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2021-06-01

正義の反対はまた別の正義」という言説が嫌い

ツイッターでは「正義の反対はまた別の正義」「人それぞれに正義がある」「人が正義に立つと最も残酷になるのだ」みたいな言説が本当に氾濫していてゲンナリする。

たことないですか?ドラえもんの「戦争なんてみんな自分が正しいと思ってる」みたいなコマ他人ツイートに送りつけてる人とか

正義の反対が別の正義なのも人それぞれに正義があるのも当たり前で、問題なのはそれを踏まえて何を主張するか、自分はどのような正義に立つのかだろ。

ちょっと前に防衛副大臣イスラエル擁護して大炎上してたときも「イスラエルパレスチナにはどっちも正義がある」みたいなことを言う人が大量にいたんだけど、それを踏まえたうえで、双方の主張に欺瞞がないか宗教観対話は難しいとはいえ何か切っ掛けはないのか。そういうことを話していくべきじゃないのかよ。その点では内容はともかく明確に立場を表明した副防衛大臣はまだマシだった。

正義の反対はまた別の正義」ってその点便利な言葉なんだよな。詳しく調べるのは面倒くさい問題でも、こう言っておけばそもそも解決不可能問題のように見せかけられるし、ちゃんと調べて何か発言してる人とコスパよく同列に並べるから

「なんか偉そうに「正義」を語ってるやつがいるけど、そもそも正義なんて人それぞれなんだからあいつのやってることは無駄なんだ、何もしないオレの方が賢いんだ」みたいなメンタルが透けて見えるんだよ。関心がないこと自体は構わないけど、お手軽に何か言った気になろうとしないで欲しい。雑にマウントだけ取ろうとするな。

ロシアクリミア併合とか、ミャンマーでの国軍虐殺とか、中国での少数民族弾圧とか、ああいうのも彼らの「正義」ですよ。それぞれの国内では犯罪でさえない。でもたいていの人は「その「正義」はおかしくて、もっと正しい別の立場があるはず」って思えるんじゃないかな?

そう思えるんなら、その時点であなたは「数ある正義の中でも、公正なものと層ではないものがある」ことに気付いてるんだよ。「正義の反対はまた別の正義」という言葉ストップする無意味さに気付いて欲しい。

こういう言説がここまで流行したのって、大真面目に学校教育の「みんなちがって、みんないい」みたいな思想のせいだと思う。言うまでもなく個々人の嗜好(好物とか性嗜好とか)に関しては人それぞれだが、社会に関わる問題までもが「みんなちがって、みんないい」で済むわけないだろ。

2021-05-30

anond:20210530093921

リベラリズムだと自分で選んだか選んでないか問題になるけど、現実社会家族とか自分で選んでもないもので溢れ返ってるしそういうもの全否定すると成り立たないよねっつー主張だからサンデルは。

要はリベラルは反出生主義に反論できない。

彼は伝統的な家族観とか宗教観とかそういう共同体価値観を軽視するとこういう問題が出てくるのでよろしくないという立場であって、政策面の主張は似通っていても根っこはリベラルではないのだ。

2021-05-12

anond:20210512094722

今でも子育て家庭に対する公的給付を増やすなどで、ある程度フォローはできるよな

両親家庭に比べて少数派で不利だとしても、子供育てるのに支障がない程度の金があるのならそれ以上は望まない人も多いだろう

今だと「シングルマザーだと貧困でまともな子育てができない」だけど

これが「シングルマザーだと普通に子供を育てられる、両親家庭なら贅沢な子育てができる」程度の差だとしたら、それでもシングルマザーを選ぶ人は多いと思う

自民党がそうする気がないから、そうなる事はないんだろうけど

その理由も「旧来の家庭こそが唯一至上であるべき」という宗教観ありきでしかなさそうだが

2021-05-08

anond:20210508161140

結局自然状態人間普通に持ってるんだろうな。

日本みたいに宗教観が薄れて死生観現実的になった国ほど自然状態に戻っていって強まる。

2021-05-01

新興宗教が僕らに何をしてくれるんだ

結論だけ先に言うと、新興宗教信仰してる友人がいたんだけど、いつの間にかそいつ共通の友人から縁を切られていた。

高校から友達Aがいた。クラスは違うけど部活が同じで仲がよく、進学した大学は違ったけど卒業しても連絡は取り続けていた。

ある日AにBを紹介された。AとBは同じ大学の友人で、学部は違うけどサークル活動で知り合ったらしい。Bはとある新興宗教信仰していたが、当時は僕もAもそのことを知らなかった。

就職タイミングでBがその宗教施設で働き始めることとその宗教信仰していることを聞いた。びっくりしたが、今まで大学勧誘してきた人たちと違って無理やり宗教話題を出したり勧誘してくることは無かったので今までどおり友達として接した。

年に1,2回は僕とAとBと三人でどこかに遊びに行ったり誰かの家でご飯を食べたり交流を続けていた。友達と頻繁に会う人からしたら頻度は少ないかもしれないけど、僕らにとっては丁度いい距離感だった。

その時たまにBの宗教施設の話をすることもあったけど、僕らのする会社での話に合わせた特に他愛もない内容しかなかった。

2年くらい前にAは結婚して僕とBは式に呼ばれた。Aは高校の同じクラスの人と仲が良かったので僕とB以外はほぼAの同じクラスの人だった。その大きなクラスタに所属してない僕とBは知り合いの少なさに緊張しつつも、それでも僕らを呼んでくれたことに感謝をした。

そして最近BからLINEが来た。Switchを買ったからフレンド登録しようと言ってきた。僕がSwitchを持ってるのを覚えてたらしい。それからBと僕は月に一回くらい通話しながらゲームをするようになった。

ある日Bから「AからLINEの返事が来なくなった」と相談を受けた。Aは僕みたいにケータイを握りしめてるような人ではないし、仕事がかなり忙しいと聞いていたのであまり気にしてなかった。ただ返事が来ない期間がかなり長く、流石に気になったか自分からAに電話をしてみた。

電話で、AはもうBと連絡を取りたくないと言ってきた。最近BがAの配偶者Cにかなり積極的に連絡をとっていたらしい(BとCは同性)メッセージの内容は特別変なものではなかったが、頻度がかなり高く、その上突然電話をしてくるようにもなったらしい。もちろんBとCは面識あるし僕らも入れて一緒に遊んだことも数回あるけど、それにしては急接近だった。

Cは親族にまた別の新興宗教信仰してる人がいて、その人とBの距離のつめ方や振る舞いがよく似ていたので不安になったらしい。

また、Aが高校の友人をBに紹介した後、また会おうとBからその友人に連絡があったらしい。行き先はその宗教施設。そういうこともあってAは距離を置きたいと言った。

AとBとまた3人に遊びたいと思ってた。また一緒に誰かのうちに集まってご飯を食べたり雑談したり、仕事の話で愚痴を言い合ったりしたいって思っていた。

よく考えたらこれまでに出会った新興宗教信者、みんな他の友人から縁を切られている。同じサークルだったあいつ。趣味が同じで音楽イベントでよく顔を合わせるようになったあいつ。みんな仲良くなった頃に宗教勧誘をしてくる。そして周りが、そういうのはやめてほしいと去っていく。

別に何の宗教信仰してても構わない。僕はBを友達だと思ってる。でも新興宗教信者って距離感を間違えてることが多い。求めてもないことを強く勧めてくる。僕らが人生に躓いてる時に限って話を持ち出してくる。本人がそうなのか、それともそうするように教団?から教えられるのか。そんな距離感じゃなければ「僕も君も宗教観は違うけど友達だよ」と言えるのに。Bも、今まで出会ったあいつらも、その宗教信仰してなければ僕らと友達関係を続けられたのに。

新興宗教が僕らに何をしてくれるんだ。

2021-04-07

トイレの神様

https://anond.hatelabo.jp/20210406154303

日本人の大多数は、「トイレの神様」って聞いて別に違和感は感じないんだけど、

じゃぁ、「トイレの神様」の存在を信じますか?って質問には、日本人の大多数は口ごもる。

更にややこしいのが、口ごもるけど、存在100%無いと断言するような感覚もないのよ。

凄い単純化すると「どちらでもない」みたいな感覚だけ存在していて

信仰」とか、「信じる」とか、「宗教」って言葉に、

「どちらでもない」状態を差す意味が込められてないから、

ほんとの人がこれらの宗教的な質問にうまく答えることができない。

その上多くの宗教行事文化風習の一部になっているので、

大体の人が参加することに違和感もなければ、ポジティブ信仰心も特にない。

日本人宗教観は、「信じる」「信じない」の二択でも、その間のグレーゾーンでも、

「他の熱心な信者に比べると、信仰していないので無宗教」でもなく、

信じたり信じなかったりどちらの感覚もありつつ、どちらでもないというややこしい宗教観。

(厄除け行かないと気持ち悪いけど別に信じてるわけじゃないみたいな)

なので、元増田の「無宗教」といわれることに違和感は正しくて、「無宗教」ではないけど、

たぶん的確に言い表す言葉がないだけ。

それでも弱者男性(KKO)が救われなければならないたった一つの理由

https://anond.hatelabo.jp/20210405233005

 

前回ミソジニーに塗れた弱者男性(KKO)は救う価値が一切無いと書いた。

 

それでもミソジニーを抜いたところにある弱者男性(KKO)は救われなければならない。

というよりもミソジニー駆逐するためにも弱者男性(KKO)は救われなければならない

 

弱者男性(KKO)の本質社会におけるプレゼンス喪失および社会からの疎外感にある。

結婚経済的性交槍玉に挙がるのもそれらが社会において一定役割付与するものであり、それらが達成できないことはすなわち社会的なプレゼンスを獲得できなということに他ならないかである

 

ただの貧困であれば社会福祉でカバーできる部分もあれば労働問題としてカバーできる部分もある。

ただの婚姻問題であれば少子化対策などを絡めた制度と的な問題としてカバーできる部分もある。

しか弱者男性(KKO)が抱える問題あくまでも喪失感と疎外感なのでそういった制度問題として解決できる部分は少ない。

 

となるとそんなの放置すればいいじゃんという主張が出てくることは自然なのだけれども、それはそれで問題がある。

最近増田の流れの中で弱者男性(KKO)のような存在を救っていたのが宗教だったのではないかという指摘をする増田もいたが、真っ当な宗教観を持つ宗教に救われるならともかくカルト的な宗教に嵌まってしまえば社会から距離は縮まらないどころからさらに離れてしまう。

弱者男性(KKO)がミソジニーに絡め取られやすいのも宗教的救い・精神的支柱を白饅頭のようなミソジニーを含む弱者男性(KKO)論に求め縋ってしまうからであり弱者男性(KKO)を放置してきた結果でもある。

 

まり弱者男性(KKO)を救うということはミソジニーに縋る人間を減らすという事でもあるのだ。

 

からこそ私達は弱者男性(KKO)を救わなければならない。

 

あとちょっと付け加えると、実は弱者男性(KKO)は男性にだけある存在ではなく性別セクシャリティーなどの属性による垣根のない存在であるという事も念頭に置いておきたい。

男性以外の属性場合社会からの疎外感はそのまま社会による構造差別に繋がる部分も多く、そのための属性内で一体となった社会変革運動が行われている場合も多い故に社会から疎外感を感じても属性内の一体感があるのでそこまで目立っていないと言うだけの話で。

からこそ男性以外の弱者男性(KKO)の存在を救うためにもやはり弱者男性(KKO)を救われる必要はあるのだ。

anond:20210406154303

神社に行ってお賽銭入れるのは縁起が良さそうだからだし二礼二拍手一礼はただのマナー教会に行けば教会のしきたりに従い十字架切って手を合わせると思う。結婚式教会で挙げるのが定番だし、毎年クリスマスも祝うけど別にクリスチャンな訳ではない。多くの日本人宗教観はその程度のものかと。

anond:20210406154303

言いたいことは分かるよ。でもそれは「信仰」という言葉定義問題であって、多くの日本人にとって信仰という言葉意味はこんな感じなんだよ。

しん‐こう〔‐カウ〕【信仰】[名](スル)《古くは「しんごう」》

1 神仏などを信じてあがめること。また、ある宗教を信じて、その教えを自分のよりどころとすること。「信仰が厚い」「守護神として信仰する」

特定対象絶対のものと信じて疑わないこと。「古典的理論への信仰」「ブランド信仰」(デジタル大辞泉

しん-こう《名・ス他》神・仏など、ある神聖ものを(またはあるもの絶対視して)信じたっとぶこと。そのかたく信ずる心。(Oxford Languages)

な?


国語辞典における「意味」というのは、「世間一般でのその語の使われ方」がベースになってる。だからあんたが個人的に「信仰」という語をライト使用するのは自由だけど、世間一般的にはそれはあくまで「信仰と呼ぶにはゆるい/ライトもの」であって、日本人の多くは自分宗教観、宗教的態度を「信仰」と呼ぶのはちょっと大げさだよねー、という感覚を共有してるってことだよ。まあ、将来あんたのような人間が多数になれば「信仰」って言葉意味が変わる可能性もあるっちゃある。ただ、それは単に物事の捉え方、表現の仕方の問題であって、「自分を『信仰』的立ち位置に置きたくない」という日本人宗教トラウマは、まだしばらく続くと思うなー。

2021-04-06

anond:20210406154303

目に見えない神や悪魔や魂や妖怪みたいなもの存在しているかもしれないし、していないかもしれない。いるとすればたった一種類ではなくて色々いるだろう。一応、いるかもしれないという前提で有り難そうな、ご利益有りそうな儀式出会ったら何でも受け入れておこう。皆が何かをあがめている場では基本的自分同調しておこう。でも、洗脳されそうな狂信的なやつはノーセンキュー

大多数の日本人宗教観はこうだろう。無宗教なのではなく、宗教存在価値を無いとは思っていないが、特定宗教への所属意識が極めて薄い。そしてそれが悪いことだとは微塵も思っていないし、その中立的などっちつかずの感じが生きる上では居心地良いと思っているのだ。

anond:20210406154303

宗教的信仰心は全く無いけれど、日本の文化として初詣やお墓参りに行っています

日本人宗教観としては神社や仏閣よりも人が死んだアパートの部屋を穢れたものとして事故物件として扱うなどの行為の方がに明確に現れているのではないでしょうか。

anond:20210406154303

日本人は、時の支配者から強要された宗教をなんとなく信じている気がする。

江戸時代仏教明治から第二次大戦までは神道戦後はそれまでの全否定

現在日本人宗教観は、これらの経緯の積み重ねで残ったものだと思う。

無宗教!=無神論だと思う。

なぜならこれを無神論だというのは無理がある。

特定宗派を信じていない無宗教表現した方がまだ混乱が少ない。

欧米キリスト教時代が長かったから、その習慣が残っている。

中東イスラム教時代が長かったから、その習慣が残っている。

おそらく、日本もこれと同じだと思う。

時代が変わって、宗教自由適応されて、宗教強要はなくなったけど、長く続いた習慣はなかなか消えない。

これはそういうものだと思う。

また時の支配者特定宗教強要されるか、それとも時とともに風化して少しずつ忘れ去られるか、そのどちらかかな。

後者であってほしいものだけどね。

anond:20210406154303

なんか適当精霊的な神様を思う事はあるけど、それを信仰してる訳ではない。

別に裏切ってもいいし、無かったことにしてもいい。

ただとりあえず何となくそこにいる神様的なやつにあやかっておこうというプロテスタントよりも遥かに緩い宗教観

無神論ではないけど、特定宗教に傾倒している訳でもない。

から無宗教

クリスチャンですが日本人無宗教だって言うと違和感がある

私はクリスチャンです。といってもカトリックのような懺悔だとかミサがあるわけではなく、割と自由な感じのプロテスタント教会クリスチャンです。日曜礼拝とかあるけど、サボってもそんなに怒られないし、私自身日曜礼拝サボりまくりダメダメクリスチャンなんですが。だいたい神様を信じたら、だいたいの「やってしまった!でも悔い改めるわ!」で神様は許してくれるのでな?ゆるいぜキリスト教プロテスタント

こういう感じで、ゆるふわ神様信仰しています教会宗派によっては厳しいとこもあるみたいですが。

で、なんとなく、増田にでも書いて、すっきりしようと思って書くのです。それは、日本人宗教観についてです。日本人無宗教だといわれますが、私にとっては違和感しかありません。

というのも日本人って、なんとなく神を信じていてなんとなく信じていいないだけなんじゃないかって思っていて、それは無宗教でもないよねというか。

しかに私のように一つの宗教を信じているって日本人は少ないと思います(一つの宗教を信じている中にも私のようにゆゆるふわふわ信仰している人もいれば、ガチ信仰している人もいるんですが)。

でも全く宗教を信じていないってわけでもないなって感じます。それはよく言われるように「初詣神社に行ったり、お葬式に出席したり、結婚式チャペル」みたいなことをするけど、「宗教を信じていない」というのから来ています

私にとっては意味が分かりません。矛盾しているのです。本当に宗教を信じていないならば、神社に行ったりなんかしないはずです。

また、アニメ漫画を見ていても、「神様」みたいなキャラクターが出てきたり、神話みたいなもの抵抗なく受け入れているのを見て、それって無神論者であれば受け入れられないと思います

それが古くから伝統から?慣習だから?みんなやっているから?と答えられますが、それこそ私にとっては「宗教信仰」なんですよ。

私の家も古くからキリスト教信仰しているから家の慣習で私もクリスチャンやっているだけなんですよね。

神様も「ぜったいいる!!」みたいな感覚というか「ああ、なんかいるよね~」って気分で信仰しています

ずっと解消されない疑問で、つまり、「無宗教」「なんの信仰もしていない」ってのになんで、みんな神社言ったり、お寺言ったりしてるでしょうか?という疑問が未だに解消されないので、ここに書いてすっきりしたいと思っていますがすっきりしないな。と。誰かすっきりさせてください...


追記

みなさんのコメントを見て、なんとなく理由が分かってきました。ありがとうございます。ですが、同時に私の疑問をもうすこしはっきり言語化すると、

例えば、みなさん、神社にお参りに行きますよね?その時に、手水で手を洗って、2回お辞儀して、2回拍手するらしいですね? それでお賽銭?というお金を投げ込んで、なにかお祈り(願いごと)をするらしいですよね?(実際には私は一度もお参りをしたことがないので実態が分かりませんが、人から聞いた話によるんですが)

これって、まさに何か信仰していないとできないことだと思うんです。でも、日本人は「無宗教」だというのがよく分からないのです。無宗教なのに、お祈りしてしきたり守って挙句の果てに献金(お賽銭)までしてる。

お葬式なんて、仏教行事で、なにかお坊さんがお経を唱えるのを訳も分からず、ずっと聞いているらしいのですが、僕らからすると牧師さんのわけのわからない説教を聞くのと同じようなもんじゃいかと。(ちなみに、余談ですが「教会に行くと洗脳されそうで怖い」って言われたりするんですが、「お経を聞いて洗脳されないの?」というのと似たような疑問を持ったりします。あと話が逸れますが、お坊さんのお経って日本語じゃないらしいのですが、なんで日本語で唱えてくれないのでしょうかね?だれも文句いわないんですか?)

でもコメントをみる限りそういうのを信仰と思っていないとか、「信仰自覚的ではない」んだなと理解しました。もしくは、「他の熱心な信者に比べると、信仰していないので無宗教」という感じですかね?

2021-04-05

地元の有力者だった父はうちの母に一目ぼれして結婚を申し込んだそうですが

父は仏教、母は神道宗教観が違っていたので断られたそうです

諦めきれない父は檀家のお寺と彼女の家が氏子をやっている神社を買い取って

家の土地の一部を作り変えて移設したそうです

それ以来神仏混交が進んだようでお寺と神社へのお参りを両方していく人が出て

忙しいときにもここに来ればどちらにもお参りできていいねえと喜んでいたそうです

これが二つのものをまとめて一つにするという参道一致という故事の由来です

2021-03-27

夫婦別姓についても、同性婚についても、芸能人不倫についても、その他なんかようわからんそういう事柄についても思うことなんだけどさ、なんで特定の人たちはそんなに他人生き方干渉したがるのかがそもそも一切全く分からないでいます

他人人生じゃないか

権利とか自由という概念以前に、そもそもなんで干渉したがるのかそのモチベーションからからない。分かりたくない。自分以外の人間がどう生きようが自分人生にはなんの関係もねえのに、なんでそんなどうでもいいことに当事者意識が持てるんだろう。自他の壁が消失しているのだろうか。僕の知らない間に地球人の幼年期は終わったのだろうか。そんな形の補完は嫌だ。倫理観とか宗教観とか社会規範とかなんかそういうまぁ要するに信仰心リブンな事柄について、他人強要することはあんまり良いことではないと思うし、そう憲法に書いてあるし、たぶん小学校とかで習っていると思う。知らんけど。

そもそも他人幸せを決める権利なんて我々は持ち合わせてはいないのだから、どんなに自身信仰心に照らして愚行と思える行いでもそれを止める権利なんてないし、愚行でないのならなおのこと。愚行権自由権の本質です。例えば、夫婦が別姓になって何か問題が起きるとしてもそれは当事者が最大限の自助努力のもとで理不尽に相対しながら血反吐を吐いて解決すればいいだけの話です。事前に法が介入するべきではなくて、問題が起きた後に法が介入できる余地を残しておけばいい。それが法にできるギリギリのことです。

例えばそれで不幸になる人がいるにしても、その人から事前に権利を奪ってはならない。自らの自由意志による選択の結果として不幸になる権利をその人から事前に奪うことは悪行に他ならなりません。人は不幸になる権利があるんです。見方を変えて、社会規範の維持や社会制度の維持を願う権利は個々の市民にあるとしてもその権利範囲は強く束縛を与えなきゃいけないはず。個々の姓に関しての束縛はその権利範囲を明らかに逸脱しているし、個々の性事情に関しても踏み込んでいい範囲じゃない。それらは誰がどう考えても個人自由範疇です。

そもそも自由主義社会においては当事者同士が限りない自由の中でより良い道を模索するべきで、法律が束縛を与えるのはあまり良いことではない。法律利益調整のために仕方なくあるものなので、必ずしも必要ではない束縛はそもそも全て破棄すべきなので、夫婦同姓規定夫婦別性規定もどちらも要らない。というか本質的には私有財産接続制度以外の何者でもない法律制度の形が現行のものだと違和感が凄いとは思っているけど、これは未婚の私が言うことじゃないから言わない。市民は自らの選択で限りなく不幸になる権利すら手中に収めた。それはきっと素晴らしいことなんです。隷従のもとで肥え太ることより遥かに素晴らしいし、それを守りたいと私は思います。私は私が正しいとは思っていません。自由主義なんて最悪だと思っています、もちろん自由主義以外のすべての形態を除けばの話ですが。

2021-03-17

anond:20210316230236

幼少期から教会聖書宗教観を育んで、その後で、自分恋愛対象や心の性に気づくから苦しむんだろ。

言ってみりゃ、子供の頃から無職死ね」っていう宗教に入ってて、自分でも「無職ダメなんだなーなんで滅びないのかなー」って思ってたら、大人になったら自分無職なっちゃいましたって感じじゃない?

2021-03-15

シンエヴァネタバレを読んで

ラーゼフォンしか思えなかったり

時期的に、というかエヴァの影響は受けているだろうけど

そういえば、ラーゼフォンは「首都消失」「さよならジュピター」「ブルークリスマスネタだったよなあ

小松左京庵野氏が大好きな岡本喜八

主人公が神になって世界調律を果たす

調律された世界には東京ジュピターエヴァ使徒に当たるドーレムも当然ムーリアンも存在しない

東京ジュピターが出現して離れ離れになって、自分彼女だった遥は主人公の代わりに?双子の弟、樹と交際するも別れてしま

調律された後の世界では主人公と弟が合体したような人物になっている

物語は完全になかったことになっていて、主人公大学研究職で出世、(紫東)遙とは普通に結婚

出産した娘の名前主人公世界を再構築する権利を争ったもう一体の神である如月久遠になっている

世界ループするたびに登場人物の役が変わるみたいな感じ

ラーゼフォンイケメン無双なところが観ててツライけど、フィクションとしては好き

ただ、裏側を調べててちょっと胡散臭い新興宗教っぽく思えたのは気になるけど

作り手側がどういう思想宗教観なのかは引っ掛かるけど、フィクションとしては面白いし好きなんだよなあ

メカとかそういう設定も好きだった

ライディーンオマージュというのも良かった

違いがあるとするなら、ラーゼフォン純愛路線だった

東京ジュピターによって離れ離れになり、東京ジュピターの中では時間の流れが遅くなるため、

離れ離れになった同い年の二人は年齢差が開いてしま

ウラシマ効果みたいなものでもある

少年東京ジュピターの中で少年のまま、少女はオバサンになってしま

それでも互いに恋愛関係になり、最終的には再調律によって問題自体がなくなってしま

シンエヴァは脇道から現れた巨乳眼鏡と結ばれてしまうという点でリアルといえばリアルなんだろう

ラーゼフォンTV版と劇場版で設定が異なっていたと思うけど、

引き離された恋人同士が最後は結ばれる点では同じだったと思う

そんな理想通りいくわきゃねーだろ、となればシンエヴァみたいになるのかもしれない

2021-03-09

anond:20210309004749

庵野陽キャになろうぜ。俺もなれてないけど努力はしてるんだぜ」

みたいな感じなら、尚更観に行きたくなくなってきた

というか、ネタバレは見ないよググらないよと努めてたら、いつの間にか俺はネタバレブログを読んでたのだけど、

本当に田舎とか畑のシーンがあるみたいで…、

地球少女アルジュナ

もしかして庵野氏も河森氏みたいにヤマ■シみたいな宗教観に目覚めた?

というか、宇宙とかロケットが好きでも、理系素養があれば普通理系行くだろうし、

それがないということはアートな面で魅力を感じているというか理解しているのだろうし、

そうだからこそ大阪芸大なわけでもあるのだろうし、

となると自然回帰とか変な方向に目覚めてしまったのだろうかと思ったり、

金田一少年の事件簿の作者みたいになっていくのだろうかと危惧したり、

まり政府少子化対策の一環としてシンエヴァを作ったということでよろしいのだろうか

2021-02-19

anond:20210219185738

その通りだと思う。

論理的思考」とかのレベルでも、ある種の思想、考え方の強制と言えるかもしれない。

文化教育国家観や宗教観結婚感や人生観、あらゆるもの子ども時代からインストールされているし、一定程度メジャーものは「常識」と言われ、疑われることもない。

良い悪いでなく、ある一定思考共通範囲がないと、話し合うことも共に生きることも難しいから生じた、社会崩壊しないための知恵なんだろうね。

2021-02-05

日本人無宗教理由

日本人はよく無宗教と呼ばれるが、私はそれは当たり前だと思う。日本キリスト教のような確固たる宗教が生まれるほどの素地もないし、その資格もないからだ。

宗教が生まれる素地とは、その宗教が生まれ土地風土のことだ。風土とはその土地に住む人間気質文化形成に関わる地理的気候環境のことである

キリスト教のような一神教自然の恵みの薄い中東砂漠風土からまれた。そこでは神は人間の味方で、厳しい自然をも超越する。神の言葉である教典もその土地での生存戦略において合理的である。その信者生活のありとあらゆる場面で神を拠り所にする。

一方で日本伝統的にアニミズムという多神教宗教観に依拠している。それは四季の変化や災害の多さ、生物種の多様さに起因していると言われる。そこで(沢山いる)神とはその様な自然環境理由であり、アニミズムとはその中で人が生きる生存戦略である。故に日本において神とは必ずしも人間の味方ではなく、そこにあるだけの存在なのだ神社が行う祭祀も神のご機嫌をとり、神と人間共存共栄を図るための儀式である

このような日本中東風土の差から日本では信仰するに足る神様は生まれでてこないのだ。むしろそんな神が日本にいたらとんでもない憎き業を抱えた存在になるであろう(まあ、それを神と呼称することも無いであろうが)。日本には真の唯一絶対神存在しえないのだ。それは仏教キリスト教が伝来したときも変わらなかった。

無宗教というのは日本外来宗教が入ってきたときに、日本古来の習わしと共存共栄するための文化産物であると思う。したがって無宗教は反宗教ではなく、むしろ宗教を維持する工夫であったといえる。そうでなければ仏教キリスト教は今ごろ日本から排撃されていたかもしれない。

P.S.

誤解なく言うと、私は日本において一神教の神を信仰することを否定したりとか、あるいは神道アニミズム以外の信仰を認めなかったりするのではない。むしろ日本に住むどの人も何かしらの信仰を持つことを望んでいる。その時に同じ神を見ることは無いのだ。同じ所で安全平穏暮らしているその事実がより重要なのだからだ。

2021-02-03

日本先進国で最も宗教的

ここまで数字で物を考えることができず正しいか間違っているかという善悪尺度、すなわち宗教観で全てを判断する国民性を持つ国が他に存在するのか?

新型コロナワクチンに対しても最も打ちたがらない人が多く懐疑的だという調査が出ており、まるで輸血を拒んで自分子供を死に追いやるエホバの証人のようだ。

特定の神やら宗教やらに対しては嫌悪感を持つ割に、誰もが迷信を信じる国、それが今の日本だ。

2021-01-22

神様信仰することのアホらしさ

タイトルで強烈な文言を述べたが、私個人神様信仰していない。私は神様ではなく自分幸福をもたらしてくれる縁や尊敬できる偉人信仰している。

私の家系日蓮宗であるが、それを意識することはほとんどない。葬式や父の実家仏壇を拝むときだけだ。クリスマス初詣もするし、お守りを持つこともある。

このような態度は無宗教と呼ばれ、日本人の多くはこれに分類される。中にはこれを宗教的態度の欠如である批判する人もいる。私が小学四年生の時の担任教師はこれをおかしいと非難した。

しかし、私はこのような「無宗教」が日本で起こったことや、無宗教の人が宗教恩恵にあずかれるのはおかしいことではないと思っている。

日本人宗教観は、この世には沢山の神様がいるという宗教である。この世のあらゆる事物にはそれぞれの神様が宿り、神様達の動きによりこの世界因果関係が決定されると考えた。それぞれの神様人間と同じく感情を持つものとして考えられ、祭祀信仰はその神様のご機嫌をとることに近かった。この宗教的態度は外国から仏教儒家思想キリスト教などが入ってきても変わらなかった。

このような宗教的態度が生まれた背景を和辻哲郎のエセー「風土」は日本(および東アジア)の雑多な生態系災害の多さに求めた。日本人古来より抗いがたい災害に見舞われ、それに耐える忍耐力を養った。そしてその気象条件は同時に命の恵みも与え、我が国植物動物の息吹があまねく見受けられるのである

こうした環境日本人精神を作り、その精神から人格を持つ沢山の神様を生み出したのである。これは自然環境が変わらぬ現在でも同じであり、欧米中東のような一神教的な絶対神日本征服できないのはこのような理由がある。一神教の神は、多神教神の国の一部として取り込まれるのだから

遠藤周作小説沈黙」では、日本に伝来したキリスト教の教えが日本根付かず改変されていることを元宣教師フェレイラが嘆くシーンがあるが、それは上の風土を考えれば当たり前のことなである

一方でキリスト教イスラム教などの一神教誕生したのは、砂漠の国中東からである。そこは日本とは全く異なる生命の息吹が皆無の殺意の大地である。そのような状況から砂漠の民のヒューマニズムへの関心はとりわけ高く、それが人間の味方である絶対唯一神への信仰を生み出した。

それがヨーロッパに入り浸透したのは、ヨーロッパ民族合理的従順だったかであるヨーロッパ生態系が単調で、人間からすれば自然は全部「役に立つ」ものだった。そこから古代ギリシャローマ代表される科学合理的思考がこの地で起こり、それはヒューマニズムに満ちた一神教を受け入れたのだ。

ここで、あらゆる神や宗教を吸収する多神教の国日本一神教が人々を統べる欧米中東差異が分かる。そして、これが日本無宗教を受容する態度と非難する態度の違いを生み出すのだ。

一神教宗教観は日本無宗教非難するが、それは無宗教神様信仰しないからだ。一神教の神は世界創造者で裁定者で救済者なのである。それを信仰することが彼らの人間として生きることの証なのだ。故に無宗教非人間的な態度であり、シリアルキラー同類存在なのだ。先の私の小学校先生無宗教人間として無節操な態度と考え、非道徳の理由無宗教に求めたのだ。

その上で私は一神教宗教家の方々の私の宗教観への批判反論したい。私が信仰しているのは神を持たない宗教であると。

先ほど私は日本宗教観ではこの世の事物にはそれぞれ神様がいると述べたが、それはあくまでいるだけであり信仰する神ではない。物事因果を神の所業と考えているが、それを起こす神が気まぐれでそれが沢山いる以上もうどうしようもないのだ。もしこれが人だったら早々と見限るような神々は沢山いるのだ。神は人を選ぶのだろうが、人間も神を選ぶのである

私も以前は神は正しいメッセージを授けてくださると思っていたが、いつまでたっても授けてくださらない。それは当たり前のことであり、雑多な風土に宿る神が雑多なメッセージ以上の何かを発信することは出来ないのだ。日本土地では裁定者たる神はいないのである。「沈黙」でも、主人公の前に裁定者は最後まで表れなかった。裁定者は日本という沼地で溺死したのだ。故に主人公は生きるという決意で生き延びたのだ。

沈黙」では神を心のなかで生きる存在と最終的に結論付けたが、私はその神の存在意義は最初から否定した方が楽なように思えるし、そちらが神様にとってもありがたいであろうと思う。そうでないと私は神様に対する「たかり」になってしま申し訳なさで死んでしまいそうだ。

何か危機に陥ったときにかつては祭祀加持祈祷に頼っていたであろうが、科学時代においては科学の方が日常生活では「烏合の衆」よりかは帰依出来る。

今のコロナ禍でも、精神的基盤を補強する役割以外では、神頼みよりも衛生的処置医療措置の方が遥かに大事なことはすぐに分かる。

では私は何を宗教に求めているかというと、私の心と世界とのコミュニケーションである。世の中には理不尽なことは沢山ある。そんなとき世界沈黙し私を嘲笑しているように錯覚することがある。

だが、それは私が世界とのコンタクト放棄しているかである世界は私を嘲笑していない、語りかける励ましの言葉はある。私がそれに気付くとき、私は心を開き癒されるのだ。その回路を開くことが私の宗教的態度である。私が信仰しているのはそうしたものである

私は長々とここまで語ったが、私は他人宗教的態度を否定するつもりは毛頭ない。私には私の納得する宗教的態度があり、それを大切にしている。故に他人にはここで語ったことに対抗しうるだけの宗教的態度があると考えられる。私はそれを侵すつもりはないし、相互不干渉を守りたいと思う。自分の守りたいものと同じように他人の守りたいものは守りたいのだ。

私の記事は以上だ。

2021-01-18

「それは運命から」と言って、他人の不幸に共感を示さな

うちの親は他人の不幸に共感を示さない人だった。

ニュースの中では、事件事故などで誰かが死ぬという不幸な項目もあるが、

それを見て述べる「かわいそうだね」という素朴な私の言葉に対し、

親は「それはその人の運命から」と言って、憐れみを示すことはなかった。

一度だけ、その言葉意味合いを聞いたことがある。

いわく、人間の不幸はその人の運命なのだから、かわいそうなことではない。

その人が受けるべき運命を受けるだけだから他人には仕方のないことなのであって、

それは誰かが助ける対象ではない。その人自身がなんとかすべきである、とのことだそうだ。

どうやら、被害者が何も悪いことをしていなくても、その人が存在している「運命」のものが不幸の原因であるようなのだ

親のこのような発想は、被害者への共感を削ぎ、それこそ新たな不幸の発生源に成りうる

と思うのだが、どうすれば変えることができるのだろう。

誰も悪くなくても、「運命」でなくとも、不幸は発生しうることをどうやって示せば理解してもらえるのだろう。

(そうだ。あの浄土真宗増田にでも質問してみればよかったが、ピークが過ぎたのでトラバしてももう無理だろな。)

ちなみに、「運命」とは言っているが、うちの母親特定宗教観を持つわけではなかったので、

おそらく、自分の不幸が結局救われなかった辛い経験があり、それを宗教的理路とは関係なく、

何者かが定める「運命」認識してしまったのだろうと思う。

私はそれを誤解だと思うが、まあそれも一つの価値観なのだろうと、これまで批判的に聞くことはなかった。

しかし、震災とかコロナとかを考えると、「運命」という考え方はあまりにも薄情だなと思った。

2021-01-15

anond:20210114191337

日本では宗教観あやふやだが、浄土真宗信仰してる人間はそこそこ居るぞ。

国外人間ならまだしも仏教に縁のある人間が他宗教貶める発言、神経を疑うわ。

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