はてなキーワード: 編集者とは
なんかはるところを間違ってるんじゃないかと思うのだけど「なんとか主義」っていうのは「うちの餃子のつくりかた」みたいなもんだよ
・うちのであってよそのではない
・つくりかたであって食べ方ではない
みたいな話だよ
民主主義だからどうすべき 民主主義だからありえない 民主主義だからこうする
ってゆってもそうすべきじゃないと言えたり実際に言ってる人は存在するし
ありえないって言ってもありえてる状況もあるだろうし
こうするってゆってもしてない事だってある
じゃああってもなくてもなんにも意味がない主義って存在そのものの意味あんのって話になるじゃん
おかたく存在を肯定しようとすればするほどその熱意で焼しめた硬度でもろく崩壊して粉末になっていくよ
そもそもね 説明をしないといけない時点でそうなってない状態が横行してるわけ
それは民主主義じゃないって指摘をしたりこれが民主主義だって説明する時点で
昔から物理的に変わらず共通の項目として言葉にすればそれが理解できる「民主主義」なんてものが存在するのならそれを言えばいいだけ
辞書にある(出版社・編集者が作成したもの)や歴史にあるもの(その時点の使用者が使ったもの)とか現実に存在するもの(各国各団体であるもの)がそれぞれ別のしくみであるでしょ
それもありだとおもうしいいとおもうよ
主義とかいうのは二人以上の人間が共通の認識で使っていくこと そして第三者に理解ができること そのための名前なんだよ
名もないわれら増田が主義をとなえたところでそんなものに意味はないよ
共通のルールで基盤をともにしたい仲間と それをあきらかにしたい境界線の明示のために使う言葉をここ増田やほか借り物の主義の定義をもってきても意味はないよ
だから民主主義が専制君主制だという意味でつかう増田がいてもおかしくはないしその人の中ではそれが正解だろうしみんなも「それを正解としている人」という認識でいいんだよ
餃子ににらをいれようがにんにくをいれようが、あいびきが豚100%だろうがみんなそれぞれ自由でいいんだよ
もし具体的に固定的な意味を使いたかったら名前のついた主義主張をしたらいい
民主主義が何年のどこでつかわれただれによるものとか、だれが定義したものでその情報をもとに共有したかったらその書物を読めばいいとか、その書物にないバージョンだとか、自分で考えたものなら自分の名前を出すとか
餃子ってだけならみそでたべるのか酢醤油でたべるのか塩なのかもしかしてそれワンタンなのではってものとかなんでもいいんだよ
「陳さんの餃子」とか「こだわりおやじの餃子」とか「東京式餃子」とかそういうものがあるならその名前でだせば、きみの考えてる主義も理解されるよ
ただ「今の日本の民主主義においては」みたいな話の仕方をすると「おいしい餃子」みたいなもので「おいしいの基準はなんだよ」ってなるよ
すごい漫画大好きだけど(1万冊くらい読んでるけど)、人生変えるほどでもないなというのを、自分の体験を含めて、書いていきます。
もちろん漫画が自分の糧となってる(色んな事を追体験できたとか、知識の幅を拡げられたとか)という自覚はあります。
小学生の時のずっとサッカーやってたけど、スラムダンクの影響で中学からバスケ部に入った。
けどバスケ部も入ってみたものの、面白くもなかったので3ヶ月で辞めて、サッカー部に入り直した。(ちょうど日韓ワールドカップが開催されてた影響もあるけど)
けど、その性癖を人前に出すわけでもなく、彼女とかにも変な性癖を出すわけでもなく、ごく普通の性生活を送ってる。
ちょうど中学の頃に読んでて、矢野くんっていう男の主人公的なキャラがかっこよくて(女の子にモテそうな感じで)、服装とか行動とかちょっとだけ真似したりした。
結果、少しモテたりしたけど、所詮付け焼き刃で(通用するのは中学生くらいまでで)、社会人になったら自分の軸をしっかり持ってる人がリスペクトされる(モテたりする)よね。
これは漫画じゃなくてアニメ(ラノベ)だけど、センター試験2日前くらいにたまたま深夜テレビ見てたらバッカーノ!がやってて、めちゃくちゃ面白かったから、センター試験直前なのに全話観ちゃった。
ただ、意外と試験に影響なくて志望校に受かった。これでもし志望校落ちてたら人生変わってたかもしれない。
まぁ前日にアニメ観ただけで落ちるくらいなら、どうせ落ちてただろうし、あんまり影響はないと思われる。
・ピスはめ
これ読んで成年漫画にハマった。そしてそれがこうじて学生時代成年漫画を扱う書店でバイトしてた。
でもまぁそれは、ただの趣味でしかないし、そんな人生が変わったとかじゃないなぁ。普通に全然違う業界に就職したし。
■結論
漫画なんて、所詮娯楽でしかなくて、だいたいの人にとっては、人生なんか変えるほどの影響力なんてない。
てか、ハンターハンター読んで人生変わったってどんな人生なんだよ笑
ただ漫画家になったとか、編集者になったとか、中華一番!読んで料理人なったとか、本当に人生が変わった人はいると思うから、ちゃんと影響があった漫画って知りたい気持ちはあります。
もし、そういう人がいたら教えて欲しい。
待ち侘びていたティアキン
発売日からプレイしてて、ゲーム部分は楽しいがストーリーに感情移入できない
昔ながらの「姫と騎士」の物語なんだからしゃあないとは思うが、民主主義国家生まれとしては「王国」や「王族」に感情移入できない
・貧げな暮らしの村人たち←→バカでかい城に住むゼルダ姫ら王族
・非文明的な暮らしをしている村人たち←→お抱えの研究者の作ったカメラ(プルアパッド)で趣味の研究に没頭するゼルダ姫
らへんにまずモヤる。
・ブレワイの頃からゼルダ姫・リンク・プルアら研究者の持つ技術が村人らの暮らしに還元されていない様子
技術があるならすぐに暮らしに還元できるはず、しろ、というのは「なろう」じみた考えかもしれないが、王族として国を支配する立場なのにゼルダ姫はブレワイから今まで何してたんだ?と思ってしまう。
・一心に姫を慕う村人たち
も理解し難い。「ゼルダ様は凶作の年に隣町から物資を届けて下さった」的な説明があるならわからんでもないが、そういった説明もとくになく、貧しい村人たちが「姫、姫」と慕っているところが共感しにくい。現代日本にも「アベノミクスで日本を救ってくださった安倍様」など言うやつは居なくもないが、普通の感性では受け入れられない。所詮天皇も象徴の時代の人間、王政のような宗教的なものを受け入れる下地がない。
今作でもゼルダは未だに「姫」で、国政をメインに担うのは「王」。ゼルダが何してるのか、何をしてきたのかよくわからない。よくわからないのに慕われててよくわからない。
ニンテンドーで王族の次に偉いのは学者先生らしい。好奇心旺盛であることが良いこととみなされる。ゼルダ・プルア筆頭に研究オタクキャラが多い。多すぎる。ニンテンドーのゲームに必ず1人はいる気がする。
「あーはいはい好奇心旺盛で研究のこととなると夢中になっちゃうオタクなのね」。いかにも「好奇心旺盛」「勉強熱心」が誉めそやされる世界で過ごしてきた人間のつくるキャラクターだ。おもしろみがない。
任天堂はキャラの「ガワ」を作るのはうまいが、「中身」を作るのは下手なように思う。
キャラクターは個性豊かだが、どこかで見たことあるものが多い。大抵のキャラが同じセオリー、同じ価値観に基づいて作られており、ロールに沿った言動しかしない。現実の人間ならあるようなゆらぎがない。大味でつくりもの感が強い。
「編集者が会議して作った漫画は没個性でつまらなくなる」とバクマンだかで言ってたが、任天堂も同じなのかもしれない。
ゲームのストーリー部分をボタン連打で読み飛ばす系の人間にティアキンのストーリーパートを楽しむのは無理なのだろう。
アクション、謎解き、オープンワールド、主人公の強化、あたりは楽しい。ムービーやNPCとの会話のような茶番を見せられる時間が発生するのがだるい。
ブレワイのストーリーパートを楽しんでるやつとかあんま見たことないが、なんでストーリー重くしたのか……
ってま、グッズ販促タイムか。ライダーベルトやプリキュアの変身グッズのCGと同じだよなあ。真面目に考察してもしゃあないわ。
つい最近購入した平凡社ライブラリーの『魔法』(カート・セリグマン著)を、読み返している。ほぼ西洋に限定しているし、原著の出版が1948年と古いし、文章も読みにくいが、全体的に見れば楽しい本であることは間違いない。間違い無いのだが…。
この『魔法』の巻末には、参考文献リストが列挙されている。その中に
『ナカルト』
という書名がある。著者の名前は、コリン・ウィルソンとなっている。そう、あのコリン・ウィルソンである。
もちろん、これが『オカルト』の間違いであることは明らかである。文字の形状が似ているために「オ」と「ナ」を取り違えたのであろう。しかし、活字を組んで活版印刷をしていた旧い時代ならばいざ知らず、今どきこんな間違いが起こり得るものなのだろうか? 現代日本の出版物の印刷技術に詳しいハテナーがいたら、ぜひ教えて欲しい。
それにしても、万が一、コリン・ウィルソンの名前も有名な著作『オカルト』のことも知らなかったとして、そもそも魔術・呪術・錬金術・オカルトについて書かれた本なのだから、その参考文献リストとして挙げられていれば「これは『ナカルト』じゃなくて『オカルト』のことなのではないか?」と、出版に携わった編集者その他の人間は、疑問に思わなかったものなのだろうか。長大な本文の中に埋もれている誤植じゃなくて、パッと目につく参考文献リストなのである。あまりにも凡ミス過ぎないだろうか。
なお、参考文献リストの中で挙げられている他の書籍にしても、例えばリチャード・マシスンの有名な小説『地球最後の男』が、1958年に初翻訳された時の古い情報のままで「リチャード・マティスン『吸血鬼』」となっている。セリグマンの『魔法』が最初に翻訳された時に作成した参考文献リストを、チェックせずに右から左に流用したのだろうか。
こういう興醒めさせられる誤植、他にもある?
ちびまる子ちゃんのハマジの元ネタになった人の自伝を自費出版で7万部くらい売りまくった人の話が出てた。
表紙をさくらももこに頼んだら「自費出版ならいいですよ」と快く引き受けてくれて、引用で中にちびまる子ちゃんの漫画のイラストも挿入した。
その本が売れに売れまくった。
ここで新人編集者は書籍内の「引用」だったはずの本編イラストを使用してPOPにして書店に配った。
自費出版だからと手伝ったのに売りまくってる上に自分の著作物を勝手にPOPにされていることにさくらプロダクションは激怒。
出版社社長と編集者でPOPをすべて回収し、印税の一部も差し上げますと謝罪に行くも「そういうことじゃない。どういうことかはお前らで考えろ」の一点張りで結局収集がつかず、喧嘩別れに終わった。
それだけ、アマチュアが「わたしはコレが面白いと思うので読んで」ができる世の中になってるんよ
アマチュアの動機は承認欲求で「おもしろい」っていう評価だけあればいいわけだし、
コミケサークル数でわかるように少なく見積もって毎回2万、総計で10万人くらい日本には存在しているわけなの
ピクシブの投稿でも小説家になろうでもnoteでも、まあみんなすごい数だよ
オレをわかって、共感してくれ、デトックスしてくれ、絵がうまいっていってくれ文章にひきこまれたっていってくれ。もう宗教
というわけで正直、下調べがいらないなろうラノベだの転生フィクションは飽和状態。
AIがきてもこなくてももう一生かかって読み切れないくらいあるの
たとえばこんな殺人方法なんて今じゃとうていできないよすぐつかまる、リアルじゃないクソ漫画だ。よし非表示。
それだけでもブログネタにもなるわけでみんなまぁ熱心な批評家なんだよね
だが誰もその勇気がない。
批判を恐れて、助けを求める誰かを見殺しにすることを選んでいる。
悲しいね。
そんな世界に舞い降りた一筋の光こそが『特別支援系地下アイドルユニット☆ハッピー障害児ガールズ』(以下、ハッピー障害児ガールズ)である。
気になる人は今すぐ読もう https://seiga.nicovideo.jp/comic/60379
ハッピー障害児ガールズとは、特別支援学級に通う3人の美少女障害児が日本最高のアイドルユニットを目指す物語である。
最終到達目標は126代続くアイドルユニットたる天皇を超えることであり、その未来は実現することが語られている。
あるものは両手両足が、あるものは視覚が、あるものは知能がない彼女たちが障害児でありながら日本の頂点へ到達する物語。
サバトに集うギリギリ健常者たるファン達の捧げる狂気と血税によって帝位簒奪までの道が切り拓かれる超最新型神話なのである。
真の愛国者として日々、過酷な陛下ニーに励むものならば絶対にハマってしまう超ド右翼最右端の特急呪物だ。
最初期はジャンプルーキーで活躍していたが、あまりの危険性から切り離され、今はネットの無法地帯たるニコニコ静画で連載している。
今はまだただの色物漫画だが、きっといつかこの漫画が新時代の進撃の巨人となり、追放したジャンプルーキー編集者の無能は、皇家が、日本が、地球が滅びる日まで語り継がれることだろう。
身長2桁cmの女でしか抜けないペドフェリアも、ヨダレを垂らして暮らす低IQ美少女を求めてやまない葉鍵難民も、障害者というだけでヤバイ奴らに囲まれてしまった可愛そうな美少女でしかシコれない異常者も、もちろん陛下ニーへの理解が薄い世間の風で凍死寸前の極右の皆も、きっとこれを読めば幸せな気持ちになれる!
読もう!
「おばさん」の年齢ならむしろ女性作家の編集者が男なのがデフォな環境で育ってるのに何言ってんだ?
昔の少女漫画って単行本のあとがきとかフリースペースで担当出すことも多いけどまず男やぞ
大学生になったので、5年前くらいを回顧してみる。ユーザー名が漏れると恥ずかしいので、抽象的に書いているがご堪忍願いたい。
中学生のころ、アンサイクロペディアを知った。アンサイクロペディアは誰でも面白い記事を書き込める場所であり、自分も記事を投稿してみたいと思ってアカウントを登録した。
個人的に得意だと思っていたのが「独特な言い回し」や「突拍子もない箇条書き」だった。これが通用すれば、普通に事実を書くだけで面白くなる。
これを使って、最初の記事を書いた。ちょっとした時世ネタである。今見てみると初稿はあまりにも短い。「推奨文字数」ギリギリで書いたので、すぐに他の編集者によるテコ入れが入った。今思えば、記事の肉付けをしたのは自分ではなかったものの……自分が記事を書いたということが楽しくてたまらなかった。
2記事目、3記事目と書いていく。好きで詳しくて書きたいという創作物などが無いので、ありきたりな事柄をそこそこ面白く書いていった。
気がつくと「誰も指摘を入れずに通過した」記事があり、さらに嬉しくなった。自分の実力で書いた記事が(ちょっとでも)面白いと認められたのだと思った。面白い記事として「新着記事」に選ばれると、そこの欄に掲載されるけれど残念ながら一度も載らなかった。
一方で、執筆と同時にアンサイクロペディアの記事を読むにつれて、息苦しさを感じていった。私は(昔も今も)愛のない攻撃的な文章を読むのが苦手である。自分がどちらかと好意的に思っているものについて、必要もなく罵詈雑言を浴びせている記事を見てしまい、ずっと記憶に残ってしまう……ということが増えてきた。あと、サイト全体として不必要に言葉が厳しい記述が多いと感じるようになった。
私と同年代のユーザーが自己中心的な行動を取って投稿ブロックされてるのを見るのも、あまり好きではなかった。(これは仕方ないのではと思うが)
ある日、自身の作った記事にNRVが貼られた。(注:つまらない記事に貼られるタグで、7日間で修正しないと記事が消去される)理由は「なにが言いたいかよくわかりません」。このようなタグを貼るのはもちろん古参ユーザーであるから、緊張感があった。(新参ユーザーが貼るようなタグではないので)即座に修正し、NRVタグは外れた。
そして別の日、自身が新しく作った記事にNRVが貼られた。「wikipediaみたいな普通の記事」。私は、普通に事実を書いて「独特な言い回し」や「突拍子もない箇条書き」を埋め込むのが得意だと思っていたが、この記事にユーモアはなかった。1週間の間、毎日のようにもがいて考えたが、どうすればいいかわからなかった。期限が来た。ノートでこの記事の削除議論が行われる。
「つまらない」
とだけ添えられて、あっさりと記事は削除された。
自身の記事が拒絶される恐怖に苛まれ、記事の執筆をやめてしまった。
数年後に見返してみれば、自身が書いた記事の中で「必要もなく罵詈雑言を浴びせている記述」も見つけてしまった。修正はしたけれど、「このヤバい記述、この数年間で誰も修正しなかったの?」という微妙な気持ちになった。(自分が書かないのが一番だけどね)
【お気持ちパート】アンサイクロペディアの記事はユーモアがあるのもあるけど、時々とげとげしててこわい。自分の居場所ではなかった。「ユーモアのある記事を書け、自己満足で書いただけのゴミ記事はいらない」みたいな雰囲気だったし。コミュニティに受容されていると思えない、お金を払ってもらってるわけでもない、尊敬も得られない状態で、自身の記事について責任を持つのはしんどかったな。自分がいなくなったのはある意味仕方がないかも。
でも、自然と皆が面白いことを書く場所ってあるよね。wikiで言うならニコニコ大百科とか。何が違うんだろうか?
おわり
A.
日本語文章を読みやすくするためには、2つのことを守るだけで済みます。
1つ目は、会話カッコを会話や引用以外で使わないことです。このようにすることで、記号の意味が限定され、読み手の負担が減ります。よくある乱用は、強調したい語句を会話カッコで囲むことですが、この場合は別の記号(例えば【】や〈〉)を使用するようにしましょう。
2つ目は、テンを英語のカンマを打つ場所に限定することです。つまり、複文をフレーズ(句)で区切る場合にのみテンを使います。一番よくある間違いは、「読むときに一息入れる場所にテンを打つ」ことです。しかし、実際にはテンがあるからといって必ずしも読むときに一息入れるわけではありません。読むときに一息入れるようにするための記号は、三点リーダーや列挙中黒、物理的な空白分かち書きなど、たくさんあります。
- 「自分って成長できてるのかな」と思ったときに確認したい3つのこと。あなたは “○○ばかり” していない?
- スーダンからの自国民救出計画、ドイツが中止 戦闘激しく避難困難。
- この場合は、テンを「を」に変えることがより適切です。
- 「じゃりン子チエ」なぜ時代超えて共感? 作者の直筆メッセージ。
以下は文学には当てはまりません。ふつうの文章に限定してください。
●1:会話カッコを
会話カッコを会話および引用に限定することで、記号が持つ意味を限定化して、
でもそれは、【】でも〈〉でもなんでもよいので、別の記号にしましょう。
ようするにフレーズ(句)で複文を切るようなケースのみに使うです。
いちばん多い間違いは、「読むときに一息入れる場所にテンを打つ」です。
これは逆で、「テンがある → 読むときに一息入れる」が真なだけで、逆は真ならずです。
列挙しますと、三点リーダーや列挙中黒や物理的な空白分かち書きなど、
読むときに一息入れるようにするための記号はいっぱいあるわけです。
https://studyhacker.net/growth-check-3points
「自分って成長できてるのかな」と思ったときに確認したい3つのこと。あなたは “○○ばかり” していない?
後者があえて“”なのも好ましいです。
https://www.asahi.com/articles/ASR4N1SS1R4MUHBI03Z.html
スーダンからの自国民救出計画、ドイツが中止 戦闘激しく避難困難
テンを を にしたほうがよいんじゃないかと。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20230420/k10014040731000.html
「じゃりン子チエ」なぜ時代超えて共感? 作者の直筆メッセージ
のほうがよいです。
●4:いちおう自己紹介
さて、世の中には専門的な内容が書かれた書籍や雑誌が数多く存在するが、その制作者までもが専門家だと思われているようなきらいがある。
増田が作ってきた専門書は法律関係ですが、増田自身は今まで法律の勉強をしたこともなく、編集者になった当初、最高裁では事実認定を争えないのような法曹関係の基本のキも知らないような存在でした。
そんな増田が生み出してきた専門書は数多あり、そんな増田の浅学で校正校閲された書籍が今もなお、弁護士や裁判官などの手に届いています。
つまり、間接的ながらも人の人生を左右しかねない情報が非専門家の手によって、第三者の専門家の目を通すことなく出版されているのが現状です。
多分こんな話をすると、大抵の人は専門の校正校閲部署があったり、サービスがあったりするんじゃないの? なんて思うかもしれませんが、中小の出版社でそんな大層なものを持てるはずもなく、専門的な校閲サービスともなれば初版全部が捌けてようやく黒字のような状態になりかねません。今もなお著者の先生に書いていただいた内容を非専門家の編集者の目のみを経て、出版されています。
印象的だったは新米編集者の頃、法学理論(人によって見解の分かれる法律の適用方法などの論文の内容)がどうしても分からず先輩編集者に「これってどういう意味ですか?」って聞いた時、「自分たちが分からないのはしょうがないから著者を信じよう、でも理解する努力はして、それでも分からなければ通しましょう」と言われたことです。
この言葉は前向きに見えるかもしれませんが、内実としては、内容を理解せず進めるということです。こんなのでよく事故が起きてこなかったなぁと思いつつ、その後は私も先輩編集者の教え通りに過ごしてきてしまいました。
内容が不確かにもかかわらず、会社に声をあげず、ただ昔からそうだったからと、やり過ごし不安定な情報を与え続けてきた増田の仕事について、増田は懺悔したかったのです。
近日で増田は退職し全く違った道を歩み始めています。こんな懺悔を現実でできるはずもなく、誰もが誰かになれるこんな所で、呟くのみです。