はてなキーワード: 妖精とは
師走の喧騒、スクランブル交差点の渦。信号待ちの人波に揉まれ、灰色に染まった空を見上げた。「サルの魂」は、焦燥感に胸を締め付けられていた。バナナの皮ですべって転んだ日から、どうもツイていない。仕事は山積み、財布は空っぽ、恋人には振られた。ああ、今年も終わりか。ため息が白い吐息となって消えた。
その時、視界の端に鮮やかなピンクが飛び込んできた。風船のように軽やかにスキップする「阿呆の魂」。鼻歌を歌いながら、落とした手袋を拾い、誰かにプレゼントするチョコレートを吟味している。その無邪気な姿に、「サルの魂」は思わず目を奪われた。まるでクリスマスの妖精みたいだ。
「いいなぁ、あんな風に何も考えずに生きていけたら」
呟いた言葉は、騒音にかき消された。でも、「阿呆の魂」はまるで聞こえたかのように、くるりと振り返り、「サルの魂」に満面の笑みを向けた。
唐突な言葉に、「サルの魂」は面食らった。素敵なマフラー?十年選手で毛玉だらけの、ただの赤いマフラーだ。でも、その笑顔はあまりにも眩しくて、思わず口角が上がった。
「あ、どうも…」
それから、二つの魂は一緒に歩き始めた。阿呆の魂は、道端に咲く小さな花に感動し、ショーウィンドウの子犬に心を奪われ、行き交う人々に笑顔を振りまいていた。その純粋な喜びに、「サルの魂」の凍てついた心が少しずつ溶けていくのを感じた。
焼き芋の甘い香りに誘われ、屋台に並んで温かい芋を頬張る。阿呆の魂は、半分に割った芋を「サルの魂」に差し出した。
「はい、あーん!」
子供みたいな仕草に苦笑しながらも、「サルの魂」は芋を受け取った。ホクホクとした温かさが、体だけでなく心まで温めてくれる。
何でもない、小さな幸せ。でも、それが今、「サルの魂」にはかけがえのないものに思えた。師走の冷たい風が、少しだけ優しく感じられた。来年は、きっと良い年になる。そんな予感がした。
(暗い部屋の中で、力なく座っている)
「ああ……また、人生って何なんだろうなぁ……」
(テーブルの上にジャイアントカプリコが山積み)
「この甘さだけが、唯一の救いなんだよ……」
(手に取って、かじる)
「おいしい……。でも、虚しい……」
(次々とカプリコを口に入れながら、切なそうにため息をつく)
「なぁ、カプリコ。お前だけが、俺を理解してくれるのか……?」
(最後の一口を口に入れて、じっと空っぽのパッケージを見つめる)
「結局、満たされないんだよな……」
(また次のカプリコに手を伸ばす)
「もう、止められないんだ……カプリコが無くなるまで……」
(カプリコに手を伸ばした瞬間、キラキラと光がはじけ、目の前に小さな妖精が現れる)
「やっほー!私はカプリコの妖精、カプリーナ!元気ないから出てきちゃった!」
「…え、妖精?」
「そう!これから私があんたをハッピーにしてあげるんだから、覚悟してよね!」
(カプリーナは彼の部屋をピンクのハートやリボンで飾り始める)
「え、待って!なんだこのドタバタ感…」
「楽しんで!恋も友情も、甘さもぜーんぶ私に任せなさい!」
いや、妖精もいる。よく見ろ
○ご飯
朝:サンドイッチ。昼:キャベツ、椎茸、人参の中華風スープ。夜:キャベツ、人参、しめじ、ウインナーのコンソメスープ。ねぎたまごうどん。トマト。バナナ。ヨーグルト。間食:アイス。柿の種。チョコ。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
まあ残りの十賢者ガイゼンボーガーとロベリアは急ぐことないから気長にやるか。
どっかでシエテやアガスティアも空くでしょ。(アガスティアは妖精のドロ率悪いから空かなそうだけど)
○ポケットモンスター銀(NPC交換ポケモンおよびひきゃくとネッシー旅)
今の手持ちは、イワークのブルブル、ワンリキーのきんにく、オニスズメのひきゃくの三匹。
きんにく強いなあ。アカネがサクッと倒せた。
○ご飯
朝:なし。昼:マクド。夜:キャベツ、人参、椎茸、餃子の鍋。たまごネギ梅干しおじや。間食:なし。
○調子
むきゅーはややー。おしごとはおやすみー。
平日はあんまり遊べてないので久々にガッツリグラブルを遊んだ。
復刻イベント周回、CPクエ周回、サイドストーリーガチャチケ周回、砂箱周回と周回ばっかりしてた。
フラウを最終。
これで十賢者は8人を最終したので、残りガイゼンとロベリアの2人。
ニューワールドクォーツはあるものの、砂がないので次はレヴァンスを周回。
早速最終したフラウを使うためにシエテHLで試し切り。
フルオートで4ターン〆ができる上に、手動すれば10%以降の残業も出来るハイブリッド型が組めたので満足。
しかし大混雑してて入室すらできないので、空くまでは別の属性やってよう。
アガスティアもかなり安定した編成組めてるんだけど混んでるから、ディアスポラかムゲンの2択かなあ。
これシエテは風古戦場対策、アガスティアは妖精ドロップと混んでる理由わかるけど、ディアスポラは盾ドロップで混んでないの少し不思議だ。
それと、砂箱外伝のついでに十天衆の超越もエッセル150、ソーン150にした。
超越の進捗はエッセル、ニオ、オクトー、シエテ、シス、サラーサ、ソーンが150。フュンフ、カトル、ウーノが120。
青紙は無いので当分はここから進捗無い感じだ。
一切の脈絡が皆無。ネタバレも全部する。思い出した順に書く。たまに自分語りも遠慮なくしてる。全部乱文。
一応高校〜大学でずっとラヴェルを弾いていた身なので、伝記的要素を含む部分についてはほとんどが「史実により既知」であり、8割がたネタバレを喰らっている状態。その中で「例えシナリオが外れても、余程地雷を踏まない限り彼作曲の音楽がずっと流れてるっぽいからそっちで楽しめるしな」という期待半分、保険半分。
結果としては大当たりだったけど。
初っ端から病気(史実)。開始10分程度でサラッと彼のバックグラウンドとルーツのおさらい。ローマ大賞の落選。「お母様はスペイン?いえ、バスク人です」。15分で作曲依頼を受けるスピーディー加減。ラヴェルがちゃんと包み隠さないマザコン(史実)。時代設定的に正しい、遠慮のないタバコ演出。モクモクしてない時がないのでは?
音の演出。「全てがリズムから始まる(トントトトン)」がキーワードで、机を叩く指、時計の秒針(規則正しく、まるで体に染み込ませるかのような1秒刻みを60回)、教会の鐘の音、ザーザーという雨音エトセトラ、エトセトラ。猫が布を引っ掻く音、床の軋み、風、そういったありとあらゆる身の回りの生活音からすら、「音」とインスピレーションを拾おうとする彼が印象的。
何より工場の機械音、壮大で、規則正しく、統一感があって、それで彼のルーツにも関わるもの。彼のお父様は確か工場の技師ではなかったか...。
音楽の使い方、そのメリハリ。基本的に何かしらの形で音(音楽、ラヴェルが自分で弾くピアノも含)が流れているところ、母親の葬式の間に「マ・メール・ロア 妖精の国」が流れて、納棺したらしばし「完全な」無音。遺品を眺めている間とか。彼は、母親が亡くなってから意気消沈して数年間音符を譜面に置くことができなかったと聞いているので、あの「完全な無音」がそれを表しているのかも。
ちなみにこの曲は私も大好きな曲。音響の関係なのかそれとも本当に演奏がそうだったのかわからないけど、薄いシルクを何層にも重ねた向こう側から星を拾おうとする感じの繊細な音の「揺らぎ」があって、タイトルに場面にも相応しく儚くて、もしかしたら今まで聞いた中で一番好きな演奏かもしれないと思った。
あらすじの面。基本的に史実を派手に脚色したりすることのない、極めて「元ネタに忠実」で誠実なパターン。
メインキャラのミシアはラヴェルにとってのミューズ的な存在として描かれていて、まあ実際そうとしか言いようのない感じ。双方ラインを引いていて、その中でミシアは彼女にできる精一杯でラヴェルに近づいて彼の芸術を後押ししていた印象。ボレロを「良い曲だから、ぜひ外に出して」というあたりなど顕著。
ラヴェル→ミシアは、ある意味「敬虔」に近い崇拝の仕方をしていたと思う。キスじゃなくて曲を書いて捧げたいという思考回路。それが彼にできる精一杯の愛情表現?
物語の終盤で彼がミシアに「少しは愛していた?」と聞いたら「もっとずっと」って返ってきたのはあまりにも切なすぎないか。それに対して無言で呆然とするラヴェル。病気のせいもあってすでに一人老け込んでしまって、記憶障害も失語症もある中で、なんとか断片を拾い集めて、「少しは愛していた?」と問うのはミシアにとっても少し残酷だし、まあ割と「今更気がついたの?」みたいな面もある。そして「その拾い集めた断片であなたがようやく認識したものよりも、もっと、ずっと」ということなのだから。
命の終盤で知るには手遅れ感が、もう取り戻せないもののような感じが強い。
少なくとも二人は恋人になって一般的な恋人たちが踏む手順を全て踏みに行く「愛」じゃなくて、もっとこう、違うんだよね。詩的な感じがある。
あと、作中でミシア、マルグリット、イダ、マダム・ルヴロが4方向から、それぞれがそれぞれにできる「母親」的役割をしていたもの中々面白かった。
多分、一人でも欠けてたら色々もっと難しかったねと思う。作曲も、人生も。
だって、誰が「エナメルの靴がなかったら指揮できないです」ってなると思うねん。ルヴロ婦人めっちゃ爆走して靴だけ届けにきてたよ。
【ちょっと残念だったところ】
寂しかったともいう。従軍(といっても病弱により医療班・運転手)したところはしっかり描かれてたけど、それがきっかけで書かれた「クープラン」への言及が皆無。
【結局ボレロって】
作中でも「初っ端から病気」ラヴェル、病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に作曲した(ほぼ晩年の遺作扱い)のが「ボレロ」なのであんな真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を、一体何を考えながら書いたんだろうってずっと思ってたら10年くらい経った気がする。
そしたら今回の映画ですわ。...って話。
大学生の時にモダンダンスの授業があって、そのレポートで私がテーマにしたのもラヴェルの「ボレロ」と作中でも踊られていたバレエだった。(もっとも私が題材にしたのはシルヴィ・ギエムのバレエなので、今回の映画内のものとは相違あるが...)(しかも「踊りだけ」に集中してレポートを書けばいいものを、余計に音楽に割いた文量が多かったために若干の減点を喰らっている。)
舞台は酒場の円卓、官能的な踊りを披露する踊り子と、周りを囲んで踊る男性たち。実際(これも映画内で言及あったが)絶妙なエロティックさがあるのだけれど、どちらかというと「存在の主張」をするかのように体を余すことなく使う振り付け(それ以前のバレエ作品というと「この世のものではないかのような舞」が多いので、その対照的位置づけとして)。
曲の音程が徐々に下がっていく箇所でも「むしろあえて」手を高くあげ、足を振り上げ、天井を見つめるような独特の「極めて原初的な生命力」のアピールを感じる踊り。スネアドラムの規則正しい音が、私たちの中にある何かを鼓舞しているように聞こえるまである。
去年、あの家を出る半月前くらい。引っ越す引っ越さないみたいな話で親と大揉めに揉めたら、仕事から帰ったあと19時くらいに追い出されて12時半くらいに入れてもらえるまで3センチヒールの靴で12キロとか歩いたことがある。(昨今話題になった狂歩に近い感覚。この場合、時間帯が時間帯なので、落ち着いて座る場所がなかったのも原因の一つだけど...)
その時、夜露が降った時間帯に濡れながら聞いたのも「ボレロ」だったな...という遠い思い出。何もかもがしんどくて仕方がなかった時に「規則正しく徐々にクレッシェンドに向かって、やがて崩壊する」音楽に救われたのは、私の人生の中で無視できないと言っても過言ではないと思う。
...夜露に濡れて、住宅地は灯りもまばらで暗くて、あんな時間帯に歩いている人なんかいなくて、ボレロがイヤホンから流れたときはすごい泣いてたけど、それでも、
規則正しいスネアドラムに引きづられるように、ヒールの靴できちんと歩いた。あの曲が最後「噴火するかのように」崩壊するのと同じように、私も「あの家の暮らしを終わらせてやる」と誓ったのを覚えている。
あれを思い出すたび、私はいつも冒頭の問いに戻る。
「病気になって体が上手く効かなくなり始めた頃に、なんで真っ直ぐ空に突き抜けるような物を、あんな堂々として力強い物を書けたんだろう、一体何を考えながら書いたんだろう。
そしてそれが100年以上経って私のような人間をある意味で救ったなら、あの曲の持つ力ってなんなんだろう」
まあ、考えながらというか...今日見た映画だと割と「メロディをふり絞ってた」けど...笑
ちなみに「同じリズムの繰り返し、催眠のよう」と映画内で言及があった。「確かに!」である。
少なくとも今日、私は「一つの解釈」を見ることができて非常に満足。
史実ラヴェル、脳の手術時に脳みそに生理食塩水をぶち込まれて四日後くらいに亡くなるわけで...。ナレ死とかやだなーって思ってたら。
手術する病院に行く車に乗り込むあたりからかかっていたのが、ボレロだった。
なんと、作中通して詩的なエロティックさ、生命力の象徴として描かれ扱われ、私たちに散々見せつけてきたあの「ボレロ」が
(本人や友人たちは知りようもないが、ラヴェルの最期を知ってる観客にはわかってしまう)死にに行く道中の、「葬 送 曲」になったのである。
「ラヴェルさん、靴をお忘れです!」「今はいいよ、後で届けてくれるかい」の会話すら、もはや「処刑場へ向かう馬車に乗る直前の風景」に見えるまである。
まさかラヴェル手術後の死に顔に登場人物たちのリフレインと一緒にボレロを聴くハメになるなんて、思ってもいないです。
最後は彼の亡霊のように、若く蘇ったラヴェルが指揮をふります。
自分も戦隊にハマった初期の頃は昭和の戦隊はピンクの女ばっかとかイエローはデブでカレーが好きという偏見があった(過去の戦隊全部載ってる雑誌買ってからその偏見は捨てたが)
でも流石に女はピンクならともかく女はサポートって偏見はなかった
戦隊もののサポート役って変身できる戦隊メンバーというより秘密基地用意したり戦隊が使う武器のメンテしたり敵を見つけたりしてる謎組織のメカニックとか異世界の妖精とかのパターンが多いと思う
中にはサポーター役が追加戦士になったり戦士が武器作ったりしてる戦隊もあるけどそういう人もバトル時は変身して一緒に戦うからサポートに徹することはない