はてなキーワード: 言い回しとは
1年ほど前に色々あって会社に行かなくなった。ただの働きすぎだけど。それまで自己肯定感マックスで自分大好き、ネガティブ発言ばかりの人間は大嫌いで鬱なんて甘えだろうと考える人間だったのに、毎日寝て起きて泣いてちょっと食べての繰り返し。死ぬ勇気はないから傷病手当と少ない貯金でゴミのように暮らしてた。会社は辞めた。
そんなこんなで通院しながら新しくアルバイトをし始めて、時々友達に会ったりなんかもできるようになってきた。でも会話がまるでだめ。口を開けば否定的な言葉、ネガティブな言い回し、でもでもだってばっかり出てくる出てくる。脳がそういう風に書き換えられてしまったみたいで、無意識にな〜んでも無理、だめ、どうせ、でも、嫌だ、って変換してしまう。そういうのがまた何ヶ月も続いた。
楽なんだよね。ネガティブになるのって。無理と言えば向き合わずに済むし、でもと言えば予防線を張れるし、自分を変える必要がないし、誰かから否定される前に自分で否定しとけば傷つかないし。もうめちゃくちゃ楽。全然楽しくないけど、深く傷ついたり悲しんだりすることもない。クセになるよね。だって楽なんだもん。
よおし
お前がいってるうわごとは「事実の断片」ではなく「ガイジの脳味噌から不規則に生み出された妄想」だから
自分の主張が上手くいかなくなったら突然”新事実”を持ち出して
「なんだその話は初めて聞いたぞほんとなのか」って聞かれたら
「僕の脳内のお店の話だけど!」「共有してくれや」って言い返すんだろ
そんな知恵遅れと二度と話したくないってみんな去っていっただろ
「と」は、「ともすれば」や「とんでもない(とでもない)」と同じ副詞の「と」、
「かく」は、「斯くなる上は…」や「斯く言う私も…」と同じ「斯く」で、
もともとは「とやれ、かくやれ」「とする、かくする」といった言い回しで使われており、
「とする、かくする」は「ああする、こうする」と訳されることが多い。
「とにかく」は「とに、かくに」の略、「ともかく」は「とも、かくも」の略である。
「〜〜に」は事柄が成り立つ状況を示し、「〜〜も」は同様の事柄があることを示すということだ。
つまり、「とにかくAだ」における「と」と「かく」はAを行う状況を示し、
「ともかくAだ」における「と」と「かく」はAと並列の事柄を示している、と考えられる。
たとえば「とにかくラーメンだ」なら「雨の日でも、風の日でも、どんな日でも、とにかくラーメンを食べる」であり、
「ともかくラーメンだ」なら「うどんも、そばも食べたいが、ともかく今日はラーメンにしよう」である。
「ともかく」が選ばれて「とにかく」はあまり使われないのだろう。
(実は「それはとにかく」という用法も無いではないが)
>振る時なんて言ったら良いのかわからなかった。
「よしよし自分は相手を上手に騙せている」という自負をもっている人間の醜悪さが昔から生理的に無理なんだがその典型。
全部お見通しかもしれない、多少は勘付かれてるかもしれない、優しいから信じたふりをしてくれてるだけかもしれない、相手のほうがとっくに冷めてたかもしれない
冷静な左派(というか、まあ、中立)の、話を右派は無視し逃げるばかり。
過激派が左派ばかりにいるような印象操作的な話だよ、こちらから見れば右派左派で見れば右派の方がろくに調べもせず印象で語るレイシストじみた過激派が多く、こちらの話に耳を貸そうともせず、言いたい事だけ言った挙句「話し合いになりません、あなたには何を言っても無駄です」と、あたかも呆れたような言い回しでまともな議論すら出来ない人が多い印象。
私は世間の右傾化した目から見れば左派だろうが、別に左派のつもりもなく、右派にもわかる部分はあるが大体は前提が間違ってると言わざるを得ない。
中立のつもりだし、本当にどうすべきか考える為にはマウント取りだけでは意味ないと思ってる。
民主党時代の実質賃金の高さ(物価に対する可処分所得の割合の高さ、自民党政権になってから、税金は鰻登りなのに給与はさほど上がってない、しかも、さほど、どころかデータ改ざんが明らかになり本当の所、微増しているかも怪しく、実質賃金どころか、実際に下がり続けている可能性すら高い)
支持率の話をされてるから話すが、パソナが出した全国版と、それぞれの地方の各自治体のメディア等が行った数字の乖離がある事は考えなくてよいのか(パソナは自民党と繋がりあり、繋がりない自治体メディアの調査では25%ほどの支持率が多い)
更に、自民党支持者が本当に多いかも懐疑しなければならない事案がある。
不正選挙、これは一票の格差とか言う話ではなく、「ムサシ」と呼ばれるシステム、及び会社。
アメリカの不正選挙で用いられたとされるものと同じものが使われている。
それが国政選挙で初めて使われたのは、民主党政権から、自民党政権に変わったあの選挙であり、当時は民主党が優勢であり、そのまま政権続行するという大方の予想を覆しての自民党勝利。
選挙開票がまだ途中なのに当確する開票現場は本当にクリア?そこを疑ってかからないと行けない時期に来ている。
辺野古がある本部の選挙では地元メディアの出口調査と大きな乖離があり、そこでもムサシは使われた。
対して、今回の県知事選挙では使われている地区とそうでない地区の差はあったが、住民人工の多い那覇では使われず、出口調査とほぼ同じ結果。
その他の地方選挙でも地元メディアの世論調査と選挙結果の乖離や、有権者の数と、総得票数がありえないズレを起こす事案などがある。
右派はそこに無関心になっていないだろうか。
右派の定義をもう一度考え、その看板を降ろせとは言わないが、何が本当に人々の生活を守るのか考えてほしい。
人手不足で移民を受け入れるのはこんなにも失業者が多いのに本当に正しいのか。
人手不足と言うのは嘘であるとどれ程の人が理論立てて気付ける?
労働基準法を遵守していない「違法営業」に対するお咎めは薄くはないか?
違法営業する会社は「本当に雇用として数えていい」のか?「それらを除くと本当に人手は不足」か?「違法営業が雇用としてアリ!なら、ヤクザや麻薬の売人も雇用」か?
本当の真実としては、雇用が潤沢にあるならもっと給料も上がり、失業率も減り、もっと若者の結婚率も出生率も自ずと上がる。
「本当は雇用が枯渇」しているのに「雇用を生み出す新規企業」にお金を(民主党時代に比べて)政府が出さなくなったのは何故?
これだけ少子高齢化であるのに「福祉などの社会保障」を削り、現場や、介護される方にも負担をかけているのに「財源ない」と言いながら「五輪予算超過」を国費でやすやすと何億円規模も行い、福島など被災地復興が滞ってるのに「実際には昔より本数の減った、落ちても来ない北朝鮮のミサイル」の驚異を煽り、ずっと減っていたスクランブルを無理やり総理命令で増加させ、いたずらに国民の負担を煽り、言い値でアメリカから高い武器を買い、税金を国内でなく国外に流し続けるのは?
そして「落ちても来ない北朝鮮のミサイル」をあんなに気にするのに「小学校の校庭に落ちるヘリの破片」や「実際に大学に突っ込む米軍機」の驚異には、沖縄のわがまま、で済ませ、米軍がグアムに行きたいと言っていた話すら国民に忘れさせようとしているのは?
おかしい事だらけだと、攻撃する訳ではなく、問い掛けているだけなのに、まるで政府が自分の身内であるかのように、庇いたて、弱い者イジメすると、感じてならないです。
それを攻撃的だとか言われても、こちらの方からすれば、右派こそ攻撃的に見える。
落ちてこない北朝鮮のミサイルに驚異を感じるなら、落ちてくるヘリの部品にもっと驚異を感じてと言っているだけなのに、同じ日本国民を朝鮮人だの、中国人だの言うのは何故?(言いたくないけど、見た目や遺伝子的に沖縄の方が純粋に縄文民族に近い、だからどうと言う訳ではないけど、差別する人達に言いたいのは、そんな事で言って当然の事も言うなと言うなら、こっちだって言いたい気持ちになる、という事)
辺野古建設反対派に心無い言葉を何も知らず投げかける人、本当は辺野古に基地ができたからって、アメリカがそれで普天間から居なくなると日本政府が約束を取付けてない(基地が増えるだけになる可能性)を知ってますか?嫌がってるのに、ただそれを増やされれるかもしれない、ソレを知ってて、自分勝手だと言うの?
どう思うのか聞かせて欲しい、本当に議論出来る人が右派に多いと言うなら、今言った事全てでなくても構わないから、議論して、話を前に進められるなら。
ここの所の問題、どんな自民支持者に聞いてもはぐらかすから信用出来ない。
他にも山ほどあるけど、自分の事は左派だなんて思わない、し、本気で納得するなら受け入れる。
何故そう思うか、自分がまだ何もよく調べまない頃、浅い知識でネトウヨになって、そっちの立場に立って色々情報を集める内におかしいと思った末に今の考えがあるから。
元にわかなネトウヨ、そして、そうじゃなくなった今、Twitterとかで議論しようとすると、自称右派及び愛国者から、煙に巻いて逃げられまくってる者からの、切実な議論を求む声です。
期待はずれが続くと期待できなくなる
何度も同じことを言うのも疲れる
自分の中に不満を自覚したら、相手に伝わりやすそうな伝え方を考えて脳内で何度も推敲して、いざ喋りながらより良いと思われる言い回しを考えて
というやり方で、夫にたびたび不満を訴えてきたけれど、とうとう本日「寝かしつけ手伝わなくてごめんね」と言われたのが悲しかった
夫が言う「育児を手伝う」
これはちまたで地雷ワードと言われているけど、いざ言われてみると脳内が疑問符で埋まった
私がほとんどの家事育児を請け負えているのは、自分が産んだ子だからだよ
家事は、自分が整頓された家で暮らしたいからやっているのだけど
一緒に暮らしている家ですよね????なんで自ら何もしないの????
帰りは寝かしつけが終わる22時とかで、帰るなり趣味の作業を始めるんだよね
趣味頑張るのはいいんだけどさ、頼んだ朝飯準備はやってくれよ頼むよ
本当に、生活を共にしている意義が分からなくなってきているんだよ
お互いに別居した方が快適なのではと、うっすら思い続けている
明るい別居計画
冬休みに入る少し前、衣替えが済むかどうかのビミョーな時期。
「この度、私たちのクラスに新しい仲間が増えます。さあ、どうぞ入ってきて」
担任教師のしゃらくさい言い回しと共に、その転校生は教室に入ってきた。
第一印象は可もなく、不可もなくって感じだ。
強いて言うなら風貌が若干イモくさくて、身だしなみにはやや無頓着なタイプってくらい。
「ええー、転校生のブリー君です。両親の仕事の都合でこちらに越してきました……はい、どうぞ」
「……」
教室内が、妙な静かさで覆われた。
担任も俺たちも戸惑う。
「あのー、ブリー君?」
「先生、『はい、どうぞ』と言われても、どこに座ればいいか分かりません。空いているところを適当に座ってもいいので?」
「え……あ、うん。それでもいいけど、その前にみんなに自己紹介をしましょう」
「うん、そう。じゃあ自己紹介どうぞ」
「う、うーん……そうかもしれないけど、本人から直接言った方がいいかなあって」
「自己紹介した方が良かったのなら、先生が紹介する必要はなかったのでは?」
こりゃあ、中々に面倒くさそうな奴が来たな。
俺だけじゃなく、この時みんなそう思った。
それから数日経ったが、この転校生の厄介さは俺たちの予想以上だった。
例えば体育の時間など、グループで何かをやる時はそれが顕著だ。
「今日はドッジボールをやりまーす。出席番号が偶数の子はAチーム。奇数の子はBチームに分かれて」
この時、俺はAチーム。
「そもそもボールをぶつけるゲームなんて、危ないのに何でやるかなあ。それに、ぼくみたいな球技の苦手な人間まで巻き込んでやらせないでよ。共産主義とか現代の遺産なのにさあ」
ボールを捕れなくても、内野で避け続けているだけで相手のミスを誘えるし、時間切れに持ち込めば残り人数で勝利に貢献できる。
能力や積極性に違いがあっても、誰もがチームの力になれるゲームなんだ。
体育でやるスポーツとして鉄板なのは、それなりの理由があるわけだ。
……とドッジボールの良さを俺たちが説明してもなお、ブリー君の調子は変わらない。
「あ~あ、突き指とかしたくないなあ。ボールのゴム臭さも気分が悪くなるし」
当然、チームの士気は下がり続ける。
それと同時に、俺たちのブリー君に対する評価も下がり続けることになる。
まさか、こんな形で足を引っ張る人間がいるなんて思ってもみなかった。
俺たちはどんな遊びにおいても、どんな鈍くさい子でも、いないよりはいたほうが良いと思っていたし、楽しいとも思っていた。
だけど「こちら側のどこからでも切れます」が切れないように、何事も例外というものはある。
その例外が自分たちの身の回りで起きたことは衝撃的だったけど。
ホラー小説を読みたい気分だったので人気のこの作品を読んでみたのだが、あまりにひどい文章なので序盤でリタイアした。
「実話怪談」という体裁のはずなのだが、華美な単語、意味もなく回りくどい言い回しで飾りすぎていて、「実話感」がゼロ。
本の一話目は体験者の一人称で語られるのだが、もうこの時点で読む気がなくなってしまった。
わたしが立花昭代から椚木昭代になったのは、昭和五十五年の九月。
山々に生える樹々が赤や黄色に色づき始めた、季秋のある晴れた日のことでした。
ひどい。なんなら笑える。
昭和55年(1980年)で「契り」って。「山々に生える樹々が赤や黄色に色づき始めた」って。イデオンとか金八先生がやってる時代に、おまえだけ戦後か。
しかも著者(主人公)の職業が「拝み屋」なもので、「中禅寺秋彦にあこがれる中学生が書いた小説」のようだ。
この話は「家の周りでなんか生き物が吼えてて不気味」という内容なのだが、それに「月に吠える」(萩原朔太郎)と名づけるセンスにもゲラゲラ笑った。実話怪談だぞこれ。
そのすぐ後で、著者が巻き込まれた事件も語られるのだが、ここもひどい。
著者に助けを求めてきたシングルマザーが、深夜に娘を家に置き去りにしてきたことに気づくってだけなのに、なぜこうも回りくどいのか。
初め、違和感の正体がなんなのか分からなかった。が、千草が私の仕事場へ訪れるまでの経緯をひとつずつ思いだしていくにしたがい、ようやくはっとなって蒼ざめる。
「娘さん、今誰に見てもらってるんですか?」
普通の小説でもトロくさい文だが、何度もいうけど、実話怪談なのである。ドキュメンタリーなのである。
似合わないことはなはだしい。
「今度の連休は彼氏と一緒に過ごそうと思います。」なんていう、ありがちなことを言われたところから話は始まる。
相手はとある趣味を持つ人間の集まりで出会った2歳下の女性で、出会ってから1年半程だったと思う。
この時はかなりショックを受けた。週に1度会う程度の間柄で、特別な存在として意識したことはなかった。
なので新しく彼氏が出来たということを聞いたとき、ショックを受けている自分自身に驚きもした。
デート現場に遭遇し、信じられないド級の笑顔で彼氏を覗き込む様子を見て、より一層落ち込むという後日談付き。
本当に周りが見えていないようだった。恋は盲目という言い回しは本当らしい。
話は変わるが、つい先日引越しをした。理由は多々あるが、この1件もその1つに間違いない。
その際、整理が面倒なので必要なものはまた買い直すつもりで色々と捨てた。
引越しの後、家具や雑貨を揃えにIKEAやニトリや無印良品に出向いた。
amazonでの品定めと違って実店舗で商品を眺めるのはやはり楽しい。
時系列は前後するが、昨年は転職をしていた。年収は増えたし勤務時間は減った。
何をして過ごしていたのかも思い出せないし、やりたいと強く思うことも思い浮かばない。
引越しで捨てられるものを捨てた結果、時間の使い方まで無くなってしまった。
時間だけでなく、広くなった部屋もまるで埋まらない。家具や雑貨を選ぶのは楽しくても、欲しいと思えないのだ。
そしてこんなツイートがTLに流れてきた。
時間の使い方のように、この部屋のように、自分にはこれといって中身らしい中身がないような気がする。
自分自身が何事にも無関心で真面目なだけの退屈な人間であることを急に強く自覚できた。なるほど、これが欠点だろうか?(酒に弱いのが残念だ
確かに冒頭で出た趣味についても昔から継続しているだけで、強いこだわりは無い。やめようと思えばやめられる。
そしてずっと仕事のことを考えている方が気分が楽でさえある。
自覚してしまったのだから仕方ない。何か中身になるものを詰めてみようと思う。
料理スキルを上げるとか、カフェを巡るとか、地下アイドルを応援するとか、この際何だって良い。
欠点に気付かせてくれた件の新しい彼氏とやらに感謝するとして、まずは新しく服でも買いに行ってみることにする。
結果として単なるショック療法であったけれど、きっかけは掴めたはずだ。次はショックを受ける前にうまくやる。
嫌いな女がいる。
彼女は私のフォロワーで、そして私も彼女のフォロワーである。つまり相互というやつだ。
始まりはなんてことない、腐女子界隈によくある「繋がりたいタグ」だった。
「繋がりたいタグ」を知らない層に簡単に説明すると、自分の推しキャラや推しcpの同士たちを見つけるべく、Twitterで「#〇〇好きさんと繋がりたい」「#〇〇推しの人と繋がりたい」のように定期的に盛り上がるハッシュタグのことだ。このツイートに反応してくれた人たちの中から自分の気になる人を見つけ、ご挨拶に伺う、というのが一般的な流れである。多分。
かくいう私も立派な腐女子なので、たまに「繋がりたいタグ」を流す。
私はC受けだったら何でもいただけるが、当初は特にACを推していた。その当時ACはマイナーで、意気揚々とpixivで検索をかけ涙したあの日のことは忘れられない。
けれど私は割と立ち直りが早い方なので、「少なければ増やせばいい」をスローガンに、自分自身で小説を書くようになった。ありがたいことに反応も多くいただけて、フォロワーも増え、同士たちで溢れるTLにすることができた。
けれど私が勝手にスタートダッシュをかけすぎたせいで、この頃になると私の中のACネタが尽きてきた。尽きてきたっていうか、書きたいものはほとんど書いたなって感じ。だから今後は、思いついた時に書けばいいや~と思って結局半年ぐらい何も書かなかった。
そんな時に、ACよりちょっとマイナーなBCというcpを知った。BCを知ったというか、BCで活動しているとんでもなく私好みの絵師さんを見つけた、といった方がいい。とんでもなく好きな絵師さんがいて、C受けは大好物なので、すぐにBCにはまった。今となっては割とBC寄りだ。だから私はBC小説を書くようになった。そんでBCを書くようになると、案外ACのネタもたくさん出てくるようになった。やれば出てくるもんだな、とか思いながら前ほどではないが月に1回ぐらいはACまたはBCの小説をあげるようになった。
そんな頃だ。私が繋がりたいタグを流したのは。
最近書いたACとBCの小説のスクショを何枚か載せて流した。ありがたいことにたくさん反応をいただけた。
でも過去に数回、BCの小説を書いていた。そして私はそのBC小説がめちゃくちゃ好きだった。読んだ後すぐにブクマした。
だから、そんな作者から反応を貰えたことが嬉しくて、すぐにご挨拶に伺った。
「あなたの書いたBCが大好きです。そんな方から反応を頂けてとても嬉しいです。ぜひ仲よくしてください」
確かそんなことを書いたと思う。彼女はすぐに返事をくれた。
「ありがとうございます。私もあなたが書いているACの話が大好きです。よろしくお願いします」
めちゃくちゃ舞い上がった。すぐフォローした。その興奮のまま、彼女の小説を全部読んでみた。正直私はACないしBCだから全部読む!というタイプではないので、読んだことのないAC小説が何個かあった。そして思ったのは「可愛らしい話を書く人だな」だった。甘々の、それこそ少女漫画みたいな話が多かった。別にそういった話が嫌いな訳じゃない。むしろ大好きだ。推しcpがいちゃいちゃしている話は本当に素晴らしいと思う。ただ、BC小説ではそういう風に見えなかったので、少しだけ驚いた。
でもそれだけだった。その時は。
そういう成り行きで相互になった彼女と私だが、だんだん嫌悪感を感じるようになった。私が。原因は分かっている。
1つは、私と繋がってから程なくして、彼女はAC固定になったことだ。
その時はちょっと悲しかったし、もう彼女の新しいBCは読めなくなるのか、と残念に思った。でも私はC受けが好きだし、彼女が小説を書くことを辞めたわけでもないので、そういうこともあるな、と思っていた。そしてAC固定になった彼女は、めちゃくちゃAC小説をあげるようになっま。いやまじでびっくりするぐらいあげてた。少なくとも3000字程度のSSなら3日に1回はあげてた。それを私はすごいなぁと思ってたし、全部とは言わないけど読んでた。それで相変わらず可愛い話だなぁと思っていた。でも正直ちょっと可愛過ぎない?と。
そんな時に決定的なことがあった。これが2つ目の原因だ。
彼女がいつものようにあげたAC小説を、私も普通に読もうとした。したけど、1回手が止まった。
キャプションに「Cを可愛くするように頑張った」と書かれていたからだ。ん?となった。Cは可愛い。公式でも愛されキャラの素直なとても良い子だ。でも、Cは男だ。
私はボーイズラブというのは、ボーイとボーイがラブするからいいのだと思っていて、ボーイというのはガールとは基本的な部分が違うと思っている。LGBT的な話は今は置いといて、自分が男であることに疑問を持っていない男は、やっぱり可愛らしいと言っても男っぽさが確実に存在しているはずだ。と、彼女のその1文でここまで考えたが、まぁとりあえず読んでみた。Cが終始、"お” 顔とか、"お" 部屋とか言ってた。
はいアウトーーーーーーーはいはい無理。はいはいはいやったなお前。いや別に、"お" 顔とか、"お" 部屋とか男が言うのがダメとかいう話じゃない。そういうキャラクターもいる。全然良い。でもCはそんな話し方しない。少なくとも公式の中では普通に"部屋"とか"顔"って言ってた。先にも言ったが、Cは可愛い。わかる。素直な良い子で、何事にも一生懸命で、童顔だ。でも、Cはそんな話し方はしない。そんなに女子っぽい言い回しとかしない。ていうか公式で割と男らしいって言われてたけど、見た?1部の最後ちゃんと見た??
彼女は愛されキャラのCをとても可愛らしい存在で扱っている。それを知った時、もう彼女とは仲良くできないな、と思った。
でも私が彼女を嫌いな理由はそこではない。解釈違いの女なんて死ぬほどいる。そんなことでどうこう言うつもりはない。
私が彼女を嫌いな理由。それは彼女が夢小説BLを書くようになってきたからだ。
私が解釈違いで彼女とあまり関わらなくなっても、彼女は小説をあげ続けた。可愛いお話ですね、とよく感想をもらっていた。特にCくんが可愛い、と。
それを見て私はただモヤモヤするだけで、別につっこむことはしなかった。たまに彼女の小説を読んで、解釈違いで〜〜すとは思っていたけど。けれど一度だけ、彼女と対面で話したことがある。いつかの即売会で、私がお会いできるフォロワーさんいますか?と呟いたときに、彼女の方から反応があったのだ。断る理由が思いつかなかった。だからとりあえず会った。彼女は普通の女性だった。正直めちゃくちゃ美人って訳でもないが、可愛らしい雰囲気の人だな~という感じの。そして、その印象を裏切らない可愛らしいやわらかな話し方だった。でも粘着質な私はすぐ気付いた。彼女の話し方は、彼女の書くCにそっくりだった。彼女は、元々夢女子だったと呟いていた。Aは正直Cよりも人気のイケメンキャラだ。もしかしたら彼女は無意識にAの夢女子になっているのかもしれない、そう思ったら、何となく全部に納得がいった。どんどん女々しく、女の子感が強くなっていくCの意味が分かった気がした。無意識というのは割と厄介だ。意識していないんだから直しようがない。だから彼女は無意識にBLというジャンルでCに自分を重ねながら書いていて、そうなるともちろん公式のCとの齟齬が生じてくる。
嫌いだな、と思った。なんかもう全部嫌いだわ、とも思った。いや私の勝手な憶測だけど。でもそうじゃないと分かんないぐらいCが女々しい。女体化な訳でもないのに、なんかもう言動が女の子。しかもすっげぇ可愛い感じの。
夢小説みたいなBLを書く彼女のことが一気に嫌いになった瞬間だった。思っただけで何も言わなかったけど。
それ以来、彼女が呟く内容ですら嫌になった。なんだその顔文字うざいな、とか思うようになった。私の心は大分狭い。多分四畳半ぐらいしかない。だったらフォロー外せよ、とかブロ解しろよ、とか思うだろ?私も思う。でも、私は彼女のフォローを外すことができない。できない、といかしたくない。過去に空リプで私の文句を言ってきた相互フォローの女はすぐに切れたのに、彼女だけはしたくない。
夢小説BLは大嫌いだし、それをのうのうと書く彼女のことも大嫌いだけど、彼女の言葉選びは好きだ。心理描写とか話し方は死ぬほどムカつくけど、情景描写は好きだ。普段のツイートにはイライラしかしないけど、彼女がたまに呟く140字SSで、あーーーそれすごいどこでそんな言葉思いつくの!?となることもある。そして何より、彼女が過去に書いたあのBC小説が大好きなのだ。あのBC小説の中のCはちゃんと男の子だし、そんなにすぐ泣かなかったのに、今彼女が書くAC小説のCはめちゃくちゃ女々しいし、すぐに泣く。
あのころのまま、彼女が小説を書いてくれたら良かったのに、と思う。そしたら私はここでこんなことを書いていないし、彼女のことを嫌いになることもなかった。もしくは、いっそのこと夢小説作家であれば、とか。そうしたら私は普通の夢小説として彼女の小説を読めたのに。でも彼女が夢女子だったら、そもそも私は彼女の存在すら知らない。だって私はAにもBにもCにも、このジャンルの誰にも夢を見ていない。全員ホモだと思っている。だから知り合うはずがない。でも、それはそれで嫌なのだ。そのくらい、彼女の書いたBC小説に惹きつけられた。私の「繋がりたいタグ」に彼女が反応してくれたあの日の興奮だって本当だ。今でも思い出せるぐらいに嬉しかった。
それが、悔しくてたまらない。私は彼女の小説を全然楽しめないのに、彼女の小説を素直に楽しめる他のフォロワーがいるのが悔しい。彼女が初めて出した本を私は買えないのに、買って、読んで、彼女に感想を送っている人がいるのが悔しい。なんだかんだで、彼女の文章のファンである自分が悔しい。
でも、私は彼女が嫌いだ。
私はAもCも大好きなのに、彼女がCのことをないがしろにして自分を重ねて、それでもBLだと言い張っているその根性が嫌いだ。公式ではもっと格好いいのに、なよなよとした女の子みたいなCを書く彼女が大嫌いだ。というかそもそも私はボーイとボーイがラブする話が読みたいのに、ボーイと彼女がラブしているところを強制的に見せられてるみたいで本当に嫌だ。やめてほしい。これはただの私の憶測だけど。でもそう思ってしまったらそうにしか見えないし、逆にそうじゃないと意味がわからない。原作読んだ???ってなる。
多分これから先も、私の支部のブックマークから彼女のBC小説が消えることはないし、私の方からフォローを外すこともない。BC寄りになったとはいえ、ACが地雷になることも絶対にない。AC小説も書き続ける。そして彼女も彼女で、きっともう二度と、私の大好きなあのBC小説のようなものを書いてくれないけど。私はきっと彼女のAC小説を読むことも買うこともできないけど。