はてなキーワード: 必然とは
長めです。
私は普段からいくつかの報道番組を録画して関心のある部分だけざっと視聴するようにしてるのですが、
今回の事柄のテレビ報道で問題に感じてる事があります。(新聞は読む習慣がないのでテレビ報道のみについて)
端的にいうと報道番組は必要な手順をスキップしてないか?と感じます。
まず、私達の住む社会がセクハラに対して厳しい態度で臨むという選択に全く異論はありません。
一方でそういった事が起こったとされた場合、何が妥当な事実かについて十分な調査や検証が行われてない段階で、
誰が加害者で、誰が被害者か、何があったかなどを断定的に語られるのは非常に危険だし、公正な態度ではないと思います。
一般の人同士が世間話をするのと、要求される社会的役割や影響力が全く違います。
私は法律の専門家でも何でもありませんが、刑事裁判においては「無罪の推定」という原則があるそうです。(推定無罪という言葉の方が一般的ですが)
検索すればその定義がすぐ出てきますが、以下の文を日本弁護士連合会のサイトから引用します。
「無罪の推定」とは、犯罪を行ったと疑われて捜査の対象となった人(被疑者)や刑事裁判を受ける人(被告人)について、
「刑事裁判で有罪が確定するまでは『罪を犯していない人』として扱わなければならない」とする原則です。
(引用ここまで)
法律の世界において、一つには刑事裁判の立証責任の所在を示す意味もあるそうですが、
今回の事柄は(少なくとも現段階では)刑事事件ではありませんし、民事裁判でもありません。
ですから刑事裁判の原則をそのまま法的に適用しようとは全く思いません。
しかしこの原則の意図するところは、人と人のトラブルが起こった時には常に留意すべきではないでしょうか。
被害にあったと一方の側が主張しており他方がその事実を否認しており、また提出された証拠の妥当性、当時の状況等々に関して
十分な確認や検証がなされない内に、「誰が加害者である」「誰が被害者である」といった断定がいくつも見られました。
更には加害者とされた側に対して「事実」を認める事を要求したり、謝罪を要求したりする事もありました。(この場合の「事実」は批判する側が想定している事実です)
報道機関においてだけでなく、政治の場において国家議員の方々も同様の言動が見られました。
直接的に「誰某は加害者である・被害者である」と言わなくても、「被害にあった女性記者」という表現は被害は事実であったという事実認定が前提になった言葉です。
「セクハラ発言」という表現もある発言がセクハラに該当するという事実認定が前提になっています。(「事実認定」という言葉は一般的な意味で使っています。私は法律の専門家ではないので)
言外のニュアンスといった問題ではなく、ある事実認定が前提になった発言が多々みられました。
「あのような発言はどこで誰に言ってもセクハラである」と考える人もいるかもしれませんが、私はそれは状況次第だと考えます。
(http://d.hatena.ne.jp/ohnosakiko/20090218/1234934521)
中年男性の性的な発言に対する嫌悪感から即座にセクハラと認定していないでしょうか。
何が妥当な事実かを追求するには様々な可能性を想定し、また様々な事を疑わなければならないのではないでしょうか。それには被害を訴えた側の証言も含まれるはずです。
加害者とされる側に対しては検証を経ない粗雑な断定を下す一方で、被害者とされる側に関しては考えうる可能性を述べる事も「被害女性」を更に傷つける行為だと批判する人もいました。
もちろん私もこの場合、被害を訴えた女性がいわゆる二次的な被害に合わないように配慮するのは必要なモラルだと思います。
しかし、であれば、加害者とされる側についても必要な検証が終わるまでは当該の事実に関する推測は控えるべきではないでしょうか?
(対応についての批評は含みません。あくまで疑いを受けている事実に関してです。)
一方の側が配慮され推測も抑制された状態で、他方が様々な推測を述べられる状態が報道において連日続けば
視聴者の印象はある方向に導かれるのは必然で、その事によって社会的制裁がなされてしまうのではないでしょうか。
念の為、本当に念の為言いますが、私は疑われている事実などなかったと主張するのではありません。
疑われている事柄が事実なら、必要な謝罪や処置が当然行われるべきです。
しかしそれは、繰り返しになりますが、十分な確認と検証の後なされるべきではないかと主張しているだけです。
また言うまでもないかもしれませんが、仮に今後の検証によって、この次官が疑われている事柄が全て事実だと判明したとしても、私が申し上げた論点はやはり問題だと思います。
例えば、ある刑事事件において警察が犯罪を立証する十分な証拠が得られないので、被疑者に自白の強要を行い裁判で有罪が確定したとします。
この時、その被疑者が実際に犯行を行っていたかどうかに関わらず、この警察の行動は違法であり批判されると思います。
後に被疑者が本当に有罪だという証拠が見つかった時、「どの道有罪なんだから問題ない」とは法律やジャーナリズムに携わる方達は決して言わないと思います。
そこまで悪質なものかと思う方がいらっしゃるかもしれませんが、報道機関の持ってる影響力、言い換えれば実際的な権力を考えればそんなに差のある話ではないと私は思います。
最後に、上で述べたような性質の発言をする人ばかりではありませんでした。
慎重でバランスのとれた発言もあり、被害を訴えた側について疑いを投げかけた発言もありました。
何より、その人格の望む外観を形にできることで、生身よりその人格の人となりは正確に伝わるとも言える。
政治家は、建前部分の仕事、集まって決めることは結局文書に落ちることだけなのだから生身の人間である必然ないのでは。VRなら暗殺リスクもハニトラリスクもないし、地方からわざわざ東京に出てくる必要もない。経費節減にもなると思う。
朝食を7時、昼食を12時、夕食を7時に食べるとすると
朝-昼間は5時間なのに昼-夕間は7時間になって、夕方腹が減るのは必然だと思うんだよな
だいたい一本満足バーとかそういうのを間食してる
25万本突破おめでとー!
本編、ポケカとジャパンチャンピオンシップで並んでても違和感が全くないポケモンブランドを支えるコンテンツに育ったポッ拳、当然続編も出ると思います。(ここにコマスターが並べないのは最早必然だがコマスターも二周年というめでたい日なので心の隅にでも……)
b:id:jou2 さんがツイッターで言ってた2の想像が楽しそうだったので、俺も考えてみたぜ。
「Zワザ」
バーストアタックを超える一回のバトルで一回しか出せない強いワザを選ぶシステム。
マニューラなら、ブラックホールイクリプスとレイジングジオフリーズみたいな?(氷Zの技名そらで言える人まじ0人説あるよね)
メガ進化勢と兼ね合いは…… 難しいね。(まあ、サポートのメガレックウザと操作ポケモンのメガ進化が両立できてる時点でどうでもいいけど)
ガンダムVSシリーズみたいに、覚醒の種類も選べられるのかも。
既存のバーストアタックよりも強力なZ技が出せる代わりに、ハイパーアーマーなどが劣化する、Z技モード覚醒か、
既存のバーストアタックが性能劣化してしまう代わりに、ハイパーアーマーなどの立ち回りの部分は強化された、メガ進化モード(できない子用の呼び方は考えないとね)覚醒か。
みたいな感じかなあ?
「お着替えピカチュウ」
ORASに取り残され、7世代に連れてこれないお着替えピカチュウが、唯一活躍しているポッ拳。
とはいえ、ハードロック、マダム、アイドル、ドクターの四種は未登場なので、それぞれ実装、ってのはさすがに四キャラも増やさないといけないから難しいと思うので、
マスクドピカチュウのバーストアタックにこれらの要素を組み込むぐらいはしてほしいなあ。
(そうえば、ウクレレピチューなんてのもいたけど、特にあれ以降展開ないね。スマブラにも出てるのにミュウツーと違って復活希望の声が聞かれない辺り、ピチューは何かと人気でない印象あるな)
マヴカプでいうオンスロート第二形態とか、メルブラでいうG秋葉みたいな、通常の対戦とは違った巨大ボスみたいなノリのやつ。
ウルストやストZEROの二人で戦うモードみたいに、共闘ができてもいいかも。
これなら、バトルポケモンにもアシストポケモンにもしづらいポケモンに出番が与えられるし、なにより僕の好きなアクジキングが映えそう。
まあ、ポケモンじゃない何かと戦うってのも、ポケダンマグナゲートとか超ダンでやってるから、そういうのも面白そうだけど。
ポッ拳オリジナル形態のダークミュウツーが原作に逆輸入される気配はないので、いっそのこと、他の外伝たちを取り込むのはどうでしょ。
まあ、バトルキャラには向いてなさそうだから、サポートにこの二匹をセットで出すとか?
ポケノブの黒レックウザは本編で配布されたのは、単にノブナガのレックウザが原作の色違いと同等だったってだけで深い意味ないんだろうけど、
「二匹で一匹系のバトルポケモン」
メルブラでいう翡翠and琥珀や、QOHでいう来栖川姉妹みたいな、二人のキャラが同時に出てきて戦う系のバトルポケモン。
似たような性能や見た目だと面白くないので、プラスルとマイナンとか、バルビートとイルミーゼみたいなのじゃなくて、
エレキブルとブーバーン(ポケカXYでも組み合わせると強い系のカードだし、ポケスペでもコンビだし、赤緑でバージョン違いの対になってるし)とか、
ナゲツケサルとヤレユータンとか、ニョロボンとニョロトノが面白そう。
特に、エレキブルとブーバーンは、エレキブルがデュエルフェイズ、ブーバーンがフィールドフェイズな感じがすごくするので、しっくりきそう。
これ、対戦終わると進化前に戻るのが、デジモンアニメとかぶるって批判されそうだけど、
ポケダン炎嵐光のレベル1ダンジョンって、たしかこの仕様のはずだから、前例がないわけじゃないんですよ。
……ごめん、これ嘘ついてるかも、なんか自身ないや、そうだった気がする程度で、間違ってたらごめん。(暇なときにちゃんと検証しやす、ってかあれがあるじゃん、コマスター。コマスターがしてるからいいんじゃね? え? コマスターのポケモンはあくまでコマで生物じゃない? しらん! でも確かにおもちゃ設定のポケスクは進化しないから、株ポケ的に何かルールがありそうな気もしてきた)
まあいいや、ぶっちゃけ原作は原作だから、対戦中にだけ進化して、戻ってもいいでしょ。
イメージ的には、独自の進化ゲージを溜めた状態でフェイズ変更とか、特定の技を当てると進化するイメージかな。
イワンコが、デュエルフェイズで進化技を当てると昼ルガ、フィールドフェイズで進化技を当てると夜ルガ、覚醒状態で当てると黄昏ルガみたいな?
うーむ、無理せずフォルムチェンジ系のポケモンをギルガルド以外に増やした方が楽しそうだな。
特にフーパは最初は弱くて、チェンジすると強いってのが、面白そうだ。
(性能的にはダークライとなんとなく被りそうだけど、ときはなたれしフーパの専用技のいじげんラッシュと、ポッ拳のダークライの幻影ってなんか似てるし)
ジャニーズJr.を「担当」と呼ぶのに少しためらいがあったため
避けていたのであるが、昔から好きだったあるJr.の子に落ちてしまったのだ・
いつも現場にいたあの子に突然恋に落ちたのは今でもジャニヲタ七不思議である。
まあ、私は結構担降りをしている部類かとおもうがその話は置いておこう。
私は最近ジャニーズJr.に降りてきたが、ずっとたくさんのJr.がつくような
グループを担当してきたのでジャニーズJr.についても結構理解をしている方であり、
おそらく必然的にジャニーズJr.に降りてきた人間であることだけは前置きにしてこの
彼の「担当」を名乗っているために印象を悪くしたくないので今回は
友人たちには気持ち悪いといわれるレベルでジャニーズに関しては絶対的なものになっている。
そして、私にとって【ジャニーズ】は圧倒的な【偶像】であることが好きなのである。
きらきらのステージ衣装を身にまとい、歌って踊る彼らが大好きなのだ。
彼らの近況なんて聞きたくないのだ。
わたしは今回の記事を書いた要因の一つが最近のネット事業の拡大にある。
正直いって気持ち悪いのだ。
ずっとずっと大好きだった元担はフライデーで彼女とのプラ写が流出した。
それが引き金で担降りへと進んだくらい。
当時の私はこれが原因で一週間寝込んだくらいだ。
これは本当に私だけの感覚でほかのジャニーズが好きな人たちは違うと思う。
だから別に私の中でTVでに引っ張りだこな状況が「売れている」とおもったコトはない。
わたしが今まで【担当】をしていた人たちはみんな舞台が映える人たちだった。
俗にいう舞台班だった。一年の半分以上は劇場に立っている人だった。
あのきらびやかな衣装はアイドルしか着れない。その人が衣装に負けないくらいの
輝きを持っていないと負けてしまうのに、彼らは難なく着こなすのだ。
だから私はステージ衣装を身にまとって13月を探している彼らを好きでいたいのだ。
そんな私がジャニーズJr.に降りたのは必然だったんだとおもうのだが、
もちろん私が大好きなJr.の子にはデビューをしてほしいし、有名になってほしい。
でも舞台に立つ機会が少なくなってしまうのでは・・・と思うことも多い。
ユニット乱列時代のなか、わたしの好きな子は最初の方からユニットに所属していた。
だからいる公演を知ることは容易だったし、メインを張ってクリエにも立っている。
年の半分は舞台に立っていて、学業との両立は難しそうだと思うが
彼はジャニーズでいることに誇りを持ってくれているような発言も多いのだ。
だから安心して好きでいられる。舞台の上にいる彼がいる場所がセンターだ。
そんななか、ジャニーズJr.が某動画サイトに公式チャンネルができた。
発表されたのが繁忙期もいいとこの3月の月曜だった。
本当に失望した。わたしの中で気持ち悪い。そう思ってしまった。
みんなはうれしがっていた。知ってもらえる。いいコトだ。
でもわたしはそうは思えなかった。
でもまあ、私が気を付ければいいとおもってやり過ごした。
わたしは彼らのコトを「無料」で「観られる」ことが本当に許せなかった。
彼らはそのくらいの実力を持っているし、安く売ってほしくなかった。
彼らの舞台に興味を持ってくれるのか。
無料で見たものから突然12000円はらって3時間の舞台を見るのか。
本当に本当に怒りを収めたい。
少しずつ彼らの成長を見てなんとかしていきたいかな。
きっと来月とかには「更新たのしみ☆というコトになってるかもしれないし、
もしかしたらジャニヲタをやめるくらいいやになるかもしれない。
4月に入ってもなお、このジャニーズJr.の公式チャンネルへの
本当にこんな汚い感情を垂れ流した。
2018年に成人した記念として、大学入学祝いで買ってもらったゲーミングPCと一昨年に親戚の大学入学祝金を集めて買ったVRHMD「Oculus Rift」、そしてつい3月30日に自分のクレカでVRカノジョのダウンロード販売を5000円で購入したのである。
そもそもVRカノジョとは、3DCG エロゲーの老舗であるイリュージョンがUnityで制作したOculus Rift、HTC Vive、Windows MR 向けの VR エロゲーだ(要はPCオンリーだと考えればよい)。ソフ倫は通してあるらしい。
バンダイナムコエンターテインメントが2016年に発売したPSVR専用ゲーム「サマーレッスン」を明らかに意識したパロディであり、ゲームに詳しくないユーザーは両者を同一のものとして勘違いすることも珍しくない。
サマーレッスンは複数人のパートに分けられるが、いずれにおいてもプレイヤーは「ヒロイン の家庭教師」であり、赤の他人の部屋に入りこんで親しい訳でもないのに相手がそれなりの態度で親切に接してくれるシチュエーションというのも、確かに家庭教師ぐらいしか思いつかない。プレイヤーはまるで生身人間のように動くヒロインを間近で観賞することになるが、基本的に インタラクティブな要素といえば涂が選択岐を選んで台詞が変わったりするぐらいだ。いちおう、家庭教師である主人公の選択次第でエンディングも変わる。
IGN JAPAN はサマーレッスンのいずれのパートについても「ヒロインに人間としてのリアリティ がない」「ゲームとしてつまらない」との評を下している。確かにゲームとしてはつまらないので、あくまで美少女鑑賞ソフトとして楽しめる人の方が向いているだろう。
筆者はバンダイナムコが運営するVRZONE Shinjukuでサマーレッスンの体験版をプレイしたことがあるが、ゲーミングPCを持っている代わりにPS4とPSVRを所持していない。悲しい。
VR カノジョはあからさまにサマーレッスンのパロディで、プレイやな近所に住んでいる人だけどヒロインの夕陽さくらに「受験勉強を教えてほしい」という理由で家に誘われる。受験勉強を教えてほしいということは、主人公は少なくともヒロインよりは年上だと考えられる ので、ヒロインと同じ高校の先輩で地元の大学などに家から通っていると考えるのが妥当か。
実はこのヒロイン、受験勉強など全く真面目にしておらず、ポッキーゲームを始めたりブラのホックを外させて己の裸体を見せつけてきたりとかなり好戦的で、最終的にはどうやら受験勉強というのはただの建前であり、ヒロインは本当は最初からプレイヤーと性行為に及ぶのが目的だったことが判明し、そのまま日常パートから性行為パートへ移行する。
性行為パートでは愛憮、手コキ、フェラ、正常位、騎乗位、バックを体験することができる。ただ 、受憮パートはヒロインを満足させればよいという目標がはっきりとしており空中に浮かぶハート形のゲージがあるが、それ以外のパートではクリア基準が示されないので攻略方法がさっぱりわからない。プレイには VR 機器の都合で頭と両手しか反映できないので下半身は仮想的に用意されたモーションであり、ヒロインがいくらプレイヤーの陰茎をしごこうが、プレイヤーの現実の陰茎は勃起するかもしれないが、仮にゲームに合わせてプレイヤーが自慰を同時に行ったとしても、ゲーム内の状態とプレイヤーの現実の体の状態が一致することは絶対にない。入力と出力が一致せずに関係が見出せないのはゲームとして成立していない。
さらに、性行為パートはミッションをこなすごとに次のミッションが解放されるアンロック形式となっているのでプレイヤーは「次のパートに行きたいからさっさと終わってくれないかな」 と思いながらヒロインの手や舌を使い腰を振る姿を呆然と見る。でもどうすればクリア扱いとなるかがわからないので待ちぼうけを喰らう。
そこで、ヒロインを見るのに飽きたプレイヤーは視界の位置を移動させ始める。VRカノジョではプレイヤーは実際に頭を動かすほかにコントローラのスティック(もしくはタッチパッド)から視界を前後左右または上下移動、左右旋回ができるので、頭をベッドの下から天井の上にまで移動できる。
性行為パートは、プレイヤーはバーチャルの下半身から離れて頭と自由に動かすことができるので、紫色の半透明な男性の下半身に向かって股を開いてあえぐヒロインの姿を客観的に観賞するのは最早コントを見ている気分になる。
以上の理由によって、VRカノジョをプレイする人間はことごとくネタプレイに走るようになる。「世界一VRカノジョを楽しんでいる男」ことhissabiity氏がVRカノジョのネタプレイ動画をツイッターやニコニコ動画にアップロードして話題になるのも必然だったのだ。
(hissability氏は電ファミニコゲーマーの記事でVRカノジョ開発元と正式に交流を交わした)
http://news.denfaminicogamer.jp/interview/180330
ちなみにプレイヤーの男性器はポールのような先端が丸い赤いモザイク柄の棒で表されている。本当はもっとリアルな見た目のものを作っていたが気持ち悪いのでシンプルな形に変更したとのこと。ヒロインの肉体は乳首や陰毛は丸出しだが、肛門は見た目のみでプレイヤーの干渉はできず、女性器は男性器と同様の赤いモザイク柄の模様でツルツルになっていた。
VR デバイスを持っている人間が少ない中で20歳になった記念にアダルト製品を初購入した。5000円としては希重な体験となった。
「親友」
同じ窯の飯を食い、言いにくい本音を言い合い、頻繁に遊びに行く。
定義の差こそあれど、俺はそれができる相手を親友だと思っている。
ある趣味関連のネットコミュニティーで仲良くなった人間がいる。
話がとても合い、プライベートな話をする仲に発展した。
必然と気づくが、その人物は女性だった。現在バリバリ大学生をしている女子大生だ。
かたわら俺は彼女と1、2歳しか変わらない年齢だが、大学にも行かずに高卒で仕事と睡眠、ゲームに明け暮れる毎日だった。
たしかに彼女は女性として魅力的だが、なんでも話せる親友という風に捉えていたし、そういうふうには見えなかったのだ。
「君とはそういう関係にならないから話せるんだよ?多分お互い裸でも何もなさそうだよね」
と笑っていた。(彼女は俺のことを「君」と呼ぶ癖がある)
その関係が2年ほど続いた。
その男はバイト先の人物で、以前から彼女がその人のことを好きなことを聞いていて俺は男目線のアドバイスをしていたのだ。
ついにそれが成功し付き合った矢先だった。
その男性は彼女より幾分か年上で、DVとまでは行かないがすごく乱暴でものにあたったり痛いことをしてくるという。
俺は親友として「別れたほうがいい」と伝えたが、彼女はなかなか踏ん切れないようだった。
あくまで俺は友達なので何も言えなかったが、夜にそのことで泣く彼女を励まし続けた。
長い時には朝の6時まで電話が続くことがあった。
まさに大げさだ。
俺は彼女の甘えに甘えていただけだった。
東京は俺の住んでいる街だ。
今まで数年間電話だけで済ませてきた俺達が、ついに会うことになった。
別に顔写真などはすでに見ていたし見せていたので緊張することはなかったのだが、緊張してしまった。
しかし俺たちは男女とはいえ親友。全くそういうことを気にすることをはない。そう思って会ってみたが ―…
「君のこと気になるって言うか…好き」
だが、それは望んでいなかった。
いや、俺からはあまり積極的に関わらなくなったと言うのが自然かもしれない。
綺麗な差別は差別ではないと線引きをはじめたら禍根を残すのは間違いありません。
女性専用車両だけではなく世の中にはあらゆる差別構造があります。
ラブライブは元から癖のつよいアニメで、合わない人は無理してみんでもいいのよ。なぜか自分に合わない作品を見続けて文句言う人がいるけど、周りがみてるからと言って自分もみなくていい。強くなってくれとしか。
個人的にはあのシリーズはベンチャーマインドと人間の善性を強力に肯定していく寓話作品だと思っているので、現代の閉塞した不寛容な社会に馴染めず疎外感を感じているような今どきの子にはすごく沁みると思う。
反面、現実に適応してうまいこと生きている人にとっては胡散臭すぎキラキラすぎる茶番に見えるのだと思う。それを後押しするように演劇やミュージカル的な作り方を狙ってしているし。
とはいえ実際その作風でムーブメントを巻き起こした実績が前作から続いているのだから、それをメタに取り入れたサンシャインの作風自体も熱狂的で浮世離れした雰囲気を帯びるのは必然。
それをそういう作品として素直に楽しむことができないのだったら相当苦行だろうと思う。
脚本が巧妙だから毎話泣かされる可能性がある、視聴にエネルギーと心構えを要する作品だっていう面もあるしね。
もしアイドルものというガワの部分のせいで純粋に楽しめなくなっているだけであれば、同じ脚本家が描いている今期アニメの「よりもい」の方を勧める。
平成の世に青森の山村で生を受け、田舎者としてのアイデンティティを育みながら高校を卒業。現役で都内の大学の文系学部に入学し、初めて覚えたお酒やタバコ、麻雀に塗れて遊び呆けること4年、かつて純朴たる津軽っ子だった私は3度目の留年の危機に晒され、平穏無事に3度目の留年が確定したのが、つい先月のことだった。
入学時、私が胸に抱いていた”憧れの大学生活”とは、椎名誠の作品に見られる”酒に振り回される共同生活”や、森見登美彦の作品のような、”汚い豚小屋みたいな下宿”に住まうことであって、このように退廃的な大学生活を希求して一人暮らしを始めてしまったが故に、大学の単位はことごとく落とし続け、すべからく留年を3度、他人から見たら紛れもない奇行に突っ走る人間となってしまった。しかし自分でさえこの行為を”そろそろヤバイな”と感じ始めたのは、精神的な成長の一歩と数えて片付けるよりは、むしろ目の前にある現実的な要因を検討するべきであり、その要因とは単純明快、自分と同期の女の子、つまり今年卒業する女の子に愛の告白を断られたからである。しかも2人。
恋の終わりの始まりは1ヶ月前に遡る。春休みに入ってから、いよいよ卒業する同期の友人たちの事を考えていたら、お互いが学生であるというまたとない機会に一度飲むべきとの結論にたどり着き、この4年間何がしかの付き合いがあった友人たちに”酒を飲もう”と、DMの配達員ばりに無差別にメールを送りつけた。多様な返事、または声無き返事が返ってきた中で、”暇なお前を相手にする時間は無いよ”と、事実暇な私に対する軽蔑を露わにする内容もあれば、”暇だけどいいや”と、私への嫌悪を隠そうともしない内容までもあった。そんな辛辣な電子のやり取りにおいて、慈善事業の一環なのか、この私と酒を酌み交わしたいと申し出る者も数名いた。ありがとう、ありがとう。君らだけが友人だ。では飲もうじゃないかと、ここ1ヶ月間、相手を代わる代わる酒宴を開いていた中で――20代前半の青っちい我らである。若い男女が杯を重ねれば当然のように――情事は常に避けられない。この1ヶ月、何度かの姦通があり――これもまた必然――、男女が淡い恋の色を見出すこともあった。一度ならず、二度。つまり、私はこの1ヶ月の間で二度の恋を経たのだった。そして、既に明かしているが、二度フラれた。
恋の遍歴に関しては誰も興味無いだろうし、思い出すだけで地獄の業火のような苦しみに焼かれるので、端折って私が敗北を喫した台詞まで飛ぼう。それは、二人とも――まるで示し合わせたかのように――、全く同じ文言で――ホントに示し合わせたんじゃないだろうかと疑うほど――、「増田君、卒業するの3年後でしょ?私そんなに待てないから、ごめん」と。なんという悲劇!私が自ら求めて送った退廃的な学生生活の終着点は、モテないという事実だったのか!一人目まではよかった。仕方あるまい、次に進もうと、滑稽なまでに楽観的な自分を保つことが出来た。しかし二人目まで同様の言葉を吐いた時にはもう、私の精神は切り刻まれてバラバラになり、じっくりコトコト煮込まれて、三留陰気クソ野郎のシチューが完成した。こんなドロッドロで塩っ辛いシチューを食べたがるバカ舌の妖女は今後現れるのだろうか。私は二人から留年を理由にフラれたことによって、自分の恋愛市場における価値の低さをようやく認識するに至ったのだった。
”留年したからフラれた”というのは本質的には”将来性が無いからフラれた”という事実に直結している。確かに私は”将来性”なんてなんの根拠も無い信仰みたいなものでしか無いと考え、”俺は今なんだよ”とツッパリ続け、この4年間、それを育む行為を一切放逐した生活を送ってきた。この事実は自認しているのだが、まさかこんなにも早く、”将来性”のビハインドが影響する年齢に達するとは想像もしていなかった。三留って世間的に見てかなりヤバイんだなと自認するには二度の恋の敗北が無ければあり得なかったというのも、またヤバイのだが。
恋愛市場の非情な一面とは、同年代の男女の需給が年齢によって一致しないところである。男はいつまでも恋を求めるが、女性はそうではない。どこだかの著名な先生が言っていたが、女性は大学を卒業するタイミングで、男を評価する視点を”恋愛”から”婚活”へとスライドするらしい。すなわち男に求める要素が変化する。それも驚異的に。私がここまで絶望しているのは、奔放な大学生活において比較的モテる立場にあったのが、加齢に伴う恋愛市場の変容によって、唐突にオケラ級にモテない立場にすり替わったからである。未だに自分はモテると信じたいのが本音だが、実際に同期の女の子からしたら、私はオケラだ。彼女らからしたら、将来性なんて一ミリも感じないだろう。私も感じていないのだから。
私は高をくくった羽ばたく鳥であったが、恋愛市場の神の見えざる手は飛ぶ鳥をはたき落として、地面にめり込んだ私は三留オケラ野郎として慎ましく穴でも掘って生きていくことを余儀なくされている。人生つら。
会社にもよるけど競争社会だと必然そうなるよね。極端な話だけど、一番を目指して男女混ぜて競争するようなものだし。
将棋を男女混ぜるとか、オリンピックを男女混ぜるとかね(私は興味がないので混ざっても良いけど)
だから女性が男性同様に働きたい、ってのをみると、へー、そうなんだ、5年後おんなじこと言ってるかな、と思う。生理の時とか大変じゃないのかな。あまりきつくない女性なら大丈夫かな(もちろん優秀な女性がいるのは理解してるし活躍もしてる、ただ総体としてみるとハンデはないですか、と)
これまでのシューゴさんの態度を顧みるに、今回も改善の余地は見られないであろうことは想像に難くない。
監督降板をチラつかせたくらいで大人しくなるような人格でないことも分かっていた。
実質的に、今回は降板のための“分かりやすいキッカケ”を得るためにシューゴさんを呼び出していたのだ。
「シューゴさん……」
「ふん、せえせえするぜ。上からはアニメを碌に知りもしないくせに口を出され、PCクレーマーやオタクからはつまらん粗探しばかりくる。その肩の荷がやっと下りた」
重役たちが“そのつもり”だったように、シューゴさんも“そのつもり”だったのだろう。
日々、アニメのことを考え、アニメを作っていたシューゴさんにとって、それ以外のことはノイズだった。
それを気にすることを強要される位なら、いつでも引導を渡してくれて構わないつもりで臨んでいたのだ。
「フォンさん、よかったな。これからはオレとお偉いさん方の間で板ばさみにならなくて済むぜ」
「ワタクシは……」
「フォンさんは純粋にシューゴさんが降板したことを残念だと思っているだけですよ」
「オレが降板するのは既に決まったことだ。若干ムカついて悪態はついちまったが、肩の荷が下りたってのも本音なんだ」
しかし、重役やシューゴさんたちがそれで良くても、父たちは納得できない。
するわけにはいかなかった。
なにせ『ヴァリオリ』におけるシューゴ監督という存在は、独楽でいうならば“軸”だ。
アニメがたくさんの人間の力によって作られているとはいえ、軸なしでコマを廻し続けることは困難だろう。
「シューゴさん。俺たちが撤回する方法を何とか模索してみます。ですから、いつでも戻ってこられるよう準備だけはしておいてくれませんか」
父たちの説得に、シューゴさんはイエスともノーとも答えなかった。
だが未練がないといったら嘘になる。
ましてや、長年の仕事仲間に「戻ってきて欲しい」と直に言われ、それを無下にもできない。
「自分たちでやれることをやりたいって言うのなら、勝手にすればいいんじゃないか? だが、成果が出るかどうか分からない、出たとして時期すら未確定のもののために、悠長に待つほどオレは我慢強くないぞ」
つまりシューゴさんが次の契約を得るまでという、条件付きでのOKサインだ。
「よし、そうとなったら早速行動に移りましょう!」
「そうですね……あ、シューゴさん。監督を降ろされたことについて、ブログとかに書かないでくださいよ」
物事において、波風が全く立たないなんてことは有り得ない。
「それ、もう少し早く言って欲しかった」
屈託のない返事に、父たちは青ざめた。