はてなキーワード: 重箱の隅をつつくとは
某 の人と仕事をしているが、本当にクソ。
重箱の隅をつつくわりに、何も決めない。
慎重に話し合い合意を取りながら進めてきたが、そんなことは決めていないといきなりハシゴを外す。
たくさんの人が関わっていてお金も発生しているのに迷惑がかかることなどおかまいなし。
こちらからおねがいしてやっているわけでもないのに、終始やりたくない態度。
かといって注文は多く、それを守ってたら、何もできないし進まなくない?というレベル。
都合よく言ってたこと撤回するし、そのたびこちらは悪くないを連呼。
こちらが困ってるほど嬉しそうにサディスティックに嫌がらせをしてくるやつもいる。ドン引き。
保身の塊なだけでなく悪意の塊。
めちゃくちゃ偉そう。
指示を出さないわりに、提示したものに対しては後出しジャンケンでダメ出しの嵐。
さっさと縁切りたいが、間に入ってる人のメンツを考えて形だけやっている。
それはそれで思い入れを入れないでやるからしんどい。けど仕方がない。
ほんと、叩かれるのには理由があるわ、と思う。さっさと潰れてほしい。
叩きすぎじゃね?と思ってたが、中身から腐ってるわ。
腑に落ちた。
知ってるやつが舞台に立ってるのを観るのは楽しい。学芸会と同じで。
ただし脚本が面白くない(好みでない)ともうこれは時間の無駄。出演者が面白い人であっても面白くない。
そして、だいたいの演劇は面白くない。(「だいたい」とか言うと如何にも観劇経験が豊富そうに聞こえるが全然そんなことはないので怒られるかもしれない。しかし。そこそこたくさん鑑賞している映画もだいたいは面白くないので、確率から言ってやはりだいたいは面白くないと思って差し支えないだろう)
役者が上手かろうが、完成度が高かろうが、人気があろうが、チケットがすぐ売り切れようが、全然面白くない。
多感で若ければもう少し色んなものを楽しめたのだろう。しかし演劇以外のメディアにはどっぷり浸かってきたので、演劇特有でない要素、例えばストーリーやらキャラクターやらに関しては目が肥えてしまっている。そもそも多くの人と趣味も合わない。
演劇ならではの面白さはあるが、創作物としてのボーダーラインをクリアしていない限り全体としてプラス評価に転じることはない。
周りの人と鑑賞後に楽しくおしゃべりできないのは辛いところだ。
多くの人は観劇を楽しんでいるので、私はその余韻を損ねないように、しかし嘘をつくのももやもやするので、当たり障りなく会話に合わせつつ、絶妙に肯定を避けて重箱の隅をつつくように褒める。非常に気を遣う。
友人が出演していたとしても、面白くなかったら「観たよ」以上のことは言えない。
まあ、今後もそんな感じでやっていく。
観るのは勉強にはなるので。
重箱の隅をつつくような話しするんだけど
ほろほろチキンの乗っかったほろほろチキン親子重が充実して充分に美味しいわ!
それで私思ったんだけど
あれさー
カヒミカリィさんがカレー屋さんやってかは知らないけれどそれじゃない方のチキンカリーで
今回はほろほろチキン親子重で
ほろほろチキン界隈の業界に突如現れて舞い降りて詳しいわけではないんだけど
ほろほろチキンカリーがカヒミカリィさんじゃない方のほろほろチキンカレーで
たくさんほろほろチキンを使う予定だったけど
え?これ余ったほろほろチキンどうすんの?って
その行き先が
新たな本当に重箱の隅をつつくような
あれどうみても同じほろほろチキン工場のファクトリーオートメーションで炭火焼きされてるんじゃないの?って言うほどペキカンな備長炭アンドターキー!
一旦はほろほろチキン親子重で消費でき売り上がるからいいかー!って節操もなく
完全独占供給かと思っていたほろほろチキンの門戸を開いてもはや同業者にも卸しちゃったのかよく分からないぐらいなそんな世の中重箱の隅をつつくようなことなんて言えないけれど。
私にとっては
ほろほろチキンがご機嫌にパーリーしている陽気な弾けるプリズム級の美味しさ!
コンロで炙ってポップコーンを作るパーリー感あふれるやつの出来立てが食べられる作れる弾けるポップコーンあるじゃない、
文字通りあのポップコーン級に弾ける美味さのほろほろチキンで私はにっこりご機嫌さんなのよ。
うーん、
名探偵コナン君がペロってして
これは薬だ!って
やくみつるさんのそっくりさんがどのぐらいやくみつるさんに似ているか問われたら
ほぼやくみつるさんですね!って言うのは審査員としてはダウト!
約みつるさんですね!って言うのが正解!
また何食わぬ顔してお重の蓋を閉めてよそのお客さんに提供されちゃっても
ペロ行為かも知れないわ。
でも実際のコナン君は同等のほろほろチキンかどうかなんと言うか分からないけど、
画面の右下に針すなお先生の似顔絵がテレビの画面の端に載っているとき
みなやくみつるさんだとしても、
今演じている人はやくみつるさんです!って画面の右下に針すなお先生のお描きになったやくみつるさんのイラストが映るのよ。
で私に、
演目後出来栄えの途中審査の感想をどのぐらいやくみつるさんに似ているかMCの司会の人に問われたら
約みつるですね!って
完全なやくみつるさんではないけれど全然違うやくみつるさんなわけでもない
完全に理解し分かっているような審査員の雰囲気を醸し出す顔が出来るのよ!
見た目の似ている度合いを測るのではなく
そのぐらい多分やくみつるさんそっくりさん選手権の審査員になったら
そう言う「約みつるですね」って言い放つことにかけては創業50年の実績と信頼と自信があるわ。
篠原涼子さんで言うところの愛しさと切なさと心強さとってところかしら。
そのぐらい
どちらも約ほろほろチキン!って田村でも金!谷でも金!級な最終審査結果だと思うわ。
非なる似ているものなのか?
でも約ほろほろチキンって言うことにはマジ間違いないマジチキンと思うから
そのほろほろチキンの供給先のメーカーは同じと言っても言い過ぎではない過言中の過言だわ。
ちなみにやくみつるさんの似ている度合いがリアプノフ時間の限界の上限の100パーセントを超えたらどうなるか。
私では知り得ることではない、
いや人類では知り得ることのできないのよ。
たとえそれが100パーセントを超えるとしても2種類の分類には分けられると思うわ。
とても難しい問題だけど
シンプルに考えて!
そう簡単でしょ?
山アートの油絵を超絶技巧アンド超絶技法で描くボブロス先生もきっとそう言うぐらい簡単でしょ!って言っちゃうし
バクザン発言!でお馴染み世間を賑わしているのは榊莫山先生なのよね。
バンバンにビリーなのかバンバンに坂本冬美さんなのか歌えバンバンなのか、
でも思ったんだけど
そのやくみつるさんそっくりさん選手権の出場者が今誰を演じているかイラストで分かりやすく描いている針すなお先生のやくみつるさんのイラストを
出場者が全員やくみつるさんをやるからって1パターンのやくみつるさんのイラストで賄うんじゃなく、
出場者人数分のバリエーションのやくみつるさんのイラストをお描きになっていたらそれこそ針すなお先生たる所以だわ!って枕を北にして寝れないし頭が上がらないわ。
もうさ、
そうなるとやくみつるさんそっくりさん選手権の出場者のテレビ画面右下のイラストのやくみつるさんイラスト大喜利になっちゃって
いろいろなパターンのバリエーションの針すなお先生がお描きになるやくみつるさんのイラストだけで笑わせられちゃうわ!
面白くない?
すなおになりなさい!
もう鈴木杏樹さんばりに
もりもり食べやさい!って言うぐらいな素直さよ。
うふふ。
そのおにぎりを扱っているコーナー自体がなにもないままの陳列棚で
まだ陳列されていないのか?
分からないけど、
買い損ねちゃったわ。
ピンクグレープフルーツとレモンとを1つずつ搾りマジ果汁を炭酸で割った
良い季節になってきたので
本格的なまたデトックスウォーラーにも再挑戦しまくらなくちゃ!とも思うわ。
すいすいすいようび~
今日も頑張りましょう!
ネタバレ注意!
この物語の基本的な原理は次の通りだ。「宇宙の資源は有限である。しかしすべての文明は成長し・生き残りたい。よって、自分が生き残るためには相手を皆殺しにしていい。さもなくば相手に殺される」。そこから出てくる結論は「相手の位置がわかったら即座に抹殺するのが最適解」。「相手と対等の立場に立って交渉するには、いつでも相手の文明の座標を全宇宙に晒す装置を作ればいい」。
これが適用されるのは地球人対エイリアン・三体人だけではない。宇宙戦争ののち、孤立した地球人の宇宙船同士も相互不信に陥り、突然殺し合いを始める。この原理原則に例外はない。
どうしても攻撃したくなければ、相手の脅威にならないと示すため、限定された空間の中に引きこもるしかない。
エイリアンのたった一つの水滴という兵器に、地球の最強の兵器であってもまったく歯が立たない。あるいは、エイリアンが数百年の偽りの平和ののち、地球人を何の共感もなくジェノサイドする・餓死させることを宣告する場面。主要なキャラであっても容赦なく殺してしまう命の軽さ。無意味に死んでいく人々。愛し合うカップルであっても、異なる早さの時間に引き裂かれる。この絶望感こそが本作の醍醐味だ。
さらに、地球人の文明が通りすがりの三体人とは別のエイリアンの作った名刺大の兵器で、三次元から二次元の物理世界に落とされて再起不能になるまで破壊されるシーン、これは最も美しく壮絶な太陽系・人類滅亡の場面だ。これを読むためだけに「三体」を買うだけの値打ちがある。
それだけではない、現在の宇宙が四次元時空で光速が有限なのも、本来は十次元で光速無限だった世界が、宇宙戦争で使われた次元兵器による「堕落」の結果だと示唆される。感動的なまでの悲観主義!
宇宙戦艦、超兵器、エイリアン、コールドスリープ、超構造体(メガストラクチャー)、ネトゲなど、絵になる風景ばかりだ。確かにSF的モチーフを大量に詰め込むと粗削りになりがちなので、作品によっては一つに絞ったほうがいいと思うこともあるんだけど、これはいい。
これは欧米のSFではほとんど見られない。中国が扱われるとしたら古代文明の謎であるとか、悪の共産主義陣営とかで出てくることが多いので、まず中国が舞台であるというのが新鮮だ。始皇帝とか荊軻とかいう名前が出てくるだけでもうれしい。中国から見た日本文化ってのも、なかなか見られないから楽しい(ケン・リュウも書いているけどね。あと、中国人からしても日本と言えばカミカゼと忍者と茶道なのね。あとは雀魂とか)。
関係ないけど、英語版のウィキペディアは概して日本よりも記事が多いし細かいことが書いてあるが、中国の歴史については日本語版のほうに一日の長があることもある。
あと、文化大革命が背景になる中国の小説とか映画とかって、面白いのが多い。
クラークとか小松左京とかじゃないとやらないくらいの発想がぽんぽん出てくるのが素晴らしい。
SFはリアルさを求めて、技術革命とそれによる社会の変化を描くこともあるし、現実の社会問題に肉薄することもある。雑食の僕はそれはそれで面白くて大好きなんだけど、定期的にSFのルーツにある「人類の、そして宇宙の終局的な運命とは」「不可解なるエイリアンとの出会い」みたいなテーマの作品をどうしても読みたくなる。
第一部でエイリアンの軍勢を地球に呼び寄せてしまうのは人類に絶望した女性科学者・葉文潔だ。「いっそ愚かな私たちを滅ぼしてくれ」と宣言してしまう。第二部ではエイリアンに対抗するために地球の資源を使い放題にしていいと許可された「面壁者」羅輯が、どうすればいいかわからずに、かわいいだけの理想の妻を求める(一緒に問題を考えるパートナーではない!)。さらに、第三部ではエイリアンと和解した人類が、数百年の平和を経て穏やかになっており、「日本や韓国のアイドルのように」「女性化」していると描写される(前に「原神」のキャラとか”男らしくない”俳優とか実際に規制されてたよね)。
そして、コールドスリープから目覚めた主人公の女性・程心もエイリアンの文明を破壊するための報復装置を、弱気さから起動し損なう(これがさっき述べたエイリアンによる人類のジェノサイド宣言につながる)。
同時にコールドスリープしていた軍人は「この社会はもっと雄々しくあるべきだ」という趣旨のマッチョなことを述べる。2010年のSFだけどこれでいいのか。このシリーズを普通に面白いと褒めていいのかオバマさん。僕はジェンダー意識がかなり保守的なほうだと自覚してるけど、これはちょっと弁護できないな(というかこれだけ女性の扱いが悪いと、作者には過去につらいことがあったのか? って心配になる ※1)。
さらに、第三部の主人公・程心は、使者として脳だけになってエイリアン文明に入り込んだ恋人・雲天明が、エイリアン文明の中枢から伝えてきた、人類文明を救うための暗号化されたメッセージを解読し損ない、これも人類滅亡の遠因となる。
つまり人類の滅亡の契機は、ほぼすべて女性に起因している(いずれエイリアンに見つかっただろうけれども、直接の契機は女性)。寡聞にして、この点を検討している評論を見かけていないけれど、ググればどっかにあると思う。
三部作全部ドラマ化するとしたら、この辺テコ入れされるんじゃないかな。
※1 同じ心配をしているのが「たんぽぽ娘」のロバート・F・ヤングで、若くてかわいらしい女の子といちゃつく小説がやたらと多い一方で、「ジョナサンと宇宙クジラ」では年上の女性たちや・女性の上司に日常的に暴力を振るわれている描写がある。成熟した女性に対する嫌悪と恐れを読み取ってしまうのは、気のせいだろうか。
エイリアンとの戦争に勝つためにはどうすればいいかと軍人が議論する中で「エイリアンに負けるかもしれないという精神的敗北者を追放する」「エイリアンのシンパ・スパイを排除する」という結論が出てくるの、なんというか現実の中国共産党の発想なんだけど、エイリアンに対してこういう態度を取るのは欧米だと冷戦時代のSFが多い(この前のホーガンとかね。でもホーガンは「未来からのホットライン」が面白いよ。「シン・エヴァ」の元ネタだし)。なんというか、「三体」が悪いというより、中国政府がいまだにスパイ大作戦な冷戦の世界観で世界を見ているという感覚が生々しく伝わってきて幾分げんなりする。マジで共産党が「最善の防御は皆殺し」とか考えていませんよーに。さっきの女性の扱いと含めて、数十年前のSFを読んでいる気分になってしまった。
第一部からエイリアンの超粒子で地球文明が監視されて物理学の発展が阻害されるんだけど、これも敵のスパイに見られているという被害妄想的な感じがする。
深読みすれば、共産党に監視されている国民の恐怖・心象風景なのかもしれないけどね。
SFってのはある程度ブラフが必要で、トンチキな場面も出てくるんだけど(それをどうやって読者に悟らせないかが仮定の文学であるSFのテクニック)、たとえば第一部で地球文明を隅々まで監視できるだけの技術文明を、地球のナノワイヤで倒せるってのは、ちょっと無理があるんじゃないか?(追記。せめて向こうでナノテクが発展していないエクスキューズがほしいよね)
人類に対して敵意を持っている宇宙の中での、人類の行く末について最後まで描き切った蛮勇がとても好き。三部作の壮大さのおかげで、隠せない欠陥にもかかわらずこの作品を気に入ってしまっている。第一部よりも第二部、第三部の順で面白くなっているのもいい。自分の中では★二つから★四つ半くらいまで評価が上がっていった。作家として器が大きくなったって感じたよ。
ラストの逃避にも似た、小さな農園を備えた小宇宙も、中国の伝統的美意識・神仙思想・隠遁に繋がっていていい。美意識が共有できると嬉しいよね。
全体として思ったのは「これって炒飯とラーメンと餃子の特盛セットじゃん」ってことだった。みんながSFと聞いて思いつくネタをがっつり取り込んでいる。読んだSFの冊数が増えると、青椒肉絲とか麻婆豆腐とか黒酢酢豚とか、燕のスープとかフカヒレとかいろいろあるのがわかってくるし、全部乗せを馬鹿にしたくなる気持ちも出てくるけど、なんだかんだで小さい頃に食べた大味な全部セットが無性に食べたい日もある。
時々どうしても受け入れられない価値観に出会うこともあるけれど、なぜそう考えるようになったのか? なぜ自分は不快と感じるのか? と考えると、共感的に理解できるかもしれない。少なくとも自分の価値観があぶり出される。
過去は批判し、そのうえで現代をよりよくしていこうと思うが、だからといって過去を見くだしたいとは思わない。好きなところ、好きになれないところ、両方を検討するのは楽しい作業だ。
本を読んだときはたった一つの気に入った言葉があればいい。映画を観たときは一つでも好きな場面を見つけられたら良しとする。美術展に出かけたら、一枚だけでも気に入った絵があれば外に出た甲斐がある。
こうして欠点もあるけれども面白かった作品について書いてみて、「もういいや」って思ってた外伝にも、手を出したくなってきた。
それではまた。
「三体」人気すごいなあ。久しぶりにバズったよ。
これは外国文学を読むときの鬼門で、自分は三国志にゲームとか小説とかで親しんでたからなんとかなったけど、そうでないとしんどいかも。
おすすめのロシア文学もなかなか読んでもらえないのもこの辺りに理由がある。
基本的にはメモしたり声に出したりしてその国の言葉のリズムに慣れるのがおすすめ。マニアになってくるとジョンとヨハネとイワンが同じ起源だとか気にし出すけど、これが通用するのはアラブ世界までだしね。
SFじゃないのも含むけど、
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あとは、
これはちょっと思った。原初のSFにある奔放な想像力、よくそんなネタ思いついたな! みたいなのがたくさんあるのが「三体」のいいところ。
で、それがモヤモヤする理由でもある。SFが洗練されてくると科学的正確さとか政治性とかを無視するわけにはいかなくなる。自分と異なった属性に対して誤った知識が広まらないよう、表現にルールがあるのは大切だと信じる一方、気持ちの面では想像力が羽ばたくのを少しも邪魔されたくない自分もいる。だから、反発する人の気持ちもわかる。
なので、正確性とかに気をつかったSFに慣れた身からすると「こんな粗削りでもウケるんだ! 売れるんだ!」という意外さと、先を越された悔しさがある。だから、元増田みたいにSFの外にまで広がった作品を「センスがない」とディスりたくなるのかも。
でも、僕も最初はそういう作品から読み始めたわけだし、重箱の隅をつつくような外れ値の古参よりも、作品を買ってくれる新しいファンがどんどん増えたほうがジャンルは育っていくし、若いファンは「にわか」呼ばわりするのを恐れずどしどし読んでほしい。
そういえば第三部でアボリジニのおっちゃんが出てくるけど、欧米の作品だったらもっと白人文化に対して批判的だっただろうし、なんだったら三体人に押さえつけられるときにももっと痛烈な言葉をはかせていただろうな。より強い文明と出会ったことによる悲劇のメタファーとしては扱いが若干雑だ。
以上。
「LGBTQが妙に神格化されてるのはおかしくない?」ってちゃんと言ったほうがいい気がしている。
LGBTQはみんな善で、主張はすべて正しくて、おことばはすべて金言で、それを間違ってると思うのは差別、みたいなのは違うんじゃないかなと。
確かに少数者の意見というのは想像してなかった視点やそこから見えてくる発見もあって大事だよね。
マイノリティが自由に意見を発信できる環境や、それを真摯に聞く姿勢は、多様性を受け入れ寛容な社会を築くためにとても重要だと思う。
そういう社会になればマイノリティだけじゃなくマジョリティにもきっと生きやすくなるはずだ。
でもマイノリティの言うことは全部正しいとそのまま鵜呑みにしてる今の状況っておかしくない?
そもそもLGBTQの人だってそれぞれが違う人間でそれぞれが違う意見があるよね。
なんだか重箱の隅をつつくような社会に対して過激な不満を持つ人の(LGBTQの中でもそういう意見には反対する人が多いのに)意見がどんどん押し通されてない?
マイノリティの意見も聞き寛容な社会になればみんなが生きやすくなるはずなのに、非LGBTQのマジョリティも、LGBTQのマジョリティもどんどん生きづらくなってない?
LGBTQの人にもいい人も悪い人もいる、正しいときも間違うときもあると思って、意見や主義主張を聞く、時にはそれは違うんじゃない?って反論する、議論する、というのが、本当に差別してない状態じゃないのかな。
みんな子育てを難しく考えすぎ。逆に俺みたいに20歳で結婚して「どうにかなるだろ」と育てたけど
今、その娘が20歳を迎えた。小学校に入るまでは嫁に専業主婦としてやってもらって
俺が倍働いた。小学校に入学してからは嫁もパートに行きだして家計も安定
趣味だったゲームも旅行も我慢して夫婦で育て上げたけど、わりと適当にやってきた
まあ確かに目を離しちゃ駄目とか、言動で子供に影響が出るとか考えだしたらキリがないくらい心配だろうけど
自分自身が子供の頃を思い出してほしいが親が24時間ついてくれてたわけじゃなかったろ?
むしろ子供に影響を与える要素として一番大きいのは親じゃなく、周りの友達だよ
家に遊びに来たときにそいつらに目を向けるのが重要。話しかけてどんな子か観察する
子供と友達を連れてキャンプとか軽いドライブに行ってみる。物を運ぶのを手伝うのか?どう動くのか?とかね
観察する限り、娘の友達たちはドライブの途中に寄った店で俺に「ジュースでもどうぞ」と奢ってくれたり
「少ないですがガソリン代の足しに」と500円出してくれたりした
娘もそんな友達に囲まれてるから邪悪な部分が一切ないまま育った
嫁は知らないが、俺なんて大人として良い助言なんてしたことないし手本になるような背中を見せた自信もない
とにかく毎日話しをして、誰と付き合ってどんな考えを持ってて何に夢中になってるかっていうことを把握した
成人式の夜に一緒に飲んで「父親として何点だった?」と聞いたら「100点」と返ってきた
「どのへんが高評価なの?」「私の目を見て毎日話しを聞いてくれたことと、私の友達も大事にしてくれたこと」
俺は子育ての正解がわからないから、自分なりにやったつもりだったけどそんな高評価だとは思わなかった
「子育てしてみたい?」には意外な反応だった
「私はパパとママみたいに良い親になれる自信がない。2人が喧嘩してるの見たことないし、いつも仲良しで
私のことばっかり優先してすごいと思った。子育てってどうやるの?」
「今でも何が正解かわからないよ」
みんなそんなもんなんだなと思った。ただ、子育てで悩んでる人たちは自分が同じ子供を経験したことを忘れてるんだよね
なにか特別なことをするっていうより、毎日会話して子供に興味を持つことで何かあったら即対応するってことしかないと思う
余談だけど子育てから解放された我ら夫婦は元々も趣味だったゲームと旅行を再開することになって
SNSで目に止まったFF14とゼルダの新作に2人で没頭してる。20年前と別物のゲームは鼻血出るほど面白い
コロナも区切りがついたみたいだし、再来月にはヨーロッパを周ってくる予定。俺が40歳で嫁が38歳だし、これから楽しみすぎる
<以下、追記部分>
いつも読むだけで書くことがほとんどないんだけど、こんなに反応があるとは思わなかったから一度だけ追記する
>「俺が倍働いた」の雑さも笑う昭和の小説かなんか参考にしたのかな?
表現として書いただけで実際に2倍の時間働くって意味じゃないよ
ただ、嫁と役割分担を話したら「金銭管理も含めて家のことは私に任せて」と頼もしいことを言ってくれたから
俺は社長に訳を話して残業をさせてもらったり早く帰れるときは夜のバイトをやってたよ
夫婦の目標として娘が小学校に入るまではお互い頑張ろうねって誓いあったから苦しくはなかった
日曜日は嫁と子供と一緒に遊んでごろごろして楽しかった思いでしかない
当時の話だから語尾まで正しく表現したわけじゃないよ。すごく気を使ってくれる良い子達ばかりだったという思い出
自分なりにできることで返すというところに好感が持てて安心したんだ
ただ、実際に子供からお金を受け取ることはなかったよ。その気持ちが嬉しかった
「倍働いた」って表現に対して物理的な時間の話を持ち出したりするのを見て
「みんな」と言うと主語がデカいと言われそうだけど、みんなきっちりしすぎてると思う
0か1か白か黒かのような。もっと肩の力を抜いて、良い意味で適当になってほしい
子育てが難しいのは確かだけど完璧を求めたり、理想が高すぎるから
20年前のネットがどうだったかは覚えてないけど、今みたいにきっちり理詰めする人なんて少なかったし
一歩踏み出して失敗したり成功したりを繰り返してたのに
今はほんのすこしのミスも許さないって世の中が子育てを結婚や子育てを難しく感じさせてるのかもしれないと感じた
せっかく書いてくれたからコメントにはほとんど目を通したなかで気になったのは
嫁が専業主婦でやっていけるわけないという部分
はっきり言ってウチは裕福じゃなかったよ。だから娘が小学校に入学するまでは
嫁が切り詰めて頑張ってくれたし俺も無駄遣いは一切しなかった
支出が多いなら生活レベルを落とせばいいだけのはなしで、そんなに難しいことじゃない
車を売って自転車で通勤したし、水出しの麦茶を入れた水筒を持ち歩いてたし
夏は扇風機だけだったし、家族で遊ぶのは公園とか少し歩くけど入場料無料の動物園とかだった
それが成立したのは嫁が頑張ってくれたから
俺はただ何も考えないで働く時間を増やしただけだから頭は使ってない
今でも当時のことは嫁と笑って話すけど、すべて嫁のおかげで成立してたと感じてる
ただ、よく会話してるし喧嘩も一度もなかったしお互い貧しくても健康ならそれで良いよねという感じだった
これからの子育てに自信がない人に言いたいのは、なるようにしかならないってこと
100点を目指さなくていいんだから嫁と子供だけを見て家族が幸せならそれでいいと感じれば
いろんな壁に当たってもなんとかなるよ。最新の電子機器を持たなきゃいけないわけじゃないし
良い場所に住まなきゃいけないわけでもない
SNSで目にした人たちの暮らしは他人の暮らしなんだから、妬んだり噛みついたりせずに
家族だけを気にして「まあ、なんとかなるか」と一歩踏み出してほしい
辞める理由:24時まで起きているのは健康的ではないから。1日に2作品でトップになった時にもうこれ以上のやりこみ要素もないなと思ったから。
コツ3:すぐ思いつかなかったら別の作品を読め
コツ4:大きな流れに逆らうな
コツ8:難しい話はするな
コツ9:「それな」を目指せ
コツ10:今週の見所を短くまとめろ
はてなブックマークのコメントと同じぐらいの文字数で感想を書き込めるシステムだ。
そこには大抵はてなスターのような機能があり、そしてスター順のソートがある。
今まさにはてなスターの功罪が語られているが、漫画のコメント欄でスターを貰うのも同じように脳内麻薬が出る。
自分のセンスが他人に評価されるのは、それが単に人の褌を借りて利益を得る寄生虫のような行為でもあっても気持ちがよいものだ。
そうじゃないならはてなブックマークなんてもうとっくに潰れている。
私もまたそんな「他人の作ったものに寄生して脳汁を稼ぐ」ことに魅せられた人間だ。
そして私がこれは稼げそうだと目をつけたのが「漫画サイトのコメントでスターを稼ぐ行為」だったのである。
主にジャンプ+を生息地にしていたが、1日に2つの作品でスター獲得数トップになるという偉業を達成したこともあり引退を決意した。
ダブルトップを体験したせいで1作品でトップを取っても脳汁の出が悪くなったのだ。これを薬物耐性と呼ぶ。
ジャンプ+でコメントランカーをしていると寝る時間が遅くなり生活のリズムが乱れるというのも引退を決意した近因だ。
まとめると「脳汁のコストパフォーマンスが悪くなった」のだ。
だが私が学んできたコメント承認欲求稼ぎ術がこの世界から人知れず消えるのは寂しい。
冒頭に書いた10個のコツを守ればよほど文章力が終わっていない限りは試行回数次第でいつか1位だって取れる。
ここでは何故あの10個のコツでコメント欄のスター(ジャンプ+の場合はいいねなので、以下はいいねと呼ぶ)理由を知りたい人向けに解説をしていこう。
0:00にログインして一気に漫画を読んでいき、良いコメントが思いついた順に書き込んでいこう。
基本的に1作品目はスマホやタブレットで読んで、2作品目以降はPCのブラウザから読むのが効率的だ。
何故かというとPCのブラウザ版は更新が1分ほど遅れることがあり、それを待っていると出遅れるからだ。
書き込みのスピードを考えるとPCを持っているなら泥エミュから書き込んでいくのが効率的だろう。
だがここで気をつけることがある。
「全部読まずに速攻でコメントするな」という風潮がジャンプ+にはあるのだ。
なので急いで読んで雑なコメントをしても伸びは悪い。
1作品目を速攻で読んだらコメントせずに2作品目を読み始めて、2作品目のコメントをするときに1作品目のコメントもするぐらいが丁度いい。
スピードとコメントの質を両立するためにも、読んですぐいいコメントが思いつかなかった場合も飛ばして次の作品を読み始めてしまうべきだ。
確かに速攻で「えちえちすぎワロタ」とコメントをすることでやたら伸びる場合もあるのだが、そういった雑な速攻が有効でないことの方が実際には多いのだ。
何故なら大部分の漫画は読みたい人が読んでいるのであって、斜に構えてケチをつけに来ている読者は一握りだからだ。
重箱の隅をつつくようなツッコミで冷笑を誘うコメントでは10位は取れても1位は取れない。
ただし、コメント欄を読みに来る読者の大部分がアンチである漫画だけは違う。
ジャンプ+は精神年齢低めな空間なので叩いていい認定がされた漫画にアンチコメントを入れに来るユーザーが少なからずいる。
コメント欄の空気を見るとその漫画がどういった客層に読まれているかが分かるだろう。
その流れに逆らってはいけない。
コメント欄は承認欲求を満たすための場だが、だからといって自分の好き勝手に振る舞ってもいいねは貰えない。
他人が望むコメントをすることでいいねを貰うWIN-WINの関係こそが最も得をする。これをゲーム理論という。
流石は超大手サイトだ。
よっぽどの暇人であっても全部のコメントを細かくチェックする余裕はない。
つまりそれぞれのコメントに与えられたいいねチャンスの猶予はほんの一瞬だけということだ。
一瞬で意味を理解可能で、その一瞬でいいねと思わせることが出来るかが重要なのだ。
まず大事なのが話を短く区切ることだ。
この解説コーナーは解説のためにダラダラと書いているがこのような文体でコメントをしてもいいねは増えない。
冒頭のまとめのように短く区切ってズバズバと終わらせていくべきだ。
いいねを入れる価値が失われない範囲で短いほどいいと思っていい。
漫画を読んだ感想を語りに来ているのだから、求められるのは「漫画を読んだ感想を短く言語化してくれているコメント」なのである。
つまる所「君の代わりに最高の感想を言ってあげるからパクってね」みたいなモノだろうか。
とりわけ伸びやすいのが漫画の全体像や注目すべきシーンの良い所を短く纏めたもの。
気づけばアハ体験な伏線だったり、なんでこんなに感動したのかを端的にまとめたものだったりだ。
ここには正解と言えるものが存在せず、センスと運とスピードがかけ合わさったガチャを回す実に脳汁が出る所だ。
「此方も抜かねば…無作法というもの…」のような中身なんて一切ないようなコメントが実は正解だったりするパターンもあり、「それな」のいいねを集めるためには見極めが肝要となる。
気をつけたいのは、コメントを読む側は基本的に忙しくて一発で理解できないコメントは無視するということだ。
そしてジャンプ+の読者層には子供も多いし、大人でもオツムが弱い人も大勢いる。
これらの人種からのいいねを完全に切り捨てていると一位を取る難易度が大きく上がる。
誰にでも分かる程度の難易度で、端的に分かりやすく、共感を得られるようにするのだ。
ここまで読んでくれた人のためにもう一つコツを教えると、いいねを押した瞬間相手に脳汁が出るようなコメントを心がけると少しだけ差がつく。
前も言ったようにコメント欄はWIN-WINを目指すゲーム理論の世界な訳だが、そこでのWINは何もコメントを読む瞬間だけに存在するのではない。
共感したコメント、ちょっと賢そうなコメント、センスのあるコメントを見抜ける俺センスがあると思わせるコメント、それらにいいねを押す瞬間、相手にも脳汁が出るのである。
この意識を持てるようになるとコメントランカーとして一皮剥ける。
一位はもうすぐそこだ。