はてなキーワード: 必然とは
子供を育てることに金がかかるのは当然だけど、子育てに見返りが全く無い。
別に子供に老後を期待するとかは一切無いけど、頑張って子育てしても親ガチャ失敗だのすぐに毒親だのとレッテル貼られるし、子供が成人するまで育てて孫の面倒まで押し付けられて、挙句年老いて役に立たなくなったら子供達からは邪魔者扱いされるし、子育てって罰ゲームに近いやん。
まあ子供が稼いで施設に入れてくれたりするかも知れないが、それだったら最初から子供を作らずに老後に貯蓄するのと変わらんし、今時子供も自分の生活だけで手一杯だろうし、それに子供達が結婚して孫がいる場合とかは特に経済的に余裕がないだろうし。
子育てに頑張って金かけても年老いて役に立たなくなれば子供達からは早く死んでくれだの邪険に扱われるし、それだったら最初から子供なんて作らずに自分のために老後に向けて貯蓄した方が合理的だと思って子供持たない未婚や若者が増えるのは必然やろ。
もっと子供を持つことによって実用的なメリットや金銭的なインセンティブを増やした方が少子化は改善されると思う、まあ自分達のメリットデメリットだけで子供を持つ無責任な親が増えたら育児放棄とかが増えそうだけど。
子供を育てることに金がかかるのは当然だけど、子育てに見返りが全く無い。
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子供を育てることに金がかかるのは当然だけど、子育てに見返りが全く無い。
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ジャパンカップはイクイノックスの史上最強論争を終結させるような見事な走りと、2着に負けはしたが力をしっかり見せつけてくれたリバティアイランドの活躍で華やかに終わった。
その裏で、3勝クラスのウインエアフォルク、地方競馬所属のチェスナットコート、クリノメガミエースの参戦があった。
チェスナットコートは中央で4勝しオープン入りしてからの地方転籍、クリノメガミエースも中央で新馬勝ちをしてからの地方転籍なので、中央実績からの所属クラスだけで語るならチェスナットコートは文句なし、ウインエアフォルクは1つ格上挑戦、クリノメガミエースは3階級格上挑戦ということになる。
(競走馬は「未勝利、1勝クラス、2勝クラス、3勝クラス、オープン」の順に昇級し計4勝すれば最上位のクラス所属となる)
しかし、格上挑戦だろうと当然、地方馬2頭も中央への出走資格を持っており、ジャパンカップへの出走希望馬の数や獲得賞金額など加味して、出走優先順位が上位18頭に入ったから全馬出走できたわけだ。
ルールに従っての堂々の出走だったわけだ。
結果はウインエアフォルクが15着、トラストケンシンを挟んでブービーがチェスナットコート、最下位18着はクリノメガミエースとなった。
ただ今回、ウインエアフォルクはともかく、チェスナットコートとクリノメガミエースの挑戦を批判的にツイートした人がXに現れ、炎上し批判される事件が起きた。
さらにそのアカウントに、クリノメガミエースの生産牧場の方が「このように批判されてもお互いに良いことはないんじゃないかと。もしクリノメガミエースが迷惑かけたのならすみません」と忠告と謝罪をした。
競馬に限らずだが、あらゆる場面において、勝てないと解りながらも夢を見て、より上を目指して挑戦することは尊い。
そこを否定してはならない。
そしてあらゆる競技に絶対はなく、例えば前の方で多重落馬事故が起き、後ろにいて巻き込まれなかった馬が勝つようなこともなくはない。
オリンピックのスノーボードレース、スピードスケートなどでもたまに見る光景だ。
なので、どれほど実力が足りなくとも、どれほど勝つ可能性が低くとも、そこに挑戦する価値はあるのだろう。
日本だって欧米から学び挑戦し続けたからこその今の発展だし、日本人のメジャー挑戦のさきがけとなった野茂英雄や、メジャーで通用しないと言われながら日本人野手初の大リーガーの1人となった新庄剛志がいたからこそ、今の大谷翔平の活躍があるとも言える。
馬だって同じで、ジャパンカップはそもそも日本馬が勝てない大会だったのが、いまや外国馬が勝てないので誰も来てくれなくなったほど、日本の競馬の進歩は目覚ましい。
今は中央と力の差がある地方競馬も、ミューチャリーのように中央馬を倒す馬だらけになる日だってくるかもしれない。
馬からするとレースの格は関係なく、騎手の指示に従って一所懸命走るだけだ。
馬は慣れないコースを走って故障することもあるし、一度の惨敗でその後のやる気を失うこともある。
その結果、それ以降のレースで走れなくなり、すぐに引退、馬肉になることもある。
馬のその先を思うなら、馬が一番活躍できるキャリアを用意してやることも、馬にとっては大切なことだろう。
しかし、オーナーがその馬をちゃんと愛していて、挑戦で結果が出なくとも、その後走れなくなったとしても、その後大事に面倒を見る覚悟があるならもちろんその挑戦にマイナスの面は少しもないだろう。
今回挑戦した馬たちのオーナーがどのような姿勢かは知らないが、馬に夢を託し、大きなレースに出した以上は、馬を大切にする方達だと思いたい。
地方馬のジャパンカップ参戦だけではなく、日本馬の凱旋門賞挑戦も似たようなものだ。
タイトルホルダーやドウデュースが凱旋門賞に挑み、結果的に惨敗し、帰国後もパフォーマンスを落としたとしたわけだが、彼らはそんな結果に関係なく、将来立派な種牡馬になることは確定している。
だがそんな馬は、ほんの一握りだ。
ひとつ言えるのは、「尊い挑戦をする人」と「可哀そうな馬」は両立され得るということだ。
タイトルホルダーのオーナーも、後になって「馬には可哀そうなことをした」と言っている。
あの時の増田は出馬表を見て驚き、「俺たちのあの子が中央で、win5対象の特別戦に出るんや!うおー!楽しみ!」というかつてない楽しみに震えた。
そしていつも見る地方で行われる中央地方交流戦重賞では、出稼ぎにきた中央馬たちが上位を独占して帰っていくのも見慣れた光景だ。
何が起きても覆らないほど、中央馬と地方馬に力の差があるのは肌身にしみて理解している。
もちろん勝つことはないだろう。
ひとつでも上の着を目指してくれたら、あわよくば1桁着順も?最下位は避けてくれるのは可能でしょ!なんて思っていた。
パトロールを見れば、必死に追って、流したブービーに迫る程度だった。
勝たないのはわかってたけど、思っていた以上で、少しがっくりきた。
いや、それでもよく頑張った、と思ったし、馬も騎手も立派だったし、彼女が俺たちを中央に連れてきてくれたのは誇らしかった。
でもホームの地方競馬場に帰ると、その初戦で見たことないような惨敗。
目を疑った。
え?俺たちの強い彼女は?どこにいった?
田舎のエリートが全国模試でさんざんで、自信を無くしたかのような走り。
うわっ、あの子傷ついてたんだ…
そこからだんだん、俺たちは彼女にとても申し訳ないことをしてしまったんじゃないかと思うようになった。
もちろん馬主や調教師の判断だし、ただのファンには何の権限もない。
でも、あの日無邪気に舞い上がっていた自分は、彼女にとってどういう存在だったんだろう、とは思うようになった。
「馬には可哀そうだった」この言葉は、実感があればあるほど、簡単じゃなく、重い言葉になると思う。
別にこの挑戦に正しいも間違っているもない。
挑戦を辞めたら人は終わりなのも事実だ。
だが馬はその挑戦も、その価値も知ることはなく、可哀そうなことをしたら可哀そうになるのも事実だ。
ただ、挑戦は可哀そうなだけでなく、ディープボンドみたいに惨敗してもいい経験として強く成長する馬もいる。
今回のウインエアフォルクと藤田菜七子騎手は、いい経験になって成長してくれる、と期待されていた。
個人的には、俺たちの吉村騎手がジャパンカップ走ってくれたのは嬉しかったし、いい経験になったろうし、いま競馬学校生の吉村Jr.にもその経験が受け継がれていくと思うと、クリノメガミエースの参戦にも大きな価値が詰まっていたとは思う。
人が馬に楽しませてもらい、その職業の人たちは馬にご飯を食べさせてもらっているのだから、誰だって馬に可哀そうなことをして欲しくはないし、したくはないだろう。
しかし実際の競走馬はあくまで経済動物で、乳を搾る牛や、肉をいただく鶏と本質的には変わらず、ある程度の可哀そうなことを強いるのも必然ではある。
だからこそ線引きは難しい。
平成24年の偽計業務妨害罪は、主任弁護人の古城英俊の弁論では、知らなかったということを作戦を立てて言ったので英俊の責任ではないが、当時の刑務官や
書記官の羽賀秀博が故意があるようにみせることで、安倍政権以降弱者で、書記官や刑務官に勝てなかった裁判官の鈴木をして、有罪判決を書かせたものであるから
検事の山田、土屋、鈴木、弁護士の鴨田も犯行に加担し、なおかつ、黒羽刑務所の職員は空前絶後の殺人を実施したので、これらの結論より、少なくとも、30代40代の
低学歴の刑務官警察官、ないしは、書記官のいる場所にもって報復をされることはほとんど必然であるが、通報時点で、ヤフーメールを介し、警察に、こわいですたすけてください
といったくだらない送信をした者がほとんどだったことや、大分県警監察課の原田が、当時2ちゃんねるにいる者を摘発しようとしていたこと、通報時、このかたちをしているときは!
などと言ってしまったこと、前田久美子のようなおばさんが、このかたちをしているときは通報しなければならないよ?などとくだらないことを言ったこと、警戒活動に従事した警察官は
合計6名であるとされているが、公判供述時点において被告人をみたときに悪人ではないというような顔をしていたことを考慮に入れても、本件が、2ちゃんねるで遊んでいた者を
平成の国家が黒羽刑務所に入れたという内容の空前絶後のものである上、平成の国家に追従していた若者の中でも、篠原直樹のような者はその結論についてなんとも思っていない
Q:エロ(暴力)表現がダメなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンになぜ表現規制派は何も言わないんだ?
A:アニメコナン開始当時(1996年)はフツーに新聞で「人殺しの番組」と叩かれまくっててPも監督も短期打ち切り覚悟だった。ただ『名探偵コナン』はアニメ化決定段階で、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンを省く防衛策を事前に取っていた。
レイプシーンのアニメ規制するなら、コナンとか毎回、人が死んでるアニメとかどうなんねん
21:49 2023/11/06 195万回表示
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
ーー2001年 小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』
「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」
ーーアニメ『名探偵コナン』プロデューサー吉岡昌仁、諏訪道彦(敬称略)/吉岡氏ツイッターより引用
(【追記】「男が意味もなく被害者になるのはいいのかよ」という反応が来ているので注記を付けるが、「無差別犯罪(女だから/男だから/むしゃくしゃしたから殺す)」描写がNGなだけでコナンでは男女平等に殺人事件の被害者にも加害者にもなってる。クズが怨恨で殺される場合もあれば善人が悲しい誤解や口封じで殺されてしまうケースもあるし、そこに性差は無い)
今の深夜アニメや萌え漫画が定期的に炎上しているのと同じく、放送開始当時のコナンは新聞などで「人殺しアニメ」としつこくバッシングを受けていたがTMSのアニメプロデューサー吉岡昌仁氏や読売テレビプロデューサー諏訪道彦氏などのアニメスタッフが矢面に立って戦い国民的アニメの地位を獲得するに至った。
Xにて「コナン 規制」でユーザー名検索を行うと先頭に表示される黒塗り犯人アイコンのアカウントを筆頭に「エロい表現が規制されるならコナンも規制しなくていいのか」論法が使われることが多い表自(アンフェ)界隈にもわかりやすい乱暴な言い方をすれば、コナンはアニメ開始前から“フェミに屈しまくっていた”事で親子二代分の視聴率と市民権をゲットして生き残ってる。
もっと雑に言うと、『金田一少年の事件簿』は過去の婦女暴行が事件の動機になったり、(殺人事件の被害者が美女の場合)遺体がやたら全裸だったりする描写オッケーで「バイオレンス込みのサスペンスでドキドキしたい」ニーズに応えることでドラマやアニメ、現行漫画シリーズ「37歳の事件簿」まで続く長寿作品となったが、
『名探偵コナン』の犯行動機に婦女暴行が出現することは無く、(過去の児童殺傷事件が犯行動機になった原作初期「スキーロッジ殺人事件」などの極めて稀な例外を除き)児童が殺人事件の被害者になる描写もほぼ存在しないことで「親御さんが子供とお茶の間で見れる謎解き」のニーズに応えて長寿番組になっている。
どちらが良い悪いじゃなくニーズと客層が違うだけ。
『名探偵コナン』を万年3〜4番手の弱小週刊少年誌・少年サンデーの「そこそこ売れてた漫画」から「国民的エンタメ作品」へ昇華するバランサーの役割をしていたのは実際のところ原作者の青山剛昌先生ご本人よりも、
『名探偵コナン』をゴールデンタイム全国放送アニメに抜擢した讀賣テレビ放送の諏訪道彦プロデューサーや東京ムービー新社(現トムス・エンタテインメント)吉岡昌仁プロデューサー、こだま兼嗣監督をはじめとしたアニメスタッフの功績である部分が大きいように思う。
以下は名探偵コナン初期を支えたアニメ監督・こだま兼嗣氏の発言だ。
あとは、僕たち、映像を作るからには、より多くの⼈に観てもらいたいと思っていますので、じゃあお⺟さんにも観てもらう時にどうするか。
そこで⼥性である、あるいは⺟親である⼈たちがイヤだと思うことを全て排除したんですね。
セクハラだとか、⼥性が意味もなく被害者になるとか、⼦供が被害者になることを全部、シナリオの段階で取ってしまったんですよ。
小学館 『名探偵コナン 全映画パーフェクトガイド』(2001年5 月発行)こだま兼嗣インタビュー
名探偵コナンはTV局のプロデューサーとアニメ監督が「女性視聴者が嫌がりそうな要素( =夕飯時に子供と一緒にアニメを見ている母親にチャンネルを変えられそうな要素)」を排除する防衛策を取った結果お茶の間に受け入れられ高視聴率を叩き出し、そのまま20年以上にわたって長寿番組の座を獲得してる。
悪い言い方をすれば 1996年のアニメ放送準備段階で、もう既に「(表自界隈が言うところの)フェミに屈した」生存戦略への舵切りが済んでいたことで、子供とその保護者両方の支持獲得に成功した作品が『名探偵コナン』なわけだ。
2013 年にトムス側のプロデューサー・吉岡昌仁さんもこだま監督と同様の発言を行なっているが、
吉岡さんの証言に基づくと、青山先生とアニメスタッフが『名探偵コナン』のアニメ化に際して取り決めたルールは「コナンは泣かない」「偶然はNG」「共犯は無し」「トリックは絶対に可能なこと」 「セクハラはしない」「不快なシーンは作らない。人の欠点や差別の話とか」 という内容だ。
コナンテレビ裏話#24
コナンをスタートさせたとき⻘⼭さんとルールを作った。「コナンは泣かない」窮地に⽴たされてもヒーローは泣いちゃいけない。
「偶然はNG」突然⾬が降ってきて⾜跡か⾒えるとか必然でなくてはいけない。「共犯は無し」何でもできちゃうから
コナンテレビ裏話#25
つづき
「セクハラはしない」不快なシーンは作らない。⼈の⽋点や差別の話とかね。「トリックは絶対に可能なこと」密室の鍵のトリックなどは全て出来る。(薬を使ったり危険なものもあるので絶対に真似しないで下さい)時間の有るとき過去の作品を観てみて。ホントだから
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-03-29 13:19:10
https://togetter.com/li/388239
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/317491095951011840
2019 年公開のこだま兼嗣監督によるアニメ映画『シティーハンター 新宿プライベートアイズ』インタビューでも「女性視聴者が嫌がるような表現をしない」という同様の発言があることから、これは原作者青山剛昌氏ではなく、こだま監督およびアニメスタッフ側が主導になった提案と推測できる。
インタビュアー:劇場版コナン、今回で2作⽬となるわけですが、いかがですか?
⻘⼭ いやぁ、原作を書きはじめた頃はこんなに続くとは思ってなかったですし、正直、アニメ化の話があった時も成功しないんじゃないかと思ってましたからね。
こだま それは私も感じてました。きっと俗悪番組になって、半年続いたらいいほうかなって(笑)。だって、1話⽬で⼈の⾸が⾶んじゃうんですから。
⻘⼭ 1話⽬で⾸を⾶ばしたのは、⼀番強烈なシーンを1番⽬に持ってきて、これで⽂句がいっぱいくるようだったらやめようと思ってたからなんですよ。
1998年4月発行 『14 番目の標的』パンフレット
12-13 ページ 青山剛昌・こだま兼嗣対談
初期の『名探偵コナン』原作漫画は、週刊少年マガジン『金田一少年の事件簿』のヒットの後を追う形で連載が始まったこともあり、ジェットコースター上で被害者の首が吹っ飛ぶ「ジェットコースター殺人事件」、バラバラ死体をトリックに使う「包帯男山荘殺人事件」、串刺し死体の「闇の男爵殺人事件」「美術館殺人事件」をはじめとして、視覚表現重視の過激な描写も多かった。
コナン原作単行本2巻を裏返すと、鍵穴に描かれたヒロインの毛利蘭がショーツ一枚のあられもない姿に脱がされているのも一昔前の少年漫画らしい「読者サービス」の名残だろう。
子供と一緒にテレビを見ている母親がチャンネルを変えかねない、それらのショッキングな表現をコナンワールドからオミットしたのがテレビアニメシリーズ『名探偵コナン』を立ち上げたスタッフ達だ。
血の彩色に赤を使わず、凶行時の直接的な描写をカットし、死者の遺体に敬意を払った。
テレビコナン裏話#14
コナンのスタートの頃は新聞によく、ある団体やある団体のコナンバッシングの記事が載った。
スワッチと理論武装(あの頃はこの⾔葉よく使ったなぁ)しようって⾔って「俺たちは⼈殺しの番組を作ってるんじゃない、⼈殺しをしてはいけないっていう番組を作ってるんだ」って戦った
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 10:04:45
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/287726363870380032
初期のコナンアニメは、複数の”ある団体”からのバッシングに狙われていたという。
最初期のアニメ内で描かれる被害者の遺体は原作と同じく目を見開いていたが、それら”ある団体”の外圧から作品を守る理論武装も関係してか、次第に瞼を閉じさせて描かれるようになっている。
こだま兼嗣監督が述べた「ゴールデンタイムでの探偵漫画のアニメ化にあたり、子供とテレビを見る母親に不快感を与えないようにショッキングなシーンをまず省いた」という配慮だが、
これについては諏訪道彦プロデューサーもTBS発行『新調査情報passingtime』2001年7・8月号」にて、同様の発言を行なっている。
原作ではタイトルを「△△殺⼈事件」としたり「死体」という⾔葉を使ったりしているが、テレビでは視聴者を不快にさせないようキメ細やかな配慮をしている。
例えば、⼆年ほど前から「マンション殺⼈事件」は「マンション転落事件」と改題するようにした。「死体」は「遺体」という表現に。
⾚い⾎にしても、⿊い⾊にするなど、表現を⼯夫しているという。
また、社会情勢に合わせて、表現を考慮することも。例えば、「毒ガス」といったトリックは採⽤していない。
中略
被害者が刺殺された現場のシーンでは、凶⾏時のアクションは映像で⾒せることはしません。
しかし、捜査員が⽬暮警部に『刃渡り△センチの包丁で腹部や⾸を刺され、出⾎多量で……』と詳細に報告させるような展開にしています。
また、ロープで⾸を絞められた場合、縄⽬がヒントになって事件が解決していくこともあるので映さざるを得ないのですが、どう⾒せるかスタッフ同⼠議論することあります。
不快感を与えないという⼀⽅で、『ホンモノの捜査』には⼿抜きがあってはいけませんので、その間の判断が難しいところです」(諏訪⽒)
シナリオ、絵コンテ、アフレコ、最終試写の各段階で、プロデューサーだけではなく、監督や編集マンなども含め、チェックが続けられている。
新調査情報passingtime 2001年7・8月号 14-18 ページ
『名探偵コナン』諏訪道彦 読売テレビプロデューサー インタビュー
事件モノだけに、⼈が死ぬシーンはどうしても出てきます。
ボクたちが陥り易いのは、話に詰まると『誰かに死んでもらおうか』という安易な発想です。だからコナンでは出来るだけ、⼈が死なないで話を作ってもらう事をまず考えます。『死なずにうまく⾒せる⽅法はない?』と提案してみると、それなりに結構アイディアが出てくるもんなんですよ。それに、すごく頭を使う。それは、頭の訓練にもいいんです(笑)。
それでも、どうしようもない時は誰かに死んでもらわなければならなくなるけど…(笑)。
トムス・エンタテインメント公式サイト こだま監督インタビュー
https://web.archive.org/web/20020403043852/http://www.tms-e.com/on_air/conan/special/0201index_b.html
(早期打ち切りの可能性と隣り合わせだった当時の大人の事情もあれど、)原作『10億円強奪事件』の最後に殺害されるはずだった宮野明美を「なるべく人を殺したくない」という理由でアニメでは生存させる事にしたのも、アニメスタッフによる判断だ。
コナンテレビ裏話#9
灰原のおねえさんが出てきた頃はなるべく⼈を殺したくないってことでラスト助かった話にした。暫くして⻘⼭さんが「吉岡さん怒るかなぁ原作で灰原を出しちゃった」。おねえさんが⽣きてると灰原は出られない。だから新たにおねえさんが死ぬ話を作ってSPで灰原が登場したんだ
吉岡昌仁 @yoshioka_masa 2013-01-03 16:42:18
https://twitter.com/yoshioka_masa/status/286739248219045888
とまあ、マンガ・アニメの過激シーンやエロシーンが槍玉に上がるたびに引き合いに出されがちな「それなら毎週殺人事件を全国放送アニメで垂れ流してる名探偵コナンはどうなんだ」論法について、
名探偵コナン側のアニメスタッフがどのような配慮を取りながらゴールデンタイムの全国放送に漕ぎ着け、マスメディアのバッシング記事を乗り越え、アニメ打ち切りを回避しつつ20年以上国民的アニメの地位をキープし続けていられたのかの覚書を書きつけておく。
黎明期のコナンアニメを支え 「子供と一緒にTVを見ている母親がチャンネルを変えそうな描写NG」ルールの制定に寄与したこだま監督や吉岡プロデューサーがコナンの現場を去って久しい現在、コナンもコナンで佐藤刑事と高木刑事の「夜の激しい運動」セリフなどで定期的に物議を醸していたりするが、それはさておき。
1. セ・リーグの圧倒的な人気
昔のパ・リーグなど人気は皆無で、テレビを付けてもセ・リーグの試合しかやっていなかったので、阪神ファンが増えるのは必然だった。
近年はパ・リーグも人気が出てきたので、若いオリックスファンも増えたのだろうが、とはいえ阪神の人気が圧倒的に高いのは変わらない。
オリックス・バファローズは、オリックス・ブルーウェーブと近鉄バファローズが合併して生まれた球団だが、主体となったのはブルーウェーブのほうである。
つまり「神戸から大阪に引っ越してきた球団」であり、昔から大阪に根付いていた球団ではない。
近鉄バファローズのほうは大阪の球団だったが、前述のとおりパ・リーグの人気は無かったし、たとえば本拠地の藤井寺球場を地図で見ると随分と南東にあったことがわかる。
つまり近鉄の路線は大阪-奈良-三重と横に広がる路線なので、球場もこんなところにあったのだが、大阪北部の人たちはあまり近鉄に乗らないのである。
現在の大阪府はかつての摂津国・河内国・和泉国から成り立っているが、明治以前は「大坂」といえば摂津国のことだった。
摂津国は、現在の大阪市から兵庫県尼崎市・西宮市・神戸市の一部までを含んでいた令制国である。
今日公開される、すみっコの映画『ツギハギ工場のふしぎなコ』のチケットを予約してたからだ。
俺がすみっコの魅力にやられたのは、妻の影響。
1作目・2作目はアマプラで視聴し、その可愛さと感動のストーリーに悶絶した。
それなのに、妻からは「映画館で観るとまた格別やから」と聞かされた。
アマプラでさえこんなに可愛くて感動するんだから、映画館で観ちゃったらもう幸せすぎて宇宙まで飛んでいっちゃうんじゃないかな、と心配してた。
公開初日の今日、映画を見終わった妻と俺は、2人とも言葉を失っていた。
せっかくのすみっコの映画なのに、しかも69分しかない短い映画なのに、途中で「はよ終わらんかな・・・」とすら思ってしまっている自分にドン引きした。
個人的に、なぜ今回の映画がこんなに残念だったのかを考えてみた。
もちろん、本作を観て心から満足した方もいるだろうから、以下はあくまでも俺の主観。
Xの投稿を観る限りでは「感動した」「かわいかった」っていう声が大多数だから、俺の感覚が正しいとは思わない。
俺と同じように本作にモヤモヤしたっていう人にとっては、多少なりとも共感できる要素があるのではと思う。
すみっコに必然性を求めるなと思われるかもしれないが、そういうことじゃない。
1作目・2作目はファンタジー要素がありつつも、ストーリー全体として「なぜ物語が始まるのか」「なぜこんな展開になるのか」がはっきりしていた。
しろくまのもとに、ぺんぎん(本物)がぬいぐるみを持ってくるところから、話は始まる。
ぬいぐるみは、しろくまが実家で大切にしていたという設定になっている。
俺が記憶している限り、ぺんぎん(本物)がしろくまのもとにぬいぐるみを持ってきた動機がはっきりしない。
いや、まぁ「しろくまが大事にしていたぬいぐるみだからしろくまの元に届けてあげよう」と考えたんだろうとは思う。
ぺんぎん(本物)としろくまが親友のような関係であることは、にわかすみっコファンの俺にでもわかる。
けど、なんでぺんぎん(本物)がしろくまの実家に行ったのか、なんでしろくまの親御さんや兄弟からぬいぐるみを預けられたのかが、全然わからない。
このぬいぐるみは本作の中でけっこう大切なポジションなのに、そのへんの背景がわからないから、ストーリーにいまひとつ没入できなかった。
それから、工場でおもちゃ作りに励むことになったすみっコたちが、なぜ文句を言わずに働き続けるのかもわからない。
企画会議でも活発に意見を交換し、新商品の開発に積極的に取り組んでいた。
くま工場長から課せられるノルマは日々増え続けていき、持ち場を少しでも離れればロボットアームで定位置に強制連行される様は、お世辞にも楽しそうには見えなかった。
すみっコたちがおもちゃ作りを頑張る明確な理由は、なにひとつなかった。
一応、食べ放題の社員食堂があったり、豪華な寝室が用意されていたりと、福利厚生は充実していたように思う。
でも、別にすみっコたちって食いしん坊でもなければ、住処に困ってるわけでもないじゃないか。
(第一、工場のすみっこにあるソファでみんなで固まって寝てたから、寝室に関してはほぼ使ってないし)
たとえば、「すみっコらんどに帰れなくなっちゃった・・・!」的な理由があるなら、工場で頑張って働くのもまだわかる。
けど、そもそも徒歩でたどり着いた工場なんだから、帰りだって徒歩圏内のはずだ。
なんでくま工場長の言いなりになって働き続けているのか理解に苦しむ。
ひょっとしたら、「仕事が苦しくても辞められない日本人」的なところを投影しているのかもしれない。
でもそれなら、「苦しいけど、くま工場長に悪いから辞められないね・・・」的なすみっコたちの葛藤があってしかるべきだ。
そのへんが描かれていないので、すみっコたちがあたかも自分の意思なくただひたすら奴隷のように働いているように見えてしまった。
俺はすみっコの可愛い姿を見たいのであって、可哀想な姿を見たいわけではなかった。
必然制の希薄さ、という点と少しかぶるが、とってつけたような展開が続いたことも、映画に没入できなかった理由のひとつだ。
途中、何度かアクシデントが発生した。
たとえば、とんかつが大量発生したり、おもちゃがすみっコらんどを席巻したり。
でも、各アクシデントが次の展開につながることはなかった。
アクシデントを解決して、ホッと一息ついたら、また次のアクシデント・・・という感じで、脈絡のない小話が延々と続いているような印象だった。
とんかつの増殖については、ロゴマークを消すとおもちゃが命を失う・・・という設定が明らかになる伏線になってはいるが、このロゴマーク設定もけっこう雑だった。
おもちゃ工場でロゴマークをつけると、おもちゃに命が吹き込まれ、自分の意思で動くようになる。
で、そのロゴマークをこすって消すと、動かなくなる。
この設定はけっこう大事な気がしたが、割とあっさり無視されていた。
たとえば、くま工場長が実はおもちゃだった・・・という衝撃の事実が判明するシーン。
くま工場長は動かなくなってしまっていたが、ロゴマークははっきりと印字されたままだった。
細かいところでは、しろくまが持っていたぬいぐるみにもロゴマークがはっきり印字されていたのに、なぜ動かなかったのかという謎も残る。
まぁしろくまのぬいぐるみに関しては、経年劣化で動かなくなったという見方もできるけど。
でもそれなら、ロゴマークが薄れてしまってるなどの工夫は必要なのではと思う。
おもちゃ作りを放棄したすみっコたちに激おこになり、工場が暴走する。
で、その暴走が実は苦い過去の思い出によるものだったと判明する。
そのとき、すみっコたちは「役に立たなくたって仲間だよ」と言い、工場を笑顔にする。
なんつーか、唐突な流れすぎて感動が追いつかなかった。
ありがちな感動展開でうまくまとめようとした感じが拭えない。
てか工場に対して仲間意識を持つなら、くま工場長への心配があってしかるべきだろと思うが、すみっコたちは全然くま工場長のことは忘れているようだった。
そのあたりのアンバランスさも、すげー気になった。
そして何より、すみっコたちが楽しくなさそうだった。
これは俺の主観かもしれないが、少なくとも俺はそう感じた。
本作のすみっコたちは、楽しそうじゃなかったのだ。
「自分たちがやりたいから、これをやる」っていう、前向きな雰囲気が感じられなかった。
もしかして、くま工場長からの褒め言葉に縛られているのでは・・・?と心配にすらなった。
くま工場長は、すみっコたちを工場にスカウトする際、みんなのことを一人ひとり褒めた。
だけど今思うと、すみっコたちを思い通りに働かせるために操作しようとしているようにしか思えない。
っていうネガティブな感情をもってるわけだが、映画館の来場者特典として「くま工場長のほめスクラッチカード」ってのがもらえる。
硬貨でこすると褒めのセリフが浮かび上がってくるという代物だ。
俺のカードは「だいじょうぶ!みんな、すごいから!」、妻のカードは「サクサク!」だった。
(サクサク!がなぜ褒め言葉になるのかは、映画を観た方ならお分かりになると思う)
いや、この話の流れで、このカードもらって喜ぶお客さんっているんだろうか。
このあたりの細部の手抜き加減も、すげー残念だった。
とまぁ、今回の映画は本当に心底残念だったわけだけど、俺がすみっコ好きなのは変わらない。
今のところ2年周期で映画が出ているから、また2年後、2025年に4作目のすみっコ映画が公開されたなら、俺は間違いなく公開初日に観に行くだろう。
フェミニスト「あんたがパーティーメンバーをいやらしい目で見ているの知ってるんだからね」
フェミニスト「じゃあ、どうして私を見て鼻息が荒くなるわけ?ほら今だって胸元見てるし」
弱者男性「それは……あれだ。おっぱいが揺れてるなって思って……」
フェミニストにビンタされた俺は空の彼方へと吹き飛んでいった。
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ある日突然、魔族に村を滅ぼされた俺は他の生き残りたちと協力して魔王に復讐するために旅に出た。
しかし、女性しかいないという国に着いた途端に、仲間だったはずの『フェミニスト』から一方的に追放されてしまったのだ。
『フェミニスト』は勇者パーティの一員であり、女性だけで構成された最強の戦士集団の一員であることを意味する。
俺は失意のまま、森の中をあてもなくさまよい続けた。
しかし、やがて森の奥深くまで迷い込んでしまったらしく、ついに道がわからなくなってしまった。
俺は途方に暮れて座り込むと、頭を抱え込んだ。
「くそっ!これだから人生イージーモードの女はカスなんだ!!俺みたいな弱っちい男を見下して何様のつもりなんだよ!だいたい女ってやつは……」
その時、茂みの中からガサガサっと音がした。
驚いてそちらを見ると、そこには美しい少女がいた。
「あら?こんなところで何をしているんですか?」少女はそう言って微笑むと、小首を傾げた。
その瞬間、俺は雷に打たれたかのような衝撃を受けた。
(なんて可愛らしい女の子なんだ……)
今まで見たこともないような美少女の登場に、俺は心臓が高鳴った。
そうだ。きっとこの出会いは神によって定められた必然なのだろう。
俺は意を決して立ち上がると、彼女の方へ歩いて行った。
「君の名前は?」
この子こそ、俺にあてがわれた女神様に違いないと思ったからだ。
俺はそう叫ぶなり、彼女に抱きついた。
彼女は驚いた様子だったが、すぐに振りほどこうとした。
だが、非力なのかなかなかうまくいかないようだ。
ならば実力行使あるのみだ。