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はてなキーワード: 教会とは

2019-04-26

anond:20190426165350

つか、アメリカでもああいうのってチャリティだろ。

教会イベントとして、収益寄付する前提でやるやつ。

誰かが言ってるけど子供レモネードと同じ。

からこそ素人稚拙な作りで割高でも買う人がいるわけだ。

でも日本は元々そういう宗教的ボランティア文化がないか

素人が作った食い物なんかに金出したがらないし、PTAバザーでやるとしてもお互い嫌々なイベントになる。

PTAアメリカから来た文化からね。あちらではボランティアしたがる人が元々多いから成り立つけど

日本だと成り立たない→仕方がないか強制する→皆嫌々やるのが前提の活動になる

ってなりがちなのもそのせい。

anond:20190426004710

手売りはしてないけど、教会無償奉仕で昼飯に提供してくれたりして、貧乏人の自分ちょっと助かってましたw

2019-04-22

クライストチャーチだっけ?

教会って大事から狙うのはやめて欲しい

寄付だけじゃだめ、大切にする気持ちが無いと

2019-04-21

anond:20190421104934

イースターなんか流行らなくていいよ。

あくまでもキリスト教重要な祝い(復活祭)であって、また同時に春の到来を祝う日なんだから

クリスマスみたいに変に世俗化してバカ騒ぎするよりも、教会あたりだけで盛り上がってればいいんじゃないの?

2019-04-20

anond:20190420202750

あるだろ、寄付すれば教会で仲間を復活してもらえるんだぞ

2019-04-17

anond:20190417213608

じゃ、それで戦ってね。

(あとで教会までコフィン引き摺ってゆくのめんどいなー)

ノートルダム大聖堂の再建などするべきではない

そもそもキリストは、自分の教えを広めるために、あんな豪華絢爛な大聖堂をたてることなど望んではいない。

聖書には「金持ち天国にいくのは、ラクダが針の穴を通るより難しい」と書いてあるそうじゃないか

再建のための寄付とやらで、金持ちがポンと出せる大金があちらこちらに潜んでいることが明らかになりつつある。

これは、明日食事にも事欠く貧しい人々に配れ。

その方が神の御心にかなうはずだ。

大聖堂は、いろいろな意味人間の愚かさを示す象徴として、焼け落ちた姿のままで保存することを希望する。

地上に天国再現しようなんていう、人間の奢り高ぶった欲望が、無惨にも焼け落ちた姿なんて、痛快じゃないか

長崎軍艦島にも匹敵するロマンチック廃墟遺産になるだろう。

欧州では無宗教標榜する人も増え、毎週教会に通うなんて人は少数派だそうじゃないか

「焼け落ちた大聖堂」なんて、キリスト教が役割を終えつつある時代を示す負の世界遺産として、これ以上のものはない。

2019-04-15

[] ドラッグ禁止本質的目的は、「唯物論」と「一神教」の保護

ドラッグによって認識される対象

  1. ある種のドラッグLSD等)を服用すると、「自分」と呼んでいる存在が、
    1. 肉体(物質)ではなく
    2. 意識精神であることが分かる。
  2. そうなると、唯物論が間違いであることに人々が気付く。
  3. そうなると、生きている間が全て=お金で贅沢することが最高の人生、という価値観崩壊する。
  4. そうなると、人々を労働者として使い、社会運営することができなくなる。(経済崩壊する)
  5. そうなると、地球支配者が困る。人間唯物論洗脳しておくためには、人々に魂の存在を知られてはいけない。
  6. さらにいえば、宗教も嘘がばれてしまうので、宗教ドラッグ禁止している。(人間創造した神はいない。「神の正体=人間」というグノーシス主義が正解であることが人々にばれてしまうので、教会権威消滅する)

これがドラッグ禁止されている本当の理由

彼らは本音と建前を使い分けている。利害関係をよく検討してみよう。

自己存在認知

ドラッグによって経験することは何なのか?を理解するためには、デイヴィッド・チャーマーズの「情報の二相理論」が参考になる。

まり、「自分」と呼んでいる存在が何なのか?を理解しておく必要がある、ということ。

 

情報の二相理論
チャーマーズの考える情報の二相理論。この世界本質的な所には、ビット列のようなもの構成される抽象的な情報空間がまずあり、その情報空間物理性質現象性質という二つの性質を持つ、という考え。中立一元論一種

そして以上二点の原則についての考察から重要であろうものとして情報に注目する。

そこから情報の二相説(double-aspect theory of information)を可能性として提唱する。

これは実在に関する形而上学立場で、世界の究極的な実在Ultimate reality)を情報(inforamtion)とし、その情報物理的な性質現象的な性質を持つのではないか、とする立場

 

この立場は心身問題伝統の中で中立一元論(または性質二元論)と呼ばれる立場にあたる。

中立一元論とは世界の究極的な実在として、物理的でも心的でもない、何か別のものを考える立場である

チャーマーズはそうした何か別のものとして、情報を考えている。

 

情報という言葉は、広い範囲意味もつが、チャーマーズ情報定義として、グレゴリー・ベイトソンの「違いを生む違い」(a difference which makes a difference)を引く。

 

情報を究極的な実在とするアイデアは、物理学者ジョン・アーチボルト・ウィーラー哲学に大きい影響を受けている。

ウィーラー量子力学に関する考察の中から世界の究極的な実在情報と考え、それを "it from bit"(それはビットから)という標語であらわした。

 

チャーマーズは、情報を外側から見ると物理的、内側から見ると現象的、とする。

 

まりビット列のようなもの構成された抽象的な情報空間がまずあり、そこから物理状態および現象状態が、それぞれ実現されているのではないかという形而上学

この形而上学を一つの参考としつつ精神物理法則模索すべきでないかとする。

この考え方の利点の一つは、情報空間共通項として存在するため、物理状態現象状態の間での直接の因果関係仮定せずとも、物理状態意識との連動を説明できる点である

 

 

ピエール瀧逮捕されてワーワー言ってる人も多いが、結局、何が悪いと思ってる?

2019-04-08

夫をキリスト教カトリック)に取られた

数年前から喧嘩ばかりで別居の繰り返し。

自分遅刻しそうになると子供保育園への送り出しを押し付けてきたり、仕事が遅くなることを言わずに遅くなったりして食材無駄にしたり、掃除や炊事をきちんとこなせなかったり、夜の頻度が減ったりそのまま眠ってしまったり、子供幼児教育の面倒を全く見てくれなかったり、とにかくストレス溜まることばかりが続いてた。

から私も本当に頭にきて、何日も無言で無視したりとか、帰ってきてもチェーンロック閉めたタママにしてドアを開けずにいたり、臭い革靴を廊下に放り出したり、ベッドに自分ゴミを置いたり、いつもゆっくりしてるソファーに大量のファブリーズを夫がいるときに発射した。本当にイライラして仕方なかった。選択すると加齢臭が私の服にも移りそうだった。(何度洗っても枕の加齢臭が取れないのは何故なの?)

ある日泣きながら掃除をしていたら、夫が心配したらしく私の親と連絡を取っていて、親が私を迎えに来ることになった。とても裏切られたと思った。夫婦二人の生活なのに、夫は親を使って逃げようとした。本当に卑怯な男。そういえばまだつきあいたての頃に生でしてしまった後に、もし、赤ちゃんできたらどうするのか聞いたら、下ろしてもらうことを頼まれた。そんなクズなやつなんですよ。

数ヶ月ぶりにクズと親子三人で過ごすことになったんだけど、あれっボディタッチがない。すぐ寝る準備、ベットが分かれてるんだけど、そのまま寝てしまったみたい。何かそのこと自体が寂しくて泣いた。だって数ヶ月ぶりに一つ屋根の下になってセックスしないの?悲しくない?

それでまた頭にきたので無視することにして実家に帰った。そのまま年末年始に入ったけど、うちの実家には一応元旦だけ来られるようにしてやった。針のむしろのように居心地が悪そうだった。その日の夜に帰っていった。

ずっと合わない日が続いた。電話も取らず、別居で、一年くらい経った。

久しぶりに子供に合わせることになり、話すことになった。聞くところによると夫はキリスト教カトリックという分野の教会洗礼を受けたらしい。とてもたくさんのお恵み?をいただいたといっていた。とにかく癒されたようなことをいっていた。何か別人のようになってしまった。

あんなにイライラして怒り返してきた夫が怒りづらくなってる。私がムカついたことがあって責めても、ムカついたことに同情されるところから始まって調子が狂ってしまう。

でもなんか夫が変わった気がした。

なんというか前より大らかになって話を聞いてくれるようになった。心はキリスト教のことばかりみたいだけど、霊操とかexamenのことばかり勉強してる。これで心を強くしてるんだってさ。よくわからないけど、良い方向に変わったんだから許してあげようかな。

2019-04-04

癒やしの音楽で癒やされない現象

実家キリスト教信者で、カルトとかではない普通プロテスタントではあったけれども、けっこう潔癖というか厳しい親だったのと、あと、自分は人見知りだったので家庭集会とかで家に信者が集まるのが嫌だったりで、大学進学を機に家を出てからは、完全に絶縁というわけではないけど疎遠になってる。

この間、肩こりがひどくて整体にいったら、その整体院でかかっているBGMオルゴールアレンジされた賛美歌だったのよ。

信者なのかどうなのかは知らないけど、普通に癒やしっぽい意図でかけてたんだとは思う。

が、これがほんと落ち着かない。実家の嫌な思い出ばっかりが蘇ってくる。

結婚式とか葬式教会にいるときなら平気なんだけど、整体院とか関係ないところでぼんやりしてるときBGM的にかかるとむちゃくちゃイラだつ。

こういう癒やし目的でかけてる音楽で、人の記憶と関連づいて全然癒やしにならない、みたいな現象あるもんなんだなって思った。

とりあえずもうそ整体院にはいかない。

2019-03-31

anond:20190331222630

自分ジムネットカフェくらい

あと喫茶店で延々と本読んで時間潰すとか

昔は図書館市民プールもよく行ってたが引っ越しからは行かなくなったな

教会や寺、興味あるけど 変な勧誘にあっても困ると二の足を踏んでいた

一回行ってみるか

2019-03-30

ランキング粘着して因縁つけるやつ

世界幸福度ランキングが発表になった。しかし、例えばニコニコ記事いかにも同一のやつがしつこく「こんなランキング意味がない!」と粘着して大量に批判してる。

しかも、これ英文の元を読まずにただ因縁つけたいだけだろ?みたいな内容の批判も多い。

他にも、一人あたりGDPも大概因縁付けられるな。これは物価差を見ていない!と言い出す。じゃあ購買力平価一人あたりGDPなら?というと、曖昧データを元に撹乱している!と。

大学ランキングもそうだ。これはもう日本アカデミックは致命的に衰退している。

それらの懐疑主義者にとって国際比較ランキングで信頼されるものってのはあるのだろうか?

さらに、これらのランキングは1つの軸に基づく結果だ。ランキングを信用しないとすると、何を信頼するのだろうか?

とすると、「権威を信じる」ということになるんだろうな。科学は明確と分析によって成り立つ。各種ランキングランキングを付けれる範囲基準を作ってその元分析している。

所詮つの軸にしか過ぎない。その軸の範囲改善はしていける。

科学以前は全て権威が正しいという世界だった。教会なり王なり。

王が言うことが正しいのだから、王が日本が素晴らしいといえば、素晴らしい。これほど楽な治世はないな。さらに、そこに教会神道カルト権威のもとに従えば良き治世になると。

無論、懐疑主義科学の要素の1つではある。しかし、何を目的にして、何が正しいかを考えながらでないとすべての意見否定して、権威主義に陥るだけ。

そもそも日本自体が、個人と、意見を分離できていないということもあるだろう。

から日本について悪い意見ランキングが下がったということを言われれば、それは日本貶めるインボーである。なので、相手全否定しないとならない。

世俗権威宗教権威が好き放題出来て、日本全面的に褒め称える言葉であふれる世界。それがランキング因縁つける奴の理想世界ななんだろうかな。

2019-03-18

anond:20190318101940

日本勝てば官軍と言って、負けたほうにも正義があるとかわけのわからないことを言うからつじつまが合わなくなる

だったら平時の訓練は負けるためにやってるのかという話だわ

勝つために訓練してるのに負けても賊軍ではないとか意味不明

終戦記念日敗戦の日として教会をたてて嘘は方便は嘘で正直者が正しいというべき

2019-03-16

ChristchurchとMosqueの謎

アホだからなぜ教会モスクがあるのか分からず混乱したけれど、キリスト教会じゃなくてクライストチャーチという地名があるのか

2019-03-15

マクロスフロンティア劇場版を見た(後)

anond:20190315022042 の続き。

劇場版マクロスFサヨナラノツバサ

ストーリー

本当にTVからガラッと変わった。途中まで、ギャラクシー侵入作戦が始まるところまではだいたい同じだった。しかし正直なところ名前髪型クーデターに失敗する噛ませ犬だと舐めていたレオン三島まさかここまで有能であったとは。TVから反省会を繰り返したのか三島よ。本作におけるTV版との分岐点はできる三島とついに人の心をインストールしたグレースである。まあ最終的にやっぱり三島死ぬけど。

そして何より本質的な違いは二つ。オズマによる自分を演じることへの肯定と終盤のランカシェリル役割の裏返り。この二つの変更点により驚くほどすんなりとシェリルメインヒロインに固定された。

劇場版役割と設定が整理されストーリー単純化したことで、TV版の中盤までの流れ(病に弱るシェリルシェリルに惹かれるアルトスターダムを駆け上がるランカから終盤への流れ(シェリル行方不明ランカからアルトへの告白)が一気にスムーズになった。というかTV版でも密かに思っていたけど、明らかにアルトくんシェリルのこと好きだよね!そうじゃないといくらなんでも終盤のあの展開はないよね!!つまりあの矢三郎めがいなければ(主にシェリルが)あそこまで苦しむことはなかったのだよ!!!

ちなみに好きなシーンは、アルトに会えなくなってもいいのかと優しく問うグレースと答えに詰まるシェリルアルトの病室での包丁を巡る不器用な二人のやりとり(イチャイチャ)、放課後オーバーロウイントロに合わせて閉まっていくマクロスクォーターの外装。

ところで劇場版ではオミットされたTV版終盤でのランカシェリル:バジュラと交感できる声をしているせいでミンメイの再来と政治的に担ぎ上げられ生体兵器としての運用に疲れていくランカ、病に犯されながらも自分にできる最大のこと(ランカの代わりに死を覚悟して歌う)を選ぶシェリル、という無駄に重い展開も増田はかなり好き。特に歌ったら死ぬことに気づいているから最終決戦の前にアルト恋人ごっこは終わりと告げる(= 強がる)シェリルとそれを聞くアルトのシーンがとても好き。そういえば劇場版はこの「今は答えないで。歌えなくなってしまうから」部分はランカセリフになっていたな。どっちのシチュエーションでも振られる流れだよなあ。

バルキリー

冒頭のバジュラの巣の攻略大気圏内でのマクロスクォーターサーフィンマニューバ、やたらと陽気で軽そうだがシリーズファンからするとこれ以上ない安心感が得られるYF-19からの声、S.M.S大隊によるマクロスキャノン斉射、そしてアンタレス1との熾烈なドッグファイトなどなど見所だらけだった。増田が一番グッときたのは、実はバジュラの巣攻略戦での隧道内のブレラの操縦テク。このシーンは狭い隧道を先行するブレラをアルトが追いすがるという形なのだが、驚くべきことに狭い上にバジュラも向かってくるのに、ブレラは一度も変形を行っていない。可変戦闘機バルキリーセオリー様式美ともいう)通り、垂直方向への移動や複数体のバジュラの掃討にガウォーク変形で対処し即座にファイターへの変形で高速移動を行うアルトに対して、ブレラはファイター形態のままインプラント特有反応速度をもって、機首の向きをわずかに調整することでノンストップでバジュラの殲滅と移動を行うのだ。マクロス様式美否定するような非常に地味ないぶし銀描写がよかった。

三角関係!決着!

TV版の不満点であった超時空二股エンド。アルトくんはっきりせいやと前の感想に書いたが、劇場版ではズバッとアルトくんの男らしい告白三角関係に決着がついた……ついたのだけど……ついたのだけど、だけど、

思いが通じ合って両思いになった恋人たちが次の瞬間に離ればなれになるなんて、そんなことは望んでなかった!

ただ思い合う二人がイチャイチャしているところを見たかっただけなのに……

初見ときはこのエンディングで完全に固まった。そしてエンドロールの「dシュディスタb」(願いは叶うとヒロインズが歌う)を聞いてすわビターエンドの先のハッピーエンドかと沸き立ったのだが、生命維持装置に繋がれて昏睡しているシェリル脳内想像ライブという可能性に思い当たりより消沈した。しばらくアルトシェリルのことを愛している設定でTV世界に戻ろうかと考えていたのだが、絶対に救いはあるはずだと考えて二週目へ。そしてなんとか一つのこじつけに思い当たった。

そう、眠り続けるシェリルは眠り姫のモーチフであり、王子様(アルト)のキスで目を覚ますのが必然であるのだ。TV版ではシェリルランカの両方から唇(一部R18)を奪われていたアルトであるが、運命付けられたように劇場版ではシェリルにされた頬へのキスしかない。これはもうそういうことだろう。運命だよ。よって増田の中では、アルトくんが(アイくんとかで)なんとかしてフロンティアシェリルのもとへ戻ってきてシェリルの目を覚ましたあと、二人で幸せになることが確定しました。多分アルトの病室での一幕のように互いにからかいあってイチャイチャするのだろう。よかった……。

サヨナラノツバサでも「禁断のエクシリアからまり、二人の掛け合いと会場のバタバタ具合が楽しいGet it on光速クライmax」、めちゃめちゃイントロが格好よく演出もパーフェクトな「放課後オーバーロウ」、そしてエンディングお祭り「dシュディスタb」と素晴らしい曲ばかりである。ただ、劇場版代表する曲となると「ダイアモンドクレバス」だろう。イツワリノウタヒメでのバジュラを呼び寄せてしまたことや、ギャラクシー軍のミッション開始の合図だったこと、墜落したフロンティ教会跡など劇中の要所で美しくも悲しいこの歌が効果的に使われていた。

それから見ていて気になったのがライブ演出演出といってもすごく手のかかったCGの方ではなくて(これもすごかった)客席の後ろからステージを映すカメラワークカメラ歌手を追うPV型ではなく観客との一体感を深めるライブ型の演出選択したのは興味深い。ミュージックシーンがPV中心からライブ興行中心へ転換しつつあったことと関係しているのかもと考えた。なお増田PCモニターで見たからそこまで臨場感はなかったのだけど、当時劇場で見た人は自分ライブに参加している感覚を味わえたのだろうか。またサイリウムなどを持ち込んで応援上映のようなことができたのだろうか。

そしてもう一つ気になったライブアルカトラズ刑務所での「星間飛行からの流れ。何と言っても慰問ライブに参加していた/できなかった囚人たちが声を合わせてこの歌を合唱するのだ。正直はじめはなぜランカ中島リーさん以外の声を入れてせっかくの星間飛行邪魔するのかと思った。ただ、よく考えるとランカリー星間飛行を聞きたいのならばCDPVなりを聞けば良いことに気がつき、そこでようやくこのシーンがマクロス伝統である歌の力を素朴な形で描写していることに気がついた。

増田理解としてはマクロスメカニズムというのは武力と歌の相互補完にある。武力では暴力は防ぐことができても心(世界)を変えることはできない。歌は心(世界)を変えることができるけど暴力に対しては無力。しかしその二つが合わさることで等身大人間奇跡を起こすことができる。そのリアリティSFをコアに持つマクロスメカニズムであり、非対称なこの関係性に三角関係が加わることで豊かなドラマが生まれてくるのだと思う。

この歌の力という面からフロンティアという作品を見ると、二つの場面が思い浮かぶTV版の星間飛行ライブと先ほど挙げたライブ@アルカトラズだ。前者は言わずと知れたゼントラーディ部隊の反乱を歌とキラッ☆のみで熱狂の海に沈めた伝説ライブである。このライブ演出は、最初は戸惑っていた兵士たちが曲が進むにつれ武器を投げ出し鼻血を噴きそして最終的にクァドランが肩を組んで踊るという実にアホなものだが、歌が心を変える様子をこの上なく描いていた。アルカトラズライブはというと、先に書いた通りランカを知っていた知らなかったに関わらず荒くれ揃いの囚人たちが自ら歌を口ずさみ心を一つにする。これが星間飛行のすごさであり歌の力であるのだ。なおこのライブ、この後のクランアジテーションから囚人たちと看守たちの大乱闘Get it onに乗せて始まるというやっぱりアホな展開になるのだけど、やっていることは単なるテロである。そして最後の「ランカちゃん〜」と「ジェリ゛ル゛さ゛〜〜ん゛」のコールに吹き出すのである(何度見てもこの部分で笑ってしまうのだけどエキストラなのかな?)

蛇足マクロス7のこと

増田マクロス7のサウンドブースター演出違和感を持ったのは、サウンドブースターにより視覚化・数値化された歌が武器ビーム兵器バリア兵器)のように使われていたから。それと力と歌をバサラ一人が担当するのにも関わらず王道マクロスフォーマットストーリーが作られていたため、最終的にバサラ一人で世界平和へ導くという一人の人間を超越した行いをさせてしまたことも同様。作品テーマとして武力否定ラブアンドピースを狙っていたのは理解できるのだが、武力の代わりとしてサウンドブースターというまた別の武力を持ち出し、バサラ一人に全てを背負わせたため普通若者の織りなす物語というセオリーを壊してしまったように見えた。洗脳されたバロータ兵を初めから出すのではなく、初めは市民トラブルを歌で解決するというような入りかたでもよかったのかなと思う。


最後になぜ増田シェリル派なのかというとプロフェッショナルであることの誇りと責任さらにケー鯛(口からアンコ出る)を愛用するセンスを持ち、泥水をすすっても生き抜く根性があり、たとえ死を迎えることになっても自らの役割を全うする覚悟をまとい、でも支えを失うと心が折れそうになる繊細な所があり、そしてアルトくんをからかう姿がとても楽しそうなシェリルが好きだからです。


次はIIかデルタを見る予定。アイドルものと聞いてあまりデルタには興味が湧かなかったのだけど、たまたまワルキューレの歌を聞く機会があり、メインボーカルの声にぶっ飛んだので俄然興味が湧いた。アイドルものであのガチ音圧の人がメインを張るってかなり攻めてると思うのだが、どういう狙いがあるんだろ。

2019-03-14

強い奴が「強い奴が正しい、間違っていない」と言いたいがために統計をいじる

科学技術予算AI重機を使ってトンネルを作ったらトンネル工事まで科学技術予算みたいな形で統計破壊が進む昨今。

科学宗教対立というのは理性と権威対立でもある。

昔は、王様が言うもの、あるいは教会が言うもの絶対的に正しいという考えだった。

そもそも絶対的に正しいものというものさし自体がない。それでも何らかの正しさを元に正しいことを選び判断しないとならない。

から権威を作り、その判断のもとに動くということで、王様教会の言うことが絶対的に正しいという前提のもとに社会を作っていった。

その中で、出版というものが生まれ、いや、教会より聖書のほうが正しいんじゃね?と教会否定が始まった。ルターによるプロテスタントの起こり。

ついで、明確、分析総合枚挙をなしたものを積み重ねて正しいものを作っていこうというのが始まった。デカルトによる科学の起こり。

初めは自然科学だけだったが、統計や、各種社会科学理論法理論の積み重ねで、社会学にも科学が入っていった。

社会科学の元となるのは統計

近年、新自由主義の小さい政府化が叫ばれ、その元、国が関与するのは良くないという理屈のもとに、国が関与している様々な分野の予算削減が叫ばれている。

医療福祉教育、そして大学基礎研究

だが、大学基礎研究はその次の科学技術、そして産業の礎でもある。

大学基礎研究と、GDPとの関連を示すデータ最近出ている。

だが、「権威が正しい、権威が今までやってきたほうが正しい」と言いたいがために、

統計嵩上げして「国は金を出している」と取り繕う。「国はやることをやっているがうまくいかないのは、現場が非効率で能無しだからだ!」と権威が正しいという形にしたいがために。

しかし、データ改ざんなぞ、科学に対する背徳しか無い。明確の根源が崩れる。「権威が正しい」には出来る。

強いのは文部科学省公務員、弱いのは大学研究者。強い奴は無謬で、弱い奴が誤っているから正さないとならない。改ざん故にそう主張できる。

まあ、政治的に戦うのが大学研究者の仕事じゃないしな。

日本は強いやつ、権威がある奴が正しいの中世に帰っているかのようだな。

2019-03-13

anond:20190313003604

教会体制下の貴族ゲスという描写

チュデュルキンは教会や最高司祭に忠誠誓ってるわけではなく下心ありきっていうキャラ付け

そういうのの巧拙についての価値判断は置いといて、別に意味のない描写ってわけじゃないんじゃない

自分が嫌いだから意味がない、ってのは子供わがまましかないでしょ

あんたの価値観はどうでもいいし好きにすればいいと思うから黙って視聴やめればいいんじゃない

2019-03-12

anond:20190311193204

戸籍制度的にはその通りだが、「結婚」は近代戸籍が出来る前から制度であるため、そうとは限らない。

 

結婚っていうのはな、神様の前でこいつがパートナーですと誓って、それを神=社会承認してもらう手続きなのだね。

 

近代結婚は、戸籍制度を成立させるために、教会とか寺社仏閣から承認権利をも引き継いでいるんやで。

結果的には、魔王は来なかった。

首脳部を魔法で鎮静化。

戒厳令を布いて夜間の外出を禁止し、教会隣国(SK国)との友好の歴史倫理に沿って説いてもらった。

緊張状態だったSK国には初動でのことを詫びる親書を出した後、

春分の祝いに合わせて友好を確認し合った。

懸念も残る。

魔法倫理に沿わない。知りながら使い、行動とは矛盾する説法を神官に頼んだこと。

魔王は確かにいたが、SK由来ではないこと。末端は気付いていないだろう。噂の出どころはどこか。末端だろう。

良い年になると祈る。

anond:20190315151509

2019-03-11

anond:20190310214530

やり取りをみてて、ひとつ思ったこと。

表現の自由を守りたいという意見は、それを原則論として語りつつも、背後にある危機感はなんだろう。

ようするに、「快不快」によって表現流通が左右される社会が是か否か、ということが動機のように思えた。

そうであれば、すごくよくわかる。いや、わかるというのは、同意しているわけじゃなくて、なるほどな、だから日本表現の自由ってふわっとしてるんだなということ。

振り返ってみる。

日本表現規制の有り様は、戦前エロ・グロ・ナンセンス発禁にあるように、当局国民の大多数が不快と思うであろう「不健全」で「公序良俗」に反する表現対象としてきた。

そう、「健全」これこそがキーワードなんだな。たぶんね。

まり、割り切った言い方をすれば「健全」と戦っているのが表現の自由戦士だというふうに思える。

でも、ひとたび、「表現の自由」の思想的な出発点をヨーロッパアメリカ歴史から振り返ってみると、戦士動機づけとしてはあまりにも心もとない。

表現の自由とひとことでいっても、思想的な背景は、それぞれ背負っている歴史が異なる。

ここで、それを動機づけという視点比較してみる。

例えば、アメリカ合衆国。日本憲法がお手本とした国だ。

この国の憲法憲法判例が示してきた表現の自由は、ヨーロッパのそれとはかなり異なる。

17世紀にアメリカ最初に渡ったピルグリムファーザーズの世代特に、当時のヨーロッパプロテスタントに対する不寛容被害者であった。

メイフラワー号の協約に象徴されるように、お互いに異なるFaith信条)を持つ者同士が、どちらが正しいとして糾弾することなく、社会を構築しようという、社会多様性の確保が原点だ。

1970年代には、ヘイトスピーチを巡ってさまざまな紛争連邦最高裁まであがり、不協和音こそ社会の強さとまで判決意見で述べているものがある。

当時の裁判官のたとえを援用すれば、空気浄化しようとするやつが社会の敵なのだ

人間は不完全なのだから、正しいものなど、最初から先験的に決められない。ということから、この国では、思想の自由市場などという言い方も生まれてくる。

一方、大陸でも、表現の自由は大切な価値とされている。

しかし、他方で伝統的な価値観や習慣もそれなりに強い。いやかなり強い。

そういう土地柄では、動機づけとして、多様性の確保というのは、正直、あまりピンとこない。

しろ、彼らの原点は、教会から弾圧された経験であり、その反動としての「神を冒涜する権利」だ。

伝統的にカトリック教徒でありながらアンチクライストを叫ぶ、そんな権利を求めている。

とくにフランスでは、公共空間設計するにあたり、真理の判断権を持つかのように振る舞う教会がとてもまずい存在だった。

権力をふるいたがる教会に口出しをさせないことが重要テーマだった。

それゆえ、その解決のため、一方では、表現の自由というコンセプトで権利宣言し、他方で、政教分離という原則確立して、公共空間設計のための理論武装をしていく。

からイスラムスカーフ公立学校から排除しようとしたりする動きが起きるし、

ひとたびムスリムの神を冒涜するような表現したことで、襲撃を受けたりすると、社会は「涜神の権利はいずこに」とがぜん盛り上がるわけだ。



アメリカにしても、フランスにしても、それぞれ動機づけは異なるものの、表現の自由を守ろうとする信念というか確信の力は、

極めて強い。テロがあったり、社会情勢の変化で揺れ動いたりするものの、いざ事が最高裁までいくと、

じゃあ、国づくりの原点に戻ろうじゃないかという話になって、17世紀の悲惨経験が思い出として蘇ってくる。

その動機づけの強さにこそ、新大陸にしても、旧大陸にしても、表現の自由を将来に渡って確保しようとするエネルギー再生産があり、いわば持続性がある。



翻って、日本

健全なるものとの戦い、かぁ。うーん。

不快のような勝手基準で決めつけられたくはないよね、誰しも。

でも動機づけとして、やっぱり弱いんだよね。

ここで、仮に、日本は、アメリカ式の表現の自由を真似っ子しているのだ、としようか。

でも、日本社会は、アメリカほどには、多様性を求めてないでしょ。むしろ移民なんか大嫌いでしょ。

多様な意見なんか、どの組織でも出てこないでしょ。会議でも右に習えでしょ。

普段から多様性を確保しようというマインドベースにあって成り立っている社会とは全く違う。

そんな社会では、エロい表現ときだけ急に表現の自由だのと盛り上がるのは、歯が浮くような思いがする。

公共空間におけるエッチものの取扱なんて、はっきりいって、社会合意していればどっちだっていい。

じゃあ今度は、大陸が17世紀に経験した熾烈なコンフェッショナリズム、この思想的な背景を

表現の自由として日本憲法が参照している、と仮に想像してみる。

この場合仮想敵は、いってみれば、国家神道ファシズムかな。

(*ところで大河ドラマの「いだてん」って、健康ファシズム視点でみると面白いらしいね。みてないけど)

「国によって右へならえを強制され続けた結果、自分たち戦争に動員されてひどい目にあった思い出」とでもいうべき動機づけは

定期的に思い出す機会があるかぎりは、ある程度は持続的たりうるのかもしれない。

でも、第二次世界大戦を思い起こしてみると、国民国家キャンペーンに煽られて動員させられる、というのは、

なにも敗戦国ドイツ日本に限った話じゃないし、アメリカ含め、あちこちの国でウイルスのようにファシズム蔓延しかけていたのが現実

またファシズムコントロールできた国もない。その意味で、真の意味ファシズムに抗し切った国はないように思う。

表現の自由っていったところで、自然の摂理かのように、神がバランスをとってくれるわけじゃないんだよね。

流されるときは、人は流されちゃう。常在菌みたいなもの

そうすると、いざ日本にとって対外的な脅威(例えばアジアの隣あたりの国らへん)が増せば、

表現の自由なんか、どうでもよくなっちゃう程度のものなんじゃないか

他国の脅威に比べればファシズムのほうがマシだろ!みたいな。

このあたりの感覚は、動機づけとしては重要なんだけど、日本場合ちゃん思想として、自分たち言葉自分たちを守る武器として昇華してないんだよね。

敗戦で混乱していた時期にすかさず、日本憲法戦勝国からもらった、というところで思考停止になった、という面はあるかもしれない。

もらったもので、とりあえず勉強して運用してみよう、という時期が最初はあってもいいかもしれない。

でも、戦後30年、40年、とりいそぎ運用していたものが定着していく、という過程

例えば「思想の自由市場」ってよくよく考えてみると、日本社会では、あまりピンと来なくね?みたいな気づきがあっても良かった。正直、「思想の自由市場」って日本社会じゃ、なんの役にも立たない理屈だと思うんだよね最近

また、フランス公立学校でのムスリムスカーフ論争。大方の日本人は、何あれ?状態。背景となる歴史が違うんだから

歴史を知らないと理解できるはずがない。

それを知らずに無理やり、政教分離って憲法に書いてあることを適用しようとしてきて、実は消化不良を起こしているんだけど、

日本人は雑食なもんでなんとかなっちゃうという。。。

そういうことがよくわかったという話。

2019-03-04

日本人が態度が良いなんて幻想

数ヶ月前、外国に行ったんだけど。日本人って海外でも礼儀正しいみたいな所謂「古臭い日本人像」をぼんやり持ってた自分が打ち砕かれた話をする。

お互い顔見知りでない数人の集団とある外国へ行ったんだ。ツアーみたいなやつ。

最初の数日はぎこちなさがあって、そこまではなかったんだけどある時か親しくなりグループ形成され、少し陽気な感じになってきた。

それだけなら良かったんだけど、だんだん横柄な行動が出てきて、インスタ映えストーリーとか言う存在もその時初めて知ったんだけど、そういうの撮りたいのか混んでる道のど真ん中で急に立ち止まったり

「この建造物なんか歴史あるんだって

「へーwwww」(ゲシっ)

ちょwwwおまwwww

みたいなのが出てきた。いやっ日本国内でも連日態度の悪い若者動画とかで炎上したりするんだから、行儀の良いという国民性って言う物自体幻想だとはわかってたつもりだけど、実際に目にするとキツイ

公共広場公民館を兼ねた美術館集合場所にし散々うるさくしといて、一銭もお金を出さずにゾロゾロ出ていったり、教会かに行くのはいいんだけど、ズカズカ入ってカメラシャッター音をそこらじゅうで鳴り響かせてから寄付箱には目もくれず出ていく様を気持ち悪く感じるあたり、集団行動に向いてないのかもしれないけど。

2019-02-22

anond:20190222195917

キリスト教勉強がしたいなら、教会いかんほうがええで?

まずは一人で聖書読め

教会聖書読むのもぶつ切りで勉強にならん

それに、ジジイババアしかいない

讃美歌を歌うのは楽しいけどね

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