「葬式」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 葬式とは

2024-11-21

推しの子アクアが死ななければならないことへの説得力が薄いのと、ルビー描写がとにかく薄かったのがあかんかった気がする

ここらへんちゃんと描いてればだいぶ打ち切りエンド感はマシだったんじゃないかなー

聞くところによるとラストは作者が決めていた通りらしいから、やっぱり最初アクアルビーのW主人公でやるつもりだったんだろうなーとは思うんだよね

それが重曹あかねラブコメ路線話題になり始めたあたりから物語バランスが崩れて話の主軸がフラフラし始めたような気がする

ここらへんのアンバランスさはアクアが居なくなったことへの悲しみを重曹葬式で暴れさせて若干好感度下げてまでしっかり描いたのにルビーあかねナレーションダイジェストで纏められたあたりが顕著じゃないかルビーがアイを超えるアイドルになるくだりもなんかいつの間にか達成してたし

とにかくまあ先生方は連載お疲れさまでした

2024-11-12

玉木と不倫した女が女視点だと見るからヤバいっての見てたんだけど、他人の見た目に何か言うほうがヤバい!とか女の生き辛さは女が作ってる🥹とかいうてる的外れ花畑ババアジジイ?がわんさかわいてて笑う

服装自由っていうのは最低限クリアしたうえでの話なの 葬式ウェディングドレス着ていっていいですよって話じゃねーの

2024-11-10

anond:20241110125808

今のうちに10年後の何日に安楽死するって決めて

その10年後までに持ってる金を配分して使う

会社は辞めて趣味とか旅行に行って使い果たす

そんで人生満喫してスカッ死ぬ

ちょっと余ったらまあ甥っ子姪っ子に残してもいい

お宝保険葬式代三百万はそもそも出るけどまあ別に葬式はいらん

anond:20241109130717

田舎の早婚DQN選択が一番正しいね

その結果として30代で子ども2人マイホーム週末は庭でBBQ、50代で孫ができて若い頃はやんちゃしてた話で大笑いして晩年は孫の成長を眺め子どもたちに支えられ死んでいく

葬式ではDQN仲間が大勢やってきて香典葬式代がチャラになる

そういう生き方が一番理にかなってるんだよね

2024-11-09

次に親と会うのが多分どっちかの葬式なんだけど

どうしたもんかなと思っている

無職貯金食いつぶしてるの言ってないし親戚の顔も名前も連絡先も知らない

仮に仕事見つけたって葬式出せるほどの貯金はできなさそう

前に勝手連帯保証人にされてたからそういうのもこわいな

結局金だな

宝くじでも買おうかな……

甲斐のない大人になった

家にいるとき風呂、飯、トイレ以外自分の部屋。

部屋の壁はずとまよのポスターだらけだし、パンチングボードにはキーホルダーライブグッズ飾ってる。

テレビは電電電波工事中、そこさく、ひなあいしか見ない。

あとはゲームしてるかゲーム実況見てるか。

こんなんでも子どもがいるアラフィフ

10から精神年齢か変わってない。

多分死ぬまで変わらない。

葬式ライブグッズ飾ってずとまよ流すんだろなと思ったらちょっと楽しくなった。

2024-11-06

たんたんたぬき金玉は~の元歌

先程ふと、たんたんたぬき金玉は風も無いのにぶーらぶら♪が、歌詞馬鹿馬鹿しさに対して曲が美しすぎると気が付いた。

アホの坂田の歌のように、立派な元曲が存在している可能性がある。

そこで検索してみるとやはりあった。

1864年ロバートローリー聖歌「まもなくかなたの」だ。

神の御許の美しい川でまた会いましょうと、葬式流れる歌らしい。

結構メジャー聖歌だったらしく、西部劇映画でも多く使用されている。

https://youtu.be/Dt_90xWsVXU?si=aot_-0VY1pZC4-VM

しかし聞いてみたらたぬき金玉と曲が違うところも有り、たぬき金玉程のリズムの良さは無い。

こんな真面目な聖歌を聞いて、いきなりたぬき金玉へと替え歌にしたのも少し不自然に感じる。

そこで調べてみると、たぬき金玉聖歌の間に段階あった。

まず1891(明治24)「あなおもしろ」として「国民唱歌集」(小山作之助編)におさめられた。

ここで歌詞楽譜も書き換えられ跳ねるような曲、少年向けの歌に変化している。

「あなおもしろ春雨

花を散らさぬほどにふれ

あなおもしろの弓矢の道や

文武を忘れぬほどに好け」

1937年昭和12年)には、替え歌の「タバコやの娘」(作詞:園ひさし、作曲鈴木静一)が、岸井明と平井英子の歌で大ヒット。

「向こう横町煙草屋の

可愛い看板娘」

https://youtu.be/eXb6PW4zc2E?si=zKFYIdw-OiQs0tzf

たんたんたぬき金玉はこの頃に歌われ始めているようだ、多分たばこ屋の娘の影響が色濃いのだろうが、曲が微妙に違い、聖歌からの影響も感じられる。

そして、変化が繰り返されリズムが良くなった曲は、鉄火焼せんべいビックカメラカメラのナニワ、アースゴキブリホウ酸団子、コンクゴキンジャム等々多くのCM替え歌が利用されている。

遺書が書けない

ずっとぼんやり死にたいと思っている。

死にたくなかった頃を思い出せないくらい長いこと死にたいと思っている。

まだ俺は20代で親もピンピンしているし、同世代の平均と比べてもかなり多めに教育費を使ってもらったし、病気いじめがあるわけでもない今、急に自殺するのは親不孝にもほどがあると思うからとりあえず生きている。

あんまりにずっと死にたいと思っているものから自殺はずるい気がしてきているし。そういう理性的判断ギリギリ死なないでいるのが俺の現状だ。

決定的な理由があるわけではない。ただ生活していると辛いことや苦しいことが多すぎるから早く開放されたい。死後の世界だって妄想にすぎないだろうとたかをくくっている。もしあったとして、それが現世よりも辛かったとしても、そんな不確定なことは今目の前にこびりついている辛さと天秤にかける次元にない。

昨晩、死にたい気持ちが束になって襲いかかってきた。これは月に2,3回の頻度で起こることで、ベッドの上で飛び跳ねるとか、部屋の中ででんぐり返しするとか、枕に顔をうずめて叫ぶとかしないではいられない衝動的なパニックだ。

はいつか自分の気が狂うと確信している。そもそも完璧主義者でプライドが恐ろしいほどに高いのに能力は低く怠惰で、しか性格まで悪く、3秒前に見下した属性自分が持ち合わせていることに気づいて発狂しかける。いつか必ず、ちょっと調子が悪いときに訪れた死にたさの衝動によって完全に気が狂うだろうと確信している。

気が狂うか、その前に死ぬかというところに立っている。

きっとこの文章もすでにある程度気が狂った空気を孕んでいて、人が読んだら読みにくさやキチガイ波動によって眉をひそめることもあると思う。俺はもともと文章には自信があった。賞をもらったこともあるし、周りから褒められることも多かった。だのに最近、気が狂うまでのスパンと程度が徐々に甚だしくなってきてから、まったく文章が書けなくなってしまった。どう書けば筋道立てて伝わるのかがもやがかっていてわからない。そんなふうに少しずつ死と狂気が近づいてきているのを感じるのだ。

昨晩の衝動はヤバくて、カッターで首を少しだけ切った。使いこんだ刃でもう鈍っていたし、本気で死ぬ覚悟があったわけでもないから、薄皮がぴぴぴと切れて血がちょっと滲んだだけだったが。そこに爪を立ててがりがりやった。死にたさに支配されながら、今もし死んだら部屋も整理されていない一人暮らし人間が部屋で喉をかっきって死んでいて遺書も無いということになるから警察家族も何か面倒なことになりそうだと思いあたった。

こんなに衝動が年々強くなってきているのにも関わらず遺書すら無いのは由々しき問題だなと思って、とりあえず突発的に死んだときのために書いておくことにした。衝動が少し落ち着いてから書き始めたら、ろくな遺書が書けないことに気づいた。

なんの決定的な理由もないから、どう読んでみても俺の死んだ理由がわからない。「皆には些細なことが俺にはひどく辛いみたいで、ただ軟弱者なだけなんだけど、生きてみても改善も望めず、ずっとひたすらに苦しかった」という迫真の名文まで生み出された。俺の死にたい理由はこう書く以外に思いつかないのだが、家族としてはさすがに納得いかないだろう。満足いかないな、と思いながらとりあえず名前と日付を書いて、釈然としない気持ちになりながら寝落ちした。

俺は死にたい衝動と常に付き合っているが、理性の部分は必ず生きようとしている。本気で死にたいわけではないのに、本能で死にたがっている。だからせめてまともな遺書を残すというのは新しく見いだせた革新的目標になる。こうやってギリギリのところで何か理由をつけて怖がって踏みとどまって、そうしているうちになんだかんだで長生きできたらたいへんめでたいことだ。自殺以外で死んだら、葬式というよりも皆勤賞の授賞式という形で儀式を行ってほしいものだ。

2024-11-05

三大こんな葬式は嫌だ

香典がPayPay

坊主がギグワーク

AIが御経を現代訳してくれる

葬式って全然慣れないね

毎回忘れた頃に急に来るから

2024-11-04

anond:20241102144659

アルマゲドンの曲流しておけば大団円になりそうと思ったけど、葬式のやりたいことってそういうことなんやな

2024-10-31

私と毒親恋愛人生

毎日母親との嫌なことを思い出して辛いのでここに放流する。ネットに流せば少しは気持ちが薄れたらいいが。

ちなみに母親からまだ離れられていない。離れる計画の途中であるもっと早く離れればよかったと強く思っている。

母親違和感を感じたのは10歳の時。クラスプレゼントを渡したい男の子が数人いてその話をした。すると、○○君は遅刻するよ。○○君はテストの点数が悪い。など悪い点を挙げられた。余りにも驚いて混乱して何も言えないようになった。

それから人を好きになることは人に文句を言われる、評価されるものと思うようになった。

学校で異性と仲良くしてもし母親に何か言われたらと常に怯えていたし、恋愛話も興味ない振りをしていた。

勉強趣味に打ち込んでいたが心の片隅では寂しい気持ちを抱えたままそのまま高校生になった。

ある日、下の兄弟男の子を家に呼んで遊んでいた。

それを見て母親祖母はやった!うちで初めての快挙だ!これで玉の輿だ!と噂話していた。ものすごく恐怖を感じた。

今まで異性を家に呼ばなかった私はダメなのかとひどく落ち込んだ。

今思い出して書いてみるとすごく昔の考えに思えるが、筆者は平成初期生まれである

母と祖母から女性なんだから働かなくていいと言われたり、バイトが遅くなっただけでキレられたり、受験の合否をすぐしないだけでキレられたり(不合格なので悲しくて泣いていた)随分振り回されてきた。

しかし物は豊かだったため、学生の頃は周りからは親がおかしいとは気づいてもらえなかった。

社会人になり別に恋愛しなくてもいいかと思っていた。周りから恋愛してなくて変と言われるのは辛かった。だが、偶然にも同性を好きになることがあった。初めての出来事自分でもかなり思い悩んだ。

その悩んでる最中に、祖父母に久しぶりに話をしたら会って1番にこの歳で結婚しないなんておかしいねえ!と言われ、何かが崩れていき祖父母の家には行けなくなった。

その後、祖父がかなり弱って入退院を繰り返して最期死ぬまで私は見舞いに行かなかった。

毎日母親から祖父の見舞いに行って。○○ちゃん(私)が子ども産むまで死ねないよって言ってるよ。と聞かされていた。

祖父が死んで葬式が行われても私は行かなかった。

この時の私は一人暮らししようと転職した職場ブラック企業で鬱になり、家で休んでいるところだった。

苦しくなって情緒不安定になっている時、母親に部屋の隅まで追い詰められ、家が嫌なら出て行け!と怒鳴りつけられた。

もう何もやる気が出ない。希望も絶たれて家を出ようという気持ちも起きない。

鬱がどんどん悪化していき外に出れない食事も取れない日々が続いた。

貯金も減り親に相談した所、もしもの時や結婚した時のために貯金は使えない。と言われた。

今はもしもの時じゃないのだろうか?今生きることより結婚大事なのか?

もう死のうと思い、首を絞めた。

結局死ねなかったが、首を絞めたことを医師に話すと入院になった。

入院中は母親は私の同級生に早く結婚して出ていって欲しいと言っていたらしい。

もう何が正解かわからなくなっていた。

高齢出産の年齢になった。

友人の子どもを見てもかわいいと思えない。

親の言う通りになるので、この先結婚もしたくない。

もし子どもができても、親のようになってしまうかもと恐怖がある。

ただ自由に生きたいな。

今は退院し、支援してくれる人が複数人いて一人暮らしへのサポートを受けている。

退院後は過去に言われて嫌だったことを母親に伝えている。例えば、突然お前は料理が下手だから餓死する一人暮らしなんて出来ない。など。

それを伝えても文句しか取られない。どうして謝って欲しいと期待してしまうんだろう。これが共依存なのかな。

ある人からこれから自分人生なんだから自由に生きよう!と言われるのだが、なんだかモヤモヤしてしまうのだ。励ましてくれていることはわかる。

でも私の今までの人生自分人生じゃなかったのか?制限されていたなりに、仕事趣味は頑張ってきた。なんだかそれまで無かったかのような気持ちになってしまうのだ。

2024-10-30

anond:20241030205657

別に安楽死アリで良くね派の俺が通りますよっと…… 人間は死んだら燃えるゴミ区分でいいと思うぶっちゃけ葬式とか面倒だし、死んでる人間ってあれただのゴム人形だぜ?

2024-10-29

敗戦国日本における帰還兵の苦しみを伝える貴重な武田さんのお話を読みながら、私は一方の戦争の勝者であったエノラ・ゲイの機長・ポールティベッツ氏にインタビューしたことを思い出していた。

1945年8月6日広島市原子爆弾を投下したB-29爆撃機が「エノラ・ゲイである

2004年に自宅を訪れると、美しく装飾された立派なリビングの壁にあったのが、キノコ雲の写真だった。

私がこんなものを飾るのかと絶句していると、ティベッツ氏は「私の人生の最大の功績だからね」と言った。

彼の話には一縷の悔恨も出ない。

アメリカでよく聞く肯定派の論理を繰り返すだけだ。「あの時私が落とさなければ戦争は終わらず、何倍もの日本人が死ぬことになった」「最悪の状況を止めるにはそれしかなかった」「むしろ日本を救う選択だったと信じている」と。

当事者の話を冷静に聞くという目的で行なったインタビューだったが、正直私の心には嫌悪しかなかったし、今思い返しても後味が悪かった。

その3年後、彼は亡くなった。

聞けば原爆投下批判的な人々の抗議運動を常に懸念して、死後は葬式を行ったり墓石を造ったりしないよう頼んでいたという。

今思えば、ティベッツ氏も人間性を捨て、異常なまでに自己正当化することでしか人生家族も守ることができなかったのか。

戦争は勝ち負けにかかわらず関わったすべての人間尊厳破壊し、人生を踏みにじる。

市井の民にとって良いこと・正しいことなど何一つない。

私たちが彼らから学ぶべきことはこのことに尽きる。

長野智子(キャスタージャーナリスト)

ソース: naganotomoko.com

2024-10-24

anond:20241023195915

他責自己哀憫、自画自賛のなろう系よりは現実的だろ

OLから葬式まで主題にできる力がある

キモオタは非現実的奇形乳に好かれるシチュしか受け付けないからな

2024-10-23

anond:20241023061314

IT系イベントでただ飯が食えたり、葬式誰も知らない親族?が来てたりするんだよな…😟

2024-10-22

24時間いつでもどこでも屁をする嫁

たとえ外だろうが食事中だろうが車の中だろうがベッドの中だろうがどこでも構わず屁をする。

嫁曰く我慢したら健康に悪いからだそうだ。

聞けば職場でも屁をしているらしい(本当か!?)。

そういえば葬式でも(小さいが)屁をしていた。

一体どうしたらいいんだ…

2024-10-21

anond:20241021173838

さあ彼女はいたことあるし友人もいるけど少ないな

俺は自分家族を憎んでるので両親のことは知らない会ってないし今後も会わない葬式にも出ない

2024-10-19

親の「出ていけ」が割と本気の意味だったらしく縁を切った

母親によく「この家から出ていけ」

ってことあるたびに言われてたんだけど

あれは「自分がこの家の購入時6割ほど出したから私のものだ出ていけ」

というマジの意味らしく

父親母親同意しているとのこと

 

ワイとしては「ほなでていきますわw」

となって

東京で自活してるし

 

から葬式や誰かが入院したっぽい

っていう緊急のメッセージ来ても無視したし

携帯電話変えたし

 

金の問題もないし

今後も一生会うことないやろうなあ

 

存在迷惑から

誰にも迷惑かけないように

ワイの人生から消えて欲しいやで

2024-10-18

anond:20241018154425

まぁ高齢者はそんな薄い理由

うちの母は、自民党新人候補祖父(元政治家、元財務大臣)と祖父(母の父)が同級生葬式にもきてくれたか投票すると言ってた

こうして世襲議員が生まれてくんだなって

ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん