昔、涼宮ハルヒの憂鬱にハマっていた。
アニメのエンドレスエイトや消失映画も見たし、聖地も巡ったりした。
原作もくまなく読んで、伏線らしきところをチェックしたりもした。
色々あって、別のアニメが気になり始め、同時に原作の刊行がゆったりめになったのもあり、ハルヒに触れなくなった。
最近、また再度興味が出て、最初から読み直してみているが、どうにもキョンに納得がいかない。
そもそもキョンが「10代の男子」であることを考えて、なおかつ「素直にはものを言わない」(=いわば信用できない語り手)でもあるから、多少は仕方ない。
だが、どうにもそれを踏まえてもよく解らん、となる。
消失の受け取り方はそれなりに読者・視聴者でさまざまかと思うが、あれはラブストーリーだと思っている。
キョンは長門の世界改変を(エンドレスエイト等を踏まえての)バグである、またはSOS団の活動を経ての感情の生まれであるとしている。
私は前者は確実にないだろう気がした。無論長門もそれなりに疲弊はしただろうが、「バグ」と片付けるのはどうなのかと疑問に思う。
後者のSOS団の活動を経て感情が生まれた、というのは「お前解ってて言ってるだろ」と思ってしまった。
長門は「キョンに自分を選んでほしい」というように思っていたように、私には感じる。
初期の探索の時に、図書館カードを作ってくれた。それが嬉しかった。でもそれを「嬉しい」と実感し、伝えるまでにも時間がかかった。
ともあれ、その探索の時のカード発行とそれ以後に、長門の中で恋心が生まれたというのは、私の妄想ではないと思う。妄想だったらすまん。
しかし、キョンはかたくなに長門にたいして「バグ」「感情が生まれた」「疲れている」というふうに話す。
そうかも知れないけど、あんなふうに接している消失長門の恋心を解らんはずがない。おそらく、解っているうえでそう話す。
私はいわゆる長門推しでもないし、キョン長でもない。だが、そんな私ですら「そりゃねえよ」と思ってしまった。
「気付いていながらスルーする」というのは、そういう気がないからと断るよりタチが悪いんじゃないかと思う。
私だったら好きな相手にその想いを気付かれながらも、その想いの存在すら認められなかったら悲しい気がする。
だいたいキョンはまだ高校生の男子で、しかも素直ではない、かつかなり面倒くさい性格をしていることを鑑みればこういう態度も仕方ないだろうし、
メタ的に見れば読者への明言を避けたということもあろうとも思う。
だがやっぱり何度考えても「そりゃないぜキョン」という感情が出る。
ハルヒとの関係すらもあやふやに流されている中で、長門だけ明確に「ふってしまう」というのは出来なかったとしても、なかなかしんどい。
とはいえ、巻を重ねるにつれある程度そういうモヤっとする部分は薄まっているので、新作は楽しみ。