はてなキーワード: 現代文とは
自分が弱者なのにポリコレに冷ややかな目を向けがちで、むしろ自己責任思想に接近しがちな人たちがいる。
そういう人は強者ではないのに弱肉強食を指向するのはおかしいと言われがちだけれど、自己責任に寄っていく感覚もわからなくもない。そこには絶望があるんだと思う。
ポリコレという名前を付けなくても、時代が変わるにつれて価値観は変化するし、概ね道徳観は向上していると思う。
でも、ここ数十年の変化の方向が軒並み自分の生きやすさに繋がらない状況が続いてるなら、「ああ、少なくとも私が生きている時代の道徳の救済対象からは私は外れてるんだな」って絶望するのはわかるよ。
救われないから絶望するなんて甘いこと言ってないで自分で声を上げろって言いたくなる人もいるだろうけど、まあちょっと声をあげても民間レベルでは叩かれるし、トランプみたいな大統領を誕生させるという「快挙」を果たしてもそれが世界の潮流を変えなかったという失敗経験は絶望を強めるに足る。
「日本は自民党が一強だし世界でも保守派が強くなってるのに、世界の潮流がポリコレ寄りとはおかしい」と言いたくなる人もいるだろう。
去年カズオ・イシグロがリベラルに苦言を述べた記事が話題になった時も、彼の「リベラル側の人が理解しないといけないのは、ストーリーを語ることはリベラル側の専売特許ではなく、誰もが語る権利があり、私たちはお互いに耳を傾けなければいけないということです」という発言に、非リベラルの方が政治的権力が強いじゃないかとの反論があった。
それについては、ジョセフ・ヒースがインタビューで紹介している考え方を踏まえれば、カズオ・イシグロの指摘も理解しやすい。
「文化政治を追求するのを選ぶ際に,左派の方が実はすぐれた戦略を採用していたとバノンの方は考えていた,という点です.『我々はホワイトハウスを占拠したが,かたやリベラルはハリウッドを占拠するのに専心している』と彼は発言しています.つまり,右派は国家を支配しているけれど,左派は文化産出の道具を支配しているというわけです」という部分だ。
ポリコレ的な思想が、ハリウッドやSNSのキャンセルカルチャーやSDGsを主導したことで、ある種の人間には「これから私たちの待遇はよくなりそう」と希望を与えたが、その希望の分配から取りこぼされた(にもかかわらず他人の希望実現のための協力は要請される)人間はポリコレに絶望したくなるのだ。
取りこぼされている人でも、最初の頃は素朴な正義感によって「今は私には直接益がないけど、でもマクロでは良いことだろうからポリコレ支持しよう」と考えることはあるだろう。
でも色々な物語や現代文化が自分を省みない方向に変化していく傾向が続き、私生活では自分が老いていく、そんな生活の中で絶望に接近する人が増えてしまう。
だから、これまでポリコレ思想が後回しにしてきたり、なんなら反省ばかりを促してきた「弱者とされない弱者」層にも、燦燦とした希望を与えなければいけない。
そのための物語をポリコレやリベラルの名の下に作らなければいけない。
最近だと同性婚禁止は合憲であるという地裁判決が出たが、それでも今後十年でパートナーシップ制度は広がっていくだろうし、改憲が行われれば同性婚が保証される目は十分にあるという希望は力強いままだ。
それと同種の希望を、弱者男性とか喪女とかインセルとかロリコンショタコンとかトー横キッズとか地方のおっさんおばさんとかプアホワイトとか反社反グレとかマイルドヤンキーとかにも見せなければ、彼ら彼女らの絶望と弱者強食自己責任への接近を防ぐことはできないだろう。
雑踏で凶器を振り回す物語、暗黒啓蒙の物語、面白パフォーマンスの政治家立候補者に投票して世間を困らせる物語、戦争が起きて皆が大騒ぎの物語、自殺の物語、それらよりも魅力的かつ彼ら彼女らが主役になれる物語が必要なのだ。
ヒトラーが山荘で金髪の少女と交流しているところを写した心温まる写真、これを証拠に「ヒトラーにも優しい心があった」とツイートするスットコドッコイがいて、それにいいねが何千件もついちゃったりするんですよと授業で紹介したら、受講生がドッと湧いた。
https://twitter.com/tanosensei/status/1537378344656060417
このツイートに対して、「「ヒトラーにも優しい心があった」と主張するだけでスットコドッコイ扱いするなんて許せない!」と喚いている輩がいるが、国語や現代文の勉強からやり直せとしか言いようがないな。
問題とされているのは、ナチ・プロパガンダの産物である写真を「証拠」にヒトラーの「優しい心」を立証しようとするアプローチや知的態度だろうに。
次の患者に関する事例文を読んで、後の問いに答えよ。
私は昭和58年に生まれましたが幼少時の頃に何をしていたかははっきり覚えていない。団地の子供というのはいたがはっきり言って何もしていなかった。
母親が近隣にある商業高校卒で、ママサンバレーに行っていた。昭和63年にゆりかご保育所に入れられたと同時に、父親がパソコン通信に給与をつぎ込み
母親に給与を渡さなかったことより次第に喧嘩が発展、父親は昭和64年に知り合いの建築士に依頼して2000万円で一戸建てを立てて移住したが、
平成元年頃より家で母親がドアをけ破るなどの喧嘩、平成2年頃に母親は車でいなくなり、父親から、母はもういないぞなどと言われた。
祖父母からは何も指摘はない。ゆりかご保育所では様々な園児が様々なことをしていたが、誰が何をしていたのか何も記録がない。当時の同園では水泳教室だけ
力を入れてやっていたがそれ以外のプログラムは適当という感じ。延岡市内の水泳教室が入っていた建物は平成時代を通じて廃止になり現在では廃ビルになっている。
平成2年に南方小学校に入ったが体育とか行事だけをしっかりやる学校で勉強はほとんどない感じ。2,3年生になっても同様。勉強不在、体育だけしっかりやり
それ以外はあいまい。平成4年に永田真知子が担任になるといじめが激化したので登校拒否になって平成5年は祖母の家に逃げていた。
平成6年になると高千穂小学校に転校したが、学校には行きたがらない。当時の高千穂小学校では、3,4年次の児童は既に幼稚化が進んでいたが、5年次の児童だけ
は異常に健康で屈強な生徒が多く、私はそんな中を過ごした。勉強の方はほとんどない学校だったが、かなりの児童が、水泳も体育も行事も活発にやる感じの中で
私は何もしなかった。家庭では父親から食べさせられ過ぎたせいでかなり太っていて学校でも多少のいじめにあった。平成7年になってからも同じような感じ。
どの児童がどんな感じの児童だったかなどはほとんど記憶がない。極めて健康優良児のような田舎の子供独特の人も多ければ、自閉気味の児童もかなりいた。
平成8年3月に、卒業旅行で、ANAに乗って東京の親戚の家に行ったりしていたが、ANAの乗務員などからは自閉症ではないかとはみられていた。しかしここでいう
この子は自閉症ではないかというのは恥ずかしがり屋だとか自閉気味だというだけで、広汎性発達障害すなわち、低年齢において発現する脳機能の障害であって
社会的コミュニケーションの円滑な実施に障害があるなどという程度のものではなかった。平成8年に西階中学校に入ると屈強な部活動生徒に囲まれ、太りすぎ
であることから、奇異な目で見られていた。しかし部活動を通じて細身の体型になった。勉強は不在の学校である。平成9年にはインターネット漬けの日々になるようになり
学校の勉強はしない。他のほとんどの生徒も勉強はしていなかったと思う。冬頃に家族と大喧嘩をすると勉強で見返してやると言い出し、作戦的に教科書をひっぱり出して
勉強、 中学校での成績もどんどん上昇し、優等生になって卒業した。平成11年に延岡西高校に入ったが、異常なまでの積極的な猛勉強で、担任の井上修二から
断トツの成績だと言われていた。平成12年1月に実施された進研模試では偏差値85をふりきり、ヨヨギゼミナール模試でも名前が掲載されたため市内に激震が走っていた。
平成12年4月に担任の井上が自分の授業ではお前を東大に入れる自信がないといてZ会の受講を進めたが、基礎講座のうちはどの科目も概ねできていて優等だった。
高校では体育や行事に参加したがらず、こんなレベルの高校で東大なんか行けるわけないだろと次第に愚痴をこぼすようになった。平成13年からZ会の講座が
東大対策講座になると、現代文はほとんどできない、どんな解答を書いても赤ペンでズタズタにされてほとんど点数になったことがない、他面、小説、古文漢文はそれほど
悪くなかった。 数学では異常な難問にも没頭し、添削の先生から、数学への興味関心が高いとして100年に一度の逸材というコメントがあった。
https://moriishi.com/entry/nobel-prize-in-literature-early20c
面白かった。ウィンストンチャーチルも受賞してたの知らなかった。
日本人は
受賞講演 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%BE%8E%E3%81%97%E3%81%84%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E7%A7%81%E2%80%95%E3%81%9D%E3%81%AE%E5%BA%8F%E8%AA%AC
詩趣に富む表現力を持ち、現実と虚構が一体となった世界を創作して、読者の心に揺さぶりをかけるように現代人の苦境を浮き彫りにしている
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1903年 ビョルンスティエルネ・ビョルンソン(ノルウェー)
その感化の鮮度と精神の希少な純度の両方において名高い、高貴で壮大、且つ多彩な詩に敬意を表して
プロヴァンスの言語学者としての重要な業績の他、自然景観と人々の土着の精神を忠実に反映した、彼の詩作の新鮮な独創性と真の触発に対して
1904年 ホセ・エチェガライ・イ・アイサギレ(同時受賞)(スペイン)
1906年 ジョズエ・カルドゥッチ(伊)
念入りな学究とその成果を評価するとともに、創造的なエネルギー、スタイルの新鮮さ、詩的な傑作を特徴づける叙情的な力に敬意を表して
1907年 ラドヤード・キプリング(英)
真実のための本格的検索、思考の一貫した力、視野の広さ、表現の暖かさと強さによって、数多くの作品の中で人生の理想主義的哲学を実証したこと
叙情詩人、作家そして世界的に知られた短編小説家としての長年の創作活動を通して世に送り出してきた、無上の芸術性、理想主義の浸透を賞賛して
多岐にわたる文学活動、特に戯曲の数々を評価して。豊かな想像力と詩的な空想は、時に御伽話の形を装いながらも、それぞれの作品が神秘的な方法で読者ひとりひとりの感性に訴え想像力を刺激する間、深い創造的発想を明らかにする
1916年 ヴェルネル・フォン・ヘイデンスタム(スウェーデン)
崇高な理想に触発された、彼の多様で豊かな詩に対して
1917年 ヘンリク・ポントピダン(同時受賞)(デンマーク)
1921年 アナトール・フランス(仏)
1926年 グラツィア・デレッダ(伊)
彼の豊かで活発な発想と、それが表現された鮮やかな技巧に対して
ブッデンブローク家の人びと
1931年 エリク・アクセル・カールフェルト(スウェーデン)
林檎の樹
呪われた日々、チェーホフのこと
1934年 ルイジ・ピランデルロ(伊)
月を見つけた
楡の木陰の欲望
1944年 ヨハネス・ヴィルヘルム・イェンセン(デンマーク)
車輪の下で
1950年 バートランド・ラッセル(英)
哲学入門
バラバ
テレーズ・デスケルウ
我々の時代の状況を先見的に反映した、彼の詩の高らかな飛翔と喚情的な形象に対して
1962年 ジョン・スタインベック(米)
1964年 ジャン=ポール・サルトル(受賞辞退)(仏)
静かなドン
1974年 エイヴィンド・ユーンソン(同時受賞)(スウェーデン)
1974年 ハリー・マーティンソン(同時受賞)(スウェーデン)
アニアーラ
偉
擁護派の人って、すぐに人の主張を「気に食わない」というレベルに勝手に引き下げるよね。まずは相手の主張に対して、現代文の試験を受けているつもりで普通に理解しよう。
「現実社会で違法とされている事はエンタメでも基本表現を制限・禁止するべき」というご意見を見かけたが、行ったこともないニューヨークを二度ほど壊滅させた私なんかどうなるんだろうか?
元々の主張は「殺人やレイプを現実に起こりそうな描写で、かつ娯楽として提供するエンタメは規制されるべき」としか読めないけど、これに「SF漫画で都市を壊滅させる」が入るわけないだろ。現代文の試験だったら0点だよ?
「たわわ」の擁護派やオタクの人たちは、「性的に見えるお前のほうがすけべだ」に代表されるように、とにかく賛成とか反対とか以前に、議論に嘘やごまかしや屁理屈がやたらに多いんだよね。規制派やフェミニストも議論に隙がないとは言えないけど(特に法律の実務の問題に弱点がある)、少なくともこうした屁理屈を弄してはない。
さては君、現代文が苦手だな?
「見れる」「食べれる」「来れる」のような、いわゆるら抜き言葉がめちゃくちゃ苦手だ
自分は絶対使わないし、使ってる人を見ると冷めた気持ちになる(口頭では気にしないが、文面だとかなり気になる)
「そういう」が「そうゆう」になっているのもイヤだし、「尊み」「しんどみ」「わかりみ」のようなよくわからない文法活用も苦手だ
別に活字中毒とかそういうわけでは全くないし、本も新聞も読まないし、そもそも現代文の授業とかそんなに興味なかったし俺はギリ理系である
自分が絶対にすべて正しい日本語を使っている!という自信ははっきり言って全くない。
あーやっぱりそういう感じなのか
私は逆に定型故にフィーリングで現代文解いて間違ったりしていたけど、小説は確実に文に書いてあるもんね
そうするとアンニュイな邦画とかが増田にとっては一番分かりにくい部類なのかな
実生活の会話だと余計キリがなくて分からないよね 自分の気持ちをはっきり言う人に増田が出会えますように
教えてくれてありがとう
人によるとは思うけど、
私の場合、小説は心理描写がしっかりしているから、対人よりも理解しやすかったように思う。
暗喩表現もある程度パターン化して覚えているから、ありがちなものなら読み取れる。
基本的に現代文のテストは直接的な表現で書いてあったので、困ることはほとんどなかった。
・大学側が示した正解
1点の上下で合否に影響が及ぶ入試において、こんな解釈に幅があるにも関わらず、
「入試問題への問合せについては,個別にお答えはしていませんので回答は差し控えさせていただきます.」
と逃げに徹しているところが、解釈の違いで延々と逃げる卑怯な文系らしくて素晴らしい。
ブクマには『現代文は「文章から何が(論理的に)読み取れるか」の試験』とか分かった風な意見が出ているが、
だったら何で問一は三通りにも分かれてるんだよ?
例えば、家庭科の授業では、1の次に2を説明されると、もう2の話の時には1を忘れているもんだから全く班の役に立たず「どいて」と言われる始末で、先に1から10を説明されるともう1しか覚えていなかった
そんな経験を何度もしたんで、「ああ自分は救いようのない馬鹿なんだな」と思うようになった
中高合わせてずっと塾に通っていたが、高2の偏差値は現代文を除いて各科目の偏差値が38ぐらいだった
高校生の時は日曜日を除いて毎日塾の自習室に通っていたが、あまりに成績が悪いんで、化学の教師にこいつは全く勉強しないやつなんだなと勘違いされて、ちょっとした冷遇を受けたりもした
一応そんな馬鹿でも受け入れてくれる大学があったのだが、そこは最終的に国家資格を取ることをゴールとする大学だった
入るのは簡単、卒業するのは難しい大学で、自分は案の定ついていけずに挫折しかけたが、解決策を求めて勉強術と銘打たれた本を漁っているうちに、自分なりの勉強法を見つけた
それは、「ヒストンは八量体Gタンパク質である」という文章があったら、一度脳内でテキスト化して、ヒストンと八量体Gタンパク質にはA=Bという関係性を覚えるというものだ
人との会話にもこれが応用できないかと思い、聞いたことを一度脳内に入れるという作業をするようになってから、今まで自分が絶望的に人の話が聞けていなかったことに気づいた
「この漫画、めっちゃ面白いから読んでみ、まだ一巻はそんなに面白くはないんだけど」と人が喋った時、自分は『この漫画』『面白い』『一巻はそんな』という部分でしか人の話をとらえることができなかった
なぜなら、人の声を耳に入れていただけで、頭の中でその文全体をテキスト化あるいはイメージ化するということをしなかったためだ
今は相手に話しかけられたら、一文ずつ脳内でテキスト化するようになったので前より人の話が覚えやすくなった
人の話が聞けない人というのは、いろいろな理由があるので一概には言えないが、人の話を一旦頭に入れることをしていないのも原因の一つではないか?
岸田首相 ウクライナからの避難民 日本への受け入れを表明 | NHKニュース
https://b.hatena.ne.jp/entry/s/www3.nhk.or.jp/news/html/20220302/k10013510691000.html
「ウクライナの人々との連帯をさらに示すべく」という対象を限定した政治的判断で、
「ウクライナから第三国に避難された方々のわが国への受け入れを」という、直接ウクライナから受け入れるのではなくウクライナ難民を大勢受け入れてる第三国(つまりヨーロッパ諸国)が大変そうだから手伝うよ、というヨーロッパ諸国に対する配慮がその主意である。
つまり、国際的にウクライナを支援しないといけない状況だから、ウクライナ人を受け入れればヨーロッパ諸国に貸しを作れて日本の国益になるから、今回だけ特別に受け入れるよ、と思いっきり限定してるわけである。
首相の声明で、受け入れ理由に人道や人権という単語をあえて入てないのは、他の難民に波及することを防ぐためだ。
(人道や人権を理由にしてしまうと、今回のウクライナ人だけ特別扱いする理由が成り立たなくて、野党から「他の難民も同様の人道的観点から受け入れを」と要求されちゃうからネ)
その後に
「まずは親族や知人が日本にいる人たちを受け入れることを想定しているが、それにとどまらず人道的な観点から対応する。」
と言ってるが、ここでの「人道」は、受け入れがウクライナ人限定なのが当然の前提としたうえで、
日本に親類知人がいるウクライナ人(そんな激レアさんどれだけいるんだ?そのうち欧州にとどまらず日本への渡航を希望するなんて数人単位じゃないか?)に限りたいので今はそうするが、日本に親類知人がいないウクライナ人もいずれは人道的観点から受け入れる”かも”しれないよ、と非常に限定された文脈での「人道」である。
狭い狭い針の先ほどのケツ穴を、ほんの少し1ミリくらい広げる”かも”しれない理由としての「人道」である。
難民受け入れをすること自体の理由に人道を挙げてるのではない。
そういう岸田首相の声明を踏まえたうえで、上位ブコメを1位から順に見ていくと・・・?
redra22 「これから」についてを考える機会にしよう
Clock0311 ええ、素晴らしいことだと思います。では、次に、今までに日本に来た難民について、ちゃんとした扱いをするようにしましょうか。
↑首相が「国際社会の重要な局面だから、ウクライナとの連帯をアピールするためね」って思いっきり前提条件つけてるやん。他の難民なんて眼中にないよ。
takhino 今までの対応をなじりたい気持ちは分かるが、何事も「初めての日」がある。難民については今日がそれだったということだ。大事なのは今日だけなのか、明日にも続くのかだ。
明日も続くよ。戦争が収まるまでは、ウクライナ人限定で、今回限りの特別扱いだけどね。
ただし戦争が終わって国際社会の関心が下がって「重要な局面」でなくなったとたんに、ウクライナ難民達は日本社会の邪魔者扱いされて追い出されそうな気がしてならないけどな。
そんで「特別扱いの恩恵はもう終わりだ」と国外退去命令が出されて、帰る場所のないウクライナ人が不法滞在者になって入管に収容拘束されたりして。
そんでヤフコメで「今まで日本にいられただけ有り難いと思え、命令に反抗してさっさと出ていかないんだから入管で殺されても当然」てコメントが殺到したりして。
↑別に難民政策自体を変更したわけでなく、難民受け入れ基準も何も変わってない。
今回限りの政治的判断で国益のために特別扱いしますよというだけ。転換する気なら難民受け入れ基準を改正してるよ。
もうさ、上位ブコメ揃いも揃って、まともにニュース本文読んでんのか。
こんな文盲ブコメに大量のスターが集まって最上位4件になるって、ブクマカまで文盲揃いになっちゃったのか?
「ウクライナに利することなら何でも前向きに捉えて褒め称えないといけない」ていう集団ヒステリー状態になってて、まともな読解力や判断力や思考能力を失ってないか?
グーグルスカラーという科学論文検索サービスがあってそこにはサボテンの中でもウチワサボテンだけとかいろんな論文がみられるのだが
そういう短い論文をまとめた専門書籍も一応掲載されてることがあるやで
あと毎年4月にいろんな大学の履修要綱に教科書リストが出る、それもそこそこ専門向けやで
同じような専門書にみえても最新版やないと定説が覆されたあとから古い定説=嘘が平気でかいてあるから気を付けてな
ファンタジー辞典とか科学系ユーチューバーの本(とされてる漫画)とかも嘘や大げさがおおいぞ
まあ大学やろな…
私立文系大学だとなんか古臭い初級者向けでとまってるせんせいおるけど…(十年間ずっと同じ英国の古典児童文学だけで授業持てたりする)
「アフリカでアフリカンファッションをきまくって自分の写真集を出版した日本女性の本」はおもしろそうだった
さがしてもこれしかでてこなかった
https://www.amazon.co.jp/dp/4594064361
https://www.amazon.co.jp/B004L9NV1G/
おっと後者はこれだ
https://www.amazon.co.jp/dp/4594074847
https://www.amazon.co.jp/dp/4866070056
前者もみつけた
そういう話ではなくて、この話はもう「助けるべきではない」で終わってる文章なの。
実際にこういうシチュエーションがあったらもちろん助けたほうが良いかもしれない。
でもそれは「常識的に考えてそうだろ」って話であって。
高校時代からの友人ですげえ良いやつなんだがのんびりし過ぎてるというか変わってる。
・市役所に受かって働き始めたと思ったら数ヶ月で辞める
・篠原涼子と吉高由里子の見分けがつかない(篠原涼子を「ハイボールの子」と呼んでた)
・流行に全く興味がない。(中島みゆきを延々と聞いてたり、jazzばっか聞いていて周音楽の話が合わない)
・かと思えば陶芸(こひきの焼き物?)とか絵画とか文芸が詳しかったりする(高校の頃に現代文の教師とヘッセだのサン・テグジュペリだのの話をしてた)
・人の顔と名前を一致させるのが苦手
・待ち合わせ先に行ったら友人と見知らぬ美人がすげえ楽しそうに喋ってて、友人が俺に気づいて美人と別れたんだけどあの美女が誰か聞いたら「前の職場で一緒の人だったらしいんだけど誰だか思い出せないんだよねー」と笑ってた
・顔が中性的なイケメンの部類で、高身長で細身なせいか、高校時代普通にモテててたが、それ以上に変わり者ランキング1位みたいな扱いを受けてた
・俺の彼女も友人と遊びたがるので、友人と遊ぶとき時々一緒に連れて行く
・優しくて人当たりが良いが一人行動が好きらしく、時々一人旅行った先の土産とかくれる。
・喋ってると電池が切れることがある。(遠くを見ながら「うん」「あー」とだけ相槌を打ち出す
・色んな面で結構忘れっぽいが人の好きなものや誕生日をよく覚えてる
・彼女と新宿御苑に行った時見覚えがあるやつが芝生で寝てると思って近づいてみたら友人だった。一人で寝てた。
なんか発達障害とかなんかなのかな?でも発達障害特有の人間関係のトラブルみたいな事もないし、なんなら優しくて気遣い出来て凄い良いやつなんだけど、どうしても人と一緒に居続けると疲れちゃうっぽい。仕事が続かないのもそれが起因してるらしい(結構なジョブホッパー)
俺が仕事で精神やられた時に友人の変らない態度とか精神疾患への理解にすごい救われた事があったんだが、俺も友人が助けを求めてるときは助けてあげたい。
しかし、友人みたいなタイプが社会に出てからも一人も見たことがないので、このタイプの人間の特性について詳しい人とかいたら色々アドバイス欲しい。
今の仕事も辞めるかもなぁーと笑ってたので多分やめそう。
まず驚いたのは会場に向かう途中にマスコミの方々がワサワサいたこと。イメージ撮り鉄みたいな感じ。めっっっちゃローアングルでバシャバシャ撮ってる人もいたし。
試験会場の門にたどり着くには目の前の信号を渡らなきゃいけないから、受験生はみんな立ち止まる。その隙に、手当たり次第に話しかけてくるってわけ。
内容は、「追試験受けるんですか?」「なんで受けるんですか?」「質問が2.3個あるのでこたえてもらえませんか?」って感じ。
一番最初の試験科目は知識系だし、立ち止まる間で少しでも整理したかったし、話しかけられると余計にドキドキしちゃうし、テスト中に思い出して「悪いことしたかな…」とか「断る言い方は失礼じゃなかったかな…」とか考えちゃうから正直迷惑だったわ。女の人はかわいかった。2日目は誰もいなかった。
話題になった数1A、本試を家で解いたら50点台だったんだけど、追試の1Aは19点だった悲劇、、………総合点も今年の本試より100点以上下がったわ……悔しい。なのにみんな全然話題にしなくて追試の立場の低さに泣く。母数は正義だわ。
確かに本試は家で落ち着いて解いた影響もあるかもしれんけど、やっぱり追試験の方が難しいって本当だったんだなって身に染みた。
あっでも科目ごとに難易度はバラツキがあったな。歴史系と理科基礎だけは本試験よりも簡単だった気がする。
国語の現代文も、文章は難しかったけど問題は簡単だった!満点だった!ほめて!すごいだろ!(自慢したいだけ)
でもまぁ私が得た教訓は、本試験を受けろってことですね😭
西武新宿のこの場所にくるのは、随分懐かしいね。アキちゃんは元気かな?
−懐かしいね。どうだろう。器用だからね。きっとうまくやっているんじゃないかな。
コーヒーなんて美味しくもなかったけど、一番安いからといって我慢して飲んでいるうちに、すっかり中毒だよ。
大学受験の時、独学で浪人をした。よく勉強をしに来たね。19時半に仕事が終わって、1時間かけて新宿まで戻ってくる。電車の中で問題を解いて、閉店23時までの2時間半を、答え合わせと復習の時間に充てる。古文が壊滅的だった。現代文ばかりに費やしたツケがきたね。偏差値はガクッと追い抜かれて、焦ってた。
平塚ではちゃんぽんを奢ってもらったね。当時、19歳なのに26歳だと思われてさ。相当くたびれた浪人生活だったんだろうね。応援してくれた。
仕事の先輩に山崎さんがいたね。当時はクソ舐め腐ったことを言ってしまったけど、すごく救われた。生き方を教えてもらったようなもんだ。本人は全く自覚がないだろうけど。山崎さんにも、奢ってもらった。お酒を飲んだ。
初めて飲んだお酒は地元の集まりで行ったはなのまいで、いちばん聞いたことがあるからっていって、カシスオレンジを頼んだ。ビールは全然飲めなかった。年確はなかったから、なんとか入れたんだっけ。
今では家にラフロイグやボウモアが常備されているし、魔王を水割りで飲んでいる。勇者よりも魔王が好きだからね。バーにいけば、ギムレットを飲む。マティーニもだっけ?マティーニは店員さんによって味が違うんだ。微妙にね。僕は辛いのよりも甘めのほうが好きだね。ギムレットを飲むようになったのは、小説の影響なんだっけ?
2年もかかった。今日のこの日は大雪だった。東京でも類を見ないほどの大雪で、2~3回しか履いたことのない革靴はすぐにぐちょぐちょになった。コートを持っていなかったから、ジャケットだけで、寒かった。高校の卒業式は東日本大震災で中止になった。僕たちはそういう代だった。としまえんは閉店したよ。この戦争の影響でね。もちろん、ずっと前から言われていたことだったけど。とにかく大変だった。社会はとてもつめたくて、残酷で、どうしてこんな思いをしなきゃいけないんだろう、って思ってた。それでも希望だけは忘れまいって、すごく大変だったけど、なんとか切り抜けることができたんじゃないかと思う。どうだろう?
−どうだろうね、結果なんて誰にもわからないというか。どの地点の結果を見るかによるしね。
今でも夢に見るよ。もう一回やり直す夢を。なんでそんな夢を見るのかわからないんだけど。多分、まだ終わってないんだと思う。
−なにが?
なんだろう、抗いが?
うん、きっとそれだと思う。自分が何と戦っているのかについて、戦っている本人がいまいちよくわかっていないっつーことはあるあるなんだ。昨日の晩御飯に何を食べたかわからなくなるくらいにはね。
同様に、自分が今までどうやって生きてきて、結果としてどうなって、今どうしているから、これからどうなるだろうかなんて、誰もよくわからないはずなんだ。
−うん。
思うに、遠回りをしちゃったんだと思うんだよ。だけど、自分しか通れない道だったっぽくて。
−どんな道のりだったの?
−仕方なかった。
そう、仕方なかった。
仕方なかった。
ただ、そう悲観的に捉えていたわけじゃないんだ。なんつうんだろう、ほかに方法がないかをずっと探していたんだ。普通そんなことしようとは思わないじゃん?でもさ、僕はずっと不思議だったんだよ。どうしてそんなに平気な顔をしていられるんだろう?って。自分がまだクソガキのままで、自分が考えなくていいようなことを、もしかしたらみんなは一度は考えたことがあったり、自分なりに答えを出していたり、なにかしら割りきったりしているんじゃないかって。
−言っていることはすごくわかるよ。
そうだよね。だから、時間がかかった。簡単に言えばね。答えがでたわけじゃないんだ。いや、答えなんて最初っからないんだと思う。答えがあるように感じてしまうのは、僕のよくないところなんだろうね。おかげで、前に進めるようになったんだ。
−それで、なにか教訓のようなものがあるとしたら、それはなんなの?
どうだろうね、あるのかないのか。たくさんありすぎて話しきれないかもしれないし、もしかしたらなんの一つもアテになることがないのかもしれない。
一つ言えることがあるとしたら、僕は僕の幸せのために生きているということだけかもしれないな。
−本当に?
多分ね。もし僕がそんなことを言い出したらびっくりするかもしれないけど、きっとそういうことなんだと思う。自分の幸せのために生きている。そのことをずっと忘れていた。そういうことだと思う。
だから時間がかかったんだよ。自分だって、何を言っているのかよくわからないけど、そうとしか説明がつかないんだ。それに、もしそこにこだわってしまったら、うまくいくものもうまくいかなくなるかもしれない。こういうのにはきっと順番があるんだよ。
−そのことはどうでもいいって決めてたはずじゃん。
そう。そうだったはずなんだよ。でももし、自分が一番にこないといけないシチュエーションが仮にあるとしたら。それを10年も前から想像がついたと思う?想像がつかなかった。その手の生き方が存在していることに。自分はあまりに無知で無能で、世の中のコトワリに無頓着なまま、漫然と構造的な理不尽に対して敵意を向けたまま、ぼんやり暮らしていたんだよ。
−最悪だよ。そんなことが聞きたかったわけじゃない。
そう言うと思ったから時間をとったんだ。僕はバカで無知で、その割に調子に乗っていて、社会っていうのは自分を中心に回っていないと気が済まないとでも思っていたんだ。そうじゃないことを知ることがあまりに遅すぎると、なんにものこらない。
人に迷惑をかけるだけだよ。
でも、僕はどうして社会がこうなっているのか、知りたかったんだ。どうしても。
綺麗事を言いたいわけでも、なんでもない。根本的に僕は、自分の幸せのために生きている。その結果として誰かを不幸にしているわけではないんだ。それから、自分のために生きたからといって、誰かに不幸だと言われる筋合いもないんだ。
もう29になる。10年だよ。一瞬だったように思う。大学を卒業して5年だ。10年もあれば、それなりのことを考えられるようになる。社会がこれからどうなっていくのか。自分の人生がこれからどうなっていくのか。周囲の友人関係がどのように変わっていくのか。ライフスタイルがどのように変わっていくのか。その見通しを結実させるためにやらなくてはならないことをこなしていくこととか、その繰り返しから逃れられないこととか。その分、なんか大事なものを失っているんじゃないかって思うこともあった。どんどん汚れていってしまうんじゃないかと思うこともあった。そうやって僕が嫌っているような人間と同じような運命を辿ってしまうくらいだったら、いっそ全てを投げ出してやりたいとも思った。
でもね、違ったんだよ。僕が嫌っていた人たちは確かに悪魔のように見えたかもしれない。わかったんだ。まあ、本当のところはよくわからないけどね。本心ではもしかすると、人の心が本当にないのかもしれない。あるいは、失くしてしまって気付いてないのかもしれない。でもそれは必要だった。必要だったから、その現象は起きたんだ。
必要じゃないことは起こらない。
あとね、自分なりに折り合いをつけたんだよ。自分の存在に折り合いをつけるのは大変だったし、自分の存在を一般化して語ることは間違っていると認められなかったんだ。
でも、多分もう大丈夫。また何回かやらかすとは思うけど、気をつけていこうと思う。
そうだよね。でもそれでいい。それでいいんだよ。わかっても、わからなくてもいい。そういうものなんだよ。
そうだね、たしかに僕は、僕がなにかしらのロールモデルになればいいと思っていた。でも、それは必要ないってことに気づいたんだ。なんせ世界はもっとえげつないスピードで進んでいるからね。僕が誰かのロールモデルになる必要はないし、将来の僕のような存在は、きっと僕のような存在を見たからといって、どうにかなるわけじゃない。そうじゃなくて、きっと僕のような存在は、僕と同じように、誰に言われるまでもなく、このどデカくてうすら寒い国境を越えてくるんだよ。
そうして気づくんだ。そうか、そういうことだったのかって。
誰かに言われて「はあ、そうだったんですか」と納得するような類のものじゃないんだ。こればっかりは、自分で越えるしかないんだ。
今のこの世界は必要に応じてしっかり動いているよ。そのことはよく覚えておくといい。必要に応じて変わっていく環境に、どう適応していくか。その程度のことしか僕にはできないよ。
−これからどうするつもりなの?
わからないよ。だけど、今のキミのようにまたわけのわからないことを言われることになるんだ。きっとね。僕は何か物事を理解するのに、人よりも時間がかかってしまうタイプだから、そのときになってみないとわからない。
決断には時間がかかるもんなんだ。そしてそれには時間をかけていい。
さて、そろそろいくよ。
−どこにいくの?
わからない。もしかしたら、羊をめぐる冒険をするのかもしれない。けど安心してほしい。キミはこれから降り起こる数々のことに傷ついたり、ひどく落ち込んだり、人間不審になることもあると思う。そしてその傷を癒すのに途方もない時間がかかるかもしれない。もしかしたら、どうしようもなくなるかもしれない。離婚するとわかっていて結婚するようなもんさ。でもそれは僕が選んだことなんだ。キミを失望させることにはならないよ。
だから泣かなくていい。
エンタメや芸能で本当に好きな人だけ見れる場でやる、一切表に出ない、をやってしまうと2つの問題が発生する。
1. 市場として先細る
好きな奴だけしか残らないということは、新しいお客さんの流入を既存客のコミュ力に大きく依存する形になる。
いわゆる口コミとか布教ってやつだけど、それがマスコミや大規模なPRに勝る流入をたたき出すことはほとんどない(ブームの起爆する起点にはなるけども)。
ということは演者に落ちる金がどんどん無くなっていくので必然的に自由度が無くなる。
もっとも、1人あたりの客の支払う金額が多くなっていけばこの問題は辛うじて回避できるが、
2. 表現が先鋭化しすぎる
表現者も所詮売り手に過ぎないので客の反応は常に気にする。客を気にせず独自路線を突っ走れる人間なんてほんのわずかだ。
すると今居る客に最適化した形にどんどん表現を変えていく。楽屋オチだったり身内ネタだったり過激すぎるネタだったりそれは様々。
最適化しすぎると今居る客以外、まったく訳の分からず楽しくもないものがひたすら生産され続ける。
すなわち新規客が入らなくなるので既存客の死とともにジャンルも死ぬ。
解説を流してくれるガイダンス装置を貸し出したり、ボカロやアニメなどの現代文化を取り入れた新作を作ってみたり試行錯誤して
何とか新しい客を呼び込もうとしている。