はてなキーワード: 法学部とは
平成18年以降になると、 下坂は精神的におかしくなった。 東大法学部の行政法教授の太田すら統制できない。 平成18年5月に秋田県で児童が死ぬほど
ブサイクと言って連呼する事件があると、教員だった畠山鈴鹿に殺害を指令し、完全に犯罪者になった。
既に最悪になっていたので、平成19年、延岡でキラキラネームが流行し、 南方小学校に対して周辺住民から猛攻撃が入り当時の南方小学校教員が全滅した。
下坂は2ちゃんねるで独自の資本主義論を提示したが、東大女から、ださすぎなどと言われてバカにされ狂って自殺。
平成19年1月、渋谷の姉のマンコから、警察官志望の兄は終わっていると言われて発狂し、マンコに対する殺害を指令。そのため、下坂が完全な悪であることが露見し
全国的な総攻撃が入った。延岡でも、平成18年8月、ドキュン高校生殺害事件で、 何も悪くない人に対し平気で懲役26年の実刑を指令。この頃には下坂の子供嫌いとか
暴走には凄まじいものがあった。 平成20年6月、東京の女子供からインターネットでブサイクへの猛攻撃が入り、秋葉原トラック事件を指令。
既に人格が変わっていた。
下坂は俺が北予備にいた平成14年の間に大志寮にいた高橋虎雄寮長を監督していただけで、北予備本部ではチューターの塩塚にたまに何か
やらせていたがそれ以外のことはしていなかった。あの時代はイケイケンドンドンであまり悪質でなかったので下坂も悪質な指令などはしてなかったか
しようとしてもできなかった。北予備本部では、講師に何かを言わせても、ぺち見拓士に、「はい、こんなところには来ないでくださいね」と言わせただけ。
後はほとんど何の影響力もなかった。当時はマスコミがかっていたので、下坂がそこに最低限の規制をかけようとしてもできなかったからである。
当時は若者の力が強く、若者に逃げられたらおしまいなので、東大にしても、文Ⅰの名前だけを知らせていて法学部に進学することに関しては下坂は
当時の若者には何も言ってなかったし、他の悪人の手下にやらせていた。それだけ当時は悪人が世で、悪人で面白い人が勝っていたので、下坂のような
セーターを着ている丸いのは勝てなかったからである。教養学部進学以降も、駒場では若者が暴れ狂い、悪人だらけ。下坂はそこに何も介入できない。
我が国の社会がただちに金が全てになったわけではない。昭和53年までは法権力が全てだったので、学歴とか裁判官が力を持っていた。しかし昭和54年から一気に
だめになり、権力は、国家から、株式会社や医療社団法人などに移行し、そこの専門家やプロが活躍していた。
確かに加藤周一も、相当前から消費社会だと言っていたので、昭和40年代からは既に金が全てになっていた側面もあり、バブル経済のときも確かに金が全てになっていた。
株式会社イオンは、東大法学部の社長が作った会社なので、東大法学部が経済的にも終わるということが考えられない。
しかし、金が全てという社会が進展した結果、本来、 文Ⅰ→東大法に行った人は、金がもらえるはずだった。しかし、平成中期に、文Ⅰ→東大法に進学した人に何もいいこと
がなかった
更には、金の亡者、時代の寵児であるホリエモンは長野刑務所に行った。この辺りから、社会は金が全てという神話も崩壊した。一体誰が真犯人なのか?
下坂のお前は凶悪犯罪者だから平成19年に一度インターネット利用者の当時の若者から一斉に攻撃されて警察どころか天皇制ごと一度消滅した上に
平成20年11月29日に東京大学法学部卒から、テクニカルにとどめを刺され、検察官の土屋大気もそれを認めている。
そのようになった理由は平成時代に他の株式会社が成功したため平成の若者にとって凶悪犯のお前の存在が論外だからでありそういうことがあったのも当然の事。
お前は客観的に言って今の社会には存在してはならない凶悪犯罪者。
現在ではそれにもかかわらずお前が裏切ったためにインターネット事業者は国が用意したものに反抗するコンテンツに血道を上げている上に、
オリジン弁当、イオンのデリカテッセンなどもお前に喧嘩を売る店を大展開している。
基本的に犯罪をやる体制だから拡声器で正論を言っているときは聞いているふりをして電気を消している。
20年前の歌を歌っているときは聞いているのか聞いていないのか分からない。
下坂がどうのこうのいうと反応がある。
平成20年11月29日にお前は東京大学法学部卒に驚異的なやり方でテクニカルかつトリッキーに殺された。
だからそういう体で犯罪をやろうとしているのだが、30日前からの経過を見ていると延岡市民は犯罪をしようとしていてできなさそうな生活を送っているが
いざ正体を現すと犯罪者。
やはり犯罪者だな。 ということで、東京大学法学部卒によりお前は死刑であり、養老孟司の『死んでいる』という本を読めばいい。
昭和53年 昭和が終わったから優しい女性や子供向けのレストランを作るようになった。
昭和55年 たまたま好景気だったので調子に乗ってうかれていた。
昭和58年 善良だった
昭和60年 頃から段々おかしくなった。 特に8月の御巣鷹山墜落でどんどんおかしくなる。
平成8年頃から民間経済の開花で何も言えなくなる。町内老人会の拡声器放送くらいしかできない。学校でも無能。
平成11年 高等学校で適当なことをやっていたり自慢していたり。
平成12年 高等学校が何もできなくなったのでZ会や予備校に教育を委託するようになった。
平成13年 もう何もしていなかった。
平成14年 トチ狂って一部の警官を予備校に仕向けてやりたい放題だった。多くの若者が遊び呆ける中で、寮の椅子に座っていただけ。時々発狂。
平成15年~17年 何もやってなかった、というか、いなかった。
平成19年 安倍晋三になってからやる気満々にやっていたら2ちゃんねるで猛攻撃を喰らって自殺。
平成20年~23年 もう諦めてばあさんになってどうでもいいことをやっていた。
平成24年 警官になって復活しようと思い、暴走を開始、自分をバカにした世代に襲い掛かる。禿散らかしてどうしていいか必死で考えていた。
平成26年~29年 何もやっていなかった。
平成30年 30代以上が終わったから若者を取って食う方針に転換して法学部で色々考えていた。
令和元年~4年 手下の警官が殺されたり、東大卒の息子を事務次官が殺害、 交番襲撃事件などがあってもなんとも思わずに逃げていた。
もはやクズ
お前はそういう訳のわからないことを言うので、やはり、 平成20年11月29日に、東京大学法学部卒に完全に驚くべき方法で殺害されたことは正当である。
日本人の全員も我の所論に賛同しておりお前の意見は採るを得ない。同時代に俺がお前を死刑に処したことは正当であり論旨は採用できない。
所論は平成23年10月当時被告人には何もなかったので下坂が男になってもらうために意図的に逮捕したなどと言うが全く身勝手な見解であって合理性は
寸毫も伺われない。
裁判官 下坂もぐら
裁判官 上玉ぺち
裁判官 任介辰哉
裁判官 ざ
裁判官 今崎幸彦
裁判官 ぺち見拓士
平成17年までは駒込に住んでいてスーパー行って缶コーヒー買いまくって数学やっていたので幸せで仕方がなかったが
平成18年からうっすらと気が狂ったが、その原因は低学歴が増えたからのせいで、それでも我慢しながらなんとかしてたので特に致命傷みたいなものはない
平成19年6月の増田だけは許さん。その後は特になし。 法学部を卒業し、ずーっと遊んで暮らしていた。 平成20年10月頃に、ツイッターがもう全員
発狂状態、 それまではそうでもなかった。20年6月にテレビをつけると、秋葉原につっこんだとの一報。自分は自宅でエミュをやっていたのでなんとも思わなかった。
また当時からアパートを借りるに際してごちゃごちゃした書類を作った記憶もない。