はてなキーワード: とりまとは
免罪符(indulgentia)は、中世カトリック教会が発行していた宗教的な許しの特権を表す証書で、特に煉獄での罪の償いの一部または全部を免除するものとされました。この制度は、当初は信徒の信仰を深め、善行を奨励するための宗教的な手段として始まりましたが、時代とともにその運用や目的が変質し、議論や批判の的となりました。
カトリック教会の教義によれば、罪を犯した信徒は神の赦しを得るために懺悔と告解を行いますが、その後も「煉獄」という状態で罪に応じた浄化を経験すると考えられていました。免罪符は、懺悔後に課される「償い」の一部を軽減する手段として導入されました。
最初期の免罪符は、巡礼や十字軍への参加、教会の慈善事業への貢献など、信仰に基づく行動を奨励するものでした。
11世紀頃から、教皇や司教が特定の条件を満たした信徒に対して免罪符を発行する習慣が始まりました。これには、以下のような目的が含まれていました:
しかし、14世紀以降、免罪符の販売が広がり、次第に金銭で購入できるものと認識されるようになりました。この実態は、教会の財政難を背景にしたもので、多くの批判を招きました。
16世紀に入ると、免罪符の商業化が極端な形をとりました。有名な例として、ドイツの教区で行われた免罪符の販売キャンペーンがあります。このキャンペーンでは、「金貨が箱の中で鳴るたびに、魂が煉獄から解放される」と説教され、多くの信徒が金銭を支払いました。
これに反発したのが、宗教改革を引き起こしたマルティン・ルターです。彼は1517年に「95か条の論題」を掲げ、免罪符の乱用を厳しく批判しました。この出来事は、プロテスタントの誕生とカトリック教会の大きな改革の契機となりました。
カトリック教会はトリエント公会議(1545年-1563年)を通じて、免罪符の商業的乱用を廃止し、その霊的意義を回復するための措置を講じました。現代のカトリック教会では、免罪符は金銭と結びつくことはなく、祈りや善行を通じて信徒が霊的な恵みを受ける手段として位置づけられています。
この意見には、トランプ氏の経済政策と政治的理念を説明する意図がありますが、いくつか問題点や不正確な解釈があります。以下に指摘します。
妥当な点
トランプ氏が掲げた「アメリカ第一主義」は、他国への依存を減らし、米国の利益を最優先するという方針で、確かにフランスのド・ゴールが掲げたフランス第一主義に共通点が見られます。トランプのTPP反対やNATO費用負担の見直しも、自国の利益を強調する姿勢を反映しています。
トランプ支持者の一部が、「仕事にありつける」「収入が増える」などの期待を抱き、経済的なメリットを求めてトランプに投票した点は的を射ています。これはケインズ的な需要刺激策(公共事業など)によって雇用や経済の活性化を図る政策の影響です。
1. トランプを「ケインジアン」とする見方は単純化しすぎている
トランプ氏がすべての政策でケインズ経済学を実践していたわけではありません。ケインズ経済学は、政府が不況時に積極的に介入することで経済を刺激する理論ですが、トランプ政権の政策には必ずしもこれに基づく一貫性がありません。むしろ、減税や規制緩和といった側面もあり、これらはケインズ理論とは異なる自由主義的なアプローチです。トランプの「ケインジアン」としての立場は単純化しすぎています。
2. メキシコの壁を「ケインズ的な公共事業」とする解釈の誤り
メキシコの壁の建設は、トランプの移民政策の象徴的な要素ですが、これをケインズの公共事業とするのは適切ではありません。ケインズ理論の目的は不況時の景気刺激であるのに対し、メキシコの壁は主に移民抑制や国家安全保障を目的としています。経済的な刺激効果もある可能性はありますが、それが主要な意図ではなく、理論に合致しない解釈です。
ド・ゴールはフランスの独自性を守るために多国間の枠組みや同盟に対する懐疑的な立場をとりましたが、同時に外交面では現実的なアプローチも取りました。トランプ氏も「アメリカ第一主義」を掲げていますが、その外交政策は必ずしも一貫性があるとはいえません。トランプ氏は同盟関係を揺さぶりながらも、アメリカの国益にかなう場合には取引を優先していたため、ド・ゴール主義と完全に一致しているとは言い難いです。
トランプ氏がケインズ経済学や他の経済理論を深く理解しているとする見方は、必ずしも証明されていません。トランプの経済政策は「ビジネスマンとしての直感」による面が強く、理論的な一貫性を欠くことが多いです。また、彼の支持者たちが経済政策の理論を理解して投票しているかどうかも疑問が残ります。
5. 「反トランプ派がトランプの政策理解を欠いている」とする指摘の偏り
反トランプ派に対して「トランプの政策を理解していない」という批判は、偏りのある見方です。反トランプ派の中にも、政策の効果や経済理論に基づいた批判を行っている人々が多くいます。政治的な意見が分かれる中で、一方を「理解が浅い」と決めつけるのは公平さを欠くといえます。
まとめ
この意見は、トランプの政策や支持者の動機について興味深い視点を提供していますが、トランプを「ケインジアン」「ゴーリスト」と断言するのは単純化が過ぎる点があります。トランプの政策は、一貫した経済理論に基づいているというよりも、選挙戦術やビジネスマンとしての感覚が反映されている部分が大きく、経済学的な視点だけで彼を理解するのは難しいでしょう。
・ふーん、静岡で椎名林檎ライブやるんや ほなちょっと応募してるみるかウィンとサンドウィッチマンのノリで応募したら当たったので当日まで半信半疑半分・夢見心地半分で過ごし今日…ってワケ…
・当日の午前中、思ったより心が落ち着いてるな…と思ったけどなんかいつもより世界がキラキラしとるな…ってなった
・愛野駅のエスカレーターの時点で心臓がドキドキしとる…自分って認識してるより椎名林檎の事、好き、なんや…って思ったけど愛野駅の階段がハード過ぎるだけだわ
・ライブティシャツ買おうとしたけど生地があまりにペラ過ぎてやめた ¥4000までならわかるけどこの生地とデザインで¥6000は価値観に合わなかった
チケット代も今まで参加したライブで一番高いチケ代+手数料計¥14080+新幹線代でえれえ金額かけてるから冷静になってしまった…
東京のでっけえ箱に比べるとそもそもキャパが小さめなのでどの席もステージを見やすく良席でスナイパーの席は無かったが、
「より近い席」人を羨んでしまう心が無いと言ったら嘘になるのでこれが「上を見続け、羨み続けてしまう人間の心…」ってなった 己の恵まれた現状を認識に現状で目一杯楽しめ!と己に言い聞かせた 人生
・オープニングの映像で「生の椎名林檎がこの世に存在しあまつさえ生歌を聴くことができる」という事実に感動し、今まで椎名林檎の歌を聴き続けた己の人生にうっとりし涙したがその後は割とスンッとしてた
・エコパアリーナは椅子があるし座っての観劇やろなぁと思ったらみんな普通に立ってた…
キョロキョロして立った
・面白くは無かったけど、
私は「今」の椎名林檎じゃなくて「昔」の椎名林檎が好きだったんだな…と思った
3/5は「し、知らない曲ですね…」ってなり1/5は「聴いたことはありますがそこまで刺さらなかったのでそんなにリピはしてない曲ですね…」ってなった
・貝のベッドで歌ってくれてる段階でスンッてなって女豹のレオタードの段階で上記の気付きを得た
・19:00上映で、18:20頃に会場に入って「19:00になったら本当に椎名林檎が目の前に現れる…?!」ってソワソワハァハァしてる時間がいっちゃんおもろかった
・赤安が大爆破する前に緋色の弾丸曲の生歌…聴きたかった…という気持ち半分と生歌聴けて嬉しすぎて呼吸数爆増〜!が同時に来た
・油(聴衆)が大炎上(熱狂)したくてフツフツしているが決定的に沸く火種が投下されずフツフツした状態が継続したライブだった
アンコールの2曲(自由に道連れ・東京オリンピック映像の曲)を序盤にやってたらもっと沸いてた
「主語デカくしてんじゃねーぞ」と思ったけど椎名林檎旗の振りが明らかになんか…こう…揺蕩う川のような…各々一生懸命フリフリしてるような…スポーツとかライブで盛り上がった聴衆の動きの一体感は… やっぱ途中盛り上がってなかったんやなってなった
・まさかの「二次創作」で強めの流れ弾が来たわ…そして「二次創作はいくらクオリティが神、ましてや椎名林檎は日本で指折りのトップアーティストだが二次創作の元ネタが刺さっていなければ刺さらないのはどんなに作り手が神でもそういうものなんだな」かつ「目茶苦茶楽しそうに二次創作する椎名林檎」「二次創作は本人が楽しくて公式様にお目溢し頂ければそれでええんじゃ!」(椎名林檎ほどの神アーティストになると二次創作元から二次創作を依頼されるかもしれませんが…)といつ二次創作の「核」を再認識させて頂いた
ライブでライブの生中継(表情アップ)してくれたんだけど、椎名林檎の目を伏せて口を横に引き結ぶ笑い方、目茶苦茶魅力的な表情だな…と思った
特にアンコールの金髪ボブボクサー、目茶苦茶可愛かった1番好き YUKIみたいなビジュアルの髪型+衣装も目茶苦茶似合ってた
・やきう回
やきうがそもそもあまり…とクサクサしていたが「青春の輝き」生歌+背景の雷鳴轟く野球グラウンドが萌えに直撃(通常の晴天の野球グラウンドにしないところが流石椎名林檎のライブ背景作る神クリエイターさんの仕事やでぇ!ってなった) というか野球ジャンルの◯◯◯◯のイメソンに「青春の輝き」は妄想してると感情が溢れすぎてしまうため禁止カードとして封印していたのに椎名林檎様から最高の環境で直撃させられてしまうと…椎名林檎の声帯、直撃すると生歌一曲でもう心揺さぶられて泣いちゃうからほんまダメ
・椎名林檎の呼吸音とか口のニチャ音をきけたので「マジ実在する人間なんだ…」って思った
・おまいら、「熱狂した」ってことにしようとしてねえか?
・まさか浴室をやってくれると思わなんだ
ありがたすぎて拝んだ
緋色の弾丸の曲と浴室と青春の輝きはハンチョウほパフェ回の「甘いものにロックオンした幼児の眼」で自我をシャットダウンして視覚と聴覚をひたすら研ぎ澄ませていた 興奮しすぎて呼吸数が異常に多くなっていた
・新アルバムのコラボアーティストがライブに来るんやろうなぁ…と思ってた AIが来てた?
・トークとかするんやろなぁ…椎名林檎たそはどんなトークするのかな?ニチャア…してたけどトークはなく「歌唱100%」の密度が凄まじい時間が目の前を通り過ぎていった プ、プロの仕事すぎる
・色々ゆうとりますけど「椎名林檎のライブに行く」のは死ぬまでにやりたいことリストのかなり上位だったので行けてよかった
あとは倉橋ヨエコのライブに言ったら本当に「ライブに行きたいアーティスト」コンプリートだが倉橋ヨエコのチケとれんからコンプは難しそう
というか、アメリカは世界の警察やる気ないんだから「もうやりませ~ん!ウクライナもガザもし~らね!当事者で解決しろ!」ってなるのでは
韓国は乗り気になるだろうか、ならないと思うな
サークル活動より真面目にたくさん単位取ってる子のが偉いと思うんだよな
必要最低限の単位取ってあとは別の活動頑張ってますって…AO入学みたいな面接だよな
じゃあその時点でとってる単位を平均化してデータ化するのはありなんじゃないか
そうするとバイトをしないと大学に行けない子は不利になるという気持ちもわかるが
本分は学業なわけで
まーそのへん突っ込むと難しい話になるんだけどさぁ
「バイト」と「サークル活動」ははっきり分けたらいいかもね。バイトは自立し生きるための社会での行為だから
最初の企業に長く勤めるわけじゃない時代だし学生時代の活動なんて新卒くらいでしか役に立たない経験なんだから、真面目に大学に行って単位どれだけとりました証明があってもいいと思うんだけどねー
色んな人が書いていることですが、DLsiteの音声作品は販売数を信用してはいけない。
10000ダウンロードされている作品も、90%OFFセールを乱発したり、期間限定100円セールで最初だけブーストしただけ…ということがザラにあるからだ。
「音声作品のレモン市場化」と銘打った記事が注目を集めているが…素人には「売れている作品かどうか」は表面的にわからない。
ほぼ投げ売りの作品も、あまり値下げしなかった強い作品も「定価1210円で10000DL」と書いてあるから、販売数が当てにならないのだ。
そのため、「同人データベース(https://dojindb.net/)」を使って「どの程度の値引き率で売ったものか」をチェックしないと、ジャンクを掴まされたり、本当は実力のないクリエイターさんを崇めることにつながる。
…いや、最悪なのは同人データベースで調べなかったことで、ダメな人にオファーを出して作品が赤字になるパターンか。
1000円2000円の作品がジャンクな分には、「働いて取り戻せばいいや」で済むのだが…音声作品を作るプロジェクトにジャンクメーカーを入れてしまうと、20万以上損することになる。
もし音声作品に出資をお考えなら、同人データベースを使って、あなたの月給を守る必要がある…ということだ。
「作りたい」だけなら20万円程度でも作れるが…全て人に任せた低予算作品は回収できる方がレア。
なぜなら、少ないギャラで作ってくれるのは「作るプロ」であって、「売れるプロ」じゃないからだ。
そして、「売れるプロ」だからといって、べらぼうに高いとは限らない。
同人データベースを使って「作るプロ」を除いていくうちに「低予算なのに、大抵の作品が黒字の優秀なクリエイター」が見つかることだってある。
そもそもの話…シナリオに関しては「売れるプロ」に頼めないなら、自分で書いて、声優とイラストに20万円を全振りした方がいい。
1万文字程度なので、増田で文章が書ける人なら書けなくもないラインなので、TNTNの思うがままに文章を書き、声優とイラストレーターにお金をどーんとかけるのがいいだろう。
レモン市場とは「売り手と買い手の間にある情報格差が市場を歪めてしまう現象」のことだそうだが…これはたしかに起こってる。
ところが、同人データベース・DLsiteのサークルページにある「価格別の取り分」を照らし合わせることで、「売れるプロ」を見つけることはできる。
「売れるプロ見つけるよりも、名の知れた人に依頼する方が早くない?」
と思うかも知れないが…声優さんの単価は4倍ぐらい違う。
声優だけで1文字2円〜9円(オプション入れるともっと高くなる人も)いる。
スタジオ・交通費などの固定費は声優のランクで変わらないため、4倍まではいかないけど…「誰がどう見ても売れるプロ」に頼もうとすると2.5倍?3倍?はかかってくる。
イラストの単価は、わかりやすい基準がないため「どこまでの格差があるか」を提示できないけど…これも、「売れっ子」はいる。
レモン市場について書いた増田さんは「上は50万前後」とか書いてたけど、もしかしたら諸経費入れたら100万行くんじゃない?
それこそ、イラストが「誰もが知ってるエロマンガのレジェンド」みたいな音声作品もございます?特典を色々つけてもらって高くなることもでてくるでしょう…。
すごい作品だと、1トラックごとに別のイラストをお願いして作った作品や、CG集つけてもらってるところもありましたから…声優さんのコストを入れたら、50万円じゃ効かないんじゃないかな??
50万円というのは「誰が見ても売れそうな作品・自分の理想を完全に叶えてくれる音声作品」を作るならそのぐらいのお値段と言う話。
「自分が理想とする音声作品込みの作品群」となると…100万かかるんじゃない?それでも、Vtuberのモデル作ってもらうよりは遥かに手堅い投資ではあるけど…。
20万円で四苦八苦してる人は、50万円貯めるか、なけなしのお金を賭けるならよく調べて。
くれぐれも「作れるけど高確率で赤字」というクリエイターには引っかからないでね。
逆に、100万円ポンと出せるなら、Vtuber始めるより、自分が理想とする音声作品作ってみたら?
と、私はおもとります。
音声作品の闇というか?
音声作品を作ることで不本意に損をしてる・搾取されている・駄サイクルを養う側に回ってしまったかわいそうなスポンサーがたくさんいる現状。
↑これをなんとかしたいと思って、増田にいくつかの警鐘記事を残してきた。
それでいて「分かる人が読めば、内々にシェアされるぐらいにはいいものを」描くようにしてきた。
ところが、ここに来てうっかりはてなブックマークされてしまった。
DLsiteをやってるはてな民の網に引っかからないように、「わかる人にしかわからない話」として書いてたのだが…わかりやすくしすぎてはてなブックマークされてしまった。
わかりにくくしてた理由は…お察しの通りです。
この話が表に出ると、都合の悪い人間がけっこういるのです。
スポンサーには「音声作品さえ作れたらなんでもいい」「赤字なのは全部自分たちの責任」と思っていてほしいクリエイターとして顧客に回収させられない人がゴロゴロいるのです。
こういう人達は「私達は自分の仕事をやった」と主張するかもしれませんが…あんたらアルバイトなの?
いや、アルバイトでさえ、「企業がアルバイトを雇って黒字になる」と判断してるから、企業が募集し続けたり、勤務の継続をお願いしてる。
活動・事業・制度として続いていかないなら、もうバイトにも劣るんだよ…。
最近、ソシャゲして声優さんが闇バイトして捕まったニュースがでてきた。
若手の声優さんなんてそれぐらいお金に困ってるのに、同人声優の分野では「赤字でも自分の仕事してたらそれで許されるべきだ」なんて、お金の重みがわかんない発言しませんよね?
誰とは言わないけど、担当した作品がほぼ全部赤字のシナリオライターを担いだ声優2人。
うち一人はあなたもかなりの作品に出演して、AI作品以外はペイできてないですよね?それでも、自分は職業として声優だとのたまうおつもりでしょうか?
こういう「実態は赤字なのにプロのクリエイターっぽい顔して表舞台に出てくる」「騙されてスポンサーになった人だけが赤字で人知れず泣いて、次回作を出せずに消える」という蟻地獄を眼の前で見てると気分悪いねん。
そんで、そこを全部調べ上げて記事書いても、目立つものだとチン騎士ファンやコミュニティ使って攻撃しようとしてくる。
IQ下げたり、女の子に正論言っちゃダメみたいな文化は、エッチなもの見てる時だけにしてくれよ…。こちとら構造の話ししとんねん…。
活動する分には止めへんねん。
よくよく勉強しないと、高確率で赤字のクリエイターを掴まされてる信用不安な音声作品の環境が、作る側にも見る側にもよろしくないから、こういうところで記事書いてるんやわ。
それがブクマされちゃって「あちゃー」ってなりましたわ。
案の定、赤字のクリエイターを擁護する?もしかすると本人による!?反論とか出てて…頭抱えとりますわ。
私はあんたらのママでもパパでもない他人なんやで?もちろん、あんたらと友達でもない。
なんで他人の意見にズカズカポジショントークで否定されなあかんねん…。
「そういう意見もあるよね」
「はてななんて掃き溜め見てる時点で、DLsiteにはおしこりにしかこないよね」
で済ませられないのは、罪悪感でもあるの?自信が持てないの?
正しいことしてるなら罪悪感ないでしょ?
もし当事者による反論だとしたら、こういう人と作品作らされる関係者が不憫でならんよ…。
しらんけど
見てて思うのがさ、なんだろ
日本人の変わるの嫌病、これ
ここに不快感を感じる
社会制度、身の回りのルール、方針、一度決めたら未来永劫変えるな
これがうぜぇぇぇぇぇなの
夫婦別姓はどうでもいい
とりあえずやってみりゃいいじゃん
ダメだったら戻せばいい
やってみて社会的な弊害の方が大きい、デメリットがデカかったならさーせんで元に戻せばいい
でも、日本人は極端に失敗を恐れる
社会制度なんてやってみなきゃわからん、副作用がどこまで波及するかなんてわからんよ
ならばやってみてダメなら戻せばいい
5年10年とりあえず夫婦別姓やってみて、なんか想定外のハレーションが起きたら、元の制度に戻せばいいだけ。
戻す時は夫婦別姓にしてた人も強制的に同姓に移行させるみたいな時限立法でいいじゃない
なにかを変えて1の失敗をするよりも
みたいな
自民党は「経済政策得意ですし、党内で複数の選択肢があります」「外交も様々なチャンネルを用いながら、親米対中を基本姿勢としてバランスとります」みたいにマトモぶってるけど、それに付属する「マトモじゃない要素」が多すぎ
やけに頑なに選択的夫婦別姓を拒んだり(変なやつらと繋がってるからだろう?)、差別発言でクギを刺される議員を持て囃してきたり、安倍さんの威光を傘に着て不穏・不規則な発言をする輩議員を抱えていたり、パワハラ議員と言われる人たちが大勢いたり、裏金をせっせとこしらえて選挙のバランスを崩したり、そんな組織的なチート要素を改善するつもりが無さそうだったり…
そういうマトモじゃない要素を切り離さないと、離れていく票は戻って来ないだろ
・承認欲求満たされてないのをサブカルで満たしてそうな黒い服を着た冴えない10代の若者がたくさん来てた
でもちょいちょい酒飲んでる勢もいて顔が幼い20〜30代前半もいる感じ?ってなった
いややっぱ若い人多いわ
もしくは顔が幼い人 うぬも!
若いんじゃなくて幼いの方な
・近い印象のウェブのクソ野郎とファン層同じかなと思ってたけどウェブのクソ野郎の方がファン層の年齢が少し上、10代からアラサー+たまに40代以上?って感じだけどひがしやしきは学生さんっぽい10代〜大学生?の割合がかなり多い印象
・音圧?大きい音でビリビリするのいい〜
ビリビリが強すぎて音が大きい時机の上に置かれた物体がビリビリする現象が自分の気管〜肺にかけても起きててオモロかった ドゥンの音の時、肺がビリビリしすぎて息が吸えない・息を吐くしかできないの、文字通り「音に圧倒的」されてて気持ちええ〜 一瞬左の鼓膜が逝った
・こういう系のアーティストのファンあるある 自分のことオモロイって思って喋るオタク(時代が合ってなかったらオタクになってなかったタイプ)の話ってキッツいわ
・会場が近隣住民迷惑回避のため5分より前には集合しないでね!なんだがファンは会場の10〜15分前には周囲をワサワサ移動してて(建物の前に溜まってはないそれとなくウロウロしてる)してて「こいつも…?ひがしやしきか…?こいつもか…?」って1人人狼してた
・近くにいた女子達が「某アイドル界隈のライブに行ってみたいが怖い、なぜならファンの顔面偏差値が高そうだから(自分よりかわいいファンが多いのが怖いって意味)」と話してて「ほう、そういう価値観の世界もあるのか!」ってなったその世界観で生きてる若い女子、どういうメンタルでひがしやしき聴いとるんや…
・ひがしやしき、お顔はイメージしてた感じや
・圧倒的予習不足…!
「アルバム刊行記念ライブだしアルバムの曲+既存曲数曲くらいやろ」と思ってたら2/3弱 半分は確実にアルバム以外の曲だったから「アルバム以外の曲もちゃんと聴いとけばよかった〜」ってなったけどひがしやしきの曲は刺さるものは死ぬほど刺さるが刺さらないものは本当によくあるJPOP聴いてる時並に心が凪だからライブのためとはいえ刺さらない曲を無理して聴く必要は無いか…
己の感性でひがしやしきを楽しむ上限までは楽しめたということに…
・偉そうなこというとりますけど「委託の復讐」の数曲が「おっっっ その方向で進化なさるか!!!最高でござるよ!!!!」過ぎて新曲配信来たらSpotifyで聴く勢からライブ参加に切り替えるくらい良かった 良さに屈した
・理解らせ橋とせんせーにいのられたい〜と同人誌を買いに、ほんまに好き
歌詞も曲調?も良すぎ
この3曲はライブでも特に盛り上がってた印象(好きすぎて正確に判断出来てない可能性あるが…)
いやでも確実に一番盛り上がってたのはスピっちゃうスピっちゃうスピっちゃうスピっちゃう!のとこ いいよね…いい…
・ひがしやしきの2000年代初頭のオタクがマイノリティで迫害されてた・後ろめたいものだった時代背景の歌ほんま好き
特に「ブックカバーかけてたラノベの表紙を剥かれて笑い者〜今はもっと多くの人に〜」「同人誌〜コツコツ積み上げる幸せのトータル」のところ、己の「人生」と勝手に重ねて感動してる
・あと「ChromeIEFirefox血管みたいに繋がってる」も大好きなので歌って頂きほんまありがてえ…
ちょっと会場の空気が「知らん曲やな…」みたいな雰囲気になってたけどひがしやしき君を初めて知って好きになった曲やしワイはかなり好きやで!!!
・一部の曲で背景のアニメ切り取り映像が5,6回ループして次のアニメ切り取り動画に移り変わるの、謎の趣があったな…
・ライブでヒューとかトークに大袈裟な笑い声出す人、若い頃は「おチョケ野郎がしゃしゃりやがってよォ…」と思っていたが歳をとり「うんうん、コミュニケーションの最大公約数をやってライブを盛り上げてくれる人、いい人、やね…!」って見れるようになり成長を感じる
・ライブの後のDJさんが流してくれる曲も目茶苦茶カッコよかったやで!もうちょい長く留まってプレイリスト作りたかった
・整理券番号、150以内だったんだが
俺はライブポケットで解禁前待機+チケ販売開始直後にチケ予約したはずなのに…なのに…
・ひがしやしきとDJの人のもにょもにょした絡み、オモコロ好きなタイプの女が喜ぶやつだ!
というか隣のお姉さんがちょいちょい「え、かわいい〜」って言っていたため…
しかし辿々しくも一生懸命応答してくれる感、Good印象ですた 何だかんだ皆から好かれるタイプの人だ…
・最後の曲がヤングマガジンなのも目茶苦茶よかった 感動系でラストでもイイネ!だけどこのアーティストはこのイメージだよな!ってなった
・男も女もみんなひがしやしき君の後方彼氏解り顔してる…
・ひがしやしき、きっとこれからもっと大きい箱でやる更なる人気者になると思うので今のうちに生のライブ見れてよかった〜!
潔すぎてすき
・ギ、ギター、お出来になるんですね…!作詞とラップ専門と勝手に思い込んでました…!汗(謎のハラハラ感)ってなったけど普通に上手だったし「楽しいが幸せになればいいのにな」は心の受け身を取っていない方面から刺さった
・次は椎名林檎だぜ!
楽しみだぜ!
深夜のダラダラした文章に、思った以上の反響があり、恐縮です。キャンセルカルチャー運動に辟易していましたので、考察と言いつつ、n=1の、偏見まみれのくさすような内容になっており、申し訳ございません。
コメントを通して、西洋史観や海外勢の動きなど己の勉強不足を感じ、大変参考になりました。ほか、新たに以下の視点を得ました。
(現行法上合法とされている無断学習(?)をダメとし、無断の二次創作をヨシとする矛盾性など)
彼らの職業は、対脚本家と演者という関係からみて、クリエイターではなくプレイヤーよりかなという偏見があったため、言及していません。
そもそも、声は、創作というより身体的特徴なので、人権の一つとして適切に保護されることには、なんら議論の余地はないのでは。
自他ともに達人と認める域に達した方が、「ワシは猟師じゃ」と自称するのは、偉そうだけど実際に偉いし、じゅうぶん身の丈にあっているのでいいんじゃないでしょうか。
最近、日本の「絵師」と呼ばれる者達の界隈で、生成AIに対する反発が拡がっている。
それは年々過激さを増し、最早、「お気持ち」や「感情的な反発」ただそれのみで、法的にも倫理的にも問題のないコンテンツを焼き払うまでにいたった。
もちろん、全ての絵師がそうだとは思わないし、思いたくはない。
このような状況下では肯定的意見など出せようもないだろう。魔女狩りの憂き目にあってしまう。
さて、リーガルマインド(法的思考能力)は、法学部で法律科目をみっちり学んでやっと習得できるようなものなので、これを持たない相手に議論をふっかけても、いつの間にか例えになっていない例え話にすり替わるのがオチだ。
だから、反AIを説得したり、論破したりするつもりは、私にはない。
生成AIに過剰に反発をしているのは、「絵師」やそれをとりまく「アニメコンテンツ」(以下、「絵師界隈」という。)に限られている。
他の分野でも生成AIの進化・深化はめざましいが、変な炎上なども起こらず、粛々と最新ツールとして活用されている。
実際、私がメインで活動している音楽分野(以下、「音楽界隈」という。)でも、生成AIは、比較的自然に受け入れられている。
音楽界隈にいると、少数の作曲家(以下、「クリエイター」という。)、多数の演奏家(以下、「プレイヤー」という。)、無数の聴衆(以下、「リスナー」という。)が互いにインスパイアし合う「「創作の循環」、古から続く巨大なうねりを、あらゆる局面で感じる。
生成AIの学習云々の問題は、この循環の一要素として、肯定的に受け入れられている。
しかし、絵師界隈には、循環の要となるプレイヤーがほぼ存在しないため、「「創作の循環」を知覚しづらい。
西洋芸術は、音楽や絵画の分野を問わず、才能は神から与えられたもので、作品は神に捧げるもの、という共通認識のもと、発展してきた。
信仰が薄れてきた現代においても、なお、フェアユースの思想として残っている。
対して、日本には、そのような一神教の概念はないものの、少なくとも音楽界隈にあっては、神に奉納する神楽なる存在がある。
更に、音楽理論そのものが、西洋をルーツとするので、「与えられた「捧げる」意識を醸成する機会が多い。
一方で、日本の絵師界隈は、ガラパゴス状態で進化しているため、「自分がゼロから努力して勝ち取ったもの」「作品は自己表現」という認知になりやすいのではないか。
今、音楽を本業として、いわゆる音楽でメシをくっているクリエイターは、厳しく長い音楽不況を乗り越えた存在であるので、生成AIごときには脅かされない実力がある。
そうでないクリエイターは、純粋に趣味として作品を作って発表して楽しんでいるので、生成AIも、面白いツールが出たな、としか捉えない。
一方、イラストを本業として、それでメシをくっている絵師界隈は、クリエイターの淘汰が進んでおらず、生成AIごときに簡単に脅かされてしまう。
リアルに生活がかかっているのなら、反発も過激になってしまうだろう。
参入障壁の低さと、00年代からの需要の急速な拡大が、本来実力に見合わない人間をプロとさせてしまったのかもしれない。
さながら、チューリップ・バブルだ。
以下、それぞれ、補足。
音楽界隈では、古くからクリエイター、プレイヤー、リスナーが繋がり、互いに影響を与え合う「巨大な循環」が存在している。
例えば、クラシックのプレイヤーが過去の偉大なクリエイターの作品を演奏し続けたり、ジャズやヒップホップにおいて、サンプリングやリミックスを通じて新しい音楽を生み出すのは、既存の作品や表現を再利用する文化が根付いているからである。
「表現の蓄積に敬意を払いながら、新しい創造を探求する」というプロセスを自然に受け入れられる土壌が存在している。
これは、DTMの世界も同じで、音源やサンプルが膨大に共有され、再利用されている現状からすると、AIによる生成もただ新しい音源や手法を追加しただけという感覚が強い。
技術的な進化が日常的に行われており、特定の著名なプレイヤーの演奏をサンプリングして音源化することも一般的である。
これにより、生成AIも単なる新しいツールとして、既存の「循環」の中に自然に組み込まれている。
また、音楽界隈において、多くの場合、クリエイターはプレイヤーを兼ねており、リスナーもまた、プレイヤーを兼ねている。
音楽愛好家ならば、誰だって、一度は何かしらの楽器を触って、誰かの作った曲を演奏しようとした経験があるのではないか?
クリエイター、プレイヤー、リスナーは、多くのケースで同じ立場で、創作の循環に積極的に関与している。
AIがその中に入ることは、「革命」ではなく、単なる「進化」だ。
私自身、音楽を通じてこの循環を何度も経験してきたため、AIを恐れることなく、むしろ新しい創作の可能性として受け入れている。
音楽分野では、クリエイター、プレイヤー、リスナーが互いに影響を与え合い、生成AIもその延長線上にあるのだ。
一方で、音楽界隈における「プレイヤー」に相当する役割が、絵師界隈には存在しないか、または極めて少ない。
クリエイターとリスナーの立場を結びつけ、要として機能する「プレイヤー」という存在が希薄であるために、絵師界隈では「創作の循環」を感じる機会が乏しい。
その結果、生成AIは「自分の領域を侵害する存在」として映ることが多い。
絵師界隈において、絵師は、自分の作品について、「自分がゼロから作り上げたものであり、完全な自己表現の成果」として捉える傾向が強く、他人の作品に手を加えたり、既存の表現を再利用することに対しては、現行法上問題がなくとも、極めて強い抵抗を感じやすい。
絵画や音楽を問わず、西洋における芸術の歴史を振り返ると、才能は「神から与えられたもの」として見られており、芸術家はその才能を用いて作品を神に捧げるものだった。
パトロンは、神のために芸術家を支援して、芸術家は神のために技術の研鑽を重ねた。
結果として、優れた作品がたくさん残り、ありがたくも現代にまで継承されてきた。
芸術史への脱線は避けたいので、軽く触れるにとどめるが、少なくとも、西洋の芸術、特に歴史的な音楽や絵画の中では、才能は「神からの贈り物」として見られてきたため、それを使って作品を作ることは神聖な使命の一部であった。
元来、芸術作品やそれを生み出す才能は、個人の所有物ではなく、社会や神に捧げるものとされてきた。
この背景が、西洋でフェアユースの概念が広く受け入れられている一因のように思う。
才能や作品は神のものとして共有されるものというコンテクストのもと、生成AIによる「学習」や「再利用」も一部では容認されやすいのだろう。
任天堂とパルワールドの訴訟問題における、日本と欧米の反応の顕著な違いに、この当たりの感覚の違いが明確に出ているように感じる。
この点、日本の絵師界隈にとって、才能は「自分の努力によって勝ち取ったもの」であり、作品は完全に自分の所有物という感覚が強いのでは。
その態度を傲慢とみるか、当然の権利とみるかはさておき、だからこそ、生成AIが個人の努力や創造性を「奪うもの」として見られやすく、反発が生まれやすいと考えられる。
このまま日本の絵師界隈の生成AIに対する過剰な反発、炎上騒動が続くと、日本では、生成AIはアンタッチャブルとなり、なんらの議論も進歩も遂げなくなるだろう。
最終的に、生成AI技術は、外国の「GAFA」などの巨大企業によって独占され、資本主義の論理に飲み込まれる可能性が高いと感じる。
外国の大企業が規約や契約に巧妙に生成AI技術云々を盛り込み、最終的には技術やデータを独占し、クリエイターがそれに従わざるを得なくなる未来。
絵師界隈の過激な活動により、日本企業にとって生成AI技術そのものはアンタッチャブルとなったので、日本企業は呆然と、日本人の優れた才能が外国資本に奪われていくのを眺めるしかできない。
もちろん、これは資本主義の一環であり、技術の進化の中で繰り返されてきた「ひとつの循環」として受け入れるしかないのかもしれない。
私自身はそのような未来を諦観し、これもまた創作における流れの一部だと考えている。
技術は常に進化し、その中でクリエイティブな表現の方法もまた変わっていくものだ。
しかし、絵師界隈は、そういう未来をどう考えているのだろうか?
AIは決してクリエイターの創造性を奪うものではなく、創作の循環、巨大なうねりの一部として受け入れられるべき可能性を秘めている。
これからのクリエイティブな世界で、AIと共に新しい表現の形を探求していきたいので、絵師界隈には邪魔しないでいただきたい。
「生成AIを使っているヤツを、絵師を呼ぶな」問題にも触れておきたい。
望む絵を出力することは、絵師界隈の人が想像しているような、そう簡単な技術ではない。
命令文の模索や、好みのモデルの階層マージ云々、どれをとっても、相当な知識が必要だ。
現に、クラウドワークスでは既に、「生成AIでイラストを出力してほしい」旨の依頼がわんさかある。
「Novel AI」や「Dall-E 3」、「Grok-2」など、企業が最適化して、提供している出力サービスを使っている者は、今のところ「消費者」かな。
企業が最適化したサービスを使ってキャッキャしているだけの人は、ごく普通の・・・・・・一般の消費者、それ以上でも以下でもないのでは。
消費者がイラスト生成AIの恩恵にあずかれるようになっただけ。
「絵師」という言葉は、2000年代の2チャンネルの「同人板」で、敬称として、使われ始めたと記憶している。
「表紙を絵師に書いてもらって~」とか、「好みの絵師が~」とか。
敬称なので、自分で自分のことを「絵師」と名乗る者は、当時はいなかった。
ニコニコ動画が出てきて、ネットが低年齢化して、「動画師」や「MIX師」という、変な亜種が登場したあたりからだろうか。