はてなキーワード: 八百屋とは
実家近くに商店街があるけど、今はもう数店営業してるくらい。子供の頃は普通に八百屋とかもあって、たぶん20店舗くらいはあったと思う。
最近は地場のスーパーも撤退したし(一応名目上は老朽化のため)、行く店もなくなってきて、いよいよ商店街がかつてあった場所みたいな雰囲気になってきてる。
ただ、この商店街は元々アーケードがなかったこともあってか、そこまで退廃的な空気はなかったな。それに地価が高いせいか知らんけど、閉店後は普通の住宅に建て変わるパターンが多かった。
シャッター商店街みたいものは、分かりやすく寂れた場所ってことで話題になりやすいけど、ここみたいに元商店街の住宅地ってのはどれくらいあるもんだろ。
なんかよぉ……
最近思うんだけどさ、みんな何か一つに寄りかかろうとしすぎじゃない?
Twitterだかxだかについて皆が話してるのを眺めてて思う……
1人に、1か所に全てを求めようとしすぎ。
例えるなら、田舎のバカでかいショッピングモールみたいな感じ。
昔は違ったじゃん。野菜は八百屋で、魚は魚屋で、本は本屋で買ったじゃん。
絵はpixivに(その前は個人サイトに)、動画はYouTubeやニコニコに、好きな人の日記はブログに、知りたいことは検索エンジンに、それぞれを見たい時に見たい場所へそれぞれアクセスしに行ったじゃん。
それが一箇所で手に入るのがTwitterで、それをすごい!画期的!って楽しんでる期間がしばらくあったけれど、そろそろそれが当たり前になってきて、品揃え悪いなとか、私は今甘い物食べたくないのに勧めてきて不愉快、みたいなことが増えてきてる。甘い物が見たくない気分ならモールを出て漬物屋にでも行けばいいんだけど、そのへんのコントロールがどんどん下手くそになってないか?日曜日に買い物するならモールでしょみたいな。何にも深く考える段階がない。Twitterがカスになったと感じるのは、もちろん事実そうなのだと思うが、こっちのコントロール機能がカスになってきているというのもあると思う。
そりゃショッピングモールは便利だし、楽だからその価値はすごいものではあるんだけど、それならその便利や時短を享受しようという心構えでいるべきなんだよな。〇〇屋に行くって行為って、それなりに何か求めて身構えて行くってことだし。そういう身構えがないと、何かと不愉快は増えるものだ。覚悟していれば受け止められるものも急だと受け止めにくくなる。見る物のコントロールは、ほとんど精神のコントロールに直結しているので、その辺が上手な人は自分の機嫌をよく保つのも上手い気がする。
人もおんなじ。生み出す作品が良い人も、人格が信頼できる人も、容姿が良い人も、楽しい気持ちの日に会いたい人も、悲しいときに慰めてほしい人も、全部別のカテゴリで、自分の気持ちで付き合い方を変えて良いのに、それら全てを兼ね備えた人を求めてるみたいなところあるよね。そうじゃないなら殴ってもよし、みたいな。
これってAだと思う、という人に、いやこいつにはBって視点が欠けてるぜ、いやお前はCってことを分かってない、みたいな喧嘩が今日も起きている。それって、別に喧嘩するようなことじゃないじゃん。それぞれの意見が集まることはいいことであって、それを聞いて自分の中でABCの配分を調整して自分の意見をクリエイトすればいいだけなのに、発言するなら最初からABC全部セットにしてお出ししないと許さねぇ、っていうのはやっぱり求めすぎなのではないか。.
その上で、今そのショッピングモールが潰れそうになってるわけでしょ。もうそのショッピングモールが儲ける影で街の本屋や魚屋は潰れてて、行くところはぐんと減っちゃっている。依存してた場所がなくなるからみんな右往左往してる。
企業はいつだって全てのシェアを掌握したがる。みんなもそれが楽だから最大手に乗りたがる。でもそれが進み切って最大手が死んだ時には、焼け野原と、右往左往する人間しか残らない。全てが完全な優れた推しに全てを委ねて貢いだのに、それが沈んだら何にも残らない。そのために切り捨てた友や時間やチャンスの死骸が転がるばかり。
今からでも、意識的にいろんなものに寄りかかりたいな、と最近思う。Twitterってザッピングしてるようでいて結局Twitterというものに依存してるからあんまり意味ない。Twitterを見たい気分の時に能動的に、積極的にTwitterを見て、そうじゃない時には別のSNS見て、探したいものは自分で検索して、本読んで、新聞読んで、テレビ見て、近所の友達と喋って、遠方の友人とも喋って、職場の人と話して、そして何も見たくない時は何も見ないでいたい。惰性で暇を持て余すのでなく、積極的に暇人になりたい。そういうふうにやっていきてぇな。意識的に…能動的に…
ADHDグレーゾーンと診断されている、おつむの弱い息子たちが高校を卒業するまでに伝えるべきことを備忘のために記しておく。
するな。
SNSに投稿していいのはおつむがいい人だけだ。そういう法律だ。
酒はおつむがいい人だけが飲んでいいものだ。 バカが飲むと世の中にとって迷惑でしか無い。
へたしたら死刑。
それをやっていいのはおつむがいい人だけだ。
持つな。
クレジットカードを持っていいのはおつむがいい人だけだ。
後払いも分割払いも、アホには無理だ。
組むな。
ローンを組んでいいのはおつむがいい人だけだ。
分割払いは呪いだ。 じわじわと苦しめて、やがて死に至る。 死にたくなければやめておけ。
友達だろうが家族だろうが、保証人になってと言われた瞬間に、そいつは詐欺師だと思え。
ただ、お前が誰かに保証人になってくれと頼むことは認める。 誰もなってくれないだろうけどな。 保証人とはそういうものだ。
友達だろうが家族だろうが、印鑑を押せとか貸せとか言ってくるやつは詐欺師だと思え。
というか、そもそも印鑑をつくるな。 印鑑をもっていいのは年収1,000万円超えてるやつだけだ。そういう法律だ。
メッセージ送信3ポイント、メッセージ開封2ポイント、といったような、従量課金制の出会い系は詐欺だと思え。
出会い系をやるなら定額制、かつ警察にインターネット事業紹介事業者として登録しているサービスのみ。ペアーズとか、タップルとか。
ていうか、おまえ、高2のときにキャリア決済でクズみたいな出会い系に5万も課金して、おれがひどい目をみたことがあるよな? ●すぞ!
宗教に誘ってくるやつは敵だ。
世の中をみてみろ。いっぱい戦争がおこってるだろ? あれは宗教に誘ってくるやつと、宗教に誘われた人が喧嘩してるんだ。巻き込まれたくなければ宗教からは距離をとっておけ。
お前をボランティアに誘ってくるやつは敵だ。
お前はボランティアされる側であって、する側ではない。 そんなこともわからない奴らに心を開くな。
簡単にSEXできる、簡単にお金が稼げる、という文言はすべて詐欺。
お前みたいなバカが簡単にお金が稼げる仕事は世の中に存在しないし、お金も払わずに簡単にSEXできることはない。
親に甘えて援助してもらったり、ちゃんと働いたお金で風俗行く程度が、おまえができる一番簡単な方法。
え?「送料無料」も詐欺かだって? 詐欺だ。 おまえが受けられる無料なんてない。 わきまえろ。
八百屋なんですけど~、屋根が壊れてるみたいなんですけど~、近所で工事をやってるものですけど~。
全部詐欺だ。
隣のおばさんがきたとしても詐欺だ。
え? 宅配だったらどうするのかって? お前が宅配を頼むとか100年早いんだわ。 わきまえろ。
お前は無能で、おれは有能だ。
有能というのは、生まれながらの資質もそうだが、努力できるということだ。 努力ができないお前とは根本的に違う。
人が平等に与えられてるのは時間だ。 その時間を漫然と生きているか、もっと良い暮らしがしたいと努力に費やしてきたか。 これが大きな違いだ。
ただでさえ資質もないのに、努力もせずに、おれと同じ生活ができるわけないだろ。
何もせずに、おれと同じ生活ができると思うな。 悔しかったら努力しろ。
まだまだ言っておきたいことはあるが、今日はこのへんでやめておく。
それは、親も年をとるとバカになるかもしれないってことだ。
いまのおれが「宗教は敵」と言ってても、30年後には「神は素晴らしい」と言ってる可能性もある。 だいたい人間は年をとるとアホになるからな。
おまえのばあちゃんだって、おれが子供の頃は「宗教やってる人に近づいたらだめよ」って言ってたんだぜ? 信じられないだろ? あのゴリゴリの宗教バカが。
おれは30年前の母ちゃんの言葉を信じて、いまの母ちゃんは別人だと思ってる。 あれは母ちゃんじゃなくて、たぶん山田さんとか、田中さんとか、別人。
https://anond.hatelabo.jp/20230731103637
電鉄会社は始発駅にデパートを持っているが、この二社はちょっと特別で文化をブランド化している。
両社ともデパートの一部に美術館を持ち、古典よりも現代美術などを扱う傾向が強かった。
また西武はレコード店WAVEや巨大書店LIBROなども併設して文化/流行の発信者的立場であった。更にこれら文化/流行事業がブランドとなってルイヴィトンなどのハイブランドの出店の寄せ水ともなっていた。
現在ヨドバシ西武出店で豊島区がクレーム出しているのはこういう背景があるから。
2.本屋
巨大書店が何棟かあるが、神保町三省堂、池袋LIBRO、池袋ジュンク堂、六本木青山ブックセンター、新宿紀伊国屋などは毛色が違って、売れ線の本を並べるのではなくて「推し」を優先して陳列するという特徴があった。「話題の本」が話題になる前にそこにあるという感じだ。売っているのは本じゃなくて文化文脈という感じか。ヘイト本陳列などで紛糾しているのはこの辺の事を知っていないと理解が出来なかったかと思われる。池袋ジュンク堂以外は退潮傾向。
3.レコード屋
渋谷その他のタワーレコード、西武系列のWAVE各店、CISCO、新宿/下北沢のディスクユニオン、秋葉原の石丸CD館など特徴的なレコード店があり、これらでは売れ線のJPOPなどは余り売っていない。これも流行のアンテナショップ的な感じでマイナーシーンでこれから流行るもの、ここでしか買えないものを揃えていた。
CDの退潮によりこれらも退潮傾向(石丸は大火災)だが、CDにかわりビニール盤(レコード)が復活してきたのでタワレコなどは盛り返しつつある。
広尾、六本木の欧米系、新大久保の韓国人、西川口、池袋の中国人、など外国人が集中して居住する地域があり、彼ら向けの商店など外国の風が吹いてるかの如くの雰囲気がある。またその地域では国内で見かけない外国製品が売られているなどエキゾチック。文化的な対立などの問題も起きるが都会や資本主義というのは異物に包容力があるのでなんとかやっている。外国人との対立問題で刑事事件などが根拠にされる場合があるが根本原因ではない。文化間の接触域では「文化を浴びる」感が日常で起こり、それが浸食されるという不安を産んでいることを忘れている。
東京とその近郊は戦前は軍都でもありそれらが全部占領されたのでその基地や居住地付近は米軍の文化に染まった。
占領解除と基地返還でこれらは忘れられつつあるが、近郊には所沢、横須賀などアメリカテイストが残り、それを維持しようとする住民がおり、ニューイングランド様式の家+アメ車などの組み合わせを見る事がある。東京郊外だが埼玉の入間市には米軍住宅をそのまま残したジョンソンタウンという街がある。
6.裏原宿
原宿は西から原宿駅\竹下通り\明治通り-渋谷川暗渠地域/青山(線の傾きは高低差)となっているが、この渋谷川暗渠に沿って民家改造した古着屋、インポートショップが乱立した。両方とも若い経営者が米国や西欧に行って古着市場や日本に入っていない若手ブランド服を買い付けて一般民家を簡易な改造した店舗で売るというモデル。全国展開しているBEAMSなども裏原出身。今では地方都市やショッピングモール、観光地周辺でも見られる業態だが、わざと「簡易な内装」を作るのは裏原の文脈があるから。若者のスモールビジネスからセレクトショップやアンテナショップ業態に移行しつつある。なお、渋谷川暗渠に密集したのは、暗渠沿いには高いビルが建てられず地下が低かったから。
7.お祭り
地方より東京の方が中間共同体が残っている事が多く、お祭りが維持できているケースが多い。
道路上での演奏は禁止なのだが路上演奏者は多く居て、警察が来るとダッシュで逃げるというのを繰り返している。特に外国人が民族衣装を着て民族音楽を演奏するものなどは人気がある。
単にオタクが好きなアニメの服着てるだけに留まらないレベルの人が結構いる。そういう人は総じて相当な美人/美男であり服の装飾や裁縫レベルも高くて高級感もある。文化文脈の摂取に貪欲で外国に出かけて実際の文化を見て吸収しようとするし写真のレベルも高く、サブカルなのにハイカルチャーの趣きがある。SNSの過去ログを手繰ると、昔から美人だったのではなくて文化の吸収や意識の向上に従って外見が変化している。だとするとそれを生ぜしめたコスプレという行為も文化現象として上等と結論づけるしかない。
クラブ遊びもちゃんとやろうとすると音楽の知識、海外の文化現象の理解などが必要になる。カッコだけの真似だとダサイ、浅いという評価になる。
環状八号線の世田谷地区には外車ディーラーが並ぶ。外車は単に高級品というだけではなく、その国の文化というものを纏っているもので、特に米国、イタリア、フランスがその傾向が強い。故に環八の外車ディーラーが並ぶ風景は車好きには外国の風が吹いているように見えるものである。
「ビルの内装はがして壁も天井も配管も白いペンキ塗っただけ」みたいな小さいギャラリーが多くあり、マイナー作家やマニアックな展覧会が催されている。その辺の敷居の低い部分があるのを利用してお上りさんやオタクつかまえてサブカル絵やラッセンの絵を高額ローン組ませて売りつける商法をしていた連中は万死に値するな。
13.商店街
地方ではすっかり衰退してしまった商店街が東京では幾つか健在で、若者文化を取り込んで混在する下北沢とか吉祥寺とか買い物以外でも面白いところがある。増田のおススメは赤羽で、昭和のマーケット形式の商店、カゴに小銭入れてゴムで吊るしている八百屋とかも健在で、新しい飲食店も沢山あって混在している。更に飲食店にやたらとテラスがあるのが特徴で日本じゃないみたいな感じになっている。小奇麗なカフェから昭和の立ち飲み焼き鳥屋にはしごとか出来る。
14.モグリ
人気講師がいる大学には偽学生のモグリが発生する。在籍していないのに勝手に講義を聴きに来るやつだ。大学によってはそれを止めるつもりもない。更に学外者が立ち入るのが当然のように大学内で展覧会を開催したりする。
15.TV局
テレビ局は働く人が多いので企業城下町的なものを形成していたりする。いけ好かないギョーカイ風でもあるがTVの地位低下とオフィス街と一体になった再開発などによりオフィス街と混じる形になって衰退傾向(例:TBS@赤坂、TV朝日@谷町、六本木)
16.建築
近代建築も多く残り、有名建築家の作品も多い。中に入って素材の質感、施工の程度などを触って確認できる。隈研吾のなんか食傷気味でもういらねぇとか思ったりする。但しザハ・ハディッドのは無い…。
今までも歩行者天国は色々なサブカルチャーを生み出してきた。だが加熱しすぎて警察に禁止されたり通り魔が起きたりと都度潰されるという道を辿ってきた。今ではフェアなどで自治体が大道芸を支援するような動きがある。
18.大学
身も蓋も無いが地方の大学と東京の大学では学生生活の質が違うというのはある。東京で大事なのは同質性の低さで、地方から出てきた者、エスカレータ組、留学生、帰国子女が混在している。特に帰国子女は「似た外見を持った異人」であって同質的な学校空間で育った学生に異化作用を齎す。概ね彼らはその異文化経験によって判断基準を「みんながそう言うから」に置かず、成熟して大人びていている。帰国子女とも留学生とも邂逅しない大学というのは大学と呼べるのか。
ホームレスに日常的に遭遇し、自殺の現場に居合わせるなどの経験(鉄道など)により、落伍への強烈な強迫観念が刷り込まれる。当然これはいいことではない。だが影響を強く受ける文化現象として外せないと思われる。
当たり前なんだけど意外と(それこそ医者や科学者ですら)多くの人が勘違いしていて、それで騙されちゃうのがコレ。
例えば医療と一言に言っても内科外科と複数分かれるし、大衆が考える「医療」には薬や病院から言い渡される食事制限や生活指導、病院でうける検査も含まれる。
内科や外科は専門医が別になるし、薬は薬剤師、食事指導は管理栄養士だし検査は検査技師の管轄になる。
だから医者は検査のことなんか知らない(コロナで話題になったPCR検査なんかはかなり適当なこという医者が多かった)し薬は専門じゃないし、会計のことについて聞かれてもわからない(医療会計の管轄になる)ことがある。
別にそれ自体は悪くなくて、専門領域と連携しながら進めればいいわけだけど、そんな専門領域がどうとよくわかってない患者は
って顔して専門分野外のこと(内容が往々にしてにわか知識をもってる素人以下だったりする)をtwitterあたりで自信満々に話すことがある。
でそれ以下の知識しかなくて真偽を確かめる意識がない素人にチヤホヤされるという悪循環。
これは別に医療に限定した話じゃなくて、「八百屋の親父が語る農業」「物理学者が語る科学」といろいろな場面で結構出会うので、
「こいつ専門家みたいな顔して話してるけどほんとにこの物事についての専門家か?」
というのを調べる癖をつけるといい。
減税して若い子の給料と消費を増やすか、生活コストの低い地方で暮らせる人を増やすために若い子が上京しないように大学進学率下げちゃうのが近道だと思うよ?
世の中、同級生と結婚する人が多いのに、大学進学したら人間関係リセットになるからね。
私の言ってること、ものすごく保守的でおおよそ30代の人間が考えたこととは思えないと言われそうだけども…そらそうよ。
大昔のこと調べたり、今ネットで論争になってることを整理したら
「中途半端なやつが大学進学できるようにしてしまったことが大失敗なのでは?」
としか思えないのよ…うん
私の言ってること、ものすごく保守的でおおよそ30代の人間が考えたこととは思えないと言われそうだけども…そらそうよ。
大昔のこと調べたり、今ネットで論争になってることを整理したら
「中途半端なやつが大学進学できるようにしてしまったことが大失敗なのでは?」
としか思えないのよ…うん
不要論って言っても、
「そもそも、大学自体がエリート教育なんだから、一部の上澄みだけで良くね?50%もエリート教育したら質が下がるか、船頭多くして船山に登るかのどっちかやろ?」
という感覚です。
全部いらないって言うより、「それ大学出る必要あった?」と思う人多すぎ問題です
リーマン・震災・民主党政権の時代を見ちゃってるせいで、今の子ほど性善説でモノを考えられなくなってる気がするが、同時に
とも思うから、ズレてることに安心感も感じててフクザツな気持ち。
ひねくれ者は俺より上の世代だけでいいよ。
この間、「大卒そんなにいらなくね?」みたいな話をしたけど
受験自体が選別なんだから、もう早い段階で見切りつけさせた方がいい
高卒を政治的(学校の先生の雇用を守るため)に増やした背景を知ったときから「なんかキナ臭いな」と思ってた。
誰でも入れるしょーもない大学はより選別機能及び大学(大卒)の価値を暴落させてる。
高校時点で「学問や大企業戦士は難しそうだな」という人を一定数作ったほうがお互いのためよ
「高校野球の引退試合や、独立リーグは野球をプロ養成でもあるが、大半の人にとっては【野球を諦めさせる場所】である」
と言われてる。
大卒がそんなにいらないことに加え、中卒・高卒でもいい人が学問から切り替えて、働けるようにしづらくしてるのも、またね
夢は叶えられない人に与えるのは、むしろ残酷な呪いでしかない。
呪いになる前に夢を諦めさせる・切り替えて新しい進路をちゃんと作る方がはるかに大人の仕事で、教育的だと思うんだけど…こういう意見ってウケないのよね。
大学の授業料が高すぎるから、自然淘汰によって変わっていくとは思うけど
ちなみに、「大学の授業料、欧州に比べると高い問題」もこれも闇が深くて…大学が無料・安い国は税金で大学が運営されてたりするらしい。
つまり、大学無償化とか授業料抑えろって意見は、いらない大学を淘汰した後に言わないと、無駄な税負担が増えるだけ…というオチになりかねない。
いらない学校を淘汰した後でやらないといけないんだけど…民主党がこの政策に熱心で、その裏に日教組という支持母体がいることを知ってたら「こんなもん利権だろ」って、秒でわかる話。
で、社会党も民主党も(多分、支持母体も)資本主義や市場経済がわからんから、
金で客を選別できなくなるとね…どんなやつでもサービスを利用できる分、現場負担がえげつないことになるのよ
と言ったけど、アレは高校無償化しちゃった人たちにこそ当てはまる言葉。
八百屋は果物で儲けてるのだが、果物を快く買ってくれる人は客層がいい。
つまり、「大卒や高校を淘汰したほうがいいよ」というのは別に学生のためだけに言ってるんじゃないのよ。
仕事が楽になれば、学校の先生になりたい人を増やせるから…政治的じゃない人は先生も生徒もみんな得する。
仕事って客で大変さ変わるもん
ぼくが、
と言ってるのは、そこよ。
無償化して職員がクビにならない状況がハッピーかと言うと、違うのよ。
仕事は客層悪くなって大変。
逆に、客もサービスが改善されない不便または追加料金で別サービスに加入するしかなくなる。
「学校は偏差値で入れる入れないがあるんだから、市場経済とは切り離されてるし、そうあるべきだ」
と言いたい人もいるかとは思うけど…親が授業料払ったり、参観する以上は切り離せないのよ。
いや、全員高卒にしたり、無償にしなかったらDQNやその親まで見なくてよかったかもですが…しちゃったから
東京で安くこき使える社畜がどうして生まれるかと言うと、大学進学のために上京する人が多すぎるからです
これも「東京に大学って固まってるよね」と気になって調べたんですが…やっぱダントツで多いんですよ。
ところが、東京の大学に進学して、借金したまま東京で就職・バイトするから…社畜問題に行き着く。
これぼくも香川県までの道中を青春18きっぷで行ったからわかったけど…完全にセルフレジしかないような駅のコンビニが地方にはあるんです。
ところが、首都圏は必ず人のレジがいるし、そもそも自動がないとこもまぁまぁある。
ホリエモンが言う「社畜がいるから自動化が進まない」は首都圏のお話
で、
「首都圏で自動化が進まない・技術が発展しないから嫌な仕事から人々が開放されない理由」
を掘り下げていくと、技能実習生もさることながら、安くこき使われる学生バイトと、若手フリーターが多すぎる問題…もっというと「大卒多すぎ問題」に繋がってるのです。
最近、
そうだぞ。
単に月給をもらって働いているといったサラリーマン根性に終わるようなこともなく、日々生きがいを感じつつ、愉快に働くこともできるようになる
なのだから「出世しよう!」「会社を差配しよう!」などといった話ではなく「生きがいを感じる」「愉快に働く」ことが目的なんだぞ。
自分が社員稼業の店主であるとなれば、上役も同僚も後輩も、みんなわが店のお得意でありお客さんである。そうすると、そのお客さんに対し、サービスも必要であろう。第一、商品を買っていただかなくてはならない。創意工夫をこらした提案を、誠意を持って売り込みに行く。
これはつまり「たとえば八百屋が主婦に白菜を売り込むように平社員は上司に提案を売り込もう」ということを推奨しているのであって「平社員は上司を目指そう」といったような話ではないぞ。
コロナで加速した感はあるけど、もともとの傾向だったんだろうなと、いうのはあるとおもう。
小さな住宅街とか昔は少なくとも駅前には本屋やCDショップとか生活必需品以外の遊びと言って良いのかだけどそういう店が少しはあったもんだけど今はもう本屋すら絶滅、CDやゲームのショップなんかそんなのあったっけみたいな感じになってて結構寒々とした感じに。
住宅街なんで古くからの店がやめたあとになんかはいるかというと、飲食は禁止みたいなのが多くて、じゃあなにが入るかというと訪問介護。あとは保育か。
小さい本屋が無くなるのはしょうがないし、たぶんCDやゲームのショップは地球上からほぼ消えちゃうんだろうけど、そういう遊びの店がきっぱり消えてしまうとなんかさすがに切ないね。八百屋とか肉屋とかもだいたい大手のスーパーに駆逐されちゃったし昔は結構そこらへんにいろんな商売の人がいたような気がしていたけど、今はもうほとんど全部サラリーマンって感じ。今の子供とか昔の漫画たとえばドラえもんとかみてもああいう感じの風景理解出来るのかなあ。
(※諸説あります)
「ざっくり」と「ばらり」という擬態語を合わせたもの。江戸時代から使われ出した
巾着に由来
猫がうんちを砂をかけて隠すところから。ババはうんちのこと
丈は1.7mであり、丈夫は成人男性の意。そこから、大丈夫は立派な男性→しっかりしている→間違いない と意味が派生した
如何様(どのように)から、いかにもその通り→いかにも本物に見える→インチキ の意味になった
「うん」は返事で、すんは語呂がいいから付け足された
すり鉢の溝の詰まりをとる道具を切匙(せっかい)といい、他人の内に入り込もうとする様から。節介は当て字
田んぼのスズメを追い払うために魚や動物を焼いて追い払った「嗅がし」が語源
江戸時代のお菓子「胡麻胴乱(ごまどうらん)」の中身が空洞だっため
似せて行う、家業を継ぐという意味の「使似す(しにす)」から。老舗は当て字
明治時代の八百屋の長兵衛の通称「八百長」より。長兵衛が囲碁でわざと負けて相手のご機嫌をとっていたため
粘土(へな。質の悪い土)のお猪口(ちょこ)、つまり出来損ないのおちょこという意味から
江戸時代の手古舞(てこまい)の音が「てんてんてこてこ」と鳴り、明るく踊る様から意味が転じた
江戸時代の小型船を「ちょろ」と呼び、その運転が簡単だったところから
よく寝るため「寝子」と呼ばれた、または「ねーねー」と鳴くため「ねー子」と呼ばれたことから
チャラチャラしているの略語。「ちゃら」は江戸時代から使われており、おしゃべりな人の話ががちゃらちゃら聞こえるところから
昔は冷蔵庫がなく鯖を早く売る必要があり、適当に数えていたことから
平安時代に、大軍が動いて鎧が触れ合うと「びんびん」と鳴り「びびる」音と呼んでいたことから
江戸時代の矢場(射的場)で売春が行われており、「役人から目をつけられたら危ない」ということから
江戸時代に小雨が降り続く様を「しょぼしょぼ」と表したことから
あと一つは?
タバコを吸う寿司屋で思い出した。近所の露天型八百屋にタバコを吸う従業員が居るんだよね。
店 歩道 花壇
て構造で歩道をはさんだ花壇に座ってタバコ吸って休憩してるの。うちの市は路上喫煙禁止だし素通りするだけでも臭いし仕切りもない路上に陳列してる野菜にも煙かかってるだろって状態。従業員が何人も居るのに変わらないってことは店長かオーナーか偉い立場の人なんだろうね。買った野菜は水洗いするだろうからセーフ理論なのかも。
直接食べる寿司よりはマシなのかなと思ったけどそれでも積極的に買いたい理由にはならないですね。その人は毎日居るわけじゃないから使うこともあるけど、見かけるたびに「今令和だぜぇ!?」って堂本光一風に心で突っ込んでる。
とにかく控除とか許さねぇってなら
それはそれで賛同しても良いが?
結局、免税事業者は何の得もしてないわけで、得してるのは免税事業者から仕入れてる側なんだわ
免税なんだから当たり前なんだけどな
売ってる側はそれが売れたことで得なんかしてないんだわ
免税なんだから
だけど、これはダウトな
問題になってるのは、免税事業者(町の八百屋とか、床屋とかな)が消費税相当分を請求してるからだろ
丸儲けなんだよ
祖父母が元八百屋だったこともあり小さいの頃からフルーツをよく食べてたんだ。でも、桃、さくらんぼ、メロンなどを食べるといつも口の中が痒くなる。
初めて食べた時からずっと口の中がかゆいので、そういう食べ物だと思ってたんだが、大人になってから何気なく「これって口の中痒くなるのが難点だよね〜」って言ったら、そんなことないしおそらくアレルギーだから食べるなと言われた。
じゃあ、花粉症なのかというとたぶん違う。
最初はこの時期に鼻水が止まらないってことは花粉症かな?と思ってたんだが、体温が急激に上がらない限り、マスクなしで外に出ても鼻水が出ないことに気づいた。
逆にいえば、丸一日家の中に居てもお風呂上がりはまだらに赤くなって痒くなる。
じゃあ寒暖差アレルギー確定なのかといえば、そうでもない気がしている。春秋の花粉の時期がひどいだけで、それ以外はほぼ症状が出ない。
ちなみに、子供の頃に花粉のアレルギー検査してもらったことがあるらしいんだが、親曰く「この子は花粉症はないが、何かのアレルギーがあると思う」と言われたらしい。
なんのアレルギーなのかは検査結果に出てないからわからないけど、何かあると。医者の勘なのかしらんがそんなこと言われても困る。
健康診断のオプションで受けたことないアレルギー検査があれば積極的に受けるようにしてるんだけど値段高いし、今のところ死にそうなったことないし、全てを明らかにする必要はないと思ってるんだが。
披露宴とかご飯出る場にお呼ばれたしたときの返答や病院や薬局の初心アンケとかで、アレルギーについて聞かれるたびになんで書けばいいか困るので、食事に関するアレルギーを持っているかは明らかにしておきたい。
といっても、病院で調べても出ないし困った。
年収500万円の人なら、ざっくり65万円くらい税金増える感じかな
それじゃあ暮らしていけないから、65万円分を誰かが埋め合わせる必要がある
個人がしなきゃいけないならまあ詰むと思う
益税がどうのこうのという話があるけど
益税であることは市場全体で理解してるから、それ込みで相場が形成されてるわけ
もしかしたら、八百屋みたいな自営業とか、もっと物を百個千個売ってるようなビジネスを想像してる人も居るかも知れないけど
そう言う人は売上1000万超えてるから、消費税払う義務がそもそも存在していて、今回の対象ではないわけ
対象になるのは「売上1000万円も行かないけど暮らしていけてる層」であり
それは正社員からもアルバイトからもあぶれた何の雇用関係もない労働者達が主だ
あとは独立した技術者とかも想像するだろうけど、全体から見たらわずかだ
400万円台から経費とか税金とか差っ引いて、手取り250万みたいな人たちに、増税40万円乗せるって話だよ
おそろしいで
そう言う人らが440万円になれれば解決するけどね
まーどうだろうね
何にせよ弱者への増税なのは変わらないんだけど、それを益税がどうこう言ってる人らはマジで鬼かと思う
個人事業主自体減って減少傾向らしいけど、多分2030年までには相当数が消滅するんだろうと思う(今190万人くらい?2000年では320万人)
そんなにきちっと録画とかとかメモとかしてたわけじゃないけど、なんとなく自分が思い出すのを備忘録的に書いとく。タイトルも内容も記憶に頼ってるので正確じゃないけど。
多分、ネットで検索すれば放送日とか細かい内容とか出てくるだろうし、ものによっては動画もありそうだが。
肛門科の医者にいろいろ話を聞く企画。タモリのキャラとバランス感覚で、下品になりすぎずに展開してた。
“肛門科は、ほぼ100%の患者さんが良くなってかえっていって感謝されるのでやりがいがある”と言ってたのが印象深い。たしか最後は鶏肉を“患部”にみたてて、手術を再現してたはず。
この頃、下ネタ系の企画では乾貴美子がよく出てて、このときも真面目な顔で仕切ってた。
「接岸グランプリ」
船の接岸を撮影するマニアをまねいて、彼らの撮影した自慢の映像を鑑賞する企画。船好きのタモリのテンションあがりまくり。
解説に昔船に乗ってたという東京海洋大の先生が来てて、タモリと盛りあがってた。
船関連の企画だと、「海洋大で唯一、いかりについて研究してる先生」の研究室に訊ねてったやつも面白かった。
デリヘルのホームページに載ってる嬢の紹介文を“指名上位”と“指名圏外”で比較しながら頻出単語を分析してきた在野の専門家を招き、“あたり”を掴むための紹介文の読み解き方をさぐる企画。たしかケンコバと作家の道尾秀介がでてた。
“八百屋で飲む”とか“乾物屋で飲む”とか“ラーメン屋で飲む”とか、いくつかあったはず。それぞれの場所で、タモリがその場にある材料でアテをつくってゲストに振る舞う企画。いわゆる“タモリのレシピ”の多くは、ここから広まっていったのではなかろうか?
「お尻を拭きやすい葉っぱを探そう」
エコロジーの観点から“野グソ”を提唱する専門家を招いて、ケツを拭きやすい葉っぱをいろいろ探る企画。ソフトで柔らかい葉っぱ触ってみたタモリが“前も拭いてみたい”と言い出し、ゲストの森山直太朗と盛り上がっていた。
他にも、あいみょんをゲストに、浮世絵を読み解くやつとか、やはり下ネタ系を、下品に堕ちすぎずにバラエティに昇華した回はどれも面白かった。