はてなキーワード: ユダヤ人とは
ヒトラーのユダヤ人説の漫画なんて今持ち上げたら荒唐無稽な陰謀論として学者らから叩かれまくって潰されても文句言えない感じなのに、現実では潰されることなく海外でも翻訳されてフランスの大手新聞社が日本の20大漫画の一つに選ぶほど傑作であると国際的評価が固まってる。
ユダヤ人の迫害を描いといて最後にそのユダヤ人がパレスチナで虐殺を行い、ナチスの若者がアラブ人ゲリラに参加して独立のために戦うという逆転現象が戦争の不毛さを描いていて素晴らしいし、今にめちゃくちゃ通じる物語。
エルサレムで一緒に過ごしたイスラエル人とパレスチナ人がフェンスで分断されて虐殺者とテロリストとして銃を突きつけ合うって現在進行系で起きてるんだろうな
→第二次世界大戦勃発で内敵を増やしたくなかったイギリスはアラブ人に対する宥和政策を開始
→移民を制限されたユダヤ人が武装組織を作ってイギリス現地機関を攻撃
→大戦に勝利するも大きな被害を受けたイギリス軍はユダヤ人武装組織に対抗するのを諦めてロクに引き継ぎせずに撤退
→権力の空白でイスラエルが建国され、それを認めないアラブ諸国が介入。組織力が弱いアラブ人側が敗北し、ヨルダン川西岸とガザ地区に押し込められる(第一次中東戦争)
→イスラエルがヨルダン川西岸のヨルダン軍とガザ地区のエジプト軍を追放し、事実上の勢力下に収める。余勢を駆ってシナイ半島まで制圧(第三次中東戦争)
→エジプト軍が反撃。痛み分けに終わるがイスラエルはシナイ半島から撤退(第四次中東戦争)
→イマココ
んー?
「イスラエルはホロコーストを錦の御旗に自分たちのジェノサイドを正当化するんじゃねえよ
本当の敵は誰だって考えていったら、今エルサレムに住んでる人ではなく、その昔エルサレムを奪った連中、二枚舌で取り上げた連中だろ。
「舐められたままで終わったらヤバイから」が戦争をする本当の理由なら、今本当に戦わなきゃいけない相手が誰なのかは明白じゃん。
でも、殴り返されたら結構痛そうだから、弱そうな相手を殴ってるんだろ?
それって結局は「ユダヤ人って弱いものイジメしか出来ないんだ。じゃあユダヤ人より強くなればコイツら反撃してこね―ぞ」って舐められるだけじゃね?
将来に禍根を残すだけだと思うよ。
もし次にユダヤ人の立場が弱くなった時、今度は誰も助けてくれないと思う。
ずっと強く居続けられる自信なんてないだろうによくやるなあ。
そんな時間などない、と考えられる皆々様方も多いのではないかと思う。
しかしながら、これは決して一日一本新しい映画を見ろということではない。
一度観た映画でも構わないから帰ったらとりあえず音楽代わりに映画でも流しておけ、というものである。音量は大きめならなお良い。
別に音楽だって学びはあるし、有名な投資家は一日一冊本を読むとも言うし、別に映画である必要はないのでは?
私は今『セッション』という映画を流しながらこの文章を書いているのだが、AIで簡単に出力されそうな顔をしたハゲがカマホモっぽい主人公を口汚く罵っている。
我が家には激安のプロジェクターがあり、それで映画をクソ狭い自称マンションのカスアパートの一室の薄汚れた壁一面に映し出している。推定80インチ。
みんなは顔面の全長が力士の肩幅ぐらいある巨大なハゲから精神崩壊レベルの罵倒を喰らったことある?多分ないだろう。
この映画を流すのはもう3回目なのだが、未だに罵倒のシーンは胸がキュッとなる。かわいそう。
別にちっこいテレビで流したって構わないのだ。出先の時は自分もそうするし。
元々読書の習慣はあったのだが、ふと思い立って違うジャンルの創作物を見る習慣をつけてみようかと思ったのがきっかけである。
その中でも映画が特に調子が良い気がする。たぶんだが、大事なのは感情が籠った言葉が常にある程度耳に入ってくる状況なのではないかと考えている。
でもよくよく考えてみたらさ、映画って本というか活字の要素入ってくるよね。字幕とかだと特に。
本は好きだし、必ずしも上位互換だと言いたくない気持ちは全然あるんだけど、実際映像って結構なジャンルが兼ねられてて娯楽として効率的な感じがする。
ちなみに今主人公がドラムを拳で突き破った。とってもいたそう。
このさ、なんというか作業の合間にちょっとだけ目を向けて映画を見る時だけに生じる快楽ってあるよね。微笑んじゃうやつ。
ハゲとユダヤ人がうるさくて集中できなくなってきたからそろそろ書くのやめるね。
数ある娯楽の中でもなんかコスパいい感じするし。
『セッション』みんな見ようね!
成田悠輔「高齢者は老害化する前に集団自決、集団切腹みたいなことをすればいい」
貞本義行「キッタネー少女像。天皇の写真を燃やした後、足でふみつけるムービー。かの国のプロパガンダ風習まるパク!」
小山田圭吾「うん。もう人の道に反してること。だってもうほんとに全裸にしてグルグルに紐を巻いてオナニーさしてさ。ウンコを食わしたりさ。ウンコ食わした上にバックドロップしたりさ」
松本人志「僕は人間が生まれてくるなかでどうしても不良品っていうのは何万個に一個(あると思う)。これは絶対に僕はしょうがないと思うんですよね。それを、何十万個、何百万個にひとつぐらいに減らすことはできるのかな?っていう、みんなの努力で。まあ、正直、こういう人たちはいますから絶対数、もうその人たち同士でやりあってほしいっすけどね」
なぜなら、ロシア人は黒人と同じように奴隷(農奴)にされ、ユダヤ人と同じように大量虐殺(犠牲者30000万人以上)されたから。
どう思う?
許せるか?
俺は許せる。
でもきっと「絶対に許さない!朝鮮人を皆殺しにしよう!奴らを根絶やしにしなかったら先祖に顔向けできない!」と憤る右翼共はウジャウジャ出てくるだろう。
そして、そんな奴らに限って自衛隊や自民党の中枢に根を張っていて、国家的な軍事行動を実際に引き起こすだろう。
自分たちの信仰心を証明する手段として、ジェノサイドを実施するに違いない。
すべてのユダヤ人があの虐殺を諸手を挙げて称賛なんてしていない。
多くの善良なユダヤ人は、一部のユダヤ人の暴走に心を痛めているだろう。
しかし、「連綿と受け継がれた誇りを失っていない『真に正しい』ユダヤ人達」が、よりにもよって権力を握ってしまうという悲劇が起きた結果、このような状況になっているのだ。
もしも本当に、どこかの誰かが、防衛省や国会議事堂にドッシリと蔓延った極右思想たちの逆鱗に触れれば、国民の大多数の意志を無視して、ジェノサイドにさえ手が伸びるだろう。
今のうちから、極右の暴走に目を光らせ、くだらん宗教戦争に日本という国がまるごと巻き込まれないように出来ることをやっていこう。
某書に、何やら命令らしきことが書かれていた。
その命令がなんであるかは具体的には言えない(秘密にしろと書かれていた)が、とにかくそれを実行すると、日常生活にあきらかな効果が出たことがわかった(その効果も言えない)
それで、もう一度書をみたらどうなったかというと、命令の部分が消えて、代わりの文章が挿入されていた。
つまり俺がその効果を得られたのは、呪文に効果があるとは知らず、善に基づいて実行した結果であったと言えるだろう。
欲を持ってしまった今は、呪いの効果を受けるため、もう実行することはできない。
そもそもその某書はインターネットの深淵に潜む歴史的なヘブライ語文書のコピーであり、ユダヤ人も意味をよくわかっていないわけだが、魔法は実在するのではないだろうか。
東欧の多くの地域では、ホロコースト以前から反ユダヤ主義が蔓延し、ユダヤ人は他の住民と隔離された生活を強いられていました3。これらの事実から、当時のドイツ人からユダヤ人への感情は、大きな差別と偏見に満ちていたと言えます。
ナチスが政権を握る前のドイツでは、反ユダヤ主義は一部の人々によって支持されていましたが、全体としてはそれほど強くはありませんでした。ホロコーストの「いきすぎ」は、ナチスが政権を握った後に始まったもので、それ以前にはそのような大規模な迫害は存在しませんでした。
二枚舌じゃね?
ナチス前のドイツでのユダヤ人の地位について簡単なまとめと詳細な記述をしろ
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簡単なまとめ: 第一次世界大戦終結後の1919年には、ドイツに居住していたユダヤ人たちは、すでにドイツ人と同等の市民権・公民権を憲法で保障されるようになっていました1。
詳細な記述: ドイツに居住していたユダヤ人たちは、第一次世界大戦終結後の1919年には、すでにドイツ人と同等の市民権・公民権を憲法で保障されるようになっていました1。それから十数年後にヒトラーが政権を握ったときには、ユダヤ人とドイツ人の間の結婚が進んでいたこともあり、ユダヤ教徒のユダヤ人はわずか50万人でした1。当時、ドイツの総人口は6500万人でしたから、ユダヤ人はそのうちの1%にも満たない少数者です1。しかも彼らの多くは、ドイツに忠実な愛国者でした1。もし、その後12年にも及んだナチスの時代さえなければ、おそらくユダヤ人はドイツ国民として、この国に溶け込んでいったことでしょう1。
経済や権力といった地位についてと、当時のドイツ人からユダヤ人への感情などを掘り下げて
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ナチス前のドイツにおけるユダヤ人の経済的地位については、ヴァイマル共和政時代のドイツ経済は一時好調であったものの、1929年の世界恐慌と1931年の金融恐慌によって壊滅的な状況に陥りました1。この情勢下で政権を握ったのがアドルフ・ヒトラー率いる国家社会主義ドイツ労働者党(ナチ党)でした1。
権力的地位については、1933年にヒトラーがドイツ国首相に任命され、その後大統領になり、国の絶対的な支配権を手に入れました2。ナチ党は、ドイツが陥っている窮状の責任はユダヤ人にあるとし、国をかつての栄光へと導くと約束しました3。
当時のドイツ人からユダヤ人への感情については、ナチ党が政権を握った後、すぐにさまざまな法律を公布して、ドイツ人の生活からユダヤ人排除を図りました3。また、東欧の多くの地域では、ホロコースト以前から反ユダヤ主義が蔓延し、ユダヤ人は他の住民と隔離された生活を強いられていました3。これらの事実から、当時のドイツ人からユダヤ人への感情は、大きな差別と偏見に満ちていたと言えます。しかし、一方で、潜伏ユダヤ人とドイツ人が極限状態の中でともに過ごすうちに、「ユダヤ人」と「ドイツ人」、「被害者」と「加害者」、「救いを求める弱者」と「救援者」といった二項対立が揺らいでいき、人が人として互いを支え合うことがあったとも報告されています4。これらの事実は、当時の複雑な状況と感情を示しています。
当時から反ユダヤ主義があり、ナチスが政権をとる以前から反ユダヤを主張し民主的に選ばれたという背景があるのならば、なぜ現代でナチスの罪がナチスのみに着せられているのか
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その問いは、歴史的な事実と個々の責任についての複雑な議論を引き起こします。ナチスが政権を握った時、彼らの反ユダヤ主義の政策は一部のドイツ人から支持を受けていました。しかし、それは全てのドイツ人がその政策を支持していたわけではありません。また、多くのドイツ人はホロコーストの全貌を知らなかったとも言われています。
ナチスの罪がナチスのみに着せられているという認識については、ナチス政権下でのホロコーストという大量虐殺は、その組織的かつ計画的な性質から、ナチス政権とその指導者たちに対する責任が強調される傾向にあります。これは、彼らがホロコーストを計画し、実行した主要な力であったという事実を反映しています。
しかし、これは個々のドイツ人や他の協力者の責任を免除するものではありません。戦後の裁判では、多くの個々の犯罪者が起訴され、有罪判決を受けました。また、ドイツ自体も過去の罪を認め、ホロコーストの犠牲者やその家族に対する賠償を行ってきました。
この問題は非常に複雑で、歴史的な事実、個々の責任、集団の責任など、多くの要素を考慮に入れる必要があります。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理
ナチスの反ユダヤ主義を支持するドイツ人は一部とのことですが、ではナチスが政権を取れたのは反ユダヤ主義のみが支持されたことではないと思います。
では、ナチスの何が政権を取れるほどドイツ人に支持されたのか。それは有権者の主義と反する反ユダヤ主義を受け入れて余るほど重要なものだったのかを解説して。
また、多くのドイツ人は当時、ホロコーストの全貌を知らなかったと述べていますが、当時のドイツ人はユダヤ人に何を望んでいたのか。どのような迫害を行いたかった、あるいはここまでなら許容できると考えていたのか教えて。
Copilot
ナチスが政権を取得できた理由は、反ユダヤ主義だけではなく、他の多くの要素が関与していました。その一つは、1930年代初頭の世界恐慌による経済危機で、多くのドイツ人が失業し、経済的な困難に直面していました1。この状況下で、ヒトラーとナチス党は経済の回復と雇用の創出を約束し、多くのドイツ人から支持を得ました1。
また、ヒトラーが政権を握ることができた理由の一つは、彼の独裁権力の掌握が必ずしも「民主的」ではなかったことです2。ナチス党が国会で単独過半数を占めることはなく、ヒトラーの首相就任は議会の選出によるものではありませんでした2。首相指名は大統領の権限に基づくもので、大統領周辺の保守勢力との提携が鍵を握りました2。さらに、ナチスの権力掌握の過程では、選挙運動や宣伝活動と並行して、突撃隊などによる暴力の行使も大きな役割を果たしました2。
当時のドイツ人がユダヤ人に対して何を望んでいたかについては、一概には言えませんが、ナチス政権下では、アーリア人至上主義に基づきユダヤ人を標的に迫害しました3。しかし、多くのドイツ人はホロコーストの全貌を知らず、ユダヤ人が大量に殺害されているという事実を理解していなかった可能性があります3。また、ユダヤ人に対する具体的な迫害の形態や許容範囲については、個々のドイツ人により異なり、一部のドイツ人はユダヤ人を助ける行動をとったことも報告されています4。しかし、全体として、ナチスの反ユダヤ政策は広範に受け入れられ、実施されました3。これらの事実は、当時のドイツ社会の複雑さと、個々の市民の行動や意識がどのように政府の政策に影響を与え、また影響を受けたかを示しています。
まとめると、
当時反ユダヤ主義はナチスのみがことさらに強調していたことではなく、ドイツのみならず過去から少なくない人や国がもっていた一部でのうっすらとした共通認識であった。(独裁後のホロコーストはいきすぎだとしても、独裁前に不穏さは少なかった)
ナチス自体は単独過半数を取ることはなかったが、落ち込んだ経済と共産主義に対するという点で国民や国に民主的・非民主的に支持されていた。
大統領による首相指名での就任という、おそらく議会からも大統領からも弱い立場から独裁を勝ち取れたのは、上手く立ち回ったと言える。
あっている点・間違っている点・補足・解説を加えろ
Copilot
あなたのまとめは大部分が正確ですが、いくつかの点を補足・解説します。
あっている点:
反ユダヤ主義は、ナチスだけでなく、他の人々や国々にも見られました。しかし、ナチスの反ユダヤ主義は特に極端で、組織的な大量虐殺(ホロコースト)につながりました。
ナチス党は、1933年の選挙で単独過半数を得ることはありませんでした。しかし、経済危機と共産主義への恐怖を利用して、多くのドイツ人から支持を得ました。
ヒトラーは、大統領による首相指名を通じて政権を掌握しました。これは、彼が巧妙に政治的な状況を利用した結果でした。
間違っている点:
ナチスが政権を握る前のドイツでは、反ユダヤ主義は一部の人々によって支持されていましたが、全体としてはそれほど強くはありませんでした。ホロコーストの「いきすぎ」は、ナチスが政権を握った後に始まったもので、それ以前にはそのような大規模な迫害は存在しませんでした。
補足・解説:
ナチスが政権を握った理由は複数あり、その中には経済的な困難、政治的な混乱、そして反ユダヤ主義のようなイデオロギーが含まれていました。これらの要素が組み合わさって、ナチスの台頭を可能にしました。
当時のドイツ人がユダヤ人に対して何を望んでいたか、またはどの程度の迫害を許容していたかについては、個々のドイツ人により異なります。しかし、全体として、ナチスの反ユダヤ政策は広範に受け入れられ、実施されました。これは、当時の社会的な状況と、個々の市民の行動や意識がどのように政府の政策に影響を与え、また影響を受けたかを示しています。この問題は非常に複雑で、歴史的な事実、個々の責任、集団の責任など、多くの要素を考慮に入れる必要があります。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われています。それぞれの視点から見れば、異なる解釈や結論が導き出されるかもしれません。このような議論は、歴史の理解を深め、未来の同様の悲劇を防ぐための重要なステップです。それぞれの視点を尊重し、開かれた対話を通じて理解を深めることが重要です。この問題についての詳細な研究や議論は、歴史学者や社会科学者によってなおも行われて
表現の自由なんてのは世界平和とか人類みな兄弟みたいな、冷戦が見せたほんのひとときの幻想だったってことなんだなあ
誰かが傷つかない範囲では表現は自由だ、傷つけたら表現で反論は来るだろう、ぐらいすごい自由なことを提唱したはずの本家本元が
やれ傷つく人がいるかもしれないから無作法だ先にやめておけみたいなことを言う
先回りしてナチス関連は法で禁止しとこうとか(あれれー傷ついたユダヤ人が表現の自由を駆使して抗議するところまで含めた自由じゃなかったんですかー)
グロは許すがロリは絵でも許さんとか(あれれーでもあなたの国実物ロリがグロいことになるホンモノの記録たくさんありますよねー)
ケモノは宗教的禁忌だからやめておけとか(あれれーあたま中世ですかー)
まあ9条なみの現実の見えないお題目だったってことなんだよなあ
「ユダヤ人は強制収容所に入れて皆殺しにしろ」っていうのが表現の自由で守られんのかって問題あるよね。
んで、現実には、確実に許されない方向に向かってるのに、オタクとか弱者男性とかになると、途端に、もっと酷い差別的言説を許すどころか、自分から垂れ流す自称反差別ちゃんが出てくる。
現にアメリカでは、その結果、ホームレスを逮捕して、スリーアウト法で無期懲役で、一生刑務所で奴隷労働させるという、現代の強制収容所が出来上がりつつある。
時代を紐解けば、江戸時代には、無宿人を捕まえて、死ぬまで佐渡鉱山で強制労働させてたり、ユダヤ人より酷い扱いを受けてるのが弱者男性なのに、そっちへの差別は全く禁じられてない。
んで、言うに事欠いて、「弱者男性が差別主義者だからだー! 差別的言説をした者への差別は正当化されるんだー!」とか喚き出すけど、その理屈だと、差別的なことを言ったユダヤ人が一人でも存在すれば、ユダヤ人は全員、強制収容所に送って良いことになるんだが。
縁もゆかりもないのにパレスチナで起きている虐殺に心を痛めるくらいには生活にゆとりを持っている。だが募金をすることもなければデモに足を運ぶこともない。
作家をしている友人が停戦を求めるデモに足を運ぶのをインスタグラムに淡々とアップしているのを見て、罪の意識というほどでもないが、何もしていない自分がどこか責められているように感じる。
そして同時に「そりゃ戦争はみんな嫌だし止めたいけど、デモをやったくらいで戦争が止まったら苦労しないよ」とも思う。
そもそもそこまで貿易のないイスラエルに日本ができる有効な経済制裁ってあるの?とか主張を疑ってみたり
日本は米国と利害関係があり、米国はかのユダヤ人国家と利害関係があって、これを無視して人間として直感的に正しい主張を貫いてしまうと後で困るのは安全保障的にも経済的にも独立していない日本なので、まずは自衛軍擁立賛成デモからやらないんですか?とかニヒルに構えてみたり
デモに参加している人のアカウントの多くが反原発・#metoo・BLM・現行憲法・政権批判・性被害撲滅などの運動にも参加していて、なんか「被害を受ける弱い私たち vs クソ体制」って二項対立スタンスが強すぎてちょっとね、とかよく知りもしない参加者の属性を嫌がってみたり
仮にそうだとしても、私が世の中の醜悪な出来事に対してどんな形であれ意思表明をしない理由にはならない。
わかっているよ。それでも、やっぱりデモが苦手なんだ。