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はてなキーワード: カウンセリングとは

2017-09-24

anond:20170924161357

自分の父にもそういうところがあった

思い通りにならないことがあるとすぐに周りのせいにして責めて気を晴らそうとするところ

当人がつらい思いをしているのは本当だと思うが、それを自分コントロールできないのはヤバい

むりやりカウンセリングとか受けさせるわけにもいかないし

つらかったら見捨てて別れちゃってもいいと思うよ

2017-09-23

もうヤダーーーーー

監視されるのヤダーーーーーー!

言論統制されるのヤダーーーーーーーー!

一挙一動を見られてるのヤダーーーーーーー!

犯人は捕まったのでもう、これは妄想にすぎないんだが、なにをしても誰かが見てるような気がしてて本当につらい。

カウンセリングに行くお金ほしい。

2017-09-22

カウンセリング女医さんとおもちゃ遊んだ思い出

小学4年生になっても寝小便が治らなくて父親精神科に連れてかれた

初日女医さんの前で木の絵を描いた後、2人っきりの部屋に連れて行かれ、一緒におもちゃ遊んだ。2〜3種類くらいのおもちゃでただただ遊ぶだけなのだ

その後も通える距離だったので1人で通ったが毎回女医さんと一緒におもちゃで遊ぶのだ。

あの治療法は結局なんだったのかな。途中でダルくなって行かなくなったんだけど親はなんも言わなかった。

寝小便は徐々に治っていったけど中1の修学旅行で寝小便かまして、一緒の部屋の友達にバレてはいなかった(と思う)がその時強烈に恥ずかしいと思ったせいかそこから一切寝小便をしなくなった。

ふと女医さんと一緒に遊んだおもちゃのことを思い出して無性にやりたくなるんだよな。遊んでる時はずっと緊張してたけどおもちゃ自体は楽しかったんだ。今度探しに行こうかな。

2017-09-19

anond:20170919153438

母や学校先生病院先生カウンセラーなどとも相談していますが、なかなか話が進みません。

やっとの思いでよい病院を見つけたのでほかの先生相談、というのは難しいのですが自治体相談窓口を頼ってみるのはよいかもしれません。

冷静に腹を割って本心から相談するのがいいとのこと、私もそう思います。近々カウンセリングがあるのでまずはカウンセリング先生相談してみようと思います

的確なアドバイス、本当に助かりました。ありがとうございます

尻すぼみ

徐々に学校に行けなくなってきた。

通信制高校を今年の春に卒業したのはいものの、体調が優れずに進路選択ができなかったので今も通信制高校の時にお世話になっていたサポート校に通学しているのだけれど、

なんだか通学するのがつらい。理由は体調的にきつい。ほぼ毎日吐き気、だるさ、疲れで起きれず1週間も休んでしまった。

先週内科に行ったけれど問題なし。飲んでいる精神科の薬が原因だそうだ。

本来であれば週3回通学しているはずなのにまたうまくいかなくなってきたのかと不安になってきた。

今は、月1回精神科に通院、2週に1度はとある大学へ行ってカウンセリングを受けている。

精神科の通院は中学時代からしているが、何度も病院を変えている。ようやくついた診断は離人症。確かに何も感じない、現実感のない毎日を過ごしている。

母親に「尻すぼみ」と言われる。

スタートダッシュはよくてもゴールまでたどり着かない。バッドエンド。

進路も決まらない。いくら焦らないで、と言われてもいつまでもこうやってサポート校にいても何も進まないと思う。

病院先生就労移行支援について話しても、返答がない。どうしたらいい?

2017-09-18

離婚後の寂しさ

25歳位から6年付き合って結婚した彼女と、6年の結婚期間の末に離婚した。子供は一人いる。親権は元妻側。

面会交流は月一程度で会えるようになった。まるで会えない時期が一年ほどあったので子供と会えるのは嬉しい限りだ。

子供はパパと(も一緒に)住みたいと言う。これが辛い。

元妻はいわゆるボーダーというやつで、機嫌が悪くなった時の俺に対する攻撃性は尋常じゃなかった。自分が無くしたもの子育てに忙しいことにかこつけて探せよ!と叫んだり、俺が口答えしてしまうと、泣き叫びながらあんたのせいであんたのせいで!と叩いてくるのを繰り返した。極め付けは子供がいるのにも関わらず、睡眠薬を大量に飲んで半自殺行為をした。救急車を何回か呼んだ。子供は何が起きてるのか分かっておらず不安そうだった。もちろん元妻は浮気もしていた。浮気相手電話して警告したりして、俺は何をしているのか分からなくなり、あの頃は俺自体が深刻なう状態に陥っていた気がする。マインドフルネス仏道にはまって、諸行無常であったり一切皆苦であることを受け入れようとした。相手の男は俺と同じ会社(元妻も)で別の部署だったが会社を辞めた。いづらくなったのだろう。それは俺も変わらない。俺も色々ありすぎた会社にいるのがしんどくて辞めて転職した。表向きはステップアップで給料も二百万くらい上がったが、本当は現実逃避だった気がする。

一切皆苦であることを受け入れることはできなかった。人生がこうやって妻の激情にビクビクしながら生き、そんな妻をなんとかお茶を濁すが如くに喜ばすことだけが俺の人生なのかと思い悲しかった。それが何年も続いていた。どうにかしてこの終わりゆく世界から出られるだろうか考えた。世界は終わっていた。恐怖の中で奴隷のように生きる世界とはこのようなものなのか。隣の芝生は青いというが、私には現実に青かった。夫婦はお互い正直な気持ちを話し合えるのに、私は正直な気持ちは置いてけぼりだった。正直な気持ちで話すと私のことをあなた絶対理解しない!!と激怒されるだけだった。その割には腹を割って話したいと言われていた。腹を割って話すと激怒された。冗談でもなく、もうイヤァァァ!!!離婚するーー!!!と大声で叫ばれた。マンションなので恥ずかしかった。エヴァンゲリオンで言えばアスカみたいなものだった。そして一週間以上何も話してくれない、ということが何回もあった。

自殺することは実際にはないだろうと思っていたが、半自殺にかこつけて妻実家に頼ることにした。少し距離を作る必要があると思った。

ある日仕事が終わって夜遅くに家に帰ると泣いていて、理由を聞いても何も言わず子供には強く当たってしまうと言っていた。これはもう実家に頼るしかないと判断し、義母電話事情説明し「強制送還」した。強制送還された妻は激怒した。私のことをなんだと思ってる!!と言っていた。精神不安定だよ、心の中でつぶやいた。そして帰ってこなくなった。夫婦カウンセリングを受けた。カウンセラーも妻の圧力に困っていた。私のことを理解しない!そんなことでは結婚生活を続けられない!という主張から一歩も譲歩がなく話にならなかった。カウンセリングは妻側から突然打ち切りになった。

義母の様子もおかしくなってきた。明らかに私を攻撃しまくってきた。あんたのせいで娘はうつ病になった。あんたが根暗からこんなことになった。離婚しろ!と言ってきた。

離婚については子供のことを考えてするとは思っていなかった。でも心の奥では離婚たかったとは思う。幸せはここにはないと悟っていた。子供が生まれ子供からはたくさんの幸せがあった。お世話は大変だったけど一通り一人でなんでもできる。寝かしつけとかたくさん抱っこしてたからか分からないが子供は俺のことが大好きであるのは手に取るように分かる。

離婚すべきかは分からなかった。そして離婚調停が開始された。数ヶ月立って決心はついていた。だが中々離婚させてくれなかった。面会交流させないというめちゃくちゃなことを言ってきた。調停委員も奥さんが落ち着くまでは子供と会わないのも選択肢として良い、と言ってきた。全く許せない。完全に他人事だった。なぜ親子愛のうちにいる俺たちが、妻の精神不安定で会ってはいけない事になるのか。馬鹿げている。ずっと争った。普通は二、三回で終わるところが10回以上続いた。最終的には月に一度会えることになった。回数が少ないのが私には許し難いので、一年後に見直しとなった。

それからは元妻と三人で面会交流することになった。子供がいるとかであるのと月一ということもあり、妻の激情は発露せず、一見普通の親子三人のようになった。ただ面会交流の日時を決めるやりとりなどでは激情に駆られたメッセージが書かれており、俺をコントロールする意思をビンビン感じるので、実態は何も変わってないのだろう。そして今に至る。

一人暮らしして2年になった。妻と争っていた時はそればかり考えていたから寂しくはなかった。だがこうやって落ち着いてきて思うのは寂しいということだ。もしまたなんとかなるなら三人で暮らしたい。そんなことも思ってしまう。なんともならないと分かっているのに。子供には申し訳ない。一生つきまとう悲しみを与えてしまった。苦しい。だが俺が死ぬわけにもいかにい。

俺はこの先どうやって暮らしていけばいいんだろう。友人やお世話になっている人は自分を優先して自分人生を生きろという。でも子供を置いてけぼりにしてるようでそんなことできない。俺はどうすればいいんだろうか。子供言い訳にして現実を変えることを拒んでいるのだろうか。そんなことはない。仮に俺が新たな家庭を見つけてもしも幸せになったら、子供はどう思うだろうか。辛い。

2017-09-16

夫が子どもを早く寝かせようとしない

2、3年前から夫は日本株を中心に株式投資を始め、最近は「株主優待タダ取り」もやっている。

週に1~2回は、自分ではなく、夫に2歳の子もの保育園のお迎えを頼んでいるが、

毎回、帰宅時に就寝できる状態になく、結局、子どもの就寝時刻は23時近くになってしまう。

ひどい日は22時から入浴していた。理由をきくと、一緒に録画した幼児番組を見ていたという。

今週、9月14日さらにひどく、散らかった部屋と干しっぱなしの洗濯物を見て

「遅すぎる」と怒ると、「今日しかできない優待タダ取りが最優先」だと反論した。

確かに自分がお迎えを担当した日も、たいてい22時過ぎになる。

そもそも19時近くまで預けているため、夜の時間絶対的に足りないのだ。

はいえ、自分場合、翌日の保育園の準備、食洗機にかける食器の予洗い・本洗い、

洗濯物の片付け、翌日の洗濯物のネット入れ、ゴミ出し準備、

余力があれば掃除機がけ、簡単な清掃まですべて行い、

自分の夕食」を済ませたら、後は寝るだけの状態で22時だ。

夫の場合は、それらを積み残した状態で、帰宅した自分に対し、

子どもの入浴や歯磨きを手伝えという。もちろん、寝かしつけもしない。

わずか数時間前に子どもと一緒に食事を済ませたにも関わらず、たいてい毎日夜食を作って食べている。

食器洗いの回数と量は2倍。いったい、自分は、いつ入浴や食事をすればいいのだ?

結局、一刻でも早く子どもを寝かし、自分も寝るためには、食事を削るしかなかった。

帰宅時の電車内でゼリーなどをつまんで小腹を満たし、寝る前に一口で食べ終えるスイーツを食べる。

だが、だんだん就寝時刻がずれこみ、それすら食べる時間がなくなってきた。

その反動で、早朝に起床し、朝食だか夜食だかわからない時間帯に、

1日分をまとめて食べてしまう。

保育園先生にも、まだ幼いうちは遅くとも22時には寝かして欲しいと、アドバイスを受けた。

しかし、夫はまったく無視し、むしろ寝かせようとしない。

毎日、小言を言い続けるのも疲れてきた。

性格の不一致、価値観の違いは、「子ども」の存在で明確になる。

この悩みで、心療内科カウンセリングを受けようとしている。

「夫が子どもを早く寝かせようとしない」

子どもや夫と一緒に食事を摂ろうとすると落ち着かない。特に夫が隣にいるとほとんど食べられない」

文字に書き出すと、愚かな悩みだ。カウンセリングでは解決しないとわかっている。

他人」を変えることはできない。

変えられない他人からは、本当は離れるしかない。

2017-09-15

anond:20170915212536

一番良いのは、その子の親が現状をちゃんと把握して、病院なり何なりに連れて行って、治療カウンセリングでも受けさせることじゃないか

anond:20170915061235

子供のうちに自立支援してあげなよ

学校に無理に行かせろっていうことじゃない

医者カウンセリング行ったり

特殊学級とか引きこもりワークショップに行けるようにしたりさ

親が立ち直る道筋作ってやらないと

子供自分でなんとかすることなんてできないのだし

中学で引きこもった30過ぎてニートが身内にいるけど

年齢がいくほどに何を始めるのも困難になる

本人にとっても家族にとっても負担が大きくなる

なるべく子供のうちにどこかの社会に関わる活動

参加できるようにフォローできたらと思う

休ませるな厳しくしろと言ってるのではなくて

立ち直るにもそのきっかけと道筋がないと

そのきっかけをなるべくいろいろ提供してやれたらと思う

自分メンタル病んで引きこもった時期がある

長く休んだ後、社会復帰するのはやっぱり負担大きいよ

でも数年なら、それも子供のうちなら、対応やすいと思う

2017-09-13

http://b.hatena.ne.jp/entry/s/www.buzzfeed.com/jp/seiichirokuchiki/kenkobon-04

これは教科書と同じでな、社会科学分野(特に歴史学)でデマが横行してから自然科学分野でもデマが横行するパティーンなんだわ。実は歴史修正主義がこうしたデマの元締めでなw

歴史修正主義批判する人間歴史修正する事例というよりは歴史修正主義批判の持ち上げすぎなんだろうが、単純に歴史的事実に反する。

そもそも人類科学ベース医療をするのが当たり前になったのは1910年にフレクスナーレポート1910年に当時有名な教育者として知られていたアブラハム・フレクスナーとカーネギー財団が、医学部教育レベル独自基準を作り全国の大学が満たしているかどうかを調査したもの)によって医療標準化がはじまって以降の話である。それまでアメリカには155の医学校があったが1920年には85にまで淘汰された。廃校に追いやられた学校ほとんどが、薬の投与によって病気を治すのではなく、カウンセリングなどによって治す代替治療を行う学校だった。

インチキ医療に対する批判はそれ以前からあって、アメリカ医師会設立から 2 年後の 1849 年にインチキ療法やインチキ薬について調査する委員会 を開設している。1906 年にはアメリカ連邦議会に強く働きかけ、粗悪な食品医療品を取り締まるための初の連邦法、純正食品医療品法を可決させた。1913年にはアメリカ医師会宣伝局が設置され、インチキ医療について調査を本格化させている。

1952年出版マーティンガードナーの「奇妙な論理」によると、アメリカでは1920年代には新聞エキセントリック科学話題が大変もてはやされたことがあった。記述をそのまま引くと『日刊新聞のあちこちに、巨大なウミヘビに関する根拠のない報告や、古代建築物の土台石の中に生きて発見されたカエル、金歯を通してラジオを聞くことのできる人などと言った物語が見られた。』それに対してアメリカ医師会インチキ医療に反対するキャンペーンを展開し、同僚の適切なチェックを受けていない研究解説公表した会員を懲罰した。

anond:20170913004325

増田がどんくらい鬱かわかんないけどとりあえず自分の時もそんなもんだったよ。

診察とカウンセリングが別のとこだったので診察のみだと薬の効き具合と残りを確認しに行くだけな感じ。

ところで余談だけど鬱病で処方される薬って脳味噌萎縮させる副作用のものが多いみたいだよ。脳は萎縮した分は戻らずマイナスのままだそうでそれを知ってから薬飲むのやめて、心を少し殺してメンタル強くして自分にできる事だけする生活に変えたよ。

増田がどんくらい鬱かわかんないかあんまり軽率に言えないけど、はてぶの名物妖精さんも言ってるけどとりあえず運動瞑想の方が薬よりいいと思うよ。

2017-09-07

整形する金を稼ごうと思った途端、親が金を振り込んだ

整形をしたいと思って節約やらをして、整形代をコツコツ貯めていた。

金がなくて、素直に貯めていたという理由もあるが別にもある。

オンラインでの大手美容整形外科で深くえぐれたニキビ跡だらけの皮膚をよくしたいと言う相談をしたら断られた。

別に肌だけでなく、全体的に顔が大きくて形も悪い容姿を良くしたいけれど、そんな相談をしても断られただろう。

というのも、自分は持病があって免疫抑制剤を飲んでいるのだ。

そのため、断られた。

そもそも、酷い肌になったのは以前飲んでいた持病の治療薬の副作用のためだったりする。

また、自分の皮膚があまりにも酷くてよくならない可能性もある。

持病でできない可能性や酷くて容姿がよくならないことから逃避するために、金を貯めるという時間稼ぎをしていた。

しかし、突如数百万円が口座に振り込まれた。

父が税制上の都合で、生前贈与を行ったのだ。

金の問題クリアされた。

持病の主治医から免疫抑制剤を切るという案を美容整形関係なく提示された。

そして、HP免疫抑制剤を飲んでいるからできないと明言していない大手美容整形外科を見つけた。

しかし、断られたりマシにならないと言われたら絶望するしかないのでカウンセリングに行く気になれない。

そして、容姿で散々な思いをしてきた今までが嫌になってくる。

2017-09-06

また仕事をサボったわけだが

通勤中の電車内でめまいと動悸が起こり職場に行けません

みたいな内容で上司メールした。電車内だからメールで失礼しますっていう文言もくっつけた。

御察しの通り仮病である

言い訳をすると過去に実際にめまい、動悸、過呼吸仕事に行けなくなった事が何度かあり、その時と似た精神状態だなと思ったので、めまいが起きたことにしたのだ。信憑性が無いのは知ってる。

こういう社会的クズの話でよければこのまま読んでくれ。

今回は短期仕事に就いた。過去半年以上同じ職場で働けたことが皆無で、長期予定で雇用されても結局半年働けないなら最初から短期で働けばええやんかと、自分なりに閃いて職を探し、仕事をもらった。

2年以上引きこもっていたため例え短期でも週5フルタイムは無理だと思い、できる限り短時間勤務ができるところを探していたはずなのだが、うっかり週3、1日7時間仕事を1ヶ月することになってしまった。

正社員とかフルタイムバリバリ働いている人にとっては十分短いのだろうが、週1、1日4時間ぐらいがいいなと思っていた自分には長時間すぎた。

決まった時点では「まあ12、3日間ぐらいなら7時間でもなんとかなるだろ」と深く考えなかった。考えないようにしていた。

今日が4日目の勤務日だった。初日問題なかったのだが、2日目に聞いていた内容と全く違う業務をすることになった。非常に体力と気力を使い2年引きこもってた体は業務に追いつかずボロボロ

以前の自分ならこの時点で「もう無理…死にたいODしてやる…」と過激ブッチかましてたところだが、多少成長したので「今回の業務は体力が持たないので続けられません」と申し出て、変えてもらうことができた。すごいぜ俺、ダメになる前に申し出ができたぜ、変わったなあ!

問題は3日目だった。

結局あまり変わらない内容の業務に就いて、まあこんなもんか…と思いつつ必死に体も頭も動かして働いた。頑張った。めっちゃ頑張ってた。

しかリーダーに注意された。

「ねえ、この程度ならもっと他のことも同時にやれるでしょう?やって?頑張ってよ、頑張って?頑張れるよね?」

「その手順は知りませんでした」とか「まだ難しいです」とか言えるわけもなく、ただ「はい」としか言えなかった。

この程度よくあることでしょ〜?と自分でも思わないわけじゃ無いんだ。ただ。

その後手を止めるわけにもいかずとにかく言われた通りに必死こいてたら、同じく必死こいてる別の新人さんに対して「頑張って」とベテランおばちゃん達が声をかけていた。

さっきのリーダーがその様子を見て「頑張ってる人に頑張ってって言ったって仕方ないでしょう!」と言ったのだ。

胸のあたりにどす黒く重いものがズドンと落ちた。

そうか俺、側から見たら頑張ってないのか、そうか〜。

とりあえずその日は最後までやりきった。

リーダーが近くに来ると体がこわばってミスをし、また注意された。過去仕事毒親トラウマが蘇り発狂するかと思った。

そして4日目の今日

前の晩から弁当を用意し、緊張して眠れないので筋トレストレッチをして無理やり眠りにつき、6時に起きてバスで最寄り駅に行って電車を待っていた。

リーダーが身につけていたピンクネームストラップが脳裏にチラつく。

頑張れるよね?の声が何度もなんども再生される。

から来る電車に乗ってXX駅で降りて会社まで歩いてロッカーで着替えてチャイムが鳴ると業務が始まる。リーダーもやって来る。リーダーがいる空間作業をする。リーダーが他の人と何かを話している。リーダーこちらまで来て何か言って来るかもしれない。どれだけ頑張ってもまた頑張れと注意されるかもしれない。またミスをするかもしれない。今日は前よりずっと怒られるかもしれない。リーダーの目を気にしている自分がいる。頑張らなければならない。注意されてはならない。失敗してはならない。認められなければならない。ずっとずっと頑張らなければならない。今から夕方家に帰るまでずっと、いや残りの10日間ずっと、リーダーのいる空間で…

もうダメだった。冒頭に挙げたメールを送った。めっちゃ怖い顔をしていたと思う。浅く呼吸しながら改札を出てバスに飛び乗った。家に着いて冷蔵庫弁当を投げ入れた。飼い猫が寄って来て何か訴えていた気がしたが無視して寝室のベッドに潜った。

これが今日の午前中の出来事だ。あれからメールの返事も電話も来てない。弁当レンジで温めて昼に食べた。美味かった。

なんでこんなクズ増田を書いたかというと、誰かに聞いてもらって自己肯定して安心たかたからだと思う。「カウンセリング 今すぐ」とかグーグル先生めっちゃ聞いたりした。良さそうなところは施術10万とかしてあきらめた。

2年以上引きこもってる間、環境がずいぶん変わり、自分他人との向き合い方も少し上手くなったかなと感じて、また仕事を始めたいと思った。

しかし結局自分は変わらず社会に馴染めないクズ野郎だった。さすがにもう昔のように「俺は悪く無い!社会が悪い!親が悪い!」なんて拗ねたりしないが、拗ねなくなっただけで、社会に適合できる人間になったわけではなかった。たった3日で辛抱たまらなくなる社会不適合者のままだった。自分キャパを正しく測れず、結局追いつかなくなり周りに迷惑をかけるんだ。俺って想像以上に自意識過剰でデクノボウなんだな。

こんなクズでもなんとかなる仕事を見つけるか、対人、対社会への耐性の無さを根本的に改善するか。精神科心療内科ももう行きたく無いよ。

さて、残りの10日間、どうするかなあ……

2017-09-04

あの時逃げてよかった

高校一年生の4月半ばにして私は学校へ通えなくなった。

いじめられていたわけでもハブられていたわけでもない。

家庭が不安定で、父は何か気に触ることがあると、声を荒げ、物に当たり散らす人だった。

食卓をひっくり返されることは日常茶飯事だった。

母は子どもたちを守っては白い肌にアザを作っていた。

そんな家庭で育った私は妙に達観した子供で、大人におもねるのがうまく、空気を読むのが得意だった。

家庭では自然自分が調整役を担い、何でもない風に明るく振る舞うようになった。

中学校では同年代の子との付き合いに苦手意識がありつつも、部活部長も任されたし、友達とはなんとなく合わせてうまく付き合ってきた。

同級生女子の好む話題に乗れないのと、女子のねっちょりした付き合いが苦痛だった。)

そうやって家でも学校でもいい子の仮面を付けてうまくやってきていたのに、次第に身体の方が拒否し始めた。

大きな物音や男の先生の大きな声を聞くと、震えが止まらなくなった。

次第に朝、息が詰まって動けなくなり、無理やり足を一歩踏み出すたびに涙が出た。

もう無理だった。

当時、たった1年間だけスクールカウンセラーを配置しようという試みが私を救った。

カウンセラー先生は「とりあえず休もうか」と休学を提案してくれた。

行きたくなったらもう一回1年生したらいいんだよ、フリースクールだってあるし、大検受けたら大学にも行けるよ、と。

「このままだとこの子は死にますよ」と母を説得してくれ、私は1年間の休養を与えてもらった。

そして、母もまた父を説得してくれたのだと思う。

1週間に1回、カウンセラーが来る水曜日には登校して面談する以外は、ひたすら寝て、ひたすら本やマンガを読みまくった。

働く母に代わって家事をしたり、一日本屋や図書館で過ごしたりもした。

どう見られているかはあまり気にしないようにした。

誰も何も言わなかった。そっとしておいてくれたことに感謝している。

あるとき学校に行ってみようかな、行けるんじゃないかなってふと思い、次の春から二回目の1年生に挑戦した。

精神的に不安定になることも多かったが、たくさんの先生の助けや、理解ある友人を得て、休みがちながらも卒業することができた。

大学でもカウンセリングを利用して、自分を噛み砕いて受け入れコントロールする術を身に着けていった。

なんやかんやで、就職もしたし、今では結婚して子供もできた。

今では死にたくなることも、精神的に揺らぐこともない。

大人になれないと思い込んでいた、あの頃には信じられない。

一度止まってしまったらなかなか戻れないのが日本学校制度であり、高校ドロップアウトした者が休学留年してまで、やり直すケースはあまりないと思う。

希死念慮自覚していなかったが、ここで止まってしまったらもう将来は無いのだから自分は死なないといけないなと漠然と思っていた。

当時は大人になって社会人になる自分なんて全く描けなかった。

カウンセラー先生はその絶望をすくい取って「ちょっと休んで、力をためて、それから次に進んだらいいんだよ」って言ってくれた。

この逃げは、将来のことを何も考えていない、その場限りの無責任な勧めだとあなたは言えますか?

追記

確かに最後の一文は余計だった。実に創作っぽく見える。

安易に逃げろなんて言うな」って流れにちょっと意見したくて書いてしまった。

家庭環境や復学以降の流れは冗長なので省略した。

もちろん、復学は容易ではなかったし、たった一年で容易に自分が変えられたわけではない。

復学初日自己紹介で「留年して二回目の一年生です」ってさっさとカミングアウトしたら、周りに無駄に人が寄ってこなくて楽だったのは作戦勝ち。

クラス替え初日、仲良く慣れそうな人を見極めババっと磁石がくっつくみたいに、グループ作る流れが苦手だったので。

女子は初めての昼休みに誰とお弁当食べるかがその先を決定するんだよね。

1年の休学という区切りがあったのも良かったと思う。

母も先生たちも一年休学したところで、そのままドロップアウトして引きこもりコースかなって思ってたと思う。

何よりも自分が一番状況を打開しないと、という焦りがあったけど、区切りがなかったら外に出るのが怖くなって惰性で引きこもっていただろう。

逃げる、休む、戦略的撤退でもなんでも、それは一時的もので、元に戻る道、別の道を選んでいかないといけないことには変わらない。

少しずつでも挑戦して、自信をつけていくことが大事で、あまりに長い休養はかえって毒になると思っている。

とにかく私は周りの人に恵まれていたのだけは確か。

でも、自分でも心の許せる人を周りに集めて、自分の居心地の良い環境を作るのが大事だと思う。

優しい言葉をかけてくれる人ではなくて、ときに叱ったり発破をかけてくれる人。

ちなみに父自身も癇癪を抑えられない自分が嫌だったのか、少しずつコントロールできるようになり、力も衰えた今ではすっかりおとなしくなった。

私も父を客観的に見れるようになって、距離を保ってうまく付き合えるようになった。

昔のことは許せないけど、父を受け入れることは私の成長の一部となったと思う。

2017-09-01

「逃げていい」の一歩先へ

最近「逃げてもいいよ」っていう概念が広がってきた感じがするので、その逃げた先でどうやって振る舞えば良いのかっていうのを自分を例に上げて書いておこうと思います。不幸っていうのは人によって形が違うので、おそらく私の経験がそのまま誰かの参考になるっていう可能性は低いかもしれないんですが、それでも書いておきます

・親に学校行きたくないと言うとき

これすごく辛かったです。私は親に自分が虐められてることも友達が一人もいないことも言っていなかったので、「そんなこと全然知らなかった」と言われたときは期待を裏切ってしまった罪悪感で一杯でした。

私の場合の流れとしてはギリギリに追い詰められた状態での「行きたくない」で翌日も何があっても絶対行かねえぞって感じの態度だったので、それで異常性を感じ取ってもらえたからすんなり休ませてもらえたのかなと思います。なので、開き直って今の自分の心情を親に全て素直に言ったほうがいいと思います自分友達がいないこととか、学校が辛いことを親に伝えるのはとてもしんどいですが、それを我慢して学校に行き続けると更に辛いことになると思います。見て見ぬふりはよくないです。

親に伝えるのか悩んでたり、学校に行くのはしんどいけどまだギリギリ我慢できてるって場合でも、とりあえず一旦は「行きたくない」ってことを伝えておいたほうがいいです。冗談っぽくでもいいので。それと、カウンセラーなど第三者にも話してみましょう。自分が今他人から見てどういう状況になっているのか知ったほうがいいと思います

親が休ませてくれない場合学校行くふりして別の場所図書館等)に行くのがベストでしょうか。過保護な親だと学校まで送りそうですが、そこまでやられたら先生相談するしかないですね…。

不登校開始後

不登校後、どうやって生きていくのかというのは皆気になるところだと思います

簡潔に書くと、私の場合不登校引きこもり中学時代)→カウンセリング高校留学大学日本)という流れでした。

不登校を始めた直後は外に出る精神的元気も無いと思うので、ゆっくりしたらいいと思います。親が不機嫌になったり悲しんでたり家の中の雰囲気最悪でゆっくりできないかもしれないですけど、私は自分の部屋に引きこもって一日中ネットやってました。にちゃんのまとめブログ読んでたんですけど、あれは良くなかったですね…。まあ何であれ自分が楽しめることをしたらいいと思います。したらいいって言われても親が許さな場合は……どうしたらいいんでしょうね…。どうやったら親に理解してもらえるか、誰かに聞いてみたりましょうか。

私の場合は、不登校から数ヶ月後にカウンセリングに通い始めました。私が精神的に回復していったのはカウンセラーによるものが大きいと思っています。私が不登校になったことで家族は皆暗い顔をしていて、会話も淀んでいたのですが、そんな中でそれとは関係ない第三者と会話ができたのはとても良かったです。

高校留学についてはあんまり参考になるかわからないのですが、不登校学生を専門にした留学斡旋会社というのがあって、その会社を利用して留学しました。当時のレートで年間300万くらいだったと思います学校に通う元気が戻ってきた頃に色々調べて(親が)、不登校からでも通える高校もあることを知りました。なので、多くはないですが留学以外にも通える高校はあると思います(ここ全然具体的じゃなくてすみません……)。今の日本社会だと高校は出ておいたほうが将来苦労しないと思うので、元気になったら高校には通ったほうがいいかなあと思います。でもまずは元気になることが先ですけど。

不登校っていうのは、学校に通っていないという事実よりも学校に通えない精神状態であるっていうことのほうが深刻な問題だと思っています。だから学校に戻るために元気にならなきゃっていう思考をするよりも、学校云々は置いておいてとりあえず元気になろうと思うことが大事だと思います

うちの親は不登校に当初理解はなかったものの沢山勉強してくれて、私が元気になるサポートを沢山してくれました。そうでない家庭は、親も子供も大変だと思います。でも、自分が元気になることを諦めないでください。誰かに相談してください。

「逃げていい」の一歩先のことをそろそろ書かないとなと思って逃げた私の経験を書いたんですけど、いざ書いてみると何を書けば良いのかわからなくて内容が乱雑になってしまいました。あと不登校前後のことってあんまり覚えてないんですよね……。参考にならなかったらごめんなさい。

匿名相談したい人向けに私のメールアドレス乗せておこうと思ったんですが増田ってメルアド乗せていいんですかね。調べてもわからなかったんでとりあえず書かないでおきます

https://anond.hatelabo.jp/20170831061332

費用がすげえかかるってのに躊躇するのはすげえ分かるわ

はてなーって馬鹿の一つ覚えで心療内科に行けカウンセリングに行けとか他人事のようにいうが、

費用負担がどんだけ馬鹿にならないかってわからないすっげえ馬鹿の集まりだよな

2017-08-28

超低容量ピル摂食障害が治った話

需要あるかわからないが、TLが摂食障害で賑わっているので書く。

簡潔に書くとこう。

17歳 摂食障害発症過食嘔吐。とくに生理前がひどくなる)

23PMSPMDDがあまりにもひどくなり、ピル(低容量)を服用。副作用過食嘔吐さら悪化死ぬかと思ったピルは1ヶ月経たないうちに中止。

33歳 おそるおそる超低容量ピルを服用。過食衝動がおさまる。食事普通に取れる。

現在 超低容量ピルを服用して約1年半ほど。ほとんど過食衝動が出ません。かろうじて生理前になるとわずかに起きる。

※低容量ピルと、超低容量(ULD)ピルは別物で、配合されているホルモン量が違う。超低容量ピルは、副作用をぎりぎりまで抑えて作られたピルのため、避妊効果不明

以下、思ったことを書くので、読みたい方は読んで欲しい

摂食障害は、精神の病であると同時に、人間関係の病、そしてホルモンの病だと思う。

生理前は多くの女性が食べる量が多くなり、過食におちいりやすくなる。生理前だけは食欲が異常になる人も多い。

・低容量のピルを飲んだとき副作用はすさまじかった。過食衝動につねに襲われている感じ。あっというまに3キロ太った。ただ太るんじゃなくて体の線がめちゃくちゃ丸くて、まるで土偶みたいになった。ものすごい嫌悪感

・低容量ピルだとホルモン量が多すぎた?超低容量では問題ほとんどなかった。

・糖分中毒のような状態だった。ピルを飲み始めてしばらくして、糖質制限を始めたのもよかったかも。

嘔吐して食べ物が出きった時の快感がすごかった。脳内ホルモンバドバ出てる。これのせいでやみつきになる人がいる。

嘔吐すると体が一気におかしくなる。胃もおかしくなるので、次の食事でまた吐かないとムカムカしてくる。胃が弱っていて、食べ物をうまく消化できなくなって戻すという状態にもなっていく。

摂食障害の人がもとからそうなのか、それとも障害によっておちいるのかはわからないが、自己のボディイメージ現実との乖離がすさまじかった。

自分の中では自分もっと華奢なイメージを持っていた。現実骨太い骨格をしていて、痩せれば痩せるほど骨が太いことが浮き彫りになった。というか骨が太いから頑張っても頑張ってもなかなか痩せた感じにならないんだよね。自分の中にある、華奢な自己ボディイメージに体を近づけるべく必死だった。もともとの骨格が華奢なタイプだったら摂食障害になっていないかもしれない。

摂食障害がひどいとき自己の肉体への違和感がすさまじかった。低容量ピルときもそう。意に反してモリモリと丸くなっていく体が気持ち悪くて仕方なかった。

・年齢が若いときのほうが過食衝動がひどかった。内側からリガリと体を掻かれて、いてもたってもいられなくなるような突き上げてくる衝動という感じだった。歳を取るにつれて衝動が軽くなってきた感じがする。これもホルモン作用だと個人的には思う。

病院には行っていた。精神科にもカウンセリングにも自助グループにも行った。なにもかも意味がなかった。超低容量ピルで、やっと普通食事ができるようになった。

ブコメを読んだけれど、自分場合たまたまホルモン関係性の深い摂食障害だったのかもしれない。ホルモンバランスが整ったことでストンと憑き物が落ちたように過食が消えた。ただ他の人も同じようになるかはまったくわからない。ここは注意すべきところだと思います。ご指摘ありがとうございます

以上です。

2017-08-21

カウンセリングという名の雑談

カウンセリングを週一で受ける事になった。

先週が1回目だったが、雑談しかしなかった。

メンヘラな女は単におしゃべりする相手必要なんだろうとでも思われてるのだろうか。

から質問をしても、アドバイスなどは返ってこず。

しまいには、海外旅行とか留学でもしてみたら、といいかげんな発言笑顔でしてくる。

私も、いいですね、なんて適当なことを笑顔で返す。

正直、無意味しか感じない。

カウンセリングを受けるのはこれで3箇所目。

医療費免除申請もしたし、ここで最後にしたいと思っていたが無理かもしれん。

つらい。

2017-08-13

https://anond.hatelabo.jp/20170812154625

悪者レイプ犯人だよ、間違えないで。

もし、あなた友達がまったく同じ目にあったらあなたは、友達を責めますか?責めないでしょう。

どうかちゃんとした場所で、カウンセリングをうけてください。

いのちの電話も、プロカウンセリングではない場合があります

精神科も、合う先生、合わない先生がいます

できれば、ブコメにあった

レイプクライシスセンターの窓口をご紹介します。 http://www.crisiscenter-tsubomi.com 助けになる人と出会えることを願っています

を参考にして欲しい。

2017-08-11

婚活パーティは良質なカウンセリングだ。迷える子羊共はとりあえず行こう。

この前、初めて婚活パーティ的なものに行った。

正直ピンとくる人には会えなかったけれど、人生プラス体験だったので、要点をシェアしたい。

自分がどういう視点で異性を「選ぶ」のかの傾向が見える

自分が行った婚活パーティでは、会の最後に気になった人の名前を所定のシートに書く時間があった。

ピンとこなくても書かないのはナシと指示があり、かつ全員の名前を書くのはナシと言われたからには、誰かを選ばなくてはならない。

今回の自分はここで消去法に頼ることになってしまったのだが、それでもそのとき、心の中に「選ぶ」基準があることを意識させられた。

少なくとも自分は、肌が荒れていないこと、前のめりすぎないこと、会話中にスマホをいじらないこと、などが重要らしい。

あと指だ。指がきれいな人がいい。

日常雑談で「好きなタイプは?」と聞かれても無難に回答してしまうが、ここではそうともいかず、普段意識していない基準を浮き彫りにすることができる。

自分の好みを言語化し、今後その基準を満たす異性と出会う機会を増やすための基準を得ることができるというわけだ。これは参加する回数だけ精度が上がるのではないだろうか。

…ここまで書いて気付いてしまったが、あまりに多く婚活パーティに参加してしまった人は、ある意味自分基準がハッキリしすぎてしまい、それに縛られるがゆえにうまくいかなくなるということもあるのかもしれない。

いいこともあるけど、ほどほどにしておいたほうがいいかも。

先日、異性の友人と別れた

異性の友人と別れた。

10年以上も付き合った友人である

みなは恋人同士になるだろうと噂していたが、結果は友人どまりだった。

安いレストランや友人好みの場所で逢うことが多かった。趣味会社愚痴しかはなさなかった。大人玩具プレゼントしてくれた。けれど、自分の唇やプライベートゾーンには一切触れようとせず、友人も触れさせようとはしなかった。

時期がくれば触れさせるよな、とは思っていたが、別れは一瞬に訪れた。

自分精神不安定ぶりを友人にぶつけた時に

「そんなに大変なら専門のとこでカウンセリング受けたら?」

その一言で友人関係は終わった。

カウンセラーのとこじゃなくお前がなんとかしろよ!友人なんだろ!

未だに精神不安定は続いている。

友人が一人いなくなっただけで不安定は続くもんなんだな。人間関係大切。

2017-08-09

https://anond.hatelabo.jp/20170809164200

障害が先にあって特徴を当てはめているんじゃないんだよ。

ある特徴が社会生活を営む上で不都合であればそれは障害なんだよ。

働きたいのに労働意欲が湧かない、無気力で動けなくて困っている、というのが鬱病

「金がたくさんあるから働かなくてもいい」というのは困っているわけではないか障害とは認定されないし、

「幼いころから貧乏暮しで人生を諦めている」とかも本人がそれでいいと思っているなら障害とは見做されない。

あるいは「貧乏から勉強できない」という状態貧困と呼ばれて補助されるし、

貧乏時代記憶フラッシュバックして日常生活に支障がある」とかならPTSDなどと診断されてカウンセリングが行われる。

2017-08-08

流れてきて8年目になった

中学校の成績は中の上ぐらいで、友達受験する普通高校合格する自信が無かったから、兄弟が通っていた実業高校を選んだ。県内でも下から数えた方が早いくら偏差値が低くて、自分学力でも余裕でやっていけそうだと思った。履歴書に書けないような検定・資格試験対策がメインだったけど、ゲームクリアするような感覚で楽しかった。少し頑張れば常に成績はトップだった。卒業後の進路は先生に進められるまま、地元国公立大学受験した。もちろん正面からセンター試験突破できるような学力はなかったので、推薦を受けて合格した。

入学してしばらくは講義を真面目に受けて、分からないことは教授質問しに行って、必死に食らいついていた。学科の先輩たちとの勉強会にも頻繁に参加して、大学って楽しいと思っていた。でも1年後期には、講義を受けるだけでは追いつかなくなって、質問をしても返ってくる答えの意味理解できなくなった。基礎学力があまりにも足りないんだとようやく気づいた。でもまだ1年後期だし、今から勉強すれば遅くないと思っていた。そして学力不足を補うことができないまま大学3年になって、単位を落とすことはなかったけど評価は散々だった。

大学3年になると研究が始まって、ただ講義を受けてレポートを出せばいいってわけじゃなくなった。自分で考えて研究を進めないといけないのに、今まで受け身でしか物事を考えてこなかったから何をしたらいいのか全く思いつかなかった。ゼミに入って進捗報告を求められてもその場しのぎの報告しかできなくて、どんどん切羽詰まっていった。

大学4年になって、卒業研究中間発表の時期がきても状況は変わらなかった。その頃から文章が読めなくなったり、思考停止が著しくなってきて変だなと思った。でも自分がサボってきたツケが回ってきたのだと思うことにした。そのうち熱が下がらなくなり、身体が痛み、起きられなくなった。風邪だと思って病院に行ったら精神科受診を勧められた。うつ病だった。休学を勧められたけど、中学ぶりに自分で頑張ったと思えた院試合格内定無駄にしたくなくて、薬を飲みながら大学には通い続けた。どうにかお粗末すぎる論文を書き上げ、卒業はできたけどもう限界だった。

でも環境が変われば体調も良くなると思って、そのまま院進した。大学とは少し違った講義スタイルで、友達にも恵まれてしばらくは元気に過ごすことができた。でもやっぱり学力不足とお粗末な論文を書いた研究の続きをやらなくてはいけないという不甲斐なさは消えず、体調はだんだん悪くなった。夏休みに入る頃にはまた起きられない日も増えて、研究活動は一旦休み、履修している講義単位を取ることだけに集中した。そして、同期が就活を始めたのを知って心がぽっきり折れた。こんなボロボロ状態ではこの先やっていけないと、ようやく決心がついて後期の休学を決めた。

研究から離れると気が楽になって、体調もかなり良くなった。カウンセリングを受けて、研究に対する考えを整理したのも良かったのかもしれない。1年間の休学を終えて、復学後は研究テーマを変えて少しずつ作業ができるようになっていた。でもそれは長く続かず、最近また何も手につかないことが増えた。前みたいに体調が悪いわけではなく、ただただやる気が起きない。タスクを書き出して細分化したうちの1つも満足に終わらせられない。

そもそも僕は勉学に自信がなかったのに、いつの間にそれを自分がやりたいことだと思い込んでしまったんだろう。今研究している分野も高校でやっていたことの延長線で、本当にやりたかったとは到底思えない。院進した理由も、就活が上手くいく自信が無かったからで、研究がしたいという嘘の理由を作って不安から逃げていただけに過ぎない。僕は自分自分の首を締めることを選んできたことに向き合うまでに、あまりにも時間をかけてしまった。

またしばらく研究活動を休むことにした。自分の今後の進路について、今度こそしっかり考えようと思う。逃げや甘えだと言われるのは分かっている。全て努力不足が招いた結果だとはっきりと分かる。だからこそ、何を言われても否定せず、逃げずに自分に向き合うことが、今できる最善の手段だと思う。8年間流れるままだった自分選択を、次こそは自分で決めたと断言できるようになりたい。

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