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はてなキーワード: 葬式とは

2023-09-24

 (1) 延岡にはSNSがない、バクサイというのは誰が書いてるのか分からない

 (2) A-COOPは昔日に面影もなく、相当前につぶれた。しかし、俺がくろはね警察署を出てきて走っているときにはやっていたように思う。

 (3) ねーぞ、お前がおるからやりよるだけぞ、と言われた。しかしなにをやりよるといっているのかは分からなかった。

 (4) 加藤恵子が亡くなったかどうかは分からない。令和3年に東京で出てきたので

 (5) 亡くなったというのは葬式が終了しているのをいうと解されるが、延岡は確かに誰もいないし全員死んだのではないかというような様相だが、人間がいないわけではないだろう。

 (6) 黒羽警察署を出ていてから走っているときに、10年前のことになるが、お前がやるのか、という声が延岡消防署から聞こえてきた

 (7) しかしその当時に俺の行動を制御していたのは10工場陰謀で、何を言ってるのか分からなかった。

 (8)  結論 不合理に過ぎる

2023-09-23

anond:20230923113803

そのうちそういう何が適切かとか葬式香典の額とかばっかりになるから今のうち桜花しとけ

anond:20230923001225

いまでもだいたい宗教だよ。お宮参り、七五三結婚式葬式墓参り法事初詣、などなど

2023-09-21

人の死の距離感

人の死の距離感

先日仕事で関わっている方が突然亡くなった。

残された家族の方の悲しみは相当なものだと思う。

ただ、私にとっては「辛いんだな可哀想」と想像することはできるけど、所詮人の悲しみ具合は他人にはわからない。

世間体があるから香典も出すし通夜葬式には出席するけど、本心ではお金出したくないし、自分時間が削られるのも正直いやだ。

自分家族が亡くなれば、それは大変悲しい。家族喪失は考えたくもない。

でも、それは私の悲しみであって、誰かに悲しんでもらおうという気持ちは全くない。

しろ、しばらく距離置いてくれただけの方がありがたい。

香典なんかもいらない。

冷淡なのかな、私。

2023-09-18

子供部屋叔父さんがいるおばあちゃん

先日、おばあちゃんが死んだ。

おばあちゃんは孫の自分にとても優しくて大好きなのだが、同居している叔父さんが大の苦手だった。

おばあちゃんの家は実家から近い場所にあったが、いつ叔父さんがいるかからなくてなかなか行かないうちにいなくなってしまった。

自分が行き渋る原因になった叔父さんが苦手で嫌いだ。

いつもタバコを吸っていて臭いし、居合わせときは必ずと言っていいほど競馬新聞テレビ文句を言っていて怖い。

くだらないことで怒鳴り散らかされたときは本当に気分が悪かった。

から、長い間会っていないとはいえおばあちゃん葬式に行くのも苦痛だった。

叔父さんは葬式にどんな顔をしてくるんだろうか。泣いているのか、はたまた怒っているのか。

複雑な気持ちで向かったセレモニーホールにいた叔父さんは真っ白だった。

黒々としていた髪も、常に暗い熱を持った表情も真っ白だった。

たまたま同じタイミング廊下に出た叔父さんはくたびれた笑顔で「腰やっちゃったよ」とだけ言った。

正直それを言われた時はおばあちゃんが死んだ一報を聞いた時よりどうしたらいいかからなくなった。

いつから叔父さんは真っ白になったんだろうとか、怖い叔父さんに怯えていた時期はなんだったんだろうとか、今もまだ少し考えてしまう。

2023-09-15

激冷めな俺が父親の「死にたい」に放つ言葉

俺「やり残したこととかないの?」

父「ない。みんなよく育ってくれた。」

俺「そう。やり残したことなく死ねるなら最高じゃん。俺もそうなりたい。」

父は実家に帰るたび「死にたい」と漏らすようになった。

会社定年退職後、家にこもるようになる。

死ぬ3年ほど前から、ストゼロキングピースで昼夜自傷行為のたしなんでいた。

同居する母は父を慰め、病院への通院をすすめていた。

強く支えようとするほど希死念慮は強くなり、ゾンビのようになっていった。

アイコスやウォーキングマシンプレゼントしてみたが、実家に帰るときれいなままホコリかぶっていた。

一緒に飲んで慰めてみたが、俺の気持ちは落ち着くが、父には何の効果もなかった。

本当は生きたい事は分かっていた。

けど相手無意識を健在化させ、死にたい病を治療する術は俺にない。

ある時から父を生かそうとすることを諦めた。

会うたびに、父に感謝手紙を書いて読み上げたり、一緒に飲みに行って父との思い出話をしたり。

死んだとき自分気持ちが収まるよう父を使った。

それから1年も経たず、大動脈破裂で亡くなった。

から死んだと聞かされた時、自殺でないことに驚いた。

葬式

準備が始まったが全く悲しくなかった。

死ぬ前に感謝言葉も伝えれたし、完璧に立ち回った。

式はそつなくこなせればいい。

ただ、葬儀に来る人の事を考えた。

(みんな時間と金を使って悲しい気持ち体験しに来る。来てよかったと感じてもらいたい)

俺が泣けないのは仕方ないとして、父の死を気にしてない感じだと顧客満足度は上がらない。

せめてもの思いで、喪主挨拶でみんなが感動するような文章を書いた。

俺が幼少期のエピソード仕事が大変だったのに家族にこんな風に尽くしてくれた → 急な死で悲しいの構成

式当日、覚えるのはめんどくさいので紙に書いて胸ポケットに入れていた。

喪主挨拶の番、それを広げ、一行目。

「私がいちばん幼い時の父の記憶は、父が・・・

眼が潤ってきた。

(あれ?字読めないじゃん)

「抱っこしてくれた目の前に父の笑顔があり、タバコ臭・・・

またたく間にダム決壊して顔がぐしゃぐしゃになった。

そこから先は早口で全く何を言っていたかからなかったらしい(参列者談)

2023-09-14

よその家で立て続けにそこのご姉妹が亡くなったんだが、そしたらそれを聞いた義母が「呼ばれちゃったんだね」とか言ったので、それを聞いて心底不愉快で気分が悪くなった。

「先に死んだ人間が血の繋がった家族呪い殺した」とか言ってるようなもんじゃん?なんでそんな無神経で死んだ人を冒瀆するような事が言えるんだ???葬式に行ってそれを遺族に直接言ってぶん殴られてこいよ。最悪過ぎる

2023-09-12

親父死んだらめんどくさいんだろうな

交友関係が謎だし親戚も多いし父方の家族が複雑だし無駄に顔広いし葬式に誰呼べばいいか全くわからん

貯金いくらあるのか知らんし相続的に心配なのに土地だの何持ってるかも教えないからめんどくせえ

自分まだ死なないとか思ってそうだけど糖尿やっててタバコぷかぷかしてんだから死ぬ時一気にいくだろバカ

タバコやめろ

おまけに口下手 終わってます 綺麗にしてからいってくれ 頼むから

2023-09-11

親の葬式ってどうすんだろう

連絡先を知らないから親戚に知らせることがそもそも不可能

自分は付き合いないけど、実家の住所録とか探せば連絡つくのかな

だとしても死んだ当日に連絡するのは無理そう…

自分就職後に親も引っ越してるから親の家のどこに何があるのか分からない

困った困った…

2023-09-10

anond:20230910094951

葬式に来てくれる人が少なくて寂しいという感覚がよくわからない。

しろ自分葬式には誰も来て欲しくない。というかできるだけ人知れず静かにこの世を去りたい。

anond:20230909141017

俺の母親と妻がわりとそれに近い感じ。

妻は働いてるからそれで全然良いと思うけど、母親専業主婦から寂しい葬式になるだろうなと思ってる。

けど、親戚の集まり趣味習い事では周りと仲良くやっているみたいなので、そういう、人間関係社会的ポジションが決まっている場所で構築するタイプなんだろうと思ってる。

よく考えたら俺も仕事とか昔の学校部活とかが関係しない飲み会とかはやらんしな。◯◯部全員に声かけるとか、そういう感じの。

受け入れられない価値観の相違①

オカルト迷信を重視する】

これは俺自身科学的根拠のないことへの拒否感が人より高いのかもしれないけど、

合理性よりオカルトを優先されるとすごく納得がいかない。

具体的に言うと、

行事の日取りにおいて「仏滅」を嫌がって「大安」とかにしたがる(だいたい、費用が高くなる!)

・方角が悪いとかの理由家具などを利便性無視した配置にしたがる

これらはパートナーケンカになった一例のうち、俺のほうが正しいよな?と未だに思っている事例。

ただ、以下のような例は俺の方が極端なことを言ってるなと思ったので反省している。

・安いなら事故物件でもいい(物理的な問題がなければ)。気にするほうが無意味

自分が死んだら葬式やらないでほしいし臓器は全部提供してなんなら献体してほしい。

 

仏滅だの風水だのは未だにそんなもんに振り回されるのが我慢ならない。

方違えとか言って遠回りしていた平安貴族から何も進歩してないじゃんと思ってしまう。

額の多寡の違いだけで本質的統一教会霊感商法と変わらんのでは?と言ったら一緒にするなとキレられた。

別れるまではいかんが、後々まで尾を引きそうな価値観の相違。

2023-09-09

anond:20230908180212

鹿児島出身50代後半だが、30年前ぐらいの葬式ではそうやってた。

ただ、ご飯を盛って箸を突き立てた茶碗を霊柩車の横で地面にたたきつけて割ってた。

ここ5年ぐらいの自分の両親の時はもうやらなかった。

anond:20230908180212

京都に25年住んでたけど初めて知った

葬式は3回出たけどそんときもそんな話聞いたことなかったな

2023-09-08

じいちゃん葬式で人の形の餅を食べた

記憶がおぼろげなのだが、大阪祖父葬式で、坊さんが四角い餅を包丁手際よく切って、人の形に置いて、体に戒名?的なもんを書いて、食べたような気がする。

その後大阪のばあちゃん葬式普通だったし、他の葬式でやったこと無いんだけど、あれは何だったんだろう。

anond:20230908193107

本当にその通り。

量産品を買ってくる消費者としての経験しかないやつらが調達仕事について舐めたこと言ってると、うんざりするんだよな。

お前らだって一軒家を買ったり結婚式葬式をやるとき、いいようにぼったくられてるじゃねーか。

競争なんてのは最低条件なんだよ。

それだけで安価で高品質ものが手に入るかっつーの。

ツァラトゥストラはかく語りき

葬式で流したい。

あの最高潮に盛り上がる瞬間に「あれ?もしかして生き返ったりする?」っていう謎の期待感を持たせたい。

 

ワイの世代ならUNICORNでもいいんだけど

たぶん親戚のおじさんおばさんはわかんないだろうしクラシックにしといた。

UNICORN流したら例の個所で「流れ変わったな」ってザワザワしてほしい。

2023-09-07

親父の葬式に実際にウルフルズの「バンザイ ~好きでよかった~」を流した

叔父さんが泣きながら「お前が自分で流すんかい」って言い出して

それを聞いた叔母が「死ぬまでハッピーって死んでもうてるやんか」って泣き出して

めちゃくちゃ会場が泣き笑いに包まれしまって

最後最後に親父やるやんか……ってちょっと泣いてしまった

2023-09-06

anond:20230906215056

好きな音楽流しながら好きな衣装で好みのインテリアでキメキメにした場所を練り歩くやつがやりたくて身内のみでレストランウェディングやったけど準備からずーっとめっちゃしかたから好みと予算問題だと思う

別に人に勧めることではないけど自分はやって良かったしやらなかったら後悔するからやった

今後は自分葬式プロデュースしたい

anond:20230906162131

中華屋も君の祖父も金に執着してないって意味では同じなんだよ

二人とも仕事を通じて承認欲求を得てるんだよ

いる業界によって報酬が違うってだけ

多分おっちゃんは店を閉めた時に、君の祖父葬式でわかるよ

いかお金以外のものを与えてもらっていたかということに

2023-09-05

父ちゃんが二人いた話

と言っても、複雑な家庭環境の話ではなく、単に仕事で不在がちな父親に代わって近居していたじいちゃん父親のような役割もしてくれたという話。

特に内容は無いけど、昨日の夜、なんとなく昔のことを思い出したのでダラダラと書いてみる。特に面白いオチはない。

 

俺の家は両親が共働きしてる地方公務員で、二人とも結構しかたか小学校から帰ると自宅のすぐ近くにある母方のじいちゃん家で晩御飯~お風呂までお世話になってた。自宅には夜寝るときと朝学校に行くまでいる感じで、俺にとってはじいちゃん家の方がよっぽど自宅という感覚だった。

じいちゃん市役所勤務を定年まで勤めあげ、当時は完全に隠居状態であり、ばあちゃんと一緒に趣味の畑仕事をしながら、俺の面倒を見てくれていた。

じいちゃんは孫の俺に甘々で、色白の俺に対して、もっと外で遊んで日焼けしろと言いながらも「色白は七難隠すといって」可愛がってくれた(この諺は女子に向かって使うものだと思うけど)。俺がピザポテト好きだと言えば毎日おやつピザポテトを用意してくれたり、晩御飯モスバーガー食べたいと言ったら軽トラ飛ばして買いに行ってくれたり、デパートに行ったら必ずおもちゃデパ地下の高いジェラートを買ってくれたりした。

 

俺もじいちゃんによく懐いていたし、じいちゃんはいつも近所の人に自慢してた。小学校の参観日に両親が仕事で来れなかったときはじいちゃんが来てくれた。

その時の授業は保護者似顔絵を書くというもので、なぜか俺はじいちゃんの来ていたジャンパーのファスナーを一生懸命書いたらそれが評価されて市の表彰を受けた(大した賞ではなかったけど)。じいちゃんはその話を近所の人によくしてたし、その時の似顔絵リビングテレビの真上に飾ってたので、いつも気恥ずかしかった思い出がある。

あと、じいちゃんは達筆で習字を教えてくれた。習字練習中は普段と違ってすごく厳しかった。でも、一生懸命教えてくれたおかげで身に付いた字の綺麗さは今でも人に褒められることがあるし、当時は習字表彰をたくさんもらっていた。

 

そんなじいちゃんだけど、俺が小学校高学年になったあたりから体調を崩すことが増え、人工透析にも通い始めるようになった。同時にばあちゃん認知症が発覚し、母さんが仕事セーブし始めて家のことを結構やるようになった記憶がある。中学生になってから部活で帰りが遅くなり、じいちゃん・ばあちゃんの夕食はデイサービス弁当配達(体調に配慮した低塩味付けのやつ)、俺は母さんや父さんが作った夕食を自分の家で食べることが多くなった。

俺が高校生になると、じいちゃんは家よりも病院入院している時間の方が長くなり、ばあちゃん認知症ケア老人ホームに入居した。

じいちゃんのお見舞いやばあちゃん老人ホーム訪問は月に2~3回は母さんと一緒に行っていた記憶がある。

 

最後にじいちゃんとあったのは高2の12月部活帰りに母親と一緒に入院しているじいちゃんのお見舞いに行ったとき

その時、じいちゃんは俺の手を取って「相変わらず色白で女の子みたいな手だな」と言って笑ってた。だけど俺からすると、大きいと思ってたじいちゃんの手はいつの間にかしわくちゃで変に黒ずんでいて冷たくて、昔のように無骨だけど大きくて温かい手じゃなくなっているのを見て、急に泣きそうになった。だけど、高校生にもなって急に泣き出すのは恥ずかしいと思い、必死で涙をこらえながら「そんなことないでしょ。部活で豆だらけだし、俺の手だって大きくなったんだぜ」と言い返すので精一杯だった。じいちゃんは笑ってた。

 

次の日の深夜、病院からじいちゃんが急死したと電話があった。なんとなくそんな予感はしていた。

でも、葬式では周りがビックリするぐらい泣いてしまった。今もこの日記を書きながら涙が止まらない。

きっと、じいちゃん父ちゃんだったんだと思う。

 

今でも何か文字を書くときはじいちゃんとの習字練習を思い出す。

俺も息子ができたが、もう少し大きくなったら習字を教えてあげようと思ってる。

文字の綺麗さとそれにまつわる思い出はいつでも思い出せるから、きっと大事財産になると思う。

2023-09-03

定年迎えて親の葬式出したらもう人生のゴールだということ

役割が何一つ残っていない

そりゃ孫ほしいわ

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