はてなキーワード: 質素とは
ほとんどは不動産か、自社株(というかそれ以外の資産は見えないのでわかりません)
地元組織の飲み会や慰安海外(コロナ前)行きまくり。なにかあったら焼肉誘う
スポーツカー1台と、黒くてでっかい国産の車と、奥さんが可愛い軽。あとトラック数台
本人の服は地味というか動けるやつ。めっちゃぼろぼろの使い込んだ財布。
オラオラと仕事をしてなさる。医者の不養生みたいなことになってる忙しさ(医者ではない)
飲み歩いたりはしてる
数年前に仮想通貨に目覚めた
おさがりのワゴン
奇抜な服を着てる。ブランドの組み合わせが変?
どっか壊して療養してる風
多分車はない
あとはよくわからない。ジャージとかスエットとかでコンビニには来てる
たまに夜中にデリバリー的なのが来てる
裏ではひどいこと言われてる
女の子の居るお店は大好き。寿司は回るとこが好き。基本はお母さんのご飯
パン祭りのポイント効率とか考えるタイプだけど株は放置(貸し株してる?)
前の前は短パンTシャツ勢で、浴衣下駄になってユニクロワークマンなどで落ち着いてる
ギリギリ高校は卒業して通信制の大学みたいなとこに所属はしてる
ネットゲームとかで忙しいらしい。本人が言うには、儲けようと思えば普通に稼げるスキル(サーバーがどうとかModがどうとか?)はあるらしい
相続だけで資産きずいた子供部屋おじさんならともかく、インカムがあって資産築いた場合はそこそこ付き合いもあるし、外食不可避だろ。勤めに出てるにしろ、社長業にしろ、ずっと家にいて昼飯自炊するほど暇なのか?
外食産業の株主優待は非常に人気が高い。とくに牛丼系はPER、PBRともに高い上に配当も悪い。よほど意図して買うならともかく、通常の資産形成においては狙い目の銘柄とは言い難い。
まあ、長期保有は当然いるにせよ、なぜかこの手のエアプどもはやたら牛丼系の優待持ってるアピールする。知ってる企業がこのあたりしかないんだろうな。そのくせ「ゼンショー」とかの具体的な会社名は出てこない。
しかも単元株だとせいぜい年間2000円程度だから年4回程度。4/4を賄ったからってそんなにアピールするほどのことではないだろ。
株主優待を受けたことがないエアプが語る妄想資産運用なんだろう。
車を買わないアピ。
1億程度だとやや負担感あるだろうが、それでも大体の車の購入価格、維持費はそんなには気にならなくなる。
独身だと確かに不要かもしれんが、家族いれば生活変わるのは目に見えている。
子供が急病でいちいちタクシー呼ぶのか?週末のおでかけにいちいちレンタカー借りるのか?
持たない金持ちがいてもおかしくはないが、こういう奴らが何故か多数派みたいな顔をする。
それはエアプだから。
資産運用や投資チャンネルが車買うやつはバカみたいな風潮に踊らされてるエアプ。
妄想だといまと変わらん生活をして資産だけが伸びていくさまを夢見がち。
勤労アピ。
どうせニートなのでこれも嘘。働け。
anond:20240219151659
のキーワードとして、「食事」「質素」「なちゅ」「ごはん」と区切られている。
なにこれ?
「ちゅーるごはん」という商品名が理解されないというのはしょうがないかもしれないが、
「なちゅ」ってなんだよ。
AI使ってんだか何使ってんだか分からないけど、もうちょっと検証しろよ、はてなの中の人!
ありがたいことに平均よりはいい給料もらっている上にさらに稼ぐ嫁がいてくれるから、子どもがいるとはいっても割と余裕はあるはずなんだが、
いざ使おうと思うと全然使い方がわからないというか、いわゆる生活水準を上げる行動が全然できない。別に無趣味ではないし、嫁が厳しいなんてこともない。ただ金をかけないで楽しんでしまうというか。
同じ職業の同世代の奴らを見ると、オーダーメイドの家を買ってみたり、時計や服飾品に注ぎ込んでいたり。車やバイクをいじったり、いくらだか分からん自作PCを見せられたり。ワインセラーもよく聞くが。外商が来るなんて奴もいた。
そういうのをみていると、食にしろ、服にしろ、車にしろ、旅行なんかの経験全般にしろ、高い金払って良いものを得ることに喜びを感じるのにも才能が必要なんだなと思う。
結果どんどん資産が貯まっていくと言えば聞こえはいいが、金の使い方が下手なだけな気もする。個人で言ったら質素倹約溜め込みが吉かもしれないけど、ある程度稼ぐ人間はある程度使わないとやっぱり社会って回らないわけで。
出社でも「すぐ終わる作業をわざとゆっくりやる」みたいなライフハックは昔からずっと有名じゃん?
課された業務をちゃんと期限内にこなせるのであれば、効率上げまくって早く終わった分休もう が出来るのがリモートワークのいいところだと思ってるんだけどダメなんだろうか。
別にリモートでも仕事いっぱい振られたらちゃんとやるよ。でも特にやることないからのんびりしてる。
みんなの会社にいる窓際族のオッサンと別にやってること変わらない。
「ずっとリモートでやってきた奴は将来詰む」
これも半信半疑。
大半の人にとってはリモートはここ数年の出来事でしょ。なんで10年後にこうなる!って断言できるんだ。AIで大半の仕事が奪われるみたいな話はどこ行っちゃったんだよ。
自分はキャリアアップに全く興味がなくて、1人で最低限の生活さえできればそれでいいから、リモートでふんわり働きつつ空き時間で勉強して、社会から切り捨てられた時は田舎で質素に暮らそうと思ってる。
一連の投稿をパッと見ただけでは「実はカタールの映像を用いたフェイクプロパガンダ」のような可能性まで連想したけど、これが本当にガザなら、同じような暮らしぶりの映像が他にもたくさんあるはずだろうから、自分で探してみようと思い立った。
TikTokには不慣れなのでYouTubeにはなってしまうんだけど、Gaza で検索しても戦争以外の動画は本当に少ない。検索結果を再生回数順に並べ替えたり、Gaza vlog で検索したりした。
ガザの壁の内側の生活とはどんなものか (公式英語字幕あり = 自動翻訳の日本語字幕に切り替えても精度が高い)
The New York Times - What Life Is Like on Gaza’s Side of the Fence | The Dispatch (5:08)
2018年の投稿だが、冒頭、まさに前掲のTogetterで紹介されていたような豊かな暮らしを思わせる高校の卒業式とダンスパーティー(!)の様子が紹介されている。ただし、「これはガザにあるアメリカンインターナショナルスクールで、ごく少数の特権階級の子どもたちだ。そんな彼らでさえ、今後の人生でガザから出られるかはわからない」として。
動画の後半は、イスラエルとの国境付近でのデモの様子。武器を用いない平和的なデモだと主張されているが、火炎瓶や手榴弾を投げる者もいて、イスラエル軍からの反撃でいつも負傷者が出るという。それがわかっているからデモ隊の後ろではあらかじめ救急車が待機しているというのが悲しい。
ガザで訪れるべき場所、5選 (自動生成英語字幕のみ = 自動翻訳の日本語字幕も精度は低い)
2019年。トルコの公共放送による、ガザで訪れるべき場所ベスト5。港、大学、戦争墓地、金宝飾店街、高台の木からの展望。ガザの明るい側面。
このような大学には、特権階級の子どもたちが通うのだろう。(Wikipediaによればガザには4つの大学がある)
DW Documentary - Visiting Gaza Strip as a Palestinian | DW Documentary (25:56)
2019年。DWはドイツの公共放送。ドイツに帰化したガザ出身パレスチナ人のニダルが、営むカフェを売り渡してまでガザの家族を訪れようとするも、「二度とガザから出られなくなる」ことを恐れて入境をあきらめる話。
そもそも彼がガザから出られたのは、イスラエル軍からの砲撃で足を負傷したが、ガザでは手術できる環境にはなく、すぐにエルサレムの病院に送られたことがきっかけだった。
ガザで暮らす両親の家は質素に見えるものの、中流以上の階級にはあるのだろう。10人の兄妹のうち7人が大学を出ているが、全員無職だという。父も兄妹も英語を話せる。
この12日間にガザで何が起きたのか? (公式日本語字幕あり)
Suhair [ كورية فلسطينية] - What happen in Gaza in 12 days ? | ايش حصل في بيتنا ؟ ليش ما بنرجع لكوريا ؟ (12:35)
ガザ出身パレスチナ人の父と韓国人の母を持つ、韓国籍の女子高校生のvlog。イスラムとアラビア語を学ぶために、小5の時から家族でガザに暮らしている。ここで取り上げた中では唯一の「現地在住YouTuber」と言える。しゃべりは韓国語で動画内字幕はアラビア語だが、YouTubeの字幕機能では自動生成ではない日本語も用意されている。(僕っ子になっているのがかわいい)
2021年、爆撃で初めて戦争を間近に体験した当時の投稿で、話している最中にも空爆の音が鳴り響いている。動画の後半、休戦が発効した深夜2時の街の歓喜の様子が印象的。(今回の戦争を受けての投稿は、インスタのストーリーに少しだけある)
小4まで韓国で暮らしていたこともあってか、ガラスが飛び散った家の様子を見ても、暮らしぶりはどちらかと言えば豊かな方に見える。(追記: 他の動画も見る限り、やや上流階級寄りという感じ。休日にママとおしゃれな海辺のリゾート風カフェで2人合わせて日本円換算1000円の軽食をとっている。日本なら場所代も含めて2人で3000円くらいしそう。てかそもそも本人が2022年に銀の盾を獲得するほどのYouTuberなので、それなりの収入があるはずだな)
VICE - Crime & Punishment in the Gaza Strip with Suroosh Alvi (33:41)
2007年にハマスがガザを統治するようになってから4年後の2011年の撮影。エジプトから入境して、ハマスの広報官へのインタビュー、警察や刑務所、不発弾の爆破などを取材しているが、途中途中の町並みなどで、庶民の暮らしぶりも垣間見える。
ハマスに反対する立場の(ファタハのほうがマシだという)女性活動家も登場していて、最後は取材陣と共にエジプトに逃れたかったようだが、検問で拒否されてしまった。
8bitNews 〈Jun Hori〉 - 【国際人道支援】封鎖が続くパレスチナ・ガザ地区でただひたすらに支援を続ける日本人 (19:11)
日本語。2017年。ガザの人々に、栄養や食事改善の知識を広める支援を続ける日本人女性。貧困地域の様子がわかる。
国連の学校も攻撃を受けたと語られているが、イスラエルの言い分としてはハマスは国連の学校にまで軍事施設を隠していた、ということなのだろうか。
現地ガイドと思われる男性が、ユダヤ人との共存を模索すべきだという平和的な考えを語っているのが救い。
TBS NEWS DIG Powered by JNN - 【LIVE】パレスチナ自治区ガザから生配信 #WORLDNOW (2021年5月26日) Live stream from Gaza (1:28:20)
日本語。2021年の生配信。記者らが泊まった高級ホテルから、市街地の一般的な庶民の暮らしぶり、病院、ビーチなど。そのほか、1時間半の配信なので、記者の肌感覚を通したガザの様子がよく伝わってくる。
イスラエルによる爆撃現場はこの映像に限らずたくさん見かけるが、どれひとつとして「ほら、がれきの下からこんな軍事設備が」といった報道を、イスラエル側からの主張も含めて、見かけない。この動画内でも「せめて根拠を示すべきだ」と語られている。百歩譲って諜報戦略上の秘密を漏らしたくないにしても、100回爆撃したなら1ヵ所くらいは広報用にアピールしたっていいのではないか。
セフレの事、一時期ちゃんと彼女になって欲しいぐらい好きだったけど弁当作ってもらった時に
「忙しくてこれしかできなかった」
って確かに質素だけどめちゃくちゃ美味くて普通にちゃんとした弁当渡されて
「ああーこの子は手抜きしちゃったのレベルでこんな飯を作れるぐらいちゃんとした飯が出る家庭で育てられたんだなあ」
と思ったらなんか憎たらしくなって
単に俺が親の手料理よりコンビニおにぎりやカップ麺やお菓子食った頻度の方が多いぐらい基本放置されて育ったから多分嫉妬だとは思うけど
とにかく何か普段可愛いと思ってた態度とかも人を易々と信用できて危機感を持たずにこれるぐらい恵まれて生きてきたんだなあって憎くなって
文句言わずに健気に股開いてくれてるのは彼女になれたと思ってるのかな〜俺が可愛いとか好きって言ったの素直に本気にしてるのかな〜コイツ馬鹿だな〜って思いながらやるセックス無茶苦茶気持ちいい
いま、この小文はPOMERA DM250にて構築しておる。夜の寂静が室内に漂い、机の上の微かな灯りがユラユラと踊っている。窓の外、星々が瞬いており、その光が遠くからこちらを見ているようだ。この狭い部屋は、あたかも都会の喧噪から離れた、小さな静かな宇宙のようである。
iPhoneや柴犬を手にする人々よ、どうか気を付けてほしい。あれらは美しいが、それらは我々に創造の力を貸してはくれない。我々は単なる消費者となるのみ。だが、ここで、ポメラの前では、その状況は変わる。ここでは我々は創造者となるのだ。
ポメラの質素さが、夜更けの筆致を一つの美術へと変えてくれる。ここでは、ネットの世界から離れ、言葉と真正面から向き合うことができるのだ。他の電子機器では気が散りがちだが、ポメラの前ではその心配は皆無である。
この小さな機械が思考の道を照らしてくれる。ポメラと静かな夜を共にすれば、心は飛翔する。新しい考え、新しい発見が生まれる。これこそが、真の喜びである。
iPhoneや柴犬の飼い主よ、あなた方はその表面の美しさに魅了されているが、ポメラの使用者は、深い内面の美を求めているのだ。それは、単なる物の価値を消費するのではなく、自らの手で価値を創り出す生き方の違いである。
ポメラは、その使い手に静かな集中と創造の喜びをもたらしてくれる。この小さな機械とともに、新しい日、新しい思考、新しい世界を迎えよう。それが、ポメラの持つ真の力であるのだ。
そして、この行き詰まりを乗り越えるために、私たちは私たちの種の歴史から何を学ぶことができるのか?
このような問いは、歴史を通じて真剣な思想家や活動家たちを駆り立ててきた。そして今、地球温暖化に直面している私たちは、緊急に説得力のある答えを必要としている。これらはグレーバーとウェングローも問いかけていることであり、本書が人々の注目を集めた理由であることは間違いない。しかし、私たちの多くが抱く3つ目の疑問がある:
意外なことに、グレーバーとウェングローはこの問いに関心がない。第1章のタイトルは「人類の幼年期よ、さらば」である:あるいは、なぜこれは不平等の起源についての本ではないのか」と。
この本の中心的な主張のひとつは、不平等、ヒエラルキー、暴力は、あらゆる人間社会を組織する方法として常にあり得たということだ。不平等以前の時代などなかったのだ、と彼らは言う。そして、「平等」や「平等主義」という言葉を多用するが、平等は空虚な関心事であり、おとぎ話であり、「平等主義社会」について語ることは何も語らないことだと主張する。
これには奇妙な解釈がある。グレーバーとウェングローは、霊長類の祖先や初期の人類が平等であることによって見出した適応、つまり生態学的ニッチについて説明する新しい注目すべき学問を無視している。つまり、かつて人類は平等であったのだから、再びそうなる可能性があるという古典的な無政府主義者やマルクス主義者の見解も無視しているのだ。
保守派の主張は、農耕や都市生活、経済の複雑化の結果として不平等が現れてしまえば、世界を変える希望はないというものだ。グレーバーとウェングローは、農業に関するこの議論に抵抗し、明らかに変化が可能であることを望んでいる。そして明らかになるのは、彼らの敵は不平等ではなく、国家だということだ。
彼らが問うのは、権威主義的、官僚主義的、中央集権的な国家に支配されるようになったのはなぜか、ということだ。そして、植民地主義、奴隷制、階級差別、人種差別、性差別といった不平等が本書の随所に出てくるが、これらは彼らの中心的な関心事ではない。
グレーバーとウェングローが主張する政治的論点は、太古の昔から、人は常に支配と自由のどちらかを選ぶことができたということだ。彼らにとって、人々は彼らが国家支配の「小規模な」行き詰まりから逃れ、「自由な人々」になることを選ぶことができる。
彼らが否定するのは、環境的・技術的な限界によって人々が選択できること、そして選択できることである。要するに、人々は自ら選択した状況で歴史を作るのである。
この立場の見返りは、政治的な意志さえあれば、革命を起こし、コンセンサスを通じて働く民衆の集まりによって社会を運営することができると主張できることだ。どれも素晴らしく、解放的に聞こえるが、その根拠には問題がある。
グレーバーとウェングローはこの本の冒頭で、善であれ悪であれ、「元来の」人間社会が存在したという考えを否定することを目的としている。そのために彼らは、ルソーとホッブズの間で長年続いてきた議論を復活させる。
さらに重要なのは、19世紀の社会ダーウィニズムや、より最近のスターリン主義的な「歴史の段階」理論に対する、彼らの完璧なまでの嫌悪が冒頭に示されていることだ。そしてここでもまた、ジャレド・ダイアモンド、ナポレオン・シャグノン、スティーブン・ピンカーのような進化心理学の現代ホッブズ主義者に対する深い軽蔑を表明している。歴史の段階説も進化心理学も、深刻かつ重要な対象であり、私たちはその両方を共有している。
社会ダーウィニズムと歴史の段階説。ハーバート・スペンサーとルイス・ヘンリー・モーガンの19世紀の社会ダーウィニズムと、それ以降のバージョンでは、最初の人類は原始人であり、次に未開人、野蛮な園芸民と牧畜民が続き、その後に農耕の出現、古代文明の発展、中世を経て近代資本主義社会の夜明けまで続く。それぞれの段階は、道徳的・知的進歩のシグナルであると理解されている。
しかし、社会ダーウィニズムはいたるところに潜んでおり、ほとんどの主流政治思想の醜い礎石であり続けている。そしてそれは、現代の人種差別主義や新植民地主義を支え続けている。
左派を含む多くの人々にとって、グレーバーとウェングローによる段階的な歴史理論の解体は目新しいものであり、啓示と安堵の両方として体験されるだろう。そして、その理由は容易に理解できる。
そして、グレーバーとウェングローの攻撃には、さらなる特効薬がある。彼らはこの本の中で、マルクスとエンゲルスの仕事についてはほとんど何も語っていないが、歴史の段階説を否定することで、伝統的なマルクス主義者の進化論的説明も暗黙のうちに否定しているのだ。
これはフリードリヒ・エンゲルスの著書『家族の起源 私有財産と国家』において最も顕著である。エンゲルスはそこで、人間は平等の中で進化してきたが、農耕の発明によってあらゆる形態の不平等が生まれたと主張した。ここまではいい。
しかし、エンゲルスはその枠組みを、白人差別主義に彩られたスペンサーとモルガンから直接学んだのである。例えば、エンゲルスがなぜ動物の群れを持つ牧畜民が他の未開の民族よりも人種的に優位に立つと考えたのか考えてみよう。
「アーリア人とセム系民族の発達が優れているのは、牛乳と肉が豊富に供給され、特にこれらの食物が子供の成長に有益な影響を与えるからであろう。ニューメキシコのプエブロ・インディアンは、ほぼ完全な菜食主義者であるが、肉や魚を多く食べる野蛮の下層にあるインディアンよりも脳が小さいという事実がある」[1]。
エンゲルスの著書にはそのような箇所がたくさんあり、このように書いているのは決して彼だけではない。
フランツ・ボアスグレバーとウェングローが、このような反感を買うような議論を破壊したいと思うのはまったく正しい。しかし、彼らはあたかも自分たちがそうする最初の一人であるかのように自らを装っているが、これは明らかに違う。フランツ・ボアスは、太平洋北西海岸のクワキウトル族に関する初期の民族誌で、グレーバーとウェングローはこれを大いに参考にしている。
フランツ・ボースは、ユダヤ人フェミニストで、1848年にヴェストファーレンのミンデンという町で起きたドイツ革命の指導者の一人であったソフィー・メイヤーの息子である。1851年までに、彼女の読書グループはマルクスとエンゲルスの『共産党宣言』を読んでいた。
ボースは人類学者になった。カナダではバフィン島のイヌイット族やバンクーバー島のクワキウトル族を現地調査し、最終的にはニューヨークのコロンビア大学の教授となった[2]。
1913年、彼は段階説の人種差別主義を打ち破り、近代人類学の基礎を築いた。ボースは『原始人の心』の中で、「原始人」は誰よりも賢く、賢く、創造的であると主張した。1913年当時、ボースは母親の政治を否定していたわけではなく、ユダヤ人として、またアメリカ先住民の党派として、人種差別を憎んでいた。
ボースは生涯社会主義者だった。母親の影響は、ルース・ベネディクト、マーガレット・ミード、ゾラ・ニール・ハーストンなど、多くの女性人類学者の世代を育てたことにも表れている。ボアスと彼の教え子たちは、人種差別的な段階という問題を、人類の文化の進化について話すのをやめるという単純な決定によって解決した。
しかし、私たちはもはや1913年の時代ではない。1982年、エリック・ウルフの皮肉なタイトルの『ヨーロッパと歴史なき人々』は、反帝国主義、反人種主義、そして歴史を真摯に受け止める人類学の波を起こした。
人類学者は長い間、単純と複雑、野蛮と文明、後進と先進、先進と後退、先進と未開発、高位と低位、世俗と宗教、伝統と現代といった二項対立から滴り落ちる人種差別に敏感に反応してきた。しかし悲劇的なことに、こうした二項対立は、アメリカ先住民の大量虐殺、アフリカの奴隷貿易、白人帝国による植民地支配、そして今日の対イスラム戦争を正当化するために展開され続けている。
人類学者や考古学者たちは、現在、人類の不平等の起源について、まったく妥当な説明を構築している。ケント・フラナリー、ジョイス・マーカス、ジェームズ・C・スコットがその中心人物である。
残念なことに、グレーバーとウェングローは、人類の進化に関する膨大な数の新しい学問に取り組んでいない。これらの新しい研究を無視することで、グレーバーとウェングローは、霊長類の比較進化とヒトの適応に関する、注意深く、そして現在では極めて十分に文書化された議論に逆らうことになる。彼らの問題は、この資料が「オリジナルの」人類社会は存在しないという彼らの主張を覆し、選択についての彼らの議論をむしろ愚かにしてしまうことである。
グレーバーとウェングローは、かつて人類が狩猟採集によって生活していたことを否定はしない。しかし、彼らは環境や人間存在の物質的基盤には深い関心がない。そして、これらの社会が必然的に平等であったことを否定している。
彼らの主張の第一歩は、人類の進化はすべて過去のことであり、当時何が起こったかを知ることはできない、というものだ。すべては推測にすぎない。しかし、これは単純に真実ではない。
過去40年間、科学革命は目覚ましく、人類進化の分野では膨大な研究が花開いた。今では、人間以外の霊長類や霊長類の行動に関する驚くべき新しい研究、初期人類に関する新しい考古学、近現代の狩猟採集民に関する新しい民族誌が数多くある。
化学的微量分析、DNAサンプリング、放射性炭素年代測定、質素な家庭での忍耐強い考古学のおかげで、私たちは先階級社会、そして初期階級社会に住んでいた人々について多くのことを学んだ。私たちのヒーローの中には、読み応えのあるクリストファー・ボーム、フランズ・デ・ワール、R・ブライアン・ファーガソン、サラ・フルディ、マーティン・ジョーンズ、ローラ・ライヴァルの広範な出版物がある。
このような研究は、人類の進化と人類史の研究を一変させつつある。その出発点は意外なものだった。私たちは平等になることで人間になったのだ。これは驚くべき貴重な洞察である。しかし、それはグレバーとウェングローの説明の根幹を突く洞察である。
現在、さまざまな類人猿やサルを対象とした何十回もの長期野外調査プロジェクトによって、それぞれの種について、特定の複雑な適応が、特定の環境で生き残ることを可能にしていることが明らかになっている。その適応には、主食、悪い時の代替食、脳、手、足、胃、歯、生殖器、うなり声、歌、支配関係、共有関係、子育て、攻撃性、愛情、毛づくろい、群れの構造がどのように組み合わされているかが詳細に含まれている。[これが基本であり、人類の進化を理解するための私たちの方法でもある。
時を経て、新しい適応のいくつかの部分が組み合わさって、現代人が誕生した。要するに、初期の人類はちっぽけな霊長類だったということだ。生き延びるためには、肉や野菜を共有し、育児を共有し、性的な喜びを共有することを学ばなければならなかった。そのためには、いじめっ子を懲らしめ、霊長類の祖先が持っていた支配階層を超越しなければならなかった。そして少なくとも20万年もの間、彼らは男女も平等である平等主義的な社会で生きてきた。