はてなキーワード: 時代遅れとは
単なる憶測にすぎないが、田舎でそれなりに立場のある親の子どもは、ガキのころに天狗になりやすい。
しかし都市部の大学に出たときに自分の実力を思い知る。今まで見えていたものは単なる幻想で、自分など大したことはなかったと。ここで非常な挫折を経験する。
「私がいちばん馬鹿」のようなポジションになってしまうとその中でもより挫折しやすい。これは都市部の私立高校でも発生する。
昨今では、地方と東京の断絶が進み、学歴差も大きくなっている。田舎しか見たことがない子どもは、東京の強大さを全く知らないのに「自分がナンバーワン。少なくともだいぶ優れている」と思っている。自分の田舎を100倍したものが日本のすべてだと感じるのだろう。だから、位置的にもそのようになるのだと感じるのは自然なことだ。「日本」と「アメリカ」の関係もあるが似たようなものだ。
こうした子どもが首都圏に行くと自分が味噌っかすであることを全身全霊・魂レベルで経験することになる。そこらへんのどこにでもいる凡愚とされる。準備などしていなかった衝撃である。年々、この落差がどんどん激しくなっているように思う。
彼らは「地元の名士」の子どもでもなかったりする。地元の名士は何かと東京と繋がっているものだからそういう情報が入ってきやすいが、彼らはそういう情報がなく、表面的な文化の部分でのみ都会を理解しているのである。これはしかし原理上どうしようもないことになっている。
彼らのほとんどは挫折によって苦しみながらも自分の立場をなんとか確保して成長していく。とくに、若いころから苦い経験を飲み込んで努力を積み重ねてきた人間は、問題を抱えつつも人格的にも能力的にも徐々に成長していく。こうした人間は適応し、確固たる居場所を獲得する。そういう人々が家臣団として東京周辺にザッと住んでいるのだ。城下町のように、家来として東京の中心地を囲んでいる。そして主君のお望みの通りに馳せ参じるのである。また、各々の人生を歩む。よく成功しようとしたい者は海外に出る。海外というのは「アメリカ・イギリス・EU」などのことだ。ここ最近は主君をアメリカとみなしているのである。長いものには巻かれろということだ。
しかし、大した努力や積み重ねもなく、今まで1番を獲得し続けてきた子や、親から1番になること、1番でなくともある程度優位な立場を得ることを強いられ続けてきた子、強制的にレール上を歩かされてきた子は、ここで強烈に挫折を味わい、脱落していく。「挫折」と表現されたくすらないかもしれない。ちっぽけなプライドゆえに「挫折」と捉えられない。「挫折した」のではなく、「今も挫折し続けている」のだ。立ち直る術を知らない。
「本気を出してないだけ」「時代が悪かった」「環境が悪かった」と、なんとかして知性化という合理化を図り、自分の心が折れていることを観測できない。もう耐えきれない。心を捻じ曲げようとする。「お前ぐらい勉強ができるものは無限にいるぞ」と受け入れられない。そのような「田舎」など、全国で見ればほとんど無限にあるのだ。足軽にもなれないような実力なのに、身分は家老ぐらいあると感じている。穢多・非人程度の扱いをされるのは、到底受け入れられない。
自分を知らないし、他人のことも知らない。ただただ軽視されることに耐えられないのである。第一、もはや身分が違うからといって人を軽んじていい世の中ではない。ますます生きにくくなる一方だ。ポリティカルコレクトネスとはそういう流れだろう。
生きている意味とは何かわからない。親もまた、その挫折を真剣に受け止められない。立場が違いすぎるがゆえに、わかってあげることができないのだ。わかってくれるような親ならば、初めから違った教育をしている。
彼らは、性格も歪んでいるために、友人関係を結べない。「バカで無能で愚図でおまけに性格も悪く、カッコよくも可愛くもなく、一人で生きる力も無いし、人のために何かすることができず、依存性が高く、他の周りの人たちよりも恵まれた環境なのに文句ばかり言う割に、他人の助言を聞き入れもしない」という、どうしようもない子どものできあがりである。何者かになろうとしていると表現されている。アイデンティティの崩壊がある。すぐそこに救いはあるのに、自らが軽んじている相手に頭を下げて敬意を払うことができない。この私が。屈辱だ。なぜ私がこんな目に。私は軽蔑などされるべき対象ではなく、人を一方的に軽蔑しても良いはずなのに、なぜ人は私を軽蔑してくるのだろうか。なぜ人は精神を蝕んでくるのか。
わかっている人でも、これを鋭く指摘してはくれない。下手に関わって逆恨みされたくはない。全く無関係の嫌な奴の精神の奥深くを抉ってもメリットなどないのだ。すぐに離れていくことだろう。そもそもあまりに距離が遠すぎて、そういう人に出会うことがない。ただ運のみである。そういう運命の人がたまたま自分の近くに来ることは少ない。理解のある彼くん、私の王子様、ぼくの女神さま、オタクに優しいギャルなど。
大抵、こうした子の親は両親とも毒親であり、子どもはアダルトチルドレンである。
そして親にそこそこの金があれば、脱落しても引きこもりをすることができる。
自分がゴミクズであることを受け入れて、セルフネグレクトに邁進する日常を選択できる。幸福だ。絶望という名前はついているが、幸福で穏やかな毎日を送ることができる。
何をやっても無駄なのだという学習性無力感と精神の麻痺。突然湧き上がってくる希死念慮。荒廃した生活。死ぬという選択が取れない優柔不断さ。他責的・他罰的な発言。努力をしようと「学問」に活路を見出すも、それをどう活かせるのかは未知数であり、どうすれば生きることができるのかはわからないのだ。学問は決して救わない。機械的人間を大量生産する教育システムそのものが時代遅れなのである。経済の硬直化と後進性と長老支配。学問の民主化により、昭和初期の三流エリートぐらいの知識があるだけでは、生存には足りないのだ。自分の力での生き方はわからないのに、生存自体はし続けることができるという矛盾。欲が無い。欲を持つことができない。
そして、そうした努力も長くは続かない。学校の勉強ぐらいしか知らないのだ。狭い価値観ゆえにそれしか道がないと勝手に思い込んでいる。やがて意味がないと気付くのであろう。容易にやめてしまう。簡単にたどり着けるところまでやったあとはすぐにやめてしまう。見下していた賤業には就きたくないという都落ちを拒否する愚かなプライド。山月記で何を学んだのだろうか。そしてある日、その「賤業」にすら就けなくなる。精神は子どもなのに、体だけはしっかり老化していく。虎にすらなれないのだ。
親に中途半端に金があるのが厄介である。親は、償おうとする。子もときには努力しようとする。それでもうまくいかないし、近所は理解しない。何か精神的に異常なのであろうという、全く異なる価値観によって蔑まれる。それが村社会というものだ。
親に金がなければ、生きていくために自力で仕事につく他ない。首都圏で揉まれ続ければ、やがては苦しみながらも自分の生きる場所を確保できるだろう。
しかし、ただ親元で小さな世界で何年も何年も閉じた生活を送っていると、そうした道も閉ざされる。貴族的な生活。放蕩、放縦。嫌悪している相手に依存しているという忌避感。
年齢の数値は淡々と増えていく。やがて手遅れそうなことに気付くのであろう。
なんなのだこの人生は。なんなのだこの世の中は。許しがたい。テロリストたちへの深い共感。
人は言う。「自分が招いたことだ」「自己責任だ」と言う。この世には悪しかいないように見える。悪辣な社会の中で自分だけが虐げられている。他人に「自己責任だ」と言う者もまたコンプレックスを抱えている。「お前が悪いのだろう」と言いたいのだ。「お前の自己責任だ」という言葉は、「俺が悪いとでも言いたいのか?」の裏返しだ。
他人は楽しんでいるではないか。どうして私が苦しまなければならないのか。
異世界かもしれない。異世界に行けば、愚かな民たちを嘲笑い、自分が正しく認められる世界に行けるのではないかと、光を見出す。
更に狩られているだけなのだ。その精神は看破しているぞ。ただの餌だ。空想の世界へようこそ。現実を直視できない。現実はどうしてこう苦しいのか。
しかし、現実は「そんなどうしようもないものではない」ということをまだ知らない、という点が彼らにとっての最大の不幸である。価値観そのものがどうしようもなく古いのである。
自分がどうしようもないダメ人間だという真実をすべて受容して、それを打ち払おうと一歩一歩踏み出すことでしか道は開かれない。外に出て、本を読むなど世界を広げれば良い。また、生活パターンを変える。思考を広げる。それが本来の学問というものだ。
人材は不足している。別に自分はそういう人物なのだから仕方がないのだ。でもそれを、自分で変えようと進み続けることで自分の人生が拓かれる。ニートのままでも別にいい。全然変わらなくてもそれはそれで仕方がない。
本来、絶望する必要はないはずなのに、どうしても絶望したいのだ。能動的に幸福になるために受動的に絶望を選択している。
絶望することで、「ハンデを負っているのにここまでできる自分はすごいのだ」と思いたいのだ。セルフ・ハンディキャッピングという。
そうではない。より強い絶望を選ぶべきなのだ。能動的に絶望を選ぶことで、受動的に幸福になれるのだ。自ら絶望しなければならない。今より苦しめば、今より苦しまなくなる。
苦しみからずっと逃れようとして「楽な苦しみ」を選び続けているだけなのだ。世間はそれを看破して「楽でいいね」と言っている。世間側のイラつきもある。
もしくは、やはり目を閉ざして、元の穏やかで苦しいメルヘンワールドに戻るかだ。知らぬが仏という。こんな偏見にまみれた文章などくそったれだ。せいぜい凡人たちは、社畜を頑張れば良いさ。
教育ママも、また、気をつけなければならない。教育ママのコンプレックスは、子どもを愛玩動物のように扱おうとすることで子どもに伝染し、子どもを生涯苦しめることになる。愛と呼ばれるものではない。
頑張ってほしい。
自分は半導体エンジニアだが、半導体に関するニュースのコメントに半導体エンジニアは出てこない。
元半導体エンジニアの人が恨みつらみを書いたニュースがバズって叩かれるのもつらいし、
TSMCが日本に工場建てるってのをやったぞ日本ってバズってるんもつらい。
日本に来たASMLのエンジニアが年収3000万超えてて更につらい。
機械や電気エンジニアとか、どういう心境でニュースを見ているのだろうか。
デマにも流されず、いわゆる「嘘を嘘と見抜ける人間」だとずっと思ってきた。
実際はただのバカだった。
これからはAIを使って創作する奴だけが生き残るし全ての人類がAIの洗礼を受けると思った。著作権法は崩壊するし、プロンプトをぽちぽち打つやつが勝つと真剣に思っていた。
日本は遅れているが海外ではもうすでに大規模活用が行われて、世界がAI多数派だろうと信じていた。
で、生成AIに反対してる奴は時代遅れで、進歩しない旧人類の少数派だと思ってた。AI推進派は多数派だと信じていた。
8:2ぐらいで、AI圧倒的多数だと思っていた。だってネットの記事が「AIはすごい」「日本は遅れるな」しか言っていないし周囲のSNSの人たちもそういう言説しかしていなかった。当然そうだと思い込んでいた。
で、実際はどうだったのか?
AI反対派が徒党を組んで水増ししているんだろうなあと思った。
次に行われたAI絵師のアンケートも結果は変わらず90%が規制を望んでいた。
ここでも自分はネットアンケートは正確じゃないから、と思っていた。
芸能団体の意識調査で90%が反対していても、「特殊なクラスタ」の反対だと思っていた。
で、ついに讀賣新聞のアンケート調査結果が出た。85%がAI規制を望んでいた。
そもそもネット工作って何さ。ネトウヨが言いそうな単語じゃん。
いつのまにかAI肯定推進派が圧倒的多数で規制派が少数派だと信じていた。しかし現実は全く逆だった。
いつの間にか、「AI使用は、全然OKです」と言っていた、創作系インフルエンサーも「規制が必要です」「意見は変わる可能性がある」とトーンダウンしてポジションが変わっていた。
イラストレーターだけではなく人気声優や歌手も世界的に反対し始めた。
冷静になると「こんな他人のアイデンティティをいくらでも捏造してフェイクニュースを濫造できる技術が規制されないはずないな」とわかる。
AIに賛成か反対か以前に、自分は結局情弱だったし、驚き屋に騙されるタイプの人間だった。
今回の一件はそれがいちばんの収穫だった。
日本人っていうか日本人って余程の傑物でないとそのうち元に戻るので、例えば団藤重光ってどうだったかというと、晩年は、元に戻ったけど、ババアみたな感じでしたね
だから元に戻ったといっても、ばあさんになって余生を暮らしていた感じなんですが
で、日本人はただのバカなんで一回元に戻ったらおちるところまで落ちるんでただのバカなので、しかも滅茶苦茶幼いというか、ガキなのが日本人の特徴なわけだから
ほんで警察官のきもさって色々あると思うんだけど、だからてめえは昭和時代にたまたま流行ったんだよって言ってもしつこく出てくるしきもいすんですね
偽物だし、でやる気もねえし偽物でうぜーのにいつまでもしつこいわけです
そういう、時代遅れの汚物っていうかね、2008年ごろに、外出はできませんとかいって、直近にいたもりわきという父親に育てられたMONO君がままんに化粧してもらって
女装してざまあとかやっていて、んでMONO君は、東京理科大でパソコン関係に詳しくて、当時の理科大はデリヘルだって自分で言っていましたが
で、そのMONO君本人ってどこに行ったのか分からないっていうか父親の森脇は黒羽刑務所に行ったと思うんで佐藤が、MONO君は、町子の家のふすまの上から入れるところの拘置所の
ベッドで寝ているっていって、そこから入れる拘置所ってさいたま拘置所しかないと思うんですが、さいたまの拘置所にはいないと思うのでどこにおるか分からんのですね
主人公達が大人になった姿をみせるオトナプリキュアもいいんだけど、俺がみたい20周年作品を妄想して置いとく。(ちなみにプリキュアはあんまり見たことない。初代とアラモードくらい)
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近所にすむ幼馴染の4人。 5年生3人と4年生が1人。親同士の付き合いもあり、家族みたいな関係だ。
ある日、小学校帰りの4人は犬に食べられそうになっているボロボロで動けなくなっている妖精みたいな謎の生物を助ける。
「なんか死にそうだったから助けたの。うちに置いてあげていい?」
「……。うーん、それじゃーちゃんとお世話するのよ?」
「はーい」
謎の生物に地域の平和を守って欲しいとお願いされ、学区内の平和を守るクラブ活動をはじめる4人。心配性の口煩い親にバレると面倒なのでこの活動は親にも内緒だ。
地域の平和を守る活動は小学生のおままごとみたいなものから、少しずつ奇怪な出来事に巻き込まれるようになる。そして色んな結果の果てにそれぞれプリキュアになる4人。
ある日、数々の謎な事件を解決したり怪物達を倒してきてこの内緒のクラブ活動が楽しくなってきた4人は、気が緩んでちょっとしたミスから絶体絶命のピンチに!
変身も解け意識を失う4人。
「こんなにボロボロになって……」
「……よく頑張ったね」
ふたりは古めかしい時代遅れの携帯電話のようなものを手に持ち、お互いの手を握り合うとあたりが光に包まれる。
そして光がはれると黒と白のバトルドレスを身につけた中学生くらいの少女たちがいた。
「闇の力のしもべ達よ!」
「とっととお家に帰りなさい!」
「気づいたら早く帰ってきてね」
「好物のチョコとクリームのショートケーキつくって待ってるわ」
あの子達には内緒にしてね、と妖精に言い残して帰路につくふたり。
帰りしなに気を失っている4人を優しく見つめてつぶやく
「悔いのないよう頑張れ」
「楽しむ事を忘れずにね」
仲良く喋りながら歩くふたりの大人の姿は、20年前から変わらない。
次の日からも内緒のクラブ活動に勤しむ子供たち。一度失敗したかもしれないけれど、そんなものは成功の下準備でしかない。
挫けず、めげず、そして楽しくクラブ活動を続ける4人の顔は今日も笑顔だった。
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みたいなー。