はてなキーワード: 肥後とは
ケース記録 (令和5年度)
令和5年1月19日 記録
主、東京に戻ってきたと言う。以後、いつものように、赤羽ゴルフ場で歌っているが、GLAYのPrecious Loveが異様に多く、それ以外にも、ラルクアンシエル、など、複数曲のオンパレード
になることもある。独りで、グレイ、ラルク、宇多田ヒカル、鬼束ちひろなどを歌い分けている。
令和5年2月13日 記録
イオンスタイル板橋前野にあった、ラ=ドロゲリアが、越谷レイクタウンのKAZE内、イオン1階に移転したためそれを狙って、さいたま地検越谷支部に再審記録の閲覧のついでに、越谷レイクタウンに
行ったという。しかし、ラ=ドロゲリアは、18時前に閉まっており利用できなかったということ。
令和5年2月17日 記録
住んでいるメゾンときわ台で大掛かりな断水があり、シャワーの湯が出なくなったという。午前4時頃に、チー牛の配管工が来て翌日には直っていたということ。管理人の金光裕鳳の方からも
断水をして申し訳ありませんという告知があった。
令和5年2月27日 記録
主、 昼間は警察等の機材で、爆睡状態で、かれこれ黒羽刑務所を出た9年前からどうにもならないという。昼間の明るい光を見ると脳の処理が急激に眠くなり日中に活動することができなく
なるか、日中に強引に活動しても、朝8時30分~5時の時間の流れが速く空疎になり、手の打ちようがないという。スーパーへの買い物の繰り返しと爆睡をしている日が異常に多く、一度、その
ループに入ると出られなくなるという。
令和5年3月7日 記録
Amazonで、 20668円の70ワットの拡声器を買ったところ、おもちゃ同然で、河川敷に持って行ったところ、落としてUSB部電気基盤が陥没して直ちに壊れたので返品したということ。
代わりに、3月14日に自宅に来た、Mymealivosの9339円の50W拡声器を主流に使っているという。
令和5年3月7日 記録 その他
また、室内窃盗と、この時期から、付近の焼き鳥屋の少年が接近してきたということ。 去年の11月7日から明らかな室内窃盗が多く、3月頃から明らかに合鍵を持っている者が入っている
ということで、拡声器で、前野町公営住宅の前からライフに向かった方向に演説をしているという。ときわ台メリーガーデンの老人が出てきて、みんな仕事に行って帰って来てぐったりして寝ているから、
騒音を止めてくれと直々に出てきたことがある。顔の印象は消防長で、現在の、Ptt_kr(ぺち)が使用しているアイコンのような男性老人、裁判所書記官のしらちゃんも検察官も、仕事場から帰って
来て、疲れ切っていらついてぐったりして寝ている人が多いということ。室内窃盗が多いのであれば、鍵を変えたらどうかと提案もされたが、いやなので無視した。
令和5年4月17日 記録
主、 さいたま地検越谷支部に再審記録の閲覧にいったついでに、越谷レイクタウンのKAZEで、鬼おろしぶっかけうどん、と、海鮮フォーを食べたが、後者はもっさりしているだけであまりおいしくない
ということ。海鮮フォーは低カロリーであるといわれているが、レイクタウンの海鮮フォーが低カロリーとは思えなかったということ。
令和5年4月28日 記録
主、学生時代に住んでいた、市ヶ谷の宮崎県人寮を見に行ったが、警備員がいるだけで、中を見せてくれと言っても見せない。警備員は、飯沼病院の肥後医師に似ていたということ。
令和5年5月1日 記録
いつものように荒川河川敷に運動に行っていたところ、決まり切ったように脱輪。 新河岸のAZA工場付近で演説。脱輪したまま、歯科医院付属の駐輪場から適当な自転車を借りて帰った
ところ、5月3日に使用窃盗で調べを受けたということ。実際には窃盗の容疑だったが、 6月27日に不起訴処分になったということ。
令和5年5月3日 記録
朝方まで、猪股辰之による調べが続き、自宅に帰されたのは、朝方5時30分頃で、疲れてぐったりしてネタと言うこと。警察官からは、検事さんから呼出あるかもしれないといってそのまま
引き返して行ったが、呼び出しはなかった。
以下、ケース記録の続き
平成31年1月27日 記録
主が新しいパソコンを購入するとともに、志村警察署の前で拡声器でシャウトしているということ。ツイッターのアカウントがロックされた上に、パソコンが青色の画面になって
立ち上がらなくなったという。 起案者 木田
平成31年2月8日 記録
主が、 蓮根のサイクルハウスヒロで、8000円のサイモトの軽快自転車を購入したということ。また、それとともに、志村健康福祉センターに相談をしたという。
平成31年2月14日 記録
主が被害を受けていた209号室の篠原直樹が退去になり、類似者が東京メトロで刺傷事件を起こして逮捕されたということ。
平成31年2月23日 記録
主が 拡声器でGLAYの歌をシャウトしているという。 近くにいた若者が通報し臨場した警官が朝霞水門まで追跡したが途中で見当たらなくなったという。主によれば、
朝霞水門の横の草むらから打間木通りに出て、朝霞大橋→和光高校を通って帰ってきたと言う。 シェアハウスの入り口に警官が張っていたことからシェアハウスの裏側から入り
事なきを得た。
平成31年2月25日 記録
主が東京大学法学部卒業生委員会に電話したところ、佐藤と名乗る者が、電話を経済学部のビルに持ち込んで入試実施中にバタバタしていたという。
平成31年3月2日 記録
主が初めてジェットスターを使って宮崎空港から延岡に帰省したという。帰省するなり、拡声器で、延岡消防署にGLAYの歌をシャウトしたらしいが、5ちゃんねるの警察官に
ヌルポガされてその場はお終いになったということ。延岡消防署の3階の警防課の大もぐらが考えこんでいる様子が上空に出てきたと言う。
平成31年3月20日 記録
関東厚生信越局社会保険審査官中嶋康弘氏から着電があり、主に関する年金の審査を棄却したということ。
平成31年4月20日 記録
令和元年6月1日
主が通院している飯沼病院の担当医師である肥後から、妄想をとる薬としてロナセンを紹介されたが必要がないといって断ったということ。飯沼病院では、平成30年7月4日
の診断で、 気に入らないことがあること大声を上げる、 自閉、感情平板化、意欲の減退の状態像を呈していて、日常の簡単なことは行えるが労働は不能、とされている。
令和元年6月20日~8月20日
主が霞が関の東京地検前や荒川河川敷の草むらの中に自転車で入って行って散発的に拡声器でシャウトして訳の分からないことを叫んでいるという通報あり。なんでそういうことをするように
なったのかという質問に、今年の1月下旬からパソコンが青の画面になって立ち上がらなくなったり、去年の11月にシェアハウスの209号室の者から暴行を受けた。延岡に帰った際に、4月15日に、デリバリーヘルスの従業員と一触即発の喧嘩があり、精神状態が段々悪化したという。
令和元年9月4日
主が荒川河川敷で午後10時に拡声器とパソコンをつないで、テレビゲームFF8の主題歌のEyes on meを大音量で流した件で、軽犯罪で取り調べを受けることになったという。
当日は始末書を書いただけで終わり、それ以後の取り調べは不明。
令和元年10月31日 記録
徳丸のごみ清掃工場から連絡があり、主に生活保護のごみ捨てのAB券を郵送したということ。10月31日と11月16日の2回の期日に分けて、ごみ券を使用してシェアハウスの
ガラクタを捨てるのだという。
令和元年11月12日 記録
主が起こした軽犯罪事件の現場検証の後に、午後に、厚生労働省の2次審査に行ったという。口頭試問の公開会場は厚生労働省内にあり、丸の内線で霞が関まで行った
ということ。会場には審査官の高野伸と参与の高齢女性、傍聴者などもいたが、黙っているだけで返事はなかったという。
令和元年11月17日 記録
主が民間の会社に委託して、60500円を支払ってシェアハウスの大掛かりな掃除を自分の費用でやったという。
令和元年12月25日 記録
原告番号⑩ 前田町子の意見 なーんでばあがこんげなこつせんといかんとけ、ばあはもう75歳を過ぎて後期高齢者よ、後はゆっくり休まないといかんちゃわ。 もういやぞ。
原告番号⑪ 前田郁子の意見 ばあが、もういやーぞ、ち、いいよったわ
原告番号⑫ 富美山の高齢者 なんでこんげな時代にあんげなこつしよっとやろかい・・・
原告番号⑬ 波崎デリヘル拡声器店長 お前みたいなしつこい奴いまどき誰も相手にせんわ。二度と電話してくんな
原告番号⑭ 前田晴生 実はワシも何が面白いとか全然分からん。でん、あんやつどん(警察)がやりよるから仕方がない。
原告番号⑮ 池袋LIPの さくら まんどくせー (令和4年6月13日提出の意見)
原告番号⑯ 肥後裕太(大阪デリヘル店員) おまえ実につまらない生活してんな、他にすることねーのかよ、まじで ( 平成31年2月25日着信 )
11000円は返せばいいんだろ
原告番号⑰ 渋谷で求められる俺のカラダ うちの店自体がもうダメですので・・・・・
被告番号① 熊谷永華 生活をしなければならないから、原発再稼働はやむを得ない。
小池勝雅
井上修二
戸田勇哉
追記をはじめに書くべきとのブコメがありましたので修正しました。
○増補新版にしか弥助の記載がないってコメントあるけどそうなの?そもそもロックリーの本の方が先にでているらしいし、頑張ってこんな微妙なウソつくのはどうなんだ。/そもそも記載は本当でも南蛮人から買うしかない
○弥助の事書かれて無い2017年版大航海時代の日本人奴隷持ってるけど、2021年発行増補新版の間で何かに目覚めたんかな?17年版は序章の改宗ユダヤ人が異端狩りを逃れて日本へ逃げ込む所なんか凄い面白い本なんだけど
そしたらロックリー先生初出、岡・ソウザ先生がそれを取り入れた可能性もあるのか
そしてそれを取り込んでしまったせいで目茶苦茶な記載になったのかも
(肥後に弥助の妻子がいたと読み取れる件について)
○その部分は、校正の最終段階で、段落を丸ごと削除した際に残ってしまったミスです。2021年の再版刊行時にすでに修正済みです。アカデミアの方であれば、そういったことが生じることはご存知ではないでしょうか?それに、弥介の話は前段落で終わっているのは、文章を読めば理解できるところです。
○なおkindleは初版以降の修正は反映されないことが確認されたため、本日中央公論新社と協議の上、Amazonに修正依頼しました。来週には修正される予定です。本日大規模重版かかりましたので、同じ頁の数字の誤字も修正されます。ご指摘、どうもありがとうございました。
(後掲岡先生のXより)
アカデミアでは段落丸々削除する程度のミスは当然に生じうるから問題なし、またこれを弥助の話と取るのは読解力の問題、とのようだ。
弥助の話をしている流れで肥後の妻子の話を続けているのだから、普通の読解力だと弥助の話と受け取ると思うのだが。アカデミアの方々の高度な読解力は凄いね。
また、私なら、まずミスしてしまった本を読んでしまった読者に謝罪するけどアカデミアの流儀は分かんないね
なお、「廿」については修正されていそうだが、「器量すくやか」の誤読(?)についてはコメントされていなかった。
「戦国大名は黒人奴隷を求めた」説、ロックリーさんの捏造ではない
かもしれない。
アサクリの弥助問題から派生して、日本大学准教授のロックリー先生が、「戦国大名は黒人奴隷を欲していた」とデマを流している、との言説がある。
しかし、これはロックリー先生のデマではないのではないか、との意見がX上で交わされているので、ロックリー先生の名誉のためにまとめておこうと思う。(リンクが多くなりすぎるのでリンクは省略)
東京大学史料編纂所の准教授の岡美穂子先生と、その配偶者であり東京外国語大学特任教授のルシオ・デ・ソウザ先生の共著である「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」(中公選書)という学術書がある。
屈強で珍しいカフル人を従者にすることは、日本人にとっては「富貴」や「威風」の象徴で、交易に関係する大名たちはこぞってその所有を望んだと思われる(215ページ)
また、ロックリー先生の著作の「信長と弥助」(太田出版)にはこうある。
ロックリー先生の著作が2019年出版、岡・ソウザ先生の著作が2017年であることから、ロックリー先生は岡・ソウザ先生の著作を参考に書かれた可能性がある。
つまり、岡・ソウザ先生は従者と記載しているのを、ロックリー先生が奴隷と言い換えてしまったようなのだ。母国語ではないせいで細かいニュアンスが変わってしまったのか、意図的なのかは不明だが。
ちなみに岡先生・ソウザ先生の著作に「「富貴」や「威風」の象徴…こぞってその所有を望んだと思われる」とあるが、その根拠は示されておらず、不明である。岡先生・ソウザ先生の博識にてらすと論ずるまでもないことなのかもしれない。
ただ、ロックリー先生の著作は英語版では内容が異なるという話もある。そこまで追えていないが。
商売上手の中央公論新社が、話題になったこの機会を捉えて「大航海時代の日本人奴隷 増補新版」を増刷してくださるそうだ。(https://x.com/chukoshinsho/status/1815737944243573035)
せっかくの機会なので皆様も是非お読みいただきたい。
注目すべきページがある。(https://i.imgur.com/aQlemYT.jpeg)
書籍内では「16、7歳」(4行目)とあるが、実は信長公記では「廿六、七」と書いてある。もちろんこれは26、27歳のことであり、①単純なミスが発見できなかったか、②「廿」という文字が読めなかったか、ということになる。ケアレスミスだろうか。
書籍内では「穏やかな気性」(5行目)とある。これも信長公記にあたってみると、「器量すくやか(健やか)」とあるが、現代文に訳すのならば「立派な」や「頑丈な」、「才気にあふれた」といった意味となる。これもケアレスミスだろうか。
書籍内では肥後に妻子がいたとされている(後ろから2行目)。文脈上これは弥助のことだと思われるが、史料中で弥助に妻子がいたことを示すものはまったくない。何を根拠にしているのだろうか。
ルシオ・デ・ソウザ先生は、ロックリー先生の最新作「A Gentleman from Japan」の推薦を書いており、関係は良好だと思われる。
岡美穂子先生によると次の通りだ。
「ゲンダイ」系の媒体、上からの圧力にも曲げず、頑張ってらっしゃいます。どうせ競馬と女性の裸の写真しか載っていないんだろうから読者の質など知れていると、オカミはタカをくくっておられるのかもしれませんが、なかなかどうして、左翼系知識人から、かなり支持されておりますのですよ。私は左翼でも、知識人でもありませんけど。でも右翼は絶対嫌だ。
そんなこんなんで、お友達がいるわけでもない日刊ゲンダイで、本が紹介されました。とても嬉しいです。
https://web.archive.org/web/20201101144221/https://mdesousa.exblog.jp/m2017-06-01/
岡先生のブログによると、左翼系知識人は日刊ゲンダイをかなり支持しているとのこと、また、御本人は左翼でも知識人でもないけど、右翼は絶対嫌とのことだ。
ちなみにこのブログは、2024年5月16日まではウェブアーカイブにて確認できるが、岡先生が今回の弥助・黒人奴隷議論に御参加されるころには既に削除されてしまっている。
弥助・黒人奴隷議論に際し、岡先生のなされた御発言をまとめておこうと思う。
○これだけ「歴史修正主義」って叫ぶ人が出てきてるのに(笑)、右系論壇が沈黙しているのは、さすがにこの問題に関わったら、常識を疑われると認識できているのだろう。
○将来を嘱望されていた呉座さんがあんなことになってしまったのは、あなたたちのような人と不用意に繋がってしまったからでしょうね。
○「権威の象徴としてアフリカ人奴隷を使うという流行が始まった」という文章を否定しろ、という意見が多いようですね。ここで迂闊に発言すれば揚げ足をとられそうです。外務省から正式な要請があれば、史料付きでやっても良いですよ。外務省がこの問題を本当に「国際的な国益問題」と判断すればですが。
○私はロックリーさんの著作は、日本語も英語も「歴史読みもの」であり、学術研究であるとは考えておりません。しかしそれが書かれるにあたって、彼が様々な文献にあたり、想像を超える努力をしたことは存じております。
○彼等にとって、ロックリーさんの著作が、歴史や日本への関心を形成するバイブルであるのだとしたら、それを否定するのは、彼等をとても傷つけることであり、それに対する防衛として、ネットの中で「歴史戦」が展開されているのでしょう。
○に「裏で」繋がっていませんが。私が海外で出版した本のレビューを権威あるジャーナルで紹介してくれたのは彼ですし。面識のない人を「あんた」と呼ぶのは、いかがなものでしょう。おそらく、現在表に出ている人間で、彼を表舞台に連れてこれるのは私だけですが、こんな人のためにはできませんね。
ここから、①右翼・右派に対する敵対心がある、②ロックリー先生の著作は読み物だが、ロックリー先生の努力やそれを信じる人のためにも否定しない。(ロックリー先生は史実と主張しているが)、③政府から言われれば自身の著作を修正しても良い、④ロックリー先生とは夫婦揃ってかなり深いつながりがある、という御意見をお持ち・事実関係であるいうことが読み取れそうだ。
著名な学者であり、岡先生の同僚でもある隠岐さや香先生まで、岡先生擁護の論陣を張っていた。
日本史研究者への歴史観にまつわる誹謗中傷、オンラインハラスメントは「アジアにおける学問の自由への脅威」の一例として報告されるレベルでして、まさに言論弾圧の一種として国際的にも認識されています
https://www.asianstudies.org/publications/new-threats-to-academic-freedom/
ちなみにオンラインハラスメントの日本での事例として、隠岐先生御紹介のページでは望月衣塑子さんの新聞記者が挙げられている。あれってフィクションじゃなかったっけ…?
実際に字下げによるGLAYのコンサートは、字下げが34歳のときに、赤羽ゴルフ場のそらに、最初に監察課の子供が、「35歳からGLAY」という透明の横断幕を出す。しかし実際に、35歳に
なった平成30年10月4日からはGLAYは開始されなかった。11月15日から蓮根を運動するように命令されてから赤羽ゴルフ場には行っていないはずであり、12月25日に、蓮根の
小雪(いいわよ)で男性から飲まされている形跡があるが、12月25日かどうかも記録がない。平成31年1月18日までTwitterをしていたが、1月19日に、増田で、またいじめてやるからな
という書き込みと同時に、Twitterが、アカウント凍結となっている。平成30年11月6日午後3時の206号室の男、1月19日の森脇の書き込みがよほど重大だったらしく、2月15日に
霞が関で拡声器をうっている、2月23日には、打間木通りの方までいって朝霞大橋をわたって和光高校のところから帰ってきている形跡がある。令和元年4月20日に東京に戻ってきているが、
いずれもインターネットの増田かバクサイの痕跡が残るはずだが全く残っていない。さらに、パソコン内のデータを全部検索することによっても、痕跡が発見できない。平成31年1月19日に森脇が、
Twitterのアカウントを凍結したことと、平成30年11月6日の、篠原直樹の犯罪が重要な原因になっていると思う。さらに、平成31年4月15日に、マカロンの田中辰之介がそこで恫喝した
こともあると思うが、 篠原直樹、森脇、田中辰之介の一連の行為が原因かどうかは記憶がない。令和元年6月1日に、肥後で受診しているという記録はあるが、診断書等は、厚生労働省の
二次審査のために、令和元年10月13日に送付されてきており、二次審査と軽犯罪の現場検証も、令和元年11月12日の午前午後に集中的に実施されている。
行政が開発したなんか、シカモアっていう高性能計算装置がどっかに置いてあって、そいつをクソガキの技術で動かして色々やっているから、人工知能、AIで、 そうすると、その装置を撃ち抜くか、
後ろで動いているガキをやるかどっちかの選択肢になるわけだがそれも判断できないとか終わってるな
志乃とか、 肥後みたいな医者になってくると明らかにそれを使って生活してるよ。 武蔵野病院にいたしな。 前野町の自動車の8181って書いてるママもやってるし、
エーデルハイムの、色んな奴が使用しているが、集合住宅の外観からは分からない上、分からないところに送信装置があり、佐藤のクソガキは、
その装置は、部屋の外にあります、などと嘘を言い、その装置がどこにあるのかは言わない。 そもそも事実関係を指摘する者がいない。
延岡の大貫だと、 関係ないところに拡声器を撃ち込まれると、 その装置の制御が狂うからほとんど自動的に自宅に隠れている30代40代が出てきて通報している。
R6.5.10 11時57分支援員に携帯電話に着信があり、今日は受診ではないか、に、 応答、 前野1焼き鳥店前に若者が出ているが不審な感じはない。
6か月前から処方薬が累積し、大量に余りが出ているということ。 武蔵野病院内、 複数の医療技術者が口裏を合わせている感じで、ばれているのにそれでも張り付いてくるといった感じ。
脳CT検査室、など、専門的で高度な技術を必要とする部屋が並ぶ。 須佐医局長は、R6.3.22頃には既に退職し、3.27にはすでにいなかったという。 主によると、R6.1の受診で
心電図を取られて境界域にあると説明、 採血は怖い女性がしようとしたが、主が面倒くさいといって暴れるので採血は中止し、心電図だけ取って診察室へ。
※ 採血は、平成30年4月16日に木田ケースワーカーに時代に、板橋中央総合病院を風邪で受診した際にそこでとってもらった。 飯沼病院では採血はしていない。
人工知能にざちゃんと妹が混じったような感じ たまに、わからん、等と言う。 文京区福祉事務所の志乃や、 飯沼の肥後のような太った患者が座っている。
自宅は練馬区にあり、バスで事務所に通っているという。行動が高齢者じみていて眠い。 夜間は川岸の向こうに、巡査部長のざちゃんがライトを照らして立っている。
自動車が走り、 す、さ、け、せ、と書いている。 支援員は帰宅するためバス亭に向かう。 す、さ、け、せ、と書いている車を運転しているもの自体は普通の顔をしているので、自動車の
平仮名によって電波送信しているのは分からないところにいる者であると思う。 調剤薬局でマスクを買うという。110円のマスクを買って領収証を受領していた。
支援員のざちゃんの書いた経過表をみると、何もなくて本人が弱っているときに行った文言などについては詳細に起案しているが、本日のように患者の方が強く出ているとほとんど記録していない様子。
肥後った?ああ、██████ね。
黒羽の件はお気の毒様。でも████████████のず████████イは傑作だったぜ。
たまに思うんだよ。夜の██████████が██、██████████と交わる性██████を。
███████████████████████████████████████████████。
███████████はどうしてるんだ?生きてんのか?
今話題のランドセル炎上九州男児の過去ツイが完全にヤバいを超えてて怖いし周りの人間も軒並みヤバい
https://twitter.com/asokara/status/1603529522317791232?t=6fZhKyspc10Yh-YRd6C2zw&s=19
呑み屋のママが人形をくれると言う。客が置いてった物で体重50kg女性の人形らしい。欲しい。顔と手足を切ってサーボで動かし観音型おみくじマシンを作りたい。一人じゃ持てんから嫁と取りに行った。で、帰って箱を開けた。ギャフン。欲しいパーツが全部ない。ふと見たら四女が股間に手を入れ遊んでた。
ラブドールを幼児がいる家庭にプレゼントする呑み屋のママ、ラブドールの股間に手を突っ込む幼女の写真をアップする父親。
https://twitter.com/asokara/status/1692665283344032078?t=xom9Tr-sVvtfVhCV726TLQ&s=19
呑み屋のママから人形を貰い時間とカネをかけおみくじマシンに仕上げたら嫁が激怒。「30km以上離れた所に置け」と言われた事は前に書いた。で、色んな人に打診したら忘れた頃に「記事にしました」とネット新聞からメールが来た。1円も稼がず奥へしまったけど日の目を見るかも。
https://higojournal.com/archives/dokidokimemoriaruamikujimasi-n.html
https://twitter.com/asokara/status/1427403622741024769?t=G3-KIV7HbWuAOL3JQhaBWw&s=19
同級生が家族連れで泊まりに来た。うちの次女に避妊の重要性を語りに来たと言う。裸の付き合いがいいだろうという事で風呂に入り次女を待った。次女は年頃だ。脱がなかった。服を着たまま洗い場に座り全裸44歳の説教を黙って聞いた。みんな笑った。壁越しに声が聞こえる。全裸44と着衣17の哀れな密談。
17の娘に風呂で裸で避妊について教えようとする父親の同級生、それを笑っている2家族。
この父親もヤバいけど、周りの人たちも頭がおかしくて恐怖すら感じる。
https://twitter.com/asokara/status/1039656897219940352?t=wWTgbvv1VaKMRoByNHiyQw&s=19
小6の運動会は親子競技。長女も次女も父を嫌がり嫁と出た。が、三女は父がいいと言った。期待に応えるぞ。まずは集団から娘を探す。見付けたら肩を叩けと言われたがおっぱい揉んだ。二人三脚、風船割、お姫様抱っこでゴール。「やった1位だ」キスしたら公衆の面前でぶん殴られた。信じられない娘だ。
https://twitter.com/asokara/status/660629287788109825?t=gt6zjOX0VPceWgTKKarXsg&s=19
三女の尻を触ったら思いっきり引っ掻かれて流血。叱ったら「そのくらいのキズなによ!今日はハロウィン!ハロゥインぽくていいじゃない!」ときた。「むかつくー!ハロウィンなんてクソ喰らえ!仏教徒の小さな反抗を見よ!」カボチャを荼毘に付した。
https://twitter.com/asokara/status/508028472875565056?t=1CfsFHyGpYRsJwzIuZ3JvQ&s=19
手の平サイズのその世界は指をクイッとする事で大きくなるらしい。大きくなった。凄い。ナウい。こういうものを触っていると現実と手の平がゴッチャになるに違いない。隣に次女がいた。「おっぱい大きくなーれ」クイッ「馬鹿アホ死ねデブ」一年ぶんの罵詈雑言を浴びて現実に戻った。何と恐ろしい機械。
https://news.yahoo.co.jp/byline/tokurikimotohiko/20230114-00332842
この記事で「有吉弘行さんがラジオ番組で「肥後さんとVaundyが一緒ぐらいスベってた」という批判的な発言をされていた点でしょう。おそらくは、(略)このコメントに対して傷ついたり怒りを感じたVaundyファンの方も少なくないようで、一部のネットメディアが有吉さんが大炎上と取り上げていました。」
とあったのだけど、「有吉 Vaundy」と調べてもVaundyのファンが傷ついていそうなツイートなんて出てこないし出てきたのは日付しか合ってないでお馴染みの東スポの記事。
出羽 人気の守
常陸 たまに守出るでしょ
上野 すけでよく出る
上総 守人気高し
越中 惜しい
信濃 まあまあ
甲斐 人気薄
駿河 人気薄
伊豆 守人気高し
遠江 人気なし 全くありえない
若狭 ありえない
尾張 まあまあ
伊勢 ありえない
紀伊 ありえない
飛騨 ありえない
加賀 ありえない
三河 まあまあ
志摩 ありえない
近江 人気あり
山城 まあまあ
丹後 あり
摂津 なし
和泉 なし
河内 あり
淡路 なし
大和 なし
因幡 あり
伯耆 なし
石見 なし
美作 なし
安芸 なし
周防 なし
長門 まあまあ
阿波 あり
讃岐 なし
伊予 なし
土佐 人気
筑前 あり
筑後 あり
豊前 あり
豊後 あり
肥前 なし
日向 なし
薩摩 あり
大隅 なし
琉球 あり
anond:20221001090653の続きのようなもの。
南島原市・西有家町では「みそ五郎」という名前のキャラクターを見かけた。これは、町民・市民がゼロから生み出した存在ではなく、この地に伝わる民話に登場する人物である。
1980年代の旧・西有家町時代から、地元の有志の人々が地域興しのシンボルとして用い始めたとのことである。したがって、近年の日本各地における「ゆるキャラ」の乱立・流行とは無関係であるが、その流行が少しは追い風になったのかもしれない。今では、役場に像が設置されたり、地域特産品のパッケージにイラストがあしらわれるなど、みそ五郎は各方面で活躍している様子である。
以前、日本テレビの番組『TOKIOのザ!鉄腕!DASH!!』で、ソーラー発電パネルを搭載したカスタム軽自動車に乗り込み、日本全国の海岸線沿い道路を走破するという企画に挑戦していたことがある。その中で、TOKIOが西有家町を通過した際には、番組内VTRでも全国に紹介されたそうである。その番組を見た記憶が有るという人も、存在するかもしれない。
味噌が大好物とされる。里の者から味噌をもらえば、御返しに、巨体と怪力を活かして力仕事などを手伝ってくれたという。
また、高岩山(たかいわさん)に腰掛けて有明海で顔を洗ったとか、対岸の肥後(熊本)・天草まで一足で跳躍して有明海を越えて渡ったという巨体ぶりも語られる。
住処とされた高岩山には、今でも、みそ五郎の足跡を残していると言われる岩石が存在する。
みそ五郎は、妖怪呼ばわりされている訳では無いが、水木しげる等の著した様々な妖怪関連書籍で紹介される山中の妖怪ヤマオトコや、日本各地に存在するダイダラボッチを筆頭とした巨人伝説との共通点・類似点を持つ。
ヤマオトコも、みそ五郎やダイダラボッチほどではないが巨人であり、酒が大好物とされ、人間から酒をもらえば返礼に杣人(そまびと)らの力仕事などを手伝ってくれるという、温和な妖怪である。味噌と酒という違いはあるが、みそ五郎もヤマオトコも、共に発酵食品を好むとされる点が興味深い。
海を一息に越えるとか一跨ぎにするとか、山に腰掛けて海で顔や手足を洗うというのは、これは巨人伝説においては、巨大さを表現するための常套手段である。竹原春泉斎の挿絵で名高い『絵本百物語(桃山人夜話)』に登場する、讃岐の手洗い鬼が瀬戸内海を跨いで手を洗った話など、様々な類話が知られている。
このように見ると、みそ五郎は孤立した存在ではなく、日本各地で広く見られる、山中の温和な妖怪や、巨人型妖怪の系譜に連なることが分かる。
みそ五郎に何らかの独自性を感じるとすれば、まずは彼の好物である味噌なのであろうが、むしろ私は、呼び名である「みそ五郎」そのものに興味をそそられた。
何故「みそ『五郎』」なのだろうか? そう考えたのである。単に「味噌が好物の(大)男」というのであれば、別に「みそ太郎」でも「みそ彦」でも「みそ兵衛」でも構わないはずではないか。
みそ五郎が、有明海を飛び越えて肥後・天草に向かったのに倣い、私も同じ九州の他県へと(想像の中で)跳躍してみることにする。そうすると直ぐに、南九州の宮崎県・鹿児島県に伝わる巨人「大人弥五郎(おおひとやごろう)」の伝説を見出す。奇しくも「五郎」の名を持つことに、注目してもよいであろう。
大人弥五郎の伝説は、怪力で里人を助けてくれたり、山に腰掛けて海で顔を洗うといった、みそ五郎その他の巨人・妖怪と類似するものである。みそ五郎と異なる点としては、好物が明確でない点、特に山を根城としているとは明言されていない点、軽い悪さやイタズラをして里人を困らせるといったトリックスター的なエピソードを持つ点などが挙げられる。
有明海を挟んで「五郎」の名を共有する巨人が存在するのは、海を経由したにせよ陸地を経由したにせよ、島原半島と南九州との間に、人的及び文化的な交流があったことの名残であろう。
他に「五郎」の名前が関係する九州の伝説や民話といえば、これは巨人・妖怪ではないものの、大分県に伝わる「炭焼小五郎(すみやきこごろう)」が思い浮かぶ。これは、豊後の山中で炭焼の仕事をして暮らす善人の小五郎が、顔にアザの有る姫と結ばれ、最終的に金山の所有者となり、姫の顔のアザも消え、幸せな長者夫婦となるという筋書きである。
金に限らず、山で採掘された金属の精錬のプロセスには熔鉱炉が付き物であり、それには炭が不可欠である。炭焼小五郎の伝説は、山での金属生産に従事した、山の民の存在を我々現代人に伝えるものである。
みそ五郎、ヤマオトコも、炭焼小五郎のように山を生活や仕事の場としていた山の民の姿を反映しているのであろう。味噌・酒など彼らの好物である発酵食品をもらった返礼に、力仕事を手伝うという物語は、山の民と下界の農耕民との交易を反映したものなのだろう。
九州以外の地域も広く探せば、日本各地で更に「五郎」の名を持つ巨人や妖怪、伝説上の人物を発見できる可能性はある。しかし、何故「五郎」なのかについての手掛かりは、今のところ無さそうである。
そこで、少し外に目を向けてみようと思う。中国の書物『聊斎志異』『獪園』『劇説』などに名の見える怪異に「五通(ごつう)」というものがある。
これは、蘇州の方面に横行したとされる、五人一組の好色財神である。夜毎、人間の女性のもとへ通っては犯すという。言うことを聞けば人間に財貨を与えるが、逆らえば害をなすともいう。体格偉大とされ、別名として「五郎(ごろう)」とも呼ばれる。(参考:実吉達郎『中国妖怪人物事典』講談社)
体格が大きく、名前が「五郎」という点に、我が国の巨人・妖怪「五郎」との関係を想像せずにはいられない。女性に手を出すところや、人間に害を与えもすれば福を齎しもするという両面性は、大人弥五郎の人助けも悪戯もするトリックスター性に通じるところがある。
今のところ、中国の「五通」が我が国の「五郎」の起源となった、或いは、影響を与えたという確証は無い。無いのだが、可能性は有ると思っている。有った方が面白いからである。とはいえ、もう少し調べるべきであろう。
矢島 楫子(やじま かじこ、1833年6月11日〈天保4年4月24日〉 - 1925年〈大正14年〉6月16日)は、日本の女子教育者、社会事業家。
肥後国上益城郡津森村杉堂(現・熊本県上益城郡益城町)の惣庄屋矢島忠左衛門直明・母鶴の1男7女の6女(末子)に生まれ、かつと命名された。極端な男性社会にあって度重なる女児の誕生は歓迎されず、名付け親は10歳違いの姉である三女・順子であった。順子(竹崎順子)は、横井小楠の高弟である竹崎茶堂と結婚し、熊本女学校校長となった教育者である。また、順子のすぐ下の姉・久子(徳富久子)も同じく横井小楠の高弟である徳富一敬と結婚し、湯浅初子・徳富蘇峰・徳冨蘆花の兄弟を生んでいる。蘇峰は明治、大正、昭和にかけての大論客、蘆花は明治、大正の文豪である。また、かつのすぐ上の姉つせ子(横井つせ子)は横井小楠の後妻となった。この姉妹4人は「肥後の猛婦」、「四賢婦人」と呼ばれた。
かつは学校などない当時、一通りの教育を母から厳しく身につけさせられるが、もとより勝気で秘めたる情熱の持ち主だったかつは、やがて母亡きあとは母に替わって兄・直方のために尽くす。その兄も妹のために良縁を求め、かつ25歳の時、初婚にはもはや遅いとして既に2男1女を儲けていた富豪林七郎(1828年生) を家柄・人物ともに相応と認め、後妻として嫁がせる。林は武家出身で、横井小楠の弟子であった。後年楫子自身の口からも「この人は気品の高い、竹を割ったような人でした」と語らせるが、家族への乱暴など夫の酒乱の悪癖にかつは極度の疲労と衰弱で半盲状態に陥り、かつ自身も三人の子まで儲けながら、このうえは身の破滅と思い、末子達子を連れ家出する。迎えに来た使いの者に見事に結い上げていた黒髪を根元からプッツリ切って紙に包み、無言の離縁を言い渡したのである。明治元年(1868年)、これを転機に新しい一歩を踏み出す「新生元年」ともなった。
妹たちの間を転々とする間、兄・直方が病に倒れ、達子を置いて上京を決意する。長崎発東京行き蒸気船に乗り込み、船上にて自ら「楫子」と改名する。兄は大参事(副知事)兼務の左院議員で、神田の800坪の屋敷に書生、手伝いらはもとより千円という借金を抱えていた。楫子はその放漫財政を正し、3年で借金を片付けると、生来の向学心から教員伝習所に通うこととなる。明治6年学制が施行され全国に小学校が設置、訓導試験に合格した楫子は芝の桜川小学校(現・港区立御成門小学校)に採用される。当時教員初任給3円のところ、楫子は5円という破格の待遇であった。
このころ長姉・藤島もと子が息子二人と、直方の妻・糸子も子供をつれて上京、兄宅は一気に賑やかになった。しかしそうした喧騒の中、楫子は妻子持ちの書生との間に女児を宿す。堕胎や父親に渡すべきだと諭す姉の言を受け入れず、楫子は妙子(鵜飼猛の妻、湯浅清子の母)と名付け、練馬の農家に預けて独り下宿生活に戻る。そんな折届いた兄からの手紙で、熊本に残してきた長子・治定がキリスト教徒になったのを知り愕然とする。熊本洋学校生徒35名による花岡山キリスト教奉教同盟事件である。治定だけでなく甥の横井時雄、徳富蘇峰、徳冨蘆花も参加している。やがて熊本洋学校は廃校になり、彼らの一部は、新島襄の同志社に入学し、熊本バンドと呼ばれることとなるが、この熊本バンドは札幌バンド、横浜バンドと並び日本におけるキリスト教の三大源流と言われている。教え子の居宅で父親の酒害を目撃し、寂しさでタバコを覚えた楫子だったが、悩める楫子にとってもキリスト教はわが子の信じる宗教であり、遠い異国の宗教ではなくなった。
明治11年(1878年)、楫子は後半生に多大な影響を受ける米国の宣教師で教育者のマリア・ツルー夫人と運命的に出会う。明治7年(1874年)にB六番女学校として設立された築地居留地にある新栄女学校の教師に請われ、住み慣れた下宿を引き払い、同女学校寄宿舎舎監室に移る。
自ら吸いかけのタバコによるぼや騒ぎを起こして禁煙を決意、翌12年(1879年)築地新栄教会でディビッド・タムソンから洗礼を受ける。ほぼ同時期に、三人の姉である徳富久子、横井つせ子、竹崎順子も洗礼を受けている。当時17歳のキリスト教徒であった甥の徳富蘇峰は、純粋がゆえに楫子の洗礼に際して、「過去の過ち(1.幼いわが子を置いて家を出たこと 2.妻子ある人の子を産んだこと)」を告白すべきでないかとの手紙を送っている。しかし、楫子は幼い妙子のことを考え、死ぬまで「過去の過ち」を公表することはなかった。
明治14年(1881年)夏、櫻井女学校の校主(現在の校長と理事長を兼ねた職)代理に就任。楫子は校則を作らず、「あなたがたは聖書を持っています。だから自分で自分を治めなさい」と生徒たちを諭したという。
明治23年(1890年)、櫻井女学校と新栄女学校は合併して女子学院となり、初代院長に推される。
明治29年(1896年)、恩師のツルー夫人が55歳で客死。楫子64歳であった。
一方、恵まれなかった結婚生活や小学校教師時代に抱いた心の疑問から、楫子は「一夫一婦制の建白」、「海外醜業婦取締に関する建白」を政府に提出、国会開設と共に二大請願運動として継続する。
楫子の情熱は日本に止まらず日本国外にも向かい、明治39年(1906年)、74歳にして渡米、ルーズベルト大統領と会見。激務のため白内障を患う。大正9年(1920年)には欧米の旅に出掛け、翌10年(1921年)には満州に、同年から11年(1922年)にかけては三度渡米、このとき楫子89歳であった。教職は大正3年(1914年)、女子学院院長を後裔に譲り、齢81で名誉院長として退いた。その後は禁酒運動、公娼制度廃止運動等に尽力するも、大正もその幕切れを迎えんとする大正14年(1925年)6月半ば、楫子は眠るように大往生を遂げた。明治、大正といういまだ婦人が一個の人間として尊重されることのなかった時代に、楫子は婦人福祉のためにその一生を捧げたのであった。
もし共演したらビンタしていいことになってない?
上島さんが肥後さんと寺門さんに羽交い締めされて押されている画が浮かぶわ。
そんなことより、
あのさ、
壊してしまったわ。
昨日さー
雑巾を熱湯消毒して、
空になってポットにいつもの癖であのマグネットのコンセントのやつを習慣で繋げちゃったみたい。
本当に自覚無かったんだけど、
私しかそのポット触らないし、
もうなんたるちゃーって訳なのよ。
ポットの底が焦げていたので、
たぶんヒューズが切れたんだわ。
もう再起不能よ!
はぁ。
凹むわ。
文字通り凹むわ。
もう償いとしてテレサテン歌うわ。
全くの本当の無意識で電源コードを繋げちゃったのが不覚にも凹むわ。
もう一回テレサテンさんの償いを歌うわ。
いつまでも凹んでいても仕方ないので
くよくよしないで水に流すことにするわ。
ポットが倒れないように上手に浮かぶ大きな笹船こしらえて、
それに乗せて水に流すの。
これがせめてものポットへの供養よ。
本当にごめんなさい。
なんだか今日一凹むので、
今日はこの辺にしておくわ。
ポットさんかわいそうなことして本当にごめんなさい。
ポットクラッシャーでもあるわ。
反省よ。
半熟好きだけど、
外で食べるときはあまりお皿を汚したくないので固めの焼き加減が好きかな
今朝方めちゃくちゃ寒かったので、
冷たいモノ飲めるかな?って思ったけど
案外案の定予想外に思ったよりも飲めたわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!