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2017-11-20

カリフォルニア州運転免許更新・Extension(期限有りビザ場合

通常カリフォルニア州免許有効期限5年。

駐在員等の期限のあるビザでは、ビザ有効期限またはi94の滞在許可期限までしか運転免許をくれない。

このため、ビザ更新後にExtension(更新ではなく、"Limited Term Extension"と呼ばれる)が必要である

まず、DMVから手紙で「あと2ヶ月ぐらいで切れまっせ。書類を同封して送り返して」と来る。

この後の実際の期間を記録&今後の皆さんのために記す。ちなみに妻もほぼ同時期に行ったがほぼ同日程だった。混んでいる時期はもっと掛かるのかも知れないが。

ということで、DMVから手紙が届いたら、速攻で送り返すと良いでしょう。

免許の期限までに届かない場合は、DMVに行って仮免許をもらう必要があり。(もちろん大行列に並ぶ)

あと、申請後に出国したりして、i94が更新されたりしていると、申請サスペンドされてしまうらしい。電話するかDMVGo

2017-10-12

anond:20171011062212

足元見られてるんだろうね。

現地人と結婚して子供も居たら相当の覚悟がなければ会社辞めて帰国出来ない

(1歳の子持ち女である増田就職先見つけるのは難しいしそもそも保育園入れるかも微妙だし、相手の男もついてきたとしても日本で職見つかるか微妙)し、

帰国出来ないのなら給料下げてもうちの職場にしがみつくしかないだろう、と思われてるんだよ。

でもこのまま給料5万で将来どうすんの?

現地で暮らすとしても駐在日本人としての良い暮らしは出来ないだろうし、

子供日本教育受けさせられず日本語も遅れるだろうから、大きくなればなるほど日本に連れ帰るのは困難になるけど。

一生現地で現地人と同じ生活を続ける覚悟あるならいいけども。

2017-10-11

育児仕事の両立って難しい(ベンチャー企業/海外駐在員の場合

新卒ベンチャー起業入社海外での仕事チャレンジしてみたくてとある外国での新規事業立ち上げに関わることを自ら希望しました。

かに自分海外駐在希望したのだけど、こんなことになるとは。

海外赴任後、1年半後に現地の人と結婚妊娠

育児休暇中も仕事を1日も休めず、子どもが1歳になったある日。

会社から、「海外にいるんだから社会保険から外れてください。」と言われ、私も子ども日本社会保険に加入できないことに。

これで日本病院に行くなら医療費10負担

さらに今「海外にいるんだから海外と同じ給与水準ね。」と月5万円の給与に減額されるそう。

日本に帰った時に生活できないな。

海外駐在員の後任がいないため、日本に帰ることも叶わない。

私の未来はどうなるんだろう。

娘を守り抜くためにどうしたらいいのだろう。

仕事頑張りたかった。やっぱり辞めるしかないのかな。

2017-10-03

anond:20171003070845

まあ時々PKO家族や友人ごと行ったほうが身は体を表すの原理平和に近づくような気もしますけどね現代では生産性やら個の意思決定やらの原理で叶わないんでしょうけどまあ外交官とかは家族連れで他国駐在したりするんでしょうけどねそこら辺の考え方もよく分かりませんまあ家族や友人で懲り固められても迷惑でしょうから一億総単身赴任でいいのかもしれませんね

2017-10-02

駐在員が大変と感じるのは本人のレベルが低いか

この記事を読んだ。

なんで駐在員は大変なのか (英語編)

https://medium.com/@koichirohonda/%E3%81%AA%E3%82%93%E3%81%A7%E9%A7%90%E5%9C%A8%E5%93%A1%E3%81%AF%E5%A4%A7%E5%A4%89%E3%81%AA%E3%81%AE%E3%81%8B-%E8%8B%B1%E8%AA%9E%E7%B7%A8-fbf2711c3534

とても良記事とは思えなかったので、ここにその意見を記す。

ちなみに元増田海外の現地企業で働くものです。糞みたいな英語力じゃ面接すら通らないし、その先には日本じゃ求められないような技術試験もあり、それを突破して初めて今の環境を手に入れることができる。

海外生活していて、日本人とつるむことはしないけど、たま〜に不本意ながら日本人駐在員と出会うことがあるが、なんか海外生活楽しい、やっほうみたいな空気を出されてドン引きした経験があるので、あまり駐在員に良いイメージは持っていない。


まず、日本から外に出る以上、日本国内での相対的能力なんか議論してもまったく意味がない。

どんな分野であろうと、日本人として偏差値70あるからすごいと思って、世界に飛び出て通用しなけりゃ、そりゃ無能って話だ。

戦うフィールドが分相応というべきか。日本しか通用しなけりゃ無理に日本から出る必要はない。

ここで、彼はTOEICとか糞ほどの役にもたたないテストスコアが900点ある程度で、アメリカでの駐在員としてのタスクを与えられたらしいが、なんなんだ駐在員って?そんなに人材不足なのか?

ろくにコミュニケーションもとれない人間送り込んで、クビにもならず防御力が云々言うような、小手先テクニックで乗り切ろうみたいな輩を雇わなきゃいけない日本企業って何なんだ?

アメリカ人もいれば、南米からEUからアジアからアフリカまでいろんな国から人が集まって成る多国籍企業は多い。そしてそこの社員である彼らは当然英語ペラペラだが、そんなことは特別でもなんでもないし、その職務必要スキルを持っているか採用されている。

このコミュニケーションの段階で躓いてヒィヒィ言っている記事の無様なこと。不快感しかない。

日本人から英語力低いなんて言い訳だ。だからなんだ?低くて仕事にならなくて生産性あがらなくてもいいって?んなわけねーだろ。

勘違いするなよ。駐在員が大変なんじゃない。能力がないのに分不相応ポジションに就いたことが原因なだけだ。

中国人だって韓国人だってインド人だってパキスタンだって海外で働く人は多い。さらに言えば、日本企業みたいな日本人ってだけで駐在員としてのポジションを与えられて海外で働く人ではなく、ちゃんとインターナショナル企業に応募して、厳しい採用フロー突破した人間が当たり前のように存在しているってことだ。こんなレベルの低い記事を書いて、注目されている日本ってなんなんだろうってつくづく思う。

2017-09-01

https://anond.hatelabo.jp/20170901230356

論旨には100%賛同するんだが、あんたも巻き添え食うんだが大丈夫か?

海外在住なら良いんだが

因みに俺も中国駐在中w

金正恩が茶目っ気出して国土命中させないか実は密かにワクワク中だわwwww

2017-08-22

https://anond.hatelabo.jp/20170822083923

例えばアメリカでも日本人学校

ニューヨークニュージャージーシカゴカリフォルニアアトランタグアムしかない。

それ以外にも日本人駐在員がよく行く大都市は大量にあるけどな。

日本語補習校ならもっと沢山あるけど、これは平日は現地校に通う前提で土日だけ行く(これだけで義務教育を満たしているとはみなされない)施設だし。

2017-08-11

駐妻だけど駐妻のキャリアガーと騒ぐ人が嫌い

この記事とか典型的なやつなんだけど。

https://www.businessinsider.jp/post-100717

今、駐妻界隈には新旧二大勢力があると思ってる。具体的には、

勢力オールドスクール駐妻スタイル(専業、習い事お茶会etc)を押し付けタイプ

勢力→駐妻はキャリアの断絶を押し付けられてる!という主張をし始めるタイプ

私は新旧二大勢力とも視野が狭すぎないか?と思ってしまう。

前者はいわゆる思考停止タイプ後者自分の知ってる世間レベル感で生きていくことを譲りたくないがゆえの視野狭窄タイプだなあと。

正直なところ、前者を選択する人と後者選択する人はわかりやすバックグラウンドが違っていて、後者の方が圧倒的に高学歴ハイキャリア組

からこそ、後者をより厳しく見てしまう。彼女らのパートナーほとんどは大手企業勤務。外資ならば昇進とともに海外勤務の可能性が出てくるのはあり得るコースだし、内資は内資で、大手ならば社員本人にその資質(語学力等)があったり、海外勤務の希望者が海外勤務となるのが通例。結婚から、多少なりとも海外勤務になる可能性は感じ取れるはずなのだ

自身キャリアに強い意識があるのなら、結婚から「もしも」については考え得るはずだし、パートナーともしっかり話し合いができたのでは?と思ってしまう。

特に今はネット経由で相当量の情報を取得することができるし、大手企業ならば帯同前に会社から説明会や懇親会がもたれる場合も多いから、余計に。

ある程度のリテラシーがある(と思われる)高学歴ハイキャリア女性にとっては、日本国内での転勤が多い人と結婚する妻の立場と、昔ほどの差はないはずなのだ

もちろん、通例というか、転勤に伴う帯同=女性退職という固定観念を取り去りたいという考えは理解できる。けれども、上の記事にあるような高学歴ハイキャリア駐妻たちの主張は、あまりにも自分の「レベル」を落とさないことに固執しているように見えてしまう。

駐在への帯同によるブランクを経て、社格待遇の面に変化はあっても新しい場所活躍している人もたくさんいるのに。アイデンティティを「以前と変わらない自分」に固定してしまうことの狭量さが、自分を苦しめていることに気づかないのかな?と思ってしまう。

2017-08-02

五千円とか一万円とか

最近都内賃貸の部屋を借りた。

家賃はそこそこ高いけど、築年数は10年ちょいたってる。

分譲マンションで、もともとオーナーさんが自分で買ってしばらく住んだ後、

近くに新しいマンションをまた買ったか何かで引っ越して、

古い方のその物件を貸しに出したということらしい。



で、引っ越しから気づいたんだが、エアコンの清掃がされていなかった。

パネルあけたら、裏側ほこりだらけ。目に見える範囲で中も黒いカビ。

入居前、高圧洗浄はしてないときいてたけど、それ以前の問題だ。

しかも、ただ掃除してないだけならまだしも、オーナーさんに確認したら、

委託した不動作会社の清掃見積もりがあって、そこには、ハウスクリーニング一式の他に

エアコン清掃費として一万数千円が計上されていた。

なのにやっていない。

どうやら、僕の前に賃貸で入ってた居住者からエアコン清掃費という名目

発注した不動産屋が金だけとって、実際はエアコン清掃はやらなくてもいいと

下請け業者に指示していたことがわかった。



馬鹿か、って思った。

わずか一万円とちょいのことで、何をしいるのかと。

気づかれないとでも思ったんだろうか? 

内部の高圧洗浄であれば、やったかやってないか素人目にはわからいかもしれない。

が、パネルあけて目視できる範囲で埃とカビがびっしりって、どう考えてもバレバレやん。

そして、そんなことした結果、浮いた金は一万円とちょっと

学生のこづかいならともかく、都心のそこそこいい場所事務所を構える不動産会社だよ? 

その一万円をインチキして浮かせることによって、得られる何かがどれほどあるというのか。

子供やないんだよ? 大人だよ。大人会社



不動産屋サイドは、業者への伝達ミスがとかなんとかいってたけど、どんな伝達ミスか。

明細もあってそこに書いてあるのに。

あきらかに意図して誤魔化そうとしてるように思えるんだけど。

たかだか一万円のために。

くりかえし言うけど、一万円は個人生活費としては馬鹿にできる金額ではないだろう。

でも、それやってるのは、会社だよ? 哀しくなってくる。



あと、その後、判明したことなのだけど。

この物件、部屋の賃貸料とは別に管理費として、二万円とられてる。

もともと分譲マンションでもちゃんとした管理会社が入って、

管理人さんが平日の午前は駐在して、ゴミ出しやら清掃やらをやってくれている。

にしても、二万円は高いよなあと思ってたんだけど、

ひょんなことからオーナー管理会社に払ってる金額は一万五千円ちょいと判明した。

じゃあ、差額の四千円ちょいはなんなんだ。



契約書的には、僕が払う管理費あくまオーナーに払うものであり、

かならずしもオーナー管理会社に払う管理費と同額である必要はないとのことらしい。

法的にも特に問題はないらしい。

でも、じゃあ、その差額をオーナーが受け取って、オーナーは何を管理しているというのか。

せこい。あまりにせこい。たかだか四千と数百円だ。



くりかえすが、別に四千円を馬鹿にしてるのではない。

が、都心のそこそこいい場所分譲マンションを買ったオーナーさんだ。

たぶんローン組んだろうけど。そして、支払いも残っているんだろうけど。

でも、たかだか月々四千と数百円。

その金額のために、あまりにせこくないか? 貧乏学生じゃないんだよ? 

マンションオーナーなんだよ?



清掃費を誤魔化した不動産屋といいい、このオーナーといい、

そこそこ地位お金もあるであろういい大人が、五千円とか一万円とかのために、

不正を働いたり、せこい誤魔化し方したり。

プライドはないのか。

そんなに世の中、せちがらいのか。

2017-05-27

NYの中心でうんこ漏らした

わたくし、31NY駐在サラリーマン接待マンハッタン焼肉屋へ行った。ビール飲んで気分も良くなりレバ刺しも食べられて満足、接待はつつがなく終わった。相手もこのまま帰る流れになり、俺は車で来たけど相手電車で、といっても駐車場も駅も途中まで方向は同じなので一緒に歩いていたところ、急に便意が来た。あまり胃腸が強くないのに久しぶりにレバ刺しなんて食べたからか? ヤバイと思いつつも相手との会話は弾む。ヤバイ。ここで漏らすわけにはいかないと思って、完全に嘘なんだけど「あ、僕駐車場こっちなんで!!」と方向転換して別れ、急いでトイレを探す。ここはニューヨーク東京のように至る所にコンビニがあるわけではないが、コンビニのようにスタバがある。スタバニューヨーカー公衆トイレなのだiPhoneを取り出してSiriStarbucks around here!と叫ぶと2ブロック先にスタバ発見営業時間は9時半までだったがまだ9時15分、いける。スタバ入店し「あとで注文するから先にトイレ使わせて!」とお願いしたら、「さっき掃除したところでまだ濡れてるから無理」。濡れてるくらいなんだよ! もう閉店だからトイレ使わせたくないだけだろ!! 糞が。注文はせず退店。便意は限界。と、ここで思いついた。グランドセントラル駅、あそこのトイレなら絶対開いてる! グランドセントラル駅通称グラセンは全米最大のターミナル駅で、地下にはレストラン街があり、以前何度かそこのトイレを使ったことがあったのだ。グラセンまで少し距離があるが早足で歩く。途中2回程限界を感じ、近くのホテルに入ってロビートイレ確認したが、部屋のキーがないとトイレのドアが開かない仕様。もうグラセンしかない。グラセンまであと1ブロック、荘厳な建物が目の前に見えてきたところでついに漏らした。歩くテンポにあわせて肛門からニョ、ニョ、ニョ。Oh shit。どうやら柔らかめだ。量的には2割程肛門から漏れたが、ブツはまだ尻の割れ目パンツの中に収まってるようで被害は少ない。急げ急げ。グラセンに入る。地下に降りる。レストラン街は人もまばら。トイレを探す。トイレはどこだ。たしかエスカレーターの近く。ここの通路だ! 入った先はATMコーナーだった。気が抜けたその瞬間、残りの8割が一気に流れ出た。ニュルニュルニュルニュル!!!ズバババババ!!ムモモモモ!! 完全にふくらはぎの方まで垂れて来てるし、チノパンにも染みてる。終わった。すぐ近くの別の通路の先にトイレを見つけた俺はゆっくりと角の個室に入り、30分かけてチノパンパンツトイレットペーパーでひたすら拭いた。まだチノパンには染みてるけどうんこはだいたい拭き取れたし、パンツ便器の水で洗って、たまたま持っていたジップロックに入れた。何より、もう俺が失うものはないという思いがあった。月曜日はMemorial Dayの祝日。この国ではこの日を境に夏が始まるが、まだ夜は肌寒い。持っていたパーカーを腰に巻いてチノパンの染みを隠し、臭いで気づかれないように早足で駐車場まで歩いた。ドラッグストアシャワーカーテンを買って車のシートに敷いた上に座り、窓全開で運転して帰った。風呂場で汚れた服と身体を洗い、洗濯機を回して寝た。

2017-05-22

駐在の憂鬱

とある国で駐在妻をしているが、恐ろしいほど駐在妻同士で価値観が合わなくてしんどい

大体の人が結婚旦那所属収入海外駐在可能性を考慮した上で結婚している。

悪い言い方をすれば自分人生旦那寄生して過ごしている。

そのため会話をしていても話に深みがなく薄っぺらくて辛い。

会話の大部分は誰それの奥さんがどうのとか、旦那さんがどうのとかである

あとはなぜか学歴の話も上がる。

一方で私は会社の一時休職制度を利用して駐在に帯同している。

駐在している国の第一言語の取得はもちろんのこと、キャリアプランに有利なことは全て行なう

自分の将来のキャリアプランや成し遂げたいこと、こどもの将来の道筋教育費、教育論に関するオススメの本など

こんなことを話せる人がいない。

特に女性キャリアに関しては女子大に出て商社インフラ男子を捕まえた人がすごいという価値観蔓延しているので、

もちろん私の価値観とは合わない。

どちらの話題が崇高であるとか、陳腐であるとか、人の価値観によって違うので、それはここでは問題でなく、

ただただ日本語自分が話したい話題、討論が出来ないのが辛い。

2017-05-19

ルジャンドルフランスウラン(Oullins)に生まれランス大学およびパリ大学に学んだ[1]。父親のJean-François Legendre-Héralは人物像を得意とした古典主義彫刻家エコール・デ・ボザールの教師[2]。24歳のときニューヨークの著名な弁護士の娘であったクララヴィクトリア・ミュロックブリュッセル結婚した。結婚後すぐに米国移住し、帰化した。

南北戦争[編集]

1861年に南北戦争が勃発すると、ルジャンドルは第51ニューヨーク志願兵歩兵連隊兵士募集に協力し、1861年10月29日に同連隊少佐に任官した。その後ノースカロライナでの戦闘従事し、1862年のロアノーク島の戦いにも参加した。しかしながら、1862年3月14日、ニューバーンの戦いで重傷を負った。

負傷にもかかわらず、ルジャンドルは軍を離れず、同年9月20日には中佐に進級。1863年には第9軍に配属され、多くの戦闘に参加した。1863年3月14日には大佐に進級。ヴァージニア荒野の戦いではユリシーズ・グラント将軍の指揮下にあったが、その最中の1864年5月6日ルジャンドルは再び重症を負った。今回は顔面を撃たれ、左目と鼻を失った。アナポリス病院入院したが、その間にも南軍最後攻撃から街を防衛するための準備を手伝った。その後ニューヨーク移送され、そこで第9軍の兵士募集を手伝った。1864年10月4日名誉除隊したが、1865年3月13日には准将名誉進級した。

中国[編集]

1866年7月13日ルジャンドル厦門米国領事に任命された。7月ニューヨークリバプールに向けて出港し、その後ヨーロッパアジア大陸旅行12月厦門に到着した。領事として、ルジャンドルは5つの条約港、すなわち厦門基隆台北、淡水および高雄責任を持った。そこでは、年季奉公人の不正取引抑制に尽力した。

1867年3月12日米国ローバー号が台湾遭難し、その乗員が台湾原住民殺害されるローバー事件(en)が発生した。ルジャンドルは福州へ赴き、台湾中国側当局問題解決圧力をけるように、福建・浙江総督を説得した。福建総督は自ら行動は起こさなかったが、ルジャンドル台湾に行く許可を与え、台湾知事が協力するように紹介状を書いた。

ルジャンドルは、遭難現場訪問のために米国船アシュロット号を雇い、台湾当局に行動させようとした(これは失敗した)。その後アメリカ合衆国海軍ヘンリーベル少将懲罰作戦実施したが、これも失敗した。さら情報を集めるため、ルジャンドルは再び台湾に出向いた(このときは、紹介状は無しであった)。

中国へ戻ったルジャンドルは、南台湾に軍隊派遣するよう福州の総督を説得し、ようやくこれに成功した。ルジャンドルは400〜500人の規模を希望したが、これよりはかなり小さな遠征隊が、1867年7月25日台湾に送られた。ルジャンドル砲艦派遣ベル提督要請したが、これは拒否された。このため、武装商船ボランティア号が雇われた。ルジャンドル9月4日台湾上陸したが、上司に対しては全くの傍観者として行動したと報告している。

ルジャンドル直ちに本来任務を開始した。南台湾の険しい山岳地帯を通りぬけ、原住民酋長と難破した欧米の船員の安全保証するための条約協議した。

1871年9月6日琉球宮古島)の船が台湾沖で遭難したが、ローバー事件と同様に、多数の船員が殺害された(宮古島島民遭難事件)[3]。1872年2月29日ルジャンドルは先に結んだ条約日本人船員にも適用するよう拡大するため、台湾に出向いた。任務は不成功に終わり、またルジャンドル北京駐在米国公使フレデリックロウ(en)とも不仲になってしまった。

日本[編集]

1872年厦門から米国へ戻る途中、ルジャンドル日本に立ち寄り、明治政府台湾問題武力解決提唱した。これは副島種臣外務卿意見とも一致しており、ルジャンドル米国領事の職を辞し、1872年12月12日外交および軍事顧問として明治政府雇用された[1]。1873年2月、副島は2年前に台湾で起きた宮古島殺害事件の処理交渉特命全権公使外務大臣として北京派遣されたが、ルジャンドルもこれに参加した。この交渉部分的には成功であったが、引き続きルジャンドル1874年台湾出兵の準備を手伝った。台湾問題に関して、ルジャンドル駐日米国公使チャールズ・デロングの支援を受けており、また個人資格でこの遠征に参加するつもりであった[4][5]。加えて、2名のアメリカ軍人が雇用された。ところが、デロングの後任の米国公使ジョン・ビンガムは、ルジャンドルを支持せず、1874年4月19日台湾出兵は一旦延期とされた。ルジャンドルらは長崎で出征準備を整えていたため、大久保利通長崎に向かった。結局遠征部隊5月18日長崎を出港したが、ルジャンドル大久保と共に東京に戻った。その後、ルジャンドル交渉のため福州に派遣されることとなったが、アメリカ総領事職場放棄の罪に問われ、短期間ではあるが上海収監されてしまったため、遠征には参加できなかった。1875年には日本政府から勲二等旭日重光章を授与されたが、これは外国人としては最初のものであった[1]。その年の末には顧問を辞任した。

ルジャンドル1890年まで日本滞在し、大隈重信個人的顧問を務めた。

韓国[編集]

1890年3月ルジャンドル日本を離れ、朝鮮王高宗顧問となった。1899年9月1日漢城(現 ソウル)で卒中により死亡するまで、その職を務めていた[6]。

原因・背景[編集]

1871年(明治4年)10月宮古島から首里年貢輸送し、帰途についた琉球御用船が台風による暴風遭難した。乗員は漂流し、台湾南部に漂着した。船には役人と船頭・乗員合計69名が乗っていた。漂着した乗員66名(3名は溺死)は先住民現在台湾先住民パイワン族)に救助を求めたが、逆に集落拉致された。

先住民とは意思疎通ができなかったらしく、12月17日遭難者たちは集落から逃走。先住民は逃げた者を敵とみなし、次々と殺害し54名を斬首した(宮古島島民遭難事件)。12名の生存者は、漢人移民により救助され台湾府の保護により、福建省の福州経由で、宮古島へ送り返された。明治政府清国に対して事件の賠償などを求めるが、清国政府は管轄外として拒否した。翌1872年明治5年琉球を管轄していた鹿児島県参事大山綱良は日本政府に対し責任追及の出兵を建議した。1873年(明治6年)には備中国浅口郡島村現在岡山県倉敷市)の船が台湾に漂着し、乗組員4名が略奪を受ける事件が起こった[1]。これにより、政府内外で台湾征討の声が高まっていた。

開戦準備へ[編集]

副島種臣

宮古島台湾遭難事件を知った清国アモイ駐在アメリカ合衆国総領事チャールズルジャンドル(リゼンドル、李仙得)は、駐日アメリカ公使チャールズ・デロングを通じて「野蛮人懲罰するべきだ」と日本外務省提唱した。

初代龍驤台湾出兵旗艦であり副島種臣大久保利通をそれぞれ、中国に運んだ。

孟春(砲艦)は三本マストスクーナー型鉄骨木皮の小型砲艦で、台湾出兵に参加した。

外務卿副島種臣はデロングを仲介しルジャンドル会談、内務卿大久保利通ルジャンドル意見に注目し、ルジャンドル顧問として外務省雇用されることとなった。当時の明治政府では、朝鮮出兵を巡る征韓論などで対立があり、樺山資紀や鹿児島県参事大山綱良ら薩摩閥は台湾出兵を建言していた。これらの強硬意見の背景には、廃藩置県によって失業した40万人から50万人におよぶと推定される士族の不満のはけ口を探していたことがある[2]。

1873年、特命全権大使として清国に渡った副島外務卿は随員の柳原前光を用いて宮古島台湾遭難事件などの件を問いたださせたが[注釈 1]、清朝の外務当局は、台湾先住民は「化外」であり、清国統治のおよばぬ領域での事件であると回答して責任回避した[1]。その後、日本ではこの年秋、朝鮮使節派遣をめぐって政府が分裂し(明治六年政変)、また、翌1874年1月の岩倉具視暗殺未遂事件、2月の江藤新平による反乱(佐賀の乱)が起こるなど政情不安が昂じたため、大久保利通を中心とする明治政府国内の不満を海外にふり向けるねらいもあって台湾征討を決断し、1874年明治7年)4月、参議大隈重信台湾蕃地事務局長官として、また、陸軍中将西郷従道台湾蕃地事務都督として、それぞれ任命して軍事行動の準備に入った[1]。

明治六年政変における明治天皇勅裁は、ロシアとの国境を巡る紛争を理由とした征韓の「延期」であったため、ロシアとの国境が確定した際には、征韓派の要求が再燃する可能性が高かった。政変下野した副島にかわって外交を担当することとなった大久保としては、朝鮮よりも制圧が容易に思われた台湾出兵をむしろ積極的企画したのである

台湾での戦闘[編集]

西郷従道

台湾出兵に対しては、政府内部やイギリス公使パークスやデロングの後任のアメリカ公使ジョン・ビンガム(John Bingham)などからは反対意見もあった。特に参議木戸孝允らの長州系は征韓論否定しておきながら、台湾への海外派兵をおこなうのは矛盾であるとして反対の態度をくずさず、4月18日木戸参議辞表を提出して下野してしまった。そのため、政府は一旦は派兵の中止を決定した。

台湾出兵時の日本人兵士

水門の戦 最も激しい戦いであった。当時の日本人による版画[3]

国立公文書館が所蔵している公文書によると1874年4月4日三条実美により台湾蕃地事務局が設置される。(以後の任命は当時太政大臣であった三条実美からの奉勅となっている)同年4月5日台湾蕃地事務都督に西郷従道が任命される。[4]同年4月6日谷干城赤松則良に台湾蕃地事務局参軍と西郷従道を輔翼し成功を奏する事を任命される。[5]同年4月7日海軍省から孟春艦、雲揚艦、歩兵第一小隊、海軍砲二門と陸軍省から熊本鎮台所轄歩兵大隊砲兵一小隊出兵命令が命じられる。[6]という経緯になっている。

5月6日台湾南部上陸すると台湾先住民とのあいだで小競り合いが生じた。5月22日台湾西南部の社寮港に全軍を集結し、西郷命令によって本格的な制圧を開始した[1]。6月3日には牡丹社など事件発生地域を制圧して現地の占領を続けた。戦死者は12名であった[1]。しかし、現地軍は劣悪な衛生状態のなか、亜熱帯地域風土病であるマラリアに罹患するなど被害が広がり、早急な解決が必要となった。マラリア猖獗をきわめ、561名はそれにより病死した[1]。

収拾への交渉[編集]

明治政府は、この出兵の際に清国への通達をせず、また清国内に権益を持つ列強に対しての通達・根回しを行わなかった。これは場合によっては紛争の引き金になりかねない失策であった。清国の実力者李鴻章イギリス駐日大使パークスは当初は日本軍事行動に激しく反発した。その後、イギリス公使ウェードの斡旋で和議が進められ、8月、全権弁理大臣として大久保利通北京に赴いて清国政府交渉した。大久保は、ルジャンドルフランス人法学者ボアソナード顧問として台湾問題交渉し[7]、主たる交渉相手総理衙門大臣の恭親王であった[1]。会談は難航したが、ウェードの仲介や李鴻章の宥和論もあって、10月31日、「日清両国互換条款(zh)」が調印された[1][7]。それによれば、清が日本軍出兵を保民の義挙と認め、日本は生蕃に対し法を設ける事を求め、[8]1874年12月20日までに征討軍を撤退させることに合意した。 また日清両国互換条款互換憑単によると清国遭難民に対する撫恤金(見舞金)10万両(テール)を払い、40万両[注釈 2]を台湾の諸設備費として自ら用いる事を願い出費した。[9]また、清国日本軍の行動を承認したため、琉球民は日本人ということになり、琉球日本帰属国際的に承認されるかたちとなった[1]。

帰結[編集]

日本清国との間で帰属がはっきりしなかった琉球だったが、この事件の処理を通じて日本に有利に働き、明治政府は翌1875年明治8年)、琉球に対し清との冊封朝貢関係廃止明治年号使用などを命令した。しか琉球は清との関係存続を嘆願、清が琉球朝貢禁止に抗議するなど外交上の決着はつかなかった。

1879年明治12年)、明治政府のいわゆる琉球処分に際しても、それに反対する清との1880年明治13年)の北京での交渉において、日本沖縄本島日本領とし八重山諸島宮古島中国領とする案(分島改約案)を提示したが、清は元来二島領有は望まず、冊封関係維持のため二島琉球に返還したうえでの琉球王国再興を求めており、また、分島にたいする琉球人の反対もあり、調印に至らなかった。

また、明治政府兵員輸送英米の船会社を想定していたが拒否され、大型船を急遽購入して国有会社の日本国郵便汽船会社に運航を委託したがこれも拒否され、大隈重信はやむなく新興の民間企業である三菱を起用することに決定したが[10]、この協力により、以降、三菱政府からの恩恵を享受できることとなり、一大財閥になるきっかけとなった[11]。

台湾出兵と熱帯病[編集]

被害[編集]

日本軍の損害は戦死8名、戦傷25名と記録されるが、長期駐屯を余儀なくされたため、マラリアなどの感染症に悩まされ、出征した軍人軍属5,990余人の中の患者延べ数は1万6409人、すなわち、一人あたり、約2.7回罹病するという悲惨な状況に陥った。

軍医部の対応[編集]

1871年(明治4年)、兵部省は、陸軍省海軍省に分かれ、軍医寮は陸軍省に属し、軍医頭は松本良順(のちに順)であった。台湾出兵当時、軍医部は創立より日が浅く経験不足であったが、総力を挙げて事態にあたった。出征軍の医務責任者は桑田衡平二等軍医正(少佐相当)、隊付医長は宮本正寛軍医大尉相当)であった。他に24名の医官を従軍させた。医官は全員奮闘したが、極悪の環境と猛烈な伝染病で病臥する者が多く、西郷都督からは薬だけでも兵士にあたえてほしいと要請された。医官の多くは漢方医で、熱帯病の治療にはまったく経験がなかったという。かれらは交代の22名が到着したため、ようやく帰国できた。宮内省から外国人医師が派遣された。ドイツ出身のセンベルゲル(Dr. Gustav Schoenberg)は、東京大学医学部前身にあたる大学東校お雇い外国人医師レオポルト・ミュルレルの推挙であったが、能力がなくトラブルを起こした。しかし、彼とともに送られた6台の製氷機械は大いに役に立ったといわれている[12]。

花房 義質(はなぶさ よしもと、1842年2月10日天保13年1月1日) - 1917年大正6年)7月9日)は、明治大正期の外交官岡山藩士で実業家政治家(初代岡山市長)花房端連の長男爵位子爵歴任した主な官公職枢密顧問官日本赤十字社社長など。

目次 [非表示]

1 来歴・人物

2 栄典

3 家族

4 脚注

5 関係記録

6 関連事項

7 外部リンク

来歴・人物[編集]

緒方洪庵適塾で学び、1867年ヨーロッパ諸国アメリカ遊学し翌年帰国1870年から外国官御用掛として外務省出仕。同年日清修好条規の土慣らしの為に渡清。

1872年ペルー国船に乗船の清国人奴隷虐待問題マリア・ルース号事件)で外務卿副島種臣の補佐として書記官担当し、仲介裁判のための代理公使としてサンクトペテルブルク派遣され、訴訟の後は日露国画定交渉のため派遣された榎本武揚全権公使を補佐。

1877年、駐李氏朝鮮代理公使に任命されるが翌年1878年8月10日から1876年5月に締結された日朝修好条規に反して 朝鮮政府釜山の豆毛鎮に税関を設置し、朝鮮国内の輸入行者に対して関税徴収を開始したことから報復措置として代理公使の花房は軍艦と共に釜山派遣され豆毛鎮に設置された税関撤去要求する。最終的に、朝鮮政府が折れる形で事態は沈静化し、1878年12月4日に豆毛鎮の税関正式撤去された。1880年4月日本政府漢城への日本公使の常駐化を決定、初代公使として花房が任命される。だが、この時点ではまだ漢城公使館は開いていなかった。この公使館開設の件と仁川開港問題について金弘集と折衝し、その後、漢城日本公使館正式設置と仁川開港朝鮮政府に認めさせ、それに併せ日朝間で国書の交換がなされ、花房は代理公使から公使へと昇格した。

その後朝鮮駐在朝鮮近代化の為別技軍を提案するが、それが原因となった壬午事変では暴徒に包囲された公使館脱出して命からがら帰国、直後に寺内正毅率いる日本軍と共に朝鮮渡り済物浦条約を締結させ、事件の損害補償とともに、漢城への日本軍駐留などを認めさせる。

1883年より1886年までの3年間にわたり、在露特命全権公使としてサンクトペテルブルク駐在した。

その後は農商務次官、帝室会計審査局長宮内次官枢密顧問官日本赤十字社社長などを歴任した。1896年華族に列せられ男爵

目黒にある城南五山の一つである花房山は、1911年に花房が子爵に陞爵した際に別邸を構えたことが地名の由来。(現在品川区上大崎三丁目付近

1917年慢性胃炎のため死去[1]。

1883年6月金玉均自身にとって3回目の日本訪問の途についた。前回の訪日で会見した日本政府の高官は、朝鮮国王委任状があれば借款に応ずることを示唆しており、朝鮮から留学生尹致昊の帰国に際しても大蔵大輔の吉田清成はかさねてそのことを金玉均伝言していた[5][注釈 2]。

しかし、高宗からあたえられた300万円の国債借り入れの委任状を持参して来日した金玉均に対する日本政府対応は冷たかった[5]。300万円は当時の朝鮮における国家財政1年分に相当しており、日本予算約5,000万円からしても巨額なものであった[5][7]。メレドルフの妨害工作もあったが、日本政府としても大蔵卿松方正義緊縮財政を進めているなか、財政力に乏しく政情も不安定朝鮮に対し、そのような巨額な投資をおこなうべき理由は乏しかった[5][10]。金玉均は、日本についで、フランスアメリカ合衆国からの借款工作にも失敗した[5]。

1884年5月金玉均は失意のうちに朝鮮帰国した。朝鮮では、以前にもまして大国清の勢力が猛威をふるい、朝鮮国の重臣たちはそれに追随し、開化派の活動はいっそうせばめられていた[5]。清とフランスの緊張関係の高まりから5月遼東半島に移駐することとなった呉長慶にかわって野心家の袁世凱が実権を掌握し、朝鮮王宮は彼の挙動に左右された[5]。これに危機感を覚えた金玉均らは国王高宗を動かそうと計画した[7][10]。高宗もまた閔氏の専横に心を痛め、朝鮮の将来に不安をいだいていたのである[7]。

清仏戦争の直接原因となった1884年6月23日バク伏兵事件英語版

1884年6月ベトナム領有を意図するフランスベトナムでの宗主権を護持しようとする清国との間で清仏戦争が勃発した[10]。清越国付近バクレでの両軍衝突が引き金となったが、この戦いで劣勢に立った清国朝鮮駐留軍の半数に相当する約1,500名を内地に移駐させた[5]。独立党は、これを好機ととらえた[10]。日本もまた、壬午軍乱以降、無為にすごした失地回復の好機とみて清国勢力の後退を歓迎した[5]。井上馨外務卿帰国中の弁理公使竹添進一郎に訓令し、10月漢城に帰任させた。竹添は軍乱賠償金残金の寄付国王に持ち掛ける一方、金玉均独立党に近づいた[5][11]。

竹添進一郎

金玉均らは11月4日、朴泳孝邸宅日本公使館島村書記官を招いて密談をおこなった。集まったのは、金玉均、朴泳孝、洪英植、徐光範、島村の5名であった[12]。そこで金玉均島村クーデタ計画を打ち明けているが、島村はそれに驚きもせず、むしろ速やかな決行を勧めるほどであったという[12]。かれら独立党は3つのクーデタ計画案を検討し、同年12月に開催が予定されていた「郵征局」の開庁祝賀パーティーに乗じて実行にうつす案が採用された[12][注釈 3]。金玉均11月7日日本公使館をおとずれ、竹添公使クーデタ計画を打ち明け、そのとき竹添から支援約束を得ている[12]。

金玉均漢城駐在イギリスアメリカ合衆国外交官にもクーデタ計画相談した[12]。かれらは、金玉均のえがく理想共感し、清国よりも日本を頼るべきことについても理解を示したが、しかし、決行については清国軍事的優位を認めて、これに反対した[12]。金玉均さらに、それとなく高宗にも計画の内容を伝えて伺いを立てた[12]。高宗もまた、清の軍事力を考えると不成功に終わるのではないかとの懸念を伝えたが、金玉均はこれに食い下がり、フランスと連動して動けば充分に勝機はあると訴えた[12]。高宗は、これを諒とした[12]。

しかし、クーデタに動員できる軍事力といえば、日本公使館警備の日本陸軍仙台鎮台歩兵第4連隊第1大隊第1中隊の150名と、陸軍戸山学校留学して帰国した10数名の朝鮮人士官学生および新式軍隊の一部にすぎなかった[5]。この人数では、半減したとはいえ、なお1,500名を有する清国兵および袁世凱指揮下の朝鮮政府軍に対抗するのは無謀といってよかった[5]。

2017-04-29

http://anond.hatelabo.jp/20170428093048

横だけど、子持ち在外日本人って短期滞在駐在族の方が多くない?

彼らが子供日本人学校に通わせてても、それは単にどうせすぐ日本に帰るんだから日本勉強遅らせたくないとかそういう理由

思想的なもの特にないと思うけど。

逆に現地校や現地のインター通わせるとしても、英語覚えさせたいとか途上国なら現地校は教育安全面考えたら通わせられないとかそういうのだし。

その国に根付いてもう二世三世とかになっていて第一言語日本語な訳でもないし日本人としてのアイデンティティもほぼないけど

国籍日本人、って人だけで日本人学校が成立する国はあるんだろうか。

芸能人が(日本で)インター通わせたがるのは、「芸能人の子」として注目される生活を送らせたくない、ってのもあるかと。

外人多けりゃそういうの薄まるだろうし。

年末年始ハワイで過ごしたがるのも同じでは。日本じゃ常に人の目があって、のびのび過ごせないだろうしさ。

2017-04-24

1年間の海外駐在って大変かな?

就活してる企業で、部署によっては海外駐在があるみたい。わりと楽しそう。工場駐在。知り合い居ないのが結構大変そうだけども

2017-04-14

http://anond.hatelabo.jp/20170414185733

日本にゃ米軍本国のどの基地よりでかい第7艦隊本拠地があるんだよ、横須賀にね

西太平洋からインド洋まですべてに睨みを効かせる第7艦隊があるんだ

日本には韓国駐在している倍の規模の米軍がいて、朝鮮半島での戦略展開には日本後方支援が不可欠になっている

横須賀に核撃つくらい、全然おかしくない合理性がある

後方支援阻害のための、日本国内テロ活動はめちゃくちゃあり得る

被害は何万人じゃなくて何百人かもしれないけどね


そう、何かあっても数か月で落ち着くだろう

でも、何百人から何万人かの犠牲と、国内一部地域の数か月の混乱は、防ぐ必要懸念する必要もないほど、どうでもいいことか?

ねえよw

横須賀を壊滅させればアメリカは恐れを成して逃げるのか?逆だろ

増田理屈なら、そもそも核も兵器も持ってないんやで

使うから持ってるわけで、横須賀に1発撃って次は沖縄に撃つ、横田に撃つ、って言ってもアメリカは何も気にせず突っ込んで来るのか?

金さん捕まったとして、横須賀横田に1発ずつ撃たれたら、アメリカ不利益の方がでかいだろ

金さんの行動原理は保身だけじゃないぞ

国内でのメンツが立たなきゃどの道死ぬし、刺し違え狙ったり、長期化で世論萎えを狙ったりもするぞ

理屈をつけて、ないない笑って思うのは簡単だし楽だが、事態はそんなに単純じゃない

増田が思うほど単純なら、北朝鮮アメリカ中国外交なんか適当にやっても問題ないって話になるぞ

現実はどこまで起きるかわからんし、俺も心の奥ではまさかって思ってるよ

でも、何が起きてもおかしくないとだけは頭には入れておかなきゃいけない事態なんや

突っ込んで来るに決まってるだろ

軍事だけじゃなく政治も考えろよ

まあ、安心したいならそれでいいけどな

2017-04-10

http://anond.hatelabo.jp/20170410200743

別にこれから駐在設定の国の公開中の映画とその評判を調べて、感想語ればいいだけや

図星だったとしても、それほど大きな傷でもない

爪が甘かっただけ、太陽がいっぱい

2017-03-19

日系企業でのキャリア開発

海外勤務の希望を出して5年。今年度も異動できなかった。

努力して、英語中国語は既にビジネスレベル

現業を疎かにしたこともなく、十分な実績を上げていると思う。

案件を作り、2回ほど話がまとまりかけたが、いずれも上司に潰された。

事前ネゴで承諾も得てたが、突然裏切られた。

そうこうしてたら「駐在員は高コストな反面何の実績もない」ことを

経営が察したらしく、今後は新たに人は送らないんだって

既に駐在している連中はアホな派閥を作って、

王様のような贅沢三昧の生活を守るのに必死らしい。

要員計画(誰に何をやらせるか)は、会社ビジョンとか事業戦略

スキルや適正に基づくべきなんだろうけど、実際のところは100%社内政治だもんね。

やる気なくすわー。。

2017-03-13

増田活躍する11人の増田たち

増田の一日は長い。

朝は5時から、夜は明け方の4時過ぎまで。

ほぼ24時間シフト制で誰かしら働いている。

ここで増田活躍する増田たちを紹介しよう。

増田1 35歳 男性 会社員郊外新築を買ったため、片道2時間かけて職場に向かう。満員電車の中で増田を書く。

増田2 30歳 男性 会社員。きままな独身一人暮らしマイペース職場に向かい仕事中に増田を書く。

増田3 40歳 女性 会社員。唯一の女性増田アニメが大好きだが変態男は嫌い。仕事から帰ってから増田を書く。

増田4 21歳 男性 大学生研究室に配属され、研究漬けの日々。その合間を縫って就活にいそしむ。3日に一回くらい増田愚痴を書く。

増田5 24男性 大学院生。かなり優秀ですごい研究をしている。何がすごいのかは分からないが、論文など数多く執筆しているようだ。増田4が愚痴るとやって来る。

増田6 32歳 男性 無職。夜に起床。明け方まで増田に書き込む。

増田7 33男性 会社員変態下ネタが大好き。一日中増田下ネタを書く。

増田8 23男性 新卒。慣れない仕事が多く、上司や同僚の悪口増田で書く。

増田9 45歳 男性 会社員。最高齢。しかし、年齢の割には大したことを書かない。精神年齢実年齢より10歳くらい遅れている。

増田10 28男性 会社員仕事にも慣れ、いっぱしの社会人を気取る。人生経験は浅い。実は童貞

増田11 38歳 男性 無職社会へのいらだちから、すぐに他の増田を煽る。

以上、総勢11人の増田たちが交代で増田を書いている。

時には人数が足らずに自演することもあるが、基本的にどの時間帯でも一人は駐在しているので暇なときはかまってもらおう。

2017-03-09

いち日本人から見たシリコンバレー

一連の「海外移住メリットデメリット」の議論が盛り上がっているので、海外移住を考えている人に少しでも参考になればと思い、「私から見たシリコンバレー」をまとめてみた。

なるべく客観的事実のみ書くことに努めたが、これがシリコンバレーのすべてだというつもりは毛頭ない(もちろんアメリカのすべてでもない)。「そういう体験をしている人もいる」程度に思ってほしい。

先に言っておくと、私は日本人海外移住肯定否定もしない。シリコンバレーに来たい人は来ればいいし、人それぞれじゃね?と思っている。

あんた誰よ

日本大学卒業後、東京にある外資系ソフトウェア会社日本向けのテクニカルサポート担当。その後その会社シリコンバレー本社に異動願いを出した。シリコンバレー在住5年。現在アメリカ国内向けのテクニカルサポートエスカレーションエンジニアをしている(ので、いわゆる「ソフトウェアエンジニア」ではないし駐在でもない)。

妻と1歳になる子供が一人いる。

ぶっちゃけ給料いくら

http://anond.hatelabo.jp/20161223173329

この増田とほぼ同じ(1ドル=118円換算で月170万円くらい、以下すべて118円換算)。ボーナスストックオプションがあるのも同じ。税額も大体同じだから増田数字信憑性があると思っていい。ちなみに給料は月2回(15日と月末)振り込まれるので、1回の振込は一月あたりの半分の金額になる。

会社は四半期決算なので、ボーナスは年4回ある。四半期ごとに数値で目標管理(私の場合は問い合わせのクローズ件数など)し、その達成度でボーナス額が決まる。といっても営業ではないので、上司従業員双方納得できうる達成可能な数値を設定している。言い換えれば、ボーナスはほぼいつも設定額の100%もらっている。

日本ではどのくらいの給料だったの

月収税込み90万円弱ぐらい。本社に異動したとき物価考慮した給料調整があって、異動後は1.5倍くらいになった。海外移住を考えるときに、日本給料がそのまま移住後の給料になることを前提にしている人が多いが、それぞれの土地相場というものがあるので、給料は増減するものと考えたほうがいい(まあ、シリコンバレー移住するなら増えるケースの方が多いのかもしれないが)。

仕事は厳しいの

結論から言えば、日本でのエンジニア労働環境に耐えられるのなら、シリコンバレーでもやっていける。というか標準的日本人エンジニアなら「同僚よりも働き者」の評価をもらえる(それだけ日本エンジニアは働きすぎなのだ)。期待されている仕事えこなしていれば、何時に出社して何時に帰ろうが誰も文句を言わない(同僚に毎日3時に帰る人がいる)。「今日子供の世話をする必要があるので自宅で仕事します」と何度連絡したことか。その代わり結果が出なければ、まれに夜中まで仕事することもある(が残業代はもちろん出ない)。

最近IT系企業では「有給休暇なし」制度流行っている(うちの会社もそうだ)。これは有休が取れないのではなく、仕事に支障がない限り、いつどれだけ有休をとってもいい制度だ。会社にとっても有休の買い取りをしなくていいという財務的なメリットがあるらしい。私も2ヶ月に1回くらいの頻度で金曜に有休を取り、3連休にしている。

うちの会社ではエンジニアレイオフされた例はない。レイオフ心配をしていないと言えばウソになるが、上述の通り、標準的日本人エンジニアなら業務成績が理由レイオフ対象になることはないだろう。ただし、部署全体がレイオフ対象になる可能性はもちろんゼロではない

物価日本と比べてやっぱり高いの

外食が高いのは本当。先日行ってきたサンノゼGo Fishhttps://squareup.com/store/ordergofishSJ)の例を出すとポキ丼(日本で言う海鮮丼みたいなもの)が1357円、大盛りなら1711円(それぞれ税抜きサンノゼではこれに9%の消費税がかかる)。ウェイターがいるようなレストランでは18%前後チップ必要になる。

ただ、大抵の外食メニュー普通盛りでも量が多いので、標準的日本人の2食分くらいある。私は外食した場合は半分だけ食べて、次の食事に残り半分食べる(もしくは妻と1食分をシェアする)。

オフィスでの昼食は上述のポキ丼くらいの値段がかかる(目安として1000-1500円くらい)。In-N-Out Burgerチーズバーガーポテトドリンクで708円)やスーパー惣菜なんかもあるので、安く上げようと思えばやれないこともない。同僚には弁当持参の人も少なくない。

食費や日用品物価乱暴総合すれば、多分日本の1.2-1.5倍くらいになると思う。品物の質はピンからキリまであるので、人によって感じ方が違うのはもちろん否定しない。

参考になるかわからないが、シリコンバレーにはダイソーがあって、全品177円(税抜き)。

住宅費は非常に高い。今住んでるのが2LDKで35万円。これでもシリコンバレー比較的安い地域家賃だ。家を購入しようと思うと、最低でも1億円はかかる。これより低い金額物件物件のものが怪しい(築年数が古すぎるなど)か、治安が悪い地域のものほとんど。で、住宅ローンを借りようとすると利率は3-4%くらいになる。

医療費はどうよ

はじめに断っておくと、アメリカ医療保険会社会社提供しているプランによって千差万別だ。ブコメ増田で人によって言うことが違うのもそれが原因だ。以下も私の個人的な例なので、アメリカ全体に一般化できないことは注意してほしい。

医療保険には大きく分けてHDHP、HMO、PPOの3種類ありこの順に保険料が高くなる。それぞれの特色は

私は家族に持病があることもあり、PPOに加入している。毎月の保険料は73000円。

実際の医療費はというと、たとえば先日妻が乳がん検診を受けたのだが、最初の検診は予防検診とみなされ、100%保険扱いとなり、自己負担ゼロしかしその後要追加検査となり、追加検査費用として7万円、自己負担10%なので7000円かかった。

先日足の指を骨折した同僚は、完治まで83万円かかったと言っていた。彼はHDHPだったので60万円前後支払ったことになる(が、上述の通り25万円会社が補助してくれる)。

ちなみに我が家出産日本で行ったので、アメリカでの出産費用はわからない。

なお、アメリカ医療費には日本のような定価が存在しないので、これらの金額病院によって大きく違うことがあることに注意してほしい。

英語力はどうよ

私はエスカレーションエンジニアといって、他のサポートエンジニア解決できない問題調査・解析するポジション担当している。通常のサポートエンジニアと違って直接顧客相手にする機会が少なく、大体決まったメンバーとのやり取りが主なので、互いが相手英語になれればネイティブレベル英語でなくても十分仕事をこなせる。英語使用は会話:チャットメールが5:5くらい。

学生のころから英語は好きだったが、留学経験は全くない。

そうは言ってもビザはどうするのよ

ビザの取得は正直言って難しい。私は当初H-1Bという専門職ビザ移住しようとしたが、H-1Bビザは年間の発行上限数が決まっており、その抽選漏れしまったのだ。そこで私の場合日本支社から本社への異動ということでLビザを取得し、事なきを得た。

もちろんLビザはすべての人に使える方法ではない(Lは主に駐在者に発行されるビザだ)。一般的エンジニア移住しようとすればH-1Bビザを取得することになるが、上述の通り抽選漏れしまうと、一年後の再申請まで日本で待たなくてはならない。その間、転職先が一年待ってくれるのかというリスクもある。

一番現実的方法アメリカ大学卒業し、OPTビザを使いながらH-1Bビザを取得することだろう。次に現実的なのが日本から直接転職すること(上述の通りビザ抽選漏れリスクはある)。その次がグリーンカード抽選による永住権取得だろうか。私の知り合いにグリーンカード抽選に当たり移住した人もいるので、あながち現実的でもないのかもしれない。

その他

シリコンバレー地理的日本(を含めたアジア)に近いので、価格はともかく日本のものはほぼなんでも手に入る。ついこの間も妻と「どうしてもシリコンバレーで手に入らない日本のもの」を挙げようとしたが、何も思いつかなかった。時期的に妻がおせち料理の準備をしているが、ミツワやマルカイといった日系スーパーにはおせちコーナーがあり、日本で作っていたものとまったく同じおせち料理が作れる。

あとシリコンバレー気候は最高。日本の夏と冬の気候が厳しいので、夏と冬は日本に帰れなくなってしまった。

他に聞きたいことがあればブコメトラバで教えてほしい。気が向けば答えるかもしれない。

そんじゃーね

2017-03-03

http://anond.hatelabo.jp/20170303181236

外交官妻は凄いのではないかと思うけど、単なる駐在妻は今はステータスじゃないと思う

昔なら駐在員=海外支店があるような超大企業エリート!ってなイメージだったけど

今は中小でも海外社員派遣する企業も多いし

駐在国先進国とは限らず中国とかアジアだったりもするしピンキリ

大企業駐在員でも、妻も似たような大企業エリート仕事辞めたくないのに

夫の為に仕方なく仕事辞めて泣く泣くついていく、なんてケースも聞くよ

昔なら妻は最初から専業だったり辞めてもどうでもいい仕事しかしてなかったんだろうけど、今はそうじゃないからね

http://anond.hatelabo.jp/20170303174005

それ専業主婦志望というより、海外暮らしてみたい!ってんじゃないのかな

海外生活に憧れる女って一定数いるけど、自力就労ビザ取って行くのは大変だし国際結婚も大変、駐在妻が一番楽だから

知り合いでそういう人がいたけど、夫は中小企業勤めだし赴任先もアメリカとは言え田舎だしであまりいい思いはしなかったようだ

どうも勤め先に退職しても5年以内?だと無条件で復職できる制度があって(本来出産とか介護を想定したものらしい)

それを利用して、仕事辞めて駐在妻やって戻って来ても専業にならずに済むという予定だったらしいけど

結局夫は帰国後も東京に戻らず(その知り合いの勤め先は東京)、しばらく別居婚してたみたいだけど結局辞める羽目になったらしい

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