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はてなキーワード: 集団的とは

2017-08-13

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 脚注

[1] この文書はもっぱらグーグルマウンテンビューキャンパスでの視点から書かれている。私は他のオフィスや国について語ることはできない。

[2] もちろん、私にもバイアスがあるかもしれないし、自分視点を支持する証拠だけを見ているのかもしれない。政治的バイアス観点からは、私は古典的自由主義者であり、個人主義と理性に強く価値を置いていると思う。私はこの文書について喜んでさらなる議論を行いたいし、例証を挙げたい。

[3] 私は、この文書を通じて”技術職”を、ほぼソフトウェアエンジニアリングという意味で使っている。

[4] ロマンチックな男女関係において、男性はより強く地位によって値踏みされ、女性は美貌によって値踏みされるさらにこれには生物学的起源があり、文化的普遍性がある。

[5] Stretch、BOLD、CSSI、Engineering Practicum(ある程度は)、それと特定ジェンダー及び人種のためのいくつかの他のグーグル提供の内部、外部プログラム

[6] 代わりにある特定層のための潜在的なGooglegeistのOKR設定。私たちは、特定グループにとっての環境を良くすること(それはサーベイスコアによって確認できる。)によっても、保護された地位に基づく差別化(それは違法であり、すでになされていると私は見ている。)によっても、組織レベルでの登用を増進させられる。登用増進OKRは後者インセンティブとなりうるし、組織間でのゼロサム闘争を作り出しかねない。

[7] 共産主義資本主義より道徳的にも経済的にも優れていることを約束する。しかし、その試みは全て道徳的には堕落経済的には失敗している。自由民主主義社会労働者階級が”資本主義の抑圧者”を倒そうとしていないことが明らかになったときマルクス主義知識人階級闘争からジェンダー人種政治へと移行した。抑圧者-被抑圧者の中核的な力学は残り、今や抑圧者は”白人で、ストレートで、シスジェンダーの家父長制”である

[8] 皮肉にも、IQテストは当初能力主義貴族政治犠牲者を助けとなることを意味していた時代左派によって擁護された。

[9] もちろん、全国的な総計において、女性さまざな理由男性より賃金が低い。ただ同じ職業につく限り、女性男性と同じだけの賃金を得ている。女性男性よりお金を使い、給与というもの従業員がどれだけのもの犠牲にしたか(例えば、より多くの時間ストレス危険)の指標であることを思えば、権力に関わるステレオタイプを考え直す必要がある。

[10] 伝統的なジェンダーシステム支援必要男性というアイデアをうまく扱えない。男性は強く、不平を言わず、自ら問題対処することを期待される。男性問題は、ジェンダーによる行為主体性の考え方によって、しばしば犠牲者というよりは個人的な失敗とみなされる。これは泣き言、不平、弱さの現れとみなされることを恐れて、男性男性問題(それが個人的ものにせよ集団的ものにせよ)に注意を払うことを妨げている。

[11] 政治的正しさは、”社会的に恵まれない人たちや差別されている人たちの集団排除し、軽んじ、侮辱すると受け取られるような表現と行動を避けること”と定義される。それでなぜそれが左派現象であり、権威主義者の道具であるのか明らかだろう。

グーグル思想残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 前編

前置き

以下は最近グーグル社員が社内でダイバーシティに反する差別的文書を開示したという理由解雇された騒動において、問題となった文書Google’s Ideological Echo Chamber」の日本語訳です。底本は米ニュースサイトMOTHERBORDが入手したPDFを利用しています。この案件はてなでも注目されたようですが、その反応をみるにほとんどの人が原文を読まずにコメントしているようなので参考のため翻訳してみました。訳者別に英語仕事にする人でも特段英語能力の高い人でもないので、この日本語訳自体引用して何か言及するのは恥をかく可能性があるので薦めません。また誤訳の指摘は歓迎です。なお、参考リンクについてはグーグルの内部ネットワークに繋がるもの以外は全て記載しましたが、ウィキペディアリンクしている部分は参照している記載が削除されてしまっていたりするので、この文書作成された7月あたりの版を読む必要があります

グーグル思想残響

バイアス多様性社会的包摂についての私たちの考えをどのように曇らせるか

公的な反応と欺瞞への返信

私は多様性社会的包摂価値を置くし、性差別存在についても否定しない。ステレオタイプを利用することも認めない。私たち集団における登用ギャップを解消しようとする時、必要なのは集団レベルにおける分布の違いに注目することだ。もし、このことについて誠実な議論ができないのであれば、私たちは真に問題解決することなどできない。

心理的安全性相互尊重と受容によってつくられるが、不幸にも私たちの恥ずべき文化欺瞞残響室の外にいる人間尊重しないし、受け入れもしない。

そのような公的反応にもかかわらず、私はこれらのとても重要問題提起に対してグーグルの同僚たちから多くの個人的賛辞をもらった。彼らはこの問題提起には同意するが私たちの恥ずべき文化解雇可能性のために声をあげることも擁護することもできない。このような状況は変革されるべきだ。

要約
背景[1]

人は一般に善良な意図を持っている。しかし、私たちは皆自覚のないバイアスを持っている。感謝すべきことに、物事鵜呑みにしない人々による開かれた誠実な議論私たちに見えていない物事を照らし出し、私たちが成長するのを助けてくれる。それが私がこの文書を書いた理由だ[2]。グーグルはいくつかのバイアスがあり、このバイアスに関する誠実な議論支配イデオロギーによって沈黙させられている。ここから記述完璧ストーリーではないが、グーグルで是が非でも語られるべき視点だ。

グーグルバイアス

グーグルにおいて、私たち人種ジェンダーに由来する無意識バイアスについてとても多くのことを語る。しか道徳的バイアスについて議論することはまれだ。政治的指向は実際には深層の道徳的選好の結果であって、すなわちバイアスなのだ社会科学メディアそれからグーグル圧倒的多数左派寄りであることを考慮して、私たちはこれらの偏見批判的に吟味すべきだ。

左派バイアス右派バイアス
弱者への共感強さ/権威尊重
平等不正のせいであ平等自然であり正しい
人間生来協力的である人間生来競争である
変革は良い(不安定変革は危険だ(安定)
開放的閉鎖的
理想主義実利的

どちらの側も100%正しくはないし、どちらの視点機能する社会、この場合会社必要ものだ。極端に右派的な会社は反応が鈍いかもしれないし、あまり階層的かもしれないし、外部を信用しないかしれない。対照的に極端に左派的な会社継続的に変化するだろうし(愛されているサービス非難する)、あまりに関心を多様化させるし(コアビジネス無視するか、恥ずべきことと思う)、あまり従業員競争相手を信用しすぎる。

事実と理性だけがこれらのバイアスに光を当てられる。しかし、多様性社会的包摂の話になると、グーグル左派バイアスは恥によって反対者を沈黙に追い込むことによって固定化される政治的正しさ単一文化を作り出す。この沈黙侵食する過激派権威主義ポリシーに対するあらゆる歯止めを除去する。この文章の残りで、私は社会的成果の違いは差別的取り扱いと平等な登用を作り出すために実際上の逆差別義務付けられる権威主義的要素によるものだという極端な立場に焦点を合わせる。

技術職におけるジェンダーギャップバイアスによるものではない可能性[3]

グーグルにおいて、私たちはいつも黙示(無意識の)、明示のバイアス女性技術職と管理職から疎外していると語られる。もちろん、男性女性バイアス技術職場を異なった形で経験するし、それを私たち認識すべきだ。しかし、それだけで全ては説明できない。

平均して、男性女性は多くの点で生物学的に異なっている。これらの違いは社会的に構築されたものだけではない。

なぜなら:

注意:私は全ての男性が全ての女性と以下のように異なっているとは言っていないし、違いが”正しい”とも言っていない。私は単に男女の選好と能力分布がある程度生物学的な理由により異なっており、これらの違いは技術職と管理職において平等女性登用が見られない理由説明するかもしれないと言っている。これらの違いの多くは小さいし、重要なことに、そこには男性女性とで重なり合う部分がある。そうであるから、これら集団レベルでの分布から男女個人について言えることは何もない。

(チャート画像)(https://video-images.vice.com/_uncategorized/1502146696203-Screen-Shot-2017-08-07-at-65310-PM.png)

上段:集団には重要な重なり合いがある

下段:人々を集団的アイデンティティ単純化し、平均が代表だと仮定することはこの重なり合いを無視する(これは悪いことであり、私はそれを認めない)

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長すぎたのか投稿できなかったので分割。

グーグルの思想的残響室(Google’s Ideological Echo Chamber和訳) 中編①

2017-07-16

最近やたら死を美化するというか美化するために死を利用するみたいな風潮を感じる。

誰かが死ね解決する問題って何よ?

問題を生きている間に解決して、少しでも良く生きていこうってのが普通じゃないだって、その問題別にその人で終わるわけじゃなくて繰り返し現れるものでしょ。一時楽になっても、またすぐに同じ問題に直面する場合の方が多いじゃない。

死とは嫌なもの、目を背けたくなるもの。でも、確実にあるもの。死は美しいものじゃないし、かと言って何か言葉数字で誤魔化していいものじゃない。ひとつひとつ受け止めるしかない不条理でしょ。

さらには、死の恐怖を煽って何かをさせようという人までいる。

こういう人って、実は事前に策を打とうっていうんじゃなくて、集団的な死を待ち望んでない?

ほーら、やっぱり、っていいたいんじゃないかな?それはノイローゼですよ。少し休みましょう。

死については、考えるというよりは周りにそういう事がなさすぎるのが問題なのかもしれない。ニュースで伝えられる死はすでに言葉になってしまっているから。

でも、言葉にならない、どうしても受け止められないものが死の本質から、これは疑似体験になっていない。

2017-07-06

SNS時代の正しい桃太郎

おことわり

この物語伝承などに従ったフィクションです。登場する人物団体名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。

また、伝承は諸説有り、違った見解物語を持っているものがありますが、これはそれらを否定するものではないことをあらかじめ申し上げておきます

1

昔々ある所に、地域に貢献しながら元気に頑張っている2人家族がいました。一人は雅、もう一人は晴と言います

体力に自信がある雅は、山(※この家族は入会地の権利を持っています許可無く私有地・共有地に立ち入ることは法により罰せられる場合があります)に芝刈りに、晴は川へ洗濯へ(※この家族水利権を持っています安全問題の無い処置の他、特別な訓練を受けています。もし真似をしたことによる損害が発生しても責任は追いません。また環境配慮した石けんを使用しており、環境に影響を与えることはありません)出かけました。もちろん、二人の役割は固定されているわけではなく、ジェンダーに捕らわれない公正な考え方、ジェンダーではなく個々人に目を向けた正統な役割分担によって相談し当番制を敷いていて、今日たまたまこ役割だった事は、言うまでもありません。

2

すると、川の上流から大きな桃ののようなものがどんぶらこどんぶらこと流れてきました。晴は桃を拾い上げると、警察に届けました。警察は、桃はそのままで保管する事は困難である判断して、遺失物法に基づき手続き実施、売却をしてその代金を保管することにしました。

雅と晴は二人で相談して、合議の上でお互いの財産から半分ずつお金を出し合い入札をして、桃を手に入れました。入札額は桃の価値に対して十分な金額でした。

持ち帰った桃をわってみると、なかから元気な子どもが! 二人は大変驚きましたが、子どもが生まれたことは事実であり、桃からまれたと言う一点だけで差別したりはしません。二人は適切に子どもの世話をすると共に、役場担当者に連絡、村長が棄児発見調書を作成して戸籍がつくられ、児童相談所に預けられました。この時、従来からの慣例に従い、子どもの命名は発見した保護者が行う事にもなっているため、二人は悩んだ末、ジェンダーニュートラル名前「桃」と名付けました。(※なお、桃は二人でおいしくいただきました)

その後、これも何かの縁(※特定宗教意図したものではありません)と考えた二人は、正式手続きを経て、桃を特別養子縁組の仕組みをつかって引き取るり、大事に育てました。もちろん、二人は養子として迎えられなかった子ども達が一律に不幸だと考えてこの行動をとったわけではないのは、言うまでも無いでしょう。

3

時は流れて、大きくなった桃(※事実を述べたに過ぎず、病気あるいは遺伝的特徴から大きくなれない事を揶揄する意図はありません)は、鬼ヶ島へ鬼退治(※法的処置に基づく、強制行動のことをさします)に行くことになりました。

もちろん、鬼たちは、鬼というだけで差別されているわけではなく、特定の島を不法占拠した上で、強盗誘拐など、日本国法、並びに国際法、国際通念などと比較して、多くの人が反社会的行為だと言うような行為集団的実施している上に、暴力的行為によって不当に取り締まりを逃れているため、対処必要があると判断されているものです。

法的な召還にも応じず、命令にも従わないため、強制捜査代執行などが決定されたものの、治安機関による取り締まりや、軍隊の出動などを実施した物のいずれも失敗したため、法的な手続きを踏んだ上で実施されています一方的に鬼の人権排除するような点については違憲可能性も考えられるため、国会では議論議論が重ねられ、特別立法によって、一連の鬼退治を桃に委託することに決定されました。報道各社の世論調査でも、読売新聞調査で支持する、どちらかというと支持するを併せて8割以上が賛成、朝日新聞調査でも7割以上が賛成するなど、世論の支持も得ています

(なお、この文章は、現在国会で行われている、組織犯罪処罰法(通称共謀罪)や、改憲論議に対して、何らかの意見、影響を与えることを意図した物ではありません。)

4

当日の料理当番だった雅が作った(※雅はジェンダー役割の押しつけによって料理当番を実施しているわけではなく、個人に着目した能力に応じ、二人で決めたルールによって自発的実施しているものです)きびだんごを腰にぶら下げて鬼ヶ島へと出発しましたが、道中、犬、猿、キジが現れました。桃は、彼らに、脱酸素剤などをつかい添加物などを使わずに適切に保存したきびだんご(※動物有害ものは入っていない特別な物です。一般的きびだんご動物に与えると動物健康に悪影響を与える場合があります。また、野生動物食べ物を与える事は、条例によって罰せられる場合があります)を、アレルギーなどがないか確認した上であたえ、動物愛護法などに定められた、また、社会的にも正しい動物福祉の元で彼らの協力を得て、鬼ヶ島へと渡ります

5

鬼ヶ島では、鬼たちが【青少年健全育成に不適切表現ゾーニングされていないバージョン正式手続きにより読む事ができますので、検閲ではなく、これは自主規制です】の最中でしたが、人道的に問題があるとされる奇襲などは行わず、あらかじめ用意された裁判所からの令状を、十分に聞こえる様に読み上げ、鬼たちがそれに従わないことを確認すると、法令に則り代執行宣言、【青少年健全育成に不適切表現ゾーニングされていないバージョン正式手続きにより読む事ができますので、検閲ではなく、これは自主規制です】の末に、鬼らを後からやってきた治安機関職員に次々と引き渡していきました。この時の罪状公務執行妨害現行犯逮捕です。鬼たちは今後、弁護士がついて公正な司法のもと、裁かれることになりますが、罪が確定して有罪になる迄は、あくまでも罪人ではない事に配慮し、実名は記しません。

また、この行為について、鬼側に死亡者が発生しているのではないかという指摘がありますが、事実無根であり、ここで行使された武力は正統かつ、やむを得ない範囲で十分に配慮されたものでした。

6

鬼たちが悪行で集めた金銀財宝などは、特別立法に基づき、国が指定した弁護士管財人によって管理されます有罪が確定したあと、確認が行われた後に被害者に分配されることがきまっています。故に、桃らが横領したという指摘にはあたりません。桃はここから報酬を受け取るのではなく、国から各種規定に基づきあらかじめ定められた報酬を受け取りました。これは桃が果たした社会的役割鑑みると正統な報酬であると考えられる範囲金額であり、会計検査院監査を受けた上で、妥当だと証明を受けているものです。

個人プライバシーがあるため詳細は省きますが、報酬用途は、実家のすぐ隣に新たな家を構え、その後は自立した大人として暮らすために使われ、桃はこれが国民血税であることを十分に認識しながら、感謝気持ちを忘れることなく、決して不当な事に当てられたことはなかったということだけは記載しておきます

7

被害に遭われた方々の事を思うととてもめでたしめでたしなどと言うことはできない凄惨出来事ですが、それでも、桃が自らの役割を果たしたことで、社会秩序治安といったものが守られ、公共の福祉が成されました。今回は暴力という手段によってしか解決ができなかったことは大変に不幸であり、桃、または登場する人物もその点に遺憾を表明しており、やむをえずおこなったものです。

これは、桃は特別な訓練と、公正な立法措置によって行われた事であり、通常行うと重大な事故に繋がったり、罪に問われる場合がありますので、真似をしないでください。

参照文献


https://www.ad-c.or.jp/campaign/self_all/self_all_01.html

http://nlab.itmedia.co.jp/nl/articles/1707/04/news117.html

http://www.huffingtonpost.jp/2017/07/05/ac-japan-ad-campaign_n_17389562.html

https://srad.jp/story/17/07/06/047224/

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A1%83%E5%A4%AA%E9%83%8E

http://arasujikun.com/archives/14

2017-06-30

なんとなく死にたいのわけ

なんで死にたいなんて思うんだろう。一人夜中にポツンと何もない自室で椅子に座ってぼんやりとしている時、朝目覚めて外に出るまでの三十分間等々。どうしてか死にたいと思う。どうしてかなんて言っているけれど本当はその原因が分かっているような気もしていて、それでも夢みたいになんだかぼんやりとしていて時間が経てば晴天で、低気圧がやってくればまた雨が降ってそんなことを考えての繰り返し。本当はいつも曇りみたいにどんよりしてるけど、何だか仮面を被っていろんな風に頑張ってる。そういう生きづらさがあるのかな。きっとそうだ。

どうして死にたいんだろう。世の中には恵まれているのに死にたいと感じる人が多い。日本では特にそういう人が多いと聞くけど、どうしてだろう。何が不満なんだろう。何が怖いんだろう。何をしたくないんだろう。きっと何かを拒んでいるけど、それを受け入れないといけない環境にいて、そして誰もその気持ちを汲んではくれないんだろう。そして苦しい。認めてもらえない苦しさ。分ってもらう前に順応を指示される暗黙の日本典型的な善と悪と英雄を作り上げてそれを祭り上げる世界。そしてそれを自分のみならず他者に望む世界。そういう望みあいに疲れてしまったのかもしれない。往々にして人に対して感じる不満は自分への不満だったりする。人に対しての希望もまた自分への希望で。人はそうして互いに自分押し付けあって、押し売りして生きていかなくちゃいけない。それは特に日本では共通認識常識のように何か目に見えない糸でもあるのか、なにか集団的に抱いている希望のようなものがある。それが古き良きと称される至言たるものなのかは分からないが、そこに違和を感じた人間は生きづらい。この際何も正しくなくて何も間違ってないと言えれば、堂々と言えればいいのに。何も区別などしなくて、徳のあるなし、善と悪、あるべき姿あってはならない姿、対立軸なんてなければいいのに。せめてそれを共通の何かではっきりと示すのならそれは法律でもうお腹いっぱいだ。

何だか時々ここにいると具合が悪くなる時がある。ひどく自分が醜く、他が美しく、そこに向かって努力する美徳が目の前にいつもちらついているような、そんな世界他者から映しだされ垣間見るとき、すごく気分が悪くなり、悲しいようなやるせないような、とてもとても深い深い気持ちになる。

そういう時決まって、久しぶりにつけたテレビニュースで、なんてことのない交通事故ニュースを見て、「すごい。」と車の衝突による損壊状況に驚く父のわきで、なんだか画面に目を向けるのが苦しくなって、右耳から入ってくる死亡という文字何だか視線を変に泳がせながら僕はご飯を食べていて、何だかそんなよくある話を急に想像してみたりして、胸の奥がぎゅっと縮んで苦しくなる。いつもロボットみたいに淡々としているくせに。

結局のところ何を置いて生きていけばいいのか僕は分からないのだ。だからはいつも当たり障りのない生き方を演じている内に、いつのまにか体のいたるところがオートマチックへと化して、そして最後には正真正銘のロボットになる。

この先の途方もなく長い人生のことを考えると頭が痛くなる。運の悪いことに100歳まで生きてしまったらどうしようか。あと80年も生きなくてはいけないではないか。少なくとも長寿は全く持って僕に健康的じゃない。どうやって人生をやり過ごしていこうかと考えてしまう。

ただ僕にはまだ家族がいて、この世に存命している。そして僕はいつかその恩を返したいが、どう返せばいいだろうか。母や祖母は「あなたが自立して幸せ暮らしてくれればいい」と言ってくれるが、僕には到底、少なくとも後者の部分は主観的には難しいかもしれない。ごめんなさい。でも、お母さんやおばあちゃんたちが生きている間は僕はなるべく恩を返したい。そうなれるように努力してみるよ。

何ができるだろうか。こんなどうしようもない人間に何が出来るんだろうか。それを探すのが生きるということなら、僕にはとても難しい。

死にたい」と希死念慮もつひとたちを理解できないという人がいる。そして自殺絶対悪だと言う人がいる。うちの兄はそうで、実際に自殺をした同僚の葬儀に出席し、泣き崩れる母の姿を見てそう思ったみたいだ。僕の母もまたそれには賛同しているようだった。むしろ僕がそのことを、それだけがすべてではないと言った時に、ものすごい反発を受けてそれ以上は僕も何も言えなかった。母が言った、「自殺してそのあと取り残された人に対して想う気持ちあんたにはないの?」という言葉に対して、なんと言っても屁理屈になりそうで、伝えられなさそうで、何も言えなかったのだが。僕の中でこういうものの考え方は正直決着をつけたり答えを求めるのはあまり必要だとは思っていないからかもしれない。だからこそ、それを否定する人にたいして、もっと弛緩してと訴えるのもこの件においては難しいことも分かっている。だが、敢えて考えるなら、僕は死にたいと思って自殺をする人に対して想う気持ちも持ってほしいと思った。それは自分がそっち側の人間からということかもしれない。あるいはまだ他人事想像の域を出ていないからかもしれない。だが、どうか、自殺した息子に取り残された遺族に対して同情と憐憫の念を持ち、ともに泣き、想像することができるのなら、自殺した本人のことも想像してほしい。何故やめる。なぜみんなそこで思考をやめてしまうのか。いや、そうやってストップをどこかで価値観によって歯止めを聞かせなければ際限がないという不安は分かる。だから人は決めたがる。答えを見つけたがる。だが、それもいいとしても、ただそれはそれとして、そうじゃない、もっと想像をしてほしい。思考をしてほしい。毎日のように流れる死亡者ニュースも、想像も出来ないような場所で起こる悲惨実態を、綺麗に見えるものの側面を。もっとよく想像してほしい。そしてどうか決めつけないでほしい。そうしたうえで答えが見つかったと思えばそれは運のいいことかもしれないし、悪いことかもしれない。何故ならそれを証明することが恐らく叶わないからだ。自分という人間人生正当化してもそれは答えと思っている本人とってしか答えにはならないからだ。

思うに人生はやっぱり苦しむことだと思った。それは僕にとっての人生の形で恐らくこれからも昔から抱いてきたようにこの印象は変わらないと思う。どんなに幸運で、幸福で、満たされたと感じてもそれは、一時のものでまたすぐに欲しくなるのが人間だと思っているからだ。結局のところ僕は任げがよく分からないのだ。僕は僕という一人の人間を通してしか人間を語ることはできない。そしてこれは先入観とも価値観ともいってこれは絶対的に取り払うことの出来ない壁だと思っている。一方でこう生きることを運命づけられているという粋な言い方もできるだろうか。つまりいくら推論をかざしたところで無駄に終わる可能性の方が高いのだ。この手の考えは特にそうだ。企業会計監査のように正確さを求めるような類ではない。

からある程度僕は僕として生きていくことを開き直って、仕方ないにしても認めていかなくてはいけない。僕が僕と言う人間の醜さから世界の醜さを見出すような愚かな人間であっても、僕は己を巣食う愚かな人間を自らが救ってやり、時には救われる覚悟も持たくてはいけない。決して足元をすくわれないように。

初めから愚かな人間からこそ、僕はこう愚かなことを考えているのだと認めてやるのだ。

セカイだとかタシャだとか、ほかのものに何かを求めることははなからやめて、自分愚か者だということを認めて、いっそ認めず自分だけを頼りに生きたっていい。

生きれれば何よりではないのだろうか。もし、生きれるならそれは何よりだろう。そう言い聞かせていくしかないのだから。僕らには生きていくしか道は残されていないのだから。そうだろう。そうだろう。

僕らは生憎生きることを許された身分で、愚か者であっても決して罪人ではないのだ。だから、。

2017-06-29

anond:20170629151637

え、どういう理屈?「女」ってみんな単一脳みそ持ってる集団的生命体だと思ってる?

つうか稲田防衛大臣のこと、母親に「この人バカなのかね」と言ったら「でも東大だろ」と返事された。

勉強できるけどバカってやつだな。

2017-05-15

男だけど職場で「性的視線」に晒された

刑務所とか自衛隊宿舎とか男子校とか、そういった閉鎖的な空間で男だけで過ごしてると、次第に同性を性的視線で見るようになる。そういう話があります

はっきりいって、全然信じてませんでした。そんなわけないと思ってました。都市伝説みたいなもんだろうと。

でも今は完全に認識が変わりました。

はいとも簡単に男に欲情します。環境次第で簡単にぐらぐらになっちゃ生物です。それを僕は身をもって体験しました。

3月末まで夜勤データ入力バイトをしてたんですが、そこがまさに男の園みたいな職場でした。ビルの一室にスーツ姿の男が50人以上集まり、ひたすらパソコンに向かってデータを打ち込む。そういう環境でした。女性はひとりもいませんでした。

働き始めて数週間すると、どうも周囲の僕に対する接し方が不自然になっていることに気付きました。異様に冷たい人、あからさまに避ける人がいる一方で、照れくさそうに顔を赤らめながら近づいてくる人や、舐めるように全身を眺め回まわす人が現れ始めたんです。

どうも距離感おかしい。今までの職場と明らかに違う。どういうことだろうと不審に思っていると、ある日、帰りの電車で一緒になった同僚に言われました。

増田くん、すごく中性的だよね」

同僚は顔を赤らめていました。若干鼻息も荒かったようが気がします。

これはもしや....。

僕は職場で感じている違和感の正体が掴めるかもしれないと思い、彼を夜勤明けの朝マックに誘って色々と話を聞きました。

驚きました。なんと僕は職場ゲイだと噂されていたのです。「立ち居振舞いが女っぽい」「股間をじっと見られた」「手が触れた時に女みたいにビクッとした」デタラメな噂が色々と飛び交っていました。

さらに「フェラだったらさせてやってもいい」「今度みんなでカラオケに誘ってガンガン飲ませてみよう」などという話も出ているようでした。

マジでびびりました。100歩譲って僕が若い美少年とかだったらまだわかります全然そんなことないのです。ごく普通の男で、当たり前ですが女装メイクもしてません。年齢は30才。完全にただのおっさんです。強いていえば、痩せて顔がつるんとしてる。その程度です。それだって人目を引くようなところは一切ありません。これまでに同性から性的な目で見られるようなことは一度もありませんでした。

全ては環境のせいだと思います。閉鎖的でストレスフルな状況の中、妙な力学が働き、なぜか僕が集団的な性の対象になってしまったんでしょう。深夜、朦朧としながらデータ入力をしているうちに、みんながちょっとずつおかしくなっていったんだと思いますイジメ力学悪ノリに近い要素もあったかもしれません。

マックで話をしてくれた同僚は、僕がハラスメント被害者になることを危ぶんでいました。もし不愉快なことがあったらいつでも相談に乗ると真顔で言ってくれました。顔を赤らめながら。すでに彼も集団力学感染していました。

驚きはしたものの、僕は事態を冷静に受け止めました。ショックで仕事に行けなくなるというようなことはありませんでした。特に実害はなかったし、毅然としていれば何の問題も無いだろうと思いました。刑務所の中で同じような状況に陥ったら恐怖におののいたと思いますが、夜勤バイトなら問題ない。契約期間も決まっています。むしろアカデミックな興味が湧いてきたほどです。どうせならこの特殊な状況を仔細に観察してやろうかと思いました。結局、奇妙な思い出になっただけでしたが。

それから僕は数ヵ月ほど、集団の中で歪なセックスシンボルとして過ごしました。大勢スーツ姿の男達が毎晩僕にジトッとした眼差しを向けてきました。僕はそれを不思議な気分でやり過ごし、そのまま契約期間を終えました。

特に酷い目に遭ったりはしませんでした。彼らも自らの「性のゆらぎ」に脅えていたのかもしれません。大胆な暴走に至る人間はいませんでした。

からは別の職場正規雇用で働いていますオフィスには女性もたくさんいます。僕に「ジトっとした眼差し」を向ける男はひとりもいません。そのギャップに軽い目眩をおぼえるほどです。

あの数ヵ月を振り返ると、シュールグロテスクな夢を見ていたような気分になります。おそらくあの職場にいた男達も、どうかしていたと首を傾げていることでしょう。

2017-04-24

http://anond.hatelabo.jp/20170423184453

そもそも犯罪ってのが個人しろ法人しろ人格に関わるもの集団定義ができない。

集団組織区別なんてものはない。

そこで苦肉の策として中に犯罪をするとおぼしき、した経験がある、かさねて犯罪をするおそれがある要因を含む団体としているけどそれでいうと「刑務所からでてきた人を雇う企業」もその範疇に入りかねない。

そこで特定暴力組織として認定するということに。

そんなことは改めていう必要がないと思うけど、その上で団体組織に対してその時点での構成している個人すべてを対象に行動を起こせる法定義が今論点なわけ。

人で生垣をつくって中でなにかしててもバレないって手段暴力団で、それを株式会社やら養子縁組民事にしてたり外部からその犯罪行為確認できないように隔離しようと集団を使って行動してるのがおおよその暴力団体。

それを認定したものがしてるおそれがあるから立ち入れるって法だけじゃいまつらいって事。


たとえばこわもてのお兄さんたちが並んで立っててその向こうで暴力行為が行われていても通報できない雰囲気とか止めに入れない雰囲気にする、そこで行われたことについて首謀者が代わりのもの差し出して危険要素は社会に放たれたまま、というのが組織犯罪の例だけど、これを特定のそれを目的とした団体以外でも発生したりさせたりする要因が現在にはあるからなんとかする方法はないのかと。

たとえば救急車で救える命が野次馬で道をふさがれてまにあわなかったらどうか。ただの野次馬に人命救助の責任をおわせることはできないけど、ツイッターで「みんな道ふさげwwwwwwぜったい助からねえwwwww助ける意味のない命」などで一般市民無関係非暴力層が行動したらどうなるか。人しぬだろ。

同じように「テロ組織の崇高な使命感に感化された」とかい一般人なんかも発生しえないとはいえないだろ。

そうなったら、首謀者もみつけられないし、実際に行動して問題に関与した人間関係ないといいきれて、かつ問題行為が目の前で発生したり進行していた場合は何で取り締まってどう救済するんだよって話だよ。

まあSNS風評炎上あおりをうけていわれのない被害一方的にうけるやつがでてきても「残念」で済む国家をお望みならそれでもいいだろうとは思うよ。

以下追記

なんでも悪さをする団体と決めつければ無実の構成員も含め一網打尽にできて抑止力になる危険をはらむという問題について。

基本的法律に則って、ことに刑法に則って「被害者の発生する事案が犯罪」という定義を改めていえばその先へ理解が進むのでは。

合唱団犯罪行為とおぼしき隠喩を含む楽譜を持ち集まることは共謀「罪」にはならないが、それが特定個人や団体などを対象に明確な目的があれば「罪」なろうということ。

「本当の正義のために悪人を指摘する行為が結果集団的行動で仮に被害者を発生させる事につながるとはいえ、その善行の芽を摘むことになるのか」については憲法のもの人権尊重いくら罪人でも暴力行為などで抑止といった「被害」を発生させることを許容しない、警察通報しなさいってこと。

2017-04-23

法律定義上,暴力団は必ずしも組織的犯罪集団ではない

国会ウォッチャーです。

 枝野さんや逢坂さんが、法律瑕疵議論しようとしてることもわからないのか知らないけど、分からないなら黙ってればいいのに。わかってやってるなら悪質としかいえないですけどね。誰の事って、長尾たかし議員自民党)や渡部篤議員自民)のことですけどね。500yenや百田尚樹やDAPPIレベルであることをわざわざ自己紹介されなくてもと思いますけど。


枝野さんが何を議論しようとしてるかはもう書いたので、逢坂さんのほうの質疑を紹介しますが、

逢坂

4月19日の答弁の中で、大臣こういっておられる。これ何度も言ってることです。"国内外犯罪情勢等を考慮すれば、条文上明示しておりますテロリズム集団の他、暴力団麻薬密売組織等、違法行為目的とする団体に限られる"。これは大臣のいわゆる組織的犯罪集団というものに対する答弁であります。そこで大臣暴力団組織的犯罪集団でしょうか。」

基本的質問だけど、通告がないからなかなか答えられないでヤジが与野党から飛び交う)

金田

「えー通告がない質問だというふうにおっしゃいました。その通りでございますはい、えー、暴力団の共同の目的というものがございます。えー組織的犯罪集団の該当性を個別具体的な事実関係を離れて、一概に結論を申し上げることは極めて困難であると思いますあくま一般論として申し上げれば、所謂暴力団は、組長の統率の下に、階層的に構成された団体でありまして、様々な犯罪行為を行うことにより組織を維持拡大し、また構成員もそのような組織を背景として、暴力的威力を利用して、それらの犯罪行為を行うことにより生計を維持しているものであります。そのため、暴力団の結合関係の基礎としての共同の目的は、凶悪重大殺傷犯を含む犯罪行為全般を行うことであると、一般論として申し上げれば、考えられるわけであります。従いまして一般論としては該当しうると、申し上げることが出来るのではないか

逢坂

大臣暴力団組織的犯罪集団であるか否か。これは例示して何度も言っていることですから、そういう基本的なことについては、サクサクお答え頂きたいと思うんですよ。それで、私は暴力団からと言ってイコール、即、組織的犯罪集団になるとは思っておりません。この法の6条の2の定義に照らし合わせて、個々具体的にやはりそれぞれの暴力団について考えていかなければこれが組織的犯罪集団であるかどうかっていうのはわからないというふうに私は思っているんです」

この金田さんの答弁は無難ですよ。間違ってない。該当しうると答弁しているし。そして逢坂さんの質疑も正しいですよ。

この発言を取り上げて、いつもの方々が騒いでるわけですけど、暴力団定義と、組織的犯罪集団定義が違うんだから当たり前の話なんですよ。

暴力団対策法の2条2項

その団体構成員(その団体構成団体構成員を含む)が集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体をいう。

テロ等準備罪、組織犯罪取締法改正案,6条の2項として追加しようとしている文言

団体のうち、その結合関係の基礎としての共同の目的が別表第三に掲げる罪を実行することにあるものをいう。

いやご本人ももう少しアピールすればいいのにと思いますけど。

 暴対法may(おそれがある)であって、団体規定していて、基本的にいわゆる組織対象ですよ。でもテロ等準備罪は、あくま団体であって、山尾さんや枝野さんの質疑の中で明らかになったように、想定しているのは組織された団体というよりも、どちらかというと共同の目的として、犯罪遂行しようとする、グループです。そこに名前がなくてもいいんです。むしろ名前がある集団がそのまま組織的犯罪集団合致することはレアケースでしょう。暴対法は、結社の自由から結社のものは止められないけれども、基本的指定暴力団という形で、暴力団組織指定されます

 でもテロ等準備罪での組織的犯罪集団は、結合の基礎となる共同の目的犯罪を犯すことであることはmust(要件)であって、オウム真理教や、山口組というような組織として組織的犯罪集団規定するわけじゃないんですよ。その組織の中の一部の集団基本的対象になる。ある犯罪を実行しようという共謀がなされた時点で、ある程度継続的に維持されていたグループなわけ。むしろLINEグループとかのほうがイメージが近い。だから暴力団は必ずしも組織的犯罪集団ではないというのは法律定義上,まったくその通りでしょう。また結合関係の基礎としての目的は、個々にちゃんと検討しないといけないよ、ということは,刑事局長も金田大臣も認めているわけです。看板では暴力団テロリスト集団取締り対象だよ、というようなことを言いながら,必ずしも彼らを取り締まれないよ、という指摘は,枝野さんの「テロリスト本来目的は,政治的主張の実現でしょう」というのと同じ部類の話ですよ。一般イメージされる団体が必ず対象になるわけではないくせに、普通団体取締り対象になりうる(この逢坂さんの質疑の中で盛山副大臣が、この趣旨のことを答弁していたけど)というこの法律瑕疵の話を彼らはしているんですよ。

 まぁ枝野さんも逢坂さんも法律文言が何を対象にしているのかについて、難しい議論をしているのは確かなので、わからないのは仕方ないかとも思いますが、わざわざ、自分理解力のなさを宣伝される国会議員や元議員が多くて辟易しますね。レッテル貼りっていってりゃ反論になると思ってるのでしょうかね、親分と同様に。国会議員なら枝野さんの疑問に対して「これこれこういう文言が入っているか大丈夫なんです」というようなことを説明されるのが筋じゃないでしょうかね。

追記:DAPPIとか500yenとか百田尚樹レベルって話は、要は逢坂さんが、これでは暴力団取り締まれないよ、っていってんのに、「逢坂誠二暴力団組織的犯罪集団じゃない、取り締まるなって言ってる!」って吹き上がってるレベルの人ってことですが。これ条文の話と、答弁の話をもっと整理して書けばよかったですかね。

立法事実の話

 過去に同種の犯罪を繰り返し実行している組織は、既遂罪で捜査検挙もできるので、テロ等準備罪は必要ありません。テロ等準備罪が必要になる場面は、今までに一度も犯罪既遂していない団体が、277のリスト犯罪を犯そうと共謀した場面のみです。これは大事な話。また暴対法は相当広い範囲網羅しているので、暴力団が関与している犯罪は、下部団体まで含めて網羅しているので、これまた、わざわざ、犯罪遂行を結合の基礎とする共同の目的としている、という要件必要法律必要ないんです。

政府の建前の話

 一般の人を監視する法律じゃないということを説明しないといけない。だから、(条文に書いてない条件を)答弁でなんとかしようとしているんです。でも、テロ等準備罪が必要根拠のものが、「今までに一度も犯罪既遂しているという合理的嫌疑がかけられない団体による共謀段階での検挙であるため、これはもう完全に排反事象なのです。今までに一度も犯罪既遂しないと思しき団体監視することなしに、共謀段階での検挙なんてできるわけがない。これがこの建前の欺瞞

海賊版の準備行為

 やくざ資金源として著作権法違反海賊版DVDのすでに製造販売としていた場合、何の問題もなく現行法検挙できます。今まで一度も海賊版DVD製造販売したことのないグループが、海賊版DVD製造販売することを共謀して、その構成員が、オリジナル版を用意する、これが、今回整備しようとしているテロ等準備行為です。この今まで、一度も海賊版DVD製造販売したことのないグループが、オリジナル版を購入するという外形的行為を持って、どうやってそれが海賊版の共謀であることを知るのでしょう。また、政府の答弁によると、結合の基礎としての共同の目的違法であることを認識していなかった場合は、その行為がその目的としては認定できないとしています。たとえば、この今まで一度もこの海賊版販売行為を行ったことがない団体構成員のうち、オリジナル版を購入した人物は、その目的海賊版製造であることを知らなかった場合組織的犯罪集団構成員でないため、検挙できません。暴対法や、既存窃盗罪は、この要件がありません。だから振り込め詐欺出し子逮捕できる。でも、政府答弁のとおりなら、このテロ等準備罪は、その結合の基礎となる共通目的を知らなかった場合出し子が、ATMで引き出すための白カードを入手した段階では検挙できません。つまり一般人対象としないというのならば、同じく、一般用語での犯罪集団には、現行法以上に役立たずなんですよ。この犯罪は、明らかに、当局検挙したいと考える一般人対象として疎明段階での捜査着手、拘禁目的としていると考えないと作る意味がないものです。こういう意味で、暴力団が必ずしも組織的犯罪集団ではないという逢坂さんの指摘は意味を持っているので、百田とかが言ってることは真逆の話なんですよ。

2017-04-14

マーンの生態

今回はマーンの生態を調べようと思う


主に餌はタンパク質カロリーの少ない物、好物は池メソとオカネ、高齢になるとハンリュウを好んだりする。

特技は擬態や鳴き、虚言、集団的に別種を攻撃など。

パリピーヤマトナデシコ擬態可能だが稀に失敗する

後尾はするが特別ペアはいない、別種のダメオットからオカネを貰うが決してペアという訳ではない。

まだまだ謎が多い、調査を続ける

2017-04-03

[]

その団体構成員集団的に又は常習的に暴力的不法行為等を行うことを助長するおそれがある団体をいう。

じょちょう

助長

能力を伸ばすように助けること。また、傾向などが著しくなるように力を及ぼすこと。

おそれ

【恐れ・畏れ・虞】

悪いことが起こるのではないかという心配懸念

過去から現在にかけて暴力的不法行為等を行った集団(=刑法で立件可能集団)ではなく 未来において一切の不法行為を行われないことを証明できる集団のみが対象外

2017-03-13

「ただ金が欲しかったんだよ」って言って欲しい

DeNAキューレーション問題調査報告書読んで震えている。集団的サイコパスだと思う。本当に怖い。

書いてることが倫理とか善悪とかそういうレベルじゃない。法務事業部経営も全部おかしい。調査委員会はあまり惨劇善悪ラインがズレている。

まだ「ただ金が欲しかったんだよ」って開き直ってる方が共感できる。そう言って欲しい。

2016-10-13

なぜ人は twitterfacebookブログでちゃんと謝れないのか??

 SNSブログ基本的に「身内」や「ファン」が見るものからだと思う。

 自分縄張り内で大声で「私が間違ってました」「私はバカでした」と宣言するのは自殺行為に等しく、そんなことやったら当人脳内で構築されているであろうサル山のヒエラルキーから真っ逆さまに転落してしまう。

 同じ謝るのでも、仮に「たった今フォローしたばかりの見知らぬ百人の前で謝罪しろ」だったら、だいたいの人がいけしゃあしゃあと平謝りするのじゃなかろうか。


SNSのバトルは基本フォロワーに対するアピール」とはよく言われることで、このメンタリティ今日のあらゆるネットバトル戦術規定している。

 自分への擁護相手への批判RTするのは、自分サル山を大きく見せようという、いって見れば暴走族がパラリラパラリラ鳴らしながらエンジンを吹かす行為と変わらない。

 ヤンキーは身内に対するメンツ第一だ。

 そこで膝を屈してしまったら明日から生きてはいけない。


 裏を返せば、現代ネットバトル議論戦略は「身内」の規範に左右される。

 もし、あなたの「身内」が自らを「理性的で、リベラルで、データ論理重視のスタイルを是とする」と規定するのなら、まさにその理想に叶うように戦っていかなくてはならない。ここで重要なのは「そう見える」のが大事なのであって、内実は問わないことだ。

 傍から見てロジック破綻していようが、データ捏造していようが、「身内」からデータを正しく運用していてロジカル」とみなされれば(あるいは周囲がそう思ってくれていると当人思い込みさえすれば)その人のプライドは保たれる。負けてさえいないと態度で示せれば、全国民から謝罪を求められていたとしても勝ちなのだ


 要するに、現代ネットバトルとは個人言論 vs. 個人言論思想 vs. 思想のぶつかりあいでなく、集団的空気 vs. 集団的空気ポジション vs. ポジションのぶつかりあいなのである

 空気同士の衝突をなんと呼ぶかといえば、「縄張り争い」である

 歴史を思い出してみよう。

 かつて、MUGENという伝説のチームがこの一帯を支配していた。

 その圧倒的な勢力により、かえってその一帯は統率が取れていた。

 だが、そんなムゲン支配に唯一、屈することなく、たった2人で互角に渡り合った兄弟がいた。


 雨宮兄弟


 決着がつかないまま、ある事件きっかけに突如ムゲン解散し、雨宮兄弟も姿を消した。


 そして、その地区に5つの組織頭角を現した。各チームの頭文字をとってSWORD地区と呼ばれ、そこにいるギャングたちはこう呼ばれている…

 G-SWORD。

 山王街二代目喧嘩屋「山王連合会

 誘惑の白き悪魔WHITE RASCALS

 漆黒凶悪高校「鬼邪高」

 無慈悲なる街の亡霊「RUDE BOYS

 復讐の壊し屋一家達磨一家

 この5つのチームによるプライドをかけた闘いがはじまろうとしていた――。

 

2016-08-21

イベントごと。具体的な計画段階になると…

イベント主催幹事等の経験からいつも思うのだが

企画の時点では「いいね」「やろうやろう」と賛同してくれる人がたくさんいる。

いざ、具体的な計画段階になると、だんまり状態(様子見?)になり

だんだん意見が出なくなる人が多いのは何だろう。

心理学的には「集団的手抜き」(俺がやらなくてもだれかやるだろう)的な現象だと思うが。

初期の段階でそれなりの役割を割り振って、「賛同したイベントのことを主体的考えさせる」ようにしておかないとだめだなー。

2016-08-10

はてブNGワード機能が欲しい

うざいブコメでも運動瞑想みたいな壊れたレコードタイプ特定id非表示にするという方法が用意されているのでまあいい。しか自動車事故が起きると今まで何人書いてるんだとうんざりするレベル自動運転はよとか書かれるし、貧乏人が起こしたらしい事件には動機もわからないうちから集団的ばかのひとつ覚えみたいに貧困問題ブラック企業だのと不特定多数idピーチクパーチク言いはじめるのがうざいのにそれらのブコメを見ないで済む方法がない。NGワード機能をつけてほしい。

2016-07-08

http://anond.hatelabo.jp/20160708010449

ググレカス曰く「ほかにすることはないのですか」

大韓民国憲法

http://www.geocities.jp/koreanlaws/kenpou.html

朝鮮民主主義人民共和国憲法

http://www.geocities.co.jp/WallStreet/3277/2013kenpou.html

ドイツ基本法

http://www.fitweb.or.jp/~nkgw/dgg/index.htm

ネーデルラント王国基本法

http://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/8186538

北大西洋条約

http://www.ioc.u-tokyo.ac.jp/~worldjpn/documents/texts/docs/19490404.T1J.html

国際連合憲章

http://www.unic.or.jp/info/un/charter/text_japanese/

2016-07-02

佐々木俊尚が「集団的自衛こそが国際社会軍事的常識」ってやってて(http://togetter.com/li/992818)

まあ、それを100%否定はしないけど

その「国際社会軍事常識」で「戦争」を防げている国がないということも、国際的には常識だと思う。

彼の意見は「現実的」なようで、「現状をただ追認する意見」に過ぎない。「こうあるべき」を論じてる人に「仕方ないじゃん」という話しかしない。だから相手を切れさせる。

そこが、どれだけ丁寧に説明しても、突っかかっている人を説得できない理由だと思う。

また、

集団的自衛軍事力戦争を生むと勘違いしている人は、それらが戦争を防いでいることに気付いていない」

というけれど、それはちょっと卑怯論法だと思う。それを言っていいなら

憲法9条平和が守れるんですかと馬鹿にする人は、それを盾にして朝鮮戦争にもベトナム戦争にも湾岸戦争にも、日本若者は行かなくて済んだことを忘れていますね」

という話も成り立つわけだよね。

歴史上の出来事仮定を許さないのだから、「あったおかげで起きなかった」なんてことを言っていいなら、いくらでも勝手な主張はできる。このあたりにくると、もう詭弁比べになってしまってる。


佐々木さんは、だいたい、何かを論じようとすると、冷静に見えてすぐ感情的になり詭弁を振りかざし始める、そんな、論争が下手…を通り越して「論争できない人」としての馬脚を現すというのが、自分の中の彼のイメージ。おとなしくルポだけ書いていればいいと思う。

2016-06-21

電車ベビーカー連れに嫌がらせしていく奴がいた。日本終わってる

さっき地下鉄帰宅中に、ベビーカー連れの親子に散々嫌がらせをしていった中年男性がいて、胸糞悪くなった

19時過ぎに電車に乗ると、ベビーカー2台, お母さん2人, 2~4歳くらいの子供3人が、電車の席3シート分くらい使って座っていた。

少しベビーカー場所を取っていたが、5人分で3シートなら全然問題ないレベル

とくに泣き叫んでいるわけでもなく、ワイワイ親子団欒していた。

ちょっと狭いけど、その横が空いていたので座った。

スマホ電池も切れてたし、なんかはてぶでストレス発散には瞑想運動がいいとか言ってたから、何も考えずに瞑想っぽく座っていた。

すると反対側に立っていた男が、突然こちら側にきて、お母さん達のほうに手を突き出していた。

瞑想中だった俺はとくに振り向きもせず、ぼんやりみていたので、何をしているかからなかったが、

「ああ、子供のお父さんなのか、何かお菓子でもあげてるのかな。俺が隣に座ってしまったけど、大丈夫だったかな」

とか思いながらスルーしていた。

数駅過ぎて、その男電車を降りようとしたときベビーカーに男の足がかかり、ベビーカーが倒れそうになった。

子供がいる座席側に倒れそうになって、子供が圧迫されそうになっていた。

あっぶねーな、とか思ってたが、男は謝罪もせずドアの前に行ってしまった。常識がない奴だな、とか思っていると、ドアの前で男がお母さん達に向かって指を指している。

初めは、知り合いに向かって、なんか示しているかと思っていたが、よく見ると中指を突き立てて見せつけている。

ここでようやく、その男が悪意を持って一連の行動をしていたことに気づいた。ベビーカーにつまづいたのもワザとだ。途中、手を突き出していたのも、おそらく去り際と同じく中指を突き立てていたのだろう。

めちゃくちゃ胸糞が悪い。子連れ妊婦嫌がらせをされるという話は聞いたことがあったが、目の前で実際に見て、マジでこんな糞な奴がいるのか、と呆然とした。 お母さん達は何も抵抗せず、子供の身を案じていた。抗議しようにも、子供になにかされたら、という思いで何もできなかったんだろう。そんな守るべき立場の人に向かって、嫌がらせをしていくとか本当にありえない。ここまで終わってたか日本

フィンランドに住んでたことがあるんだが、本当に子連れにやさしい社会だった。

電車バスは、ベビーカーを連れた親子連れ無料になるし、ちゃんとベビーカー用のスペースも用意してある。フィンランドバスは前から乗って真ん中から出る方式だが、ベビーカー連れの親子の場合は広い真ん中の出口から乗ることができる。降りるときは、ベビーカーを降ろすのを他の人が手伝ってくれる。だから公共交通機関にはベビーカーを連れた親子が多かった。 こういう経験をしていると、本当に日本の糞さを痛感する。

一番の原因は、国民性ではなく、人口過密と交通公共機関キャパティだと思う。人が過密していると誰だってイライラするし、問題も起こりやすくなる。 普通自転車電車に持ち込んだ経験ってある? フィンランドだと持ち込めて、ちょっと電車乗ってから別の場所サイクリングすることも簡単だった。すごい快適。自転車持ち込めるくらい余裕があると、ベビーカー乗せててもそんなにイラつくことはないだろう。

もちろん国民性とか民度も原因だとは思う。日本人は、他人迷惑がかかることを極端に回避する国民性で、レジ会計手間取ってるだけで迷惑かけてしまってると感じてしまレベル

他人迷惑をかけないが身にしみすぎて、個人の事情よりも水知らずの他人のほうを重視せざるを得ないようになっている。

たまたま周りに不利益を被る形になったとしても、たまたま自分がその事情立場になってしまっただけで、他の人がそうなる可能性もある。だからこそお互い様で、許容しあうという考えが少ない。

少し話はズレるが、日本人気遣いが色々な変化を経て、いびつものになってる気がする。

初めは、一人のちょっとした気遣いからまり、その行為が良いと評判になると、みんながそれをし始める。ここまではすごくいい話。 それがいつの間にか、みんなが守らならければいけないマナーになり、守らないと批判されるようになる。 別にその気が無かった人も、集団的価値観により、それを守らなければいけなくなり、我慢し始める。こういう人は、守っていない人を見ると非難をし始める。 こういう社会になると、本当に生きづらい。

さらに、我慢してた人が、我慢しないほうが自分の得になる、と気づいておかしなことになる。今の日本はこれが進み始めてる気がする。保育園建設反対運動とか、マイルドヤンキーとか。

からとっとと日本を出たい。

2016-05-24

http://anond.hatelabo.jp/20160524151555

オブジェクト指向と対比して考え方をまず学ぶって岡部路線、住井グループはそれを目の敵にしていて集団的攻撃している様をみたプログラミングコミュニティは逃げ、その後、不毛な大地のみが残った。

同意。俺が住井某を嫌い、岡部しなのは、考え方を重視する姿勢他人自由な発想を押さえ込んでいるから。本人はそんなことしていないと言うだろうが、「哲学関数型と関係ない」とFAQで堂々と言い切ったり、SNSその他でアンチ岡部連携して攻撃を加えているのをしっかり見続けていたから。

教育者のすることじゃない。岡部が怒り狂うのも理解できる。

http://anond.hatelabo.jp/20160524145224

よーわからんw 岡部氏は、自作ライブラリHPで、

FRP純粋理想とする関数型+時間で変化するストリームを値にマップして扱うリアクティブプログラミングの組み合わせ

まり関数型の拡張っていうなら誰も反対無いと思うんだけど。

FRPライブラリサブタイトルに、 library that provides first class reactive value 'over time' と書かれている、これ拡張じゃないのか?

https://www.npmjs.com/package/timeengine

HaskellのIOモナドみたいな別の抽象化DISりつつ、FRPこそ正しい関数型みたいに言うから荒れるんじゃないの?

IOモナドDisってるのかどうかまでは知らない。しかし、すでに出たサンプルからFRPの効力がまざまざと見せつけられている。

荒れるのは自由だけど、両方正しいとかそういうのじゃなくて、間違っている電波だみたいな叩きしかなくて、要するに感情論で反対派は反発しているだけでOK?

あるよ。

関数がどのパラメータ依存して、何を結果として返すのか明確になる。

グローバルな値を参照したり書き換えたりしてたら、関数の中身読まないとわからなくなる。

短いプログラムならそれでもいいけどね。

別の誰かが書いてたように、上位スコープ内に定義されてるDOMでも、数学ライブラリでもなんでも、引数関数に渡すのか?

グローバルな値を参照したり書き換えたりして

いやだから、定数なんだから書き換わらないんだよ、FRPストリームconst 定数なんだから

関数型のわかりやす説明であって、住井派に反対してるとか、岡部路線とかじゃないよね、と。

オブジェクト指向と対比して考え方をまず学ぶって岡部路線、住井グループはそれを目の敵にしていて集団的攻撃している様をみたプログラミングコミュニティは逃げ、その後、不毛な大地のみが残った。

2016-05-17

http://anond.hatelabo.jp/20160517073141

どうやら「自然出会い」を演出できるコミュ力必要らしい。

そもそも、男が女を理由つけて誘う時点で自然もクソもないんだが、

その矛盾を超越して自然アプローチできることに無上の価値を見出すのが現代日本

ちょうど営業職が自社製品を売りつけてるだけなのに「お客様のためを思って」とか抜かすのと似ている。

アメリカみたいに気楽に誘って気楽に付き合って、そして気楽に別れるという道もあったはずだが、

どうも日本恋愛文化様式美の方を選んだっぽい。茶道の国だからかな。

それで少子化になるなら、集団的無意識選択ということで良いんだろう。

2016-01-28

ネットでの集団的正義感は「行き過ぎている」のか?

最近よく言われるものとして、

炎上が起こった時、実際に犯罪を犯したわけでもないのに、道徳的価値観から集団でのネット私刑ネットリンチが行われている

個人に対しての行き過ぎた暴力であり、問題視されるべきだ」というものがある。

果たしてこれは本当にそうなのだろうか?

考えてみて欲しい。

「皆の食事会で唾を飛ばしまくり、げっぷをしても悪びれず、異常にキツい香水をつけ、そして会計の時だけそそくさといなくなり周囲に払わせる」

このような人が貴方のそばにいたとしよう。

当たり前だが、よほどおおらかな人でない限り「この人と今後仲良くするのは無理だ、食事などもっての他だ」と思うのが当然だろう。

さて、それが食事会に参加した全員がそう思ったのならどうなる?

10人の参加者のうち当人を除いた9人がこの人とは無理だと思い、関りを避けたらどうなるだろうか。

さらに彼らが当人所業悪口を知り合いらに話していったとしたらどうなるだろうか?

話された人も「そのような人とは私も関りたくない」と考えるだろうし、

当人自分が行った行為の裏返しとして、関わった人からもこれから関わるはずだった人からもNGを突きつけられることになるだろう。

ネット上で起きている集団的正義感による私刑、なんていうもの

これがただ規模が大きくなっただけに過ぎないものである

正義感でやっている人も中にはいるだろうが、

その大多数は「私はこの人は嫌いだ、関りたくない」という意思表示を、とても大勢人間個人的に行っているだけなのである

さて、ここで「ネット私刑はやめよう、一度叩かれた人をそれ以上叩くのはやめよう」と言ったところで、

じゃあ大勢人間たちは何をすれば良いのだろうか?

その不快度の高い人間に手を差し伸べてやるべきだとでも言うのだろうか?

その不快度の高い人間のことはもう放っておけとでも言うのだろうか?

人間は逃げ場がある限り反省はしないものである

先ほどの例で言えば、食事の場でマナーの悪い個人がいたとして、

その食事会に参加した人が周囲に話すことなく、個人的にNGとしただけで終わった場合

そのマナーの悪い個人はその会の面々を切り捨て、また新しい面々の食事会に入っていくだけである

そうして少しずつ少しずつ悪評は広まることになるが、当人は一切反省せずに場を転々とするだけだ。

まりネット炎上が起こった時、

私刑(に見える個人的意思表示)をやめろ、というのは、

その当人拒否することなく受け入れろということと同義である

事件で悪く思ったうちの3割が叩き、7割がそれを黙った場合

当人は3割を捨てても7割側が許してくれたと考え、反省もせず改めもせず、7割側の人間不快にさせに行きだす。

7割側の人間にとってみれば、もう向こう側から関わって欲しくないからこそ、当人の行動を非難しているのだ。

それをやりすぎだと咎められたとしても、次被害に会うのは自分かもしれない以上は個人的に叩くだろう。

炎上の仕組みは簡単なものだ。

まず当人が行ったことがどれだけの人間に受け入れられ、どれだけの人間批判されるかという所から始まる。

見た人のうち9割が賛同する内容なら炎上はしない。

見た人のうちの6割程度が賛同するだけでも炎上はしないだろう。

見た人のうち8割近くが批判する立場になるような、そういう不快な行動をとったからこそ炎上するのである

「煙のない所から火が立つような炎上」こういう表現も時折されるが、これは間違いである。

そもそも本当に何も問題を起こしていないのであれば、火は広がらないからだ。

「このようなことは批判されるべきだ」という人が火を広げるし、「別にこのくらいなら許容範囲」という人が鎮火させるのである

本当に煙のない所に炊きつけたような炎上であれば、それに騙される人は確かにいるだろうが、

大多数の人間は「これ何も問題ないじゃん」と考え、火は広がらない。

個人的怨恨を持った極々少数の人間が、小さなコミュニティに留まって焚き火をしてる程度の、

炎上とは一切言えない小さなものに収まるのである

炎上と言えるほどに多くの人間非難するということは、実際にそれだけ人を不快にさせる行動をとったということである

多くの人間が関わる為、それを「一致団結して蹴落としてやろうとする特定集団がいる」ように見えてしまうのかもしれないが、

実際に集団存在する場合もあるが、そのような「集団的に」批判する人間の数は少ないもので、

さな集団と、集団には含まれないその他大勢がいるだけで、「個人的に」嫌だと各々が呟いているだけに過ぎない、ということだ。

さな集団けが立ち、その他大勢同意を得られないような火は、先ほど述べたようにその集団内だけで焚き火をしている格好になる。

結論として、「行き過ぎている」とは言えない。

行き過ぎているのだとしたら、それはそれだけ大勢人間不快にさせた当人の行動が行き過ぎていただけである

行き過ぎたことをしたら行き過ぎたことをされる、まだ許容できる範囲なら周囲にも許容してもらえる、当然の話だ。

2016-01-23

http://anond.hatelabo.jp/20160122134653

コウモリって超音波で周囲の状況を把握しているっていうけどさ、どんなにコウモリという物質分析したって、コウモリ超音波をどのように感じているかっていうのは、人間には実感できないじゃん? そういう物質的には分からない感覚ってやっぱり存在するんじゃん? それがクオリアなんじゃん?

ライオン言語を話せないのではなく、まさしく話さないのだ(L.ヴィトゲンシュタイン)」…コウモリ感覚を「感じる」ことができない、という問題ではなく、そもそも他の人間であっても、その人がどのように「感じているか」を「実感」してると考えているとしたら、それは間違いで、それは単に勝手自分理解できる何かに置き換えて(翻訳して)いるだけのことだ。

人間は喋ることができるがコウモリは喋れない。それだけのこと。もし、コウモリが喋ることができて「○○HZの音って何かスーッとする感じなんすよ」とか言い出したら、あなたは「なるほどー」って思っちゃうんじゃないの? 自分以外の「感覚」への理解など、そもそも全てが想像産物に過ぎない。仮に脳と脳を直接連結しても、誰にも他者感覚をそのまま「感覚する」ことなどできない(感覚する主体は『自我なのだから感覚できたらそれはもう「他者」ではなく、そのときあなたは今までと同じ「自分」ではなく、ある共有された集団的自我となった「何か」であるに過ぎない)。

たとえば生まれからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんが、在宅学習を頑張って「色」に関する全ての知識を身につけたとするじゃん? そのマリーちゃんが部屋から出て生まれて初めて「色」を見たら、知識だけでは分からない、何か新しい体験とか感覚みたいなものを得るんじゃねえの? それがクオリアなんじゃねえの?

現実問題として、生まれからずっと白黒の部屋で生活してるマリーちゃんには「色」を認識することはできない。猫を使った心理学実験で有名な実例。(実験「横縞を認識できない猫」http://kamakura.ryoma.co.jp/~aoki/vital/TrueLook.htm動物のような「本能」をもたない人間にとって、「認識」とは自動的に生まれる何かではない(もしそうなら、赤ん坊は生まれた瞬間からいきなり「世界」を認識できなくてはならない)。あなたは「モノゴコロつく」まで、生まれから何年間必要だった? 人間の「認識」は膨大な学習からまれものだ。

たとえば同じリンゴを見ていても、自分認識しているリンゴの色と、相手認識しているリンゴの色は違うかもしれないじゃん。どんなにリンゴの色に関する知識を身につけても認識齟齬には気付けないじゃん。やっぱ表面的には同じでも内面が異なることはありうるよね!

内面が違うと主張するなら、あなたはまず「内面が違う」ことを証明しなくてはならない。そして、そもそもそんなことができるなら(他人感覚感覚できるなら)、その場合しろ内面」は違わないのだ。

たとえば人間とまったく見分けがつかないゾンビがいるとするじゃん。見た目も行動も完全に人間なんだけど、でも内面的には意識とかは持ってないのね。そういうゾンビ論理的存在可能だけど、ゾンビ意識が欠けていることは物理的には説明できないわけじゃん。やっぱり何でもかんでも物理現象だけで説明するのっておかしくね?

ゾンビ内面がないと主張するなら、あなたはまず、どこから見ても「内面があるとしか見えない」ゾンビに「実は内面がない」ことを証明しなくてはならない。

どうやって?

あなたが言っているのは、「全く同じ重さだけど、実は違う重さの物質があるとするじゃん?だから物質の重さなんて分からなくね?」みたいな、全く無意味仮定に基づく無意味な問いとどう違うのか。

たとえばある人間が死んだ瞬間にさ、物質的に全く同じ人間が出現したら、それは同一人物と言えるの? っていうか、それで意識同一性みたいなものは保たれてるの?

一卵性双生児は、ほぼ「物質的に同じ人間」ですが? で、それをあなたは「同一人物」と呼びますか? というだけの問題。「意識同一性」など保たれるわけがない。スワンプマンに関して言えば、スワンプマン意識同一性を「主張」するかもしれない。だが、その言葉証明することもできないし、上のように考えれば、信用することもできない。

モリヌークス問題

まれてずっと目が見えない人は、球とか立方体とかを触った感覚認識してるけど、もし目が見えるようになったとき、その人は見ただけで球とか立方体とか認識できるのかな?

先の猫、赤ん坊の話と同じく、認識できない。ただし、既に手触りなどで「球」の認識をもっていた人なら、新たに得た「視覚感覚を、これまでの「学習に基づく認識」と結びつけることによって、赤ん坊よりずっと早く「視覚的に認識する=見える」状態に到達できる可能性はある(もし、相当素早くその段階に到達したのだとしたら、その人は、今までずっと触覚を通して「見て」いたということ。目のないコンピュータだってセンサーによって世界を擬似的に「見る」ことは可能なのだから、目が見えない人だって「見る(対象視覚世界に配置して認識する)」ことは可能だし、そういう能力がある以上はそういう認識を育てる可能性はある。)。

中国語の部屋

引きこもり中国語文通できるからって、その引きこもり中国語理解しているとは限らないじゃん? 部屋の中で隠れて日本語製の応答マニュアルを見てるだけかもしれないじゃん?

日本語を話す私とあなたが、会話できていると、いつから錯覚していた?

人工知能に関する「中国語の部屋問題」を持ち出さなくても、これは「そもそも人間同士、言葉が通じているっていうのが誤解かも」問題として、言語哲学上では有名かつ重要問題。そして、そちらの結論は極めてシンプル「会話できてるならおk

テセウスの船

ある船の古くなった木材を徐々に新しい木材に置き換えていったとき、全部新しい木材になってもそれは元の船と同じだって言えるの?

人間細胞の素材もどんどん入れ替わっていますhttp://banyuu.txt-nifty.com/21st/2005/06/post_50b9.html 考え方や好みなんかも、成長だけでなく、立場や条件で変化するものですしね。「わたし」という人間は、なんらかの形で記述規定できるようなものではないのです。モノではなくコト、物質ではなく現象なのです。

船でたとえるなら、「古くなった木材」でなく、単に別の木材に置き換えるという仮定で考えると分かりやすい。Aの船の木材を交換し、元の木材で別の場所に船Bを造っていく。最終段階を見てみれば? はい、モノとしては、当然どこからどう見たって船Bが「元の船」です。バラして組み立てただけですし。しかし、Aの船が、たとえば航海しながらどんどん部品を入れ替えているというような場合は? そう、どんなに部品が入れ替わっても、Aの船が「元の船」と呼ばれるしそれは正しい。つまり現象=コトとしての「元の船」はA。物質=モノとしての「元の船」はB。

これは単に見方の違いによるものなのです。

とりあえず、あなたが知りたいようなことは大体全部本に書いてあるから、興味の赴くままもっとたくさん本を読むといいと思うよ。

ちなみに「意識の発生」に関する面白いお薦め本はコレ。

「群れは意識もつ 個の自由集団の秩序」(PHPサイエンスワールド叢書、郡司ペギオ-幸夫

2016-01-20

http://anond.hatelabo.jp/20160120152801

プラセボだとは書いてないけど、科学的根拠も書いてない。

科学的根拠のあるなしがオカルトかどうかを決める基準なのだから、「みみずに小便ひっかけると男性器が腫れる」

クラスオカルトとは見做されるよな。

そこらへんは集団的幻想と言う名の「配慮」なんだよ。ミッキーマウス中の人はいない、みたいなな。

呪いまじない)の一種でもある。プラセボだとかオカルトだとか書くと、本当に効果が無くなってしまうのだ、そういう類は。

効果がない訳じゃないことはワイも認識しとるで。

でも、その行為効果には直接的な結びつきは薄い、ってことや。行為を取り巻く別の何かが作用してるんやろな。

それが何かを探るのが科学的なアレになるわけだが。

2015-11-29

「緑の行進」40周年ロイヤルスピーチ

神に讃えあれ

平安と祝福が預言者とその一族にあらんことを

国民よ

この「緑の行進」四十周年記念式典は、いつもの行事や通過的祝典ではありません。それどころか、王国領土保全を完成させる過程における重要な局面なのです。

我が国土の解放、そして平和安全の強化の大いなる達成に続いて、我が国サハラの人々がれっきとした国民となり威厳のある生活を楽しめるようにしようとしてきました。

今日、「緑の行進」の40年の後、我々は、その有利不利にかかわらず、サハラ問題についてこれまで対処されてきたやり方からの、金利生活者経済や特権からの、民間部門の参加が貧弱であることからの、そして中央集権的なメンタリティからの、根本的な決別を求めます。

何故今日、40年の後なのでしょう?

そう、何年もの犠牲と、政治的かつ開発志向の努力の後に、我々は成熟を達成しました。

今、国家の一体性統合過程における新時代夜明けと、我々の南部地域祖国への完全なる統合の達成のために、機は熟しています。

南部地域開発モデル」の実行と進歩的地方分権化の適用は、その過程の一部です。

国民よ、

私は是が非でも、南部地域我が国民達へ彼ら自身仕事をこなすの必要なすべての手段を与えて、彼らが彼らの地域を開発できることを確かめたいのです。

太古の時代から、このサハラの人々は学者や季節的交易者として知られてきました。彼らは額に汗をして生計を立て、威厳と誇りを持って暮らしていました。厳しい生活環境にも関わらず、誰からの助力も期待していません。

私が話しておりますのは真のサハラウィ、彼らの祖先モロッコの王との間にいつも存在していた忠誠の絆へと身を捧げて続けてきた本物の愛国者のことです。

我等が敵たちのものの見方に乗せられて彼らを支持する少数の者についていえば、それらを許す余地は我々の間にはないのです。しかしながら、本心に立ち返り悔い改めた者に祖国は、概ね寛容かつ寛大であります。

国民よ、

南部地域開発モデル」を実行することは、これらの地域の我が同国民への我等の義務を果たすことに我々がどれほど身を粉にするかを示すもので、それゆえに統合的開発のモデルとなるでしょう。

我々はこの「開発モデル」に、統一祖国へとこれら地域を統合すること、そして、経済的ハブとして、またモロッコとそのアフリカルーツとの間の決定的な絆として、サハラ地域の影響力を拡大することを望んでいます。

そのために私は、利用できる全ての手段を集めること、全能の神の御恵みにより、ラユーン=サキア・エル=ハムラ、ダフラ=オウド・エッダハブとゲルミム=オウド・ヌーンの諸地域にて社会・医療・そして教育のプログラムとともに、多数の主要計画を遂行することを決断しています。

インフラに関しては、この地域の道路ネットワークが拡大されるとともに、国際標準に準拠した二車線道路がティズニットとラユーン、ダフラを繋ぐために建設されることになります。

私はまた、アフリカ各地とを結ぶハブ空港南部地域に設ける検討をすることも、政府に求めました。

私の念願の一つに、アフリカ他地域とモロッコを繋ぐためにタンジエとラグイラを結ぶ鉄道を実現することがあります。今日マラケシュラグイラ線完成のために今必要となっている資金の確保に助力いただけるよう、全能なる神に祈ります。

我々にはまた、「偉大なるダフラ大西洋港」を建設し、南部にて主要太陽光及び風力エネルギープロジェクト遂行して、ダフラと国立送電網とを接続する意思があります。

我々の目標の一つは、これらのネットワークインフラアフリカ諸国へと繋げて、これにより諸国の発展に寄与することであります。

もちろん私は、これらのインフラが、それ自体では、国民の生活状況を向上させることができないと理解しています。それゆえ私は経済発展を推進し、人間開発計画にてこの行程をサポートすることを切望しているのです。

強調しておきたいのは、この点について天然資源からの収入は、この地域の人々の便益の為、そして彼らとの協議と協力にて、この地域へと投資され続けるであろうということです。

地域の資源と製品の利用と振興のために、ダフラの主要海水脱塩プラントや、ラユーン、エル・マーサ、ボジュドーの産業区と施設類の設立のような、幾つかの計画が遂行されるでしょう。

これらのイニシアチブサポートするために、国内及び海外投資家のために明快さと競争力とが共存して、彼らがこの地域の発展に貢献できるよう、投資やすい法的枠組みが制定されることを切望しております。

経済構造を拡大し、事業と社会経済をサポートし、定収入を発生させ、特に若い人々の雇用を創出するために、経済発展基金も立ち上げることになりましょう。

国民よ、

私にとって、最も重要なこととは、サハラにおける我々の同国民の尊厳…とりわけ、若い世代の尊厳…が保護されることを確実とし、彼らの愛国心祖国への傾倒を強めることであります。

よって私は、人口の殆どのセグメントで要求されている公平と社会的正義原則を維持するため、社会保障システムに立ち戻り、これをさらに透明で公平なものとするよう、政府に求めています。

さらに、サハラの人々の心臓と心の中で特別な位置を占めているハッサーニ文化を考慮して、サハラ伝統の保存と推進のために必要となるメカニズムを、とりわけ、この国の南部に劇場美術館カルチャーセンター建設して、強化することを切望しております。

人権についてですが、モロッコは、全能の神のお恵みにより、国家の動員、良好な治安統制、そして国民社会組織との建設連携を通して、たくみに我が敵の目論見を打ち砕きました。

そのうえ、憲法にて定められた機関であります国家人権協議会とその地域委員会は、権利と自由の保護を任務としておりますが、如何なる違背があろうとも、これに対し、公的機関市民社会組織、そして国民との対話と協力を通じ、取り組んでおります。

国民よ、

進歩的地方分権化を遂行して、モロッコの信用を強化するとともに、公約を重んじる国であることを示すのです。

私が国会開会式で強調したように、この地域で選ばれたオフィシャル達は、国民によって民主的に与えられた正当性により、国家機関だけでなく国際社会とも向かい合う、南部地区居住者の真なる代表者となります。

進歩的地方分権化の遂行南部地域が最優先であることを確かなものとするために、一連のプログラム契約が、中央政府と本地域との間で、開発プロジェクトの実行に関する其々の義務をはっきりさせるために、締結されることになりましょう。

私はそれゆえ、王国の他の地域の経験が繰り返されることを期待して、権限委譲立法文書の採択を急ぐこと、適任な人的資源資金とを移転してこれをサポートすることを、政府に対し命じています。

我々はまた、地域部局に対し、この地域の物事を地方レベルで動かしていくのに必要特権を与えるための、本当の行政権移譲勅許状の準備を急がねばなりません。

私はそれゆえ、我々の南部地域居住者とその代表者達が、彼らの責務を遵守することを期待します。今や、彼らが自らの物事を執り行って自身要求を満たすために、制度化された開発関連のメカニズムを設定しているのですから。

国民よ、

モロッコが何かを約束するときは、言行をともにします。我が国は、履行できないことは公約しません。

ですから、我々は世界に向けてこう言いたいのです:他とは違って、我々、モロッコに居る者は、空疎スローガンを使うこともなければ、幻想を売ることもしないのだと。我々が何かを公約するときは、その内容を履行して、大地の上で物事を執り行うのだと。

今日モロッコは「モロッコサハラ」をサブーサハラアフリカ諸国との通信及び通商のハブとすること、そしてそれを達成するのに必要インフラ建設することを誓いました。そして今一度になりますが、我が国はこの約束を守るでしょう…敵たちが好むと好まざるとにかかわらず。

ところで、ティンドウフでは…アルジェリアのですが…人々が、貧困や、絶望収奪そして基本的人権の侵害に苦しみ続けています。ですから、私はこう問うべきと思うのです:

「何百万ドルもの人道的な援助はどこに行ってしまっているのか…一年あたり6千万ユーロも?…分離主義者たちの装備、プロパガンダ、そして弾圧に費やされる莫大なユーロについては言うに及ばず。」

分離主義者の主導者たちが腹立たしくも裕福で、欧州やラテンアメリカ不動産銀行口座を所有しているという事実を、どう説明できるのか?」

「どうしてアルジェリアは、人口がせいぜい四万人のティンドウフ・キャンプ生活条件を…例えば、アルジェの中程度の人口区域と同程度にまで…向上させようとしないのか?」

これはつまり、彼らの威厳を守る住宅6,000軒を、アルジェリアは建てることができていない…もしくは建てるつもりがないのだ、40年にも及ぶのに…ということなのです。

どうしてアルジェリアは…モロッコ軍事・外交で対抗するために莫大な額を費やしているのに…ティンドウフの住人達をあのような恐ろしい、非人間的な状態生活させておくのでしょうか?

かのサハラの、自由で立派な息子たち・娘たちを、人道援助を乞う者に変えてしまった者どもには、歴史が裁きを下すでしょう。

彼らがサハラ女性子供たちの集団の悲劇を利用して、彼らを戦利品に変えてしまっており、違法な商業活用だけでなく外交的論争のための道具としても使っているという事実を、歴史は物語ることになるでしょう。

ティンドウフのキャンプに居られる人々に問います:ご自分たち生活状況がすさまじいというのに、あなた方はそれで良いのでしょうか?このキャンプに居られる女性は、息子さんたちや娘さんたちの間に広がっている絶望と落胆の意味理解しておられるのでしょうか…期待できる展望未来もないというのに?

あなた方は、このような非人間的な状態などよりも良い扱いを受けるに値するものと、私としては信じております。あなた方がこういったことに耐えるのだというなら、誰を責めるわけにもいかないでしょう。そうしている間にも、あなた方の目前でモロッコは、その南部地域の発展を強力に推進していき、この地域の居住者が自由で威厳のある人生を楽しむのを確実にしていくのです。

国民よ、

この「サハラ問題」は、モロッコがその歴史のなかで初めて直面した問題ではありません。この国はシバ(無法)と混沌を知っています…保護領統治のもとで生きながらえ、占領を耐え抜きました。この国は、現代国家を築こうとして独立を勝ち取るうえで、不和と争いの時季も経験しました。

困難な状況に直面する度に、モロッコがいつも昂然として、強固であり団結していることが判ります。何故かといえば、モロッコ人は、自分たちが同じ運命のもとにあると信じ、自らの普遍の価値と領土保全を維持しており、この王と民との間にある密接な絆と団結へと、全面的に委ねているからです。

進歩的地方分権化の遂行と開発モデルの適用を開始することにより、モロッコは、我々の領土保全に係る不自然な論争に対する不変の解決策を見出す機会が多くなることを望んでおります。

そのように信ずる理由はただひとつ2007年モロッコは、国際社会の呼びかけに積極的に応じ、この袋小路から出る道を見出すための案を編み出したからです。

そうして我々は「南部地域の為の自治イニシアチブ」を提案しました。その国際団体からは、真剣で信頼できる提案であるとの判断が出ております。

昨年私が「緑の行進」の記念日を祝う式辞にて指摘したように、このイニシアチブは、モロッコ提供できる精一杯のところなのです。その遂行は、国際連合機構の枠組みでの最終的な政治的解決の達成にかかることとなります。

モロッコの一部について何か別の譲歩を待っている者たちは、思い違いをしています。それどころか、モロッコはそこで与えるべき全てを与えています。モロッコは、このサハラを守るために、自らの息子たちの血を惜しみなく捧げています。

我々は、それ以上の譲歩をしなければならないのでしょうか?一部の国際非政府組織たちが、我々に望んでいるような?

我々は、こういった敵対的態度の裏にある理由を知っています。彼らの狙いは、この国を分割することなのです。しかし当の彼らには我々のことに干渉する権利などないことも、我々は知っています。

これは、国際組織内のある団体がモロッコの歴史を知らないままシナリオを創り出そうとするのに対処するうえで、我々が支持しているのと同じ原則です。そうしたシナリオは、エアコンの効いたオフィスで創り出され、現実から遠く離れて、モロッコサハラに係る地域紛争の解決のための提案として示されているのです。

モロッコは、如何なるものであれ、深刻な結末をもたらしかねない愚かで危険な行動方針も、「自治イニシアチブ」で生まれた前向きな趨勢を転覆することが狙いでしかない実行不可能な提案も、いずれもお断りいたします。

モロッコ製品への敵対的キャンペーンに対しても、モロッコの団結と不変の価値を守る政治と防衛のセクターで発揮されたのと同じ、犠牲と献身精神に則って、立ち向かっていくことになります。我々の製品のボイコットを求める者たちについては、歴然とした国際法違反でありますが、彼らにはそうさせておきなさい。とはいえ、彼らは自ら決めたことの責任を執らなければならなくなるでしょう。

モロッコには、立ち上がるであろう大規模プロジェクト恩恵で、この地域に生まれ投資機会から利益を得るために、自らのパートナーを…国家も、グローバルカンパニーも…招待する権利があります。

丁度、我々がモロッコ北部と南部とを何ら区別していないように、トマトにおいてアガディール産とダフラ産の間でも、イワシにおいてララシュ産とボジュドー産の間でも、燐鉱においてコウリブガ産とボウクラア産の間でも…広く知られるデータ裏付けられているように後者我が国の埋蔵量の2%に満たないとしても…我々の目には何らの違いも、みとめられないのです。

同様に強固な意志と揺るぎなさをもって、モロッコサハラの法的状態を疑おうとする企てにも、この国の北部地域でと全く同じように、この土地、この南部地域にて力と特権の完全なる行使を行う我が国の権利へ疑問を投げかける企てにも、モロッコは立ち向かっていきます。

これはつまり、我々の正当性を良く知らしめ、我が国がなしている進歩をスポットライトで照らし、我々の敵のもくろみに対抗するための、取り組みの強化と警戒の維持、これら全てを、我々は総動員で行っていかなければならないということです。

国民よ、

緑の行進を特徴づけたのと同じ献身と犠牲の精神を保ちつつ、我々の南部地域の開発を推し進め、その地方の息子たちや娘たちの尊厳を護ること、そしてこの国家の領土保全を維持することは、我々の集団的責務です。

そのようにすることが、「緑の行進」の考案者…私の尊敬する父であって後の王ハッサン二世陛下…安らかにお眠り下さい…と、この国の栄誉ある殉教者たちへの、忠節の証しとなる筈です。

アッサラーム・アライクム・ワロマツロー・ワバラカア-トゥ

2015年11月6日

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