はてなキーワード: カウンセリングとは
昨日初めてTwitterで受けてきた。
昼、夕方、夜で1日3回やってて、思い立ったのがちょうど昼過ぎ。
そこで諦めようかとも思ったんだけど、やっぱり聞いてほしいって思った。
予約制でないなら早い者勝ちだということで、某夢の国のホテル予約のつもりでかなり正確に秒数まで合わせた。
でも返事がなくて、ダメだったかって思ったら数分して返事がきた。
華麗に開幕ダッシュを決めたせいで相談員さんを置き去りにしてしまったらしい。
当然のように本名じゃなくてOKだったけど、なんとなく常用してるキャラ名やユーザー名にすることが躊躇われた。
とにかくそれで話を始めた。
相談員さんは、主語が怪しい部分を補ったり要約するような相槌をする。
それを確認しながらあれこれ話をした。
少し喋ったところで、スマホだと指がついていかないことに気付いた。
私は深刻なネットゲーマーだったんだからどう考えてもPCに向かってキーボードで打つほうが早い。
おそらく相談員さんは急にこちらの速度が上がってビビったと思う。
相談員さんは内容を簡潔にまとめたり、共感しながら相槌をうってくる。
昔大学でカウンセリングの基本を軽く受講したことを思い出した。
あと「女の話には解決策より相槌」みたいな教科書をよく守る男を相手にしてるみたいだとも思った。
んで、50分の時間いっぱい聞いてもらった。
話してる途中から泣けてきた。
私涙もろいほうなのに。
私の悩みは、私自身の問題じゃなくて私の家族が抱える悩みについてだったから、当然このカウンセリングで解決にはならなかった。
でも気分的にはすっきりした。
私は泣く宛を探してたんだろうか。
そんな感じで言いたいことだけ言って時間が終わったけど、随分楽になった。
このあと、これとは別にちゃんとした感想を公式のフォームに送っておくつもり。
私は働いた経験が少ししかないけど、それでも顧客から感謝されると嬉しかったから。
一応相談の終わり際にも感謝を伝えたけど、きちんとした文章で改めてお礼を言いたい。
それにしても気軽に話を聞いてもらえる先ができたものだ。
別にかっこいい理由があるわけではなくて、理由は単にプライドが高すぎて他人に弱みを見せたくなかったり、少しでもいい顔をしたいから。
誰でもそんなもんなのかもしれないけど、もう今日なんか全部無理になっちゃったのでここに吐き出そうと思う。
これまではネットでも嘘ばっかりついてたけど、なんか今日は全部言える気がする。
別に誰に見せたいわけでもないけど、誰にも見せないことにも耐えられないので公開する。
全部本当のこと言いますって言ってるくせに匿名なのはダサすぎて笑えるけどダサいのでしょうがない。特定されたくないけど今日くらいは嘘はつきたくないので、ぜんぶ本当のことだけを書くことにする。
自分がなんで嘘ばっかりつきはじめるようになったんかな~っていっつも考える。
結局答えは出なくて、生まれ持っての性格?とか、環境?とかわからん。
原因ぽいのは、まず新興宗教。
せっかくなのでどんな宗教なのかをご紹介。
その家につながる因縁を消そう!みたいなノリで護摩(火を焚いてそこにいろいろ投げ入れて燃やす。字面草)と、施餓鬼(先祖の供養。コメとか水を注いでやると喜ぶらしい。ちょろくて草)
あと、接心というカウンセリング的な占い的なやつを定期的にやってた。
さてさて、母親と祖母がメイン信者っていいましたけど、ちなみに祖母は現役、母親もたぶんそう。
母親と父親は離婚してて、祖母と祖父も離婚してる。祖父は離婚後死亡。
母親に祖母の悪口吹き込まれて育ったので自分もあんまというか結構祖母のこと嫌い。
そんなわけで、とりあえず小さいときから自分は精舎(しょうじゃ、教団施設)によく連れられていっていた。
読経も真剣にやってたし、教祖様ご一家と現ご当主様のお話や、他の信者の私は救われましたああエピソード披露会も真剣に聞いてた。
そこで正座しすぎてたせいで膝壊した。さすがに草。薬師如来も信仰対象に入ってたはずなんだが。なんとかしてくれや。
「若いのにすごいねえ!!」「遊びたいだろうにすごいねえ!!」「えらいねえ!!」「徳を積んでるねえ!!」みたいな。
たぶんここで自分は特別だあというプライドと自尊心が育ったんじゃないかな。他人のせいでごめんな。でもしゃーないよな。いいじゃん。ほんとに仏がいるんなら助けてくれ。
保育園も幼稚園(厳密にいうと保育園中退、理由は不明、ちなこれ伏線な。)も卒業してねえし。
精舎でおばあちゃんとおばさんたちにちやほやされて育ったから、同世代と話せないんだよ。
そう、友達がいない。
今も、昔も。いや、昔はちょっとだけいたな。でもあれ友達かな?怪しい。今は話を送り付けることができるやつは一人だけいる。そいつもあんま友達多くねえけど、自分よりはいる。
中学とか高校の時はさ、強制的に交流させられるイベントがあったからそこそこ友達ぽい人はいた。
でもプライドと自尊心が邪魔して、本気で話せる人は一人もいなかった(今もいない)。
なんなんだろう。同世代と会うと、なんか自分にキャラを設定しないと話せない。いじられキャラとか頭いいキャラとか、金がないキャラとかな。
そんなんみんな見抜くよな。
嘘つくやつと仲良くなりたいやつなんていない。しかも自分は自分以外の世の中のすべてを馬鹿にしてた。(今もしてる。)
さあそんなやつがいたらどうなる?そうだよなあ。いじめられる。いじめられた。
まずこれは小学生から。小2のときに腹パンされたことを今でも覚えてる。なんでかはわからん。
Wくんという子だった。Wくんはスポーツがよくできてみんなの人気者タイプだった。
自分は、小学生のときから今に至るまで優等生、というか権威者に弱い。
先生にため口なんてありえなかったし、廊下は走っちゃだめだよと注意とかをするタイプであった。いやうざすぎて草だね。
あと小4のとき、裁縫箱でK君に頭を殴られた。今でも覚えているのすごいな。
あとは小6のとき、N君にズボンを下ろされた。これは卒業式の練習の時。N君見てるか~??
N君は転校生。目立ちたがり屋。好きな子と付き合ってるって家では嘘ついてた。前の学校ではいじめられてたらしい。だからか?
ちなこいつんちは某新興宗教系学会の信者。以上、まだ仲がよかったときのお泊りで判明。
中学でもいじめられた。最初はなんかヤンキーに殴られた。不登校になりかけて、親に無理やり学校に連れてかれた。
担任のおばさんはなんもしてくれんかった。大人を信じちゃいけねえなあって思うようになった。
今思えばしょうがないよな。生徒の一人一人に向き合うなんて無理だよ。面談で話聞いてくれただけ感謝だ。ありがとう。感謝。シェイシェイ。つまらないね。
まじで本当に学校行くの嫌だったけど、行かないと母親に行くように言われるし、母子家庭だったから心配をかけたくなかった。
あぶねえ。嘘ついてた。
心配をかけたくないわけじゃない。母親に心配されるのが嫌だった。
母親はすげえ馬鹿で非正規の仕事をしてたから、そんな母親に心配されるまでもなく、自分はちゃんとやってるんだって言いたくて、しょうがねえから学校に行ってた。結局皆勤賞。えらい。
どうしても行きたくない日もあって、前日の夜とか布団の中で泣いてた。新興宗教の教祖様に心から祈りを捧げ、心の中でお経を読んで夜を明かした。
学校について、校門に入る前は「教祖様、今日も守ってください」
校門から昇降口までは「いじめっ子に会いませんように。教祖様。」
昇降口から教室までは、「今日はみんなと仲良くできますように。教祖様」
今考えるとピュアすぎる。もち今は信じてないよ、安心してください。
さあさあさあ。
いじめはどう終わったかというと、終わりはしなかったんだけど(卒業まで、いじめっ子に会うと首絞められたりしてた。クレイジーやな)
ピュアだった自分は、「教祖様のおかげ・・・?」と感謝し、信仰を深めていった。ピュアだ。いい子すぎる。
彼女もできた。(ちな自分は男。普段の一人称は俺だけど俺っていうのあんまり好きじゃないし僕っていうのは有り余る自尊心を表現しきれないから自分て呼ぶね。)
でもいくらなんでもブスすぎたのでふった。最低だね。
なんか中学最後の時に一人の女の子のこと好きになって告白しようかなって思ったけど同じクラスのバスケ部のやつのことが好きらしいと聞いて断念した。バスケ部ってモテるよね。なんで?バカみてえな玉つきクラブなのになんで?
あとサッカー部がモテるのも謎。球蹴りクラブなのにモテてるのほんと草。
こういうふうに、ぼくは人のことをすぐ見下す。
特に勉強は人並み以上にできた(というか中学のときは学年1位やった)ので、バカは嫌いだった。
でも勉強ができたのは別に勉強が好きだったからではなくて、あくまでなんかできただけ。
勉強するの好きじゃなくて、受験勉強もしてない。でもなんかできたんでそこそこの高校に行った。偏差値60くらい。中途半端な高校だった。
今もバカは嫌い。というかバカを見下している。世の中のすべての人を見下している。
最悪だなあ。
眠くなってきたよ。お酒を飲んだからかな。また明日続きを書こう。
レスり妻です。
年に数回応じるけど翌日体調が悪くなったり急に涙が出たりして生活が困難になります。
初めての育児の際に夫の協力が得られず、険悪になったのですが、そのときに「俺達体の相性はいいんだから、シてさえいれば仲良く過ごせる」と言われ最初はそんなもんかと思っていたのですが段々私の体だけあればいいのかなと苦しくなってしまいました。
この発言を私が過去のこととして流せないのが原因だろうと考えています。
夫は私が拒否した回数を数えているようです。
でも結婚してから何度デートをすっぽかされたり拒否されたりしたと思ってるんだろう、結婚記念日も忘れてるくせに、と思うとなおのこと体しか求められてない、私の心は必要とされてないと突きつけられているようでつらく感じます。
それ以外にも私を傷つけるための発言もあり、私は私のためカウンセリングに通いました。
私自身少し前向きになり雰囲気が変わったと思いますが、それに乗じて夫が求めてくる回数も増えてきていると思います。
私は私のために努力しているので、そこにタダ乗りしないでほしい。
まだしばらくはレスでいたいです。
それで離婚になったとしても。
昨日自治体の子育てカウンセリング使って、怒鳴っちゃうので助けて欲しい話してきた。いっぱいいっぱいになるのは当たり前でとにかく生存することさせることだし、いっぱいいっぱいなのが問題だから負担軽減しようと言われて帰ってきた。
寝て起きたらめちゃ腹立ってきた。ちゃんとしたごはんも片付いた家も規則正しい生活も諦めてこの上心理的安全性ある家庭まで諦めろってのか。それって結局私の再生産では?大失敗では??せめてグッドイナフでありたいと思うことも私には贅沢ってこと?生きて生かしてるだけで100点とかそんなわけなくない?うちの子たちはうちにきたばっかりにそれっぽっちしか与えられないってこと?こんにゃろうふざけんなやってやるからな。
という怒りが湧いてきて、これは少し元気が出たってことなのかなー…。
以前、知人が「いのちの電話」の相談員をやっていて、内部事情を多少聞く機会があった。「いのちの電話」の相談員が無償どころか持ち出しのボランティアで、それが可能な主婦とか年金生活者とかが多数を占めるというのはその通り。それゆえに相談員側に世間知らず的な傾向があり、来談者との感覚のずれが生じやすいというのもそうだろうと思う。その知人も私から見てそういうところはあり、真面目で善意の人ではあるのだが、そのずれによって無自覚に相手を刺激していた可能性はある。
しかし補足しておくと、「いのちの電話」の研修は臨床心理学のプロが基本的なカウンセリング技術をかなりみっちり教えていていて、真面目にそれを守っている限りさほど無茶な対応をする相談員にはならないように思えた。「一方的に説教」というようなのは当然やってはいけないこととして教えられている。知人は慣れないうちはとにかく相槌だけ打って聴き続けろと教えられたそうだ。「○○なんです」と言われれば、「○○なんですね」と返すようなのが基本。自分の意見を押しつけるような応答は禁じられている。とはいえ、相談員も慣れてくると自我が出てきたり、後に書くような来談者側の問題もあって、相手に圧力を感じさせるような応答をする場合もあるだろう。
医師やカウンセラーでもそうだが、こういう人間がやることにはどうしても当たり外れや相性の問題がある。「いのちの電話」のボランティアが無償であるべきかにはいろいろ意見があるだろうが、有償にすることで相談員の質及び来談者の満足度が飛躍的に上がるかは個人的には疑問である。有償で高度な資格を持つはずの医師や臨床心理士にも「ひどい対応をされた」という不満の声はよく聞くからだ。
で、ここからが本題なのだが、「いのちの電話」と聞いて相談員は自殺相談の深刻な電話ばかり受けていると思うのはどうも違うらしいよ、ということ。「いのちの電話」の回線がいつもつながらないというのも、自殺相談で埋まっているわけでは全くないらしい。
では何が多いかというと、知人が言っていたのは、女性の声と聞くと「テレフォンセックス」を始めたがる常連。最初は一応「死にたいんです」などと言ったりするらしいが、間もなく「ところでどんな下着を着ていらっしゃいますか」「パンツは何色でしょうか」などと言いだす。この手の電話は非常に多いそうで、相談員側にもマニュアル的なものがあってなるべく早く切り上げるよう誘導するのだが、相談員の側からガチャ切りするわけにもいかないのでしばらくは付き合わざるを得ないようだ。
女性とみると性的な話を始める常連来談者というのは「いのちの電話」に限らずよくいるらしい。別の電話相談を受けていた別の知人も「あー、いるいる」と言っていた。企業のコールセンターで働いていたりしても経験するのだろう。ちなみにそういう常連は男性の声と判断すると一瞬で切ることが多いが、そもそも電話相談員やコールセンター係に女性が多いので、何度かかけ直せばすぐ女性が出てしまう。
知人が頻繁に相談員をしていた頃はダイヤルQ2というものが流行っていたのだが、その頃の常連の一人はダイヤルQ2でいつも生活費を使い果たしてしまうので、家族から「いのちの電話ならタダだからそっちにかけろ」(!)と言い含められていたそうだ。「いのちの電話」は確かに無料で、通常の電話料金すらいらない。
こういう事例は生活困窮者を「いのちの電話」が間接的に救っていると言えなくもないのだが、外部の人がイメージする「自殺防止のボランティア」とは少し違うのではないだろうか。相談員には守秘義務があるので具体的な相談内容はほとんど聞いたことがないが、典型的ないかにも自殺相談というようなものは頻度としてはかなり低いとのことだった。しかし、一見ただの愚痴であったり、さらにはセクハラであったりするような内容の電話でも、「いのちの電話」に吐き出すことでバランスを保っている人が一定数いるのであれば、それは「いのちの電話」の目的に適っているようにも思う。
「いのちの電話」の相談員はさぞメンタルをやられるだろうと言う時、今にも死にそうな人からの自殺相談を想像している人が多いだろう。しかし実際の現場はそのイメージとはかなり違って、メンタルをやられるとすれば常連のしつこいセクハラやひたすら堂々巡りする愚痴に付き合い続ける消耗が大きいかもしれない、というのが知人から断片的に事情を聞いての感想だった。
腹が減っている。ずっと空腹だ。何を食べても吐き出してしまうのだから当たり前だ。
満たしたい、空虚感に耐えられないのに、詰め込むと途端に出してしまいたくなる。
胃の皮が引き延ばされて張りつめているのに、発狂しそうになる。耐え難い。
まだ空腹のほうが耐えられる気がする。
いや。
そう思いつつ、毎度気が付いたら食べ物を詰め込んでいるのだからそうでもないのだろう。
気が付いたらといっても意識を失っているわけではない。(当然だ)
自らのその脚でスーパーなり、コンビニなりに行き、カゴをつかんで陳列棚を物色している。目についていいなと思ったものには素早く手が伸びて、気が付いたらカゴが満杯になっている。なんだこれ。これ全部自分で食べるのか? 今から? 尋常ではない量だと理解している。一食、いや一日で摂取すべきカロリーを軽く超えている。腹持ちも悪そうなシフォンケーキや、ポテトチップス。栄養は考えられないくせに、甘いものとしょっぱいもののバランスはこざかしくも取ろうとしている。あとは安くて大量に詰め込むことができそうな袋菓子。自分が何をしているかも、頭の隅でしっかりと理解している。まず間違いなく金をどぶに捨て、後悔することを確信している。
食べて食べて、食べて吐く。食べたくないが、口に運んで詰め込んで、大量に水を飲んで滑りを良くした後に、吐くのだ。胃が空っぽになる感覚を得られるまで、ずっと吐きつづける。たまに指が喉奥に当たり、吐しゃ物に赤い血が混じる。醜い。醜すぎる。自分が生物として劣っていると強く感じ、みじめになる。この瞬間がたまらなくみじめだ。
自分がここまで醜く、愚かで、情けない人間だと思いたくないが、純然たる事実である。見よ、この吐しゃ物を。
カスみたいな医者である。患者の取り扱いはへたくそだ。雑に話を聞き、薬を与えるだけ。
摂食障害はカウンセリングや入院は無意味だと憚らない。摂食障害の治療経験は長いらしい。いろいろと挫折を経験して行き着いた結論であろうとは思うが、再診5回目で初診扱いされたのは少なからずショックであった。こいつ、患者を一切覚えていないではないか。その後も以前にも聞かれたプライベートの話を聞かれ、特定の恋人がいないことを伝えるとその年で独り身は未来がない、不幸になると説教された。
繰り返し私の未来には絶望しかないと予言するのだが、まるで覚えていない様子で、口調だけは親身で心から同情している様子である。私はというと、ノーダメージなわけはなく、毎度自信を失い、打ちのめされて少なくない治療代を支払い薬を受け取って、駅に入る頃ようやく苛立ちが脳天にたどり着く。喉、胸、腹がむかつき、不安が頭を蝕む。
それでも通っているのは、薬が効いた感覚を覚えているからだ。はじめはプロザックという、セロトニン再取り込み阻害薬。抗うつ剤としてアメリカでは流通されているが、日本では認可されていない。初めは飲むと食欲がふっと消え失せ、胸のむかつきが一日中続き、絶食できた。感動したが次第に体が慣れたのか、効き目が薄くなっていき、大量過食と嘔吐が続いたときに、今度はマジンドールが処方された。肥満症の治療に使う食欲抑制剤である。もちろん私は肥満症ではないため、保険適用外の処方だ。実に高い。こちらは過食をしそうな1-2時間前に飲むと食欲を抑えられる。効果は4-5時間ほどだと医者は言うが、実感としては2-3時間といったところか。
マジンドールもプロザックも依存性があるというが、よくわからない。過食衝動がすでに依存症だから、いちいち気にしていない。
砂糖に支配されている感じはする。辛いと、寂しいと、寒いと人は人を求めるが、私は砂糖を求めてしまうようである。糖分は口答えしない。いつでも同じだけの甘さをくれるのである。体に深刻な状況をもたらすが、それは人とは違い、予想できる範囲にある。
自信が持てないのも、見た目と体重にとらわれているのも、自分を自分のまま肯定できる経験がないのだ。それは孤独の中では真に得ることができないのだろう。一人暮らしになり、自由な時間を得たものの、相変わらず私はコンプレックスにまみれていた。「普通の」人々、周りの人々の幸せをうらやみ、自己嫌悪の糧としていた。悲しいことだ。哀れみの目を向けている。そのままの自分でいいのだ、これが私なのだと思っても「嫌だ」と思う。
はあ。ネガティブ。私にはポジの部分もたくさんあるというのに。
楽観的で、適当。ほどよく手を抜き、切り替えが早い。
だが在宅勤務が続き、なんだかその良さが失われつつある。寒さもあるかもしれないが。
なんとか自分の良さを取り戻したい。
もう大人なので、大体こういう時に何をすべきか、どういう方法が世の中にあるのかわかっている。
だができない。いや、やればいいだけなのだが。やる気は始めないと出てこないらしい。
周りがそれに合わせるだの、意味のないカウンセリングするだのせず
とっとと捕まえて脳みそにメス入れて改造すりゃいいんだ
体内の内臓が悪けりゃ手術すんだろ?それと同じ、脳が悪いなら脳にメス入れて切り刻め
わかるよ。自分も20代の頃から性欲が低下して、今や性行為をしたいと思えないようなマインド。パートナーには申し訳ないと思っているし、言葉にもしているから、一応理解を得られているとは思っているけど、内心は呆れられているというか、ガッカリされているだろうな、とは感じる。
自分の場合は性欲の減退と、ある種の潔癖症と、身体的なコンプレックスがあるから、それらの合わせ技という感じかな…。
こればかりは気持ちひとつで何とかなるようなものでもないし、本当はカウンセリングなり何なりで治療するようなものなのかな、とも思うんだけど、一方で、ありのままの自分として受け入れてほしい気持ちもあるな。結局は受け入れてくれる相手の有無というところに行きつく。
その人というか、その人のマンガが好きなのでTwitterもフォローしてた。
コンスタントにマンガを更新してたけれど、ある日突然鬱になったような、メンタルが怪しい投稿が増えてきた。
頑張って欲しいと思ったし、本人もカウンセリング受けたり友人に相談したり本を読んだり、なんとかしようとしていた。
でも、やっぱり以前のようにはいかなくて、悩んでいるようなツイートが多く見受けられた。
病み期間長くて応援するの疲れた、とかはなかったけど、ブログを書き始めたということで、それを見始めたらなんかダメになってしまった。
なんというか、その人を深く知りすぎてしまったが故に、鬱鬱した気持ちが感染しそう……と言うのは失礼なんだけど、でもそんなかんじ。
もともと自分も鬱鬱してたので、これはまずいと思ってしまった。
そして、自分はマンガの更新とか、日々のお絵描きが見られると思ってフォローしてたのであって、その人の個人の私生活に興味があったわけではなかったのだなあと気づいて悲しくなってしまった。
もともと作者と作品は分けて考えたい派だったので、今更だけどフォロー解除しようと決めた。
たぶん下に行くほど気軽にできる
・歯科矯正
とりあえず無料カウンセリングいって総額いくらかかるか確かめること
・脱毛
・パーソナルジム
・美容院
評判がいいところいけ
化粧めんどい勢は1-1.5ヶ月ごとにサロンで↓を整えてもらう。
・顔のシェービング
晴れ舞台があるときは、顔の産毛を剃ってもらうのおすすめ。顔のトーンがアップする。お店はホットペッパービューティーで探して
・ネイル
ジェルネイルはとるとき爪が痛くなる人もいるから全ての人におすすめってわけではない。
でもサロンでハンドマッサージと爪のお手入れすると気持ちがリフレッシュされる。手のむくみも取れる
・服のアイロンがけ
・婦人科
生理前の体調不良など激しい人は婦人科いくこと。低量法ピル試してみること
・皮膚科
・歯医者
・耳鼻科
花粉症とか放置してない?鼻水出るときはちゃんと耳鼻科でお薬もらうこと
・喋る練習
喋らなすぎると、いざ人と喋るときに言葉が出てこないので喋り相手がいれば話しかけること。相手がいなかったら一人カラオケで3時間ぐらい思いっきり歌って発声練習しとく。メンタルが強いなら録音した自分の声を聞くこと。喋り方のキモさを自覚すること。
・つめを切る
キモい人間の爪が長いと気持ち悪さが大気圏突入するので、爪は定期的に切ること
・風呂に入る
毎日湯船に浸かろう
(冬、保湿がめんどいときはエステにいって全身にマッサージオイル刷り込んでもらえ)
・きんにくTV
ヤー!
「自分が気に入らなかったから払わない」はただのクレーマーだろ
認知の歪みを指摘されるのは気に食わないかもしれないけど、イエスマン相手に好き勝手話してスッキリするのはキャバクラでやる事で
カウンセリングは違うだろ
タイトルの内容の通り
60分15000円のカウンセリングだったが、45分くらい経過した所でカウンセラーの理解のなさ・返答の的外れ具合・適当な遇われ方、ぞんざいな話しぶりが我慢ならなくなって怒りが爆発、それらの全てを指摘した上で「これのどこに15000円の価値があるんですか?絶対に代金は払わない」と突っぱねた。
こちらの剣幕に面倒くさくなったのか、「代金は要らないので今すぐお帰りください、2度とこちらではカウンセリングは受けられません」だと。再度受けにくると本気で思ってるのか。
非常識と言われるかもしれないが、カウンセリングの対価は医療行為でもなければ薬の処方でもない。あくまで対話の中にある。
全く対価を払うに価しないと感じたら、理由をはっきり伝えて払わないと言う。
その後どう言ってくるかはカウンセラーによるだろうが、私のようなケースもある、ということで書き残しておく。
心の傷は浅いうちに、病院に行った方がよいのかもしれない。
長期間、重く積み重なって煮込まれていくほど、どんどん人に簡単に話すことは難しくなっていく。
なんとかふんばっていてもとうとう限界がきて、なんとか、どうにか、すがりつくような思いで、病院に行ったとき、病院の現実をみる。
医者もその人を本当に助けようと親身になってくれるわけじゃない。初診は少し時間をとって話をきいてくれるけど、本当にその人の話をきいて解決につなげようと親身にきいてくれるわけじゃない。長年に渡った辛いこと、もうどう話せばよいか、どこから話せばよいかもわからなくても特にそこには深入りしない。基本は状況はどうか、食べれてるか、眠れてるか、状態をきいて薬をだすだけ。医者の身になってみれば当然のことだ。仕事で時間も限られるし、患者はどんどんくるし、一人に割けるリソースはわずかだ。
そんな状況で患者の状況や痛みも理解できないし、対話の中でむしろ傷つけることを言ってくる(人による)。客観的にみれば当然だししかたがない。初めて会って少し話しただけの人のことをそこまで理解できないし、また、いろんな種類の苦労、痛み、また人の性格もある中でしゅんざに全て理解してその人に的確な打ち返しができるわけがないのだ。これは医者と患者の相性もあるだろう。
そのあと、カウンセリングに行ってみた。なるほど、話を聞くプロなのだと思った。自分ではどう話してよいかわからないところ、的確に質問して引き出してくれる。カウンセリングの技術があるのだと思った。ただ、今思えば非常に相性が悪かったのかもしれない。人間の性格的な相性というより、バックグラウンド的な。自分の話に対して「普通は〇〇で辛いのに、あなたは△△で辛いなんて変だ、変わってるね」と笑われた。そもそもこういう状況が長く続く状況で△△は辛いのだということが理解できないのだ。
でも、カウンセラーに話して客観的にそれに対するコメントをもらう、それは、自分の中にある傷を開いて次に進むことにつながると思った。だから、少し気が進まないような気はしたが2週間後に同じカウンセラーの元を訪れた。カウンセラーはメモをみた。前回のときの話のメモが書かれているのだろう。「増田さんは、××で〜〜だったんでしたね」全然違う。断片はあってる、メモされてた単語は合ってるんだろう。でも、前回いったことの正反対じゃないですか。そうですよね、覚えてないですよね。私にとってはあなたとのカウセリングは2週間での一番のビッグイベントだったし、今回もこれでよくなるようにしていきたいってとても重要に考えていたんです。でも、カウンセラーの方からしたら、日々たくさんこなすカウンセリングの一つで2週間前のカウンセリングの一つの内容なんて覚えてないですよ。仕事だし。それでがっくりして、その後は行かなくなってしまった。
もう6,7年前の話だけど、少し思い出したので。
医者もカウンセラーも人間だし、あんまり期待してもだめだね。ただ、病院は投薬だけじゃなくて、もう少しカウンセリング的な治療にも力入れた方がよいんじゃないか、大変だけど投薬は根本の治療にならない。