はてなキーワード: 主体的とは
俺は無理だったし、わからされた。
当然の結果だと思った。
裁判とその前のやり取り含めて、子育てに対する認識と理解が甘すぎっていうのをとことん分からされた。
おむつ替えも送迎もミルクつくりとか色々したけど鍋にルーを割り入れただけでカレー作ったと主張するようなもんだと言われた。
出産それ自体が互いの意志と行為によるもので、生まれるまで半年以上もあるし、ある日突然玄関前にコウノトリが赤ん坊を置いていくわけでもないのに育児休暇が一週間程度だったことも響いた。
会社の理解がないせいだという主張は通らなかった。そういう会社だと分かってるのに転職もしない、上司に何度もかけあってもいなかった。主体的に子育てする意欲がないとしか考えられない(元妻は産休は当然として事前に育休について複数回人事とやり取りした記録があったし、俺の会社でも3ヶ月くらい育休取ってる男性社員がいた)と言われた。
他にも、よくあることがもだけど、子どもが泣くからママのほうが良いのかもな〜って安易に抱っこ任せたりしてたのを共通の知人に証言されて育児の面倒ごとから逃げてたと言われたし、子どもの薬やアレルギーに対する理解が妻と比べて浅かった。
子どもに対する理解や関わりに主体性がない、常に元妻の伝聞に頼っていたと言わざるを得ない。
園の送迎や週末に抱っこ紐で抱っこして買い物に行ってても、遊びに連れてっても、それは育児の比較的美味しい部分をつまみ食いしていたに過ぎないと言われた。
主体性を持って子どもと関わらない人と子育てはできないと言われた。
何度も話し合いを求めたし、何度も悪いところは直すと伝えたけどそのたびに「人から指摘されないと自主的に仕事を休んで子どもに関わるということができない人と協力して子育ては無理。何をしたら良い?と丸投げするんじゃなくて何をすべきか自分で考えて、考えた結果◯◯をしようと思っているけどどうだろう?と提案、相談が欲しかった。」と言われた。
すげー不仲でもないし、元妻とは今でも会うし子どもの話もするし、元妻も俺に対してDVを主張してないから面会交流はできてる。当然だけど養育費も払ってるし。
正直、育児に対する考えが甘かったのは事実だし、よくこの状態で親権とれると思ってたな、って感じだ。それでも離婚の話が現実味を帯びたとき、主体的に子育てしてなかったくせに「子どもを奪われる」みたいな感覚があったんだよね。
自分が思ってる以上に妻がいること、子どもがいることをアイデンティティや自尊心につなげてる部分があって、それが妻からの離婚申し出によって損なわれる、というのが憤りとか焦りとかになってたと思う。幸い共通の知人が間に入って俺の話を聞きつつ、冷静になる時間をくれて、客観的に見て主体性がない親であるという事実を飲み込ませてくれた。
俺の場合は子どもや妻に暴力を振るってなかったし、正直よほどのことをしてなければ面会交流とか何かしら子どもと関わる事はできると思う。
そういう意味で、共同親権にならなくてもなんら子どもと関わることができてるので、共同親権を必死に主張する人に疑念は抱いてしまうし、離婚を突きつけられたときに俺が感じたあの憤りや焦りのままなんだと思う。せっかく手に入れた自分の自尊心が損なわれるみたいな。
俺もああなってたのかもしれないな。
”第2に、最近の米国経済を見ていると、利上げがインフレ抑制に本当に効くのかという疑問をぬぐうことができない。米国のインフレがひところより収まってきたのは、供給制約が正常化してきたからであって、「利上げによる経済の減速」というルートはあまり働いていないように見える。”
”米国の場合、2022年からの利上げで利払いが最も増えたのは政府であり、企業は手元資金の運用利回りが上昇し、利上げでむしろ増益というケースも多い。そうだとすると、政府が主体的に財政引き締めに動かない限り、中央銀行の利上げだけで総需要を抑えるのは難しい。”
”日銀が本格的に利上げに取りかかってみたら、そこで初めて利上げは効かないという現実が明らかになるかもしれない。効きが悪い分さらに利上げを続けざるをえなくなり、ターミナルレートは驚くほど高くなる可能性がある。”
インターネット広告を巡る議論は、常に賛否両論を呼んできた。広告は情報の流通に不可欠な存在である一方、ユーザー体験を損ねるものとしても認識されてきた。近年、広告ブロッカーの普及により、この議論に新たな火種が投じられている。
広告の本来の目的は、広告主の商品やサービスについて、ユーザーに有益な情報を提供することにある。それは、ユーザーと広告主の間のコミュニケーションの一環であり、両者にとってWin-Winな関係を築くことが理想とされる。しかし現実には、多くの広告が本来の目的を見失い、ただ単に広告収入を得ることだけを目的としているように見受けられる。
特にブログやアフィリエイトサイト上の広告は、質の低下が顕著だ。ユーザーを騙してクリックさせるような広告ばかりが目につき、ユーザー体験を大きく損ねている。これらは一時的には収入を得られるかもしれないが、長期的にはユーザーの信頼を失い、広告主のブランドイメージも傷つける。広告収入というシステムから利益を得ようとするあまり、本末転倒な状況に陥っているのだ。
特に深刻なのが、SNS上でのAIを利用した詐欺的な広告の蔓延だ。巧妙に作られたこれらの広告は、ユーザーを欺いて個人情報を盗み取ったり、偽のサービスに誘導したりする。健全な広告というよりは、もはやサイバー犯罪の一種と言っても過言ではない。プラットフォームの信頼性を根本から揺るがす由々しき事態と言えよう。
こうした状況下で、広告ブロッカーの存在は無視できない。ユーザーの立場に立てば、質の低い広告をブロックするのは正当な権利だと言える。しかし、媒体運営者にとっては死活問題だ。広告収入に依存するビジネスモデルは、存続の危機に直面している。だが、ユーザーによる広告ブロックを「不当」で「利己的」な行為と決めつけるのは短絡的だろう。問題の本質は、広告収入のみに依存し、広告の質の向上よりも単価の上昇で対応してきた媒体運営者側にあるのではないか。
さらに、広告主の視点から見ても、課題は山積している。詐欺的な広告主と正当な広告主の区別は容易ではない。ユーザーからすれば、どの広告が信頼できるのか判断しづらいという実情がある。そしてこの問題の背景には、広告業界全体の不透明な構造がある。広告代理店やアドネットワークが介在することで、広告主とユーザーの距離が離れ、悪質な広告主が紛れ込む余地が生まれてしまう。広告主側も、自社広告の配信状況を十分に把握できていない可能性がある。
結局のところ、問題の本質は利権の問題に行き着く。質の低い広告や詐欺的な広告を野放しにしているのは広告提供業者であり、その広告提供業者を公に許しているのは各種大型プラットフォーム(SNS及び動画サイト)や中小ウェブサイト経営者だ。そしてこの中で、詐欺的広告や質の低い広告を自主的に制限可能なのは、提供業者と大型プラットフォーム経営者のみ。特に大型プラットフォーム経営者は、広告主と消費者を結ぶ重要な結節点であり、交渉力を持ち合わせる業界のルールメイカーとしての立場にある。
ここで問われるのは、消費者が大型プラットフォーム経営者に対して、質の低い広告や詐欺的な広告を載せるなと要求する権利があるのかどうかだ。言い換えれば、消費者の利益のために、プラットフォーム経営者の「しない自由」を制限する正当性があるのかという問題だ。
この問いに対しては、肯定的な答えが導き出せるだろう。今やインターネットは公共の場であり、現実のビジネスの場となっている。プラットフォーム経営者には、その公共性を維持する責任がある。そして何より、消費者が実際に被害を受けているという現実がある。詐欺的な広告による経済的損失や、プライバシー侵害への懸念は看過できない。にもかかわらず、プラットフォーム経営者がその要望に真摯に対応してこなかったのは問題だ。
この状況を打開するには、消費者、広告主、プラットフォーム運営者の三者が協力し、具体的なアクションを起こしていく必要がある。
まず、プラットフォーム運営者は、消費者からのフィードバックを積極的に活用し、広告審査体制を強化すべきだ。AIを活用した自動検知と並行して、人間の目による確認を徹底することが求められる。また、広告主の身元確認を厳格化し、広告内容の事前審査を義務付けることも重要だ。広告ポリシーを明確に定め、違反広告には厳正に対処する姿勢を示さなければならない。
広告主側にも、自社広告の配信状況を適切に管理し、質の高い広告を提供する責任がある。業界団体などと連携し、自主規制のガイドライン作りを進めることも有効だろう。
そして消費者は、問題のある広告を積極的に通報し、健全な広告環境作りに主体的に参加することが求められる。プラットフォームに対しても、改善を粘り強く要請していく必要がある。
プラットフォーム経営者には、「しない自由」よりも、「すべき責任」がある。業界をリードする立場である以上、消費者の信頼に応える努力を怠ってはいけない。もちろん、行き過ぎた規制は表現の自由や市場の健全な発展を阻害する恐れもある。だからこそ、消費者、広告主、プラットフォーム経営者の三者が対等な立場で議論を重ね、バランスの取れたルール作りをしていくことが大切なのだ。行政にも、この取り組みをサポートする役割が期待される。
ここで、インターネットの本質的な位置づけについても考えてみたい。インターネットは、当初は「市場原理に任された自由な場」という性格が強かった。規制は最小限に留め、自由な競争を促すことが重視されてきた。しかし、インターネットが社会に不可欠の基盤となった現在、その公共性は著しく高まっている。フェイクニュースやヘイトスピーチ、プライバシー侵害など、弊害への対策が急務となっている。
こうした認識の下、各国で法規制の動きが強まっているのは事実だ。だが、だからと言って行き過ぎた規制は避けなければならない。インターネットのイノベーションや表現の自由を阻害しないことが肝要だ。市場原理と公的規制のバランスをいかに取るかは、社会全体で知恵を出し合うべき課題である。
今こそ、従来の広告依存のビジネスモデルを見直し、新しい価値交換の形を模索すべき時だ。サブスクリプションモデルや有料記事など、ユーザーに直接的な価値を提供し、対価を得るビジネスモデルへの転換も一つの選択肢となるだろう。情報に対する価値観も変化し、良質なコンテンツには対価を払うという意識が広がりつつある。
また、広告収入の一部を広告審査の強化に充てる仕組みを作ることも検討に値する。広告の質を高めることが、結果としてプラットフォームの収益向上につながるのだという認識を、業界全体で共有することが重要だ。
健全な広告業界の発展は、ひいては健全なインターネットの発展につながる。広告主、メディア、ユーザーの三者が協力し合い、透明性と信頼を高めることで、より良い広告の在り方を模索していくことが求められる。広告ブロッカーの普及は、そのための重要な転換点となるはずだ。
インターネットは、「市場原理に委ねられた自由な場」から「公共性を帯びた社会基盤」へと変貌を遂げつつある。そして、我々はその変化の只中にいる。だからこそ今、インターネット広告の在り方を問い直し、健全なインターネットの未来を築くために行動を起こす必要がある。広告ブロッカーが投げかける問いは、そのための重要な一歩なのだ。私たち一人一人が、その問いを自分事として捉え、できるアクションを起こしていくこと。それが、より良いインターネットの未来を切り拓く鍵となるだろう。
・一意見をポストするのが間違ってないのは正しい、ただし実際はそこにとどまらず私見への支持を求めている
・面白いかどうかという自分の感性にファンであることが先行してる、そこがよくわからない
・ことあるごとに不安になってるけどたぶん周りの人は筆者さんほど不安にならない
・めっちゃ執着してるけどたぶん好きな感情の大きさと執着の大きさとは必ずしもイコールじゃない
・悲しくて悲しくて〜無理のないことだった、は、主体的には正しくとも社会的に正しくないので言わずにおくが吉
・目が合わなくなっていく原因は文章外の何かということでいいか、それとも芸人さんにおいて既にSNSとリアルが紐づいてたのか
・某男性アイドル事務所のくだりについてはこのポストが参考になる
社会人は「この人は頭が悪いな」と思ったときに「苦笑いをしながら隣の人の表情」を見ます。お互いに苦笑いしていたら、世間一般としてかなり愚かである可能性が高いです。このサインを見落とし「何も文句を言われてないから大丈夫」と突き進むと奈落の底です。
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・それは向こうは仕事なので〜仕方のないことだ、は、ファン側の発言として許容されない気がする
・あとは読めてない
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・なんて素直なんだ……
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私も執着するし執着対象には承認欲求強いタイプなので気持ちはわかる、特に動画のハートマーク部分。
あくまで客商売の人相手のことなんで、簡単にストーカー扱いされてるのはかわいそうだな〜と思って見てた。そりゃ芸人さんも一個人なんだが、客商売の人を客商売の人じゃなく一個人として肩入れしてる意見ってなんか簡略的で一方的になりがちな気がしてる。
ただし「いつか○○さんに僕の思いは伝わると信じていたのに」はどう考えてもアウトゾーンなのだった。そのあたりからのボルテージぱない。結局ライブ行くんかい。
朝ニュースをみてかなり動揺した、自分の経験がフラッシュバックしたからだ
昔のことになるが、経営者の父親がギャンブルにハマり、事業資金まで手を付けて最後は一家離散した
それまで恒常的にギャンブルはしていたが、大事になったきっかけはそれなりに一時大金が入ったことだと思う。とはいえストレスかもしれないし、今となっては本当の原因はわからない。
事業資金に手を付けていたため、週末ギャンブルに負けると損失を埋める(事業資金の支払いがある)ために家庭内は大喧嘩していた。
親族からの借金や母親が持ち物を売って、手を尽くしてしばらく払えていた。
もちろん、ギャンブル依存症のグループワークなどすすめたが最後の最後、破滅するまで本人は辞めることができず、会社は解散し両親は離婚、一家は離散した
(なお恐ろしいことに勝つと穏便な週末になる。ギャンブル以外は仲良い家族だった。ただこれが毎週毎週繰り返されて頭はおかしくなってメンタルが安定するまでかなりの時間を要した)
今考えるとギャンブル依存症に対して最もやってはいけない損失埋めだが、身近な人物であればあるほど「損失を埋めれば助けられるのでは」と考えて、同情してしまい補填してしまう
その流れが痛いほどわかり、ニュースを見て思い出してショックを受けた
あちこちでみるのが「ギャンブル依存症は病気だから治療を」と見るが吐き気がする正論だ、正しいけど吐き気がする
まず依存症患者が依存症を認めることは難しく、認知療法やグループワークも本人が主体的に動かなければあっという間に町中のギャンブル施設に吸い込まれる(今は町中どころかスマホで24時間ギャンブルできる環境がある)
自身の身の安全にはギャンブル依存症の人から徹底的に離れて、その人が自分で立ち上がるのを待つしかない(ここまで書いたが昔の知識のため、もしかしたら医学が進んでもっといい方法が今はあるのかもしれないが…)
今も馬やパチンコに関する情報に接するとなんとも言えない気持ちになる
嫌いではないが、無尽蔵に金を吸い込む装置に飲まれてどれくらいの家庭が壊れたんだろう。今もどこかで壊れているんだろう
せめて1日に賭けられる上限ができると良いなとも思ったが自分は離れているので他人事だ
私が出来ることはそういう親をもったので、自分はやらない、子供にも起こった事実を伝えてやらないほうがいいと伝えるまでが最大限出来ることだと思っている
このニュースでギャンブル依存症の議論が起こるだけでも嬉しい部分はある。広告費用が大きいのか議論されなかったり、スルーされている気がするので
「ご自由にお持ちください」と書いて置いてあるモノを全部持ってっちゃう人のことをどう思うだろうか。
ホームセンターの端材置き場にある端材を軽トラで全部持ち去る。あり?なし?
ATMの脇に置いてある封筒を洗いざらい持ち去る。あり?なし?
スーパーのビニール袋のロールをガラガラ回してたくさん取ってく。あり?なし?
置いてあるビラの中から裏が白いものをメモ帳を作るために全部持ち去る。あり?なし?
物質的に豊かに育った人って、基本的にこういうことはしませんよね。恥ずかしいから。誰に対して?→自分に対して。
タダなんだからもらえるだけもらってしまえという行為が、〈自分から見て〉浅ましい、さもしい、卑しい、見苦しい、下品と感じて、抵抗をおぼえる。
このような、己の内なる線引きで自分の行為を律する規範を〈節度〉とか〈行儀〉と言う。
それは明文化された社会規範ではなく、環境の中で培われ、コンテキストでも変わる、相対的な規範だ。
生まれや育ち、性格といったさまざまなコンテキストをひとりひとりが持っているから、当然その規範も人によってさまざまだ。
なので、タダで持っていっていいものを「どのくらいなら持っていってもセーフか」という線引きも人によって異なる。
「全部持ってっちゃあかんの?」という人もいれば、それに対して「よしなよ、みっともないよ」という人もいる。
一方、置いたほうも置いたほうで、「普通はひとり1個しか持っていかんやろ」とか「ごっそり持ってくやつはおらんやろ」といった、〈置く人なりの線引き〉で置いている。
己の線引きでどうするかとともに、置いた人はどういう線引きでこれを置いているのか、まずは両者を引き比べるべきだろう。
両者に隔たりがあるのなら、どちらに沿うべきか考える。
己の線引きで行動するなら、それは〈利己的〉と呼ばれる。
提供する側の線引きを想像して行動するなら、それは〈空気を読む〉と呼ばれる。
そして、両者の線引きがもし異常にかけ離れていたら、それは〈非常識〉と呼ばれる。
〈常識で判断しろ〉〈ちょっと考えればわかるだろ〉というのは、他人が引いた線を想像することであり、世の中の大多数の人はどう捉えるだろうかと〈社会通念〉に思いを致すことだ。
タダで提供するなら全部持っていかれる肚を括れとか、全部持っていかれて腹を立てるなら最初から上限数はいくつまでと注意書きをしろ、と要求するのは、こうした〈社会通念と折り合いをつける努力〉の放棄にほかならない。
ある種の発達障害を持つ人にとってこうした〈暗黙の了解〉が理解できないことは承知している。
だが、ブコメを見ていると、一定の常識は持ちながらも能動的主体的に社会と折り合いをつけることに関しては拒絶する人、早い話が青い臭い反抗期のクソガキみたいなやつらがウジャウジャいて引いた。
元増田です
・コンドームで十分→避妊率はピルやミレーナに比べて低く、安心できる数字ではない。物理的な避妊だけでは事故や失敗の時にリスクが高すぎる。ダブルで避妊するほうが安全。(コンドームの避妊で失敗したらアフターピルになるが、それも医療機関に受診して平均一万円超えの結構な金額で処方してもらわなければならない。参考にオオサカ堂ではノルレボジェネリックが一番安いもので4ドル程度で売られていた)
・低用量ピルを処方してもらえばいい→避妊目的だと自費だが、薬価がなぜかかなり引き上げられていて高価。OTC化もされていないので病院に行かないと入手できない。
あとはかなり避妊が確実なIUDやミレーナも選択肢のひとつとして重要です。
局所麻酔ですらまず麻酔をしているクリニックを探し、こちらから希望しないと基本的には無麻酔となります。(自費での挿入の際、麻酔を希望しても断られたという話もよく聞きます。歯医者等でも普通に使われる局所麻酔での処置を断られるのは何故、麻酔のリスクを了承した上で全て自費なのに)
そしてよくある「そんな男と結婚しなければいい」という個人的な夫婦問題に落とし込もうとする意見ですが、そもそもそんな男と結婚しなくても、健全な夫婦間でも避妊がしにくいって話なんですよ。
(現に私の配偶者は全面的に避妊に協力し配慮をしているので愚痴りたかったわけではありません)
というかどんな人が相手でも、自分が妊娠したくないときに主体的に避妊をしたい、こう思うのは当たり前のことです。
正直、避妊に関しては日本には期待できないと思ってしまっています。
自分の人生設計のために自主的に避妊をする、それすらも意図的に阻まれていると言わざるを得ません。
たとえばお金に困っている女性がレイプされ、アフターピルは高額でお金が足りない、仕方なく個人輸入の安価なアフターピルを服用して健康被害が起きても保険がきかず救済されない。こんなことが普通に起こりえてしまいます。
アフターピルがOTC化されていたらトラブルが起きてもとりあえず医薬品副作用救済制度でカバーはされますからね。
私は腕に挿入する避妊インプラントを選択したいのですが、日本では認可されていないため海外で行うことになります。これでトラブルが起こると健康被害救済制度の対象外になります。しかし自己責任なので現状仕方がありません。
避妊は病気ではないから保険がきかない。これはわかりますが、それなら自費で避妊をさせてくださいよ。薬価を不当に吊り上げず国際基準の常識的な値段でOTC化したり色々な避妊法を認可をしてほしいです。
セックスをやらなきゃいいで終わる問題ではなく、人生は必ずトラブルが起きます。
そのダメージを軽減するため自己防衛したり対処したりをするのですが、高価・手間や時間が非常にかかる・痛みへの配慮がない・日本では行えないなど、自分の体を守ることすら高いハードルに阻まれているような状態です。避妊注射や避妊インプラント等、存在はしていても認可がおりていない避妊法はいくらお金を積んでももちろん選択できません。
なので完全な自己責任で薬を輸入したり、その手段を他国に求めるしかなくなるのです。
どんな避妊法でも完全ではありませんしメリットデメリットがあります。
なので避妊を継続するにはなるべく多い選択肢から自分のライフスタイルにあったものを選ぶのが大切ですが、まず選ぶことすらできないのです。
女性はもちろんできることなら中絶したくないし、望んでいないときに妊娠したくありません。そして私は日本を頭ごなしに批判したいわけでもありません。しかし避妊に関してはすぐにでも改善できる問題が放置されているのは事実です。これからもこの国で生きていきたいですし、住みやすい国にしたいと思っています。
※友人が中絶したのですが、そのときに掻爬法で半分覚醒しててめちゃくちゃ痛かった、手術の後の休憩室で隣の手術室の他の人の中絶の音が聞こえてきて辛かった、という話を聞いてめちゃくちゃ悲しくなって、自分もモヤモヤしていた感情と共に書きました。
まず俺は男だ。けっこう稼ぐ。
男尊女卑がどうとか女性の権利がどうとかそういう説教は大丈夫だ。俺は彼女をとてつもなく愛しているし、家事育児を押し付ける気はなく主体的に取り組むつもりだ。
彼女は大学生をしていて、もう就活してもおかしくない時期だが就活をする気はなく、根本的に働くことに向いていない。バイトも特にしていない。
彼女の生活は、最低限だけ大学に行き、家でピアノを弾いたり読書をし、ちょっとした美容が趣味といった高等遊民タイプだ。美人。頭はいいがADHD気質。
「働きたくない」という愚痴を聞いたから「べつに俺が稼ぐから結婚すればいいじゃん。パートとかも嫌?」と言ったらパートなら別にいいらしい。目をキラキラさせていた。
俺自身も時間がとれれば2人で平日に旅行にでも行けるしそれでいいなと思っている。
俺も彼女も田舎で育ち東京を経験しており、あまり人が好きではない。そのため、ピアノや読書のためもあって田舎に家を買って住むつもりである。
狭い家でヘッドホンをつけて電子ピアノを演奏するとか、iPadで電子書籍を読むのは性に合ってないのだ。
彼女は専業主婦志望のわりに知識は豊富でネットリテラシーは高いので、俺の予想では田舎の小売のパートなどはあまり合わないのではないかと思っている。
他のデメリットとしては、俺がパートのおばさん関連の愚痴を聞いて『それはつらかったね』などという心にもない発言をBOTのように連発しなければならないことだろう。
また、彼女に社会人経験が無いことで何か問題が発生したり、子どもができたときに平成の家庭観を植え付けそうなことが心配である。
何か良さそうな職業があれば言ってほしい。
あるいは何らか興味深い意見があればお聞かせ願いたい。
この増田にムカついてるような女はそもそも婚活市場なんかにいないのに何をイライラしてるのかわからない
婚活市場でくすぶっているような男女のほとんどは「主体的に行動できない」「責任を取りたがらない」「決断できない」ような奴らばかりで
そういう奴らは「なんでも決めてくれて自分をリードしてくれるお父さん/お母さん」みたいな相手を望んでる
だから男女問わずに自分からグイグイ行動出来るような人はすぐ相手が決まるし婚活市場から卒業してる
(そういう人間のお眼鏡にかなったり、お互いにグイグイタイプだったり)
うちの五歳の息子も自主的、主体的に歯磨きをせずに延々とタブレットでYoutubeを見続けます
親としては自己責任と放置せずに説教してタブレットを取り上げ洗面所に向かわせます。
うえーん、みたいよぉと泣くが
やかましい長幼の序、親の命令は絶対だ、理屈じゃない、理屈を言うたところでキミにはまだ理解できない、とりあえず親に従ってればいいのです。
目が悪く、頭が悪くなる、寝不足になる、まぁ理由はあるわけだが大人の知見で制御すべきものは制御し、経験と知識が足らない愚かな子供を一人前に育てるのが親の役目です。
大人試験を権力者の都合の良い難易度に調整されたら?ヤバいよね
ならば、相応の能力があれば相応の所得を得て納税するはずだから選挙権は納税額で線引しよう。
これもやって失敗した
「年齢」で一律区切るしか無いわけです。
「なにをエラソーにwガキが」の一蹴で良いのです
30歳自営業で年収1200万、不労所得が2000万くらいの弱者男性だけど、30歳を期に婚活することにした
結婚相談所のアドバイザーと相手の希望等について最初に話し合うのだがその時点でひどかった
私「忙しくて家事育児等がたいしてできないので、そういうのを苦にしない相手がいい。専業主婦でも問題ない」
私「家庭の生活費の大半を稼いで、家事育児も主体的にやれと?」
ア「そうじゃないとむずかしいですよ」
ア「それと自営業ということですが家族との同居はするんですか?」
私「現状その予定はないが将来は分からない」
ア「同居なしじゃないと厳しいですよ」
この辺りでなんの希望も通らなくてムカついてくる
私「それじゃ同居なしで家事は家政婦でも雇えばいいので、年収3000万程度の相手でお願いします」
私「ここは女への奴隷斡旋所かなにかなんですか?もう結構です」
その場で退会して帰ってきた
金ドブだったけど、時間までドブに捨てても仕方ない
損切りだった