はてなキーワード: 核戦争とは
核の相互確証破壊は2つの超大国が互いに十分な核兵器を保有している状況を指す。
互いに攻撃を開始すれば、双方が壊滅的な被害を受けることが確定するため、結果的に平和が維持される。
これはゲーム理論の一部であり、ナッシュ均衡の概念を用いて数学的に表現することができる。
それぞれのプレイヤーは攻撃するかしないかの2つの選択肢がある。
攻撃しない | 攻撃する | |
攻撃しない | (0, 0) | (-1, 1) |
攻撃する | (1, -1) | (-1, -1) |
この場合、-1は核戦争による壊滅的な損失を、0は平和(つまり損失も利益もない状態)を、1は一方的な勝利(他国を攻撃して自国が被害を受けない状態)を表している。
ナッシュ均衡とは、どちらのプレイヤーも他方が自分の戦略を変えない限り、自分の戦略を変える動機がない状態を指す。
このゲームでは、どちらのプレイヤーも「攻撃しない」を選ぶとき、つまり(0, 0)のときにナッシュ均衡が達成される。
その結果が以下。
https://i.imgur.com/UBzZTBy.jpeg
このラフがしっかり仕上げされる形になってて本当にびっくりした。
軽く自己紹介すると、ワイはお絵描きが趣味でIT系の仕事をしとる人間や。
最近のTwitter上のオタク界隈はAI絵の炎上が絶えない。
Stable Diffusion は出たての頃にちょっと触ってみたんやけど、何百枚も生成して使える絵は片手で数えるほどだったという印象があってそのあとはあまり真面目に技術を追いかけとらんかった。しかし最近の炎上を見てて、技術的にどこまで可能でどこからが不可能になるのか確認したくなり、もう一度環境構築からやり直すことにしたんや。
Stable Diffusion の WebUI の Docker 版を入れて、イラストに特化したモデルを入れて、VAEで画像のボヤけを解決し、噂の ControlNet を入れてみて、手元にある未完成の絵のラフを Canny につっこんでみて、プロンプトとパラメータを調節したらこの出来やで。
ちなみに貼った生成画像は無修正や。プロンプトにキャラ名は入れてないで。
何やろうね、このなんとも言えない気持ちは。
もしもワイにとって絵が道具やったら、簡単に十分なクオリティの絵ができてラッキーだと思っとるところやと思う。
でも、ワイにとって絵は目的やったから、描くこと自体が楽しいものやったから、理不尽な物言いだとは分かってるけど、それを奪われたような気持ちになったというのが一番近い表現やと思う。
というわけで当初の目的だった技術的に可能な点不可能な点を探るってのは今んところ不発に終わってるわけやけど、ワイが1年以上前の Stable Diffusion に触ってて思っていたところよりもよっぽど先まで話が進んどるんやな、とは思った。
正直、ワイみたいに描くこと自体が目的のヤツは少ないやろうな、と思う。大多数の人にとって絵は自分のブログ記事やプレゼンの資料を飾るための道具や。だから、この技術が今は法的に決着がついていないところを抱えているけど、それにはそう遠くない未来に決着がついて、一般に普及すると思う。
この技術がなかった頃にはもう戻れない。
せやから、ワイはこの技術と向き合っていきたい。それは、積極的に絵に活用するって話やない。この技術がある世界でもまだ絵を描き続けるという選択や。
別にプロでもなんでもないワイがそんなことしてても世の中何も変わることないとは思うけれども、でも、ワイはやっぱり絵を描くのが好きなんや。
ワイより上手い人たちはいっぱいいるけど、それでも絵を描き続けてきたんや。機械がワイより上手い絵を生成するようになったからって、そんなの今更やめる理由にはならんで。
【追記】
一つだけリプするわ。
お前の絵を見たい奴はAIに頼むようになるし、お前の絵はAIのためのクローラしか見に来なくなると思うよ。誰にも伝わらないなら、いったい何のために表現するんだ
絵は鑑賞されてこそ作品という考えやな。
ワイはネットが普及する前から絵を描いてるから、絵を見てもらえてないことが数字化される pixiv や Twitter も相当気持ち的には辛かったで。
今だって誰にも見てもらえないとまでは言わんけど、万バズとかいう言葉からは遠く離れた人間や。
でも、見てもらえないという現実と絵が完成したときの見て見て!っていう気持ちの落差があっても絵をやめることはできなかったんや。
だから、たとえ核戦争が起きて自分だけ地下シェルターで生き残って誰にも会えずに死ぬのを待つだけになったとしても描ける。そんな気がするんや。
カッコつけすぎやけど、正直な気持ちやで。
その前に核戦争で滅びるやろなあ
そのながれでいくと次はディスコードで次はライン(ヤフーJPかかえた)じゃないの
そんで最終的にどこもダメとなって分散型(マストドンとかブルースカイ)におちつく
これ核戦争終末型創作でよくみた(最近リバイバルされたやつでいえばバッシュ・ザ・スタンピードが主人公のトライガンとか、北斗の拳とかみたいな砂漠に点在する村ね)
そのうちみんなが
「あれっ?スマホって、ネイティブで安定な通話機能がついてるぞ!課金月額1500円で全日本遅滞なく通話し放題じゃん、発信者非通知もできるし」
て車輪の再発見しだしてさらに民意に答えるグループ通話ができると化ける
まあ素人だらけの一方通行生放送はあるんだけど女同士は部屋着か裸族でしゃべれればええねんて……
ニュースでも
「あれっ!文春って、すごい情報源じゃん、月額1000円で読み放題じゃん」みたいになっとるし
「ウケ狙いで笑いを誘うネタ記事」を書かれたかどうかは書いたご本人しか断定できないという前提ですが、
自分としてはhttps://anond.hatelabo.jp/20231215103432 に書いたような意図で書かれた記事だと思っています。
つまり、「ウケ狙いで笑いを誘う」ために書かれた記事ではないと思います。
そのうえで、ASD当事者の自分にはつらい表現が多かったと感じました。
「でも、肝心なのは性選択で勝ち残れるかどうかじゃないの?」や「全面核戦争のような大規模戦乱によって、地球のあちこちが封建制」には
「ウケ狙いで笑いを誘う」までは意図していなくても、当事者の苦境を馬鹿にするような表現だなと感じてしまった、というのが率直な自分の気持ちです。
ASD当事者です。「ヒト、または日本人はASDに進化しないと思う」を読みました。
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/p-shirokuma.hatenadiary.com/entry/20231214/1702535078
事実としては、おおむねシロクマ先生の言う通りだと思います。(※文末脚注の注1を除く。)引用しつつ述べると
例えば以下のような事実は、仮に存在したとしても非常に慎重に言及されていませんか。
統計的にそうした事実があったとしても、ステレオタイプを助長しないように配慮した表現で言及されたり、不幸な現状を変えるための提言とセットで述べられていませんか。とりわけ専門家であるシロクマ先生には、そうした配慮が求められるのではないですか。
赤文字太字の反語や、全面核戦争からの封建制のような極論はユーモアなのでしょうか。可能性は非常に低いという意見を言うために、核戦争や封建制を持ち出す必要はなかったと思います。当事者としては、苦境にあるうえに、その苦境を揶揄やユーモアの対象にされたようで非常に悲しくなりました。
(※注1)「人間のフィジカルな条件こそが最適な仕事や労働や作業が重要な社会や文化がこれからできあがった場合には、ぐるりと回ってASD的な特性が再び脚光を浴びるかもしれない。」という記述があります。
しかしASDにはしばしば感覚過敏があります。感覚過敏はDSM-4(のASD相当の各疾患)から変更されDSM-5のASDの診断基準の1つとして追加されました。
感覚過敏がある場合、環境調整が容易な内勤よりも外勤が多く環境調整が困難なフィジカルな仕事はむしろ不適である傾向にあると思います。もちろん当事者の特性や仕事の内容によって、フィジカルな仕事のほうが成功しやすい事例も一定数存在するでしょう。しかし傾向としては適さないのが一般的だと思います。