はてなキーワード: キャラクターデザインとは
“開発に8年かけて2週間でサービス停止となった新作ゲーム「コンコード」のキャラクターデザインリーダーがやばすぎた・・思想強すぎて完全に…”
WOKEでなくてもクソだった映画とかと違ってWOKEで無ければ良作だったって実例が来てしまって、今のWOKEに文化を牽引する力が無いってのが明確になってしまった感があるね。
というか、日本のオタクが牽引する市場って、今でも50億ドルに届かない程度の規模感でしか無いのに、その4倍の額突っ込んでなお一般人を惹きつけないんだから相当無理だろ……
ブラウニーポイントが一般人に訴求ポイントとして有効に働いていないだけならまだしも、優遇されている各属性の人々に対してすら全く響いていないってのは根本的な間違いがあると思う。
よく考えたら、オタクだってオタクに媚びたようなムーブメントに嫌悪感を示しがちだったしな……
オタクは媚びられることに喜ぶのではなく、媚びた結果だろうが媚びずに出てきた結果だろうが、対象に興味関心、趣味嗜好、性癖などを刺激されるかどうかで判断するし、その辺割とシビアなので結果が伴わなきゃダメなんだよね。
一方で、「媚びた時点でブラウニーポイントが稼げて目的が達成されるDEI」は品質向上に寄与しない。
オタクは「被差別属性と顧客目線を併せ持つ多々買う人々」という、かなり特殊な存在なんだなとあらためて思う所。
WOKEはWOKEに媚びられただけで喜ぶステージを脱して価値創造を始めるべきなんだろうな。
そのためにマス・マーケットの進出から始めてる辺りが構造的にイビツ過ぎる。
オタクのように同人誌やWeb小説といった所から裾野を広げていくプロセスを欠いた結果、WOKE的価値観から創出されるあらゆるモノは「踏襲するモンが何も無いぽっと出状態」に陥っているんではと思われる。
なろう系と呼ばれるジャンルが成立するまでワナビーたちが屍山血河を築くほどに試行錯誤を繰り返してきたように、WOKEを代表するジャンルが成立するまで試行錯誤を繰り返す必要があるんだろうな。
こういった屍山血河を築くにあたって唐突に集団製作から取りかかる体制はデカすぎるんよ、やっぱり。
こういうこと言うと軍師気取りとか言われちゃうんだろうけど、そもそもの話をすればWOKEのためを思ってのことではなく、オタクとWOKEが文化的に共存するにあたっての個人的な願望から来る提案に過ぎんのよ。
オタク文化を侵略・支配して何かを成そうとしているようにしか見えない現状では、対立するしか無くなっちゃってるからねぇ……
オスに生殖を禁じた上でメスを外来種と交配させ続けると現地の固有種が消滅するのと同じように、一部要素の継承を断たれてプロパガンダを押し付けられた文化もまた変容という格好で消滅するんですよ。
WOKEがやろうとしていることはこう、往々にして虐殺の要素を含むものなんで、今の路線でヨソの文化と仲良くできることはあり得ないんだよね。
WOKEが抱えがちな「理解されれば受け入れて貰える」って思考は、その一方で受け入れて貰う側のことをどれほど理解をしているというのか。
自分は相手のことを理解する気がサラサラ無いのに、一方的に受け入れ、愛されて当然だと思える思考は、駄々を捏ねる幼児のそれと変わらんのよね……
オタクの側は実際「WOKEな人に喜んで貰えるかな?」っていう試行錯誤を既に始めてると思う。
そもそも、オタクはオタクだけにウケる作品で満足しないんですよね……
漫画なんかだと、古くは子供に喜ばれるために試行錯誤し、婦女子に喜ばれるために試行錯誤してて、それらを受け取った少年少女はいつしか大人となり、描き手になった。
結果、大人が喜ぶ少年漫画や男が喜ぶ少女漫画、果てはノンケが喜ぶホモ百合漫画が生まれるほどの多様性を獲得して今に至るわけでして。
そうした流れの中で、今だって何が喜ばれるかを試行錯誤してる真っ最中だと思うのよ。
ポリコレとかDEI推進って聞くと拒絶反応が見えるけど、男女平等とか自由主義とか性的指向の多様性なんかの各要素は寧ろ積極的に取り込んでるでしょ。
既にそうした課題に対する改善意識が作劇上の必然として巧妙に練り込まれて来てたから、実はオタクほどフェミニズムやDEI推進と親和性が高かったりするんです。
男女の不平等は「登場人物が遭遇する障害」として登場し、反自由主義は「ディストピア」として書かれ、性的嗜好の多様性はキャラクターの造型として実装される所を飛び越えて、一部はBLや百合など分類可能なジャンルにすらなっている。
こう、かつての作家達がこれまで積み上げてきた試行錯誤と努力の結果を、「そこに至って当然の、必然でしかない」と勘違いしてる輩はけっこう混じってるんでないかねぇ……
ンなワケ無いんだよなー……
WOKEとかパヨクは融和に向けた努力を続ける人々のやわらかな物腰を弱みと勘違いしてるのか、強権的な支配を試みるんだよな。
この手の人らは根本的に、支配されるか反発するかの二択しかない中で、「尊重」とか「寛容」といった共存共栄に欠かせない要素を学び損ねてるフシがある。
これらは纏めて「多様性の尊重」と呼ばれる概念になるわけですが、相手を尊重するためには相手への理解が必須なので、多様性の尊重とはただの妥協や我慢ではないんです。
我慢を強いられる事を唯唯諾諾と受け容れるのは「妥協」であって、それは寛容でも尊重でもねえのですよ……
「今度は俺たちが支配する番だ!」
ネトウヨはわからんけど、多くのオタクはWOKEを観察し、理解しようと頑張ってます。
新規ジャンルの開拓とか商売する上での下心があるにせよ、理解しようとしてるんです。
WOKEはオタクを理解しようとしているかといえば、欠片も理解する気は無さそうだった。
これがなぜ過去形かって、オタクやゲーマーが好む要素をきちんと分析して実装していたからこそクソゲーでは無かった「コンコルド」という実績が生まれたからです。
非常に悲しい話ですが、結果的に作品がヒーローシューターという飽和市場に生まれ落ちてしまい、たとえWOKEで無かったとしても爆死濃厚な作品となってしまったこと……
クオリティを高めるために必要だったのでしょうけど、企画からリリースまで8年てのはあまりにも長すぎた……
ただ悔しいし、作り手の無念は想像し得ませんよ実際……
ぼくはリベサヨとして、コンコルドが雑な作りのクソゲーでは無かった事実がGeekやNerdに対するWOKE側の歩み寄りであったって可能性を、どうか頭の片隅に置いてて欲しいと願う……
雑にそれっぽいものをでっち上げるだけなら時間も費用もここまでのことにはなってないハズだからね……
個人的には、漫画が獲得出来ている多様性から考えると、先に挙げたように漫画や小説などの個人製作からジャンルの確立を目指すのがもっとも穏当かつ確実だと思う。
この形態は「支持者が買い支えしやすい」という草の根活動的に最も重要なポイントを抑えているのがデカいです。
コンコルドはおそらく、一般人おいてけぼりのオタ向け路線で同じ事しても、同じ失敗をしていることでしょう。
非ヲタを巻き込まないと成立しない分野に手を出すのが時期尚早なんですね……
って思われるかもだけど、コンソールやゲーミングPCが既に手元にあるおめーらと一緒にすんなって話で、そもそもPS5もゲーミングPCも全然安くねえのですよ……
どんな方面であれ、侵略を伴わない本気の取り組みが報われないことは悲劇です。
CONCORDをただただ笑い者にすることで、逆にオタクの品性が問われる状況にあると認識した方が良いとすら思います。
WOKEの本気を見て、手触りは悪く無いと感じるプレイヤーが多かった事実は決して軽く無い。
それになにより、WOKEが既存のラインナップと肩を並べて困るオタクは居ないだろ。
それはノンケのオタクがことさら百合やBLを叩いたりはしないのと同じ事だもの。
WOKEジャンルが確立すれば、一々既存のシリーズを侵略しに来ることも無くなるだろうから、WinーWinだと思うね。
一々買って応援しろとは言わない(なんならぼくも買ってない)けど、生暖かく見守るに留めたってバチは当たるまいよ。
ここまで読んでくれてありがとナス。
コロナで寝込んでいる時、前情報を全く入れずにAmazonプライムで「リコリス・リコイル」というアニメを見た。6話時点までの感想。
自分が知ってる要素ばかりでストレスなく見られて最高だった。「好きで見慣れたもの」の詰め合わせ。驚きはないが快適。疲れた社会人に日常系アニメが支持されているなんて話もあったが、むしろこういうアニメの方が個人的には楽なのでもっと増やしてほしい。
全体的に攻殻機動隊のような雰囲気があり、少女が銃を持って撃ち合うところはガンスリンガー・ガールっぽい。喫茶店を拠点に依頼をこなしていく構造はペルソナ5っぽかった。ガンアクションということもあり、キャラクターデザインに梅津泰臣っぽさを感じた気がした。
Wikipediaを見るとBS11で放送されていたらしい。なんとなく懐かしさを感じたのは、地方出身で子供の頃深夜アニメをBS11でしか見られなかった自分の経験もあるかもしれない。なんとなく流行の中心ではないBS11っぽさがあった気がする。
成長とかはどうでもよくてとにかく今をやり過ごしたい、というモードの時はこういうのがいい。もちろん見る人(特に若い世代)によっては、シェルターではなくその人の一生を左右するアニメになる可能性はあると思う。実際全体的にクオリティは高く安定していて正直批判が思いつかない。
制作に関わった皆さん本当にありがとうございました。
https://megalodon.jp/2024-0823-1735-48/https://bbs.animanch.com:443/board/3778309/
キャラクターデザイン担当がファンアートとしてSNSに絵を投稿しただけでこれだけ難癖つけられる
パロディの権利は絶対的に守られるべきだと思っている。パロディは批判、批評、評論の一種で、言論の自由の一環だと思ってるから
二次創作は必ずしも守られなければならないとは思ってない。パロディのような言論の自由の範囲とは思ってないから
けどパロディと二次創作の間には明確な違いがあるのは違いない。その違いは言論の自由の範囲内か否かだと思ってる
言論の自由は生存する権利のために必ず守られなければならない(発言権がないと生きてくための最低限の権利の主張すらできない)けど、著作権は商売の上の権利でしかないので、言論の自由とは分けて考えてる
原作の創作物は言論の自由に守られるべきだが、一方で原作が他者を傷つける内容である可能性は常にある
である以上、原作を批判、批評、評論するパロディの権利は生存する権利として守られなければならない
けれどパロディと二次創作の間の線引きは難しい。原作と異なる展開を書いただけでも、その違いがそのまま批評行為になることはある
しかし、たとえ外部的な基準が作れなくても言論の自由に基づかない二次創作行為は明確に別物である
「普通の商行為だと自称する転売ヤー」みたいなもんだと思っている
パロディではない二次創作でいいなら原作のキャラクター名そのままじゃなく、ちょっともじった変名にすればいいと思う
キャラクターデザイン上のちょっとしたアクセサリーを変えたり髪型を少しだけ弄ったりすればいいと思う
そうやって作ったとして、創作をはじめたばかりの人が自作を発表する上で、何の問題もない
つまり、商売の話でしかなく、自分自身が生きてく上での基本的人権の話ではない
一方パロディは、そういうふうに「ちょっと変えてオリジナル」にしてしまったら意味がない
原作と同じであることを強調する一方で違いも示す。そうしないとパロディとして機能しない
金の余ってそうな奴らに対して「貴方を必要としてるの」と誘っていき、余ってる金を巻き上げるシステム。
表向きはさも「お金がないとつぶれちゃう!」と騒いで、実際には全然余裕っていう。
キャラクターデザインからして「貴方だけに語る悲しい過去」「異性が苦手だけど主人公くんはセーフ」みたいなのがオンパレード。
強気なイケメンが実は足のつりかけた白鳥だってアピールして、支えてあげなきゃ欲が高まった所に誕生日(ボーナスの時期が多い)に最高レアの新衣装を出してきて貢がせていく。
浅ましいのか、ある意味ギブ・アンド・テイクなのか。
親にネクタイでも買ってやるほうが何倍もコスパがいいだろうに、自分の人生の失敗を親ガチャに押し付けてあとに引けない所を狙われてるとも知らずにねえ
まず、報酬の安いアニメーターは芸術家ではなく職人的技術者だと思っていい
簡単に言うと、資料通りの絵柄と演技で中割り(Aの絵とBの絵の間を一秒8枚の絵に分割してそれを)するのが下っ端のアニメーター
その中で、ごく一部の技術とオリジナリティ(と体力)を併せ持ったアニメーターだけが
原画、キャラクターデザイン、作画監督と出世し、稼げるアニメーターになっていく
なので稼げないアニメーターは適性が低いというのはまさにそのとおりだ
で、大量にある仕事を大人数の底辺アニメーターにばらまいて回収していくのがアニメ制作進行の主な仕事だ
仕事量や個々の負担をコントロールしているのはアニメーターではないし
もちろん人によって評価は変わるし、視聴率とか売り上げとかを評価基準にすると話は変わるし、あくまで俺の評価だ。異論は大いに認める。
その上であえて言う。
Go!プリンセスプリキュアが最高だったな。
全部が完璧だったとは言わない。
というかそんな作品はプリキュア以前にこの世には存在しないだろう。
でも欠点や粗がとても少なく、魅力がとても多かった。
キャラクター、ストーリー、世界観、絵、声優、音楽、どれもよかった。
キャラクターはストップとフリーズがやや存在意義が薄い印象だったが、みんな素晴らしかった。
メインのプリキュア4人のみならず、一般人協力者の同級生ゆい、ノーブル学園の生徒や教師たちも良かった。
モブ生徒に思わぬ美少女がいたり、どうでもよさげなザマス先生にも「いいとこあるじゃん」と思えるようなシーンがあったりする。
特に敵のディスダーク三銃士は、途中で三人が全く別の道に進んで、そして最後にまた集束していくのが実に印象深かった。
ストーリーは主人公はるかの「お姫様になりたい」という幼稚な願望をどこまでも膨らませていくもので、途中にいろいとろ都合のよさはあるのだが、
最後には中学生から大人の女として「お姫様のように生きていきたい」という姿に着地させるのはよかったと思う。
世界観は「絵本のお姫様」のような華やかさがあるものの、同時に「説教臭い」「土臭い」という印象もやや強い。
説教臭さについては、後のプリキュアシリーズにもっと説教臭い作品が出るので相対的に気にならなくなるという面もあった。
絵はキャラクターデザインが中谷友紀子というアニメーターで、最近では「薬屋のひとりごと」を担当している。
後に「トロピカル〜ジュ!プリキュア」も担当し、キュアコーラルは最高にかわいかった。
声優はプリキュア4人は嶋村侑、浅野真澄、山村響、沢城みゆき。
嶋村はゼルダの伝説のゼルダ姫や進撃の巨人のアニも好きなのでひいきにしたくなる。
キュアトゥインクルは声優もビジュアルも(変身前も変身後)もどれもとても好きだ。
音楽はエンディング曲は歌詞の一部がプリキュア4人のために4種類あるのが好きだったし
またストーリーの中で「二つの別のバイオリン曲が実は一つの曲だった」という仕掛けがあって、非常に感嘆した。
なんつうかもうプリキュアとかじゃなく全50話のオリジナルアニメとしてとても素晴らしかった。
語られる教訓はアイドルに限らず、普遍的な、いまの自分と未来の自分をどう捉えるかという内容である。
プリンセスプリキュアの「プリンセス」があえて曖昧な概念で、子どもが持つそれぞれの夢や目標と重ねやすいようにしているのと同じだと考えるとわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
ともかく、アイカツ!にどういう教えがあるかというと、
未来の自分が振り返ったときに、自慢できるような過去の自分でいよう。だから、今を精一杯生きよう。
この一貫性が見事で、初期EDのカレンダーガールの歌詞から、10年後を描いた劇場版まで全くブレない。
それがぶっ刺さってしまって、人生が大きく変わった。きっとそういう人は他にもいると思う。
卒業も決まり、暇になって夕方テレビをつけるとアイカツ!というアニメがやっていた。
第121話「未来に約束!」だった。ちなみに、アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い。
留学生が帰るタイミングの話のようだった。自分から見る自分と他人から見る自分の折り合いをつけるような話だった。
1話見た瞬間ピンと来た。これはすごいアニメなんじゃないかと。人生で最も正しい判断であった。
はてなー一同ご存知の通り、ほとんどなにもしないのと同義のような仕事をしていた。
もちろん定時で帰れていたので、1話からアイカツを追いかけた。
仕事にも慣れてきたころ、125話に到達した。(アイカツおじさんはサブタイトルではなく話数で言うことが多い)
125話は初代主人公のいちごから、2代目主人公のあかりに、話のバトンを完全に渡すという話だった。
そして、ライブパートでの、Good morning my dream。。。
(簡単に説明すると、私がもっている大切な「夢」、私のことを選んでくれてありがとう。きっと叶えるからね。という歌)
そしてそして、OPがLovely Party Collectionに変わった。
(簡単に説明すると、今日の自分にリボンをかけて(未来の自分にとっての)宝物にしよう。という歌)
これが決定打となった。
あの時の自分、あの時の毎日、振り返ったら宝物にできるだろうか。
できないと思った。
こうして会社をやめて、違う道に進むことにした。
具体的には、博士課程に進学した。
3代目主人公も登場し、トークショーなどイベントも盛り上がり、まだまだアイカツ!は終わらない。
そう思っていたら、翌年突然アイカツ!は終わった。
しかし、アイカツ!を全話視聴した者にとっては、この別れが新たな始まりであると立ち直ることができる。
アイカツ!がなくても、アイカツ!を好きになった自分が、アイカツ!のことを考える自分がある限り、その自分を拠り所にして立つことができるのである。
仏教でいう自灯明法灯明の教えだと思えばわかりやすいかもしれない(わかりにくい)
こうして、アイカツ!のない期間も、未来の自分に恥じないように毎日をがんばって過ごしてきた。
アイカツ!の展開としては、新シリーズの次のシリーズの次のシリーズまでやったあと、
アイカツオンパレードという、まあPIXARの映画のEDで流れるNG集みたいな感じのファンサービスがあった。
ただ、アイカツ!の本質というべき思想はどれにもなかったかな。
アイカツ10周年ということで、突然完全新作の劇場版が製作された。
それも、同窓会的映画ではなく、完全にTV版が終わった直後からそのまま続くストーリーである。
しかも、新シリーズを経るごとに変わっていったキャラクターデザインや3DCGのクセもガラッと戻し、
「あのときからのアイカツの10年」を完全に捉えた映画であった。
アバンでのいちごの「ただいま!」から始まり、終盤での観客への語りかけ。
「アイカツがなくても、アイカツを好きな自分を信じて」と考えていたのが、自分の暴走的妄想ではなかったと、今までの期間のがんばりが正しかったんだと認められたようで、本当に嬉しかった。
これからまたアイカツ!のない世界が続いても、振り返れば、がんばってきた過去の自分がいるじゃないかと、送り出されるような映画だった。
こうして、突然打ち切りにあったようなTVシリーズも7年越しに卒業式を迎えることができ、我々もアイカツ!から卒業したのである。
アイカツ!で進んだ博士課程、そこから続くアカデミアの道。(簡単に言うと、ポスドクから大学教授まで進むルート)
あるいは、企業に進むAcadexitの道。(Brexitのようにアカデミー+EXITを組み合わせた造語)
アイカツ!がなかったら今の自分はなかっただろうなと本気で思う。
クソアンチアカウントのヘイトに利用されるよりはマシだと思ったので
あの投稿の解釈は間違っているが、リークとされる画像自体は本物である可能性が高い。
この記事を読んでも「バンナム上層部はクソ」という感想は変わらないかもしれない。
またリーク元の人間も「既に古い情報の可能性がある」ということにも言及している。
それを踏まえたうえで読んで欲しい。
ソースは元バンナム社員で、中国市場向けにアイマスをローカライズする仕事をしていたとする人物。
海外イベントでのアイマスブースのデザインをしていたこともあるようだ。
bilibiliで動画が投稿。その仕事での経験が語られるとともに、
その中には「アイマス学園」の信号機3人のキャラクターデザインやキービジュアルのような画像、
キャラクターの3Dモデルはまだ作られておらず、天海春香のモデルが使用されていた。
アイマス学園以外だと、恐らく2019年末~2020年初頭頃に作成された
アイマスのロードマップのようなものが書かれたスライドが複数公開された。
最近騒がれているのはそのうちの1枚。
これらのリークがすべてフェイクだった場合、相当に手間をかけて作られたことになる。
このリーク動画の概要を英訳したものがDiscordに投稿され、英語圏でも広まった。
元ナムコ社員で、アイマスの中国向けローカライズ(まったくうまくいかなかったが)を担当した人物が、同フランチャイズに携わった経験を詳細に紹介するビデオを撮影した。その中で彼は、リークされた情報(見たくない人はここでカットしてください)を含むいくつかのプランを示した。
いつかの時点で、花のイメージを中心とした海外専用のブランチが存在する。開発チームは、経営陣の交代でプロジェクトが破棄される前に、すでにこのブランチ用のゲームのデモを作成していた。ビデオでは、メイントリオとそのコスチューム、そしてゲームのお祝いビデオが紹介されている。
多くの企業がローカライズに興味を持っていたようだが(CGSS、MLTD、enza Shinyなど)、モバイルゲームはすべて外注なので、コミュニケーションは非常に限られていた。
シャイニーカラーズが海外版をリリースできる可能性が最も高かったが、コードに何か問題があったようで、他社に移管することができなかった。
SideMはまだ新しいアニメを企画中で、当初は2020年から2025年に放送する予定だった。この情報は古いかもしれませんが、私は現実逃避して信じます!:)
シャイニーカラーズは、2022年からシンデレラガールズに代わってアイマスのメインとなる予定だ。ミリオンライブは2025年以降に大きく発展する可能性があるが、まだ不明である。2022年から2025年にかけては、(かなり以前に計画されていた)6番目のブランチがアイマスの二次的な焦点となり、SideMが三次的な焦点となる。
「アイマス学園」という通称で実際の名前を隠している第6のブランチは、すでに開発中のゲームがあり、2025年秋に放送予定のアニメがあり、メイントリオの(アート+デザイン)がある。彼らは本当にこれが次の大物になると思っているのだ。
少しばかりのアートとテキストを見る限り、舞台は『あんスタ』のようなもので、あなたはアイドル高校(おそらく)のプロデュースクラス(原文は「プロデュース課二年生」)の生徒で、メイントリオのプロデュースを任されている。ユニフォームはちょっとかわいい。元スタッフは、このブランドは2024年にリリースされると考えている(当初は2023年リリース予定だったが、COVIDによって1年間開発が中止した)。
オリジナルのビデオは超誠実で、中国語がわかる人にはぜひオリジナルを見ることを勧める。彼の情報が100%正確だとは言えないし、彼自身、一部は古いかもしれないと主張している。しかし、私は彼がデザインしたアイドルマスターブースを訪れたので、真実はあると思う。
言及されているように、「アイドルマスター学園」が昨年の周年配信で発表された第6のブランドであることは間違いない。
「かなり以前に計画されていた」という情報も、「企画発足から5年弱経っている」という小美野Pの発言とも符合する。
最初に海外向けブランドとして作られ、一度破棄されたプロジェクトと同一なのであれば、制作に時間がかかっていることも理解できる。
ただ、リークでは「アイマス学園」という名称は仮称とされていたので、
リークされたイラストには教室の中にいる、信号機であろう3人の女の子が描かれていた。
画質が非常に悪かったため詳細は見えづらいが、
茶髪ショート、黒髪ロング、金髪ツインテの組み合わせで、制服は赤いリボンのついた緑色のブレザー。
淡い色合いが特徴で、イラストレーターで例えるなら左氏などが近いだろうか。
スライドが作成された時点での、その後のアイマスのロードマップが簡単な図で表されていた。
1枚目のスライドでは、
アイマスロゴが張り付けられたブロックを持ち上げている男(いらすとや素材)が描かれていて、こう書かれている。
国内「アイドルマスター」の安定基盤を元に、「地域」と「アイドル・育成領域」の拡大を推進。
② アイドルエンターテインメントへの領域拡大
2019年度から2024年度までの予定が書かれた5行6列の表になっている。
各項目にはモザイクがかけられているが、上からミリオンライブ、シャイニーカラーズ、シンデレラガールズ、SideM、そしてアイドルマスター全体の順になっていると思われる。
おおむね実際に起こったイベントと一致しているが、いくつか実現していないものもあるので、そこだけ抜き出しておく。
シンデレラガールズ、ミリオンライブ、シャイニーカラーズ、アイマス学園、SideMについての何かを、
2021年度から2025年までの間を図形で表現した5行5列の表。
2枚目のスライドと違って、アニメや周年のような節目以外は具体的なイベントが書かれていない。
アニメの放送予定が実際と違っていることにも気づくかもしれないが、これはコロナ禍で遅れたものだと解釈できる。
そして何故かシャイニーカラーズの5周年を2022年と間違えている。
Xでは、この表の図形がゲームの展開やサービス終了を表したものとして誤解されているが、
リーク主の文脈を踏まえたうえで解釈するなら、これは「各ブランドの展開の優先度」だと考えられる。
2021年度にはシンデレラガールズが「①」、シャイニーカラーズが「②」だったのが、2022年度を境目に逆転していて、
2023年度に始まる(予定だった)アイマス学園が2024年度には「②」になっている。
もちろん、先日バンナムのIRで発表された「開発中止になった5タイトル」とは一切関係はない。
シンデレラガールズが2025年の最後に先細っている図が、完全な展開の終了を表しているのか、ここまでの情報だけだと判断できない。
しかし、少なくともシャイニーカラーズをシンデレラガールズに代わる主力ブランドにしたがっている、というのは確からしい。
またミリオンライブについて、
2025年の最後にシンデレラガールズと同じく先細った図のあとに、
とも書かれている。
ここから先は個人的な予測に過ぎないので、別に読まなくてもいい。
既に"3.0 VISION"が掲げられているが、リークの情報を踏まえると
シリーズの20周年となる2025年を境に更に大きな再編が行われようとしているのが窺える。
これはリークで語られている通り。
シャイニーカラーズについては現時点で既にそうなっていると感じられるかもしれない。
これまで長い間、シンデレラガールズがアイドルマスターの顔としてIPを引っ張っていたが、
Cygamesと利益を分配(現在の割合は不明)しなければならないことを、バンナムが面白く思っていなかったことは想像に難くない。
それを置き換えられる、自社で利益を独占できるアイドルマスターが欲しかった。
シャイニーカラーズは他ブランドと比べてもプロモーションが強力に推し進められていて、
大きな宣伝費が投じられていることは明らかだ。
品質の高いの絵とシナリオ、高山Pの手腕もあり、その宣伝費に見合うだけの評価をシャイニーカラーズは得ている。
このまま成功が続けば、シンデレラガールズに置き換わる存在になるという会社の目論見は達成できるのかもしれない。
enzaという自社プラットフォームで運営されているのも、「ストアの手数料を回避するため」以外の理由はなく、
もともと合弁会社だったBXDも、enzaが軌道に乗るとすぐにグループ傘下に編入された。
アイドルマスターのマネタイズを最大化するために生まれた最初のブランド、それがシャイニーカラーズだった。
最近はシャニソンの不調が話題にされがちだが、同時に早い頻度でのアップデートも予告されていて、
"失敗できないタイトル"として注力されていることが想像できる。
「令和のゲームとしてタイトルがダサすぎないか?」のような意見も既にみられる。
しかし、音ゲーであるかどうかも分からないが、音ゲーとして現在のアイマスを捉えた場合、競合となるのはプロセカやあんスタのような学園もののタイトルになる。
より若年層の顧客を得るために学園ものに手を出そうという考えなら、そこまでおかしいとは感じない。
海外向けタイトルとしてのコンセプトが継承されているのであれば、それだけで成功する可能性がある。
日本のPは意識していないだろうが、これまでのアイマスは海外展開に非常に消極的だった。
特に英訳されてリリースされたゲームはシャイニーフェスタくらいしかない。アニマスですら正規の方法で見るのが難しい状況だ。
海外Pはわざわざ日本のApple IDを取得するなどしてアプリをDLし、翻訳情報を共有しながら何年もプレイし続けている。
マネタイズについてはシャイニーカラーズと同様の、もしくはより最適化されたものになる可能性が高い。
音楽はランティスが制作するし、ラジオはアソビストアで限定配信され、バンダイやバンプレストからグッズがやたらと発売される。
これは断言してもいい。
これもリークの繰り返しになるが、
相対的にせよそうでないにせよ、シンデレラガールズはこれまでのようには注力されなくなるのだろう。
ただ、これがデレステのサービス終了にまで繋がるかどうかは疑問が残る。
わざわざ終了させる必要性を感じない。
昨年末のサービス内容の"調整"の発表で騒ぎになったが、本当に長く細く続けるための調整なのかもしれない。
発表されたばかりの星街すいせいコラボは非常に大きいコラボだと思うが、
定期的な更新を減らす代わりに、こうした大きな話題を不定期に提供していく方針に変えていくということなのだろうか。
プロジェクトチームや現在のCygamesがシンデレラガールズをどう捉えているのかも見えづらい。
アイマス5ブランドの中でシンデレラガールズだけは「顔の見えない運営」であることが、今は裏目に出ていると感じる。
現時点では「縮小する」以上の事については確信が持てない、というのが正直な感想。
これは「大きく発展する可能性」「IPオリジン新ブランド(検討中) 」の部分を解釈したもの。
アイドルマスターのIPのオリジン(起源)とは、もちろん765PRO ALLSTARSのアイドルマスターのことであり、
そこからミリオンライブに重なる形で新ブランドが生まれるということは、765プロは765プロとして1つのブランドになる、ということ。
今回のリークでは765ASブランドについての言及が全くない。
ロードマップを見ても、2019年度の時点で、765ASに継続された展開は予定されていなかったということがわかる。
直近にある「はんげつであえたら」のように、実験的な企画を不定期に実施している、というのが765ASの現状だ。
こうした状況になっているのは、きっかけとしては石原Dの退社もあるかもしれないが、
運営型タイトルでないがために、継続的なプロジェクトチームが組まれていないことが直接の原因だと思っている。
一方でミリオンライブも、強固なファンベースを持ちながらも、分かりにくいタイトルであるために"765プロ"であることが対外的に伝わりづらい。
20周年を契機に765ASをミリオンライブの展開に取り込み、765プロであることが伝わりやすい新しいブランドとして仕切り直す、
という構想があったとしても、そんなに不思議ではなさそう。
今の時点で同じブランドのように扱われていることはしばしば見られるし、むしろそうなることを望んでいるミリオンライブのPは少なくないと思う。
早ければ10th LIVEのAct4、もしくはその後の生配信でそれに近い動きがみられるかもしれない。
ロードマップが作成された(と思われる)タイミングではモバエムもエムステも健在だったし、
その後登場したサイスタは会社の"総合的な判断"によって強制的にクローズされてしまった。
現在とは状況が大きく異なる。
一つ言えるとしたら、計画されていたという新作アニメが実現できたとしても、
前作のようなアニプレックス制作のアニメになる可能性は限りなく低いということくらい。
コロナ禍で中止になった星井美希のMRライブ、その振替配信「あふぅTV」がきっかけだったことを勝股Pが明かしている。
そもそもコンテンツが存在していない時系列の話なので、今回のリークでヴイアライヴが登場しないのは当然 Permalink | 記事への反応(2) | 02:07
攻殻機動隊のアニメと映画をひととおり見たら、ARISEのシリーズが一番フィットしたわ
押井守監督の衒学的な世界観や当時の最先端映像も素晴らしいんだけど、ちょっとエンタメが不足して感じられるし、SACは逆に分かりやすさとエンタメ性が高くてちょっと物足りない感じもある
ARISEはすっきり見られる見やすさ、エンタメ性と、なんでそこにこだわるんだ?このキャラクターはどういう価値観なんだ?と疑問が生じる引っ掛かりのバランスがちょうど良かった
「統一された規格の美しさ」みたいなワードが繰り返されるけど、拘りのポイントそこ!?みたいな感じがあるし(一応、攻殻機動隊こ成り立ちとして、組織としての統一規格と掛けてはいるんだろうけど)、メリハリのあるキャラクターデザインや、少佐の可愛げのある表情も見れてお得感がある
胸がデカイ?
背が高い?
顔が小さい?
目が大きい?
色が白すぎる?
地毛がありえない色?
ぜーんぶ大したことないよ。
三次元で絶対に満たすことが出来ない欲望を二次元相手に満たそうとする変態趣味に媚び媚びした拝金主義の極地みたいなキャラクターは本当にキモい。
ホビット、ハーフリング、コロポックルのような伝統的なキャラクターデザインではなく、明らかに小児性愛者を対象としたようなデザインの種族はマジで見ててキモい。
有名所だとFF14のララフェル、グラブルのハーヴィン、LoLのヨードル。
そういったキャラクターをつかってあの手この手で客を呼び込もうとするオタク業界のキモさよ。
ブルアカのキャラが中学生高校生ぐらいなのに小学生みたいな外見をしてるのだってこの延長だよ。
結局さ、現実で絶対に満たせない欲求を満たそうとする異常性癖の持ち主に媚びるのが一番金になるんだ。
そのために子供のようなキャラに露骨な服を着せて金を落とさせようとするわけだ。
本当にキモい。
そのキモさの究極が「合法ショタ・ロリ」と呼ばれる「設定だけ成人している幼児体型種族」さ。
マジでありえないよ。
何が合法だよ。
スクウェア・エニックスはディベロッパー兼パブリッシャーであるスクウェアと純粋にパブリッシャーであるエニックスが合併して生まれた。現在も自社開発だけではなく外部の協力会社とともにゲームを作る割合が高い
たとえばニーアシリーズはスクエニのIPだが開発はプラチナゲームズやアプリボットが担当している。つまりプログラマーやグラフィックデザイナーといった開発スタッフはスクエニの社員ではない
昨年話題になったパラノマサイトも、シナリオやキャラクターデザインは社内の人間だが、開発自体はジーンが行っている
スクエニの新規タイトルのうちの多くは過去カタログのリマスターやリメイクであり、それらの開発は外部の会社に任せることも多い
カプコンもグループ会社であるケーツーなどに移植やDLCの開発を任せたタイトルはあるが、主だった同社のタイトルは内製であり、スクエニと安易に比べることはできない
Twitterをぼーっと眺めていたら絵描きさんが "創作する過程を楽しめなくなった絵描きは終わり"だという旨の発言をしているのを見かけた。
別にその人のことは良く知らないし、その人がその発言をすること自体が悪いこととは思わない。思想は自由だし、その人なりにバックボーンやプライドというのがあるだろうから、そういったものは尊重したい。
でも私はこの言葉をひどく何度も反芻している。何度も反芻している。雪が降って鬱になってるだけなのかもしれないが作業中も何度も頭の中をよぎって止まない。
私は7年くらい前からあるプロの絵に一目ぼれしてそんな絵が描けたらいいなと思って絵を描いてきたのだが、同時にその時くらいから絵を描くことがあまり楽しくなくなったように思う。
たまたま精神や思想、ある程度の技量が成熟する時期と被っただけなのかもしれないが、時期的には、その時のはずだ。
これに因果関係があるのかはさておいて、現状も私は絵を描くことがあまり楽しくない。
一時創作と二次創作の違いだとかいった意見が発生しそうなので一応言及するが、私はここ最近一時創作しかしてない。でも絵を描いてるときは楽しくない。キツい。辛い。
設定を考えたり、ストーリーを考えたりしているときは楽しいが、キャラクターデザインをしているときとか、構図を作っているときとか、本当に楽しくない。
こればかりは断定するが、この感覚の原因は私の不勉強と努力不足でしかない。アイデアが湧かないのは観察力を鍛えることを怠ってるからだし、構図が出ないのも人体デッサン頑張ってないからだ。
創作する過程を楽しめなくなった絵描きは終わり。改めて、この言葉を反芻する。
私は終わっているのだろうか。
いいなぁ、キラキラしてて、フォロワー多くて、絵上手くて、いろいろな人から認められて。
私は全然だ、淀んでいるし、フォロワーいないし、全然魅力的な絵が描けない。
でもこれまで描いてきた。他の人より努力するのが下手で質も量も悪いから他の全てを投げ捨てて描いてきた。
楽しくない程度でやめてたまるか。
楽しくない程度でやめるのか?それは、お前、冒涜じゃないか。いったい何人の絵描きが苦しみながら芸術を生み出してると思ってるんだ。
創作的な活動をする人間を美化するから、絵を描く人が減るんじゃないのか?超えちゃいけない倫理を踏み越えるんじゃないのか?
苦しむのも楽しいんだなんて意見があるかもしれないが、それは言葉遊びに過ぎないだろ。
勿論絵を楽しむことは否定しない、好きにやればいい、勝手にして、その素晴らしい表現を続けてほしい。
どうか頼む、私に絵をやめろと言わないでほしい。
あなたよりも能力の低い人が必死に頑張って泣きべそかいてそうやって描いた絵にもきっとその人なりに価値がある。
楽しくないことを頑張ってる人を否定しないでほしい。
これもマジで言ってるんだろうな
キミがポルノ同人屋のフォロワーならマジでお口開かないようにしようね
→ キャラクターそのもの(名前や性格などの構成要素):著作権なし
→ キャラクターを具体的に表現したもの(絵・造形など):著作権あり
https://anond.hatelabo.jp/20210716092542#
漫画の「キャラクター」は,一般的には,漫画の具体的表現から昇華した登場人物の人格ともいうべき抽象的概念であって,具体的表現そのものではなく,それ自体が思想又は感情を創作的に表現したものとはいえないから,著作物に当たらない
(最高裁判所 平成4年(オ)第1443号,同9年7月17日第一小法廷判決)
仮に原著作物のシーンが特定されたとしても、本件各漫 画につき著作権侵害が問題となり得るのは、主人公等の容姿や 服装など基本的設定に関わる部分(複製権侵害)に限られるもの であり、本件各漫画の内容に照らしてみれば、主人公等の容姿 や服装など基本的設定に関わる部分以外の部分については、 本件各漫画に二次的著作権が成立し得るものというべきである。
(知的財産高等裁判所東京地方裁判所 令和2年(ネ)第10018号,令和2年10月6日知的財産高等裁判所第3部判決)
[B! 炎上] 【悲報】葬送のフリーレン作画監督、爆弾投下。「石ころより役に立たないのが原作者」 : アルファルファモザイク@ネットニュースのまとめ https://b.hatena.ne.jp/entry/s/alfalfalfa.com/articles/10530588.html
こんな歴戦のまとめブログのPV稼ぎ丸出しの記事に何の疑問もなく乗っかってるブコメはアホすぎる。
こんなもんはいつ言ったって燃えるに決まってるし関係者にとっても迷惑でしかない。
何のことか明言しないならともかく、わざわざハッシュタグ付けて全世界にアピールしてるのはどうしようもない。
原作ファン、単にアニメ見てるだけのオタク、アニメも見てないし原作も読んでないけどなんか気に食わないから騒いでるだけのやつが、
許される/許されない判定をして燃やすか燃やさないかを決めているバカみたいな様子に正当性があるかは別ですが。
元スレはこれ。
2ch、5chなんてもうまとめブログ業者がスレ立てしててもおかしくないんで元スレも単なる仕込みの可能性があるし、
こんなのどう見たって、
1. 日テレドラマの騒動でメディアミックスの「原作レイプ」が話題になる
2. 10年前に大層炎上したRAIL WARS!のアニメーターの発言を思い出す
3. 当該アニメーターが最近何やってるか検索したけど特にシリーズ通して参加してるような作品がない
5. まとめサイトが「葬送のフリーレンの作画監督が今回の騒動に乗っかって原作者は役立たずとの爆弾発言をした」かのような記事を仕立て上げる
これに乗っかって叩きを始めるって本当に程度が低すぎるとは思わないか。
だいたい葬送のフリーレンの作画監督って、当該アニメーターは、
「現在19話まで放送されている葬送のフリーレンの」「第19話の作画監督の」「連名三名のうちの一人」でしかない。
葬送のフリーレン全体の作画はキャラクターデザインと総作画監督を兼任している方がシリーズ通してコントロールしていて、
当該アニメーターは各話のスポット参加(19話はグロス回)スタッフであって、葬送のフリーレンのシリーズスタッフではない。
こんなもんフリーレンの名前出したら再燃して、あわよくばフリーレン降板させられたりしたら二度おいしいというゲス極まりない目当てのカス記事ですよ。
(だいたい単発のスポット参加なんだから降板もクソもないだろう)
・ブコメ
削除されたアカウントの10年前の発言がこうやって発掘されるとは人類の記憶力は凄いな。本人はもうアカウント無いから弁明もできないし、所属組織からフリーレンの脚本やらに直接関与している訳でもなさそうだが。
現在表に出て来てなんか発言してるわけでもないのに何で今の騒動に関して弁明を求められる必要があるのか。
単に盛り上がったネット民がネットリンチ欲を満たしたいだけだろう。
そもそも10年前の炎上時点でも作画監督が監督や脚本、演出のように、
原作をどうこうするような立場ではないということを理解していない書き込みが多かったが。
現在表に出て来てなんか発言してるわけでもないのに10年経ってるから「反省してる」「考え方も変わる」と外野が擁護する必要もないだろう。
当該アニメーターが再びSNSで名前出して物申してるなら過去の発言について今どう思うか問うのもありだろうが。
案の定フリーレンへの延焼を避けようとするポジション擁護コメントばかりで辟易する。小山田圭吾は30年前のインタビューが炎上してオリンピックを下ろされたのにね。どうやって整合性とってるのか逆に気になるよ。
フリーレン19話中1話の3人の作画監督のうちの1人を挙げて「フリーレンの作画監督」なんて言ってるカスのまとめが
なんとか延焼させようとしているのであって、「延焼を避けようとする」も何もないもんだ。
フリーレンに延焼させてPV稼ぎたいポジション記事に乗っかって自分は最上段に立ってるつもりなんだから始末に負えない。
この人は謝罪も撤回もせずにアカウントを消して逃亡したらしいので、10年前の意見だからって免罪にはならないでしょ。松本人志の性加害問題におまえら「8年前とか関係ない」って言ってじゃん。
「らしい」
当該作品のファンでもなければなんでもないやつが「らしい」で断罪側に立つという醜悪さ。
それを抜きにしたってカスのまとめに乗っかってる時点で論外。
上位コメ、数年たったら無罪なら松本や小山田が燃やされたのはなんだったんだろうね。星つけてる奴等にダブスタしてない人がどれだけいるか? 大半はまとめサイトが嫌いだから脳死で反発してるだけだろうな。
トップコメントのような擁護も必要ないがまとめサイトの限りなくデマに近い記事に乗っかるバカも必要ない。
「まとめサイトが嫌いだから脳死で反発してる」とか言ってるやつが脳死でまとめサイトに乗っかってるんだからな。
オリパラで30年前のインタビューをひたすら叩いてたブクマカがこれ擁護するの本当人間の醜さの象徴みたいなもんだよ。醜いよ、この人たち。
同上。
ダブスタはダブスタで批判すりゃいいが、まとめサイトの偏向記事に乗っかって「なんでこれは燃やさないんだ!」と盛り上がるバカも同様に害悪である。
・まとめ
昔からこんなもんだった気もするけど、PV稼げりゃなんでもいいまとめサイトのデマ記事、偏向記事に対してはてブは防御力が皆無すぎる。
もう少し情報を精査することを覚えてください。
違うよ。想像力ないの?
そういう明らか悪意でやってんのは限度超えてるけど、「あのひとは好きだけど今回のは残念だったわ」とかつぶやくのもダメなのか?
これはだめでしょ
もしそうなら、FF14は好きだけどあのインフルエンサーは起用してほしくなかったわ、みたいなことを言うのもダメってことになるじゃん。
もしそうなら、パルワールドのキャラクターデザインには本当に不愉快にさせられた、みたいなことを言うのもダメってことになるじゃん。
そんなこと言ってないよ
んだけど、私の考えは少数派かなと思うのでここに書く。(多数派に攻撃されないかと怖いから)
事件概要としては、Adoが他の歌手とコラボしたことについてSNS上で否定的なリアクションがあったらしい。
具体的にどれのことなのかは分からなかったけど、Adoとコラボ相手は釣り合ってない(コラボ相手の方が格下?)から嫌だみたいな意見があったのかな。
それに対してAdoがお気持ち表明していて、主張を要約すると概ね以下だった。原文はまあSNSを見に行ってもらえると。
まあ要するに、「マイナスの意見をSNSで言うんじゃあねーよ」って趣旨なのかなと思った。
言うにしても言い方考えろや、みたいなニュアンスというよりは「マイナスの意見をSNSで言うのは邪悪な人でなし」「言うな」という主張なのかなーという感じ。
気持ちは分かる。
せっかく楽しんでもらいたいと思ってやったことが楽しんで貰えなかったり、自分ならまだしもコラボ相手を悪く言われるのは辛いよな。
だけど、クリエイティブやエンタメをやってる側が「マイナスの意見は思っても言うな」っていうのはひどく身勝手だなーって思っちゃったんだよな。
わざわざリプライして攻撃するとか、これみよがしな当てつけとか罵詈雑言はさすがにねーわと思うよ。
そういう明らか悪意でやってんのは限度超えてるけど、「あのひとは好きだけど今回のは残念だったわ」とかつぶやくのもダメなのか?
もしそうなら、FF14は好きだけどあのインフルエンサーは起用してほしくなかったわ、みたいなことを言うのもダメってことになるじゃん。
もしそうなら、パルワールドのキャラクターデザインには本当に不愉快にさせられた、みたいなことを言うのもダメってことになるじゃん。
残念だった、嫌だった、期待外れだったみたいな感想を言うのは「想像力も優しさも配慮もない無神経」なんだろうか?
それに、クリエイティブを世の中に公開したときにマイナスの反応が出ることを押さえつける、否定するのって提供側としてあるべき姿なのか?
クリエイティブやってれば思ったとおりに受け取ってもらえないことや、逆に迷惑に思われちゃうことだってよくあるじゃん。
表にアウトプットを出す以上、そういう反応が出ることもひっくるめて覚悟キメる必要があるんじゃないかなーって思った。
さよなら絵梨でも主人公の父親が言ってたじゃん。創作やってれば自分が傷ついちまうこともあるって。私はこの感覚・価値観大事だなあって思うんだよな。(今回は創作物自体というよりコラボについてではあるけれど)
なもんだから、クリエイティブをやってる側が「私が正しい、お前たちが間違ってる、正せ」ってよう言えるなあって。
自由な意見を配慮に欠けた言葉として区別して、攻撃された傷ついた、傷つけた人間は悪、ってドツボにハマってるのはAdoの方なのではと思ったりした。
「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」とか、畜生ムカつくなあ今に見てろ、みたいなマインドが大事というか。
「私は嫌だからブロックする」っていうのと「こんなやつはブロックされて当然の人でなしだからブロックする正しさが私にはある」ってのは全然違うというか。
もちろん何を言われても我慢するべきって言いたいわけじゃないよ。中には行き過ぎた、腹に据えかねるコメントもあったんだと思うよ。
なら「こういうのはやり過ぎ」って話を限定するなりがよかったんじゃないかなあ。
あのお気持ち表明に周りの大人もだれもフォローしなかったのか? って思った。
もし本当に「SNSでマイナスの意見を言うのは悪」「マイナスの意見がない状態があるべき正しい姿だ」って思ってるんだとしたらかなりヤバいし怖いな、って思った。
世の中の風潮としても、マイナス意見は絶対悪みたいな流れがある気がしてよけいに怖さを感じるんだよな。
私は「これはよかった」「これはおもんなかった」みたいな色んな意見が言える世の中がいいよ。
まあそんな感じ。
気がついたらトラバ・ブクマがたくさんついていた。色々な意見・反応をしてくれてありがとう、たぶん全部読ませてもらった。
中にはちゃんと読んでから書いたのか疑問なものとか、私がうまく伝えられなくてすまないと思うものとか、あるいは当てこすりだったり暴言だったりするなーとか思うものもあったけど、なるほどと思うようなものやそういう見方もあるんだなと膝を打つようなものもたくさんあった。
なんにせよ、疑問だなあと思って書いたものに素直に反応してもらえるのは本当にありがたいし、全員に感謝したい。
もらった反応のうちいくつかピックアップしてコメントしたいなと思う。せっかく書いてもらったのに全部に反応できなくてごめん。
あの文は
A「公開アカウントでコラボについてマイナスな意見を言う人間を否定している」
B 「公開アカウントでコラボについて暴言を言う人間を否定している」
C「公開アカウントで引用rtやリプライ、DMなど本人に届けるかたちでコラボについてマイナスな意見を言う人間を否定している」
D「公開アカウントで引用rtやリプライ、DMなど本人に届けるかたちでコラボについて暴言を言う人間を否定している」
Dに対して彼が怒るのは真っ当。CとBもまあ理解できる。
これは私の感覚に近いと思った。
Dはさすがにないだろと思うし、BやCも発言する前にちょっと考えたほうが良いんじゃないかと思う。
私はAも含意されてるのかなと感じて、だとしたらそれはとても恐ろしいことだと思った。
この意見は私の思ったことをよりクリアに指摘してくれたと思う、ありがとう。
如何も何もアーティストがエゴサを当たり前にしていてそれが周知されてる時代に、公開でツイートするのって結局暗に見せるためにやってるんじゃないの?
別にadoだけでなく配慮して鍵でやってる奴らも、オープンにやってる奴らに対して「ああ攻撃するためにやってるんだなあ、鍵かけろやボケ」って思っとるぞ
「結局暗に見せるためにやってるんじゃないの?」には私は同意しないなあ。見せる意図なしにSNSに書き込むは普通にあると思う。
「まともな奴はそこを大前提に」っていうのも、何がまともかの線を引くにはちょっと勇み足な領域じゃないかなあ。
もちろん、だからといって何でも言っていいわけじゃないよね。言葉遣いや書き方をよく考えるのは必要だと思う。
前提となるコンテクストもひとつじゃなくて、前提が違うと受け取り方や判断が変わってくることもあるなと思った。ありがとう。
お気持ちは自由/好きすぎてコラボ相手を下手くそ呼ばわり、はコラボ相手を傷つけるから怒ったんだろう/大人の目線だと「好きすぎて周囲を傷つけて回るファン」はショーバイの邪魔になるファンだとも言える笑
商売の邪魔になるファン(と言っていいのか微妙だけど)を遠ざけるとか、ファンを教育・コントロールする意図っていう場合もあるんだね。
そういう発想はなかった。確かにそういう見方もあるかもしれない。ありがとう。
否定的な意見を書く自由もあるし、Adoがファンを選ぶ自由もあるのでは。Adoに対して「どんなに不服でも不愉快でも客扱いしろ」と遠回しに要求している自覚はある?
「どんなに不服でも不愉快でも客扱いしろ」には私は同意しないな。
「自分が嫌だから」客を選ぶのは自由だと思う。「こいつは排除していいやつだ」は違うかなと思った。
ファンの側も、出されたものに対して「これは嫌だった、面白くなかった」って言うのは(言い方はあるけど)自由だと思う。「これはダメなものだから引っ込めろ、やるな」は違うかなと思う。
あれはニコ動とかでよく見た古のオタク仕草では。コラボさせていただいてるんだから私を理由に相手方に迷惑をかけるなよ、っていう。//コンテンツの批判は良いがAdoを叩き棒にしてコラボ相手を殴るのはどうかと思う。
コラボ相手のことを悪く言うなよっていうのが動機として大きいんだろうなあとは思った。心情的にもビジネス的にも。
一方で、コラボコンテンツだとしてもプラス・マイナスどちらの感想も出てくるものじゃないかなとも思う。言い方かなあ。
Adoの書いた内容は個別事例を起点としながらも一般論として述べちゃった(と私は感じた)点で齟齬が生じてるような気がしなくもない。
そんな0100でとらえなくてもというか増田もだいぶ強めに受け取ってると思うけどなあ
大人が止めるほどひどい発言にも別に見えなかった…まあ私がそこまで彼女のことを知らないからかもしれんけど
彼女が百戦錬磨45歳くらいのベテランアーティストだったら増田の言うこともわからなくもないけど
Adoさんはそれこそ「あいつはけなした、僕は怒った、それでこの一件はおしまい」のよくネットで見る言葉も元ネタもリアルタイムで知らないくらいの若い人でしょ
創作者やアーティストである以前にまだたくさん経験することがこれからある人間としてあのくらい感情が迸っても仕方ない醜い発言たくさん見たのかなって少しわかってあげてもいい気がする(若いファンの人びっくりするほど過激なこと書く人いるしね)
何か言えばすぐ大きな話になってアーティストとしての矜持や凡百の創作論みたいなものが(こっちからは可視化できないけどたった一人の人間にいっぺんに何千何万分)ぶつけられるのネットって本当に不自由だと思うわ
彼女が何を言ったところで実際には増田が例に挙げたそれらすべての発言が今日から全部しちゃだめです!にもならないし、はいわかりましたやめます!ともなるわけないんだし
言いたいやつは誰に言われたところで言うしそこまでの力はAdoさんにも誰にもないんだからさ
増田が箇条書きにして書いた最後のことが一番言いたかったことなんじゃないのかな
もしそうなら、で例に挙げてるようなことはだいぶ拡大しすぎて捉えてると思うよ
「これはよかった」「これはおもんなかった」を言うなとは全然書いてないと思うんだよね…受け取り方かなあ
「増田が箇条書きにして書いた最後のことが一番言いたかったことなんじゃないのかな」っていう趣旨の反応をくれた人が結構いた。
私はAdoの書き込みを「本来マイナス意見は言い方に関係なく言ってはいけないものだし、言う人間は想像力も優しさも配慮もない無神経」って趣旨が含まれているかなと思った。
言うにしても言い方考えろっていう観点については同意。そりゃあそうだよね。
同じような意見をくれた人は多かったけど、この意見は順序立ててあって書き方も丁寧だったからピックアップさせてもらった。ありがとう。
「コラボ相手に見えてしまう場所」のレベルが個々人の受け取り方で違う
あと「配慮に欠けた言葉」も多分、一人一人で思ってるレベルが違う
「コラボ相手に見えてしまう場所」→引用リポストやAdoのポストへの返信ぐらいのレベル(→コラボ相手がエゴサまでして見に行ったら知らん)
もらった色々な意見を見ていて、これだろうなあと思った。
私は
「コラボ相手に見えてしまう場所」→パブリックに参照可能だけれど特にリプライはしていないSNSのつぶやき
「配慮に欠けた言葉」については、配慮というよりもマイナスの意見全般について問題
って言ってるのかなと感じた。
書いてくれたもので例示されている内容に基準を置くと、わたしもフンフンそうだよねって思う。
この観点において、どう受け取るか、またどこにラインを引くか、が人それぞれで結構分かれるんだろうなと思った。
この意見と趣旨が同じ意見もたくさん書いてもらっていたんだけど、観点を分類・例示してくれて理解しやすかった。ありがとう。
https://anond.hatelabo.jp/20240126111326
長文だから引用しきれないけど、上記のトラバは後半ちょっと関係ないというか牽強付会な議論かなとおもったけど、前半の「トキシックイエスマン」という概念を用いて困ったファンっているよな、という話をしているのが興味深かった。