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はてなキーワード: タワーレコードとは

2020-12-04

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインク制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者ファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者ファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチからまれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵はアニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌えから距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーションの快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーションの快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーションの快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵はアニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考アニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2020-08-12

ラーメン屋さんで何の曲が増田合うか鵜仇朱眞学ょキノンな伝さヤンメーラ(回文

おはようございまーす!

夏の季語で帯に短したすきに長しって言うけど、

いよいよお盆シーズン到来!

もうさ!ドラゴンケースに入れてね!って言うほどプールとか海とか

この昨今賑わいがないと思うんだけど、

おかげで区民プールはこの大晴天のなか休業とか!

ワッハハハハの大洗海水浴場わ!

笑うしかないわね。

もうこういう時は銭湯通いしかないわ。

私気付いちゃったの。

風呂の水面すれすれの空気は冷たくて美味しい!って

あんまり風呂入りすぎちゃうと、

みんなは入りたがってる人が入れないから、

人が来たらサッと水風呂から上がるけど、

誰も来なかったら延々と入ってられるわ!

この時期さすがに暑いから

冬ほどにサウナで整うって未だによくそ感覚は分かってないけど、

冬よりは整わない感じがするし

でもなんか汗かいスッキリちゃんよ!

調子の良いとき無限に出たり入ったりできちゃえそうな感じ。

だけど、

せいぜいやっぱり3時間が限度ね。

そんな水風呂水面すれすれの冷たくて美味しい空気を味わいたい夏休みにすっかな!って意気込んでいるんだけど、

近場で過ごすのもお金使わなくて良いんだけど、

でもやっぱり遠くに羽を伸ばしたいところじゃないかしら?

今は車にデレビも付いてるから

ブラブラと出掛けて出掛けた先でテレビを観るというなんとも

アウトドアなのかインドアなのかよく分からないけど

インドではないのは確か。

家でやってることを出先でするってことに

旅感を感じるじゃない?

もう全くもって何何感を感じるって言えばそれは二重表現警察人達が来そうな勢いだけど。

私がちょっとお昼前に郵便局に行った時の模様なんだけど、

一方通行を一瞬だけバックしただけで

なんか白バイに捉えられてた人見かけたけて

気の毒だなぁって。

私は自転車からその横をウイリーしながら通っても

ぜんぜん白バイの人には怒られなかったし、

だけどあれ一輪車ウイリーできるチャックノリスさんならどうなってるか分からないわね。

まあその一方通行を逆に行った人には気の毒だけど、

なんで「いっつう」って入力しても「一方通行」に変換出来ないの?って不思議に思いながら、

私たち日本語変換を「ふいんき」で使っていたのかしらってこれも雰囲気変換できないのなんで?って思うわ。

イキフンって打ったらちゃん雰囲気って変換出来るのには笑っちゃうけど、

なんなのよこの倒語対応!って感心しちゃったわ。

私は俄然として

ズージャーの聴けるメンラー屋さんよりも、

メンラーが食べられるズージャーのアーバーがいいわ!

でもよく考えたら、

ABCマートタワーレコードなんかで流れてる店内ラジオみたいな感じの、

ラーメンラジオが流れてたら面白いと思うんだ!

でもラーメン食べてんのにラーメンの話しなんて面白く聴けるのかしら?とも思っちゃうわ。

からやっぱりメンラーに合う音って言うのはなんなのかしらね?思うし

優先でもないしFMでもないし、

やっぱりAMが流れているようなのがベストマッチングかもね。

あとメンラー屋さんの天井角に据え付いてるテレビを見ながら

すするメンラーも格別よね。

あいう所で、

早く食べ終わっちゃって店から出るから絶対事件解決まで見届けることができない2時間サスペンス物なんかみたらたまんないわよね。

マドンナ達のララバイ級に別に最後まで見なかったとしても

いつも結末は船越英一郎さんの決まり手東尋坊の崖落としが決まって終わるんだけど、

でもやっぱり

エジプトで初の日本人ライブを行ったさあ眠りなさいマドンナ達のララバイでお馴染みの岩崎宏美さんはやっぱり凄いと思うわ!

メンラー屋さんでやっぱり一番ピッタリ合う曲はマドンナ達のララバイだと思う。

レコード大賞は取れなかったのは残念だったけど。

私はマドンナ達のララバイだと思うわ!

ではこの辺で

バイナラ

なんちゃって~!

うふふ。


今日朝ご飯

トマト野菜サンドよ。

トマト野菜から厳密に言えば

野菜野菜サンドってことかしら?三度じゃ無いけど二度は言ってるわ。

最近はあっさり軽めのサンドがお好みね。

デトックスウォーター

今日は水出し麦茶ウォーラにしました。

もうこの時期の水分摂りまくりなのはいいんだけど、

むくみ対策もしっかりしなくちゃいけないんだかね!

みんなも気を付けて!

具体的にはと言うと、

カリウムの多くある食品を摂りつつ歩くってことよ。

からキューリ囓りながらウォーキングは理に適ってるってわけよ。

最近よく見かけるでしょ?

見かけない?

じゃ流行ってないのね。


すいすいすいようび~

今日も頑張りましょう!

2020-03-04

雨のパレード天才だった

5・6年前、当時関わっていたバンドを見に渋谷club乙へ行ったとき、まだインディーズ所属していた頃の雨のパレードを見た。

彼らのステージ天才的だった。あのとき制御不能創造活動」という曲を演奏していたが、それは当時の彼らを象徴するような楽曲で、もう何年も音源を聞いていないのに、未だにあの心地よい恍惚感は記憶から薄れない。メジャーデビューを機に消されてしまったが、「制御不能創造活動」や「空間の中の一つの連続する三角」という曲のclub乙でのライブ映像YouTubeで何度も見返して、彼らがこれからどんな活躍をするのかずっと期待していた。

club乙でのライブのあと、メジャーデビューの発表が出るまで、そう時間はかからなかったと思う。インディーズ最後シングルとして「tokyo」がリリースされ、すぐにタワーレコードcdを買いに行った覚えがあるが、しかし、聞けば聞くほど、「ひいきにしているアーティスト新曲がでた」という盲目的な興奮から冷め、今まで彼らが創作してきたモノとの違いを感じざるを得ず、そのあとに「new place」のビデオが発表されたときには、俺はもう雨のパレードに対する熱がほとんど冷め切ってしまった。それはたぶん、実力を多分に備えた彼らが「東京で夢を見てる」とか「おきまりダンスナンバーなんてはじめて知ったんだ」とかいきなり拍子抜けなことを言い出したことに対する、失望のようなものを感じたからだと思う。

乙でのライブを見たとき、彼らは無敵だった。そのスケールそもそも「東京」がどうとか関係なかったし、まして地方出身なんてのは本当にどうでも良いくらい、天才的な確固たる世界観をすでに持ち合わせていたのに、メジャーになった途端、彼らは、俺にとっての魅力的な世界観から逸脱していってしまった。

それがどういうわけで、そういう方向のプロモーションへ向かったのか、俺にはわかるはずもない。だが、インディーズ時代にやっていなかったアプローチデビューを機に突然始めたのは、やりたいことが変わったとも考えられるけど、アーティスト意向以外の要因があったのではと、どうしても勘ぐってしまう。

そういうわけで、俺はここ何年かは雨のパレードを全く意識することなく日々を過ごしていたのだが、先日、ラジオから「borderless」が流れたとき、かつて俺が彼らに対して抱いていた感情を思い出した。今もあるのかわからないけど、ボーカルは昔、ちん毛をライターで燃やそうとしてるモノクロ写真Instagramに載せていた。

そんな彼が、いまは何を思い、あのコカ・コーラcmみたいな曲をつくったのか・・・俺にはわかるはずもない。

2019-09-04

ファミコンショップを懐かしむように、書店を懐かしむ日が来る

かつてはファミコンショップがあった

思い返すとあの当時、今とは比べものにならないくらい大きなCDショップもあった

HMVタワーレコードは今もあるけど、当時は今の何倍も大きな売り場面積を持っていたと記憶している

それこそこのデパートのワンフロア全て、このビルは3階分ぶち抜き、とか

いまデパートの中とかショッピングセンター内にある店はコンビニ程度の面積しかない

ゲームCDも、ダウンロード購入が可能となり、店もGEO古本市場ブックオフで事足りるようになったからだと言われている

次になくなくなるのは書店だろう

今でもまだ書店は大きな売り場面積を持っている

それこそ20年前のCDショップと同じだ

本にも電子化ダウンロード購入の波が来ている

もう20年もすれば、今みたいな大規模書店を目にすることはなくなるのだろうと思う

2019-08-02

東京が老人の街となった後、どこが若者の街になるのか

高齢化東京例外ではない。

東京時間軸が遅れているだけで、2030年には4人に1人は高齢者となる。


今だと大学就職時に東京に出てくるのが当たり前になっているが、先に高齢化を迎えた地方の方が若返りが早くなる時期が来る。

渋谷若者の街からIT関係オッサンの街になったように、コンテンツ消費者が同じように歳を取っていく。

林檎病促進剤21錠を新宿で聞いてもノスタルジーに浸るだけになる。


おっと、関心事はどこが東京に変わって若者の街になるか、だ。

もうタワーレコードも、ヴィレッジヴァンガードも古くなった。

どこも空き家が増えていき、スポンジ状になっていく。

2015-07-18

ナンバーガール青春だった

2000年、俺は東京にいた。

その年の春、俺は意気揚々地元九州から上京してきた。

新たな生活

自由一人暮らし

華やかなキャンパスライフ

そんな期待を抱いて俺は東京にやってきた。

しかしながら現実はそんなに甘くはなかった。

不安ばかりの毎日

孤独な一人の生活

馴染めぬ大学での人間関係

淡い幻想は一瞬にして打ち砕かれ、

期待とは真逆の最低な日常を、一日、一日と俺はなんとか懸命に生き抜いていた。

そんな日常の中であるCD出会った。

あれは確か新宿タワーレコードだったか

その日もいつものようにつまらない一日だった。

5限の講義を受け終わった後、

ただあてもなく街の中を歩きまわり、

気づくと俺はタワーレコードの中にいた。

時間を潰すため、店内を適当にうろついていた時、

ひとつのポップが視界に入った。

福岡市博多区出身、勢いに乗るバンド

ポップの内容は確かそんなものだったと思う。

地元が一緒でなんとなく惹かれたのか、

俺の足は自然とそのCD試聴コーナーへと向かっていた。

再生

煩わしいサウンド。

下手くそな歌。

正直に言って何がいいのか全然からなかった。

しかし、何かの気の迷いなのか、俺はそのCDを買ってみることにした。

地元のよしみと思ったからかもしれない。

あるいはバイト代が入ったばかりで、気が大きくなっていたからかもしれない。

正確な動機を思い出すことはできないが、

おれはそのCDレジに持って行き、幾ばくかの金を支払いそのCDを手に入れた。

そしてその日から俺は、そのCDを聴きまくった。

学校バイトの行き帰り、授業の合間。

本当に暇さえあればずっと聴いていたと思う。

別にそのCDが好きだったわけではない。

そのうるさいギターの音や、音痴な歌を聞いていると、

気の滅入る日常が隔絶されるような気がしたからだ。

最低の毎日を何とか生き抜くために俺はそのCDを聞いていた。

しかし、そのCDを買ってから半年ほどした後、

偶然にも気の合う友人ができ、

ひょんなことから恋人もできた。

そして、あんなにも嫌っていた日常楽しいものになっていった。

そして、日常生活が充実していくにつれ、

いつしか俺はそのCDを聞かなくなっってしまった。

気づけばCDも何処かへいってしまった。

あの日々から15年。

現在、俺は結婚して子供もいる。

仕事もそれなりに順調だ。

あの日々を思うと、幸せすぎる毎日だと思う。

そして先日、家の掃除をしていた際、あるCDを見つけた。

ナンバーガールのSAPPUKEI。

15年前の新宿たまたま購入したCDだ。

懐かしくなって久々にそのCDを聞いてみることにした。

轟音のギター

やかましいドラム

音痴な歌。

瞬時にあの日常が蘇ってきた。

気だるさ。惨めさ。

家賃5万8千円のアパートの畳のざらつき。

その瞬間、当時の感覚が生々しく蘇ってきた。

はっきり言って全く良い思い出ではない。

大きすぎる自我をかかえてのた打ち回り、なんとか毎日必死に生き抜いていた。

常に周りと比較劣等感に苛まれ優越感を抱ける相手を必死に探し、

何とか自分を維持していた。

正直、思い出したくもない日々だ。

しかし、そんな日々が自分にとっての青春なんだろうと思う。

そしてそんな日常の傍らに常にいたナンバーガール

辛い現実対峙せず、彼らの音楽を使って逃避を行っていた。

彼らの音楽を聞くと否が応でもそんな弱い自分を思い出してしまう。

ナンバーガール自分にとっての青春なんだろうと思う。

2015-01-19

大森靖子を好きじゃなくなる瞬間

大森靖子歌詞

大森靖子歌詞が良いことなんて今更過ぎるけど、どこが好きなのか整理してみた。

エンドレスダンス

「もう好きじゃなくなったのかな」

「好きだった歌 もうサビしか歌えない」

絶対絶望好調

「好きだったけどキレイキモいキライ」

さようなら

「ほんとうに 好きだった 彼の悪口

わたしかさようなら

over the party

メアドが変だからきじゃない」

彼女は人を、何かを、好きじゃなくなる瞬間の切り取り方が秀逸だ。

歌詞ではないが「だれかを 好きになりつくて仕方ないんでしょ?」タワーレコード広告キャッチがある。

巷には、人から好かれるためのハウツーは溢れているけど、人を、好きになる方法ってなかなか見かけない。

ものですら、マーケティングとか何とか言って人から好かれるための工夫がたっぷりされてる。

でも好きになる方法って見たことない。

好きになること自体滅多にないのに、好きだと思ったものがあっという間に好きじゃなくなる。

自分が好きじゃなくなられるのはコントロール出来ないから仕方ないけど、自分の好きすらコントロール出来ないなんて悲しい。

そんなとっても悲しい瞬間の切り取りの名手が大森靖子だ。

彼女PARCOCMで「音楽も聞き捨てられる時代になっているけど、自分はそんな時代を嫌いじゃない」と言っている。

こんなに大好きでも、私が大森靖子が好きじゃなくな瞬間が訪れるかもしれない。そんな瞬間ですら先回りで巧みに切り取るのが大森靖子の魅力だ。

2014-08-10

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメに貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタク地位向上のためにでっち上げものだ。本人も後にそれを認めており、外から圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫苦肉の策電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風アニメ界ではむしろ異端であるスタジオジブリ的なもの宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本はいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRAだって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップだってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだってウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオン無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタク偏狭さに嫌気がなして反オタク改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてもの全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力オタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

しろオタクの好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間駆逐されており、鶴巻は反オタク急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵アニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるもの萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーション快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーション快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だからスタジオジブリ的なものピクサーに取られ、アニメーション快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵アニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2013-04-25

http://anond.hatelabo.jp/20130425220446

いつごろもなにも、現在においても実家に帰ると最寄りのレンタルビデオ20km先だけど。

何度かは出来たが、いつも数年も経たずに潰れていった。

この町と、隣接するいくつかの町をあわせれば、数万人は人間がいるが、潰れるんだ。

誰も興味がないか、あるいは車で20分もかけて借りるほどの興味はないってことじゃないかな。

映画をみるところがないのも、今も昔も一緒だよ。

40kmほど行けば、県庁所在地があり、映画館もいくつもあった。

県庁所在地とは逆方向に30kmくらい行った町に、先にスクリーンが2つしかない映画館があった(が潰れた)。

しろ地方映画館は減ってるんじゃないかな。

というか減ってるでしょ。

今調べたら、1960年は全国に8000件もあったのな。

最近新しくオープンする映画館て全部シネコンでしょ。

シネコン人口1万人の町にできるわけもなく。

映画をみたことがないわけじゃあないし、映画館に行ったことがないわけじゃないよ。

大きな本屋だって行ったことくらいある。

でも、図書館のほうが本の数はあるしさ。

実は、でかいレコード店には入ったことはない。

実家の町でCDを売ってる店は、個人経営電気屋の一角だけだった。

TSUTAYAの1/4くらいの規模だった。

中学の頃は、自転車で30kmくらい離れたTSUTAYATKプロデュースCDを買いに出かけたやつはチラホラいたけれど、HMV渋谷が閉店を考えるとか言われても、なにがどうすごいことなのか全くわからない。

TSUTAYA音楽好きの聖地だったと言われれば、そんな気がしないでもないが、やっぱアマゾンのほうが品揃えがいいしって思っちまうし、タワーレコードHMVも入ったことがないのでぜんぜんピンと来ない。

地方ってそんな感じですよ?

2009-08-07

タワレコ新宿

久々に行ってみると新宿タワーレコードが少し変わっていた。

以前は7階、まず入ってすぐの所には新譜を展開してる棚がレジカウンターに平行する形であり、その奥にレジカウンターに垂直の方向に特集コーナーの棚があったのだが、その特集コーナーが無くなっていた。一時的なものだろうか。

特集コーナーというのは棚ごとにいろんなジャンルの特集になっていて、例を挙げると、前回行った時はそのコーナーの一つがミニマル特集みたいになっていて、ベーシックチャンネルテリー・ライリー、シルバーアップルズなどが置いてあった。

私は音楽情報に疎くそのコーナーでいろいろ試聴をして未知の音楽に出会っていて、昨年はその特集コーナーでジャケットにひかれBillie Davisの素晴らしいアルバムに出会ったりした。

8階の洋楽フロアはまだジャンルごとに古いアルバムなんかも含めた試聴コーナーがあるのでそんなに絶望的というわけでもないのだが……

そろそろインターネット音楽情報を仕入れる方法を模索しないといけないのかな。

はてなをやってる人なんかだと、CD(笑)、リアル店舗(笑)、って感じなのかなぁ。

2008-11-18

アニメオタクアニメに何も貢献していない。むしろ害悪だ。

自分の中でのアニメオタク(特に萌えオタ)に対する嫌悪感が一体何なのかきちんと考えてみた。

すると恐るべき結論に達してしまった。これから書くことは正直私も断言して良いものかどうか躊躇している。しかし、アニメ文化の発展のためにも、心を鬼にして書かなければいけないことだ。

アニメオタクは何もアニメ貢献していない!

今までも、そしておそらくこれからもずっとそうだ。これは岡田斗司夫のような豚野郎の言う「オタクは死んだ」でも、東浩紀のような豚野郎の言う「読者の質が悪い」でも、宇野常寛のような豚野郎が言う「萌えオタはクズ」でもない。もっと根幹に関わる重大なことだ。そして恐ろしい事実だ。

まず、オタクオタク向けに作ったオタクアニメが大きな評価を得てきたことは今まで一度たりともない。

名作を作ったクリエイター側は言うまでもなく、『ガンダム』の富野由悠季は仕方なくアニメ現場に降りてきた人だし、『攻殻機動隊』の押井守は元々映画監督志望でジャン=リュック・ゴダール敬愛していてたまたまタツノコプロ求人が目に入ってアニメ業界入りした人だ。

「でも、今は世界的にアニメブームが起きているじゃないか」と萌えオタがブヒブヒ言ってきそうだが、それは幻想である。まず90年代後半に盛んに言われた「ジャパニメーションブーム」を取り上げると、これは岡田斗司夫オタクの地位向上のためにでっち上げたものだ。本人も後にそれを認めており、外からの圧力に弱い日本オタク市民権を得るにはそれしかなかったと言っている。この岡田斗司夫の苦肉の策に電通村上隆が乗っかり、ジャパニメーションブームという虚構ができあがったのだ(元々別称だったジャパニメーションという言葉を良い意味として輸入したのが村上隆である)。

それは今まで世界的な評価を得てきた作品を見ていけばわかる。

まずは、宮崎駿アカデミー賞も受賞し、名実ともに日本を代表するアニメーション監督といった地位を得ているが、その作風はアニメ界ではむしろ異端である。スタジオジブリ的なもの、宮崎駿的なアニメは本人にしか作れず、その作風を引き継ぐような後継者は未だ誰一人いない(宮崎駿の後進育成が下手という話ではない。宮崎駿に影響を受けた人間が外で宮崎駿的なアニメを作ったっておかしくないのに、そんな人は日本にはいないのだ。海外ではどうか? そう、モンスターズインクを制作したピクサーが後継にふさわしいだろう。言うまでもなく彼らはアニメオタクではない)。

宮崎駿にはオタク的なるものを避けて避けてやっと今日の地位を築いたという歴史がある。オタク的なものを避けて世界的評価を得た、これは非常に重要ポイントだ。

押井守もその一人だ。『うる星やつら』を制作し、オタク向け監督の一人で終わるかもしれなかった彼は『機動警察パトレイバー2 the movie』や『攻殻機動隊』においてオタク向けアニメ想像力を捨て去ることで作品の強度を確立した。『ビューティフル・ドリーマー』はどうなんだ、という声があるかもしれない。これには後に押井守がこう語っている。「劇場版第一作『オンリーユー』を作ったとき、原作者やファンが喜ぶことを全部詰め込んだ。上映されると当然原作者やファンは満足したようだが、作品的には酷い代物だった」。この諦観によって『ビューティフルドリーマー』は作られた。オタクから距離を取ることで傑作に仕上がったのだ。

他にも大友克洋の『AKIRA』だって一見すればわかるようにオタク的な想像力から離れたものであり、渡辺信一郎の『カウボーイビバップ』だってそうだ。

オタク監督だと言われるウォシャウスキータランティーノだって、ウォシャウスキーSFの人で決してオタク想像力に耽溺しているわけではないし、タランティーノ高校中退して一日中映画を見まくっていた怪物だ。

エヴァンゲリオンを無視しているじゃないか、と言われるかもしれない。確かにエヴァオタクオタク向けに作ったオタクアニメであり、社会的現象を起こすほど大ヒットしている。だが、これ一本でもってオタク想像力の勝利にはなりえない。何故ならオタク外にも評価されたオタク監督庵野ただ一人、例外中の例外なのだ。その庵野ですら、オタクの偏狭さに嫌気がなして反オタクに改宗した。その事実オタクは裏切った、とこれまた偏狭さを見せて批判している。

このようにオタクオタク向けに作ったオタクアニメで傑作が生まれたことは、一件の例外を除いて存在しない。オタクが喜ぶ想像力や「萌え」なんてものは全然強度を持ち合わせていない(十年前にオタク想像力でオタクに受けていたクリエイターの今の地位を思い浮かべて欲しい、それが十年後の山本寛新房昭之の姿だ)。

むしろ、オタク好みに少しでも外れると烈火のごとく怒り、作画監督が少しでも個性を出すと作画崩壊と騒ぐその類まれなる偏狭さは害悪だと言ってもいい。

オタクオタク的な想像力から外れるような、例えば『スーパーミルクチャン』や『TAMALA2010』のようなアートアプローチから生まれた傑作を評価できない。どちらも発売時にはタワーレコード平積みされ、オタク想像力は一瞬で敗れ去った。

それどころか『フリクリ』をオサレだとかラベリングして嘲笑するほど、子供のような舌でもってクレームをつけて回っているのだ(『フリクリ』はガイナックスが作ったオタクアニメじゃないかという屁理屈が聞こえてきそうだ。ガイナックスは今や庵野の反オタクキャンペーンによってオタク的な人間は駆逐されており、鶴巻は反オタクの急先鋒である)。

そして、それは明らかにアニメ進化を阻害している。その理由を書こう。

まず、オタクが大好きな絵柄、要するに萌え絵アニメーションに不向きなのである。あの頭と目が大きく、等身が低くて身体か華奢という構造は、見た目通り人間的に動かすというのは困難だ。だから、どのアニメにおいてもよく動くと言われるものは萌え絵から距離を取っている。萌え絵を選択すると自動的に紙芝居的な動きが縛られたものしか作れなくなる。ディズニー萌え絵を選択せず、あのような絵柄なのは動かすことを念頭に考えているからだ。

しかし、アニメオタク萌え絵以外の絵柄のアニメを「絵が変」と言って嘲笑し、批判する。ここがアニメオタクの一番の問題点であり、私が害悪と言い切る理由だ。

例えば近年稀に見る傑作である『鉄コン筋クリート』を例に出そう。この作品も「オサレ」「絵が変」といって批判されているが、この作品こそアニメーション快感、動くことの快感を思い出させてくれるものはない。画面の中を縦横無尽に動き回るキャラクター達が見るものの心を掴んで離さない。そして、それはアニメオタクが「変」といって批判するその絵柄が貢献している。もし、この作品萌え絵だったらここまで動くものになってはいない。現にそんな作品はない。

そして、アニメーション快感を蘇らせたのがオタク外のマイケル・アリアスだったことは非常に重要だ。アニメオタクアニメーションのことがわかっていない。だから、スタジオジブリ的なものをピクサーに取られ、アニメーション快感マイケル・アリアスに取られてしまうのだ。

もう一度言おう。オタク想像力は強度を持っていないし、オタクが好むアニメ絵アニメーションに向いていない。アニメーションに向いているオタク的じゃない絵を排除するその思考はアニメ進化を阻害している。

アニメオタクが本当に現実逃避ではなくアニメのことを愛しているのなら、今すぐアニメを見るのをやめて即刻退場することだ。それが一番の貢献だ。

2007-02-11

http://anond.hatelabo.jp/20070211181911

Wikipedia秋葉原>略史)

 
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