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はてなキーワード: 本屋とは

2018-10-18

anond:20181018120733

さっきあった「女がどんぶり食うのダメ」とか「うまい!」もダメとか言い張る男がいたが

そういう奴に限って、ラノベエロ表紙を本屋中心よりは少しずらして~って言うと

ダメだ!!」って言うんだよな。

絵にかいたようなストローマンワロタ

別々の論点で別々の話をしてる別々の奴を悪魔合体してまで男たたきとは....

人の行動を制限するなというやつは、他人制限している

自分は良いのだ。お前らはダメだ。

そういう考えの奴が居る。

さっきあった「女がどんぶり食うのダメ」とか「うまい!」もダメとか言い張る男がいたが

そういう奴に限って、ラノベエロ表紙を本屋中心よりは少しずらして~って言うと

ダメだ!!」って言うんだよな。

面白いなぁ人間って。超自分勝手だ。

2018-10-17

小説電子書籍

普段小説はあまり読まないが、週末までにどうしても読みたい本があった。

電子書籍を漁る。

どこにもない。

割と有名な海外小説映画化もされている。

なのにない。

在宅仕事だし忙しいから外出は極力控えたいし本屋駅前まで行かないとないし

そもそも更紙の本を買うことに抵抗がある派。

狭い家に荷物を増やしたくない。

それなのに、電子書籍が出ていない。

困った。

今どきなんで電子化してないのか・・・

出版社小説だろうが漫画だろうか電子書籍の発行を義務にしてほしい。

久々に文字の方の本を読む機会があったのに逃しそうだ。

出版社は本の中身を読んでほしいんじゃないの?

anond:20180218080005

普通にすぐに目につくところにあの手の雑誌をおいておくのは社会的によくない。

子供のためとか関係ない。

欧米だとエロ雑誌普通本屋には置いてなくて、アダルトショップしかない。

こんな堂々と裸の女が載った雑誌が売られている国は異常。さすがは、セクハラ大国ニッポン

別にエロ雑誌自体存在否定しないけど、それを見たいと思ってない人の目に入るような場所に置く自由はないと思う。

本物の天才と凡人でしかない私

ここから先に書くのは凡人から見た天才の話であり、天才を妬む凡人の醜い嫉妬けが書き連ねてあるだけなんです。だから気分を悪くする人は見ないでください。

知り合いに本当の天才がいて、本物の天才で、私はそれを見てるだけの凡人でしかなかったという話です。

もう誰にも聞かせることなんてできなくて一生涯胸にしまっていようと思うほどに汚くて醜い嫉妬の話。

ただ、私にとって原点とも言える大切なもので、記事に残したいと思ったから書かせてもらいます

軽くフェイクあり。

文体特に考えずに乱雑なままなので、見にくいとは思います

それでもお付き合いいただければ幸いです。

携帯から書いてるので字下げとか無しのがばがばです。よみづれーな!と思ったら読むのをやめて、他の面白いものを読んでください。

天才を妬み、嫉むだけの凡人の記録です。

大学時代の知り合いに天才がいた。

私も文字を書く人間なのだが、その人間文字を書く人だった。当時所属していたサークル文字を書く人間というのは珍しく、私と彼女意気投合。仲良くなった。

不思議雰囲気少女だった。

人懐っこいような、それでいて人付き合いに慣れていないような女の子だった。私は、彼女が大好きになった。

彼女も私を好きでいてくれているんだと思う。

彼女の口癖は、「私は天才から」というものだった。正直な話、自他共に認める天才というやつだった。

なんというか、世間一般想像する天才、という感じの子で、それ以外は何をしてもドジなところがあったりするのに、文章を書くことにおいて彼女の右に出るものはいなかった。

小説家になりたいとあの子は言っていた。私も小説家になりたくて諦めた人間だったからこそ、彼女のことを応援したいと思っていた。

私という凡人から見る彼女という天才はまさしく神様だった。

神様天使という存在によほど近かったし、私は彼女のことを神格化していたのだと思う。

それが間違いだった。

そもそもの話なのだが、私はあまり両親に歓迎されていない。

世間一般では虐待されているのだと思う。割とそれに気づくのが遅くて、その状況を甘んじて受け入れてはいるのだが。

常日頃から、呼吸するだけで呼吸がうるさいと言われ、醜い、臭いなんていうのは勿論、何をしても「お前には何もできない」「お前がやることは全て無駄だ」「言われたことだけやればいい」と言われ続けてきた。

唯一まともに出来ると自負していたのが小説を書くことだけだったのだ。

私は、両親への憎悪を込めて、幸せになりたい一心で書いていた。

認めてくれない周囲への憎悪や、どうしようもない「絵を描くことが出来ない」というコンプレックス(私は本当に絵を描くのが苦手で、当時二次創作活動していた私にとってそれは酷いコンプレックスになっていた)、そんなものを筆に乗せて私は一心不乱に憎悪文章を書いていた。

そんな私のことを認めてくれたのは天才彼女と、その周囲の文字を読むことが好きな人間だった。

今思えばその時が一番幸せだったのかもしれない。

私はそのコミュニティの中で、尊敬する彼女に認められ、彼女の周囲の人間にも認められ、初めて文章を書くという行為肯定された。

私は確かにそのときしかった。

天才彼女と会話することも、何もかもが楽しくて仕方なかった。

小説の話をすることも好きだったし、前向きに小説家を、もう一度目指してみようと思えたこともあって、色々なことを頑張っていた。

そんなある日、サークル主の交代の時期がやってきました。

ほとんど上下関係はないサークルだったのだが、一応、代表者みたいなのが存在していたので、そういうのの交代の時期だったんです。

サークル活動自体には私は熱心ではありませんでした。なんとなく所属して、なんとなく戯れるのが好きだったし、代表者なんて役回りも似合わないので私は普通に過ごしていました。

それでも、その日、ふと。

共通の知り合いから、天才彼女サークル代表者になるという話を聞いた。

私は、喜んだんです。

彼女はそういうのは苦手だと思うけど、それでも彼女に相応しいと思ったし、そういうことを頑張れる子だと思ってた。

から、そのまま彼女のところに言って。でも、私は私が彼女親友だと思ってたから、別の人から聞いたのがちょっとしかったんです。ちょっとじゃない。すごく悔しかった。すごく悔しかった!

からわざと、「次の代表者って誰になるんだろうね」って聞いて見たんです。ただの出来心だった。彼女が教えてくれると信じ込んでた。

嘘をつくのが、すごく下手な可愛い人は、「えっ!?し、知らない。全然教えられてないから〜!」って答えたんですよ。

そんなことあるわけないんだ。だって、私が聞いた「共通の知り合い」というのは、現在サークル代表者だった人なんだから

私は彼から、「次は天才彼女代表者になる。もう了承も取ったんだよ」という話を聞いたんです。

私の大好きな人が私に嘘をついたとき、感じたのは大きな絶望と圧倒的な失望しかなかった。

そこで気付いた、初めて知ったことがあった。それは、"天才彼女人間しかなかった。下手な嘘をつく、哀れな人間だ"という当たり前の事実だ。

それ以来私は、彼女接触することがなくなりました。本当に現金な話なんだけど、そうする必要を全く感じなくなったからだ。

私にとって天才のあの子が、凡人のあの子になった瞬間だった。

当時私は親から圧力に耐えられなくなっていた。就職の話や卒論別に入りたくもなかった大学押し付けられた学部での勉強に飽き飽きして、両親のいうことは全て「私たちが楽をするために働け」というものだと気付いてしまたからだ。

夜中に両親の寝室に包丁を持って入って、真冬最中眠る両親の枕元で正座して三時間過ごしたとき限界が来てることを知った。

まだ話が出来る父親に全てを正直に話した。その頃の私は完全に精神を病んでおり、外に出れば永遠と私を詰る声が聞こえるなんて状況だった。

大学を休学し、私はしばらくの間、彼女からも何からも離れた。

私にとって彼女天才だったのだ。

だが、その当時の彼女は全く芽が出ていなかった。

天才彼女は、家庭にも恵まれていたように見える。小説を書くことを認められていて、私と違い自信に満ちていた。

きっと、両親にも愛されていたのだと思う。

そんな彼女でも小説家の芽が出なくて、だからこんなに認められていない私が芽が出るわけがないと安堵していた。

大学を休学して1年が経った頃、風の噂で、天才彼女小説家としてデビューしたことを知った。大きな出版社だった。私でも知ってるような場所だ。

そのとき、全てががらがらと音をたてて崩れていく感じを味わったのだ。

まれ彼女は、その才能を十全に発揮し、そして、天才であることを世に知らしめた。

完全に私は折れてしまった。

私は彼女ほど恵まれていてもデビューできない"小説家"というものを、狭き門だと思っていたのだ。だから、何にも祝福されぬ私は通れなくて当然だと。

どこかで夢に向かって愚直に進む彼女を嘲る気持ちもあったのだと思う。

妬み、嫉み、嘲笑。そんな彼女に向けていた感情は全てがぽっきりと折れて、後に残ったのはどうしようもなく渦巻く嫉妬だけだった。

その嫉妬原動力にして、私は何度も物を書いた。

小説ではないものになったが、それでもそれは、世の中で一定評価されたのだと思う。

私は、出版された彼女小説を読むことはなかった。

憎悪に満ちた筆を止めることはなく、嫉妬怨恨の詰まった筆を進め、世界を愚弄して、そしてハッピーエンドを踏みにじることで精一杯になっていた。

そうでもしなければ。

私は、筆を折ってしまうと思った。私の見下した彼女が、天才彼女が、私を否定すると思って読めなかったのだ。

大学は、もうやめてしまっていた。価値がなかったからだ。私にとって、"彼女"という存在を無くした場所は、本当にひたすらに何の意味もなかった。

そんなある日、共通の知り合いから連絡が来た。

彼女の本が出版されてから1,2年経った頃合いだったと思う。

久しぶりに飲まないか、という連絡だった。天才彼女もいるという話で、私は当時の憎悪彼女を殺してしまわないか心配になったが、それよりも彼女がどうなったかが気になって仕方なくて会うことにしたのだ。

当日、待ち合わせ場所で待つ私に彼女が声をかけた。抱きついて来た。久しぶりだと笑った。

彼女は、何も変わっていなかった。

何もかも昔と同じで、ああ、と心の霧が晴れた気分だった。

あの時嘘をついたのは何か理由があったのかもしれない、と思えたのだ。天才であることを世に知らしめた彼女は、それでも変わらずに私という凡才に声をかけて、笑ってくれた。

そんな彼女が愛しかった。

彼女は、少しだけ、記憶にあるよりも疲れた顔をしていた。

から私は彼女が好きになったのだと思い出した。嘘をついたかもしれないが、彼女は、私という凡才を、愛してくれていたのだ。

しかった。そんな彼女が、大好きだった。私を見下さな彼女が好きで好きで仕方なかったのだ。

から私は、あの子の本を読む決意を固めた。読まないと、失礼だと思ったのだ。

天才である彼女が書いたものから、私は読みたかった。本当はずっと読みたかったんだと思って、何件も何件も本屋を駆け回った。しかし、田舎なせいか何件回っても無くて、読みたくて気が狂いそうになったときやっと見つけた。

冗談じゃ無く、手が震えた。

その本を手に取り私は、一気に読み終えた。そして、涙した。

登場人物の瑞々しい感情

豊かな状況描写

独特な心理表現

飽きさせない展開。

そして、ハッピーエンド

本当に、天才所業だった。嘘じゃない。この本を読むために私はこの世に生まれて来たのだと錯覚するほどに良い本だった。彼女に長文の感想をしたため、私は本当に、本当に、幸せな気分になったのだ。

今までの自分の恨みが全て浄化されるような気がした。私は、許されてもいい、と思った。

その小説の中で、天才彼女は、創作をすることの喜びを語っていた。創作をするときに悲しんではいけないと語っていた。

それは胸に響き、今までの怨恨原材料として書いて来た私に、幸せ気持ちで書いていいと許しをくれた気分になった。

早速私は、筆を取って。

そこで、絶望した。

先ほどまで許しだったものは明確な否定として私に牙を剥いたのだ。

私は、怨恨絶望嫉妬と、そんな汚い感情原材料にしてしか物を書けない人間だった。天才彼女のように、幸せで美しく綺麗な気持ちものを描くことなど出来なかった。

汚い感情原材料にして描くという、私に唯一ゆるされたことを、私に無邪気で無垢笑顔を向けた彼女が一番に紙面で否定したのだ。私の大好きだった文章否定したのだ。

ただの思い込みだとわかっている。

彼女はそんな気分で書いたのではないと知っている。それでも私は、それに気づいてしまった。

凡人と天才の間にある圧倒的なものに気付き、狂うほどに嫉妬した。

私にないものを持っている彼女があまりにもどうしようもなく遠い存在であるとそこで初めて認識したのだ。

今でも彼女の本は手元にある。

枕元において、ページがへろへろになるまで読み返した。

どんなになっても読み返した。何度も同じシーンで泣いてしまう。

それでも私は、勝手彼女を許すことが出来なかった。勝手彼女に対して憎悪の念を抱いた。

こんな素晴らしいものを世に生み出した人間を憎むことしかできないのだ。こんなに、素晴らしいのに。

私はその素晴らしさと尊さを正しく理解している。それでも尚、私は許すことが出来ない。

天才彼女を、心底憎悪している。

私という凡人を踏みにじった天才に対して、圧倒的な憎悪を振りかざしている。

私はこれからも、そういった憎悪嫉妬と、そんな汚い感情を持ってハッピーエンドを踏みにじって行くのだろう。それは、天才彼女に私が出来る唯一の復讐なのだ

かにわかるものでも、理解されるものでもないとわかっている。

彼女が悪いわけではないことも理解している。だからこそ、私は彼女に対しては今でもにこにこと、本当に彼女が大好きだと言い続けられる。これは本心だ。本心から私は彼女を愛している。

それでも私は、彼女無意識に踏みにじった私のために復讐を続ける。彼女という天才憎悪し続けるし、嫉妬しない日はないのだろう。

天才彼女ハッピーエンドを、素晴らしく描き続けるのであれば、私はそのハッピーエンドを何度も何度も何度でも踏みにじりたい。

わかりきっているのだ。

天才彼女が、何も思わないことなど知っている。そして、これを残す意味は、どこかで私のこの歪みきった感情に気付いて、認めて、謝ってほしいということなのだということにも。

私は彼女に認められたいだけなのだ

それでも、もし万が一これが彼女の目に入ったとしても、私は知らないふりをし続けるのだと思う。

凡才の私などを天才彼女が視界に入れてはいけないのだから

長々と読んでいただいたが、これらは全て私の妄想だ。私の大学時代に"天才彼女"というもの存在しない。存在しない。

からこそ、私は素面でこれを書けているのだから

よく書けてると思ったら、どこかで笑ってあげてください。一瞬でも本当のことだと思って騙されたのだとしたら、失笑してください。

私という凡人に騙されたのだと、少しだけ腹を抱えて笑ってくれたら幸いです。

私は今でも、憎悪に満ちたペンを握っているけど、きっとそれを架空の誰かのせいにしたくて、これを書いたのだと思います。だから全てフィクションなんです。本当だよ。

2018-10-16

手帳ノート人生変わる人っているの?

秋が来て新しい手帳本屋文房具屋に並ぶ季節になるといつも気になる手帳コーナー。私はこの手の文具類やノートなどを見るのは大好きだが、あまり活用するのは得意でないので、必要最小限のマンスリータイプ手帳を買うようにしている。

で、気になるのがその時期に本屋店頭にならぶビジネス雑誌手帳特集普通に予定書くのに使えばいいじゃんと思うんだけど、何かと手をこらして「手帳の達人」なる人々がいろいろな活用方法提案してくるので、それで本当に人生変わるのかと疑問に思う。

基本的自分だったら仕事の予定は〆切や打ち合わせ・会議の予定を書くぐらいで、プライベートなら病院の予約とかその他飲み会の予定とかぐらしかネタがない。まぁ手帳活用することに意義があるんじゃなくて、忘れてはいけないことを代わりに覚えておいていてもらうものから自分の予定が頭に入っている人はいらないんじゃないかと思う。

が、手帳の達人たちは違うんだよね。「仕事をやるのにかかる時間計算して書いておき、ちゃん作業時間を確保する」ぐらいはいいけど、自分のやりたいことを書いて実現したら消していくみたいな提案をされると、「それってそんなに簡単に実現するもんなの?」と思ってしまう。人によっては「○○したい」じゃなくて実現したことにして「○○になりました」と現在完了形で書けとかいうのすらある。それほど具体的な夢ってあまりないし、仮にあったとしても、わざわざ手帳に書いて、職場の人とかに見られたら恥ずかしいように思うんだけどどうなんだろう?

どっちかというと毎日一行日記みたいなのを書いて、後から見返したときに「あのときあいうことをしてたんだなぁ」と思い出したりする方が面白いんじゃないかと思う。私はその手のことが長続きしないタイプなので3年日記とか5年日記とか買わないけど、せいぜい1~3行ぐらいでその日の出来事を簡単にまとめて残しておけたら案外いろいろなことが思い出せていいんじゃないかと思う。

それなので「ほぼ日手帳」みたいに1日分が1ページみたいな代物は理解不能である。まめな人は日記みたいなものとか、そのとき思ったこととかいろいろ書いておくのかも知れないけど、私にはそこまで手帳時間をかけるということが理解できない。どっちかというと1ヶ月分の予定が一目で見られるシンプルものが好きだ。

毎日まめに手帳を書いて、それで人生変わる人っているんだろうか?本当にいるならお目にかかってみたい。

「まほきゃすと」の絵柄が大人気の世界線に紛れ込んだとして

テレビ付けても本屋行っても観光地行ってもあの絵柄が目に入る

それでも俺は規制しろゾーニングしろとは言わないよ表現の自由戦士の誇りにかけて

必死に元の世界線に戻ろうとするだろうけど

どうしても戻れないなら自分で好みの萌キャラ書いて同じ趣味の同志と繋がるわ

たまには「あの流行りの絵柄気持ち悪いよな」と愚痴を言い合うかもしれないけど鍵付きでやるわ絶対炎上するし

そもそも他人の好みをわざわざ見えるところで批判して不愉快にさせてバトらなくてもいいだろう

「まほきゃすと」だらけの過酷世界ならなおさら自分の「好き」を創造することに注力したい

汚くて気持ち悪い女の子の絵

https://anond.hatelabo.jp/20181014131255

kowyoshi この増田は一度、「まほきゃすと」でぐぐれ

2018-10-15

anond:20181015181845

DLsiteで見るなら有りだけど本屋で見たらきついわあって感じだ。

どこの場所(目的)での絵として好きか嫌いかって見方をしてるから切り離せない…

【9】2018秋、ベトナムホーチミン

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anond:20181015000834





予言


ホテルの日々が素晴らしいものだったとは言え、そのまま10時間まりラウンジでぼうっとするのも退屈だ。

昨日訪れたH.I.Sのホーチミン支店にまた行って、素っ気ない日本人スタッフに勧められたお土産バインミーラスクを買おう。

ホテルを出て地図確認すると、残り少ない旅のタスク、チェーを食べられる店がすぐ近くだった。

そうだ、行けるなら行っておこう。

店のあるベンタイン市場を再び訪れた。


広大で複雑なベンタイン市場で、目当ての店を見つけられず、別のお店のお姉さんにスマホを見せて尋ねると、すぐ背後を指さされた。

あ、これか

店のおばさんにメニューを手渡され、指差し注文すると、おじさんに手招きされて、プラスチックの赤いベンチを指さされた。

座ってまてという事らしい。

いい歳をして、疲れて来ると頬に掌をあてて首を傾げる癖があるのだが、おじさんはそれを観てマネして笑った。

こっちも笑う。

程なくカラフルなチェーが運ばれてきた。

その場で食べる場所はあったのだが、歩いて食べたかった。

チェーを片手に、ホテル正面の公園に戻る。

スプーンですくうと、ココナツミルクの中からグミの様に色取り取りな正体の分からないものが出てきた。

一口すると、色彩のドリーミングさに反して甘さは上品だった。

やはり、ホーチミン美食の街だ。


大した苦労もなく辿り着いたH.I.Sのラウンジ一休みしながらこの旅行記を書いていると、ベトナム人スタッフ若い日本人スタッフが近づいて、なにやらレクチャーを始めた。

「すいません」の使い所に関する話らしい。

かに日本人象徴する様でいて、いろんな場面でそれぞれ違う運用をされるよく分からないフレーズだ。

結構長い間話は続いたが、ベトナム人スタッフはしっかり腹落ちしてない様だった。


まあまあ一息つけたし、旅行記を書いていると時間も過ぎて行ったので、バインミーラスクと、追加で缶入りクッキーを買ってホテルに戻る事にした。

途中、昨日スマホしか撮れなかった中央郵便局サイゴン大教会 with マリア様カメラで撮る。

ホテルへの道すがら、ホーチミンでもう一つの近代商業ビルビンコムセンターを覗いてみる。

テナントのH & M のシャツは429,000ドン

日見サイゴンセンターシャツよりはお安いが、ホーチミンにおいてはファストファッションの値段ではない。

そう言えば、平日の昼だというのに、地べたに座った若者が辺りにはいて、一度は声をかけられた。

新卒一括採用などきっとないベトナムだ。

若者失業率は高いのかも知れなかった。


本屋を物色したのち、もう少し気になる建物もあったが、海外一人旅で軽々しく予定を変えないというのは鉄則だ。

16:00頃に戻るという約束通りホテルに向かう事にした。

失業率はともかく、異国のユースカルチャーは気になる。

ファミリーマートで運よく見つけた雑誌を買い、ホテルに戻った。


約束通りホテルに戻った後、朝に教えられた2Fのラウンジに向かう。

一瞬止められるかと思ったが、そんな事はなかった。

ただ、2Fに行ってもラウンジはない。

あるのは、スパジム、そしてプール

そう言えばスパが利用できるという様なことを言われたが、荷物をどうしようとか、湯冷めしそうとか思って、プールサイドに行くことにした。


プールサイドバーでは、お兄さんとお姉さんが笑顔で迎えてくれる。

バーカウンター前のテーブルに陣取り、マンゴー香りづけされたグリーンティを頼んだ。

フレーバーについてお兄さんが念押ししたのは、自分日本人だと分かったからかも知れない。

問題ない。

そういうのが良かったから。

プールでは5歳ほどの少女が遊んでいる。

とうとう雨には当たらなかったな。

これは勝ったのか負けたのか。


勝敗は意外な事にすぐ明らかになった。

ファミマで買ってきた雑誌を眺めていると、プールの水面に幾つもの同心円が広がる。

すぐに雨足が強くなり始めた。

What a thing!

なんて事だ!

ベトナムの事など大して知らなかった時からあった、あのビジョンそのままに、俺は今、お茶を飲みながら雨の水面を観ている!

完璧だ。

でも全然呆然とはしていない。

レインシートの下で雨に濡れてはいないのに、目が濡れてきた。

こっちの勝手な感動をよそに、雨足はますます強くなり、スコール様相を呈してきて、これは言い訳できないくらい完全な夕立だ。

夕立もきっと来るだろう」

予言はまたしても実現する事になった。

激しい雨にお兄さんはもっと奥の席を案内する。

移動しながら大声で笑った。

もう予言の書を確かめしかない。

スマホMV再生するとやはり涙が溢れて来る。

海辺の砂浜に一人寝転がる4,000年に一度の美少女は、イントロでビーチパラソルの下から立ち上がる。

場面が変わって様々な仲間が次々に現れ、共に歌い、踊る。

画面の中ではやがて曲も終盤に差し掛かり、片や画面の外では雨足が弱くなり始める。

画面に目を戻すと、アウトロで、長い黒髪予言者はまた独り、青空の下、晴れやかな表情でフレームの外に駆け出して行った。

完敗だ。


【10】2018秋、ベトナム、ホーチミン Day 4-5|ありのまま、恋と愛、バインミー へ >>

「ちゃお」を読まなくなった日

誰に語る機会もなく、ずっと一生心に残っているであろう出来事を消化するために、この「はてな匿名ダイアリー」を使ってみようと思う。

私は物心ついた頃から「ちゃお」を読んでいた。毎回あの分厚い雑誌地元本屋さんに買いに行くのが楽しみだった。

そんな毎日の楽しみなんてものは、他人の影響でいとも簡単に無くなってしまう事を思い出しながら書いていこうと思う。

小学5年生の私の家庭環境は、少し特殊だった。

母は近くのアパートに別居したばかりで、夕飯を作りに夕方から夜にかけてだけ母がやって来る。

その間父は何しているのだろう、とその頃は思ってもいなかったけど、仕事が早く終わった時は色んなところで時間を潰して待っていたらしい。

父や周りからは、「母はおかしくなった」「精神的な病になった」と聞かされていても信じられなかった。

だって、夜にご飯を作りに来る母はおかしいところが見当たらなかったから。

最初は母が一緒に住まなくなった事に混乱していた日々も、段々と慣れてきた頃、突然の訪問者が現れた。

ある日、母から一通のメールが送られて来る。

「会わせたい人がいるから、今日の夕飯に連れて来るね。」

会わせたい人、その文字を見て、もう小学5年生の私は「もしかして恋人だろうか」と自然に思い浮かぶ

それとも友人だろうか…。

その日発売のちゃおが入った袋を持ちながら、母の言う「会って欲しい人」を思い浮かべながら帰路についた。

家に着いて、地下から見える明かりをちらりと見る。

この頃、中学生の兄は不登校で、地下の部屋にこもりきりだった。

特に会話は無かったけれど、お互い家庭環境不安がある中過ごしている同士だから、何か通じ合うものだけは感じていた。

きっと兄にも、母からメールは届いてるはず。兄はどう思っているのだろう、そう思いながら母が来るのをじっと待っていた。

ガチャガチャ、と玄関が鳴った時、今までで一番くらい心臓が飛び跳ねた。

階段を駆け下りて母と訪問者を迎える。

見た瞬間、予想の1つも当たらなかった訪問者だった。

年齢は20代くらいの女性で、髪は短くボーイッシュなだらしない格好、金髪に近い明るい髪でピアスをいくつか付けている。

母との共通点が何1つ見つからなかったから、どこで会った友達なのか想像もつかなかった。

挨拶もそこそこに怠そうに椅子に座るその人を、ただ凝視するしか無かった。

母も「友人」としか説明しないものから、謎が深まる。

そもそも子供に紹介したいほどの「友人」とは思えなかった。

キッチン鍋料理を用意する母の物音を聴きながら、食卓でその人と2人。この時なんの会話をしたかは、何も覚えていない。

お鍋の用意が出来、兄も部屋から食卓へとやって来た。

そして、母、謎の母の友人、私、兄の食事が始まる。

訪問者にお茶を用意しようとすると、「あ、いい。」と一言で断られる。

そして、持参した2Lペットボトルお茶をおもむろに出し、そのままラッパ飲みし始めた。

軽いカルチャーショックを受けながら固まっていると、母が口を開く。

「いつもこういう人なの。お茶はラッパ飲みで…。」

いつも、ということは頻繁に会っている人なんだ。と引っかかる。

明らかに主導権は、その年下の「友人」のようで、全てを母が許して甘やかしている構図。

その食事最中だけで嫌というほど分かった。

こちない気持ち中食事を終えると、そそくさと自分の部屋へと逃げ込むように入りに行った。

そう、今日発売日の「ちゃお」をまだ読んでいない。早く読みたい一心で部屋へ向かう。

すると、後ろから訪問者が付いてきた。部屋に来ていいよ、とも付いて来ていいよ、とも言っていないのに。

さすがに、初対面の人に「付いてこないで」と言える強い心は持っておらず、付いて来るその人を渋々受け入れた。

部屋について、早速本屋の袋からちゃおを出し、読み始める。

この際、訪問者が居ても関係ない。

その時だった。

「わあ、まだそんなの読んでるんだ。」

予想もしていなかった打撃が自分へと向かって来る。

訪問者がニヤニヤとしながら、悪びれもなく言葉を続ける。

「オレこういう雑誌苦手だったわ〜。」

今だったら、心が強くなった今だったら、「お前の事なんて知らねえよ」とか「うるせえよ」とでも言い返せたはずなのに。

小学5年生の私には、10歳以上年上の大人であるはずの女性に、母の自称「友人」にそんな事を言われる衝撃が強かった。

その時は、「そうですかね」とか何とか、当たり障りのない返事をしたんだと思う。よく覚えていない。

その後、母と訪問者は一緒に帰っていった。2人とも母のアパートへ行くのか、別々に帰るのか分からないけど。

未だに共通点も、2人が一緒にいる意味も分からないまま、帰っていった。

2人が帰った後、無心で雑誌を紐で縛っていた。今まで集めた「ちゃお」を全部捨てるために、縛っていた。

その訪問者に言われたことがショックで、未だに読んでいることの恥ずかしさで捨てているのか。

なにかが自分の中で壊れたのか、理由は分からなかった。

ただただ、体が勝手に動いていた。

その最中メールの着信音が鳴った。母からメールだ。

今日、どうだった?』

どうだった?だって

母はうまくいったとでも思っているのだろうか。

人の家に招かれている態度とは思えなかったし、私の部屋であった事も知らないくせに。

沢山言いたい事を我慢して、ただ一言

『あの人嫌い』

と返事をした。

ああ、母はきっと兄にも同じメールを送っているだろう。心が優しい兄はどんな返事をしたのかな。10年以上経った今もそれを知ることはない。

「ちゃお」を全部縛り終わった頃、母から返事が来た。

『何かあった?別にあの人は恋人とかでもないし、友人だよ。』とか、聞いてもいない事をペラペラと書いている。

恋人であろうと、友人であろうと、どちらであろうと論外な事を何故母は気づかないんだろう。

私は、母からのその弁解メールには返事をしなかった。

後日、母から『この前の人とはもう、会わなくなったよ』と報告メールが来た。

心底どうでもよかった。

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10年以上前のことを吐き出してスッキリしました。

後に、その訪問者はヒモのオナベ(言い方が古い)で、母が経済的支援してたことが分かりました。

しか自分の金じゃなく父のカードで。

オナベとお鍋を囲んでいたのか!と今は謎の感動を覚えています

しばらくイキッた女性同性愛トラウマになって、偏見がすごかったのですが、今は無くなりました。

精神病になってしまった母に振り回される父、可哀想と思っていましたが、父も父で隠し子を作っていました。ウケ倒すわ。

そんな、誰にも話せない話でした。

絵本読み聞かせと称する作者トークショーがひどかった

子どもと立ち寄った書店絵本読み聞かせイベントの準備が進んでいた。

テーブルにはどこの本屋でもよくみかける人気の絵本が置いてある。

作者本人が登場して読んでくれるという。

始まるまであと20分ほどと待てる時間

タイミングのいいところで来たな、ラッキーくらいに思って席を取った。

図書館や他の本屋で催される読み聞かせは、子どもたちの前で絵本を広げて読み手の肉声で行われるが今回のイベントは趣が違った。

スライドマイクが用意されていて、絵本の絵はパワポ流れる

しゃべくる作者の声がスピーカー本屋の隅々まで届いた。

目の前で聞くにはうるさいくらいのボリュームだった。

読み聞かせをするとアナウンスしていたのに、最初の出し物は昔話を90年代ポップス風で歌う謎のカラオケ

作者は「一番盛り上がってくれた人にはご褒美あるから」と

「フアッ・フアッ・フーーホゥ!!」なる酒の席みたいな合いの手を観客に要望してくる。

で結局、最前列で一番頑張って合わせてた男の子無視してご褒美は立ち見の若いお母さんへ。

席へ戻りしな男の子にもシール一枚渡してたけど、はいはい頑張ったねみたいな、犬に餌やるようなついで感。

「今のお父さんお母さんは昔話をあまり知らないか世代の曲に載せて覚えやすしました(笑)」って

はなさか爺さんや桃太郎も知らないでしょって馬鹿にしてんのかと。知らなかったのお前なんだろと。

アムロちゃんの曲を作曲したこともある知り合いに作ってもらいました」か知らんけど子供と一緒に歌えないからいらないよ。

肝心の絵本だってちゃんと読まない。

ページごとの製作意図をいちいち説明してくる。

一見楽しそうに作者がしゃべっているから聞いてるほうも楽しい話をしてもらっている気になってくるけど

そもそも私がここにいるのは子どもにおはなしを聞かせてあげたかたからだ。

おじさんのトークショーだったら開始前から待ったりはしなかった。

普通読み聞かせはまだ始まらないのか。

早々に辟易していたが、作者一番人気の絵本がまだ登場していないのでそこまで待とうと思った。失敗だった。

その本をスライドに映した作者は「子どもウンコが好きなんです」と述べると

力強く「ウンコー!」と叫んで子どもたちにマイクを向けた。

子どもたちも元気いっぱいに「「ウンコー!」」のレスポンスを返した。

ウンコー!」「「ウンコー!」」

ウンコー!」「「ウンコー!」」

ウンコー!」「「ウンコー!」」

ウンコー!」「「ウンコー!」」

最低だ。

うちの子は固まっていたのが、まだ私にとって幸いだ。

ステージのすぐそばにはブックカフェ

イベント関係ないお客さんが静かに本を選んでいるど真ん中で。

何を言わせてるんだ子どもに。

フィリピンだかで現地の子どもに卑猥言葉を言わせて遊んだバカッターのことを思い出した。

子どもの素直さをおもちゃにされていると思った。

一緒にいた旦那トークショー全体の感想として面白かったと言っていたし

ノリで言ったらみんな笑って見ていたよ。

ただあれは大人向けのイベントだった。飲み会のノリでやることが事前にわかってたら避けたのに・・・

もうすっかり作者が受け付けなくなった私がとりわけ苦々しく思うのは、

子どもが好きでもないのに、子供向けの商品お金を儲けようとすること。

子どもが好きっていうのは、子どもの考えを尊重できたり、観察眼が優れていたり、よりよい未来提供したいという思想を持っていること。

子ども動物でしょ、ウンコでしょ、女の子はお洋服でしょ、お母さんは感謝でしょって

それ作者本人の実感として思って無いじゃん。いらねぇいらねぇ。

子供動物か好き"らしい"から作る動物絵本は、作者自身動物好きだから作る絵本には敵わない。

シロクマペンギン食べないんだよ!

金儲け主義自称絵本作家はもっと自分趣味全開の作品作ればいい

お坊ちゃまくんや学級王ヤマザキ(あと両さん?)みたいな拝金ゲハゲハ路線小学生は大好きだからそっちのほうで才能開花してください。ぴったり。

なんでか眠れないくらい思い出して腹が立ったので増田に投下します。

長くてすみません

2018-10-14

anond:20181014222339

生き残ってる街の本屋を見ると

雑誌ビジネス書自己啓発書ラノベ漫画みたいな

いかにも売れそうな本に特化してる感じ

anond:20181014222339

町の電気屋さんとかはもう店に商品置かないで、ほとんどは注文受けてから取り寄せるらしいね

電気屋ならその形態メリットあるだろうけど本屋だとどうだろうか

街の本屋さんが生き残る方法

本のカバーとポップだけ置いてその場で電子書籍購入したら割引、なんてしたらどうだろう。

anond:20181014205813

逆にネット煽情的広告ウザいは同意してもらえるのに

本屋煽情的平積みへの不快感同意してもらえないのが謎

インターネットに浸かってる人間たか本屋の陳列ごとき発狂するのが不可解

ブロッキング検閲にも賛成してるならわかるが

anond:20181014145726

ゾーニング論者って自分公共区別がついてないから「ゾーニング対象自分観測範囲」になるんだよね

そういう本音ありきで、対象コンビニなら? 本屋なら? ラノベはどう叩く? とその場その場で適当理屈を拵えてるだけで

2018-10-12

ごくごく個人的な、キズナアイが巻き込まれ騒動のまとめ

キズナアイの件、だんだん疲れてきたので自分見解をまとめることにする。

文章化しておかないと区切りがつかなくて永遠に頭の中グルグルしそうなので。


論点は二つあった。

  1. キズナアイの格好はNHKに出せないくら性的かどうか
  2. ジェンダーロールの再生産になっていないか



1. キズナアイの格好はNHKに出せないくら性的かどうか

1. は個人的には問題ない。というか、フェミニストから批判してはいけない部分だと思ってる。




2. ジェンダーロールの再生産になっていないか

2. が今回の主戦場

年代階級普段二次元表現VR界隈に触れているかによって感覚が違っているようだとは感じた。

批判側の意見としては、男性講師役・女性が生徒役という枠組みが旧来のジェンダーロールを再現しており、女性を萎縮させるとのこと。

世の中が完全に男女平等になっていれば、たった一つの例に目くじら立てないが現実はそうなっていないという意見を見た。


なんとなく納得できそうなところと、でもなーというところとあり、未だに整理できていない。

このくらいのことで、本当に女性は萎縮してしまうのか?と思ってしまうが、それは自分があまり抑圧を受けずに育ってきたからかもしれないし。

公的性格が強い媒体ではポリコレに則って多様性配慮した表現をするべきだ、という理屈はある程度納得できなくはないんだけど、

などなど疑問点や不安な点がいっぱいある。

そもそもそういう表現公的場所から狩ろうとすることは、長い目で見るとポリコレに反する表現絶滅させることに繋がるんじゃないか?という懸念が拭えないわけで。

ポリコレに反するから隠す。存在自体が許せないのではない、悪ではないが場所をわきまえてやれ」

これが、容易に

「隠されるものは悪いもの。悪いものは細々と裏で楽しむべき→悪いものはなくなるべき」

に変わっていくんではないか?大多数の人は「存在自体が悪い訳ではない」と思ってくれるのか?

多様性配慮した表現も大好きだけど、多様性クソ食らえ!な表現も大好きなんだよ。

男性向けも女性向けも、エロも非エロも。

でも、社会の大多数に認められにくいのって後者じゃん?

ポリコレ絶対を突き詰めていく先に、多様性クソ食らえ表現が狩られる未来しか見えないんだよな。

そこまで社会の理性を信じることができない。だから怖い。

本当は楽観的でありたいんだけれども。


規制しろとは言ってない、ゾーニングだ、という人がいる。

でも、ゾーニング規制だし、ゾーニングのやり方によっては容易に表現の場が失われてしまうこともある。

からゾーニングって簡単にすることができない。


個人的理想としては、ある表現をなくして目立たなくするのではなく、自分がいいと思う表現をどんどん作ったり推したりしてそれらの存在感を上げていく方向が建設的でいいと思う。

子どもができたら「これは良くないから見るな!」って言うより、「こっちにはこういうのもあるよ」って接したい。

その上で、親が眉を顰めるようなものに触れてしまうのも当然だしそれは成長の一部だと思う。

親が全部管理なんてできやしねぇしするべきでもないし。

全部ひっくるめて子ども当人人生で、自分自分がよいと思うものを選び取れるようになってほしい。

結局は私も根拠のないお気持ちでこう主張するわけですがね。


そして今回、一番衝撃だったこと。アカデミックフェミニズム側がジェンダーロールの再生産を非常に問題視しているという点。今更なんですが。

今回、1.の論点重要視してるかどうかでフェミニズム側は分かれていたように思う。前述したようにこれをフェミニスト自称する人が問題視するのはどうかと思うので、ここでだいぶフェミニスト側を分類できた。しかし、性的だとはしない/もしくは問題視しない人々でも共通していたのは、あれが旧来のジェンダーロールの再生産であり若い女性を萎縮させる、ということだった。個人的に、アカデミックフェミニストの中で信頼がおけると思っていた人も、ここは強く問題視しているようでかなり衝撃を受けた。

かつて自分が被ってきた女性差別を生々しく思い出して重ねてしまう傾向が一定年代以上の人や女性差別が酷かった業界の人には多いということなのかもしれないが、それ以上にフェミニズムの中で長らく重要視された観点っぽい。そこまで確固たる共通見解となっていたというのが驚きというか。それを各種表現にここまで簡単に当てはめることに躊躇がないんだな、と。

個人的にはうなずける部分もあるが、女性差別のみを特に重要視して男性に対するジェンダー的な抑圧を無視する傾向がある気がするし、私が育ってきた中では幸運にもひどい女性差別を受けては来なかったこと、そして自分ジェンダーロールの再生産になりそうな作品もそうでない作品も両方楽しんで育ってきたことなどから、そこまで切迫感を持つことができない。私とそういう人たちとの間に断絶がある。

女性差別って私が想像する以上に酷いものがまだまだあると思うし解消に向けて動くべきだし動きたいんだけど、私は上記理由からこの方向の活動にはどうしても同意できないな…。この方向で頑張ることによって、そういう酷い女性差別改善していくとは思えない。


おまけ1 VR界隈について

ちなみにVtuberVR界隈に対しては、既存ジェンダー観でははかれない技術革新がもたらした今までとは違うジェンダー観が存在すると思っている。キズナアイも見た目は女性だがAIという設定で性別はない。ガワと中の人性別が違うなんてざらにあるし、自分が望めばなりたい性別セクシュアリティになれる・それを当たり前のように受け入れてもらえるという土壌がすごくいいと思っている。

まりVtuber界隈詳しくなくて今回初めていろいろ調べてみた程度なのであまり語れないんだけど。バ美肉とかは、すごい革新的すぎて興味持っている。みんなもっとチャレンジしてジェンダーの壁を軽率に越えるべき。

参考:おじさんを美少女化したテクノロジー 先端心理学が語る「VR世界

https://withnews.jp/article/f0180401000qq000000000000000W00g10701qq000017020A



おまけ2 社会学等の研究成果評価システムについて

1~2の派生で、千田氏の炎上から社会学などの研究成果評価システムにまで話が発展したのは大変興味深かった。

というあたりか。それぞれの分野に合ったシステムがあって、外野から簡単に口出せるものではないと思うが、若手の方々がより良い方向を目指して試行錯誤されているらしい、ということは分かった感じ。

参考:社会学では査読論文より著書を重視する文化でそれで学術クオリティが保たれるシステムもあるらしい?という話。

https://togetter.com/li/1274988

2018-10-11

anond:20181011040543

人文学社会科学か。社会科学のほうが科学なのに怪しさが入り込む余地がある気がしてしまうのも奇妙だが、哲学とかだと論理的議論はあっても「正しさ」を決めることはできないからかな。

なんとなく「人文学」と書いたけど,「人文科学」と呼ぶこともある.私個人としては別にどっちでもいいかと思うけど.人文系社会科学系と呼んだりもする(総称は「人文社会系」とか「人文社会科学」とか).「社会科学」は略せないんだよな,「社会学」とかぶちゃうから.このへんは前増田で参考文献として挙げた隠岐さんの著作面白かったから読んでほしい.オススメ

理系でも教授の贔屓やコネはないわけじゃないけど論文数(あるいは引用数)で無能認定する仕組みは馬鹿排除には有効なんだよ(捏造動機にもなるけど)。

論文数で無能認定文系でもよくあることです(ただ,論文をあまり書いていないだけで該博な知識を有してる人なんかは尊敬される.周りは「もっと論文書いて! 読みたい!」って思ってるけどw そういう人がポストを得られていなかったりして業績少ないから仕方ないと思う反面すごいもったいないなと思ったり).ただこれも分野によっては1年に1本書いてりゃまあ標準的,というところもあれば1年に2・3本書くのが当然だろ? という分野もありで,その上分野によっては査読の有無での格付けとかもあまりしないので(そりゃ学振申請書では査読つきとなしを分けて書くけどね),安易に異分野の人が自分野の基準無能判定するのは本当に良くないからやらない方がいいと思う.今年は著書1冊書いてるけど論文は書きませんでした,を理系基準で業績ゼロって判定されたら暴動起きますよ.

あと歴史学文学だと,いちばん大事仕事論文執筆じゃなくて史料校訂だ,という感覚もあったりして,そのへんがきちんと評価されるのが望ましいよなぁと.ある平安貴族について論文書いても分析視角ニッチならあまり引用されないかもしれないけど,どこぞのお寺なり旧家なりにしまわれてたその貴族日記活字に起こして誤字脱字を訂正して単語意味解説して背景情報を補足して(日記って本人にとって当たり前のことは書かれないけど,1,000年経ったらそんなことわからないので),っていう作業をしたらその後平安時代歴史文学をやる人に参照されまくる基礎文献になったりする.こういう地道なレファレンス作りや史料校訂がきちんと評価される仕組みであってほしい……

で,引用数については問題点が2つあって,

1.どうやって数えるのか

これは技術問題.色んな言語で発表される紙の本での引用数,どうやって数えたらいいの……? ってやつ.異国の本屋さんで面白そうな学術書があったから手に取ってみたら私の論文引用されてたとか,異国で買った本をパラパラ読んでたら知り合いの英語論文引用されてたけどその知り合いはその異国語を読めないから多分存在を知らないだろうなとか,そういうの割とあるあるなので,人文系じゃ誰も被引用数なんて気にしてない.ぶっちゃけ無理ゲーだと思う.

あと,英語の本で引用されて,そのあとその英書が10国語翻訳出版されました,という場合は,何回引用されたと数えるべきだと思う? 1回? 11回?

2.それ数えて意味があるのか

そもそも優れた先行研究を褒めるのにもダメな先行研究をけなすのにも引用をするわけで,ある論文の中でむっちゃ参考にされた文献とけちょんけちょんにされた文献の2つがどちらも引用1回ってことにされちゃう不公平すぎない? って思うんだけど.それに,自分の専門分野についてあまりにひどい俗説が広く出回ってるとき学術文献じゃなくても引用して批判することがあるので,たとえば日本近代史の人が小林よしのりの『戦争論』を名指しで批判するとかよくある.純粋引用された数で勝負したら小林よしのり惨敗するマトモな研究者って大勢いると思うんだよね.

というか,文系だと「他人の書いた文章研究対象にする」というのがあるので,村上春樹研究なら当然村上春樹引用するわけで.さら学問分野によっては,「文献リストに先行研究研究対象を一緒くたに並べる」慣行を持つところもあり(これはその分野なら英語圏の査読誌でもそうなってる),たとえば樋口直人『日本排外主義』という日本極右研究した本の文献リストには,日本欧米社会学者が書いた真面目な研究文献と桜井誠櫻井よしこ西尾幹二の本がABC順でごちゃ混ぜに配列されていて,両者は引用形式からはまったく判別できない.本文を読めば前者を参考にして後者分析したり批判したりしてるのがわかるんだけど,機械的区別することは不可能.なので在特会に関する研究が進めば「桜井誠引用数で負ける研究者」がたくさん出てくると思うけど(というか現時点での私が負けてる疑惑),この基準どう考えてもおかしいでしょ.文系の業績を考える上で被引用数はマジで無意味だと思う.

追記

id:q-Anomaly 面白かった。一般文芸と一緒になっているから大変なのかな?理系だとわざわざトンデモさんに言及したりしないしね。間違いを指摘するとき論文ではなくて直接メール、もしくは研究会で議論かな。

もちろん文系でも別に公な場で晒し上げるほどじゃない間違いだったら直接本人に言うとかあるのでそのへんは批判する人の性格とか人間関係にも拠るところはあり,一方で理系でもSTAP細胞ときはさんざん批判論文出てたように思うので公開の場で批判する文化は当然あると思うのだけれど,間違いの指摘を必ず公開の場でやるわけじゃないとか言われるとじゃあこれまで理系には透明性のある評価基準があるけど文系にはそれがないかダメとか言ってたのはいったい何だったんだよ……って思うわ.あなたが言ってきたわけじゃないかあなたに言うのは不当なのかもしれないけれど.

id:hogefugapiyox 増田 理系(理論)でも独創的な論文で高く評価されるけど問題自体が超ニッチ引用は増えないことはありうる。そこで論文誌や国際学会のランクが役立つことはある。正しくてもレベルがそぐわないもの査読で落とされるので

これは文系でもあるあるメジャーテーマ研究していてもつまら論文しか書いてなければ意味はないしマイナーテーマでも面白論文が書ければ就職が決まる.

id:death6coin 参考にしたのと批判したのは別にリストアップする形式がいまからまれ得るかというと・・・難しそうですね。批判にも論外から一部の点で疑問があるまで程度があるだろうし。

「この論文はこんな資料を発掘してくれたので重要だ.でも発掘した資料解釈に疑問がある」とか,どっちにリストアップすればいいんだよという話で.

でもって,リストアップの形式については出典をどう示すかという形式が大きく絡んでくるんですわ.たとえば,歴史学なんかだと先行研究研究対象は別々にリストアップするけど(それでも流石に優れた先行研究ダメダメな先行研究は分けないよな),それは社会学とは違うやり方で出典を表記しているからそういうことが可能なんだという事情もあって,まあこのへんは自分学術書やら論文やらを読んで出典チェックしたことがないとわかりづらいかもねえ.社会学とか一部の分野で全部ごちゃ混ぜにした文献リストを作るのにも合理的理由があるんですわ.

id:hisawooo 増田に言うんじゃないんだけども、トンデモ論文への直接的な批判するなら一番マトモで普通な手段編集者宛のレター(つまりは読者からのお便り欄)じゃないかね(理系の話をしてます

なるほど,そういう慣習があるのね.言われてみれば文系でletter欄って見ないな.

で,文系論文だと本論に入る前に「先行研究の整理」ってやるんですわ.「先行研究Aは基本的妥当だがこの部分の解釈問題があり,先行研究Bは古いため近年発見された資料を使っておらず,先行研究Cは優れた研究だがちょっと私のやりたいことについてあまり触れられてなくて,先行研究Dは論外」みたいに整理した上で,じゃあ先行研究A~Cの成果を踏まえて先行研究Cが見落としている角度から先行研究Bが使ってない新資料を使って先行研究Aとは違う解釈します,みたいに自分論文の意義や新規性アピールするわけ.なので純粋な参考文献だけの抽出とか無理ゲー

id:enemyoffreedom 引用数の正しいカウントがやりづらいのは、さすがにその分野の引用慣習に問題ありな気も。他分野や門外漢から見た透明性の確保も今後は必要になっていきそう。まぁそれだけが業績評価を左右するようだと不健全だが

たくさん引用されたか価値がある研究! とかいローカル基準に基づいてヨソの分野の引用慣習をまるごとdisるならこっちもお前らのそれってPV数狙いのSEO対策でクソ記事垂れ流す互助会みたいなクソ慣習だなって言っていい? つーか文系査読なしで論文のチェックをしない! 不健全! と文系批判対象も引用に含めている! 不健全! ってマジどうやれば同じ口で言えるんだよって感じ.クソ論文をきっちり論文中で批判してるから正しいカウントが難しいって話に正しいカウントがやりづらいか問題とか言われるのマジ批判のための批判じゃん.全部ごちゃ混ぜで引用するのにも合理性はあるんですよ.そんなのはその分野の論文なり著書なりを読んで出典チェックしてみればわかりますよ.何度も言うけど英語圏でもこういうやり方なの.本当にこの慣習を是正たかったら理系の皆さんが大好きな英語で全世界普遍的問題提起をなさってくださいよろしくお願いしますクソが.

すごい大事追記

id:rci このシリーズはとても面白い。

面白いと言ってくれるのはありがたいんだけど,あなた一連の増田ちゃんと読んでる? このトラバリーの中で,私は何度も自分オタクだって言ってるよね? だからhttp://b.hatena.ne.jp/entry/372509722/comment/rciみたいな雑括りされても本当に困るんだけど.まあ記事の隅っこで書いてるから気付かなくても仕方ないところはあるけど,そうやって文系オタク対立構造にされて困るのは私みたいな文系オタクなんだよ.ほんと勘弁して.

正直私はキズナアイについては興味ないし,どうせならシロちゃんやらせればよかったんじゃ,とか思うけど,同時にあのくらいの服装が叩かれるとかおかしいよな,とも思うよ.なぜか服装に関してはゴリゴリ保守派になる連中が多くて目眩がしてるよ.色んな変わった服装を好む人への抑圧だろ.ぜんぜんNHKに出ていいよ.それが多様な社会であり自由社会だよ.

とにかく私は両側にもうウンザリ.ろくに事実関係を調べもせずVTuberについて基本的なことを知りもせずキズナアイを叩く連中にも,ろくに文系について知りもせずどんな研究をしているか理解もしないできないのにクソバイスを垂れ流す連中にもウンザリです.オタク叩きも文系叩きもクソくらえ.どっちも私の敵.ただもう本当にこれ以上関わり合いになりたくないのでここ数日の荒みきった心を『ヤマノススメ』の録画を見ることで癒やしてきます.一連のレイニーブルー展開を鑑みる絶対ここなちゃんはひなたをあおいから寝取ろうとしてるしかすみさんはあおいをひなたから寝取ろうとしてると思うんだよね.

2018-10-10

普段オタ系本屋に通ってるのが普通ねえ

anond:20181010152122

本屋の奥の方にある」かつ「たまたま動線ではなく自ら足を運んでいる」という定量的統計データをお願いします。

anond:20181010151526

公共性って言ったってTVNHKチャンネルに合わせたらエロシーンだったとか、コンビニに並んでるエロ本とかそういうレベルじゃないんだぞ?この問題

どうしても視界に入らざる得ないシチュエーションじゃなくて、自ら、能動的に、特定のWeページへアクセスしなければ見れなかったんだよ

本屋の奥の方にあるエロ本の置いてある棚へ自ら能動的に足を運んで騒いでるレベルの話なんだぞ?

先ずそこを認識しないと本当にフェミニズムへ逆に足を引っ張る言動しか出来ないぞ

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