもしれない。あと他人を見下してるのは、見下す立場になれたのが嬉しくて仕方がないからじゃないか。昔は見下されて馬鹿にされる側だったから。容姿が人より多少いいことに気づいてからそれに有頂天になって見下して見下しながら安心してたのかもしれない。自分こっち側になれた~みたいな。クソだし我がことながらメンタル気の毒すぎるな。自分よりかわいそうだと自分が思う人探すのが楽しすぎてネトヲチかい趣味も膨らんだんだと思う。この人こんなにクヲチられて気の毒すぎ!って。性格が悪いことを自覚しだしそれがコンプレックスになってからもネトヲチがやめられなかったのは、この人わたしより性格悪いなんてやばすぎwwwわたしはマシだなって思いたかったんだろうな。この快楽はだいぶ癖になってる気がする。見下すというよりもむしろ安心するためにやってる気がする。人の負の感情を見ていると安心するのはなんでだろ。人の不幸が楽しいというほどではないからやっぱり安心するのかな。単に活字を読みたいってのもあるけどそれなら楽しいこと見ればいいわけだしね。

2017-04-28

不機嫌を誰にでも露わにする奴嫌い

「俺は不機嫌でーす、周囲にいるお前らが俺に気を遣ってなだめてくださーい」って身勝手な思いが透けてみえから

見たことない?誰か一個人にだけ不機嫌になる、ってパターンじゃない。

自分に都合の悪いことが起きると、不貞腐れて、ブスッと口をへの字に曲げて、見るからに不機嫌ってオーラ放つ奴。誰に対しても……いや、自分より目上の奴にはあんまりやらないか

何考えてんだろうって思う。

周囲のまともな人達は、その人に対して気を遣って慰めてあげたりしてるのに、そういう奴はさもそれが当然のように思う。そもそも、自分の態度が人に気を使わせてる、不快にさせてる、重荷になってるってことすら自覚してないタチの悪い奴もいる。

その癖、放置したり、苦言を呈したりすると「機嫌が悪いんだ!仕方ないだろ!」とか激昂してくる。自分が異常だなんて微塵も思っちゃいない。

なのに、ケロッと機嫌が良いと、普通にしかけてきたりする。周りは関わりたくないと思ってるのに。そして些細なことで一気に不機嫌になったりする。

これが神様とか人知を超えたものだったら敬い、捧げものでもしてなんとか宥めでもするが、ただの人間だ。何故気分を害さないようにこっちがビクビク気をつかう羽目になるんだ。何様だ。ていうか感情コントロール出来ないとか赤ん坊かよ。それか認知症が余りにもひどくなった老人か。

別に人に愚痴ったり負の感情を出すなと言ってるんじゃない。いつも人前で完璧にできる人間なんているわけない。

ただ、常にいつでもすぐ、全く場を弁えず不機嫌になる、感情コントロールをしようとしない奴はクソ喰らえってことだ。

病気とかならしょうがないとは思うが、改善する努力ぐらいはして欲しいと思う。

健常者でやってる奴は現実に二度と出てくるな。

2017-04-19

ジャニヲタ卒業するので愚痴らせてほしい




私はこの春ジャニヲタ卒業して特定ジャニグループファンになった。

この一文だけでかなり矛盾しているが、つまり担当」を決めずTV番組等だけのライトファン活動をする、んだと思う。正直そこらへんの定義はなかなかハッキリしていないので自称ファンになる、としておく。

私は自担と彼が所属するデビューグループ担当としてオタ活していた。また、デビュー前(つまりJr.)のグループも2つほど応援していて、彼らが歌う曲の影響もあってかジャニーズグループほとんどが守備範囲だったりした。自分一言で表すなら迷いなく「ジャニヲタ事務所担」と口に出来た。

ここ最近ジャニーズ事務所関連は荒れている。問題の揉み消しだったりとか、ツアーハブられる地方だとか(まあこれは仕方無いとも思っている)、直近だとチケット問題だとか。中でも一番大きく有名なのはもちろんSMAP解散。積み重なる不満と不安で、いつしかジャニーズが好き」と言うのが辛くなっていた。私が好きなのはあくまグループアイドルであり、事務所のやり方はぶっちゃけ言うと嫌いだった。

そして色々なものが溜まりに溜まった2017年

ずっと応援していたJrのひとりが退所した。

ジャニーズを好きになるきっかけのひとりで、当時小学生だった私の「初めて好きになった人」だった。

泣いた。グループで並んだ時、それまでよりひとつ少ないシルエットの理由を受け止めたくなかった。地方民で舞台を追えていなかったのもあり、退所を知ったのは某BS番組だった、収録の関係上彼が退所してから1ヶ月後のことである

ちょっと待ってくれ、じゃあもう彼に手紙を出しても届かないじゃないか。彼にありがとうすら伝えることのないままジャニーズにいない事になってしまった。

ショックで弱っている私は、自担所属グループに元気を貰おう!となんとか立ち上が、ろうとする。

立ち上がろうとした。

メンバーの一人が、他のメンバー暴露話雑誌TVでし出していた。

そのグループは元々1人だけを仲間はずれにしたり、彼の評判を下げるような話をすることが多々あって、私はそれから目を逸らしながら応援していたけど。もう限界だった。

彼らの情報を探すうちに、女性との流出写真ドン引きエピソードさらセンテンススプリング砲だったりがどんどん出てくる。何が辛いかって、そのほとんどは別のメンバー発信元だってこと。

おまけにTVを見れば、ゲスト出演する音楽番組こそ真面目にパフォーマンスしているが、自分達のレギュラー番組パフォーマンスでは歌わなかったりカメラに映らないようなところへ行ったりラジバンダリトークでは相変わらずメンバーを貶したり。

気づくと担当以外のメンバーがみんな嫌いになっていた。担当もテキトーなことばっかり言っていて信用出来なくなっていた。

そして今に至る。

過半数以上を嫌っていて、しか担当すら危うくなっているままオタ活なんて周りのファンの皆さんに失礼すぎる。

何より彼らを見て負の感情ばかりを抱くならファンでいる筋合いはない。

アイドルって前向きにさせてくれるものから。どんなに辛くてもアイドルを見たらもう少し頑張ってみようとか、あるいはもっと可愛くなりたいだとか。そう思わせてくれるものだと思うから

から私はジャニヲタを辞める。

…とは言ってもJrの2組についてはぜひデビューしてもっと多くの人にパフォーマンス笑顔と元気を届けてほしいし、ボロクソ書いた元担当グループも頑張ってほしいし楽曲は好きなので相変わらず某番組は見続けようと思う。

決心に固さのかの字もないけど、それが私に合っているんだと気づいただけまだマシじゃないかな。

以上、自分のことしか考えてない愚痴でした。

2017-04-14

一部の発達障害と「共感」する力について

発達障害のある人の手記を読んで思うこと

「私が」ではなく、「周囲の人が」困ったり、迷惑をする時の感情に思いを馳せる力。それはすなわち、他社の感情に寄り添う「共感力」に他ならない。

これは「定型」発達者が、成長の過程でおのずから身につけてゆく力だ。

最近は、職場発達障害の疑われる同僚に接するようになり、障害の様々な態様について関心を持つようになったのだけれど、

そんな中、発達障碍のある人の手記を読むと、この力がポロリと欠け落ちているように感じられることがある。

「私」がこう思った。「私」は、こんなふうに苦労した。だから「私」は今、こんなふうな生き方をしている、等。

論証の視座が自己に偏っていて、どこか一人称小説を読んでいるような気分になる。

特にアスペルガー症候群と診断された人の手記には、この傾向が色濃く出ている。

ex.

アスペルガーの私が、マルチタスク命!のコンビニで働いた結果…」

https://h-navi.jp/column/article/35026205

 →著者ヨーコ氏の他の記事も参照

申し訳なさ」が成長・発達を促す

敗れた側のスポーツ選手はいう。「こんなに応援してもらったのに、応えられなくて申し訳ない」と。

オリンピックワールドカップで、また欧州サッカー選手監督がそういった反省の弁を口にしているのを見ることがある。

から、この「申し訳ない」という感情は決してこの国特有のものではないのだろう。

そして、このような反省悔恨を述べた後、選手監督が次に口にするのは「だから、次はもっと努力したい」という言葉だ。

このとき申し訳ない」気持ちは、周囲に迷惑をかけないために、または、誰かの期待に応えるために、その原動力として働くようになる。

こうすまい、ああすまいと、「自分以外の誰か」にとってよくない結果を避けようと努力し、自らを発達させるエネルギーを生み出す。

自分のせいで落胆したりや辛酸舐めることになる他者への共感=「申し訳ない」という感情が出発点となり、人は成長・発達を遂げることができる。

共感力を伸ばす

こんなことを書くと、発達障害で苦しんでいる当人に、さらに罪悪感を持たせようというのか、という意見もあるだろう。

それは確かにそのとおりだ。

このような「申し訳なさ」に至る=気づくためのメソッド治療方法があるとしたら、それは前出のような手記を書くことのできる状態発達障害のある人にとって望ましいものだろう。

少なくとも、自分がこの世に存在することが申し訳ないというような、極度の抑うつ状態にまで達している発達障碍の人には、すでに禁忌である

私のような素人が、決して軽々しく日常生活に応用していいものではない。

しかし、こちらもまた感情ある人間であって、ふとした瞬間に、相手に対して非難いたことばを掛けることを制御しきれないのも事実だ。

ここで主張したいのは、こういった発達障害のある人から申し訳なさ」を引き出すような問いかけ・コミュニケーションを一概に否定するのではなく、

時には負荷をかけることが有効場合もあるのでないか、ということだ。

罪悪感という負の感情を克服するために、克服したいという意思を持つがゆえに、人は自らを発達させようともがく。努力する。

申し訳ない」という感情に含まれる、他者存在距離を感じるところから視野が拓かれ、自らの発達障害に深い理解が及び、ひいては、その克服に至ることがあるのではないか

以上のようなロジックで「申し訳なさ」を引き出すことが発達障害のある人のためにもなるという主張をしてみたいと思う。

なんでこんなことを考えざるをえないか

望むべきは、私自身がもう少し発達障害の疑われる同僚に気を使ったり、自らを押し殺したりすることなく、時に軽やかに時に遠慮なく、モノを言えるようになることだ。

発達障碍のある人の周囲の人間の負荷。

まったく陽のあたらないこの負担を担ぎながら、私もまた、私自身を視座の中心に据えて、こんなレントシーキングまがいの呟きをしている。

発達障害を望ましい個性であるとか、多様性の発露であるかいった主張だけは受け入れられない。発達障害が克服・改善されない限り、かならず誰かが負担をこうむるのだから

以上。徒然おわり。

2017-04-05

脳内アンプ

人間、つまらない時期は何やってもつまらないし、うまくいかないもの

逆に楽しい時期は何やっても楽しいし、うまくいくもの

まらない時期、楽しい時期は誰しも周期的に訪れる

もちろん個人差はあるが

そこで登場するのが脳内アンプ

オーディオアンプのごとく感情を増幅させるのだ

まらない時期は可能ならば消音、もしくは最小限の音量に脳内アンプで調節する

楽しい時期は音量MAX

遠慮することはないのだ

具体的な行動としては

まらない、うまくいかない時期は可能な限り何もしない

仕事必要最小限、遊びにもいかない、家では寝るかぼ~っとするだけ

時間無駄だとか思ってはいけない

それは焦りにつながり、脳内アンプ作動して負の感情が増幅するだけだ

増幅させなければならないのは正の感情

楽しいとき感情全開で思いっきり楽しむ

こんなに楽しんでていいんだろうかとか思ってはいけない

それは後ろめたさにつながり、脳内アンプ作動して負の感情が増幅する

難しいのはつまらない時期と楽しい時期の混在する境目の部分だ

しかし、この難しいときこそ人間アンプが大活躍する

負の感情は増幅させるな 正の感情だけ増幅させろ

そうすれば正の感情が勝つ

人間アンプを使えば、つまらない時期は消せないが最小限のつらさと期間にとどめられ、楽しい時期は最大限の楽しさと期間持続できる

ある程度の訓練は必要だが、脳内アンプ機能をもたせると便利だぞ

2017-03-26

まとめブログかいtwitter以下の存在が実は有用だった件について

まとめブログは2chに書き込まれ情報コピペ転載しているだけのサイトなのだが近年その実態は変化してきている(もう大分からだが)

一昔前まではまとめブログといえばこれといった代表的まとめサイトが2chからコピペ転載禁止されたからだ

そこで困り果てたブログ管理人たちは頼る相手を2chからtwitterに変えた

twitterを利用する人たちをアホッターだのバカッターだの馬鹿にしてた奴らが今度はその情報を用いて収益を得るようになったのだ 滑稽でしかない

しかtwitter馬鹿にしてる現状は今も変わらない だれかのtwitter書き込み炎上すればそれを美味しいネタだと許可なく勝手転載する

タイトルには必ずバカッター、アホッター コメント欄も同じような言葉で溢れている

人間のありとあらゆる負の感情を凝縮したようなまとめブログ

だがそんなまとめブログ最近になって使い方によっては有用であることに気づいた

それはどうでもいいこと、中身のないエッセイ的な日常漫画という媒体にしてネットに上げれば勝手拡散してくれるのだ

まとめブログを見てる奴らの習性というのは面白いもの漫画にするだけでそれが全体の総意と勘違いし書いた奴が思ってもないことまで勝手想像して場外乱闘を始めてくれるのだ

自分絵心なんてまるでなかったが実際に試してみようと思い自分日常や不満に思っていることを漫画にしてtwitterブログにあげてみたりした

すると一週間も経たない内に様々なまとめブログに取り上げられtwitterフォロワー数やブログカウント数は桁違いに伸びた

それだけでなくweb漫画運営しているサイトから自分日常を題材にした漫画を連載してみないかと声をかけられた(まだ返答はしていないが)

これを読んでいて絵を描くのが好きな方、売れなくて困っている漫画家の方がいればぜひ試してほしい

まとめブログ管理人、それを利用している人々はそこら辺のハーレムアニメヒロインとは比べ物にならないくらいちょろい存在であることに気がつくはずだ

 

2017-03-23

聞く前に調べろ派と上手くやる方法

からないことがあった時、Googleがあるし、調べたらもしかしたらわかるかもしれないけど、調べるのに多分数時間はかかると思われる時ってあるじゃん

私はそういう時、聞いた方が早いなら聞いた方がいいなと思うタイプ

その方が結果的会社に貢献もできると思う。

的外れな調べ方で数時間を浪費する時間にも、会社は私に給料を払っている。

でも世の中には、聞く前に調べろ(というか最終的にインターネットの海に答えがあるならわかるまで調べろ)派もいる。

そういう考え方にはその人なりの理由があるのだろうし、ポリシー否定したいわけじゃない。

ただそういう人達にとって、きっと私は怠け者に見えるのだろうし、怠け者に対していい感情は抱かないと思う。

先輩や同僚に負の感情をもたれて、良い事はまぁ無い。

そういう考え方の異なる人達と、上手い事お互いにポリシーを捻じ曲げずに上手い事やる方法ってなんかないのかな。

現状でいうと私は組織の中で下っ端なので、聞いた方が早いじゃんと思いながらめっちゃ調べて、あーすっげ時間無駄にした気がするなーと思いながら、フラストレーションを溜めている。

自分より下に質問された時には、答えて、きっと次はここでひっかかるから、その時はこうやって調べてごらん、と教えている。

なんか、もっと、良い感じにできる方法があるんじゃないかと思う。もやもや

2017-03-21

アニメ

あれくらい世の中に悪いものはないと思ってるんです。

アニメって、人間として一番ダメなところを拡張する代物なんですよね。

今、映画なんかもそうだけど、一生懸命感情をくすぐって泣かそうとするわけですよ。

絶対泣けます」みたいな。バカじゃないかと思ってるんですよ。

人は、つらいことがあって泣くんだけど、つらいことはないほうが良いにきまってるでしょ。

それなのに、負の感情を植え付けようとするのがアニメなんです。

日常アニメにしても、何とかしてニコニコ気分よくしようとする。

要するに、感情を左右しようとするんだよ。くだらないんだよな。

2017-03-12

なぜゲイは望みもないのにノンケ告白をするのか

自分同性愛者だ。しかも、ノンケを好きになってしまったタイプホモだ。

今は大学院生だけど、自分ホモだってことに気づいたのは中学生くらいからだし

今回惚れたやつに気付かされたわけじゃない。

自覚があるんだからノンケを好きになることを回避できたのに、結局こうなってしまった。

ノンケを好きになるのは今回が初めてではなく二回目。

一回目は高校生ときで、当時一番仲が良かった友達を好きになった。

すごく罪悪感を感じた。

自分そいつに感じている感情相手にとって絶対に受け入れられることはないのは理性ではわかっているんだけど

それでもいつまでも好意を寄せてしまった。そんな自分が憎く、自傷行為とかもした(今思えばホントアホだったと思う)。

それに、これは今もなんだけど、自分同性愛者ということを受け入れられなかった。

女の子を見て、かわいいと思うし、付き合ったり、将来的に結婚でもして家庭を築きたい願望はある。

母親孫の顔を見せたりとか、したい。

でも現実には女の裸をみても不快感しかないし、セックスしたいと思うのは男だ。

そいつには卒業と同時にカミングアウト告白をして、ふってもらった。

すごくスッキリしたけど、やっぱりノンケと付き合うことは無理なんだなってことが身にしみて分かって、一人になったらめちゃくちゃ泣いた。

その友達には気持ち悪いだろうから俺との縁を切ってもかまわないと言ったけど、今もたまに遊んだりする仲で、良い奴だなって思う。

俺がホントのことを言ったことに感謝してくれていたし、だからこそほんとに、こいつを好きになったのを申し訳ないと思った。

こんな思いもう二度としたくないと思った。ノンケを好きになるのは金輪際やめようと思った。

この時も馬鹿だったか意識して気をつけていれば、ノンケ男を好きにならずに済むとか考えてた。

結局大学に入って、サークルですごく気が許せる友達ができた。

そいつを好きになった。

でも理性が否定してれば、普通友達としてやっていけると思った。だから最近まではそいつのことは全然きじゃないって思っていた。矛盾してるけど。

ずっと俺はこいつのことは好きじゃないと必死で思い込んで、友達として接するようにしていた。

最近、それに限界がきた。

しばらくはうまく行っていたけど、ノンケとしてそいつと接するのがここ最近特にキツい。

もう長年の付き合いになるけど、今まで全くシモネタをしないし、女関係の話が出ないから正直疑われていると思う。

このまま俺がノーマルであると嘘をついていける自信がない。それに、信頼している人に嘘をつくのは結構エネルギーが要る。

この嘘は悪いことだとわかっているものの、どこかでこの嘘を正当化しなきゃ貫きようがないから。

自分ホモだってことを嘘ついて仲良くしてるのが悪いってことは自覚できてるんだよ、自覚してる分罪も重いよね。

俺がもしノンケ友達立場だったら自分を許せるかどうか分からない。

それと、第三者からみたら気持ち悪いんだろうなって思うけど嫉妬で消費するエネルギーも大きい。

友達として接している分、心理的距離が近いかヘテロセクシャルが感じる嫉妬よりも大きいと思う。

友達女性体験とかを聞くととにかく負の感情がすごい。自分がその女には絶対なれないと思うのはめちゃくちゃ悔しい。

なんで俺って男として生まれたのかな、って思う。性自認は男だからトランスジェンダーではないんだけど、よく女になれたらなって思う。

高校生ときに嫌な思いをしたから、こんなことを二度とするまいと思っていたけど

やっぱりだめみたいだ。

今度あったら正直に話して縁を切ろうと思う。

2017-02-26

絵師になれなかった私

「絵も描かずに『神絵師を目指す人々』を描いた漫画破壊力高すぎて大ダメージを受ける人続々」(https://togetter.com/li/1084759)を読んだ。

この手の話は、まとめのコメントにもあるように「とにかく描くこと」という結論に落ち着きやすい。

しかし、当たり前の話だが、こんな結論を知ったところで何も解決しない。これは、受験勉強で「とにかく勉強すること」を解決策とすることと何ら変わりがないのだ。

高い目標を達成するためには、地に足を付けて自分に合った形に目標を設定し直さなければならない。

さらに言えば、達成難易度が高い目標場合攻略法必然的に複雑になる。ここをまず勘違いしてはならない。

以下、私が大学時代実践した方法を示す。

(1)最終目標を明確にする

絵師とは何なのか。ある程度数値化できるレベルに具体化する(「即売会で1000部完売」等)。

しかし、萌え絵死語?)を描きたいという欲求を持った人は、数値的な目標よりも、それを手段とした他者とのコミュニケーションが最終目標とされる場合が多いと感じる。

これでは目標抽象的すぎて具体的な行動に落とし込むのが難しくなる。

その場合目標から演繹的に方法考察するのでなく、具体的な行動指針を逐一検証して積み上げていく戦略を採ることになる。

なお、私はコミケで50部完売目標に設定した。

(2)今の自分確認

自分の現状を把握するために、何か課題を設定しておく。そして、数か月後に同じ課題に取り組む。

この課題はきちんと記録として残しておく。そうすることで自分の成長を確認できる。

私は、「涼宮ハルヒの全身絵を描く」という課題にした。

(3)基本方針

基本的には、メニューを決めて、実践問題点検証の繰り返しである部活でいう筋トレみたいなものである

とにかく、何か決まっていないとだれてしまう。メニューはとにかく負荷の少ないものとする。

継続の負荷をいかに少なく気楽にやれるかである。これが一番難しい。

気持ちで乗り切ろうとするのが一番最悪で、とにかく感情を挟まないように環境を構築するのが良い。

負担負の感情喚起されるパターンをとにかく書き出す。そして、その原因に対する対策を立てる。

対策は、気持ちで乗り切る以外の方法環境構築を基本にする。

(4)私の方針

私は、最初は○(まる)をB5用紙いっぱいに描くというレベルに設定した。これ以上は欲が出てもやらない。翌日も描きたいという欲求を残しておく。

大学入学後、夏休み前まではひたすら絵を描くことに慣れるという抽象的な目標があり、具体的な目標としてB5用紙1枚いっぱいに図形を描いた。

なお、その期間に、好きなイラストレーター漫画家アニメーターについて調べた。自分目標とする、好きな絵柄の方向性をきちんと把握するためである

気に入った人がいたら、その人の資料をとにかく集める。なお、私は冬目景が好きである

そして、夏休み以降は、その好きなイラストをひたすら模写する。

年明けに、毎日模写1枚と自由1枚にし、それをひたすら1年続けた。

(5)情けない結果

結果、約2年で私の画力は飛躍的に上がった。

その後、カラーイラストに嵌っていくのだが、その練習方法論は基本変わらない。

というか、教本が充実しているので、その方法論を具体的なトレーニングメニューに落とし込めば良いので楽だった。

しかし、ある程度描けるようになって気が付いたのだが、私は別に絵を描くことが好きではなかった。

絵を通じてコミュニケーションをするのが目的だった。そして、その目的は、ある程度描けるだけで達成できたのだ。

したがって、ある程度描けるだけで満足してしまった。

あと、美大にいった友人の絵(萌え絵ではない)をみて、ちょっと美術世界の深さに圧倒されてしまった。

から、そこでトレーニングはやめた。

2017-02-16

ネット定点観測

はてな2chまとめなどを毎日ずっとみているとやはり全体の雰囲気でみたとき情緒の波があるという気がする。

賞賛や同情、擁護のようなものが濃い日がある一方で、短絡的な罵倒煽り、蔑みのように負の感情が濃い日がある。

負の感情が多い日は、このニュース今日じゃなければ批判されなかっただろうなというような感覚が訪れることがあったりする。

全体の雰囲気が明るくておおらかなときは、ふつうなら炎上しそうな意見も見逃されたりしているように思ったりする。

ちなみに今日負の感情の強い日だった。なんでだろう?

何か強い社会的な要因があるんじゃないかと思う。

バレンタインデーの翌日だからとか。

2017-02-12

http://anond.hatelabo.jp/20170212132908

これ結構わかる気がする。

性教育が始まるのはだいたい第二次性徴期からだけど、もうその頃からモテるモテないの差はある。

自分勝手エゴもあれば薄汚い打算もあって、それで成り立ってる部分もある。

なのに、「あなたの体は大切で等しく価値がありますよ」とかタテマエだけぶつけられても、

知るかボケって思っちゃうんだよね正直。

それでもやっぱり思うのは、性教育というのは次世代のためにあるものだということだ。

子供が生まれなければあんものはただのゲス趣味なんだから

例え副産物でも子供が生まれてくる以上、彼らに負の感情は引き継ぐべきではない。

「性や生殖に伴うエゴとか動物的・本能的な部分と、授かった命の尊さは別問題」ってのは、

詭弁ではあるがまあ現実的な落としどころなんじゃないかと思う。

2017-02-04

正しさについて

「そんな生き方で苦しくない?」と、昨日バーで言われた。

自分には、いくつか生きていくうえで方針がある。人を助ける。愚痴悪口を言わない。他人干渉しない。

すべての人に劣等感を抱きながら、プライドの高さゆえに隠しきれない傲慢さを取り繕いながら、「いい人」のふりをしようとする。

正直に言うと、苦しくて、窮屈だ。

ではなぜ苦しくても、その方針を貫いているのだろうか。今日考えて、ひとつの解にたどり着いた。それは、自分が「正しさ」というものに異常にこだわっているから。

ミス他人のせいにするのは、「正しくない」。ビジネス感情を露わにするのは、「正しくない」。人によって扱いに差をつけるのは、「正しくない」。一つの分野でしか力を発揮できないのは、「正しくない」。

自分の中にいくつもの正しさの基準があって、それに沿って行動しているのだ。

学生のころ、テストはいつも満点だった。なぜなら、正解がすでに用意されているから。

愛や思いやりに溢れた作品が好きだ。なぜなら、その中には正しさが溢れているから。

人に負の感情をぶつけることができない。なぜなら、それは多くの作品で悪し様に表現されている、正しくない行為から

正しいことをしていれば、「いい子」でいられる。誰からも怒られない。誰にも迷惑をかけない。人として、道を逸れない。

でもそれは、最初に言った通り、窮屈さとの引き換えだ。

相手とのコミュニケーションの正解を探すので、いつも一歩深く踏み込めない。

正解がすでに示されている前例なしには、ものを作れない。

人が多くいる場所では最悪だ。その場の誰からも「×」をつけられないよう、地雷原を歩くがごとく、慎重に振る舞う

うんざりする。しかし、それを受け入れていた。それが自分生き方だと思っていた。

でも、「そんな生き方で苦しくない?」と大切な友人に昨日言われた。実はその前から、何度か同じ質問は受けていて、そのたびに胸に引っかかっていた。

だいたい、この質問自体自分の正しさの基準からはありえないことだ。誰かの生き方価値観否定しているようなものなのだから

自分絶対に言えない質問だ。でもその友人は、ためらう様子もなく、聞いてきた。

ずっと大事にしてきた家宝贋作だったことを教える、おせっかいな鑑定士のようなものだ。余計な真似極まりない。でもそれが、うれしかった。「やっぱり贋作ですよねー」って笑いかけたくなった。

仮にも20数年、培ってきた自分生き方からすぐには変えられないのはわかっている。でも、少しずつでも自分基準を「正しさ」からのものに変えていこうと思う。自分自身の「快・不快」や「欲望」、ときには「メリットデメリット」も勘定に入れよう。

別にその生き方で窮屈じゃなくなるとは思わない。違う問題も出てくるだろう。これまでよりも多くの人に嫌われるだろう。多くの人を嫌いになるだろう。でも、これまでよりももっと深く人やものを好きになれたらそれでいい。少なくとも、今はそう考えている。正しいかどうかは知らない

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