「部分的」を含む日記 RSS

はてなキーワード: 部分的とは

2017-08-16

https://anond.hatelabo.jp/20170816122555

耳慣れない言葉だったのでググってみた。

部分的にかするものはあったけれど、違う…と思う…。

依存性~のほうは特に

端的に「人間不信」なのかとも思ったよ。

2017-08-11

Googleのダモア(Damore)氏解雇について、自分の考えをまとめてみた。

まず、私自身が疑問に思っているのは、今回の解雇のやり方。

今回の解雇のやり方に疑問を持ったからといって、私が女性差別してよいと考えているわけでは全くない(でもここが結構誤解される)。


今回、例えばハフィントンポストは「Google女性差別発言社員解雇『一線を越えた』」という見出しをつけ、本文で「エンジニア管理職女性が少ないのは差別ではない」と書いた。

これだけを読むと、私も呆れて終わったかもしれない。 https://goo.gl/eytiDq

実際の文書には「なぜGoogle社内の管理職50%技術者50%女性でないのかについて、男性女性の形質の差が、部分的説明になるかもしれない」と書かれていたように思う(英語が苦手なので翻訳ミス可能性もある。原文を見てほしい)。https://goo.gl/tseyx8


英語を解す女性がこの文書を読んでどれくらい侮辱や怒りを感じるのかは正直、分からない。

ただ、認識が違っていたとしても即時解雇に値するのか、議論や再教育余地はないのか、Googleには考えてほしかった。


そして、文書の後半には経営陣への要求が並んでいる。たとえば「特定性別人種に限った社内プログラムクラス不公平だ」といったもの

これらについて、Google経営陣は解雇の前にまず説明をすべきではなかったかと思う。


解雇されたダモア氏の主張は、男女の結果の平等だけを優先するのは逆差別であり偏向だ、ということだと理解した。

この手の主張は、過去女性解放運動の中で差別肯定する文脈で使われていたのかもしれない。現代政治家発言であれば物議を醸すだろう。

しかGoogleは「政治観を含めて、異なる見解を持つ個人が、安心して意見を述べ合うことができる文化」があるオープン環境は、Google個性のコアだと言っている。

からダモア氏は安心して(匿名で)発言したのではないかhttps://goo.gl/1Jp27S


解雇されたダモア氏が生物的な差異を持ち出したことには私は賛成も反対もできない(理解を超えている)し、一般女性社員も見る社内メーリングリストに流すやり方には首を傾げる。

それでも、Google経営陣のやり方には反対だ。

男性からの「逆差別」との異議申し立てを「ジェンダーに関する誤った仮定喧伝する」ものだとして取り合わず解雇するというのは反対だ。


Googleは「その対話は、当社の社則やポリシーさらには反差別法に明記されている雇用機会平等原則文脈において行われる必要があります」とも言っている。

これは女性だけに適用されるものではないはずだ。

2017-08-08

日本工程师笨蛋的五个理由

  • 他们并不透过github的星星数量或发布服务等等,而透过上台会议为工程师成为有名把自己的价值提高,只在推特而搏客想说“我要上台”“我上台了”。他们并不透过代码而服务,而透过术语而行为做“Mounting”。Mounting驱动开发。衒学趣味
  • 大概的发表而搏客是“把官方Docs翻译到日语了”“把Get Started试试看了”这样的水平,可是因为大部分的读者是没有看英语的习惯(或者不会看)的人们,就被受欢迎的。透过“我明白了”“我有了新知识”“等一下看”等等的反应,著者满足他们的承认欲求而又写下一个垃圾记事。对在日生活中看英语一次情报的人们,这样的记事只是个噪音,可是“觉得明白最新技术”这样的感觉就是一个保持这样的垃圾记事评价的理由
  • 他们非常喜欢技术书,他们就连前端开发透过“学习”开始。可是这种书上的情报只是英翻日的文件或者自私代码,在这个变化很快的世界下,数个月就会简单地落后。虽然最新信息是很多而这些信息都是免费的,可是因为他们被动受到一个传播者给他们的二次情报,信息差距就在市场上成立。
  • 他们不能受到,或者因为很低情报感度不知道这样的事实,透过“日本优秀的工程师很多”等等的发言互相安慰。可是优秀的日本工程师因为已经在海外工作,跟海外工程师议论,而很快地产生成果,所以两极化越来越大。

参见: https://anond.hatelabo.jp/20170728223725

2017-08-02

イスラーム西洋文明に触れれば世俗化しておとなしくなる」

西洋近代化は不可逆に進むから元の未開社会に戻ることはない」

ってのがもう一種信仰なんですけどね

特に前者は部分的には裏切られつつあるわけで

2017-08-01

綺麗な状態でいたいならマメサロン脱毛

脱毛は夏の肌の悩みの一つにもなるものです。

カミソリで剃った場合は肌の表面を傷つけてしまうことも多いので敬遠してしまうこともありますが、マメムダ毛管理をしないと、ムダ毛というのはすぐに長くなってしまものです。

そしてそうしてカミソリで剃って伸びているムダ毛というのはチクチクして、見た目も汚いですし触れた時の感触嫌悪感を抱くものです。

ですからオススメなのがサロン脱毛です。

サロン脱毛でも脱毛の痛みを感じることというのはありますが、自分で行うよりは痛みが少ない場合が多いからです。

ですが、サロン脱毛に行っても永久脱毛まではできないことがほとんどです。

ですからせっかく綺麗に仕上がっても、いずれまたサロンに行って脱毛をしなければいけないことが多いです。

ですからサロン脱毛マメに通うことが必要です。

そしてマメに通うことで心配になってくるのが料金ですが、料金も全身脱毛であればとてもたくさんの費用がかかってしまうことが考えられますが、脇脱毛などの部分的脱毛であれば低価格ですし、何度か同じ施術を繰り返したとしても莫大な料金になるようなことはないでしょう。

ですから定期的にサロン脱毛を利用したい時は、範囲を決めたり部分的脱毛にしておくと良いです。

サロン脱毛に行くメリットは、綺麗に脱毛ができるということにもありますが、サロン脱毛を行うと同時に肌も綺麗になるというメリットがあります

自宅でムダ毛を剃ったり、自己流の脱毛ケアをすることで心配になってくるのは肌荒れですが、そうした肌トラブルが少ないといったことの他、肌がキレイになっていくのは嬉しいでしょう。

また、もともと肌が弱い人やアレルギー肌の人であれば脱毛することによって肌荒れしないかがとても不安ですが、サロンであれば事前にカウンセリングなどもあるので安心です。

肌のテストを行うことでトラブル回避をすることもできるので、肌への悩みがある人はカウンセリングも利用しましょう。

脱毛したい!人気のおすすめサロン、クリニックを紹介するサイト

https://anond.hatelabo.jp/20170801130925

1と2は中国を見ればいい

3は貧富の格差是正のためのお金を投入(部分的社会主義的な政策を入れる=福祉国家。でも税金徴収額には限度あり。これが海外右派左派の違い)

2017-07-27

https://anond.hatelabo.jp/20170726002853

 マジレスすると男女問わずそういう庇護欲求承認欲求みたいなものは誰にでも発生するし、何もおかしいことじゃないよ

 ただこの手の欲求はもともと存在しなかったものが新たしく生まれてくる、というよりは、「かつては何もしなくても満たされていた(満たしてもらっていた)のに今はそうでなくなったために、その欲求存在に気付かされる」という場合の方が多いように思う

増田のような容姿の衰えや集団内での年齢的立ち位置の変化だけではなくて、例えば「自分のことを可愛がってくれた姉や母が、弟の誕生で前ほどかまってくれなくなった」とか「有名大学に在籍していたころは大学名を出すだけで一目置かれたのに、いざ就職してみると上司に怒鳴られるばかり」とかね

 でもだからといって、「かつてのような状態がそっくりそのまま戻ってくる」ということはありえないので、素直にそれを自覚したうえで、そうした欲求身上を素直に吐き出せる相手吐露して、部分的にでも満たしてもらっては。

ペット赤ん坊かわいい子にするようなやり方しかしかたがないわけではなく、もっと色んな愛しかたがあるので、もっとこれまでとは違う人との関わり方や接し方を模索するのもいいと思う。少なくとも年齢を重ねて、自分自身をより深く理解した人間なら、そういうことだってきっと出来るはず

2017-07-24

上司が頭悪過ぎるから退職したい

とりあえず余裕が無いのか知らんけど、部下の提出物にイチャモンつけてマネジメントしてる感出すしか能力が無いくそ上司の元から早く離れたい。

ふたり上司意見真逆で板挟みキツい。

説明しても全体概要とか経緯理解してないくせに、掻い摘んで部分的な箇所だけにイチャモンつけられても困る。

能力じゃなくて終身雇用とか退職者の影響で出世する奴はマジで勘違いな奴が多過ぎる。

2017-07-23

AIじゃないものAIと呼ぶやべーやつ

ただの統計データ線形回帰で解析しただけで「AI判断しました!」とか抜かすから妙な胡散臭さが出てしまっている

せっかく囲碁とか将棋とか、部分的には人間を超える分野が出てきてるんだからそっちを前面に出したほうがいいんじゃないのか

2017-07-20

Splatoon 2 は何が変わったか

Splatoon 1 とは何だったか

GEO で Splatoon 2 のダウンロードカードと Pro コントローラを買ってきたので Splatoon 1 がいったいどのようなゲームだったか区切りをつけてみたい。

Splatoon 1 を遊んでいると、インクを塗ることで自由な行動範囲を広げているような気がするが実際はあまりそうなっていない。

2014 E3 のこの動画。開発者インタビューでは次のような要素が紹介されている。

https://www.youtube.com/watch?v=F05Kp1_-_vQ

”ヒトで撃って、イカでアクションの幅が広がる。インクを塗ることで行動範囲を広げるって目的があって、行動範囲を広げたあとに、イカになって塗られたインクの状況にたいして様々なアクションをする。”

インクは通常の弾丸と違って見ることができるので、角の向こうからインクを撃っているのを視認すると敵の存在を事前に察知することができる。”

インクを塗りかえて道を分断すれば、敵の進路を壊して戦略をつぶすことができる。”

E3 で初めてこれをみたときSplatoon は本当に独特に感じられた。独自のアクション、独自の戦略があり、ほかのシューティングゲームとは一線を画しているかのように思われた。実際に発売された製品は、はたしてこれらの要素を満たしていただろうか。

インクを塗ることでしか到達できないような場所が意外なほど少ない。そして塗り広げたとしても、そこではイカのアクションもほとんど要求されない。さらにイカ自体のアクションも、かなり幅がない。多くのステージでは、裏とりのための細い通路を壁登りから侵入するが、そこから到達できる場所は大部分がヒトの状態でもたどり着けてしまう。塗ったところで裏とりの細い通路から小規模な空間前進するだけであって自由ではない。ステージ構造に戦略をあまりにも誘導されすぎている。たしかに動ける範囲は拡大しているが、そこを起点にどのルートを選んでもいいような自由な選択肢は少ない。塗ることによる行動範囲の広がりは円形が望ましく、できれば高さの概念があればさらに良い。細長い棒状ではない。

Bバスパークの中央高台が楽しいのは、そこがイカの固有アクションである壁登りを、かなりの高さがあるゆえに X ボタン連打を含めて行う必要があるだけでなく、いったん登ったあとはそこから周囲を見渡してどの方向へ進むか判断できる自由があるからだ。モンガラキャンプ場が味気ないのは、インクを塗って行動範囲が広がったとしても、直線的な進軍しかすることがない不自由さがあるからだ。

Splatoon の開発インタビューでは勝敗に関係のない壁を塗る行為はどうすべきか長期にわたる議論があったという。結果として壁が登れるようになり、壁塗りに意味がうまれ、壁を泳ぐことは Splatoon 独自のアクションとなった。だが実際に遊んでみると、壁を塗ることに意味はあるが、塗ることに意味があるような壁は驚くほど少ない。

Splatoon 1 はその基幹となる遊びにたいしてステージの質が追いついていない。

素晴らしい可能性を秘めたシステムにたいしてマップの設計が応対していない。

インクを塗ることで選択できるルートが格段に増え、しかも選んだ道を進むにはイカ固有のアクションが必要で、ルートを進んだ先にも多様なアクション選択肢が用意されている。そんな自由度Splatoon に必要なステージの設計であって、限られたどのルートを選んでもイカのアクションが必要ない普通のシューティングゲームと膠着状態しか楽しめない状況を用意することでは決してないはずだ。Splatoon 1 は楽しいシューティングゲームとしては完成度が高かったが、アクションゲームには成り得ていなかった。インク塗りを起点としていままでには存在しなかった多様なルート開拓され、プレーヤーはその選択肢にイカのアクションで応える。こうした設計のアイデアヒーローモードではすでに実現していた。

ヒーローモードはバトルのための入門用、訓練用とされていたが、それはシューティングゲームとしてのトレーニングであってバトルに役立つアクション教科書ではなかった。ヒーローモードには多様なアイデアによるイカにしか出来ない緊密したアクションが散りばめられていたのに実際の対戦マップではそれが全くといっていいほど反映されていなかったからだ。オンラインバトルとヒーローモードは断絶されていた。スポンジ、インクレール、水平の回転軸をもつ動く足場、落下死を誘う反復する網。連続するこれらのギミックに対処するにはヒトとイカの切り替えを頻繁に繰り返さなければならない。磨き上げられた気持ちいいアクションの応酬だ。だがこうした要素は後期に追加されたマップ部分的採用されているだけにすぎなかった。初期、中期のマップはイカのアクションの幅が少なすぎた。タチウオパーキングヒラメが丘団地はまだいい。塗るべき壁が多く存在し、それぞれに意味がある。どの壁を塗るべきか選択を要求してくるからだ。そして高さがあるため、戦闘が立体的になる。すべてのステージには高さの概念があるが、それは侵攻を阻止するためだけのものであり、戦闘を立体的にする構造でなかった。ただ、既存の多くのマップではいくつかの箇所で立体的な戦闘を誘導しているものの成功には至っていない概念がある。

それは金網だ。有利な場所に到着するには金網のうえを渡らなければならない。あるいは有利な場所そのものが金網の場合もある。リスクとリターンの関係があり良さそうに思えるが「インクを塗ることで行動範囲を広げるって目的があって、行動範囲を広げたあとに、イカになって塗られたインクの状況にたいして様々なアクションをする」この要素のいずれもが金網のうえでは無効化されている。アクション性が全くないにもかかわらず Splatoon 1 では金網を渡るよう強制するステージが多い。ここには手応えがない。金網はたいていの場合、足場としてしか使われていない。デカライン高架下では柵が金網になっていて通行するのにイカのアクションが必要だが、こうした金網の使い方はほとんどない。

Splatoon 2 ではこうした不満が解消されている。スポンジやインクレール、回転するイチョウ切りの壁といったギミックが初期マップから採用されている。

これらのギミックインクを塗ることでルート選択肢が大きく増える。そしてどれもイカのアクション必須だ。インクレールはイカになることで走行できる。レール上のどの地点から降下してもいい自由があり、勢いをつければ驚くほど大きくジャンプできる。インクレールを起点に行動範囲が大きく広がった。プレーヤー選択肢が大きく増えた。戦場は新しい高さを手に入れたことで戦いはより立体的になった。たった一箇所を塗るだけで、その後の可能性が大きく広がった。これが Splatoon の本来あるべきステージ設計だ。

ギミックを使わない例もある。海女美術大学では敵のリスポーン地点に侵入するには貝の形をしたオブジェに飛び移らなければならない。ジャンプの性能とオブジェ位置絶妙で、勢いをつけてのイカジャンプが必要となりプレーヤー精度のあるアクションが要求される。他にも単純な壁登りで侵入できるルートもあるが、こっちは微妙だ。Splatoon 1 のヒーローモードではジグザグに壁登りをしないと倒せないボス戦があったが、壁登りの途中で横移動が求められるステージはあまり多くない。そういった構造を導入してもいいと思うのだけど。

インクは通常の弾丸と違って見ることができるので、角の向こうからインクを撃っているのを視認すると敵の存在を事前に察知することができる。” これは Splatoon の非常に素晴らしい点だ。だがこの要素もマップ構造が邪魔をしている。Splatoon 1 のマップは窮屈すぎる。

Splatoon の魅力は圧倒的なわかりやすさだ。Bバスパークの中央高台に登る価値があるのは単に射撃に有利というだけではなく、戦況を確認したり敵の姿をいち早く発見できる場所だからだ。しかしホッケ埠頭のようないくつかのステージでは道幅が狭く、巨大な障害物が大量で、死角が豊富にあり、視認性が悪くなり、出合い頭の戦闘が非常に多い。3D マップ自由自在に走り回るのではなく、適時あみだくじの上を進んでいるかのような気分になる。なぜこのようになっているか色々理由がありそうだが、ひとつは GamePad を頻繁に確認するよう促すためではないかと思う。死角を増やすことでひと目見ただけでは 8人のプレーヤーがそれぞれどのように動いているのか分かりづらくなる。死角を徹底的に増やすことでプレーヤーに GamePad の地図を逐次見るように誘導しているのではないかWii Uハード特性を活かすためだ。だがジャイロセンサーを使えばカメラを凄まじい速度で回転させられるので、いったん前線を上げてしまえばそこから侵攻する敵はマップよりも TV で確認したほうが早いし、上位プレーヤーは移動量とスピードが高い次元にいるため 2本程度のルートならひとりで封鎖できてしまう。実際のところ GamePad はどの程度視線を移されているのだろうか。あまり多くないのではないか。それとガチヤグラルールによる理由も考えられる。ガチヤグラはタワーの位置によってホットスポットが連動するが、おそらくは防衛側有利にするためか狭い通路を通過させて集中砲火をさせやすくなっている。これは膠着を招く。

こうしたマップ構造は 2 ではかなり少なくなっている。

視認性だが、一部の遮蔽物がガラス製になったことで向こう側が透けて見えるように変化した。フジツボスポーツクラブの壁は 3月の体験版では普通のボルダリング壁だったが、E3 のバージョンではリスポーン地点に侵入する唯一の経路の壁がガラス製になっている。また海女美術大学では中央彫像展示が、コンブトラックでは左右のクラゲが入ってる箱がガラス製になっている。これによって、やたらめったらポイントセンサーを投げたり、カメラを無理やり壁の向こうに回して様子をうかがったり、臆病になっていちいちマップを見るといったゲームテンポを落とす行為をする必要が減った。敵が TV 画面で視認できたから警戒するのであって、常に慎重になったりあるいは なりふり構わず脳筋プレイ突撃したりする前に十分な考える余地を与えている。つまり鷲巣麻雀の要素を取り入れることで、Splatoon 2 では状況判断がいくらか容易になった。サーマルインクもそれを指向しているし、塗ると体積が減り空間が広くなるスポンジも同様の効果をもたらす。攻め側からすればスポンジを縮小することで視界を広くするとともに敵の取りうるルートを減らし、守り側ではより有利な位置に移動できるようスポンジを膨張させたり、膨らんだスポンジを防御壁としても活用できる。

マップ中央の広さが圧倒的に拡大した。それは平面としても広くなっただけでなく、視覚的にも開放的になった。Splatoon 1 では中央の高台は基本的に狭い空間で、しかも垂直に切り立っていた。中央高台の取り合いを活発にするためだと思われるが、垂直だったため真下の敵に反応するのが困難になっていた。Splatoon 2 では中央高台の空間が広いだけでなく、その壁がゆるやかな傾斜のついたものになっている。Splatoon の視認性の高さが最大限発揮されるようになった。

だが平面的にも視界的にも広くすればいいというものではない。サーモン・ランではむしろ狭く、窮屈なステージを志向している。サーモン・ランは一応オンラインに対応しているが主軸はオフラインモードだ。ボイスチャットを嫌うひとは多いが、実際に集まっての対面プレイなので当然会話による意思疎通を最大限活用するよう仕向ける設計にしなければならない。そのために死角を増やして現在どのような勢力がどの規模できているか分かりづらくしている。足場を狭くして戦闘を激しくしている。夜になったり霧で覆うことでその効果をさらに増やしている。サーモン・ランではプレーヤーの視覚情報量を制限しなければならない。

ヤグラに関する戦闘も変化した。ヤグラはその位置のよって戦闘のホットスポットが常に変化し続けるが、それを特に激化させたいとき開発者は細い通路上をヤグラが通過するよう設計することでそれを実現させていた。だがこれはプレイヤーの過剰なまでの密集を招いた。ヤグラを取り囲む戦闘も参加できるスペースが少なく、それぞれのポジションは凝固し、戦況は膠着した。2 では関門を用意し、インクレールやスポンジを配置することで、横にも縦にもの広い空間という環境下でも、激しさを保ちつつ全員がより多彩な角度から戦闘に関与できるようになった。素晴らしい改善だ。


インクを塗りかえて道を分断すれば、敵の進路を壊して戦略をつぶすことができる」

動画では敵インクの一部分を塗り替えすことでイカダッシュを妨害しているが実際はこのような戦略は成立しづらい。一部分を塗り替えすよりも、全体を塗ってしまったほうが有効だからだ。だがインクレールやスポンジのギミックはあえてそれを不能にすることに意味がある。タチウオパーキングにいる固定チャージャーは自分ポジションに最速で突っ込んでくる左手のレールに常に気を配っていなければならない。敵がインクレールの始点付近にいるだけでレールをシャットダウンするかどうかの選択を迫られる。スポンジも同様である。戦略に選択肢があることでプレーヤーは自由を感じることができる。Splatoon 独自の戦略がうまれてくる。




ハコフグ倉庫ホッケ埠頭、こういったステージは素晴らしい。まずモチーフが素晴らしい。自分の頭の中のアウトロー小学生が「こういう場所にこっそり忍び込んでサバゲーやったり、自分たちだけの秘密基地にしたりしたかったんだよナー!」と声高に叫んでいるのが聞こえる。ヒラメが丘団地もいい。遮蔽物が、なんと室外機や干してある布団になっている。室外機に隠れてたチャージャーに撃たれたりする。すげぇ。めちゃくちゃ団地で遊んでる感ある。めちゃくちゃごっこ遊びしてる感ある。戦闘のためだけに配置されているものなのに、めちゃくちゃステージに溶け込んでいる。それに比べてネギトロ炭鉱はやばい。背景が軍艦島なだけで、実際のマップは全然炭鉱感がない。朽ちたレンガと錆びた金属があるだけ。廃墟としても弱いし、炭鉱の要素がない。例えばボロボロになった生活用品や古い家電が遮蔽物として設置されていたり、かつてガラス張りのドームだった場所が朽ち果てそこらじゅうに植物が生い茂っているような場所なら、機能と世界観が融合しつつ、よりいっそう廃墟感があったのに軍艦島の港という舞台にしてしまったので中途半端になっている。Splatoonスーパージャンプというゲーム展開的にも映像演出的にもインパクトのあるシステムがあるので、完全に屋外か、体育館のような天井の高い場所しか舞台モチーフとして選択できないことになっている。これはステージモチーフとしての多様性に、窮屈な制限を設けてしまっている。これによって逸脱したのがアンチョビットゲームズで、私はこれをみてゲーム開発会社だと言われても正直困ってしまう。このような見た目のオフィスで戦っても、全くワクワクしない。クラゲ社員は階下にいるし、ゲームらしいモチーフも、部屋の隅にアーケードの筐体がポツンと置いてあるだけだ。床を上昇させるとサーバールームのようなものがせり上がってくるが、ファンを撃っている自分自身にはそれが見えない。射線を防ぐために天井からぶらさがってる謎の看板も、これがゲーム開発会社を直接想起させるものではなく、印象がチグハグで、ここがいったいどのような場所なのか截然としなくなっている。ごっこ遊びが出来なくなっている。例えばだが、雰囲気は同様のまま、これが大学図書館だったらわりと良かったと思う。

で、Splatoon 2 だが、わりとイイ感じになっている。ガンガゼ野外音楽堂は障害物が PA機器になっててステージっぽさがよく表現できている。海女美術大学は彫刻用の岩石だったり放置された台車だったり、クラゲの守衛が障害物になっていて雰囲気がある。だけどバッテラストリートダメだ。橋のうえに置いてある謎の木箱は無味乾燥中央橋の下の壁面はオシャレな場所に不釣合いな黒いビニールで全面が覆われている。マップ構造を記号化しすぎて世界観雰囲気が大きく損なわれている。これがアロワナモールではどうだったかというと、塗れない壁はガラスのショウウィンドウだったりブランドロゴが大きく印刷された垂れ幕だったり、射線を防ぐ構造物もヤシの木や看板だったり花壇だったりしてショッピングモール感があった。バッテラストリートは「こだわりのセレクトショップが軒を連ねるこの界隈には、流行の最先端を行くイカの若者が集まるらしい。」と説明があるのにマップのあらゆる場所になぜか運送会社の広告がある。大量にある。運送会社だぞ。運送会社がおしゃれなのか?

https://twitter.com/SplatoonJP/status/856435220693766144

さすがに意味不明からこの運送会社の大盛りっぷりにも理由があると思うけど、Co-op ゾンビモードであるサーモン・ランの報酬としてイカテン急便の作業着が入手できることからクマサン商会とイカテン急便には強いつながりがあると想像している。しかも回収対象の金イクラは設定上、石油のような燃料だというのだからこの運送会社は格安で得られた高出力のイクラ燃料を用いることで高い輸送能力を発揮しているのではないかと考える。というかヒーローモードかなにかで設定を回収してくれないと困る。

そして細かい素材ではなくステージ全体のモチーフについてだけど

インクを使ったナワバリ争いは、

あの世界ではスケボーのような

やんちゃ”な遊びというイメージなのですが」

https://www.nintendo.co.jp/wiiu/interview/agmj/vol1/index4.html

インタビューで言及がある。Splatoon 1 の初期マップはまさにこれを体現していた。高架下だなんて、まるでウェストサイド物語みたいじゃん。すげぇ良いじゃん。だが後期に追加されたマップリゾートだの、美術館だの、キャンプ場だの、健康的な大衆レジャーに成り下がっている。おいおい。イメージが壊れる。Splatoon 2 の初期マップでは健康的な印象のステージと、不良的な印象のステージ、半々採用されている。だがもっと極端にしてもいいと思う。アップデートで追加されるステージも、おそらく健全モチーフと不良モチーフがセットで増えていくと予想している。Direct ではアップデートで追加される帆船ステージが一瞬映ったけどパッと見た感じ従来型の狭くて窮屈なステージみえる。不安だ。

UI はかなり改善されている。これは開発者が実際の競技シーンをよく把握しているということだ。海外の野良トーナメントをみていると「dynamo dead, dynamo dead」と、しきりにやり取りしている。不憫でならない。やられたら「Nice」を押すのも慣習となっている。Splatoon 2 ではこうした意志の疎通を解決している。敵の使用武器は上部に表示され、死亡すると this way が ouch... に変化する。

任天堂には新しい構造ゲームをつくる際立った高い開発力はあるが、そのコンセプトを活かすステージの作成についてはバラツキが多すぎる。マリオサンシャインの「ふしぎせいぶつ マンタ しゅうらい!」は神がかり的な面白さなのに「村の裏のヒミツ」ありゃ一体なんだったんだ? 任天堂アクションゲーム界の KING であり続けているが、Splatoon 1 はイカのアクションを活かす場面が少なく、普通のステージで戦う「めちゃくちゃ分かりやすシューター」の域に留まっていた。だが Splatoon 2 ではマップ構造改善され、そのデザインが秘めたポテンシャルが発揮され、シューティングゲームアクションゲームの高度な融合が実現している。プレーヤーの行動には自由があり、戦闘の激しさは膠着から混沌へとその姿をより楽しいものへと変えた。

Splatoon 2 の大手海外批評サイトレビューを確認するとわかるが、彼らはジャイロコントロールをまったく使用していない。そんなものだから信憑性がなくなるのだ。そして Splatoon 1 の発売後インタビューで、ディレクターの阪口さんは「ラスボス戦のあとに響いている不気味な環境音の正体について教えていただけますか?」と質問があったのに明確な答えがない。ありゃ一体なんだったんだ。

https://www.youtube.com/watch?v=OhHRmToy500

Direct や体験版を遊んで得ただけの情報による着目だが、これが本当にそうなっているかは、数時間後に配信される Splatoon 2 が証明してくれるはずだ。

無毛症に対するハラスメントはやめて頂きたい

室内で帽子かぶるべきかという増田が上がっていたので一言書かせてください

私の親戚に無毛症という病気の子供がいます

読んで字のごとく全部あるいは局所的に毛が生えてこない病気です

親戚の子は限局性無毛症という部分的に生えてこない状態で、今のところ帽子を被っていると病気かどうかは分かりません。ただ、進行するようで全頭無毛症というすべての毛が抜け落ちる状態になる可能性がたかいようです。

本人は帽子を被っていることを指摘されるよりも、頭を晒して余計な注目を浴びるのが嫌なようで室内でも帽子を被っています

はっきりいって、室内で帽子を被ってはいけないというのは現代においてなんの合理性もないマナーです

多くの方がまだまだマナーから脱ぐべきという意見を持っていますが、はっきりいって合理性からいっても多様性観点からいっても帽子を被っていることを指摘するというのはハラスメントだと私は考えています。(宗教上、スカーフ?を巻く女性もいますよ)

学内でのいじめも激しいそうで、かなり嘲笑の的にされているようです。これは、ネットでもメディアでもそうですが髪のないことを馬鹿にすることが当たり前になってることが原因だと思います。それは、そのまま子供世界にも引き継がれています。どうやら髪がないということは、障害であっても笑われしまうことが運命づけられているようです

もしあなた帽子を被っていることがマナー違反だと言ったり髪がないことを面白おかしく笑っているなら、あなたの子供も同じくいじめ加害者になっているはずです

これは、お願いでもありますがそういった価値観ハラスメントいじめに繋がります。どうか控えていただけたらと思います

https://anond.hatelabo.jp/20170720130428

2017-07-17

[]増田明日

 増田アース人の冬眠能力は、モレツ帝国悲劇があったにも関わらず

効率であるとして一部の進歩派攻撃されつづけた。

しかし、時代が下って増田アース人が星間宇宙まで進出しはじめると、

冬眠能力コールドスリープに応用するためにとても役に立った。

 競合する知的生命体にくらべて装置をかなり軽量化できたのだ。

宇宙飛行士の一部は、冬眠能力を殺して身体酷使しなくなった代わりに

冬眠能力を強引に使って身体酷使しているだけだと感じていたが。

 何故そこまでしなければならないのか、実際にやっている本人たちにも

からないのだから増田アース社会に答えの出せるはずもなかった。

 簡易コールドスリープ中も増田アース人の生理機能部分的に働きつづけ、

その結果、うんこをカチカチにした。

 寝起きのキャプテン冬眠能力社会問題について考え込んでいたのも

便器に跨がっていたかである

 だが、ひねり出せるのは哲学ではなく、うんこのみ。

彼のうんこは決して飛び散らないよう真空の力で宇宙空間へ吸い込まれていった。

「ふーっ、手強いうんこであった。さすがは我が輩のうんこダイアモンド並だな」

https://anond.hatelabo.jp/20160703202951

2017-07-09

一概には言えない

世の中には一概には言えないことが多い。

いろいろなニュースを読み、一概には言えないと思いつつ他の人のコメントを見ると、「これはひどい」などのタグを使って断定的に語っている人などもいて、「この人は一概には言えないとは考えないのか」などとぼんやり思ったりする。何か自分コメントを書こうとする。しかし一概には言えないと考えて書くのをやめる。その繰り返しだ。

一概には言えないのだから無責任な100文字コメントなどするべきではないと考える。ただし私のこうした態度についても一概に言えないところがあって、一概に言えないとはいっても態度を保留するのではなく何らかの立場から積極的コメントしておくことも必要であるという考え方もあるだろう。しかしこれについてもやはり一概には言えず、一概には言えないということだけは私は言うことができるが、何らかの立場からコメントは私にとってやはりどこまでいっても一概には言えないものしかなく、私はその意見について100%責任を持つ自信がない。そういった無責任な参加がどこまで許されるのか。

ある一概には言えない事象について断定的なコメントをしたとする。そのとき私は他の人から「一概には言えない」と批判される可能性がある。そして私はその批判が一概には言えないとは言えないだろうということを知っている。何か発言するたびに私は「一概には言えない」と他の人から批判を受けるだろう。そしてその批判は正しいだろう。一概には言えないのだ。

そこで私の選択肢は以下のとおりだ。

  1. 何も発言しない
  2. 「一概には言えない」というコメントだけを書く
  3. 一概には言えないと分かりつつ断定的に発言する
  4. 「一概には言えないが」などと書いて曖昧発言をする

一般的には3番目を選ぶ人が多い。自分が考えたことをある意味無責任に書く。もちろんその行為には「一概には言えない」という批判がつきものである

すこし注意深い人になると4番目を選ぶ。一概には言えなさに自分は気づけるだけの知能を持っていると示すことができる。しかしこのときもまた「一概には言えないとわかっていて、さらにわざわざ〈「一概には言えない」と書く〉というアリバイ工作のごとき責任逃れをしてまで発言するべきではない」という批判を受ける可能性がある。「一概には言えない」と書いておくことによって批判をかわしつつ言いたいことを放言するというこういった手法はあまり紳士的ではないだろう。

2番目にも問題はある。「一概には言えない」というコメントにどこまで価値があるのか。多くの場面で多くの人は一概には言えないということに気づいている。仮に多くの人が一概には言えなさに気づいていない場合に「一概には言えない」というコメントをすることには価値がある。明白な真理だと思われていたことに対してそれが実は一概には言えないのだということに気づくこと自体価値があるからだ。ただしこういった状況はかなり限られる。多くの場合「一概には言えない」にはほとんど情報としての価値がなく、そういった場合あなたは何が言いたいのか」「あなた意見はどういったものであるのか」と聞かれることもあるだろう。その場合「一概には言えない」という態度の保留を放棄することをせまられる。つまり「一概には言えない」とあえて書いたことによって、そこから自然コミュニケーションの流れとして踏み込んで断定的なコメントをするように求められるという逆説的な状況が生じる可能性がある。

そういったわけで私は1番目を選ぶことが多く、一概には言えないと考えている場面では「一概には言えない」とも書かない。私は何も書かないのだ。私が何も書かないということは私がその場に参加していない、存在していないことにほとんど等しく、私は他の人から私を発見されて、一概には言えなさの放棄をせまられることはないだろう。ひとまず安心する。ただし私が思うのはこういった態度が賢明なのかどうかということである。もちろんこれ自体も一概には言えないだろう。誰にも発見されず、自分の頭の中でただ「一概には言えない」と考え続けることに価値はないと考える人もあろうし、誰にも発見されずとも一概には言えなさを貫くことによって自分一種偏見によって堕落することもなかろうと考えることもあるはずだ。

私はうなってしまう。一概には言えないのだ。しかし私は語るべきであるのか。「一概には言えない。しかし……ということは部分的妥当するように思われる」などといった語り方がどこまで有用であるのか。多くのことは一概には語れず、つねに例外はあり、何かを語ることはむずかしい。「一概には言えないし、例外無限にあるが……」

私は何かを語ろうとするとき一概には言えないということはよくわかる。私以外の多くの人もわかっているはずだ。それでも彼らは語る。そこにはリスクがある。彼らの語りが正しいかどうかは一概には言えないのだ。

「ある程度」「そういった傾向」「……の一部は」「かならずしも……というわけではないが」「何時何分何秒地球が何回回ったとき、そのときにおいてのみ」

私にはわからない。一概には言えないということだけはわかる。

ジャズの一回性というものが語られることがある。私は一種インプロヴィゼーションに身を任せるべきなのであろうか。私はいつでもでたらめの神託でっちあげることができる。だがやはり私はそういった風なことはやらないだろう。一概には言えないのだ。私は自己完結してしまう。むしろ自己未完結とでもいうべき状況かもしれない。私は一概には言えなさに拘束されている。私の翼は鎖で縛られている。

から自立するときのための心構え

https://anond.hatelabo.jp/20170706214018

親に心底ウンザリしており、物理的にも精神的にも独立したいという前提で話をする(単なる反抗期受験ストレスかもしれない可能性はとりあえず棚にあげる)。

まず、誰が見ても自分が悪い、というのは間違い。物理法則でもないかぎり、正しさは自明ではない。それは家庭内ドメスティック流通する価値観に過ぎない。世の中の価値観は本当に多彩なので(世界宗教文化を漁ってみるとよい)、何が正しいかなんてはっきり確定することはできない。今感じている価値観迎合するかどうかは、あなた選択余地がある。たとえば「子供は親に似る」というのは、「ただし親の価値観を無批判に受け入れた場合には」という条件付きである

何が正しいかどうかや、精神論なんて、人それぞれの事情に左右される。にもかかわらず、事情を知らない人が、心無いアドバイスを投げてくることはこの先本当によくあることなので、いちいち間に受けないほうがよい。道徳は、一般的事情ではこうしなさいと言っているに過ぎないので、特殊な状況では、道徳むしろ邪魔になる。

いつ独立すべきかという問題について、高校生一人暮らしというのは非行少年でもなければ流石に聞いたことがない。残念ながら現実的ではないので、検討するだけ無駄だろう(寮はよくわからない)。よって高校で親元を離れることはできずツラい可能性があるが、全てを諦める必要はなく顔を合わせる機会を減らすといった工夫の余地がある(たとえば勉強理由にして頻繁に外出したり、時間のかかる部活をしたり)。やはり大学が大きな転機になるから、そこで綺麗に独立成功させるためにはどうすればよいのか、と考えるのがよさそう。高校が決まったあとにでも、じっくり作戦を考えてみるとよい。

DNAがどうこうとか、本当に吐き気がするのでやめてほしい。全部遺伝とか血で説明する各位に聞きたいんですが、両親が前科者だったら犯罪者DNAが入っているからもう終わりなんでしょうか。もちろん、遺伝性格が影響される要素も部分的にはあるが、経験的に、また様々な科学事実から自分の力で選び取れる余地がとても大きいことがわかる。

から脱出孤独作戦で、一般的に、親は敬うものだとされているので共感されにくい。これは仕方がない(毒親コミュニティみたいなのもネットにはあるが、傷を舐め合っているだけで、あまり建設的でない印象がある)。脱出は大変であるけれど、いくら理不尽でも、どうせ、自分人生責任は、自分でとるしかない。私の場合は、やっぱり脱出してよかったと思う。

2017-06-24

家に全身鏡ってある?

どんなにブスだとしても、

全身鏡はあった方がいいな、と思った

体の変化のバロメーターとして有効だなって

一時期封印して、数週間ぶりにみたら

部分的に太ったところが際立っててそれから気を付けるようになった。

一家に1全身鏡って普通なんかな?

そして全身鏡ない人ははやく買って、できるだけ毎日みるようにしたほうがいいよ

2017-06-21

左翼法律専門家ってクソだよな

この世界憲法とか法律を守らないやつが、大多数なのに必死こいてそれを守ろうとしている。

さらには、マナーとかモラル大事とか言い出して、ますます、不利な立場に追い込まれる。

真面目バカってこういうことなんだろうな。

憲法法律大事なことと、それを守ろうする、守らせるようにすることも大事なことは理解できるが、それらがこの世界絶対的ものではないことを分かってないのだろう。

日本以外は、憲法とか法律の外で勝負しているのに、自らその枠の中で収まろうとしていて、アホだよな。

理想論必要なのは理解できるが、現実に起きていることに左翼思想では対処できない。

過去時代は、高学歴人間が、左翼に取り込まれていったけど、最近はそうではなくなって来てるとは思う。

保守リベラル思想は、お互い妥協できるはずなのに、バカ左翼とかが邪魔してる。

補足

憲法法律の外にいる人間いかにその中に入れるかが、重要なんだろ。

追記

韓国人に対するヘイトスピーチとかは、反対だし、中国人とは仲良くするべきだと思う。

移民部分的に認めるべき。

国家安全保障については、日本は、もっと自立できるようにするべき。

安倍首相を無条件に支持するつもりはない。

憲法9条は、ほぼ無意味と思ってる。

あんなもん関係無くテロは起こるだろう。

2017-06-08

クローズアップ現代+を見た川原礫氏のツイート

帰宅して録画してたクロ現見ました。「制作会社リスクを取って作品二次使用権を」という話、以前にA-1ピクチャーズの加藤プロデューサー

も同じ話をしたんですが、そのリスクがやっぱり問題ですよね…。

https://twitter.com/kunori/status/872471855382249472

ラノベ業界では、まだ部分的な話ではあります作品立ち上げのリスクはほぼ極小化されてて、それがつまりネット小説ですね。私も自分HPを作った

頃は、連載を開始しても読者さんの反応もしくは自分の手ごたえが芳しくないと即座に畳むということを何度かしたんですが、(→)

https://twitter.com/kunori/status/872472105094234114

(→)それをしたところで金銭的な実損害はほぼゼロです。もちろん読者さんの時間を頂いておいて速攻中断してしまうというのは同義的な問題がありますが…。

https://twitter.com/kunori/status/872472437769748482

ともあれネット連載から商業化、コミカライズアニメ化ゲーム化…と展開している作品は何段階にもわたってお客さんの反応を確認している、言い換え

ればリスクヘッジしているわけです。それでも最終的にヒットするかどうかは誰にも解らない。

https://twitter.com/kunori/status/872472891480199168

翻ってアニメ制作会社場合はいきなりテレビアニメを立ち上げるわけで、万が一それがうまく行かなかった時のリスクは計り知れないですよね。そう考え

ると、スタジオ単独オリジナル作品企画を立ち上げるというのは簡単じゃないよなーと素人ながら思います

https://twitter.com/kunori/status/872473172565647360

ならどうすれば、となると「アニメ制作会社プラットフォームを作って自社レーベルラノベマンガ)を出版する」くらいのことしか思いつかない…と書

いたところでそれとほぼ同じことをとっくにやっておられる会社があることに気づきました。ですよねー(終わり)

https://twitter.com/kunori/status/872473726175944704

2兆円↑アニメ産業 加速する“ブラック労働” - NHK クローズアップ現代+

2017-05-31

http://anond.hatelabo.jp/20170531121720

部分的同意できないとこもあるけど、

自分もやっぱり田舎から街に出てきて、

スーパーの客層のちがいにびっくりしたことがある。

街にもよるんだろうが、横柄な爺さん連中が多い。

あれ、なんなんだろうね。

2017-05-30

http://anond.hatelabo.jp/20170529173507

昔は「ちゃんとした人」(=紳士)は懐中時計を使うもの

腕時計」はちゃらい人のものだった。

ちゃんとしたは人は腕時計流行を苦々しく思い、「どうせそのうちすたれるさあんもの

と思っていたんだ。

という記述をみたことがありますよ。

携帯電話スマホの普及で腕時計の装着率が下がったときいて

「あの時代紳士予言がようやく成就したのか(部分的に)」と思っていたんだけど

こんな考えの増田もいるんだな、と思いました。

2017-05-29

引用じゃなくて転載

ツイッターとかまとめサイトマンガコマ部分的引用されている場合があるけど(引用という言葉が合ってるのかわからないけど)

その出典を知りたい場合ってどうやって調べればいいの?

google画像検索を使っても同じようなまとめサイトばっかりで出典がわからないのだけど

どうにかならんもの

2017-05-19

三一権実諍論(さんいちごんじつ の そうろん)は、平安時代初期の弘仁年(817年)前後から同12年(821年)頃にかけて行われた、法相宗僧侶・徳一(生没年不明)と日本天台宗の祖・最澄767年 - 822年)との間で行われた仏教宗論である。「一三権実論争」「三乗一乗権実諍論」「法華権実論争」などとも。

目次 [非表示]

1 概要

2 平安初期の仏教

2.1 法相宗と徳一

2.2 天台宗最澄

3 論争の経緯

3.1 論争の発端について

3.2 著作応酬

4 最澄激昂の理由

4.1 最澄孤立

4.2 南都教団への対抗

4.3 中傷者徳一に対する怒り

4.4 蝦夷征討との関係

5 その後

6 注・出典

7 関連項目

8 参考文献

概要[ソース編集]

「三一権実諍論」の「三一」とは、三乗一乗の教えのことであり、「権実」の諍論とは、どちらが「権」(方便真実理解させるための手がかりとなる仮の考え)で、どちらが「実」(真実の考え)であるかを争ったことを言う。一乗三乗の「乗」とは衆生を乗せて仏の悟りに導く乗り物であり、天台宗根本経典である法華経』では、一切衆生の悉皆成仏(どのような人も最終的には仏果(悟り)を得られる)を説く一乗説に立ち、それまでの経典にあった三乗一乗を導くための方便と称した。それに対し法相宗では、小乗声聞乗・縁覚乗)・大乗菩薩乗)の区別を重んじ、それぞれ悟りの境地が違うとする三乗説を説く。徳一は法相宗の五性すなわち声聞定性・縁覚定性・菩薩定性・不定性・無性の各別論と結びつけ、『法華経』にただ一乗のみありと説くのは、成仏の可能性のある不定性の二乗を導入するための方便であるとし、定性の二乗仏性の無い無性の衆生は、仏果を悟ることは絶対出来ないのであり、三乗の考えこ真実であると主張した。このように三乗一乗のいずれが真かをめぐり真っ向から対立する意見の衝突が行われた。

ただし、徳一と最澄の論争は三乗一乗の争いのみに留まらず、教判論(数ある経典の中で釈尊の考え方に最も近いものを問う)における法華経正統性を問うたものでもあるから「法華権実論争」と呼ぶべきとの考えもある[1]。この論争の間、最澄は『守護国界章』『法華秀句』など大部の著作執筆しており、これは徳一から批判への反論の書として書かれたものである。一方の徳一側の著書は、真言宗空海774年 - 835年)への論難である真言宗未決文』以外現存していないため、詳細は不明である。しかし、徳一の主張は最澄側の批判書に引用される形で部分的に残存しており、ある程度の復元が可能である

いずれにしろ論争は著作応酬という形式で行われ、実際に両者が顔を合わせて激論を交わしたということではない。

平安初期の仏教界[ソース編集]

奈良時代興隆したのは、法相宗華厳宗律宗などの南都六宗である本来南都六宗教学を論ずる宗派で、飛鳥時代後期から奈良時代にかけて日本に伝えられていたが、これらは中国では天台宗より新しく成立した宗派であった。天台宗は後述の如く最澄によって平安時代初期に伝えられたため、日本への伝来順は逆となったわけである

この時代日本における仏教は中国と同様、鎮護国家思想の下、国家の管理下で統制されており、年ごとに一定数の得度を許可する年分度者の制度施行され、原則として私度僧は認められていなかった。このことは逆に仏僧と国家権力が容易に結びつく原因ともなる。実際、奈良時代には玄昉(? - 746年)や道鏡(700年 - 772年)など、天皇の側近として政治分野に介入する僧侶も現れていた。桓武天皇737年 - 806年)が平城京から長岡京平安京遷都した背景には、政治への介入著しい南都仏教寺院の影響を避ける目的もあったとされる。新王朝の建設意識していた桓武天皇にとって、新たな鎮護国家宗教として最澄天台宗に注目・支援することで従前の南都仏教牽制する意図もあった。

法相宗と徳一[ソース編集]

日本での法相宗は、南都六宗の一つとして、入唐求法僧により数次にわたって伝えられている。白雉4年(653年)道昭(629年 - 700年)が入唐留学して玄奘三蔵(602年 - 664年)に師事し、帰国飛鳥法興寺でこれを広めた。

徳一は一説には藤原仲麻呂恵美押勝とも。706年 - 764年の子といわれるが疑わしい[2]。はじめ興福寺および東大寺で修円に学び、20歳代の頃に東国へ下った。東国布教に努め、筑波山中禅寺(茨城県つくば市)・会津恵日寺(福島県耶麻郡磐梯町)などを創建したという。

前述のごとく、徳一の著作ほとんど現存していないため、その生涯は不明な点が多い。

天台宗最澄[ソース編集]

天台宗は法華円宗、天台法華宗などとも呼ばれ、隋の智顗(538年 - 597年)を開祖とする大乗仏教の宗派である。智顗は『法華玄義』『法華文句』『摩訶止観』の天台三大部を著して、『法華経』を根本経典とし、五時八教(仏教理解度の5段階に合わせて記された経典のうち、法華経を到達点とする)の教相判釈(経典成立論)を説く。

最澄ははじめ東大寺で具足戒を受けたが、比叡山に籠もり、12年間山林修業を行った。さらにそれまで日本に招来された大量の仏典を書写し研究する中で、南都六宗の背景にある天台教義の真髄を学ぶ必要を感じ始め、親交のあった和気氏を通じて桓武天皇天台宗学習ならびに経典の招来のための唐へ留学僧の派遣を願い出た。これを受け、桓武天皇最澄本人が還学僧(短期留学の僧)として渡唐するように命じた。こうして延暦24年805年)の遣唐使船で最澄は入唐を果たす。予定通り天台山にのぼり、台州龍興寺において道邃(天台宗第七祖。生没年不明)より天台教学を学び、円教(天台宗)の菩薩戒を受けて、翌年(806年帰国した。

帰国後、最澄桓武天皇に対し従来の六宗に加え、新たに法華宗を独立した宗派として公認されるよう奏請、天皇没後には年分度者の新しい割当を申請し、南都六宗と並んで天台宗の2名(遮那業・止観業各1名)を加えることを要請した。これらが朝廷に認められ、天台宗正式に宗派として確立。これが日本における天台宗のはじまりである最澄さらに同じく入唐した空海師事して、密教への理解を深める一方、六所宝塔院(比叡山寺(後の延暦寺)を中心とする)の造立計画を立て、弘仁5年(814年)には九州へ、同8年には東国へ赴くなど精力的に活動する。最澄の悲願は大乗戒壇設立であり、大乗戒を授けた者を天台宗菩薩僧と認め、12年間比叡山に籠って修行させるという構想によって、律宗鑑真(688年 - 763年)がもたらした小乗戒の戒壇院を独占する南都仏教既得権益との対立を深めていた。

論争の経緯[ソース編集]

論争の発端について[ソース編集]

論争の発端となったのは徳一が著した『仏性抄』であるとされる[3]。この書における一乗批判法華経批判に対して最澄が著したのが『照権実鏡』であり、ここから両者の論争が始まった。

ただし、そもそも徳一が『仏性抄』で論難したのは中央仏教界の最澄ではなく、東国活動していた道忠(生没年不明)とその教団であったとする説がある[4]。道忠は最澄が入唐前の延暦16年以降、あらゆる経典の写経を行った際、東国からはるばる駆けつけて2000巻もの助写をしたほど親交があり、東国における最澄の盟友的存在であった。道忠自身鑑真弟子で、律宗僧侶であったが、戒壇が設けられた下野薬師寺との関連か[5]東国に住し、広く弟子を持つ僧侶であった。最澄東国へ下った際には、すでに道忠は没した後で教団は広智(生没年不明)が率いる状態であったが、後に天台座主となった円澄(771年 - 836年)や円仁794年 - 864年)・安慧(794年 - 868年)らは、もともと道忠の弟子もしくは孫弟子(広智の弟子)であり、道忠との縁から最澄に入門したなど、道忠は初期の天台教団の中で、非常に重要役割果たしていた存在であった[6]。

筑波山を開山し、会津拠点とした徳一が標的としたのは、むしろ地理的東国において布教を行っていた道忠教団であった可能性が高い。徳一の『仏性抄』の存在最澄に知らせたのも道忠教団であったと見られる[7]が、異論もある[8]。

著作応酬[ソース編集]

三一権実諍論に関する著作としては、

≪徳一側著作

『法華肝心』2巻

『法華権文』1巻

『中辺義鏡』20巻

『慧日羽足』3巻

『遮異見章』3巻

『義鏡要略』7巻?

法相了義灯』11巻

『通破四教章』1巻

最澄著作

『照権実鏡』1巻

『依憑天台集』1巻

守護国界章』9巻

『決権実論』1巻

『通六九証破比量文』1巻

『法華秀句』5巻

などが挙げられる[9]。論争の主要な流れとしては、

徳一の『仏性抄』(成立年不詳)に対し、最澄が『照権実鏡』(弘仁8年(817年)成立)で反論

徳一の『中辺義鏡』『慧日羽足』に対し、最澄が『守護国界章』(弘仁9年(818年)成立)で反論

最終的な結論として、最澄が『法華秀句』(弘仁12年(821年)成立)を著す。

となっている。なお諍論の前期において、最澄が『照権実鏡』で徳一の『仏性抄』を批判したのに対し、徳一の『中辺義鏡』では最澄反論に全く答えていない。そのため『中辺義鏡』の批判対象としては、書名のみ残っている最澄の著書『一乗義集』ではないかとする説[10]、もしくは道忠教団によって書かれたと思われる『天台法華義』とでも称すべき書であったとする説がある[11]。続いて『守護国界章』下巻における三一権実論に対する徳一の反論として『遮異見章』『慧日羽足』が書かれたと思われ、それに対して最澄が『決権実論』で反論結論の書として『法華秀句』を撰述したと見られる[12]。

一連の論争の内容は難解で、一乗三乗の権実のみならず、教判論における法華経天台三大部の正当性、天竺・震旦の先哲による教義解釈の是非など広範囲に及ぶ。しかし一方では、最澄の教法に対する価値論に対し徳一は仏法理解先天的素質論を述べており、両者の論争の焦点があまり噛み合っておらず、議論のものも詳細というよりは瑣末的であり、時折相手側への罵倒に近い表現も見られる(後述)など、すれ違いの印象も与えている。

天台宗側では『法華秀句』の成立をもって論争の終結とする(翌年に最澄は入寂)。論争の歴史を天竺や中国の仏教史まで遡って述べたもので、『法華秀句』の書名は、智顗による天台三大部の『法華文句』を意識したものと思われ、最澄の論争決着への決意が現れている。ただし、これは最澄側の一方的な論争打ち切りであり、徳一側からは決着がついていないとも言える[13]。なお徳一は天台宗のみならず密教に対しても問題視していたと見られ、真言宗空海に対しても『真言宗未決文』で批判している(なお、これが徳一の著作として現存する唯一の史料である)。

最澄激昂の理由[ソース編集]

下記は、取り立てて、最澄の書き物に怒りは表明されていないが、法相宗派の学者の何人かは、そのようにとらえているようである。その理由をあえて挙げるとすれば、次の事柄をあげられるが、これも、特にここに特記すべきほどのことではない。参考までに、法相宗派側の意見を以下に述べる。 最澄は、しばしば非常に激烈な表現を用いて論敵を攻撃しており、たとえば『守護国界章』において最澄は、非難の対象である徳一のことを「麁食者(そじきしゃ。粗末な食べ方をする者、半可通のこと)」「謗法者(ほうぼうしゃ。賢しらに法を曲げる者)」「北轅者(ほくえんしゃ。南に行こうとして牛車・馬車の轅(ながえ)を北に向ける者。方角もわきまえぬ者)」などの蔑称で呼び、本名の徳一で呼ぶことは一切ない。どちらかといえば秀才肌で生真面目な感のある[14]最澄が、これほどまでに攻撃的な姿勢で論争に臨んだ背景として、いくつかの原因が考えられる。

最澄孤立[ソース編集]

最澄は入唐求法から帰国する直前、越州に寄り、密教を龍興寺の順暁(密教の法灯においては傍流に属する。生没年不明)に学び、灌頂を受けている。帰国後も最澄の密教への関心は高く、自身より年少で僧としての地位も低いながら、正統的な密教を学んで帰国した空海師事することになる。

最澄と同じく804年の遣唐使で入唐した空海は、真言八祖の一人恵果(746年 - 806年から正統的な密教を学び、大量の経典・法具を携え、最澄よりやや遅れて大同元年806年)に帰国していた。最澄空海の招来した仏典を借り受けて密教を本格的に学びはじめ、弘仁3年(812年)には弟子の泰範(778年 - ?)らとともに空海高雄山寺において灌頂を受け、正式空海弟子となっている。さらに泰範らを空海の下に派遣して密教の奥義を学ばせようとしていた。

しかし、弘仁4年(813年)最澄が『理趣釈経』(『理趣経』の解釈書)の借用を空海に申し出たところ、空海が密教の真髄は文章修行ではなく実践によってのみ得られるとして拒絶したため、両者の仲は悪化する。さら最愛弟子であった泰範が、最澄の再三の求めにもかかわらず比叡山への帰還を拒み、空海の下での修行を望んだことなどが重なり、両者は義絶するに至った。真言宗側では、これをさかんに吹聴するが、『理趣釈経』は、いわば、後世、淫靡宗教と結びついたものであり、空海がそれを見せたがらなかったのは、故あることであったようである。つまり密輸入書物とも言えるものであり、かえって、見ないほうがよかったのではないかと思われている。

天台宗に密教の要素を取り入れ、新たな宗派としての地位を高めようとしていた最澄にとって、泰範・空海との訣別により孤立感が深まったことで、南都諸宗に対してより敵対的姿勢に駆り立てられたともいわれる[15]。なお天台宗最澄の死後、本格的に密教化することになる(→台密)。

南都教団への対抗[ソース編集]

最澄が論争相手とした徳一自身は、若年から東国拠点を移して活動していた地方僧であったものの、彼が所属する法相宗自体は、当時の仏教界においては主流である南都六宗の中心であった。後世に天台宗の方が興隆していったため、三一権実諍論全体としては、新興宗派の総帥である最澄が、古い法相宗代表する徳一を退けたという印象が残るが、実際には当時においては法相宗の方が主流派に属していたのであり、最澄はむしろ挑戦者であった[16]。前述のごとく年分度者の割当を勝ち取り、大乗戒壇設立など、天台宗確立して南都仏教に対抗しようとする最澄にとって、法相宗理論である徳一を説き伏せることは、天台宗南都六宗への優位を示すことにも繋がるため、より攻撃的になったと、現代法相宗派の学者は考えている。

中傷者徳一に対する怒り[ソース編集]

徳一の『仏性抄』は最澄にとって看過しがたい法華経批判の書であり、この法敵に猛反論しなければ自宗の存在意義のものが危うくなる。しかしまた徳一にとっても、天台法華宗や密教の擡頭は、彼自身の属する法相宗にとっても、また従前の仏教体制秩序にとっても、異端なのであって、これを徹底的に論破しておく必要があった。徳一は『中辺義鏡』において法華教説や最澄に対して「凡人臆説」「顛狂人」「愚夫」などと悪し様に罵倒している[17]。最澄が『守護国界章』で徳一を「麁食者」「北轅者」と呼んだのはこれに呼応するものであり、互いに自宗派の存在意義をかけた真剣な論争であったがゆえに、ともに中傷めいた表現までもが用いられたともいえる。

蝦夷征討との関係[ソース編集]

宮原武夫(1933年-)は最澄と徳一の論争がここまで大きくなったのは、最澄が当時の朝廷が進めていた蝦夷征討に徳一が「非協力」的とみなしていた政治的問題にあったとする説を唱えている。

最澄東国に下った際に活動拠点としていたのは亡き道忠が活動拠点としていた下野国と隣の上野国であったが、両国は当時朝廷が推奨していた蝦夷征討の兵站基地となっており、更に下野上野両国から陸奥出羽両国に対しては国司から課役を逃れるための逃亡や朝廷による移住政策によって多くの人々が移り住んでいた[18]。蝦夷討伐には徳一の法相宗を含めた南都六宗東国鹿島神宮香取神宮も征討の成功を祈願したり、寺院神社を建立するなどの積極的な協力を行ってきた[19]。朝廷から天台宗公認を得たばかりの最澄東国における蝦夷征討を巡る様々な動きに直面して関心をもったと考えられ、この時の最澄東国行きに随行した弟子円仁下野出身)も立石寺など東北から北関東にかけて多数の天台宗寺院が建立したと伝えられており、最澄とその門人は下野上野両国を足掛かりに奥羽の人々に対する教化を進めようとしたとみられる[20]。

これに対して徳一の方は会津地方から越後方面への布教活動を進めており、蝦夷征討への協力や蝦夷がいる会津以北の奥羽への布教を示す史料は残されていない。宮原最澄は『決権実論』の中で「北轅者常に迷ひて、分明の文を指さしめ、南、越の方に向はしむ」と記しているが、これは自分達や南都六宗と違い、蝦夷征討に対して祈祷<

ルジャンドルフランスウラン(Oullins)に生まれランス大学およびパリ大学に学んだ[1]。父親のJean-François Legendre-Héralは人物像を得意とした古典主義彫刻家エコール・デ・ボザールの教師[2]。24歳のときニューヨークの著名な弁護士の娘であったクララヴィクトリア・ミュロックブリュッセル結婚した。結婚後すぐに米国移住し、帰化した。

南北戦争[編集]

1861年に南北戦争が勃発すると、ルジャンドルは第51ニューヨーク志願兵歩兵連隊兵士募集に協力し、1861年10月29日に同連隊少佐に任官した。その後ノースカロライナでの戦闘従事し、1862年のロアノーク島の戦いにも参加した。しかしながら、1862年3月14日、ニューバーンの戦いで重傷を負った。

負傷にもかかわらず、ルジャンドルは軍を離れず、同年9月20日には中佐に進級。1863年には第9軍に配属され、多くの戦闘に参加した。1863年3月14日には大佐に進級。ヴァージニア荒野の戦いではユリシーズ・グラント将軍の指揮下にあったが、その最中の1864年5月6日ルジャンドルは再び重症を負った。今回は顔面を撃たれ、左目と鼻を失った。アナポリス病院入院したが、その間にも南軍最後攻撃から街を防衛するための準備を手伝った。その後ニューヨーク移送され、そこで第9軍の兵士募集を手伝った。1864年10月4日名誉除隊したが、1865年3月13日には准将名誉進級した。

中国[編集]

1866年7月13日ルジャンドル厦門米国領事に任命された。7月ニューヨークリバプールに向けて出港し、その後ヨーロッパアジア大陸旅行12月厦門に到着した。領事として、ルジャンドルは5つの条約港、すなわち厦門基隆台北、淡水および高雄責任を持った。そこでは、年季奉公人の不正取引抑制に尽力した。

1867年3月12日米国ローバー号が台湾遭難し、その乗員が台湾原住民殺害されるローバー事件(en)が発生した。ルジャンドルは福州へ赴き、台湾中国側当局問題解決圧力をけるように、福建・浙江総督を説得した。福建総督は自ら行動は起こさなかったが、ルジャンドル台湾に行く許可を与え、台湾知事が協力するように紹介状を書いた。

ルジャンドルは、遭難現場訪問のために米国船アシュロット号を雇い、台湾当局に行動させようとした(これは失敗した)。その後アメリカ合衆国海軍ヘンリーベル少将懲罰作戦実施したが、これも失敗した。さら情報を集めるため、ルジャンドルは再び台湾に出向いた(このときは、紹介状は無しであった)。

中国へ戻ったルジャンドルは、南台湾に軍隊派遣するよう福州の総督を説得し、ようやくこれに成功した。ルジャンドルは400〜500人の規模を希望したが、これよりはかなり小さな遠征隊が、1867年7月25日台湾に送られた。ルジャンドル砲艦派遣ベル提督要請したが、これは拒否された。このため、武装商船ボランティア号が雇われた。ルジャンドル9月4日台湾上陸したが、上司に対しては全くの傍観者として行動したと報告している。

ルジャンドル直ちに本来任務を開始した。南台湾の険しい山岳地帯を通りぬけ、原住民酋長と難破した欧米の船員の安全保証するための条約協議した。

1871年9月6日琉球宮古島)の船が台湾沖で遭難したが、ローバー事件と同様に、多数の船員が殺害された(宮古島島民遭難事件)[3]。1872年2月29日ルジャンドルは先に結んだ条約日本人船員にも適用するよう拡大するため、台湾に出向いた。任務は不成功に終わり、またルジャンドル北京駐在米国公使フレデリックロウ(en)とも不仲になってしまった。

日本[編集]

1872年厦門から米国へ戻る途中、ルジャンドル日本に立ち寄り、明治政府台湾問題武力解決提唱した。これは副島種臣外務卿意見とも一致しており、ルジャンドル米国領事の職を辞し、1872年12月12日外交および軍事顧問として明治政府雇用された[1]。1873年2月、副島は2年前に台湾で起きた宮古島殺害事件の処理交渉特命全権公使外務大臣として北京派遣されたが、ルジャンドルもこれに参加した。この交渉部分的には成功であったが、引き続きルジャンドル1874年台湾出兵の準備を手伝った。台湾問題に関して、ルジャンドル駐日米国公使チャールズ・デロングの支援を受けており、また個人資格でこの遠征に参加するつもりであった[4][5]。加えて、2名のアメリカ軍人が雇用された。ところが、デロングの後任の米国公使ジョン・ビンガムは、ルジャンドルを支持せず、1874年4月19日台湾出兵は一旦延期とされた。ルジャンドルらは長崎で出征準備を整えていたため、大久保利通長崎に向かった。結局遠征部隊5月18日長崎を出港したが、ルジャンドル大久保と共に東京に戻った。その後、ルジャンドル交渉のため福州に派遣されることとなったが、アメリカ総領事職場放棄の罪に問われ、短期間ではあるが上海収監されてしまったため、遠征には参加できなかった。1875年には日本政府から勲二等旭日重光章を授与されたが、これは外国人としては最初のものであった[1]。その年の末には顧問を辞任した。

ルジャンドル1890年まで日本滞在し、大隈重信個人的顧問を務めた。

韓国[編集]

1890年3月ルジャンドル日本を離れ、朝鮮王高宗顧問となった。1899年9月1日漢城(現 ソウル)で卒中により死亡するまで、その職を務めていた[6]。

2017-05-18

だいたいが右翼ったって

3分で考えただけでもこれだけの勢力がいて、折伏するとしたら必要アプローチだって別だろうに

単に正しさを説くだけでこいつら全員どうにかなるっていう方が傲慢だろうよ

2017-05-17

自分が頻繁にやってしまう嫌がられる行為

久しぶりに、親しい人を不快にさせてしまったので反省のタメに書く。

世の中的に評価されている作品を鑑賞した結果「自分は好きじゃないな〜」と、思った事があるだろう。

だが、主観的感情を抜きにして、その作品アピールポイントについて考えてみて欲しい。

恐らく、どういった魅力を持っていて、どういう人達が、どんな箇所に魅力を感じているのかは、なんとなく想像がつく筈だ。

それでも、本当に全く反応できない場合がある。「そんなにも何が評価されているのだろうか…」と。

仕事柄なるべく多くの価値規準を持っておく必要があるため、魅力の仮説も立てられない作品があると困惑する。

そんな時、一緒に観ていた人(もしくは観た事のある人)が魅力を見いだせていた場合

その作品にどういった魅力があったのか、しつこく質問してしまう。

自分と近しい関係の人であればある程、執拗になる。

単純に知りたくてしょうがないのだ。

自分の見つけられなかった魅力について、見つけられた人の視座の持ち方を。

ネット感想や評判を見れば、なんとなく仮説は立てられる。

だが、現実に付き合いのある人達の方が人となりを知っている分、もっと想像やすい。

そういった身勝手理由で、ついつい分かるまで質問してしまう。

説明する側だって自分が魅力を感じている何かについて話す事」自体はそんなに辛くないだろうと、高を括って。

ここまで書いた時点で、相当に自分勝手な振る舞いだな…とウンザリするのだが、まだまだ不快指数高まる。。。すみません

昨夜やってしまったのが、ここからである

30年ほど前の映像作品をみて、部分的には魅力を見いだせたのだが、社会的にどう受けているのか、大きな要素が想像できなかった。

既に鑑賞済みの人と一緒に観ていて、その相手は「完璧映像」と賞賛しており、作り手側の人間だったのも相まって、しつこく聞いてしまった。

ところが、具体的にどういう魅力があるのか質問しても「自分作品の良さを一々誰かと共有する文化がない」と言われ、

作品の良さを分かっていながら言葉説明しようとしないのは、表現者として怠慢なのではないか?」と詰め寄ってしまった。

その後も「優れた映像作品言語不可能だし、する必要性を感じない」と返され、

「全ての魅力をキチンと言葉表現しきるのは不可能かもしれないが、自分が感じた魅力について断片的にでも言葉提示する事は可能だろう。」

「魅力を知りたがっている人がいて、自分が魅力をみつけているのに説明しようとも思わないその態度は疑問だし、言語化の必要性が無いと思う事はおかしい。」と言ってしまった。

その後、「なんで、増田からそんな風に質問攻めにあわなければならないのか?私には理解できない。」と不快感をあらわにされ、会話は途絶えた。

こうして増田に書いて冷静に読んでいると、「こりゃ嫌われるよ。当たり前じゃねぇか。」って気持ちもあるのだが、

「いいじゃん教えてくれたっていいじゃん!ケチ!!!知りたい知りたい!教えて教えて!!!」って感情もまだまだ全然あり過ぎて、ついに寝れなかった。

でも、どう考えても絶対自分が悪いので反省します。

自分のモノの見方や考え方を他者強要している時点で論外

そもそも映像作品に対するリテラシーが低過ぎる

・人に教えを請う態度では全く無い

・親しき中にも礼儀あり

・我が儘過ぎ

もう二度とこのような事が無いようにします。

迷惑をかけた皆様、すみませんでした。

アーカイブ ヘルプ
ログイン ユーザー登録
ようこそ ゲスト さん