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2018-11-19

【6】2018 晩秋広島博多別府

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anond:20181119230657





4日目



慣れてしまえばどうって事ない


目を覚ましてカーテンを開けると、結露のモヤの向こうに広島の晴天が広がっていた。

窓の外には気持ちの良い冷気があるのだろう。

東京から南に移動したとはいえ、同じ日本なので11月気候にそれほど大きな違いはない。

今日がこの旅では広島最後の朝、昼には新幹線博多に向かう。

チェックアウト前に最後の一風呂を浴びる事にした。


初日否定的レビューをしてしまったホテルだが、古い設備バストイレ別の狭い部屋も慣れてしまえばどうということはなく、フロントは丁寧だし、サウナも使えるし、立地も便利だしで、これで1泊あたり3,500円ならコスト分の満足は超えていると思う。

実際、2泊通してフロントには出張族と思しきスーツ姿やツナギを着た現場仕事の兄ちゃんが引っ切り無しに訪れており、底堅い需要存在を感じさせた。


洗い場の排水改善された大浴場で朝風呂を浴びてホテルをチェックアウト、清涼な空気を吸いながら、遠回りして広島駅へ向かう。

と、スマホ地図確認していると、広島城が案外近い事を発見した。

平和記念公園宮島観光時間を使い切ったと思ったが、この距離なら新幹線の出発前に回れそうだ。


江戸時代以前の城は火災戦争などで城そのものは失われてしまっていることが多いのだが、広島城は戦後天守閣復元されており、中は歴史博物館になっていた。

海運の要衝として発展した広島歴史築城した大名、城内や城下暮らしなどの展示を見た後、登っていくと、ショウケースの中に幾振もの日本刀がその刃に輝きを湛えて横たわっていた。


チェックアウトの前にニュースサイトをチェックして目に留まった件がある。

全米ライフル協会医師発言揶揄するツィートをした事に、医師たちが猛反発し、抗議のツィートが全米で広がっているというニュースだった。

全米ライフル協会のツィートには「なんでこんな無神経なことが言えるのだろう」と、瞬間 疑問に思った。


アメリカ選挙に影響を与える資金力が良く話題になる全米ライフル協会だが、それを支えるのは「銃を持つ事を肯定する思想と無数の感情」だろう。

アメリカは「政治暴走した時に民兵が蜂起して正しいアメリカを取り戻す」という思想の元、市民の銃の携行が権利として認められているという。

でも、そういった政治思想より「銃を取り上げるな」という感情が個々人の心になければ、銃の携行はここまで生きた頑強な権利として存在し得ないと思う。

銃社会でない日本にあって、その想像は難しいと思ったが、日本刀を説明する時「侍の魂であり、日本の誇るべき美の結晶」という様な言われ方をするのを考えれば、わかる気がした。

アメリカで銃が民政象徴として説明される様に、日本刀も忠義や克己の象徴として思想的な説明が試みられる。

しかし、銃も刀もその道具としての核心的機能は「暴力行使」だ。

自分を脅かすものや気に入らないもの暴力排除できる」という自信が携行を望む個人の心の核心にあるのだろう。

侍の帯刀も銃のオープンキャリーも「それを取り上げられたくない」という感情の根は共通である様に思う。


ただ、それを本当に人に向けるとはどういうことなのだろう。

倫理でも哲学でも政治でもない。感情として。

日本刀の分類上、刃渡り60cm以上は太刀や刀に属するという。

展示のそれを見てもはっきり言ってリアリティがなかったが、すぐ側のショウケースの中にある脇差小刀普段料理に使っている包丁と大した違いはない。

「これを人に向ける?刺すのか、これで?本気か?」

膝がすくみ上る気がした。

俺には無理だ。

だけどすぐに次の言葉が心に浮かんだ。


「きっと、慣れてしまえばどうということはない」


【7】2018 晩秋、広島・博多・別府 3日目|グローカル へ >>

2018-11-03

anond:20181030121241

数十年後には良かれと思い、ポリコレ配慮して信長の野望大名を何割か女体化して販売するのだが、何故かラディフェミ末裔が猛反発する流れ

2018-10-29

日本三大「日本三大〇〇として挙げられてるけど他の二つに比べて地味じゃね?」

日本三大RPGドラクエ」「FF」「テイルズ

日本三大推理漫画名探偵コナン」「金田一少年の事件簿」「Q.E.D. 証明終了」

日本大名探偵金田一耕助」「明智小五郎」「神津恭介」



あと1つは?

2018-10-17

聚楽第歴史改変

オタク戯言です。

刀剣乱舞イベントおめでとうございますー!楽しみです!

聚楽第なら秀次生存ルートかなと嬉しくて舞い上がっていたらフォロワーさんに破却されていない聚楽第という情報だけで秀次天下と捉えるのが分からないと言われたので、徒然なるままに三分を書かせてもらいました。

分かりやすさは放棄しておりますのでお許しください。また、あくま妄想ですので批判等はお控えください。


1.聚楽第とは

聚楽第とは豊臣秀吉天正15年(1587年)9月京都にて完成させた建物であり、文禄4年(1595年)7月秀吉自らの手で破却させている建物である。その期間四年余。その為、建物自体現在に残ってはいないが、聚楽第図(広島市中央図書館所蔵蔵浅野文庫諸国古城図』)を始めとする絵図や京洛の社寺などには移築したと伝わる建物などが存在する。

元より聚楽第という名は楽しみをあつむるやしきと言う意味であり、宣教師ルイス・フロイス聚楽快楽歓喜の集まり意味すると記している。見た目も絢爛豪華で…と語っており派手好きな家康の片鱗を垣間見ることができるだろう。見目を伺うために伝わっている平面絵図がいくつか存在する。例を下記に連ねる。

浅野文庫

尊経閣文庫

三井文庫

国立国会図書館文庫

桜井成広所蔵本

聚楽教育会所蔵

三井家所蔵「聚楽第図屏風」

堺市博物館所蔵「聚楽行幸図屏風」

三井文庫所蔵「豊公築所聚楽城之図」

①〜⑤は周囲の大名屋敷名称バラツキはあれども構造が似通っているものである。⑥は後世の天保14年になり名倉希言が作成明治17年に書写されたものになる。⑦〜⑧は景観を描いた屏風になる。それぞれの内容や絢爛さなどは自らの目でお確かめください。そんな聚楽第の意義とは一体何だったのだろうか。桜井成広氏の『豊臣秀吉居城』及び中井均氏の『聚楽第』にて述べられている①京都に於ける政庁役割であったと考える。しかし、秀吉政治に関して大阪城聚楽邸を行き来していたことがある。中井均氏はこれを聚楽第公家としての居城であり、大阪城武家としての居城であると書いている。

聚楽第が破却になったのは文禄四年の秀次滅亡後の秀吉による破壊である

秀次の死は切腹であったが、それは秀吉によるものである秀次秀吉に謀反を企てているとあらぬ疑いをかけられ、関白の座を追われて高野山追放高野山人質切腹を迫られたためせざる得なかったのである。これは秀頼誕生後に相続問題から疎遠になり秀吉との仲が冷却されたとともに目立つようになった不謹慎な性行なども関係していると考えられるだろう。更に秀吉親族切腹まで命じており、元より秀頼を溺愛していた秀吉秀次の謀反に対しての怒りを感じる。そして、秀吉は譲った聚楽第を破却。縄張り意識を中心に考えると、歴史から秀次を完全に消し去ろうとしたといえる。

2.天正15年(1587年)9月〜文禄4年(1595年)7月迄に起こった歴史重要

今回のイベント於いて歴史修正されたのは豊臣秀次生存であり、ひいては豊臣政権の存続だと考える。

まずこの4年間に起こった大きな歴史的要項を挙げよう。大きな出来事のみの抜粋は天下が歴史修正に置いて影響すべきところを考えたためである

朝鮮出兵

豊臣秀次切腹事件

それでは順に述べていこう。

朝鮮出兵

朝鮮出兵聚楽第存在時にあった秀吉が行った大きな出来事である大陸領土拡大を目指し、進行したものであるが敢え無く敗北している。歴史改変をする事が出来る場所とも考えられますが、否定として「歴史改変された聚楽第」と本家PVで言われていることをあげる。この“された”と言う言葉には「何かしらの作用や影響を受けているさま(weblio)」であり、この場合、影響をうけているのは聚楽第であり、朝鮮出兵は直接関係がないのでこの案は没になる。

(飛ばしてくれても構いません。閑話休題に余談ですが、憶測に過ぎないものであり、またステ本丸出来事のためあくま私的妄想範囲を出ない考察ですが、舞台刀剣乱舞において歴史修正主義者が関わる場面は必ず天下が関わってる気がします。それは、歴史修正主義者は人の強い思いと呼応して呼ばれている(と個人的に考えている)ので、朝鮮出兵関係ないと思います歴史修正主義者も刀も人の思いに応え現れてくれる。代わりに見る人によって善悪が変わる世界です。聚楽第において正史側の審神者と刀は歴史修正主義者になってしまう…。つらい。話を戻しましょう。)

秀次切腹事件がなかった世界。用に謀反の疑いがかけられなかった世界理由としては前項で述べた聚楽第歴史改変を受けていると言うところが大きい。まず聚楽第存在したのは4年間であり、大きな出来事といえば

1587年 京都聚楽第完成

1592年 秀次聚楽第を与える

1595年 秀次切腹と共に破却

しかない。その為、聚楽第が直接影響を受ける可能性があるのは1595年と考えたい。また、聚楽第が影響の象徴となるならば存在がある事が歴史改変であるとも言える。

この事から聚楽第存在するには秀次生存必要であり、切腹事件が起こらない過去改変が行われていると考えられる。

2018-10-15

【解答と解説

anond:20181015173833

(A) 北丸雄二

ジャーナリスト元中日新記者ゲイであることを公表

2015年自民党武藤貴也未成年男性買春していたことに対して、北丸がTwitter上で発言

北丸雄二氏「「隠れホモ」はLGBTとは関係ない」に炎上 - Togetter

北丸雄二@quitamarco https://twitter.com/quitamarco/status/636591559358582784

武藤貴也の「隠れホモ売春話をLGBTの話と結びつける必要はないと思います

「隠れホモ」はLGBTとは関係ない。LGBTとは、自分を「私はLGBTの◯◯だ」と言える人たちが獲得したカテゴリーなのです。

「隠れホモ」は、そこに値しない(ということをエンカレッジ意味で言い続ける)。



(B) 杉田水脈

自民党衆議院議員

新潮452018年8月号『【特集日本を不幸にする「朝日新聞」』に寄稿した『「LGBT支援の度が過ぎる』での発言

例えば、子育て支援子供ができなカップルへの不妊治療税金を使うというのであれば、少子化対策のためにお金を使うという大義名分があります

しかし、LGBTカップルのために税金を使うことに賛同が得られるものでしょうか。彼ら彼女らは子供を作らない、つまり生産性」がないのです。

そこに税金を投入することが果たしていいのかどうか。にもかかわらず、行政LGBTに関する条例や要項を発表するたびにもてはやすマスコミいるから、政治家が人気とり政策になると勘違いしてしまうのです。



(C) 小林節

慶応大名教授憲法学者

2018/09/26付日刊ゲンダイ『ここがおかし小林節が斬る!』での発言

『杉田水脈議員“擁護論”の怪 「論として成立」していない』|日刊ゲンダイDIGITAL

GBTに関する発言で「袋叩き」に遭った杉田議員擁護する特集が載ったというので、「新潮45」を買って読み、驚かされた。

教授(※藤岡信勝)は、まず、杉田論文を要約した。

(中略)

(4)LGBTとひとくくりにすることがおかしい。T(トランスジェンダー)は「障害」なので医療行為を充実させるかは政治として考えていい。

しかし、私の感想は次のものである

(中略)

(4)LGBTは先天的DNA問題であり、治療対象になる「障害」ではない。



(D) 勝間和代

経済評論家。同性のパートナー交際していることを公表

2018年10月11日に開催された「work with Pride 2018」での勝間発言としてLGBTアクティビスト東小雪Twitter投稿(当該Tweetは削除されている)。

どのような文脈での発言かは不明

https://pbs.twimg.com/media/DpRd7NHU4AAkNYW.jpg

今年5月カミングアウトされた経済評論家勝間和代さんのメッセージカミングアウトされた時には、数十件の取材があり、その反響に驚かれたそう。

「静かに暮らしているのだからそっとしておいてほしいという反応は、学習性無気力症なのではないか

2018-10-04

anond:20181004233135

俺を含め、平民血筋はそういうふうに見えるが、実際は違うんだよ。

民間企業出身のある大学教授から聞いた話だが、その人が某一流企業新人だった頃、同期がみな自分先祖は〇〇家大名だったとかお侍さんだったとかそんな話で盛り上がったという。

まあ眉唾モノにも思えるけどね。

エリート階級での血筋による選別は平民がわからないところで今も行われてるよ。

2018-09-30

日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての覚え書き

身毒丸』について検索していた時に見つけた、

折口信夫への旅 第1部 ~小説身毒丸」をめぐって(歌舞伎批評家山本吉之助)

http://www.kabukisk.com/geitohito33.htm

という折口信夫身毒丸解説文の中に、日本師弟関係がなぜ理不尽暴力的になるのかについての興味深い示唆があったので、

もしかして既によく知られていることかもしれないが、自分は初めて知ったので、覚え書きとして残しておこうと思う。


日本師弟関係

最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。

例えば最も古い感情を残している文楽座人形遣いなど、少しの手落ちを咎めて、弟子を蹴飛ばしたり、三味線弾きは撥で殴りつけたりした。

そういうことは以前はよくあった。そうした躾を経ないでは一人前になれないと考えられてきたのです。

なぜ、そうした、今日の人には無理だなと思われるような教育法が行なわれてきたかということが問題になります。(中略)

それはある年齢に達した時に通らねばならない関門なのです。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


■例えば…

七月に入り一座は泉州のある村の盆踊りに迎えられますが、源内法師は身毒丸の踊りに若い女たちの面貌がチラついていることを認めて、その晩、師匠身毒丸自分の部屋に引きずっていって「龍女成仏品」に一巻を渡し「芸道のため、御仏のため、心を断つ斧だと思って、血書するのだ」と厳しく命じます

しかし、出来上がったものを持っていく度に師匠はこれを引き裂きます

「人を恨むじゃないぞ。危ない傘飛びの場合を考えてみろ。もし女の姿がちょっとでもそちの目に浮かんだが最後、真っさかさまだ」と師匠は言います

身毒丸は血を流しながら一心不乱に写経を続けますが、身毒丸脳裏には彼の踊りに熱狂する若い女たちの面貌がなかなか離れません。

一心不乱に写経を続ける身毒丸の姿を見ているうちに師匠の頬にも涙が流れてきて、五度目の写経を見た時には師匠にも怒る気力は失なわれていました。


春琴の教え方は 非常に厳しく、

あかんかかん、弾けるまで夜通しかたかて遣りや」と佐助を激しく叱咤し、

時には「阿呆、何で覚えられんねん」と罵りながら撥で頭を殴り、佐助がしくしく泣き出すこともしばしばであったと云います


芸道小説としての「春琴抄」~谷崎潤一郎・「春琴抄」論

http://www.kabukisk.com/geitohito72.htm


『昔は遊芸を仕込むにも火の出るような凄じい稽古をつけ往々弟子に体刑を加えることがあったのは人のよく知る通りである

本年〔昭和八年〕二月十二日の大阪朝日新聞日曜のページに「人形浄瑠璃の血まみれ修業」と題して小倉敬二君が書いている記事を見るに、


摂津大掾亡き後の名人三代目越路太夫の眉間には大きな傷痕が三日月型に残っていた

それは師匠豊沢団七から「いつになったら覚えるのか」と撥で突き倒された記念であるという


また文楽座人形使い吉田玉次郎の後頭部にも同じような傷痕がある

玉次郎若かりし頃「阿波鳴門」で彼の師匠大名人吉玉造が捕り物の場の十郎兵衛を使い玉次郎がその人形の足を使った、

その時キット極まるべき十郎兵衛の足がいかにしても師匠玉造の気に入るように使えない

阿呆め」というなり立廻りに使っていた本身の刀でいきなり後頭部をガンとやられたその刀痕が今も消えずにいるのである


しかも玉次郎を殴った玉造もかつて師匠金四のために十郎兵衛の人形をもって頭を叩き割られ人形が血で真赤に染まった。

彼はその血だらけになって砕け飛んだ人形の足を師匠に請うて貰い受け真綿にくるみ白木の箱に収めて、時々取り出しては慈母の霊前に額ずくがごとく礼拝した

「この人形折檻がなかったら自分は一生凡々たる芸人の末で終ったかも知れない」としばしば泣いて人に語った。』

谷崎潤一郎:「春琴抄」)


日本古代の、理不尽に怒る神と無辜民衆との関係

自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」という強い思いです。その場合・何に対して彼は意地を張るのかということが問題になります

世間に対して意地を張る場合もあると思いますが、あるいは神に対してという場合があるかも知れません。


ここで神に対して意地を張るということは、神に反抗するという意味ではないのです。

そのように考えるのは近代人の捉え方でして、古代人の場合には絶対者である神に対して反抗するという発想は考えられ ません。

自分に対する神の仕打ちが不当であると感じた時に、古代人は自らの清らかさを神に示すように控え入るのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」というようにです。

まり表面 上は畏れ入っているのですが、内心には自分に対する神の仕打ちは不当であるという強い思いがあるように思えます

(中略)

神に対して自分が清い(あるいは正しい)ということを示そうという気持ちを失ってしまえばそれは不信仰ということになります

から理不尽な神の仕打ちに耐えて・彼がそれでもひたすらに生き続けることは「神よ、この清い私を見てくれ」ということになるのです。

それは神に対して意地を張るということでもあ ります


折口信夫座談会神道キリスト教」において次のようなことを語っています

折口は憤りを発することが日本の神の本質であるします。

神の憤りとは人間がいけないからその罰として神が発するものではなく、神がその憤りを発する理由がどこまでも分からない。

神がなぜ祟るのかその理由が分からない。

このことが重要である折口は言うのです。


神が憤るのは人間がいけないからだ・人間が何か悪いことをしたから神が怒ったに違いないと考えるのは、道徳倫理が完成した後の時代の人々の感じ方なのです。

既成の道徳基準があれば、人々はそれに照らし合わせて・神がこれほど怒ったのにはこんな理由があったに違いないと後で納得できる説明を付けようとします。

しかし、道徳がまだ成立していなかった古代人には照らし合わせるべき倫理基準などまだなかったのですから、人々には神が怒る理由など全然想像が付きませんでした。

古代人にとって神の怒りは唐突で・理不尽で、ただただ無慈悲ものに思えたのです。


『神の怒りに当たることと言う怖れが古代人の心を美しくした』(折口信夫・「道徳研究」・昭和29年)


古代人にとって神の怒りはただただ理不尽ものでした。

そのような理不尽な怒りを神はしばしば・しか唐突に発しました。

例えば地震台風洪水旱魃・冷害などの自然災害がそのようなものです。


このような時に古代人は神の怒りをみずからの憤りで以って受け止めたのです。

みずからの憤りを自分の内部に封じ込めて黙りました。ただひたすらに耐えたのです。

そうすることで古代の人々はみずからの心を倫理的に研ぎ澄ましていったのです。

「神よ、この清い私を見てくれ」と言うかのように。


古代人の 生活というものは、風雪災害飢饉病気など、現代人が想像するよりもずっと過酷で・辛く厳しいものであったということなのです。

そのような時に古代人は神の理不尽かつ無慈悲な怒りを強く感じたのですが、そこをグッと持ち耐えて自己を深い内省と滅却に置くことはまこと殉教者以上の経験したことになるのです。

折口はそのような過程から道徳のようなものが生まれて来ると考えました。


貴種流離譚というもの民衆に与えた印象というものは「身分の高い人が落ちぶれて哀れな姿になって・・」というものでは決してないのです。

民衆貴種流離譚に見たものは神の与えた理不尽かつ過酷な試練に従順に耐える殉教者の姿なのであり、それは過酷な生のなかに生きる民衆自身の姿と も自然に重なって来るわけです。

民衆貴種流離譚を愛したのはそれゆえなのです。


神は別に何もするわけではないのです。

しかし、神がたまらなさを感じて涙を流してくれるならば無辜贖罪者は何かしら救われることになる・ 実はそのことだけで十分なのです。

これが古代人が神に対する時の態度です。


源内法師は身毒丸無慈悲折檻を強いながら、それに抵抗することなく・懸命に師の言いつけを実行しようとする身毒丸の健気さ・ひたむきさのなかに無辜殉教者の姿を見たのです。


最近ではそういうことはだんだんなくなって行きましたが、日本師弟関係はしきたりがやかましく、厳しい躾(しつけ)をしたものでした。

まるで敵同士であるかのような気持ちで、また弟子や後輩の進歩を妬みでもしているかのようにさえ思われるほど厳しく躾していました。(中略)

子供または弟子能力を出来るだけ発揮させるための道ゆきなのです。

それに耐えられなければ死んでしまえという位の厳しさでした。』

折口信夫座談会日本文化の流れ」・昭和24年12月)


折口がこのように語る時、折口日本伝来の師弟関係なかに理不尽に怒る神と・神を信じてその仕打ちに黙々と耐える無辜民衆絶対的関係をそこに重ねて見ているのです。


神はしばしば理不尽な怒りを発して、我々に謂れのないひどい仕打ちします。

我々には神の意図することがまったく理解できません。それはただただ理不尽ものに思えます

しかし、それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩むということことです。

過酷仕打ちを受けてもなお神を信じて神に従う人を見る時、神はそのような人々に対して賜らない愛おしさを覚えるであろう。慈悲の涙を流してくれるであろう。願わくば我々を悲嘆のなかから救い上げてくれるであろうということです。

折口はそのような気持ちから道徳のようなものが生まれてくるというのです。


そこには正しいとか・間違っているという倫理基準など存在しません。

善とか悪というのは道徳が成立した以後にある基準なのです。

あるとするならばそれは「清い」とか・「清くない」という感覚的(あるいは生理的な)基準です。


源内法師と身毒丸理不尽に怒る神と無辜民衆との関係無意識のうちになぞっていることになります


まり


神の理不尽な怒り(地震台風洪水旱魃・冷害や飢饉病気など)

→「自分にはこのような仕打ちを受ける謂われはない」と思う

→それでも神をひたすら信じ・神の指し示す道を黙々と歩む

 「神よ、この清い私を見てくれ」


これが、古代の神と民衆関係であり、師弟関係はこれをなぞっていると。


なるほど、自分がそういう目にあうのはいやだけど、ドラマ物語で接するとなんとなく納得してしまうのは、そういう古代から宗教的感覚が今も心の中にあるからなのかもしれない。

2018-08-18

忍者のみんなにききたいんだけど、

やっぱり、はてなにいる忍者連中は、大名から直で仕事受けてたりするの?

俺なんか3次受け忍者から事情がよくわかってない侍(侍かどうかもあやしい)がしたためた、読み解くのが不可能なくらい複雑な巻物をもとに仕事してるんだよね。

さっさと火遁の術でもおぼえて、こんなとこ抜け出すかな!

もしくは、虚無僧にでも転職すっか!

2018-07-31

窪田順生の文章まじやばくね?

http://www.itmedia.co.jp/business/articles/1807/31/news053_2.html

なんというひどい文章だ。

もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。

そう、福沢諭吉である

学校の授業でも必ず習う「学問のすゝめ」のなかで、福沢諭吉人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。これは、他人と比べて自分を不満に思い、自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。要は、「嫉妬である

 そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名御殿女中」をあげた。ドラマ映画になった『大奥』を思い浮かべていただければ分かるが、「御殿」のなかで殿様にかわいがられた女中というのは、周囲からすさまじい「いじめ」に合う。私よりブスのくせになんであの女が。どうせ汚い手をつかって取り入ったのに決まっている。剛力さんが女性たちからボロカスに言われるのとまったく同じ構造だ。

 そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。

 「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)

 なんのこっちゃという人のために要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

もうちょっとわかりやすく抜き出すと。

もともと日本人というのは、よその国の人よりも嫉妬深いのである

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。そう、福沢諭吉である

学問のすゝめ」のなかで福沢諭吉人間が生きていくうえでもっとも害となるのは「怨望(えんぼう)」とした。これは、他人と比べて自分を不満に思い、自分を高めずに他人を引きずり下ろそうという陰湿な心でここから猜疑や恐怖、卑劣が生じるとした。要は、「嫉妬である。そして、この「怨望」の分かりやすい例として、「大名御殿女中」をあげた。

そして、注目すべきは福沢諭吉がこのような日本人の「怨望カルチャー」を以下のように総括していることだ。

「試みに英亜諸国の有様と我日本の有様とを比較して、その人間交際において孰かよく彼の御殿の如きを脱したるやと問う者あらば、余輩は今の日本を目して全く御殿に異ならずというには非ざれども、その境界を去るの遠近を論ずれば、日本はなおこれに近く、英亜諸国はこれを去ること遠しと言わざるを得ず」(岩波文庫 P120)

なんのこっちゃという人のために要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

ちょっとひどすぎませんかね。

なんのこっちゃという人のために要約すると、

日本人嫉妬深い。これは福沢諭吉も言っている。

福沢諭吉はこう書いている。ムニャムニャ。

・これは要約すると、日本人はよその国と比べて嫉妬深いと言っているのだ。

二行目から説明にまったく意味が無い!

というかこの人全体的に文章無駄が多すぎ!!!!!

しかも何だよこの文章

これはなにも筆者がフィーリングで述べたことではない。お札にもなっているほど、近代日本最大の啓蒙家がそうおっしゃっているのだ。

他にも、筆者の独りよがり記述が多すぎる。文章書き手として余計な記述が多すぎる。

よくわからんクレーマーもどきの読者を想定しているのだろうけれど、そっちばかり向いていて、興味がある人にとって非常に読みにくいし

なによりもそういうこころあたりが無い人間からしたら、厄介者されて不快なのである

「ここまで読んだら不快になった、謝罪しろ!」「そんなに日本が嫌なら今すぐ日本から出ていけ!」といった怒りの声が飛んできそうだが

「そんなの福沢諭吉妄想だろ! 日本人ほど他人に優してく、寛容な心をもつ民族世界を見渡してもそういないぞ!」という怒りの反論が聞こえてきそうだが

理論武装をするのは立派なことだが、その武装をいちいちひけらかすのはチンピラっぽいのである

読者に威圧感を与えながら文章書くなよ。



読者に合わせる努力が無さ過ぎる。

内容についてはあえてスルーするが、まず文章がひどいと読む気なくすから! 読んでも不愉快な気分で読んでるとわけもなく否定したくなるから

頼むからもうちょっとまともな文章書いて!おねがい

2018-07-29

「好きなキャラクターは誰?」っていう質問

みんな答えられてるのに俺だけ答えられないってのが多い

三国志とか日本戦国時代だとかの話題になると、みんなは目を輝かせて好きな大名武将のことを語ってるのに、俺は淡々事実を語ってるだけの印象を受ける

まぁ、それでも十分楽しんでるんだけど、もっと没頭やら熱中がしたいんだ

どうすれば推しキャラが作れるんだ?

2018-07-05

anond:20180705194414

輪廻転生理論からすると前世カツオノエボシで今世が人間って事はよっぽど良い事をしたんだろうね

カツオノエボシ史には間違いなく載っているだろうし、おそらくザ・ベストカツオノエボシ100にもランクインしているだろう

よく大名の生まれ変わりだとかヨーロッパお姫様の生まれ変わりだとか釈迦の生まれ変わりだとかへルメスの生まれ変わりだとかラ・ムーの生まれ変わりだとかエロヒムの生まれ変わりだとか自慢してる割に今パッとしない人がいるけど、その人たちってよっぽど悪いことをしたんだろうね


からカツオノエボシの生まれ変わりであることに誇りもって胸張って生きていった方がいいと思う

2018-07-01

あいつが低能先生だった

大名小学校廊下にいたのは犯人だったのか、メディア風貌が出てから顔を確認した。松本という低能先生自分と同年代だった。

帰る時に今思えば犯人廊下の影から出てきたので覚えている(立ち飲み屋の横、入り口近く)

何でこんな暗い所に身を潜めてるんだ、と不審に思ってチラッと見たら、ガバッと一気に勢いつけて廊下に出で来たので驚きつつも、自分相手をたまに繁華街で見かける不審人物、変質者かと思った

今にして思えば尋常じゃない怒りに満ちて興奮してたんだろうが、変質者かと思って、そこまで過激危険人物とは気がつかなかった

正直、挙動不審な人はたまに見かけるし、 嫌だなーとは感じたけど自分にとっては人混みの中で稀にある事だった。相手はなぜかは意味不明だが興奮してるようだったし、その後は怖いので目を合わさずに、早足で外に出た。

施設内はスタートアップカフェがあり、ベンチャー企業スタッフ達?がちょうど近くの入り口横で飲み物片手にずっと談笑してたのだ。

なので、入る時に見かけた彼等が出る時も(メンバーは違うかもだが)居たので安心感があった。

報道では、2回目のかもめ会の間、廊下をウロウロしてたのが防犯カメラうつっていたらしい。

豊洲では確かドアに窓もなかったし、奥が上座だった。もし仮に途中で覗いたとしたらhagex さんは見えても聴講者は全員後ろ姿だ。

あとは定員50名に対して参加者30数名で、部屋が広かった(快適)

福岡では入り口上座間取り。定員30名の小部屋で息苦しい程にギュウギュウ詰め。学校仕様なのでドアに窓があり、講演中、廊下から覗いてくる人がチラホラ居た。覗いても自分のような聴講者とやたらと目が会うだけで、ドア横斜位置ハゲックスさんはたいして横や後ろ姿しか見えないような気がした

覗いてくる人に対処してる人は存在してた。豊洲阿佐ヶ谷スタッフ女性ひとりだったが同郷の人なのか自分のような部外者には謎だが、3人に増えていた。

内容はまだフワっとして硬めだった豊洲よりも回数を経てこなれて来た感があり、内容も濃く充実してきたが、逆にノリを棲み分けてたはずの阿佐ヶ谷と近くなってしまっていた。

ちなみに豊洲と違い、今回は低能先生への言及は無かった

第1回では、はてなハゲ子さんへの反応が賛否両論だった話題について取り上げる時に、idコールはてブ?の低能先生割合も表示して、説明していた。全体の1、2割を占め、

ものすごい割合で改めて驚愕したが、会場内ははてな村の人が大多数で、ふつうにウケて笑いを取っていた。hagex さんも、自分別に良いけど、慣れてない人がこれをされるとビックリして辞めちゃうんじゃないかとおっしゃってた

豊洲では帰る時にハゲ子さんがキャバ嬢みたいに名刺渡してお見送りで皆おとなしく帰って行ったと思う

阿佐ヶ谷終電関係で早めに帰ったので自分は見ていない。

福岡でも自分は先に帰ったが、ファン取り巻き達が居残って、囲まれて、きゃっきゃウフフしてたような気がする

しかし、ハゲ子さんは何しろ帰郷してるので、きっと半ば同窓会みたいなものから…と傍目には納得感があった

今思えば犯人が覗いて見てたら反感買ったかもしれない。

自分飛行機距離土地勘がない場所でひとりで食事をする場所を探してたのだが、旧小学校内には19時半終わりに隣を見たら20時までのカフェしかなかった。

その隣には立ち飲み屋

人の熱気で疲れていたので、静かにゆっくり食事たかった。

しかし週末の天神は混み混みでなかなか良さげなお店が決まらなかった。

いったんホテルに戻っても、ホテル内の小さなカフェレストラン満席ルームサービスもないビジネスホテルだった

また仕方なく天神の街をウロウ

人混みの中を自転車暴走してるのが一台来た

その時間帯、ゆっくり乗ってる人か、チャリを押して歩いてる人ばかりだったので、爆走は少し目立っていた危ないなーと感じたのを覚えている

しかしたら、犯行後の犯人だったのかもしれないまさか二度も見かけたのか?とのちに震えそうになった

その後は、やっと偶然にも空いてるお店を見つけ、ハズレのお店だから空いてるのかな?と心配になったが充分美味しく、ゆったりとひとりで食事をしてホテルに帰った。ホテルニュース速報を知った

眠れなかった眠ろうとしても寝付けなかった

外では明け方までサッカーで盛り上がってて超うるさかった、さすが天神、まるで渋谷中目黒みたいだった

ハゲックスさんが大変な目にかあってる時に呑気に自分

動揺したが何とか気持ちを立て直して東京に帰って自分の猫に会おうと思った

hagex さんはペットシッターに預けたと言ってた。私もペットホテルに預けると過去に猫が体調を崩してストレス等で血尿が出たりがあるので、家族に見てもらうかペットシッター派だ。

彼は本当にネコ先生を大切に思っていたのだ。自分ハゲックスさんの親しい他の人とは違って浅い付き合いだったが、優しく、仕事ぶりが丁寧で誠実な人だった

今回、福岡まで来たのは

ハゲ子さんが「東京以外で開催すると参加人数が一桁の事があるらしい」と

かねてより心配されていたので、せめてものサクラ効果になろうと考えただけで、実際は満員御礼で、完全に余計なお世話だった

でもマイレージが失効直前で余っていたので自分にとってはちょうど使えて良かったのだ

自分は悲しむなんておこがましい

ハゲ子さんの親族仕事仲間、くまざわ会など趣味仲間はどんなにか怖くつらく悲しいだろう

そう思って、己を奮い立たせて帰宅したが、一睡もしてなかった為か、熱中症になったのか、帰宅後に虚脱してしまい、寝込んでしまった

その後ニュースを見て読んで、犯人執拗に刺していた事を知った

もうニュースは見たく読みたくなかった

事件は忘れたかった

思い出してはパニックになってしまうので、心の整理のために一気に書いてみた不愉快にさせてしまったら申し訳ないです

思い出して泣いてしまうかもしれないが、自分には泣く権利も無いと思う

このまま埋もれて風化してhagex さんの事、忘れてしまうのだろうか

2018-06-26

もしはてなー達のオフ会福岡であったら大量殺人になってたのかもな

Hagexやkyomoe、raf00なんかが一堂に会するオフ会をやります!とか言っちゃって場所福岡のここ!とか公開されてたりとか(まあないが)

非公開でもなんらかの事情低能先生が日時場所時間を知ってたら、奴はオフ会会場に乗り込み皆殺しにしようとしたのだろうか

Hagexはフミコフミオを誘っていたようだが、フミコフミオ用事がなくて福岡大名の奴に参加していたら被害者は二人になっていたのだろうか

こわい

2018-06-25

松本英容疑者

2018年6月24日(日曜日)20前後福岡県福岡市の旧大名小学校内で、インターネットセキュリティ企業株式会社スプラウトスタッフ岡本顕一郎さん(41歳)が、松本英容疑者(42歳 / 無職)に背中ナイフで刺され死亡した。

ネットで深い恨みを持っていた

岡本顕一郎さんは自身ブログHagex-day info」などで松本英容疑者のことを「低能先生」と呼び、松本英容疑者行為発言批判する書き込みをしており、それに対して深い恨みを持っていたと推測されている。

住所と名前出てるぞ

福岡市中央区の旧大名小学校施設で24日夜、東京都江東区東雲しののめ2、会社員岡本顕一郎さん(41)が背中などを刺されて殺害された事件で、福岡県警は25日、同市東区筥松はこまつ1、無職松本英容疑者(42)を殺人銃刀法違反容疑で逮捕した。

答え合わせはじめ!

2018-06-24

Hagex事件に巻き込まれた?

https://atnd.org/events/97225

告知がギリギリになって申し訳ない。福岡で開催する

ネットウォッチ勉強会かもめ」#2が確定しました!

日時 6月24日(日)

会場 Fukuoka Growth Next 1階会議室

https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180624-00000054-mai-soci

福岡市中央区大名2の旧大名小学校で、関係者男性から「人が刺された」と110番があった。IT関連のセミナー講師をしていた40代男性背中ナイフのような刃物で刺され、病院搬送されたが死亡が確認された。

2018-05-30

朝日新聞真人 経済成長永遠なのか 「この200年、むしろ例外

2017年1月4日 [脱成長論][成熟社会][定常社会]

 いつしか経済成長」は私たちにとって当たり前のものになっていた。だが、それは永遠のものなのだろうか。

 アベノミクス大黒柱である日本銀行異次元緩和はお札をどんどん刷って国債買い支えるという、かなり危うい政策である。にもかかわらず世論の支持が高いことが不思議だった。

 思えば「成長よ再び」という威勢のいい掛け声と、「必ず物価は上がって経済は好循環になる」と自信満々の公約に、人々は希望を託したのかもしれない。

 希望をくじいたのはくしくも日銀が放った新たな切り札マイナス金利政策」だった。昨年1月に日銀が打ち出すや世論調査で6割超の人が「評価できない」と答えた。いわばお金を預けたら利息をとられる異常な政策によって、人々がお金を使うようせかす狙いだった。これには、そこまでする必要があるのか、と疑問を抱いた人が多かったのだろう。

 政府国民も高度成長やバブル経済を経て税収や給料が増えることに慣れ、それを前提に制度人生設計してきた。

 だがこの25年間の名目成長率はほぼゼロ。ならばもう一度右肩上がり経済を取り戻そう、と政府財政出動を繰り返してきた結果が世界一借金大国である

 そこで疑問が浮かぶゼロ成長はそれほど「悪」なのか。失われた20年と言われたその間も、私たちの豊かさへの歩みが止まっていたわけではない。

 その間、日本ミシュラン三つ星店は世界最多になったし、宅配便のおかげで遠方の特産生鮮品が手軽に手に入るようになった。温水洗浄便座の急普及でトイレは格段に快適になった。

 若者たちが当たり前に使う1台8万円の最新スマホが、25年前ならいくらの価値があったか想像してほしい。ずっと性能が劣るパソコンは30万円、テレビ20万円、固定電話7万円、カメラ3万円、世界大百科事典は全35巻で20万円超……。控えめに見積もったとしても、軽く80万円を超える。

 スマホに備わるテレビ電話や会話する人工知能機能となると、25年前ならSF映画世界の話だった。

 ただ、この便益の飛躍的な向上は国内総生産GDP)というモノサシで測ったとたんに見えなくなる。80万円超の大型消費が、統計上はスマホの8万円だけに減ることさえあるのだ。

 そこで見えなくなってしまう豊かさの向上を考慮せず、「どんな政策手段を使ってでもとにかくGDPを膨らませよ」というのがアベノミクス思想である

 人間はそうまでして成長を追い求めるべきなのか。

 実は、いまのような経済成長歴史が始まったのは200年前にすぎない。長い人類史のなかでは、ほんの最近だ。GDP統計が初めて作られたのは、さらにずっとあとのこと。1930年代大恐慌、第2次世界大戦がきっかけだった。

GDP、語られぬ限界

 昨年夏、GDP統計をめぐるちょっとした論争があった。所管官庁内閣府日本銀行が「実態より過小評価されているのではないか」と問題提起したのだ。

 きっかけは日銀の若手職員が発表した個人論文。ただ論争には日銀上層部意向も働いていた。アベノミクスの主軸として史上空前の超金融緩和をしながらインフレ目標を実現できず、成長にも結びつかない。現実へのいらだちがあった。

 数字ひとつ財政金融政策を動かし、人々の景況感にも影響するGDP。その歴史は、長い人類史のなかでは意外と短い。

 世界で初めて国の経済全体の大きさを測ろうとしたのは英国。17世紀の英蘭戦争のためにどれくらい戦費が調達できるか知ろうとしたのだ。そこから現在のようなGDPになったのは、さらにあと。1930年代英国米国大恐慌対策を探り、第2次世界大戦に向けた生産力の分析を進めるためだった。(『GDPダイアン・コイル

 一般的には1760年代英国産業革命が成長の起点とされる。だが西暦1年~2000年代世界の成長を人口歴史資料から推定した経済学者アンガス・マディソンによると、1人当たりGDPがはっきり伸び始めた起点は60年ほど後の1820年ごろだった。

 その理由投資理論家で歴史研究家のウィリアムバーンスタインが『「豊かさ」の誕生』で分析している。1820年ごろになると、ようやく私有財産制度資本市場が整い、迅速で効率的通信輸送手段が発達。技術進歩や新しいアイデア評価する文化制度ができて、成長を後押しする基盤が整ったという。

■もとは冷戦期の産物

 社会思想家の佐伯啓思京都大名教授によると、国家が成長を必要としたのはもともと冷戦期に資本主義陣営が社会主義陣営に勝つためだった。「それだけのことにすぎない。なぜ成長が必要なのかという根源的な問いに、経済理論には実は答えがないのです」

 冷戦が終わったあとも成長への渇望だけが残った。むしろ成長の限界弊害について、以前より語られなくなったのかもしれない。

 1970年代初頭、世界科学者経済学者たちが集まる民間組織ローマクラブがまとめた報告書成長の限界』は、経済成長謳歌(おうか)する人類への警告だった。人口が増え、先進国経済が膨張しすぎると、資源の使いすぎや環境悪化などからいずれ限界が生じる、という問題提起だった。

 いつしかその問題意識は薄れ、成長信仰だけがひとり歩きしはじめた。

 佐伯氏は「ローマクラブが指摘した問題重要性は今も変わらない。これから無理やり市場を膨張させ、成長させようとする試みは競争格差を激しくして、人間にとってますます生きにくい社会にしてしまうのではないか」と話す。

■低成長容認社会に変化の兆し

 紙幣を発行し、金融政策をつかさどる中央銀行。その「元祖」は英国イングランド銀行とされる。もともと民間銀行の一つだったが1844年の制度改正中央銀行進化した。

 つまり1820年ごろに始まる「成長」とともに誕生した機能だった。

 いま世界経済の成長スピードが落ちている。2008年のリーマン・ショックマイナス成長に陥った先進諸国は、危機から回復した後も以前のような成長軌道に戻れていない。

 サマーズ元米財務長官は3年前、物質的に満たされた先進国簡単に低成長から脱せないという「長期停滞論」を唱えた。

 日米欧の中央銀行はまるで自分存在意義を確かめるように、ゼロ金利政策、量的金融緩和マイナス金利政策……と成長を取り戻すための異例の緩和策を次々と繰り出した。

 「これは長い目でみれば中央銀行の終わりの始まりだ」と言うのは日銀出身金融史にも詳しい岩村充・早稲田大大学院教授だ。

 中央銀行政府から独立する必要があるのは、たとえ政権が代わっても、お金価値が変わらない金融政策を続けることが経済の安定には大事からだ。岩村氏は「政府といっしょになって成長のために異常な金融緩和を進める。そんな今の中央銀行独立性はない。存在意義がなくなってしまった」と指摘する。

 経済史の泰斗である猪木武徳大阪大名教授は、成長を謳歌たこの200年間を「経済史のなかではむしろ例外的な時期」と言う。そのうえで無理やり成長率を引き上げようとする最近政策に異を唱える。

 「低成長を受け入れる成熟こそ、いまの私たちに求められているのではないでしょうか」

 成長の意義も認めてきた猪木氏が最近そう考えるのは、成長そのもの役割が変質してきたからだ。

 「かつて経済成長には個人を豊かにし、格差を縮める大きなパワーがあった。最近国家間の経済格差は縮まったものの、上っ面の成長ばかり追い求める風潮が広がり、各国の国内格差が広がってしまった」

 主要国の成長戦略金融政策は往々にして強く富めるものを、さらに強くさらに富ませる傾向がある。それがトリクルダウン(滴がしたたり落ちること)で中間層低所得層に広がるという想定だ。現実にはそうなっていない。

 19世紀の経済思想ジョン・スチュアート・ミルゼロ成長の「定常社会」を構想した。だが近代経済学事実上、成長ぬきには語られなくなった。いつしかあらゆる経済理論が成長の持続を前提に組み立てられるようになったからだ。

 むしろ現実社会に変化の兆しが出てきた。たとえば最近広がりつつある、買わずにモノを共有するシェアリングエコノミー。大量消費と一線を画す動きだ。

 四半世紀にわたるゼロ成長期を過ごした日本人の意識に変化もうかがえる。

 博報堂生活総合研究所定点観測調査によると、「日本の現状はこの先も、とくに変化はない」と見る人は昨年54%で、9年前より22ポイントも増えた。さら身の回りで「楽しいことが多い」人が増え、「いやなことが多い」人は減った。

 同総研の石寺修三所長は「人々の意識が定常社会を前向きに受け止めつつある変化がはっきり示されている。いわば『常温』を楽しむ社会です」と話す。

 いま世界が直面する低成長が「成長の限界」を示すものかどうかは、はっきりしない。ただマディソンの2千年の成長率推計を見れば、この200年の2~3%成長が、まるでバブルを示す急騰曲線のようだとわかる。

 成長の鈍化はむしろ経済活動の「正常化」を意味しているのかもしれない。少なくとも成長は「永遠」だと思わないほうがいい。(編集委員・原真人

元ページ(リンク切れ): http://www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

ブコメhttp://b.hatena.ne.jp/entry/www.asahi.com/articles/ASJDY5DR2JDYULZU005.html

2018-05-29

戦国時代の疑問

戦国時代って、勝った大名が負けた大名土地に住んでいた奴を奴隷商人に売り飛ばし外国に輸出したって聞くけど、売り飛ばされた奴隷の子孫って今もいるんだろうか?

明治期の日系人ならなんとなく顔が似ているから分かるけど、この奴隷の子孫が気になる。

2018-05-06

文化文明の記録の脆さ

たった数十年前の機械現在では直せなくなる(直し手がいなくなる)とか

50年くらい前の庶民文化生活様式ですらあまり適切な記録が残っていないとか

明治維新前後あやふやさや坂本龍馬立ち位置だとか

江戸時代大名性格キャラ設定曖昧さだとか

文化文明の記録の脆さを感じる。何かを残すのは難しいんだなぁ

2018-04-20

[]風呂敷

風呂に敷くことからの名。

室町時代風呂蒸し風呂のようなもので、蒸気を拡散させるために「むしろ」「すのこ」「布」などが床に敷かれていたもの起源であるが、現在風呂敷にあたるものは「平包(ひらづつみ)」と呼ばれていた。

足利義満が大湯殿を建てた際、大名達が他の人の衣服と間違えないよう家紋入りの絹布に脱いだ衣服を包み、湯上りにはこの絹布の上で身繕いをしたこという記録があり、これが「風呂敷」と「平包」の間に位置するものと考えられる。

江戸時代に入り、湯をはった銭湯誕生し、衣類や入浴用具を四角い布に包まれるようになったのが、現在風呂敷に最も近いもので、風呂に敷く布のようなもので包むことから風呂敷包み」や「風呂敷」と呼ばれるようになった。

銭湯が発展したのに伴ない、江戸時代元禄から「平包」に変わり「風呂敷」の呼称一般に広まっていった。

風呂敷(ふろしき) - 語源由来辞典

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