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はてなキーワード: バランス感覚とは

2023-09-02

anond:20230902085050

関係あるんだなこれが。

命の危険に晒された男だけの集団なんて、ストレートゲイに目覚めるくらいヤバい環境なのよ。

部隊内の力関係戦場ストレスと殺し合いでモラルバランス感覚もぶっ壊れてるから虐殺レイプも略奪もへっちゃらよ。

ソ連軍なんてドイツで190万件もレイプ事件起こしたんだぜ。

ルールを守ってお行儀よく戦争なんて、歴史上一度も実現したこと無い空想だよ。

戦争に行ったらレイプは起こる。これは梅雨に雨が降るくらい確実な話よ。

2023-08-31

作者の主張とキャラの主張を分けられるかって創作における一つの基本にして奥義だと思う

例1

Aくん「チョコミントカメムシ臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」

Bくん「分かるぜ!食い物じゃないぜ!」

Cくん「美味しいですよね。カメムシボリボリ」

これだとこの漫画がまるで「カメムシ匂いがするチョコミントを食べる奴は、本物のカメムシを美味しく食べるような狂人」と主張しているかのように見えてしまう。


例2

Aくん「チョコミントカメムシ臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」

Bくん「俺はチョコミント好きだぜ!カメムシ臭いとかしないぜ!」

Cくん「遺伝子的に苦手かどうか決まるらしいか無駄議論ぜ!」

これも一見するとバランスが取れているように見えて実際にはC君の「チョコミントパクチー好き嫌い遺伝子で決まるから議論するだけバカだぜ!」が作者の主張であるかのようになっている。

例3

Aくん「チョコミントカメムシ臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」

Bくん「俺はチョコミント好きだぜ!カメムシ臭いとかしないぜ!」

Cくん「そんなことより早く店を決めるぜ!」

こうすると単にAくんとBくんが言い争っているだけであり、作者がカメムシ肯定派かカメムシ否定派かは隠すことが出来る。

漫画しろエッセイしろ、作者の主張を必要以上に出すとキャラクターが作者の操り人形に成り果てるので気をつける必要がある。

ここで大事なのはAくん「チョコミントカメムシ臭いだぜ!食い物じゃないぜ!」を言わせる事自体がこれらのトリガーになるわけじゃないことだ。

漫画全体の空気と話の流れを調整して、世界が作者と同じ方向に向きすぎないようにするバランス感覚が重要ということだ。

これが出来てない創作物は単に作者の啓蒙したい話をキャラに言わせているだけの安っぽい宗教小冊子に成り下がる。

それではコンテンツとして雑魚雑魚すぎるのだ。

2023-08-28

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

出会いにはコツがある

K子との出会い

私がK子と出会ったのは、まだ雪の残る3月上旬札幌すすきのでのことであった。

K子は、私がごくたまに寄るカフェバーウエイトレスをやっていた。

年は30歳、身長157cm。体型はややガッチリタイプに見え、いわゆる固太りに近かった。

顔はまぁまぁ整ってはいたが、頭部はアメフトボールのように大きかった。

完璧メイクを追求してるようで、白塗りの土台が厚く、丸い輪郭が、さらに強調されていた。

キッチリ描いた眉に、メリハリをつけたアイライン。目元周りには、そのひとのお化粧への設計意図が表れるものだがK子の場合それは、顔の大きさを、目を拡大させることでごまかそうとする意図だった。

それとK子のメークには、悪い意味でのバランス感覚という特徴も見られた。

あちらとこちらの均衡を保とうとして、薄くするのではなく、厚く盛る方にいってしまうのである

から白塗りは行き過ぎて歌舞伎のようになってしまう。

さらにK子は勤務中はロングヘアータイトに縛ってるので、目元が上がって鋭角的になるのだが、これがふしだらで好色な印象を与えかねない外見になってしまうのだ。

ここまできては化粧も逆効果である

それはせっかくのよい素材での料理を、調理でなくソースで惑わし、お門違いの高級感を添えたつもりの洋風メニューのようだった。

白人風貌という、ないものねだりを追いかけた挙句、醜くなってしまったマイケルジャクソンのようであった。

K子は、そんな女だった。つまり、どこにでもいるひとだ。

K子はその日も普段どおり給仕をしていた。時刻は夜の9時。私のオーダーはグラスビールだった。

私のテーブルにもやってきた、そこで2人は始めて目を合わせた。

するとK子は私の顔を見るなりハッとした顔をして上背をやや引いた。私は「ああまたか」と思った。

なにが「またか」なのか。それはその時の私の顔が彼女にはイケメンに写った、ということの了解である

断っておくがこれは自慢ではない。なぜなら、こうしたことは4年に一度、つまりオリンピック開催と同じ頻度でしか、私に訪れないからだ。「またか」と感じるのは、4年がさほど長くも感じられない私なりの時性であって、傲慢の致すところではない。

毎日のようにこういうことが起きる人を、真のイケメンというのだが、この程度のいわば「プチ・イケメン」なら今のご時世、結構いそうである

私の顔は、それどころかまぁどちらかといえばブサメンである。口が飛び出た造作が特徴で、唇も厚い。佐藤浩市の2倍は厚い。

このせいで、顔の下部にボリュームが出てしまい、シャープには見えないモヤッとした風貌になっている。

目も悪いのでシカメっ面にもなりやすく、表情も暗い。

たとえるなら、ガリガリ君のような輪郭であるし、佐藤浩市の親父の三國連太郎みたいでもある。

芋というか、類人猿、合わせればゴリライモ。私はそんな顔なのである。そしてもちろん、あなたに「そんなことないよ」といってほしい、そんなケチな性分も持ち合わせているのだ。そこがまた醜い。

まり私も、どこにでもいる人なのである

ここ20年ほどで男もするようになった「化粧」とは、もともと目立たないもの(一重まぶたなど)を、まやかしの力で輝かせる補正技術だと思うが、私の口元のように、はじめから飛び出ているものを、平たく目立たせずに抑制する用法には、それはまったくといっていいほど役立たない。

しかし男の場合三國連太郎がそうであったように、また、佐藤浩市がそうであるように、絶対的なブ男というものはいない。バナナマンの日村も最初見たときはびっくりしたが、慣れれば愛嬌がある顔である

男は、風貌をある水準(清潔感常識のあるファッションセンス、そして似合う髪型、できれば細身)まで満たせば、異性にアピールできてしまうのである。ここらへんが女子と違う。無愛想でもある程度はイケてしまうということだ。かくして私のような者でも、こうしたラッキータイミングが巡ってくるときがあるのである

さて私にハッとして頂いた女子に対しては、私はだいたい挨拶をするようにしている。

ここでいう挨拶とは、店や本人の迷惑にならぬよう気を遣いながら、名刺を手渡すことだ。

できれば一言添える「もし、よろしければ、お近づきになれれば…」みたいなことだ。

ハッとする、させるというのは直感神秘である人間のあまたある能力のうちでも一二を争うような、めちゃめちゃものスゴい、宇宙誕生レベル認識だ。

人間(じんかん)にヴァイヴレーションが伝播する。あるひとがある人の存在にピン!とくれば、その相手にも同じピン!が、誤解も曲解もなく瞬時に伝わる。だれも解明できない感覚。こうした体感に対しては対象化なぞハナから諦め、人として素直にしたがい、謝辞を述べるのがスジというものであろう。

とりあえず自分規定する第一歩として世の中には名前というものがある以上、名乗る。

自分から名乗ることより大切なことは、世の中にそうそうない。

「4年に一度」がいつなんどき訪れるやもしれない。そんなときのために財布に名刺を2~3枚入れておく。

こうしたなんでもない普段の心がけが出会いを引き寄せる具体的な手段なのだ

こうした縁で、私はK子と付き合った。世間には「よくまぁこんなサエないのと一緒になったなぁ」というのが男女問わずいるが、なんのことはない自分もその仲間入りであり、K子の方でもそう思うときがあったかもしれない。つまり、サエないのはお互い様だったのである最初のうちは。

だがしばらくすると私にはK子の大きい顔と太い骨格が、次第にいとおしく写ってきた。

そして次に、それがかけがえのない尊さに思えてきた。

というのも付き合い始めてすぐに気づいたことだが、K子は私と最初に目が合ったホンの0.1秒の閃き、焦点で、自分の開削に成功した、まったく優れた女だったのだ。

私との邂逅によってポン!と新規開設された自我内の回路に、まったく純粋に従った。

しかもそこにいささかも世俗的な疑いを差し挟まなかった。

世俗的な疑いとは、私と付き合うことのメリットデメリットコスパを考えることや、趣味や好みが合う合わないというような話などである

K子はそれらを考えもしなかった。だからデートで会ってもあまり話さず、肩を寄せ合い、手を握り腕をさすり、見つめあったりするだけだった。それでどちらも了解した。ドン存在が大きいのである100%ピュア肯定性の塊。

そしてそうしたK子の態度は、私の細胞のすみずみにあまねく影響を与えた。小さな自分固執していた私を、彼女は開放してくれた。

こういう女に慣れると、小顔ブームとか、華奢な女子スタイル固執するのは、矮小なことと知れる。しつこいようだが慣れればあの日村ですら、ファニーフェイスである

K子はやがてメークが薄くなっていった。コスメへの依存を減らしていった。

単なる身だしなみ以上のそれは、まやかしだと気づいたのだ。

食事運動に、それまで以上に気を遣い、毎日しっかり生活を積み上げていくよう、意識的自分を導いていった。

現代人はただ毎日暮らしてゆくだけで、目に見えない「不純物」が、アカのようにたまってゆく。

社会教育が、仕事常識が、不純だらけだから当然だ。

はいつも意識的に「みそぎ」をしなければならない。するとみそぎなんてしなくていいんだ、そのままのあなたでいいんだと社会その他は全力で否定する。だがそれは違う。甘言に引きづられてはいけない。やつらはあなたから銭を引き出したいだけだ。

メイクはそうした「不純物」の象徴であった。それがズバッと削ぎおとされた。

すると並行してK子の慢性的な肌荒れも改善された。

こうなると輝かしい、真の女の誕生である

人の本来的な美しさや輝き、魅力は、外から取ってきて付け足すものでない。自分内面から湧き出させるものだ。

こんなことは実に当たり前のことだが、不純物の洪水の中にいると気づかない。

自分から「湧き出させること」が自然に出来る人は、この世にいながら永遠を手にしたも同然なのである

そこではあなたわたしとなる。わたしあなただ。

理想カップル、なるものは知らない。知らないがそれは「人それぞれ」ではない。

たぶんそれは溶け合った1つの形態しかない。愛など、しらぬ。

以上この文は、まだ見ぬあなたと、まだ顕在化してない私を想って書いた。

<了>

2023-08-20

フェミって人前で裸みたいな格好するのはありなのに

ポスターの完全着衣巨乳には文句つけるって

流石にバランス感覚おかしない?

グラビアアイドル水着撮影規制するけど、子供もくる場所で裸同然の格好する女は自由って

それ、単にオタクが嫌いなだけじゃん

今回のDJの件でツイフェミ完全に正体表してるけど大丈夫

2023-08-15

anond:20230814203914

違うんだよ、日本切腹指詰め文化で、やらかした罪に対してアンバランスなほど大きな罰を受けることが美徳とされる風潮があるんだ

言い訳をせず罰を受け入れる、多少不条理でも責任として引き受けるのが潔いという考え方

ただ、その副作用で、切腹はかわいそうなので大目に見るとか、罪を認めないことが最適解になってしまった

飲酒運転の罰を重くしすぎた結果、人を轢いても救護せずに逃げて酒を抜くのが最適解になるように

今回に限らず、昨今炎上した事件でも、必要以上に吊し上げて大きすぎる社会的罰を与えようとするSNSの反応も多いしな

本来さが美徳の国民無責任な行動をとってしまうのは、こういうバランス感覚を持って適切な罰の重さを設定できないところにある

2023-08-10

anond:20230810125140

逆に考えるとすげーな、普通だとここまでぜんぜん就職できないけど実際はそれなりに使える奴を paiza は見つけて企業へ紹介できてたんだから

paiza は競技プログラミング的にはゴミクソだと思ってるけど、職業紹介ビジネスというバランス感覚だと AtCoder に勝ってるわ

2023-07-27

anond:20230727125431

知ってるかどうか分からんけど格ゲーにはウメハラっていうプロがいてね

こいつは界隈にいるクズや冴えない連中のファンをスゲーを大事にする

本来ならいくらでも訴訟出来る相手にも絶対にしない懐の深さもある

昔は格ゲーダサいのばかりで体型管理もしっかりして美容に気を遣う事でイメージ改善のお手本を示し

みんなそういうのをやるようになったら今度はダサい服にサンダルデブの気さくなオッサンキャラチェンジした

そういうバランス感覚あるのが凄いよね

2023-07-23

anond:20230723212628

くたばれGIDは影響大きかったと思うよ。

性異和になった後に、GIDの枠組みの代わりを用意できなかったのが今の状況を作ってると思う。

2003-4年に特例法ができた時、「GID」って概念障害認定されたことがどれだけ世間の態度を変えるのに役立ったか

それ以前の侮蔑的世論が本当に数年で一気に変わったからね。

それと、妻子持ちの性別変更を当初認めていなかったこと。

これにも民主党活動家は反発していたけれど、流れが決まる最初期に「子供がかわいそう」と叩かれずに済んだのはこの制限のおかげ。

ここら辺の、大きな抵抗なく受容されるラインを見極める(当時の・日本会議化する前の)自民党バランス感覚は大したもんだと思う。

今はお話にならないけど。

2023-07-17

君たちはどう生きるかを見て宮崎駿天才だと思った

君たちはどう生きるかを見て宮崎駿天才だと思った。

数十年のキャリアを持つ世界的に評価されている80代の映画監督が作った新作映画がここまで新規要素に溢れていることって普通ありえないんじゃないか

姑息で狡く臆病な主人公や、異世界に漂う濃厚な食人暴力の気配、宇宙からやってきた正体不明物体といった要素は、これまで宮崎が撮ってきた映画にはなかった。

そういった新規の要素を80代になってから作った映画に取り込みしかもそれらをこれまで宮崎が得意としてきた冒険譚、少年少女の成長譚の枠組みの中にきっちりと収めてきている。

宮崎の持つ引き出しの多さ、バランス感覚凄さを見せつけられた。

引退作品かいってるがまだ見せてない引き出しをもっと隠し持ってるだろう。

早く次の作品を見せてくれ。

君たちはどう作るか

宮崎駿の最新作『君たちはどう生きるか』を見てきたんで、ある程度ネタバレありで感想書きなぐっておこう。

ネタバレありだからね。

正直、観る前に想像してたより悪くなかった。

テンポも悪くないし、人間関係に緊張感もある。

作画が徹底的に心象風景に寄っているのも、職人芸の趣があった。

火災とか草原の描き方なんて、ゴッホともセザンヌともなんだか判らんけどとにかく印象派的に歪みまくっていて、主人公の高熱に魘された夢のような心が伝わってくる。

田舎の家も、当初は主人公の内心の萎縮ぶりを示すかのように何もかも巨大で、玄関なんてどこの古刹の大伽藍かと見紛う巨大さであり、今に残ってたら家ごと国宝になりそうだ。

もちろん、本物はせいぜい田舎豪農レベルなのだろう。

心象風景として東大寺大仏殿並の巨大建築に見えているだけである

敢えて心象風景とわかるように表現している事で、主人公が実際には父の後妻を嫌っていない事も想像がついた。

なぜならすんごく清潔感のある優し気な美女として描かれているかである。嫌っているなら心象風景でそうはならない。

初対面から一目ぼれレベル主人公は慕っていたのだろう。

でまあ、作品は途中から塔の中パートと、塔の外パートという二輪構成で進んでいくのだが、

まあ、なんだ、ここから批判が多くなる。

まず塔の中パートだが、なんというか、とにかく意味があり過ぎる。

これは褒めてない。

宮崎駿もののけ姫辺りから、やたらと意味のあるものを描こうとするようになってしまってるように思える。

1シーン毎に意味があり、多分本人に質問すれば「このシーンはこういう意味がある」と全部答えてくるだろう。

まり寓話的で哲学的記号的で、イソップ童話とか不思議の国のアリスとか、そういう感じの、「意味の塊」として作品を作ってしまっているのが塔の中パートだ。

ハウルとか千と千尋とかでも顕著だったけど。

これの何が悪いって、妄想が爆発してないのである

ムスカラピュタの雷をぶっぱなしたシーンに意味なんてないだろ。王蟲がペジテのドーム食い破ったのも意味なんてないだろ。

あいう爆発するほど格好いいシーンに意味なんてないのだ。

「どうやお前らこんな凄えの見た事ないだろ。俺も見た事ないから作ってやったぞ。見て驚け。」

という作り手の妄想の大爆発なのだ

妄想を爆発させるためにそこには当然無理がある。歪みがある。そのシーンを効果的に描くために、他のシーンで入念に爆発物を積んでいる。

その無理、その歪みが、ある人には滑り、ある人には刺さるのだ。

本人が見せたいのは爆発の部分だが、関係なく歪んだ部分が受けたりする。それが創作快感である

ところが、この作品含めて後期宮崎はその「見た事ないだろ」をやらない。庵野もだけど。

なぜなら、名前が売れて裁量が大きくなった事で、作りたいものを作れるようになったからだ。作りたいものは作ってしまい、もはや「こんなの見た事ないだろ」が無い。

庵野はその無理のなさを、その歪みの無さを、オタク知識で埋めてシン・ウルトラマンやシン・仮面ライダーを作った。

そこにはTVエヴァのような溜めに溜めた便秘解放のような妄想の爆発は無く、無い物を何とか絞り出した感のある細長いウンコしかない。

一方、宮崎駿はそれを哲学記号で埋めてこの作品の塔の中パートを作ったのだ。これは最早宮崎駿のバランス感覚のみで構成された世界から、やたらとデジャヴがある。

もののけ姫と変わらずに「鎮まりたまえ~鎮まりたまえ~」とやってるし、千と千尋と変わらずに仕事やらされたり禁忌に触れて怒られたりしている。

でてくるのもやたら思わせぶりな妖怪連中である。思わせぶりなだけで、記号であるために特に伏線とかない。どういう存在説明されてフェードアウトする。

エンタメに徹するなら、塔の中はクトゥルーばりの別の星・異星文明でも良かったはずだ。せっかく宇宙から飛来した謎物体的な設定があるんだから、一気にスターウォーズ世界になっても良かったのだ。

そこから進めて、「現代日本主人公の迷い込む異世界として描く」まで手が伸びても良かったはずだ。

ところが、そういうエンタメに走らず、やたら寓話的な見たような話で埋めてしまうのが今の宮崎駿である

ブチ切れるセンス・オブ・ワンダーではなく、賽の河原の石積みみたいなひじょーに心象的なもので埋めてしまうのが今の宮崎駿マイブームである

そういう「意味」だけで構成されたパートからストーリーなんてあって無きがごとしである。断片的な寓話職人芸でつなぎ合わせた取り留めのないタペストリーである

一方、塔の外パートは違う。庵野と同じく、オタク知識で埋めている。

人力車描写一つ、言葉遣い一つ、看板一つ、食事のお膳一つから、「当時はこうだったんだぞ」という聞いてもないのに披露されるオタク知識臭がする。

多分、キャノピー実在ナントカ式とかそういう裏打ちされた設定があるんだろう。田舎がどこの県のどこの地方かも絶対決まってるねありゃ。

っつーことで塔の中パートより終わってる感のある塔の外パートだが、そこで主人公父親が妙な存在感出してるおかげでかなり良くなっている。

というのも、この父親ある意味主人公と後妻という二人の問題元凶と言える一人であり(まあ、亡くなった実母の方がより存在感は大きいが)、更に経営者であり金持ちで何でも自分で決めてしまタイプ

というジブリ作品ちょっと見ないタイプキャラからだ。

こういうタイプは、通常は出て来ても悪役なのだが、この作品ではそれを悪役として描かない。塔の外の部外者として描く。(大叔父と血のつながりもないし)

そんなわけで、このキャラについては宮崎駿の才能の爆発が感じられるのである

経営者であり第一線でもある、という後期宮崎駿が手にした立場意図せずに作り上げた鬱屈爆薬になってこのキャラに込められているのだろう。そのせいで、後半になって妙に生き生きしている。

主人公の心象にだけフォーカスするなら、後半の塔の外パートは要らなかったはずだ。少なくとも、もっと小さくなり、警察とかが来て事務的に進むのがセオリーだったはずだ。

しかし、おそらく宮崎駿はこの父親を描くことに創作快感を感じたのではないかと思う。

なんかもう藤井聡太ばりに全く失着を犯さず最善手を打ち続ける主人公の代わりに、

この父親勝手にやらかすし勝手決断するし部外者でありながらガンガン行くしで、

前半には明らかに狂言回しだったこキャラけが、後半に「キャラ勝手に動いた」を感じさせるのである。作中で唯一、記号を感じさせないのがこの父親である

そんなわけで、ち密に意味を積み上げて作り上げたであろう全体の印象を、後半の父親がぶっ壊して変になっているが、その父親がぶっ壊した所こそが個人的には最も見ごたえがあった、という何とも評しがたい作品である

まあ、悪くなかったよ。

でもね、道徳副読本を作りたいんでもなければ、作品作る時はもっと一点の妄想・一点の美意識に全賭けしましょうや監督

2023-07-13

anond:20230713120344

ステークホルダー複数いたり継続的アップデートを行うB2CB2BサービスだとDRY理想論だなってなる

結局仕様目的ガチガチに固められていて将来にわたって変更が無いと確信できるケース以外は必要以上にDRYにこだわるメリットはあまり無いと感じている(とはいえある程度の抽象化はすべきなので、この辺のバランス感覚経験によって培われるのだろう)

要はその時関わっているサービスの質に依るので、稀によくあるという表現を用いた

2023-06-24

陰謀論とかって理屈ちゃん反論しようとしたら難しいんだよね。反証可能性って言うの?知らんけど。

それを一蹴する時って別に論理的にどうのというよりは、今までの人生で得た常識とかバランス感覚に照らし合わせた上で「ま、ないやろ……」とか「考えてもしゃあないやん」みたいにいなしてるんだと思う。

そういう一種思考停止も生きていく上の知恵だし。

しろ下手に論理的に考えようとするとハマるんじゃないかって思うよね。

まあ自分で考えてみるっていう事は大事だと思うけどね。例えどツボにハマるかもしれなくても、そうしないと自分人生って自分のものならいし。

でも全部の事柄について自分で考えたいかっていったらそうでもなくて、大切な事もあればどうだっていい事もある。

おれにとって朝どんな服を選ぶか、どんな映画を観るかは重大なこと。それは自分で考えて選ばなきゃ意味がない。

でもどの球団応援するかはどうだっていい。そもそもプロ野球見ないし。阪神ファン友達と一緒に球場行けば阪神応援するし、巨人ファンでも同じこと。

PCスペックだってどうでもいいか適当常識的な価格帯で選んでる。

人生に関わる、生きがいにまつわる事は自分で決めたいけど、別にどっちだっていい、どうでもいい事はいちいち考えるのもメンドクセーし、そこは常識や外部に判断を委ねてるというか、思考アウトソーシングしてる。

風邪をどう治すかのプロセスなんかどうでもよくて、治りゃいいんだから医者の言う事を聞いてりゃいい。実際今までそうやって治してきた。

かに健康状態大事だけど、自分医学を志してまで科学的な正解や自分なりの納得を得たいとは思わない。

でもワクチンを打つ打たないとかあの政治家宇宙人に違いないとか真実を伝えければみたいなそういう話に異常にこだわりたい人もいて、そこん所は不思議な話だよね。

2023-06-21

最低限のバランス感覚

広告使用されている一見実際の人に見えるけどAIが生成した画像が急激に増えている。

多分今の所学習元の画像が全て整形した極端に顔が整っている女性とかなので、肌艶の塗りとかで直ぐ分かるけど、あれをOKとしちゃう人が実は多い。

アートデザイン系ではないが、ポスターや展示物を作成している。

そういった素養はないが、最低限のバランス感覚は持っているつもりで、せめて展示する時は上を揃えたり、間隔を等間隔にしたりしている。

しかし、驚くことにほとんどの人はそういう部分に恐ろしく無関心で、なんとなく形が整っているかOK安易判断を下すことが多い。

からAIが生成する画像に感じる違和感は、一般の人にはあまりない。

そもそも興味がないのかもしれない。

恐らくこれからどんどん精度が上がり、人が描いたもの判断しづらくなるだろうけど、今後はそれを見極める間隔がよりもてはやされるので、インフルエンサーの力はますます強くなるだろう。

人が強い想いを持って作るカルチャーは、今よりもっと少数派が嗜むものになるかもしれない。

文化は緩やかに崩壊し、ハリボテが乱立する。

マスターベーションを終えた後に送信

増田ネーム

軌道エレベーターチンポ

2023-06-18

ユーフォの2期を見てるんですけど

このご時世にDQNネームコメディとして消費してしまバランス感覚結構危うくないですか

2023-06-12

anond:20230612193251

面白いよね、もうアナキズムに近いけど、そうするとド左翼なわけなんだが、たぶん他のところでは左翼を嫌っていたりしそうなバランス感覚

自分の好きなものだけアナキズムってのは、いかにもアンバランスだ。

2023-06-09

内心の自由制限してはならないというか、そもそも制限のしようがない。

人が本当の所は何を思っているかは本人と神様しか知らない。

お宝の在り処や仲間の情報は爪を剥がしたり石を抱かせれば確認出来るかも知れないけど、本当に信仰を捨てたかどうかは踏み絵を踏ませたところで確かめようがない。

人を疑い始めれば果てがないし、だから適度に他人の善性を信じる、適度に無関心でいる事が他人を信用するという事になる。

バランス感覚問題だ。

スラム街札束見せびらかしながら歩きはしないが、気心の知れた友達に財布を預けた後いちいち中身の勘定を始めたりもしない。

そういったバランスがないとパラノイアになって狂うか、全てを悪い方に邪推する鬱陶しい人間になる。

交際相手に対して試し行動に走るメンヘラも同様だ。

目に見えないものに気を揉むのが怖くて、目に見える部分で全てを判断するようになってしまうかもしれない。

このヒトには沢山お金をつぎ込んだんだから、それは間違いなく自分への好意に繋がるはずだ、とか。

人の善性を手放しに信じたいけど、それだと裏切られた時にツライ。だったら最初から全てを疑おうというのはとてつもなくナイーブな態度と一体のものだ。

でも常に邪推をするのがリアリストである事だ、なんて思ってる人も割といるみたい。

まあ疑う分には別に勝手だと思うんですけど、その猜疑心相手にぶつけるのって果てしなくウザいですからね。

いちいち人の動機とかを邪推する人もいますよね。とてもウザい。

例えば「音楽が大好きでバンドギター弾いてます」って人に、イヤお前の本当の動機モテたいだけだねとか言ったりする。

露悪的な思考を拗らせて、人の動機とは常に損得勘定であったり不純なものであるという事にしたくてたまらないらしい。

イヤ仮に嘘だったとして、だったらどうなるってんだよって話で。

対人関係において自分問題にならないところでまで邪推を始めてしまう。

ギターに憧れて練習したけど挫折してしまった、という話に対して「それは本当に好きじゃなかっただけの話だ」みたいな事言う人もいる。

どうしても本気でなかったという事にしたくてたまらない人。

こういう時に言う「本当の」という前置きは、概ね「私の考える、こうあるべき姿」と言い換えられる。

もし本当に「本当」があると決めたのなら、それは宗教なので。

本当の鮎があるのは美味しんぼ世界だけです。美味かろうが不味かろうが養殖だろうが冷凍だろうが鮎は鮎です。

他人言葉をすぐ「それはお前が~だっただけ」と相手の「本当の」内面を決め打ちしてすぐ矮小化しにかかる。

どんなありきたりな悩みにも、そこには当人ごとの個別性がある訳で。それを無視してお前がカスなだけだと言っても、それは言った側が気持ち良くなるだけ。

まあウジウジした人間見てイラつくという気持ちもあるだろうけど、勝手に苛立った側が一方的憂さ晴らしをするのってただのイジメですからね。

ハナから相手の悩みに寄り添う気なんてない事もあるだろうし、それなら適当に流せばいいだけでいちいち人の心を邪推する道理はない。

世の中もっと無関心でいい。どこまで疑った所で他人の心の真実は手に入らない。

そもそも相手ウソツキであった所で問題がないのなら、いちいち邪推する必要もない。

気に入らない事があればカッコつけて「お前が~だっただけだろ、どうでもいいけど」なんて言わず、素直に「俺はお前が気に入らねえ」と言って欲しい。

そもそもどうでもいい旨をわざわざ伝えるってどういう了見だよ。

欲を言えば、気に入らないと思っても口には出さな社会性を身に着けて欲しい。

2023-06-07

anond:20230606154326

選挙では子育て支援公約に掲げているところに投票するし、ふるさと納税寄付金用途はいつも子育て支援だし。

公共の場子連れが困ってたら積極的に助ける。

この辺の子どもを産まない引け目はあるけど自分は産まないってあたりが現代っぽい感覚やね

自信満々に選択してるようでちゃん言い訳も残してるバランス感覚

2023-06-03

語り継ぎ難い芸人 上岡龍太郎 【追記有り

口惜しいです。 ありがとうございました。 上岡龍太郎師匠

 

面白くて、賢くて、粋で、格好良くて、危険おっちゃんが おったんや。

 

 上岡師匠を語る事が難しい理由は、いくつもある。

そもそも現役引退23年も前である事。

引退ネット普及の直前で、その足跡ネット上に殆ど無い事。

増田自身アラフィフで、 実際には上岡師匠活躍引退前の5~6年しか知らない事。

 (追記修正:ごめんなさい。増田アラフォーでしたわ。「アラフィフの人の意見が聞きたい!」  という気持ちが空回りしてしまいました。)

上岡師匠の芸は司会とトークが強く、

  その実力と活躍に比して〈作品〉や〈芸〉と言えるものが少ない事。

 

考えが まとまらない。  思いつくままに書く。

 

大昔に引退された故人を語り継ごうと思う事自体が、増田老害になった証拠なのだろう。

 しかし、

若い人に語り継ぐという方針でないと

上岡師匠に関しては、増田と同世代以上との 思い出話も紡げないと感じる。

 

訃報や、Wikipediaなどで上岡師匠の概略は説明されているだろう。

 一方で、

ネット上に膨大に残された動画や音声はどうか?

 恐らく、

23年以上前動画や音声だけでは 前提情報文脈が違い過ぎ、あの時代の空気感は おろか 意味意図も正確に伝わり難いだろう。

 無謀にも増田はそこを少し補いたい。

 

上岡師匠は、そもそも危険芸人

 訃報に際し、

上岡師匠が時にトラブルを巻き起こした事は書かれてあると思うが……。

決して、トラブルメーカーなタイプでも、我儘でも、爆発するタイプ芸人でもなかった。

 基本は、

常に機知にとみ、理知的で冷静な姿勢を保ちつつ毒舌を組み込んでいく司会とトークの達人だったのだが。

芸の本質的危険性も十分に理解しておられた方で、

 出演されているだけで

【常に、0.1%程度は放送事故を起こしそうな芸風】だった。

これは、テレビラジオへの誠実さの裏返しで常に少し緊張感のある芸風だった。

それが良かった……。

 そして

社会的正義と、ご自身の信念が重なった領域では決して曲がらない人だった。

 特に自分がメインの番組では。

 

 【時代

上岡師匠引退されたのは2000年

2chの開設が1999年

ブロードバンド(!)の商用提供1999年との事。

 当時は

インターネット携帯電話の普及期で、

インターネットケータイの影響は確実に有ったが、ネットが使えて当たり前という時代では無かった。

動画の送受信なんて一般には不可能で、 画像の表示さえ重かった。

 ただ、

メール等の文字情報の送受信の利便性理解されて始めていた

 IT革命(!)の黎明期

一般人同士の情報発信は まだ困難で

 テレビが、マスメディアとして独占的地位にある最後時代だった……。

増田は、上岡師匠ネットテレビの現状を当時の時点で察しておられたと確信している。

 これは増田記憶ソースなので確証は無いが。

上岡師匠は当時、

「(ネットが普及すると) ウチら(芸人)は いらん様になるな。 だって友達と喋った方が面白いもん。」

と、発言されていたと記憶している。

(追記修正:肝心、要のポイントなのだけど。『松紳』での紳助さんの発言混同しているかも……。申し訳ない。)

 

実力的にも、年齢的にも、まだまだ余裕だった筈。

 ただ、

から見れば炎上必至の芸風だった。

ネット前夜にネット特性を見切った確かな見識。

引退という決断

2000年というタイミング

引き際も含めて上岡龍太郎という【芸】の完成形だった……。

 

上岡龍太郎を知っている。あるいは影響を受けた

少なくない人間上岡龍太郎を真似したがる。

 しかし、そこに

上岡龍太郎の知性、センスバランス感覚人間性、 思いやり、そして環境が揃わなければ。

 それは単に、つまらない悪口に過ぎない。

 

20世紀良心重石が去った様だ……。

 

 いや……、増田は……、

〈 表舞台から去った真の実力者を知っている。〉

そのストーリー固執しているだけだ……。

かにそれは増田の心の拠り所であった。

 しかし同時に、下の世代に対する

暗い優越感でもあった事を認めねばなるまい……。

20世紀の終わり。

上岡龍太郎引退という空白を埋める度量を

23年も経つの増田は持てていないのだ……。

 

師匠

 本当に綺麗に引退されましたね。

増田も当時、幼いなりに その価値、その意味を分かっていたつもりでした。

師匠が本気で二度と表舞台に立たない事も。

 でも 正直、寂しいですわ。

この23年間の何処かで 、また見たかった。また聞きたかったです。

 甘いですわね。

人生は、全ては、一期一会なんですから……。

 

P.S.

 もう、ムツゴロウさんも逝っちゃう

イヤになっちまうわ……。

 

探偵!ナイトスクープDVDとかは有るし。

上岡龍太郎師匠比較最近の話は

ここで買えるみたい。増田も後で買う。

https://ebookjapan.yahoo.co.jp/books/430131/A001805387/

 

何か、お別れ会も無いみたいだし。

師匠の思い出話も出来ないわ。

このままだとエピソード散逸していくだろうし。

アラフィフ以上の人も集まって 師匠の思い出話が集まる様な場所を知っている人がいたら教えて欲しい。

このまま散逸するのは悔しいわ。

追記とかもするし。

[追記しました。]

https://anond.hatelabo.jp/20230605195217

2023-05-31

ぽかぽか観覧行ってアイドルに胸打たれた話

フジテレビのお昼にやってる番組「ぽかぽか」の観覧に行ってきた。

仕事休みがとれる火曜日を狙ってたけど、火曜日アイドルレギュラー陣にいるのでなかなか当たらなかった。

番組開始から半年経って、ようやく屋内の観覧が当たった。

観覧だとCM中や放送後の様子も見られるからテレビで見てた芸能人の印象やイメージが変わったというのはよくあることだと思う。

今回もそうだった。大体、みんなイメージよりも面白くていい人たちだった。

そんな中でも一番印象変わったのは、OWVの浦野秀太くんだった。レギュラー陣のアイドルの1人。

こういう観覧行くと、だいたい客席から接触や声掛けは控えるようアナウンスされる。

出演者からしかけられたときや多少の反応はいいけど、ライブコンサートみたいに大声でキャーキャー叫んで名前を呼んだり大きく手を振ったりするのはNGという感じ。

番組進行の妨げになるから、過剰に自分アピールしてサービスを求めるのはやめてねってことだと思う。

ぽかぽかも例に漏れ上記のような注意を事前にされた。

多分客席には出演者ファンの人もいっぱいいたはず、というかほとんど誰かしらのファンだと思うけど、みんなちゃんルール守って大人しく見てた。

で、それを踏まえた上での浦野くんのファンサービスがすごかった。

客席にいるファンであろう人と目が合うと、顔だけで合図する。目を合わせてニコッとかして。

今回席が後ろの方で観覧の人たちの後頭部も見てたけど、傍目から見てても「あ、今あの席の人と目合わせてる」となんとなく分かるくらいだから、やられた本人もしっかり分かったんじゃないだろうか。

しかもそれを満遍なくやる。CM中とかの客席の方を向いている時にくまなく客席を見て、前後左右目配せしてる。同じ人に何回もやらないで、みんな平等にやる。

たくさんやるけどやりすぎない、ちょうどいいサービス加減をしてくれる。

手を振ったりするとファンも振り返してしまうだろうし、動きがつくと番組的にも悪目立ちするから、目配せなんだろうなとも思った。

その上で、外で観覧しているファン(外はうちわや紙を持ってアピールできるので誰のファンが一目で分かる)にも都度サービスするし、修学旅行生が外の観覧スペースに来ていることを他の出演者と共有するし、視野の広さと気配り加減を目の当たりにした。

テレビで見てる時はいじられキャラバラドルって感じだったから、こんなに周りを見てる人だとは知らなかった。

匙加減が本当に上手かったんだよな。

目の前の自分ファンを喜ばせるだけじゃなく、自分を売り込むだけじゃなく、ぽかぽかという番組の観覧に来たことへのお土産をくれるような感じ。

このバランス感覚新人若手アイドルだと思ってたけど実は子役とかやってたのか?ってくらい絶妙だった。本当にやってたら知らなくてごめんなさい。

それにしてもこのファンサービスは、ファンの顔を覚えててやってるのか、実は服装とかで自分たちのファンだと分かるのか、それとも他に……とじっと見ていると、私も目が合った。それでニコッとしてもらえた。

これは自分を見てる視線を感じ取ってるのかな。しか自分がやられてみると、今まで冷静に見れていたのに急にドキドキしてしまい思わず目を逸らしてしまった。後から思うともったいなかった。

結論アイドルってすごい

火曜日に外の観覧見に行くときは、OWVファン女性たちに混じって浦野くんの名前書いた紙を持ちたいくらいには胸打たれた。

2023-05-22

男の人の心の交流

ある日記への反応を見て背筋が凍った。マッチングアプリを利用して交際相手を求める女性に、男性事情を知る人たちのアドバイスが集まった。女性は嘆く。男性スペックじゃなく個性を見たいと雑談を期待するのに、なぜか全然得られない、と。そんな彼女男性側の事情が明かされるのだけど、それがあまりにも悲惨なのだ

女性交際男性に求めていた会話

一対一での雑談コスメカウンター男性店員のように「今日は何しに新宿に来たんですか?」みたいに商品に全く関係ないことも聞く・特に興味ない話でも深掘りする態度・「コロナの外出自粛のとき鶏ハム作るのにハマった」のような個性が見える会話

人気コメント

女性が期待している会話は、不真面目な人——ホストかそれ以上に女を釣ることだけに特化した男性がする会話だ ・ 期待してるような会話になったら、男性は全員、真剣交際なんかしない ・ 真面目そうで真剣交際できる人はそんな会話しない ・ 少なくない男性世間話とか仲を深めるための会話をできない、やり方が判らない

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私には男の兄弟がいないし、連絡を取り合う男友だちもいないし、ボーイフレンドは今は要らないやと思っている。だから男の人が実際どういう生き物なのかは、ツイッターの仲間とネット記事を通してしか知らない。平均的にケア能力が欠けてるらしいって話は聞いていたけど正直、ここまでとは思ってなかった。

日記女性が男の人に期待する雑談って、女性同士ならほとんど日常的にしてますよ。もし雑談がなかったら——…と想像するだに恐ろしいけど、たぶん心が荒んで一人ぼっちになった感覚になると思う。悪いことがなにも起こらなくても自然に涙が出てくるんじゃないかな。脳に薄っすら膜が張ったように自分が遠くなって、舌は痺れて食べ物の味もわからなくなるかも知れない。はじめての一人暮らしネットさえ通じてなかったときに、にわか交流が途絶えた数日がそんな感覚だった。心の交流って自分自身を調律して世界に馴染ませるために欠かせなくて、失えばきっと、バランス感覚崩壊してしまう。

私には彼らがまるで宇宙人に思える。ビックリするけど男の人は心の交流が無くても平気らしい。寒い宇宙空間孤独に耐えてずっと旅行していた/旅行している、違う星の人たちよ、なぜあなた達は平然としていられるのですか、心の交流のすき間を埋める、何か不思議な力があるんでしょうか。あなた達の心の奥底にはどんな秘密があるのでしょう。

2023-05-07

anond:20230505125453

アメリカでは政治的立ち位置を表明しない人間こそ

人の前に立つ人間のくせに、八方美人のノンボリっていわれますけどね

大坂ナオミがあっちのカルチャー理解してるからちゃんと表明したし

日本投票率があがらないのは

いつまでも芸能人がお花畑の無害なおままごとみたいなバラエティやってるからじゃない?

政治的観点で、めっちゃおかしい」も減点理由に成っていいと思うが。

ちゃんバランス感覚と信念のある人が評価される社会のほうがすきでーす

あと何を勘違いしてるかわからん

政治には正解なんてない

LGBTとかよくないよね、っていう右派政権とることもあればとらないこともある

自分共通好き嫌いを大声で言ってくれる人に各々ついていくだけ

右は左を、左は右を、お互いにあたまおかしいと思ってるだけなので

「誰から見てもおかしい人」は政治的はいません

2023-05-05

anond:20230505121624

このバランス感覚の不統一はなんで起こってるんだろ。

殴ることには無神経、殴られることには過敏。

普通のことだろ。

ギリ昭和生まれ。子持ちの同級生ばっかりだけど親としての意識が今基準から意外だった

もしも自分の子供が少年スポーツ団とか学校部活指導者教師から引っぱたかれたり、人権侵害レベル罵詈雑言浴びせられたりしたらどうするか?

みたいな話題になった時、

「本気でブチ切れる」

「速攻で怒鳴り込みにいく」

絶対に許さない、徹底的にやる」

と子持ちの同級生たちは皆口々に言っていた。

めちゃくちゃ意外だった。

自分らは教師スポーツ指導者から頭叩かれるとか胸ぐら掴まれるとかはまあ結構あって、

「てめえ!!!」だの「ボケ!!!!」だの「死ね!!!!」だの面罵は当たり前にされてきたし見てきたし、

しか自分らの親のほうも

体罰まで至ってないなら子を守るために教師と闘うのは恥だ(&子が悪い場合なら体罰されても文句は言えんわな)』

という意識でいる

……こういう感じの世代だったので、よく現代基準の親になれてるなと思った。スマートだなと思った。

でも一方で彼らはパワハラセクハラに対しては「不本意ながらアップデートされてる」感じなんだよな。


女の子なのに背高いね!がガチでアウトな発言にされるのがマジで理解できない」

「クソみたいなミスして毎日怒鳴られて鬱になって休職した新卒

『教えて貰えない。質問したら怒られる。

それでミスしてもっと酷い扱い受けて…』

とか人事にウジウジ言ってたらしくて死んで欲しい。ぜーんぶ人のせい!笑」

とか平気で言うし、このバランス感覚の不統一はなんで起こってるんだろ。

愛か?

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