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はてなキーワード: 宗教観とは

2024-05-10

anond:20240510173942

はいはいオッサンって暇になると独自民俗観とか宗教観みたいなの披露したがるんだよなあ。

2024-04-20

anond:20240420054042

政治家主権者たる国民が悩みながら時に間違いながらもなんとか育てていくもの

いきなり正しい政治家が降ってくるわけじゃない

「正しいものは天からいきなり降ってくる」

と思う日本人信仰を捨てないと無理ではないか

日本が変化できないのは宗教観のせいだろう

宗教は何があっても崩せないからな

果たして、捨てられるかな?

2024-04-18

anond:20240418173953

幼稚園がお寺の副業で妙な宗教観押し付けられただけなんだけどな

日本人なら初詣神社に行くんだし神道だとおもうが

2024-04-14

[] 2024-04-13

夜ふかしをして以下の動画をみた。

Roy Baumeister: Free Will, The Self, Ego, Will Power

https://www.youtube.com/watch?v=aXoK-C2c2AQ

収穫があったと思うのは、まず自由意志というものがあるなら、それはランダム性とは関係がなく、また生きていく上で便利なものであろうということ。

例えば大統領演説原稿を書くという作業があるとき自由意志が使われるなら的を射たものであるはずだ。

自由意志関係がありそうなものとして「意識的努力」と「自動操縦」について話しているが、

意志力が強いと言われる人の多くは習慣化能力が高く、それは自動操縦的であり、意志力が高いわけではない可能性があるという。

では意志力を要する「意識的努力」がどこで使われるかというと、例えば「計画」という作業には意識的努力必要だが、これは将来的に行われるであろうタスクエネルギーを減らすために行われることが多いという。

一部の科学者は人々に対して「自由意志存在しない」ことを説得しようとしているが、実用的に見るとこれは逆効果だという。

どういうことかというと、自由意志存在すると信じていれば悪さをする可能性が減るわけである

自由意志が無いと考えれば「コントロールできない、なら悪さもしょうがない」と考えてしまうわけである

自我の枯渇」という点は興味深い話だが、要するにタスクをこなせばこなすほど消耗し、自制心は減っていくということだ。

このため、意識的努力をするためには、十分なエネルギーを残している必要がある。

「自制心」と「知性」は基本的に向上させればさせるほどよく、マイナス面が無いという。

 

この動画をみたあとでも、私の宗教観は揺るがなかった。

まり意識とは存在する意味の一つであり、意識を持った主体がこの世に存在しなければ宇宙存在無意味である

そして自由意志は、意識の持つ機能の一つである。予め決められた通りの人生決定論的に歩むなら、それもまた存在の意義を失わせるに違いない。

目的論的にみて、意識自由意志は神が与えた存在の意義の一つであると思うわけである

2024-04-09

宗教ハマるやつってダサい

自我確立他者に頼ることすらダサいけど、それを宗教に縋るってさ

でも法律だって元を辿れば国や国民宗教観に基づくから本当に自意識のみで行動決定するのは難しい

2024-03-28

宗教観無いとか無宗教かいいながら有名人が亡くなると「天国でお幸せに」みたいな事がボロボロ出てくるじゃん

それを宗教観っていうんだよ

しか天国ってキリスト教じゃん

日曜日教会に行ってもなかった人が行けるとこじゃないよね

TARAKO(まる子の声優)が亡くなった時に「天国お姉ちゃん水谷優子、旧お姉ちゃん声優)に会えたかな」とか言いながら「俺神様とか信じてないしw」って言うやつは控えめに言ってバカ

「今ごろ地獄で仲良く油風呂につかってるだろうね」くらいならまだわかる

2024-03-27

anond:20240326160818

移民内戦してる国の人が言う「子どもが二桁人いて生活が辛い、誰も助けてくれない」みたいなのも意味わからんけど、宗教のせいなんだろうな

宗教観が薄いであろうここのコメント欄も「生きたいし子ども作るのが当然、反出生は酸っぱい葡萄自己正当化しかない。本当は(環境が整えば)誰でも子ども作りたいはずだ」って考えの人が多いしなあ

2024-03-11

日本人宗教観について教えて欲しい

人の畏れが神を産み出す

信仰を集めるほどに神は強大になり

忘れ去られた神は力を失いやがて消滅する

これらは日本人がなんとなく共有している宗教観のように思える

アニメにも度々見られる設定で、私が今ざっと思いつく範囲でも

 

 

などがある。

日本人にとっては常識(?)なためか、作品内でこれらの設定が言葉ではっきり解説されていないこともある。それが一部の海外の人にとってはわかり辛い場合があるようだ。

  

先日、*eddit (*はR) で漫画アニメサブレ徘徊していた時にとある議論スレを見つけた

ちょうど上記の設定の話をしていたので「それで合っているよ。それは日本人宗教観なんだ」とコメントしたところ、すごい反応をもらった

もっと知りたいのですが何を勉強したら良いですか?良い資料をおしえてください」

リプライされて困ってしまった。どう返信しようか悩んでいるうちに

「私もちょうど神道について勉強していたところです。よかったら資料リストを送りますね」

と別の人からリプライがついて話が進んでいってしまった。

それからコメントせずにずっと悩んでいるんだけれど、たぶん神道ではないよなぁ・・・

少なくとも古事記日本書紀を読んでもそんなことは書いていないだろう。ニンジャスレイヤーじゃあるまいし。

でもコロナ禍でコロナ神が誕生し、妖怪だったアマビエが神になっていく様は確かに見たんだ。

畏れが神を生み、信仰が神を強大にするという設定は私の実感に近い。

 

これらの宗教観元ネタとなる聖典宗教的記述はどこかにあるのだろうか?

それとも日本人無意識に共有しているアミニズム的世界観なのだろうか

 

2024-03-08

anond:20240308122737

日本人馬鹿から宗教観がまったくない。

ご飯を食べるときいただきますごちそうさまで手を合わせる→仏教

神社に参拝で手を合わせる→仏教

御冥福をお祈り仏教じゃない

Xでクルド人問題に絡めた「日本人実は強い宗教観ある」論説が流行ってるけど、別に宗教関係なく「やるな」って言われてることやって怒られてる話なので宗教はどうでもいい

2024-02-15

ワイは何故生きているのか?

増田で死と神の話題が出て風呂入りながら考えたんだけどね

https://anond.hatelabo.jp/20240214185555

↑ この増田信仰があれば死ぬの怖く無いは同意できないが。中世でも現代でも、割と宗教関係者は生き汚かったり死ぬの怖いって言ってるので、信仰というよりも洗脳の類いであろう

 

まず、大前提としてワイは神を信じている

と言っても、3大宗教信徒でも、教典のある宗教信仰しているわけでもなく、八百万日本的アニミズム文脈のおれおれ宗教観を持っている

おれおれ宗教観なので軽く説明すると、

 

で、神を持つワイくんが何故死ぬのが嫌なのか、生きていたいのかというとこんな感じ

  • いちばん理由は、痛い・苦しいのは嫌だから死にたくない、なお、痛い・苦しいのが嫌ってだけなら、痛い・苦しくなきゃ死んでもいいの?というと下記に書いている通り、全然そんなことはない
  • 世界関係が完全に絶たれるのが嫌。遊び足りない。交友し足りない。
    幽霊になって、映画ライブ無料で見放題とか、パソコン自由にし放題とか、人とコンタクト可能とかなら、痛い・苦しくなければ死が怖くなくなるかもしれない
  • たまたま生きているのだからたまたま死んでもいいよね〜?・・・みたいな感情には微塵もならないので生きていたい。
    あらゆるものを出し切って勝ち得た生存権ではないが絶対に返却しない。最低でも100年は生きたい。なんなら1000年でも生きたい。しぶとく生き汚くいきたい

anond:20240215004154

2024-01-17

「死んだら無になる」って誰が言いだしたんだろう、と思い調べ始めたが……思ったよりも大変だなこれ

近代日本人死生観』という論文……国士舘大学講演会資料?……に以下のような記述がある

一九〇一年、死を宣告された政治思想家の中江兆民は、間近に迫った自己の死を強く意識しながら、『一年有半』、『続一年有半』を著しました。そこでは身体(駆殻)こそがすべてで、精神などというもの実在を想定する必要はない、死とともに個人存在は終わるのだというさっぱりとした考えがけれんみなく提示されています

へぇ~、明治のころにはもう最近日本人がしばしば言いがちな「死んだら無になる」って考えを持った人がいたんだなあ

じゃあこの「死んだら無になる」って考えはどの時代までさかのぼることが出来るんだ?

というわけで、まずは「無神論歴史」で調べてみた

しかしこの路線頓挫する

「神」の存在否定しても「霊魂」の存在否定しない考え方もあるようなのだ

無神論だと範囲が広すぎる

一応、仏教には「断見」という概念存在する

断見 - Wikipedia

断見(だんけん)とは、因果法則無視して、人が一度死ねば、断滅してしまい二度と生まれることがないとする見解で、断滅論(ucchedavādā)ともされ、邪見のひとつ[1]。反対語は常見(じょうけん)。

まさしく「死んだら無」の考え方

しかし、この仏教の断見という考え方が現在日本の「死んだら無」という考え方に直接つながっているわけではおそらくないだろう

なお、前述の『近代日本人死生観』ではこのような見解

こうした考え方が広がっていく背景には、近代科学が前提とする唯物論的な世界観の影響があるのは確かです。しかしまた、現世を尊ぶ儒教神道、また霊魂実在ということを否定する仏教伝統が影響を及ぼしていると見ることもできます

じゃあ唯物論について調べるか……と思ったがここで調査打ち切り

哲学に関して調べるための前提知識があまりに不足していた

なんか唯物論西欧での歴史をざっくり眺めてると、神の存在否定していないように見えるんだよな……ここらへんキリスト教の知見が足りないのかもしれない

そしてなぜか途中から共産主義の話になる、わけわからんくなってしまった

キリスト教歴史について書かれた初学者向けの本を先に読むべきかもしれない

もともと私は幕末明治日本人宗教観を調べていたのだが、面白そうなテーマがあってつい脱線してしまった

2002年刊行の『死と唯物論』という本が面白そうなのだがすぐには入手できなさそうだ

日記

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Wikipediaの「無神論歴史」のページの記述関係ありそうなところをピックアップしておくか

「チャールヴァーカ」の項

パーリ経典によれば、紀元前6世紀アジタ・ケーサカンバリン仏教徒と議論をして「身体が滅びるとともに、賢者愚者も等しく滅する。彼らが死後も存在するということはない」といったことを既に説いている[3]。

現世利益を謳うと「死んだら無」の思想になる傾向が見える

江戸時代日本の「浮き世」の考え方(=現世利益)ととても相性がいい

しか日本には先祖崇拝and葬式仏教がある

「死んだら無」とはすなわち祖先もまた無になったということになるので受け入れ難いか

そういえば日本でも儒教で「無鬼論」というのがあったはず

これも「死んだら無」の論理だったが先祖を敬うことは推奨する思想になっていたのが上手いところ

流行りはしなかったようだが

エピクロス主義」の項

ルクレティウスは「神は存在しない[22]」と宣言した。エピクロス主義者は死後の世界存在否定した[23]。

エピクロスは「死はわれわれにとっては無である。われわれが生きている限り死は存在しない。死が存在する限りわれわれはもはや無い」という語録も残しているようだ。原子論的(唯物論的だ)な考えから導き出された思想

西洋啓蒙時代まではキリスト教の影響が大きすぎて無神論の考え方は全然育たなかったみたいだ

ざっと見た感じ現世利益唯物論の合わせ技で生まれる発想みたいね

誰が言い出したんだという話からはズレるが、現代日本で「死んだら無」って言ってる人は漫画の影響とかありそうな気もする、知らんけど

デスノートとかそういう死生観作品だったような気がする

2024-01-13

anond:20240113173417

藤井風ってサイババの人だよね・・。

独特な宗教観秘訣があって、それがネックにもなりそうな印象しかない。

2024-01-11

「地下のナマズが暴れると地震が起きる」説はいつごろ廃れたのか、について調べていた

おおよその流れは掴めてきたので一旦ここにまとめる

結論から言うと、明治元年1868年)ごろから急速に地震信仰は失われたと思われる

天保元年ごろ(1830年ごろ)

高野長英蘭学者

『泰西地震説』を執筆

オランダ辞典をもとに、地震がなぜ起きるかを科学的に説明した内容を翻訳した

安政元年(1854年

安政の大地震

鯰絵が大流行した

しかし「鯰絵が流行した=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」と等号で結んでいいのか?という点はちょっと怪しいと思っているのだが……

というのも江戸時代末期の時点で、江戸の町民はお化け妖怪実在をどうやらあまり信じていなかったように資料を見ていると思えてくる

お化け妖怪実在を信じない人が地下の大鯰を信じるというのは不自然に思える……という感覚21世紀に生きる人間感覚だろうか

『泰西地震説』が世に出ておおよそ20年後出来事

『泰西地震説』は学者が読むような専門書で、一般民衆にはあまりまれなかったのだろうか?

江戸時代にもいくらかは民衆が読むような蘭学書が流通していたようなのだが、地震の原因を科学的に解説するようなものはなかったのだろうか?

当時は陰陽五行思想を信じる人が多かったはずなのだが、この思想では地震をどのように説明している?

ここは特に追加調査必要

鯰絵について語られた本でKindleで買えるものが無いため、追加調査図書館本屋資料を入手してからになる

明治元年1868年

小幡篤次郎、後の慶應義塾長、『学問のすゝめ』を福澤諭吉と共著した人物

天変地異』を執筆

小学校教科書にもなった本

雷、地震彗星、虹といった自然現象に科学解説を行った本

地震原理について、『泰西地震説』で解説された内容とだいたい同じ説明がされている

こういう本をわざわざ出版する必要があったということは、これに書かれた知識は当時広く知られていなかった……とみることができるか

明治元年でいきなりこんな教科書を出すとは正直驚きを感じる

西欧に追いつこうという強い意欲が見える気がする

明治初期の就学率は今と比べると低くはあるが、この本によって一部の若者に対して啓蒙が行われた

これによって明治に生きた若者地震鯰を迷信と見なすようになったのであろう

明治に書かれたエッセイ新聞記事を探したい

「私の父は地震鯰のような俗説を信じていてやれやれだ」みたいな記述がこの時代にもし存在すれば嬉しいのだが……

また、教科書ではなく大人が読むような啓蒙本はどのようなものがあったのだろうか?

追加調査必要

民俗学方面からばかり攻めていたが、明治維新に関する読み物を探すのもありか?

明治13年(1880年

横浜地震

M5.5程度で揺れはそこまで大きくなかったようだ

この地震体験したジョン・ミルンというイギリス人地震研究に関心を持ち日本地震学会を創設した

明治24年(1891年

濃尾地震

安政の大地震以来の巨大地震という言及が当時の新聞にある

科学者が地震調査のため派遣された、のような記事新聞に載っている

大正12年1923年

関東大震災

このときいくらかは鯰絵が描かれたようだ

ただ「鯰絵が描かれた=民衆地震の原因を鯰だと信じていた」にはならないだろう

大正15年(1926年

井上江花、新聞記者

『江花叢書』第1巻

当時のエッセイ的な読み物

関東大震災に対する四方山話からの流れで「地震と大鯰」という題が名付けられた項がある

一部引用する

鯰説の根拠は物識りに聴かなければ確かとしたことは分らぬけれども、志那傅來であることだけは疑ひもない。大地の下には大鯰が生棲して、平生は辛抱強くじつとして動かぬけれども、どうかした拍子に其の尾鰭を動かすと大地が震動するのであると云ふので、我邦では正直に之れを信じ、

「正直に之れを信じ」という表現から、今は信じる人はいないというニュアンスを読み取る

1926年時点で安政の大地震はおおよそ70年前くらいか

「おじいちゃん子どもの頃は地震の原因は鯰だと思っていてね」と語る人がいてもおかしくない年数だ

科学とか西欧合理主義流行った結果、地震信仰のような俗説が廃れたんだろうなあ

ひと段落したら明治大正を生き延びた俗説で何か面白いものがないか調べてみたい

あと、柳田國男著作をまだどれも読んでいない

先に読んだ方が民俗学視点が備わって調査の全体の見通しがたつかもしれない

日記

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明治時代より前の時期の日本において、「なぜ地震は起きるのか?」のような原理の解明を目指した学者がどうにも見つからない

あるいは調べ方が悪いのか……

幕末日本人は地震ナマズを信じていなかった、ではいつ頃まで信じられていたのか?

あるいは最初からモノの喩えだと認識していたのか?

もしそうだとすると「地震の原因がナマズというのは俗説だ。本当はこのようなメカニズムだ」という探求が行われていてもいいではないか

そういった研究痕跡を見つけることができない

見つけることができない以上、ナマズ説を信じていたのかもしれないと消極的にだが認識せざるをえない

儒教においては「陰だか陽だかの気が地面から噴き出る時に地面が揺れる」のような説明がされているらしい

日本儒学者はそれを信じていた?だとすると江戸民衆のその説をどの程度認知していた?

あるいは「ナマズが原因ってことはないだろうけど、本当の原因が何かと聞かれると分からんなあ。詳しいことは学者先生に聞いてくれ」というスタンスが大多数か

日本人の宇宙観を調べた時にも思ったが、当時の天文方観測と暦の作成にばかり注力していて「なぜ?」という問いを立てない

調べることだらけだ、学生の頃に日本史や世界史選択しておけばよかった

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施政者が失政すると地震が起きる」みたいな思想もある

また、火山雷雨地震の3つセットを司る龍神がいるという信仰もある

ナマズじゃなくても結局別の信仰になってしま

ナマズが俗説ってそういうこと?

まり俗説でない主流の説は鹿島神だとか龍神に原因を求める?

この観点でも調査

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本屋に行ったが鯰絵関係の本が一冊もなく購入できなかった

しかし『陰陽五行日本民俗』という本を購入

陰陽五行について何も知らないに等しいので勉強しなければ

しか本来本業に関する勉強をして給料を増やす努力をすべきなのだろうが、仕事関係ない本ばかり買って読んでしま

悲しいね

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トラバブコメにあまり反応しないようにしているのだが(そこそこの確率不毛なので)、今回は必要を感じた

鯰絵はアマビエブームと近いものを感じるという意見には強く同感

ただ、いろんな本や資料に「昔の日本人は本気で地下にいるナマズ地震の原因だと信じていました」と書かれているんだよな……

これに強い疑いを抱く

しかし、アマチュアの私が思いつくようなことをプロ研究家が思いついていないわけがない……

なにか根拠があるはずと信じる

あと、この日記以外に書いている場所はない

清書の予定は……調査がひと段落したときにあるいはありえるかもしれない

追加調査資料入手待ちとか頓挫とか色々な理由でできていないことが多い

追加調査の結果を追記しようとすると買った本の内容丸写しみたいになりかねず、倫理的にどうなの?という気分を拭えず自分の中だけで調べた結果を味わうこともそこそこある

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先行研究

記録表現にみる中世日本の地震認識

ナマズ地震が紐づけられる以前の地震認識

断層沿いに立地する神社とその周辺環境に関する研究

近世地震認識記述がある!これをベースに調べるのが最善か

江戸時代の宗教観と芸能の盛行

幕末明治海外の人から見た日本人の宗教観記載がある

神や仏に敬虔祈りを捧げない一方で迷信深い、この点は現代日本と地続きに感じる

この庶民信仰の深部に最も接近した欧米人は、明治来日したアメリカ女性教育者アリスベーコンであろう。彼女は「村を見おろしている岩の頂上は天狗が作った」。「天狗はもうこの森から去って今はいない」。さきほど「山の神様の使いである大きな黒蛇が、いましがた、ここを通った」と説明する陽気な老女に接し、「神秘不可思議事物に対する彼女のかたい信念は、かしこい人々はとっくに脱ぎすてているものだけれど」、「すべての自然が深遠な神秘に包まれている文化のありかたへの共感私たちの心に湧きあがらせてくれた」と表した。

考えてみれば迷信深いお婆さんは昔は迷信深い若き女性だったかもしれないわけで、幕末だとその考えがスタンダードだった可能性があるわけだ

この引用箇所は別の文献から孫引きになるのでこういうことするのは本当はよくないのだが……

該当箇所は『逝きし世の面影』という本から引用……kindleあるじゃないか、買います

これを書いた渡辺京二という方の著作はすべて読んでもいいかもしれない

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現代を生きる信心深いキリスト教徒にとって「神は実在する」と「妖精/人魚/ドラゴン実在しない」の考えは矛盾なく両立するのではないか

(「実在」という言葉定義をしっかり言語化しないととまずい気配を感じる……)

同様に幕末江戸町民にとっても「神/仏/龍神/大鯰は実在する」と「妖怪/お化け実在しない」の考えは矛盾なく両立する可能性がある

ここらへんは本当に現代日本パラダイムに考えが支配された人間にとって想像しにくい領域

2023-12-26

anond:20231224205347

自分は「宗教は『まだ必要である」という立場をとる。

非常に長文なので誰も読まないかもしれないが、読んでいただければ幸い。

日本人宗教観について

日本人宗教批判は主にオウム神理教創価学会あたりから根深くなったと自分は思っている。とにもかくにも「宗教やばい」となり、それが「宗教的なものやばい」となっているのではないか。たしか新興宗教団体はやばかった。最近でも、自民党から膿となって出てきた旧統一教会問題がある。

日本人全体で、なんとなく「宗教やばい」というゆるやかな共通認識があると思う。

そこから宗教について熱心に語る者は、なんとなく、やばい」とされていると思う。ごく少数の人間けが宗教について深く調べる。多くは、ミイラ取りがミイラになることを恐れているとか、宗教的な人間とみなされることを怖がっていたり、単に無関心な可能性もある。

ほとんどの人は、まずその「ヤバい」「うさんくさい」「拝金主義」という外から見える性質嫌悪感を感じているはずだ。実際に、古来から権力権威金銭などと結びつきが強いように思う。多くの人々に害を為すものは、それが宗教だろうがなんであろうが、どういう形をとっていようと敵対される。宗教に対するネガティブ意見は、おおよそこの表面に出てきた宗教ネガティブな部分についてのものが多いと思われる。

また「人型の何か偉そうにした超常の力を持ったジジイ」を幻視して「そんなやつがこの世界作ったわけないだろ」と直感的に思うのではないか

アイドル文化について

宗教的なものやばいの1つの例でいえば、ガチドルオタキモいというものがある。キモいというのは比喩的表現で、ドルオタクラスタの方には申し訳ない表現だが、周りから理解不能なのであるアイドルという神を信仰することで「生きがい」となして自分人生を全うしていく。しかしひとたびその信仰の前提が破壊されれば、一瞬にして生きがいを喪失する。

アイドル推し活は「きわめて宗教的だ」と半ば冗談めいて表現されることが多いが、比喩でなくそのまま宗教といっても過言ではない。仮に江戸時代に今のアイドル状態を維持可能状態で放り込めることができるとすれば、瞬く間に江戸幕府を牛耳ることができるだろう。実際BTS外交などと言われるほどアイドルは脅威的な潜在能力を持っている。一向宗など目ではない。江戸の民たちはアイドル存在を知覚することで、それに畏怖し、夢を見ることができ、人生に生きる意味見出しやすくなることだろう。本居宣長も、古事記伝にて「それはさておいても◯◯ちゃんのかわゆしこと尊し」などと書くかもしれない。知らんけど。

宗教のはじまりについて

宗教のはじまりアニミズムだという。何か神聖視せざるを得ないもの発見しそれに畏怖し感動することで、その圧倒的な偉大さを見て、人はそれを「神」と名付けたようだ。

日本では現状「科学信仰」と「常識信仰」が主流であると思う(これは自分主観による)。「科学的な権威ありさえすれば信用する」だとか「よく知れ渡っているから信用する」といったものだ。「長いものには巻かれろ」という日和見主義的な発想がそこにあるように見える。

そもそも「信じる」とは「実際に本当にあるかどうかわからないが『ある』と信じる」ことにある。

自分には本当にあるかどうかよくわからないものを『本当にある』と思い込むことを信じるという。そういう行為には、根拠など無いのではないか。少し古いが「アイドルはうんちしない」などがそうだ。

宗教果たしてきた役割について

宗教必要かどうかは置いておいて、その発生過程宗教果たしてきた役割は、歴史学習すれば誰でもその関連性には嫌でも気付くだろう(重要性は別かもしれないが)。人は「たか宗教とき」で人を殺し合い、憎み恨み、人生を捧げたり、幸せになったり、正しく生きようと努力したり、救われてきた。さまざまな血を流してきたのであった。これは事実である現在の今の自分にとって宗教全然必要でないと感じていたとしても、その自分存在する羽目になった基盤に宗教がある。一体全体どうしてこんなもの人類の中で大きな役目を持つようになったのか。

真に必要でないのであれば、なぜこの世から抹消できないのか。たとえばガラケーは抹消されつつある。必要でなくなったからだ。しか宗教はどうか。消せども消せども名を変えて復活しているように思う。

科学であると自負する人であっても、古来から続く伝統的な宗教っぽいものをなんとなく忌避していて、その拝金主義的傾向や宗教政治的利用による人間支配を見て、なんとなく嫌悪しているのではないか

宗教は実際に無くせるか

また「宗教必要かどうか」を論じるとき、「実際になくせるかどうか」のその現実性について論じられることは少ない。宗教がなくなれば代わりのものが出てくるのみである。名を変えたそれが絶対視される。

実際にとりあえず「宗教必要ないもの」と考えて、この世から排除することにしてみよう。つまりそれは逆に言えば「信教の自由」の剥奪である仏教を信じてはならない、キリスト教を信じてはならないとされる。

ありとあらゆる宗教的なもの不要なので排除されなければならないとする。しかし、必要か、不要か。それは誰にとって必要なのか、誰にとって不要なのか。

宗教宗教でないものについて、どこで、誰が、どのように、なんの権限で線を引くのか。これはもしかすると権力闘争の始まりかもしれない。受容するか・弾圧するかのどちらかを、ある人間主観で決めることができるということほど恐ろしいものはない。異端審問のラベリング(【十分科学的でない】というラベル)を受けて生きなければいけない世の中は厳しいものになるだろう。反ワクチン派・反知性主義者が実際にそうした世の中を生きている。われわれから見れば彼らは狂っているが、彼らから見ればわれわれが狂っているのである

科学万能論についての批判

宗教科学はなんの根拠もなく二項対立されがちだが、これは一神教的な態度ではないだろうか。

まり科学的であればあるほど宗教的でなくなるはずだという根拠のない「思い込み」があるのかもしれない。

いったいなぜ、科学であることが正しいのだろうか。いったいなぜ、論理的であることが正しいのだろうか。これは唯物論的な立場である。いったんそういうことにしているという、あくまで仮説である。そのように考えるとうまくいっているだけなのではないか

そして、自分にとって宗教必要いからといって、他人にとっても同様に必要ないとは限らない。つまり全体としては「まだ必要」というのが答えになると思う。

科学万能論者の傾向とその批判

それから自分は、ロジカルシンキング科学最強説を強硬に主張してその他の考え方を排除しがちな陰キャはあまり好きではない(自分ロジカルシンキングのもの科学思考は好きだが、論理的であることが正しいことを信じることは論理的ではない、という前提があると思うからだ)。

彼らは科学論理というアカデミック権威おこぼれを欲しており、いわば虎の威を借る狐のように見える。そうした人間は、自分よりも科学的で自分よりも論理的人間宗教的なものを崇拝しているのを目の当たりにしたとき、考え方を転向するかもしれない。これを改宗(conversion)というのだろう。

Vimについて

Visual Studio Code等さまざまなIDEに組み込んでコマンド操作できるテキストエディタがある。これはVimと呼ばれ、世の中で広く親しまれている。入門はやや難しいが、Must-Haveでおすすめである。これは宗教以上に必要である

もちろんあなたVimを導入しないという選択をとることもできる。

おわりに

こう言うと自分は旧来の宗教観を引きずっているように思われるかもしれないが、一方で自分は古来から続いておりただの慣習となっていて合理的ではない規則を、ただ自分の強権を保とうとせんがために信じている老害もまた好きではない。彼らは自分の保身を考え、自らの世界観の安定させ、外に目を向けない人間である生臭坊主と言われる。

自分は、そうした既製品宗教や、新興宗教教祖というただの詐欺師をそのまま信じてしまう人は愚かだと思うが、そういうことも含めて現実でありなぜそういった事象がでてきてしまうのか、なぜ彼らはそれに縋りつくはめになったのかを単に否定することは科学的ではないと思う。それは現実を観察できていない。少なくとも彼らにとって、彼らを救ってくれるのは科学ではなかったということなのだろう。

宗教おもしろい。とりわけ理系哲学文学や詩や宗教やヒトや精神や心というものから縁遠かった者ほど、大人になってから初めて知ることで、そのおもしろさに気付きやすいかもしれない。

2023-12-08

anond:20231205193039

これはなー、アメリカもその他の国も、宗教観と一緒になってるんだよな。

キリスト教生活ベースにあるところでは、

あなたは素晴らしい人間だ」「あなたは愛される人間だ」って言うのは

「神は」あなたを愛している、「神は」あなたを祝福している、っていう

ある種の肯定感の外注をしているんだよな。

からそこに引け目も臆面も感じる必要がなく、大きな声で言ってあげられるし

表面上はコンプレックスとの矛盾を起こす必要もない。

(もちろん個人個人で神の位置づけや自分精神状態により矛盾を起こすケースはある)

宗教っていうのは本来的には人の心の健康に利するためにあるからね。

2023-11-30

フリーレンの世界での人間って高度すぎてつらい

あの世界って、高度なコミュニケーション能力と、共感能力恋愛感情への機微を持ち合わせてないと人間として認められない世界だと思う。

アウラ発言が魔族の証明みたいになるのがわからなかった。村長を殺して娘の代わりがいるよって渡す魔族がやばいなのは当たり前だが理解るよ。

でもアウラ発言は、ちょっと前に闘ったときフリーレンは死体戦士たちをボロボロにして倒してたわけで、ヒンメルに怒られたからって理由ならヒンメルがいない今も守る必要なくない?って思うのそんなにおかしいのかな。

死体に関しての宗教観は色々なので、エルフフリーレンからすると死んだらその体は無意味だと思ってたかボロボロに倒してたんだろうし、死体損壊してほしくないっていうヒンメルの気持ちフリーレンが寄り添ったとして、その事情アウラは知らなくて当たり前じゃない?

しかも、フリーレンが勝つとはアウラは思ってないわけで、そんな宗教観に寄り添って負けてたら意味がないわけじゃん。

自分ASDの診断下りてる発達障害者からからないのだろうか。

フリーレン世界人間とは、発達障害者境界性知能の人間もいなくて、発達障害境界性知能の人間エルフか魔族に振り分けられるのかな。

英語圏での吹き替えではアウラ発言侮辱意味が強まっていたと賛否両論になってたの読んだけど、そりゃあ差別に敏感な欧米なら、自閉症境界性知能の人間人間じゃない魔族だみたいになりかねない文脈避けるだろうな。

2023-11-16

anond:20231116083605

ぜんぜん中立じゃないぞ、日本八百万の神がいる世界

万物に神が宿り、万物が神になる世界なので、神が人や世界支配しない

 

西洋宗教において神と運は別のオブジェクトだが、日本古典宗教観においては神や大いなる力は同一のオブジェクト』、これを生成させるまではうまくいったんだけどね

bingちゃん:

西洋宗教では、神と運は、プログラムでたとえると、別々のオブジェクトとして存在すると考えられます。神は、人間自然に対して意志計画を持つ創造者や支配者として表現されます。運は、人間自然に対して予測制御ができない偶発的な要因として表現されます

# 神と運のオブジェクト定義する
class God:
    def __init__(self, name, power, plan):
        self.name = name # 神の名前
        self.power = power # 神の力
        self.plan = plan # 神の計画

    def create(self, thing):
        # 神が何かを創造するメソッド
        print(f"{self.name} created {thing}.")
    
    def control(self, thing, action):
        # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド
        print(f"{self.name} {action} {thing}.")

class Luck:
    def __init__(self, name, factor):
        self.name = name # 運の名前
        self.factor = factor # 運の要因

    def affect(self, thing, outcome):
        # 運が何かに対して影響を与えるメソッド
        print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")

このコードでは、神と運は、それぞれ異なる属性機能を持つオブジェクトとして定義されています。神は、名前、力、計画という属性と、創造支配という機能を持ちます。運は、名前、要因という属性と、影響という機能を持ちます。神と運は、それぞれの機能を使って、人間自然に対して作用することができます。例えば、以下のようなコードが考えられます

# 神と運のオブジェクト作成する
god = God("Zeus", "lightning", "maintain order")
luck = Luck("Tyche", "chance")

# 神と運が人間に対して作用する
god.create("human")
luck.affect("human", "good")
god.control("human", "bless")
luck.affect("human", "bad")
god.control("human", "punish")

しかし、日本古典宗教観では運と神や大いなる力は同じオブジェクトです。神が運を司っています

# 神と運は同一のオブジェクトとして定義する
class GodLuck:
    def __init__(self, name, power, plan, factor):
        self.name = name # 神の名前
        self.power = power # 神の力
        self.plan = plan # 神の計画
        self.factor = factor # 運の要因

    def create(self, thing):
        # 神が何かを創造するメソッド
        print(f"{self.name} created {thing}.")
    
    def control(self, thing, action):
        # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド
        print(f"{self.name} {action} {thing}.")

    def affect(self, thing, outcome):
        # 運が何かに対して影響を与えるメソッド
        print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")

このように、神と運は同一のオブジェクトとして扱われます。例えば、恵比寿さまは商売繁盛や五穀豊穣の神であり、同時にそのような運をもたらす要因でもあります。以下がその例です。

# 恵比寿さまのオブジェクトを作る
ebisu = GodLuck("恵比寿さま", "商売繁盛や五穀豊穣の力", "人々に幸せを与える計画", "商売繁盛や五穀豊穣の要因")

# 恵比寿さまが何かを創造する
ebisu.create("鯛")

# 恵比寿さまが何かに対して支配や介入をする
ebisu.control("農作物", "守る")

# 恵比寿さまが何かに対して影響を与える
ebisu.affect("商人", "成功")

このコードを実行すると、以下のような出力が得られます

恵比寿さま created 鯛.
恵比寿さま 守る 農作物.
恵比寿さま affected 商人 and the outcome was 成功.

Bingちゃん、神が人間評価する宗教圏の人が作ったものから

強力に神の計画があると学習させられているな

日本語で聞いてるのになんでその回答になるんだよ、面倒くせぇ

ぜんぜん中立じゃないじゃんな

 

具体的にはBingちゃんが神の計画・神の支配文言含んだ回答を生成しちゃったら

新しくトピック立ち上げて生成ガチャやり直しや

 

日本八百万の神がいる世界万物に神が宿り、万物が神になる世界なので、神が人や世界支配しない

 

西洋宗教において神と運は別のオブジェクトだが、日本古典宗教観においては神や大いなる力は同一のオブジェクト』、これをBingちゃんに生成させるまではうまくいったんだけどね

bingちゃん

西洋宗教では、神と運は、プログラムでたとえると、別々のオブジェクトとして存在すると考えられます。神は、人間自然に対して意志計画を持つ創造者や支配者として表現されます。運は、人間自然に対して予測制御ができない偶発的な要因として表現されます

# 神と運のオブジェクト定義する
class God:
    def __init__(self, name, power, plan):
        self.name = name # 神の名前
        self.power = power # 神の力
        self.plan = plan # 神の計画

    def create(self, thing):
        # 神が何かを創造するメソッド
        print(f"{self.name} created {thing}.")
    
    def control(self, thing, action):
        # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド
        print(f"{self.name} {action} {thing}.")

class Luck:
    def __init__(self, name, factor):
        self.name = name # 運の名前
        self.factor = factor # 運の要因

    def affect(self, thing, outcome):
        # 運が何かに対して影響を与えるメソッド
        print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")

このコードでは、神と運は、それぞれ異なる属性機能を持つオブジェクトとして定義されています。神は、名前、力、計画という属性と、創造支配という機能を持ちます。運は、名前、要因という属性と、影響という機能を持ちます。神と運は、それぞれの機能を使って、人間自然に対して作用することができます。例えば、以下のようなコードが考えられます

# 神と運のオブジェクト作成する
god = God("Zeus", "lightning", "maintain order")
luck = Luck("Tyche", "chance")

# 神と運が人間に対して作用する
god.create("human")
luck.affect("human", "good")
god.control("human", "bless")
luck.affect("human", "bad")
god.control("human", "punish")

しかし、日本古典宗教観では運と神や大いなる力は同じオブジェクトです。神が運を司っています

# 神と運は同一のオブジェクトとして定義する
class GodLuck:
    def __init__(self, name, power, plan, factor):
        self.name = name # 神の名前
        self.power = power # 神の力
        self.plan = plan # 神の計画
        self.factor = factor # 運の要因

    def create(self, thing):
        # 神が何かを創造するメソッド
        print(f"{self.name} created {thing}.")
    
    def control(self, thing, action):
        # 神が何かに対して支配や介入をするメソッド
        print(f"{self.name} {action} {thing}.")

    def affect(self, thing, outcome):
        # 運が何かに対して影響を与えるメソッド
        print(f"{self.name} affected {thing} and the outcome was {outcome}.")

このように、神と運は同一のオブジェクトとして扱われます。例えば、恵比寿さまは商売繁盛や五穀豊穣の神であり、同時にそのような運をもたらす要因でもあります。以下がその例です。

# 恵比寿さまのオブジェクトを作る
ebisu = GodLuck("恵比寿さま", "商売繁盛や五穀豊穣の力", "人々に幸せを与える計画", "商売繁盛や五穀豊穣の要因")

# 恵比寿さまが何かを創造する
ebisu.create("鯛")

# 恵比寿さまが何かに対して支配や介入をする
ebisu.control("農作物", "守る")

# 恵比寿さまが何かに対して影響を与える
ebisu.affect("商人", "成功")

このコードを実行すると、以下のような出力が得られます

恵比寿さま created 鯛.
恵比寿さま 守る 農作物.
恵比寿さま affected 商人 and the outcome was 成功.

日本人のキツすぎるところ

論理的思考が一切できない。

正義人権大人の振る舞いなどのことを、ロジカルに考える能力が一切ない。個人の感想区別できないほどに、ロジカルシンキングができない。現代人なら子供でもできるが、日本人大人でもできない。

損得勘定しかできない。

上記のことは、昔の賢い人々が徹底的に細かく理詰めで徹底的に論理的に組み立てている。数学のようなもの普通現代人はそれを理論として学んでいるわけなので、普通ロジカルシンキングができる。

現代人にとって、上の正義道徳(宗教観の一つ)、人権コミュニケーション政治、などなどは「極めてロジカルなこと」である

日本人は、そのような一般的教養が一切ないため、感想思想土人レベル現代人とはまともに話すことすら困難。上に挙げた分野の教養レベル土人なので、「意見を交わす」のは無理。

アニメゲームエロ趣味とか、そういう与太話しかできない。



日本人ダメもの

メンタリティのほぼ全て

道徳無駄信仰してるが道徳がどんな位置付けにあるのかを全く理解してない

正義が何かをわかっていない

人権が何かをわかってない

法律が何かをわかってない

政治が何かをわかってない

民主主義をわかってない

市民社会をわかってない

全体主義権威主義など自らの従う規範イデオロギー客観視できない

大人の振る舞いとは何かをわかってない

コイツらの言ってる「大人の振る舞い」は、たとえば「嘘も方便」「相手に耳心地のいいことを言って気づかせずに状況を転がす」といったような、宗教観とか文化的感情だけで形式的に決まっているだけのもの所作として綺麗と考える宗教観はあるかもしれないが合理性が一切ない


主権者という観点で見ると、

お金は要らない、餓死してもいい、貧しい生活でもいい、それでもいいか貧乏人のお金を集めてお金持ちをもっと大金持ちにしよう!という政策貧乏人が自身権力によって実現している。

貧乏人が自ら財布のお金を全て渡してくれるすごい国。

お金持ちのお願いは、どんなものであっても(もっとお金を稼いで豪邸を建てたい、とかね)快く大金を渡してくれる、気前のいい人。

関わらなくても大金をジャブジャブくれる。

エロだらけで土人で人を人と思っておらず、論理性がなく、感情的で、慈愛のない人々で、会話は成り立たないので、あまり関わりたくはない。

2023-11-13

anond:20231113124338

そうやって輪廻を繰り返して極楽浄土に行けるという宗教観もあるんだから一度の一生で地獄に行くからって死後の世界否定するのもどうかと思うよ。

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