増田は別の女性と上手くやれたんだな。おめでとう。羨ましいよ。
俺も恋愛と結婚は別と割り切ろうと思った時期もあったんだが、どうしても無理でな。
それで付き合った女性をこっ酷く傷つけたこともあって、元カノを忘れるレベルで好きになれる女性でないと、結婚はしないと決めた。
そしてそんな女性は現れず、そうこうしてるうちに40歳も超え、これはもう結婚は無理かとほぼ諦めモード。
「辛い思い出って、がんばって忘れるものでなく、良い思い出がないと追い出せない」ってのは、ホントその通りだと思う。
俺も、女絡みじゃなくても良い思い出が新しくできる度に、彼女の想い出を薄めることができている気がする。
世の中にはボンクラが多いんだよ
許容できない価値観に対して
同質化を強要するのと、
排他、分離するのと。
許容できる異質ってのはほとんど同じ(すでに同質化された)モノでしかないんじゃないか的な
同質化と異質許容はどちらも同質化のライン上にあって
他人がどのように考えようと本人が失敗ではないと思えばそれは失敗ではない。例えば投資で全財産を失っても知識や経験を得たと考えれば失敗したことにならない。離婚をしても人として成長できたと思えば失敗ではない。問題はそのように考えることができるかどうかである。事実をどのように解釈しようと本人の自由のはずだが簡単には割り切れない。自分の中で生じた感情に向き合うべきなのか。
自分にはオタク気質がない。オタク気質がないということに絶望する。
何か1つでもいいからものすごく詳しかったり、他のことを放り出してまでも打ち込める何かを持っていたりしたい。オタク気質がある人は話をしていて面白い。どうしてそんなことまで覚えているの。なぜそんな着眼点を持ってそのコンテンツに向き合ってるの。
趣味は何?好きなものは何?と聞かれて、胸を張って答えられるものが何もないということに最近気付く。
音楽がそこそこ好きだ。でもUKロックオタクであるはずもなくビートルズを齧ってるくらいだし、オルタナオタクであるはずもなく友人から教わったWeezerやBlurを聞いて気持ちよくなっているだけだ。くるりやフジファブリックというバンドが好きだけど、何らオタク的視点で語ることのできるものは何もない。歌詞が良いメロディが良い。そんなこと誰でも言えるし知っている。
映画もまあまあ好きだ。じゃあ1番好きな映画は何?と聞かれても答えられる自信がない。LEON?ライフイズビューティフル?バックトゥザ・フューチャー?全部観たことはあるけど、じゃあ監督は誰?その監督の作風は?どういう背景で作られた?あのシーンは何のオマージュ?何のメタファー?知らない知らない知らない。駄目だ語れる映画がない。面白かった、好きだった、とかいう感想しかないのだもの。
結局のところ中流サブカルとして色々なコンテンツに首を突っ込んでいくしかないし、それが自分的には良いものを純粋に良いと思えるスタイルなのかなと思ってはいるんだけれども。別にオタクになりたいとまでは言わないけれど、でもやっぱり憧れはあるよね。
俺は今35歳で、スレイヤーズに出会ってオタクの道に入りTo Heartからギャルゲーにもハマって葉鍵の代表作とかは一通りプレイしてきたんだが、俺の記憶だとスレイヤーズの絵は萌え絵とは呼ばれずギャルゲーの絵は萌え絵と呼ばれて、つまり元はエロゲーの絵のみが萌え絵だと呼ばれていたっていう記憶持ちなんだけど、なんで今萌え絵とエロは関係ないって話になってんの?
静岡県立美術館「美少女の美術史」2014年9月20日~11月16日
http://www.spmoa.shizuoka.shizuoka.jp/japanese/exhibition/kikaku/2014/04.php
どうしてお別れしてしまったの?