はてなキーワード: 限定的とは
彼は実装がめちゃくちゃ速く、コードもきれい。テストもちゃんと書く。
とてもできるエンジニアなのだが、一つだけ困っていることがある。
実装完了した機能をすぐに本番環境にデプロイできないと、とても不機嫌になるのだ。
うちの会社が開発しているのはtoBのシステムで、実装内容によっては営業やカスタマーサポートからお客さんにアナウンスがされてからでないとデプロイができないものがある。
急にUIが変わったり新機能が追加されるとお客さんが混乱するしカスタマーサポートに問い合わせが殺到するので、デプロイ前に調整が発生するのは致し方ないことなのだが、こうした背景を説明しても彼は納得してくれない。
「とにかく早くデプロイをさせろ」の一点張りで、彼が勝手にPRをリリースブランチにマージして、機能が出てしまったこともある。
それによってカスタマーサポートへの問い合わせが増えても、彼は知らん顔。
謝るどころか「デプロイ頻度は開発組織にとって一番大事なこと。カスタマーサポートがそれを妨害してる」などとのたまうものだから、もはやカスタマーサポートから嫌われていて「あの人に重要な機能は開発させないでください」とまで言われてしまっている。
きっと彼はプログラムを書くこと、自分の中で開発のサイクルを回すことが好きなだけで、運用には興味がないんだろう。
営業やカスタマーサポートやお客さんなど、自分の開発するものに関わる人々にも興味がないんだろう。
うちの会社のシステム開発、運用とは考え方が根本的に違いすぎるので、どこかの会社に彼を引き取っていただきたい。
<追記>
カナリアリリースを提案したこともあるんですが、「サポートが悪いんだからそのためにフラグを追加するのはおかしい。本質的じゃない。」と拒否されることがしばしばです。
しぶしぶ自分や他のメンバーがカナリアリリース用の追加PRをつくったりしていますが、それに対しても小言が飛んでくるのでとてもやりづらい。
・権限について
一般的なブランチ管理はしていて、mainへの直接マージなどもできないようになっていますが、彼がリリースの担当の時に自PRをしれっとリリースブランチにマージされてしまい、そのままの流れで本番公開まで至ってしまった形です。
厳格に管理してないほうが悪い的なコメントもありますが、何にどれだけ管理コストをかけるべきなのかは組織や事業のステージによりけりでしょう。
gitだけでなく様々ことに管理コストをかけてまでその人を活かすべきなのかというと、現状うちの会社ではNoだと思います。
彼の担当領域を社内向けのadminだけに絞る的な話は出ています。
彼としては社内向けの仕事は嫌らしく、また、adminを一番使うカスタマーサポートに対して敬意がないので難しそうな気はしますが。
いろんな権限を剥奪して、何かしら限定的な範囲を担ってもらうことになると思うんですが、彼の望む自由はそこにないと思うので、そのうち転職されるのではないかと思います。
私はヤバい状況に直面すると、鳴り出す。
しかし増田を読んでてそうなったことは最初にログインしておよそ十年、過去一度もなかったと思う。
さっきから楽園防衛プログラムのBGMが頭の中で鳴り響いてるんだ。
「何者カハ 知ラナイガ 邪魔者ハ 排除サセテモラウ」の方ね。
マジでびっくりするんだけど、「化粧品売り場の男性店員とする雑談」とか「行きつけの美容室で美容師とする雑談」を婚活相手に求めるのが一般女性のコミュ力なの?
いやマジでビックリするのも平均的知能指数からかけ離れてるのも完全に無理な奴も、このミソジニストの方でしょ。
彼は有名な詭弁法——『燻製ニシンの虚偽』を堂々とやっている。
立場や状況をみて相手の心情を想定して、ふるまいから目的や要望をくみ取って、自分の立場や欲求とすり合わせる作業がコミュニケーション
中心のふたつの主張はこれ。
前者は、立場の差を利用するのがパワハラであって理解してるかは関係ないし、そも彼女が理解してないという根拠がない。『論点回避』の詭弁だ。パワハラを誤解してるところをみると社会進出してないのは彼の方では、と思う。
後者は、〜〜がコミュニケーションだ、と高らかに宣言することで、あたかも彼女がコミュニケーションを計れてないかのように思わせてるが、女性が期待する会話にならないのが彼女の落ち度である理由は一切説明がない。
対等な立場じゃないだろ、と言いつつマッチングアプリも立場じゃない、と自己論破する論理破綻。挙げ句の果てに純粋に対等な立場での会話はほぼ存在しないとか言い出す。まるで推理小説の信用できない語り手だ。そんな彼はナゾの独自理論を信奉してるようだ。
「ある関係性で生じるコミュニケーションを別の関係性で期待するのはパワハラ」
しかしこれはパワハラ概念の拡張だし、彼自身に当てはめると彼の批判もパワハラになってしまう。悪し様に知性を罵っているがブーメランが刺さってるのに気付かない人の語る一般的知性なんてお笑いぐさだよ。最後は、関係性ごとに異なる会話という論点を押し出して、女性にコミュ力が無いなどという直球ミソジニーの結論にすり替えている。
なお、彼は出発点の時点で『論点先取り』の詭弁を忍ばせている。
これを前提に主張を進めている。個性を出す雑談は、立場の差があるからこそ提供される限定的なものなのか。確かに女性は自分の欲求を言語化するために例示として店員との会話をあげたが、それが客と店員の関係性だからこそ出てくる特別な会話だと考えてるのは批判者だ。しかし理由の提示はやはり一切ない。
加えていうと女性は要求を押し付けたりもしてない。彼女は期待してるだけだ。このように多くのポイントで実際の記述を悪く読めるようにデカくして誤読を誘っているのがこのミソジニストの卑怯さだ。
煙に巻かれてるブックマーカー達をみて、もはや絶望しかない。賢人が集う場所だったハテブという楽園は失われた。タイムマシンに乗って過去か未来に飛んでしまいたいよ。
※あくまでも仮説なので間違ってるかもよ
GWやお盆の時期など、大型連休で必ず高速道路に現れるサンデードライバー。彼らはなぜ追越車線を走り続けるのか。
などが挙げられる。しかし、これらの理由はサンデードライバーの特徴ではあるものの、追越車線を走り続ける理由としては弱い。
なぜなら、車線変更が苦手なサンデードライバーが、わざわざ追い越し車線に出てくる理由にはならないからである。走行車線をチンタラ走り続ける場合でも、上記の条件に当てはまる。
サンデードライバー追越車線爆走の謎を解き明かすためには、彼らが積極的に追い越し車線に集まる理由を考える必要がある。
その理由を解き明かすには、ICの存在が大きく関わっていると私は考える。
走行車線はICからの合流を受け入れる車線である。走行車線を走り続けるためには、数kmごとにICから入ってくる車と合流を強いられる。合流を大の苦手とするサンデードライバーにとって、これは非常に大きな苦痛となる。
しかし、追越車線であれば合流のストレスに晒されることはない。ICからの合流を回避するために追い越し車線に逃れることは、サンデードライバーが積極的に追越車線に集まる理由になりうる。
それ以外にも、走行車線はサンデードライバーがストレスを感じる要素が複数存在する。視界を遮りペースを乱すトラックや、登坂車線との分岐と合流がこれにあたる。
走行車線を走り続けるためには、走行車線を走り続ける意識を強く持ち、頭を使いながら運転しなければならない。逆に、追い越し車線であれば何も考えなくても走り続けることができる。このような高速道路の構造的な理由が、サンデードライバーたちを追い越し車線に集めるのである。
最後に、このような理由を踏まえ、追越車線爆走を無くすための対策を考えてみよう。
まず考えられるのが、PAでポスターなどを使い啓発を行うことである。しかし啓発のみの場合、効果は極めて限定的であろう。なぜなら、サンデードライバーが、強く意識して走行車線を走り続けることで得られるインセンティブが必要だからである。ただの啓発では、ポスターを見た直後に一瞬で忘れられる。
ゆえに、啓発とあわせて、通行帯違反で摘発を行うことが必要である。ドライバーにとって捕まりたくないことは、走行車線を守るインセンティブになる。
ただし、サンデードライバーはこのような取り締まり情報に疎く、取り締まりを行ってもなかなか周知されない可能性がある。そのため、厳罰化する、しこたま切符を切りまくる、ニュースで散々取り上げてもらうなど、「取り締まりで捕まるんだぞ!」ということがしっかり広まるような取り組みが必要だ。
相手が望むこと、もしくはそれに反していても会話というやり取りが継続することが正解だろうか
「母にはまだ及びませんが肉じゃがとか煮魚とかは普通に作れます」
「私、茄子が好きなのでピーマンと一緒に味噌で炒めたのが好きでよく作ります」
特異な料理はぱっと思いつかなくても、苦手な料理はあるんじゃないだろうか
五段階評価として、苦手なのを1とする
苦手というほどじゃないが、イマイチ味が決まらないことが多いのもあるだろう
それは2
まあまあ普通に作れるわな、というのが3
真ん中の3を基準に、2と1があるなら、それの逆が4と5だ
言いたいことはタイトルで言い切ってしまったので、以下は蛇足である。
5/8で新型コロナが5類感染症に移行となる。時を同じくしてWHOの緊急事態宣言も終了となり、世界的に猛威を振るったパンデミックもひとまずは収束と言えると思う。
自分なりにこの3年を振り返ってみて、楽しかったと思えるファクターはいくつかある。
台風だの大雪だのに不謹慎なワクワク感を覚える人はそれなりにいると思うが、まさにそれの最上級。世界的なパンデミックという、一生に一度遭遇できるかどうかの非日常イベント。
何気ない国際ニュースのひとつとして武漢の新型肺炎(当時は肺炎がフォーカスされていた)が報道されたのが19年の12月末だったと思うが、年の瀬の賑やかさに紛れて不穏なニュースがカットインされる、まさにスリラー映画やSF漫画の導入にありそうなシークエンス。
年を越して2020年、武漢の状況が悪化するにつれて報道の扱いも大きくなってきても、この時点でまだ大多数の人は対岸の火事、せいぜいが以前のSARSや新型インフルのような、それなりの騒ぎにはなっても所詮は限定的な影響で終息すると考えていたと思う。
「これは何かが違う」と思い始めたのは1月下旬、中国全土への拡大から欧州に飛び火し、日本国内でも感染者が報告されたあたりからと記憶している。
マスクが品薄になり、テレビでは連日クルーズ船内の状況がトップニュースに。都市封鎖などという物騒な(しかし蠱惑的な響きの)言葉も飛び交うようになってきた。
日常がじわじわと崩壊していく感覚は極めてスリリングで、眉間に皺を寄せ、表向き深刻を装いつつ、内心に抑え難い高揚感があったことを覚えている。
自分の状況でいえば、2月から在宅勤務が推奨されることになり、急遽work form homeの日々が始まった。並行して外出自粛の風潮が広がり、4月にはついに緊急事態宣言。生活のすべてが自宅に集約されることになった。
幸いなことにコロナ前年に家を買ったばかりで、自宅に引き篭もることに不便がないどころか、快適な自宅を24時間満喫できることは僥倖であったと言える。
とはいえリモートワークに耐えられるだけの設備はなく、当初はダイニングテーブルでPCを開いていた。1ヶ月もせずに硬い椅子に腰が悲鳴を上げたことでオフィスチェアを購入。不用品を片付け、部屋を空け、家具を購入して4月ごろには快適な仕事環境を整備した。
仕事中に仕事そっちのけねデスク整備のブログを参照し、Amazonやヨドバシでアイテムを精査しながら少しずつ環境を整えるプロセスは楽しかった。
通勤という概念の消失は、日常生活に不可逆的な変化をもたらした。これまで通勤に費やしていた毎日往復1.5時間が突如として可処分時間としてカウントされることになったのみならず、「起床してひとまず勤務開始、2〜3のチャットを返したら顔を洗い、洗濯。カメラオフのオンラインMTGに出席しながら朝食」とか、「勤務終了後、夕食を食べてまったりしていたら、メールの返信忘れを思い出した。PCを開いてメール送信だけを行い再び勤務終了」といった極めて柔軟な動きが取れるようになった。
通勤含め10時間近くを毎日無意味に拘束されるオフィス勤務にはもう二度と戻りたくない。
この三年間、世界はコロナを中心に回っていた。政治や経済は当然のこと、社会活動や家族の営み、個人の価値観に至るまでがこの未曾有の疫病に激しく揺さぶられた。
コロナ禍の初期には「ソーシャルディスタンス」が合言葉となり、これまで当然と疑わなかった人と人の近距離での接触が絶対悪となった。
他人との物理的な接触、特に人混みに対する忌避感が急速に醸成された。
飲食店は休業を余儀なくされ、観光地は軒並み閑古鳥が鳴き、興行という興行が中止になり、ついにはオリンピックが延期となった。
全国民に微妙にサイズが合ってないマスクが届き、(結局、その旗振りをした首相を除き、あのマスクを着用している人を見たことがない)、その後10万円が振り込まれた。
公衆衛生と経済停滞のチキンレースの中で、緊急事態宣言が出て、まん防が出て、東京アラートで東京タワーの色が変わった。GoToが始まって終わり、ワクチン接種と副反応は国民の共通体験となった。そして、そのすべてで国民を巻き込む大論争が展開された。
毎週のように状況が変わり、トピックが移り変わる状況には飽きることがなかった。
他にも、欧米諸国での大混乱や中国のゼロコロナ政策を対岸の火事的に眺めることや、未だ謎めいている発生源やそれにまつわる陰謀論の百花繚乱など、不謹慎ながら楽しんでしまったトピックは尽きない。
無論、COVID-19という疾病がなくなるわけではないし、現に今でも着々と感染者は出ている。これからも残り続けるだろう。
ただ、人類史に確実に残るであろう「コロナ禍」というタームは終わる。長かった非日常が終わり、日常が戻ってくる。
それ自体は歓迎すべきことでありまったく異論はないのだけど、一抹の寂しさがあることもまた事実であり、2023年5月6日時点の思いとして増田に残しておく。コロナ禍は楽しかった。
それを盾にとってるクソみたいな連中は大量におるけど。
反論を恐れて放置されがちなブルーインパルスまで批判しているし、書かれてないだけで彼らにも頭に来てるだろうなあ。
まあでも利用しているだけで批判はしてないよな。あの馬鹿どもも。
東日本大震災の時も東電の一般社員が頑張ってる話を盾にとってだから東電は悪くないとか頭悪い論理が展開されていたもんだ。
原発立てといて安全対策に常に手抜きばかりの会社が悪くないわけなかろうに一般社員を盾にする。
しかもそれなりに効果があるんだから日本人にこれほどの馬鹿これほどの人数居るのかと可視化されてしまったね。
他国でやったらどういう結果になるのだろう、日本人を人類に置き換えられるくらい馬鹿がいるんだろうか。
いるかもしれんな。
話を元に戻すが、一般の医療従事者を盾に取ってあほな政策を擁護する連中はもちろん「大切な盾」を批判などしない。
政府に文句があっても「政府の政策にかかわるちょうちん持ちの医者」と見なした相手(判定が正しいかは議論の余地があるが、結局対象は大した人数ではない)くらいしか批判しない。
となれば、一般の医療従事者を批判しているのはやはり反ワク系の連中しか浮かばないが、彼らは客観的に見て大した人数ではない。
それでも非医療従事者全てが敵に見えるほど追い詰められているのは疲労もあるだろうが、やはり口汚く罵られ続けるとこうなりがちなのが人間ということだろうか。
有名人や配信者もよくこうなっているし、誹謗中傷に対する締め付けを強くするしかないのだが、普通に考えて政府の権力が強くなりすぎる(自民党が好きな人は維新や共産が政権取っても当面問題ない範囲か?と考えよう)
以前から「サイクロンで破壊しても罠カードは効果を使っているから無効にはならないよ」と言われてきた
ずっとそれを信じてきたけどあるときふと、どこにそんなことが書いてあるんだろうって考えに至って遊戯王のルールがわからなくなった
そもそも銃と弾丸理論はサイクロンと通常罠などの限定的な場面でしか使えない
他にも召喚時に発動するモンスターを落とし穴で破壊しても効果は無効にならないが、そもそもなぜ発動したカードを破壊しても効果が生きるのか、という理由が遊戯王には存在しないんだ
そういうルールだからってあるけどデュエルマスターズとかのように総合ルールで示されているわけじゃなくて、裁定とかをみることでしか知り得ない情報だ
仮に発動済みの効果とそのカードやモンスターが紐づいていないのであれば、例えば無限泡影でモンスター効果が無効になる理由に説明がつかない
例えば召喚時の効果にチェーンしてそのモンスターに無限泡影を使えば、当然その効果は無効になる
発動済みの効果とモンスターは基本結びついていないのに、無限泡影などで発動済みのモンスターを無効にしたら、発動済みの効果まで一緒に無効になる
これを遊戯王プレイヤーは受け入れているというとんでもない話だ
こんなゲームあるか?
元エントリにはてブが1700もつき、Twitterでも関連ツイートが千バズ、万バズになり、それらの閲覧数の合計が7桁になっていたのにはびっくりした。
「言語化されていないが切実な課題」だったのだな、と強く感じている。
そして、「自分の解釈を傍に置いて読む」ことができない人がたくさんいたのには、予想はしていたけどさすがに笑ってしまった。
まーそれが人間の仕組みだしね、とは思っているけど、やはり笑ってしまう。
その一方で、読めている人が、しっかり読んだ上で切れ味鋭くコメントしてきているのも事実。
世の中はすごい人がたくさんいるな、とも改めて思ったし、賢い人を甘く見てはいけない、という思いを新たにした。
ということで、フィードバックがあった点を中心に、情報を補足したほうが良いと思った点について、自分の考えを箇条書きで書いていく。
日常的にマンガを読む人は感じないだろうけど、マンガを買うという行為は結構ハードルが高い。
マンガの単行本というのを今まで買ったことが無かった。いや、AKIRAは買ったが大分前だ。
一方、無料で公開されてるWEBマンガは結構読んでいて漫画太郎や『アンテン様の腹の中』とか、漫画家の病気体験記とか楽しく読ませてもらっていた。
そこで虚構新聞を見るたびに広告が出て気になっていた『無能の鷹』のリンクをクリックしてAmazonで買ってみた。
めっちゃおもろいやんけ。美人で身のこなしもさまになっていて如何にも仕事が出来そうな女性社員が実はポンコツで仕事も出来ず仕事の話も出来ずに話にならない。
でもその天然ボケなのに威厳がある立ち振る舞いによってポジティブに勘違いされ組織としての仕事はうまい方に転がるって話だ。
次に以前かなり人気があったブログ「デマこい」の作者が描いたという『女騎士、経理になる。』を注文した。
これ読もうと決意して6年以上経ってるわ。
これも最高に面白かった。昔ネトゲしてた頃、中世ヨーロッパやファンタジーの文脈を勉強していたので話の勘所が判って大変に面白い。
ファンタジーで舞台はどっかの港町なのだが、これは中世~近世を調べた事があればモデルはイタリアの都市国家、フィレンツェ、ジェノバ、ベニスなどと判る。この頃複式簿記が普及し、同時に紙と株式会社、持株会社という資本主義の原型が出来た。そこら辺の歴史(会計史)を教養主義の外連味なくプロットにしている。
同時に度々複式簿記の実践が挿しはさまれるという流れだ。これ青色申告で簿記の勉強してる時に読みたかったぞ。
そんな風にマンガ熱に浮かれだした増田は街の本屋に出かけたのだ。
まず、『無能の鷹』と『女騎士、経理になる。』の続巻がどこにあるのかが判らない。また、ネットでちょっと読んで名前を知っているような本も全く見つからない。
探しているうちにすっかり疲れて何も買わずに店を出てしまった。
次に小さめのブックオフに行ってみた。
すると女戦士の方は見つかった。しかしそれ以外は見つからない。
家に帰ってから考えるに、どうも店が大きいと見つからないが小さいと限定的に見つかるという事のようだ。
それは察するに総当たりで探しているからでは?
という事で次は棚の並びの特徴を捉えることを目標にしてみた。
すると、ダーッと並ぶ棚は集英社や講談社の大出版社の単行本が並び、それが一番の売れ線らしいという事が判った。
そして自分が探しているようなマンガはマイナー、ロングテールに属するものになり、それらは端っこや奥の方に追いやられて陳列されているのだと。
でも待てよ?奥付を見ると『無能の鷹』は講談社刊だ。なんで講談社のところにないのか…。
考えながら棚を観察するとマンガ雑誌の連載の有無で場所が決まっているらしいという事に気が付いた。講談社刊であっても連載物じゃない作品は中小出版社のものと同じ扱いを受けるようだ。世知辛い。
ここまで到達するのに2週間程度を要した。
しかし未だ解明されていないのが、漫画家の病気ルポみたいな実録マンガがどこにあるか?だ。
本屋のマンガコーナーをぐるぐる回り続ける増田氏はやがて棚の下の方に「大判本」というジャンルを見つけた。
普通の単行本より一回り大きいので、高さが違う棚に入っている。
そして下の方にあるという事は売れ行きは良くないという事であろう。本屋によってはこの大判本は柱の影の凹みなどに棚があったりする。
更に気が付いたのは、連載物は巻数が多く、新刊が出てる限りは現役で、棚を占拠し続ける。
だが実録系は単発なので売り切りなのだ。元がマイナーで発行部数が少ない上に、配本があった時しか棚刺しされない。
それが売れたらそれっきりなので本屋で買うのは結構難しいらしい、という事に気が付いた。
ネットで見るとフラットに見えてしまうが実店舗ではヒエラルキーがある。増田が好むのは下層に近い。実録系に至っては一期一会で、偶然見つけた時に確保せねばもう出会いはないのだ。
ここまでに至るのに1ヶ月くらい掛かっている。
最初の右も左も分からずすごすごと敗退した時に比べたら大分成長したが、それでも未だに不如意な感覚はする。
東京に出てきて「中央線の黄色じゃなくてオレンジの電車に乗ればいいんだ」と覚えていたら深夜早朝に黄色電車が無くなって混乱みたいな事が良く起きる。
マンガを買う層と買わない層の間には結構深い溝があり、マンガの売り場は購買スキルがある人間に最適化されていると思われる。
シャバに出てもスーパーでの買い物が出来ずに他の客が買ったものを大量にかごに入れてるニキータになった気分である。
というのも、かなりの速読なので半日で10冊近く読んでしまうのだ。買う時に苦労するものを半日で10冊も減らしてしまうなど勿体なくて気軽に読めない。無くなったら「どのマンガが面白いのか」という新しいミッションエイムに立ち向かう事になるのだ。
統一地方選挙の話。
俺はリベラル寄り自認だけど、今の左派政党や活動家、あるいははてサが掲げるような、自由よりも独善的な規範を重んじ、何を善とするかが異なるだけで思考回路は宗教保守と大差ないようなエセリベラルが大嫌いで、だから党単位で見たら立憲民主党のことは基本的には否定的に見ている。
でも、今回は珍しく立憲の候補者(正確には無所属だけど、調べれば立憲の議員として出てくるし、今も立憲から応援は得ているっぽい。詳しくは知らんが)に投票した。
決め手になったのはそこ候補が参院選で出てた立憲の某オタク候補者が応援していて、表現の自由系の活動でその人との絡みもあるようだったから。
某オタク候補者ははてサみたいな強めの左巻きの立憲支持者には嫌われているけど、こうやって俺みたいな立憲に否定的な人間にも投票しても良いと思わせることが、はてなでもよく言われている「ウイングを広げる」とか「党内の多様性を保つ」ということなのかなって思った。
オタクコンテンツの表現の自由という極めて限定的でニッチなイシューだけど。
俺みたいな考えで投票する人はほとんどいないだろうし、万が一、立憲が俺みたいな有権者層を本格的に取り込もうとしてくれたとして、そうすると今度はラディフェミ層の票を切り捨てることになりそうであまり立憲に旨味はなさそうだけど、そういう現実的なことは置いておいて、立憲に俺の声が届いたら良いな。
以前知人女性に「実は恥ずかしながら結婚したいと思っているのでいい人がいたら紹介して欲しい」と頼まれたことがあったんだが、どういう人がいいのか聞いても「独身で仕事をしていれば良い。できたら優しい人がいい」とか言われちゃって決め手にかけて結局誰も紹介できなかった。
一方で、とある方は「中央3区に土地付き一軒家を持っている人と結婚したい!」と言っていて、同じフロアに会社があるってだけの私にすらその話が伝わっており「すげえ限定的だな…まじかよ」と思ったものの、数ヶ月後に本当にそういう相手と結婚していた。
かくいう私も「どういう相手と結婚したいか?」と聞かれて、誰も紹介されたくなくて「東大卒で、料理が私と同じくらいできて生活力が高く、暴力暴言振るわない人ですかね」とハードルめちゃ高くしておいたら、本当にそういう人を紹介されてしまった…。
子供が迷子になった時に名前を呼ぶのではなくて身体的特徴を具体的に叫ぶと、周囲も一緒になって探してくれるっていうエピソードがあったけど、あれと同じで具体的に条件がある方が周囲が探しやすいっていうか紹介しやすいので、自分が何を求めているかをもっと掘り下げて周囲を頼る方が一人で頑張ってるより打率があがるんじゃないかなあ。
抜群の教師ウケと限定的な試験範囲の丸暗記脳死ゲーで獲得したオール5に限りなく近い評点平均を引っさげてトップ公立進学校に入るも、
特段の女忖度なし、かつそもそもの試験範囲が広い大学一般入試という舞台で闘える実力は遂に全く身につかず、
周りの誰も鼻で嗤って行きたがらない早慶の指定校推薦枠(トータル6枠ほど)をかっさらって安全地帯への逃げ込みを考えるも、
定期試験の学年順位下位30%安定では枠が全部余っていようがそもそも高校が推薦してすらくれず、
結局、(ニッコマ受験を回避して)現役でニッコマ並かそれ以下のレベルの伝統女子大に行ってお茶を濁すか、
それだと右は分かんないけど、少なくとも左の支持は限定的になりそう。
業務の属人化を解消する、っていうのが優先であれば増田の方がアプローチを変えるのが早い気がする。
ので、不機嫌に振る舞うのをやめたいっていう増田の方向性は正しいのかと思う。
業務の効率化とか、成果物のブラッシュアップなんかが主目的で無いのだから、
通常の増田と同僚が対等の立ち位置だとしても、限定的に増田が「お伺いを立てる」立場になる変則チームなのかもしれない。
同僚が1人で持ってるノウハウを他の従業員に分かる形でシェアすべき指導的な立ち位置と定義するなら増田は教わる立場なので、ここは目下の対応になる。
同時に同僚は、当然として共有すべきノウハウを専有している状況で、これを解消する目的でチームを作ったという上司の意向に反しているので、業務指示に従っていないのでは。
という観点から、同僚が協力的で無いので上司の指示通りに行かないんです、困った困った的な進捗状況を上司に訴えるしかないのかな。同僚がマニュアルでも作ってくれれば基本的な考え方の共有にもなるのに、困った困った、みたいな。
増田が教わるポジションを取り直して、あえて不機嫌になるのを封印した所で、チームが破綻してるのは同僚のせいですよ、上司の意向に反してますよ、是正できるのは上司だけですよね、と。困った困ったして上司の指示待ち状態を作るとか。
ただ、これやると「属人化の解消」以外の業務が滞るので増田は別のストレスになるかもしれないし、客の矢面に立つのが増田メインなら使えない手だしね。